2008年10月2日
今日はやっと少し落ち着いたところで、長い間行きたいと思いな
がら、週末が自由にならないので、この夏ようやく訪問してきた、
シントラの「キンタ・ダ・レガレイラ」をご案内!

見よ、この妖艶さ!エキセントリックさ!この姿を目にした時は
ゾクッと鳥肌がたったのでありました^^
エピローグ
カプーシュ修道院に続き、シントラの魅力的なミステリーシリーズ
第2弾。
Quinta=キンタとは一言で日本語に表現できないポルトガル語で、
果樹園、荘園、別荘となり、かつての貴族たちが所有していた広
大庭園、森を意味します。
神秘的な山中の町シントラにいかにも似合ったミステリアスなシン
ボルに満ちた4ヘクタールの広さを持つキンタ・ダ・レガレイラは
宮殿、キンタをじっくり観るには3時間を要します。
UNESCO遺産に登録されています。
わたしがキンタ・ダ・レガレイラの存在を知ったのは自分が追っか
けをしているポルトガルの「テンプル騎士団の歴史」がきっかけ
です。テンプル騎士団を調べているとどうしてもぶつかるのが
「フリーメーソン」の存在でした。そして、そこからたどりついたのが
このキンタ・ダ・レガレイラ。
今日はやっと少し落ち着いたところで、長い間行きたいと思いな
がら、週末が自由にならないので、この夏ようやく訪問してきた、
シントラの「キンタ・ダ・レガレイラ」をご案内!

見よ、この妖艶さ!エキセントリックさ!この姿を目にした時は
ゾクッと鳥肌がたったのでありました^^
エピローグ
カプーシュ修道院に続き、シントラの魅力的なミステリーシリーズ
第2弾。
Quinta=キンタとは一言で日本語に表現できないポルトガル語で、
果樹園、荘園、別荘となり、かつての貴族たちが所有していた広
大庭園、森を意味します。
神秘的な山中の町シントラにいかにも似合ったミステリアスなシン
ボルに満ちた4ヘクタールの広さを持つキンタ・ダ・レガレイラは
宮殿、キンタをじっくり観るには3時間を要します。
UNESCO遺産に登録されています。
わたしがキンタ・ダ・レガレイラの存在を知ったのは自分が追っか
けをしているポルトガルの「テンプル騎士団の歴史」がきっかけ
です。テンプル騎士団を調べているとどうしてもぶつかるのが
「フリーメーソン」の存在でした。そして、そこからたどりついたのが
このキンタ・ダ・レガレイラ。
2008年9月15日

「コルクの修道院」第3弾です。写真はカプーシュ修道院のある山の光景。
下は案内図です。

シントラの月山(Monte da Lua)ほぼ山頂にあるカプチンフランシス
コ修道院(=カプーシュ修道院=コルクの修道院)の周囲は、岩に
囲まれている。
人間がかろうじて起居できるスペースの修道院だが、一歩外へ
出るや、太古からの大地の神秘的な息遣いが感じられるような気
がする。修道院の建物そのものが、できるだけ自然とのハーモニ
ーに溶け込もうとするかのように質素である。
上の図にあるように、修道院の周囲は、ラベンダー、ローズマリー、
きんぽうげ等の 薬草やどんぐり、はしばみ、樫、栗、オランダいち
ごなど、草植物の宝庫である。
カプチン僧侶たちは、これらを食していたのであろう。

修道院クロイスター(回廊)上記図の青○の部分。

「コルクの修道院」第3弾です。写真はカプーシュ修道院のある山の光景。
下は案内図です。

シントラの月山(Monte da Lua)ほぼ山頂にあるカプチンフランシス
コ修道院(=カプーシュ修道院=コルクの修道院)の周囲は、岩に
囲まれている。
人間がかろうじて起居できるスペースの修道院だが、一歩外へ
出るや、太古からの大地の神秘的な息遣いが感じられるような気
がする。修道院の建物そのものが、できるだけ自然とのハーモニ
ーに溶け込もうとするかのように質素である。
上の図にあるように、修道院の周囲は、ラベンダー、ローズマリー、
きんぽうげ等の 薬草やどんぐり、はしばみ、樫、栗、オランダいち
ごなど、草植物の宝庫である。
カプチン僧侶たちは、これらを食していたのであろう。

修道院クロイスター(回廊)上記図の青○の部分。
2008年9月7日
カプーシュ修道院シリーズ(2)エントランスです。(1)はこちら。

修道院のエントランス。描かれてある絵がはっきり分からないのが
残念です。
イタリアのアッシジに生まれた聖フランシスコが開いたフランシスコ
会から、分離して、原点に戻った厳格な清貧主義を徹底しようとし
たのが、カプチンフランシスコ修道会です。(Wikipedia)
修道服の頭巾(ポルトガル語ではcapucho)が名前の由来ですが、
シントラのカプーシュ修道院は、自然の静寂さと祈りの中でスピリ
チュアルな生活を求めた修道士たちの遺跡といえます。
1830年代には修道院団の廃絶により、このコミュニティは立ち退
きを命じられ無人となりました。
後にシントラに居を構えたイギリス人のモンセラート子爵(シントラ
月山にあるモンセラート宮殿の持ち主)が所有し、現在はシントラ
市に所属しまう。
かなり荒れ果てている往時のままの姿が残っています。

入り口の天井は、この山に落ちていたコルク樫の皮を拾い集めて
造られています。この修道院のドア、窓枠などのいたるところに、
コルク樫が使われていることから、別名「コルクの修道院」とも
呼ばれる所以です。(この名称は18世紀にここを訪れたイギリス
人William Beckfordがその著書で初めて述べている)

よく観察すると、コルク天井には六芒星(ろくぼうせい=ダビデの星)
が、いくつか見られます。
2008年8月21日
三日も間が開いてしまいました^^;
北京五輪、やらせやら年齢詐称やら,ボロボロ嘘が出てきて、夫が
観てる横から見たくないわたしが、「見てごらんよ、これがどうして
16歳なの!小学生じゃん!(女子体操)」、
「さっきの国の方がうまかったのに、点数のつけ方が怪しい!」
「この応援だってやらせだぁ〜」などと、ああだらこうだら言うもの
で、彼、うんざり顔です(爆)
頼むから夕食中に見ないでくれ。いやでも画像が目に入って、
目に入ったが最後、一言二言絶対言いたくなるのだ(笑)
夏休み仕事のしんどさも、このぶつぶつ言うので結構ストレス発散
となり、助かってるのかも知れませんです(爆)
さて、この三日間、幸いにして涼しい今夏のポルト、体調を崩して
いたわけではなし。午前中三時間の日本語集中コースも慣れて
きて、残すところ後少し。
しんどいけれど4人の若者相手に楽しい^^
じゃ、この三日間何をしていたかと申しますと、シントラ記事を調べ
確認しながら書いておりましたです(笑)
これがですね、確認しようと調べれば調べるほど、芋ズル式に面
白そうなことが出てきて、ついついそれを読みふけ、以前読んだ
本も再び拾い読みしたりして、記事はなかなか進まずw
本日やっとシントラ本題第一部、あげることができました。

スペイン、ポルトガルからなるイベリア半島は、紀元前201年のロ
ーマ人の進出に始まり、その後ゲルマン、イスラムの支配を受け
てきました。
722年、現スペイン北部アルトーリアス地方山中の「コバドンガの
戦い」から始まるレコンキスタ運動(ムーア人からの国土奪回の
イスラム対キリスト教の戦い。レコンキスタとは「再征服」の意味)
が完了するのは13世紀も半ばで、600年もの長い間、イスラム支
配を受けて来たイベリア半島の中世史はレコンキスタの歴史でも
あります。ポルトガル王国はこうしたレコンキスタ運動の過程で生
まれたと言えましょう。
シントラ宮殿は別名Palacio da Vila(別荘宮殿の意味)とも呼ばれ、
10世紀頃に初めてアラブ人の地理学者によってその名前が取り
上げられており、古くはムーア人支配者の住居とされていました
が、12世紀にドン・アフォンソ・エンリッケス(後のポルトガル初代
王アフォンソ1世。別称 「O Conquistador=征服者」)がリスボン
を奪回した時に、シントラは無抵抗で陥落。
以来このシントラ宮殿は20世紀初期の共和制誕生まで、ポルトガ
ル歴代王室に属してきました。
シントラ宮殿は外見は非常にシンプルですが、離宮としてポルトガ
ル王たちの住居となり、特に15世紀から16世紀間に、ゴシック
様式、マヌエル様式を取り入れた改築、増築が行われ、これにイス
ラム様式も加わり、素晴らしい内装が施されています。

↑ニョキッっと突き出た白い円錐形煙突が特徴です。
三日も間が開いてしまいました^^;
北京五輪、やらせやら年齢詐称やら,ボロボロ嘘が出てきて、夫が
観てる横から見たくないわたしが、「見てごらんよ、これがどうして
16歳なの!小学生じゃん!(女子体操)」、
「さっきの国の方がうまかったのに、点数のつけ方が怪しい!」
「この応援だってやらせだぁ〜」などと、ああだらこうだら言うもの
で、彼、うんざり顔です(爆)
頼むから夕食中に見ないでくれ。いやでも画像が目に入って、
目に入ったが最後、一言二言絶対言いたくなるのだ(笑)
夏休み仕事のしんどさも、このぶつぶつ言うので結構ストレス発散
となり、助かってるのかも知れませんです(爆)
さて、この三日間、幸いにして涼しい今夏のポルト、体調を崩して
いたわけではなし。午前中三時間の日本語集中コースも慣れて
きて、残すところ後少し。
しんどいけれど4人の若者相手に楽しい^^
じゃ、この三日間何をしていたかと申しますと、シントラ記事を調べ
確認しながら書いておりましたです(笑)
これがですね、確認しようと調べれば調べるほど、芋ズル式に面
白そうなことが出てきて、ついついそれを読みふけ、以前読んだ
本も再び拾い読みしたりして、記事はなかなか進まずw
本日やっとシントラ本題第一部、あげることができました。

スペイン、ポルトガルからなるイベリア半島は、紀元前201年のロ
ーマ人の進出に始まり、その後ゲルマン、イスラムの支配を受け
てきました。
722年、現スペイン北部アルトーリアス地方山中の「コバドンガの
戦い」から始まるレコンキスタ運動(ムーア人からの国土奪回の
イスラム対キリスト教の戦い。レコンキスタとは「再征服」の意味)
が完了するのは13世紀も半ばで、600年もの長い間、イスラム支
配を受けて来たイベリア半島の中世史はレコンキスタの歴史でも
あります。ポルトガル王国はこうしたレコンキスタ運動の過程で生
まれたと言えましょう。
シントラ宮殿は別名Palacio da Vila(別荘宮殿の意味)とも呼ばれ、
10世紀頃に初めてアラブ人の地理学者によってその名前が取り
上げられており、古くはムーア人支配者の住居とされていました
が、12世紀にドン・アフォンソ・エンリッケス(後のポルトガル初代
王アフォンソ1世。別称 「O Conquistador=征服者」)がリスボン
を奪回した時に、シントラは無抵抗で陥落。
以来このシントラ宮殿は20世紀初期の共和制誕生まで、ポルトガ
ル歴代王室に属してきました。
シントラ宮殿は外見は非常にシンプルですが、離宮としてポルトガ
ル王たちの住居となり、特に15世紀から16世紀間に、ゴシック
様式、マヌエル様式を取り入れた改築、増築が行われ、これにイス
ラム様式も加わり、素晴らしい内装が施されています。

↑ニョキッっと突き出た白い円錐形煙突が特徴です。

エピローグ
聖堂騎士団(テンプル騎士団)にまつわる話はその結成から終焉
に至るまでミステリーに満ちている。
聖堂騎士団は西欧中世期に於ける三大騎士団の一つであり、
正式名を「キリストの清貧騎士団・ソロモン神殿の騎士団」
(The Knights of the Temple ・the Poor Soldiers of the Temple
とも称される宗教的軍事的団体です。
Templeとはソロモン神殿のこと。
12世紀の初めにフランス人ベルナール・クレヴォー(後の聖ベル
ナール。シトー会クレヴォー修道院の創立者。)により任命を受け
たユーグ・ド・パイヤンをグランド・マスターとする9人(11人と言う
説もある)からなるこの騎士団が後に聖堂騎士団として知られる
ようになります。
聖堂騎士団は表向きは聖地エルサレムへの巡礼路警護として
いましたが、彼らの行動はその目的から逸脱しており、もっぱら
したのは、ソロモン神殿の跡地に宿営して、9年近くもの時間を
神殿の丘の地下発掘に費やたことだと言われます。
フランス、プロヴァンス、シャンパーニュ、イングランド、トスカーナ、
更にアラゴン、ガリシア(スペイン)スコットランド、ノルマンディ、
ポルトガルが騎士団勢力の主だった中心地となり、騎士団に
寄進された彼らの不動産は、バルト海から地中海、大西洋岸から
聖地にまで及ぶ広大なものでした。
しかし、聖堂騎士団が大きな城を所有できたのは、アラブ人との
戦い(アラブ人からの国土奪回戦争=レコンキスタ運動)に不可
欠であったスペイン、ポルトガルに限られていました。
トマールの「テンプル・キリスト騎士団修道院」がそのひとつで、
ポルトガルに於ける騎士団の総本部でした。
シリーズの初めは円堂(聖堂)から。聖堂も二回に渡ります。











シントラのカプチンフランシスコ修道会コミュニティは16世紀に8




















