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2018年11月16日 ポルトの古書店「モタさんの煙突」

16世紀のドン・マヌエル1世時代に開かれた「Rua das Flores=花通り」は、当時、ポルトの中心地として栄え、イタリアの建築家ニコラウ・ナゾニが造ったミゼルコルディア教会が現在も狭い通りにそびえたっています。

二十世紀に入るとブティックが立ち並ぶサンタ・カタリーナ通りに客足を奪われ、わたしがポルトに来た1979年には見る影もなかったのが、観光客を呼び込むための市の企画で通りの一新工事がなされ、ストリートアーティストなどが芸を披露し今ではかなりの人で賑わっています。

この通りには昔からの店が多いのですが、今日はAlfarrabista(アルファラビスタ=古書店)「Livrarial Chaminé da Mota」を紹介します。

Librariaは「本屋」、Chamineは「煙突」のことで、「モタさんの煙突」と言う日本語店名は、店主の「ペドロ・シャミネ・ダ・モタ氏」の名前から、実はわたしが勝手につけてみました。(笑)

ChamineMota

古書が多く、稀書もたくさんありそうで、歴史の謎追っかけをしているわたしもひょっとするとこういう古書店で意外な情報が手に入るかも知れません。

1981年の開業。文学、イラスト、写本、伝記、詩集、科学、政治関係の本と、過去の世紀の古本がぎっし並び、ご自慢は1588年版のアトラス地図。店内は骨董品も展示されており、なかなかに興味深い。小さいけれどポルトガルでは最大の古書店だそうです。

ChamineMota
入り口に貼られた店の名前が入ったイラスト。「ALFARRABISTA」は、古書を取り扱う人や店のこと。

昔、どこかで目にしたような懐かしいイラストも売られている。↓
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↓時計かと思いきや、よく見るとPolyphonこと、ポリフォンディスクオルゴール。ドイツで発明され1900年代に発売されていました。
右は年季の入ったまさに「古書」!

ChamineMota ChamineMota

ChamineMota

↑書庫になっている二階へ通ずる階段。通常の客は二階へ上がらないようだが案内してくれ、自由に写真を撮らせてくれた。う~ん、なんていい雰囲気だ^^薄暗い古書の山に明るい光が一筋差している。
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そして、わたしが思わず喜びはしゃいだのがこのアンダーウッド・タイプライター。ピカピカに磨かれて!
ChamineMota

今ではパソコンのキーボードを速く打つのは当たりまえになりましたが、、わたしの若い頃は、英文タイピストという職業があり、資格をとるためにタイピスト学校へ習いに行くのが普通でした。

大阪の小さなオフィスで、英文タイピストの同僚がタイプングする姿に憧れ、一人暮らしで食うや食わずのわたしは習い事はなにひとつできず、彼女に教本を貸してもらい、オフィスの仕事を終えたあと、居残って独学でマスターしたのでした。

そのときに使っていたのが、アンダーウッド・タイプライターです。真ん中半円の部分に見えるのが文字を刻んだキー。これをしょっちゅうブラシできれいにしておかないと、文字の○の部分が詰まって打った時にaとか、bとかdなどが黒塗りで出てしまうのです(笑)

赤白に分かれたインクリボンを使用していました。アンダーウッドのキーを打つごとにする「パチパチ」という音が軽快で快く、わたしは好きでした。

後に、ここで独学して得たタイピングの腕を買われて、以前より待遇のいい新しい職場で働くことができたわけですが、この頃から、タイプライターはアンダーウッドからオリベッティに変わり、もちろん仕事柄、慣れて、使いこなしてきました。
      
わたしは今でも、挟んだ用紙のスペースがなくなると「ッチーン!」と涼しい音がして、手動でグリーッとアームを用紙の最初の位置に戻すのがたまらなく好きで、このアンダーウッド・タイプライターを愛する一人です。 

手入れが行き届いて磨かれたアンダーウッドタイプライターは見れば見るほどわたしには美しく思われました。 

こんな蓄音機も。
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階下の店頭にも色々な骨董品がさりげなく置かれています。

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↑手風琴?ミュージックボックス?

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我が義母がよく使っていた種類。旧式ミシン台もこうして見ると芸術的ですらあります^^  

今日は写真をふんだんに載せて見ました。

★所在地: Rua das Flores 28 Porto 
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2018年11月12日 

一人で行くからいいと言うのに、日本語教室がある場所まで自分の車で送って行くという夫である。 送ってもらうと迎えにも来てもらうことになる。何だか自立していない気がしないでもない。かといって「絶対送っていらん!」と言うのも角がたつ。

どんなことをしているのか見て見たいんだよ、なんてのたもうている。はははは。
そんなわけで、日本語教室までショファー(お抱えの運転手)付きの気分の数週間だ。1時に授業を終え後片付けをすると1時20分くらいになるので、帰路の途中で昼食をとるのだが、今日はこのところ無沙汰をしていたサン・ジュアン病院からさほど遠くない、夫の知り合いの小さなレストラン「Loureiro」へ行って見た。

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Loureiroはメニューが少ないが、ちょっと洒落た料理を出してくれるレストランで、開店40年になる。わたしがポルトガルに来て以来通っている店で。この残念なことはただひとつ、生ビールがないことだ。
その帰り道、サン・ジュアン病院の側の一隅に鮮やかな紅葉を目にし、思わずカメラを向けた。

kouyou1_1.jpg

こんな紅葉はかつてポルトで見かけることはなかった。近年植える木に楓類を増やしたのであろう、街のあちこちで紅葉が見られるようになった。

そして、突如として思い浮かんだ一編の詩がある。

病んで金色をした秋よ
お前は死ぬだらう 柳川原に嵐が荒ぶ頃
果樹園の中に雪がふりつもる頃

哀れな秋よ 死ね 雪の白さと 
熟した果実の豊かさの中で
空の奥には
鶻(はやぶさ)が舞つてゐる
恋をしたことのない
短い緑の髪を持つた松の木の上で

遠くの森のふちで鹿が鳴いた

私は好きだ 季節よ お前のもの音が
誰も頼まないのに落ちてくる果物と
啜泣く風と林と
落ちてくる涙 秋の落葉よ
踏みにじられる落葉よ
走り行く汽車よ
流れ去る生命よ
                 (訳詩集「月下の一群」より)

アポリネールの「病める秋」、訳詩集「月下の一群」堀口大学訳だ。

この詩に出会ったのは本ばかり読んでいた高校時代で、どういう訳でかわたしが知らないうちに高1後半で退学処分になった女子同級生に貸してもらった詩の月刊誌だった。同年代にしてはとても大人びていた人だった。

この詩の強烈な最初の一節に、こんな詩もあると知り、衝撃を受けたものだ。
この詩を諳んじて、秋の葉が落ちる頃はいつも思い出しては心中つぶやいていた。

遠くの森のふちで鹿が鳴いた

私は好きだ 秋よ お前のもの音が
誰も頼まないのに落ちてくる果物と
啜泣く風と林と
落ちてくる涙 秋の落葉よ
踏みにじられる落葉よ

後年わたしはアメリカへ向かったが、高校時代はフランスに憧れて、この詩からパリの深い森を想像ししていたのである。

ポルトは冬は雨季にあたり、秋冬の季節感がないと思ってきたが、今日、赤黄の紅葉と落葉に忘れかけていたアポリネールの詩を思い出したのであった。
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2018年11月10日 

ポルトガルに住んで長いが、最初の1、2年を除いて40年近くもの間、美容院というものを利用した事がない。当地のあちこちの美容院を試してみたのだが、日本人の髪の毛の扱いを知らないのだ。柔らかいこちらの人の髪に比べると、日本人のは太く硬めで、髪の量も多い。結局どこも気に入らず、探して試すのにも疲れてしまい止めた。

ゆえに40年近くわたしはセルフカットなのである。おかっぱのヘアスタイルをかくも長年変えないのはそれが一番切りやすいからだ。後ろは多少揃わなくたって自分には見えないからいいや、と開き直っている。

たまに、えいや!と気合を入れすぎてすっかり短くしてしまうこともあるが、また伸びるからいいよ、てな思い切りである。今週初めの月曜日にもそれをしてしまった。ここも長い、ここも、と切っているうちにすっかり髪を短くしてしまい、取り返しがつかないくらいになった。

そんな日の夕方、夫が帰宅して言うには、「明日の11時、君のほくろ除去の手術だよ」
えーーー!

右目のすぐ横にあるほくろは子どもの頃からあり、わたしのトレードマークだと思っているので気にしたことはないのだが、5年ほど前に、左目横にポチッとできたほくろがある。

これが少しずつ大きくなり、2年前には気になりだしたので紫外線アレルギーでお世話になっている皮膚科の先生に相談すると、ダーモスコピーで見てくれ、紫外線と年齢(@@;)でできたものだから心配は要らないとのお言葉。

そのまま放っておいたのだが、この夏からなんだか急に大きくなり膨らんできた。何度か髪をブラッシングをした時にそこにあたり、痛い思いをしている。このままだと目立つので、いざという時にショートカットにできないではないか。

夫が働いている私立病院の整形外科のドクターに相談し、決められた手術の日が夫の言った「明日の11時」、つまり今週水曜日なのであった。

簡単に終わるとタカをくくって行ったところが、1時間ほどもかかった。手術する部分に穴が開けられた目隠しシートが顔にかけられ、局部麻酔をしたのでその間の痛みがなかったが、長い時間、ほじくり、縫い付けられていたような感じがした。

ほくろとその下の皮膚全層をメスで切除し、周囲の皮膚を引き寄せて縫合、切除によってできた傷を閉鎖したのだそうだ。

無事に終え、鏡を見ると、ほくろがあったところを中心に顔の4分の1が縦にガーゼで三重くらいに覆われている。

げ!これじゃ、髪で隠すことあたわず、ではないか。その髪もうかつに短く切ってしまった後である。木、金、土曜日とクラスがあるじゃん^^;どうするの?!!

いろいろやってみたが、隠し様がないと観念し、そのまま授業に望んだんでした^^;

我がモイケル娘に、「えへへ、リフトアップと染み取りのプチ整形手術をしたぞぉ」と冗談で言ってみたら、すかさず、「げ!」との返事。その後、かくかくしかじかと説明した。

人間、歳相応がいいとわたしは思っているので、その手の手術はしようと思わないが、ある日突然できたほくろは皮膚癌につながったりするという話も聞く。あと、15年くらいは元気で生きたいと願うもので、再度、それも調べてもらいたいと思い、受けた今回のほくろ除去手術だった。

ドクターからは昨日夫宛に皮膚生検の結果を連絡していただいた。異常なし。
ハレルヤ!!

この状態で明日の日曜日は定例の気が合った4人仲間との食事会があるのだが、きっと言われるだろな、大阪出身の友人に。

「あんた!また転んだんかい!ドンくさいなぁ」(泣)
ほっとけ~~~。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2018年11月5日 

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レンタル教室を探しまわり、なかなか授業を始められず焦ったのですが、やっと落ち着いたところで、先週土曜日に、新しい場所で新たな初級コースも始めました。

1時間目の中級クラスと2時間目の初級クラスの3時間、10時から1時までの日本語教室です。
この2年ほど、初級は相棒のOちゃんにお願いしていたので、3年ぶりの初級クラスです。

多くの登録メンバーを抱えるであろうメーリングリストを使っての図書館での案内のようには行かず、これといった宣伝はFB上でしかできなかったのですが、それでも10人集めることができました。わたしとしてはちょうど良い人数だと思っています。

中級クラスの授業はすでにこの教室で始まっていたのですが、どうもホワイトボードの当たりが暗い。
そこで、教室を借りているところにその旨を話すと、早速準備してくれ、教室に入ると下のようになっていました。

kyoushitsu5_1.jpg

うははは。なんと、脚付きスポットライトじゃん!自分がスポットを浴びてるみたいで照れるなぁ、なんてちょっと気恥ずかしいのであります。

17歳から62歳まで、この生徒たちが一人も辞めることなく1年間持って行け、漢検10級受験合格をしてもらったら最高なのです。

土曜日の初授業は日本語の文字について説明し、ひらがなを習うに当たり、まずは基本の「tome hane harai」「筆順」を知ってもらい、あ行か行の学習です。学習者にとっては「harai」が難しそうです。

とめはねはらい

10人くらいだと、何とか生徒たちが書いているのを一人一人見てあげることができます。

一週間に一度の授業ですから、少しでいいので家での学習も必要です。よって、「Shukudai」が出されます。「Shukudai ?!!」と、目を丸くする生徒たちに「はい、ホームワークです。来週の授業の始めは早速、テストなり」と畳みかけると、嬉しいのか、「うははは」との笑い声。

教え、教えることにより教わる。エネルギーは使うけれども、日本語を教えるのは本当に楽しい!と、思える幸せ感を抱いて、土曜日の授業を終えたのでした。

ではみなさま、また!
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2018年10月31日  

ち、ちがう!わたしじゃありませんて!
ユーコさん、やっぱりやってるんか~との声に激しく否定反応しております。

いえね、今日は同僚のOちゃんと、日本語教室についてのミーティングを午前中カフェでしてきたのです。ついでに、息子が持ってる数本のエレキギターの一本をOちゃんの息子さんに届けてきました。

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ギターを抱えた一瞬、遠い昔、アサヒビアハウスでバイト歌姫をしていた時のこと、9時まである3ステージの間に30分の休憩が入るのですが、その間、従業員が出入りする裏口の片隅で好きな歌を歌いたいがため、毎朝、こんだ電車に乗ってはギターを抱えて出勤していたあの頃が胸をよぎり、ギターに触れなくなってもう幾年月が流れただろうかと、ちょっと感傷的に気分になったのでした。

我が息子が始めてエレキギターを手にしたのはかれこれ25年ほども昔になります。ちょうどOちゃんの息子さんと同じくらいの年齢で、わたしたちからのクリスマスの贈り物でした。
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最初の真っ赤なギターは今も息子の部屋に残っています。これがきっかけで、やがて自分でもベースなどを入手するようになり、大学生時代にはクラシックギターも弾いていました。リスボンからの帰省ごとに必ず抱えてくるのは、拾った猫とギターでした。

一時はミュージシャンを夢見て作曲もたくさんしていましたが、今は音楽は趣味になったのではないかな?芸の道は厳しく、才能と幸運に恵まれたほんの一握りの人だけがその道で食べていけるというものです。

息子が音楽の道を、と言い出したときには、しまったなぁ、あのギターをあげなかったらこんなことにならなかったかも、と多少悔いたのは本心です。が、生活のための仕事と音楽との二束のわらじは難しいと息子は悟ったようで、わたしはそれでよかったと思っているのです。が、本人は果たしてどうなのでしょうか?

Oちゃんの息子さんがエレキギターの魅力にとりつかれて、「あの時、ユーコさんからもらわなかったらよかったかも~」なんてことにならないといいんだがなぁ、と多少気になるところもあります。
もし、そうなったら、ごめんなさいよ、Oちゃん(笑)

さて、その帰りなのです、逆走車に出会ったのは!

夫の職場だったサン・ジュアン病院前の環状線の大通りを家に向かって走っていました。大通りは真ん中にグリーンベルトがあり、車道は左右それぞれ一方通行なのです。何気なし走っているや、え!え!え!一瞬自分が走ってる同じ車線をこちらへ向かって来る一台の車が目に入りました。 

粗忽者の私のことゆえ、げ!自分が、ま、まちがって走ってる?と焦ったの一瞬でしたが、いや!あっちがおかしい!となり、慌ててハンドルを右に切り、隣の車線に入ったらば、向こうは気がつかないのでしょう、まだのんびりとこっちに向かって走って来て通り過ぎるんだぼん!

あのままわたしがスピードを出して走っていたら、ゴッツンコでっせ!

だ、だれか止めなきゃ~~と思うものの、 車は流れて行きます。するとすかさず、わたしの後走車たちがいっせいにクラクションを鳴らし始めました。その車を運転していたおじさんがその後どうしたかは、車の流れで急に止まるわけにも行かないので、もう確認の仕様がありませんでしたが、ひゃ~、こっわいな!と、初めての逆走車に冷や汗をかきました。

日本では高齢者の逆走車のニュースをよく目にしますが、ポルトガルもたまにあるようです。それで、
わたしなどは70歳を超えたら、車の運転は止めようと思っていたのですが、なんせ、食材の買い出しを始め、出張で某企業まで出かけたり、土曜日の日本語教室を開いたりしていると、どうしても車は必要です。

この仕事を後どのくらい続けられるだろうか、よりも、どのくらい、後、しっかりした頭で車の運転ができるだろうかと、そちらがすっかり心配になってしまった、今日の初めての逆走車との出会いでした。

どうか自分がそういうことをしませんように、なんまんだ~と、神頼みしましたっけ。
くわばらくわばら。

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