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2019年10月21日 

我が子ら二人が千葉で共同生活していたころは、帰国すると彼らのアパートで寝泊まりし、家事をしながら、二人が仕事をしている日中は、友人に会ったり書店へ出かけたりして、日本の帰国生活を楽しんだものだ。

彼らがそれぞれ独立してからは、所沢の妹夫婦宅に居候させてもらっている。いつも快く受け入れてくれるのが有り難いし、何といっても義弟も含めた日本語での会話が思う存分できるのも嬉しい。

そんな訳で以前のように朝晩子供たちと顔を合わせることはなくなったゆえ、二人の仕事のない週末にできるだけ会うことになる。日本が恋しいのも事実だが、帰国の真の目的は子どもたちの顔を見ることである。

しかし、ポルトに残る留守番役の夫は気の毒だ。
そこで、一族が、と言っても妹家族と我が家族の随分と小規模なで人数でははあるが、合流する時は、夫にはスカイプで参加してもらうことになる。

昨日日曜日、午後3時に子供たちと池袋駅で落ち合い、お茶を飲むことにしたのだが、週末の池袋は、カフェもレストランも人でいっぱいだ。そこで、息子の提案で隣駅の目白でお茶をしようとなった。

多少風邪気味でのどが痛いという息子、ビルの二階にあるカフェのテラス席が小さな声でも話ができるからと、そちらに席を案内してもらったのだが・・・・

座ってすぐ気がついたのは、げ、目の前を電車が通るではないか!
息子のiphoneでスカイプに接続、夫を呼び出し(ポルトは日曜日朝8時)、親子4人でカメラチャットをしたのだが、1分置きぐらいに上り下りの電車が通り、英語、日本語、ポルトガル語が交る我らの会話はひっきりなしの電車通過に阻まれて話しにならない(笑)

familymeeting1_1.jpg
親子3人、夫はスマホの中

それでも久しぶりの家族4人の顔合わせに夫は満足したようだ。
あと三週間の留守番、夫よ、猫たちをよろしく頼みますぞ。

みなさま、本日は東京よりこれにて。
使い慣れぬパソコンゆえ、誤字ミスタイプの類はいつになく多いかもしれませんが、ご勘弁あれ。
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2019年10月18日

しばらく体調が悪かったので、心配していた長旅もいざ出発となると我然元気が出て、無事羽田に到着しました。
羽田からはリムジンバスです。予想していた交通停滞はなく、1時間半で妹たちが迎えに来ていた所沢駅につきました。
時差ぼけもあまりなく、意外と調子がいい日本滞在三日目です。
まだ、こちらで使用する携帯電話の手続きが済んでおらず、ガラケー使用の我が友人たちにはコンタクトができていませんが、今日明日には手続きをすますつもりです。ご連絡、今しばらくお待ち乞う。

取り急ぎ、本日は無事到着のお知らせにて。

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2019年8月15日

ひとしきり古い衣類の整理をして軽く汗をかいた。

インスタントコーヒーを淹れてパソコンの前に座り、ふと横に窓に目をやるとそこから差し込む穏やかな光が台の上に置かれたクリスタルデカンタのプリズムを抜けて壁にきれいな七色の光を放っています。夏休みだというのに外から聞こえる人声もなく、自分のタイピングの軽やかな音だけが空響いています。

1945年の8月15日は、もしかしたらこんな静寂がわたしの国をもおおっていたのかもしれないと。戦争が終わったという安堵とこの先の不安と、絶望と希望と生と死と。しかし、少なくともその日から空から襲ってくるB29を恐れることはもうなかったのです。
わたしたちの祖父母、父母たちはそれからどうしたでしょう。

家屋を失い、親兄弟、子を失い、食料難にあえぎながら、祖父母も父も母もあらゆることをして戦後の日々を生き抜いて来ました。そのたどり着いた先が、今、わたしたちがいる平和と自由の国、日本です。

平和が至極当たり前のことになり、わたしたちは更にもっと自由をと求めます。わたしもそうでした。貧しい生活から抜け出そうともがき、窮屈な社会はいやだ、もっと自由が欲しいと未来を見つめながら歩いてきました。自由、開放感溢れるこの響き!何ものにも代えられないものです。

70代に入ったわたしは、今、昭和という盛夏をまっしぐらに駆け抜けている自分が見える場所に立っています。駆けてくるわたしの後ろには父や母が祖母が見え、そのもっと向こうの歴史には見知らぬ無数の人が続いています。遥かなる歴史が脈々と今のわたしに繋がっているのを見るような気がします。

その歴史の中の人々が、正誤を繰り返しては今の平和と自由の礎を積んできたのです。

歴史は、緻密な一枚の織物のようだとわたしは思います。見る方角によっては、その色合いや光沢が変わる織物です。種々の事情、状況が絡み合い、わたし達が目にするのは出来上がった一枚の歴史という布です。その布を織り成す一筋一筋の糸を引きほどいていかないと真実に近いものは見えない。

人が、国が過ちを犯さないことがあるでしょうか。過ちもまた一つの歴史で、わたしたちはそれから学び賢くなって行かなければなりません。誤ったからとていつまでも石で打つのは酷というものでしょう。が、際限もなく石で打ち続ける敗戦利得者はいるものです。世界は物事を平和に解決しようとするどころか、腹黒いのです。

インターネットが広く普及した今日、わたしたちはその気になれば、これまでの歴史、特に現代史に関して、おびただしい情報を手に入れることができます。それらを情報源に更なる詳細を論説する著書を読むこともできるわけです。

そうして自国の現代史について出来る限りたくさんの情報を手繰り、それを自分で分析し、考える必要があると思います。押し付けられた一方的な歴史観ほど愚なものはないと考えます。

今、わたしたちが甘受する平和と自由は過去の正誤の歴史を通して与えられたのです。一度手にした平和と自由を再び手放さないために、わたしたちは何をしなければならのか。

「戦いを避けるために譲歩しても、結局は戦いを避けることは出来ない。なぜなら譲歩しても相手は満足せず、譲歩するあなたに敬意を感じなくなり、より多くを奪おうと考えるからである」

これはマキアベリの言葉ですが、中国、ロシア、北朝鮮、韓国の狡猾な周辺国をもつ日本は、今のままでは暗澹とした将来しか見えず、自国防衛もままならない状況に心が騒ぎます。永世中立国のスイスですら、いざという時に祖国防衛ができるように軍事組織を持っています。

有事の時にも無抵抗で侵略されるがままを平和維持だとわたしは思いません。それはウクライナやチベットの無抵抗な国がどうなったかを見れば分かることです。では、闘うのを厭うなら、闘わずとも平和と自由が維持できる、自国を守れる叡智を見つけなければならないのですが、今こそ母国に必要とされるその叡智とはなんなのか。

ロシアや中国のような侵略の武器としてではなく、自分の国は自分で守るという自国防衛のための軍事力が日本に必要だとは、やられっ放しはイヤだと思うわたしの考えです。

74年前の8月15日終戦の日、異国の夕暮れ時、静寂の中にて思ったままを綴ってみました。
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2019年5月3日 

時代が令和に入り、日常生活で、特に海外に住んでいると、だからと言って何かが変わると言うわけではないのですが、一つことにけじめをつけて再出発することにより、希望のようなものを感じるのは、私たち日本人の特質だと思います。

ポルトガルでは「令和」を「Bela Harmonia(美しき調和)」と言っており、平和が成就した前時代に続き美しき調和を保つ国に、是非ともなって欲しいと願わずにはおれらません。

昨夜はアベイロに住む義姉が電話をかけて来、新天皇即位の様子をテレビで見たのだが、あの長い箱や四角い箱は、いったい何なのか。Ze(彼女の弟、我が夫の兄)とも電話で話していたのだが」と問い合わせがありました。

jingi1.jpg
wikiより
日本の歴代天皇が継承してきた、天照大神がニニギノミコトに授けたと言われる三種の神器(さんしゅのじんぎ)のことです。と言っても、勾玉(まがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)の三種のうち、儀式に登場した本物は勾玉だけで、あとの二つは形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカなのだそうです。

jingi2.png
wikiより

若い頃、わたしは三種の神器は安徳天皇と共に海底に沈んだと思い違いをしていましたが、鏡と勾玉は源氏により拾われ、剣は水没したため皇居に現存する草薙剣は形代だと説明されています。

日本語学習者と平家物語の「敦盛」「扇の的」「木曽の最後」などの断片を読むと、どうしても説明をすることになる平家一族の最後なのですが、壇ノ浦の戦いの段で三種の神器の行方について話すことになりますので、わずかながら、即位儀式を見た義姉に説明できたのでした。

さて、1979年(昭和54年)以来、ずっとポルトに在住しているわたしですので、昭和の時代末期から始まったバブル景気は体験しておらず、ただただ横目で眺めておりました。

若い日本女性がパリのブティックで高価なブランド物を買い集めるという話は度々ニュースにのぼり、
「ひゃ~、どっからあんなお金がでてくるんだろねぇ」と思ったものです。

バブル景気とグローバリズムで辺鄙だったポルトガルにも日本企業が進出し、その当時にポルト補習校も創立され、以来、わたしはそこに携わってきましたが、企業関係のみなさんの羽振りには目を見張るものがありました。Japan ナンバー1の時代です。

上りつく後に来るのは下りです。諸行無常、盛者必衰の理、おごれる者も久しからずと、世は平家物語の序文と少しも変わらないのです。昭和天皇崩御と時をほぼ同じくして始まったバブル崩壊、そして、日本社会に大きな変化が訪れました。

その社会変化を目の当たりにしていないもので、我がモイケル娘にわたしが話して聞かせたわたしの1970年代の日本OL時代の体験話は、彼女を日本に憧れるところに導いてしまったのですが、後に彼女曰く、おっかさんから聞いていた日本と違うぞ・・・・さもありなん。

平成が終わった今、戦争がなく平和な時代だった、との言葉を耳にしながら、思うのです。64年の昭和に比べてその半分、30年の平成でしたが、外から見てきたわたしからすると、日本国内はカオスめいた時代でもあったのではないか。大きく口を開けたなんでも飲み込む混沌。

昨今の日本で起きた大小様々な事件や出来事を耳にするたびに、この束の間の、似非平和の後にやってくるものが、怖い気がするのです。60年の昭和時代に培われてきたものが使い果たされつつ、日本人の殊勝な性格が、お金に例えれば、その性格の貯金がなくなってきてるのではないか。

世代が違うと言ってしまえばお終いだが、海外の小さな日本人社会を見ていても、かつて、海外から称賛された日本人の殊勝な性格、心がけは消えつつあるような気がしているわたしである。

平成は、日本人の価値観が変わった時代だとわたしは思う。
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2019年4月4日 

4月1日に新年号が発表されたが、その「令和」についてメディア、コメンテーター、その他がやけにかまびすしい。

新元号「令和」の出典は『万葉集』巻五、書き出し文だそうで、これまでは中国の古典から採用されてきたのだが、今回のように日本の古典が出拠となったのは初めてだと言う。また、元号の漢字として「令」が使用されるのも初めてだとのこと。

古来、物事にけじめをつけて新しく出発することを好むわたしたち日本人だ、元号が変わったからとて、周囲を取り巻く物事が即変わるわけではないが、これまで惰性でしてきたことにも新たな気持ちで取り組もうとの考えは、日本人の性格ではないかと思う。新年の祝い、入学式、卒業式とわたしたちは人生に節目をつけて新たな出発をしてきた。皇位の継承に伴う改元に新たな思いを託して新時代の到来を迎えるのだ。

ところがだ、新元号の発表があるや否や、「令は命令の令だ」「号令の令だ」「巧言令色の令だ」と、負のイメージがある言葉を羅列し、政府の決定に文句たらたらの輩が多い。

ひどいのになると、下の画像の赤部分を取り上げて(カタカナの「アベ」?よく分からぬが)「安倍の名前が含まれている。忖度だ!」と言い出す始末で、ここまで来ると開いた口がふさがらぬ。 ア○か(すみません)。

reiwa1.jpg
Wikiより

「令」については、漢和辞典を紐解いてわたしはその意味を確認した。政府もきちんと元号の説明をしているのだが、命令だ、号令だと騒ぐ人達は、果たして意味を再確認したのか。

「令」は「よい」という意味の雅語、古語でもある。海外メディアに向ける外務省の英訳は「beartuful, harmony」である。それをあたかも、命令の令だ、従わせて和を作ろうと言う意味だ、などと煽動している輩には、ほとほと愛想がつきる。

公で口に出す前に、日本人だろう、漢字の意味を確認してから言え、勉強不足だろ!と、ここ数日、わたしはげんなりしているのである。
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