2008年8月25日
探れば探るほど迷路にはまり込む。
今日はわたしの道楽に関する話です。
性分で、「どこそこへ行って来た〜」と訪れた場所の写真を載せる
だけで済ませられず、背景にどんな歴史があるのかなぜなのか?
と色々気になり出すと、もう止まらない(笑)
ひとつの言葉から次から次へとたぐり寄せられて出てくる未知事
項を調べていくと、あっという間に時間が過ぎ、頭で整理するのに
何日、時には何ヶ月も要するが、そうして自分の疑問が判明した
時の喜びがある。
さて、ひょんなことから18世紀にイタリアからポルトにやってきて、
ポルトガル北部に多くの独特な建築を遺した建築家「ニコラウ・ナ
ゾニ」に興味を持ったのがきっかけで、フリーメーソンから(建築家
ナゾニはメーソンだとわたしは推理する)ポルトガル歴史における
テンプル騎士団、キリスト騎士団と暇を見ては追いかけてきました。
こうして調べていくうちに、途中から、ポルトガルの大航海時代は、
テンプル騎士団の知識、技術、そして財産なしでは無かったので
はなかったか、と、最初は自分でも「ぶふふ」と笑いながら冗談ま
じりに言っていたのだが、まんざら外れてもいないと今では思い始
めています。
さて、ここまで来て、つくづく今考えるのは、欧米思想、文化を理解
するには、宗教の知識なくしてはできないのではないか?です。
それは逆に言えば、日本の文化、物事の考え方を外国の人が
理解するのに、歴史を知るのみでは十分でなく、神道や仏教思想
も含まれることになるのであろう、と。
そんなわけで、昨年訪れたトマールのテンプル騎士団修道院も、
調べることがたくさんあり、中途半端で終わっていますが、こうして
いると、いつまでたってもアップできませんので、思いきって、自分
の中ではまだ少し謎のままでも写真を載せることにしました。
解明した時点で徐々に書き加えていく、という風にしたいと思い
ます。
さて、今日は今夏、訪れて発見してきたシントラの秘境(大げさ
かな?でも、今のところあまり観光客が訪れていませんw)、
Convento dos Capuchos(convento=修道院,Capuchos=頭巾
の複数)を紹介します。

探れば探るほど迷路にはまり込む。
今日はわたしの道楽に関する話です。
性分で、「どこそこへ行って来た〜」と訪れた場所の写真を載せる
だけで済ませられず、背景にどんな歴史があるのかなぜなのか?
と色々気になり出すと、もう止まらない(笑)
ひとつの言葉から次から次へとたぐり寄せられて出てくる未知事
項を調べていくと、あっという間に時間が過ぎ、頭で整理するのに
何日、時には何ヶ月も要するが、そうして自分の疑問が判明した
時の喜びがある。
さて、ひょんなことから18世紀にイタリアからポルトにやってきて、
ポルトガル北部に多くの独特な建築を遺した建築家「ニコラウ・ナ
ゾニ」に興味を持ったのがきっかけで、フリーメーソンから(建築家
ナゾニはメーソンだとわたしは推理する)ポルトガル歴史における
テンプル騎士団、キリスト騎士団と暇を見ては追いかけてきました。
こうして調べていくうちに、途中から、ポルトガルの大航海時代は、
テンプル騎士団の知識、技術、そして財産なしでは無かったので
はなかったか、と、最初は自分でも「ぶふふ」と笑いながら冗談ま
じりに言っていたのだが、まんざら外れてもいないと今では思い始
めています。
さて、ここまで来て、つくづく今考えるのは、欧米思想、文化を理解
するには、宗教の知識なくしてはできないのではないか?です。
それは逆に言えば、日本の文化、物事の考え方を外国の人が
理解するのに、歴史を知るのみでは十分でなく、神道や仏教思想
も含まれることになるのであろう、と。
そんなわけで、昨年訪れたトマールのテンプル騎士団修道院も、
調べることがたくさんあり、中途半端で終わっていますが、こうして
いると、いつまでたってもアップできませんので、思いきって、自分
の中ではまだ少し謎のままでも写真を載せることにしました。
解明した時点で徐々に書き加えていく、という風にしたいと思い
ます。
さて、今日は今夏、訪れて発見してきたシントラの秘境(大げさ
かな?でも、今のところあまり観光客が訪れていませんw)、
Convento dos Capuchos(convento=修道院,Capuchos=頭巾
の複数)を紹介します。

2008年8月12日

シントラの町から見上げた山頂のムーア人の城跡(Castelo dos
Mouros)。城壁にポルトガル国旗がはためいている。

シントラ駅から坂道を登ったところが町の中心。その坂道の途中
にあるのがネオアラベスク風の「ムーアの泉=Fonte Mourisca」。
Jose da Fonsecaによる1922年の建築とされる。
下はこの泉の三つのアークの真ん中上にある石細工。シントラの古い
紋章のひとつと思われる。

こちらは美しいアズレージュ(青タイル)の壁をバックにした水汲
み場。

わたしたちが最初に訪れた10数年前には、ここの水を
ボトルに入れて持って帰る旅行者も多かった。現在は地元の人が
汲みには来るが、飲み水にはしないようである。

シントラの町から見上げた山頂のムーア人の城跡(Castelo dos
Mouros)。城壁にポルトガル国旗がはためいている。

シントラ駅から坂道を登ったところが町の中心。その坂道の途中
にあるのがネオアラベスク風の「ムーアの泉=Fonte Mourisca」。
Jose da Fonsecaによる1922年の建築とされる。
下はこの泉の三つのアークの真ん中上にある石細工。シントラの古い
紋章のひとつと思われる。

こちらは美しいアズレージュ(青タイル)の壁をバックにした水汲
み場。

わたしたちが最初に訪れた10数年前には、ここの水を
ボトルに入れて持って帰る旅行者も多かった。現在は地元の人が
汲みには来るが、飲み水にはしないようである。

シントラ市庁舎。下は同じく市庁舎の塔。まるでお城のようです。

首都リスボンを含むエストラマドゥーラ・リバテージュ地方はポルト
ガルの政治経済の中心であるだけではなく、歴史的、伝統的な
町や国際的なリゾート地がたくさんあるのでも知られています。
その中でもシントラは、イギリスの詩人バイロンをして「地上の
エデンの園だ。」と言わしめたことで有名です。エデンとは、旧約
聖書に出てくるアダムとイヴが暮らしていた楽園のことです。
10年ほど前に家族旅行で訪れたわたしも、ホテルのロビーから
見えた、森の中のあちこちで姿を現している小宮殿の姿を目に
しては、感嘆の声をあげたものですが、そのときはペナ城内を
漠然と観てきただけでした。



























