2016年10月17日

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長年我が家に通ってくれたベルミラおばさんが置いていったベランダの名知らぬ花
 
インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。
知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報は臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と心中呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのコンタクトをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしは100歳までがんばってみるさ。

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2016年1月24日

シマ、タコ君、ブログを読んでるかな?
メール、送りました。確認、乞う!
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2012年10月31日 

自宅日本語教室の授業を3週間もしくは4週間毎に、一週間休講にして
その週はゆったり休もうと言ったのは昨年のことでした。
が、結局それができずして、逆にボランティアの影絵作成だとか市立図
書館の日本語開講だとかで仕事を増やしてしまい、今日まできたのです
が、このままでは体力的に続かないと自覚したのがしばらく前です。

そこで、この秋からは欠かさず熱心に通ってくる生徒さんにその由を伝え
承諾してもらったのです。少し体調不振だったのがうまい具合に数人の
生徒たちが2週間ほどの休暇をとったりしたもので、久しぶりにバタバタと
慌てふためくことなくこの2週間を過ごしています。

で、昨日は藤本儀一氏が亡くなったとのニュースを目にし、この数年、忙
しいのにかまけて、日本のことを思い出す暇もなかったのですが、儀一
氏にまつわるビアハウス時代のエピソードなどをめくっていたのでした。
(エピソードはこちらに)

ビアハウスのバイト歌姫時代は同時にわたしの大阪のOL時代でもあり、
あの頃を懐かしみながら、「そう言えば、彼はどうしているのだろうか」と
わたしはめったにしないことなのですが、ふといたずら心でその人の名を
検索して見ました。
「ボブ・グロンディン」、いや、こっちがいいかな?「Robert Grondine」・・・・
2006年4月6日のブログ日記「炉端焼き」と題してボブについてはこんな
ことを書いています。

炉端焼きの居酒屋に、わたしは限りない愛着がある。
そこには数々の懐かしい思い出があるからだ。

特に、大阪は京橋地下街の炉端、京阪沿線宮之阪駅前の炉端ではわたしは
常連の部類に入っていたと思う。

流れる音楽が演歌で、それが難と言えば難だったのだが、しかし、炉端に
ジャズやらシャンソンを望むのは、中華料理店でフランス料理を注文する
ようなものだろう。
泣き節の演歌はあまり好きではないが、それが炉端にぴったしなのには、
どうにも仕方がない。

外国人の友人ができると、わたしはよく炉端に案内したものである。
当然夫も時々わたしに引っ張られて行ったことになる。
わたしが勤めていた会社の東京本社には、ハーバード出のボブがいた。
本社とは仕事上しょっちゅう電話連絡をとるのだが、初めて彼と話した
時は、電話の相手がアメリカ人だったと聞かされるまで気づかなかった。
それくらい、彼の日本語はクセがなく日本人に近い発音にオフィスの
みんなはひたすら感心したものだ。

その彼が週末を利用して大阪へ来たときもアサヒ・ビアハウスと炉端に案内
した。日本語はコーネル大学在学中に学んだと言い、かなり流暢に、そして
語彙力もあったボブとは、炉端で飲みながら食べながら、その日、大いに
あれやこれやと議論したのである。もちろん日本語でw

日本びいきの彼、自分の名前、ロバート・グロンディンを日本名で
「炉端 愚論人=ろばた・ぐろんじん」とつけて、印鑑まで作ってしまった。
そそ、ついでにバラしてしまえば、アサヒ・ビアハウスに彼を案内した時は、
ホール中演奏のポルカに合わせ踊って跳ね回り、相手をさせられたわたし
は引きずりまわされヘトヘト、見ていた常連達もボブのステップにはすっか
り目を回したのだったw
当時は「文化住宅」と呼ばれた、駅から徒歩10分ほどの二間、トイレバス、
台所付きの小さな我がアパートは京阪宮之阪にあり、駅を出るとすぐ横に見
える炉端。ここには、我が親友、「かつらぎ山房」の主「みちべぇと」よく行った。
みちべぇはもちろん女性です^^ わたしが働いたオフィスの後輩なのだが、
当時同じ駅のすぐ側にご両親姉妹と住んでいるのを偶然知って以来、自分が
グンと上だという年の差も忘れて意気投合。以来30年以上のつきあいになる。

ポルトガルに来た当時、アサヒ・ビアハウスがただただ恋しかったが、同
時にまた今のように手に入らなかった日本食への思いも深く、炉端を恋う
思いも募るばかりだった。挙句が、「我が息子ジュアン・ボーイが大人に
なったらいつか炉端へ行き、酒を酌み交わしながら人生論をぶってみたい」
と、それが夢だったのである。

わたしの若い頃は、しつこい酔客や端迷惑な酔客もいたにはいたが、お酒の
場とは、人生論を戦わせる場でもあったような気がする。 
会社の愚痴、上司の愚痴あり。しかし、人生の夢を語る場でもあった。 
お酒の加減よい力を借りて、本音をさらりと口滑らすことが、ああいう場で
はなんだかできたような気がするのだ。それでわたしは炉端が好きだったの
だと思う。

あれからもう30年、炉端焼は今ではかつてにように、そこここにあるもので
はないようだ。今の若い人たちは、いや、若い人達に限らず、現代人たちは、
どういう形で人と人生を語り合うのだろうかと、ちょっと興味を持つ。

みんなまともに面と向かって顔つき合わせて、人生論を戦わせるのだろうか。
しらふで語ることも勿論大切なことではあるが、人の人生って理屈だけでは
語れない部分があるのじゃないか、すると、やはりちょっとお酒なんかあっ
たら、語らいやすいなぁ、なんてわたしは思ったりするのである。
(引用終わり)


日本語英語検索で両方、出てきました。なんと、彼は東京のとある国際的な
法律事務所を立ち上げ、私立K大学で教鞭を持ち、ワイドショーの討論にも
出演して国際経済問題を語っていたとは!

在日米国商工会議所の最高顧問もしていたとありますから日米をまたにか
け、まぁあなた、随分活躍しているのね。

と思いきや次の文字に軽いショックを受けました。
弁護士. 2011年10月に逝去。

そんなわけで、今日は遅まきながらボブへの弔い話を。

東京本社、大阪支社と勤務先は違うが、ボブとはかつて同僚で休暇を利用し
てヒッチハイクの初体験も含め共に九州旅行をしたこともある間柄でした。

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我が職場は、それなりにアタマにくることもありはしましたが、今にして
みると随分愉快な職場だったと思い出されます。少人数のこともあり、社
員同士のチームワークがよく、本社との関係も悪いものではなかった。

パソコンの職場導入がなかった当時のこと、本社との連絡のやりとりでは、
電話では埒があかない件は手紙で用件が書かれている連絡事項用紙を他の
書類と一緒に専用の封筒に入れるのです。

どちらが始めたのか覚えていませんが、その封筒にちょっとしたオモシロメ
ッセージを誰かが書き始め、以来、専用封筒がボロボロになり、もう書き込
む隙間もないと言うくらいに表面がおアホなメッセージで真っ黒け。
もちろん、ボブやわたしのメッセが中心であったわけですが、それに他の
社員も加わり(笑)誰の目にでもつくその封筒、ある日、我らが所長が目に
入り、「なんだ、こりゃ、お前たち!」と相成りお叱りを受け(笑)
以後、封筒メッセはあえなくボツ^^;

usco
10人くらいの小さな支店で社員旅行にて。左端が所長。赤い人がわたし

同僚の女性Tとわたしは同い年で、本社支店合わせても、エヘン、最高の事
務仕事コンビと言われたのであります。そそっかしいわたしをカバーした
Tの苦労やいかばかりかw

usaco
鳥取砂丘でのひととき。20代、30代、40代でこれです。逆おしくら
まんじゅうw 赤い人がわたしw 今ならさしづめセクハラとかでお咎めを
受けるかしらw そんなことは思いもせず単純に童心に帰ってw


usaco

こんな雰囲気のオフィスで、本社と支社の封筒メッセの愉快なやりとりもあ
って然るべき(笑)そのうち、ボブは東京で日本女性Aさんと結婚し、その
後二人はニューヨークへ。
法学部大学院で再び学業に取り組み、簡単な近況報告のクリスマスカードが
舞い込むこと数年。わたしもビアハウスのバイトで目標額に到達し、オフィ
スを退職してアメリカへ渡り、
usaco
1977年オフィス時代最後

やがてポルトガルで子育てに夢中になり、いつの間にかボブとは連絡が途
絶えてしまったのでした。まさか、日本で活躍していたとは夢知らず。

人のことは言えないけれど、ネット上で見るかなり恰幅がよかった写真には
やはり上の若い時の面影が見られます。享年59歳。ボブ、ちょっと早かっ
たのが残念ですよ。ちょうど一周忌の今月、しばし、あのオフィス時代に
思いを馳せて、あなたの冥福を祈ります。
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2012年2月2日

bugenbiria 

数年前にベランダに置いたブーゲンビリアの苗だが、最初の年と翌年はたく
さん花を咲かせ、楽しませてくれた。
が、3年目から花の数が少なくなり一昨年、花は数えるほどしかつけず、ど
うやら害虫がついたようで、他の花にも感染してはいけないと、調べもせず
に慌てふためき枝葉をバチバチ切り落としたのでした。

そんな経緯で昨年の夏もお情けばかりの花をつけただけだったのが、まぁど
うしたことでしょう、斜め向かいのお宅の見事なブーゲンビリアは秋が深ま
るころにはとっくに花を散らしてしまったのに、我が家の花はこの冬2月に
入った今日でも健気に咲いているのです。

ブーゲンビリアと言えば夏の花です、それをトチ狂ったように真冬も咲いて
いるとは、う~む・・・今年はもう少し手をかけてあげようか、ということ
でトップの写真です。

さて、今日はつい最近あった面白いできごとを。

ブログではエントリーしていないので知る人は少ないと思うのですが、我が
モイケル娘の勧めでわたしが最初に立ち上げたホームページ時代の知り合い、
それも、隈なく読んでくれた人しか恐らく知らないであろうサイト、「アリ
ゾナの空は青かった」があります。30数年前の、今とは違ったアメリカを
少しだけ垣間見たわたしの留学記です。

その中のエピソードを以下引用。

-エピソード10 「ずっこけ3人組」

「グリーンが来るよ。」
三週間ころ経ったある日、ロブが言った。
ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で彼はわた
しが渡米する前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たま
たまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。

ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。
当時わたしは留学資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトを
していたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両
に乗り合わせる外国人がいるである。

午後10時ころともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、
しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw
若くやたら背の高い赤毛のアメリカ青年である。否が応でも目立とと言う
ものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔
だけは知っていたようだ。

それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学
学校の上司マーチンさん、そして同僚のロブとで現れたのだ。
そのときのわたしとブルースは、アリゾナ大学でわたしが同じ会社の同僚だ
ったザワちゃんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」
(笑)(ザワちゃんとのエピソードはこちら

AB-mawashinomi
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」
と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。

arizona
語学学校のグループ。ここにブルースの相棒ロブがいないところをみると、
これを撮影したのは彼であろうか。

そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投
合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある、すわ!」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。すわ、行こうよ!」という
具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるで
サイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かった。

AB
   サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。 


そのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると
言うのである。

来ました来ました(笑)
ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車
を運転してはるばるやってきたのであります。

久しぶりに顔を会わせたずっこけ3人組、早速砂漠へでかけて、前座席に
3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、と
わたしの運転練習(笑) 今はどうか知らないが「車を前進させられれば
免許がおりる」と言われたくらい、自動車学校などに行かなくても運転免
許がとれたのである。

「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、
Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ(笑)
とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込
みそうになり、終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を
押されたのでした。(今はこのポルトガルで奇跡的にも運転しているとは、
二人とも夢知るまい。笑)

夜は3人でわたしがこれまでに見たこともないデカいアメリカピザをたいら
げ、当時上映中で人気抜群だった「Saturday Night Feaver」を大学キャン
パス内の映画館に見に行ったのでした。
グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、三日目に再びミズー
リーのいつもの生活の場へと帰って行った。

三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗り
のことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。
ミズーリーがご自慢であったのだ^^

arizona
ソノラ砂漠で。グリーンとロブ。これだけ広かったら、さすがの運転音痴の 
わたしも何とか運転できそうだと思ったのがまちがいだった。 
         
arizona
        
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。
これに突っ込んだら・・・^^;そしてこの背の差。ロブだけでなく、 
自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった(笑)

「ずっこけ3人組」はあれから27年、ツーソン以来、再会していない。ー


「2005年2月記」とある。古い記事、写真を持ち出して恐縮ではあるが
人におだてられ調子に乗り、楽しくもほろ苦い思い出のあるツーソン留学記
を思いつくまま綴ったのでありました。ゆえにまだまだ校正しなければなら
ないのですが、ここから本日の本題です。

先週末のこと、いつものようにメールチェックをしましたら、Facebookより、
「R.G. wants to be your friend」とある。
「ろ、ろぶ?ろぶって、ともだちって!アヒャヒャのオホホのウハハハハ!」
驚いたのなんの、言い表しがたい感動が体内を駆け巡り、わたしの異様な
興奮振りを怪しんだ夫、「なにやってるの、ドナ・ユーコ? 大丈夫かい?」
と心配顔。

大丈夫かいって?大丈夫じゃない、まったく大丈夫じゃない!だって、こん
なこと、ある?ええ、あるんです!30年40年以上音信不通でいた旧知の
友から、ある日、突然別世界から来る葉書の如く、連絡が舞い込んで来るこ
とが!
こんな再会はこのロブも含めて、ひょんなことから連絡がついた中学時代の
親友、高校時代の親友、そして、永遠のペンフレンドことIさん。

フェイスブックは日本語教室の生徒さんとの交流の場になるかも知れない
と言うのと、もうひとつは、2010年のポルト・Japan Weekのコーディ
ネータをした際に、宣伝になるから入っておけ、と半分義務付けられたの
でありました。結局登録したのがJapan Weekも終了した後で、宣伝には
何の役にも立たなかったのですが、わたしからするとフフェイスブックは
入ったもののブログ、ホームページの更新もあってほとんど放ったらかし
だったのです。

それがなんと、上述のツーソン留学以来、お互い音信不通になってしまっ
ていたズッコケ仲間の一人からこうして連絡が入ろうとは。

わたしは以前にもブログで取り上げたのだが、亡くなった写真家の星野道
夫さんの「人生はからくりに満ちている」と言う言葉を、ホンマやなぁと、
この歳になってつくづく、そして何度も近年は噛み締めているのである。

そうそう、もうひとり、我が永遠のペンフレンドIさんのお嬢さんともフェ
イスブックを通して知り合いになったのだが、まさに世代を超えてのつな
がりができるのはネットの魅力、利点であろう。

こんなわけで、我がフェイスブックHomeはわたしのヘタクソな英語と
ロブのヘンチクリンなローマ字日本語とでにわかににぎやかになって
いる昨今だ。

以下、「人生はからくりに満ちている」の他エピソードです。
よろしかったらどぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-846.html

また、こちらは→「アリゾナの空は青かった」です。
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2012年元旦 

午後から本格的に雨が降り出した2012年ポルトの元旦です。

新年 明けまして おめでとうございます。
みなさまにとって よい年になりますように願っております。

また日ごろ、拙ブログを訪問いただいているみなさまには心よりお礼
申し上げます。

コメントもアクセス数も共に記事を発信し続ける励みになり、感謝いたして
おります。本年度も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

今年トップの画像は、元旦からなんともはや怠け者(笑)

元旦
「あけおめ、ことよろ~」の一言もなく、カゴに顎を乗せてヒーターのまん
前に鼻を突き出し元旦のポカポカ眠りをむさぼっているクルル猫。

今朝方まで我が家には日本からお客様が2名滞在しており、見知らぬ顔に
怖気づき(笑)わたしたちの寝室に引きこもっていた5匹猫たちも、数日も
するとリビングに姿を現しだしたものの、人が苦手なクルル猫、なかなか出
て来ませんでしたが、お客様お帰りの本日はこのようにすっかり安心しきっ
てヒーターに鼻をあぶっております。

さて、そのお客様、我が親友みちべぇとその娘さんMちゃんの二人、今朝
6時発の便で帰国の途に着きました故、起床が4時^^;

クリスマス・イヴ到着、元旦に帰国でスペインにも二泊三日で足を延ばし
一週間のイベリア半島滞在でしたが、短かったよ~(泣)

時節柄、夫も仕事を入れず休暇をとり、4人で毎食「乾杯!」とワインを傾
けました。わたしの帰国時には毎度のように訪れていた第二の故郷、大阪も
昨年は地震と原発事故が気になり、万が一大阪へ移動中に何か起こったらと
考えて大阪行きは中止、一昨年はJapan Weekの仕事で帰国不可となり、親友
との今回は2年半ぶりの再会でした。しかも、わたしが住むポルトで!
ずーっと待ってたんだよ!

32年前、ポルトガルに渡ってくるときに、「いつか一緒にアルハンブラを
訪ねよう」との約束をし、ず~っと彼女が来るのを待っていたものの、つい
に待ちきれず、昨年「先に行ってもいいか~」と許可をとり、行ってきたの
ですが、みちべぇよ、5年以内にもう一度、今度はもっとゆっくりおいでね。

この数年、子供たちがいないクリスマスでしたが、二人のお客様を迎えて
久しぶりににぎやかな食卓を囲んだ日々、大阪のオフィス時代(わたしは
彼女の先輩でした。エヘン^^←なにがやねん?w)、ビアハウス歌姫時
代、渡米、帰国、そして結婚と我が人生の節目にはいつも彼女の存在が
ありました。夫、そして娘さんのMちゃんを前に、昔話に花を咲かせる食卓
は楽しく、歳をとってもあの頃と変わらぬおアホなわたしたちの会話のやり
取り、共通点のお人よしでおっちょこちょいなところも健在。彼女の訪問は
2011年度大イヴェントになり実に楽しい年末でした。

元旦
写真は我が家に滞在の途中2泊三日で早朝マドリッドへ二人を送った時の
空港からの帰り道。 街の灯りがまだ灯っている夜明けのポルト郊外。


昔のオフィス時代なら「また明日ね」と別れの挨拶ですが「またね、きっと」
と二人の帰国を見送って、少しセンチメンタルになっている元旦です。

ではでは皆さま、積もる話は山ほどありますれば、また明日。
どうぞよいお正月をお過ごしください。
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