2018年3月23日 

伝統的な服装をポルトガル語で「traje tipico」「traje tradicional」と言います。
ナザレの漁師と女性の服装もそのひとつです。

下の写真は、わたしが撮ったものですが、ナザレでは日常的に伝統的な服装で町を行く女性をよく見かけます

ナザレ

外見からはちょっと気づかないかもしれませんが、ナザレの女性がはいているスカートは7枚重ねたもので、「sete saias」(sete=7 saias=スカート)と呼ばれます。

ナザレ ナザレ
2枚ともにWikiより

なぜ7枚かと言うのには、これといったはっきりした説明はないようですが、昔から西洋では知恵、勇気、節制、正義、侵攻、希望、愛の七元徳、一週間の7日、虹の七色と7はマジックナンバーです。

七つの波を表すとも言われますが、ナザレの女性は夫や息子が漁から帰ってくるのを浜辺に座り長時間待つのが習慣で、海の風の冷たさから身を守るためでもあったようです。

下は漁師の服装です。
ナザレ pescador2.jpg
wikiから

シャツはもめんのチェック模様です。ボタンのつき方に特徴があります。なぜか?ただいま調査中。右はバレッテと呼ばれるナザレ漁師の黒いふちなし帽子。

下はわたしが出会ったナザレの女性。この黒い服装と頭に黒いスカーフを被るのもナザレの既婚女性の伝統的な服装だそうです。

Nazare-1.jpg

「ナザレのイエス」と聖書にも出てくるこの地名には由来があります。その昔、聖書のナザレから、海を経て一人の聖職者が「マリア像」を持って流れ着いたという伝説から来ます。

この手の話だとよく聞かれるのですが、この「マリア像」、なんと「黒いマリア像」なのですと!

「黒いマリア像」は、わたしがテンプル騎士団がらみの謎解きのために読んできた本でもよく書かれており、これは「聖母マリア」ではなくて、中世からローマカトリックに糾弾されてきた「異端者」(バチカンが宗派として認めない)が崇拝する「マグダラのマリア」だと言われます。

わたしが「異端教の殿堂」と解するフランスのシャルトル大聖堂の「黒いマリア像」は有名ですが、ポルトガルでの「黒いマリア像」は初耳です。

「ナザレには黒いマリア像があるんだって!しまったなぁ。」
と夫に言うと、
「あ、そうだった。思い出さなかったよ。」
がぁーーーーん!言ってよね!

黒いマリアさまに会いに、今年はもう一度ナザレに行ってみようかと思っています。

さて、本題にもありますが、古い漁村ナザレですが、近年はサーフィンで世界に知られるようになりました。

ナザレ沿岸は海底谷の地形が世界でも有数の深さを持つため、非常に大きな波が生まれます。地元ではこの波のことを世界中のサーファーにしってもらうため、彼らを呼び寄せキャンペーンを展開してきました。

米国人サーファーのギャレット・マクナマラが2011年には24メートルの、2013年には30メートルの巨大な波いのることに成功し、これあサーファーの世界記録だと言われています。

ナザレ
2011年ナザレ、24メートルの波乗り

この時の感想をCNNのインタビューで「いつまでも落ち続けて両足はストラップから外れかけていた」「全身が粉々になるような感覚だった。本当に難しかった」と答えています。

ナザレ
2013年なざれ、30メートルの波乗り。

ポルトガルにはもう一箇所サーフィンの聖地と呼ばれる、Eliceira(エリセイラ)があります。、リスボンから北東へ35kmほどのところにあるのですが、世界中からサーファーが集まり、初心者からサーフィンが習えるサーフハウスもあります。

「波乗り」なんて聞くと、わたしなど年に一度帰国するときに口にする「波乗りジョニー」をついぞ思い浮かべてしまう無粋ものではございます^^;
tofu.jpg

本日はこんなオチにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2018年2月26日 

Válega(ヴァーレガ)はオヴァールから6.5キロほど奥に入った小さな村ですが、こんな素敵な教会があるのです。

igreja1-1.jpg

ヴァーレガ教会(Igreja de Válega)です。美しいアズレージュ絵(青と白のタイル絵)で被われたポルトガルの教会はたくさんありますが、壁面がこんなにカラフルなタイル絵の教会は初めて見ます。規模も色付きタイル絵アートとしては傑作に入るのではないでしょうか。

何年も前からオヴァールにあると知っていたのですが、近場ゆえいつでも行けるなどと高をくくって、とうとう今日まで放ったらかしになってしまったのです。今回は帰国している息子を理由付けにして、先々週日曜日に、既に紹介済みのIgraja Mátri de Cortigaçaの後に、探して行って来ました。ここも車がないとアクセスは難しそうです。

教会の全身は12世紀初期には個人所有の今とは違った形だったと思われます。16世紀終わりごろにはポルトの大聖堂に属し、18世紀に入って今の土台が計画され、1975年に現在のヴァーレガ教会が完成しました。

絵タイルはアヴェイル(Aveiro)のセラミック会社Aleluiaによって作られました。

教会の内部も全部鮮やかな色タイルで被われています。
igreja4-1.jpg

壁に描かれている一枚の絵は人目でわかります。三人の牧童と共にファティマに現れた聖母マリアの奇跡を描いています。

igreja5-1.jpg
ポルトガルの「ファティマの奇跡」については下記でどうぞ。

ファティマの奇跡(1
ファティマの奇跡(2
ファティマの奇跡(3

本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2018年2月22日 

子どもたちが帰国すると決まって夫が言う。「家族旅行に行こう」。
2月という時節柄、寒い中、知らない街を歩き回って風邪をひくのが嫌でわたしは行きたくないのだが、せっせとホテルの予約を取ってあるではないか。

行き先はというと、スペインのサラマンカだ。サラマンカにはちょっと面白いシンボルが彫られてある大寺院があるので、そのうち行って見たいとは思っているものの、雨でも降ってごらんなさい、撮影だってうまくできないんだから、とかなんとか行かなくて済む理由を述べ、終に夫が折れたのでありました。

しかし、去る月曜日の天気のいいこと!家にいるのはもったいない。そこで夫、息子とわたしの3人で、車で1時間ほど北にあるViana do Castelo(ヴィアナ・ド・カステロ)という古い町を日帰りで行って来ました。

山頂の聖堂「Santuário de Santa Luzia(サンタ・ルズィア聖堂)」が目的です。

Viana do Castelo

Viana駅。後ろの小山の頂上に見えるのがサンタ・ルズィア聖堂です。車でも行けるのですが今回はケーブルカー(Elevador)で登る事にしました。

Viana do Castelo
ケーブルカー乗り場。往復3ユーロ(約400円)

Viana do Castelo
無人のケーブルカー

ケーブルカーは2005年に造られ、国内で一番長い650mの距離を7分くらいで頂上に。
viana do cstelo

表三面は同じ建築スタイルだが、後ろは様子が全く違う。ゴチック、ロマネスク、ビザンチン建築様式を備えています。
Viana do Castelo

残念ながら祭壇は修繕中でした。
274-1.jpg

四方には美しいステンドグラス窓が。
Viana do Castelo

言い伝えでは、いつの頃か、騎兵隊キャプテンLuís de Andrade e Sousaが重い眼病にかかり、この山に見捨てられていたシラクサのサンタ・ルズィア礼拝堂に願をかけ、その願いが叶って後、町と山頂を結ぶ道を造り、サンタ・ルズィア友愛結社を創設したとあります。

サンタ・ルズィア聖堂の建築はは1904年に始まり1959年に完成、現在に至っています。

さて、この名前サンタ・ルズィアですが、イタリア語ではサンタ・ルチアとなります。イタリア民謡でも歌われるナポリの港の名前ですが、名前の本当の意味は聖ルシア(ルチア)です。ローマ帝国がキリスト教信者の迫害を行っていた時代の女性で、キリスト教徒であるがため捕らえられ、両目を抉り取られます。

が、それでも見ることができるという奇蹟がおこり、絵画にはよく皿の上に自分の眼球を置いた形でよく描かれます。騎兵隊キャプテンが荒れ果てたサンタ・ルズィア礼拝堂に願をかけたといういのは、これで頷けますね。

では、本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2017年8月18日 

今週3、4日間、帰省中の息子とわたしたち夫婦の3人で中部のスペイン国境あたりを旅行する予定を組んでいたのですが、中止です。なんとならば、この写真をご覧あれ。

ブラガ

我が家の4匹ネコで紅一点の13歳になるチビが、2週間ほど前にお腹の腫瘍二つを摘出したのですが、その一箇所の傷口が抜糸後だというのに、どうもよろしくない状態で、掃除のおばさんに世話を頼んで行くのも気になることではあり、結局、旅行キャンセルとあいなったのです。

ブラガ
ソファで横になっている息子の腹の上に横たわるチビ。

そんな訳で今年の夏休みは家でゴロゴロしているのですが、ご飯が大変ですぞ・・・^^; そこで、昨日は3人で、ブラガの山頂にある聖地ボン・ジェズスのホテルのレストランで昼食に出かけてきました。

というのも、6月の夫の誕生日のプレゼントだと、ホテルレストランでの昼食を二人分、息子から招待券としてもらっていたのでした。ですから、息子の分は実費なのですが、そろそろ料理係のわたしがブツブツ言い始めるのを見越してでしょう、食べに行こうということになったのです。

ボン・ジェズスは2012年10月に一度、雑誌の取材で行った事があり、山の麓から山頂まで116メートル、581の石段を上ったのですが、盛夏の盆地のブラガです、日差しがきつく今回は車で山頂へ。

ブラガ
山頂のボン・ジズス教会

ブラガ
山頂

ブラガ
麓からはこの石段581段をのぼってくることになる。

ブラガ
Elevadorと呼ばれる登山電車の種類。傾斜42度と怖そうだ。

ブラガ
山頂のカフェはたくさんの人でにぎわっていた。

ブラガ
ホテルロビーからレストランへ。

ブラガ
ホテルのレストランからの展望。ブラガの街。

ブラガ
ホテルの庭園。

食べ物は今回は省略で、下はGruta(洞穴)。わたしの推測ではこの手の洞穴は錬金術のシンボル。

ブラガ
久しぶりに息子と。

ブラガ

吸い込まれそうな真っ青なひたすら真っ青な空。

食べて軽く飲んで、車で小一時間の距離にあるブラガから帰宅後は、シェスタでありました。ゆるゆる生活はどうも性に合わないと言いながら、これがポルトガル式休みというものかしら?いつまでたってもこればかりは慣れないのよね。

下記にて詳しくボン・ジズスを紹介しています。どぞ。

聖地ボン・ジズスの謎
ソロモン王と蜘蛛考

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
ランキングクリックで応援をお願いできますか?




にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2017年8月9日 

これまで訪れていながら、画像では案内していなかったロカ岬ですが、今日は娘夫婦と訪れて3度目になる昨年の画像で紹介します。   

六大陸の中でも、アジアとヨーロッパを合わせたユーラシア大陸は最大で、語源はEuroとAsia(EuroAsia)から来ています。ポルトガルのロカ岬はそのユーラシア大陸の最西端にあります。

ロケーションは北緯38度47分、西経9度30分、リスボン、シントラ、ナザレ、オビドスがある「エストゥラマドゥーラ・リバテージュ地方」です。

ロカ岬

Caboは岬、Rocaは断崖を意味し、航海が盛んだった15~19世紀にはイギリス人にThe Rock of Lisbonとして知られていました。

ロカ岬

岬は140メートルの断崖になっており、海を臨んで頂上に十字架を掲げた石造りの碑がぽつねんと突っ立っているばかり。

ロカ岬

石碑には、「Aqui onde a terra se acaba e o mar começa(Camões)」ここに陸尽き、海はじまると、「」Ponta mais ocidental do Continente europeu(ヨーロッパ大陸の最西端)の文字がポルトガル語で刻まれています。

ロカ岬

さよう。ここは、まさにユーラシア大陸の地の果てであります。
前方にはただただ茫洋と大西洋がひろがり、打ち寄せる波の音と吹き付ける風の音のみが、最西端の名誉を孤高として守っているかのように思われます。

DSC_0799-1.jpg

40分ばかりいた間にも写真から分かるように、岬は霧に被われ太陽が白く化したかと思うと突然青空が現れ、天気の変化が目まぐるしい魔の岬とも呼べるような気がします。


ロカ岬の案内書では少々の手数料を払うと日付、名前入りで「ユーラシア大陸最西端到達証明書」を発行してもらえます。
ロカ岬証明書

証明書は見事なゴチック体のポルトガル語で書かれ、青と黄色のリボンの上にシントラ市のcarimbo(カリンボ)と呼ばれる蝋(ロウ)印が押してあります。裏面にはフランス語、英語、ドイツ語、イタリア語などの訳が印刷されています。現在では日本語も入っているようです。


石碑に刻まれているここに陸尽き、海はじまるとは、ポルトガルの16世紀の国民詩人、ルイス・ドゥ・カモインス(Luis de Camões)の書いた大叙事詩「Os Luíadas」の一節なのです。「Os Lusíadas」(ウズ・ルズィアダス)とは「ルズィターニアの人々」、つまりポルトガル人の古い呼称です。

「Os Luíadas」は9000行からなる大叙事詩で、ポルトガルを、バスコ・ダ・ガマの偉業を讃え、大航海時代の歴史を謳いあげたものです。叙事詩集は10章に分かれており、先の「ここに陸尽き、海はじまる」は第3章20で謳われています。ちょうど我が家に素敵な装丁の「Os Lusíadas」があったのでその箇所の写真を載せて見ます。

Os Luíadasの本

Lusiados
美しい装丁が施された限定版の本です。 

Lusiados
各章ごとの歴史にちなんだイラストが内装もカラフル。  

Lusiados
第3章20の扉

Lusiados
20(XX) 上から3行目。

Lusiados
「Onde a terra se acaba e o mar começa 」 「ここに陸尽き、海はじまる」とある。
 
「Os Lusíadas」 は膨大な叙事詩で、ポルトガルの学校では全編ではありませんが、必ず読むことになっています。わたしは今のところ、本を開いては美しい装飾に目を奪われるのみで、残念ながらまだ読んでいません。


さて、カモインスについて。

15世紀の冒険家Luis de Camoes(ルイス・デ・カモインス)カモインスの生涯は謎に包まれています。いつどこで生誕したかも不明です。そして、芸術家の多くがそうであるように、カモインスもまた、生存中はあまり名の知られた存在ではなかったようです。

当時の知識人と比較しても該博な知識を持っていたらしく、コインブラ大学で聴講したという話はありますが、その知識をいつどこで身につけたのか明らかではありません。

またカモインスは無類の冒険家であり、恋多き人でもありました。リスボンでは傷害事件で投獄の憂き目にあったり、アフリカ、東洋を廻り難破にあったりもしています。

カモインスは片目なのですが、15世紀初期、北アフリカのセウタでムーア人と戦った際に右目を失ったと言われています。

カモインス
Wiki より

「セウタの戦」とは、15世紀のドン・ジュアン一世の時代でポルトガルの大航海時代の扉を開くことになる戦いです。王の3人息子、ドアルト王子、ペドロ王子、そして後、トマールのテンプル騎士団修道がキリスト騎士団修道院に改名した時にその騎士団のマスターとなり、航海王子の異名をとることになる三男のエンリケ王子も参戦しました。この様子は、ポルト、サン・ベント駅構内のアズレージュ絵に見られます。

ceuta


もうひとつ、付け加えるならば、ポルトの有名な伝統料理「Tripas(トゥリーパス)」はこの「セウタの戦」に由来します。 (これについては下記の案内からどうぞ) 
            
恋と冒険とそして貧困のうちに、ポルトガル文学の偉大な遺産「Os Lusiadas」を残し、1580年6月10日、カモインスはその生涯を閉じます。毎年6月10日は、カモインスの命日を記して「ポルトガルの日」とし、この日は祭日。

最西端のロカ岬は、訪れる観光客の浪漫的な予想からは遠く、波打ち寄せ風吹きつけ、大航海時代の栄華のかけらも見えず、ただ荒涼としているだけです。それでも、石碑に刻まれたカモインスの一節に、いにしえのポルトガル人の果てしない未知への冒険心をかいまみることができるでしょうか。

ポルト人:その名はトリペイロ

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
ランキングクリックで応援していただけますか?
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村