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2019年8月15日

ひとしきり古い衣類の整理をして軽く汗をかいた。

インスタントコーヒーを淹れてパソコンの前に座り、ふと横に窓に目をやるとそこから差し込む穏やかな光が台の上に置かれたクリスタルデカンタのプリズムを抜けて壁にきれいな七色の光を放っています。夏休みだというのに外から聞こえる人声もなく、自分のタイピングの軽やかな音だけが空響いています。

1945年の8月15日は、もしかしたらこんな静寂がわたしの国をもおおっていたのかもしれないと。戦争が終わったという安堵とこの先の不安と、絶望と希望と生と死と。しかし、少なくともその日から空から襲ってくるB29を恐れることはもうなかったのです。
わたしたちの祖父母、父母たちはそれからどうしたでしょう。

家屋を失い、親兄弟、子を失い、食料難にあえぎながら、祖父母も父も母もあらゆることをして戦後の日々を生き抜いて来ました。そのたどり着いた先が、今、わたしたちがいる平和と自由の国、日本です。

平和が至極当たり前のことになり、わたしたちは更にもっと自由をと求めます。わたしもそうでした。貧しい生活から抜け出そうともがき、窮屈な社会はいやだ、もっと自由が欲しいと未来を見つめながら歩いてきました。自由、開放感溢れるこの響き!何ものにも代えられないものです。

70代に入ったわたしは、今、昭和という盛夏をまっしぐらに駆け抜けている自分が見える場所に立っています。駆けてくるわたしの後ろには父や母が祖母が見え、そのもっと向こうの歴史には見知らぬ無数の人が続いています。遥かなる歴史が脈々と今のわたしに繋がっているのを見るような気がします。

その歴史の中の人々が、正誤を繰り返しては今の平和と自由の礎を積んできたのです。

歴史は、緻密な一枚の織物のようだとわたしは思います。見る方角によっては、その色合いや光沢が変わる織物です。種々の事情、状況が絡み合い、わたし達が目にするのは出来上がった一枚の歴史という布です。その布を織り成す一筋一筋の糸を引きほどいていかないと真実に近いものは見えない。

人が、国が過ちを犯さないことがあるでしょうか。過ちもまた一つの歴史で、わたしたちはそれから学び賢くなって行かなければなりません。誤ったからとていつまでも石で打つのは酷というものでしょう。が、際限もなく石で打ち続ける敗戦利得者はいるものです。世界は物事を平和に解決しようとするどころか、腹黒いのです。

インターネットが広く普及した今日、わたしたちはその気になれば、これまでの歴史、特に現代史に関して、おびただしい情報を手に入れることができます。それらを情報源に更なる詳細を論説する著書を読むこともできるわけです。

そうして自国の現代史について出来る限りたくさんの情報を手繰り、それを自分で分析し、考える必要があると思います。押し付けられた一方的な歴史観ほど愚なものはないと考えます。

今、わたしたちが甘受する平和と自由は過去の正誤の歴史を通して与えられたのです。一度手にした平和と自由を再び手放さないために、わたしたちは何をしなければならのか。

「戦いを避けるために譲歩しても、結局は戦いを避けることは出来ない。なぜなら譲歩しても相手は満足せず、譲歩するあなたに敬意を感じなくなり、より多くを奪おうと考えるからである」

これはマキアベリの言葉ですが、中国、ロシア、北朝鮮、韓国の狡猾な周辺国をもつ日本は、今のままでは暗澹とした将来しか見えず、自国防衛もままならない状況に心が騒ぎます。永世中立国のスイスですら、いざという時に祖国防衛ができるように軍事組織を持っています。

有事の時にも無抵抗で侵略されるがままを平和維持だとわたしは思いません。それはウクライナやチベットの無抵抗な国がどうなったかを見れば分かることです。では、闘うのを厭うなら、闘わずとも平和と自由が維持できる、自国を守れる叡智を見つけなければならないのですが、今こそ母国に必要とされるその叡智とはなんなのか。

ロシアや中国のような侵略の武器としてではなく、自分の国は自分で守るという自国防衛のための軍事力が日本に必要だとは、やられっ放しはイヤだと思うわたしの考えです。

74年前の8月15日終戦の日、異国の夕暮れ時、静寂の中にて思ったままを綴ってみました。
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2019年5月3日 

時代が令和に入り、日常生活で、特に海外に住んでいると、だからと言って何かが変わると言うわけではないのですが、一つことにけじめをつけて再出発することにより、希望のようなものを感じるのは、私たち日本人の特質だと思います。

ポルトガルでは「令和」を「Bela Harmonia(美しき調和)」と言っており、平和が成就した前時代に続き美しき調和を保つ国に、是非ともなって欲しいと願わずにはおれらません。

昨夜はアベイロに住む義姉が電話をかけて来、新天皇即位の様子をテレビで見たのだが、あの長い箱や四角い箱は、いったい何なのか。Ze(彼女の弟、我が夫の兄)とも電話で話していたのだが」と問い合わせがありました。

jingi1.jpg
wikiより
日本の歴代天皇が継承してきた、天照大神がニニギノミコトに授けたと言われる三種の神器(さんしゅのじんぎ)のことです。と言っても、勾玉(まがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)の三種のうち、儀式に登場した本物は勾玉だけで、あとの二つは形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカなのだそうです。

jingi2.png
wikiより

若い頃、わたしは三種の神器は安徳天皇と共に海底に沈んだと思い違いをしていましたが、鏡と勾玉は源氏により拾われ、剣は水没したため皇居に現存する草薙剣は形代だと説明されています。

日本語学習者と平家物語の「敦盛」「扇の的」「木曽の最後」などの断片を読むと、どうしても説明をすることになる平家一族の最後なのですが、壇ノ浦の戦いの段で三種の神器の行方について話すことになりますので、わずかながら、即位儀式を見た義姉に説明できたのでした。

さて、1979年(昭和54年)以来、ずっとポルトに在住しているわたしですので、昭和の時代末期から始まったバブル景気は体験しておらず、ただただ横目で眺めておりました。

若い日本女性がパリのブティックで高価なブランド物を買い集めるという話は度々ニュースにのぼり、
「ひゃ~、どっからあんなお金がでてくるんだろねぇ」と思ったものです。

バブル景気とグローバリズムで辺鄙だったポルトガルにも日本企業が進出し、その当時にポルト補習校も創立され、以来、わたしはそこに携わってきましたが、企業関係のみなさんの羽振りには目を見張るものがありました。Japan ナンバー1の時代です。

上りつく後に来るのは下りです。諸行無常、盛者必衰の理、おごれる者も久しからずと、世は平家物語の序文と少しも変わらないのです。昭和天皇崩御と時をほぼ同じくして始まったバブル崩壊、そして、日本社会に大きな変化が訪れました。

その社会変化を目の当たりにしていないもので、我がモイケル娘にわたしが話して聞かせたわたしの1970年代の日本OL時代の体験話は、彼女を日本に憧れるところに導いてしまったのですが、後に彼女曰く、おっかさんから聞いていた日本と違うぞ・・・・さもありなん。

平成が終わった今、戦争がなく平和な時代だった、との言葉を耳にしながら、思うのです。64年の昭和に比べてその半分、30年の平成でしたが、外から見てきたわたしからすると、日本国内はカオスめいた時代でもあったのではないか。大きく口を開けたなんでも飲み込む混沌。

昨今の日本で起きた大小様々な事件や出来事を耳にするたびに、この束の間の、似非平和の後にやってくるものが、怖い気がするのです。60年の昭和時代に培われてきたものが使い果たされつつ、日本人の殊勝な性格が、お金に例えれば、その性格の貯金がなくなってきてるのではないか。

世代が違うと言ってしまえばお終いだが、海外の小さな日本人社会を見ていても、かつて、海外から称賛された日本人の殊勝な性格、心がけは消えつつあるような気がしているわたしである。

平成は、日本人の価値観が変わった時代だとわたしは思う。
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2019年4月4日 

4月1日に新年号が発表されたが、その「令和」についてメディア、コメンテーター、その他がやけにかまびすしい。

新元号「令和」の出典は『万葉集』巻五、書き出し文だそうで、これまでは中国の古典から採用されてきたのだが、今回のように日本の古典が出拠となったのは初めてだと言う。また、元号の漢字として「令」が使用されるのも初めてだとのこと。

古来、物事にけじめをつけて新しく出発することを好むわたしたち日本人だ、元号が変わったからとて、周囲を取り巻く物事が即変わるわけではないが、これまで惰性でしてきたことにも新たな気持ちで取り組もうとの考えは、日本人の性格ではないかと思う。新年の祝い、入学式、卒業式とわたしたちは人生に節目をつけて新たな出発をしてきた。皇位の継承に伴う改元に新たな思いを託して新時代の到来を迎えるのだ。

ところがだ、新元号の発表があるや否や、「令は命令の令だ」「号令の令だ」「巧言令色の令だ」と、負のイメージがある言葉を羅列し、政府の決定に文句たらたらの輩が多い。

ひどいのになると、下の画像の赤部分を取り上げて(カタカナの「アベ」?よく分からぬが)「安倍の名前が含まれている。忖度だ!」と言い出す始末で、ここまで来ると開いた口がふさがらぬ。 ア○か(すみません)。

reiwa1.jpg
Wikiより

「令」については、漢和辞典を紐解いてわたしはその意味を確認した。政府もきちんと元号の説明をしているのだが、命令だ、号令だと騒ぐ人達は、果たして意味を再確認したのか。

「令」は「よい」という意味の雅語、古語でもある。海外メディアに向ける外務省の英訳は「beartuful, harmony」である。それをあたかも、命令の令だ、従わせて和を作ろうと言う意味だ、などと煽動している輩には、ほとほと愛想がつきる。

公で口に出す前に、日本人だろう、漢字の意味を確認してから言え、勉強不足だろ!と、ここ数日、わたしはげんなりしているのである。
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2019年3月22日 

2、3日前に読んだネット新聞の記事に「小学校卒業式のはかまに賛否両論」というのがありました。一瞬「大学卒業式」の間違いではないのか?と思ったのですが、どうやらそれは数年前から流行していて、エスカレートして華美になりすぎなのではないか、いや、服装は人の自由だ、親や子どもに任せていいと両論が巻き起こっているのだそうだ。

小学校卒業に袴?となんだか納得いかない気がするのだが、このニュースを読んだとき、かれこれ10年も前の我がモイケル娘の大学卒業式のことを思い出した。

諸事情は置いておくとして、思っていたのと違うと言い出し、早稲田大学を2年で退学して九州の公立大学3年に編入したモイケル娘が、卒論を書きながら翌春に備えていたある日のこと、スカイプでこんなことを言って来た。

「卒業式に出るの辞めようかなと思ってる。」

東京にある会社に就職したので卒業前に東京に出てアパート探しをしなければならないし、場合によっては今の下関のアパートを出払っていることも十分考えらる。すると、卒業式出席のためにその日に合わせて東京から往復の電車代がかかる。そうでなくても、引越しや就職でこれから色々物入りなのだから、お金がもったいない。これが理由のひとつ。

そして彼女に卒業式出席を見送ろうかと言わせるもうひとつの理由が、これもお金がかかる「卒業式の服装の着物、袴」のレンタル料金だった。
「おっかさん、着付けやらなんやらと入れると、最低5万はかかる。往復の電車代も併せたらそれだけで10万になるよ。」

たった一日で10万!
う~~ん@@ と、母はうろたえる(笑)

今まで学生だったので適当に間に合わせられた服装も、社会人になったらそうも行くまい、バシッとカッコよくブランドもののスーツでキメよとは言わないが、10万つったら、うまくいけば、会社用のスーツが2着買えるかもしれない。

「卒業式は一生に一度のことだから、それくらいだったら」と出す親は世間にたくさんいるのだろう。

一生に一度の七五三、一生に一度の大学卒業式、一生に一度の成人式、と、一生に一度のことは結構多いわたしたちの人生だ。

ぶっちゃけて言うと、わたしは上記のお祝いのどれにも縁が無く晴れ着など着たことがない。都会での一人暮らしの身には成人式のレンタル着物も、とてもではないが手が出なかったくらいだ。

それで、モイケル娘の成人式のときには晴れ着姿を見たいなぁ、きっと綺麗だろうなぁ、と一人前の親心で、 ネットでレンタル料を検索したのだが、いやぁ、これがやはりわたしからすると「たった一日で!」となる高額よ。(笑)

娘もいじらしくも「別にいらない。お金がもったいないよ。」と言ってくれる。一生に一度の成人式の晴れ着、着せてあげたいな、とは思ったものの昨今の厳かさをともわない成人式の話を多々耳にしていたことも手伝って、結局娘は成人式に着物を着ることはなかった。成人式にも出席しなかったと思う。

ポルトガルでは小学校、その後のリセウはもちろんのこと、大学も卒業式なるものは耳にしない。人生の節目節目にけじめをつけて、新たな気持ちで新しいような人生のスタートを切る、というような考えはないようで、高校も大学もいつの間にか知らないうちに「あれ?卒業したの?」てな具合だ。

ポルトガル人の夫と息子は、「けじめをつけるって、じゃ、明日から人生全部変わるの?人は変わるの?」と、日本人としてはカチンとくるような屁理屈をのたまう。

そん調子だが、一度は晩御飯の席で、かくかくしかじか、卒業式に多くの女生徒が着るであろう着物、袴の話少し話題にしてみた。

「確かに10万はもったいない気がわたしもするんだけれどね・・・」と言うと、
夫、「うん。買ったらどれくらいになるの?」・・・・・・

ご~~~んと、頭の金が、いや鐘が鳴り響き、しばし絶句の妻であった(笑)お主、な~んも知らんよのぉ。^^;着物、買うってかい!振袖買うってかい!
着物事情を知らない夫は10数万位で買える思ったのであろう、「それなら、少しがんばって卒業祝いに買ってあげてもいい。可愛い娘のことだ」と。

あぁた、いい物でなくたって、高いの。それに付属品も高いんですぅ。第一、そうやって買った振袖も、後何回着られるか分かりゃしない。結婚したら振袖は着られないのだ。海外ならごまかしが聞くけどw。と、これには仮に夫が買ってあげると言っても、わたしは反対だ。

ネットで調べると、業界は各大学卒業式に向けて、大学でレンタル着物出張展や当日は着付け出張もするらしい。ふ~~ん。とすると、近年着物の需要が減ってきた業界も、この時期は助かるわけであろうか。しかし、みながみな、レンタル料を払う余裕があるわけではない。苦しい思いで大学卒業にこぎつける人もいるわけで。

わたしが思ったのは、卒業式でもも、社会人になってからでも着用できるようなセンスを持つ服を着るのはどうなの?である。 まぁ、自分の都合ばかり見て考えたことではあるが、今の日本の大学というもの、人と同じようにしようとすれば、最後の最後までお金のかかることではあるわい。

娘の卒業まで、まだ時間があるので、もう少し考えてみようと思うが。そうねぇ、 袴姿の娘も見てみたい気がするし、それを辞めて我が道を行く娘をみるのも逞しい気がする。
大学4年生夏の就職活動からその後の東京への引越しまで、いやはやホントに出費が重なる上に、息子まで日本へ送り出したものゆえ、ホイホイと貸衣装代を出せない甲斐性のない親に遠慮してか、「わたしはスーツ姿で出席する」と娘は決めていた。

結局その後、どうなったのかと言うと、モイケル娘がスカイプで送ってきた卒業式当日の写真を見て、あれ?き、着てるじゃん、袴!(爆)

実は友だちの母上様のお知り合いに着付けやさんがおり、それで用意してくれたのだそうだ。こういう時に「いえ、結構です。」とお断りすると、物事にカドがたつ。あり難くしていただきました。
 
式場へ向かう途中の彼女のケータイにメッセージを送ると、生まれて初めて着物の類を着る娘、「お腹がくるしぃ~。車に一人で乗れなくて人に手伝ってもらった^^;」

さもありなん(笑)着物を着て車に乗るのは帯も邪魔になり裾にも気を配らないといけないし、楽ではないのである。
ちょっと写真の足元が気になるが、着慣れていないのだから仕方ない(笑) 

「楽しんでくるね!」(おいおい、卒業式は厳かなものなのだぞw)とのレスの文字も、なぜか躍っているように見えたものだ。

無理をすれば、「卒業に袴」の人並みのことをしてあげられなくはなかったのだが・・・
職場の補習校でこの話を出したときに、「わたしが親ならしてあげますよ。」との同僚の言葉が少し胸にひっかかりながらも、「袴の貸衣装代があれば、会社勤めに必要なスーツがもう一着買える。両方はできないから、自分でどちらか決めてね。」と言い渡したのであった。

娘よ、人並みに親に何かをしてもらえ、人並みに自分も何かができる、ということは幸せのひとつだと言うことを心に刻んでほしい。この「人並みに」が、したくてもできない人もたくさんおるのだよ。2008年の春のことであった。
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2019年1月9日
 
わたしはスリッパを履くのが好きではないタイプです。根がそそっかしいもので、つまずいて転ぶのではないかと、どうもそんな気がしてならないのです。それで、スリッパをどうぞとすすめられても断るのが常です。
では、自宅ではどうしてるのかと言うと、夏は素足です。寒くなると、足に心地よくて外で履き古し、まだ履けるという靴を洗って室内履きにしています。

それが、この冬、日本に帰国して、厚めの靴下を履いていても、ひゃ~、床が冷たいやん!と、思わず妹が出してくれたスリッパに手を出さないわけにはいきませんでした。

ポルトガルの冬は湿気があり日本の冬は乾燥気候であることを忘れたわけではないのですが、同じ気温でも、乾燥気候では空気が人一倍冷たく感じられるのですね。いやはや、40年ぶりの冬の帰国はわたしに浦島太郎の如ごとき思いを抱かせるに十分な年月ではありましょう。

下は妹宅の新年を迎えるためのささやかな松飾りですが、住宅街のご近所でこのように門松や松飾りをしている所はあまり見かけませんでした。

New year

妹一家もここに住んで40年近く。昔と違い、最近は近所で松飾りをする家もほとんどないのだとのこと。

今回、正月前に都内で会った友人Iさんが言うには、「ゆうさんが想像している昔の正月とは、ちょっと違うかもよ」との言葉に、なるほど、変わったんだなぁと思わずにおられませんでした。異国でわたしが夢見てきた正月は、子ども時代を過ごした弘前のそれであり、恐らく地方ではまだ昔ながらの正月が見られると思うのですが、果たしてどうでしょうか。

除夜の鐘は年越し蕎麦をいただいた後、家の玄関口へ出てかすかに聞くことができました。これもまた
想像外だったなぁ(笑) ご~~んご~~んとの響きを聞きながら床に入り、新年に思いを馳せる予定だったんだが^^;

高価なおせち料理だけではお腹が足りないので、妹宅では筑前煮を作りました。

New year

取り寄せた京都のおせちと妹が津軽塗りの二段重箱に装ったおせちとサーモン、シソの葉、イクラの簡単ちらし寿司。

New year

下はこれがなくては元旦が始まらぬ、お屠蘇でござる。

New year

これらだけでも、お正月の時期に帰国した甲斐があったというものです。

玄関の葉牡丹の寄せ植えが清清しい。
New year

心配していたほどの時差ぼけもなく、我が家の猫も外猫たちも元気で一安心。
明日は仕事始めです。
みなさまにとり、いい1年になりますよう、願っております。

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