2017年7月23日 

Quinta de Virtudes ,Jardim das Virtudes 、もしくは Parque das Virtudes とも呼びます。
VirtudesはVirtudeの複数形で、「徳」と言う意味です。

随分昔、この公園を探しに出かけたことがありますが、当時は入園できませんでした。公園が目的ではなく、そこにあると言われる古い噴水(ポルトガル語ではchafariz=シャファリス)と銀杏の木を探しにいったのです。

噴水は公園の入り口にあったので見ることができましたが、銀杏の木は入園できず、季節もあって外からも見つけることはできませんでした。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

通りから撮った写真で分かるように、Virtudes公園は言ってみれば街の中で谷間を形成しているような公園です。園内の高低差がすごいのです。

この6月に入園可能と言う情報を得て、即、出かけてきました。後で、などとのんびり構えていると、行って見たところがもう閉鎖したということは残念なことはざらにあるポルトガルなのです。

少し暑い日でした。確かこの通りだったはずだと入り口を探していると、その時ばったり知り合いのご主人に遭遇しました。

「すぐ近くで仕事をしているんだけど、君、こんなところで何してるの?」
「いえね、公園に入れるという情報を得て来てみたんですが、入り口が分からなくてウロウロと。」

Chafarizがある下のCalçcadadas Virtudes通りを行けばよかったのですが、わたしは上の通りPasseio das Virtudesに続く Rua de Azevedo de Albuquerqueへと歩いていたのです。

彼も知らないという。ともかくもう少し歩いてみますと別れて、道の突き当たりにぶつかりました。「入り口」の表示もなし。門がくぐるとすぐ右に管理人小屋らしきものがありました。そこで、「おはようございます。公園をみたいのですが、ここから入れますか。」と聞くと、「おぉおぉ、もちろんだ。知ってるか?ここにはGinkgo(銀杏)があるんだぞ。」と、こちらが問う前におじさんの話が始まり(笑)

しばらく談笑して入園なり。入園料はなしです。

ポルトのヴィルトゥーデス公園
園内からはポルトのドウロ川沿いの景色が望める。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

園内を散策している間に気づいたことは、Rua de Azevedo de Albuquerqueから入ってよかったということです。
突き当たりの入り口から入ることで、高低差が激しい園を下ることになりました。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園
   
さもなくば、上ることになり、暑い日には堪えますぞ。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園
園内にもChafarizが。 

う~む、これは危ないなり、と思ったら、ちゃんと途中で石板が石段を遮っていました。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

遠方から眺めたVirtude公園。高低差が分かります。
ポルトのヴィルトゥーデス公園

さて、管理人のおじさん自慢のGinkgo、銀杏の木ですが、高さ35mで、知る人ぞ知る、銀杏の木が少ないポルトガルでは一番大きな木だそうです。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

大阪に10年ほど住んだわたしにとって、銀杏の木には銀杏並木が黄色に染まった秋の御堂筋が思い出されるのです。大阪時代のオフィスも歌姫バイト先だったアサヒビアハウスも御堂筋沿いにあり、夫を2時間も待たせてしまった始めてのデート先も御堂筋でした。ついつい懐かしくてこの木を探してみたのでした。

ほとんど人も散策している人もおらず。秋が深まる頃に、銀杏の木を見にもう一度来てみたい公園です。

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2017年7月14日 

火曜日は二つの目的を持っての散策でした。

写真はサンベント駅から大寺院を撮ったものですが、その一つが写真左手に見えるSéこと大寺院の左横の小さい通り(Rua Dom Hugo)を入ったあたりにあるとのこと。

この通り右手には、2010年のJapan Weekのコーディネーターをした折に打ち合わせで訪れたGuerra Junqueiro博物館があります。そこを通り過ぎると左に狭い石段の道があり、背後に見えるのは大寺院の一部。

ポルト

石段の途中にある古い共同水道。

ポルト

そしてArco das Verdadesが目の前にありました。
ポルト

写真から分かるように家が門にしっかりくっついており、こういうのは許可がでてるのかなぁ、と思ったり。

一つ思ったことは、ここに住む人達、一歩家を出るとすぐ石段ですから、買い物にしろ仕事に行くにしろ、随分と運動になるなぁ、です。

小っちゃいじゃん?はい、小さい(笑) ↓下は門を通り抜け別の通りの石段から撮りました。
ポルト

近辺は別にして、地元の人間は知らない「真実の門」ですが、んまぁ、朝から訪れて来るツーリストが結構います。
ポルト

ポルト
Arco(アーチ型の門のこと)を見上げると、こんな具合ですから、ちょっと危ないなぁ、の感。何しろ14世紀に造られたのです。これまで数箇所が修繕されて来たでしょうが、そのうち工事が入って通行止めになる可能性もあります。思い立ったが吉日、来てよかった!


「真実の門」の歴史を紐解くと、大寺院一帯を包囲する「Cerca Velha(古い石塀の囲い)」の4つの門の一つだそうで、先に述べたように14世紀のことです。

面白いのは、「真実の門」は当初はアーチだったわけではなく、大寺院一帯と外界を行き来する門だったのですね。門は4つあったと言われますが、高い石塀の囲いをやがて市内を囲む大がかりな城壁が取って代わり、残ったのが「真実の門」だけになりました。 これについては、追っつけ探検して案内したいと思いますが、後に水道橋としても使われました。

この門についてもうひとつ面白いことを。
Arco das Verdades、つまり「真実の門」は最初、「Porta das Mentiras」、「嘘の門」と呼ばれていたとはこれいかに!嘘つきや泥棒がこの門をしょっちゅう出入りでもしていたのでしょうか。

こんな恥知らずな名前で呼ばれては住民が困る、とでも言うかのように、やがてこの門はいつ頃からか、「Porta de Nossa Senhora das Verdades(聖母マリアはいくつも呼び名を持っており、これもそのひとつ)」と呼ばれるようになり、今に至っています。

トップにあげてある大寺院を背後にしたこの石段も「Esdacas da Verdades(真実の石段)」と名を残しています。

最後におまけ。ポルトガルの古い通りでは必ず見かけるネコ。この黒猫はわたしにまつわり付いてしばらく離れませんでした。
ポルト

もうひとつの目的については、後日に。

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2017年7月12日 

ポルトガルの晩御飯は遅い。子どもたちを一応の一人前にするまでの10年ほど前までは、夫は本当によく働いていて、帰宅が9時10時は当たり前のことだった。毎日サンジュアン病院と私立病院を掛け持ちだったのだ。

わたしは土曜日の補習校のみで仕事にしており、当時はほとんど専業主婦。じゃぁ、Spaさん、たくさん貯まったでしょう?と思われるかもしれないが、とんでもない。

British School、日本からの通信教育、土曜日の補習校の授業料、それに個人教授や習い事の謝礼と、実は二人の子どもの教育費で全てふっとんだのである。加えて、3年に一度の割で親子3人日本帰国もしていたので、どんなに働いても残るわけがないのである(笑)

振り返ると、豊かでもない所帯で、よくもまぁ二人の子どもを幼稚園から大学まで私立校教育を受けさせることができたものだと、今思ったりする。

そんな状態ゆえ、大黒柱には最低限の敬意は払うべしと、我が家では必ず夫の帰宅を待ち、家族4人が揃ってテーブルに着いたので、その後の後片付けなど時には12時近くに終わるのが珍しいことではなかった。

しかし、サンジュアン病院を定年退職した後、夫の帰宅は昔ほど遅くなくなり、今では8時半から9時の間が晩御飯開始となる。

晩御飯が早く出来上がり、食べ終わって時計が9時前を指していたりなどすると、「え?どうするの!こんなに早くご飯が終わってぇ・・・」と、なったりすることもままある。

さて、ここから本題なり。今週月曜日がそんな日だったのである。夏は日が長いポルトガル、9時前は日中のように明るい。大好きなFoxCrimeの番組も近頃はリピートが多く、2回3回は英語の勉強にもなっていいが、4回目ともなるといい加減見る気はしない。
う~ん、毎週火曜日の午後はDias先生のご自宅で勉強するのだが、夜勉強するのはあまり好きではないが、よし!今日はポルトガル語の予習をバッチリしてみようと、机に向かったのである。

一通り調べが終わり、今使用している本はあとどのくらい残っているんだろう、来年には念願の「Quinta da Regaleira」もしくは「Portugal Templário」の分厚い本に到達できるかな?

templario.jpg

それとなくページをパラパラめくって目に付いた題が「Arco das Verdades」。ぬぬ?ざっとその箇所に目を通して、知らんぞ、これは!どこどこ?まだ行ってないとこがあった!と興奮し、週末まで待てばいいものを、矢も盾もたまらず、火曜日の昨日の朝、ク○暑い中を行って参った。

明日に続きます。

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2017年6月2日 (金)

ポルト、ポルト近辺には、廃墟の如く長年放置されている古いが美しい館が数軒ある。下記はその例だ。

ガイアに小宮殿を探して
海岸通りFozの気になる館


もったいないなぁとわたしは常々思っているのだが、自分にできることはせいぜい今のうちにその姿を画像にするに留まるだけなのである。

そのうちの幾つかは修繕の手が入り現在では色々な機関による施設として利用されているものも多い。下記にあげるものがその例だ。
 
プレラーダの館
フレイシュ宮殿


さて、昨日は、毎週木曜日12時から日本語の勉強に来るGG´s(=ジージーズと読む。じぃちゃんたち生徒さんのことなりw)の一人、ジュゼさんが体調を崩したようで、「ゆこ先生(「ゆうこ」なんだがなぁw)、まだ治っていません。今日は休みます。」とケータイにメッセージが入った。

これまでだと、例え12時からのレッスンがキャンセルになっても3時半から来るH君という若者のレッスンが後に控えていたもので、結局一日中家にいるということになっていた。そのH君を3月始めに日本へ送り出したことで木曜日の午後は今のところ自由だ。

そこで、上述の館のひとつ、車で通る度、横目で見るしかなかった、一度は中に入ってみたいと思っていたボアヴィスタにある「Casa da visconsessa de Satiago Lobão館(いつもどこも名前が長いのである)」へ行って見ることにした。

casa_viscondessa

時節柄、ポルトガルは今ジャカランダ(Jacarandá)とブーゲンビリアが咲き乱れてるのだが、ボアヴィスタ大通りに面したこの館も例に漏れず正門は初夏の到来を告げている。

ネット情報では夕方まで一日中開いているとのことで早目の軽い昼食をとってきたのだが、だが、だが・・・開いとらんではないか!ランチタイムはよく閉館していることも多いのでと、鉄柵越しに覗いて見ると、国旗掲揚ポールに国旗はなし、窓のブラインダーも閉まったままで、人の気配が全く感じられない。とてもランチタイムの一時閉館とは思われない。

casa_viscondessa
写真上方に美しいClaraboia(天窓)がかすかにうかがえる。

しまったなぁ。ネット情報の日付を確認すべきであった。悔しいったらありゃしない。館は丁度大通りと横の小道に面しているので、ちょいと横道へ回ってみた。

casa_viscondessa

鉄柵の間にスマホを滑らし、庭園内に落とすなよぉと注意しながら撮影した庭園は、う~む、これは見ごたえがありそうだ。アールヌーボーの館もさることながら、庭園が興味深そうだ。

casa_viscondessa

聞けば、サンチアゴ・ロバォン子爵はブラジルで成功しポルトに帰還、この庭園、館を造ったとのこと。恐らく庭園には池、洞窟があるだろうと推測している。このことは、シントラにあるレガレイラ館主、モンテイロ億万長者を始め、ブラジルで財を成した多くの帰還者が建てた館について言える同一点だ。

子爵夫妻には子がなく、コンデッサ死亡後、この館と庭園は社会奉仕団に寄付され、一時期、身体障害者のリハビリセンターとなっていたようである。ネットに上がっている写真の多くは2015年に撮影されていることから、その頃に一般公開もされていたのであろう。

何ゆえ現在閉鎖されているのか知る由もないが、うっかりしていて訪問できなかったのは返す返すも残念だ。何かいい手立てはないかと、目下思案中である。

さて、外から見ではつまらない。そこで、足をそのまま近くのCampo Alegreにある植物園へ行って見ようと予定を変更した。

というので、次回はその植物園の紹介と相成る。

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2017年5月29日(月)

探し物をしながらポルトの街を歩くと首が疲れることがあります。

それは、時に「(Claraboiaクララボイア=天窓)」であったり建物の装飾シンボルであったりするのですが、今回探したのは失われつつある市内の「石の紋章」です。

ポルトガル語では「Brasão=ブラザォン」と呼び、ポルト市内に残るかつての名家の正門によく掲げられた石で作られた家紋が今日の話題です。ポルトで知られる紋章を持つ有名な建物をあげると、プレラーダ園(Quinta da Plerada)、フレイシュ宮殿(Palacio de Freixo)、ボンジョイア邸(Casa da Bomjoia)など等ですが、それらの中には保存状態があまりよくないものもあるもので気になっているのです。

いずれ、それらの建物については改めて案内するとして、今日は街角にかろうじて残されてある紋章についてです。
毎週火曜日は、Dias先生のご自宅へポルトの街の歴史の本を読みに出かけます。これがわたしのポルトガル語とポルトの歴史の勉強になります。Dias先生は長年、高校の国語の先生をした人で、我が子たちのポルトガル語も見ていただきました。

読んでいる本には、先生の知らなかったこともあったりして、地元のことゆえ、先生も何かの機会で街へ出たときに、本の記述を確認しているようです。それで、先ごろの話題が、ポルトに二つだけ残っていると、わたしが聞いている「建物の角っこにある紋章」の一つを、先生とわたしとでそれぞれ探しにいったのでした。

先生が先だったようで、ある日おっしゃるには、「本に書かれた通りに行って見たがない」どのこと。
う~む、しからば、わたしもと、とある日、昼食を兼ねて夫も一緒に行ったのでした。

本の記述にあったCarlos Alberto広場へ行ったところが、なるほど、建物の側面に紋章はない。本には通りの名前はあれど番地までは書かれていなかったのであります。

praça_carlosAlberto2

ふむ、いよいよ、これも取り払われたかと思いながらも、そこが探究心の強いspacesis、ひょっとしてと、のんびりあちこちを見回している夫を後に、探索範囲を広げて足早に広場の延長先にあるカルモ教会の方まで行って見ました。

porto
アズレージュで被われたカルモ教会
 
そして、通りの終わりになる建物に目を向けると、じゃ~~ん、あった!

porto

porto
18世紀の貴族Moreiras do Couto家の紋章。

鉄兜の上には耳が小さい動物が、家紋の左に9つある十字型の模様が入った盾を持っています。左側には塔、そして両脇にはひまわりが施されています。できればこの紋章の絵解きもしたいところですが、一族の歴史を紐解かない限り、解説は難しいでしょう。

翌週の授業で、釣果を誇るが如くDias先生に画像ともども報告したのは言うまでもありません^^

さて、もう一つの角っこの紋章はRua das Floresが終わる、或いは始まる広場、Largo de são Domingosにあります。

porto
Cunhas Pimenteis一族の紋章。

1910年10月、イギリスへ亡命したドン・マヌエル2世国王を最後に、ポルトガルは共和制に移行し貴族は無くなり、彼らの多くは住居を捨てさ去りました。

中心街でも少し視線の方向を変えてみると、17、8世紀の王制の残りが現代の建物の中で密かに息づいているのが見られる、それもポルトの魅力であります。

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