FC2ブログ
2020年1月20日 

公園を館に向かって歩いていくと以前は水だけ張っていた噴水が今回はちゃんと作動していました。
saoroc1_1.jpg

途中の道脇で見つけたこれは、なんでしょうか。以前から気になっているのですが、分からずじまいです。
saoroc9_1.jpg

もうひとつ。
saoroc10_1.jpg


さて、公園の別入り口があるRua da Lameira(ラメイラ通り)に面した、現在モダンアートセンターとして開館された館。

saoroc7_1.jpg

saoro8_1.jpg
かつて薄汚れていた屋敷はきれいに塗装され、生き返ったようです。

屋敷の一部、Jardim de Inverno(日本語訳はサンルームかな?)もきれいに修繕されていました。
saoroc5_1.jpg

外から中を覗いてみると、こんな感じ。
saoroc6_1.jpg

館内に入りたかったのですが、開館は1時半からで、残念ながら午後の仕事が控えていたゆえ、次の機会に持ち越しです。

館の後ろには興味深い人口洞窟があります。 ポルトガル語ではGrutaと言いますが、シントラのレガレイラの森を始め、この手の洞窟は古い館や庭園に、ライオンの噴水と併せてよく見られ、必ず小さな池の側に造られています。ここの洞窟もその例に漏れず。

saoroc3_1.jpg

こちらは以前撮った画像です。
gruta.jpg

洞窟は秘儀思想、アルケミスト、新プラトン主義のシンボルであろうとわたしは解釈しています。わたしたちの住む世界がこの洞窟であり、英知という光を求めてその闇を抜け、光ある外界へ出ることで囚われていた己の魂を開放する、となるのでしょうか。「英知」なるものがいったいなんであるのかよく理解していない凡人のわたしではあります。


以前訪れた時のことですが、周辺を一通りぐるりと回り、さて、帰ろうかともう一度この洞窟に入ろうと近づいた時です。洞窟の中の岩の一部が光っているのに気が付きました。光った部分はやがて段々と範囲を広げていき、とても不思議な現象でした。

空に目をやると丁度太陽の木漏れ日を池の水が受け、それが岩(恐らく花崗岩)に反射してでしょう、もわ~っとあたかも岩が光を放ち始めたような状況に、思わず鳥肌がたったのでした。

素人腕ではありますが、スマホの録画撮りをしてきました
[広告] VPS


この状態を目にして、なんだかエラく得をしたような気がし、あおの日は午後もずっと清清しい気分でした。この時間帯にこの状況が起こることは全て計算づくめで池も洞窟も造られたのは間違いないでしょう。

豊かな物質文明に身を置くわたしたち現代人の堕落面も否定することはできない。忘られつつある古の哲学者たちの思想に目を向けてみようかと思っています。

最後に、この公園には無数の住人がいる様子。歩いているうちに何匹もの猫ちゃんたちを見かけました。
saoroc16_1.jpg

saoroc12_1.jpg

春までもう少し、がんばってね。

ではみなさま、本日はこれにて。

ランキングを押していただけると嬉しいです。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年1月18日 

かなり前から気になっていた館が修繕されて、市はモダンアートセンターとして開館した、という話を耳にしたもので、冬ではありますが、館が属するサン・ロック園の散歩も兼ねて行って来ました。

サン・ロック公園については、幾度か拙ブログで取り上げていますが、再掲載で紹介してみます。

Saorock

4ヘクタールの広さを持つサン・ロック公園はポルト東部Antasのドラゴンサッカー場近くにあり、かつてQuinta da Lameiraと呼ばれていた。

ポルトワイン業者のCalem一族が代々所有していたのをポルト市が買い取り公園にして一般市民に開放している。ゆっくり散歩すると小1時間くらいかかろう。

入り口はTravessa das AntasとRua da Lameiraの両方にある。

Travessa das Antasの入り口を入ってすぐ左にある礼拝堂。
jardimsaoroc14-1.jpg

キンタ(Quinta=別荘、果樹園等の意味に使われる)の多くは私邸とカペラこと礼拝堂を備えているところが多い。

ponte2-1.jpg

園内の橋
ponte3.jpg

屋根がまだ取り付けられていない休憩所↓
ponte4.jpg

いくつかの石門がそのままになっていて興味深い。
hashira2.jpg

園内のあちらこちらに置かれたかつての庭園の一部をなした石柱。
hashira3.jpg

さて、これが迷宮こと草木を使ったラビリンス。ポルトガル語でラビリント、あるいはLabirinto Verde(Verde=緑、草木)と呼ぶ。
rabilinto1.jpg

迷宮は迷路と違い、一本道であること、通路は交差しないこと、中心の側を繰り返し通ることなどの点が挙げられる。これもごらんの通り、背丈ほどの高さがある垣根の中を中心を遠回りに回り回って中央の石柱にたどり着く。

ラビリンスの代表的なものはギリシャ神話に基づくミノタウロスが閉じ込められたとの伝説があるクノッソス宮殿だが、イギリス、フランスではゴチック建築の大聖堂の中によく見られる。

中でも名を知られるのがフランスはアミアンにある大聖堂と、同じくフランスのシャルトル大聖堂のラビリンスだ。

下はアミアン大聖堂内。祭壇に続くいくつものラビリンス。
Saorock

ラビリンスの部分。
Saorock

こちらはシャルトル大聖堂のラビリンス。
Saorock

シャルトル大聖堂もアミアン大聖堂も、スペインのサンチアゴ大聖堂への巡礼地線上にあり、いずれも内外に施された建築模様は不思議なシンボルに満ちている。

ラビリンスは、神々の象徴、天体の運行を表したものとも考えられるが、神秘主義者にとっては神聖なシンボルである。

昔から巡礼者はヨーロッパ各地からサンチアゴを目指して旅してきたのだが、一説によると秘儀参入者(グノーシス主義者とも言えるか)は一般の巡礼コースとは逆に、サンチアゴを出発点とし、シャルトル、アミアン、パリのノートルダム大聖堂を経て海を渡り、最終地はダヴィンチコードで一躍有名になったスコットランドのロスリン礼拝堂に辿り着くのだと言う。この道を彼らは「星の道、または、覚醒の道」と呼ぶのだそうだ。

さて、これはspacesisの道楽の謎追いになるのですが、この星の道を歩む巡礼者だが、わたしは長い間、シントラとこの過去の巡礼者たちとは何か関連があると推測してきた。

「サンチアゴへ入る前には巡礼者はポルトガルのシントラで一定期間を過ごし心の準備をする」との一文をある本で見つけた時はゾクッときたのであった。

シントラに滞在したバイロン卿、ウイリアム・ベックフォードもその巡礼者だったのではないかと推測している。果たして彼らがその奥義に覚醒したかどうかは知る由もないが。

終着地がサンチアゴであれ、ロスリンであれ、考えようによっては下図にしめされる数多くの巡礼路そのものがラビリンスとも言えよう。
caminhosaotiago.png

ラビリンスの真ん中は奥義の真髄であり、そこへ辿りつくまでの迷宮は自己啓発の道であり、最終目的地は人間の気高い精神とは考えられないだろうか。

とまぁ、迷宮ラビリンスから、このような話に及びました。
最後にポルトガルのもうひとつの有名なラビリンス絵が見られるところの紹介。コインブラ近くにあるローマ時代の遺跡、コニンブリガ(Conimbriga)の床に残された、中央にミノタウロスがあると言われるモザイクのラビリントです。
Saorock

わたしが思うに、ラビリンスのもつ性格からしてこれはギリシャ神話に出てくる迷宮に閉じ込められた怪牛ミノタウロスではなくて何か別の意味の可能性もあると思えてるのですが。

次回に続きます。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年7月24日 

先週土曜日は昼食が遅かったので、晩御飯はサンドイッチとメロン、生ハムでよかろう、すわ!と出かけたミラマールのセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂(Capela de Senhor da Pedra)、夫は定番どおり、少し道を間違いましたが、なんとか日没前に間に合いました。

残念ながらこの日は少し霞がかかっており、素晴らしい日没とまではいきませんでしたが、夕日を受けて美しい礼拝堂でした。

2019_2_1.jpg

海に日が沈むのはあっという間です。霞がかかっていた空は日が沈むとねずみ色の雲に被われました。

2019_10_1.jpg


小さな海辺の礼拝堂の十字架に青い灯がともりました。

2019_12_1.jpg

初めて訪れた10年ほど前には砂浜も漠とし、あまり人もみかけなかったのが、今は礼拝堂に続く歩道手前にはレストランが数軒並んでいます。

今は十字架がかかげられ堂内にもキリスト像がある礼拝堂ですが、昔は異教徒たちの礼拝堂であったといわれています。

午後9時半頃、夕闇の迫る自動車道路を家路へまっしぐら。

2019_4_1.jpg

ではみなさま、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年6月20日 

18世紀にイタリアのトスカーナ地方からやって来、ポルトでその生涯を終えた建築家ニコラウ・ナゾニは、多くのバロック様式建築をポルトに残しました。

中でも傑作とされるのがドウロ河岸の「フレイシュ宮殿(Palacio do Freixo)」です。長い間、放置され老朽化した宮殿がポルトガル細大のホテルチェーン、ぺスターナグループによって修繕され、贅沢な宿泊施設としてオープンしたのは2009年のことです。

フレイシュ外5

現在は、レセプション、ラウンジ、レストラン、それに隣接するピンク色の製粉工場だったのを87室の豪華客室にリニューアルして、最高級歴史ポザーダになっています。
「ポザーダ(Poousada)」は、ポルトガル人であれば誰もが一度は泊まってみたいと願う古城や宮殿を改築した高級泊施設のことです。

freixo3-1.jpg

赤、青、金の寓意的な色彩を持つ幻想的なエントランスは、訪問者を18世紀の小宮殿に導いてくれます。そこをくぐると、かつては晩餐会が開かれたという豪華なロビー「鏡の間」に入ります。

freixo-sala1-1.jpg
ここでの晩餐会に参加したことがあります。


画家でもあったナゾニの緻密で色彩溢れる天井画や壁画が宮殿内のあちこちにみられ、ポザーダそのものが美術館であると言えます。

別館客室のほか、フィットネスクラブ、スパがあり、ドウロ川に融合するように設計された野外プールがあるのも特徴です。フレイス宮殿ポザーダでは、モダニズムと歴史遺跡を同時に楽しむことができます。

宿泊せずとも、ちょっと高いですが、ラウンジでお茶をすることもできます。
フレイシュ内4

今日の記事は過去記事の書き換えです。

フレイシュ宮殿関連記事は下記にもあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-881.html フレイシュ宮殿再び3
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-876.htmlフレイシュ宮殿再び
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年6月13日 

senhordapedra1-1.jpg
 
ポルトと隣接するガイア市から車でちょっと走ることになるミラマールの海岸の海に突き出た岩の上に建つセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂(Capela do Senhor da Pedra=があります。

Pedraは「岩」を意味し、Senhorは、英語のLord(神)またはイエス・キリストを指します。17世紀に建てられたのですが、この岩場には古くから伝説があります。

紀元前までは自然主義の古代信仰の神聖な場として崇められてきたと言われます。また、ポルトの歴史に詳しいHelder Pacheco氏の著書によると、この辺りにグルピリャーレ(Gulpilhares)この近辺の名称)の人々が住み始めた時、空から海岸に向けて小さな光が当てられてきた。その光は毎夜ひとつの場所、牛の足跡がついている岩を煌々と照らし続けた。人々はそれを天からのサインと考え、その光の当てられた場所に礼拝堂を建てた、とのこと。

このような伝説があることから、今でもセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂は巡礼者の訪れる地となっています。一説には「毎年5月に魔女たちが集う場」との噂もあります。

ミラマールは6月も半ばを過ぎると、海水浴客がたくさんやってくるところですが。礼拝堂の裏側に回るとすぐ目の前に波が押し寄せ、岩場を洗って行きます。  

sr-pedra2019_1.jpg

そこで、今日はちょっとダヴィンチ・コードまがいになります。

sr-pedra-14-azulejo[1]

礼拝堂正面の扉の両脇にはアズレージュ(青タイル絵)で、「礼拝堂が建っている場所はこの郷土では最古の聖地で、キリスト教時代以前は異教の祭壇があった。」とあります。

木の扉に薄っすらと左右に彫られてある模様に目がいきました。
sr_pedra2019_2.jpg

真ん中のハートを中心に、縦長のクロス、ハンマー、雲?、コンパスをもじったもの、周りはアカシアの葉かな?これらはいずれも神秘思想、フリーメーソンなどのシンボルでもあります。

sr-pedra-4[1]

↑こちらは、トップに太陽、縦長クロス、ハンマー(フリーメーソンのシンボル)、そして中央、太陽の下にあるのは、わたしには「杯」のように見えるのだが・・・サングラール(聖杯)を意味するかな? 

ついでに借り物画像、メーソンシンボルの一部。
sr_pedra2019_3.jpg

さて、小さな礼拝堂内では、お!「全てを見通す叡智の目」こと、All Seeing Eyeはすぐ目につきました。祭壇のトップに。

sr-pedra2019_4.jpg

目の拡大図。どうだ!(笑)
sr_pedra2019_5.png

三角ピラミッドの中のAll-Seeing-Eyeeです。

夕映えの海と空を背景にするこの礼拝堂は不思議な美しさをかもし出すようで写真を撮る人も多いらしく、この祭壇の写真もネット内で見かけるのが、十字架のイエスが中心の写真で、上部が入っておらず、だれもこの「目」に言及していない。かつてのわたし同様、「見えても見ない」のか、それともそんな探究心は持ちあわせていないのか。

わたしなら、「果たしてあれは何の意味?」と、すぐさま飛びつくのですが(笑)
例えば、下の大理石テーブルのように^^

sr_pedra2019-6.png

祭壇の前の美しい大理石台ですが、ついてる脚の位置があれれ?普通と変わっています。
それで気がついたのは、見る方向によって脚が三本に見える!三本の柱、三本脚は神秘思想のシンボルです。
    
(参照)下はわたしが過去に何度か訪れたトマールの「聖堂騎士団(=テンプル騎士団)修道院聖堂内の騎士団入団の洗礼時に使用されたと思われる聖堂中央に配置された三脚に見える台。

トマールキリスト騎士団修道院

テンプル・キリスト騎士団聖堂は、この数年かなり修復が進んできましたが、どういう訳か、聖堂の中心に置かれていた三脚のテーブルが取り払われたままになっています。修繕中だからと、長い間、思ってきたのですが、聖堂中心の修繕はほぼ終わったはずです。いずれ、この石の三脚台が再び置かれるのを楽しみにしているのですが。

と言うので、「セニョール・ダ・ペドラ礼拝堂もまた、キリスト教の建物に異教のメッセージが隠された建物である」が、わたしの結論ではあります。  

フリーメーソンと聞けば、秘密結社という名称と、これまで出版された多くの興味本位中心の創作本から一般的に受ける印象は「陰謀を画するグループ」と、どうもなりがちですが、これまで調べてきたことから、わたしにはまったく違ったフリーメーソンの姿が浮かびあがってきます。いずれ、それを綴ってみたいと思っています。

この方面では、焦点が当たらないポルトガルですが、目を凝らすと意外や、驚くほどの隠されたシンボルが見られます。これらと照らし合わせて、今後膨大な資料を整理しながら、時間をかけてわたしは道楽して行くことになるのですが(笑)

現代のフリーメーソンから、カトリック、聖堂騎士団弾圧、初期キリスト教、さらにはギリシャ、古代エジプトのグノーシス(霊知)主義へと人類の歴史を遡って行くことになり、これらの不思議なシンボルの謎解きは、壮大な歴史ロマンを辿ることになる気がします。

トマール、テンプル・キリスト騎士団修道院に興味がある方はカテゴリ・トマールの下記までどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/category34-1.html

では、みなさま、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ