2017年3月22日

帰国寸前に、とある企業のマーケティングセクションから、今週ExpoNorteで開催されるイベントで、日本文化展示をしてくれないかとの申し出があり、断り切れず、同僚のOちゃん、自由に使っていいので一人でやってみてと、ついこの間かたづけたばかりの展示物を再びそれぞれの場所から引っ張り出して、Oちゃんにバタバタ手渡し、期限ぎりぎりの会員雑誌原稿を仕上げて飛んできました、東京へ。

いつもの如くゲートで搭乗券をスキャンにかざしたところが、小さな番号札が出てきました。げ!なんか間違いでもしたかしら?と不安な面持ちで女性係員を見ていると、男性係員がやってきて、「お客様、今日はこちらのプレミアム・エコノミークラスの御席にどうぞ」と言うではありませんか。

Premium EconomyClassというのは、数年前からビジネスクラスとエコノミークラスの中間にある席です。スペースがゆったりしていて体が随分楽に感じられます。

実は近年毎回の長時間フライトに悩まされており、あと何回こんなハードな旅行が続けられるだろうかと、今回は不安がありました。あたかも、その不安を感じとってくれたかのような飛行機会社からのサプライズ!本当に嬉しかった!古希の贈り物ともとらえられます^^

羽田到着の21日、ほぼ同じ時間帯に息子も仕事の春休みを利用して旅行していた香港から帰国だったのですが、お互いの疲労を考えて空港での再会は見合わせました。

というので、ただいま東京です。桜の開花が宣言されましたが、まだ少し寒いですぞ。
4週間ほどの滞在ポルトに帰国しますが、できるだけ、更新をしてみたいと考えていますので、みなさま、時々おいでくださいませ。

それでは、本日は取り急ぎ、お知らせにて。

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2017年3月16日 

東日本大震災から6年経ちました。3月11日は9・11と一緒に忘れることが出来ない日です。いても立ってもおられず、4月に入るやそうそうと我が子たちの様子を見に帰国したのでした。

今日はあの日、あの頃を思い出し、いざという時の心構えをわが子たちの持って欲しいがため、6年前の日記から抜粋してみたいと思います。

2011年3月12日

地震の被害にあわれたみなさまに、こころからお見舞い申し上げます。

我が子たちも所沢の妹たちも無事だったとは言え、ニュースで繰り返し放映される画像を見るにつけ、手放しで喜べない気持ちです。目を覆うばかりの惨状に愕然とし、泣きたい気持ちになります。みなさまのご家族、ご親戚、お知り合いの方々はご無事でしょうか。

昨日の午前中はいつもの日本語教室がキャンセルされていたので、前夜は新しいクラスの準備で少し夜更かししてしまい、いつもなら起床している時間にまだ寝入っていたのでした。

それが、7時半過ぎに電話が鳴り、こんな朝早い時間にいったい誰だろうと思い、ベッドから飛びおりて玄関ホールの電話を置いている所まで小走りに向かいました。

受話器を取るなり「ユーコさん!あんた、東京が大変なことになっとるで!子供たちおるやろ!ニュース見てみー!」と大阪出身の友人の一声です。

同じ人からこれと同じ声の調子で、かつて突然の恐ろしいニュースを知らされたことことがあるの一瞬を思い出しました。1995年1月17日の関西大震災の時でした。

ギョッとして大慌てでテレビをつけると同時にパソコンのスイッチを入れました。朝からテレビをつけるなんてことは大事件でもない限り我が家ではまずありません。

そうして目に飛び込んできた画像に、しかも即それを東京だと思ったものでもうその後は大変でした。すぐ子供たちのケータイに電話を入れたもののつながらない、所沢の妹宅の固定電話もダメ!

今、日本は何時よ!?娘は?息子は?と不安は募るばかり。何度も何度もダイヤルを回せど同じ応答です。ウェブ新聞で更なる情報を得ようと慌てふためいてパソコンに走りました。すると、スカイプで息子が「ママ、地震があった、こわかった~」と、声をかけてきました
ケータイはつながらねど、ネットは大丈夫なのですね、こういうとき・・・

息子は昨日は仕事が休みで、地震が起きたとき、外で自転車を走らせていたそうです。急いで帰宅し、やったことが、なんと!3匹の猫たちをそれぞれのカゴに入れて外へ運び出したのだそうです。(あんたら幸せなねこやで!)

モイケル娘は?と聞くと、「まだ会社だと思う、けどケータイが通じない」と言う。ダメもとでケータイにメールを送ろうとメールボックスを開くと、モイケル娘からのメールの件名、

「かあちゃん、地震起きました」

この件名を見た瞬間、わたしの心臓はぎゅぎゅっとしぼんだ!そして、短い文面を読んだ瞬間、安堵に胸をなでおろしたのでした。

まだ会社にいるが、都内の電車が前面ストップしているので帰れない。いわゆる帰宅難民になっていたわけです。

そのうち、「同期の人たちで歩いて帰ろうという話が出てる」と言うではないか。おいおい、まて!それは危険なことだよ。止めよ、とメールを打ったが、息子、「She's comming back. 家に向かってる」

「シ、シーズ カミング バックって、あんた!止めるのよ~」と叫べど既に遅し。

すると間もなしに娘からの返事、
「今歩いてる。心配しなくていいよ。グループで歩いてるから」こういうときは、余震もさることながら、狼男も心配なのだよ、おっかさんは!

我が娘、思うに絶対ネコのことが心配で、歩いて帰る気になったに違いない。同じ環境だったらわたしも同様のことをしていたこと確実であります。

夫も勿論起き出しておりましたが、気になるとて患者の仕事を休むわけには行かない。間もなく出勤しましたが、残ったわたしは、新しいクラスの準備も手に付かず、そのうち、友人たちから、親戚から、知人からと電話が一日中なりっぱなしです。

娘が一緒に歩いたグループは会社の寮の人たちで、実はその寮が偶然我が子たちのアパートの一つ駅違いのところにあるのだそうな。たまたま、社員に寮から築地にある会社まで、1時間ほどかけて自転車通勤をしていたツワモノがいたのだとか。それで道を知っていたので、皆で徒歩で、との決断を下したそうだ。

自転車で1時間が、歩いてなんと4時間半!たはーー!どんな靴でそんな長時間歩いているのだろうか、足、大丈夫だろうか・・・そんなことを思い巡らしながら、気もそぞろで新しい出張日本語クラスを終えて帰宅し、息子から家に無事たどり着いたことを確認して、ひとまず安心したのでした。

2011年3月20日

我が家にはポルトガル国内にいるたくさんの知人親戚から毎日のように子供たちの、日本の安否を気遣って電話がきました。

特に我が子たちを幼いころから可愛がってくれた夫の姉、子供たちからすると、Tia Luisa=ルイーザおばさん、そして84歳で現在地方の老人ホームで生活しているPrima Alda=プリマ・アルダ(いとこのアルダおばさん。「いとこ」がいつの間にか彼女の定冠詞になってしまいました^^;)は、涙声で毎日電話をくれ、わたしが「大丈夫!心配ない!」と慰める側に(笑)

今回、計画停電を体験した方々も多いことでしょう。今でこそ、ポルトガルもそこそこに便利な生活を享受できるようになりましたが、わたしが来たころの38数年前のポルトガルはこんなものではありませんでした。

予告なしの停電、断水はしょっちゅうで、年末、新年にかけての三日間ほど断水に見舞われたこともあります。旧年の垢を体にまとっての正月なんて、物心ついて以来初めてではなかったでしょうか。

まだ、こどもたちが赤ん坊の時の断水もしょっちゅうで、当時は紙おむつがあまりなかったものですから、オムツを洗うのとオムツかぶれを防ぐために、常時気をつけて貯水の準備していたものです。

そそ、断水に因むこんな呆れた体験もあるのですよ。

日本の便利な生活に慣れていたわたしは、エラい国に来てしまったと当時は少なからず思ったものです。そういう体験から、そんな時にも慌てないイライラしない忍耐力を学んだと思います。

子供たちも「停電だから今日はできませんよ」とわたしに言われ、それこそ「がびーーん」の体験を少しは覚えていることでしょう。
ですから、ポルトガルでは、まぁ、停電はままあること、小さな赤ちゃんや病気のお年寄りがいるわけではなし、数時間の停電は彼らはなんとでもなります。

ただ、停電に備えて懐中電灯がなかったというのは抜けておりました。モイケル娘いわく、「どこにも売ってない、ネットで見つけて注文したらもう売り切れだった」

さもありなん。我が家では停電用にと、キャンプ用のガス灯や懐中電灯、更にはろうそくまで暗闇でも常時手の届くところに置いてあります。豊かな文明生活を享受している、特に若い世代は恐らく懐中電灯など常備していない人が多いのではないかしら?

日本からポルトに来る日本人からは、よく不便だ遅れている、物事がちゃんと機能していない、などの不満を耳にしますが、全ての事物は二面性を持っていることを思い出していただきたい。文明の利器も同じです。自分が住んでいた生活環境をそのまま他国に持ち込んでは、その国での生活を楽しむことはできないし、国際感覚は学べない。

国際感覚とは語学ができることではなく、自国と他国との違いを学び、受け入れ、理解し合うことだとわたしは思います。

今日のポルトは雲ひとつない真っ青な空です。夕べは大きな満月が煌々と空にかかり、主のいない子どもたちの部屋にも窓から月光が差し込んでいました。大好きな音楽もこの一週間ずっと聴いていないことに気づいた今朝、久しぶりにモイケル娘の作曲した音楽を聴いています。

水が飲め、そこそこに食べ物があり、電気があり音楽がきける。会いたい人に会いたい時に連絡がとれる手段がある、そんな基本的な幸せがあるだけでも生きているという充実感を改めて感じさせられた一週間でした。

被災者の方たちはこれから苦難を強いられますが、どうか生きていることの幸せを噛み締め、再び立ち上がって欲しいと願わずにおられません。

2011年3月23日 笑っちゃいけないが、なんだか可笑しい

原発問題がまだ明確な見通しがついておらず、現場では今日も危険を承知で必死な作業が続けられています。ニュースを通して被災者たちのエピソードも聞こえてき、気の毒で涙が出てきます。
しかし、人生は続く。日本人の、人間の生命力の逞しさを信じたいと思います。

「おっかさん、今日はパンが買えた!」とモイケル娘。日本は物が豊富だ、というより、豊富を過ぎて贅沢だとフッと思うことがあります。今回の被災地だけでなく、世界には食料不足に困っている人たたくさんいるのですが、贅沢に慣れてしまうことは怖い気もします。パンが買える喜びを、娘よ、覚えておいて欲しい。

計画停電だというのに、懐中電灯もろうそくもないという我が子達、懐中電灯をネットで注文したら品切れでないと言う。大阪の我が親友Michikoが食べ物を含むそれらの物資の差し入れが届けてくれました。

子供たちの住む区域、夕方6時から10時まで停電の今日、間もなくその時間がくるという前の少しの間、スカイプでモイケル娘と話しました。

おっかさん  懐中電灯、手元に用意してる?
モイケル   うん。ヘッドライトをつけてる
おっかさん  へ、ヘッドライト?
モイケル   そ。みっちゃんが送ってくれたのを頭につけてる。
        鏡で今自分の姿を見たら、マヌケだった^^;

↓こ、こんなんを頭につけてるんか、と思ったら、停電を待機しているのが気の毒だとは思ったが、おかしくてつい大声で笑ってしまった。
トーチ

笑っている間に停電が来た様で娘はスカイプから落ちていた。夫にもヘッドライトの話をし、このところ、わたしたち夫婦の会話はずっと心配な話題か津波の映像を黙って見るばかりでしたが、こんな小さなことだが久しぶりに笑った気がします。

長い記事になりましたが、時に思い出して気持ちを引き締める必要があると考えたのでした。
息子よ、娘よ、いざという時の準備はしてるかい?

本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。
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2017年3月13日 

ヨーロッパ在住の邦人を対象にした、とある会員誌の1ページで、ポルトガル紹介の記事を長年書いているのですが、写真撮影も兼ねます。

写真は印刷用の指定の大きさがあり、そのため、行く先々での撮影は手軽なスマホでは間に合わない。いつ、どんなテーマが取り上げられるか分からないので、我がpcは大サイズの画像がごっそり溜め込まれており、そのせいかどうかは知らないのですが、これまで2度、突然のパソコン壊滅の憂き目を見ています。

この時のショックたるや、しばらくは落ち込みますぞ。こまめにバックアップすればいいものを、この次この次と先延ばし、挙句の果てがデータ損失ということにあいなったわけで。

さて、今回書く記事の画像はその損失された中にあったのでした。しからば致し方あるまいと、先週金曜日の午後、ちょうど撮影日和の良い天気でしたので、この機会を逃すまいと再度撮影に行ってきました。ボアビスタの一角にあるアグラモンテ墓地なんであります。

Agramonte

この墓地のハイライトは何と言ってもFamilia Santos-Dumont(サントス・デュモン家)美しい墓碑です。

agramonte

こんな風に美しく嘆かれたら、後ろ髪引かれ三途の川も渡るに渡れない気がします。

ポルト出身の著名な彫刻家Antonio Texeira Lopes(1942年没)とその弟で建築家Jose Eeixeira Lopes(1919年没)の共同作品だというので、それに惹かれて行ったのですが、今回はサントス・デュモン家とはどういう家柄なのかと調べてみてびっくり!

ここに眠るのは、飛行家、発明家であり、ヨーロッパ初の飛行機製作者、飛行術のパイオニアと呼ばれたアルベルト・サントス-デュモン(Alberto Santos-Dumont。ブラジル国籍)の母堂だそうです。彼女は当時ポルトに住んでおり、そのため、アルベルトはポルトを訪れています。
 
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女優、詩人であったEmila Eduardaの墓碑。

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こんなのも↑↓

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ポルトで初の外科女医Aurélia de Moraes Sarmento納骨所。
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「1888年の起こったバケット劇場火災による犠牲者のモニュメント」
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バケット劇場(Teatro Baquet)というのはかつてのポルトは「サント・アントニオ通り」、現在の「1月31日
日通り」と呼ばるるサンベント駅のすぐ横の急勾配の坂道通りにあった劇場です。

agramonte
Wikiより

1888年3月20日、上演も終わるころ舞台照明のガスの引火が原因で一夜にして170人の犠牲者を出したとのこと。その慰霊碑です。材料に使用されている鉄くずはバケット劇場のものでしょうか。

ズームアップしたところが、ここにも猫たちがHappy timeをむさぼっておりました。
agramonte

ひとつわたしの興味を引いた墓石があります。

agramonte

見事なまでに神秘主義思想を表した墓石です。トップの薔薇の花、墓石の表面は「ウロボロス」と呼ばれる自らの尾をくわえる蛇、もしくは竜で、起源は古代エジプト文明まで遡ります。アステカ文明のケツアルコアトルが自ら尾をかんでる姿が描かれているのもあり、輪廻、完全性などの意味をもち、錬金術のシンボルでもあります。

数字「5」は色々な宗教にシンボルとして用いられていますが、神秘主義においても神聖な数字で、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの、宇宙は空気、火、土、水、エーテル(輝く空気の上層、雲や月など大気の上層、つまり神の領域)の5つの元素からなるという思想から来ます。

墓石下方のラテン数字Ⅰ~Ⅹが見られるのはモーゼが神から賜った十戒が書かれた石版をかたどっていると思われます。こんな面白い墓石に出会うとは予想外でした。

この項、次回に続きます。

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2017年3月8日 ポルト市立図書館、日本文化展示会

長年かけて自分が日本から持ってきたものを紹介したいと、ボランティア活動として、会場を無料提供してもらい、日本文化展示会なるものを始めて、かれこれ10年以上になります。

こう言うと、お茶お華ができて筆も握り、着物も展示してあるので着付けもできよう。さぞかしや日本の伝統文化に造詣(ぞうけい)が深いのだろうと思う方もおられるでしょうが、本人は上に挙げたことのひとつもできないのであります。

弘前の高校を出て、大阪での独り暮らし、稽古事はなべてお金のかかることゆえ、とてもそのような余裕なく、美しい伝統文化への憧れが、異国に住む自分をそう仕向けているのかな?と、何だか自分でもよく分からないのが正直なところです。

ただ、日本語を教えていると、どうしても日本文化に触れないわけにはいきません。ああだこうだと口で説明するより、実際に見てもらいたいと思って始めた部分もあります。

アルメイダ・ガレッテ市立図書館での今回の展示会は、主に日本語学習者に見てもらいたいと思い、実は2週間後の帰国を控え、ちょっと無理しての行事でした。

日本文化展示会

日本文化展示会

そう、当初は「ちょっと無理して」だったのですが、ふたを開けてみると、がびーーん!前日、金曜日午後に相棒Oちゃんといっしょに会場でディスプレイする予定だったのが、木曜日に図書館から連絡が入り、部屋がどうしても必要なので、金曜日午後は仕様不可とのこと。

日本文化展示会

土曜日1時まではOちゃんは仕事があるので、展示会当日の開場時間まで一人で準備することになったのでした^^; 「ちょっと無理」どころか、未だ疲れを引きずってるのであるよ。頼むぜ、図書館・・・・

展示会というのは、展示物を選び、車に詰め込んで運び、会場に展示、終わった後は箱に仕舞いこみ、車に詰め込み持ち帰り、それらをもの仕舞いこんであった各々の場所に再び入れて、完了とあいなります。

わたしたちの展示会は常に数時間、今回も2時半から6時まで。今回手間取ったのが、思いもよらなかったところの黒布がテーブルと相性が悪かったのでしょう、何度敷きなおしてもテーブルから滑り落ちディスプレイがはかどらなかったたことでした(汗)Oちゃんが念のためにと渡してくれた白布を一部下に敷くことで、やっとセッティングに入ることができたのでした。

日本文化展示会

日本文化展示会
美しい櫛とかんざし。使うことはないが、眺めているだけで心が和みます。

日本文化展示会
「釣月耕雲」、実に味わい深い禅語だ。

右横の着物は亡き母が選んでくれたわたしの着物です。これまでは展示しませんでしたが、もうあまり着ることもないので、今回から展示物の仲間入りです。

日本文化展示会
日本語学習者には漫画ファンが多いので、その一部も。

日本文化展示会

扇子も随分たくさんあったのが、来客に差し上げたりして大分少なくなりました。

母の形見の紋付は、毎回出します。ブログ友からの寄贈である桐の下駄一式も。
日本文化展示会

日本文化展示会

今回、思い切って展示してみた「小袖」です。展示方法をもう少し考えたかったのですが、時間切れだったのと、展示する空間がなくなってしまったのとで、こんな風にしてしまいました。

この小袖は長い間、長持ちの中に眠っていたものですが、絵づけは、かつて友禅染を習っていた妹が、それを母が仕立て上げたものです。それを妹から譲り受けました。丈の長い着物より、背丈の小袖の方がわたしは好きで、気に入っています。

今回展示したもので、人気があったのが「判子」です。この展示会では「どうぞ自由にさわってください」の趣旨で、来た人たちが手に取り半紙に押して遊んでいました。

日本文化展示会

そして、初めての小さな展示物。

日本文化展示会

これは柄頭(つかがしら)と呼ぶのだそうです。わたしがポルトに来た当時、名誉領事をなさっていたCarbalho氏のコレクションの一部だったのですが、2年ほど前に未亡人から形見分けとして、わたしのもとに届けられて来たいきさつがあります。

価値については、良く分からないのですが、日本語学習者の間では人気があるマンガ「流浪人剣心」もあるので、出してみました。すると、柄頭は持っていないが鍔(つば)がある、という生徒がいて、驚いたのでした。

こうして来客たちと話しているうちに3時間半の展示会はあっという間に終わり、それと同時にはたと気がついた。昼ごはん食べてへんやん!朝からずっとコーヒーも水も飲んどらんうやん!喉が渇いたー、生ビールが飲みたい!と、Oちゃん、Oちゃんのご主人、我が夫、それに残って後片付けを手伝ってくれた3人の生徒さんに、しきりに訴えたわたしでした。

もちろん、展示物を夫とわたしの車の押し込んで、Oちゃん一家と無事展示会が終わったのを祝して、図書館近くのCervejaria Galizaへと向かい、立て続けにクーッと3杯生ビール!おいしかった!Oちゃん、ご馳走様でした & お疲れ様!

え?そ、そうなんです、手伝ってくれたOちゃんのご馳走になっちゃいましたっけ^^;
本日はこれにて!

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2017年3月7日 

土曜日の展示会報告は別の日にするとしまして。

一昨日、日本語生徒の一人、H君を日本へ送り出しました。と言っても、4時半くらいには空港へ出向いていなければならない早朝の出発だというのと、できれば家族が別れを惜しむのを邪魔したくないというのとで、わたしは見送りを遠慮したのでした。

来なくてもいいのだよと言うのに、H君は忙しいなかお母さんを連れて金曜日に我が家へ、土曜日には展示会場へとわざわざ二日続けて挨拶にきてくれました。

ふと思い出してみると、偶然にも8年前に長男を見送った日にちとたった一日違いで、H君は旅立ったのでした。ありきたりの言葉ですが、当時の息子同様に、希望に胸膨らませて出立したことでしょう。何しろ、子どもの頃からの夢が日本に住むことだったと言うのですから。
だもので、日曜日は、フランクフルトについただろう、乗り換えてるだろう、機中だろう、背丈が高いので窮屈だろう、そろそろ日本に着くころだ、新幹線の乗り継ぎは無事にできただろうか、と日がな一日、そんなことを考えながら、あれこれをしていたのでした。

ポルトガル時間の午後11時半頃、無事日本到着とのメッセージが入り、lineで少し話すことができました。万が一、日本到着後、何かが起こって連絡があるやも知れぬと、普段寝る時はオフにするケータイをオンのまま枕元に置き、実は夜眠れずに悶々としていたのでありました。

午前3時ちょっと過ぎ、ついに起き出し、或いは?と思いFBを開いてみると、おお!品川駅の動画だ!そしてやがて、目的地に着いて迎えの人に会ったとのメッセで終わり。

長男のときも同じ具合のわたしで、何度も寝返りを打っては一睡もせず、翌朝は目に見事な隈を作ったのでした。当分は、わが子たちがしたように、慣れない日本の生活で色々な冒険をすることになるだろうH君、時には初心を思い出し、がんばってねと、願わずにはおられません。

H君の出立を思うにつけ、息子が旅立った8年前に思いを馳せ、当時の日記を引っ張りだしてみました。どぞ。

2009年3月4日 行きました、息子

衣服は二の次で、分解したpc接続音楽機器のパーツの箱二つを大事そうにバックパックに詰め込んで背負い、ノートパソコンを持って。

大きな旅行カバンは、関空に着くや、新しい住まいとなる千葉の新住所に宅急便で送ることになるので、何かの時のたま、パジャマくらいは手荷物に入れろというのに、音楽機器で重量目一杯、パジャマなしでも寝られると言って聞かない。

出発前々日まで、画家の友人ジェスパー君の引越し先となるアパートのペンキ塗りを手伝いに行き、夜な夜な出かけては午前様。出発の前夜、翌朝は4時起きと言うに、まだ出かけようとするので、さすがにのんきなおっかさんも、 「バカたれめが!いい加減にせぇ!」と爆弾落とし(爆)

リスボンから引き上げて来たこの二週間、ひと時もじっとしていることのない息子ではありました。

出発前、「お前、千葉に宅急便で送るはいいけど、漢字は大丈夫?」と聞くと、「うげ!ローマ字じゃダメかな。漢字書かなきゃダメだったら、書いてもらうから、プリントしてよ。」っとっとっとっと、マジかい、息子^^; こりゃ先が思いやられること、目に見えし。(その息子も今は日本語能力試験1級の勉強をしている)

9年間、毎週土曜日の日本語補習校に通い、通信教育も同じく9年間しっかり修めたとは言え、中3を卒業して以来今日まで13年間、わたしと話す以外は日本語からずっと遠ざかって来た彼、無理からぬことではあります。

さて、3月3日、昨日の朝6時の便でフランクフルト→関西空港→福岡→下関へと26時間の長旅です。やっと日本時間で今日の夕方、下関にあるモイケル娘のアパートに到着でした。

着くなりモイケル娘、「兄貴、関空でタコ焼きと納豆巻きを食べて、今、コンビニで肉まんとカルピス買ってきて食べてる・・・」カルピスは、1年に一度、クリスマスとお正月にマドリッドから取り寄せる貴重な飲み物で、息子の好物なのであります。肉まんも然り、この手の日本食はこちらではとても高いもので、そうそう買えるわけではないのでした。

息子よ、分かる分かる^^

で、更にモイケル娘が続けるには、「アパートに靴履いたまま、あがったんだよ~」これにはわたし、あっはっはっはと大笑い。だって、これ、昔、わたしたちが帰国して所沢の妹宅に滞在する度に、「ジュアン君!また靴履いたまま家にあがってる~」と彼女をしょっちゅう泣かせていたのであり、あぁ、成長のないヤツめ、あの頃のまんまではないか@@

昨日まで息子の気配があった彼の部屋は、もぬけのカラ。使い古された数本のエレキギターが、おっかさんとおとっつぁんの気持ちを反映するように、生気を失い寄り集まって立てかかっています。

今晩、妹こと我がモイケル娘のいる下関で一眠りして、明日の朝はいよいよ、二人は、いえ、「二人+3匹の猫+それぞれのパソコン+それぞれのバックパック」らは、一路新幹線で関東へ移動です。

その格好を想像するにつけ、噴出さずにはおられないおっかさんであります。


2009年3月6日 ズッコケ兄妹の東京移動

「昨日ね、(下関の)ショッピングセンターへ行って、マッサージチェア(電気あんま椅子だよ、それ^^;)座ってみたら、いつの間にか眠っちゃった。」「そしたらね、靴を脱いでください、それにここは寝るとこではありません、て言われた。あはは」
ん?と思い、話をよく聞いてみました。

わたし 「モイケルはその場にいなかったの?」
息子  「いたよ。モイケルも別のに座ってた。で、ぼくの前に中年の男の人も座ったんだ。 その人もちょっと寝てたけど。」と言う。

モイケルは靴を脱いだが、その中年の男の人は靴を履いてあんま椅子に座ったいたのだそうだ。
それでこの母、のんびり者とはいえ、そこは海千山千(笑)、アッと思い、

「お前、ここを出たときのあの靴履いてたんじゃないの?」
「うん。穴があいてたし、それにジャスパー(ポルトに住む幼友達。発つ前の日まで彼の新居のペンキ塗りを手伝っていた)のとこでもそれを履いてたから、ペンキもあちこち付いてた。」

思ったとおりだ。長旅でひげも剃ってないだろうし(パジャマ同様、電気シェーバーも手荷物に入れろと言ったのに、聞かなかったw)、頭の髪だっていい加減な自己床屋だし、その上、穴あきペンキ付きの靴とくれば、これはもう立派なホームレスじゃん・・・

「お前、ホームレスと間違えられたんだよ! 」「うはははは。」と笑う息子、はい、母親も一緒に笑ってしまいました
です^^;

発つ前に、靴もポルトガルのは履きやすいし、物がよくて値段も廉価、買っていけ、床屋くらい行っておけと言うたのに、なんだらかんだらと出歩いてちっとも家におらず、結局、日本で買うからいいや、と件(くだん)の穴あきペンキ付き靴を履いて行ったのでありました^^;

こんな具合ですから、いったいこれからどんな展開になるのか、困ったような可笑しいような。
職場ではスーツを着ることになっているので、当分は着付けなくて借りてきた衣装を身に付けた感じであろうと想像すると、もう腹がよじれてきます(笑)

日本上陸第一日目がこんな風で、翌朝には東京へ向かった「二人+3匹の猫+それぞれのパソコン+それぞれのバックパック」らですが、頃合を見計らってモイケル娘の携帯電話にメッセージを入れますと「つかれた~~」と返信一言。

その後すぐに引越し荷物が到着し、アパートの4階まで引き上げたようで。ちなみにアパートはエレベーターなし。よくやるよ(笑)

少し前に所沢の妹と二人の引越しについて話したのですが、その際にそれぞれがパソコンも運ぶので3匹猫をどうやって運ぶか?となり、今でこそあまり使われないでしょうが、わたしの若い自分にはキャリーカート(↓)なるものが重宝されたものでモイケル娘に

これを買え!と勧めてあったのでした。
1カート

一人はペットケージをひとつ持ち、もう一人はこのキャリーカートにペットケージ二つをくくりつけて運べばよか~、と考え^^

すると、この話を聞いた我が妹、なにげにか、クスッと笑い、「面白いね、ゆう(彼女はわたしをそう呼ぶ)が昔したことと、似たようなことを、子供たちもするんだわ。おっほっほっほ」
 
に、似たようなこと・・・
 
あぁ、思い出せば遥か遠い昔、2歳の息子を連れて3年ぶりの初めての里帰り。当時、ポルトガルから日本へ帰国するには、必ずヨーロッパの乗り継ぎ都市で一泊しなければなりませんでした。
 
ロンドンのガトウィック空港ホテルで一泊し、翌朝リムジンバスでヒースローへ移動。ロンドンから日本まで18時間、ポルトからは2日がかりの旅でした。

旅行カバンは紙おむつと離乳食とでパンパン(笑)よちよちと歩き始めた2歳の息子を腕に抱きかかえるのはとても体力なく、思いついたのがこういうのでした↓

カート2


そ、そうです^^; ショッピングカート(笑)
    
これに荷物の如く息子を入れて、ヒースロー空港、成田空港、そして、一日の仕事も終わった人出でごった返す夕暮れの池袋の街中を、「あーっはっはっは!」と指差され笑われながら、ゴロゴロひきづって妹宅へたどり着いたのでありました。

恥も外聞もなく、されど母は強し(笑)しかし、このショッピングカートをポルトで調達するのも苦労したのでありまっせ^^妹はこの時のことをしっかり覚えておったのでした。

歴史は繰り返すってかい!お粗末さまでした。―――日記、ここまで。


H君の出発にあたり、ひとしきり、8年前の子どもたちのことを思い出して、あれから、モイケル娘は13年、東京息子となった彼は9年目を迎える日本滞在です。月日の流れにしみじみ思いを寄せていたのでした。おっかさんも年取るはずですわぃ。

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