FC2ブログ
2019年1月16日
 
聞けば、わたしの帰国中のクリスマスからずっとポルトは暖かくていい天気が続いたらしい。それが今日から雨天だとの予報を耳にしたもので、昨日の午後は、午前中の仕事の後で少しかったるかったものの、今年初のポルト散策をしてきました。

まずは、Rua das Flores(花通り)の現在ホテルに改築中とされるかつてのマイア一族の古い家を見に。
どのくらい工事が進んでいるのかというのと、果たして家紋(Brasão)がちゃんと残されているかの確認です。

ポルト

↑こちらがかつてのマイア一族の屋敷。下は昨日の撮影です。
ポルト

屋敷の両端に見られるシンボル「聖カタリナの車輪」は確認できたものの、家紋は一箇所にはあるが、他は取り去ったんかな?う~む、かつての屋敷の存在を知る者としては残念です。

下の写真はRua das Floresを横に入ったRua de Ferrazからの切り取り景色。向こうに見えるのはSé do Porto(=ポルト大聖堂) 左の建物も赤くペインティングされて。 
ポルト

この通りをダウンタウンに向けて歩くと行き当たるRua do Arquiteto Nasoniの側にあるアズレージュの可愛いレストラン。入ったことはないので味については分からず。

ポルト

Casa das Maiasについては下記にて案内していますので、興味のある方はどぞ。

 「カーザ・ドス・マイアス
聖カタリナの車輪

予報どおり、今朝は小雨のポルトからです。では、みなさま、また。

下のランキングクリックをしていただけると嬉しいです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
2019年1月14日
 
恒例のポルト日本人会新年会が先週土曜日、Boavista区域のHotel da Musicaで行われました。

その日は、今年初の日本語授業があり、午後1時半からはわたしの旧職場である補習校で漢字検定試験も行われました。受験者に我が日本語教室の生徒もいたので、2時間目の授業を少し早めに終えて、受験会場である補習校へ応援に駆けつけました。
その後、帰宅したのですが、朝5時には起床していたので、わたしにとり、これはちょっとハード。いかんぞと、夕方からの新年会出席に備えて仮眠をとり出かけて来ました。

この日本人会新年会、以前は忘年会の行事だったのだが、今年でいったい何回目になるのだろうかと、頭をめぐらして見ましたら、補習校開校の1年ほど前から始まったとして数えると、33、4回目になります。

わたしたち夫婦は一度の欠席を除いてずっと出席してきたのですが、今回切に感じたことは、「知ってる顔が少なくなったなぁ」です。まぁ、9年ほども前に補習校を離れて以来、当地に住む日本の方たちと接する機会も減り、うっかりすると1、2月も日本人と話していないなんてことに気付いたりしますし、企業関係者は数年の割で入れ違いますし、一般人も若い人達が入ってくる昨今、最長期在住者のわたしです、当然といえば当然なのですがね。

今回はポルトに長く住んでいる人達の出席も少なく、寂しいかったなぁ。来年は、「来ない?」と声がけしようかと思ったのであります。

さて、本日は、新年会会場となったHotel da Musicaの案内です。

現在Hotel da Musicaが立つ場所は、2013年まで、ダウンタウンのBolhão(ボリャォン)市場に継ぐ生鮮市場として、1952年来、オフィス街で市民に利用されてきた市営のMercad ・Bom Sucesso(メルカード・ボンスセッソ)でした。

老朽化に伴い、大胆に改築されて、地階は軽食グルメスポットに、そして上階はホテルとしてオープンしました。グルメスポットには、ペティスコと呼ばれるオードブルカウンターのほか、チーズ、生ハムの専門店、ポルトガルワインがグラスでたのしめるワインカウンター等、多くの小さな店舗が並んでいます。週末の夜ともなると、フロアには生バンドが入り、ワインを傾けながら歌を楽しむ人で賑わいます。

HoteldaMusica
ホテル内部から撮影。

さて、Hotel da Musicaですが、85室の客室を持つ4つ星ホテル。その名の通りホテルは、赤と白を基調にし、ロビーから客室まで楽譜や音符の音楽をモチーフにしたアイテムが溢れています。

contrabas.jpg
グルメスポット側からのホテル入り口。白の空間に一対の真紅のコントラバスが人目を惹く。

HoteldaMusica
下は正面入り口。ロビーへの階段絨毯にも音符が。

HoteldaMusica
客室にはモーツアルトの楽譜が施されて。画像はWikiより

hotel da musica Porto
こちらはレセプションのコーナー、パヴァロッティ・バー。

ボサノバを創り出したアントニオ・ジョビンの部屋もあり、彼の名曲「Aguas de Março(三月の水)」の楽譜も廊下の壁に見られます。

HoteldaMusica

歌詞にちょいと目を通してみる。

♪São as águas de março fechando o verao,  
 É a promessa de vida no teu coracao     

1行目を「三月の水、夏を閉じ」と勝手翻訳し、三月の水がなんで夏を閉じるんだ? 夏を閉じたら秋ではないか、・・・と思ったのですが、ハッと気づきました。南半球にあるブラジルの3月は北半球とは季節が反対で秋に入るのでありました。

下は歌をYoutubeから拾ってみました。ボサノバは耳に心地良い響きがあります。



では、また明日。

下記、ランキングをクリックしていただけると、嬉しいです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
2018年11月16日 ポルト古書店「モタさんの煙突」

16世紀のドン・マヌエル1世時代に開かれた「Rua das Flores=花通り」は、当時、ポルトの中心地として栄え、イタリアの建築家ニコラウ・ナゾニが造ったミゼルコルディア教会が現在も狭い通りにそびえたっています。

二十世紀に入るとブティックが立ち並ぶサンタ・カタリーナ通りに客足を奪われ、わたしがポルトに来た1979年には見る影もなかったのが、観光客を呼び込むための市の企画で通りの一新工事がなされ、ストリートアーティストなどが芸を披露し今ではかなりの人で賑わっています。

この通りには昔からの店が多いのですが、今日はAlfarrabista(アルファラビスタ=古書店)「Livrarial Chaminé da Mota」を紹介します。

Librariaは「本屋」、Chamineは「煙突」のことで、「モタさんの煙突」と言う日本語店名は、店主の「ペドロ・シャミネ・ダ・モタ氏」の名前から、実はわたしが勝手につけてみました。(笑)

ChamineMota

古書が多く、稀書もたくさんありそうで、歴史の謎追っかけをしているわたしもひょっとするとこういう古書店で意外な情報が手に入るかも知れません。

1981年の開業。文学、イラスト、写本、伝記、詩集、科学、政治関係の本と、過去の世紀の古本がぎっし並び、ご自慢は1588年版のアトラス地図。店内は骨董品も展示されており、なかなかに興味深い。小さいけれどポルトガルでは最大の古書店だそうです。

ChamineMota
入り口に貼られた店の名前が入ったイラスト。「ALFARRABISTA」は、古書を取り扱う人や店のこと。

昔、どこかで目にしたような懐かしいイラストも売られている。↓
ChamineMota

↓時計かと思いきや、よく見るとPolyphonこと、ポリフォンディスクオルゴール。ドイツで発明され1900年代に発売されていました。
右は年季の入ったまさに「古書」!

ChamineMota ChamineMota

ChamineMota

↑書庫になっている二階へ通ずる階段。通常の客は二階へ上がらないようだが案内してくれ、自由に写真を撮らせてくれた。う~ん、なんていい雰囲気だ^^薄暗い古書の山に明るい光が一筋差している。
ChamineMota

そして、わたしが思わず喜びはしゃいだのがこのアンダーウッド・タイプライター。ピカピカに磨かれて!
ChamineMota

今ではパソコンのキーボードを速く打つのは当たりまえになりましたが、、わたしの若い頃は、英文タイピストという職業があり、資格をとるためにタイピスト学校へ習いに行くのが普通でした。

大阪の小さなオフィスで、英文タイピストの同僚がタイプングする姿に憧れ、一人暮らしで食うや食わずのわたしは習い事はなにひとつできず、彼女に教本を貸してもらい、オフィスの仕事を終えたあと、居残って独学でマスターしたのでした。

そのときに使っていたのが、アンダーウッド・タイプライターです。真ん中半円の部分に見えるのが文字を刻んだキー。これをしょっちゅうブラシできれいにしておかないと、文字の○の部分が詰まって打った時にaとか、bとかdなどが黒塗りで出てしまうのです(笑)

赤白に分かれたインクリボンを使用していました。アンダーウッドのキーを打つごとにする「パチパチ」という音が軽快で快く、わたしは好きでした。

後に、ここで独学して得たタイピングの腕を買われて、以前より待遇のいい新しい職場で働くことができたわけですが、この頃から、タイプライターはアンダーウッドからオリベッティに変わり、もちろん仕事柄、慣れて、使いこなしてきました。
      
わたしは今でも、挟んだ用紙のスペースがなくなると「ッチーン!」と涼しい音がして、手動でグリーッとアームを用紙の最初の位置に戻すのがたまらなく好きで、このアンダーウッド・タイプライターを愛する一人です。 

手入れが行き届いて磨かれたアンダーウッドタイプライターは見れば見るほどわたしには美しく思われました。 

こんな蓄音機も。
ChamineMota

階下の店頭にも色々な骨董品がさりげなく置かれています。

ChamineMota
↑手風琴?ミュージックボックス?

ChamineMota
我が義母がよく使っていた種類。旧式ミシン台もこうして見ると芸術的ですらあります^^  

今日は写真をふんだんに載せて見ました。

★所在地: Rua das Flores 28 Porto 
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
2018年7月18日 

1851年のロンドン万国博覧会を訪れたポルトのブルジョアたちは、パビリオンとなったロンドンクリスタル宮殿の素晴らしさに感銘し、ポルトでもそれを建築しようとの計画で生まれたのがポルト・クリスタル宮殿協会です。

こうして、当時 Campo da Torre da Marca」と呼ばれていた現在のクリスタル宮殿公園にロンドン万博の宮殿を模倣して造られたのがポルトのクリスタル宮殿でした↓
    
ポルト
     
建築家はイギリス人のThomas Dillen Jones. 1865年にはこの宮殿でポルト国際博覧会が催され、ドン・ルイス王により開会式がなされました。
ポルト

展覧会には、フランス、イギリス、ベルギー、ブラジル、スペイン、デンマーク、ロシア、オランダ、トルコ、アメリカに加え、日本も参加したと言われます。

ポルト

しかし、残念なこと1952年の「ローラーホッケー・ワールドカップの会場にするため、1951年に宮殿は解体され、その址に建てられたのが、スポーツパビリオン、つまり現在のローザ・モタ・パビリオンです。
クリスタル宮殿の中央のドームがパビリオンの天井に取り入れられ、往時の宮殿をかろうじて偲ばせ、現在は公園にクリスタル宮殿とその名残をとどめているのです。

して見れば、1851年の第一回万博会場となったロンドンのクリスタル宮殿も博覧会終了後、取り壊しを惜しむ声が上がり、ロンドン郊外のシデナムに移設され、後、庭園、コンサートホール、博物館などが併合した複合施設として活躍したそうですが、19367年に焼失。現在はクリスタル・パレス駅として、
名前が残っています。

ポルト
ロンドン万博のクリスタルパレス。Wikiより

ポルトのクリスタル宮殿は規模的にこれに及ばないものの、ロンドンのように、取り壊しではなくてどこかに移設してほしかったなぁと、思うのでした。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
2018年7月15日 

さて、わたしが密かに「マグダラの塔」と呼ぶところの、この塔の由来なのですが、ネット検索してもいっこうにヒットしません。

ポルト

ただ、クリスタル宮殿公園になる前は、今の公園一帯は16世紀から19世紀まで「O campo da Torre da Marca」だったそうで、下の写真にあるように、園内には大西洋とドウロ川の間を船が入出港する際の目印として、小さなお城と塔が建っていたようです。

ポルト
wikiから

この塔は、19世紀半ばの王党派と自由主義者との間に起きた内戦時に、王党派の砲撃によって崩壊し、なくなりました。
しからば、わたしのマグダラの塔が出現したのはいつかと言うと、こんな写真を見つけました。1904年撮影とあり、塔の上には見張りが立っています。

ポルト
Wikiから。 今と全く同じです。 

ポルト

高所恐怖症気味なのですが、これくらいは、えいや!と上ってみましたが、ドウロ川の見晴らしがいいのを除いては特徴はなし。実は上るより降りる方が怖い。

ポルト
写真は塔の周辺。

こんもりした小山のような土地にあるクリスタル宮殿公園内は散歩道も上ったり降りたり。
ポルト

というので、この塔の情報にぶつからず、残念なり。夏休み中に更なる検索をしてみよと思っています。

ところで、クリスタル宮殿公園だというのに、肝心の宮殿はいずこに?次回はそれについて。
ではみなさま、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村