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2019年8月24日 

ナザレついでに、今日はナザレをロケ地にした映画「過去を持つ愛情」にちなんだファドBarco Negroについて。

この記事は2018年3月に一度あげていますが、新しい情報と一部訂正して書き換えたいと思います。

亡き母の影響で若いときから古い洋画に興味を持ち、機会を見ては観てきましたが、それだけでは多くの名作を知ることができず、猪俣勝人氏の「世界映画名作全史」文庫本3冊を手に入れて、時に開いては古い映画のストーリーを読んで楽しんできました。

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今では本のページが薄茶色に色褪せてしまっています。3冊のなかでよく開いたのが、マレーネ・ディートリッヒの表紙の「戦前編」です。「地と砂」「第七天国」「西部戦線異状なし(これは今DVDで持っている)」「嘆きの天使」「モロッコ」「巴里の屋根の下」「間諜 X27」「巴里祭」「一日だけの淑女」と、気に入りの古い映画は限りなく、探しては観たものです。

さて、作品「過去を持つ愛情」は1955年のフランス映画ですから、戦後編で確認しようと開いたところ、猪俣氏が見落としたのか、残念ながらこの映画は掲載されてありませんでした。

原題は「Les Amants du Tage(テージュ川の恋人たち)」。テージュ川はイベリア半島最長の川でスペイン中央部からリスボンに流れ込み大西洋に入ります。

第二次世界大戦中は中立国だったポルトガルです。映画「カサブランカ」でも触れられていますが、当時のリスボンはアメリカへ向かう難民たちの主要な国際港でした。ナチスの手を逃れて多くの難民がリスボンからアメリカへ渡ったそうです。
映画はそれから10年ほど経ったリスボン、ナザレが舞台です。

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テージュ川で。Wikiより

パリから逃れリスボンでタクシー運転手をしているピエールと夫を事故で失ったカトリーヌがリスボンを旅で訪れます。そのくらい過去の傷を持つ男と女がリスボンの酒場で出会うシーンで歌われるのがBarco Negro」(黒い舟)です。

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1999年に没したファドの女王、アマリア・ロドリゲスを世に出した歌です。

日本語では「暗いはしけ」と訳されていますが、少し意味合いが違うように思います。「はしけ」は貨物や客を運ぶ小さな舟のことですが、「Barco Negro」は歌っている意味からして漁船です。

アマリアの歌の中でも名曲といわれるファド、と思ってきたのですが、なんと、原曲はブラジルの歌だったのです。

これには少し驚きました。 ポルトガル人も知らない人が多いのではないでしょうか。夫に、この知識をひけらかすと「まさか?」の顔で言うことには、「ネットにあることが全て正しいとは限らんぞ。」でありました(笑)
そんなことはもちろん承知ですよ。 しかし、まぎれもない原曲を今度はポルトガルの人気歌手「ドゥルス・ポンテス」が歌っています。その原曲は「Mãe preta」(マイン・プレタ。直訳:黒い母=黒人の乳母の意味)。

♪黒人の乳母が主人の赤ん坊を揺りかごであやしている。
  こんな風にして白人の子供を育ててきたが、
  その間に、黒人の我が子は農園で鞭打たれながら働いている。

と、黒人の母の悲しみを歌ったものですが、映画「過去を持つ愛情」では、歌詞をすっかり変えて原曲をはるかに上回るファドの名曲にのし上げています。ブラジルで作られた歌ですが、実はポルトガルでは
この歌詞が禁じられたもので、全く意味の違ったポルトガル語歌詞に書き換えられたのだそうです。本来はファドではなかったとは、驚きでした。

下記のリンクからこの2曲を是非聴き比べてみてください。

アマリアの「Barco Negro」


漁に出て行き帰って来ない愛する男への「あなたはわたしの胸の中にいつも生きている」との思いを切なく歌っています。
  
ドゥルス・ポンテスの「Mae Preta」 


アマリアの前にも後にも、素晴らしいファド歌手はなし、とは、わたしの思うところです。

下はわたしが10年ほど前、ナザレを訪れたときの写真。人影なく寂れた漁村でした。

ナザレ2009

ポルトガルで始めて、鯵の干物を見ました。この老女からたくさん買いこんだのですが、日本のとは違い、とにかく固かくて食べるのに苦労しました!

mulherNazare.jpg

映画「過去を持つ愛情」のストーリーは下記にて読めます。
https://movie.walkerplus.com/mv13577/

ナザレについては、これでお終いにします。
ではみなさま、また。


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2019年8月23日 

今日はナザレの礼拝堂(Ermida da Memória)地下から。

小さな礼拝堂に入り、地下へおります。
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美しいアズレージュの階段を少しおりたところ、この地下の洞窟に長い間黒いマリア像は眠っていたのでしょうか。左側にマリア像のレプリカが置かれています。

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と、・・あれ?レプリカは白いマリア様に変身させられていますぞ。だめじゃないですか、これと、多少がっかり。勝手に肌の色を変えてしまうなどレプリカとはいえないと、一言苦情を言いたいところです。

さて、ここからは件のポルトガル唯一だと言われるSantuário de Nossa Senhora da Nazaréの黒いマリア像です。

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教会内部。

祭壇の写真を撮っていると、黒いマリア像が置かれている祭壇の上を人が時々通ります。
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聞けば、祭壇に向かって左側から、1ユーロで裏に回り、目の前で見ることができるとのことで、夫と息子は興味なし、わたしが一人で入ってきました。

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祭壇の裏側も美しいアズレージュが施されています。この階段から入ります。
 
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こちらは明らかに黒いマリア様です。

「ノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ:AD714年にメリダ(スペイン)から運ばれ468年間この岬の洞窟に隠されていた。1182年以来Alma Portuguesaとして崇められている」と説明されています。

木製で高さ25cm、最古の黒いマドンナ像のひとつと考えられるのだそうで、言い伝えによれば、ナザレの大工のジョゼフ(イエスの父にあたる)がイエスが赤ん坊のときに作り、数十年後に聖ルカが色付けをしたのだそうな。

すると、ジョゼフがグノーシス派でもないかぎり、ナザレの黒いマリア像を神秘主義者たちのシンボルとするには無理がでてくるのだが。とは、わたしの突っ込み。

ナザレのマリア像は左ひざの上に赤ん坊を抱いていますが、典型的なエジプトのイシスとホルス像の形であり、頭部のヴェールは東地中海の伝統を表しています。

ちょっと比べてみましょう。

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イシス女神とホルス  いわゆるカトリックの聖母マリアとイエス

ここからは、黒いマリア像も含むシンボルの謎に対するわたしの考えです。

キリスト教が古代の異教から多くの行事を取り入れていることを見ると、エジプトの神秘主義との間に類似性があっても不思議はないでしょう。異教徒とみなされることから逃れるために、神秘主義者たちが聖母の白い肌の色を黒にし、数世紀もの間、密かにそれを崇め続け、その結果今の時代までそのシンボル残されてきたとしたら、歴史の大いなる一面だと思います。

黒いマリア像をわたしはイエスのただ一人の女弟子、マグダラのマリアと捉えているのですが、今回のナザレの黒いマリア像については、突っ込み部分もあり、果たして神秘主義者が崇めるマグダラのマリア像を意味するのかどうか、不明です。

ローマカトリック教が強大な権力を持ったヨーロッパ中世、カトリックにあらずんば人にあらず、と社会的に存在を否定された時代に、自らの思想を貫かんがため、同志だけが分かるシンボルを建築物や作品に密かにしたためた抵抗者たちがいたことを知るのは意味があると思います。

厳しい環境に身をおきながら、いかにして自分の信念を後世に伝えることができるか、その方法を編み出す知恵者と絶対権力者たちとの競合には、手に汗握るものがあると思うのですが、みなさまはいかがでしょうか。

カトリック教会に反骨精神逞しい人と言えば、ミケランジェロを思い浮かべますが、興味のある方は下記をどうぞ。

・バチカン:システィナ礼拝堂の隠されたミケランジェロ暗号

・バチカン:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(2)

・ローマ編:ミケランジェロのポルタ・ピア門

・ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(2)

・ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂の隠された暗号(3)

本日はこれにて。
「spacesis, 謎を追う」シリーズにお付き合いいただき、ありがとうございます。

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2019年8月22日

ポルトガル時間午後5時過ぎ、日本時間で午前1時過ぎに「今家に着いた。雨が降ってたからびしょ濡れだぁ。」と、我が東京息子からメッセが入りました。アンちゃんによろしくね、と返信する。この3週間、賑やかな息子がいたのですが、我が家は今、火が消えたかのようで、こういう寂しさはちょっと堪りません。

相手をしてくれる友人はたくさんいるので、一日中、家にいる息子ではないのですが、晩御飯は一緒に食べるのか、それなら量は多めに作らないといかんとか、今日は誰に会うのか、おアホなことをしでかさないかとか、そうやって気にかかるのが、息子が家にいるという証拠です。

もう放っておきなさい、子どもじゃないんだから、と夫は言いますが、息子が側にいて気にかけられるというのが、嬉しいのです。

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世です。女同士のモイケル娘とは、彼女の独身時代には毎日のようにチャット交換してきましたが、息子とのそれは、「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとできてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いものです。

だが、三つ子の魂百までと言います。子供のころからの息子の性格からして、きっと大笑いするような話が山ほどあるに違いない。

そこで、今日は息子の話をば。こうして書いていると笑えて寂しさも紛れるというものです。

まだ、息子と娘が千葉のアパートに一緒に住んでいたころのこと、帰国しては、二人のアパートで嬉々として年に一度の母親業をしていました。夕食時の息子の話には笑うばかり。以下、いくつかあげます。

週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱ、筋トレをしていたら、係員が顔を青くして飛んで来て、「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。

筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったくいい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子を想像したら、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げてしまった。そんなのがいくらでもあると息子は言う・・・・・^^;

年末にすぐ近くの商店街で福引をした。例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目前で力いっぱい何回も回して、回す部分が台から外れてしまい、玉いっぱいが外へ飛び出してしまったって・・・・息子いわく、「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやってくださいませ。

ある日、ネットで見かけたこの写真に思い当たり、わたしは可笑しくて仕方がなかったものだ。

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「まだじゃ。まだ早いのじゃ」

息子の幼い頃の様子がいかにも分かるという一枚です。ご覧くだされ。
東京息子

「裏面に1983年3月、ポルト」と記されています。夫の友人の別荘で誕生パーティーに招待され、記念写真を撮るところ、いや、撮ったのであります。

他の子どもたちはみなおとなしく並んで待っている中、我が息子のジョン・ボーイだけが砂遊びのショベルを持って、ちょろちょろ動き周り、やっとひっ捕まえて並ばせ、「はい、ポーズ!」とカメラのシャッターを切った瞬間逃げ出し、「あ、こりゃー!」

咄嗟にひっつかまえようと地面に片手片膝ついてつんのめりながら息子のズボンをひっぱっているのが、わたくし^^;息子と同い年の双子の兄弟もお口あんぐりです。

日本でも知り合う人からは「ジュアン君て原始人みたいね」と言われんだと言う。げ、原始人^^;「粗にして野」か。

すると横からモイケル娘が言う。
「おっかさん、家でも外でも変わらない、裏表のない人間に育って欲しいと願ったんでしょ?その通りじゃん、はははは」(エピソードはこちら) http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-301.html#more

そ、それはそうだけど、微妙に違うんだよね・・・と少し焦る母。

日本社会に入り混じって今は少し大人になったかと思うのだが、いや、まだまだか(笑)今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏の「疎にして野だが卑ではない」の如く、せめて「卑」にはなるなや。
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2019年8月21日 

イエスが最高の霊知を授けたと言われる秘蔵の弟子、マグダラのマリア像は、「神の知恵のシンボル」とされます。なぜ「黒」なのかというのには数説あります。

黒は知恵を象徴する、黒い聖母は異教的には浅黒い肌を持つエジプトの女神イシス(永遠の処女でありオシリスの死後、処女のまま神、ホルスを身ごもったとされる。キリスト教の聖母マリア、イエスと同じ話である)からくる、などなど。

グノーシス主義の人々が崇拝するその異教徒の黒いマリア像は、世界に160以上あるとのことで、フランスが圧倒的に多く、イタリア、スペインが続きます。

そして、ポルトガルでは唯一、ナザレの丘陵区域Sítio da NazaréにあるSantuário de Nossa Senhora da Nazaré(Santuário=聖地、教会とも訳せると思う)で見ることができます。

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しかし、地元では黒いマリア像とは呼ばず、土産物店で売られているコピーも白いマリア様になっています。
羊皮紙に書かれた古書によると、この黒いマリア像は初期キリスト教時代のパレスチナ・ナザレで崇拝されてきたとあるのだそうです。

5世紀に起こった偶像破壊運動から逃れて、黒いマリア像はスペイン、メリダ近郊にあった修道院に運ばれ、711年までそこに安置されていました。その後、ムーア人のイベリア侵入が始まり、ロマノ神父が聖宝の黒いマリア像を持ってポルトガルの大西洋沿岸(現在のナザレ)まで逃れ、崖の洞窟にそれを置きました。それゆえ、この地はナザレ、そして黒いマリア像は「Nossa Senhora de Nazaré」と呼ばれます。

ここまでが、黒いマリア像がパレスチナのナザレからポルトガルに辿りつい経路なのですが、現在教会の中に納められているこのマリア像は、最初、崖淵の小さな礼拝堂、Capela da Memóriaに安置されていましたが、この崖にもうひとつ、12世紀後半の伝説があります。

戦士Dom Fuas Roupinho(ドン・フアス・ローピーニュ。恐らくテンプル騎士だと思う)はある日、馬に乗り狩に出、深い霧の中で不思議な黒い影を見ます。鹿だと思いそれを夢中で追いかけるうちに崖っぷちまで来てしまい、一瞬マリア様に助けを求めます。すると、危うく海に落ちるところを馬のぎりぎり脚の踏ん張りで命拾いをします。

その場所は、ちょうどかの黒いマリア像が安置されてある洞窟のすぐ横だったとのこと。そこで、感謝の印としてDom Fuas Roupinhoはその場所に礼拝堂を建てます。
 
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ピラミッド型の屋根を持つ礼拝堂はまさに崖っぷちに建てられています。

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礼拝堂横は見晴台になっており、この壁の向こうは崖で入ることができない。ここから眺められる景色がこれ↓
portugalgoods

古い礼拝堂の外壁にはDom Fuas Roupinhoの伝説の場面がアズレージュで描かれている。
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14世紀に入ると、噂を聞いた巡礼者が増大し、ドン・フェルナンド王は礼拝堂の広場向こうに教会を建て、黒いマリア像もそちらに移動されます。それが、Santuário de Nossa Senhora da Nazaré教会、トップの写真になります。

礼拝堂内部、黒いマリア像もまだ続きます。
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2019年8月20日 

ナザレの黒い聖母像(3)については、もう少し調べてから書きたいと思いますので、今しばらくお時間をください。

8月中旬も終わりの本日、時節柄、過去記事の子どもの頃の宵宮の思い出をあげます。以下。


日本語教室の生徒たちと芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読した時のことだ。

生涯でたった一度だけ、道端の蜘蛛を踏みつけようとした殺生を思いとどまった極悪人「カンダタ」が、地獄で苦しみあえいでいる。それを見たお釈迦様が、蜘蛛を助けたことをふとお思い出しになり、地獄から引き上げてあげようと、一筋の蜘蛛の糸を極楽からカンダタの前に垂らす。

カンダタは、その蜘蛛の糸にすがって血の池を這い上がり、上へ上へと上って行く。つと、下を見下ろすと、自分の後に大勢の極悪人どもが必死に蜘蛛糸をつたって大勢が地獄から上ってくるのが見える。

カンダタはこれを見て、己一人でも切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸、なんとかしないことには、自分もろとも糸は切れて、再び地獄へ舞い戻ってしまおう、思わず「この蜘蛛の糸は俺のものだ、お前たち、下りろ下りろ。」と、喚いた瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの上からプツリと切れて、まっ逆さま、もろともに地獄へと落ちて行く。
       
お釈迦様のせっかくの慈悲も、自分だけ助かろうとするカンダタの浅ましさに、愛想をつかしたわけである。

仏教で言う「地獄」を英語で「hell」と訳してしまうのは、少し違うように思う。生徒たちと読みながら、わたしは子供の頃の「地獄」への恐怖を思い出していた。

夏の風物詩は、この時期では日本のどこでも催されるであろう、宵の宮祭だ。故郷弘前では宵宮、「ヨミヤ」と呼んだ。

子供の頃は、暑かったら裏の畑の向こうにある浅い小川で泳いで暑さをしのいだし、少し歩いたところが寺町の裏手に当たり、夕暮れ時には肝試しと言って2人くらいずつ、墓所まで行って帰ってくるのも涼しくなる遊びのひとつで、よくしたものだ。

夕食を終えた後は、たんぼを渡り小川のあたりで、「ほ、ほ、ほーたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」 と歌いながらする優雅な遊びも知っていた。
  
子供なりの智恵を使って、自然の中で遊びを見つけていたが、夏のヨミヤはそれとは別に、大人びた世界を垣間見るような興奮を感じたものである。

夏の日は長く、ヨミヤのある日は外がまだ明るいうちから、遠くに祭囃子が聞こえた。子供が夜出歩くなどしない時代だったが、この日は別である。祖母や母と一緒に行った記憶はない。祖母は、桜まつりには蕎麦の屋台を引いたりしたし、夏には氷水を売ったりしていたから、恐らく家族はそれぞれ、ヨミヤでの出店に追われていたのであろう。
       
二つ下の妹とユカタに赤い三尺を締めて、既に日が落ちて暗くなった新町の道を妹と手をつないで誓願寺の夜宮へよく行った。

すると、薄暗闇の向こうから、わたし達を呼び寄せるかのように、「♪か~すりの女とせ~びろの男~♪」と、三橋美智也が聞こえてくるのである。
       
田舎の夏休み中のおやつといえば、裏の畑からもぎとったキューリを縦半分に切り、真ん中を溝を作るようにくりぬいて、そこにすこし味噌を入れたのや、塩だけをつけたおにぎりなどである。おやつ代などもらえることはなかったが、夜宮の日にはわずかばかりだが、出店があるのでもらえるのだ。

金魚すくい、輪投げ、水ヨーヨー、線香花火、水あめ、かき氷。これら全部は回れないが、わたしたちが特に好きだったものに「はっかパイプ」があった。屋台にぶらさがっている動物や人の顔など、いろいろな作りのはっかパイプの中から好きなものを選び、首からぶら下げてはっかをスースー吸うのだ。

しかし、その出店が並ぶところへ行くまでに、どうしても避けて通ることができない、寺門をくぐってすぐ左の格子戸がある一隅があった。そこには、閻魔(えんま)大王と閻魔ばさま(ばさま=おばあさん)がどっしりと腰を据え、通る人々を見据えているのである。
       
閻魔大王はまだしも、クワッと赤い口を開き、着物の胸がはだけてしなびた乳房がチラリ見え、片立て膝でこちらを睨む閻魔ばさまには、恐ろしいものがあった。怖い怖いと思いながらも、ついつい見てしまい、閻魔ばさまと目が合っては、ブルッと体が振るえ、下を見ながらそそくさとそこを去るのである。
       
註:閻魔ばさま=奪衣婆(だつえば)
  三途の川のほとりで、亡者の衣服を奪い取るといわれる。
  奪い取られた衣服は、そこにある衣領樹(えりょうじゅ)と言う
  木の枝に引っ掛けられ、その枝の垂れ下がり具合で生前に
  犯した罪の重さがわかると言われる。

ここにはもうひとつ、目が行ってしまうものがあった。地獄絵図である。恐らくこの時期に寺のお蔵から出されて衆人に見せられるのであろう。
       
「嘘をついたら舌を抜かれる」「悪事をなせば針の山、血の海が三途の川の向こうで待ち構えている」
阿鼻叫喚の地獄絵巻は幼いわたしにとって何よりの無言の教えであった。
       
古今東西の宗教が多かれ少なかれ、わたしたちにある程度の怖さをもって説教しているのは、人間は、こうしてはいけないと分かっていながら、つい悪行に走ってしまう、なかなかに食えないものだと分かっているからだろう。

嘘をついたことがないとは決して言えないが、人様に迷惑をかけながらも、あまり意地悪い気持を持たずして、(意地悪いのは大きな悪のひとつだとわたしは思うから)、今日まで自分が生きて来れたのは、どこかに幼い頃に見聞きした地獄絵図が刷り込まれているからかも知れない。

知識を振りかざして生きている現代人は、その知識による過剰自信ゆえ、もしかしたら、理屈では片付けられないものが世の中にあることが理解できず、いざと言うときに、案外弱く危ういものを抱えているのではないだろうか。久しく、「蜘蛛の糸」を読んで思ったことである。
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