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2020年1月26日 

今年は6月中旬過ぎの帰国を予定しています。
今回はこれまでよりも長い滞在になるので、夫と日程を相談しているのですが、「あなた、大丈夫?猫たちも大丈夫かなぁ」と言ったところ、「猫たちの方が心配なんじゃないの?」ですって。 わ、分かってるやん(笑)

いえね、これまでだとせいぜい長くて4週間の日本滞在でしたから、家猫は夫に任せ、野良猫たちのエサは帰国前に猫缶を買いまとめて、お掃除にくるおばさんにバイト代を払い、世話を依頼していたのです。

しかし、今回のように長期になると、バイト代もバカにはならんなぁ。夫には野良猫の世話までは頼めません。払ってお願いするしかありませんな^^;

今は夫の母親も鬼籍に入り、夫の世話をする人はいないので、やはり気になるというものですが、数カ月に渡るわたしの日本滞在は、我が東京息子が幼い頃に2度ほど、ありまして、本日はその思い出話をば。

トピックにある、「曽根崎署始末記」でござんす。以下。


大阪は曽根崎と聞けば、わたしなどはすぐ「曽根崎心中」と「曽根崎警察署」を思い浮かべる。

「曽根崎心中」は、近松門左衛門の文楽で知られる。

この世のなごり 夜もなごり。死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそ あわれなれ。
あれ 数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生の
鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽とひびくなり。


大阪商家の手代徳兵衛と遊女おはつの道行(ミチユキ)の場面である。この世で結ばれぬ恋をあの世で成就させようとする二人が、手に手を取って心中へと連れだって行く姿の哀れさは、人形劇と言えども真に迫り、見る者の心を濡らさずにはおかない。

若い時に観たこの人形浄瑠璃の美しさに目を、心を奪われ、わたしは近松の本を手に取り、更に「女殺し油の地獄」「心中天の網島」と観に行ったものである。上の道行の部分は、今でも間違えずにそらんじている。

しかし、なんでまたこれに「曽根崎警察」?これが、まったく面目ないことで^^;

母子で3年ぶりに初めて帰国したわたしは夫を7ヶ月もポルトガルにほったらかして、堺のアサヒ・ビアハウスの先輩歌姫、宝木嬢宅に同居し、ビアハウスでも週に何回かバイトで歌っていました。

それができたのは、当時、私たち親子は夫の母、夫のおばたちと同居しており、夫の世話をあまり心配する必要がなかったこともあります。

いつ帰るとも分からぬわたしと息子に、とうとうシビレを切らした夫が日本へ迎えに来ました。

そうして、ビアハウスで常連さんたち仲間たちがわたし達家族3人の送別会を開いてくれた、息子がまもなく2歳になろうかという夏の夜のできごとです。

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↑大阪堺の宝木嬢たくの界隈で。後ろに見える自動販売機がいたく気に入ったようで、しょっちゅうここに連れていけとせがまれたものです。ご近所に皆さんもにとても可愛がってもらいました。

ビアハウスのステージも終わり閉店の夜9時半、夫、息子、それに数人のアサヒ仲間と帰路に着き、ゾロゾロ数人連れ立って梅田地下街を歩いていました。

夫がちょっと用足しに行くと言い、「はいはい、ここで待ってます」とわたし。10時頃の地下街はまだまだ人通りが多く、同行していた宝木嬢とホンの一言二言話をして、ひょいと横をみたら、い、い、いない!息子がおれへんやん!

えーー!慌てて周りを見回したものの、見当たりまへん。え~らいこっちゃです!即座に同行していた仲間と手分けして、地下街のあっちこっち走り回って探したものの、あかん・・・
  
トイレの目の前にはビルの上のオフイス街へと続く数台のエレベータードアがズラリ^^;真っ青になりました。このどれかにヨチヨチと乗っていったとしたら、いったいどうなるのだろう^^;
もう泣かんばかりの心地です。すぐビルの夜勤管理人に連絡をし上へ下へのてんやわんや。
  
かれこれ1時間半も探し回りましたが、見つかるものではない。心配と探し回ったのとで皆くたびれ果てたころ、管理人の電話が鳴りました。

「おかあさん、ちょっと出ておくんなはれ」と管理人さんに差し出された受話器の向こうから、ウェ~ンウェ~ンと大声で泣いてる息子の声が。

「あ、もしもし、こちら曽根崎警察署です。この子ハーフちがうのん?○色のちっちゃなリュックしょって。もうオシッコでビショ濡れやで。」
万が一を思い、管理人さんに頼んで曽根崎警察署に連絡を入れていたのでした。

息子は通りかかった若い数人の男女のグループに連れて行かれたのか、あるいはついて行ったか。だとすると、そのグループが地下街から外へ出て置いて行ったとも考えられます。

そうして見ると、丁度わたし達とすれ違いざまに、若いグループが通り過ぎがてれ、「うわ!この子可愛い!」と言っていたのを思い出しました。息子はまったく人見知りしない子だったのです。ニコニコと若者のグループについていったのでしょうか。

わたしたち夫婦と、その日、お宅に泊まることになっていた先輩歌姫、宝木嬢たちと曽根崎署まで急いだ。署内2階で、涙と鼻水とオシッコでグショグショのジョンボーイ(ポルトガルではこう呼ばれていた)を引き取り、曽根崎署でしかとお小言をいただき、始末書を書いたのでありました。
  
いや~、これにはさすがのわたしも肝がつぶれる思いでした。

大騒動のその間もその後も、夫は一言とて、わたしを責める言葉を口にしなかったのでありました。この時はまったくもって面目なかった。以来、外で子供たちから目や手を離すことあるまじ、と心に決めてきたのでした。

このことは息子の記憶にないだろうな。

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2020年1月23日 

現在日本語を教えている中級クラスは11名いますが、事情により出たり入ったりする生徒が3名です。

一人は、獣医を目指して、目下イギリスで研修中、もう一人は、1年間ワーキングビザで日本に滞在したことがある生徒(「夢を追いかけて2」に登場)ですが、現在はポルトでの仕事のローテーションで、土曜日に出席できたりできなかったり。

残りの一人はブラジルからの留学生で、母国ですでに日本語を勉強しており、我が教室にやってきました。学業が忙しい時は、なかなか出席できないようです。

中級グループは週に一度、土曜日に80分間の授業を受けるのですが、来たり来られなかったりの上の3人を除いては、どの生徒もわたしとほぼ8年以上の付き合いになります。

教室も、市立図書館から、相棒Oちゃんのリビング教室、再び市立図書館、空手道場、そして、現在の貸し教室と何度か引っ越しています。現在の貸し教室を除いては、教室使用料はただ同然で、その代わりボランティアとして影絵上映をしたり、日本文化展示会を催したりしてきました。

今回の貸し教室使用は、内情を明かせば、使用料、税金等を差し引くと手元に実際残るのはスズメの涙程度なのですが、授業料をほいほい引き上げるのは、自分がこの日本語教室を開講するにあたっての当初の志、時間はあるがお金がないという日本語を学びたい人に教えたいとの趣旨を捨てることになるので、抵抗があるのです。

さて、読解力テキストをずっと使っての中だるみを避けるために、数課進んでは間に日本語学習者向けのではない、実際に日本の中学校や高校で使われている物語を取り上げます。

今週がちょうどその時期で、今回は個人授業では何人かに既に読んでもらったものの、グループでは初めてという、「大造じいさんとガン」を取り上げます。

  
「今年も残雪はガンの群れを率いて沼地にやってきました。」と始まる椋鳩十の児童文学「大造じいさんとガン」はわたしの好きな物語のひとつです。

日本国籍を持つ子供たちが通う毎週土曜日の日本語補習校にわたしは20年ちょっと国語算数(数学)を受け持ちましたが、小学校5年生の教科書に毎年載せられていたのが、この「大造じいさんとガン」でした。

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左右の翼に一ヶ所ずつ真っ白なまじり毛を持っていたので猟師達から「残雪」と名づけられていたガンの頭領を、狩人の大造じいさんが3年がかりで手に入れるまでの話を綴ったものです。

普段、日本語の物語にあまり興味を示さない子供達もこの物語をわたしが朗読すると、所々に古くて耳慣れない言葉が出てくるのですが、それでも子ども達はのってきたものです。

たかが鳥と侮って罠を仕掛ける大造じいさんが、残雪の群れの頭領として利口なのにやがては舌を巻いてしまいます。大造じいさんは毎年、残雪にしてやられるのです。

物語の山は、前年に大造じいさんに捕まり手名づけられて囮に使われた一羽の仲間がハヤブサに襲われたのを救うために、頭領の残雪がその恐ろしい敵に勇敢に立ち向かい闘う場面です。

そして、ハヤブサとの闘い後、残りの力をふりしぼって第二の敵である大造じいさんに対する、頭領としての、鳥とは思えないほどの堂々たる態度です。

子供達はこの場面にくると、体を乗り出すかのようにしてじっと物語を聞くのです。椋鳩十の文体もわたしは好きで、この場面では思わず朗読に力が入ります。


このレベルの日本語学習者に読ませる短編には他に、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、向田邦子の「字のないはがき」もそうです。三作とも、リズム感があり、文章のシンプルな美しさに生徒は大いに惹かれるようでした。

わたしも生徒と一緒に、日本文の素晴らしさを再認識する一時でもあります。

さて、グループ学習者に初めて取り上げる「大造じいさんとガン」ですが、どんな反応が見られるか楽しみでもあります。

生徒からは「ガンって、cancerですよね?」と早速質問が出たのではありました


芥川龍之介「蜘蛛の糸」についてはこちらで綴っております→「閻魔ばさま

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2020年1月20日 

公園を館に向かって歩いていくと以前は水だけ張っていた噴水が今回はちゃんと作動していました。
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途中の道脇で見つけたこれは、なんでしょうか。以前から気になっているのですが、分からずじまいです。
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もうひとつ。
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さて、公園の別入り口があるRua da Lameira(ラメイラ通り)に面した、現在モダンアートセンターとして開館された館。

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かつて薄汚れていた屋敷はきれいに塗装され、生き返ったようです。

屋敷の一部、Jardim de Inverno(日本語訳はサンルームかな?)もきれいに修繕されていました。
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外から中を覗いてみると、こんな感じ。
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館内に入りたかったのですが、開館は1時半からで、残念ながら午後の仕事が控えていたゆえ、次の機会に持ち越しです。

館の後ろには興味深い人口洞窟があります。 ポルトガル語ではGrutaと言いますが、シントラのレガレイラの森を始め、この手の洞窟は古い館や庭園に、ライオンの噴水と併せてよく見られ、必ず小さな池の側に造られています。ここの洞窟もその例に漏れず。

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こちらは以前撮った画像です。
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洞窟は秘儀思想、アルケミスト、新プラトン主義のシンボルであろうとわたしは解釈しています。わたしたちの住む世界がこの洞窟であり、英知という光を求めてその闇を抜け、光ある外界へ出ることで囚われていた己の魂を開放する、となるのでしょうか。「英知」なるものがいったいなんであるのかよく理解していない凡人のわたしではあります。


以前訪れた時のことですが、周辺を一通りぐるりと回り、さて、帰ろうかともう一度この洞窟に入ろうと近づいた時です。洞窟の中の岩の一部が光っているのに気が付きました。光った部分はやがて段々と範囲を広げていき、とても不思議な現象でした。

空に目をやると丁度太陽の木漏れ日を池の水が受け、それが岩(恐らく花崗岩)に反射してでしょう、もわ~っとあたかも岩が光を放ち始めたような状況に、思わず鳥肌がたったのでした。

素人腕ではありますが、スマホの録画撮りをしてきました
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この状態を目にして、なんだかエラく得をしたような気がし、あおの日は午後もずっと清清しい気分でした。この時間帯にこの状況が起こることは全て計算づくめで池も洞窟も造られたのは間違いないでしょう。

豊かな物質文明に身を置くわたしたち現代人の堕落面も否定することはできない。忘られつつある古の哲学者たちの思想に目を向けてみようかと思っています。

最後に、この公園には無数の住人がいる様子。歩いているうちに何匹もの猫ちゃんたちを見かけました。
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春までもう少し、がんばってね。

ではみなさま、本日はこれにて。

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2020年1月18日 

かなり前から気になっていた館が修繕されて、市はモダンアートセンターとして開館した、という話を耳にしたもので、冬ではありますが、館が属するサン・ロック園の散歩も兼ねて行って来ました。

サン・ロック公園については、幾度か拙ブログで取り上げていますが、再掲載で紹介してみます。

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4ヘクタールの広さを持つサン・ロック公園はポルト東部Antasのドラゴンサッカー場近くにあり、かつてQuinta da Lameiraと呼ばれていた。

ポルトワイン業者のCalem一族が代々所有していたのをポルト市が買い取り公園にして一般市民に開放している。ゆっくり散歩すると小1時間くらいかかろう。

入り口はTravessa das AntasとRua da Lameiraの両方にある。

Travessa das Antasの入り口を入ってすぐ左にある礼拝堂。
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キンタ(Quinta=別荘、果樹園等の意味に使われる)の多くは私邸とカペラこと礼拝堂を備えているところが多い。

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園内の橋
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屋根がまだ取り付けられていない休憩所↓
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いくつかの石門がそのままになっていて興味深い。
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園内のあちらこちらに置かれたかつての庭園の一部をなした石柱。
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さて、これが迷宮こと草木を使ったラビリンス。ポルトガル語でラビリント、あるいはLabirinto Verde(Verde=緑、草木)と呼ぶ。
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迷宮は迷路と違い、一本道であること、通路は交差しないこと、中心の側を繰り返し通ることなどの点が挙げられる。これもごらんの通り、背丈ほどの高さがある垣根の中を中心を遠回りに回り回って中央の石柱にたどり着く。

ラビリンスの代表的なものはギリシャ神話に基づくミノタウロスが閉じ込められたとの伝説があるクノッソス宮殿だが、イギリス、フランスではゴチック建築の大聖堂の中によく見られる。

中でも名を知られるのがフランスはアミアンにある大聖堂と、同じくフランスのシャルトル大聖堂のラビリンスだ。

下はアミアン大聖堂内。祭壇に続くいくつものラビリンス。
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ラビリンスの部分。
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こちらはシャルトル大聖堂のラビリンス。
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シャルトル大聖堂もアミアン大聖堂も、スペインのサンチアゴ大聖堂への巡礼地線上にあり、いずれも内外に施された建築模様は不思議なシンボルに満ちている。

ラビリンスは、神々の象徴、天体の運行を表したものとも考えられるが、神秘主義者にとっては神聖なシンボルである。

昔から巡礼者はヨーロッパ各地からサンチアゴを目指して旅してきたのだが、一説によると秘儀参入者(グノーシス主義者とも言えるか)は一般の巡礼コースとは逆に、サンチアゴを出発点とし、シャルトル、アミアン、パリのノートルダム大聖堂を経て海を渡り、最終地はダヴィンチコードで一躍有名になったスコットランドのロスリン礼拝堂に辿り着くのだと言う。この道を彼らは「星の道、または、覚醒の道」と呼ぶのだそうだ。

さて、これはspacesisの道楽の謎追いになるのですが、この星の道を歩む巡礼者だが、わたしは長い間、シントラとこの過去の巡礼者たちとは何か関連があると推測してきた。

「サンチアゴへ入る前には巡礼者はポルトガルのシントラで一定期間を過ごし心の準備をする」との一文をある本で見つけた時はゾクッときたのであった。

シントラに滞在したバイロン卿、ウイリアム・ベックフォードもその巡礼者だったのではないかと推測している。果たして彼らがその奥義に覚醒したかどうかは知る由もないが。

終着地がサンチアゴであれ、ロスリンであれ、考えようによっては下図にしめされる数多くの巡礼路そのものがラビリンスとも言えよう。
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ラビリンスの真ん中は奥義の真髄であり、そこへ辿りつくまでの迷宮は自己啓発の道であり、最終目的地は人間の気高い精神とは考えられないだろうか。

とまぁ、迷宮ラビリンスから、このような話に及びました。
最後にポルトガルのもうひとつの有名なラビリンス絵が見られるところの紹介。コインブラ近くにあるローマ時代の遺跡、コニンブリガ(Conimbriga)の床に残された、中央にミノタウロスがあると言われるモザイクのラビリントです。
Saorock

わたしが思うに、ラビリンスのもつ性格からしてこれはギリシャ神話に出てくる迷宮に閉じ込められた怪牛ミノタウロスではなくて何か別の意味の可能性もあると思えてるのですが。

次回に続きます。
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2020年1月16日 

どこの町内にでもいるであろう、良きに付け悪しきに付けご近所でなにかと評判になるお方。
わが町では、ジョアキンおじさんがそのお人です。

写真は、拙ブログにも時々ご登場願っている土地成金のジョアキンおじさんと、相棒マリア・リタ嬢とのツーショットであります。ブログ写真掲載の許可を得ているのですが、モザイクをかけました。

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ロバをひっぱって野良仕事の格好をしているものの、「汝、そのなりを見て、人を判断すべからず」と昔から言われます。 我が家が面している通りには持ち家の他にカフェ、それに他所に2軒のアパートを持ち、この辺りの小金持ちおじさんなのであります。

毎朝小1時間ほど、商店街も含んだこの辺りをマリア・リタ嬢とグルリ一回りして帰ってきます。そして、ロバと一緒に畑仕事です。

商店街をロバと行くわけですから、人がみな急いで職場に向かう時間帯、ロバの後ろの車のドライバーが、いまいましそうに苦虫つぶした顔していようが、おじさんは平気の平左。こういうことができるのは、このお方を除いては、他におりません。

マリア・リタ嬢を紹介します。
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マリア・リタ嬢は当時でゆうに20歳は過ぎていたと聞きました。

「愛国心」などと口に出そうものなら、即「右翼」と白目で見られるような日本と違い、ここはポルトガル。ジョアキンおじさんの愛国心は大したもので、愛ロバもおじさんの意向を反映して背中にポルトガルの国旗を背負っておるのです。

選挙の時期など、マリア・リタ嬢が引く荷車に国旗と自分が支持する党の旗をはためかせ、あげく、マイク付きのラジカセを積んで、街頭スピーチまがいです。わっはっは。

ちなみに、ポルトガルでは日本のような選挙の街頭スピーチはありません。
    
もう働かなくたって暮らしていけるのですが、昔と変わらぬ野良仕事の格好で、昔と変わらず土を相手にジャガイモ、とうもろこし、菜種、かぼちゃを作り、自分のカフェや自宅前で、それを売ったりもする。

始めて会った時は気難しそうなおじさんだと思いましたが、なんのなんの。ネコがきっかけで、話すようになりました。
  
実はジョアキンおじさんの畑は、ブタ小屋、鶏小屋、そしてネコだらけなのであります(笑)いったい何十匹ひそんでいるのか、皆目見当もつきません。大木もあるので、そこに宿る鳥もたくさんいます。                

このおじさんがロバと一緒に帰ってくると、畑の向こうから、まぁ、来るわ来るわ、餌をもらいにたくさんのネコが(爆) その光景たるや、壮観たるものであります。

毎朝、近くの商店街一帯をマリア・リタ嬢と一回りするのは、この動物たちのためにカフェやレストランの残飯を集めてくるのですね。 

その畑も半分に分けられ、今では畑がつぶされた箇所に新道が通り、猫たちは四散。ロバのマリア・リタ嬢も天寿を全うし、お金を出してまで餌をあげようとはジョアキンおじさん、思わないようで、かろうじて残っている数匹に、わたしが毎夜えさを運ぶにいたったわけです。

一時は畑に入るカギまで預けられたりして、これも人のいいわたしの話ではあります

勿論、ご近所にはそんなわたしやジョアキンおじさんに眉をひそめる人たちがいるのは百も承知であります。

「野良犬、野良猫にえさをやらないでください」と言う人がおりますが、犬猫を捨てたりして自然を破壊し自然界の掟を破っているのは元は人間です。なにも拾ってやってくれと言ってるわけではなし、そこまでエゴにならなくてもええやないの、とわたしは思うのです。

と、ジョアキンおじさんに脱帽し、かつて書いたのですが、2年ほど前に奥さんを亡くしてから、畑仕事をする姿をあまり見かけなくなりました。

足を痛めたようですが、それでも路上で大声で話し、杖をつきながら歩く姿を目にしていたのですが、去年のある日、おじさんの姿をまったく見かけないのに気が付きました。

夫に、「ジョアキンおじさん、最近見ないのだけど、どうしたんだろ?」と聞いてみると、次回、カフェで探ってみるよ、とのこと。そして、分かったのは、老人ホームに預けられたのだそうです。

娘さんがカフェを仕切り、畑は婿殿が継いでいるようですが、畑の入り口は閉め切ったままで、高い壁に更にフェンスを作ったもので住む猫もいなくなりました。ジョアキンおじさんの家にはこれまで別居していたその娘夫婦が現在住んでいます。            
なんだか、身につまされる話で、近所の名物男がいなくなり、ひたすら、おじさんの畑の外でねこたちに餌を食べさせている今、「ボン・ディーア(おはよう)」の、ちょっと大きすぎる挨拶も聞かなくなり、寂しいなぁと思うのであります。

世代が交替し、時代はこうして移り変わっていくのですね。

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