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2018年12月28日

我が東京息子は只今ガールフレンドの母国フィリピン訪問中で、昨日は26日が仕事納めだったモイケル娘と池袋で昼食をとりました。その後、映画に誘いました。

ポルトで夫を誘ったところ、あまり興味を示さなかったので、では、一人で見に行こうと思いつつも、結局時間を作れずに日本へ来たのですが、調べてみると東京でまだ上映中。

題して「Bohemian Rhapsody」。ヒット曲を織りこんだロックバンドQueenのフレディ・マーキュリーの半生を語る映画でした。

fredy

fredy、Queenの、フレディのファンという訳ではありませんが、彼の、彼らの音楽には年代の枠を外れて惹きつけるものがあると思います。映画館は老若男女、満席でした。今朝、早朝に目が覚めて後、もう一度眠ろうと試みるわたしの頭の中は、チャリティーショー「ライブエイド」のラストシーンで歌われた名曲6曲がぐるぐる繰り返され、眠りに落ちるのに苦労しました。

まるで彗星のようにこの地球を過ぎ去って行った彼の生き方に少し心を揺さぶられたのでした。久しぶりにちょっといい映画を見たな、と感じています。

本日はこれにて。
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2018年3月21日 

ナザレを訪れたのはもう10年くらいも前になりますが、今日はナザレをロケ地にした映画にちなんだファドについて。

barco1.jpg

1999年に没した「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスが歌い、彼女を世に出した歌が「Barco Negro」(黒い舟)です。

日本語では「暗いはしけ」と訳されていますが、少し意味合いが違うように思います。「はしけ」は貨物や客を運ぶ小さな舟のことですが、「Barco Negro」は歌っている意味からして漁船です。

1954年のフランス映画作品「過去を持つ愛情」の中で、離婚暦を持つフランス人の恋人たちが、ナザレを訪れるシーンで歌われます。アマリアの歌の中でも名曲といわれるファド、と思ってきたのだが、なんと!原曲はブラジルの歌だったのです。

これには少し驚きました。 ポルトガル人も知らない人が多いのではないでしょうか。夫に、この知識をひけらかすと「まさか?」の顔で、いうことにゃ、「ネットにあることが全て正しいとは限らんぞ。」でありました(笑)

そんなことはもちろん承知ですよ、あぁた。 しかし、まぎれもない原曲を今度はポルトガル人人気歌手「ドゥルス・ポンテス」が歌っています。その原曲は「Mãe preta」(マイン・プレタ。直訳:黒い母=黒人の乳母の意味)。

♪黒人の乳母が主人の赤ん坊を揺りかごであやしている。
  こんな風にしてたくさんの白人の子供を喜んで育ててきたが、
  その間に、自分の子は農園で鞭打たれながら働いている。

と、黒人の母の悲しみを歌ったものですが、映画「過去を持つ愛情」では、歌詞をすっかり変えて原曲をはるかに上回るファドの名曲にのし上げていますね。

下記のリンクからこの2曲を是非聴き比べてみてください。

アマリアの「Barco Negro」


漁に出て行き帰ってこられないかもしれない愛する男への「あなたはわたしの胸の中にいつも生きている」との思いを切なく歌っています。
  
ドゥルス・ポンテスの「Mae Preta」 


明日は、ナザレ(2)を案内します。
本日これにて。
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2016年12月30日 

第一章からのスターウォーズファンとして、レイア姫を演じたキャリー・フィシャーが27日にまだ60歳の若さで亡くなったのは残念なことです。そして、彼女の母親、デビー・レイノルズがまるで後を追うかのように、翌日28日に死去したのも切ない話です。

デビー・レイノルズはわたしにとって、我が青春時代の忘れえぬ歌を歌った歌手でもあり、立て続けの母子死去の報道を耳にし、自分が生きてきた時代が大きくうねって変わっていくのを目の当たりにするような気がします。

かれこれ7年ほど前の今頃に綴ったデビーレイノルズに関する記事を少し書き換えて今日は載せようと思います。以下。


弘前からおじ夫婦のいる大阪へ家出をしたのは「日本海」がまだ急行列車だった1960年初期、わたしが中学生の頃でした。(この時のエピソードは記事の最後に案内しています。)

当時、地方の多くの若者がそうであったように、わたしも父に反抗する気持ちも加わって、こんな古臭い田舎はイヤだと、「都会」への強い憧憬はわたしに家出という手段をとらせたのでsじょた。

立て続けに家出して押しかけるわたしに、おじ夫婦は「困ったものだ」と思ったことでしょう。が、当時、子供がいなかった彼らは、結局わたしを引き取ってくれたのでした。1年後には高校受験を控えると言う中途半端な時期でしたが、おじ夫婦の親切に救われてわたしは中学3年生を大阪で過ごすことになりました。そうして始まった叔父夫婦との1年間は、わたしの人生の最初の転換期になったと思います。

思春期のわたしにとっては都会に生活することもそうでしたが、おじ夫婦が田舎では見られない新鮮なカップルの姿に見えたもので、その夫婦のあり方に当時は少なからず憧れたりしたものです。しかし、両親のもとにいた時のような経済的な不自由がなしと言え、「他人の釜の飯を食う」ということがどんなことなのかを、薄っすらと知ることができた時期でもありました。

弘前の両親との朝食はご飯に納豆だったのが、おじ宅では食パンにバターやマーマレード、ハムエッグにミルクと変わり、週末にはおじの運転で京都や奈良へドライブしたりなどして、弘前にいては見聞できなかった多くを経験できたものです。

それらの経験の中でも特に忘れられないのが「シネラマ」です。シネラマというのは、映画のスクリーンが湾曲しており通常の3倍ほどの大きさになったもので、日本全国で、そのスクリーンを持つ映画館は東京と大阪の二箇所のみでした。

湾曲した巨大なスクリーンで見る映画は音響も当時の普通の映画館で見るのとは俄然違い、映画の中に観客をひきこむような迫力がありました。大阪の梅田界隈だったと記憶しているそのシネラマ劇場におじに連れられて観た映画は「これがシネラマだ」「世界の七不思議」、そして「西部開拓史」でした。

中でも、「How the West Was Won」(=西部はいかにして勝ち取られたか)の「西部開拓史」は、以後わたしの大好きな映画のひとつになりました。もっともこれは白人側の目で見たアメリカ歴史で、アメリカン・インディアンからすると虐殺の歴史にも通じるのですが、本日はそこを置いといて。

映画は、いかだで川を渡り、大草原を切り開いてひたすら西部を目指す1830年代から半世紀にわたるある家族の3世代の物語。南北戦争、鉄道敷設、そしてウエスタン拳銃時代と大きなプロットが入ります。

出演はジェイムス・スチュアート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、デビー・レイノルズといった、当時のハリウッドきっての豪華キャストで、アメリカの開拓歴史とともに西部劇の面白さが結集された作品です。

165分という上映時間の長さを忘れてしまう程、興奮の連続でした。その映画でわたしは初めて「フロンティア精神」と言う言葉を知り、「アメリカ」という国のとてつもない大きさ、逞しさに15歳のわたしは圧倒されたものです。

インディアンの襲撃や川をいかだで下る恐ろしいシーンなど、手に汗握る興奮の160分は瞬く間に過ぎ、生き残った3代のジェネレーションを乗せた幌馬車が大西部の砂漠に消えて行くラストシーンは今でも鮮やかに思い浮かべることができます。

映画の中でデビー・レイノルズが度々歌い、ラストシーンでも昂揚的に流れる歌が、以来わたしの頭から離れませんでした。今でこそ、この美しい歌の原曲が「グリーンスリーブス」だと分かるものの、当時は歌の題名も知らず、上映中に覚えたメロディーと歌詞の一部「Away away come away with me 」「Come Come  there is a・・・・」。これのみが、映画のラストシーンとともにいつまでも耳から離れることがありまっせんでした。

この歌が流れるラストシーンは、3代の家族の過去と現在、未来をつなぐ希望の歌であるような気がして、その高揚感がたまりませんでした。

メロディーと耳に残った歌詞の一部を時折口ずさみながら、曲名を知りたいと思いながらずっと分からぬままに、やがて大阪暮らしの1年後、わたしは生まれ故郷へ帰郷、高校受験をし、当時の新設南高校に第一期生として入学しました。

ある日、音楽の授業で若い女教師が「今日はこの歌です」とピアノで引き出した曲に、わたしは頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。なんと、それはわたしの頭から離れなかった映画のメロディではありませんか!手渡された楽譜をまじまじと見つめながら、その偶然に震える思いで歌ったものです。わたしたちが覚えた歌詞は以下。

 ♪みどりの並木に そよ風吹く頃
  わたしの心も 緑にもえる
  あなたとともに 語る日近いと
  ばら色の雲が 呼びかけて 過ぎて行った

          イングランド民謡「グリーンスリーブス」

後に英語の歌詞も知ったのですが、しかし、あれ?「西部開拓史」で自分が聴いた歌詞とは違うではないの?

♪Alas, my love, you do me wrong
 To cast me off discourteously 
 For I have loved you well and long
 Delighting in your company.

ああ愛する人よ、
つれなくわたしを捨てた残酷な人
心からあなたを慕いそばにいるだけで
幸せだったわたしなのに。

なんだか違うぞ^^; これは恋人に捨てられた恨みつらみの歌ではないか?ついでに書きますと「Greensleaves」と言うのをわたしは辞書でろくに調べもせず長い間高校で習った歌詞の影響で、
「緑の並木」くらいに思ってきたのだが(いい加減な。笑)、実はとんでもない!

一説では、Lady Green Sleeves、つまり「緑の袖」とはイギリスではかつてその職業を表す印として、娼婦がつけることを求められたのだそうで(Wiki) いやはや、それを事実とすれば長年の勘違いもはなはだしいもの!

ネットがなかった時代は下手するとこういう勘違いはずっとそのまま生涯に及んだりすることも考えられるわけで。

さて、2年ほど前に、ショッピングセンターにあるフランス系書店「FNAC(フナック)」で、あの頃見た「西部開拓史」のDVDセットを購入しました。

eiga2-1.jpg

3枚のDVDに映画の説明の小冊子、それに撮影現場の写真も数枚含まれています。写真左上、デビー・レイノルズとグレゴリー・ペックのワンシーン。こういうのを見ると、アメリカはやはりとてつもなく大きな国なのだと改めて思います。

おお、出た!デビー・レイノルズがきれいな英語の発音で歌っており、わたしも15歳の昔と違い、今度はしっかりと歌詞を聴き取ることができました。

♪Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free
Away away come away with me
And I'll build you a home in the meadow….

Come Come
There's a wondrous land
For the hopeful heart, for the willing hand
Come, Come
There's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow

タイトルも「Home In The Meadow=草原の家」と、恨みつらみのグダグダ言った原曲を遥かにしのいで、大いなる希望を抱かせるようなデビーの歌は、わたしが15才のころから抱いていたイメージそのものでした。やっと、やっと巡り合えたわたしのあの歌!新たな希望が全身に涌き出て来るような素晴らしい曲調です。

毎年新しい年が明けるたびに、わたしはなぜか心の中でこのメロディーを口ずさんで来たのでした。

Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free

Come Come
There's a wondrous land

「さぁ、わたしと一緒に行こう。
わたしと一緒に希望の土地へ行こう」
 
下ではデビー扮するリリスとグレゴリー・ペック扮するギャンブラー、クリーブが船上で再開するシーンです。


このようなわけで、グリーンスリーブス、いや、デビー・レイノルズの「Home in the Meadow」は、15の大阪時代から半世紀以上を経た今も、この歌を聞くと胸いっぱいに大きな希望が湧いてくるような我が心のエバーグリーンの歌であります。この正月休みには再びこのDVDを鑑賞しようと思います。

デビー・レイノルズ、レイアリ姫、安らかに。

下記、興味あらばどぞ。

急行日本海:夜汽車に乗って(1

急行日本海:夜汽車に乗って(2)


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2013年11月10日 

このところ立て続けに十代の頃大好きだった著名人が鬼籍に入り、時代
の移り変わりをひしひしと身に感じています。

その中の一人、ブログで取り上げようと思いながらも、時間に追われてつ
い書きそびれてしまったのが、作詞家の岩谷時子さんです。シャンソンが
好きだったわたしは「ろくでなし」「幸せを売る男」「ミロール」など、
洗練された訳詩、その大人っぽさに魅力を感じて訳詩名に目を向けてみたと
ころが、どれも岩谷時子さんでした。

以来、わたしが好きな曲の歌詞の多くは彼女の訳詩、作詞がついていること
に気づきました。無遠慮な言い方をすれば、岩谷時子さんの詩にわたしの
フィーリングがぴったり合うのでした。

彼女の作詞した「サン・トワ・マミー」はわたしが大阪梅田新道アサヒビア
・ハウスで、会社の同僚達のおだてに乗せられ人前で初めて歌った曲です。
それがきっかけでスカウトされ、そこでバイト歌姫になり、同じく彼女訳詩
の「ケ・サラ」(ケ・セラ・セラではないよ)同様、リクエストが最も多か
ったわたしの十八番(おはこ)でした。

♪平和で美しい国 信じあえる人ばかり
 だけど明日は どうなることやら 誰も分かりはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ 
わたしたち人生は階段を手探りで歩くようなもの 
 ケ・サラ ケ・サラ クエル・ケ・サラ

(こちらでホセ・フェリシアーノの歌が聴けます。→ ケ・サラ

シャンソンの訳詩もそうですが、忘れられないのは「夜明けのうた」です。

♪夜明けのうたよ ぼくの心の 昨日のかなしみ 流しておくれ
 夜明けのうたよ ぼくの心に 若い力を 満たしておくれ
 
 夜明けのうたよ ぼくの心の 溢れる思いを 分かっておくれ
 夜明けのうたよ ぼくの心に でっかい望みを 抱かせておくれ


岸洋子さんが歌ってヒットした歌ですが、元は坂本九ちゃんが作曲家を夢
見るバンドマンを演じたドラマの中で歌っていました。調べてみるとこの
ドラマは1963年に日本テレビで放映された「ぼうや」だそうで、脚本
は「北の国から」の倉本聡です。わたしが16歳のことでした。

その時はヒットこそしませんでしたが、いい歌だと思ったわたしの耳に残り
覚えていました。上に書いたのはその九ちゃん版で、わたしは歌詞でいつも
歌っていました。

10代も終わりから20代後半まで、都会での一人暮らしです。ギリギリの生
活に喘いでいたあの頃、テレビのない小さな部屋で独学で覚えたヘタクソ
なギターを弾きながら、何度となくこの歌を歌っては見失いそうな希望を
取り戻したものでした。

岩谷時子さんの訃報を目にしたその翌日、久しぶりに娘のピアノの鍵盤に手
を触れ、この歌を歌ってみました。たまたまその日、早く帰宅した夫がドア
を開けるなり言うには、
「珍しいね。君がそんな風にして歌ってるなんて」

この数年、歌うことも忘れていたカナリア、いや、わたしの場合はかなりの
低音ですから歌を忘れたオームでしょうか、声も出なくなった近頃ですが、
歌いだすと夕食の準備も忘れて大声を出していたかつてを思い出し、音域が
許される曲をこんな風に再開してみようかしらとふと思いき。

岩谷時子さん、あの頃のわたしに希望をいただきありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
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2012年2月13日

がび~~~ん

長年愛用してきた愛機Window XPが酷使したせいか壊滅してしまった・・・
「外付けHDD」にある程度のファイルは保存していたのだが、忙しさにかまけ
てついつい昨年後半あたりから更新保存を怠ってきたのである。

諦めてはいたが修繕に出してみたところ、やはりディスクがぶっ壊れ修復不
可、ファイルが一部消滅してしまった(涙)
先週始めのことで、その意気消沈から立ち直るのに数日を要したのであります。

ということでただいまpc英語版を注文中で、夫のノートパソコンからの
更新です。使い慣れていないのとポルトガル語版なのとで使いにくいと言った
らありません。誤字もあちこちで見かけるかと思いますが、どうぞご勘弁を。
毎度のことですよってに、って誰ですのん?そんなことをおっしゃってます
のは(笑)

今日はポルトガルの話題から離れて、まだこちらに載せていないエッセイの
rewriteです。知っている方はスルーをば。

ズッコケ親子のチャゲ&飛鳥

chageasu
   画像はWikiより。

いい音楽は、心を豊かにしてくれる。
     
わたしは子供達が幼い頃から、家中で音楽を流しながら立ち仕事座り仕事を
よくしたものだ。
岩崎宏美の日本愛唱歌、ジョン・デンバー、キャッツ・スティーブン、パバ
ロッティ、ショパン、モーツアルト、ユーミン、研ナオコ、エディット・ピ
アフ、高橋真梨子等等、ジャンル、洋の東西を問わず好きな音楽は何度でも
聴く。家中が音楽で溢れていると、何故だかそれだけで心が満ち足りるのだ。

大してうまくもない歌も、時々一人でヘタクソなピアノを弾きながら歌った
りすると、時の経つのも忘れ1時間2時間とやってしまい、
「お~~い、奥さん、晩飯はまだかぁ」と夫の声がかかり「あらん^^;」
と言うこと度々だった。

このような生活環境だったから、子供達もおのずと音楽好きに育った。
レコードから流れているのや、わたしが歌うのを聴いたりして、子供達の
年代にしては、古い歌も随分知っているのではないかと思う。

「空にゃ今日もアドバルーン~ さぞかし会社でいまごろは~」なんて歌は、
我が母が歌うのを子供だったわたしが耳にして覚えていたのだが、これを
英語にしたのを見つけては、もいける娘と二人大いに盛り上がったものだ。
      
      Today adbaloon in the sky,
      Perhaps he is in the company.
      I think he is very busy.
      ああ,nevertherless nevertherless, don´t you?
      I get angry I get angry it is naturalね~          

題「ああ、それなのに」:サトーハチロー作詞、古賀正男作曲
1937年ヒット。もちろんわたしは生まれてません^^

「なによ、これぇ~」と喜んでは二人ともしばらくこの歌詞
が頭から出ていかないのであった。

息子は小学生のころ、ロック歌手ティナ・ターナーや
Guns & Rosesなどに一時夢中になり、エレキギターからアコースティックギ
ターを経て、今ではアパートの一室をスタジオにしてコンピューターを駆使
しし面白い音楽作曲にいそしんで
いる。

モイケル娘とわたしは音楽の趣味が合うようで、今でも時々それぞれが好き
な音楽をネットを通じて紹介し合ったりしている。

そのわたしたち二人がバッチリ意見も合い大好きだったのが「チャゲ&飛鳥」
である。「チャゲアス」をわたしたちが知ったのは、彼らの最高潮時期を過
ぎてからなのだ。

当時ポルトガルでは日本のテレビドラマのビデオも何年も遅れて見るのがざ
らであった。日本に帰国していた時にたまたま観た、再々放送くらいのドラ
マ「振り返れば奴がいる」。ドラマも面白かったがテーマ曲に二人とも
「ぬぬ?」となったのが「Yah Yah Yah」。
なんと斬新な歌詞!メロディ!いけるじゃん!このDuo、「101回目のプ
ロポーズ」の「Say, yes」の二人ではないの。
      
そして、その年の夏、帰国した日本の映画館で観た宮崎駿氏の「耳をすませ
ば」と同時上映された7分間のアニメフィルム、「On Your Mark」を観たの
だ。チャゲアスの歌「On Your Mark」がずっと流れ、少し不思議な未来アニ
メだった。歌詞もメロディも抜群に肌に合った^^
以来、わたしたちはチャゲアスのcdを聴きまくることになる。

Yah Yah Yahをかけながら、On Your Markを聴きながら、車をぶっとばすこと
の気持ちよさったらない^^

♪い~まからソイツを これからソイツを 殴りに行こうか~。
Yah Yah Yah Yah Yah Yah Ya~

飛鳥、アンパン顔だけど、カッコいいじゃん。こんなセンスのいい音楽を
作る事ができるんだねぇ^^ と、モイケル娘とわたしは彼らの歌にすっか
り酔ってしまったのである。

ある日、ポルトで日本人の友人宅から帰って来たモイケル娘、

「おっかさん、あのさ・・・・わたしたち、とんでもない勘違いしてる。
 チャゲアスね、今日、友達んとこのテレビで観たんだけど・・・
 チャゲが飛鳥で、飛鳥がチャゲ
だったよーー!

      
え?え?なんでんねん、そりゃ?

cdで聴くだけのチャゲアス、「チャゲと飛鳥の映像」を観たことのない我ら
親子は、cdの歌詞小冊子に載る二人の写真を見て、「チャゲを飛鳥と思い、
飛鳥をチャゲ」と勝手に信じ込んでいたのである

う、うそ・・・そんなぁ。今更ひどいよ。
イメージチェンジ、きかないよ~~(爆笑)      

いやはや、これには参ったズッコケ親子。
いったい全体、何がどうしてそんな事になってしまったのか^^;友人連
に話しては、「あんたら、アホ」の一言で片付けられたのではあった。

いったん頭の中に定着してしまった「チャゲが飛鳥で飛鳥がチャゲ」像、こ
れを払拭するのに長い長い時間がかかったのでした。

それにしても、飛鳥さんの詩に心をグッと鷲づかみされるような不思議な斬
新さをわたしは感じるのです。



いーまから そいつを これから そいつを なぐりに いこーかー

なんてあまり女性が声高々に歌っていいものかとは思うものの、女だって
殴ってやりたい人間の一人や二人はいたりしますものね。
      
久しぶりに聴きたくなりました^^
殴りたいヤツ、いるのかって?
断りもなく壊れちまったパソコンよ!
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