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2020年6月23日 

ラメーゴ、Santo Estêvão(サント・エスティヴァン)山にある聖地ノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオから、町並みを見下ろし、その後、車で町へ降り、レストラン「A presunteca(ア・プレズンテカ」で、軽く昼食をとることにしました。

↓画像はラメーゴの町中から見上げるノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオの石段。
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レストランはこの向かって左側あたりの「N2」通りにあります。

ラメーゴは生ハムとRaposeira(ラポゼイラ)という、昔で言うところのシャンパンで有名なのです。

「シャンパン」は、フランスのシャンパーニュ地方で定められた製法で作られた物のみに使用される名前です。シャンパンと言う名は使えませんので、ポルトガルでは「espumante(エシュプマンテ)」と呼びますが、日本語のスパークリングワインもしくは発泡酒ワインです。

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上階にはパテオもありますが、人が数人いたので、わたしたちは人のいない階下でいただきました。

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ラメーゴに来て生ハム、Raposeiraなしはもったいないでしょう。

キンと冷えたRaposeiraはとても美味しかった!夫と二人で2杯ずつ乾杯しました。
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レストランの奥はワインの展示がなされています。
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大好きな生ハムですが、願掛け(ポルトガル語でpromessa=プロメッサ)で、ビール、ワイン、それに生ハムはこの日を境にしばらくストップのわたしです。買って来られなかったのは返す返すも残念なり。

なぁに、秋にはお礼参りでもう一度行く予定でありますれば(笑)

↓もうひとつ、ラメーゴの名物に「Bola de Carne de Lamego」と言うパンがあるのです。

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画像はWikipediaからです。写真を撮る前に、美味しくて全部食べてしまいやんしたっけ^^;厚みのパンでないのが好みでした。

ポルトガル語を少し知っている方は、「ユーコさん、またミススペルですねぇ。BolaじゃなくてBoloでしょう」と仰せかもしれませんが、今回は間違いではございません。実はわたしも。え?Boloじゃないの?と調べたのであります。

Bolo(ボーロ)は、いわゆるケーキの甘い方。Bolaはハム等を使った塩気があり上の画像のように、ペッタンコの形をしています。
↓こちらはBola de Bacalhau(大ダラのパン)
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そしてこちらはポルトガルではどこのカフェでも食べられるBolo de Bacalhau.
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タラコロッケとでもいいましょうか。「Bolo」はケーキの外に丸い形の意味があります。 ややこしいですねぇ(笑)



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2020年6月22日

ポルトガルで現在は既婚女性の冠詞に使われる「Dona(ドナ)」は、かつては貴人の女性のタイトルでした。

これに対するのが男性に使われた「Don=ドン」です。「ドン・アフォンソ」「ドン・マヌエル」などに見られるように、ポルトガルの歴代の王には最初に「ドン」のタイトルが付きますが、妃には「ドナ」が使われました。女王のマリア1世も「Dona Maria 1(=ドナ・マリア プリメイロ=マリア1世)と、「ドナ」が使われます。

では、ドナ・アントニアはと言うと、彼女は貴族ではありません。が、王から「伯爵夫人=Condessa」のタイトルを与えられています。これも面白いのですよ。

ドナ・アントニアはタイトルなど自分は要らぬと最初は断っています。数年後、再び王から「進ぜよう」と言われ、「2度もタイトルを王に断るのはどうか。それに、俺には何のタイトルもない」とのたまうドラ息子の意見を仕方なく飲んだと言うのが本当のところです。このタイトルは息子が引ぎ継いで貴族に引き上げられることになりました。

20世紀初期のこと、ドン・マヌエル2世を最後に王政時代も終わり、ポルトガルは共和国になりましたが、以後、「ドナ」の称号はいつの間にか一般の既婚女性を呼ぶ際に使われるようになったのです。ですから、わたしもここでは「ドナ・ユーコ」と周囲から呼ばれています。

しかし、「ドン」は男性に使用されません。男性に対しては一般的には「Senhor=セニョール」、「Doutor=ドクター(医者、弁護士、学士など)」、「Engenheiro=エンジェニェイロ(工学部卒)などが名前の前に使われます。

話を戻して、ドナ・アントニアの子息を「ドラ息子」と書きましたが、散在しつくした父親の血を引いてか、まぁ、本当にそうだったのですね。ドナ・アントニアはロンドン滞在の3年をのぞき、生涯のほとんどをドウロ川上流レグア(Régua)の葡萄農園で過ごしたのですが、ワイン業ゆえ、葡萄収穫後、樽詰めにされたポートワインを「Barco Rabelo」と呼ばれた帆掛け舟で川を下りガイア市側のワインセラーでそれらを寝かせることになります。そうすると、商売上、おのずととポルトにも自宅が必要になります。

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帆が張られていないBarco Rabelo.現在は運送に船を使わないが観光用に浮かべられてある。

下がその邸宅の古い写真です。大きな邸です。「Palacete da Dona Antonia(パラセッテ=小宮殿)」。豪華な邸宅はいずれもこう呼呼ばれました。今ではもうなくなってしまいましたが、現在のポルト市庁舎に向かって右側、中央郵便局等がある一帯がそうだったとのこと。

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(写真はwikiより)

ポルトの邸宅には息子夫婦が住んでいました。家業を継ぐ気もなく母親と反りが合わず、しょっちゅう金の無心をしており、子供の養育費を除いては金銭面では援助しないとドナ・アントニアから言われる始末です。
が、この息子、後に政治家の道へ進み、ポルトの企業家社会のトップに立ち、1865年にクリスタル公園のクリスタル宮殿で開催された国際博覧会の音頭をとったりしています。(クリスタル公園については後日追します)ドナ・アントニアが1896年に没していますから、彼女の生存中になんとかマシな男になったということでしょう。

さて、娘のほうですが、11歳でドナ・アントニアと渡英しそのままロンドンに留学しますが、ポルトガルの伯爵と結婚します。ところがこの伯爵、家名はあれど金はなし。夫婦でドナ・アントニアに際限なく無心し、さすがのドナ・アントニアもあきれ果て、これも息子と同じように、孫達の養育費、学費は援助しますが、他の一切の援助を切ってしまいます。

女性にとって仕事も子育ても上手にこなせたらそれに越したことはありませんが、仕事は敏腕を振るい人々から慈悲深いと言われたドナ・アントニアも二人の子供には随分と頭を悩まされたようで、世の中、あれもこれもと全て上手い具合に運ぶのは稀なのだなぁと思わされました。

ドナ・アントニアの莫大な遺産は世代が変わるうちに失われましたが、彼女の曽孫の手になるレグアのQuinta do Valladoは現在も葡萄園兼ワインホテルとして営まれています。

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キンタ(農園)の入り口。(写真はwikiより)

30近い葡萄園を持っていたフェレイラ一家でしたが、あれから1世紀半経った今、Sograpeというワイナリーが現在はFerreiraを所有しています。Sograpeがポルトガル企業なのがまだ救いがあると言えましょう。 

英国人が買い叩こうとする葡萄園を買いとり、後に買い取った葡萄園は同じ持ち主たちに買い値より安く売り渡したり、時にはただ同然で譲ったりもしたドナ・アントニアは単にFerreira社にだけでなく、ドウロ川地域の、ひいてはポルトガル北部のワイン産業に多大な貢献をしました。彼女の功績を讃え、「Dona Anotnia」と命名されたポートワインがありますので、それを紹介して、ドン・アントニアの記事を終えます。

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(写真はwikiより)

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
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2020年6月17日 

先週の10、11(水、木曜日)は祝日でした。

そのしばらく前に、夫からラメーゴ(Lamego)は一泊で行こうかと声がかかったのですが、気になることがあり、もしかということがあるかも知れないので一泊はイヤだ、日帰りなら行きます、と言うと、日帰りはゆったりできないから、自分がイヤだ、と夫。

それで行かないとなったのですが、心配事でずっと浮かない顔をしていたわたしの気分転換をしたほうがいいとでも思ったのでしょう、その前日、「朝少し早めに出発して日帰りで行こうか。次の日はゆっくりしよう」と言ってきました。

あまり乗り気ではなかったのですが、こうして家の中で悶々としていてはダメだと思い、ラメーゴなら「ノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオの聖地(Santuário de Nossa Senhora dos Remédios.Nossa Senhora=聖母マリア、Remédio=薬)だから、願をかけてこようとの気持ちもありました。神様、仏さま、苦しい時の神頼みです^^;

自動車道路を走ってポルトから1時間半ほどでした。
14世紀に、この土地に聖ステファンの礼拝堂が建てられていたのが始まりです。聖ステファンはユダヤ系ギリシャ人であり、ユダヤ教を批判したがために石打ちの刑にて落命した最初のキリスト教殉教者だと言われます。

16世紀になって、長い間、放置されていたこの土地にラメーゴ司教が聖母マリアに捧げる教会を建て、やがて聖ステファンの名前は薄れて行きました。

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「Nossa Senhora dos Remédios」の呼び名は、病を抱えた当時の人々がこの聖母マリアに癒しをもとめ始めたことからきたそうです。
階段は全部で686の石段。ブラガの聖地ボン・ジェズスと構造が似ていて、各踊り場には美しいアズレージュ絵があります。 とは言うものの、今回は数日の不眠が祟って降りるはよし、車を駐車しているここまで今度は686段の石段を上るという体力なし^^; 今回は上から眺めを見るのみで、もう一度、秋に来てみたいと思ってます。

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踊り場からはラメーゴの町が見下ろせます。

下はコロナ服と靴、バッグ(目下の外出と言えばこの服装)、それに帽子、サングラス、マスクのわたし。
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コロナの時代です、教会前の広場には、人々が集合して教会を仰ぎ見ないようにと、2メートル間隔の足型が描かれています。
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教会内部に入りましょう。入るとすぐにあるローソクに火をともして願をかけました。
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人には時に祈ることしか残されていないことがあるものだと知りました。

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美しい天井はまるでイギリスのウエッジウッドのようで、ウエッジウッドがいつ頃創立されたのかと調べて見ると17世紀とありました。

現在見られる聖地一帯は1750年から1905年までの年月をかけて完成したようです。さすれば、これはウエッジウッドでしょうね。

正面の祭壇は木製の聖母。
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祭壇の後ろの広間には、この聖地の歴史的な関連者のポーT-レートが壁にかけてあるのだが、あれ? 下にFerreirinhaこと、ドナ・アントニア・フェレイラ(ポートワイン、フェレイラ社の創始者)がいますよ。
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ドナ・アントニアはその財力をもって、北部のあちこちに病院の建築援助をした女性です。調べてみると、ラメーゴの町にも建築したそうです。

ドナ・アントニア・フェレイラについては後日、ワインセラー「Ferreira」も併せて再掲載したいと思います。

ラメーゴ案内、次回はおいしい食事処です。
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2020年5月16日 

ポルトガル政府の緊急事態宣言は3月18日に出されたので、自粛生活はほぼ二カ月に及ぶが、わたしは3月8日から既に引きこもりに入ったので、つまるところ、今日で70日近くの自宅待機になる。

近頃思うのだが、今回の武漢ウイルスの怖いところは、私たちの心に感染するかも知れないとの恐怖と不安の影を落としたことではないか。その恐怖と不安ゆえ、人と人が距離を置き人間同士のスキンシップ、コミュニケーションの一部が崩壊する可能性があるということだ。

それこそが社会共産主義国家が望むところではないのか?政治に素人のわたしごときが考えても仕方のないことではあるが、これからの世の中、どうなって行くのかと、不安が大きくなるばかりだ。

いっそのこと、我が日本語生徒兼友人でもある86歳のアルフレッドさんのように、山にこもってみるのもいいかな?

と、考えたところで、6、7年ほど前に夫と二人でポルトガルのへき地を廻ったことを思い出した。以下。

ポルトガルの秘境:古村Talasnal

ナビがこっちへ行け、と指示してるのに、なんで反対へ行くねん!と相変わらずの喧嘩旅。いえ、口に出しては言いませんですが、夫、連れが何も言わなければ言わないで気になるようで、勝手に方向転換してへ走りましたです、はい(笑)

急ぐ旅ではなし、何年も一緒にやってますとこの辺はさすが慣れてくるものの、しら~っとしたのがついつい顔に出るようで、言っても言わなくても同じか(爆)

こんなことをしながら、ポルトガルのHistlical Village、つまり田舎も田舎、バスも通らない、車でないとアクセスができない村を周りました。

高さ500メートルほどの小山にあるシスト(片岩)の村Talasnal、これが大変でした。山道は狭く凸凹道で車の速度をグーンと落とし牛歩の如し。むろん公共交通機関は全く通っていません。対向車がきたらどうやってすれ違うのだろうかとの不安とともに、本道から座席が上下左右に揺れること30分。そうして到着したTalasnalは人気もなし。

うっかり通り過ごしそうな山道を横に入る。長い坂道が村の入り口だ。
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途中から坂道が階段に変わる。下から撮影。
Talasnal

「フィリパおばさんのちっちゃな店」と書いた看板。
Talasnal

この店は本当に営業しているのだろうかと思われるほど。
時折黒猫が真昼の静寂な時間を横切るかのように姿を表しては消え(もしかしてわたしたちの後をついてきていたのかも知れません)、人影が見当たらない村でした。

が、所々、戸の向こうにはカーテンが見られ花が咲いているのは人が住んでいるという証拠です。
Talasnal

村のほとんどの家々は無人になっており、見捨てられた村と言えないこともない。中には少し手をいれた家屋もありましたが、恐らく町へ出た人が夏の休暇滞在用にしているのでしょう。この村まで車で食料を運んで来るのも大変な様子が伺われます。

Talasnalは、「天国への門」と銘打って2010年に新聞記事に取り上げられたことがあり、わたしたちのようなその存在を知っている旅行者やハイカーたちが夏場のみ訪れるようになったのはごく最近のことです。

町の喧騒を逃れ、こんな古村で山の空気を吸い夜空の星を仰ぎながら一週間でも過ごすのは悪い案ではないですね。ただし、衛生面が気になる人にはあまり向かないかも知れません。

実はこんな人気のない村に一軒レストランがあるのです。村の入り口である坂道を少しくだったところのレストラン「Ti Lena」(レーナおばさん)。金、土、日のみ開店して必ず予約が要ります。

夫がそこで昼食をどうかと提案したのですが、こと食べ物に関して神経質なわたしは、写真に街灯が見られるので電気は通っていますが、果たしてこの村に水道はあるのか?と衛生面が少し心配で、実は同意しなかったのでありました^^;

この旅行中、わたしは暑さでまいっており、体調もいまいち良くなくて、普段の冒険心がどこへ行ったやらの感でした。
むむ、残念ではあったぞ。もう一度訪れるにはしんどい場所でもあり、中を見るだけでもと入ればすればよかったと後悔しています。

そうこうして村を半時間ほど見歩きしているうちに、山道の反対方向からやってきたハイカーとマウンテンバイカー数人が村に入って来ました。

古村の周辺の山道は3、4時間のウォーキングコースとしても知られています。

暗くなるにつれ、谷あいの小さな村にポツリポツリと灯りが灯っていくのは暖かくて優しいものです。そうは言うものの、毎年、こうして旅をするごとに感じるのは不思議に、一抹の寂寞感です。

山に囲まれて思うは、吉川英治「私本太平記」の一節、

忙裏、山、我を看る
閑中、我、山を看る

自分の生活はまさに山に看られているが如しと、

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございます。
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2020年3月16日

コア渓谷の岩絵の存在は古くから噂があったと言われる。話題に上り世論を沸かせたのは20世紀に入ってからだ。1995年にポシーニュダム建設予定地としてコア渓谷の調査を開始したところが、渓谷沿い数キロに渡り岩絵遺跡群が発見されポルトガル政府はダム建設を中止した。現在はスペインのSiega Verde(スェガ・ヴェルデ)一帯の岩絵群も加わり、世界遺産に登録されている。

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四駆ジープを降りて本の少し歩きます。 

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カメラと三脚を担いだ我が東京息子。

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案内人の女性は考古学者であろ、説明がとても面白かった。夏のきつい日差しアレルギーがあるわたしは太陽光線を避けるため完全武装で出かけたというのに、この方、それに同グループの若い人たちはみんな強い日差しなどお構いなしです。


世界でこれまでに発見されている岩絵の多くは洞窟に描かれているのに対し、コア渓谷のは世界でも最大規模の野外岩絵だそうです。
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案内女性のポルトガル語フランス語の説明が一通り終わったところで質疑応答です。

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1万年、2万年前の岩絵を前にした時は何本もの線が重なった絵であるため分かりにくかったのですが、しばらくじっと見ている内に漸く絵が見えてきました。

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拡大してみましたがわかりますか?「↓1」は牛もしくは馬の横向きの顔の部分です。

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「2↓」は牛です。角を含めて体全体が描かれています。腹部の膨らみ具合、頭部の動物の特徴を見事にとらえた素晴らしい線画です。

人間のみが古代からこのような芸術性を備えていたのに感嘆します。岩の面に幾重にも重ねて線画が描かれているのは、この面が描きやすかったのだろうかと色々思考をめぐらしてみる。

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Foscoa

描かれている絵はどれも幼稚なものではありません。見事に活動的に描かれています。

すぐ側に今では小さくなった小川も見られます。古代にはここは魚捕獲の場でもあったのだろうか。

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Foscoa
東京息子も撮影に余念が無い。

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本の少しだけ岩山を上ります。ここにも数多くの岩絵が刻まれているとのことですが、それより上はツーリスト立ち入り禁止です
 
Foscoa

Penescoaでは3箇所の岩絵を見て、山小屋を後に出発点のCastelo Melhor(カステロ・メリョール)へと引き返し所要時間はほぼ1時間半。写真から分かるようにこの日が曇り。出かける前にポルトガル人の知人に散々脅されていたもので高温でなかったのは、わたしにとって幸運でした。

下はVila Nova de Foz Coaの小さな町とモザイクタイルです。

Foscoa

ここにも岩絵が使われています。
Foscoa

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