2018年5月21日 

何年も前から気になっていた「モンシーク修道院=Convent de Madre Deus de Monchique)」を探しに行ったのは、かれこれ10年ほども前になります。

こういう探し物探検は一人で行くのが好きなのですが、休日に夫をほったらかしては、ちょっとまずいので、話を振ってみると一緒に来ると言う。
「いや、ぼくはいいよ」をちょっと期待しなかったわけでもないのだが、仕方ない、連れていくかと相成ったのである。

このモンシーク修道院ですが、実はあまり人に知られていない。検索してもこのあたりにある、とは書いてあるのですが、はっきりした所在地が当時はネットでも見つかりませんでした。

そこで週に一度、わたしがレッスンを受けに行っている、ポルトガル語の先生、かつてはポルトの私立学校ロザリオの先生で我が子達のポルトガル語も見てくださったのですが、モンシーク修道院がどこにあるか、たずねてみました。

と言うのは、10年ほど前に定年退職し、インターネットなどもしっかり勉強して、悠々自適の生活、話題が豊富な方で、わたしは大好きなのですが、その昔、神学を学んでおられたのです。

神の愛をとるか、愛の神をとるか、とタイスのごとく悩んだ末、愛の神を選んで結婚、教職に長年就かれたお方です。(註:タイス=オペラ「タイス」の主人公。ただし、タイスは女性。「タイスの瞑想曲」は追記で聴けます)

そこでモンシーク修道院がどこにあるかご存知なのではとたずねたところ、
「それはアルガルブ(ポルトガル南部)にあります」
と夫と同じことをおっしゃる。
「先生、ポルトにもあるとどこかで読んだ記憶があるのです」
「ふ~~む。聞いたことがないぞ」

モンシーク修道院の話はそこで終わってしまったのですが、翌週レッスンに出かけると、
「オ・ドナ・ユーコ!これは参ったな。ポルトにもあるとは!」
「正確な住所はわからないが、ドウロ川沿いの方だね。」

先生もわたしとの話の後、ネットで検索したのだそうな^^うほほほほ。モンシーク修道院に関しては、先生よりわたしの方が、先であったのよ^^

さて、ドウロ川に面した並びは小高い地所になる。車をゆっくり走らせながら、あれかもこれかもと、修道院らしき古い建物を見つけては、車を止め、急な坂道を2、3度上り下りしては、どれも見当違い。

細い坂道を見ると、ついどれどれ?と足を向けたくなるわたしとちがい、普段平坦な道しか歩かない夫には細くて急な坂道など縁がない。毎週土曜日午後にはジムに行く彼、「もう今日はこれで運動十分だ。行かなくてもいいや」(笑)

さて、トップ写真にあるBanderinhasのあたりを歩いたとき、ふと横の坂道(この頃にはもう上るのにくたびれかけていた)の突き当たりのトップに像が乗っている古い建物が目に入った。
「ん?あれはなんだ?」と、どんどん上に上るわたし↓

モンシーク3

ふ~む。廃墟で、表の鉄柵戸には錠がおろしてある。

モンシーク1

鉄柵戸越しに少しカメラを上方にずらしてみると、あっ!
モンシーク2

ここだ!ここに間違いない!上にはサンタマリアの像があるではないか。
 
モンシーク修道院の正式名は「Convento de Madre Deus de Monchique」.
Madre Deus とは、聖母のことです。それにしてもこの荒れ放題振りはあまりに気の毒ではないか。

わたしたちが見つけたのは、恐らく修道院の裏側ではないかと推察している。と言うのは、正門になるファシャーダ(fachada)もその跡もないからだ。そのモンシーク修道院のそのファシャーダが、現在どこにあるか、わたしは偶然のことから知っているのであります。

モンシーク・ファシャーダ

画像が多少ぼやけて見えるのは、ガラス戸越しに撮影したからなのです。これがモンシーク修道院にあったファシャーダですが、現在、ポルトのSoaresdos Reis国立美術館の庭に置かれていました。

★このファシャーダは2018年現在、美術館に隣接する競技場に移動されている↓
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2010年11月にポルトで開催されたJapan Weekのコーディネーターの仕事を依頼された時、国立美術館との会合で、Japan Weekの展示会場のひとつとなるギャラリーを見せてもらったのですが、ふと目に入った庭のマヌエル様式の美しいファシャーダ。
「あれ?すみません。あのファシャーダは・・・?」と問うと、「モンシークのファシャーダだ」と教えてもらいました。庭には、もうひとつ、一連のモンシークの遺跡と思われる細工のある壁がデンと置かれていたのですが、まさか仕事をほったらかしてそっちの撮影に走るわけには行かず、かろうじてこれだけ撮ることができました。

さて、ここからやっと表題の「ポルトガル文学・破滅の愛」であります。原題は「Amor do Perdição」.。19世紀の文学者カミーロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco)の作品のひとつで何度か映画化されている、ゆうなればポルトガル版の「ロミオとジュリエット」です。

このモンシーク修道院を探そうと思い立ち、検索している途中で、この物語の舞台だったことを知ったわけで、私自身は本そのものをまだ読んでいませんが(まだポルトガル語で文学を読めるほどの語学力と時間がない)ざっと以下のような内容とのこと。

家族から乱暴者と疎まれるシモンは父親のライバルの娘、テレザと恋に落ちます。ある日、シモンはテレザを連れ去ろうとする彼女の許婚の従兄弟を誤って死に至らしめてしまいます。二人は引き裂かれ、テレザはこのモンシーク修道院に幽閉、シモンはポルト港から船で去ることを余儀なくされます。シモンの乗る船をモンシーク修道院の窓から見送り、傷心のあまり息を引き取るテレザ。その幻影を見てシモンもやがて重い病にかかり船中で亡くなります。

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↑モンシーク修道院の建つ場所からはドウロ川がよく眺められ、この本の舞台に選ばれたのはなるほどとうなずけます。

荒れ放題のモンシーク修道院は、財政的にも苦しかった市当局です。長年放置されてきてついにポザーダとして復活したニコラウ・ナゾニの「フレイシュ宮殿」とは違い、もう修復不可能だと思われ、恐らくファシャーダなど一部の遺跡は、国立美術館に移されたのでしょう。

わたしがこの修道院を見つけた当時は資料が見つからず、上記に書いたことがせいいっぱいだったのですが、少し見つけましたので、加えておきます。

モンシーク修道院は1533年に、祈願のために富裕のPedro da Cunha Coutinhoとその妻によってミラガイア地区に建てら、ポルトでも重要な修道院のひとつでした。17世紀には70人もの尼僧と富裕層の子女、それに伴った召使が住んでいました。

が、19世紀初期のリベラリスト、ドン・ペドロ4世と絶対王政主義者ドン・ミゲルとの間に起こったポルトガル内戦でドン・ペドロが勝利し、国内から宗教団体は追放され、モンシーク修道院も閉鎖、放置されてきました。

もし、カミーロ・ブランコが「破滅の愛」を書かなかったら、恐らく多くの人はモンシーク修道院の存在を知らなかったかもしれませんね。

現在、売られた修道院の一部はホテル建築に当てられ工事中とのこと。 これもポルトがにわかに観光客の人気スポットになったからだと言えましょう。

近々その現場に足を運んでみたいと思っています。

「タイスの瞑想曲」。近頃好きな2CELLOSの一人、チェロ奏者Hauserの演奏です。


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2018年5月19日 

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5月の夕月

もともとが天然ボケがちなので、ユーさん、時差ボケはあれへんのとちゃう?なぁんて言われたらガクンなのであります。ただ今、時差ボケと奮戦しながら家事、食料品買い出しをこなしております。

帰路、乗り換え地点のフランクフルト空港では、コンピューターシステムに支障があったとかで、ポルト行きのゲートが出発時間ぎりぎりで2度も変更になり、冷や汗をかきました。おまけに出発は1時間以上の遅れです。

早朝に着いて、池井戸潤の「民王」をクックッと笑いかみ締め読みながら、4時間近くも待ち時間をつぶしていた56番ゲートから28番ゲートえ移動って、ターミナルの端っこから端っこへ、みたいなものです^^;パンパンに膨れたキャリーバッグと羽田空港で買い込んだ数箱の「からしめんたいこ」と大好きな「ドラ焼き」2箱が入った袋を引きずって、急ぎ足で歩くのは結構しんどいものです。

16日のフランクフルト空港は多くのフライトのゲートを移動してくれとのアナウンスがひっきりなしで、こんなのは初めてでしたが、とにかく1時間少しの遅れで無事ポルトに帰ることができました。

日本での話はおいおい書くとしまして、滞在中、会って下さった皆さん、お付き合いしていただき楽しいひと時をありがとうございました。また、今回、お会いできなかった方たちにはごめんなさい。次回の楽しみに取っておきたいと思っております。

夕べは頑張って11時までなんとか起きていたものの、朝方4時は目が覚めてエイヤ!と起床、今日から再開する図書館の日本語クラスの準備にとりかかり、6時少し前のただ今、準備終了。窓の外は空が白み、今日一日が始まります。

yoake1-1.jpg

あ~あ、出勤前にまだ3時間半もあるんだがなぁ・・・あまり、ガサゴソすると夫が眠れないだろうし。

というので、とにかく無事ポルトに到着した報告でございます。
更新が滞りがちだったブログ、気合を入れてまいりますので、みなさま、宜しくお願いいたします。
では、また明日!


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2018年5月15日

一ヵ月の休暇も終わり、今晩ポルトに夜間飛行で逆帰国です。

滞在中の後半は故郷弘前行きと我がモイケル娘の祝い事とで
少し忙しかったのですが、それについてはポルトから発信いたします。

何度か拙ブログを訪問なさった方には記事更新が思うようにでき
なかったことをお詫びいたします。

次回は再びポルトより発信いたしますので、今後ともどうぞよろしく
お願いいたします。

それでは、また!
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2018年5月10日

弘前からただいま!

行きは出発するなり東北自動車道路で事故による通行止め。いったん一般
道路に追い出され、停滞でノロノロ運転。朝6時前の出発なのに弘前に到着し
たのは9時間かかることの午後3時。

いったんホテルにチェックインしてから、今回の弘前訪問の主要目的である
おばの家を訪ねましたが、ちょっと面白いことがありました。これについて
はポルトに帰ってから書きたいと思います。

3泊4日で昨夜1時過ぎに所沢到着、平均年齢70の我ら三人、帰路はゆっくり
走って来たのですが、12時間はかかりすぎだー!成田からフランクフルトまで
の飛行時間じゃん!とは、座っている者より運転した義弟を前には口が裂けて
も言えませんですぞ^^;

ポルトガルも遠いけど弘前も遠いなぁと、つくづく感じ入った今回の今日では
ありました。もうひとつのビッグイベントは、懐かしい高校時代の恩師、同窓
生たちが集まってくれたことです。
これもポルト逆帰国後にとりあげたいと思います。

さて、今日は我がモイケル娘の誕生日です。正午頃、5月の真っ青なポルト空
の下で生まれた日のことを鮮やかに記憶しています。あれから32年、日本を
離れたおっかさんの人生軌道とは眞逆に、日本に憧れポルトガルからこっちへ
来てしまいました。

ポルト補習校中学部の卒業式時のスピーチで「わたしは日本へ行くのではあり
ません、帰るのです!」と宣言された」時は本当に驚いたものです。

これは帰国子女物語(受験編)エピソードトップに書いてあるのですが、今日は
その部分を再掲載してみます。

帰国子女物語(受験編)(1)「ぎょ!の卒業式」
2006年2月16日(木曜日)

卒業式の季節が来ると、毎年のように今ではもう5年前になってしまった、
ぎょっとした卒業式を思い出す。

ポルトガルには卒業式というものはないのだが、我が子二人は、月曜日から
金曜日までBritish Schoolに通学し、毎週土曜日は日本語補習校なるところに
9年間通い、日本の義務教育課程をとりあえず終えたのである。

週に一度の3時間授業で、国語数学2教科の日本の1年間の教育カリキュラムを
こなすのだからこれは大変な進度具合なのだ。しかし、補習校に通ったおかげ
で二人とも小中学部では日本式の厳かな卒業式なるものを経験することが
できた。

小規模の補習校であるから卒業生は一人か二人が通常であるので、どの子も
日本ではなかなか仰せつかうことのない「卒業生代表の答辞」とやらをする
ことになる。

その年、義務教育課程を終えたのは我が「もいける娘」ひとり。
補習校関係者は在校生はもちろんのこと、その親達も全員出席しており、
壇上に上がったもいける娘はおもむろに答辞原稿を開いて読み始めた。
と、あるくだりに来ると場内に笑い声がさざめいたのである。

「わたしは今から3年後、ポルトガルで高校を終えた後、日本へ行くつもり
です。いえ、行くのではありません、わたしは日本へ帰るのです。」

さざめく笑い声とともに、「おお~!」との声があちこちから響き、横に
いた大阪出身の同僚はひじでわたしを突っつきながら、「あんた!今の娘の
言葉を聞いた?行くんじゃなくて帰るんだってよ!覚悟しときや。」

ポ国で生まれ育ち日本には3年に一度の割で行き、夏休みの一ヶ月ほどを
過ごして来た日本。しかし、その日本へ彼女は「行く」のではなくて、「帰る」
と言うのだ。

その日、わたしは頭から水をぶっかけられでもしたように、意外な娘のなの
言葉にハッとさせられたのである。

これは彼女の、面と向かってはなかなか言い出せなかった、父親への、
実はメッセージでもあったのでした。そして、その父親はと言えば、仕事で
肝心の卒業式には出席できなかったのでありました。

わたしたち母子の、日本の大学受験奮闘はこうして始まったのでした。


その後、どのようにしてモイケル娘が日本行きの切符を手にしたかは、
下記のカテゴリで読むことができますので、興味のある方はどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-6.html
「ズッコケ親子の帰国子女大学受験物語」

日本で大学を終えて会社勤務をした彼女は3年後には大学院で学び結婚
しました。

今回のわたしの帰国の特大イベントは挙式はしないという娘夫婦の記念
写真撮影なのです。わたしの帰国間近の今週土曜日になされます。夫が来ら
れないのは残念ですが、写真が出来次第、スカイプで送る予定です。

娘よ、日本に憧れ夢見ていたあの頃の気持ちを時に思い出して、これから
先の長い人生をポジティブにとらえて歩んでください。

誕生日、おめでとう!

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2018年5月5日

息子が妹のモイケル娘夫婦、従兄達を集めてパーティーができないかなと言う
ので、一年に一度あるかないかのチャンス、しかもわたしがいる時は今しか
ない。それで、昨日息子とパートナーが住むアパートで開催となりました。

ポルトで年に一度日本語学習者と呼んで開催するNihongo wo Hanasu Kaiこと
NHKパーティーと称し7年ほど家庭料理を提供してきたので、そのメニューを
利用してみました。

買い出しをして前日夜に準備できるものは作ってしまい、よく朝つまり昨日の
朝7時には再度、料理に取り組みました。

が、なるべく物を増やさないようにしたい主義の息子、人数分の皿等があるか
どうかと、料理をどうやって運ぶかです。

幸い、彼のアパートが妹宅の同沿線で池袋よりの駅のすぐ側にあるので、食器
類は、自分がポルトガルから持ってきたキャリーバッグに入れ、料理はタッパ
ーに詰め込んで、握りを買って出発です。

左肩に料理の袋をかけ、握りの弁当袋を同じ手に持ち、右手ではキャリーバッ
グを引きづり、今時田舎でも見かけないような格好でした。

ゴールデンウィークで来て欲しくても来れなかった従兄たちもいましたが、
ひょうきんな息子の話に盛り上がって大笑いした愉快なパーティーでした。

jr-party2018.jpg

聞けば我が東京息子、その前日も自宅で友人を集めバーベキューパーティーを
開き、今日は今日で大学関係のバーベキューパーティーに、とのこと。

休暇は旅行などで過ごす息子ですが今回は暇を持て余してか、三日連チャンの
言ってみれば飲み会ではありませんか。

おいおい、息子よ、大丈夫かい?

少しもじっとしていない息子を目の当たりにして、若き我が姿を見た思いで
ありましたとさ。

息子、性格はどこか母親似なところが多いのでありました^^;
ちょっとしんどいのを頑張ってみたら、腰痛は大分軽くなっていました。
あとは椅子の脚にぶつけた右足の中指の完全回復を待つのみ。

さて、明日早朝から車で故郷弘前へ向かいます。桜は散ってしまったけれど、
なぁに、りんごの花があるのだ!それに、高校時代の恩師を始め母校の同窓
生たちが集まってくれる!

ではみなさま、報告は後ほどに。楽しんでまいりますれば。

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