2016年12月30日 

第一章からのスターウォーズファンとして、レイア姫を演じたキャリー・フィシャーが27日にまだ60歳の若さで亡くなったのは残念なことです。そして、彼女の母親、デビー・レイノルズがまるで後を追うかのように、翌日28日に死去したのも切ない話です。

デビー・レイノルズはわたしにとって、我が青春時代の忘れえぬ歌を歌った歌手でもあり、立て続けの母子死去の報道を耳にし、自分が生きてきた時代が大きくうねって変わっていくのを目の当たりにするような気がします。

かれこれ7年ほど前の今頃に綴ったデビーレイノルズに関する記事を少し書き換えて今日は載せようと思います。以下。


弘前からおじ夫婦のいる大阪へ家出をしたのは「日本海」がまだ急行列車だった1960年初期、わたしが中学生の頃でした。(この時のエピソードは記事の最後に案内しています。)

当時、地方の多くの若者がそうであったように、わたしも父に反抗する気持ちも加わって、こんな古臭い田舎はイヤだと、「都会」への強い憧憬はわたしに家出という手段をとらせたのでsじょた。

立て続けに家出して押しかけるわたしに、おじ夫婦は「困ったものだ」と思ったことでしょう。が、当時、子供がいなかった彼らは、結局わたしを引き取ってくれたのでした。1年後には高校受験を控えると言う中途半端な時期でしたが、おじ夫婦の親切に救われてわたしは中学3年生を大阪で過ごすことになりました。そうして始まった叔父夫婦との1年間は、わたしの人生の最初の転換期になったと思います。

思春期のわたしにとっては都会に生活することもそうでしたが、おじ夫婦が田舎では見られない新鮮なカップルの姿に見えたもので、その夫婦のあり方に当時は少なからず憧れたりしたものです。しかし、両親のもとにいた時のような経済的な不自由がなしと言え、「他人の釜の飯を食う」ということがどんなことなのかを、薄っすらと知ることができた時期でもありました。

弘前の両親との朝食はご飯に納豆だったのが、おじ宅では食パンにバターやマーマレード、ハムエッグにミルクと変わり、週末にはおじの運転で京都や奈良へドライブしたりなどして、弘前にいては見聞できなかった多くを経験できたものです。

それらの経験の中でも特に忘れられないのが「シネラマ」です。シネラマというのは、映画のスクリーンが湾曲しており通常の3倍ほどの大きさになったもので、日本全国で、そのスクリーンを持つ映画館は東京と大阪の二箇所のみでした。

湾曲した巨大なスクリーンで見る映画は音響も当時の普通の映画館で見るのとは俄然違い、映画の中に観客をひきこむような迫力がありました。大阪の梅田界隈だったと記憶しているそのシネラマ劇場におじに連れられて観た映画は「これがシネラマだ」「世界の七不思議」、そして「西部開拓史」でした。

中でも、「How the West Was Won」(=西部はいかにして勝ち取られたか)の「西部開拓史」は、以後わたしの大好きな映画のひとつになりました。もっともこれは白人側の目で見たアメリカ歴史で、アメリカン・インディアンからすると虐殺の歴史にも通じるのですが、本日はそこを置いといて。

映画は、いかだで川を渡り、大草原を切り開いてひたすら西部を目指す1830年代から半世紀にわたるある家族の3世代の物語。南北戦争、鉄道敷設、そしてウエスタン拳銃時代と大きなプロットが入ります。

出演はジェイムス・スチュアート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、デビー・レイノルズといった、当時のハリウッドきっての豪華キャストで、アメリカの開拓歴史とともに西部劇の面白さが結集された作品です。

165分という上映時間の長さを忘れてしまう程、興奮の連続でした。その映画でわたしは初めて「フロンティア精神」と言う言葉を知り、「アメリカ」という国のとてつもない大きさ、逞しさに15歳のわたしは圧倒されたものです。

インディアンの襲撃や川をいかだで下る恐ろしいシーンなど、手に汗握る興奮の160分は瞬く間に過ぎ、生き残った3代のジェネレーションを乗せた幌馬車が大西部の砂漠に消えて行くラストシーンは今でも鮮やかに思い浮かべることができます。

映画の中でデビー・レイノルズが度々歌い、ラストシーンでも昂揚的に流れる歌が、以来わたしの頭から離れませんでした。今でこそ、この美しい歌の原曲が「グリーンスリーブス」だと分かるものの、当時は歌の題名も知らず、上映中に覚えたメロディーと歌詞の一部「Away away come away with me 」「Come Come  there is a・・・・」。これのみが、映画のラストシーンとともにいつまでも耳から離れることがありまっせんでした。

この歌が流れるラストシーンは、3代の家族の過去と現在、未来をつなぐ希望の歌であるような気がして、その高揚感がたまりませんでした。

メロディーと耳に残った歌詞の一部を時折口ずさみながら、曲名を知りたいと思いながらずっと分からぬままに、やがて大阪暮らしの1年後、わたしは生まれ故郷へ帰郷、高校受験をし、当時の新設南高校に第一期生として入学しました。

ある日、音楽の授業で若い女教師が「今日はこの歌です」とピアノで引き出した曲に、わたしは頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。なんと、それはわたしの頭から離れなかった映画のメロディではありませんか!手渡された楽譜をまじまじと見つめながら、その偶然に震える思いで歌ったものです。わたしたちが覚えた歌詞は以下。

 ♪みどりの並木に そよ風吹く頃
  わたしの心も 緑にもえる
  あなたとともに 語る日近いと
  ばら色の雲が 呼びかけて 過ぎて行った

          イングランド民謡「グリーンスリーブス」

後に英語の歌詞も知ったのですが、しかし、あれ?「西部開拓史」で自分が聴いた歌詞とは違うではないの?

♪Alas, my love, you do me wrong
 To cast me off discourteously 
 For I have loved you well and long
 Delighting in your company.

ああ愛する人よ、
つれなくわたしを捨てた残酷な人
心からあなたを慕いそばにいるだけで
幸せだったわたしなのに。

なんだか違うぞ^^; これは恋人に捨てられた恨みつらみの歌ではないか?ついでに書きますと「Greensleaves」と言うのをわたしは辞書でろくに調べもせず長い間高校で習った歌詞の影響で、
「緑の並木」くらいに思ってきたのだが(いい加減な。笑)、実はとんでもない!

一説では、Lady Green Sleeves、つまり「緑の袖」とはイギリスではかつてその職業を表す印として、娼婦がつけることを求められたのだそうで(Wiki) いやはや、それを事実とすれば長年の勘違いもはなはだしいもの!

ネットがなかった時代は下手するとこういう勘違いはずっとそのまま生涯に及んだりすることも考えられるわけで。

さて、2年ほど前に、ショッピングセンターにあるフランス系書店「FNAC(フナック)」で、あの頃見た「西部開拓史」のDVDセットを購入しました。

eiga2-1.jpg

3枚のDVDに映画の説明の小冊子、それに撮影現場の写真も数枚含まれています。写真左上、デビー・レイノルズとグレゴリー・ペックのワンシーン。こういうのを見ると、アメリカはやはりとてつもなく大きな国なのだと改めて思います。

おお、出た!デビー・レイノルズがきれいな英語の発音で歌っており、わたしも15歳の昔と違い、今度はしっかりと歌詞を聴き取ることができました。

♪Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free
Away away come away with me
And I'll build you a home in the meadow….

Come Come
There's a wondrous land
For the hopeful heart, for the willing hand
Come, Come
There's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow

タイトルも「Home In The Meadow=草原の家」と、恨みつらみのグダグダ言った原曲を遥かにしのいで、大いなる希望を抱かせるようなデビーの歌は、わたしが15才のころから抱いていたイメージそのものでした。やっと、やっと巡り合えたわたしのあの歌!新たな希望が全身に涌き出て来るような素晴らしい曲調です。

毎年新しい年が明けるたびに、わたしはなぜか心の中でこのメロディーを口ずさんで来たのでした。

Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free

Come Come
There's a wondrous land

「さぁ、わたしと一緒に行こう。
わたしと一緒に希望の土地へ行こう」
 
下ではデビー扮するリリスとグレゴリー・ペック扮するギャンブラー、クリーブが船上で再開するシーンです。


このようなわけで、グリーンスリーブス、いや、デビー・レイノルズの「Home in the Meadow」は、15の大阪時代から半世紀以上を経た今も、この歌を聞くと胸いっぱいに大きな希望が湧いてくるような我が心のエバーグリーンの歌であります。この正月休みには再びこのDVDを鑑賞しようと思います。

デビー・レイノルズ、レイアリ姫、安らかに。

下記、興味あらばどぞ。

急行日本海:夜汽車に乗って(1

急行日本海:夜汽車に乗って(2)


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2013年11月10日 

このところ立て続けに十代の頃大好きだった著名人が鬼籍に入り、時代
の移り変わりをひしひしと身に感じています。

その中の一人、ブログで取り上げようと思いながらも、時間に追われてつ
い書きそびれてしまったのが、作詞家の岩谷時子さんです。シャンソンが
好きだったわたしは「ろくでなし」「幸せを売る男」「ミロール」など、
洗練された訳詩、その大人っぽさに魅力を感じて訳詩名に目を向けてみたと
ころが、どれも岩谷時子さんでした。

以来、わたしが好きな曲の歌詞の多くは彼女の訳詩、作詞がついていること
に気づきました。無遠慮な言い方をすれば、岩谷時子さんの詩にわたしの
フィーリングがぴったり合うのでした。

彼女の作詞した「サン・トワ・マミー」はわたしが大阪梅田新道アサヒビア
・ハウスで、会社の同僚達のおだてに乗せられ人前で初めて歌った曲です。
それがきっかけでスカウトされ、そこでバイト歌姫になり、同じく彼女訳詩
の「ケ・サラ」(ケ・セラ・セラではないよ)同様、リクエストが最も多か
ったわたしの十八番(おはこ)でした。

♪平和で美しい国 信じあえる人ばかり
 だけど明日は どうなることやら 誰も分かりはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ 
わたしたち人生は階段を手探りで歩くようなもの 
 ケ・サラ ケ・サラ クエル・ケ・サラ

(こちらでホセ・フェリシアーノの歌が聴けます。→ ケ・サラ

シャンソンの訳詩もそうですが、忘れられないのは「夜明けのうた」です。

♪夜明けのうたよ ぼくの心の 昨日のかなしみ 流しておくれ
 夜明けのうたよ ぼくの心に 若い力を 満たしておくれ
 
 夜明けのうたよ ぼくの心の 溢れる思いを 分かっておくれ
 夜明けのうたよ ぼくの心に でっかい望みを 抱かせておくれ


岸洋子さんが歌ってヒットした歌ですが、元は坂本九ちゃんが作曲家を夢
見るバンドマンを演じたドラマの中で歌っていました。調べてみるとこの
ドラマは1963年に日本テレビで放映された「ぼうや」だそうで、脚本
は「北の国から」の倉本聡です。わたしが16歳のことでした。

その時はヒットこそしませんでしたが、いい歌だと思ったわたしの耳に残り
覚えていました。上に書いたのはその九ちゃん版で、わたしは歌詞でいつも
歌っていました。

10代も終わりから20代後半まで、都会での一人暮らしです。ギリギリの生
活に喘いでいたあの頃、テレビのない小さな部屋で独学で覚えたヘタクソ
なギターを弾きながら、何度となくこの歌を歌っては見失いそうな希望を
取り戻したものでした。

岩谷時子さんの訃報を目にしたその翌日、久しぶりに娘のピアノの鍵盤に手
を触れ、この歌を歌ってみました。たまたまその日、早く帰宅した夫がドア
を開けるなり言うには、
「珍しいね。君がそんな風にして歌ってるなんて」

この数年、歌うことも忘れていたカナリア、いや、わたしの場合はかなりの
低音ですから歌を忘れたオームでしょうか、声も出なくなった近頃ですが、
歌いだすと夕食の準備も忘れて大声を出していたかつてを思い出し、音域が
許される曲をこんな風に再開してみようかしらとふと思いき。

岩谷時子さん、あの頃のわたしに希望をいただきありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
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テーマ:音楽
ジャンル:音楽
2012年2月13日

がび~~~ん

長年愛用してきた愛機Window XPが酷使したせいか壊滅してしまった・・・
「外付けHDD」にある程度のファイルは保存していたのだが、忙しさにかまけ
てついつい昨年後半あたりから更新保存を怠ってきたのである。

諦めてはいたが修繕に出してみたところ、やはりディスクがぶっ壊れ修復不
可、ファイルが一部消滅してしまった(涙)
先週始めのことで、その意気消沈から立ち直るのに数日を要したのであります。

ということでただいまpc英語版を注文中で、夫のノートパソコンからの
更新です。使い慣れていないのとポルトガル語版なのとで使いにくいと言った
らありません。誤字もあちこちで見かけるかと思いますが、どうぞご勘弁を。
毎度のことですよってに、って誰ですのん?そんなことをおっしゃってます
のは(笑)

今日はポルトガルの話題から離れて、まだこちらに載せていないエッセイの
rewriteです。知っている方はスルーをば。

ズッコケ親子のチャゲ&飛鳥

chageasu
   画像はWikiより。

いい音楽は、心を豊かにしてくれる。
     
わたしは子供達が幼い頃から、家中で音楽を流しながら立ち仕事座り仕事を
よくしたものだ。
岩崎宏美の日本愛唱歌、ジョン・デンバー、キャッツ・スティーブン、パバ
ロッティ、ショパン、モーツアルト、ユーミン、研ナオコ、エディット・ピ
アフ、高橋真梨子等等、ジャンル、洋の東西を問わず好きな音楽は何度でも
聴く。家中が音楽で溢れていると、何故だかそれだけで心が満ち足りるのだ。

大してうまくもない歌も、時々一人でヘタクソなピアノを弾きながら歌った
りすると、時の経つのも忘れ1時間2時間とやってしまい、
「お~~い、奥さん、晩飯はまだかぁ」と夫の声がかかり「あらん^^;」
と言うこと度々だった。

このような生活環境だったから、子供達もおのずと音楽好きに育った。
レコードから流れているのや、わたしが歌うのを聴いたりして、子供達の
年代にしては、古い歌も随分知っているのではないかと思う。

「空にゃ今日もアドバルーン~ さぞかし会社でいまごろは~」なんて歌は、
我が母が歌うのを子供だったわたしが耳にして覚えていたのだが、これを
英語にしたのを見つけては、もいける娘と二人大いに盛り上がったものだ。
      
      Today adbaloon in the sky,
      Perhaps he is in the company.
      I think he is very busy.
      ああ,nevertherless nevertherless, don´t you?
      I get angry I get angry it is naturalね~          

題「ああ、それなのに」:サトーハチロー作詞、古賀正男作曲
1937年ヒット。もちろんわたしは生まれてません^^

「なによ、これぇ~」と喜んでは二人ともしばらくこの歌詞
が頭から出ていかないのであった。

息子は小学生のころ、ロック歌手ティナ・ターナーや
Guns & Rosesなどに一時夢中になり、エレキギターからアコースティックギ
ターを経て、今ではアパートの一室をスタジオにしてコンピューターを駆使
しし面白い音楽作曲にいそしんで
いる。

モイケル娘とわたしは音楽の趣味が合うようで、今でも時々それぞれが好き
な音楽をネットを通じて紹介し合ったりしている。

そのわたしたち二人がバッチリ意見も合い大好きだったのが「チャゲ&飛鳥」
である。「チャゲアス」をわたしたちが知ったのは、彼らの最高潮時期を過
ぎてからなのだ。

当時ポルトガルでは日本のテレビドラマのビデオも何年も遅れて見るのがざ
らであった。日本に帰国していた時にたまたま観た、再々放送くらいのドラ
マ「振り返れば奴がいる」。ドラマも面白かったがテーマ曲に二人とも
「ぬぬ?」となったのが「Yah Yah Yah」。
なんと斬新な歌詞!メロディ!いけるじゃん!このDuo、「101回目のプ
ロポーズ」の「Say, yes」の二人ではないの。
      
そして、その年の夏、帰国した日本の映画館で観た宮崎駿氏の「耳をすませ
ば」と同時上映された7分間のアニメフィルム、「On Your Mark」を観たの
だ。チャゲアスの歌「On Your Mark」がずっと流れ、少し不思議な未来アニ
メだった。歌詞もメロディも抜群に肌に合った^^
以来、わたしたちはチャゲアスのcdを聴きまくることになる。

Yah Yah Yahをかけながら、On Your Markを聴きながら、車をぶっとばすこと
の気持ちよさったらない^^

♪い~まからソイツを これからソイツを 殴りに行こうか~。
Yah Yah Yah Yah Yah Yah Ya~

飛鳥、アンパン顔だけど、カッコいいじゃん。こんなセンスのいい音楽を
作る事ができるんだねぇ^^ と、モイケル娘とわたしは彼らの歌にすっか
り酔ってしまったのである。

ある日、ポルトで日本人の友人宅から帰って来たモイケル娘、

「おっかさん、あのさ・・・・わたしたち、とんでもない勘違いしてる。
 チャゲアスね、今日、友達んとこのテレビで観たんだけど・・・
 チャゲが飛鳥で、飛鳥がチャゲ
だったよーー!

      
え?え?なんでんねん、そりゃ?

cdで聴くだけのチャゲアス、「チャゲと飛鳥の映像」を観たことのない我ら
親子は、cdの歌詞小冊子に載る二人の写真を見て、「チャゲを飛鳥と思い、
飛鳥をチャゲ」と勝手に信じ込んでいたのである

う、うそ・・・そんなぁ。今更ひどいよ。
イメージチェンジ、きかないよ~~(爆笑)      

いやはや、これには参ったズッコケ親子。
いったい全体、何がどうしてそんな事になってしまったのか^^;友人連
に話しては、「あんたら、アホ」の一言で片付けられたのではあった。

いったん頭の中に定着してしまった「チャゲが飛鳥で飛鳥がチャゲ」像、こ
れを払拭するのに長い長い時間がかかったのでした。

それにしても、飛鳥さんの詩に心をグッと鷲づかみされるような不思議な斬
新さをわたしは感じるのです。



いーまから そいつを これから そいつを なぐりに いこーかー

なんてあまり女性が声高々に歌っていいものかとは思うものの、女だって
殴ってやりたい人間の一人や二人はいたりしますものね。
      
久しぶりに聴きたくなりました^^
殴りたいヤツ、いるのかって?
断りもなく壊れちまったパソコンよ!
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テーマ:音楽のある生活
ジャンル:音楽
2012年2月5日 

午前中は少し我慢をすればほとんどヒーターをつけることなく済ませられた
1月でしたが、2月に入るなり気温がグンと下がり、ここ数日、9:30の
気温が4℃、最高気温が6℃という日もありました。pcの前に座って仕事
をし続けると、首筋、足元が寒くて仕方がない。というので、このところ朝
からガス・ヒーターをつけていますが、まぁ、終わるのがはやいこと。

我が家のある一帯はまだ都市ガスにはなっていないのでガスが終わるとその
都度ガスボンベを配達してもらいます。これがまぁ、近頃トンと値段が上が
り、一本が25ユーロ、ほぼ2500円で、4、5日しか持たず光熱費がか
さ張る今冬です。

そんな中、昨日はポルトで午後1時半から漢字検定試験が実施されました。
Oちゃんと共同で教えている我らが「YY日本語塾」(二人の頭文字と、ワイ
ワイ楽しく日本語を学んで欲しいとの願いもこめて改名です^^)からは
受験者20数名のうち6名の予定でしたが一人は欠席、5名受けました。

生徒さんの応援にとわたしは受験会場である補習校に駆けつけたのですが、
Oちゃんの女生徒が試験時間になっても現れず。試験監督のお役目で動く
ことができず、結局わたしが試験場の門まで出て、まだかまだかと待って
いたのですが、とうとう現れず・・・・

遅刻入場許可時間、残り5分で受験できないという段になり、なんと!
普段は開いているが土曜日は開かないという反対側の通りの門で待って
いたと言うではありませんか!

ずっと待っていたのだそうで可哀想に半分泣きながら、ギリギリに受験
教室に入ることができました。
実は受験会場の住所が彼女が待っていた通りの名前になっているのです。
う~ん、これは受験案内にそちらの門は閉まっているので別の門から入場と
しつこく言わなければならないと思った次第です。

とにかく無事に今年度の漢検は終了し、わたしも今週からやっと通常の
日本語授業に戻ることができます。試験指導はできれば避けて本人次第
だと言えれば楽なのですが、そこが情です、受けるからには合格して欲し
い。ついつい熱が入って受験する当人よりこちらが疲れたりしてます(笑)

みんな、合格するといいね。

さて、今日は我が東京息子の話です。

息子が日本へ行って丁度3年になろうとしています。行った当時のおのぼり
さん振りも取れて東京の生活に表面上は慣れたかと思うこの頃です。
昨秋体調を崩して音楽活動を休止していたのですが、再活動したようで、
3度目のCDリリースです。

JoaoRiu

作曲したから聴いてくれと紹介されてもう4、5年になるでしょうか。初め
て聴かされた時は、「うわっ!なんだこりゃ」と言うのが正直な感想ですが、
何度か聴いているうちに耳も慣れ、近頃の作品は「そんなに悪くないかも?」
と親バカ振り 

たまに仕事をしながら聴いたりすると我知らずそのリズムに乗っている自分
に気がつく。仕事中と言っても日本語授業ではもちろんない。
pcに向かって己が無才と闘いながら、ひたすら文章の推敲を試みる仕事です
ってば(笑)

しかし長時間は無理です。 頭の奥で脳内神経が「ビビ~~ン」と麻痺
してしまいそうです 一晩これを聴きながら踊る若者たち、
さすがエネルギーがあり溢れています。

親からすれば、何だかよく分からないジャンルの音楽ですが、好きなら思う
存分してみるしかないかなと思うこの頃、息子よ、働きながらの音楽活動
です、健康にだけは気をつけておくれ。

息子の音楽が聴ける無料サイトはこちら。
http://soundcloud.com/full-propulsion/sets

わたしのお薦めは2011年Tracksの4番目「Universal Soul」。
よろしかったら一度お試しください。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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テーマ:作詞・作曲
ジャンル:音楽
2011年12月18日 

アフリカの西沖合い、かつてポルトガルの領土だったCabo Verdeのサン・ヴ
ィセント島ミンデロ出身歌手、Cesaria Evora(セザリア・エボラ)の訃報
を今日知りました。

ポルトのドラゴンフットボール場ではFCポルトvsマリッティモの試合開始
前に亡くなったセザリアのために一分間黙祷を捧げていました。

わたしがセザリア・ヴォラの歌を知ったのは2004年に我がモイケル娘を
大学入試のために日本へ送り出した年です。

下記2004年のエッセイから。

裸足のDiva、セザリア・エヴォラ

cesaria-evora1.jpg

好きだけれども、今日まで聴くことを躊躇していたCDがあります。
Cesaria Evora(セザリア・エヴォラ)の歌です。

彼女は、1974年まではポルトガル領土とされていた、大西洋はアフリカ沖に
ある、Cabo Verdeと言う島出身の黒人女性歌手です。もう60歳を越しており、
お世辞にも美しいとは言えないのですが地元での歌手生活は長い。

しかし、初CDが出されたのは、40歳も半ばを過ぎてからです。
別名「裸足のDiva(Diva=歌劇の女性第一歌手)」と呼ばれています。
なぜなら、住むところのない貧しいCabo Verdeの人々をおもんばかり、自分
がステージに上がるときは、彼らと同じく素足だからです。

CaboVerde はかつては、アフリカ奴隷売買の中継地でもあったようです。
アフリカ大陸セネガルから西の大西洋にあり、1460年にポルトガル人の
冒険家によって発見された大小15の火山群ならなる、面積約4000k㎡、
人口415,000人の貧しい国です。島に住んでいる人口よりも、移民として
国外にいる人口の方が多いと言われます。

Cabo Verdeのポルトガル語は本国ポルトガルとは少し違いますが、だいた
い分かります。セザリアの歌う歌は、奴隷中継地であったというその島の
歴史が絡んで、切なく、ノスタルジックで聴く人の心のひだを震わせます。

セザリアが歌うカーボ・ヴェルデの歌はポルトガルファド、ボサノヴァ、
ラテン、アフロなど色々な音楽系統が混じっている歌で「Morna=モルナ」
と呼ばれる音楽です。モルナはアメリカ黒人の歌うブルースに似ています。
人生の苦悩を歌に表し、言葉がわからなくても、人に切々と訴えるものを
持っています。

彼女の歌を、特に「Sodade(ポルトガル語ではSaudade=郷愁)」をわたし
は長い間ずっと聴けなかったのです。

2004年も夏のこと、娘がもうすぐ日本に行ってしまうという少し前で、
大学入試に必要な証明書類をリスボンにある日本大使館まで夫と二人で取
りに行ったその道中、彼が車中で流していたのです。

その頃、娘からは何度も
「おっかさん、何回ため息ついてるの。ため息つくと幸せが逃げて行くって
言うよ」と言われるほど、彼女がいなくなった後の寂しさに、知らず知らず
のうちに深いため息を繰り返し洩らしていたようです。

自分も長女の身でありながら、母親の面倒は妹夫婦に任せて、勝手な夢を
見、勝手にあちこちと放浪してきた人間です。
それを今度は我が子がするからといって、どうして反対できるでしょうか。
しかし、子を送り出す寂しさに違いはなく、車窓から流れ行くハイウエイ
の樹木の景色を眺めてのこのCesaria Evoraの歌は胸にさすがこたえました。

「sodade(望郷)」 「Cabo Verde」「 Vida tem uma so Vida(人生はた
だ一度)「odji maguado(傷ついた今日)」「Traz d`horizonte(水平線
の向こうに)」ざっとタイトルを見ただけでも、ノスタルジックです。



♪サン・トメへの この遠い道のりを 誰が示してくれるのか
 我が故郷サン・ニコラウへの遥かな思い この思い 
           (sodade:spacesis訳)

これらの歌を聴きながら、わたしは窓の外に顔を向けたまま、夫に気づか
れないように、流れ出る泪を何度もこっそりふいていました・・・
ポルトのサ・カルネイロ空港から娘を日本へ送り出して以来この歌を聴く
事ができなかったのです。

しかし、以後日本に到着した娘とは毎日のようにメッセンジャーというも
のでチャットができ、デジカメをつないぐと、小さな彼女の部屋も見え、
日増しに年頃の娘らしくなってきた顔も見ることができ、そうしてなんだ
かんだと、いつの間にか2年が過ぎました。

夕べは一人、これを聴いてみました。
国恋しさ、人恋しさの情感は、想いを寄せる国は違っていても同じです。
涙腺が緩みながらも「あぁ、いいなぁ。」と聴き浸り、しばし日本へ思い
を寄せました。

このところ、わたしは日本へ帰っていません。

註:セザリア・エヴォラは2004年に、ワールドミュージック・ベスト・
  アルバムでグラミー賞をとっています。
             
      2006年記spacesisの「ポルトガルよもやま話」より引用ー



セザリア・エヴォラの訃報を聞き、今改めてモイケル娘が日本に住んで
もう7年半の月日が流れたのだと実感しました。

ポルト、日本間は途中の乗り換え時の待ち時間も入れると殆ど24時間の
長旅です。経済負担もさることながら、自分の体力を考慮すると、この先、
あと何度帰国できるかわかったものではありません。
そう思い、できるだけ年に一度は日本へ帰ることをこころがけていますが、
夫が最後に娘を見たのは可哀想に5年前にもなるだろうか・・・

モイケル娘よ、来年あたり一度帰っておいでませませ^^
      
mariana2004-1-2.jpg
2004年6月30日、希望に燃えてポルトのサ・カルネイロ空港を飛び立
つ我がモイケル娘。日付を覚えているのはこの日が夫の誕生日だったからw

この旅立ちの日については、下記「ずっこけ親子の受験戦記」に綴って
おりますれば、興味のある方はどぞ。

spacesisのホームページ「ずっこけ親子の受験戦記:旅立ちの時
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