2018年5月15日

一ヵ月の休暇も終わり、今晩ポルトに夜間飛行で逆帰国です。

滞在中の後半は故郷弘前行きと我がモイケル娘の祝い事とで
少し忙しかったのですが、それについてはポルトから発信いたします。

何度か拙ブログを訪問なさった方には記事更新が思うようにでき
なかったことをお詫びいたします。

次回は再びポルトより発信いたしますので、今後ともどうぞよろしく
お願いいたします。

それでは、また!
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2018年5月10日

弘前からただいま!

行きは出発するなり東北自動車道路で事故による通行止め。いったん一般
道路に追い出され、停滞でノロノロ運転。朝6時前の出発なのに弘前に到着し
たのは9時間かかることの午後3時。

いったんホテルにチェックインしてから、今回の弘前訪問の主要目的である
おばの家を訪ねましたが、ちょっと面白いことがありました。これについて
はポルトに帰ってから書きたいと思います。

3泊4日で昨夜1時過ぎに所沢到着、平均年齢70の我ら三人、帰路はゆっくり
走って来たのですが、12時間はかかりすぎだー!成田からフランクフルトまで
の飛行時間じゃん!とは、座っている者より運転した義弟を前には口が裂けて
も言えませんですぞ^^;

ポルトガルも遠いけど弘前も遠いなぁと、つくづく感じ入った今回の今日では
ありました。もうひとつのビッグイベントは、懐かしい高校時代の恩師、同窓
生たちが集まってくれたことです。
これもポルト逆帰国後にとりあげたいと思います。

さて、今日は我がモイケル娘の誕生日です。正午頃、5月の真っ青なポルト空
の下で生まれた日のことを鮮やかに記憶しています。あれから32年、日本を
離れたおっかさんの人生軌道とは眞逆に、日本に憧れポルトガルからこっちへ
来てしまいました。

ポルト補習校中学部の卒業式時のスピーチで「わたしは日本へ行くのではあり
ません、帰るのです!」と宣言された」時は本当に驚いたものです。

これは帰国子女物語(受験編)エピソードトップに書いてあるのですが、今日は
その部分を再掲載してみます。

帰国子女物語(受験編)(1)「ぎょ!の卒業式」
2006年2月16日(木曜日)

卒業式の季節が来ると、毎年のように今ではもう5年前になってしまった、
ぎょっとした卒業式を思い出す。

ポルトガルには卒業式というものはないのだが、我が子二人は、月曜日から
金曜日までBritish Schoolに通学し、毎週土曜日は日本語補習校なるところに
9年間通い、日本の義務教育課程をとりあえず終えたのである。

週に一度の3時間授業で、国語数学2教科の日本の1年間の教育カリキュラムを
こなすのだからこれは大変な進度具合なのだ。しかし、補習校に通ったおかげ
で二人とも小中学部では日本式の厳かな卒業式なるものを経験することが
できた。

小規模の補習校であるから卒業生は一人か二人が通常であるので、どの子も
日本ではなかなか仰せつかうことのない「卒業生代表の答辞」とやらをする
ことになる。

その年、義務教育課程を終えたのは我が「もいける娘」ひとり。
補習校関係者は在校生はもちろんのこと、その親達も全員出席しており、
壇上に上がったもいける娘はおもむろに答辞原稿を開いて読み始めた。
と、あるくだりに来ると場内に笑い声がさざめいたのである。

「わたしは今から3年後、ポルトガルで高校を終えた後、日本へ行くつもり
です。いえ、行くのではありません、わたしは日本へ帰るのです。」

さざめく笑い声とともに、「おお~!」との声があちこちから響き、横に
いた大阪出身の同僚はひじでわたしを突っつきながら、「あんた!今の娘の
言葉を聞いた?行くんじゃなくて帰るんだってよ!覚悟しときや。」

ポ国で生まれ育ち日本には3年に一度の割で行き、夏休みの一ヶ月ほどを
過ごして来た日本。しかし、その日本へ彼女は「行く」のではなくて、「帰る」
と言うのだ。

その日、わたしは頭から水をぶっかけられでもしたように、意外な娘のなの
言葉にハッとさせられたのである。

これは彼女の、面と向かってはなかなか言い出せなかった、父親への、
実はメッセージでもあったのでした。そして、その父親はと言えば、仕事で
肝心の卒業式には出席できなかったのでありました。

わたしたち母子の、日本の大学受験奮闘はこうして始まったのでした。


その後、どのようにしてモイケル娘が日本行きの切符を手にしたかは、
下記のカテゴリで読むことができますので、興味のある方はどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-6.html
「ズッコケ親子の帰国子女大学受験物語」

日本で大学を終えて会社勤務をした彼女は3年後には大学院で学び結婚
しました。

今回のわたしの帰国の特大イベントは挙式はしないという娘夫婦の記念
写真撮影なのです。わたしの帰国間近の今週土曜日になされます。夫が来ら
れないのは残念ですが、写真が出来次第、スカイプで送る予定です。

娘よ、日本に憧れ夢見ていたあの頃の気持ちを時に思い出して、これから
先の長い人生をポジティブにとらえて歩んでください。

誕生日、おめでとう!

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2018年5月2日

息子の所娘の所を訪ねたり友人たちに会ったりしているうちに日本滞在も3
週目半ばに入りました。

実は何の拍子でか右腰を痛めたようで、立ち座りをするたびに「イテテテ」
と情けない声をあげ鎮痛剤に頼っているここ数日であります^^;

おまけに、娘宅では椅子の脚に足指をぶつけてしまい、素足でいたもので
痛いのなんのって!ただいま足指の一本が青タンになっており、踏んだり
蹴ったりではござんせんか。

そんな訳で今回はもっと都内を歩いてみたいと思っていた望みは諦め、ただ
いまひたすら、週末日曜日の車の長旅、故郷弘前出発に備え、しばし大人しく
している現状であります。

が、この後の予定である弘前行き、娘夫婦の記念写真撮影、婿殿のご両親と
の会食等をを考えると、どうしても今週中に顔を出さずばなるまいという思
いに至った横浜のおじを昨日は訪ねてきました。

15年ほど前に亡くなった叔母の連れ合いのおじとは直接血のつながりは
ないものの、我が思い出のエッセイ「夜汽車に乗って」で書いてあるように
当時東京から大阪に転勤していたおじ叔母と中学3年生のほぼ1年間を同居
したいきさつがあり、帰国時には必ず顔を出すようにしているのであります。

「おー、Yukoか!」と電話で江戸っ子の今年85歳になったおじの元気な声。
いついつ行きますと伝えると、「それじゃ、大きな段ボール箱を持って来い」
と言うおじの話はポルトへ帰って後のことにいたします。

上述「夜汽車に乗って」は、下記の記事から入れます。興味あらばどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-258.html

では、みなさま、また。
ブログ記事更新に間を開けたりしていますが、ご勘弁を。
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2018年4月20日 

羽田空港には昼前に到着し入国手続きも終えて、一人にしては多すぎる荷物
をカートに乗せ、いよいよ税関の通過です。

ハラハラしながら進みますと、「全部お一人のですか」と男性職員から聞かれ、
「はい、自分の長期滞在の(たった一ヵ月やんかw)衣類とお土産、本類です
(これは本当。モイケル娘に依頼されたポルトガル語の本なり)

すると、以外やすんなりと通してくれたのであります。胸をなでおろし次なる
は、再度ロックされた旅行トランクの番号を合わせるのに挑戦です。が、つま
るところ無駄な試みではありました。 

最後は所沢近辺で合いかぎ屋を探して頼んでみるっきゃありません。素直に
開けるのを諦め宅急便カウンターに直行し、手続きを済ませて一路所沢へ向
かいました。

1年ぶりの東京はのんびりしたポルトの生活と違い、実は私に活力を与えて
くれるのです。このエネルギーを体に充電しポルトに帰っては徐々に放電活
用して、電池が切れる頃に再び帰国するわけです。

所沢に着くなり「トランクが開かない。頼まれたチーズはその中でんねん」
「ええー!」でございます。チーズを待ってたんか、あたいを待ってたんか、
どっちやねん(笑)

翌日配達されたトランクを腹立たしげに眺めていてもしかたない。とにかく開け
なくてはと、引き受けてくれる近辺の合いかぎ屋を3軒回らなければなりませ
んでした。

年配のおじさんに「決して盗んだものではありません」と事情を話すと
「あい、いいよ。1時間くらいかかるけどいいの?」とのこと。
えぇえぇ、構いませんことよ。開けられるなら何時間でも~、と言うので、トラン
クを預かってくれ、開けられそうな気配に胸をなでおろしたのであります。

やがて1時間が経ち、かかってくるはずの電話がありません。
しばらくは妹夫婦と「おじさん、ロックの番号合わせの謎解きに挑んで遊んで
るねぇ」などと言いもっておりましたが、さすが2時間もすると、ん?大丈夫かし
ら?と心配になり。

義弟いわく「姉さん、受け取りもらって来た?」「うは!もらってまへん」
これだもんなぁ、帰国のわたしって^^;喜び舞い上がって受け取りももらわず。
世の厳しさをすっかり忘れております。
こんな場合でも信頼できるのが我が国、日本なのです。

合いかぎ屋からの連絡を待たず直接出向きましたら、ちゃんとロックは解除
され開いておりました!おじさん、ありがとう、ありがとうと度もお礼を言い、
1200円なりの料金を支払って帰宅、いざ、開けん!

こんなわけでポルトを出発する前から始まったスッタモンダ、無事一件落着
と相成りました。が、こんなこと、白状すると2度目なのでありました。テヘッ。

みなさまもどうぞお気をつけあそばせ。

それでは、また!



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2018年4月19日 

ずいぶん昔になりますが、ロンドンのヒースロー空港内で迷い、ラストコー
ルに間に合わずフライトに乗り遅れたことがありました。同じくポルト行き
フライトに乗り遅れた韓国の若者二人と案内所で宿泊先を紹介してもらい
真夜中過ぎのチェックイン。一夜を空港周辺のホテルに泊まらざるを得な
かったのです。

その宿泊費の高いことと設備がとても悪かったのとで不安な一夜を過ごした
経験から、できるものならヒースロー空港は避けたい思い、以来帰国時は
フランクフルトを乗り換え地にして来ました。

が、今回は急な切符の変更だったので、ミュンヘンを通ることになったので
す。初めてでしたが、予想に反してスムーズに事が運び、1時間半の乗り継
ぎ時間も心配するに及びませんでした。

日本へ飛行する指定ゲートに着き、さて、トイレにでも行っておこうと向かっ
たのであります。用も終え、後12時間で東京だ。道中は座りっぱなしなのだか
らアナウンスがあるまで少し空港内を歩いておこうと身も軽く歩きはじめまし
た。そうです、身も軽く・・・

途中でふとこの身が余りにも軽いのに気付きやんした。何かがたりないぞ・・
うげ!リュックサックがあるべき背中にないではないか!さっきのトイレだ!
トイレのドアフックにかけたまま置いてきたんや!

搭乗券はもちろんのことパスポート、今回の滞在を支える円とユーロ札、帰
路の切符など諸々、失くしては困る一切合財がその中であります。ひぇ~!
悲鳴をあげんばかりに再びトイレに向かうこと一目散!

するとトイレから出て来た一人の女性にぶつかり、「あなた、これを探してる
の?」と黒いわたしのリュックを手に掲げて英語で話しかけてきました。
「ええ、ええ、それはわたしのです。いつもなら旅行中はショルダーバッグを
使ってきたのに、今日の旅行に限ってバッグを変えてしまったのです」と説明
しながら受け取るわたしに、「よくあることね。わたしもやったことがあるの
よ」 そう言うと女性は笑顔で去って行きました。

危うく恐ろしい状況を招くところでした。ハレルヤ!

こうして機上の人となり羽田に向かうことができたのですが、さてはて、開か
ない旅行カバンをどうしたものか・・・荷物が多すぎるとポルトガルでは往々
にして呼び止められ中身の検査と相なるのであります。

羽田ではどうなるだろか?そう思うと中々眠れないわたしでありました。

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