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2019年7月14日 

先週日曜日は、取材を兼ねて夫をお供に、ミラガイア地区の川沿いを歩いてきました。ドウロ川沿いのリベイラ(Ribeira)同様、ミラガイアはわたしが気に入っている古い町です。

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傾きかけた小さな家並みが見られ、ベランダには洗濯物がたなびいていて、いかにもポルトらしくて懐かしい香りがします。若いときはこの古臭さが嫌いだったのに、同類哀れむの感とでも言いましょうか(笑) 

ちなみにリベイラやミラガイアなどの古い家並みでは洗濯物を外に出すのが許されていますが、他地域では表通りやみえる場所に洗濯物を干すのは市が禁じています。

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今では、シーズン中は路面電車乗り場に長い列ができるような、ほとんど観光客用になった路電もこの地区を行き交います。

ミラガイア地区に着いては何度か取り上げていますので、後記にて案内しますが、今日の話題はこれです。

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ミラガイアはこのように小高い丘からなるのですが、上に見えるのはPalacio das Sereias(Sereiasは人魚の複数形)こと、人魚の館です。下から見上げるとパッとしませんが、ファシャーダの二つの人魚像からこの小宮殿名前の由来がわかります。

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夕日を受ける人魚の館

Rua da Restairaçãoから Rua da Bandeirinhaに入って、楽なアクセスもできるのですが、川沿いのミラガイアから石段(Escadas das Sereias)を上ってのアクセスもできます。少しきついですがわたしはこちらの方が好きです。

が、実はこの石段は危ないなぁ、ちゃんと工事する必要があるのではないかと、随分前から思っていたのです。それが、市はやっと工事に手をつけたようで、現在は石段をのぼってのアクセスができません。これも観光客が増えて市の懐が潤ってきたからでしょう。

下記では子の館とミラガイア地域を案内しています。興味あらばどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1307.html 人魚の館

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1306.html  ミラガイア アーケード
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2019年7月11日 

ポルトガルに長年住んで知ったことのひとつに、ポルトガル人の国、郷土に対する自慢、つまり愛国心、郷土愛です。

ポルトガルや自分が住む町、祭りなどを主語に、「o mais bonito do mundo(世界で一番美しい)」とか「o maior do mundo(世界で一番!)」と言う言葉を一般人がよく口にします。

また言ってるわん、と内心クスリと笑っているのだが、かく言うわたしも「世界で最も美しいレロ書店」なんてやらかして、雑誌記事などに紹介しているのでありますれば。

さて、そのo mais bonito do mundoをまたもや目にしたのがポルトの市庁舎通りこと、Aliadosのマクドナルド。

今でこそ国内のあちこちにあるマクドナルドですが、わが子たちが小さかった頃は、ポルトにマクドナルドのみならずファーストフード店そのものがなく、スペインやイギリスへ旅行に行くと、「あ、マクドだ!」と子どもたちのリクエストで何度車を止めて入ったことでしょう。

ポルトに住む子供たちにとって、海外旅行、日本帰国はファーストフード店がお目当てでもあったのでした。

下はポルト、マクドナルドの入り口です。大きなáguia(アーギア=鷲)のシンボルが見られます。
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1995年にオープンされましたが、実はこの建物はポルトでも屈指の「カフェ・インペリアル」だったのです。1936年に開店したカフェ・インペリアルは入り口が大きな開店ドアになっていました。

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Wikiより

内装は初期アールデコ調で、カフェ・インペリアルには当時の多くの知識人が集まる場所でもありました。入り口のブロンズの鷲同様、現在もマクドナルドの店内、カウンター上部にはアールデコ調のステンドグラス、クリスタルのシャンデリアはそのまま残っています。

Macporto_1.jpg

ステンドグラスを拡大してみましょう。左のはぶどうの収穫です。

imperial2_1.jpg

見ての通りカフェを楽しむ紳士淑女

diploma

側壁上部の美しいモチーフ
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美的感覚は個人様々なので、一概に「世界で一番、最も美しい」と言うのには少し抵抗がありますが、「世界でも美しいマクドナルドのひとつ」と言う風な表現で行くと、ポルト、アリアードスのマクドナルドもまごうことなくその中に数えられると思います。

ついでに、わたしが見かけて美しいと思った他国のマクドナルドを紹介します。

mcdo-budapeste_nyugati[1]
2013年に訪れたブダペストのマクドナルド。中に入って食事しました。

下は2007年のパリで見かけたマクドナルド。外から見ただけです。
Mac_paris.jpg


下記、過去記事ですが、興味あらば、どぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-53.html ブダペスト旅行

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-36.html パリ旅行

ではみなさま、また。
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2019年7月4日

「ドウロ川があふれ出て川べり一帯が洪水になったとき、ワインセラーに寝かしてあるワインの樽はいったいどうなるのか?」の疑問が解けましたぞ。

実はこの解答、ネットでは出てこず、色々知っていそうな人に訊ねても分からず。はたと思いついたのが、大阪出身の我が友のポルトガル人のだんさん。今はもうお亡くなりになってしまいましたが、海外旅行団体の添乗員さんでした。これを調べていた頃は、お元気でした。そこで、彼女に電話したのです。

第一声、「あんたっ、暇やねぇ。ようそんな事にまで疑問持つもんだ。うちはワインを飲むのは好きやけど、そんなこと、思いもせん。わたしは知らん。けど、うちのダンナが喜びそうな話だ。聞いたげる。」

後日の解答がこれでした。
「うちのダンナ、いろんな本を持ち出して調べてだけど、よく分からんかった。うちと違って、いい加減な返事のできない人やから(うんうん、そうやねw)ダンナ、今日わざわざツーリストオフィスへ行って、あんたの疑問、みんな聞いてきたで~。だいたい、こんな質問初めてだってよ。わっはっはっは」・・・・・・・・

大雨でも川の水位が突如として上がることはない。徐々に上がっていき、これはいかん、と洪水が予測できた時点で、セラーの低位置に置いてある樽は高いところに上げるのだそうです。

しかし、あの黒いプレートが示す随分と高い水位まで水が達したときは?という問いには、もう樽は動かさない!だそうで(爆)
「問題はないのか?」には、「ない」との返答(笑)

ワインを寝かしてある樽をポルトガル語では「pipa(ピパ)」と言うのですが、「水に浸かると、通常木はいったん膨張する」とのわたしの思惑に反して、膨張するどころか、pipaは逆に収縮して、「一滴の水も外から浸入させない」のだそうで・・・

ほ、ほんまかいな?と、まだ疑いにかかっているのが本心ではありますけどね(笑

ということで、ドウロ川洪水の時の樽の行方、これにて一件落着。

ここで、ちょっとワイン樽pipaについて。

ポルト・ワインはこのpipaと呼ばれる樽のなかで熟成されます。                  

pipaはかつてはMaruquês de Pombalという地域で育てられるオーク(柏)材から造られていたのですが、現在ではハンガリーやチェコの森林地帯のオーク材を使っています。
一樽の許容量は600~650リットル。

sandeman_pipasBalseiros.jpg
大樽BalseiroとPipas。 Wiki]より

「Balseiro」と呼ばれる世界で最も大きなワイン樽は60,000リットルの許容量を持つそうです。ポルトガルの北部、Trás-os-Montes地方のPeso da Réguaで120個ものBalseiroが見つかっています。

さて、1972年から1985年にかけて、ドウロ川には5つのダムが建設されて以来、リベイラ一帯はかつてのような洪水被害からようやく解放されました。

現在は、その中の一つ、35メートルのダム越えのドウロ川クルーズがありますが、家族と行ったその時の様子は下記に綴ってあります。興味あらば、どぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1219.html

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2019年6月27日

さても、ヨーロッパはまだ6月だと言うのに40度近くの熱波に襲われている中、ポルトガルはと言えば、通常はサン・ジュアン祭が終わると一挙に暑くなるはずなのに、涼しくて夏はいずこに?の感じです。

突如として予想もつかないような天候が多い近年ですが、来夏の東京オリンピック、大丈夫でしょうか。
やむを得ない場合は別ですが、わたしもできるものなら日本の蒸し暑い夏の帰国は遠慮したいと、ずっと避けてきました。今更と思いながらも、東京オリンピック、秋口の開催とはいかなかったのだろうかと思ってしまいます。日本語学習者の中には、オリンピックボランティアに行こうかと考えている人もいるわけで、気になるところではあります。

さて、今日はもう終わったと言うのに、実はまだブログにあげていなかった日中のサン・ジュアン祭りの様子を。本日は盛りだくさんの写真で案内です。写真の腕はいまいちですが、ご勘弁。

サン・ジュアン祭りはリベイラ、市庁舎通り、それにもう一所フォンタイーニャス(Fontainhas)が中心です。フィンタイーニャスはサン・ジュアン祭りの古里ですから、今でも昔ながらの雰囲気が残っています。

Quinta de Sao Roque

22日の土曜日はサン・ジュアン当日の23日に二箇所を回るのはきついと思われ、夫と二人で昼食後フォンタイーニャスを歩いてきました。フォンタイーニャスは翌日の準備たけなわ。

サン・ジュアン祭り欠かせないAlho pôrros(野生のにんにく)を売っているおばあさん。

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Fontainhasの祭りは、Infante橋のたもとで催されます。23日の前夜祭とサンジュアン祭り当日にあたる24日も人出でにぎわいます。アミューズメント、わたアメ、ポプコーン、いわしを食べさせてくれる出店などで一帯はごった返しになります。

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matraquilhos(マトラキーリュス)と呼ばれる祭りには必ず出るサッカーをもじったゲーム。二人ずつ二組みに分かれ人形のついたバーを回して小さなボールを打ちゴールに入れます。

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Fontainhasのカスカータ(Cascata)。カスカータは滝をことですが、この時期はサン・ジュアンの飾りつけを意味します。例えば、フォンタイーニャスのカスカータは毎年、昔からある泉に設置されます。

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聖ジュアンがキリストに洗礼を授けて いる場面です。
正式にはcascata sanjoanina(カスカーター・サンジョアニーナ)と呼びます。
                       
これまで見たカスカータで、わたしが一番素晴らしいと思ったのが、夫が勤めていたサン・ジュアン国立病院のカスカータです。毎年、病院の入り口奥に大きなテントが張られ、そこに展示されました。写真は拡大できますので、写真をクリックしてみてください

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聖ジュアンにつきものの川、滝が必ずつくられますが、病院のは真ん中に川が見られます。トップにはもちろん聖ジュアンの人形。ポルトに見られる有名な建物がたくさん置かれています。ポルトを旅行したことがある人は、幾つか分かるでしょうか。

聖人の向かって右側の建物はガイアの Serra do Pillar、左側は大寺院Sé, 下の段左はBolsa宮、
昔のポルト大学部、現在は博物館になっているライオン噴水広場、クレリゴス塔、三段目左がサン・ジュアン国立病院、右はリベイラにある古いカペラ。そこかしこに羊や伝統衣装を着けた人形が置かれています。

フォンタイーニャスに話はもどって、フォンタイーニャス地区には、「Ilha」(イーリャ=島)と呼ばれる昔からの長屋があります。
こちらもカスカータ。フォンタイーニャスのとあるカフェ内にて。
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↑通りがけに見つけたその一つ、「Ilha 」 この奥に何軒も連なって住んでいる。「中のカスカータ自由に見てください」と掲示していたので、入って見ました。長屋の人たちで作ったのだそうだ。話し好きなポルトガル人はすぐに寄ってきて、聞かれもしないのに説明をしてくれます。犬まで寄ってきて。(上の写真は数年前訪れたときのもの)

下が今年のもの。
  
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長屋通りも飾りつけてあります。
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長屋の人達の手で作られたカスカータ。フォンタイーニャスではカスカータのコンクールがあるのだそうです。

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ドウロ川のこんな崖っぷちでもサン・ジュアン祭の飾りが。 これもクリックで拡大できます。 

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昼下がりのフォンタイーニャスの路地を二人で歩いたら、古い家の窓辺に半身出したおばさんが、フランス語で話しかけてきました。で、夫もフランス語で受け答え。わたしはまったく分かりません(笑)
聞くと、「祭りはもっと下のほうだよ」と教えてくらたのだそうだ。フランス人とまちがったのだろう、せっかくだから、フランス語で答えた、ですって(笑)  わたしたち地元の人間なのにね。

こちらはいわしの炭焼き。あちこちでもう始まってます。たっぷり煙を浴びて参りました


そして、面白い遭遇がありました。
路地を下りて、祭りの場所になるであろう川沿いの道で、石に腰掛けた若者から「Boa Tarde」と、親しみをこめた挨拶を受けました。え~っと・・・といぶかしがっていると、夫「お!J君じゃないか!」

そうです、息子のBiritish School時代のクラスメートでした。いやはや、わたしは息子の卒業以来、顔が識別できる彼の友人は3、4人くらいで、気がつかなくて面目ない。

しばらく立ち話をし、夫とJ君のツーショットをデジカメに納め、その日のうちの息子に「J君に偶然会ったよ!」と写真を送った次第。
今風のサンジュアン祭りもそれなりに楽しいけれど、昔ながらの祭りの風景は郷愁を誘い、なかなかい味わいがあるものです。

下記では夜のFontainhasの祭りがあります。興味あらばどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1597.html

さてと、祭りも終わったところで、日本語教室の生徒たちも、7月7日に控えたJLPT(日本語能力試験)にじっくり取り組めるかな?

では、みなさな、本日はこれにて。

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2019年5月31日

Lapaと聞けば、わたしには懐かしい響きの言葉です。

ラパ教会の向かいにあるのはラパ私立病院(Hospital da Lapa)なのですが、二人のわが子はこの病院で生まれました。
当時は夫の医学生時代の恩師教授がここの産婦人科におりましたが、産気づいて病院に行った時、教授は休暇中で、実際にわが子たちを取り上げてくれたのは、別の先生でしたけどね(笑) 

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1900年初期に造られ歴史が古い。 ただひとつ、わたしの不満は、院内に入るまで階段があることです。救急車で運ばれる場合に利用されるであろう出入り口が恐らく横にあるのでしょうが、実は、この階段で、危うく転がり落ちそうになったのです。

息子が生まれて3日ほど個室入院し退院の日、赤子を胸に夫に手を添えられて階段を降り始めたとき、2、3段滑り落ち、危うく赤子を落としそうになりました。夫が抱えてくれたのでよかったものの、あのまま落ちていたらどうなっていただろうかと、今、思い出してもぞっとします。

未だに、時々この病院に診察に行くことがありますが、その度に、1980年の冷や汗をかいたことを思い出します。粗忽なのは昔も今もかわらず、なんですがね。

さて、 ラパ教会があるRua de Antelo Quental(アンテロ・ケンタル通り)には、写真の小さなカペラ(礼拝堂)があり、車で通るたびに気になりながら横目でみてきたのですが、ある日、この辺りを探検してみました。カペラは「Capela do senhor do soccoro」が正式名ですが、一般に「Capela do Olho Vivo」と呼ばれています。

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ポルトの歴史家Germano Silvaによると、この通りは昔、北部ブラガへ通じる道になり、泥棒が横行したので、ここを通るときは「よく気をつけて(=Olho vivo)」と言われていたためにこの名前が定着したとのこと。カペラは通常閉鎖しています。

カペラの側の坂道を上ると、狭い石畳の道が入り込んでいる。この辺りはIlha(イーリャ)と呼ばれる区域で、Ilhaはポルトガル語で「島」の意味だが、ここでは、日本語で言えば「長屋」となろうか、古くからの集合住宅地区である。

カペラの側の坂道を上ると、狭い石畳の道が入り込んでいます。この辺りはIlha(イーリャ)と呼ばれる区域で、Ilhaはポルトガル語で「島」の意味だが、別の意味があり、日本語で言えば「長屋」となろうか、古くからの集合住宅地区です。

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迷路のような細い小道を上へと歩いていくと、小高い丘に出ました。

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上ったここが言うところのMonte da Lapa。

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狭い足場だが、ここからはポルトの町、その向こうの町も一望できるのは発見でした。

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さて、ここで前回の海辺のオベリスクと関係するポルトの歴史話になるのですが。

1829年から34年まで 、ポルトガルは絶対王政主義者のドン・ミゲルと自由主義者のドン・ペドロ4世(ブラジル皇帝ドン・ペドロ1世と同人物。ドン・ミゲルとドン・ペドロ4世は兄弟)との間に起こった王位争いでポルトガルは内戦に陥る。北部ポルトが一時期、圧倒的多数のドン・ミゲル軍に包囲され、自由主義陣営は1年にわたる篭城を強いられたが、これを「Cerco do Porto(ポルトの包囲)」と呼びます。

このとき、ブラジル皇帝ドン・ペドロ1世の位を息子に譲り、ポルトガルに入ったドン・ペドロ(ポルトガルではドン・ペドロ4世になる)は、このMonte da Lapaにある粉引き小屋に登り、街を眺めては作戦を練ったと言われます。今回調べて分かったことです。

上に見える丸い建物は粉引き小屋です。
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もちろん、ドンペドロ4世が上って街を見渡した当時の原型はあるものの、造りかえられています。

実は、高校を定年退職して15年ほどになるポルトガル語のディアス先生と、毎火曜日、ポルトの歴史を勉強しているのですが、この「ポルトの包囲」が少し出てきたところだったので、奇遇な発見ではありました。

時にわたしの方が、あそこにあれがあって、あの通りがあれで、などと、ディアス先生より知っていることもあったりするのだが、よし!今度はこのことを話してみよう、と密かにMonte do Lapaの発見を喜んでいたのでありました。

めったに人が足を運ばない場所ではありますが、歴史に興味がある方はいかがでしょうか。

本日はこれにて。
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