2018年1月31日 

ラジオ放送に初めて出演したのは2005年10月。今回同様NHKさんの「地球ラジオ」でした。

今から13年も昔かと思うと、今更ながら自分の声にちょっと不安がないでもないのですが、引き受けちゃったし行くっきゃない。きっとわたしをお誘いした人、まさか七十路とは思わなかったと想像するなり(笑)

さて、この年は我がラジオ出演デビューだったわけですが、初めてなもので、年甲斐もなく我がホームページの前宣伝でワイワイ騒ぎ、放送後もネット友達が盛り上げてくれ、我が思い出の楽しい一こまになりました。初心者ゆえ更新に四苦八苦したわたしの最初のホームページ、「Radio Day」と題して永久保存していますが、それは明日にでも紹介しましょう。

二度目の出演依頼が来たときのこと、日本にいるモイケル娘にその話をすると、彼女の第一声が、
「おっかさん。またキャスターの人、あ、とか、え、とかで終わらないといいけど・・・」

ネット友のなみちゃんまでが、掲示板に「早口に気をつけてね~」とだと^^; き、君らに言われんでもちゃんと自覚してますわい(笑)

で、初回がどんな状態だったかといいますと、自戒の意味も含めて、下記、過去日記をひっぱりだして再現いたします(笑)

ー以下、過去日記引用

2005年10月9日(日曜日)
「おっかさん、キャスターが「ハ、ハァ・・・」としか相槌を入れられないくらい、喋ってた・・・」と、呆れたようにモイケル娘に言われました(爆)

いえね、頭の中では分かってましたんです^^;でも、「ポルトの街」は3分間、「路面電車」は3分半と制限時間がありまして^^; で、喋りだしたら、全部話したいと、とどまるところを知らない(爆)

もう一つは、インタビューが始まる数分前に、電話をつないで、アナウンサーの声がよく聞こえるかどうかの確認があったのですね。そのとき、「もちょっと大きいほうがいいです」と頼みましたら、受話器を
通した向こうから、「あ、すみません、いつもより大きくしてください」と声が聞こえて来たw

うわ!わたしゃ普通の人より耳が遠いのか、と(笑) 確かにね、眼鏡をかけないとちゃんと人の言うのが聞こえないことが多いのでありまして。

それを聴いちゃぁ、ほんまはもうちっと大きくしてもらいたかったんですけど、なんだか頼めなくなっちまった(笑)で、受話器を通して、一応キャスターの声はきちんと聞こえていたのですが、少し遠くからの感(笑)こういうのって多少不安なんであります。

そんな感じでしたので、まぁ、相槌も入れさせないで、コメントのがちんこ塾長さんの言葉を借りれば「滑舌」、かんちがいさんの言葉では「怒濤の話しぶり」に突入してしまいましたっけ^^;キャスターの後藤さん荒川さん、大変失礼いたしました。どうぞご勘弁を。

かんちがいさんのカキコ「怒涛の話しぶり」にも、ギクッ(笑)や、やっぱりそうやったかぁ、てな感じでしたわ(笑)

それにしても、声だけ聴くと実年齢よりかなり若いとはこりゃ!だれだい!(爆)

ミーシャさん、かんちがいさんのネットチームワークのおかげさまで、今回はたくさんの方にお知らせしていただき、また、「聴きました」とのご報告をいただきました。本当にありがとうございます。
これを機会に、ポルトガル、ポルトと言う「遠くて近しい国」に少し興味を持っていただけたら、嬉しいことはございません。

ところで、放送のインタビューが終わって受話器を置いたわたし、本当は膝がガクガク震えたのでした(爆)いや、ほんまに、ビアハウスで歌い始めた最初のころの、あの懐かしい新鮮な感覚を昨日は久しく思い出しました。

ビア・ハウス時代、いつも一緒に歌っていた先輩の宝嬢がお休みで、ひとりでステージをこなさなければならないとなった初めての日。たくさんの常連さんの手助けで、日に三回あるステージの最初の一回を、「アイン・プローズィット=ドイツ語で乾杯の意味)」でしめくくり、一通り終えて、心臓バクバク膝がガクガクでステージを一歩踏み出して降りた時・・・・

スッテンコロリン、皆さんの前でこけてしまった歌姫でありました^^;あの頃も今も、人間ていくつになっても本質は大してかわらないのかもなぁ。

ということで、放送のお祭はとにかく終わり、一件落着。みなさま、またいつもの通り、よろしくお付き合いください。と、こんな感じで、放送された番組を自分で聴くのが我ながら恐ろしくて、記念になるはずのmp3もダウンロードしないままで終わりましたとさ(笑)

引用終わりー

さて、当時2度目の放送の打ち合わせもだいたい済んだところで今日モイケル娘に、「係りの人から、リポーターのようにどんどん話を進めていいですと言われたよ」というと、

娘 「そ、それはおっかさんがどんだけ喋るか知らんからじゃw」

が~~~ん!5年もたってるのに、まだ「おっかさん、しゃべりすぎた」のトラウマが抜けてないのだね、もいちゃん(笑)おっし!今回は落ち着きのYukoで行くわヨン!


と、これが大分前のことであります。今回は声よりも耳が心配かもだ・・・^^;

ということで、皆様、無事を祈ってくださいませ。

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2018年1月30日 

遅延原稿提出、鍵持ち忘れの締め出し事件、2時間半の特別日本語授業準備、そして土曜日午後が生徒たちの漢字検定試験場への付き添いとハードだった一週間が終わりました。

が、今週は通常週二回のマセラッティの君の日本語授業が毎日入ったのと、ただ今、NHKのラジオ出演のため、色々下調べをしているのとで、今週も落ち着かない毎日です。

放送は2月3日、今週の土曜日の日本時間5時からのNHK番組「地球ラジオ」のプログラム「イチメン」です。

日本のラジオ放送には2005年に初めてNHKさんから依頼があって2、3回出演していますが、その後、東京FM、九州朝日放送からも出演が舞い込み、その都度、失敗如きをしでかして、恥じ入るばかりでした。

最後が今回と同じ番組で、2010年の地球ラジオで、こんな具合でした。

2010年7月12日 ラジオ出演裏話

昨日の朝は、さっさと猫にご飯を食べさせ、インタビューが始まる前に猫たちを電話のある玄関ホールから締め出し。だってそうでしょ? 5匹もいる猫です、インタビューを受けて話している最中に、猫同士が騒ぎ出したり追いかけっこしたりして、わたしの元に逃げて来て、その足がうっかり受信ボタンにでも乗ってごらんなさい・・・こういうことは、電話で話しているとき、日常的に起こっているのです。

それに、番組中に夫が起きだして、部屋からホールに続くドアをうっかり開け、ねぼけ眼で「Ohayo」なんてきたら、生放送ですから、そのまま筒抜けです。 テレビ、その他の音源は切ってくださいとお願いされています。これも音源です。

そこで、事故防止のため、直前にドアに「On Airにつき、Do not open the door!」の張り紙をいたしました^^モイケル娘にこれを話しましたら、「おっかさん、せめて、Do Not enter ,Pleaseで行こうよ」諭されましたっけ^^;
い、いや、だからね、さほどに気が急いてたもので、もともとがたいしたことない英語、そうなっちゃったのよん^^;

そうして始まった地球ラジオ出演でしたが、みなさま、聴いていただきありがとうございました。

実はあれ、原稿どおりではありませんでした(笑)
当初の原稿はいたってまじめなもので、そのまま行くつもりでしたが、わたしの前に出演したのオーストラリアさんの語り口がなかなか面白かったので、「あら、なんだ。こんな風でよかったのん?それならわたし、地で行けるわん」と急遽、原稿そっちのけで、しゃべりに入りましたw

そんなわけで最後にもうひとつ、話す予定のトピックが用意されていたのですが、そこまでたどりつけず、時間切れのとっつばれ!(=津軽弁で終わりの意味)

でも、ひとつ、「ゲタの君」こと「がっぱさん」のコメントのご指摘で気づいたのですが、配慮に欠けた言葉があったのが「ドウロ川」!この言葉、自分の頭の中では「知ってて当たり前」になっていて、つい注意を怠ってしまいました。

ポルトを知っている人、またわたしのブログに遊びに来る人には、なじみの言葉ですが、知らない人には「道路側」と聞こえても恨めませんわ(笑)
「文は聴く人が聴いて分かるように」という作文を書くにあたっての自分の原則を作っているのですが、「ドウロ川」を今回はすっかり忘れました!アカンやん、これ・・・・・^^;

さて、こんなことを書いておりましたら、仕事が退けて帰宅したモイケル娘、スカイプに上がってきて言うには、「今日は、会社で面白いことがあった!」

いつもはつまんねぇと言ってる娘、ん?どんなことがあったのかとおっかさんは訊ねる。

「会社の広報の人がうちのショに来て、モイケルさんのお母さんてユーコさん?」と聞いてきた。「げ!ホームページでも見つかったか!」と思ったら、どうやら昨日の地球ラジオを聴いたらしい。ポルトガル、それに、あまり聞かない苗字からして、ひょっとして、と確認にきたらしい。

で、モイケル娘がわたしに言うことにゃ、
「○○(←我が苗字)は下手なことができないね」
そりゃそうだす。全国でも130人くらいしかいないと言われているのであります、娘よ。
・・・・・・・・・・

5年前(2005年)に出演したときは、ある日突然、手紙が舞い込み、「え~っと、あれ?」と知ったような知らないような名前に頭を傾げて封を開いてみると、

「○○さん、びっくりしました。今日ラジオを聴いていたら、突然、この苗字!めったにある苗字ではないので覚えています。40年ぶりの遭遇にただただ驚いています。しかもポルトガルにいたとは!」と、差出人は、弘前の我が母校、南高校時代の同窓生の女性でした。

そんなこんなで、長崎からもそして、昨年初秋の帰国時に40数年ぶりに再会した我が永遠のペンフレンド、今はメールフレンドのAさんからも、連絡を怠ったにも拘わらず「聞きましたよ」とメールが届きました。

もしかして、他にも会うことなくして何十年なんて知人がわずか数分の放送ですが、それを聴いたかもしれないと思うと、電波の力の素晴らしさ、そして珍しい苗字のありがたさに今更のように感心しているのであります。

ほんと、モイケル娘ではありませんが、これじゃ下手なことができない^^;
ということで、聴いてくださったみなさま、ありがとうございました!

こちらは、2007年6月13日

6月6日に出演した九州朝日放送KBC番組生放送ですが、放送内容をmp3ファイルで送ってくださいました。

しかし、聴いてみてやはり気恥ずかしかったのが正直な感想です。そして、思ったのが、自分が時々国際電話で話す際に、受話器を通して聴く妹の声に、なんとまぁ似ていること!

自分たち姉妹はそう思わないのですが、どうもかなり似てきる姉妹らしいです。帰国して所沢の妹宅に滞在するたびに、外を出歩くとわたしの見知らぬ人たちが何人も挨拶して行くのには毎度戸惑っているのです。

二人して歩いているときなどは、あれれ?と皆さんの戸惑っている様子がうかがわれます。
妹などは「ププッ。また困ってるのね」と喜んでいる始末。考えてみると、ヘアスタイルは同じ、茶髪も同じ、背格好も同じ(笑)

時々、妹に「あれ、Kさんの妹さんだったの?」なんて言う人には、わたしは思わず、ニタ~。
「なんでよ!」と言う妹を笑っているのであります(笑)

子どもたちが幼い頃は、長い夏休みを利用して1ヶ月以上の滞在。台所にわたし、若しくは妹が立っていると、4人の子どもたち(我が子二人、妹の子二人)は、よく間違ったものでした。
後姿もよく似てるのですって(笑)

妹の飼い猫のジャイアンまでが、見間違って後ろからわたしの肩に飛び乗ったりすること度々。
妹とお互い、「いやぁね。」と言い合わないのがいいところでしょうか^^

さて、話がラジオ出演からそれてしまいましたが、MP3を聴いて「げ!」も、もうひとつ、間違い発見をしたのです^^; やっぱり粗忽者だ。

これまで何度か経験してきラジオインタビュー、質問をちゃんと聴く余裕もできてき、自分が準備した原稿どおりいかなくても、なんとか取り繕うこともできてきたのはいいが、調子に乗りすぎて、ポルトのいわしの話に及んだ箇所で、その時飲むワイン、「VinhoVerde」のテーブルワインなのに、うっかりポルト・ワインと言って・・・しまってた・・・・・

すわ!と勿論すぐ番組担当者に陳謝のメールは送りましたが、数日前の生放送ではもうどうもなりませんわい^^;リスナーのみなさま、平に平にご勘弁を^^;

ディレクターのお礼のメールにあった一言に、
「たいへん上手に話していただいたので、なにか喋ることを仕事にしていた人かとみなで話していたのです」(汗)

日本語教室や土曜日の職場で、確かに話してはいるから、それもまったく当たっていないとは言えません。

わたしが送付したMP3を聴いたモイケル娘いわく、「相変わらずよく喋ってるね」どうもどうも(笑)


しかし、なんと言っても印象的だったのは2005年の最初のラジオ出演です。この時の様子は次回に。
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2017年7月20日 

ネット新聞を読んでいたら、東京の三井記念美術館で「地獄絵ワンダーランド」展が開かれているとのニュースを目にして、数年前にブログにあげた芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。

中級レベルの日本語学習生徒の様子をみて、できそうかな?と思われる生徒にわたしが取り上げる日本語テキストを離れた学習教材の一冊である。「蜘蛛の糸」の文章の美しさにわたしは心底惹かれるのだ。生徒にもテキストで習う現代語とは違った日本語の美しさに触れてもらいたいなぁ、と思うからだ。

「地獄絵ワンダーランド」展に因む、本日はエッセイ集「思い出のアルバム」から2009年に綴ったものを再度アップしたいと思う。

―ここからー

しばらく前から日本語教室の生徒の一人と一緒に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読している。以下、わたしの物語の概要である。

生涯でたった一度だけ、道端の蜘蛛を踏みつけようとした殺生を思いとどまった極悪人「カンダタ」が、地獄で苦しみあえいでいる。それを見たお釈迦様が、蜘蛛を助けたことをふと思い出し、地獄から引き上げようと、一筋の蜘蛛の糸を極楽からカンダタの前に垂らす。

カンダタは、その蜘蛛の糸にすがって血の池を這い上がり、上へ上へと上って行く。つと、下を見下ろすと、自分の後に大勢の極悪人どもが必死に蜘蛛糸をつたって大勢が地獄から上ってくるのが見える。

カンダタはこれを見て、己一人でも切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸、なんとかしないことには、自分もろとも糸は切れて、再び地獄へ舞い戻ってしまおう、
       
思わず「この蜘蛛の糸は俺のものだ、お前たち、下りろ下りろ。」と、喚いた瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの上からプツリと切れて、まっ逆さま、もろともに地獄へと落ちて行く。
       
お釈迦様のせっかくの慈悲も、自分だけ助かろうとするカンダタの浅ましさに、愛想をつかしたわけである。

仏教で言う「地獄」を英語で「hell」と訳してしまうのは、少し違うように思う。生徒と読みながら、わたしは子供の頃の「地獄絵」への恐怖を思い出していた。

夏の風物詩は、この時期では日本のどこでも催されるであろう、宵の宮祭だ。故郷弘前では宵宮、「ヨミヤ」と呼んだ。子供の頃は、暑かったら裏の畑の向こうにある浅い小川で泳いだ。少し歩いたところがちょうど寺町の裏手に当たり、夕暮れ時には肝試しと言って2人くらいずつ、墓場まで行って帰ってくるのも涼しくなる遊びのひとつだった。

夕食を終えた後は、たんぼを渡り小川のあたりで、
「ほ、ほ、ほーたる来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」 
と歌いながらする、いにしえの優雅な遊びも知っていた。
  
子供なりの智恵を使って、自然の中で遊びを見つけていたが、夏のヨミヤはそれとは別に、大人びた世界を垣間見るような興奮を感じたものである。

夏の日は長く、ヨミヤのある日は外がまだ明るいうちから、遠くに祭囃子が聞こえた。子供が夜出歩くなどしない時代だったが、この日は別である。祖母や母と一緒に行った記憶はない。祖母は、桜まつりには蕎麦の屋台を引いたり、夏には氷水を売ったりしていたから、恐らく家族はそれぞれ、ヨミヤでの出店に追われていたのであろう。
       
二つ下の妹とユカタに赤い三尺を締めて、日が落ちて暗くなりつつある新町の道を手をつないで誓願寺の夜宮へよく行った。すると、薄暗闇の向こうから、わたし達を呼び寄せるかのように、「♪か~すりの女とせ~びろの男~♪」と、三橋美智也の歌が聞こえてくるのである。
       
田舎の夏休み中のおやつといえば、裏の畑からもぎとったキューリを縦半分に切り、真ん中を溝を作るようにくりぬいて、そこにすこし味噌を入れたのや、塩だけをつけたおにぎりである。おやつ代などもらえることはなかったが、夜宮の日にはわずかばかりだが、出店があるのでもらえるのだ。

金魚すくい、輪投げ、水ヨーヨー、線香花火、水あめ、かき氷。これら全部は回れないが、わたしたちが特に好きだったものに「はっかパイプ」があった。屋台にぶらさがっている動物や人の顔など、いろいろな作りのはっかパイプの中から好きなものを選び、首からぶら下げてハッカをスースー吸うのだ。

hakka.jpg
Wikiより。ハッカ

しかし、その出店が並ぶところへ行くまでに、どうしても避けて通ることができない、寺門をくぐってすぐ左の格子戸がある一隅があった。そこには、閻魔(えんま)大王と閻魔ばさま(ばさま=おばあさん)がどっしりと腰を据え、通る人々を見据えているのである。
       
閻魔大王はまだしも、クワッと赤い口を開き、着物を片肌脱ぎ、立膝でこちらを睨む閻魔ばさまの像には、恐ろしいものがあった。怖い怖いと思いながらも、ついつい見てしまい、閻魔ばさまと目が合っては、ブルッと体が振るえ、下を見ながらそそくさとそこを去るのである。
       
註:閻魔ばさま=奪衣婆(だつえば)
  三途の川のほとりで、亡者の衣服を奪い取るといわれる。
  奪い取られた衣服は、そこにある衣領樹(えりょうじゅ)と言う
  木の枝に引っ掛けられ、その枝の垂れ下がり具合で生前に
  犯した罪の重さがわかると言われる。

ここにはもうひとつ、目が行ってしまうものがあった。地獄絵図である。恐らくこの時期に寺のお蔵から出されて衆人に見せられるのであろう。
       
「嘘をついたら舌を抜かれる」「悪事をなせば針の山、血の海が三途の川の向こうで待ち構えている」阿鼻叫喚の地獄絵巻は、怖いもの見たさも手伝って、ついつい目を向けてしまうのだが、地獄絵巻は、幼いわたしにとって何よりの無言の教えであった。
       
古今東西の宗教が多かれ少なかれ、ある程度の恐れをもってわたしたちに説教しているのは、人間は、こうしてはいけないと分かっていながらつい悪行に走ってしまう、なかなかに食えないものだと知っているからだろう。

嘘をついたことがないとは決して言えないが、人様に迷惑をかけながらも、あまり意地悪い気持を持たずして、(意地悪いのは大きな悪のひとつだとわたしは思うから)、今日まで自分が生きて来れたのは、どこかに幼い頃に
見聞きした地獄絵図が刷り込まれているからかも知れない。

知識を振りかざし、堂々たる自信を持って生きている現代人は、もしかしたら、いざと言うときに、随分危ういものを抱えているのではないだろうか。久しく、「蜘蛛の糸」を読んで思ったことである。

―過去記事、ここで終わるー



件の「地獄絵ワンダーランド」展のポスターを見るに、

jigoku.png

これじゃぁ、今の子どもたちは怖がるところか、面白がるに留まるかもしれないなぁと、無言の教えに与った(あずかった)自分の子ども時代と比べて、一筋縄では行かない今日の教育の問題をチラと垣間見たような気がした。

もっとも、わたしが知る地獄絵では子供の人気もないかも知れない。

本日も読んでいただきありがとうございます。

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2017年3月22日

帰国寸前に、とある企業のマーケティングセクションから、今週ExpoNorteで開催されるイベントで、日本文化展示をしてくれないかとの申し出があり、断り切れず、同僚のOちゃん、自由に使っていいので一人でやってみてと、ついこの間かたづけたばかりの展示物を再びそれぞれの場所から引っ張り出して、Oちゃんにバタバタ手渡し、期限ぎりぎりの会員雑誌原稿を仕上げて飛んできました、東京へ。

いつもの如くゲートで搭乗券をスキャンにかざしたところが、小さな番号札が出てきました。げ!なんか間違いでもしたかしら?と不安な面持ちで女性係員を見ていると、男性係員がやってきて、「お客様、今日はこちらのプレミアム・エコノミークラスの御席にどうぞ」と言うではありませんか。

Premium EconomyClassというのは、数年前からビジネスクラスとエコノミークラスの中間にある席です。スペースがゆったりしていて体が随分楽に感じられます。

実は近年毎回の長時間フライトに悩まされており、あと何回こんなハードな旅行が続けられるだろうかと、今回は不安がありました。あたかも、その不安を感じとってくれたかのような飛行機会社からのサプライズ!本当に嬉しかった!古希の贈り物ともとらえられます^^

羽田到着の21日、ほぼ同じ時間帯に息子も仕事の春休みを利用して旅行していた香港から帰国だったのですが、お互いの疲労を考えて空港での再会は見合わせました。

というので、ただいま東京です。桜の開花が宣言されましたが、まだ少し寒いですぞ。
4週間ほどの滞在ポルトに帰国しますが、できるだけ、更新をしてみたいと考えていますので、みなさま、時々おいでくださいませ。

それでは、本日は取り急ぎ、お知らせにて。

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2017年3月16日 

東日本大震災から6年経ちました。3月11日は9・11と一緒に忘れることが出来ない日です。いても立ってもおられず、4月に入るやそうそうと我が子たちの様子を見に帰国したのでした。

今日はあの日、あの頃を思い出し、いざという時の心構えをわが子たちの持って欲しいがため、6年前の日記から抜粋してみたいと思います。

2011年3月12日

地震の被害にあわれたみなさまに、こころからお見舞い申し上げます。

我が子たちも所沢の妹たちも無事だったとは言え、ニュースで繰り返し放映される画像を見るにつけ、手放しで喜べない気持ちです。目を覆うばかりの惨状に愕然とし、泣きたい気持ちになります。みなさまのご家族、ご親戚、お知り合いの方々はご無事でしょうか。

昨日の午前中はいつもの日本語教室がキャンセルされていたので、前夜は新しいクラスの準備で少し夜更かししてしまい、いつもなら起床している時間にまだ寝入っていたのでした。

それが、7時半過ぎに電話が鳴り、こんな朝早い時間にいったい誰だろうと思い、ベッドから飛びおりて玄関ホールの電話を置いている所まで小走りに向かいました。

受話器を取るなり「ユーコさん!あんた、東京が大変なことになっとるで!子供たちおるやろ!ニュース見てみー!」と大阪出身の友人の一声です。

同じ人からこれと同じ声の調子で、かつて突然の恐ろしいニュースを知らされたことことがあるの一瞬を思い出しました。1995年1月17日の関西大震災の時でした。

ギョッとして大慌てでテレビをつけると同時にパソコンのスイッチを入れました。朝からテレビをつけるなんてことは大事件でもない限り我が家ではまずありません。

そうして目に飛び込んできた画像に、しかも即それを東京だと思ったものでもうその後は大変でした。すぐ子供たちのケータイに電話を入れたもののつながらない、所沢の妹宅の固定電話もダメ!

今、日本は何時よ!?娘は?息子は?と不安は募るばかり。何度も何度もダイヤルを回せど同じ応答です。ウェブ新聞で更なる情報を得ようと慌てふためいてパソコンに走りました。すると、スカイプで息子が「ママ、地震があった、こわかった~」と、声をかけてきました
ケータイはつながらねど、ネットは大丈夫なのですね、こういうとき・・・

息子は昨日は仕事が休みで、地震が起きたとき、外で自転車を走らせていたそうです。急いで帰宅し、やったことが、なんと!3匹の猫たちをそれぞれのカゴに入れて外へ運び出したのだそうです。(あんたら幸せなねこやで!)

モイケル娘は?と聞くと、「まだ会社だと思う、けどケータイが通じない」と言う。ダメもとでケータイにメールを送ろうとメールボックスを開くと、モイケル娘からのメールの件名、

「かあちゃん、地震起きました」

この件名を見た瞬間、わたしの心臓はぎゅぎゅっとしぼんだ!そして、短い文面を読んだ瞬間、安堵に胸をなでおろしたのでした。

まだ会社にいるが、都内の電車が前面ストップしているので帰れない。いわゆる帰宅難民になっていたわけです。

そのうち、「同期の人たちで歩いて帰ろうという話が出てる」と言うではないか。おいおい、まて!それは危険なことだよ。止めよ、とメールを打ったが、息子、「She's comming back. 家に向かってる」

「シ、シーズ カミング バックって、あんた!止めるのよ~」と叫べど既に遅し。

すると間もなしに娘からの返事、
「今歩いてる。心配しなくていいよ。グループで歩いてるから」こういうときは、余震もさることながら、狼男も心配なのだよ、おっかさんは!

我が娘、思うに絶対ネコのことが心配で、歩いて帰る気になったに違いない。同じ環境だったらわたしも同様のことをしていたこと確実であります。

夫も勿論起き出しておりましたが、気になるとて患者の仕事を休むわけには行かない。間もなく出勤しましたが、残ったわたしは、新しいクラスの準備も手に付かず、そのうち、友人たちから、親戚から、知人からと電話が一日中なりっぱなしです。

娘が一緒に歩いたグループは会社の寮の人たちで、実はその寮が偶然我が子たちのアパートの一つ駅違いのところにあるのだそうな。たまたま、社員に寮から築地にある会社まで、1時間ほどかけて自転車通勤をしていたツワモノがいたのだとか。それで道を知っていたので、皆で徒歩で、との決断を下したそうだ。

自転車で1時間が、歩いてなんと4時間半!たはーー!どんな靴でそんな長時間歩いているのだろうか、足、大丈夫だろうか・・・そんなことを思い巡らしながら、気もそぞろで新しい出張日本語クラスを終えて帰宅し、息子から家に無事たどり着いたことを確認して、ひとまず安心したのでした。

2011年3月20日

我が家にはポルトガル国内にいるたくさんの知人親戚から毎日のように子供たちの、日本の安否を気遣って電話がきました。

特に我が子たちを幼いころから可愛がってくれた夫の姉、子供たちからすると、Tia Luisa=ルイーザおばさん、そして84歳で現在地方の老人ホームで生活しているPrima Alda=プリマ・アルダ(いとこのアルダおばさん。「いとこ」がいつの間にか彼女の定冠詞になってしまいました^^;)は、涙声で毎日電話をくれ、わたしが「大丈夫!心配ない!」と慰める側に(笑)

今回、計画停電を体験した方々も多いことでしょう。今でこそ、ポルトガルもそこそこに便利な生活を享受できるようになりましたが、わたしが来たころの38数年前のポルトガルはこんなものではありませんでした。

予告なしの停電、断水はしょっちゅうで、年末、新年にかけての三日間ほど断水に見舞われたこともあります。旧年の垢を体にまとっての正月なんて、物心ついて以来初めてではなかったでしょうか。

まだ、こどもたちが赤ん坊の時の断水もしょっちゅうで、当時は紙おむつがあまりなかったものですから、オムツを洗うのとオムツかぶれを防ぐために、常時気をつけて貯水の準備していたものです。

そそ、断水に因むこんな呆れた体験もあるのですよ。

日本の便利な生活に慣れていたわたしは、エラい国に来てしまったと当時は少なからず思ったものです。そういう体験から、そんな時にも慌てないイライラしない忍耐力を学んだと思います。

子供たちも「停電だから今日はできませんよ」とわたしに言われ、それこそ「がびーーん」の体験を少しは覚えていることでしょう。
ですから、ポルトガルでは、まぁ、停電はままあること、小さな赤ちゃんや病気のお年寄りがいるわけではなし、数時間の停電は彼らはなんとでもなります。

ただ、停電に備えて懐中電灯がなかったというのは抜けておりました。モイケル娘いわく、「どこにも売ってない、ネットで見つけて注文したらもう売り切れだった」

さもありなん。我が家では停電用にと、キャンプ用のガス灯や懐中電灯、更にはろうそくまで暗闇でも常時手の届くところに置いてあります。豊かな文明生活を享受している、特に若い世代は恐らく懐中電灯など常備していない人が多いのではないかしら?

日本からポルトに来る日本人からは、よく不便だ遅れている、物事がちゃんと機能していない、などの不満を耳にしますが、全ての事物は二面性を持っていることを思い出していただきたい。文明の利器も同じです。自分が住んでいた生活環境をそのまま他国に持ち込んでは、その国での生活を楽しむことはできないし、国際感覚は学べない。

国際感覚とは語学ができることではなく、自国と他国との違いを学び、受け入れ、理解し合うことだとわたしは思います。

今日のポルトは雲ひとつない真っ青な空です。夕べは大きな満月が煌々と空にかかり、主のいない子どもたちの部屋にも窓から月光が差し込んでいました。大好きな音楽もこの一週間ずっと聴いていないことに気づいた今朝、久しぶりにモイケル娘の作曲した音楽を聴いています。

水が飲め、そこそこに食べ物があり、電気があり音楽がきける。会いたい人に会いたい時に連絡がとれる手段がある、そんな基本的な幸せがあるだけでも生きているという充実感を改めて感じさせられた一週間でした。

被災者の方たちはこれから苦難を強いられますが、どうか生きていることの幸せを噛み締め、再び立ち上がって欲しいと願わずにおられません。

2011年3月23日 笑っちゃいけないが、なんだか可笑しい

原発問題がまだ明確な見通しがついておらず、現場では今日も危険を承知で必死な作業が続けられています。ニュースを通して被災者たちのエピソードも聞こえてき、気の毒で涙が出てきます。
しかし、人生は続く。日本人の、人間の生命力の逞しさを信じたいと思います。

「おっかさん、今日はパンが買えた!」とモイケル娘。日本は物が豊富だ、というより、豊富を過ぎて贅沢だとフッと思うことがあります。今回の被災地だけでなく、世界には食料不足に困っている人たたくさんいるのですが、贅沢に慣れてしまうことは怖い気もします。パンが買える喜びを、娘よ、覚えておいて欲しい。

計画停電だというのに、懐中電灯もろうそくもないという我が子達、懐中電灯をネットで注文したら品切れでないと言う。大阪の我が親友Michikoが食べ物を含むそれらの物資の差し入れが届けてくれました。

子供たちの住む区域、夕方6時から10時まで停電の今日、間もなくその時間がくるという前の少しの間、スカイプでモイケル娘と話しました。

おっかさん  懐中電灯、手元に用意してる?
モイケル   うん。ヘッドライトをつけてる
おっかさん  へ、ヘッドライト?
モイケル   そ。みっちゃんが送ってくれたのを頭につけてる。
        鏡で今自分の姿を見たら、マヌケだった^^;

↓こ、こんなんを頭につけてるんか、と思ったら、停電を待機しているのが気の毒だとは思ったが、おかしくてつい大声で笑ってしまった。
トーチ

笑っている間に停電が来た様で娘はスカイプから落ちていた。夫にもヘッドライトの話をし、このところ、わたしたち夫婦の会話はずっと心配な話題か津波の映像を黙って見るばかりでしたが、こんな小さなことだが久しぶりに笑った気がします。

長い記事になりましたが、時に思い出して気持ちを引き締める必要があると考えたのでした。
息子よ、娘よ、いざという時の準備はしてるかい?

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