2018年2月4日 

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今日のポルトの真っ青な空。台所の朝ベランダから。

昨日、ラジオを聴いてくださった方々、ありがとうございます。

昨日は6時半起床、7時には放送局と聞こえ具合の音の確認、その後8時(日本時間夕方5時)まで待機、そして話し終わった後、いつもの図書館での日本語教室へ向かいました。

で、昨日は中級クラスの生徒から、「突然ですみません。日本人留学生が授業参観したいと言っています。いいですか」 とメッセージ。 賑やかな普段のクラスをそのまま見てもらいました。

中級クラスは12人ですが、今期からは、長年使用してきたテキスト「みんなの日本語Ⅱ」を中心にせず、参考、もしくは宿題で使うとして、現在はわたしが作成したテキストを使っています。

これには、イラスト一切無し。文例をたくさん挙げ、短作文、短い翻訳も取り入れているのですが、その時はクラスでのスマホ検索OK、隣との相談もOKですから、なかなか賑やかになります。

短作文も翻訳もその場で確認してあげますから、少し進度は遅くなるのですが、急いてはことを仕損じる、であります。語学の勉強は時間がかかりますもんね。

この2週間はハプニングもあり少し大変でしたが、とりあえず一通り日本語授業以外のことが終わった、と思いきや、まだもう一つ、催促されていることがあるんだった!影絵上映を日本帰国の4月までにすることになっているのでありました。うーーッ!

でも、多分、こんな風に忙しいうちが華!しばし休憩し体調を整えてまいりましょう。

さて、表題の「ポルト、生活しやすい世界の都市第2位」です。

ウェブメディアのタイムアウトが世界の32都市、15000人を対象に調査して、ランキングを発表したそうで、2018年はポルトが第2位(137.9ポイント)になりました。このところ、ポルトの人気はうなぎのぼりです。

調査では食べ物、ドリンク、カルチャー、社交性、生活のしやすさ、幸福度、住み心地といった観点から評価した結果だそうです。

「ポルトの人はこの街に住んでいることに誇りを持っている。自分らしくいられて、夜遊びもしやすい。そのコストも平均、約4000円」

これには、まったく同感です。ただし、ポルトっ子も外国人も、仕事にありつけるかどうかというのは別問題。外国人がポルトガル語を勉強しながらしばらく暮らしてみる分にはいいでしょう。が、実際に移住するとなると、住居を得るにも諸々の外国人在住手続きをするにも言葉が話せずしては問題です。

家賃、光熱費、食費等を入れると、月に最低1000ユーロ(約13万円)くらいはいるかな?もちろん、削れるところどんどん削ってもっと安く見積もることはできますが、その人の考え方にもよりますが、それでは生活を楽しめないような気がします。

日本と違い、外国人が手軽にできるバイトはまずありません。言葉の問題もさることながら、現地の若者もバイトにありつくのは大変なのですから。

因みに1位は138.2ポイントでシカゴ、治安の評価は低かったようです。

リスボンは8位で東京は19位。「東京で暮らす人たちは、食べ物が美味しいと言う。大半の調査対象の都市に比べ、レストランに行く頻度が高い」とあります。

もっと知りたいという方はこちらにて ↓
https://www.businessinsider.jp/post-161374

本日はこれにて。
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2018年1月27日 

自分のおアホさ加減に疲れたのと滅入ったのとで、この3日ほどブログを書く気も削がれておりました。
ハイ・・・

木曜日の昼頃のこと、外猫たちの昼ごはんを運ぶがためエサを持って出ました。少し日が照っており、大きなゴミ箱の上で日向ぼっこをしていた赤ネコちゃんと黒猫君が、わたしの合図を聞くなり飛んできました。

二匹にそれぞれエサを分けてやり、どれ帰ろうか、今日はポルトガル語に出かける日だし予習をしないと、と思い何気なしにコーデュロイパンツのポケットに手を入れてハッとした!か、鍵があれへんやん、うわ~~ん(涙) 2年ぶりに鍵を持つのをうっかり忘れて家を出たなり。どうにもあきまへん。
おまけにすぐ側ですから、家の中にいるままの服装で出ちまった。

外は日が照っているものの1月ですからね、寒い。これは大分困ったぞ。ケータイやスマホに頼っていると電話番号を覚えないので、こういう時はまことに問題だ。向かいのカフェやコンドミニアムのご近所で電話を借りることができたとしても、電話番号をしらないからどうにもならないのである。

合鍵を預けてある義兄のとこまで行きドアの呼び鈴を押しても応答なし。いつもこうなの。合鍵預ける意味がないじゃ~ん、と自分の迂闊さを棚に上げ、人をチョイと責めてみる。そだ、Oちゃん夫婦が夫のケータイ番号を持っているのだった。彼女の固定電話番号なら、影絵や日本語教室関係でちょこちょこ連絡を取り合っているので覚えてる。カフェのおじさんに頼んで電話を貸してもらい番号をプッシュすれども、こちらも応答なし。

コンドミニアムは年に数回会議をするし、代表もいるのでいざという時のためにお互いの電話番号を交換しているはずだと思い、階下の人に聞いてみたが持っていない。
えっと、夫は今日はどこの病院におるんだっけ~~。これもはっきり覚えていないのんきな妻であります。

そうこうすること2時間、いよいよ持ってこれは諦めて夫の帰宅を待つほかあるまいと腹をくくり、
コンドミニアムの呼び鈴で住人にビルの外ドアを開けてもらい、二階の我が家の前にある階段に座ること15分ほど。

すると、階下から「お~い、奥さん」と呼ぶ声がする。なんぞやと下へ降りてみると、うわ!階下のご主人がご近所のジョアキンおじさんが持っているアルミニウムの2連はしごを借りて来て、二階の我が家のベランダに渡している。

ご主人が上ろうとするので、「待って待って。わたしが上ります」 なんとなら、おじさん、少し足が不自由ゆえ、自分が落ちるには仕方ないが、おじさんが万が一落ちでもしたら責任重大。

わたしは高所恐怖症気味なところがありますんで、怖かったです(泣)
たまたまベランダのガラス戸がロックしていなかったのでよかったけれど、そうでなかったら・・・家には入れませんでした。

夫が帰宅したのは夜8時ころ。あのまま外にいなければならなかったとしたら、今頃は風邪にやられたこと間違いない。

と言うので、今日は日本語教室の仕事から帰宅するなり、「プレゼント」と夫から我が首にかけられたのが、これ↓

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これをね、ドアの取っ手に常にかけておきなさい。出るときに首に下げて出るべし・・・・ あわわわわ、これでいっぺんに年相応になった気分だい。いえね、これは今に始まったことではないので、歳じゃないのよ、ダンナ・・・

とまぁ、こんな数日だったのでした。

過去のこの手の失敗談のひとつを下記に(汗)

2009年5月

「動きすぎるんじゃないのか?」とそれこそ忙しい夫に言われてしまった今日のできごと(笑)

今朝10時からの予定だった出張日本語が12時からに変更。7月始めまでは、とある語学学校の日本語短期コースを受け、これが水、金の2時半から二時間です。いったん帰宅してサーッと簡単な昼食をして出かければ間に合う、と読んで、朝さっそうと出かけたはいいが^^;

しばらく前から復帰した我が家のお掃除のベルミーラおばさんが、火金と来るところ、今週に限って水曜日の今日に変更したいとのことで、「時間が来たら終わって帰ってね。あ、コーヒーも適当な時間に淹れていいのよ。」と彼女に家を任せて出たのでした。

外での授業を終え、車を止めてフラットの表ドアの前、バッグに入っているはずの鍵をゴソゴソ探ったら・・・ぬぬ?な、ない?ないの?うそだ~(泣)

鍵にはかなり用心するようになったので最近、忘れることはあまりないのだが、今日はベルミーラおばさんが、わたしの後に残るのでドアをロックしないで出たのでありました。ポルトガルの家のドア、うっかり鍵を持たずに閉めようものなら、消防車でも呼ばない限り金輪際中に入れない。

これはもう、過去にさんざん失敗をやらかして、そそっかしいわたしがやっと学び、近頃はこういうことをしでかさなくなったのでしたが^^;

また、家中に人がいるのに迂闊に外からロックすると、今度は中の人も鍵なくしては金輪際外へ出られない(笑) わたしは一度、ベルミーラおばさんを閉じ込めて出かけてしまい、エラい気の毒なことをした経験があるのです。

はて?どうしたものか。

そうだ、こんな粗忽者のためにと、近くの義兄の家に合鍵を預けてあるのだ。「兄貴、いるかな?いるといいな・・」と一心に祈りながら彼の宅へ向かったのだがベルを押すとドア越しに聞こえるのは、彼の愛犬の吠える声のみ。

こまったぞ、こりゃ。2時半の授業にはまず間に合わん^^;めったに使うことのないガラケーでもこんなときに役に立つ。早速夫に電話。すると、「もしもし」とポルトガル語で女性の声が。

あやつの携帯になんで女が!そこをぐっと抑えて、
「あたしが話してるお相手はどなた?」と問うと「Y子です~」。
「なぁんだ、Oちゃんか^^」 友人ではないか。
慌ててるから間違ってかけたんだ(笑)

夫に連絡がつくが、鍵を届けてあげたいが、2時半から患者が待ってるから無理とのこと。車ぶっとばし夫の働く私立病院があるボアビスタまで行くっきゃない。結局、この日の日本語授業は申し訳ないが、電話で学校の事務員に笑われてキャンセルを入れたのあります。あ~あ、疲れた。


昔から同じようなことをし続けている学習能力がない人間でございます でも、今回はいいことを思いついた!しかし、ここでは書けませんです。ひ・み・つ

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2018年1月24日

毎月ではないが、依頼を受けて、時には翌月も、或いは2ヶ月置きにと10年以上、ヨーロッパ在住の日本人向け会員雑誌にポルトガルの記事を書いてきましたが、今回初めて原稿締め切りを失念しとり、催促されました。

10年以上も書いているとネタも少なくなり、2年ほど前に「読者が比較的容易に足が運べるポルトガルの名所、穴場は、ほどんど紹介したので、そろそろ執筆を失礼いたしたい」と申し出たところが、替わりが見つかるまで年に四回ほどでもいいので」となって今日に至っています。

2018年は1月4月8月12月の執筆で、既に取り上げる箇所を昨年のうちに決めてしまい、1月号は覚えていたものの、次の4月号をコロッと忘れてしまっていたのでした。掲載する記事は自分が直接現地に行っていなければならないのと、撮った写真も提供するので、季節に合わせるには普段から取材の気持ちを持っていないと、いざ、これを書こう!と思っても写真の関係上、1年先のテーマにしなければならないこともよくあります。

そんな訳で、原稿提出の延期を願い出て、下調べに勤しんでいる午後であります。

さて、ポルトは相変わらず雨模様でうんざりしております。そこへ持ってきて先日こんなニュースがありました。

8000枚のアズレージュ(絵タイル)からなる、ポルトガルの著名プラスティック・アーティストのジョアナ・ヴァスコンセロス(Joana Vasconçelos)の壁画がヴァンダリズムに会う」
ヴァスコンセロスの外壁画は、ポルトのダウンタウンに昨年2月にオープンしたアメリカのチェーンレストラン「Steak 'n Shake」店の呼び物になった外壁一面に貼られたシンボルのアズレージュ絵なのです。

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「Steak 'n Shake」レストランの外壁

大きなアズレージュ絵は通常一辺が15センチの正方形を何枚もつなぎ合わせて作るもので、15世紀以来のポルトガルの伝統的工芸品と言えます。ヴァスコンセロスの作品スタイルはアズレージュに限らず、鮮やかな色彩を使った斬新なデザインで知られます。
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アーティストの名前と作品が作られた年数2016に傍線が引かれ、大きな文字が緑色で書かれています。カラースプレーの落書きは消すのがなかなか手がかかって厄介なようです。

これまでにも街のあちこちで見かけてきた落書き、例えば、わたしが街で見かけた下のようなのもひどいけれども、これは私有物の芸術作品ですから犯罪でしょう。

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ポルトガル、スペイン、アメリカ、南米などに、カラースプレーを使った落書きが多いのは共通した心理があるのだろうか。日本人はこんなことはしないよと、苦い顔をしてニュースを聞いていたら、なんとまぁ!  

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今朝のネット新聞で見たのが上の画像です。

「東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に落書きされる事件が相次いでいる」とのこと、この手法からして、恐らく外国人であろうとわたしは推測しています。つい先だっても、アメリカで人気があるYoububerが日本に旅行に来て、青木が原の遺体を写して動画に上げるなど、好き放題のことをしている日本を小ばかにしているような画像を目にして、不届き者め!と立腹していたわたしです。

東西南北、おふざけじゃござんせんよ。どんな気分になるか自分の家の壁に描いてみろ!と、本日は少し怒っているおっかさんでございます。

ジョアナ・バスコンセロスと彼女の作品については下記にて案内していますので、興味がある方はどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1777.html

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1811.html
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2018年1月16日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生時代は今のようにテレビなどほとんどない時代でした。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりもした)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。

そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等。

これらの物語はどれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に、覚えているのですから。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるような気がします。根が単純なせいか、映画などは観ている途中から観客としての立場を忘れて思わず引き込まれ、主人公にめり込んでいることが度々あります。

観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活のちょっとした起爆剤になるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ私達人間は、それを駆使して模擬体験できます。更に、賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。孔子の論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むのではないかと思います。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、迂闊にもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したこと、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想、これらは勿論、まったく違うわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に実際は出会って来ました。

するとですね、ここで言えるのは、日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。日本人であるわたしも、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからねぇ」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、海外に長い間住んでいてもむしろとても昔の良き日本人かたぎをもつ人も結構いるのです。

このように海外在住が長い人と言うのハ実は、「異国に住んでいる」からではなくて、「単一の文化を離れて体得してその考え方、行動の仕方に辿り着いた人」だと、今思っています。つまり個性と言えるのではないか。

国柄は人柄に似ているのでしょうか。国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、それの批判にとらわれるか、個性ととらえて理解しようとするかで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

このように物事をとらえる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるでしょう。

名古屋に住む知人の杉さんというテレビ局関係だった人がいますが、若い頃、彼は卒論のために淀川長治さんや小森和子さんにインタビューで何度かお会いしたことがあるのだそうで、「映画をもって人生を生き抜く術」をお二人から教わったとおっしゃいます。

読書も映画も、そして海外生活も、「想像力を駆して自分の身をそこに置いてみる」。これは不満から出る、ああだこうだとの批判以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

今日も雨のポルト、日本語教室は1レッスンのみの日、真っ青な空が恋しいなぁと思いながら、家の中でこんなことを考えていたのでした。
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2018年1月15日

海外に住むようになって気づいたことのひとつに、日本人の臭覚は敏感だというのがある。

日本では街を歩いていても、はっきりと気づかないような香水、オーデコロンのつけ方をするように思う。ところが、ポルトガルではすれ違いざまに強烈な香りを放つのに何度も出会っている。

わたしの香水に対する持論は、病院、レストラン、学校、混雑する電車を利用する場合はつけないこと、である。が、こちらにはそんなことに構わない人がたくさんいて、閉口することに度々で出会っているのである。

もっと身近な例を取り上げると、わたしの住むフラットは4階建てで8世帯のコンドミニアムなのだが、週に一度、建物内の階段を掃除する人がいる。2年前までは、我が家に通っていたお掃除のベルミラおばさんがこの仕事も請け負っていて、清掃には爽やかな香りのする洗剤を使用していた。

ところが、ベルミラおばさんが事情で来られなくなり、新しく若い人に頼むことになった。これが甘い強い香りの洗剤を使い始め、わたしは室内にいてもその匂いがするもので、それには辟易。

そんなときに一歩自分の家のドアを開けるや、階段から匂いが立ち上がっているような錯覚すらして、自分の髪にその匂いが染み付くもので、「掃除係の人に洗剤を替えてもらえないか」と夫に苦情を言ったことがある。

夫は、少し強いが自分はあまり気にならないというのであった。しかし、匂いが気になり始めると限界がある。係りにそれとなく話してもしばらくは洗剤を替えてくれないので、わたしはこっそり掃除用具置いてある納戸の洗剤を替えて置いたものだ。

そんなことが何度か続き、近頃はやっとなんとかわたしが我慢できるくらいの匂いの洗剤が階段掃除に使われている。
さて、今どうしたものかと思案しているのだが、これも匂いに関すること。わたしはヘアケア類にPantene(パンテーン)を長年使用してきたのだが、昨年夏あたりから、新製品としてPRO-Vシリーズが売り出され、旧製品は全てマーケットの棚から引き払われた。
ところが、この新製品の甘くてかなり強い匂いがどうもいけない。何度か使ってみた結果、洗髪中も髪をドライした後も匂いが鼻についてダメなのである。

そこで、他社のものを色々試してみたが、匂いは気にならないが髪はゴワゴワだというのがほとんどで、パンテーンには他社のは太刀打ちできないのだということを知った次第。

そんな訳でわたしの髪はボロボロ状態が現状である。

強い匂いにはわたしだけでなく他のアレルギーを持つ人もいるだろうに、新製品一色にせず、旧製品、もしくは無臭に近い製品も製造して消費者が選択できるようにして欲しいものだと思い、今回生まれて初めて「クレームメール」如きを書いたのであります。

「長年使用した来たのに、新製品の匂いが気になりもう使えません。残念です。将来、あまり強い匂いがしない旧製品のような洗髪類が売り出されるプランはないのでしょうか。」というようなメールです。すぐ来た返信には「そのようなプランは今のところない。アレルギーを引き起こしたりしませんでしたか」とあった。

ネットで検索してみると、他にもわたしのように匂いが強すぎるとの意見はあるようだが、すぐに変革は望めそうもない。

困ったなぁ。じゃ、いっそのこと、洗髪時は洗濯ばさみで鼻をつまんでやるか。いやいや、それだって、洗った後、髪に匂いがつかないわけではないので、同じじゃないか。他社の製品とミックスしてみるか・・・色々思案中なのであります。

モイケル娘曰く、日本から送ってあげようか?嬉しいんだけど、シャンプーは日用品だからねぇ、そんな訳にも行かないよ。というので、以前あげた香りに関する過去記事もこちらに再掲いたします。以下。

2009年2月20日「使わないのに捨てられないもの」

この2月で母の7回忌を迎えたのだが、若い頃から親の気持ちも思わずに、あっちへふらふら、こっちへふらふらさすらってきた親不孝のわたしは、今回も7回忌に帰国できなかった。

戒名もお経も要らないからといっていた母、最後は棺をたくさんの花で囲み、好きだったタンゴ音楽を流した葬儀になったが、それなら仏教式の7回忌とやらも、きっと「まぁ、いいから」と許してもらえるだろうと、これはわたしの勝手解釈、帰国できなかった言い訳ではある。

中学時代に1年間同居して大阪の学校に通わせてもらった(この時のエピソードはこちら→「急行日本海」)母の妹、横浜の叔母も4年ほど前に亡くなったのだが、彼女は遺言で樹木葬を望み、今は岩手県一関の山奥に眠っている。

その叔母には娘がいなかったので遺品の整理と後始末を叔父に頼まれたのだが、わたしと妹が遺品整理ができたのは、叔母が亡くなって2年後であった。何しろ当時は教育費が大きくておいそれとすぐには帰国できなかったわたしである。

専業主婦だった叔母は、身の回りにあるものはいつも整然と整理しており、一つ買ったら一つ捨てる、もしくは人にあげるというような事を実行した人で、遺品を整理しにいったわたしと妹は正直、舌を巻いたものである。叔母の遺品整理は1日で終わった。

それに比べると我が母ときたら(笑)、特に衣類があるわあるわ。「おばあちゃん、いつのまにこんなのを買ってたのよ?」と同居していた妹が首をかしげるような、まだ一度も袖を通したことがないと思われる着物や新品の帯までが何枚か箪笥の中からでてきたのだった。

着物を着る人がめっきり少なくなり、特に母のような年寄り柄のものは貰い手に困り、紋付を除いては泣く泣く捨てることになったのだが、それ以外にもガラクタまがいのものがたくさんあって、もちろん、見
覚えのある品々は「あ、これ!」と言いながら、姉妹二人、思い出話に花を咲かせながらの遺品整理は随分と時間がかかった。

その時わたしは思ったものである。
叔母のように遺品整理があっさり終わるのも楽だけれどなんだか少し寂しい気がする、物足りない気がする。かといって母のようでは、残されたものが、例えば遠い外国から整理にかけつけなければならないなどとなると、これはかなり困るのではないか?

かくして近頃のわたしは、衣類、食器類、布類など、今持っているもので使わないものは、ふんぎりをつけて少しずつ人にあげるなり捨てるなりしようと時間をみては整理しているだが、中に、もう決して使うことはないと知りながら、どうしても人に譲れない、捨てられないものがいくつかある。

そのひとつがこれだ↓

石の花
=キャロンの香水「石の花」(Fleul de Rocaille)とオーデコロン

石の花

お金もないのに大人の女性の香りに憧れて、20代に初めて身にまとった香水はゲランの「ミツコ」の香りだった。香水「ミツコ」を知ったのは、当時読んだ「クーデンホーフ・光子伝」がきっかけである。

クーデンホーフ光子とは、明治時代に日本に赴任していたオーストリアの外交員クーデンホーフ伯爵と結婚しヨーロッパに渡り、夫の死後もオーストリアに残り7人の子を育てながら、当時のヨーロッパ社交界で「黒髪の伯爵夫人」として知られた日本女性だ。ゲラン社の香水「ミツコ」は彼女の名前からとの由来もある。

しかし、「ミツコ」の香りは若かったわたしには強すぎた。それは成熟した女性の香りで20代やそこらの女が身に付ける香りではないと知った。背伸びはいけない(笑)

「石の花」もロシア民話の同名の物語を知って香水の存在を知ったのだが、この香りは気に入り、以来わたしのコロンも香水もこれ一本で来た。が、ポルトガルに住んでから気がついたことがあり、香水に対するわたしの考えは変わった。

何がというと、香水はつける人は気にならないのだが、周囲の人には意外と気になったりすることがあるということだ。込んだ電車の中、レストラン、スーパーマーケット内、はたまた病院と、香水もT.P.O.を考えないと、時にははた迷惑になる。

ポルトガルでわたしが驚いたことのひとつは、病院へ見舞いに行く人が香水をつけていったりすることである。また、匂いに敏感なわたしは、スーパーマーケットですれ違い際に嗅ぐ強い香りが、いつまでも鼻について、しきりに気になることがよくある。

ポルトガルの女性は、老いも若きも香りを思い切り使うのが好きな人が多いようだ。

こういう訳で、わたしはコロンも香水も使うのを止めて久しい。香水の寿命は開封もので約1年、保存状態がいいと3年、未開封でうまく保存すると10年持つという人もいる。

が、写真にあるわたしの「石の花」は、ポルト近郊に住むブラジル人の友人がパリ旅行をした折に買ってきてもらったもので、10年どころか実は20数年になる代物で、この間、ずっとわたしの下着類が入っている箪笥の奥に眠ってきた。

箪笥を整理するたびに、取り出しては眺め、「今年は捨てようか?」と思いながらも、箱と香水びんの持つ素朴な可愛らしさに負けて、結局また箱に戻し箪笥にしまいこむ。

「石の花」はポルトガルの市場ではなかなか見つからないということも手伝って、賞味期限がすっかり切れてしまい、使うことはないのに、その名の響きに魅惑され捨てられないのである。

本日もありがとうございます。
では、また。
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