2017年5月19日 

久しぶりにポルトの路地をランダムに歩いて見ました。
ポルトの路地を歩いて写真を撮り始めてから、13年くらいになるでしょうか。 当時は人影もなく、治安は大丈夫だろうかと心細い思いで歩いたものでしたが、「一度は訪れてみたいヨーロッパの街」のトップにポルトガ選ばれた今、ツーリストの姿はこんな路地でもたくさん見かけられるようになりました。

今日は写真を掲載します。

ダウンタウンへ行く時に利用するメトロのイエロー線。
ポルトの路地

ポルトの路地

ポルトの路地
窓辺。下は同じ場所。昔ながらの人々の生活がうかがえる。

ポルトの路地

今日の路地はサンベント駅からドウロ川べりリベイラに向かう長い坂道、Rua Mouzinho da Silveira(Rua=通り)から、この噴水(ポルトガル語ではChafariz=シャファリス)があり場所を入る小さい坂道、Rua do Sotoです。

Rua Mouzinho da Silveiraですが、この通りは19世紀半ばまで「Rio da Vila(ヴィラ川)」だったと、わたしはポルトガル語のDias先生と読んでいる本で学びました。ですから、通りの下を今も川が流れているということになります。

ポルトの路地

この噴水を見るといつも思い出される一人のおばあさんがいます。過去に取り上げて書いていますが、再度、掲載します。

2013年7月

古いミュージカルに「メリー・ポピンズ」と言うのがあります。
 
1960年代の作品でジュリー・アンドュースが主演。わたしは20代始めに見たのですが、ジュリー・アンドリュースの話す英語が美しく分かりやすいので英語の勉強を兼ねるのと、ストーリーも歌も気に入ったのとでその後も何度も見てきた映画です。

MaryPoppins.jpg
Wikiより

物語の内容はGoogleのここに出てきます。

挿入歌の「チムチム・チェリー」は日本でもヒットしましたし、どんな苦しいこともひとさじの砂糖で楽しくなるものと歌う「Spoonful of Sugar(お砂糖ひとさじで)」も知られた歌です。また、この中で乳母のメリー・ポピンズが子供達に教えるおまじないの言葉「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリアドゥシャス」はわたしも必死に覚え今でも言うことができます。

それらの挿入歌の中でも今に至ってわたしの心に残っているのが「鳩に2ペンスを(Feed the Birds)」です。手にした2ペンスを銀行マンの父親に「銀行に貯蓄せよ、そうすると利息が入る」と諭された子供たちに、魔法のガラスのボールでメリー・ポピンズがセントポール寺院で鳩の餌を売る老女の姿を映して見せるシーンに使われます。

「鳩に餌をあげてください。お腹が空いているのです。一袋2ペンスです。あなたが鳩たちを気にかけていることを示してください。寺院に立つ聖人像たちは老女が鳩の餌を売るのを見下ろしています。あなたには見えないでしょうが、誰かが一袋買うたびに彼らは微笑んでいるのです。一袋たったの2ペンス。鳩に餌をあげてください」

ざっとこんな風に歌っています。下記Youtubeでこのシーンが見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=Nm_BW1Vy6Zw

何故こんな話に及んでいるかと言うと、先日回ったダウンタウンはリベイラへと続く広い道Rua Mouzinho daSilveiraを歩いてあれ?と気づいたことがありました。その時間帯には必ず見かけた老女の姿がないのです。

ポルトの路地
Rua do Sotoへの坂道。このすぐ左に噴水がある。

坂道の上り口に座り、売り物を広げて売っているおばあさんです。売り物といってもそれを見た人はお世辞にも買おうかと言う気持ちは起こらないであろう古い壊れかけた使いようのないような代物ばかりです。日曜日と雨の日を除いては冬の寒いときでもここで物を広げてはこうしていつも座っているのです↓

ポルトの路地
2006年撮影

よくこの通りを降りてリベイラへ向かっていたわたしは何年も彼女と顔見知りです。見かけるたびに昼食の時間にはいつもここに座ってスープをすすっていました。そしてまたその時間には決まって鳩がたくさん彼女の周りに寄って来、彼女が分け与えるパンをつついているのです。スープはわたしの推測ではこの辺にある食堂からいただいているのではないか、でした。

貧しい自分の食事から鳩に分け与えているその姿にわたしは昔見たミュージカルの鳩と老女のシーンを思い出し小さな感動を覚えたのでした。

顔見知りになったきっかけは、そんなおばあさんを何度か見て、「こんにちは」とわたしが声をかけたことでした。最初はひとつ買おうかと商品らしきものをざっと見回しましたが、どうも使えそうなものがあり
ません。これでは誰も買わないな、と思いました。

そこで、失礼なことだとは思いながら「コーヒーでも飲んでください」と少しお金を差し出すと、とても喜んでくれ、なんども礼を言うのです。

かつてはわたしも今のように忙しくなくよくポルトのデジカメ探検隊と自らを称して街を歩き回っていたので、しょっちゅうここでおばあさんと挨拶をかわすことになり、おばあさんの服装は冬は冬なりに一応寒くないように見えるものの、大分擦り切れて薄汚れています。

ひょっとするとホームレスかも知れないとの思いもあり、言葉を交わす都度5ユーロ、10ユーロと何かに役立ててもらいたい思いで差し上げていました。

「本当にいつもありがとうね。神のご加護がセニョーラにありますように」と開く口は何本も歯が抜け落ちたのが見えていました。

ポルトの路地
2007年撮影。同じ服装だがショールと靴が違っている^^

見かけないのが気になるもので、直ぐ側にある小さな雑貨屋へ入って「あそこにいつも座っていたおばあさんはどうしたの?」と思い切って訊いてみました。すると「ぐうたらな息子がいて苦労ばかりしてきたのさ。息子は稼がず、あの母親からなけなしの金をふんだくっていくんだよ。Coitadinha(可哀相に)。とうとう病気になって老人ホームに入れられたよ」と返事が返ってきました。

そうか。ホームレスではなかったにしろ、春夏秋冬ひがな一日あそこに座ってスープをすすっていたのは、それなりの苦しい事情を抱えていたのだな。寒さはあの歳では堪えよう、今年の秋口には毛布の膝掛けを持って行こうと思った矢先だったこともあり、病気になったのは辛いだろうけれど、老人ホームに入れられたのは案外良かったのかもしれない。

少なくとも食事にはありつけ、夜露雨露をしのぐことができる、とわたしは少し気が安らいだのですが、あれほど定時間におばあさんに群がっていた鳩たちは、さて、どうしただろうか。

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2017年2月28日 

今日はカーニバル休日ですが、例年の如く、うっとおしい天気です。
南半球のリオは今夏で、華やかなパレードも暑いからこそでしょう。リオのカーニバルパレードにはとても及びませんが、ポルトガルのあちこちでもパレードが催されます。

もとはと言えば春の到来を祝う祭りであったと言われ、謝肉祭とも呼ばれますが、ポルト近辺でよく知られるのはオバールのパレードですが、ポルトでも行われますが、残念ながら、今日はわたしは、今週土曜日に、市立図書館で開く「日本文化展示会」が控えており、自宅でその準備です。
その合間を縫って、日曜日に夫と行って来たダウンタウンの「Steak 'n Shake」を紹介します。

Porto Steakshake
 
少し前にも拙ブログで書きましたが、ポルトは今年もヨーロッパで一番いってみたい街のトップに選ばれ、ツーリスト相手に、今大変な勢いで街の中に新しいスポットが生まれています。これはこれで、街の発展につながりるのでいいのですが、観光ブームもいずれ衰える時がくるだろうことを思えば、こんなに店やホテル、ホステルが出現してきて大丈夫なのかと気になるところでもあります。
が、一般人のわたしが心配してもせんないこと。ブームにのって今を楽しみながら、ことの盛衰を見てみようかと思っています。

Porto Steakshake
ロゴが入った赤いバイク

さて、Steak 'n Shakeとは、アメリカのカジュアル・チェーンレストランのことです。1934年にアメリカのイリノイ州から発し80年の歴史をもち、アメリカ全土をはじめ、フランス、スペイン、イタリアなどにも進出しています。昨年はリスボン、そしてポルトにも今年1月にオープンしました。

その際に話題をさらったのが、店の外壁一面を彩ったカラフルなアズレージュ(azulejo=絵タイル)です。

Porto Steakshake

これは今やポルトガルを代表するプラスティックアーティスト、Joana Vasconçelosの、8000枚のアズレージュからなる作品です。
 
店内にも同アーティストの作品が見られます。

Porto Steakshake

Porto Steakshake
 
レジで払った後、この番号札をもらいます。

Porto Steakshake

店舗は3階建て。1、2階はテーブル席、3回は化粧室。下の画像は2階。
Porto Steakshake

Porto Steakshake
 
1950年代のアメリカの様子も、壁に貼られた写真からうかがうことができます。この時代はエルビス・プレスリー、オードリー・ヘップバーン、テレビを始めとする電化製品の普及、そして写真に見られるアメリカ車など、アメリカン・ヴィンテージとも呼ばれるかの国の黄金時代です。

Porto Steakshake

Porto Steakshake

上は夫が頼んだもの、下はベジタリアントーストでわたし様。
Porto Steakshake

因みに、ステーキはメニューになし。Steakとはステーキバーガーのことだそうです。

本日はこれにて。
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2017年2月19日 

ポルトの美しい街並みを見るにはドン・ルイス1世橋を渡り、向こう側の「カイス・デ・ガイア」から眺めるに限る。それこそが絶景なのだ。これを見ずしてポルトを見たというべからず。赤レンガの屋根が段々畑のように重なり、他を抜きん出て建つのがポルトの象徴、クレリゴス塔である。

リベイラRibeira

このドウロ河岸ポルト側をリベイラ(Ribeira=川岸)と呼ぶのだが、ユネスコ世界遺産指定区域であり、式を通して訪れる人々を魅了し続けている。

リベイラ

川岸にはオープンカフェ、ポルトガル料理の老舗レストランや土産店が軒を並べ、その前方には二重橋のドン・ルイス1世橋が美しい弧を描き、二重橋の上段を黄色のメトロ、ユーロトラムがゆっくり渡る。

ribeira

天気が良い午前中に訪れると、こんな光景も見られる。
リベイラribeira

さて、リベイラの中ほどに、壁に埋め込まれた青銅盤「Alminhas da Ponte (alminhas=記念碑、記念盤)に気づく人はいるだろうか。

リベイラのAlminhas da Ponte↓
リベイラ

青銅版の上にはキリストの姿が描かれ中間には渡し舟も見られる。

1809年3月29日、ナポレオンの命を受けてフランス軍は二度目のポルトガル侵攻を試みた。この時、Soult将軍は前回目指したリスボンを避け、北部から侵入、ポルトへと向かった。

フランス軍侵入の噂を耳にしたポルト市民達はドウロ川を渡って対岸のガイア市に活路を開こうと、いっせいにPonte das Barcasを目指したのである。

pontedasbascas1.jpg
手前がリベイラ、向こう側がガイア。Wikiより。

もとよりたかが20艘の渡し舟からできている橋だ。波のように押し寄せる人々の重さには到底耐え切れず、橋はもろくも崩れ多くの一般市民が溺れ死んだと言われる。その人々の鎮魂のためにこの銅像版は作られ、今日も祈りの火を絶やされないでいる。

付け加えたいのは、ドウロ川の夕暮れもまた、えも言われぬ美しさがあることだ。

リベイラ

リベイラ

本日はこれにて。
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2017年2月14日  

前回、ナポレオン軍のイベリア半島侵入戦争について述べましたが、それに因んだ記念碑について。

ボアヴィスタ(Avenida da Boavista。Boavista=よい眺め)は、ポルトの比較的新しい中心街、ビジネス地区です。ボアヴィスタ大通りには五つ星のシェラトンホテルやパレスホテルがあり、ロータリーからその道をどこまでも下りて行くと、大西洋にぶつかります。

Porto Boavista

ボアヴィスタ地区はロータリーのMouzinho Albuqueruque広場から放射状に道が広がっていますが、下の画像のように、どの道からも広場の中心にある記念碑が見えます。

Porto Boavista
Rua Álvares Cabralからの眺め。

これが、ナポレオン軍を追い払ったポルトガル人、正確に言えばポルト人の記念碑「Monumento ás Guerra Peninsular(Peninsular=イベリア半島)」、「イベリア半島戦争の英雄たちの記念碑」なのです。
Porto Boavista

Porto boavista
記念碑が頂上に頂くのは、この戦いを援助したイギリス国章のシンボル、同時にポルトガル(ポルト人)の勝利を表すライオン。組み敷かれているのはナポレオンオ皇帝の象徴、鷲です。

1909年に建築家Marques da Silvaと彫刻家Alves de Sousaによって製作が始められましたが、が完成したのは1952年です。高さは45メートル。

Porto Boavista
↑記念碑には、ナポレオンが送ったフランス軍と戦うために北部のポルト、ブラガンサなどで蜂起した民衆の様子も見られます。

Porto boavista
左手に国旗を右手には剣を持ち、勇敢に民衆を率いる女性、Victória(victóriaはポルトガル語で勝利の意味でもある)の姿が描かれ、この記念碑に光を放っています。軍や男たちに混じって大砲を押す女性も。

Porto boavista
こちらは転覆するボート。

当時ポルトとガイアを結ぶのに小船をつないで架けられていた橋「Ponte das barcas」(ポンテ・デ・バルカス)です。ナポレオン侵入の噂に驚愕した一般市民が対岸の町ガイアに逃げようと押し寄せた多くの市民が命を落とした「Ponte das barcas」悲劇を表しています。これについては後日案内します。

記念碑を取り囲む公園内は近隣の人々の休息場でもあり、時にアミューズメントパークになったりします。↓

Porto boavista

ロータリー公園の向かい側にはあるCasa da Musica(音楽堂)。こちらも後日案内。

Porto boavista

が、待ちきれんのよ、という方は少し情報が古くなりますが画像はたくさん、こちらまでどぞ↓
http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/cidade_do_porto/casa_da_musica.htm

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2017年1月27日 

今年もディアス先生とのポルトガル語の勉強が始まりました。
この3年ほど、Germano Silva氏の本で先生とポルトの歴史を学んでいます。失われてしまった建築物や広場、道などの、いわばポルトの移り変わりが記述され、どのようにして街が開発されてきたかがよく分かります。わたしにとって興味深いトピックではあります。現在読んでいる本は氏の著書の2冊目です。

毎週火曜日の午後に先生のお宅にお邪魔して読むのですが、今回はわたしが一時、教会内部の文字の謎解きを試みた「Igreja de Cedofeita(セドフェイタ教会)が出てきました。正式には「Igreja São Martinho de Cedofeita(セドフェイタ・サンマルティーニュ教会)と呼び、São Martinho deTour(フランス、トゥールの聖マルティーニュ)に因んでいます。

サン・マルティーニュについては後記にて案内します。

cedefeita1.jpg

ポルト補習校の講師時代には、直ぐ側を車で通るので、毎度この教会を目にしており、その美しい姿に心惹かれていたのでした。拙ブログで一度取り上げていますが、これを機に今一度案内したいと思います。

romantico_cedofeita3.jpg
ひっそりとたたずむロマネスク風のセドフェイタ教会の正面で、同じ敷地内には、現代建築で建てられた大きな新セドフェイタ教会が建っています。

igrejanoba_cedofeita.jpg

さて、旧教会の559年に造られたとされてます。当時、ポルトガル国は未だ誕生しておらず、現在のポルトガル北部はカルタゴを破ったローマが進出し、その後、ゲルマン民族大移動により、古代ヨーロッパ民族のスエヴォ族が支配しました。

スエヴォ族の王テオドミーロは、多くのゲルマン諸族に広まっていたアウリス派(後に正統派から異端とされる宗派)を信仰していましたが、559年に正統カトリックに改宗しました。これについては次のような伝説があります。

王は息子のアリアミーロ王子の病の治らないのを苦にし、フランス、トゥールの聖マルティーニュに願をかけ、王子の体重と同じ重さの金銀を託し、使節を送ります。聖マリティーニュの遺骨を持って戻ったブラガ司教がそれを王子にかざすと、王子の病気は瞬く間に治り、テオドミーロ王は謝意を表すために、自分が支配する民を全てカトリックに改宗させ、聖マルティニュに捧げる教会を建築します。

その建築期間が短く、あっという間に出来上がった教会ゆえに人々にはラテン語で「Cito Facta」、つまり、ポルトガル語では「Feita Cedo(はやく完成された)」と知られました。これが現在の「Igreja de Cedofeita de Sao Martinho」の名の由来です。

igreja_cedodfeita
セドフェイタ教会の花崗岩の正門。上にはラテン数字でこの教会が建てられた年号559と彫られてある。

igreja_cedodfeita
 
正面入り口の3本の円柱に支えられた動物、鳥、草木の装飾の中に面白いものが見られる。真ん中は二頭のドラゴンに見えるのだが。右側の彫刻はなにを伝えようとするものなのか。

igreja_cedodfeita

北側上方に小さな鐘が二つ。その横にあ入り口にはモチーフAgnus Dei(=アニュス・デイouアグヌス・デイ)がある。

cedofeita.jpg
Agnus Deiはラテン語で、「神の子羊」ことイエス・キリストを表し、洗礼者ジョン(ヨハネ)がイエスに与えた名称だと言う。

夏にはこの教会で時々結婚式をここで見かけられることがありますが、普段は閉め切ったままのチャペルまがいの小さな教会です。が、2014年に、わたしは偶然の幸運に恵まれ、中に入ることができました。

その日、わたしは教会をカメラに収めるためパチパチやっていると、中年の一組のカップルと鍵を携えた教会関係者がやってきて戸が開けられました。それで遠慮して写真を撮る手を止めて見ているとカップルの男性が手招きして「どうぞ、入ってみませんか?」と誘ってくれるではないか!

うわ~、チャンスが転がり込んできた!この教会に入れる人はざらにいるものではありません。ひょっとするとわたしはこの教会の内部を見る最初で最後の日本人かもよ!と、男性の親切に大いに甘えて、撮影許可も得て内部を見学させていただきました。

igrejadecedofeita_dentro
 
さて、めったに見られる機会がない質素なプレ・ロマネスク建築のセドフェイタ教会内部ですが、概観同様、装飾を殆ど持たないシンプルな建築様式に却って祈りのためだけの教会の美しさを感じました。あちらをパチリ、こちらをパチリ。内部撮影のチャンスをくれた男性が写っています。

セドフェイタ教会は559年に建設された後、8世紀初期には、スペインのサン・チアゴ・コンポステラに向かう巡礼の宿泊所や避難所として利用され、12世紀には修道院になり、その都度、建物の様式は少しずつ変わり、18世紀に入って初期の教会をもとに現在見られる形になりました。

内部には初期の教会のオーナメントが幾つか置かれています↓

igrejadecedofeita_dentro
トップに十字架を頂いた石版。十字架の上三方それぞれが丸みを帯びており、これはテオドミーロ王が改宗した正統カトリックの十字架でしょうか?

igrejadecedofeita_dentro

ほとんど装飾がない中で目に付いたのは柱のトップにある鳥のシンボル。
igrejadecedofeita_dentro

が、その横の石壁に刻まれた記号にわたしは大いに惹かれました。

igrejadecedofeita_dentro

意味するところは何なのか、検索すれど引っかかって来ず。大体が、「画像」を検索してもヒットするのは、外部の画像のみで、内部写真はほとんどありません。何しろ通常は内部見学ができないのですから、無理からぬこと。一件、内部撮影できた人のブログにあたったのですが、この方は残念ながらこのシンボルを見逃していました。

そこで、今回、画像をアップロードするにあたり、ポルトガル語で画像タイトルをつけて見ました。

数日の検索を続けてこれは「イエス、マリア、マルティーニュ(聖マルティーニュ。この教会が彼に捧げられている)」を意味するのではないかとの解釈に到達しました。

少し説明を試みてみましょう。まず、右から三つ目。これは「A.Ω=アルファ、オメガ」の古い文字。新約聖書黙示録にある次の神もしくはイエスの言葉から来ます。

I am Alpha and Omega,the beginning and the ending,the first and the last。
<訳>:わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。

アルファはギリシャ語のアルファベットの最初の文字、オメガは最後の文字です。

一番右上のOもしくは円も永遠を表すもの。或いはヘブライ語からくるかもしれません(疑問)。右下は三つ目と同じ「オメガ」。真ん中は数字8で無限∞とどれも神、イエスのシンボルと言えます。

さて、では一番左はと言うとどうもどこかの古代文字に思えて仕方がなく、ヘブライ文字をさぐって見たのですが、迷路にはまり込んで疲れました(笑)

自分の性分としては、「イエス、マリア、マルティーニュ」の説明だけでは足りないのです。どの文字が誰を意味し、何語なのか知りたい虫が頭をもたげ、よっし!と5日ほど取り組んで見たものの素人の手に負えず敢えなく撃沈と相成りました。

こういう時は少し間をおいて再びトライすると、案外ヒットすることがあります。初期建設が6世紀という時代から、わたしはヘブライ語だと判断し、向かって右側から文字分析に取り組んだのですが、もしかするとイエスのシンボルは左側からと言う可能性もなきにしもあらず。

この謎の文字を、実はこの間、ポルトガル語のディアス先生と話し合ったのですが、右から三つ目の「アルファ、オメガ」については同意見。しかし、一つ目と二つ目は意見が違いました。先生は二つ目は「時間(これはわたしも考えてみた)」、一つ目は「人間」だと推測。

つまり、神が天地、時間、そして、人間を順に創造し、この人間の出現が「終わり」である、と^^;
え~~~!と異を唱えたいと思う反面、20世紀から21世紀の世の移り変わりを見るにつけ、人間が現れた時が、「Endingである」との黙示録の言葉に重なるような気がしないでもなく、なんだかガツンを
頭を殴られたような気がして、ポルトガル語の授業から帰ったわたしなのでした。

もし、考察できる方がおられましたらご一報を。

というわけで、この一件、再び棚上げと相成ります。新しいセドフェイタ教会内には博物館があるようで、
この謎解きのヒントがあるかも知れない由、いずれ、訪れてみようと考えています。

今日は長い勝手考察、推理にお付き合いいただき、ありがとうございました。お口直しに、わたしの好きなクラリネット奏者アッカー・ビルクの「Aria」を聴いていただきご勘弁願いたい。

素晴らしい宇宙の画像とビルクのアリアの組み合わせは、無宗教のわたしでも思わず、かの聖書の言葉を思い浮かべ、the Almightyこと「大いなるもの」の存在を意識せずにはおられません。

I am Alpha and Omega, the beginning and the ending,the first
and the last, saith(said) the Lord, which(who) is, and which(who) was,
and which(who) is to come, the Almighty.
Revelation 1-8

「which is, which was, and which is to come 」は「King Jame Bible」より。 多くは「who is, who was, and who is to come」とされている。



聖マルティーニュについてはこちら↓
ポルトガルの小春日和「サン・マルティーニュの日

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