2017年7月20日 

ネット新聞を読んでいたら、東京の三井記念美術館で「地獄絵ワンダーランド」展が開かれているとのニュースを目にして、数年前にブログにあげた芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。

中級レベルの日本語学習生徒の様子をみて、できそうかな?と思われる生徒にわたしが取り上げる日本語テキストを離れた学習教材の一冊である。「蜘蛛の糸」の文章の美しさにわたしは心底惹かれるのだ。生徒にもテキストで習う現代語とは違った日本語の美しさに触れてもらいたいなぁ、と思うからだ。

「地獄絵ワンダーランド」展に因む、本日はエッセイ集「思い出のアルバム」から2009年に綴ったものを再度アップしたいと思う。

―ここからー

しばらく前から日本語教室の生徒の一人と一緒に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読している。以下、わたしの物語の概要である。

生涯でたった一度だけ、道端の蜘蛛を踏みつけようとした殺生を思いとどまった極悪人「カンダタ」が、地獄で苦しみあえいでいる。それを見たお釈迦様が、蜘蛛を助けたことをふと思い出し、地獄から引き上げようと、一筋の蜘蛛の糸を極楽からカンダタの前に垂らす。

カンダタは、その蜘蛛の糸にすがって血の池を這い上がり、上へ上へと上って行く。つと、下を見下ろすと、自分の後に大勢の極悪人どもが必死に蜘蛛糸をつたって大勢が地獄から上ってくるのが見える。

カンダタはこれを見て、己一人でも切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸、なんとかしないことには、自分もろとも糸は切れて、再び地獄へ舞い戻ってしまおう、
       
思わず「この蜘蛛の糸は俺のものだ、お前たち、下りろ下りろ。」と、喚いた瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの上からプツリと切れて、まっ逆さま、もろともに地獄へと落ちて行く。
       
お釈迦様のせっかくの慈悲も、自分だけ助かろうとするカンダタの浅ましさに、愛想をつかしたわけである。

仏教で言う「地獄」を英語で「hell」と訳してしまうのは、少し違うように思う。生徒と読みながら、わたしは子供の頃の「地獄絵」への恐怖を思い出していた。

夏の風物詩は、この時期では日本のどこでも催されるであろう、宵の宮祭だ。故郷弘前では宵宮、「ヨミヤ」と呼んだ。子供の頃は、暑かったら裏の畑の向こうにある浅い小川で泳いだ。少し歩いたところがちょうど寺町の裏手に当たり、夕暮れ時には肝試しと言って2人くらいずつ、墓場まで行って帰ってくるのも涼しくなる遊びのひとつだった。

夕食を終えた後は、たんぼを渡り小川のあたりで、
「ほ、ほ、ほーたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」 
と歌いながらする、いにしえの優雅な遊びも知っていた。
  
子供なりの智恵を使って、自然の中で遊びを見つけていたが、夏のヨミヤはそれとは別に、大人びた世界を垣間見るような興奮を感じたものである。

夏の日は長く、ヨミヤのある日は外がまだ明るいうちから、遠くに祭囃子が聞こえた。子供が夜出歩くなどしない時代だったが、この日は別である。祖母や母と一緒に行った記憶はない。祖母は、桜まつりには蕎麦の屋台を引いたり、夏には氷水を売ったりしていたから、恐らく家族はそれぞれ、ヨミヤでの出店に追われていたのであろう。
       
二つ下の妹とユカタに赤い三尺を締めて、日が落ちて暗くなりつつある新町の道を手をつないで誓願寺の夜宮へよく行った。すると、薄暗闇の向こうから、わたし達を呼び寄せるかのように、「♪か~すりの女とせ~びろの男~♪」と、三橋美智也の歌が聞こえてくるのである。
       
田舎の夏休み中のおやつといえば、裏の畑からもぎとったキューリを縦半分に切り、真ん中を溝を作るようにくりぬいて、そこにすこし味噌を入れたのや、塩だけをつけたおにぎりである。おやつ代などもらえることはなかったが、夜宮の日にはわずかばかりだが、出店があるのでもらえるのだ。

金魚すくい、輪投げ、水ヨーヨー、線香花火、水あめ、かき氷。これら全部は回れないが、わたしたちが特に好きだったものに「はっかパイプ」があった。屋台にぶらさがっている動物や人の顔など、いろいろな作りのはっかパイプの中から好きなものを選び、首からぶら下げてハッカをスースー吸うのだ。

hakka.jpg
Wikiより。ハッカ

しかし、その出店が並ぶところへ行くまでに、どうしても避けて通ることができない、寺門をくぐってすぐ左の格子戸がある一隅があった。そこには、閻魔(えんま)大王と閻魔ばさま(ばさま=おばあさん)がどっしりと腰を据え、通る人々を見据えているのである。
       
閻魔大王はまだしも、クワッと赤い口を開き、着物を片肌脱ぎ、立膝でこちらを睨む閻魔ばさまの像には、恐ろしいものがあった。怖い怖いと思いながらも、ついつい見てしまい、閻魔ばさまと目が合っては、ブルッと体が振るえ、下を見ながらそそくさとそこを去るのである。
       
註:閻魔ばさま=奪衣婆(だつえば)
  三途の川のほとりで、亡者の衣服を奪い取るといわれる。
  奪い取られた衣服は、そこにある衣領樹(えりょうじゅ)と言う
  木の枝に引っ掛けられ、その枝の垂れ下がり具合で生前に
  犯した罪の重さがわかると言われる。

ここにはもうひとつ、目が行ってしまうものがあった。地獄絵図である。恐らくこの時期に寺のお蔵から出されて衆人に見せられるのであろう。
       
「嘘をついたら舌を抜かれる」「悪事をなせば針の山、血の海が三途の川の向こうで待ち構えている」阿鼻叫喚の地獄絵巻は、怖いもの見たさも手伝って、ついつい目を向けてしまうのだが、地獄絵巻は、幼いわたしにとって何よりの無言の教えであった。
       
古今東西の宗教が多かれ少なかれ、ある程度の恐れをもってわたしたちに説教しているのは、人間は、こうしてはいけないと分かっていながらつい悪行に走ってしまう、なかなかに食えないものだと知っているからだろう。

嘘をついたことがないとは決して言えないが、人様に迷惑をかけながらも、あまり意地悪い気持を持たずして、(意地悪いのは大きな悪のひとつだとわたしは思うから)、今日まで自分が生きて来れたのは、どこかに幼い頃に
見聞きした地獄絵図が刷り込まれているからかも知れない。

知識を振りかざし、堂々たる自信を持って生きている現代人は、もしかしたら、いざと言うときに、随分危ういものを抱えているのではないだろうか。久しく、「蜘蛛の糸」を読んで思ったことである。

―過去記事、ここで終わるー



件の「地獄絵ワンダーランド」展のポスターを見るに、

jigoku.png

これじゃぁ、今の子どもたちは怖がるところか、面白がるに留まるかもしれないなぁと、無言の教えに与った(あずかった)自分の子ども時代と比べて、一筋縄では行かない今日の教育の問題をチラと垣間見たような気がした。

もっとも、わたしが知る地獄絵では子供の人気もないかも知れない。

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2017年7月18日 

人がする断捨離といふものを わたしもしてみんとてするなり。(紀貫之・土佐日記から拝借したなり)

三字から「思い切って物を捨てることだろう」と想像していたが、検索してみると「断捨離とは、断行、捨行、離行というヨガの行法であり、人生や日常生活に不必要なものを断ち、捨てることで物への執着から開放され、人生に調和をもたらそうとする生き方」を言うのだそうだ。なるほど、単なる整理整頓とは一線を引くということである。

しかし、凡人のわたしにとって、「人生に調和をもたらす」云々は取りあえず置いておき、「思い切って捨てる」ことから入ろうと、暇をみては断捨離なるものをし始めて1年ほどになる。

つい先だってのことだ。これはなんぞな?とベッドの下から引っ張り出したのがすっかり埃を被ったこの箱である。

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きちんと箱に入れるのが面倒だったのだろう、雑に入れ込まれて姿を現したのは、仕掛けたままのだったり、手もつけていないのだったりの自分の木彫りの作品だった。息子がヨチヨチ歩き始めた時に、刃物を使うゆえ万が一息子に事故でも起こったらと思い、木彫りに精出すのは何年も止めたのであった。

そうこうしているうちに娘が生まれ、万が一の事故も去ることながら彫刻刃を手にする時間がなくなり、幾つかの完成した作品は家の壁に掛けてあるものの、その存在を忘れかけていたのだ。

うひゃ~と思い埃を払って箱の中から取り出してみる。

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うわわわわ。ジョンボーイにと、彼が眠っている間を縫って作ったクマちゃんのタオル掛けと素彫りの額だ。1982年と年号が彫ってある。

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これなどは酷いものだ。同じ模様の靴べらの2本目なのだが、塗りをした後に真ん中の部分が気に入らず、もう一度彫ろうと思ったものの、削っているうちにドンドン薄くなり、「これは危うくなる!」と実は投げ出したままのものだ。一本目は仕上がって壁にかけてある。

下、二枚の額は1983年に仕上げ、右上は塗りなし、細い皮ひもの手足がつく予定のぶら下げモービルなのだが、未完のまま32年眠っていたことになる(笑)
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こちらの額も塗りが施されておらず。右の手鏡は手もつけられていない。
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手鏡の一本目は完成させてある。それをわたしは40年以上も手元に置いて使ってきたのだが、この春先、なんの拍子でか手から滑り落ち、床に落として写真のように一巻の終わり。ただ、嵌められていた鏡は分厚かったためか幸運にも割れなかったのである。鏡が割れると縁起が悪いと言うものね。

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当初は多少のショックを受けてブログにあげる気にならず今日にいたった。これは断捨離とは行くまいて。ひとつひとつを箱の中から取り出して、しばし時間を過ごし、もう一度初心に戻り彫り始めようか、彫る時の穏やかな時間が持てる自分のために、そして、これらを受け取る我が子たちのために。

そんなことを考え、長年置き去りにしてきた懐かしい彫刻刃を引っ張りだした。
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古い刃はこのままでは使い物にならないだろうが、数年前の帰国時に親友に頼んで買い置きしてもらい、持って来た数本がある。まだ未使用なので恐らく使えるであろう。

と思っていたところに、期せずして和歌山にアトリエを構える我が親友、木彫家の堺美地子が今月7日に出展作品で「堺市長賞」を受賞したとの知らせが入った。

michiko1-1.jpg

この作品をわたしは4月の帰国時に堺の彼女の自宅で見せてもらったのである。

会うたびに「ちょっと一緒に彫り彫りしようよ」と、長年彫刻刃を手にしておらずしぶるわたしに短時間で小作品の手ほどき、手直しをしてくれるのだが、もったいないことだ。彫りも塗りもますます磨きがかかる彼女の更なる活躍を望んで止まない。

アレルギー体質なので彼女がする根来塗りはどうにも手出しはできないが、趣味として再び木彫りに取り組むのはいいかもしれない。断捨離できるものはないかと引っ張り出したもののなかには、こういう物もあるので、なかなか進まない我が断捨離ではある。

いや、断捨離ところか、これだとまた物が増えそうで、多少混乱気味のわたしである。


下記、過去の断捨離記事があります。興味あらばどぞ。

ミニマリストは無理だけど」 

断捨離もいいけれど

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2017年7月15日

我がモイケル娘に言わせると、「少々マニアック」なポルト、ポルトガルを綴っている拙ブログ記事です。

なぜこうなったのか、背景にどんな歴史があるのかと調べられずにいられない性分ではあります。そんな訳で、ついついこうるさい記事になったりするのはご勘弁いただき、お付き合いくだされば嬉しいです。

ポルトガルにおけるテンプル騎士団追っかけとシントラの億万長者モンテイロ氏が造り上げたレガレイラ館に多々見かけるシンボルの謎解きは、わたしのライフワークでもあるのですが、これにもうひとつ加わるのがポルトのMuralhas Fernandina(フェルナンディーナ城壁)です。

これについては随分昔から資料を集めているのですが、実際に足を運び現地確認をするには、現在、城壁のわずか一部しか残っていませんので、探すのに時間がかかりそうです。しようしようと思いつつも仕事に終われるようになり、いつの間にか探しそびれて今日まで来てしまいました。

歳がおっつかなくなってからでは遅かろう、そろそろ始めなければと、Arco das Verdades(真実の門)を探しに出かけたのをきっかけに、手始めとしてこれまでは入れなかったMuralhas Fernandinaが現在入れると聞きつけたので行ってみました。

実は去年当たり一度、ドン・ルイス1世橋を渡った時に、数人の人が城壁を歩いているのを見かけたのです。考古学者か地質学者或いは歴史学者でも現地調査に入ったのかなぁ、くらいに思っていたのです。それがツーリスト向けになったとは、すわ!と。

フェルナンディーナス城壁
かろうじて残った街の中にある城壁の一部。

写真に見える右側が城壁の続きで、直ぐ横を「Funiclar dos Guindais(フニクラール・ドス・ギンダイス)」ことフニクラールが上り下りしている。

フェルナンディーナス城壁

Arco das Verdadesから向こうに見えるMuralhas Fernandinaの一部。
フェルナンディーナス城壁

行くにあたって、ふと足元は大丈夫かな?夫に声をかけて週末にすべきか?とも思ったのですが、先に行って自慢してやれ、なぁんて考えて、ク○暑い中、Arco das Verdadesの後、そちらに足を向けました。

城壁に入る秘密の入り口目指して(笑)、サンタ・クララ教会へよっこらせっこら歩きます。サンタクララ教会は通りから奥まったところにあります。表からは見えないのですが、教会の直ぐ後ろには「老人ホーム」があり、わたしは2010年のポルトと国際親善協会の共催のJapan Week時に組まれた文化交流のプログラムの交渉で訊ねたことがあります。

フェルナンディーナス城壁

その時に、老人ホームの庭で城壁の一部を目にして驚き、ひょっとしてここから城壁へ行けるのではないか?と思ったものです。案の定、城壁への入り口はサンタクララ教会の横の老人ホームへの入り口と同じでした。

やっぱりそうだったか!と勇んで入り口に向かうと、先ほどから教会前でウロウロしていて気になっていたおじさんに、「これこれ、そこへは入れないのであるよ」と言われたのであります。

「ネットで城壁に入れると情報があったんだけど・・・」と話を振ってみると、「今工事中だからダメなのだ」と言う。見ると、「Obras(工事中)立ち入り禁止」と立て札があります。ガーーン!

思うに、最初にツーリストが偶然にここを見つけ入ったところが城壁であった、それをネットに上げたがため話が広がり多くのツーリストが訪れ始めた。わたしも足元が大丈夫かと気になったほどですから、恐らく危険を感じて、市が立ち入り禁止にしたのではないだろうか、とはわたしの推測です。

そりゃそうでしょう。14世紀のCerca Velhaを基にして更に広範囲に広げて造られたMuralhas Fernandinaです。長い間放置されてきたところに、近年観光地ナンバー1に位置づけられているポルトを訪れる観光客がドッと訪れたらどうなることか、分かろうというものです。

工事はどのくらいかかるのかと訊ねると、分からないと答えが返ってきました。残念ではありましたが事故が起こってからでは遅いものね。

下記では「サンタ・クララ教会」について案内しています。

奇妙なシンボル

奇妙なシンボル」 
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2017年7月14日 

火曜日は二つの目的を持っての散策でした。

写真はサンベント駅から大寺院を撮ったものですが、その一つが写真左手に見えるSéこと大寺院の左横の小さい通り(Rua Dom Hugo)を入ったあたりにあるとのこと。

この通り右手には、2010年のJapan Weekのコーディネーターをした折に打ち合わせで訪れたGuerra Junqueiro博物館があります。そこを通り過ぎると左に狭い石段の道があり、背後に見えるのは大寺院の一部。

ポルト

石段の途中にある古い共同水道。

ポルト

そしてArco das Verdadesが目の前にありました。
ポルト

写真から分かるように家が門にしっかりくっついており、こういうのは許可がでてるのかなぁ、と思ったり。

一つ思ったことは、ここに住む人達、一歩家を出るとすぐ石段ですから、買い物にしろ仕事に行くにしろ、随分と運動になるなぁ、です。

小っちゃいじゃん?はい、小さい(笑) ↓下は門を通り抜け別の通りの石段から撮りました。
ポルト

近辺は別にして、地元の人間は知らない「真実の門」ですが、んまぁ、朝から訪れて来るツーリストが結構います。
ポルト

ポルト
Arco(アーチ型の門のこと)を見上げると、こんな具合ですから、ちょっと危ないなぁ、の感。何しろ14世紀に造られたのです。これまで数箇所が修繕されて来たでしょうが、そのうち工事が入って通行止めになる可能性もあります。思い立ったが吉日、来てよかった!


「真実の門」の歴史を紐解くと、大寺院一帯を包囲する「Cerca Velha(古い石塀の囲い)」の4つの門の一つだそうで、先に述べたように14世紀のことです。

面白いのは、「真実の門」は当初はアーチだったわけではなく、大寺院一帯と外界を行き来する門だったのですね。門は4つあったと言われますが、高い石塀の囲いをやがて市内を囲む大がかりな城壁が取って代わり、残ったのが「真実の門」だけになりました。 これについては、追っつけ探検して案内したいと思いますが、後に水道橋としても使われました。

この門についてもうひとつ面白いことを。
Arco das Verdades、つまり「真実の門」は最初、「Porta das Mentiras」、「嘘の門」と呼ばれていたとはこれいかに!嘘つきや泥棒がこの門をしょっちゅう出入りでもしていたのでしょうか。

こんな恥知らずな名前で呼ばれては住民が困る、とでも言うかのように、やがてこの門はいつ頃からか、「Porta de Nossa Senhora das Verdades(聖母マリアはいくつも呼び名を持っており、これもそのひとつ)」と呼ばれるようになり、今に至っています。

トップにあげてある大寺院を背後にしたこの石段も「Esdacas da Verdades(真実の石段)」と名を残しています。

最後におまけ。ポルトガルの古い通りでは必ず見かけるネコ。この黒猫はわたしにまつわり付いてしばらく離れませんでした。
ポルト

もうひとつの目的については、後日に。

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2017年7月12日 

ポルトガルの晩御飯は遅い。子どもたちを一応の一人前にするまでの10年ほど前までは、夫は本当によく働いていて、帰宅が9時10時は当たり前のことだった。毎日サンジュアン病院と私立病院を掛け持ちだったのだ。

わたしは土曜日の補習校のみで仕事にしており、当時はほとんど専業主婦。じゃぁ、Spaさん、たくさん貯まったでしょう?と思われるかもしれないが、とんでもない。

British School、日本からの通信教育、土曜日の補習校の授業料、それに個人教授や習い事の謝礼と、実は二人の子どもの教育費で全てふっとんだのである。加えて、3年に一度の割で親子3人日本帰国もしていたので、どんなに働いても残るわけがないのである(笑)

振り返ると、豊かでもない所帯で、よくもまぁ二人の子どもを幼稚園から大学まで私立校教育を受けさせることができたものだと、今思ったりする。

そんな状態ゆえ、大黒柱には最低限の敬意は払うべしと、我が家では必ず夫の帰宅を待ち、家族4人が揃ってテーブルに着いたので、その後の後片付けなど時には12時近くに終わるのが珍しいことではなかった。

しかし、サンジュアン病院を定年退職した後、夫の帰宅は昔ほど遅くなくなり、今では8時半から9時の間が晩御飯開始となる。

晩御飯が早く出来上がり、食べ終わって時計が9時前を指していたりなどすると、「え?どうするの!こんなに早くご飯が終わってぇ・・・」と、なったりすることもままある。

さて、ここから本題なり。今週月曜日がそんな日だったのである。夏は日が長いポルトガル、9時前は日中のように明るい。大好きなFoxCrimeの番組も近頃はリピートが多く、2回3回は英語の勉強にもなっていいが、4回目ともなるといい加減見る気はしない。
う~ん、毎週火曜日の午後はDias先生のご自宅で勉強するのだが、夜勉強するのはあまり好きではないが、よし!今日はポルトガル語の予習をバッチリしてみようと、机に向かったのである。

一通り調べが終わり、今使用している本はあとどのくらい残っているんだろう、来年には念願の「Quinta da Regaleira」もしくは「Portugal Templário」の分厚い本に到達できるかな?

templario.jpg

それとなくページをパラパラめくって目に付いた題が「Arco das Verdades」。ぬぬ?ざっとその箇所に目を通して、知らんぞ、これは!どこどこ?まだ行ってないとこがあった!と興奮し、週末まで待てばいいものを、矢も盾もたまらず、火曜日の昨日の朝、ク○暑い中を行って参った。

明日に続きます。

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