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2020年7月13日 

気のあった者同士、2、3カ月に一度、4人仲間でポルトのダウンタウンにあるレストランで昼食をするのが習慣です。が、コロナ禍で今年に入ってから一度も会っていません。

よく利用するポルトガル伝統料理のレストラン「Solar Moinho de Vento 「風車」の意味。
2020moinhodevento1.jpg

ポルト在住期間長老(!)のわたしを始め、30年程の同年代二人、それにおそらく20数年の若いOちゃんと、各々、ポルトガル人の連れあい抜きの会食ですから、みな本音がでることでること。そんな間柄ゆえ、久しぶりに会っておしゃべりするのが楽しいのです。

が、コロナ禍で今年に入ってから一度も会っていません

かつては子育て、子達の日本語教育等が我らの話題の中心でしたが、やがてその子どもたちも、Oちゃんのを除いては独り立ちし、うち、我がモイケル娘を含む3人は既婚者です。

そうこう話しているうちに、話題の行き先が老後を越えてその向こう、つまり終活となるのが、近頃定番になって来た我らであります。仲間の一人、Kさんが、実は時間的、距離的に墓守も大変なので兄弟で話し合った結果、日本での墓地を売ろうとしたところが、お寺から「では、土地を平地にして返してください」と言われ、その費用に200万円かかると言われた、とのこと、なんとまぁ!!

してみると、亡くなった我が母の実家、弘前にある先祖代々の墓も、おじたちの連れ合いたちが分骨などして、現在墓守をする従弟も子供がいないもので、先の問題がもちあがっているのを耳にしました。

核家族化し、少子化になり、古い慣わしが消滅しつつある事態が、都会のみならず田舎にも押し寄せているのだなぁ、と思わされた一件でした。

ポルトガルと言えば土葬の習慣でしたが、近年はCremaçãoと言って火葬を望む人が増えて来、古い習慣の変化はこの国にも色々現れてきています。で、わたしたち仲間の終活話で持ち上がったのが、ロッカー式納骨堂です。

ポルトガル語でColumbário(コルンバーリオ)と言います。先祖代々の墓地があれば別ですが、それも田舎にある場合は、新しく墓地を買い求めたりします。 日本同様、高いのです。それで、近年出てきたのがこのコルンバーリオです墓地の一角にこんな感じで設置されています。

columbario.jpg

う~ん、あまり入りたないな、と見た目に思ったものですが、同じポルトに子供たちが住む友二人と違い、夫とわたしの場合は娘はもう日本在住確定ですし、息子も今のポルトガルの状況では帰ってこない確立が高い。

ならば、誰も来ぬ墓地などあっても仕方あるまい、あるいはこのロッカーも要らないかもね、と夫と話していたのくらいです。

すると、数年前の春先、突然夫が「買ったよ、将来の家」と言うではないですか(笑)

えー!、どこに?いつの間にそんなお金、持ってたの?と問うと、
「だから、ほら、近くの墓地に」

がーーーん!何が将来の家よ、冗談きついよ。

聞くと義兄も義姉も同じブロックに買ったという^^;我が家から徒歩で5、6分ほど、夫の母が眠っているところでもある。 なんだかなぁ、と思いながらもさすが仲のいい兄弟だわい、と受け入れざるを得ないのでありました。

わたしたちからするとまだまだ若いOちゃんそっちのけで、年配者の我ら3人、レストランで食事しながらこんな話に、わーっはっはと大笑いして盛り上がっていたとは、満席の周囲の客たちはつゆ知らなかったであろう。

どうもどうも皆様、昨日に続き、滅相もない題材でごめん遊ばせ。
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2020年7月11日 

去る5月で、ポルトガルに在住すること丸41年、今年の誕生日を迎えると齢73になります。

10数年前には、「これまでの人生で、わたしはお葬式に出た回数が3回しかない」と言ったことがありますが、それは日本にいる身内が長寿で未だ元気だというのではないのです。

我が母を含め母の8人兄弟はみな既に鬼籍に入っています。日本を遠く離れているもので、おいそれと葬儀に駆けつけることができず、せいぜい帰国したときに墓参をすることになります。これは海外在住者にとって、多くの場合、そうではないのかと思います。

しかし、この歳になると、夫は親戚も多いので、知人も含めると、この10年ほどでたくさんの人が旅立ちました。が、わたしはどういうわけか、日本へ帰国中だったり、また夫の親戚知人であっても一度も面識がなかったりという理由で、ポルト在住だった日本人女性の友人、夫の母、義兄、夫の親友の時以外は葬儀出席を経験していません。

ほとんどがカトリック教の洗礼を子供時代に受けるポルトガル人は、おのずと葬式は教会でとなります。子供の時に受けていなくても結婚式は教会で挙げますから、神の前で誓約するにはカトリック信者として洗礼を受ける手はずになります。

洗礼を受けていない場合は、教会での挙式はできませんから、結婚する前に、にわか洗礼を受ける人も多いです。

では、洗礼を受けていない場合はどうなるのか・・・わたしの場合などがそうです。
宗教には興味があるものの、わたしはカトリック信者ではありませんし、にわか洗礼も嫌なので、教会での挙式をしていません。

婚姻書類の手続きをし、自宅で親戚一同が集まって簡単な祝いのパーティーで済ませています。近年では、その形式をとる若い人たちも増えて来ています。

さて、話を結婚からお葬式に話をもどしまして。
日本だと大概は先祖代々の菩提寺があり、仏教徒云々に拘わらず、そこに墓地があって入れるわけです。

こちらでは、ある特定の教会に墓所を持つ場合、まずは洗礼を受けていること、その教会に信者と認められていることなどが条件になり、初めて墓所となる土地を買うことができるようです。

先祖代々が、とある区域の教会に墓地を持っている場合は別ですが、ポルトガルも昨今は日本同様、墓所を買うには相当な経済準備をしなければならないようです。実は10年ほど前に夫とお墓の話をして初めて知ったわけです。

そうして見ると、よく外国映画で、死の床で神父さまから慌てて洗礼を受ける場面を見かけますが、あれをわたしは、「なんでかなぁ。やっぱり人間死を目前としたときは、神の存在を信じたいと思うんだろうか。天国の存在を信じたいと思うんだろうか」と不思議に思っていたのです。

つまり、こうしないと教会で葬式をあげてもらえない、墓地にも入れないと言う現実があったのですね。

「え!じゃ、カトリックじゃないわたしはどこへ行くのよ?」
「共同墓地・・・」と夫。
「ええ~~@@ でも、行くとこないよりはいいか^^;」と言いましたら、
「5年したら掘り返されて、他の人が入る」
「ゴーーーーン」 まさに頭の中で鐘がなりましたです・・・

わたしがポルトガルに来た頃は、ポルトでは火葬場がなかったのですが、今では一部の大きな墓地にその設備があります。

上述の我が友はポルトで火葬となりました。しかし、その後、わが身はどこへ?
う~~~ん・・・・

無意識に、死は他人事であって自分はまだまだだ。下手すると、まだまだず~っと自分は生きるのだ、というような錯覚意識が自分の中にあったように思います。

これはちょっといけないな、人間家業を70年もしたら、そろそろ考えてみなければいけない事柄ではあります。予測通りにその日が来る事は、恐らないであろう。

しからば、明日のことを思い煩うよりも、今日をめいっぱい生きよう。初孫ができて、少なくとも、後20年はなんとか頑張りたいものだと、欲が出てきた今ですが、実はそうやって、なんだか考えなければいけない事柄をごまかしているような気が自分でもしないでもないです。

逝去と新生と、人間は古代からこれを繰り返して歴史を刻んで来たわけですが、時に、いったい「時間」とはなんであろうかと、考えます。

時間とは永遠の点である、と言った人がいますが、その永遠の点にわたしたちはどんな風に関わり合っているでだろうか。
こんなことを考えて、あれこれ手がつかなかったりしています。

本日は取り留めのないことを綴りました。
では、また。
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2020年7月5日 

世界が目まぐるしく変転しています。
5月からの武漢ウイルス緊急事態が徐々に緩和され、このまま気をつけて行けば、秋にはひょっとして帰国できるかな?などと期待したら、とんでもない間違いでした。

ポルトガルは、3月に北部から多くの感染者が出たのですが、今はリスボン周辺で毎日のように200人300人と確認感染者が報告されています。

感染者数のグラフを見ると緩いながらも未だにずっと右上がりですから、第二波もなにも、これは第一波が終わったということにはならないんじゃないかと思い始めています。

ここ数年、うなぎ上りに観光客を迎えていたポルトもすっかり閑古鳥が鳴いています。市内のあちこちにあまた建てられた宿泊施設の行く先はどうなるのか。

だから、言わんこっちゃないのだよなぁ。安い宿は大学生向けの下宿に転化可能ですが、ブームはいつか去るもの、その時、小さなポルトの街にこんなにいっぱいのホテルをどうするというのだと、他人事ながら気になります。

下は先日紹介したポルトガル文学「破滅の愛」の舞台となったモンシーク修道院跡に建てられた五つ星のNaya ホテル。ドウロ川沿いです。

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こちらはサンベント駅真向いから始まるRua das Flores(花通り)のホコ天に出現したPortoBay Floresホテル。こちらも五つ星です。

casamaias4_1.jpg

この家はCasa dos Maiasと昔から呼ばれ、1989年にわたしがポルトに来たころには、既に廃屋になっていたマイア一族の小宮殿でした。この通りを通るたびに、崩れかけた家をかろうじて支えでもしているかのような石の家紋(Brasão)に興味をもち、なんども撮影してきました。
rua-flores-fachada3_old.jpg


ホテルになるとの話を耳にした時は、宮殿の一部である石の家紋と聖カタリナの車輪(後記にて案内しています)をなんとか遺して欲しいものだと切に願っていました。何と言っても500年の歴史を持つ建物なのですから。

また、裏庭にはニコラウ・ナゾニに手による礼拝堂もあったとされ、できるものなら庭を一度見てみたいと思っていたのでした。

通りに面した小宮殿、つまりホテルの一部である正面は、もとのゴチック建築をできるだけ変えずに工事を進めたようです。ですから、このPortoBay Floresホテルは古い歴史を物語る建物と、スパ、ジム、インドアプールなどを備えた二つの建物からなっているそうです。

石の家紋と聖カタリナの車輪はどうなったかと確認に行ったところ、大丈夫、ちゃんと残されてありました。

casamaias2_1.jpg
建物の左端にある聖カタリナの車輪

マイア一族から引き継いだFerrazes、 Bravo両家の紋章は、ホテル入り口の中央上にそのまま遺された。この家紋左の塔と雲にわたしは錬金術の匂いがしてならないのだが・・・
casamaias3_1.jpg

下の画像はシントラ、キンタ・ダ・レガレイラの礼拝堂外壁横に見られる錬金術のシンボル。
regaleira-capela-tangue-1-2020.jpg
二つの塔と真ん中にあるのは雲だ。

まだ他にも紹介したい新しい宿泊施設はあるのですが、今日はこのくらいにて。

このように、世界の観光国の例に漏れずポルトガルもオーバーツーリズムだったのが、突然の武漢ウイルス感染のアタックをもろに受け、今は息も止まらんばかりの不況に襲われ、目まぐるしい変転を強いられています。

3月以降、国家、個人のイベントは全てキャンセルされて夏を迎えたわけですが、我が家も 今月初めには大イべントがありました。しかも、このイベントはキャンセル能わずでした。

7月2日、初孫が生まれました。6月から3カ月程の帰国予定はその手伝いのためであったのですが、武漢ウイルスのため帰国叶わず、落ち込んでおったわけです。無事に誕生したことに感謝の気持ちでいっぱいです。

励ましてくださった皆さん、そして、必要あらばいつでも手伝いを、と申し出てくれた友人たちにこの場を借りて心からお礼申し上げます。

気軽に拙ブログに綴れなかった事情も、いずれ、落ち着いたときに書きたいと思っております。
本日はこれにて。

・Casa dos Maias  http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1772.html

・聖カタリナの車輪 http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2065.html
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2020年6月8日 

今日は写真です。

武漢ウイルス発生後、3カ月ぶりにポルトの街へ出てみました。その写真を載せてみます。

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左にコングレガードス教会、右にさんベント駅がある。坂道を上るとイルデフォンソ教会を目の前にする。

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車の中から見るドウロ川とリベイラ。いつもは人でごった返しだが、わずかの人しかいない。もっともこれがわたしの知っている昔のポルトなのだが。

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ドウロ川を渡る遊覧船の一艘もなし。

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ミラガイア地区。この辺りは建物の一部が近年宿泊施設になっている。窓が閉まっているのは宿泊客が皆無の宿。

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いつもは車、ツーリストが載る自転車などの往来が激しい道がこの通り。左にある白い建物は新しいホテル。そこも人影が見えない。

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先週は知り始めたエレトリコこと路電は乗客がほとんどなし。

昨年まではオーヴァーツーリズム気味だったポルトの今の様子。経済打撃は多大だ。が、ここ数年ツーリストで埋まった街に出るのが嫌で、ダウンタウンを避けてきたわたしはどこかで昔のポルトを見出して、今のうちに楽しんで置こうと思ったりしている。

本日はこれにて。
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2015年6月3日  

一時期流行った絵本に「ウォーリーを探せ」と言うのがあった。

ウォーリーは絵本シリーズのやせた主人公で、赤と白の縞模様の服に防止、ジーパン姿、メガネをかけて手には杖をもっている。
そのウォーリーをたくさんの人混みの絵の中からさがしだすのである。

Wally.png
Wikipediaより

先日、件名に「ウォーリーを探せ」と夫がこんな画像を送ってきた。自分はどれか分かるか?というのだ。

papa_1.jpg

夫の病院の仕事も通常に戻りつつあるものの、武漢ウイルス禍でこれまでテレビで何度も目にしてきた防護服だが、夫の防護服姿にはさすがにびびった。

マスクをしてスーパーで買い物するのも結構うっとおしいものだ。医療マスクにフェイスシールド、手袋、防護服の完全防護で数時間と働くとなると大変な労力だろう。そう思うと、自分の愚痴などは、と思いながらもついついでてしまう。

さて、今日からポルトガルは武漢ウイルスによる規制緩和第3期に入る。 が、入るか入らないかの先週末、リスボン周囲では220数人の感染者が確認され、一部の制限解除は見送られる話もでている。ショッピングセンターもオープン。ただし、リスボン首都圏では6月4日まで引き続き閉鎖である。

また、ルールはあるが海岸にも足を踏み入れることができる。海岸はオープンエアなので、マスク付着の義務付けはないようだ。

食糧買い出しで車の中から垣間見る町は、商店街の店が開きたくさんの人が出始め、一日一日と普段の光景を取り戻している。ただ一つ、違う点は、みなマスクをしていることだ。

日本ではどうということもないマスクの光景が、欧米でも極当たり前になったという、なんだか不思議な感じがする。



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