2012年2月27日

2月もあと一週間かぁ、と雑誌記事執筆を怠っていたところがあらら、後三
日ではござらんか!慌てふためいてテーマに取り組んでいる昨日今日です。

今日は久しぶりにポルトガルの案内です。

昨年末に大阪から我が親友みちべぇと彼女の娘さんが我が家に滞在したので
すが、その時に訪れたひとつにBatalha(バターリャ修道院)があります。
わたしたちにとっては2度目の訪問ですが、前回は夏の午後も遅く入り見学し
なかった箇所もありました。

今回は少し修道院内のあまり目が向けられないであろう細かいところにわた
しは焦点をあててみました。いくつか興味深い細工を目にしましたのでそれ
をアップします。   

バターリャ修道院、正式名、「勝利のサンタ・マリア修道院」です。ゴチッ
ク建築と一部にマヌエル建築様式が用いられポルトガルではステンドグラス
が用いられた最初の建築物です。

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Batalha修道院、未完の礼拝堂の外見。

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午前の日光がステンドグラスを美しく映している。
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今回発見した柱の下方に彫られたいくつかの人面。
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バターリャ修道院は1386年から1517年の年月をかけて建築された。
その間建築に携わった歴代の王7人が眠る礼拝堂の入り口と内部。 
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美しいステンドグラスには葬られた王たちの紋章が描かれている。
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この王の墓石に彫られている白鳥と3羽の雛の模様は明らかに秘儀のシンボ
ルだ。
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無名戦士の墓の広間。この部屋には柱が一本もない。
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修道院内を一回りして最後に外へ出るときに見られるのが未完の礼拝堂。
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天井がないまま建築は未完になっている理由は判明していないが、リスボン
の「ジェロニモ修道院」建築に力を入れるため、石工たちたそちらへ移動し
たがためとの説がある。

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礼拝堂内にはラテン語で「Leaute faray tam yaserei(朕は常に忠実なり)」
の語句を彫られた模様が200以上見られる。
 
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礼拝堂柱の下に見られる顔とカタツムリ↑↓(カタツムリはうっかり撮影し
忘れ^^;Wiki画像より)
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偶然見つけたこれはトウモロコシだと思われる。
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リスボンのジェロニモ修道院にも同様のトウモロコシがどこかに見られると
聞いているのだが、まさかここでも見かけるとは思っていなかった。

トウモロコシは15世紀にコロンブスが南米から持ち込み、以後ヨーロッパ
に広まり、ポルトガルの大航海時代にはアフリカ、アジアに伝わりました。
日本にトウモロコシを運んだのももちろんポルトガル人になります。

トウモロコシの伝来についてはちょっと面白い話があります。

スコットランドのロスリン礼拝堂といえば、テンプル騎士団追っかけのわた
しには一度は訪ねてみたい15世紀のに建てられたシンボルだらけの魅力
的な建物なのですが、この礼拝堂を建築したのは当時のウイリアム・シンク
レア伯爵。代々ロスリンを受け継ぐオークニー伯、シンクレア家最後の領主
で、スコットランドの石工組合(メーソン)のグランド・マスターだったと
も言われます。

初代オークニー伯は一族のなかでも傑出した人物で、コロンブスが大西洋横
断を成し遂げる100年以上も前に「新世界」へ船団を二度は送っているとの
こと。ロスリン礼拝堂を建築するに当たり、ウイリアムは祖先の英雄的航海
を記念してアメリカから持ち帰った、アロエ、トウモロコシなどの珍しい植
物を礼拝堂内に彫刻させた。堂内のあちこちに見られるアメリカ原産の植物
は礼拝堂が建てられた当時、ヨーロッパでは全く知られていなかった。
  (参考文献・シンボルコードの秘密)

バターリャ修道院のトウモロコシがいつ彫刻されたのか。
未完礼拝堂は1437年着工とあり、コロンブスの新大陸発見は1492年、
1500年ころにはセビリアで栽培とのこと。もしこのトウモロコシがコロ
ンブスの新大陸発見以前に彫刻されたとしたらと考えるとロスリン教会との
つながりも見えてくるようで、面白い発展になりそうです。

さて、もうひとつ、バターリャ修道院の画像を検索していたら、その中に一
枚William Beckfordの顔写真があり、むむ?と思い調べたところ、なんと、
彼は1794年にこの修道院を訪問しており、彼の希望でイギリスの西南部
ウイルトシャーにかつて建てられたのがFonthill僧院↓

fonthill
(画像はWikiより)

バターリャ修道院によく似ています。
現在この修道院は存在しませんが、彼のゴシック熱はその著書「Vathek」や
この建築に表明されます。このFonthill僧院を見るとわたしはいつもドビュ
ッシーのLa cathédrale engloutie(沈める城)を思い出さずにはいられま
せん。

「沈める城」はフランスのブルターニュ地方にあったイスという美しい街が
やがて背徳の街と化し一夜にして城ごと海底に沈められ、百年に一度1時間
だけ姿を表すとの伝説から作られたピアノ曲だと言われます。

ゴチック建築には教会の装飾でありながら、常に異系の思想が感じられるのが
真に興味深いところです。

本日は長くなりましたが、ここしばらく考えていたことを自分のメモとし
て綴った部分が多くあります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

バターリャ修道院が建築されたいきさつはこちら。
http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/out_of_porto/batalha.htm

ウイリアム・ベックフォードについてはこちらでも書いています。
http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/out-of-porto09/monsserate.htm

また、「沈める城」は下記Youtubeでお聴きになれます。
http://www.youtube.com/watch?v=5-1IoHlOAsA&feature=related

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2012年1月31日 

前回載せた野菜、ポルトガル名「Couve Tasmaninho」は「ロマネスコ、カリ
フラワー・ロマネスコ、ブロッコリ・ロマネスコ」と呼び名があるようです。
みなさん、ご存知のようで、知らなかったのはわたしだけかと恥じ入り

でも言い訳がましいですがわたしがよく行く大手のスーパーでもあまり見か
けなかったと思います。教えてくださった方々、ありがとうございます。

「こちらにこの野菜のことが載っています」とベルリンにお住まいのブロガ
ー洋介さんが情報を下さり、早速そのサイトへ出かけて名前を確認後、ググ
ッてみました。

Googleの情報でわたしが気に入ったのは(笑)「ロマネスコの花蕾は幾何
学的的な配置となっており、個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を
成している。
」更に、「配列した蕾や円錐の数はフィボナッチ数に一致する
ことも知られている。
」(青字はGoogle引用)

 couverosmaninho
この画像はwikiより。蕾がらせん状になっているのが分かる。

おー!これだ!コレゆえ、わたしは潜在意識的にこの野菜に惹かれたのだと
納得しました。普段のわたしは食べ物にどちらかといえば無頓着であまり目
を向けることはない。それが通りがかりでカメラに収めてみた結果、フィボ
ナッチ数に行き着こうとは!

数学の苦手なわたしがこの名を口にしても説得力のない話だが、フィボナッ
チ数を記憶しているのは、ダ・ヴィンチ・コードの主人公、ハーバード大学宗
教象徴学専門のラングドン教授が本の中で説明するくだりがあるからだ。

フィボナッチ数とは、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチの因む。
0、1、1、2、3、5、8、13,21、34、55、89、144と
いうように最初の二つの数字を「0、1」としその後の数字は前の二つの
数字の和になる。

宇宙でもっとも美しい数値だと考えられる黄金比「1.618」はフィ
ボナッチ数列から導き出され、この数値は自然界の事物の基本的な構成、
植物や動物、人間についてさえも深くかかわっている摩訶不思議な数値
だと教授をして言わしめている。

多数の芸術作品の構成や螺旋階段などの建築寸法にもこの黄金比が使われ
ており、このロマネスコの蕾の並び方もフィボナッチ数から来る螺旋を描
いているとのこと。

実は、いよいよ手元に未読の本がなくなり、しばらく前に記事にしたキリ
スト騎士団修道院のマヌエル式大窓にある謎のシンボルもネット検索にひ
っかかって来ず、或いは本のどこかにヒントがあるかもしれないと、ダン・
ブラウンのダヴィンチ・コード上下を再読し終わったとこで、フィボナッ
チ数にかかわる「ロマネスコ・ブロッコリ」に出会ったのも何かの因縁で
あろうかと思ったりしているのであります。

ということで本日はわたしが撮影したフィボナッチ数列から導き出された
トマールのキリスト騎士団修道院内の黄金比をご紹介します。

convento_cristo_escada1
横からみた螺旋階段。

convento_cristo_escada2
上からみた螺旋階段。

で、思うにもしかしたらガラパゴスのイグアナとか蛙などのイボイボなんか
も黄金比かなぁ?なんてことに想像をめぐらしているおアホであります。笑
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2012年1月15日 

前回の記事の続きです。

lapa1.jpg

Lapa教会の横にある墓地の入り口。小さいので見にくいですが、門のトップ、
三角形にはメーソン独特のシンボルが見られる。

lapa2.jpg
墓地というより「石の園」呼ぶにふさわしい気がする。

lapa8.jpg lapa7.jpg
写真右はオベリスク形の墓石。殆どの墓石にメーソン独特のシンボルが見ら
れます。その一部を紹介します。

lapa3.jpg
上部にメーソンの手のシンボル。

lapa4.jpg

上部三角形内「叡智の目」、下部にもメーソンのシンボル、ドクロ。

lapa5.jpg
門の上部に見られるのと同じシンボル。砂時計、カマ、翼。翼はヘルメスも
しくは女教皇を表すか。これらのシンボルは異端タロットカードにも見られる。
タロットカードはマグダラノマリアを「イエスから秘密の教義を授かった全てを
知る女性」とする異端主義のテーマに触れているとされる。
下記、拡大図。

lapa5-1.jpg
真ん中の意味はチョット分かりませんが、コンパス、角定規、のこぎり、ハ
ンマーと石工(ストーンメーソン)の道具、メーソンのシンボルです。

ラパ墓地は、東西にまたがる横の区分が持つ建築と19世紀当時のポルトの
企業家、大地主など、ポルトのエリートたち、更にブラジルの貴族たちが
眠っている意味合いからも、ユニークな墓地とされます。また19世紀の著
名作家や詩人、Soares de Passos, Cmilo Castelo Brancoなどもここで眠っ
ています。

さて、この墓地を持つらLapa教会ですが、祀られているのはドン・べドロ4
世、またの名をブラジルではドン・ペドロ一世初代皇帝ドン・ペドロ2世です。

lapa_igreja1.jpg
ラパ教会にはドン・ペドロ4世の希望で亡き王の心臓が保管されています。
ドン・ペドロ一世については我が別HP、「メモリア海岸のオベリスク」
で書いていますが、記事を書き上げた当時(下記にて案内)、気になりな
がらも時間が許されず今日までそのままにしてきましたが、今回この墓地
の記事を載せるについて調べてみたところ、自分の推理を確認できました。

ブラジル育ちのドン・ペドロ4世(ブラジルではドンペドロ一世皇帝)が
ポルトガルを治めたのはわずか2年です。
実は王はブラジルのメーソンの総長だったとの記録を発見しました。

ドン・ペドロがブラジル皇帝の座を降り7000の傭兵を率いて、旧勢力を
バックにする弟ドン・ミゲルからポルトガル王位を奪回するため、リベラリ
ズムの哲学を擁するブラジル・メーソンたちとともにポルト北部に上陸した
のは1832年のこと。ラパ墓地がメーソン独特の体をなしているのも肯け
ようというものです。

D-Pedro4.jpg
ポルト市庁舎通りことAvenida de Liberdade(自由通り)で街を見下ろす
ドン・ペドロ4世。

ついでに昨年教会を訪れたときの画像を。結婚式が行われていました。
lapa_igreja2.jpg
祭壇が9段階になっているのはメーソンの階級に関係するのか?未確認。

下記ではドン・ペドロ4世のオベリスク記事が読めますのでよろしかったら
どうぞ。
メモリア海岸の巨大オベリスク

本日はオタクネタでした。
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2012年1月13日

今日はブログ仲間の最近の記事の紹介からです。
メーソン記事は後半にあります。

お馴染み、アーティストのちゅうさんが「坂本龍馬・3D応援カード」なる
飛び出すメッセージカードを作りました。

だれでもダウンロードOKですので、プリントして作ってみました↓
(暇なわけじゃないのだよw)
chusan

仕上げに表に和紙など貼り付けなければならないのですが、せっかちなわ
たし、できた!とばかりに写真に撮り、ちゅうさんのオリジナル写真と比
べて見ると、ありゃりゃ?どっか違う@@
貼り付ける順番が間違っとるやん!(笑)

波が二つ前に来なければならないのに。ちゅうさん、スンマセン^^;
ということで、このメッセージカードがダウンロードできるちゅうさんの
ブログはこちら↓
http://ryoukitekityu.blog74.fc2.com/blog-entry-613.html

もうひとつは我がモイケル娘。
長い間、書いたり書かなかったりのブログでしたが、最近日本文化に
ハマッているようで、神社巡りを展開、狛犬やキツネの追っかけ記事が
書かれています。また、こんないたずら書きもあります。
gato-e

自分の飼ってるネコがモデルかな?なんとなくタメゴローに似てるw
寄ってやってもいいかなと思われる方は、下記へ一度どうぞ↓
Drivin down the road

さて、今日は久しぶりにわたしの道楽、「spacesis、謎を追う」シリーズで
す。ダン・ブラウンのダヴィンチ・コードヒット以来、ポルトガルのテンプ
ル騎士団に興味を持ち、暇があれば追っかけて独学しているわたしですが
今日はそれにちなんだ話を。

2005年8月にこんなエッセイを書いています。

 
ーーこの2、3日、pcが不調で1日半ほどチェックに入ってもらいました。
の間、日本にいる娘に送ってもらった「ダヴィンチ・コード」を読み上げま
した。本はロマンス式になっていて読みやすい。が、わたしはむしろ、あの
中で取り上げられている資料本に大いに興味を持ちます(笑)
(後記:その後それらの資料本は殆ど読み終えました)
読みながら、わたしのボンクラ頭に30年振りに「テンプル→薔薇十字→
フリーメースン→アメリカ1ドル紙幣の裏側」とフラッシュがパチパチッ!
(笑)

ここでハイ!ちょっと面白い物を^^
1dollar

これはわたしが持ってるアメリカの1ドル札の表裏です。

1dollar

30年ほど前の渡米を目前に、初めて1ドル札を手にして裏のこのシンボ
ルを目にした時、 その不思議なデザインに強く興味惹かれたのであります。
以来、この1ドル札をずっと持っているのですが、札の裏側右はアメリカの
国璽(こくじ)で  左は国璽の裏だそうです。拡大してみました。
          
1dollar

まず惹かれたのが、光っている「三角形の中の目」。
そして、アメリカなのになぜにピラミッドなのか?
当時はインターネットなどありませんでしたから、後年これについて書かれ
てある文書に触れた時の喜び!

さて、この手のミステリーが好きな方はもうご存知とは思いますが。アメリ
カの国璽の裏側として使われたこのシンボルは、未完成の13段のピラミッ
ド。最下段には「MDCCLXXVI,」1776年とあります。

ピラミッドの下にはラテン語で「NOVUS ORDO SECLORUM」「新時代の秩序」
の意味。1776年、イギリスから独立したアメリカの大陸議会が、トーマ
ス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスの
3人に国璽選定を指示した年号だそうです。

トップにある三角形の目は俗に言われるところの「万物を見通す叡智の目」
更に上に書かれてある13文字のラテン語、「ANNUIT COEPTIS」英語で
「He has favored our undertaking」(神は我らの計画/約束に加護を与
えり)この国璽を決めるのには数年を要したということです。

ピラミッドと目はフリーメースンの(かの本にも出てくるが、テンプル騎
士団の生き残り説がある)シンボルでもあり、初代大統領ジョージ・ワシ
ントンは、それの、もしくはそのグループのひとつに組する「薔薇十字団」
の会員だとも言われます。

アメリカでは毎日何気なく使われている紙幣の裏にこのような暗号めいた
ものが記されているなんて、とわたしは興味津々なのですが、みなさんは
いかに?

さて、本を読んだあと、昼食にでかけたレストランで夫にその話をして
みました。
太陽系の10番目の星、「惑星X」説で笑われたのに懲りず(笑)
(後記:これは数年後に天体科学者により確認された)
ダヴィンチの絵、シオン教会、テンプル騎士団、レンヌ・ル・シャトー、
しまいにはフリーメースン、オプス・デイの名前まで出して^^
すると夫が言うには、
「ふむ。してみればほら、定年で退職したあのチーフ、覚えてる?
彼、オプス・デイのメンバーだよ。それに、我らの知人のあの人、
上層部ではないけれども、フリーメースンのメンバーだ。」
「ほ、ほぇ???・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

我がポルトガル、イベリア半島、端っこでもさすがヨーロッパです。
後記:この頃はテンプル騎士団とポルトガル建国との関わり合いをまだ
知らなかった
)ミステリー本の中でしか聞かないであろうと思っていた固有
名詞を結構身近で聞くなんて・・・・

一瞬鳥肌が出て、コップに残っていた生ビールを、ごくりとのどに流し込
んだオチではありました、はい・・・^^;ー
                  


テンプル騎士団が中世期、エルサレム聖地を目指すキリスト教信者の巡礼
を護衛する十字軍として設立されたというのは表向きのこと。当時はロー
マカトリックの教義に当てはまらなぬもの全てが異端教とされていたわけ
ですが、テンプル騎士団が異端の神秘主義者集団だったというのは、もは
や周知の事実です。

14世紀初頭、フランス王フリップ4世のもと、異端、偶像崇拝の罪名を
科せられ、弾圧を受けたテンプル騎士団はジャック・ド・モレーを最後の
総長(グランドマスター)に壊滅するわけですが、騎士団の財宝はどこぞ
へと消え、団員たちも他の騎士団に加わったり、引退するものがいたり、
また、ポルトガルの騎士団のように国王の庇護の下「キリスト騎士団」と
名前を変えたりして生き残ったものも多数。そうして生まれた一派がメー
ソンと考えられます。

そこで、近頃ポルトガルのテレビニュースでもちきりの話題がフリーメー
ソン。ポルトガル語で「Maconaria」(cの下にcedilhaことニョロマーク
がつき、マソナリアと読む)と言う。

一般ニュースでメーソンの話題が大々的に取り上げられるのはこの国で
初めてでしょう。リスボンにあるロッジの内部や博物館も紹介されました。
理由はというと、数ヶ月前に機密ファイルをひっさげて天下りした(?)
議員のスキャンダル。議員はフリーメーソンメンバーで、数人のメン
バー議員もそれに絡んでいることが発覚したと言う。
これについて、コエリュ首相がメーソンのメンバーである主要議員を召喚し
フリーメーソンに関して十分な説明をと要請したそうです。

ポルトガルは昔から外交上フランス、イギリスとの関わりが深い。フラン
スと言えばテンプル騎士団発祥地、イギリス、スコットランドはその騎士団
の逃亡先で彼らが生き延びた場所。この二国はメーソンとは切り離せない
間柄です。

さすれば歴史上、二国の影響大のポルトガルです、秘密結社メーソンと無
関係とは行きますまい。

ニュースのかじり聞きですので、あるいは聞き違いがあるかも知れません
が、ポルトガルのフリーメーソンに関する基本的な情報です。

ポルトガルのグランド・ロッジ(国や州を単位とする本部)はルジターノ
大東社と呼ばれロッジ(ロッジ=各メーソンの独立した支局)は90、会
員は2万人ほど。なかでもロッジ「モーツアルト49」は国内の政治家、
企業家、シークレット・サービスが属することで知られる。

ロッジに「モーツアルト」の名前が使われるなど、噂どおりモーツアルト
はメーソンであったとの証拠です。

ところで、昨年春、わたしはポルト市内のLapa教会とその墓地を訪れたの
ですが、果たして墓地の光景に圧倒されて帰ってきたのでした。しかし、
画像は写したものの墓地の写真など不謹慎だと思われ、そのまま今日まで
ボツにしてきたのです。

が、フランスには著名人が葬られている墓地が観光化されているところも
ありますし、今回のようにフリーメーソンの話題がしきりにメディアで取
り上げられることもそうそうあるものではありません。、これもテンプル
騎士団の追っかけで知らず知らずのうちにフリーメーソンを調べるところ
まで頭を突っ込むことになったわたしの勉強結果の一環をメモするのにい
い機会だと割り切り、明日はその画像を紹介することにします。

ではみなさま、続きは明日に。
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2011年7月17日 

雑念が多いこの頃、どうも気分的に落ち着かずブログ更新の間を少し
あけてしまいました。

土曜日の日本語コースも今日を含めてあと二回で終わりだと出かけた昨日、
ダウンタウンの教室前にあるラパ教会に丁度駐車スペースが見つかり車を
止めることにしたのですが、縦列駐車だ・・・

私はこの縦列駐車が苦手なのです^^;
しかし、そんなことを言っていたらグルッとこの周囲をまた一回りし、駐車
スペースを探すことになるので、仕方なかとバックで入り始めたのですが、
ぬぬ?
途中からバックギアを入れてるというのになんでか前に進むではないか・・・

その通りは下り坂になっているのですが、どうやら止めようとしたスペース、
一箇所が変に盛り上がっているらしく、バックしないのであります。
恐々バック・トライしているうちに、ズズッ、ズズッと前に降り、うわっ!
前車とすれすれになったじゃん!

思い切りアクセルを踏めばいいものを、
「前の車にアテそうじゃん!こ、こわい〜。」とこういう時は弱気な地が出て
からきしダメ。
ど、どうしよう・・・とフリーズしてしまいやんした。

えっと・・・えっと・・・まさか夫をケータイで呼ぶわけにはいきません。
すばやく頭を回転させ(笑)、仕方なか、教室になっている我が友の自宅、
彼女は補習校に出かけていないが、ダンナがいるはず。恥ずかしいけれど
よそ様の車にアテるよりはまだ増しではないか、とケータイで呼び出そうと
した瞬間、少し向こうを歩いて行くのは、おお!我が生徒たち!

慌てふためいて車から飛び降り、「おーーい、おーーい!」と声かけた。
すると我が生徒たち、「おや、先生、やたらごたいそうな朝のご挨拶」とで
も思ったのか、「おはよー」とだけ言って通り過ぎるではないか。
「ちがうちがう!こっちに来てくれ〜〜!」

てな訳で、無事、生徒が車を入れなおしてくれたのですが、朝から赤恥を
かいて来ました。こういうこと、実は今回で3回目でありまする^^;
El Corte Englesデパートの地下駐車場でも似たようなことをやり、その時は
そのまま行ったら柱に自分の車がかすってしまいそうで、それが怖くて恥を
しのんで警備員を呼び、入れなおしてもらったのはつい先月のこと。

夫にその話をして「君・・・・・」と呆れられたのでありまして、うん、
今回のことはしばらく言わないでおこう。こういうことは相変わらず凝りも
せず、日々続けております。

さて、雑念を少し追い払い、今日はしばらく前に再訪してきたトマールは
テンプル・キリスト騎士団修道院について。
修道院内のシンボルはまだ解けていない部分もありますので案内という
より、私自身の覚書になります。

テンプル騎士団てなに?と思われる方は既にこちらでシリーズ(1)として
こちらに書いておりますので、どぞ。

今回は4年ぶりの訪問でした。前に訪れたときは修繕にやっと手がつけられ
た頃で、特にキリスト騎士団の前身であったテンプル騎士団によって
造られた円堂の内部が悲惨な状態だったのです。

あれから4年、かなり修繕が進んだろうと期待したのですが、ガビーン!
期待したほど修繕は進んでいませんでした。ギリシャに次ぐ経済危機だと言わ
れるポルトガル、お金がないとこういう文化事業は残念ながらさっぱり進ま
なくなります。

soto1.jpg
写真は正面入り口を入って更に少し歩き、いよいよ聖堂前の庭に出る手前の
道。

templarios
廃墟のままになっている建物の一部。

templarios
横から眺めた円堂。

さて、まずはと心弾んでくぐった円堂の門。

templarios
堂内は正面からみると以前に比べて少し明るくなったようです。

templarios
が、あれれ?ない!前にあったはずの場所にアレがない!

↓2007年の聖堂写真。
charola
円堂内でも神聖な場である聖堂の中心にあったはずの三脚卓が取り払われて
いました。聖堂の修繕のために破損回避するために他へ移動されたと推測
します。

できれば、この聖堂内の天井中心にあるものを再度撮影したかったのですが、
前回と違い今回は聖堂内は立ち入り禁止となっており、足を踏み入れること
はできなかったので、残念ながら撮影不可。

う〜〜ん、この三脚卓があってこその聖堂の神秘なのではあります。

前回撮影しなかった聖堂の外側上部の絵。
tamplarios

拡大してみました。
templarios
天使が手に持っているものは不明。これは初めて見るものでただ今調査中。

tamplarios

templarios
別面に描かれた絵。天使が抱えているのは右ソロモン神殿の両柱、ヤキンと
ボアズ(Jachin= Boaz。ヤキンが確立をボアズは力を現すと言われるがその
正確な意味は現在も論争中のようだ。)であろうが、左はなぜ木なのか、十
字架に似せてあるが上部がない。不明。

下は聖堂の壁画の一部。
templarios

拡大してみます。
templarios
横にライオンがいるのとペンを持ちマントが赤いことから、4世紀から5世
紀にかけてのキリスト教の聖職者、神学者であり、聖書の翻訳をした聖ヒエ
ロニムス(英名セント・ジェローム)と分かる。

聖ヒエロニムスとライオン。
st.jerome
             画像はwikiから
この絵ではマントは赤くないが、ヒエロニムスをテーマにした絵には通常赤
いマント、ライオン、本、赤い帽子がシンボルとして描かれる。

ライオンが共に描かれるのは、シリアで隠遁生活をしていたヒエロニムスの
元に、ある日手に棘がささったライオンがやって来、ヒエロニムスはその棘
を抜いてやるのだが、以来、ライオンは彼に常に従うようになったという
伝説から来る。

さて、以前の聖堂の記事ではこれの役割がわからなかったのですが↓
st.jerome

ぶら下がっている鉛筆、ガードの人がいましたので、この役割について訊い
てみました。
聖堂の向かい側が聖歌隊が歌う場所になっているのですが、それがこの聖堂
に届くようにとの工夫だそうで、伝達用のマイクのようなものではないかと
の推測は当たらずとも遠からず。

本日はテンプル・キリスト騎士団修道院の聖堂でしたが、円堂の絵画、模様が
全て修繕されるには恐らくあと6,7年、いや、下手をすると10年待たなけ
ればならないかも知れません。その頃にもう一度、こ、来れるかな?^^;

次回はもうひとつの見逃せない目玉、大窓です!

本日もブログを読んでいただきありがとうございました!
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