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2018年9月4日 

祈りの町と呼ばれるBragaの夏の祭典「Noite Branca」に招待されて作品を展示していた日本人コンテンポラリ・アーティストO氏の手伝いで来ていた我がモイケル娘の友人Kちゃんが、展示作品の梱包発送が完了してブラガからコンタクトしてきた。「O氏ともども夕方からポルトへ行きます!」

と言っても、翌4日、つまり今朝にはポルトを飛び立つのだという。わずかの時間ではあるけれど、それではポルトで晩御飯を一緒にしようと言う事になり、急遽、夕方の日本語をキャンセルして、夫もちょうど早めに仕事を終えたので、彼も合流し6時過ぎにサンベント駅で待ち合わせることになりました。

ツーリストでごった返しの旧市街を縫って、リベイラを見ずしてポルトへ行ったと言うなかれ、主義のわたしです、行く当てのレストランは7時から開店するので、その間、4人で駅からリベイラに続く道を下り始めました。

Ribeira Porto

Kちゃんとは、かつて代々木ゼミナールの帰国子女受験コースで一緒になったとモイケル娘から聞いており、わたしが日本に帰国した時に一度息子と娘のアパートで顔を合わしています。


Kちゃんは翻訳事務所を千葉に構え、通訳として活躍しているのですが、モイケル娘はポルトガル語授業やネットショップ「東のポルト屋」展示即売会の時など、そのオフイスを提供してもらっています。

Ribeira Porto
ドウロ川対岸のガイア側から望むポルト・リベイラ

子どもたちの友人がこうしてポルトを訪ねて来るのは嬉しいことです。リベイラからドン・ルイス1世橋を渡り、川を挟んでガイア市側から眺めるポルトの街はやはり美しい。曇っていたので一番美しい景色である青空の下にポルトが望めなかったのは残念でしたが、暮れなずむリベイラもそれなりに趣があって好きです。

レストランは人気があり、いつ行ってもテーブルが客でいっぱいの市庁舎通り横にある「Brasão(ブラザォン)です。

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生ハム、タコのサラダ、バカリャウのコロッケと豆

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Pica Pau(ピカパウ=きつつきの意。みんなで皿をつついて食べることから来る)

Kちゃんはアルコールがだめでしたが、連れのO氏はバンバンいける口なのだそうで、わたしもついビールの杯を重ねてしまいました。お二人はこの他、ポルトのFrancezinha(フランセズィーニャ)を分けていました。おしゃべりが進む食事は美味しい!
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1934.html
2時間弱の食事はあっという間に過ぎ、ブラガの宿泊先へ帰るお二人を、電車の時間に合わせて再会を願いながらサンベント駅で見送りました。

Kちゃん、Oさん、お疲れさまでした!また、会いましょう!

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2017年11月29日 

日本語教室、個人授業の生徒ですが、長年の付き合いで生徒というより友達のマリアさん、週に一回の授業は教えるわたしも毎回楽しい。

78歳の彼女はTai chi(太極拳)を習っていて、冬でも半袖です。うわ!寒くないの?と聞くと、「触ってごらん」と言って腕を差し出します。触ってみると温かいのです。我が家に通うのも途中でバスを降り、20分ほどは歩いてくるのが常です。溌剌としたエネルギーが、本人の体から、精神から伝わってくるようです。

基本文法のテキスト2冊は数年前に修了しており、読解力本も一通り終わってここ数年は彼女が持ってくる現代作家のエッセイや短編小説を授業で読みます。と言うよりも、マリアさんに読ませられているとの感がなきにしもあらず(笑)

なぜなら、例えば最近では村上春樹、酒井順子がそれで、私自身は恐らく自分からは手にしない種類の読み物です。日本にいたころから活字中毒のわたしでしたが、「一緒に読んでください」と彼女がもってくる読み物は、わたしが、あの頃手にして読んだ本の文体と明らかに違っています。

そんな訳で、読み物の内容よりも日本語がどんな風に現代作家に使われているのかを知るのが面白いところです。

さて、マリアさんが先日、日本の知り合いから送られて来たので、その本の内容はだいたい分かる故、それは置いといて、前書きを読みたいと持って来たのがこの本です。

Nasreddin

ナ、ナスレディン?ひゃ~、懐かしや!

わたしは高校の授業での英語学習意外はほぼ独学なのですが、アリゾナ大学のESL(English as a Second Language)コースの留学が決まった時点で、独学では不安になり、一時期オーストラリア人が経営し、講師は全員ネイティブ・スピーカーだという語学教室に通ったことがあります。

そこで、知り合い友達になったイギリス人講師が、遊び半分に授業で取り上げたのが、このNasreddinのトンチ話だったのです。もう40年以上も昔のことですぞ(笑) そして、この時の講師兼友人、ロブとは後にアリゾナで会い喧嘩別れのようなことになり、数年前のFacebookを通して30数年ぶりに向こうからコンタクトが入ったと言う、ロブに因む縁がある本でもあります。

※ロブは下記「アリゾナの空は青かった」の思い出話で何度か登場していますので、興味ある方はどぞ。 
 
まさか、マリアさんを通じて40年ぶりにナスレディンの名を耳にするとは思いも寄りませんでした。

マリアさんとは、音楽でも面白い偶然があるのです。(「Tom Waitsとワルツリング・マチルダ

そんなこんなで、我がアリゾナ時代の話で盛り上がり、今日は3ページに及ぶ字がびっしりの3ページを辛うじて2ページ終えた今日の授業の終わりに、マリアさん曰く、

昨日、街を歩いていると簡易健康診断車の側を通りかかった。と、中年の係員に年配者に受けて欲しいとマリアさんは声をかけられ、結構ですというのに強引に誘われ健康検査をする羽目になった。

その中に力の強さを測るバネ式の計量器があった。取っ手を持ち、グイと引き上げたが幾ら上げようと思っても上がらない。すると記録用紙とペンを手にした係員、まじまじと彼女の顔を見、「セニョーラ、もうそれ以上上がりません。測りを壊してしまいましたデ。」 (爆)

最初のグイで力余り、既に測りを壊していたって、マリアさん。ギャッハッハの大きな笑い声で授業は終了したのでした。いやはや、体力では恐らく8才歳上のマリアさんにわたしは太刀打ちできないでしょう。

もちろん、彼女のその他の検査は全て問題なく健康体そのものだと太鼓判を押してもらったのだそうな。心のどこかに少年期を隠し持っているような、気が合う愉快な我が友、マリアさんの話でした。

本日も読んでいただきありがとうございます。
それではまた明日。

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2016年10月17日

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長年我が家に通ってくれたベルミラおばさんが置いていったベランダの名知らぬ花
 
インターネットの世界は刺激的である。
瞬時に情報が得られるのは大きな魅力だ。しかし、色々な事件やスキャンダルを目にしては、時に大きな不安にかられたり、イライラしたりするのも事実だ。そして、もしもこのツールがなかったら、わたしのポルトガルでの日々の生活はもっと心穏やかだったのではないかと、思ったりもする。

ポルトガルに来た頃は、今のようにインターネットが一般的に普及していなかったがため、多くを知らされずに済んだのである。知らない、知らされないということは、毎日の自分の生活以外に心を乱されないということだ。

多量の情報が世界中から放たれ、それらのニュースを見聞きしてはわたしたちは一喜一憂する。
知らない方がいいと言うつもりはないが、それら多量の情報にズルズル引きずられては、イライラしたり不安になったりするのである。一度その便利さを知ってしまうと、ネット世界を自分の生活から切り離すことは、実はできそうでできないが困る点でもある。

しかし、インターネットはマイナス面もあるが、勉強したいと思う人には、格好の世界でもある。ひとつの出来事に対して賛否様々な意見を探ることができる。後はそれを咀嚼して自分がどう思うかだ。その利点に魅せられて、ネットをろくすっぽ知らないわたしが、娘の手引きをきっかけに、なんとか自分なりに使えるようになり、ネットサーフィンをし始めてから15年にはなる。ニュースにしても、かなりな日遅れの新聞を読むのとは違い、ネットで即、得る情報は臨場感があるというものだ。

インターネットの利点のもうひとつに、20年、30年と音沙汰が絶えていた友人知人と巡り合えることがある。わたしはこれまでにこの経験を何度もしている。これもまた懐かしく嬉しいことだ。

人との巡り合わせと言えば、今では古い言葉になってしまったが、チャットや掲示板、ブログ等を通してインターネット上で知り合う、「ネ友」の存在もあげられよう。そんな顔が見えないのは友達と呼べないだろうという意見もあろうが、わたしの場合、そうした経緯を経て友達になった人が現に何人かいて今も交友が続いていたりする。

なにしろ日本とポルトガルのことゆえ、簡単に「じゃ、今度一度お会いしましょうか」と言うわけにはいかないが、それが却っていいところもあったりするのである。もうひとつ、わたしは年齢を隠さないので、色目を使って近づいてくる異性の対象にはならないことだ。残念な気持ちもなきにしもあらずだが(笑)

しばらく前のことだ。10数年来のそのネ友のひとりの誕生日だった。「まちゃ、お誕生日、おめでとう!このところ、あまり見かけないけど(ネット内で)、元気にしてる?」とメッセージを残した数日後、そのご兄弟と友人だと言うひとから、「昨年脳出血で他界しました」との連絡を受けたのである。

他界?わたしの息子と言ってもいいくらい、まだ若かったではないか。プライバシーがあるので彼の個人的なことは書けないが、チャットで知り合ったころは家族と自分自身の問題を抱えていて、そこから抜け出せないままだったことも想像できる。

「ママに(ネット仲間内では最年長者のわたしは、みなからそう呼ばれていた)一度は会ってみたい。今度帰国した時は、大阪までがんばって出て行くから連絡して」「うん、そうだね。」と言いながら、結局、この3年ほどは大阪へ足を運べなかった。10数年来のネ友でありながら、一度も顔を合わさなかったのである。

わたしよりずっと若いのに、先に逝ってしまうのは失礼千万だぞ、と心中呟きながら、会ったところでわたしはどうという人間でもないが、彼に会いたいなぁと言われた年に、こちらが頑張って大阪まで行けばよかったと、会った事のない友を思い、しばらく心が沈んだ。

ずっとそのままにしてきたFBもスカイプも、まちゃ、「チャットルーム不夜城」の思い出をもう一度綴って、君とのコンタクトをそろそろ消すよ。君に別れを告げて、「ママは100までも生きると思うよ」とかつて君が言ってたように、わたしは100歳までがんばってみるさ。

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2016年1月24日

シマ、タコ君、ブログを読んでるかな?
メール、送りました。確認、乞う!
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2012年10月31日 

自宅日本語教室の授業を3週間もしくは4週間毎に、一週間休講にして
その週はゆったり休もうと言ったのは昨年のことでした。
が、結局それができずして、逆にボランティアの影絵作成だとか市立図
書館の日本語開講だとかで仕事を増やしてしまい、今日まできたのです
が、このままでは体力的に続かないと自覚したのがしばらく前です。

そこで、この秋からは欠かさず熱心に通ってくる生徒さんにその由を伝え
承諾してもらったのです。少し体調不振だったのがうまい具合に数人の
生徒たちが2週間ほどの休暇をとったりしたもので、久しぶりにバタバタと
慌てふためくことなくこの2週間を過ごしています。

で、昨日は藤本儀一氏が亡くなったとのニュースを目にし、この数年、忙
しいのにかまけて、日本のことを思い出す暇もなかったのですが、儀一
氏にまつわるビアハウス時代のエピソードなどをめくっていたのでした。
(エピソードはこちらに)

ビアハウスのバイト歌姫時代は同時にわたしの大阪のOL時代でもあり、
あの頃を懐かしみながら、「そう言えば、彼はどうしているのだろうか」と
わたしはめったにしないことなのですが、ふといたずら心でその人の名を
検索して見ました。
「ボブ・グロンディン」、いや、こっちがいいかな?「Robert Grondine」・・・・
2006年4月6日のブログ日記「炉端焼き」と題してボブについてはこんな
ことを書いています。

炉端焼きの居酒屋に、わたしは限りない愛着がある。
そこには数々の懐かしい思い出があるからだ。

特に、大阪は京橋地下街の炉端、京阪沿線宮之阪駅前の炉端ではわたしは
常連の部類に入っていたと思う。

流れる音楽が演歌で、それが難と言えば難だったのだが、しかし、炉端に
ジャズやらシャンソンを望むのは、中華料理店でフランス料理を注文する
ようなものだろう。
泣き節の演歌はあまり好きではないが、それが炉端にぴったしなのには、
どうにも仕方がない。

外国人の友人ができると、わたしはよく炉端に案内したものである。
当然夫も時々わたしに引っ張られて行ったことになる。
わたしが勤めていた会社の東京本社には、ハーバード出のボブがいた。
本社とは仕事上しょっちゅう電話連絡をとるのだが、初めて彼と話した
時は、電話の相手がアメリカ人だったと聞かされるまで気づかなかった。
それくらい、彼の日本語はクセがなく日本人に近い発音にオフィスの
みんなはひたすら感心したものだ。

その彼が週末を利用して大阪へ来たときもアサヒ・ビアハウスと炉端に案内
した。日本語はコーネル大学在学中に学んだと言い、かなり流暢に、そして
語彙力もあったボブとは、炉端で飲みながら食べながら、その日、大いに
あれやこれやと議論したのである。もちろん日本語でw

日本びいきの彼、自分の名前、ロバート・グロンディンを日本名で
「炉端 愚論人=ろばた・ぐろんじん」とつけて、印鑑まで作ってしまった。
そそ、ついでにバラしてしまえば、アサヒ・ビアハウスに彼を案内した時は、
ホール中演奏のポルカに合わせ踊って跳ね回り、相手をさせられたわたし
は引きずりまわされヘトヘト、見ていた常連達もボブのステップにはすっか
り目を回したのだったw
当時は「文化住宅」と呼ばれた、駅から徒歩10分ほどの二間、トイレバス、
台所付きの小さな我がアパートは京阪宮之阪にあり、駅を出るとすぐ横に見
える炉端。ここには、我が親友、「かつらぎ山房」の主「みちべぇと」よく行った。
みちべぇはもちろん女性です^^ わたしが働いたオフィスの後輩なのだが、
当時同じ駅のすぐ側にご両親姉妹と住んでいるのを偶然知って以来、自分が
グンと上だという年の差も忘れて意気投合。以来30年以上のつきあいになる。

ポルトガルに来た当時、アサヒ・ビアハウスがただただ恋しかったが、同
時にまた今のように手に入らなかった日本食への思いも深く、炉端を恋う
思いも募るばかりだった。挙句が、「我が息子ジュアン・ボーイが大人に
なったらいつか炉端へ行き、酒を酌み交わしながら人生論をぶってみたい」
と、それが夢だったのである。

わたしの若い頃は、しつこい酔客や端迷惑な酔客もいたにはいたが、お酒の
場とは、人生論を戦わせる場でもあったような気がする。 
会社の愚痴、上司の愚痴あり。しかし、人生の夢を語る場でもあった。 
お酒の加減よい力を借りて、本音をさらりと口滑らすことが、ああいう場で
はなんだかできたような気がするのだ。それでわたしは炉端が好きだったの
だと思う。

あれからもう30年、炉端焼は今ではかつてにように、そこここにあるもので
はないようだ。今の若い人たちは、いや、若い人達に限らず、現代人たちは、
どういう形で人と人生を語り合うのだろうかと、ちょっと興味を持つ。

みんなまともに面と向かって顔つき合わせて、人生論を戦わせるのだろうか。
しらふで語ることも勿論大切なことではあるが、人の人生って理屈だけでは
語れない部分があるのじゃないか、すると、やはりちょっとお酒なんかあっ
たら、語らいやすいなぁ、なんてわたしは思ったりするのである。
(引用終わり)


日本語英語検索で両方、出てきました。なんと、彼は東京のとある国際的な
法律事務所を立ち上げ、私立K大学で教鞭を持ち、ワイドショーの討論にも
出演して国際経済問題を語っていたとは!

在日米国商工会議所の最高顧問もしていたとありますから日米をまたにか
け、まぁあなた、随分活躍しているのね。

と思いきや次の文字に軽いショックを受けました。
弁護士. 2011年10月に逝去。

そんなわけで、今日は遅まきながらボブへの弔い話を。

東京本社、大阪支社と勤務先は違うが、ボブとはかつて同僚で休暇を利用し
てヒッチハイクの初体験も含め共に九州旅行をしたこともある間柄でした。

usaco1-1.jpg

我が職場は、それなりにアタマにくることもありはしましたが、今にして
みると随分愉快な職場だったと思い出されます。少人数のこともあり、社
員同士のチームワークがよく、本社との関係も悪いものではなかった。

パソコンの職場導入がなかった当時のこと、本社との連絡のやりとりでは、
電話では埒があかない件は手紙で用件が書かれている連絡事項用紙を他の
書類と一緒に専用の封筒に入れるのです。

どちらが始めたのか覚えていませんが、その封筒にちょっとしたオモシロメ
ッセージを誰かが書き始め、以来、専用封筒がボロボロになり、もう書き込
む隙間もないと言うくらいに表面がおアホなメッセージで真っ黒け。
もちろん、ボブやわたしのメッセが中心であったわけですが、それに他の
社員も加わり(笑)誰の目にでもつくその封筒、ある日、我らが所長が目に
入り、「なんだ、こりゃ、お前たち!」と相成りお叱りを受け(笑)
以後、封筒メッセはあえなくボツ^^;

usco
10人くらいの小さな支店で社員旅行にて。左端が所長。赤い人がわたし

同僚の女性Tとわたしは同い年で、本社支店合わせても、エヘン、最高の事
務仕事コンビと言われたのであります。そそっかしいわたしをカバーした
Tの苦労やいかばかりかw

usaco
鳥取砂丘でのひととき。20代、30代、40代でこれです。逆おしくら
まんじゅうw 赤い人がわたしw 今ならさしづめセクハラとかでお咎めを
受けるかしらw そんなことは思いもせず単純に童心に帰ってw


usaco

こんな雰囲気のオフィスで、本社と支社の封筒メッセの愉快なやりとりもあ
って然るべき(笑)そのうち、ボブは東京で日本女性Aさんと結婚し、その
後二人はニューヨークへ。
法学部大学院で再び学業に取り組み、簡単な近況報告のクリスマスカードが
舞い込むこと数年。わたしもビアハウスのバイトで目標額に到達し、オフィ
スを退職してアメリカへ渡り、
usaco
1977年オフィス時代最後

やがてポルトガルで子育てに夢中になり、いつの間にかボブとは連絡が途
絶えてしまったのでした。まさか、日本で活躍していたとは夢知らず。

人のことは言えないけれど、ネット上で見るかなり恰幅がよかった写真には
やはり上の若い時の面影が見られます。享年59歳。ボブ、ちょっと早かっ
たのが残念ですよ。ちょうど一周忌の今月、しばし、あのオフィス時代に
思いを馳せて、あなたの冥福を祈ります。
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