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2019年1月13日 

帰国の往復時の機内で、かつてはよく映画を見て時間をつぶしたものだが、それが自分にとってかなりの疲労の元になるのではないかと思い始め、近年では往復で2本、時にはまったく見ないこともある。

が、今回見た映画「日日是好日」は、ドキドキするエキサイティングな場面やクライマックス等はないが、自然の姿を汲み取るような茶道の仕草一つ一つが心に染みこんだ佳作だった。

nichinichi1.jpg
Wikiより

樹木希林が演ずる茶道教室の武田先生もとへ、通い始め指導を受ける主人公とその周囲の人達を簡素に描いた作品だが、教える時にふっと笑いが湧く武田先生がとてもいい。

映画を見ながら、わたしは主人公と同じような体験をしたことがあるので、今日はそれを綴った過去記事に少し手を加えて上げてみたい。5年ほど前の話である。以下。

2014年6月17日 

車の音なく、周囲から聞こえてくる音と言えば一日中鳴く鳥の声だ。
都会の喧騒を離れたこの環境こそ物作りに専心するにはもってこいであろう。肩の痛みに耐えながら黙々と木に語るかのように彫り込んでいる木彫家、堺美地子の姿が想像できる。

もう30年近くも彫刻刀を握ってないよ、とビビるわたしに、「Sodeさん、70過ぎたらまた始めようなんて言ってないで今から一緒にホリホリ(彫り彫り)しよう」と、3日間の滞在中の一日は工房の一室で友の指導を受けた。

かつらぎ山房
手前がわたしが作業していた木彫り台。先生が我が彫りの手直しをしております。彼女が木を彫る音はサクサク、サクサクと耳によく、わたしが彫る音はガリガリ、ガリガリ。トホホホ。そうして出来上がったのが下の作品だ。

木彫り
表                       

木彫り


厚かましくいっちょまえにサインまで入れてる(笑 )。実を言えば、花の周りのポチポチ彫りは、別の図案を描き始めたものの、幾何学模様が細かくて寸法がうまく合わず、それを諦め上の花にしたのところ、板にしっかりとコンパスを立てた跡が残ってしまったのである。それで、やにわにポチポチを彫り込んで誤魔化したというわけである。かれこれ37、8年前の大阪時代に、こうして友と二人しておしゃべりしながら「彫り彫り」したものだ。友は根来塗りを作品に施すのだが、わたしは塗り薬にアレルギーがあるのと、時間が足りないのとで、そのままポルトに持って帰ってきた。

彫刻刀、塗り用の材料、切り抜いた板などを持ち込んで、ポルトガルで独り黙々と彫った時期があった。木彫りも編み物もそうだったが、この町に日本人がいなかった当時、その作業時間はわたしにとって自分の時間を彫り込み、編みこむ思考時間でもあった。

息子が生まれて歩き始めた頃に、刃物を使うというので万が一の事故を考えて一旦木彫りは止めた。90年代に再び彫り始めたが、子供達の日本語教育、補習校の仕事で忙しくなり、彫刻材料もホコリをかぶったまま現在にいたっている。

木彫りは生半可の時間ではできないのである。そのためには何とか今の自分の生活時間を改善する必要があるなと、目下思案中ではあるが、今日まで良い案は出てこない。

和歌山を後にするという日の朝、着物を着る時間はないので普段着のままで、と断りながら、友はわたしにお茶のお点前を披露してくれた。

1978年の渡米前に、ほとんど家具類も処分された殺風景な小さなアパートの部屋で、しかも正座が苦手なわたしのために、テーブルの上ででもいいのです、と、友がはしょってお茶のいただき方を教えてくれたことがある。

友がたててくれた薄茶を「3回で飲み干し、3回目にはズズッとお茶をすする音をたてます」との言葉に、「え~、いやだわん。それって欧米では悪いマナーになるじゃない」と、映画のシーン同様、わたしも躊躇したのであった。

みちべぇは表千家の先生であり、かつらぎ山房では、木彫、根来塗りの教室と併せて、月に2度、茶道教室も開かれる。

ocha-3.jpg かつらぎ山房
炭火をおこし、抹茶をこす作業から。正座ができないわたしには正座イスを用意してくてれいた。

かつらぎ山房
水屋から↑

「なんでそうするの?どんな意味があるの?」と各動作に逐一うるさく質問するわたしに、「なんでが始まった始まった」と笑いながら丁寧に答えてくれた。

かつらぎ山房

映画の中の主人公同様である。みちべぇは、理屈っぽいわたしに答えてくれたが、映画の武田先生は、「お茶はまず形なのよ。始めに形を作っておいて後から心が入るものなの」と言っている。

畳の縁を踏まないこと、手にする扇子の置き方など等、映画を見ながら、友がわたしのためにしてくれたお点前の場面そのままをわたしは思い起こしていた。
始めは薄茶、そしてもう一度、今度は「袖さん、濃茶もいただこう」と言う。
薄茶濃茶があることも知らなかったわたしであった。そして、水屋へ案内してくれ、抹茶椀は季節に合わて使われ、夏は、涼しげに見える口が大きく開いた「平茶碗」を、冬はお茶が冷めないように、 口が狭くて深い「筒茶碗」を使うということも、この時知った。

わたしが、ポルトで日本文化展示用に持っている茶碗が平茶碗だと知った友は、ふたつの筒茶碗を選んでわたしに持たせてくれたのだが、これらのことは映画「日日是好日」の中で見られた場面でもあった。

別れ際の一服のお茶は、本当に嬉しかった。

かつらぎ山房

今回の帰国では、「今度はずっと所沢にいる。東京まで出てくるぅ?」とのわたしの冗談にのって、本当にやってきた彼女との再会はhttp://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2078.htmlに書いてある。

性格も年齢も、それぞれが歩む道も大いに違うわたしたちだが、何年会わずとも、ずっと昔のままの気持ちで話せるみちべぇ、あなたは人生の真の友です。 また会う日まで。ごきげんよう。


Youtubeより

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2018年9月4日 

祈りの町と呼ばれるBragaの夏の祭典「Noite Branca」に招待されて作品を展示していた日本人コンテンポラリ・アーティストO氏の手伝いで来ていた我がモイケル娘の友人Kちゃんが、展示作品の梱包発送が完了してブラガからコンタクトしてきた。「O氏ともども夕方からポルトへ行きます!」

と言っても、翌4日、つまり今朝にはポルトを飛び立つのだという。わずかの時間ではあるけれど、それではポルトで晩御飯を一緒にしようと言う事になり、急遽、夕方の日本語をキャンセルして、夫もちょうど早めに仕事を終えたので、彼も合流し6時過ぎにサンベント駅で待ち合わせることになりました。

ツーリストでごった返しの旧市街を縫って、リベイラを見ずしてポルトへ行ったと言うなかれ、主義のわたしです、行く当てのレストランは7時から開店するので、その間、4人で駅からリベイラに続く道を下り始めました。

Ribeira Porto

Kちゃんとは、かつて代々木ゼミナールの帰国子女受験コースで一緒になったとモイケル娘から聞いており、わたしが日本に帰国した時に一度息子と娘のアパートで顔を合わしています。


Kちゃんは翻訳事務所を千葉に構え、通訳として活躍しているのですが、モイケル娘はポルトガル語授業やネットショップ「東のポルト屋」展示即売会の時など、そのオフイスを提供してもらっています。

Ribeira Porto
ドウロ川対岸のガイア側から望むポルト・リベイラ

子どもたちの友人がこうしてポルトを訪ねて来るのは嬉しいことです。リベイラからドン・ルイス1世橋を渡り、川を挟んでガイア市側から眺めるポルトの街はやはり美しい。曇っていたので一番美しい景色である青空の下にポルトが望めなかったのは残念でしたが、暮れなずむリベイラもそれなりに趣があって好きです。

レストランは人気があり、いつ行ってもテーブルが客でいっぱいの市庁舎通り横にある「Brasão(ブラザォン)です。

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生ハム、タコのサラダ、バカリャウのコロッケと豆

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Pica Pau(ピカパウ=きつつきの意。みんなで皿をつついて食べることから来る)

Kちゃんはアルコールがだめでしたが、連れのO氏はバンバンいける口なのだそうで、わたしもついビールの杯を重ねてしまいました。お二人はこの他、ポルトのFrancezinha(フランセズィーニャ)を分けていました。おしゃべりが進む食事は美味しい!
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1934.html
2時間弱の食事はあっという間に過ぎ、ブラガの宿泊先へ帰るお二人を、電車の時間に合わせて再会を願いながらサンベント駅で見送りました。

Kちゃん、Oさん、お疲れさまでした!また、会いましょう!

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2017年11月29日 

日本語教室、個人授業の生徒ですが、長年の付き合いで生徒というより友達のマリアさん、週に一回の授業は教えるわたしも毎回楽しい。

78歳の彼女はTai chi(太極拳)を習っていて、冬でも半袖です。うわ!寒くないの?と聞くと、「触ってごらん」と言って腕を差し出します。触ってみると温かいのです。我が家に通うのも途中でバスを降り、20分ほどは歩いてくるのが常です。溌剌としたエネルギーが、本人の体から、精神から伝わってくるようです。

基本文法のテキスト2冊は数年前に修了しており、読解力本も一通り終わってここ数年は彼女が持ってくる現代作家のエッセイや短編小説を授業で読みます。と言うよりも、マリアさんに読ませられているとの感がなきにしもあらず(笑)

なぜなら、例えば最近では村上春樹、酒井順子がそれで、私自身は恐らく自分からは手にしない種類の読み物です。日本にいたころから活字中毒のわたしでしたが、「一緒に読んでください」と彼女がもってくる読み物は、わたしが、あの頃手にして読んだ本の文体と明らかに違っています。

そんな訳で、読み物の内容よりも日本語がどんな風に現代作家に使われているのかを知るのが面白いところです。

さて、マリアさんが先日、日本の知り合いから送られて来たので、その本の内容はだいたい分かる故、それは置いといて、前書きを読みたいと持って来たのがこの本です。

Nasreddin

ナ、ナスレディン?ひゃ~、懐かしや!

わたしは高校の授業での英語学習意外はほぼ独学なのですが、アリゾナ大学のESL(English as a Second Language)コースの留学が決まった時点で、独学では不安になり、一時期オーストラリア人が経営し、講師は全員ネイティブ・スピーカーだという語学教室に通ったことがあります。

そこで、知り合い友達になったイギリス人講師が、遊び半分に授業で取り上げたのが、このNasreddinのトンチ話だったのです。もう40年以上も昔のことですぞ(笑) そして、この時の講師兼友人、ロブとは後にアリゾナで会い喧嘩別れのようなことになり、数年前のFacebookを通して30数年ぶりに向こうからコンタクトが入ったと言う、ロブに因む縁がある本でもあります。

※ロブは下記「アリゾナの空は青かった」の思い出話で何度か登場していますので、興味ある方はどぞ。 
 
まさか、マリアさんを通じて40年ぶりにナスレディンの名を耳にするとは思いも寄りませんでした。

マリアさんとは、音楽でも面白い偶然があるのです。(「Tom Waitsとワルツリング・マチルダ

そんなこんなで、我がアリゾナ時代の話で盛り上がり、今日は3ページに及ぶ字がびっしりの3ページを辛うじて2ページ終えた今日の授業の終わりに、マリアさん曰く、

昨日、街を歩いていると簡易健康診断車の側を通りかかった。と、中年の係員に年配者に受けて欲しいとマリアさんは声をかけられ、結構ですというのに強引に誘われ健康検査をする羽目になった。

その中に力の強さを測るバネ式の計量器があった。取っ手を持ち、グイと引き上げたが幾ら上げようと思っても上がらない。すると記録用紙とペンを手にした係員、まじまじと彼女の顔を見、「セニョーラ、もうそれ以上上がりません。測りを壊してしまいましたデ。」 (爆)

最初のグイで力余り、既に測りを壊していたって、マリアさん。ギャッハッハの大きな笑い声で授業は終了したのでした。いやはや、体力では恐らく8才歳上のマリアさんにわたしは太刀打ちできないでしょう。

もちろん、彼女のその他の検査は全て問題なく健康体そのものだと太鼓判を押してもらったのだそうな。心のどこかに少年期を隠し持っているような、気が合う愉快な我が友、マリアさんの話でした。

本日も読んでいただきありがとうございます。
それではまた明日。

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2016年10月17日

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長年我が家に通ってくれたベルミラおばさんが置いていったベランダの名知らぬ花
 
インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。
知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報は臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と心中呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのコンタクトをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしは100歳までがんばってみるさ。

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2016年1月24日

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