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2019年12月10日
 
日本から帰って以来一か月ほど、老猫の本格的な介護をしていました。

これまでに飼ってきた猫を何匹か見送りましたが、今回の猫、クルルにするような本格的な介護は初めてでした。夫の話によると、粗相が始まったのはわたしが返ってくる2週間ほど前だとのこと。わたしの4週間の帰国は猫にしてみれば約1年間の時間に例えられるとあります。

しばらく前から、ひたすら食べ物をねだり、食べても食べてもガツガツ食べるクルルは、ひょっとして自分が食べたのを忘れるというような痴ほう症かな?とも思っていたので、4週間家を空けるのは地方が進む危険があるかもしれないとは思っていたのですが。
夫はきちんと面倒をみてくれたとしても、午後は仕事があるので、いったん家を出ると夕方6、7時ころまで帰りません。

わたしの日本語を教える仕事は家が教室になっているもので、家にいる時間が多く、猫たちにとっては飼い主様はわたしということになります。

食べても太るということはなく、食べる量に反比例するようにひたすら痩せていきました。視力もかなり弱くなったようです。
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寒いからなのか、わたしがシャワーの後、ヘアドライヤーを使い始めると決まってそばにやって来るので、髪を乾かしながらドライヤーでクルル猫の体もついでに温めるたね、ドライヤーを向けていました。

わたしが家にいるとは言え、ずっと猫について回るわけには行かないので、粗相はどうしても避けられません。そこで、大きなケージを買ってきて、わたしが目が届かない間はその中に入ってもらうことにしました。
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寒がりやなので左横に小さめのストーブを置いています。面白いことにオシッコはちゃんとトイレの中にするのに、もうひとつがダメなのです。それで、ケージにはクッションの上に介護用の使い捨て防水シーツを敷きました。

これを汚した場合は、取り換えると同時に、猫の手足、しっぽをお湯で洗います。これを朝一番、5時ころに起きてし、日に何度も繰り返すのですが、夫も家にいるときは協力してくれました。

シーツは使い捨てですからいいものの、クッション代わりの毛布の選択を何度したことか、雨の日が多かったので本当に困りました。
2019kururu2-1.jpg
寒いので、昔息子が生まれたての赤ん坊の時に着た手編みのセーターを着せてあげていました。

すこしづつ衰弱し、昨日、「クルちゃん、もうがんばらなくていいんだよ」と体を撫でて声をかけた後、わたしが日本語授業をしている間に、静かに逝きました。

前の借家時代から飼っていたただ一匹の二代目猫、18、9歳でした。人間の年齢でというと90歳前後だそうで、長生きです。
クルルの介護を経験したことで、もう次は慌てずイライラせずに対処できるエキスパートになったかと思います。夫曰く、孫の世話の練習だと思って(笑)
本日、火葬に送り出しました。

可愛かった時のクルルの写真を載せて、みなさま、ではまた。
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2019年12月8日
 
ようやくクリスマスツリー等の飾りつけを終えました。
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終えるや否や、あわわわわ、ツリーが倒れるよ。例年通りすぐいたずらにやってくるのが4匹猫の一番若いゴロー君です。
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木彫りのクリスマスツリーは我が親友、木彫家の堺美地子の作品で、我が家では歴史が長いクリスマスのオーナメントの一つです。
クリスマスオーナメント5

使われることがない暖炉もこんな具合に。
natal

そして、フラットのドアにはリースを飾ります。
natal

デコレーションは毎年同じでも、エヴァーグリーンのクリスマスツリーの下で、月日は移り変わり、人も子供から大人に、壮年期から熟年期にと我が家は変わりました。

今日のポルトは再び雨です。
ではみなさま、よい週末を。
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2019年12月5日 

毎年12月になると思い出さずにはおられない話がいくつかあります。今日はそのひとつ、まだ子供たちがいなかった頃のことです。

ポルトガル語も分からず、英語もほとんど通じない環境で、当時は夫の家族である義母、義母の姉と義理の姉二人、つまり3人のお年寄りとの同居でありました。 今にして思えば、今日のわたしの忍耐力は(自分で言うか)この6年間の3ババ殿との同居時代に培われたものと自負してます。 

街を歩けば「シネーザ、シネーザ(中国女の意味)」と指さされ、それが「シネー、シネー」と聞こえるもので、腹が立つことこの上ない、日本人が一人もいなかった環境での明け暮れでした。

近所の5、6歳の子供たちに「ファシスタ!」とののしられていた老犬が路上で寝ているのを表通りに面したわたしたち夫婦の部屋のベランダから毎日見ていたのでありました。今と違って当時はのんびりしたものです。その通りは5、6匹の野良犬が道路のあちこちでゴロ寝している光景は当たり前でした。

小さなその老犬はビッコをひいており、右側の牙が少々突き出ていて、多少醜い。「犬だってイジメの対象になるのは、こんなのか」と思うと、当時の自分の孤独感もあってか俄然わたしはその犬に近づき始めたのです。

初めは近づくわたしを恐れて、逃げ隠れしていた老犬が次第に警戒心を解いていき、やがてわたしが玄関口で、「ヒューッ!」と口笛を吹くとすぐやってくるようになりました。

それからです、庭がないからだめだ、と嫌がる夫の母を身振り手振りで説き伏せ、義母さま、ついに根負けして、「じゃぁ、日中は外、夜寝るときは仕方ないベランダ」ってことに相成りましてね。

「ヤッター」の気分のわたし、名前は迷うことなく、ローマ帝国の歴史上、小柄でビッコをひきもっとも皇帝らしくないと言われた「クラウディウ皇帝」からいただいて、「クラウディウ」と名づけたのでした。

忘れもしない、12月31日。その日の夕暮れ時、いつもなら飛んでくるクラウディウが、いくら呼んでも現れず。すると、近所の人が、「今日、保健所が犬捕りにやってきて他の犬たちはみな逃げたのに、クラウディウだけはその場にうずくまってしまい、網にかかって連れて行かれた」と言うではないか!

孤独な異国での生活で初めて心を通い合わせた相棒です、帰宅した夫に半ベソをかいてなんとかしてくれと泣きつきました。夫が保健所に電話で問い合わせしたところ、すでに病院送りになったとの返事。

「病院ってどこの病院?サン・ジュアン病院!あなたの病院じゃないの!」

日も落ちかけた大晦日、わたしは夫とともに人がいなくなった病院の実験薬殺用の犬たちが入れられている檻のある棟に忍び込みました・・・

建物の一部になっている高い網でとりかこまれたその大きな檻には何十匹もの犬たちがうろうろ不安な眼をして動き回ったりうずくまったりしていてそれは心の痛む光景でした。

「こんなたくさんの犬の中に本当にクラウディウはいるのだろうか」と思いながら低い声で必死に叫びました。「クラウディウ、クラウディウ」

やがて檻のずっと奥の方からヨロヨロと出てきたクラウディウはわたしたちを見るなり喜び吠えです。しかし、どうやって檻から出すのか?・・・・・ すると、あった!犬が逃げようと試みでもしたのだろうか、網の一部が破れてる!

夫が素手でそこをこじあけこじあけ、やっと小さなクラウディウが出られるくらいの大きさに押し広げ、ついにクラウディウを抱き上げたわたし達は、外に止めてあった車に押し込め、逃げること一目散!

破られた網に穴から他の犬たちも逃げたのは言うまでもないでありましょう。あとは野となれ山となれ。いずれ殺処分されるであろう犬たちへ、大晦日の贈り物だい!

そうして自宅に着いたわたしたちも、そして車も、檻の中でウ〇コまみれになっていたクラウディウの匂いがしっかりついていたのでした。1979年12月31日、わたしがポルトガルで初めて迎えた大晦日のハプニングでした。

            ・この記事は過去に書いたものに手を加えています。
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2019年12月4日  

12月ともなれば、大手のスーパーマーケットの店頭に設けられるのが、Cabaz(カバス)コーナーです。下の写真は昨日日本語授業の後にわたしが買い物に行ったデパートEl Corte EnglêsのCabazコーナーです。日本で言えばお歳暮コーナーです。
natal1_1.jpg

Cabazは果物かごを意味するのですが、その籠にワインを始め、缶詰、ハムソーセージ類、チーズ、ジャムなど自由に選んででいっぱいにし、届けます。値段はと言うと、40ユーロくらいから上は300ユーロ(35000円ほど)を超えたりします。

cavaz.jpg
Wikiより

日本と少し違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先への義理がらみの付け届けはしない、という点です。一年を振り返ってみてお世話になったと思われる人に感謝の印としてクリスマスの贈り物を届ける、という具合です。

この他、、生ハムの脚一本とか、この時期には欠かせないバカリャウ(Bacalhao=大きな干しダラ)などがあります。

presunto.jpg
(Wikiより)
サポーターに立てかけられた黒ブタの生ハムです。ポルトガル語で生ハムを「presunto=プレズント」と言います。

生ハムの脚一本。食べるために薄くきったもの
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わたしは生ハムが大好きなのですが塩気が多いので近頃は血圧の関係上、極力避けなければならないのが残念至極。

大きなバカリャウ一枚は5キロ前後、42x92cmの大きさで、厚みは一番分厚いところで5cmにもなります。
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上の写真は一枚のバカリャウの切り方を示しているのですが、切り売りも多いです。なにしろ、一枚全部は値もはりますからね。

バカリヤウはポルトガルではクリスマスイブと年末の伝統的な定番料理で、 この時期は値段も上がります。我が家でも師走ともなると、付け届けでこの生ハム一本や大きな干しダラのバカリャウをいただくことがあります。

今日は生ハムにまつわる古い話を引っ張り出しましょう。

かつて庭付きの借家に住んでいたころの話ですが、冬の間の湿気を追い払うのに、日中は車庫の戸をよく開け放していたものです。今のフラットと違い、当時は夫の書斎がなく、写真に見られる生ハムももらって大いに嬉しいのですが、置き場所に困って車庫の壁にぶらさげて置いたものです。

ある日の夕方、車を車庫に入れ終えて「ただ今」と家に入ってきた夫が言います。

「生ハム、君、上にもってきたの?」
我が家は3階建ての家屋の一番上であった。
「あんな重いもの、わたしが抱えて来れるわけないじゃない」
「でも、壁にぶらさがってないよ」
「ええ??」

慌てて車庫へ行って見ると、確かに夫の仰せの通り、あるべき場所に生ハムの脚が・・・ない
車庫の奥へツーッと目をやりましたら、れれ?車庫の奥のワイン棚にずらり並んでいるはずのワイン、ウイスキーの本数もガバと減ってるではないですか!

し、しまった!こそ泥にしてやられたのでありました。

当時のわたしは、常日頃から窓開放主義、全面的に人を信頼する人間でした。(笑)日本にいたときからきちんと戸締りをするなど心がけたことがないのです。仕事で日中空けているアパートも、当時飼っていたネコのポチが自由に出入りできるようにと、表通りに面した台所の窓は、いつも少し開けっ放し。

それでもあの頃の日本は世界一安全な国と謳われたように、一度も空き巣に入られたことがない。

そんなわたしですから、ポルトガルへ来てからも風通しをよくするためにと、何の疑いもなく車庫のドアは、特に夏は、そして冬でも天気のいい日には開けっ放しにしておりました。

どうも、それで目をつけられていたようです。

考えて見ると、それまでにも何度かおかしいなぁと思ったことに思い当たります。「確かに夏のシーツ全部を車庫のここに置いたつもりなんだがなぁ。見あたらない」とか、「あれぇ?夫がいただいた陶芸作家の人形一式の箱、どこへいっちゃんたんだろ・・」等々。

のんきなわたしは、多分自分か夫が整理して車庫の棚にでものせたのだろうくらいに思っていたのですが、思い当たる節がたんとあることにそのとき初めて気づいたのでした。道理でそれらが出てこなはずです。

ふん!ワインにウイスキー、それにこの生ハム一本で、こそ泥たちめ、今宵は酒盛りかと思うと、さすが、のほほん者のわたしも面白くない。

こういうことが数回あったので、物を盗まれるよりも自分が家にいるというのにこそ泥が堂々と入っていたということに恐れをなし、とうとうわたしはドア開放主義を止め、以来車庫のドアをしっかり閉めることにしたのでした。

今ではこの生ハムを狙う相手が「こらぁ!」の一言で散らばる、たかがネコたち(笑)可愛いもんです。

ではみなさま、また。


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2019年12月2日 

あっという間に師走ではないか。 ポルトへ帰って以来ずっと雨天で、洗濯物は乾かないわ、家の中はじめじめしてるわ。湿気が体に絡みつくようで鬱陶しいったらありません。

今朝は久しぶりに青い空を仰いでいます。

さて、今日は以前から書いておきたいと思っていたことを取り上げてみます。

本を読んでいるとき、あるいは映画を観ているときに、その中でドキリとする言葉、うまいこと言うなぁ、これは実に言い得て妙だ、記憶にとどめたいと感じさせられる言葉に出会うことがあります。

それらの言葉を拾って、時折、拙ブログに載せてみたいと思います。題してカテゴリー「片言隻句」。

最近でこそ興味がある映画に出会わないので観ていませんが、わたしは大の映画ファンで、好きな映画は何度でも繰り返し観るタイプです。ただ、映画は観る人によって感じ方見方が違うと思うので評論はしません。

これまで観た映画で好きなのはと問われれば、たくさんあるので困るのですが、今日はかなり古い映画であるものの、わたしが観たのは最近だという「The Outsiders」の中で折に触れては心に浮かんでくるセリフをあげたいと思います。

映画は1967年に18歳で作家デビューしたS.E.ヒントン(女性)の同名小説を1983年にフランシス・コッポラが映画化したものです。下のポスターを見ると、パトリック・スエイジを始めトム・クルーズ、ラルフ・マッチオ(空手キッズの主人公など後のハリウッドスターたちが出演しています。

物語はオクラホマ州の小さな町が舞台、富裕層と貧困層の不良グループがいがみあっています。
富裕層グループにリンチにかけられそうになった仲間のポニーボーイを救おうと、ジョニーは対立つするメンバーを心ならずも刺してしまいます。

二人は町から離れた古い教会に身を潜めるのですが、ある日、美しい朝焼けを見てポニーボーイはロバート・フロストの詩を暗唱し、ジョニーはその詩に感銘を受けます。下がその詩です。

「Nothing gold can stay」 by Robert Frost

Nature´s first green is gold,
Her hardest hue to hold.
Her early leaf´s a flower
But only so an hour.
Then leaf subsides to leaf.
So Eden sank to grief.
So dawn goes down to day.
Nothing gold can stay.

萌えいずる最初の緑は黄金だ
その色を保ち続けるのは難しい
萌えいずる葉は花である
しかし、それはわずか一瞬だけだ
 
やがて葉は葉へとおさまる
エデンの園もそれと同じ、年を取り純真さを失い悲しみに沈んだ
そして、暁は終わり今日という一日が始まる

黄金のままであり続けるものはないのだ


フロストの詩が暗唱されるシーン

私たちが持つ純真さ、美しさは大人になるという避けがたい時の流れとともに失われてしまい、どんなものも黄金の輝きを放ち続けることはできない、とフロストの詩は最後に結んでいます。

美しいものは、青春は、子供時代ははかないというメタファーでしょうか。
映画の終わりで、二人が隠れ家にしていた古い教会が火事になり、その中にいた町から来ていた子供たちを救い出したジョニーが大火傷を負います。

死に際にジョニー少年は、
あの詩のことをずっと考えていたんだ。あの詩が言っていることは、子供のころはみんな黄金なんだ、若葉の緑のように。すべてがまるで夜明けのように新しくて。大人になっても人生の大切なもの、最初の春のような自然の美しさや純真さ、その「黄金」を忘れないでくれ。「Stay gold」、「輝き続けよ、自分に誠実に生きよ」との言葉をポニーボーイに遺します。

歳を取り人生経験が豊かになると、つい小賢しい世渡り観を身につけがちですが、ジョニー少年が遺した「Stay gold」は、不器用な生き方になるかもしれませんね。

もしわたしが中学生のクラスを担当したら、授業でいっしょに読んでみたいと思われる本の一冊です。
青春時代のようなキラキラした輝きはもうないけれど、いぶし銀てのがあるな、なんて、またおアホなことを考えているのでありますが、貧困層グループの気持ちが哀しいくらいよく分かり、わたしにとっては切ない青春映画です。

スティーヴィー・ワンダーが主題歌「Stay Gold」を歌っています。


ではみなさま、また。

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