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2020年3月16日

コア渓谷の岩絵の存在は古くから噂があったと言われる。話題に上り世論を沸かせたのは20世紀に入ってからだ。1995年にポシーニュダム建設予定地としてコア渓谷の調査を開始したところが、渓谷沿い数キロに渡り岩絵遺跡群が発見されポルトガル政府はダム建設を中止した。現在はスペインのSiega Verde(スェガ・ヴェルデ)一帯の岩絵群も加わり、世界遺産に登録されている。

Foscoa
四駆ジープを降りて本の少し歩きます。 

Foscoa
カメラと三脚を担いだ我が東京息子。

Fozcoa21
案内人の女性は考古学者であろ、説明がとても面白かった。夏のきつい日差しアレルギーがあるわたしは太陽光線を避けるため完全武装で出かけたというのに、この方、それに同グループの若い人たちはみんな強い日差しなどお構いなしです。


世界でこれまでに発見されている岩絵の多くは洞窟に描かれているのに対し、コア渓谷のは世界でも最大規模の野外岩絵だそうです。
Foscoa

案内女性のポルトガル語フランス語の説明が一通り終わったところで質疑応答です。

penascosa9-1.jpg


1万年、2万年前の岩絵を前にした時は何本もの線が重なった絵であるため分かりにくかったのですが、しばらくじっと見ている内に漸く絵が見えてきました。

penascosa21.jpg

拡大してみましたがわかりますか?「↓1」は牛もしくは馬の横向きの顔の部分です。

Fozcoa
「2↓」は牛です。角を含めて体全体が描かれています。腹部の膨らみ具合、頭部の動物の特徴を見事にとらえた素晴らしい線画です。

人間のみが古代からこのような芸術性を備えていたのに感嘆します。岩の面に幾重にも重ねて線画が描かれているのは、この面が描きやすかったのだろうかと色々思考をめぐらしてみる。

Foscoa

Foscoa

描かれている絵はどれも幼稚なものではありません。見事に活動的に描かれています。

すぐ側に今では小さくなった小川も見られます。古代にはここは魚捕獲の場でもあったのだろうか。

Foscoa

 
Foscoa
東京息子も撮影に余念が無い。

Foscoa
本の少しだけ岩山を上ります。ここにも数多くの岩絵が刻まれているとのことですが、それより上はツーリスト立ち入り禁止です
 
Foscoa

Penescoaでは3箇所の岩絵を見て、山小屋を後に出発点のCastelo Melhor(カステロ・メリョール)へと引き返し所要時間はほぼ1時間半。写真から分かるようにこの日が曇り。出かける前にポルトガル人の知人に散々脅されていたもので高温でなかったのは、わたしにとって幸運でした。

下はVila Nova de Foz Coaの小さな町とモザイクタイルです。

Foscoa

ここにも岩絵が使われています。
Foscoa

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2020年3月15日 

今日は5、6年前に訪れたフォス・コアの岩絵について。

ロックペインティング、つまり岩絵と聞けば、レイフ・ファインズ主演の映画Inglish Pacientの冒頭シーンが思い浮かぶ。



筆で何かを描いているのだが、それはサハラ砂漠にあるCave of Swimmers(エジプト)の岩絵のひとつなのであった↓

岩絵 - Copy

映画の内容は置いといて、岩絵の代表的なものと言えば1万400年ほど前のものだと言われるアルタミラ洞窟壁画だろう。

随分昔のことになるが、幼かった子供たちを連れて家族旅行でピレネー山脈を越えた1980年代初期に、わたしたちはアルタミラ洞窟絵を見に立ち寄ったのだ。今ならpcで前もって調べて行けるのだが、その時は情報もなく直に訪ねた。しかし、日に限られた人数で、しかも予約でしか入ることができず、諦めざるをえなかった。現在は外気に触れて痛みがひどくなっているとのことで非公開である。

若い時分からオーパーツが好きなわたしわたしは古代の興味深い岩絵を本の中で幾つも目にしてきた。

岩絵3 - Copy
↑同じくサハラ砂漠(アルジェリア)、タッシリ・ナジェールの岩絵。

岩絵4
↑イタリア北部ヴァルカモニカ岩絵のひとつ。約1万年前のものと推測される。

非常に興味深いものでは、ウズベキスタンのパイロットと呼ばれる紀元前に描かれたとされるフェルガナ岩絵.がある。ここには明らかに宇宙飛行士と未確認物体が描かれている。これを見てわたしは大いに人類起源史に想像を膨らましたものだった↓

岩絵5


さて、古代のロック・ペインティングの殆どが洞窟で発見されているのだが、コア渓谷には洞窟がなく岩絵は野外でそのままむき出しになっている。岩絵は60数箇所で発見されているそうだが、現在訪問できるのは「Canada do Inferno, Penascoa, Ribeira de Piscos」は3箇所のみで、(下図の青○の所)予約を入れ7、8人のツアーで行くことにある。

岩絵6

ちょうど帰国していた息子と共に訪れたのはPenascosa(ペナスコーザ)の岩絵だ。総人口が220人ほどのCastelo Melhor(カステロ・メリョール)という小さな村が集合場所で、村に入ると目前に見えてきたのがピラミッド型の小さな山。

Fozcoa

う~む・・・ここの岩絵に上記のようなオーパーツ的絵が発見されたとしたら、この山も発掘してみる価値があるかもとカメラを向けたのであった。

Fozcoa

この集合場所からジープで出かけること、往復1時間半のコースです。ここから先の道は一般者は入れない。
7岩絵
 
わたしたち3人を入れて合計8人のツーリストで午後4時半に出発です。前方に見えるのが道。かつて訪れたポルトガルの秘境の山道に劣らず、狭い凸凹道で冷房なし(笑)なもので、土ぼこりをモロに被る。

Fozcoa

この日の女性ガイドさん、説明が実に上手く楽しい人だった。帽子、グラサン、首には大きなスカーフ、長袖にもちろん長パンツ、更に手袋姿のわたしを見て、完全武装ね!と笑っておった。

彼女の説明によると、夏は50度を越えるのが普通なのだがその年はいったいどうしたの!というくらい30度以下。その日の天気は曇って陽が隠れていたので半死を覚悟していったわたしなどは大助かりと言うもの。

Fozcoa
15~20分ほどして岩絵が見られる現場に到着。

あたりはゴツゴツした岩山だ。
Fozcoa

続きは明日に。

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2019年8月9日 

壇一雄の作品を読んだことはありませんが、少し調べてみました。
すると、なんと本は読んでいないが、あっ、知ってる!という作品がありました。

満州を舞台にした「夕日と拳銃」です。壇一雄は1956年に書いていますが、テレビドラマ化されたのは1964年。主役の伊達麟乃介を工藤堅太郎が、その下僕を小松方正が演じており、彼が伊達家の無頼若殿麟乃介を「若とんしゃん」とさかんに呼んでいたのを覚えています。

馬にまたがり拳銃を使いこなす破天荒な満州の日本人という設定に憧れの思いで毎回楽しみにみたものです。

♪満州荒野 夕日を浴びて 思い出ずるは なにごとぞ
  風にルパシカなびかせて 今じゃ馬賊の旗頭
  いざゆかんいざゆかん 望みははるか いざゆかん

とまぁ、主題歌まで覚えているのですが、どうやら数番ある歌詞をわたしは混同していたようです。
壇一雄がこのような娯楽作品も書いていたのを知りました。

さて、Santa Cruzに戻りまして。
地図を頼りにRua Prof. Kazuo Dan(Rua=通り、Prof.=Professor=先生)を見つけました↓

santacruz9.jpg

通り入り口、左側の家の壁に標識、「Escritor Japonês (日本の作家)1912-1976」が見られます。
santacruz2_1.jpg

通りにある一軒に壇一雄は1970年、58才のときにSanta Cruzに1年4ヶ月滞在したようです。作家が住んだ家は現在個人宅になっているので、撮影は避けました。

1970年と言うと、わたしがポルトガルに来る9年前です。壇一雄が住んだ頃のポルトガルは独裁者と呼ばれるサラザールの死後2年で、マルセロ・カエターノ首相が引き継いでいた時期です。1974年のポルトガル4月革命はこの4年先です。

ポルトにわたしが来た1979年、ポルトガルの第2都市と言われるポルトでですら、アジア人は奇異な目を向けられましたから、リスボンに近いとて漁村のSanta Cruzでの作家の生活はどんなものだったのか、ちょっと想像できません。

しかし、後世のSanta Cruzにこうして名前が残されるということから、壇一雄は地元の人との交流もあり親しまれたようです。

santacruz3_1.jpg
urismo内。

地元では赤ワインの「Dão(ダォン)」を作家は好んだと言われます。苗字と同じ発音です。

KazuoDan1.jpg

地元の人達との交流(from Wikipedia)↑↓

KazuoDan2.jpg

海岸プロムナードにあるKazuo Danの石碑↓
santacruz10.jpg

海に面した石碑の表面
santacruz5_2.jpg

「落日を拾ひに行かん海の果て」  壇一雄

ポルトガル語訳:
Belo sol poente
Ah ! Pudesse eu ir buscar-te
Lá, ao fim deo mar !

Santa Cruz 滞在中、体調を心配した作家の妻も訪れているとのこと。この後、壇一雄はスイス、オーストリア、ドイツ、スペインモロッコを旅し、遺作となる「火宅の人」の最後の章を完成させ、1976年1月に死去。

壇一雄がよく通った海岸近くのCervejará Imperial、現在はMarisqueira Imperialと名前も雰囲気も変わりレストランになっていますが、今でも時にKazuo Danの話が聞かれるとのこと。

再びSanta Cruzの落日を見ることは叶いませんでしたが、碑の句にあるように、放浪の果て、彼は海の彼方に最後の落日を求めて行ったのでしょうか。

メモ:Marisqueira Imperial
   Rua António Figueiroa Rego, 3
   Santa Cruz

ではみなさま、また。

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2019年8月8日 

8月に入ってからもポルトはずっと涼しく、昨日今日は夏とは思えぬ雨天です。
これはこれで、毎年嫌と言うほどの森林火災被害に襲われずに済むのでいいのですが、夏の休暇を太陽の下で過ごそうと望む人にはがっかりでしょう。

さて、今回は連れ合いが2週間の海外出張とのことで、単独東京から帰国中の息子は、友人たちと逢うのに忙しく、それでもまだわたしたちとの旅行に付き合ってくれます。

国内旅行の計画は長いこと夫に任せています。その方がケンカにならずに済むのです(笑) 今夏は一泊2日の旅行が二度だったのですが、来週予定のは、燃料タンクローリーの運転手によるストライキの可能性大でどのような事態になるか予測できず、ホテルの予約をキャンセルしました。

今週月、火曜日に行ってきたのはリスボンから1時間足らずのVimeiroという小さな海岸沿いの町です。ナポレオンが3度のポルトガル侵入を試みて失敗した半島戦争(1807~1814)で、戦場になったところです。1808年8月、ポルトガルはイギリス軍と共にVimeiroで戦いフランス軍を破っています。

Vimeiro.jpg

他には何があるかと言うと、ホテルからの眺めが素晴らしい、ということくらいです。

vimeiro2_1.jpg

夫はこの景色を高台のホテルから眺めてみたかったのだそうで^^;

ふむ、なるほど、と黙って従う。 しかし、来る途中で見かけた「Santa Cruz」の標識を見て、そう言えば、サンタクルスは作家の壇一雄が住んだことがあるというのを思い出し、近くだから行って見ようと提案しました。

この話は昔から知っていたのですが、日本文学に浅いわたしはさして興味を示さなかったもので、これまで立ち寄ったことがなかったのです。

今日はKazuo Danと名付けられた通りを探しながら撮った町の写真を載せてみます。

santacruz12.jpg
きれいに舗装されたSantacruzのプロムナード(ポルトガル語ではesplanadaと呼ぶ)

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カペラの小さな鐘が真っ青な空に映えて。 

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向かい合わせの家の赤い柵と黄色い柵がかわいい。

santacruz11.jpg
ポルトガル北部と違ったいかにも南部の町といった色合わせ。

明日はPart2です。

ではみなさま、また明日。

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2019年8月4日

昔からStar Warsファンのわたしである。補習校講師時代には、わが子のみならず補習校の子どもた
ちをも引き連れて見に行ったりもしました。

3年前に、「スターウォーズ・フォースの覚醒」を観ましたが、その時、ポルトガルでちょっとした面白い話として、主人公の一人、ハン・ソロが持つ宇宙船Millenium FalconがPenafiel(ぺナフィエル)山頂にある「Cidade Morta(死んだ町)」とそっくりだと、こちらのテレビニュースで取り上げられていたのです。

下がWikiで得たMillenium FalconとCidade Mortaの画像です。

優れた高速力を持ち、その外見から「銀河系最速のガラクタ」と呼ばれ、エピソード7「フォースの覚醒」では、埃に埋もれて姿を現します。

castro_mt_mozinho
Wikiより↑↓
castro_mt_mozinho

いかがですか?似てるでしょう?

Penafielはポルトから車で40分ほどでしょうか、正式には「Castro de Monte Mozinho(カストロ・デ・モンテ・モズィーニュ)遺跡」と呼ばれます。

カストロを少し説明すると、元は古代ローマ以前の青銅器時代から鉄器時代にケルト人によって造られた避難用の村で、周辺を見渡すことができる小高い丘の頂上に見られます。

カストロ の周囲には、ケルト人以前の文化の遺物であるメンヒルやドルメンのような青銅器時代の巨石記念物が多く見られます。土や石や木材でできた防壁がめぐらされています。また、カストロには湧き水や渓流の水源があり、住居は円形に並んでおり、草葺屋根をかけています。カストロの大きさは直径数十メートルから数百メートルまでと、大小さまざま。下は復元されたカストロの例です。

castro

Castro de Monte Mozinhoが発掘されたのは、1943年で、再発掘は1974年で現在に至ります。随分長いこと放置されたのは、国にお金がなかったのか、古代遺跡発掘に興味がなかったのか。

一世紀から中世まで人が住んだ形跡があり、競技やアセンブリが行われ、マーケットもあったとされています。

そして、ここからはわたしが撮影してきたもの。

castro_mt_mozinho

山頂への入り口には小さな博物館があります。日曜日だと言うのに、人がほとんどおらず。職員さんが暇そうにしていて、わたしたちにどこから来たのかと話しかけて来たのでした。

博物館を後に、遺跡のある山頂へとゆるやかな山道を少し歩いてすぐでした。

castro_mt_mozunho1.jpg

ここが遺跡の入り口です。
castro_mt_mozinho-1.jpg

castro_mt_mozinho

まるで天に向かってゆるやかに上っていくかのよう。
castro_mt_mozinho3 (2)

石段をのぼったところが、石塀に囲まれた集落の中心になっています。
castro_mt_mozinho
入り口の巨大な石はケルト民族、ドルイドの名残か?

castro_mt_mozinho

castro_mt_mozinho10-1.jpg

castro_mt_mozinho11 - Copy

つわものどもが 夢のあと。石の間から生命力たくましく咲く花に蝶々が。
castro_mt_mozinho


ミステリー好きのわたしとしては、「紀元1世紀には人が住み始めた」などと聞かされるよりも、古代ローマ時代以前のケルト民族によって最初に造られた、と宣伝文句を押し出してもらい、もっと面白い展開が欲しいところですが、考古学と天文考古学とはなかなか相容れず、説明はありきたりのものであったのが残念でした。

本日の案内は2016年の書き直しです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。ではまた!
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