2016年9月8日 

アソーレスはまだ続くのですが、今日は休んで。
息子と入れ替わりに、東京で働く娘が今度はフィアンセを伴って滞在中です。

近頃はスカイプとやらで、ウエブカメラを通せば遠国にいながらにして、顔を見ながら話ができ、わたしたちもこの文明の利器にあやかっているのですが、身近に見るというのは別です。年に一度、日本へ帰国するわたしと違い、4年ぶりの娘の帰国は夫にとっても4年ぶりの娘との再会になります。

8月には息子とそのガールフレンド、9月は娘たち、と我が家の賑やかな食卓は2ヶ月続いていますが、友人から「子供たちが帰った後のリバウンド、気ぃつけや」と言われています。

ええのよ。それは今考えない。その時はその時、それを考えて、今を楽しまないでなんとする!というので、
本日は家族4人で昨日行ってきた、ポルトから車で2時間ほどのオビドスの写真をば。

オビドス

オビドス

オビドス

オビドスを訪れるのは今回で5度目くらいでしょうか。これまで行ったのは春先と7月で、9月の訪問は初めてです。案内はその都度、書いてきましたので町については後記にサイトリンクを貼ります。

オビドス
9月ともなれば、花咲き村のオビドスも少しずつ色あせ始めたブーゲンビリアが目に付きました。


オビドス
 
観光客もさほど多くなく、歩くのにちょうどよい。

でも、今回は新しい発見がありました。
オビドス

ボザーダ(ホテル)の横の教会が、なんと書店になり代わっていました!

オビドス

普通はこ1時間で回れるのですが、2時間ほどかけて後、定番のジンジーニャ・バー「IbnErrikRex」に立ち寄り、
4人でチーズとショリースで、今回はジンジーニャならずビールで昼食。

オビドス

ここのメニューはこれのみ。そして、年取った店主も息子の代に変わっていました。

オビドス

オビドス

歴代のポルトガル王妃に愛された花の町オビドスの城。

オビドス

城内では、ギター曲「アランフェス」が流れていて雰囲気がありました。

下記、当ブログのオビドス過去記事です。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1490.html
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1489.html


本日はこれにて。

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2016年7月1日 

bairroalto9.jpg

Bairro Altoとポルトガル語で書きます。Bairroは「地区」、Altoは「高い」の意味で、リスボン中心地の高台の一区域です。旧市街バイシャ(Baixa)を挟んで反対方角にあるアルファマ同様、昔からの古い家並み、石段があり、カフェ、バー、ライブハウス等が多いのでナイトライフの一帯と化します。

リスボン・バイロアルト

オープンカフェもあちこちで見かけます。
リスボン・バイロアルト

リスボン・バイロアルト
狭い道の合間から向こう側の丘の家々が臨まれます。頂上に見えるのは「サン・ジョルジュ城」。

リスボン・バイロアルト

建物のコーナー、「カフェ・ブエノスアイレス」の看板。ひと際目を惹きます。中に入る時間がなかったのが残念。次回入ったら、また紹介しましょう。

リスボン・バイロアルト

リスボン・バイロアルト
 
バイロ・アルトを降りて、バ旧市街の中心ロシオ広場に出ました。正式名は「ペドロ4世広場」です。広場の中央にはペドロ4世の高い銅像が見えます。

リスボン・バイロアルト

ポルトガルの歴史上「ペドロ4世」と呼ばれる王は、ポルトガル領土だったブラジルを独立させ、ブラジルの初代皇帝になった自由主義者の王です。後にポルトガル本土の内乱を収めるために軍を率いてポルト近郊に上陸し、内乱を収めた後、リスボンで死去。「解放王」と呼ばれます。

ペドロ4世とポルトガル内乱については下記の過去ブログにて詳細を書いています。

ポルト・メモリア海岸のオベリスク

では、本日はこれにて。


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2016年6月23日 
昔からStar Warsファンのわたしである。補習校講師時代には、わが子のみならず補習校の子どもたちをも引き連れてシリーズを見に行ったりもしました。

さて、シリーズ最新作を観たのは今年の初めでしたが、そのときに、ポルトガルでちょっとした面白い話として、主人公の一人、ハン・ソロが持つ宇宙船Millenium FalconがPenafiel(ぺナフィエル)山頂にある
「Cidade Morta(死んだ町)」とそっくりだと、テレビニュースで取り上げられていたのです。

下がWikiで得たMillenium FalconとCidade Mortaの画像です。

優れた高速力を持ち、その外見から「銀河系最速のガラクタ」と呼ばれ、今回わたしが見たエピソード7「フォースの覚醒」では、埃に埋もれて姿を現します。

castro_mt_mozinho

castro_mt_mozinho

いかが?似てるでしょう?

Penafielはポルトから車で40分ほどでしょうか、近場ですし、大いに興興味をそそられ、近いうちに行って見ようと思っていましたが、先ごろ週末を利用してやっと行って来ました。

正式には「Castro de Monte Mozinho(カストロ・デ・モンテ・モズィーニュ)遺跡」と呼ばれます。

カストロを少し説明すると、元は古代ローマ以前の青銅器時代から鉄器時代にケルト人によって造られた避難用の村で、周辺を見渡すことができる小高い丘の頂上に見られます。
カストロ の周囲には、ケルト人以前の文化の遺物であるメンヒルやドルメンのような青銅器時代の巨石記念物が多く見られます。土や石や木材でできた防壁がめぐらされています。また、カストロには湧き水や渓流の水源があり、住居は円形に並んでおり、草葺屋根をかけています。カストロの大きさは直径数十メートルから数百メートルまでと、大小さまざま。下は復元されたカストロの例です。

castro

Castro de Monte Mozinhoが発掘されたのは、1943年で、再発掘は1974年で現在に至ります。随分長いこと放置されたのは、国にお金がなかったのか、古代遺跡発掘に興味がなかったのか。

一世紀から中世まで人が住む、競技やアセンブリが行われ、マーケットもあったとされています。下の画像は上空写真です。

そして、ここからはわたしが撮影してきたもの。

castro_mt_mozinho
山頂への入り口には小さな博物館があります。日曜日だと言うのに、人がほとんどおらず.

castro_mt_mozinho

職員さんが暇そうにしていて、わたしたちにどこから来たのかと話しかけてきました。

castro_mt_mozunho1.jpg
ゆるやかな山道を少し歩くとすぐでした。

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ここが遺跡の入り口です。丘を下りてくる人たちとすれちがいました。

castro_mt_mozinho

まるで天に向かって歩いていくかのよう。石段をのぼったところが、石塀に囲まれた集落の中心になっています.
castro_mt_mozinho3 (2)

入り口の巨大な石はケルト民族、ドルイドの名残か?
castro_mt_mozinho

castro_mt_mozinho

castro_mt_mozinho

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つわものどもが 夢のあと。石の間から生命力たくましく咲く花に蝶々が。
castro_mt_mozinho

ミステリー好きのわたしとしては、「紀元1世紀には人が住み始めた」などと聞かされるよりも、古代ローマ時代以前のケルト民族によって最初に造られた、ともっと宣伝文句を押し出してもらい、もっと面白い展開が欲しいところですが、考古学と天文考古学とはなかなか相容れず、説明はありきたりのものであったのが、残念でした。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。ではまた!
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2016年6月11日 

本日は写真満載です。

「Portugal dos Pequenitos」は、小規模のテーマパークで、直訳すると「小さなポルトガル」です。
1940年に開園され、今年で76年目を迎えます。

小さなポルトガル・子どもの国

ポルトガルに来て間もなしの30数年前に訪れたのが最初で当時のわたしが記憶しているのはポルトガル独特のミニチュアの民家だけです。今回は雑誌記事の取材で二度目の訪問になるのですが、自分の記憶違いを訂正することになりました。

園内はポルトガル全土の歴史的国家遺産のモニュメント、それに、アフリカのモサンビーク、アンゴラ、カーボ・ヴェルデ、ギネビサウ、インドの一部の領土、チモール、マカオ、それにブラジルの、かつてのポルトガル領土にある記念されるべき建物のミニチュアたちが所狭しと並んでおり、子どもたちにとってはおとぎの国と言えましょう。

小さなポルトガル・子どもの国
エンリケ航海王子の像を右に、ポルトガル大航海時代の航路地図。ヨーロッパの端の小さな国の輝かしい歴史の1ページです。

小さなポルトガル・子どもの国
入り口を入ると見られるいかにもアフリカらしいモニュメント。

小さなポルトガル・子どもの国
カーボヴェルデ。                  

小さなポルトガル・子どもの国
マカオ。

小さなポルトガル・子どもの国
園内を走る可愛い乗り物。後ろ中央に見えるのはポルトのクレリゴス塔です。

小さなポルトガル・子どもの国
ポルトガル発祥の地、ギマラインス城。

小さなポルトガル・子どもの国

おもしろいのはモニュメントの造りです。個々の建物ではなく、夫々の特徴をとって、一つのモニュメントに仕上げています。例えば上の建物は、リスボンのベレンの塔、Casa dos Bicos(くちばしの家)、コメルシオ広場の門、サン・ジョルジュ城、アルファマにある大寺院等々。探せばまだあるかも知れません。

小さなポルトガル・子どもの国
↑そして、こちらは、わたしが憧れて謎解きに挑戦している、テンプル・キリスト教騎士団修道院のマヌエルの大窓です

小さなポルトガル・子どもの国
この鈴の意味を数年来追跡中。

小さなポルトガル・子どもの国
さて、ポルトガル独特の伝統民家です。

小さなポルトガル・子どもの国
身長153cmのわたしが横に立ってみました。子どもたちはこれらの家の中に入っては窓から顔を出し、よろこびます。

小さなポルトガル・子どもの国
南部独特の煙突を持った色鮮やかな家々。
portugalpequenitos15.jpg

北部で多く見られる石造りの家。
小さなポルトガル・子どもの国

パークの後部には幼稚園とプレイグラウンドや小さな庭園があります。

portugalpequenitos16.jpg
美しいアズレージュの幼稚園の入り口。

わたしが最初にここを訪れた頃は、コインブラに住む日本人の友人がここで幼稚園の先生をしていました。あの頃と比べ入り口はすっかり変わりました。

小さなポルトガル・子どもの国

小さなポルトガル・子どもの国
ティーカップハウス。

小さなポルトガル・子どもの国

大人も子どもも楽しめる「Portugal dos Pequenitos」、これからの季節はきっと楽しめるでしょう。

インフォーメーション
所在地:Rossio de Santa Clara 3040-256 Coimbra Portugal
開園時間6~9月15日 9:00~20:00 
入園料:2才以下無料 
    3~13才、65才以上5.95€
    大人14~64才 9.50€ 


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2016年5月31日 コインブラ:ホテルQuinta das Lágrimas

公園を回って、ホテル内でコーヒーをと思い立ち寄りました。ファサードがある正面玄関のアプローチは工事中で、横から来るまで入りました。

quintadaslagrimas

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館の左側にある新しい建物は「Spa」でしょうか。ホテル内のカフェにはSpaの横から涙の館に入ります。

quintadaslagrimas

廊下に入ったコーナーにおいてあるのは顔のないイネスの人形です。イネス所以のホテルとは言え、少し興ざめするんではないの?と思いながら、どんどん進んで階下に下ります。

quintadaslagrimas

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カフェ・バー横の廊下。
 
庭を目の前に、しばしコーヒーをば。
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ホテルから前回紹介した泉にも行けるのですが、工事のため通行止めです。噂では、イネスの霊が今でもこの館の周りをさ迷っているのだそうな。

quintadaslagrimas

さて、「涙の館」の悲恋はイネスの死によって終わったかと思いきや、実はとんでもない後日談があるのです。ガブリエル・ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」を上回る「狂気の愛」を見ることになります。

以下、過去記事を再度載せてコインブラ「涙の館」を終えたいと思います。

さても、こうなりますとペドロ王子の顔とやらを見てみたいと思うのが人情と言うもの。写真はイネス殺害2年後に戴冠してポルトガル王8代目ドン・ペドロ一世となった王子です。

ペドロ

イネスの死を知ったペドロ王子は激怒、二度程父王への反乱を試みますが、母后の 取り計らいで父子は和解します。(いつの世にも見られる親子の確執です。ここで 思うのは、父王、側近ともに後継者である一人息子のペドロに「王道」のなんたるかを教えこまなかったというのが大きな失敗だったことです。甘やかしすぎたのである(笑)

イネスと結婚するとなると、ペドロ王子が王位を継いだ暁には、イネスが王妃となります。すると恐らく、正妻コンスタンスとの間に生まれたフェルナンド小王子は暗殺され、ガリシア人=カステーィリャ人であるイネスやその兄、更に母国から亡命していた取り巻きガリシア人たちの思惑でイネスとの間に生まれた子供が王位を継ぎ、初代王アフォンソ一世がせっかく築いたポルトガル独立国は混乱に陥り、再び隣接国に従属しなけらばならない羽目に陥ることが目に見えています。

父王の憂慮はここにあり、イネス処刑はやむを得ない事情でもありました。しかし、親の心、子知らず、恋は盲目で、ペドロ王子は恋の熱病に冒されてしまったとも言えますね。

王位についたペドロ一世、「実は自分はイネスと既に秘密裏に正式な結婚していたのだ。よってイネスは王妃である」などど血迷いごとを言い出します。しかし、そのような登録はないことから、これは愛したイネスをポルトガル王妃として人々の記憶に残って欲しいとのペドロの切ない願望と、もうひとつ、復讐心が絡んでいたのではないでしょうか?

ペドロとイネス4
ペドロとイネスの秘密の結婚の場面

この後ペドロ一世王は埋葬されてある墓からイネスの遺体を掘りおこし、それに冠させ、ポルトガル王妃への礼節を取る様に、膝まづいて椅子に座った遺体の手へのキスを家臣に要求します。こうなるともう、悲恋も行きすぎて、なにをかいわんや^^;とても尋常の神経とは思えません。

父王とは和解したものの、イネスを処刑した3人の騎士を王は許すことはしませんでした。王位につくや、隣国に逃げていたそのうちの二人をすぐひっつかまえ、自分の目の前で一人は胸から、もう一人は背中からその心臓をえぐりぬいたといいます。3人は、父王の「イネスの処分は任せる」と任せられ、国思うゆえの行動ではあったわけで、ペドロさん、父を許さなければならない羽目になり、その分の憎しみが、こちらの3人に向けられてしまったと、思われ。

もう一人はと言うと、Diogo Lopes Pachecoと言うのですが、運よく追手を逃れたとか、自殺に追いやられたなどと言われています。後に分かったことですが、彼は数年前に我らが訪れたポルトガルの深い山奥にある孤立した村、ピオーダンに隠れ住んだとの謂れが現在に引き継がれています)

これらの所業から、ペドロ一世は「残酷王、復讐王、法の厳格王」との称号をもらいます。

さて、ペドロさん、これでもまだ気がすまない。やがて訪れるであろう死に備えて、イネスと自分の棺を造らせます。しかしこの棺が素晴らしいのです!ペドロさん、イネスさんには悪いけれど、「悲恋」と後の世が謳うこの物語、どうもわたしゃ気に食わないのであります。で、唯一、「あら、いいじゃないの^^」と思うのが、この棺です(爆)

16世紀のポルトガルの大詩人カモインスを始め、多くの詩人や文学者が後世の文学で取り上げてきた宮中恋物語ではありますが、「あんたら二人、ちょっと勝手すぎん?」という思いから逃れられん(笑)

だってね、今も昔もある不倫の恋ではありますが、一国が傾くかどうかになるのでっせ。イネスにいたっては美貌を武器にして、おとなしい女主人をいいことに、ま、取り巻きもいたのであろうが、次期王をまんまと丸め込み。ひょっとして、ポルトガルに入る前に、既に隣国の謀略が噛んでいたのではないかとさえ、わたしは見たりするのです。

ほんじゃ、コンスタンスさんはどないなりまんねん?少し気の利いたお方なら、イネス暗殺の刺客もむけましょう。コンスタンスさん、そんなこともなさらんと、ご自分の侍女のところに入り浸りの夫の仕打ちにひたすら耐えて、3人のお子を残しましたです。

って、あれ?ペドロさん、こっちでもしっかりやっとったんやん!

ということで突っ込みが多い記事になりましてすみません^^;わたしを「あら、いいじゃないの^^」と思わせたこのお二人の「棺の」ご紹介記事はこちらです↓

アルコバッサ:ペドロとイネスの石棺1

アルコバッサ:ペドロとイネスの石棺2

本日はこれにて。
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