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2019年6月9日  

どれどれ終活の一環でも、と思い、実際にはなかなかはかどらないのですが、先日本棚にごまんと並べてあるファイル類を整理してみました。

自分が興味を持ってネットで調べたものをプリントしてきたものですが、まぁ、あるわあるわ(笑) テンプル騎士団、神秘主義、キリスト教関係、ポルトガルの歴史、ダヴィンチコード関係、錬金術等々、いずれ時間ができたときに、もう一度、読み直そうと思って保存してきたものです。

だいたい頭に入っている件については、思い切って処分するとして、その前にざっと目を通そうと言うので、本棚から取り出してみていくと、中からとても懐かしい写真が入ったファイルが出てきました。ひゃ~っ懐かしい!

fuyajou1.jpg

ネットはMSNのコミュニティ「不夜城・みんなの掲示板」に投稿されたオフ回の写真です。コピー用紙に印刷してファイルに綴じたままになっていました。
ゴッチ、ママ、ジィナ、ナス、投稿者は「あわ」、2002年8月とあります。

fuyajou3.jpg

今でこそ、夏の帰国はすっかり控えてしまいましたが、この頃は子どもたちの日本の学校体験入学のため、2、3年に一度の帰国は夏が定番でした。こちらの学校は6月も終わり頃になると、正規の授業はないもので、学校に事情を話しては休学して3、4週間、日本で子どもたちに体験入学をしてもらったものです。

2002年は恐らく最後の夏帰国、モイケル娘東京学芸大学付属高校に体験入学した年でしょう。娘を妹宅に置き、一人で京都の初「不夜城オフ会」出席でした。

今と違い、当時のチャットと言えば文字のみで、初顔合わせがオフ会でしたね。
この「不夜城チャットルーム」については、「バイリンガル物語」を現在書き直して「毎日が日本語英語ポルトガル語」として、少しずつ再掲している我が子の日本語教育ツールとして登場してくるので、後記にてご案内します。

まぁ、早く言えば、ミイラ取りがミイラになってしまったわたしの、チャット交流がリアル友に発展したという話ではあります。

チャットルームでは誰も本名を使用せず、みな、ハンドルネールで、「ママ」とはわたし。拙ブログ名同様spacesisはわたしのハンドルネームでしたが、20代30代40代の仲間内で、わたしは群を抜いて年上なわけで、いつのまにか皆から「ママ」なるネームをもらっていました。

もう、17年も昔のチャットルームです。12、3人ほどの顔馴染みならず、ハンドルネーム馴染みがいつも出入りしていたでしょうか。このオフ会は、わたしにとって初めで最後、オフ会に参加できたのは京都大阪在住が5人だったのかな?
えっと、一人、東京から参加した「なす」がいますね。

部屋主(ルームを開け閉めするホスト、中心人物で、他はみなゲストとなります)は、今日と在住、写真投稿者の「あわ」殿でした。

MSNチャットルームが有料化する時点で、不夜城は解散とあいなりましたが、今もリアル友のような形で繋がっている人は二人います。今振り返っても、楽しいチャットができた「不夜城」でした。あれからもう17年、みんなどうしてる?このブログ記事を目にしたとしたら、かつての不夜城仲間、連絡してくれたら嬉しい。

最後に部屋主だった懐かしい「あわ」の写真も載せておきます。

fuyajou2.jpg

不夜城についてのブログ記事:
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-252.html#more (口語習得ツール不夜城)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-257.html#more (口語習得ツール不夜城)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1770.html (別れを告げる)
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2019年5月21日  

かつての職場、補習校の同僚はみな、連れ合いがポルトガル人でした。その中でもわたしが最年長でポルトに住んでいるのも一番長く、1979年の5月に来ましたから、もう在住41年目に入りました。夫を連れ合いとするのが3人、妻を連れ合いとするのが2人でした。2005年の話です。

当時は「ポルトの生き字引き」なんて呼ばれたりして、喜んで良いものなのか、自分としてはなにやら「テヘへ」な思いがしていたものです。

今なら実生活面でのポルトの生き字引は、3人の子どもを育てあげ、数年前に夫に先立たれた大阪出身の友だと断言できます。役所関係の面倒な諸手続きを弁護士を雇うことなく、なんとかやり抜けた人で、エライなぁの一言に尽きます。

「大変だったけど、子どもたちの手助けもあってなんとか終わった。あんたが同じような立場になったら、いくらでもアドバイスしたる!」と言うてくれるのですが、そんな日ができれば来ないで欲しいなぁと、実は結構アカンタレなわたしは思うわけです。

こんなことを書くのは、当時と変わらず付き合いが続いているのはメンバーのうちの3人に、我が相棒のOちゃんが加わって4人組になり、先々週末に久しぶりに色々おしゃべりしてきて、みな今より15才若かった時の、ちょっと面白い話を思い出したからなのです。

それと、拙ブログは2006年から始まっていますが、その前は2004年からホームページを運営しており日記を掲載していたのが、今年の春にヤフーのホームページが全面閉鎖となったもので、メモしておきたい日記は、こちらへ載せようと思ってのことです。拙ブログは子どもたちへのメッセージでもありますゆえ、ご勘弁のほどを。

では、以下に。

flores2_1.jpg

かつては集まると、それは各々の子供や日本の子供に関する教育の話、そして今ほど簡単には耳に入らなかった日本のニュース、そして、ついでに連れ合いの家族の愚痴話(笑)、果てはポルト市のどこどこの店で日本食を見かけたとか、今度スペイン系の大きなデパートがどこそこにできる、等等の情報交換の場になっていました。

それでもやはり主だった話は、みなが子育てに必死になっていた時期でもあり、しつけや学習のことが大方でした。

それが、数年前からいつのまにか、老後はどうするかに話が及んで来た^^;みなさん、子育てが一段落したということです。
わたしはと言えば、我がモイケル娘はホームページを開設したと同時に東京の大学受験を目指して日本へ行き、息子はリスボンで、夫と当時は猫6匹の生活でした。

やっぱり、老後は日本!と言って、帰国して自分一人老人ホームに入る、というI氏。(彼はかなり真剣に考えてます)→それが今は、孫も二人でき、帰国はなし。ポルトに骨を埋めるとのこと。

持ち家を売っぱらって大阪かイタリアに住みたいというKさん(日本語通じないイタリア行ってどうするんや~~^^;)→それが今は、日本はセワシナイ。歳とったら落ち着いたポルトの方がずっといい。

子供がいないから、多分日本でしょうね、というRさん。

もしかしたら、既に家族で日本帰国を計画しているかも知れないK氏。→それが今は、日本。ポルトガル人の奥方と子どもを連れて12、3年ほど前に帰国。

こんなことをカフェでワイワイにぎやかに話し合ってるうちに、日本で一軒家を借りて、Vila Portugal(ヴィラ・ポルトガル)とかなんとか名前付けて、みんなでいっしょに住むのはどうか、なんてところに話が及びまして(笑)

「お、それいいじゃないの。」
「どのあたりにするね?」
「親友が和歌山の片田舎にアトリエと称して、古いけど物凄く広い土地屋敷を
持ってるから、その畑の一隅を借りるのはどう?春にはあそこ、桃源郷だよん」とは、わたし。
このアトリエは後日紹介。

「いいね。けど、その親友にもしものことがあったら、遺産相続なんやらでわたしら年寄り、おんだされるよ」
「あ、それもそうだ」
「証書、とっといたらどう?」(←まだ、貸せとも貸すともなってない話ダスw)

「でもね、そんなド田舎、年寄りばっかり住んで、食料買い出しはどうするのよ?」
「う~~ん、車一台いるね。しかし80過ぎての運転はちょっとこわい」
「自給自足はどう?」「うん。Iさん、農学部出だしね、そっちはお任せ」

「よっしゃ。料理は好きだから、わたしがする」我が友。
「キレイ好きなRさんはお掃除係だね。うんうん」
じゃ、わたしの役割は・・・ぼけ~~としておもろいことばっかりやってるから、それでだけでも十分存在価値はある、って、なんでんねん(笑)

「でも、アンタ、年金あれへんやん」
「あ、いけない。ど、どうしよう・・・」
「ご主人の遺族年金があるから心配いらんか。仲間になんとか入れたる」
(↑入れたる、って和歌山はうちの親友がらみだで・・・w)


ここまで来てわたしはハタと気づいた。
「ちょとまてぃ!」

みんな、自分は、絶対連れ合より先に逝かないという前提で話してますわ(笑)厚かましいったらありゃしない。この一言で爆笑です。

そして全員しみじみしましたです。なんの因果でか知らないが、長い間ポルトガルに住んじゃったね、と・・・

わたしは、といいますと、老後云々の前にもう一花咲かせてみたい、なんて密かに思っていて。

何事も夢の実現にはかなりの時間がかかる人間です。しかし、夢は見続けることこそ大事だとの信念があります。見続けることがいつか実現につながると思うわたしはおめでたいでしょうかw

何の花かと言いますとね、咲いてのお楽しみですわ(笑)            2005.5月

15年経た現在をそれぞれ赤字で上記に突っ込みいれてますが、最後のわたしの花は咲いたのか?となりますと、はい、おおぶりな花ではありませんが、小さく咲きました。

創立から21年間、毎週土曜日に通った補習校講師は、引き止められもしたのですが、まだエネルギーがあるうちに、今度はポルトガルの人たちに日本語や日本文化の一部を紹介したいと思い、61歳で退職しました。

日本文化紹介はOちゃんを引っ張り込みボランティアで展示会を開いたり、影絵を上映してきました。
日本語については、わたしの目的は、お金はないけど時間はある、日本語に興味がある、という若い人を対象にしました。

そうして始めた土曜日週一の日本語教室が今年で8年目。生徒も授業料の安いのが魅力的なのでしょう、Oちゃんのクラス、わたしの2クラスと小さいながらも教室を借りて開けるまでになりました。

いえね、本当を言いますと、教室料、コピー代、税金等を引けば大した実入りはないので、趣味みたいになってしまいますが、教えるのが楽しいという気持ちはホンマです。これがあるから続けていられるのです。これがわたしの15年後の現在です。

下記、興味あらば補習校最後の日のブログをどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-722.html(さらば、補習校)

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2019年1月13日 

帰国の往復時の機内で、かつてはよく映画を見て時間をつぶしたものだが、それが自分にとってかなりの疲労の元になるのではないかと思い始め、近年では往復で2本、時にはまったく見ないこともある。

が、今回見た映画「日日是好日」は、ドキドキするエキサイティングな場面やクライマックス等はないが、自然の姿を汲み取るような茶道の仕草一つ一つが心に染みこんだ佳作だった。

nichinichi1.jpg
Wikiより

樹木希林が演ずる茶道教室の武田先生もとへ、通い始め指導を受ける主人公とその周囲の人達を簡素に描いた作品だが、教える時にふっと笑いが湧く武田先生がとてもいい。

映画を見ながら、わたしは主人公と同じような体験をしたことがあるので、今日はそれを綴った過去記事に少し手を加えて上げてみたい。5年ほど前の話である。以下。

2014年6月17日 

車の音なく、周囲から聞こえてくる音と言えば一日中鳴く鳥の声だ。
都会の喧騒を離れたこの環境こそ物作りに専心するにはもってこいであろう。肩の痛みに耐えながら黙々と木に語るかのように彫り込んでいる木彫家、堺美地子の姿が想像できる。

もう30年近くも彫刻刀を握ってないよ、とビビるわたしに、「Sodeさん、70過ぎたらまた始めようなんて言ってないで今から一緒にホリホリ(彫り彫り)しよう」と、3日間の滞在中の一日は工房の一室で友の指導を受けた。

かつらぎ山房
手前がわたしが作業していた木彫り台。先生が我が彫りの手直しをしております。彼女が木を彫る音はサクサク、サクサクと耳によく、わたしが彫る音はガリガリ、ガリガリ。トホホホ。そうして出来上がったのが下の作品だ。

木彫り
表                       

木彫り


厚かましくいっちょまえにサインまで入れてる(笑 )。実を言えば、花の周りのポチポチ彫りは、別の図案を描き始めたものの、幾何学模様が細かくて寸法がうまく合わず、それを諦め上の花にしたのところ、板にしっかりとコンパスを立てた跡が残ってしまったのである。それで、やにわにポチポチを彫り込んで誤魔化したというわけである。かれこれ37、8年前の大阪時代に、こうして友と二人しておしゃべりしながら「彫り彫り」したものだ。友は根来塗りを作品に施すのだが、わたしは塗り薬にアレルギーがあるのと、時間が足りないのとで、そのままポルトに持って帰ってきた。

彫刻刀、塗り用の材料、切り抜いた板などを持ち込んで、ポルトガルで独り黙々と彫った時期があった。木彫りも編み物もそうだったが、この町に日本人がいなかった当時、その作業時間はわたしにとって自分の時間を彫り込み、編みこむ思考時間でもあった。

息子が生まれて歩き始めた頃に、刃物を使うというので万が一の事故を考えて一旦木彫りは止めた。90年代に再び彫り始めたが、子供達の日本語教育、補習校の仕事で忙しくなり、彫刻材料もホコリをかぶったまま現在にいたっている。

木彫りは生半可の時間ではできないのである。そのためには何とか今の自分の生活時間を改善する必要があるなと、目下思案中ではあるが、今日まで良い案は出てこない。

和歌山を後にするという日の朝、着物を着る時間はないので普段着のままで、と断りながら、友はわたしにお茶のお点前を披露してくれた。

1978年の渡米前に、ほとんど家具類も処分された殺風景な小さなアパートの部屋で、しかも正座が苦手なわたしのために、テーブルの上ででもいいのです、と、友がはしょってお茶のいただき方を教えてくれたことがある。

友がたててくれた薄茶を「3回で飲み干し、3回目にはズズッとお茶をすする音をたてます」との言葉に、「え~、いやだわん。それって欧米では悪いマナーになるじゃない」と、映画のシーン同様、わたしも躊躇したのであった。

みちべぇは表千家の先生であり、かつらぎ山房では、木彫、根来塗りの教室と併せて、月に2度、茶道教室も開かれる。

ocha-3.jpg かつらぎ山房
炭火をおこし、抹茶をこす作業から。正座ができないわたしには正座イスを用意してくてれいた。

かつらぎ山房
水屋から↑

「なんでそうするの?どんな意味があるの?」と各動作に逐一うるさく質問するわたしに、「なんでが始まった始まった」と笑いながら丁寧に答えてくれた。

かつらぎ山房

映画の中の主人公同様である。みちべぇは、理屈っぽいわたしに答えてくれたが、映画の武田先生は、「お茶はまず形なのよ。始めに形を作っておいて後から心が入るものなの」と言っている。

畳の縁を踏まないこと、手にする扇子の置き方など等、映画を見ながら、友がわたしのためにしてくれたお点前の場面そのままをわたしは思い起こしていた。
始めは薄茶、そしてもう一度、今度は「袖さん、濃茶もいただこう」と言う。
薄茶濃茶があることも知らなかったわたしであった。そして、水屋へ案内してくれ、抹茶椀は季節に合わて使われ、夏は、涼しげに見える口が大きく開いた「平茶碗」を、冬はお茶が冷めないように、 口が狭くて深い「筒茶碗」を使うということも、この時知った。

わたしが、ポルトで日本文化展示用に持っている茶碗が平茶碗だと知った友は、ふたつの筒茶碗を選んでわたしに持たせてくれたのだが、これらのことは映画「日日是好日」の中で見られた場面でもあった。

別れ際の一服のお茶は、本当に嬉しかった。

かつらぎ山房

今回の帰国では、「今度はずっと所沢にいる。東京まで出てくるぅ?」とのわたしの冗談にのって、本当にやってきた彼女との再会はhttp://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2078.htmlに書いてある。

性格も年齢も、それぞれが歩む道も大いに違うわたしたちだが、何年会わずとも、ずっと昔のままの気持ちで話せるみちべぇ、あなたは人生の真の友です。 また会う日まで。ごきげんよう。


Youtubeより

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2018年9月4日 

祈りの町と呼ばれるBragaの夏の祭典「Noite Branca」に招待されて作品を展示していた日本人コンテンポラリ・アーティストO氏の手伝いで来ていた我がモイケル娘の友人Kちゃんが、展示作品の梱包発送が完了してブラガからコンタクトしてきた。「O氏ともども夕方からポルトへ行きます!」

と言っても、翌4日、つまり今朝にはポルトを飛び立つのだという。わずかの時間ではあるけれど、それではポルトで晩御飯を一緒にしようと言う事になり、急遽、夕方の日本語をキャンセルして、夫もちょうど早めに仕事を終えたので、彼も合流し6時過ぎにサンベント駅で待ち合わせることになりました。

ツーリストでごった返しの旧市街を縫って、リベイラを見ずしてポルトへ行ったと言うなかれ、主義のわたしです、行く当てのレストランは7時から開店するので、その間、4人で駅からリベイラに続く道を下り始めました。

Ribeira Porto

Kちゃんとは、かつて代々木ゼミナールの帰国子女受験コースで一緒になったとモイケル娘から聞いており、わたしが日本に帰国した時に一度息子と娘のアパートで顔を合わしています。


Kちゃんは翻訳事務所を千葉に構え、通訳として活躍しているのですが、モイケル娘はポルトガル語授業やネットショップ「東のポルト屋」展示即売会の時など、そのオフイスを提供してもらっています。

Ribeira Porto
ドウロ川対岸のガイア側から望むポルト・リベイラ

子どもたちの友人がこうしてポルトを訪ねて来るのは嬉しいことです。リベイラからドン・ルイス1世橋を渡り、川を挟んでガイア市側から眺めるポルトの街はやはり美しい。曇っていたので一番美しい景色である青空の下にポルトが望めなかったのは残念でしたが、暮れなずむリベイラもそれなりに趣があって好きです。

レストランは人気があり、いつ行ってもテーブルが客でいっぱいの市庁舎通り横にある「Brasão(ブラザォン)です。

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生ハム、タコのサラダ、バカリャウのコロッケと豆

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Pica Pau(ピカパウ=きつつきの意。みんなで皿をつついて食べることから来る)

Kちゃんはアルコールがだめでしたが、連れのO氏はバンバンいける口なのだそうで、わたしもついビールの杯を重ねてしまいました。お二人はこの他、ポルトのFrancezinha(フランセズィーニャ)を分けていました。おしゃべりが進む食事は美味しい!
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1934.html
2時間弱の食事はあっという間に過ぎ、ブラガの宿泊先へ帰るお二人を、電車の時間に合わせて再会を願いながらサンベント駅で見送りました。

Kちゃん、Oさん、お疲れさまでした!また、会いましょう!

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2017年11月29日 

日本語教室、個人授業の生徒ですが、長年の付き合いで生徒というより友達のマリアさん、週に一回の授業は教えるわたしも毎回楽しい。

78歳の彼女はTai chi(太極拳)を習っていて、冬でも半袖です。うわ!寒くないの?と聞くと、「触ってごらん」と言って腕を差し出します。触ってみると温かいのです。我が家に通うのも途中でバスを降り、20分ほどは歩いてくるのが常です。溌剌としたエネルギーが、本人の体から、精神から伝わってくるようです。

基本文法のテキスト2冊は数年前に修了しており、読解力本も一通り終わってここ数年は彼女が持ってくる現代作家のエッセイや短編小説を授業で読みます。と言うよりも、マリアさんに読ませられているとの感がなきにしもあらず(笑)

なぜなら、例えば最近では村上春樹、酒井順子がそれで、私自身は恐らく自分からは手にしない種類の読み物です。日本にいたころから活字中毒のわたしでしたが、「一緒に読んでください」と彼女がもってくる読み物は、わたしが、あの頃手にして読んだ本の文体と明らかに違っています。

そんな訳で、読み物の内容よりも日本語がどんな風に現代作家に使われているのかを知るのが面白いところです。

さて、マリアさんが先日、日本の知り合いから送られて来たので、その本の内容はだいたい分かる故、それは置いといて、前書きを読みたいと持って来たのがこの本です。

Nasreddin

ナ、ナスレディン?ひゃ~、懐かしや!

わたしは高校の授業での英語学習意外はほぼ独学なのですが、アリゾナ大学のESL(English as a Second Language)コースの留学が決まった時点で、独学では不安になり、一時期オーストラリア人が経営し、講師は全員ネイティブ・スピーカーだという語学教室に通ったことがあります。

そこで、知り合い友達になったイギリス人講師が、遊び半分に授業で取り上げたのが、このNasreddinのトンチ話だったのです。もう40年以上も昔のことですぞ(笑) そして、この時の講師兼友人、ロブとは後にアリゾナで会い喧嘩別れのようなことになり、数年前のFacebookを通して30数年ぶりに向こうからコンタクトが入ったと言う、ロブに因む縁がある本でもあります。

※ロブは下記「アリゾナの空は青かった」の思い出話で何度か登場していますので、興味ある方はどぞ。 
 
まさか、マリアさんを通じて40年ぶりにナスレディンの名を耳にするとは思いも寄りませんでした。

マリアさんとは、音楽でも面白い偶然があるのです。(「Tom Waitsとワルツリング・マチルダ

そんなこんなで、我がアリゾナ時代の話で盛り上がり、今日は3ページに及ぶ字がびっしりの3ページを辛うじて2ページ終えた今日の授業の終わりに、マリアさん曰く、

昨日、街を歩いていると簡易健康診断車の側を通りかかった。と、中年の係員に年配者に受けて欲しいとマリアさんは声をかけられ、結構ですというのに強引に誘われ健康検査をする羽目になった。

その中に力の強さを測るバネ式の計量器があった。取っ手を持ち、グイと引き上げたが幾ら上げようと思っても上がらない。すると記録用紙とペンを手にした係員、まじまじと彼女の顔を見、「セニョーラ、もうそれ以上上がりません。測りを壊してしまいましたデ。」 (爆)

最初のグイで力余り、既に測りを壊していたって、マリアさん。ギャッハッハの大きな笑い声で授業は終了したのでした。いやはや、体力では恐らく8才歳上のマリアさんにわたしは太刀打ちできないでしょう。

もちろん、彼女のその他の検査は全て問題なく健康体そのものだと太鼓判を押してもらったのだそうな。心のどこかに少年期を隠し持っているような、気が合う愉快な我が友、マリアさんの話でした。

本日も読んでいただきありがとうございます。
それではまた明日。

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