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2019年5月19日 

すっかり観光地化したポルトです。今ならわたしが案内するまでもなく旅行者はTripadviserで情報を得ることができる食事処。
しかし、なかにはヤラセの書き込みや評価があると、実はせんだってレストランを経営する日本語生徒さんから耳にしたのでした。

拙ブログで案内するレストランは、わたしと夫の口に合った店ですから、必ずしも他の人も同意見を持つとは限りませんので、その点はどうぞご理解ください。

さて、今回の案内する「ゼ・ボータ」、最初は我が4人グループのOB食事会で、2度目は夫と行ったものの、満席でギブアップ、3度目は日曜日で休業と、4度目にしてやっと夫がありつけたというレストランです。

カルモ教会向かいにある路地を入ります。

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外見はいまいちですが、値段は安くもなく高くもなく。店内もさして広いわけではありません。

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壁は訪れた人達の写真とともにメッセージボードでぎっしり。

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夫が注文した肉料理。
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こちらはわたしがいただいたタラ料理ことバカリャウ。
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これはイケましたよ。量も多くなく、普段は食べきれずに残してしまうわたしですが、完食しました。

これに、Entrada(前菜)には、Presunto com Queijo(生ハムトチーズ)こ、それにいつものSuper Bock の生ビールとで約50ユーロ。サービスは迅速で、わたしたちは楽しめました。

開店すぐに行くか予約を勧めます。

メモ
所在地:Tv. do Carmo 16, 4050-064 Porto
開店時間:12:00~14:30 19:30~22:30
休日:日曜日

では、また!

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2019年5月18日 

気がつけば、今年はいつの間にか、ポルトの大学生祭典「Qeimas da Fitas(ケイマス・ダ・フィタス=リボンを焼く祭り)」が終わってしまっていた。(後記で案内)

新学期の9月と大学生祭典の5月には、ポルトの街のあちこちで伝統学生服を身に纏った大学生をよく見かけるのだが、夫は彼らを眼にするたびに「お、ペンギンたちだ」とからかうのが常なのだが、わたしからすると、股旅道中のかっぱが思い出されて仕方ないのである。

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「かっぱ」の語源はポルトガル語の「capa」。16世紀にキリスト教布教に訪日した宣教師たちが羽織っていたもので、南蛮蓑とも呼ばれ、元は高価な布を用いて織田信長、秀吉を始め、上級武士の間で広まり、後に裕福な町人にひろまったようだ。それがいつの間にか渡世人のトレードマークになるとは!宣教師殿もあの世で目を白黒させていることであろう。

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ポルト大学生が着るCapa.。Trajeとも言う。


随分前のことではある。所沢の妹からのメール内容に思わず懐かしくなり、数日すっかり「股旅気分」になったことがある。

「股旅CD」手にいれた。覚えてる?とは、妹。
 
♪「春は世に出る草木もあるに アホウ烏の
   泣き別れ~」

大川橋蔵主演映画「旅笠道中」で、三波春夫が歌っていたものだ。そして、歌詞の1番から3番までそらんじておる自分。 妹によると二人で観にいった映画だ、とありまする^^いったいいつ頃のことであろうか。

そう思い、映画の上映時期を調べて見ると、なんとわたしは10歳、妹は8歳のときではないか。我が妹の記憶力の良さに、わたしは舌を巻く。二つ年上のわたしが全く覚えていないことまで妹ははしっかり記憶していることが多い。おそろしや、逃げも隠れもできません(笑)

誤って弟分の源次郎を手にかけてしまった草間の半次郎。伊那ではその源次郎を盲目の母親(浪花千枝子)が待っているのだが、侘びに行ったつもりが、源次郎の妹に頼まれて、自分が手にかけた源次郎こと、息子を装う羽目になってしまう。盲目と言えど母親はやがてそれが息子でないことに気づくのだが・・・

懐かしくてその歌が聞きたくなり、Youtubeで検索すると、出てくるのは同じ「旅笠道中」でもショウジ・タロウや氷川きよしの「夜が冷たい 心がさむい~」ばかり。わたしは俄然、三波春夫の「旅笠」が好きである。

若い頃から、あちらこちらと落ち着きなく彷徨して、母にはずいぶん心配をかけたわたしだ。3番目の最後の箇所、「伊那の伊那節聞きたいときは 捨てておいでよ三度笠」のところに来ると、母を思いジンと来てしまう。

ポ国に嫁いでくるときに、今は亡き我が母が言った、「どうしてもダメだったら、わたしの目が黒いうちに帰ってくるんだよ」の言葉と重なってしまうのだ。
                             
我らが母はハイカラで洋画好きだった。同時に時代劇をも好み、長谷川一夫の大ファンであった。わたしと妹はかなりたくさんの東映任侠映画を見せられたが、特に記憶に残っているのは、長谷川一夫主演の「雪の渡り鳥」である。
                                           
♪「かっぱからげて三度笠 どこをねぐらの渡り鳥
愚痴じゃなけれどこの俺にゃ 帰る瀬もない伊豆の下田の灯が恋し」
                                                   
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-wikiより-

伊豆の下田の渡世人、鯉名の銀平の秘めたる恋を絡めた、ご存知股旅映画。雪の降りしきる中、かっぱからげて三度笠をかぶり、スックと立つカッコよさに、「鯉名の銀平」と今でもすぐ名が出て来るほど、子供のわたしは至極憧れたものである。
この主題歌は3番まであり、それをわたしは全部そらんじている。
      
♪「払いのけても降りかかる なにを恨みの雪しぐれ
俺も鯉名の銀平さ 抜くか長ドス 抜けば白刃の血の吹雪」

もう半世紀以上も昔に覚えたこれらの歌詞は、日本古来の七五調であり、そらんじ易い。藤村も啄木も土井晩翠も、堀口大学の訳詩集「月下の一群」も、それらの作品はなべて、この七五調、五七調である。

若い時にそらんじたこれら七五調、五七調の歌や詩が、時折ふと顔を出して子供の頃や母との思い出にわたしを誘う。過ぎし日に思いを馳せながらつくづく思うのだ。人生って初めから今に至るまで、何から何まで繋がってるんやなぁと。

それではみなさま、今日はこの辺で。
西も東も風まかせ。失礼さんでござんす

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(ポルト大学生の祭典・Queima das Fitas)
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2019年5月17日

先週日曜日、今週の火曜日とわたしにしては珍しい友人との昼食会が続きました。
日曜日は、2、3ヶ月に一度の4人組の定例会です。同じ職場のOB会、いや、I氏とわたしは退職しましたが、あとの二人はまだ補習校の現役ですから、気のあった仲間と言った方がぴったりくるでしょう。

わたしが補習校を退いたのは2009年3月以来ですから、この食事会も10年になります。話題もそれぞれの子どもたちの日本語教育、補習校教育だったのが、今では老い先どうなるか、どうするかが、専ら話題の中心です。

火曜日は、その4人仲間よりも更に長い付き合いになるポルトガル人の友人、エディットさんと、海辺の日本レストランでの昼食でした。 わたしに仕事があるため、同年齢の彼女とは、なかなか会う機会がなく、今回は1年ぶりに顔を合わせました。わたしがポルトに来て初めてできた、心を許せる友人の一人です。

30年も前にご主人を亡くしていますが、昔話に花を咲かせて、美味しい日本食をいただいてきたのですが、この二つの食事会の昔話のせいか、昨夜は生まれ故郷の夢を見ました。

今日はその夢に絡んだ過去記事をあげてみます。2011年に書いたものを書き換えています。以下。

思い出のバスに乗って: ふしみ・かなめ君

作家向田邦子氏のエッセイに「眠る盃」というのがある。
「荒城の月」の「春高楼の花の宴 めぐる杯 かげさして」の「めぐる杯」を少女時代からずっと長い間「眠る盃」だと思っていたというのである。

よくありがちな話で、おっちょこちょいなら人にひけをとらないであろうわたしだ、同じような体験を持っており、これを読んだときにはなんだかすごく向田邦子という作家が身近に感じられ、以来ファンになったのである。

かごめとかもめを同じ鳥だと思い、「かごめーの水兵さん、ならんーだ水兵さん」と歌っていたし、かごめが鳥などではなく、竹で編んだかごの網目だと知ったのはずっと大人になってからだ。

また、愛唱歌「朧月夜」にある、「菜の花畑に入日うすれ、見渡すやまのは~」と、これは大好きな歌のひとつなのだが、おっとっと、補習校の朝の歌に選択し子供たちに教えるまで、「見渡す山野は(Yamano wa)」と歌っていた。

「見渡す山の端」だと歌詞を文字で見て知り、冷や汗をかいたことがある。以来、ソコツな自分だからこそしていたかも知れないその間違いを、他人もしているに違いないと勝手に思い、しばらくの間は聞かれもしないのに会う人ごとに解説をしたものであった。子供たちにも「ここは、こういう意味でこう歌うんですよ」と、さも知ったように話したわたしではあった。

おなじみの歌、

夕やけ小やけのあかとんぼ、
おわれてみたのは いつの日か

漢字で歌詞を書くと「負われて見たのは」となるのだが、大人になってもずっと「追われて見たのは」と歌っていた。よく意味を考えると、「追われてみたのは」ではおかしいと気づくはずなのだが、子供のころの刷り込みは疑ってみようとも思わない。「洗脳」というのはこういう怖いことだとこの時改めて思った。

さて、どうしてこんな話かというと、2、3日前のこと、いつもの通り、日本に住む我がモイケル娘、「ただいま~」とスカイプにあがってくるなり言うには、「おっかさん、まりちゃんが要(かなめ)君に会ったって!」

まりちゃんとは我が妹のことで、モイケル娘にすればおばにあたるのだが妹には「まりちゃん」で承知してもらっており、そのおばとも娘は時折ネットチャットしている。

「かなめ君て、ふしみ・かなめくん?」と聞くとそうだと言う。

思い出の坂道を一気に駆け上るシグナル「ふしみかなめ君」なのだ。こう書くと初恋の人とでもたいがい思われるんだろうが、そうではない。

わたしの子供時代、弘前の下町だった新町(あらまち)に母とわたし、妹の3人は祖母に同居していた。未婚だった母の兄弟もおり総勢13人が祖母の一つ屋根の下に住んでいた。その隣家の床屋さんの一人息子君で、ことチャンバラでは近所で右に出るものがないくらいピカイチのガキ大将だったわたしに、毎度やられては泣いて家に帰っていたかなめ君なのだ。

妹はガキ大将のわたしにしょっちゅうくっついて共に遊んでいたあの頃、わたしも妹も、なぜだか今に至っても色あせることのない「ふしみかなめ君」の名前なのである。

それを我がモイケル娘がなにゆえ知っているかと言うと、そういう昔話をこのおっかさんから繰り返し聞かされていたのであった。

まりちゃんこと、我が妹が言うには、ついこの間、ダンナと一緒に弘前へ帰ってきた。(義弟も弘前出身である)そのついでに今は祖母の家もなくなってしまったが、新町に寄った所がひょいと床屋から出てきたのが、なんとその要君だったそうだ。

共に遊んで、いや、要君にしたらしょっちゅう泣かされた遊びなわけだが、要君に会わなくなってゆうに半世紀にはなろうから、わたしなど彼の顔はまったく覚えていないというのに、我が妹、よくぞ分かったものとすっかり感心した。

ふしみ理髪店とでも看板があったのだろう、わたしたちと同じ年恰好の床屋の主人と見て、要君とわかり話しかけたのだそうだ。

さて、ここからわたしの「眠る盃」なのである。

ふしみかなめ君とは切り離せない連鎖する津軽言葉がわたしたち二人にある。彼がうわ~~んと泣いて家に走り去る姿を見ては二人して「ガニアベガニアベ」と喜んでいたのであった。

この語源も知らずに我らは使っていたのだが調べて見ると、蟹を食べるのに塩加減がちょうどいいことを津軽では「いいあんべ、ガニあんべ=いい塩梅あんばい)カニ塩梅(蟹あんばい)」と言うのだそうで、わたしたちはその言葉をどこかで聞き、勘違いして「泣かせてやった、へ~んだ」くらいの意味で使って
いたと思われる。

泣いて帰ったかなめ君のご両親からは一度も苦情が来なかったことを思えば、子供同士のこととてそれも遊びの枠と大目に見ていたのであろうか、あの頃の世の中はのんびりしたものであった。

故郷の夢を見た時は、いつも幼い頃の思い出が生き生きと甦り、無性にあの頃が愛しくなる。

思い出のバスに乗って 黄色い帽子の子が走ってくる
人差し指の向こうの坂道

あれから60余年、人生の色々なバスに乗り継いで、わたしはこんな遠いところまで来てしまった


今日も読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、また!

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2019年5月15日 

息子はリスボンで、娘は日本で学業をとなり、子供たちが家から離れた時期から日本語教室で忙しくなる前までの数年間、ポルトの街を歩き回りました。

カフェ・マジェスティックは、その頃、よく一人で訪れ、カフェとスコーンを注文したものです。
多少オーヴァーツーリズムの気があるな?と思われる今日のポルトと違い、その頃のマジェスティックで過ごせたのは贅沢な時間を持つことだったと、今振り返ります。

今日はあそこを探索してみようと、朝10時くらいからポルトの街を2時間ほど歩き、昼近くに入るマジェスティック・カフェは人もまばらで、新聞を広げてゆっくりくつろいでいる男性たちを度々見かけました。
カフェの値段は他と比べて俄然高かったが、制服のウエーターのサービスがよく、落ち着けました。

イージーリスニングやクラシックのBGMも耳障りにならず心地よかった。後でも書いていますが、ハリー・ポターの著者J.K.ローリングがここでペンを走らせていたのも、当時のカフェを知っているわたしには頷ける話です。ツーリストで常に満席の今は、BGMがあるのでしょうか。

というので、下記、カフェ・マジェスティックです。

ベル・エポック(フランス語 belle=美しい、良い epoque=時代 )と言う言葉をご存知だろうか。パリを中心に新しい文化や芸術が栄えた19世紀末から20世紀初めにかけての時代を言う。女優のサラ・ベルナール、ロートレック、詩人ランボー、ボードレールなどが活躍した時代だ。
 
パリの一番最初のカフェのお目見えは1667年と聞く。1715年には300ほどのカフェがパリにあった。これらの中でも最も有名なのは「カフェ・ド・プロコープ」。ボルテールやルソーが常連客だった。

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ルソーが愛用したテーブル。

 
フランス革命時期には、政治家やマラー、ロベスピエール、そして若き日のナポレオン・ボナパルトも集っていたと言われる。このカフェは現在では「ル・プロコープ」としてパリでも老舗のレストランとして営業おり、わたしは2007年秋にパリを訪れた際、そこで夕食を楽しんで来た。

さて、パリにはかなり遅れてではあるが、ポルト1921年、ポルトの目抜き通りSanta Catarinaに建築家ジュアン・ケイロス(João Queirós)によって開店された「カフェ・エリート」が、カフェ・マジェスティックの前身になる。(1922年改名)

20年代には文人や芸術家たちが集い、討論に花咲かせたマジェスティックは、ベル・エポック時代の歴史を語る「ポルトのエスプリ」とも言えよう。マジェスティックはその古きよき時代の名残を今に残している。

マジェスティックカフェ
 
60年代に入ると、時代の変化に抗えずに衰退。80年代に入って市の文化遺産としてポルトっ子たちの関心を集めるになった。10年の年月をかけてオリジナルの華麗なアール・ヌーボースタイルを見事に復元した。

マジェスティックカフェ

美しいファシャーダ(正面入り口)をくぐると、店内には小さな白大理石のテーブルにアンティークの椅子、木彫り細工の大鏡が訪問者を別世界に誘う。

マジェスティックカフェ

マジェスティックカフェ

マジェスティックはフランスのシラク元大統領を始め国内外の著名人が多く訪れている。かのJ.K.ローリングは、ポルト在住中にここが気に入り、第一巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の一部をここで書いたと言われる。

ローリングがどのテーブルに着いてどの章を綴ったのか、とエスプレッソをすすりながら想像してみるのも魅力的ではないか。

カフェ
マジェスティックのエスプレッソ。チョコレートもついてくる。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた明日!
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2019年5月14日  

土曜日の日本語教室として借りているCCD(ポルト市文化スポーツセンター)は小高い丘にあって敷地も広く見晴らしがいいのですが、先週行くと、何の木の綿毛かは知らないけれど、んまぁ、まるで雪でも舞っているように空中を漂っていました。

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すわ、花粉症に気をつけないと、とあわててスカーフで鼻、口を押さえました。一時期、わたしは何年もひどい花粉症に悩まされ、目の周りは干からびたようになり、クシャミ、咳が止まらず、到来した春を歓ぶ気分などにはなれなかったものです。
時にこの綿毛は地面にたくさん降り立ち、まるで残雪かと見間違うほど地面を真っ白に覆います。

で、今朝は某企業の日本語レッスンがあり、車を飛ばして高速道路を出ると、んまぁ、またもや綿毛がたくさん飛び交っていました。
ついでに言うと、社についたところが、秘書のV嬢が、「あら、Yukoさん、No lesson today ですよ」

がび~~ん。スケジュール表を確認すると、今日のレッスンは一旦ブッキングしたのが後でキャンセルされたのでありました。そんな訳で約1時間ほどの無駄な朝のドライブをしたおアホでありました。

さて、昨日の話なのですが、「今日は車がないので行けません」と、珍しく夕方の日本語キャンセルの連絡が早いうちに入りました。火曜日の午後はお掃除のおばさんこと、ドナ・アナマリアが来る日なのですが、彼女がベランダを掃除している間に、わたしは台所をきれいにしようと決めてとりかかりました。

小一時間もかけて、磨き上げたキチン台のがこんな具合です。

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余計なものが出ていないキチン台はすっきりして、本当に気持ちがいい!キチン台がこんな風にすっきりするのは、夕飯の片付け後と朝、起きたときに目にする場合ですね。

朝食後、仕事で出かけたり、朝のレッスンがあったりする時などは、どうしてもコーヒーカップ、皿などが乗ったままになりますが、午後からずっとこのままだと、晩御飯の仕度で台所に入ったときに、気持ちがいいものです。よし!今日はおいしいものを作ろうか、なんて気になったりします。

磨き上げてる途中で入ってきたドナ・アナマリア、「わたしがするから置いといて置いといて」と言っていましたが、彼女の仕事を取り上げる結果になり、ちょっと余計なことをしたかな?と思ったり。

ベランダの植物もちょっと手を入れてみましたが、この数年あまり花を咲かせなかったブーゲンビリアがたくさん花をつけてくれました。
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そして、家の中にはドナ・アナマリアから誕生日にもらった胡蝶蘭も、ある日、気がついたらきれいに咲いていました。
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我が家は花をいただくと、日中ドアを締め切り、夜間、私たちが寝ているあいだはドアを開けっ放しにする息子と娘の部屋に置きます。猫たちが食べるもので、植物や花の中には、猫に害を与えるものもあってそうするのです。

また、ねこたちが子どもたちの部屋にスプレーを残したりしないようにと、日中は開かずの間です。主のいない部屋で花々は彼らの攻撃を受けることなく静かに咲いてくれるのです。

朝一番、台所で寝ていた4匹猫が真っ先に向かうのはベランダの猫草です。

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他愛もない一日でしたが、日日是好日なり。

では、みなさま、また明日。
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