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2019年9月19日 

もう随分前ですが、かつて日本語を教えたポルトガル人の生徒さんにひょんなことで再会したことがあります。

当時彼女はポルトの私立大学で教えていたのですが、そこで日本語教室を開講するかもしれない、話に乗ってくれないかというので、手始めに日本文化の紹介と称して展示会で人集めをしてみてはどうかとなりました。

何を展示するかというと、自分の好みで日本へ行くたびに持って来たものを展示するのでありまして、○十万円もするものではありません。展示のディスプレイと後片付けが大変なのですが、ついつい引き受けてしまうのは、こういうことをするのが好きだからです。

展示会2012

exposicao4.jpg
 
 
そこで、事前に大学の文学部長にご挨拶しに行ったのですが、その折、咄嗟に聞かれたことで、後で我ながら面白い答えをしたものだと思ったことがあります。

わたしのポルトガル語の苗字「Costa Santos」を、日本語に訳せと学部長は仰せられる。Costaは日本語だと「背中、海岸」の意味があります。Santosは聖人Santoの複数形です。そこで、「海岸を歩く聖人」ですね、いかがでしょう?いい名前でしょう?わっはっは」となったのですが、咄嗟に訳したにしては、なかなかではないかと、我ながら後で一人喜んでいたのでした。

で、「海岸を歩く聖人」にしようか、「散歩する聖人」にしようかと、その後考え始めたものの、未だ未決定であります。

中国の唐の時代、科挙の試験を受けるため、長安の都にやってきた賈島(かとう)が、ロバに乗り詩を創作していたのですが、「僧は推す月下の門」がいいか、「僧は敲く(たたく)月下の門」がいいかと迷っているうちに上層役人の行列に突っ込んでしまい捕まってしまいました。詩の話をしたところ、行列の主から「敲くがよかろう」と忠言をもらい、これが現在わたしたちが使うところの「文の推敲」という言葉の語源になったとの話があります。

こんな立派な故事としょうもない我がことを比べるつもりはありませんが、これもわたしにとっては推敲だぞ、と思っているのであります。

さて、学部長に聞かれ咄嗟に「海岸を歩く聖人」と言ったのには、かつて我がモイケル娘と観た映画「Mr. Holland´s Opus」(直訳は「ホランド先生の作品」邦名は「陽のあたる教室」)の中で聞かれるクラリネットの曲のタイトルが知りたくて、母子して色々探し回り、ついにモイケル娘が発見したといういわく付きの「Stranger on the Shore」が頭にあったからだと思います。

その映画は、音楽教師(リチャード・ドレイファス)が作曲をするために時間を欲し、音楽教師ならもっと自由な時間がもてるだろうと安易に公立学校の教師の仕事を得るのですが、教師の仕事がそんな甘いものではないと気付き、色々奇策を打ってはダメな生徒たちををひっぱって行きます。ホランズ先生の作品とは彼が育て上げた生徒たちのことですね。

1960年代が舞台で、当時のヒット曲がたくさん出てきます。その中の一つがStranger on the Shoreだったのです。

ついでにもうひとつその映画で知ったのが、ジョン・レノンの歌、Beautiful Boyの歌詞、
「Life is what happens to you while you're busy making other plans.(人生とは、君が色々な計画をたてるのに夢中になっている間に、君に起こることなんだ。Spacesis勝手訳)でした。

素晴らしい一文だと思います。

閑話休題、件の「Stranger on the Shore 」はイギリスのクラリネット奏者、Acker Bilk(アッカー・ビルク)が作曲したミリオンセラーだそうです。素晴らしいクラリネットの音です。よかったら聞いてみてください。



ではみなさま、またあした。


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2019年8月28日 

リスボンから特急で北へ2時間、ポルトからだと反対方向の南へ1時間の所にあるのが、学生の町コインブラ(Coimbra)です。

人口14万のうち2割ほどがコインブラ大学の学生だと言われます。わが夫の母校でもあります。

コインブラ大学は13世紀にディニス王1世によって創立され、ヨーロッパでも最古の大学のひとつに数えられます。バロック様式の図書館、チャペルセレモニーホールなど、現在も往時をそのまま目にすることができ、校舎内に入ると一瞬中世に迷い込んだかのような錯覚に陥ります。
    
5月に2週間催される学生祭は,黒マントを身にまとった学生のその独特な趣からして毎年ニュースになるのです。そして、このときに聞くことができるのが「学生ファド」です。抵抗の歌人Zéca Afonsoもコインブラに学び、今でも彼が住んでいた下宿屋が残されています。

coimbrafado1.jpg coimbrafado2.jpg

上はWikipediaから拾ってきた写真ですが、それから分かるように、男子学生は自分の好きな女性が住む窓辺や階段でセレナーデを歌ったりしていました。これを聴いた女性が部屋の灯りを何度か消したりつけたりすると、ゴーサインだったのだそうですよ。この古い告白の仕方、素敵だなぁなんてこれまた少し古い人間のわたしは思うのですが。

学生ファドはコインブラでしか聞くことができず、またリスボンファドと違い、学生祭の時をのぞいてはかなかな聞くことができませんでしたが、現在は「Fado ao Centro」を始めいくつかの場所で聞けるようです。

coimbrafado4.png

男子学生によってのみ歌われます。伴奏はリスボンファドと同じく、ギターと12弦のポルトガルギターとで演奏され、歌い手の男子学生は中世の吟遊詩人のごとく、黒いマントを身にまとって歌います。
   
この黒いマント、ポルトガル語ではcapa=カパと呼び、実は日本の時代劇に出てくる渡世人さんがまとった「かっぱからげて三度笠」の「かっぱ」は、これが語源です。

わたしはかつて夫とともに招かれて、コインブラの古いサンタ・クルス修道院の庭(下の写真)で、この学生ファドを聞く機会がありました。

遅い夕食後のほぼ真夜中、煌々と月が照る古い修道院の中庭。聴衆はみな思い思いの場所に立ったり腰をおろしたりして聴いた学生ファドは、静寂 な修道院の中庭ででしんしんと降り注ぐ月光と浴びて、それはそれは素晴らしいセレナーデでした。
 
ところがです、この学生ファド、一曲が終わってもだれも拍手をしない!わたしは拍手するすんでのところを夫に止められました。拍手をするどころか、一曲終わるごとにみんないっせいに「せきばらい」をするのです。
  
そうです、コインブラの学生ファドには拍手はご法度なのだそうです。拍手のかわりに「せきばらい」です!

もしもいつかあなたがコインブラファドを聴く機会があったら、拍手はしないでコホンコホンの咳払い! 間違えないでね^^

coimbrafado3.jpg

写真は、遠い昔のわたしたち。息子が生まれてすぐの頃で、わたしはまだふっくらしており、夫も贅肉なしの若かりしとき。

わたしの体重はこの後、いったん元の42、43キロに戻ったものの、二人目、モイケル娘を産んだ後がいけませんでした。71の今では、この頃の体重に7キロほどつくでしょうか(笑)

コインブラ・ファド、聴いてみてください。わたしの好きな学生ファドのひとつです。

https://www.youtube.com/watch?v=9PO2kbWy1H4

あ!でもこの動画では、皆さん、拍手をしてますね!(笑) 近年増えた拍手ご法度を知らない観光客でしょうか。夫に再度確認したら、「拍手はしない」でした。

けど、拍手してるで~~(笑 )いやいや、言わぬが花。夫の昔のままの思い出をそのままにしておきましょう^^

日本では「ポルトガルの春」としてアマリアが歌っているのが有名ですが、これはポルトガルでは「Coimbra」と呼ばれるファドのひとつです。
https://www.youtube.com/watch?v=Buf4ypbWCpw

下はコインブラ大学Queima das Fitas(卒業祭)で「別れを告げるとき」を歌っています。
https://www.youtube.com/watch?v=f3WGttZdksg

日本を離れて40年、わたしもポルトガル人の言う「サウダーデ」の意味が分かる年齢になりました。

本日はこれにて。
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2018年12月28日

我が東京息子は只今ガールフレンドの母国フィリピン訪問中で、昨日は26日が仕事納めだったモイケル娘と池袋で昼食をとりました。その後、映画に誘いました。

ポルトで夫を誘ったところ、あまり興味を示さなかったので、では、一人で見に行こうと思いつつも、結局時間を作れずに日本へ来たのですが、調べてみると東京でまだ上映中。

題して「Bohemian Rhapsody」。ヒット曲を織りこんだロックバンドQueenのフレディ・マーキュリーの半生を語る映画でした。

fredy

fredy、Queenの、フレディのファンという訳ではありませんが、彼の、彼らの音楽には年代の枠を外れて惹きつけるものがあると思います。映画館は老若男女、満席でした。今朝、早朝に目が覚めて後、もう一度眠ろうと試みるわたしの頭の中は、チャリティーショー「ライブエイド」のラストシーンで歌われた名曲6曲がぐるぐる繰り返され、眠りに落ちるのに苦労しました。

まるで彗星のようにこの地球を過ぎ去って行った彼の生き方に少し心を揺さぶられたのでした。久しぶりにちょっといい映画を見たな、と感じています。

本日はこれにて。
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2018年3月21日 

ナザレを訪れたのはもう10年くらいも前になりますが、今日はナザレをロケ地にした映画にちなんだファドについて。

barco1.jpg

1999年に没した「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスが歌い、彼女を世に出した歌が「Barco Negro」(黒い舟)です。

日本語では「暗いはしけ」と訳されていますが、少し意味合いが違うように思います。「はしけ」は貨物や客を運ぶ小さな舟のことですが、「Barco Negro」は歌っている意味からして漁船です。

1954年のフランス映画作品「過去を持つ愛情」の中で、離婚暦を持つフランス人の恋人たちが、ナザレを訪れるシーンで歌われます。アマリアの歌の中でも名曲といわれるファド、と思ってきたのだが、なんと!原曲はブラジルの歌だったのです。

これには少し驚きました。 ポルトガル人も知らない人が多いのではないでしょうか。夫に、この知識をひけらかすと「まさか?」の顔で、いうことにゃ、「ネットにあることが全て正しいとは限らんぞ。」でありました(笑)

そんなことはもちろん承知ですよ、あぁた。 しかし、まぎれもない原曲を今度はポルトガル人人気歌手「ドゥルス・ポンテス」が歌っています。その原曲は「Mãe preta」(マイン・プレタ。直訳:黒い母=黒人の乳母の意味)。

♪黒人の乳母が主人の赤ん坊を揺りかごであやしている。
  こんな風にしてたくさんの白人の子供を喜んで育ててきたが、
  その間に、自分の子は農園で鞭打たれながら働いている。

と、黒人の母の悲しみを歌ったものですが、映画「過去を持つ愛情」では、歌詞をすっかり変えて原曲をはるかに上回るファドの名曲にのし上げていますね。

下記のリンクからこの2曲を是非聴き比べてみてください。

アマリアの「Barco Negro」


漁に出て行き帰ってこられないかもしれない愛する男への「あなたはわたしの胸の中にいつも生きている」との思いを切なく歌っています。
  
ドゥルス・ポンテスの「Mae Preta」 


明日は、ナザレ(2)を案内します。
本日これにて。
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2016年12月30日 

第一章からのスターウォーズファンとして、レイア姫を演じたキャリー・フィシャーが27日にまだ60歳の若さで亡くなったのは残念なことです。そして、彼女の母親、デビー・レイノルズがまるで後を追うかのように、翌日28日に死去したのも切ない話です。

デビー・レイノルズはわたしにとって、我が青春時代の忘れえぬ歌を歌った歌手でもあり、立て続けの母子死去の報道を耳にし、自分が生きてきた時代が大きくうねって変わっていくのを目の当たりにするような気がします。

かれこれ7年ほど前の今頃に綴ったデビーレイノルズに関する記事を少し書き換えて今日は載せようと思います。以下。


弘前からおじ夫婦のいる大阪へ家出をしたのは「日本海」がまだ急行列車だった1960年初期、わたしが中学生の頃でした。(この時のエピソードは記事の最後に案内しています。)

当時、地方の多くの若者がそうであったように、わたしも父に反抗する気持ちも加わって、こんな古臭い田舎はイヤだと、「都会」への強い憧憬はわたしに家出という手段をとらせたのでsじょた。

立て続けに家出して押しかけるわたしに、おじ夫婦は「困ったものだ」と思ったことでしょう。が、当時、子供がいなかった彼らは、結局わたしを引き取ってくれたのでした。1年後には高校受験を控えると言う中途半端な時期でしたが、おじ夫婦の親切に救われてわたしは中学3年生を大阪で過ごすことになりました。そうして始まった叔父夫婦との1年間は、わたしの人生の最初の転換期になったと思います。

思春期のわたしにとっては都会に生活することもそうでしたが、おじ夫婦が田舎では見られない新鮮なカップルの姿に見えたもので、その夫婦のあり方に当時は少なからず憧れたりしたものです。しかし、両親のもとにいた時のような経済的な不自由がなしと言え、「他人の釜の飯を食う」ということがどんなことなのかを、薄っすらと知ることができた時期でもありました。

弘前の両親との朝食はご飯に納豆だったのが、おじ宅では食パンにバターやマーマレード、ハムエッグにミルクと変わり、週末にはおじの運転で京都や奈良へドライブしたりなどして、弘前にいては見聞できなかった多くを経験できたものです。

それらの経験の中でも特に忘れられないのが「シネラマ」です。シネラマというのは、映画のスクリーンが湾曲しており通常の3倍ほどの大きさになったもので、日本全国で、そのスクリーンを持つ映画館は東京と大阪の二箇所のみでした。

湾曲した巨大なスクリーンで見る映画は音響も当時の普通の映画館で見るのとは俄然違い、映画の中に観客をひきこむような迫力がありました。大阪の梅田界隈だったと記憶しているそのシネラマ劇場におじに連れられて観た映画は「これがシネラマだ」「世界の七不思議」、そして「西部開拓史」でした。

中でも、「How the West Was Won」(=西部はいかにして勝ち取られたか)の「西部開拓史」は、以後わたしの大好きな映画のひとつになりました。もっともこれは白人側の目で見たアメリカ歴史で、アメリカン・インディアンからすると虐殺の歴史にも通じるのですが、本日はそこを置いといて。

映画は、いかだで川を渡り、大草原を切り開いてひたすら西部を目指す1830年代から半世紀にわたるある家族の3世代の物語。南北戦争、鉄道敷設、そしてウエスタン拳銃時代と大きなプロットが入ります。

出演はジェイムス・スチュアート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、デビー・レイノルズといった、当時のハリウッドきっての豪華キャストで、アメリカの開拓歴史とともに西部劇の面白さが結集された作品です。

165分という上映時間の長さを忘れてしまう程、興奮の連続でした。その映画でわたしは初めて「フロンティア精神」と言う言葉を知り、「アメリカ」という国のとてつもない大きさ、逞しさに15歳のわたしは圧倒されたものです。

インディアンの襲撃や川をいかだで下る恐ろしいシーンなど、手に汗握る興奮の160分は瞬く間に過ぎ、生き残った3代のジェネレーションを乗せた幌馬車が大西部の砂漠に消えて行くラストシーンは今でも鮮やかに思い浮かべることができます。

映画の中でデビー・レイノルズが度々歌い、ラストシーンでも昂揚的に流れる歌が、以来わたしの頭から離れませんでした。今でこそ、この美しい歌の原曲が「グリーンスリーブス」だと分かるものの、当時は歌の題名も知らず、上映中に覚えたメロディーと歌詞の一部「Away away come away with me 」「Come Come  there is a・・・・」。これのみが、映画のラストシーンとともにいつまでも耳から離れることがありまっせんでした。

この歌が流れるラストシーンは、3代の家族の過去と現在、未来をつなぐ希望の歌であるような気がして、その高揚感がたまりませんでした。

メロディーと耳に残った歌詞の一部を時折口ずさみながら、曲名を知りたいと思いながらずっと分からぬままに、やがて大阪暮らしの1年後、わたしは生まれ故郷へ帰郷、高校受験をし、当時の新設南高校に第一期生として入学しました。

ある日、音楽の授業で若い女教師が「今日はこの歌です」とピアノで引き出した曲に、わたしは頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。なんと、それはわたしの頭から離れなかった映画のメロディではありませんか!手渡された楽譜をまじまじと見つめながら、その偶然に震える思いで歌ったものです。わたしたちが覚えた歌詞は以下。

 ♪みどりの並木に そよ風吹く頃
  わたしの心も 緑にもえる
  あなたとともに 語る日近いと
  ばら色の雲が 呼びかけて 過ぎて行った

          イングランド民謡「グリーンスリーブス」

後に英語の歌詞も知ったのですが、しかし、あれ?「西部開拓史」で自分が聴いた歌詞とは違うではないの?

♪Alas, my love, you do me wrong
 To cast me off discourteously 
 For I have loved you well and long
 Delighting in your company.

ああ愛する人よ、
つれなくわたしを捨てた残酷な人
心からあなたを慕いそばにいるだけで
幸せだったわたしなのに。

なんだか違うぞ^^; これは恋人に捨てられた恨みつらみの歌ではないか?ついでに書きますと「Greensleaves」と言うのをわたしは辞書でろくに調べもせず長い間高校で習った歌詞の影響で、
「緑の並木」くらいに思ってきたのだが(いい加減な。笑)、実はとんでもない!

一説では、Lady Green Sleeves、つまり「緑の袖」とはイギリスではかつてその職業を表す印として、娼婦がつけることを求められたのだそうで(Wiki) いやはや、それを事実とすれば長年の勘違いもはなはだしいもの!

ネットがなかった時代は下手するとこういう勘違いはずっとそのまま生涯に及んだりすることも考えられるわけで。

さて、2年ほど前に、ショッピングセンターにあるフランス系書店「FNAC(フナック)」で、あの頃見た「西部開拓史」のDVDセットを購入しました。

eiga2-1.jpg

3枚のDVDに映画の説明の小冊子、それに撮影現場の写真も数枚含まれています。写真左上、デビー・レイノルズとグレゴリー・ペックのワンシーン。こういうのを見ると、アメリカはやはりとてつもなく大きな国なのだと改めて思います。

おお、出た!デビー・レイノルズがきれいな英語の発音で歌っており、わたしも15歳の昔と違い、今度はしっかりと歌詞を聴き取ることができました。

♪Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free
Away away come away with me
And I'll build you a home in the meadow….

Come Come
There's a wondrous land
For the hopeful heart, for the willing hand
Come, Come
There's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow

タイトルも「Home In The Meadow=草原の家」と、恨みつらみのグダグダ言った原曲を遥かにしのいで、大いなる希望を抱かせるようなデビーの歌は、わたしが15才のころから抱いていたイメージそのものでした。やっと、やっと巡り合えたわたしのあの歌!新たな希望が全身に涌き出て来るような素晴らしい曲調です。

毎年新しい年が明けるたびに、わたしはなぜか心の中でこのメロディーを口ずさんで来たのでした。

Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free

Come Come
There's a wondrous land

「さぁ、わたしと一緒に行こう。
わたしと一緒に希望の土地へ行こう」
 
下ではデビー扮するリリスとグレゴリー・ペック扮するギャンブラー、クリーブが船上で再開するシーンです。


このようなわけで、グリーンスリーブス、いや、デビー・レイノルズの「Home in the Meadow」は、15の大阪時代から半世紀以上を経た今も、この歌を聞くと胸いっぱいに大きな希望が湧いてくるような我が心のエバーグリーンの歌であります。この正月休みには再びこのDVDを鑑賞しようと思います。

デビー・レイノルズ、レイアリ姫、安らかに。

下記、興味あらばどぞ。

急行日本海:夜汽車に乗って(1

急行日本海:夜汽車に乗って(2)


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