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2018年6月18日 

午後の日本語レッスンが突然キャンセルになり、夫も午後の仕事を終えて家にいる日が時々ある。キャンセルの連絡が早めに入った時は、思い切って我らもツーリスト宜しく二人してポルトの街を歩いてみたりしているこの頃だ。

そうして先週出かけた一つがサン・ドミンゴス広場につながるベルモンテ通りだ。

ruavitoria

↑1804年以来営業しているベルモンテ通りの薬屋さん。薬屋とは思えない美しいファシャーダ(門)。隣接する昔ながらの文房具屋がホテルになってしまったのだが、この薬局店がそうならないことを祈るばかりだ。店内はどんな感じだろうかと期待して、買うべき薬があったので入ってみたら、ごく普通のカウンター式だった。 

その横、建物と建物の間に狭い石段がある。左側の建物は長い間、廃墟のまま放置されてきたのだが、数年前に改築された。

ruavitoria

この石段の逆コース、つまり別場所から石段にたどり着く道を歩いたことがあるので、それを紹介。以下。


ずっと気に入っていた場所で、実を言えば長い間ブログには登場させないで秘匿としていたのだが、ポルトの街の中でもわたしの気に入りで取って置きの場所がある。

市内を探検しているうちに偶然見つけたMiradouro(ミラドウロ=パノラミックな景色が見られる場所のこと)だが、私有地なので最初は恐る恐る足を入れてこの素晴らしい展望に感嘆していた。そのうちに、「自由に入ってください」という小さな立て札を目にして以来、遠慮なく入らせてもらっている。

Vitoria教会(ヴィトーリア教会)のすぐ横にある広場である。

Ruavitoria1

↑そこに立つと下方に密集する赤レンガの屋根屋根が、そして右手にはドウロ川が大西洋に流れ込む河口も展望でき、↓左手には大寺院、ドン・ルイス一世橋、ドウロ川対岸のかつてのセラ・ド・ピラール修道院などが眺められ、ドウロ川周辺を一望できるのだ。
Ruavitoria1

Vitoria区域のその場所から見下ろすと石段がある。

vitoria_escadas.jpg
↑こんな風な駐車はないよなぁと、ポルトガル人の肝に苦笑しながらVitoria石段を降りた。

Ruavitoria1

降り切った通りが16世紀終わりごろからある小さなVitoria通り。途中でこんな石段を見つけ、いったいどこへ出るのかとフォローしてみることにした。

Ruavitoria1

ぬぬぬ・・・・こ、工事中じゃん!ちょっと危ないかも~、と思いはすれ、前方を行く人の姿を認め勇気を振り絞って続いてみる。
Ruavitoria1

vitoria7.jpg

そうして出たところが、なんと、Rua Belmonte(ベルモンテ通り)とサン・ドミンゴス広場が交差する辺りであった!

Rua de Vitoria

写真は以前撮影した廃墟だった建物に手が入れられたところ。下が廃墟時代。そして、もう一度、現在の石段と原型をしっかり留めて蘇った建物。

ruavitoria


古い建物こそポルトの旧市街に似合う。


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2018年5月21日 

何年も前から気になっていた「モンシーク修道院=Convent de Madre Deus de Monchique)」を探しに行ったのは、かれこれ10年ほども前になります。

こういう探し物探検は一人で行くのが好きなのですが、休日に夫をほったらかしては、ちょっとまずいので、話を振ってみると一緒に来ると言う。
「いや、ぼくはいいよ」をちょっと期待しなかったわけでもないのだが、仕方ない、連れていくかと相成ったのである。

このモンシーク修道院ですが、実はあまり人に知られていない。検索してもこのあたりにある、とは書いてあるのですが、はっきりした所在地が当時はネットでも見つかりませんでした。

そこで週に一度、わたしがレッスンを受けに行っている、ポルトガル語の先生、かつてはポルトの私立学校ロザリオの先生で我が子達のポルトガル語も見てくださったのですが、モンシーク修道院がどこにあるか、たずねてみました。

と言うのは、10年ほど前に定年退職し、インターネットなどもしっかり勉強して、悠々自適の生活、話題が豊富な方で、わたしは大好きなのですが、その昔、神学を学んでおられたのです。

神の愛をとるか、愛の神をとるか、とタイスのごとく悩んだ末、愛の神を選んで結婚、教職に長年就かれたお方です。(註:タイス=オペラ「タイス」の主人公。ただし、タイスは女性。「タイスの瞑想曲」は追記で聴けます)

そこでモンシーク修道院がどこにあるかご存知なのではとたずねたところ、
「それはアルガルブ(ポルトガル南部)にあります」
と夫と同じことをおっしゃる。
「先生、ポルトにもあるとどこかで読んだ記憶があるのです」
「ふ~~む。聞いたことがないぞ」

モンシーク修道院の話はそこで終わってしまったのですが、翌週レッスンに出かけると、
「オ・ドナ・ユーコ!これは参ったな。ポルトにもあるとは!」
「正確な住所はわからないが、ドウロ川沿いの方だね。」

先生もわたしとの話の後、ネットで検索したのだそうな^^うほほほほ。モンシーク修道院に関しては、先生よりわたしの方が、先であったのよ^^

さて、ドウロ川に面した並びは小高い地所になる。車をゆっくり走らせながら、あれかもこれかもと、修道院らしき古い建物を見つけては、車を止め、急な坂道を2、3度上り下りしては、どれも見当違い。

細い坂道を見ると、ついどれどれ?と足を向けたくなるわたしとちがい、普段平坦な道しか歩かない夫には細くて急な坂道など縁がない。毎週土曜日午後にはジムに行く彼、「もう今日はこれで運動十分だ。行かなくてもいいや」(笑)

さて、トップ写真にあるBanderinhasのあたりを歩いたとき、ふと横の坂道(この頃にはもう上るのにくたびれかけていた)の突き当たりのトップに像が乗っている古い建物が目に入った。
「ん?あれはなんだ?」と、どんどん上に上るわたし↓

モンシーク3

ふ~む。廃墟で、表の鉄柵戸には錠がおろしてある。

モンシーク1

鉄柵戸越しに少しカメラを上方にずらしてみると、あっ!
モンシーク2

ここだ!ここに間違いない!上にはサンタマリアの像があるではないか。
 
モンシーク修道院の正式名は「Convento de Madre Deus de Monchique」.
Madre Deus とは、聖母のことです。それにしてもこの荒れ放題振りはあまりに気の毒ではないか。

わたしたちが見つけたのは、恐らく修道院の裏側ではないかと推察している。と言うのは、正門になるファシャーダ(fachada)もその跡もないからだ。そのモンシーク修道院のそのファシャーダが、現在どこにあるか、わたしは偶然のことから知っているのであります。

モンシーク・ファシャーダ

画像が多少ぼやけて見えるのは、ガラス戸越しに撮影したからなのです。これがモンシーク修道院にあったファシャーダですが、現在、ポルトのSoaresdos Reis国立美術館の庭に置かれていました。

★このファシャーダは2018年現在、美術館に隣接する競技場に移動されている↓
portal-1.jpg

2010年11月にポルトで開催されたJapan Weekのコーディネーターの仕事を依頼された時、国立美術館との会合で、Japan Weekの展示会場のひとつとなるギャラリーを見せてもらったのですが、ふと目に入った庭のマヌエル様式の美しいファシャーダ。
「あれ?すみません。あのファシャーダは・・・?」と問うと、「モンシークのファシャーダだ」と教えてもらいました。庭には、もうひとつ、一連のモンシークの遺跡と思われる細工のある壁がデンと置かれていたのですが、まさか仕事をほったらかしてそっちの撮影に走るわけには行かず、かろうじてこれだけ撮ることができました。

さて、ここからやっと表題の「ポルトガル文学・破滅の愛」であります。原題は「Amor do Perdição」.。19世紀の文学者カミーロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco)の作品のひとつで何度か映画化されている、ゆうなればポルトガル版の「ロミオとジュリエット」です。

このモンシーク修道院を探そうと思い立ち、検索している途中で、この物語の舞台だったことを知ったわけで、私自身は本そのものをまだ読んでいませんが(まだポルトガル語で文学を読めるほどの語学力と時間がない)ざっと以下のような内容とのこと。

家族から乱暴者と疎まれるシモンは父親のライバルの娘、テレザと恋に落ちます。ある日、シモンはテレザを連れ去ろうとする彼女の許婚の従兄弟を誤って死に至らしめてしまいます。二人は引き裂かれ、テレザはこのモンシーク修道院に幽閉、シモンはポルト港から船で去ることを余儀なくされます。シモンの乗る船をモンシーク修道院の窓から見送り、傷心のあまり息を引き取るテレザ。その幻影を見てシモンもやがて重い病にかかり船中で亡くなります。

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↑モンシーク修道院の建つ場所からはドウロ川がよく眺められ、この本の舞台に選ばれたのはなるほどとうなずけます。

荒れ放題のモンシーク修道院は、財政的にも苦しかった市当局です。長年放置されてきてついにポザーダとして復活したニコラウ・ナゾニの「フレイシュ宮殿」とは違い、もう修復不可能だと思われ、恐らくファシャーダなど一部の遺跡は、国立美術館に移されたのでしょう。

わたしがこの修道院を見つけた当時は資料が見つからず、上記に書いたことがせいいっぱいだったのですが、少し見つけましたので、加えておきます。

モンシーク修道院は1533年に、祈願のために富裕のPedro da Cunha Coutinhoとその妻によってミラガイア地区に建てら、ポルトでも重要な修道院のひとつでした。17世紀には70人もの尼僧と富裕層の子女、それに伴った召使が住んでいました。

が、19世紀初期のリベラリスト、ドン・ペドロ4世と絶対王政主義者ドン・ミゲルとの間に起こったポルトガル内戦でドン・ペドロが勝利し、国内から宗教団体は追放され、モンシーク修道院も閉鎖、放置されてきました。

もし、カミーロ・ブランコが「破滅の愛」を書かなかったら、恐らく多くの人はモンシーク修道院の存在を知らなかったかもしれませんね。

現在、売られた修道院の一部はホテル建築に当てられ工事中とのこと。 これもポルトがにわかに観光客の人気スポットになったからだと言えましょう。

近々その現場に足を運んでみたいと思っています。

「タイスの瞑想曲」。近頃好きな2CELLOSの一人、チェロ奏者Hauserの演奏です。


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2018年2月7日 

このところ冷え込んでいるポルト、ここ数日は朝からヒーターをつけています。でも、澄んだ空気は美しい夕暮れを映し出してくれます。

feb2-1.jpg

先週の日曜日は、2、3年ほど日本語教室として居間を借りてお世話になったOちゃん一家を昼食に招き、一段落。ようやく日本語を教えるので家を出たり入ったりのいつもの生活にもどり、こうして夕暮れ時は、デジカメを向けられるようになりました。

ポルトの街は相変わらず、ツーリストが多く、かつては日曜日と言えばダウンタウンの食事処は、ほとんど閉まっていたのが、近頃は出かけるたびにあちこちに新しい店が出来ていて、驚くべき発展状態です。これがいつまで続くのかと、ふと不安になったりもするのですが、栄えている時に水を差すのは野暮というもの。

そんな訳ですから、ダウンタウンにはこれまで窓が閉められていつ移動させられるかと気になっていたあちこちのキオスクが新装し蘇っています。

下はツーリスト案内や観光スポットの入場券が買える「花通り」ことRua das Floresにある多分、街で一番に賑やかなキオスク。

ポルト

こちらは「カルロス・アルベルト広場(Praça Carlos Alberto)」の真っ赤なキオスク。パッと人目を惹きます。
ポルト

そして、今日案内したいのがLargo de Mompilherにある六角形のキオスクです。このキオスクですが、実は昔から「Quiosque Japonês(キオスク・ジャポネーズ)」とよばれ古い歴史があるのです。

ポルト
画像は古い写真から。

この広場につながる通りには、息子の友人である画家ジャスパー君のアトリエがあり、わたしとOちゃんの最初の日本語塾として、土曜日の午前中と午後を借りていたので、しょっちゅう目にしていたキオスクです。

それが人呼んで「キオスク・ジャポネーズ」であるとは、つい最近知りました。で、なにゆえ「ジャポネーズ(日本の・日本人の)」と呼ばれるのかと調べてみました。

1930年に建てられた個人の所有物で、その古さと鮮明な赤色とで、長い間、ポルトのイコン的な存在だったとのこと。赤と白は日本のインスピレーションなのだそうです。つまり日本の国旗から来るのです。

このキオスクをしばらく見かけなかったのですが、2013年に小火(ぼや)で焼け、そのままにしていたもので色々なパーツが無くなり、2016年にポルト市が取り払ったのこと。

そして、2年たった今、2月の終わり頃に修繕されてお目見えすることになっています。これまでは新聞雑誌等を売っていたキオスクですが、市の文化遺産に指定され飲み物やスナックを中心に販売するとのこと。

観光客の増加により市の財政も豊かになると、これまで古びたまま修繕もなく放置されてきた大小の建築物が蘇っていくのは、街の美化につながり嬉しいものです。古さと新しさが混同して、ポルトの街が今後どのように変身して行くのか、楽しみでもあります。

では、本日はこれにて。
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2017年7月23日 

Quinta de Virtudes ,Jardim das Virtudes 、もしくは Parque das Virtudes とも呼びます。
VirtudesはVirtudeの複数形で、「徳」と言う意味です。

随分昔、この公園を探しに出かけたことがありますが、当時は入園できませんでした。公園が目的ではなく、そこにあると言われる古い噴水(ポルトガル語ではchafariz=シャファリス)と銀杏の木を探しにいったのです。

噴水は公園の入り口にあったので見ることができましたが、銀杏の木は入園できず、季節もあって外からも見つけることはできませんでした。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

通りから撮った写真で分かるように、Virtudes公園は言ってみれば街の中で谷間を形成しているような公園です。園内の高低差がすごいのです。

この6月に入園可能と言う情報を得て、即、出かけてきました。後で、などとのんびり構えていると、行って見たところがもう閉鎖したということは残念なことはざらにあるポルトガルなのです。

少し暑い日でした。確かこの通りだったはずだと入り口を探していると、その時ばったり知り合いのご主人に遭遇しました。

「すぐ近くで仕事をしているんだけど、君、こんなところで何してるの?」
「いえね、公園に入れるという情報を得て来てみたんですが、入り口が分からなくてウロウロと。」

Chafarizがある下のCalçcadadas Virtudes通りを行けばよかったのですが、わたしは上の通りPasseio das Virtudesに続く Rua de Azevedo de Albuquerqueへと歩いていたのです。

彼も知らないという。ともかくもう少し歩いてみますと別れて、道の突き当たりにぶつかりました。「入り口」の表示もなし。門がくぐるとすぐ右に管理人小屋らしきものがありました。そこで、「おはようございます。公園をみたいのですが、ここから入れますか。」と聞くと、「おぉおぉ、もちろんだ。知ってるか?ここにはGinkgo(銀杏)があるんだぞ。」と、こちらが問う前におじさんの話が始まり(笑)

しばらく談笑して入園なり。入園料はなしです。

ポルトのヴィルトゥーデス公園
園内からはポルトのドウロ川沿いの景色が望める。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

園内を散策している間に気づいたことは、Rua de Azevedo de Albuquerqueから入ってよかったということです。
突き当たりの入り口から入ることで、高低差が激しい園を下ることになりました。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園
   
さもなくば、上ることになり、暑い日には堪えますぞ。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園

ポルトのヴィルトゥーデス公園
園内にもChafarizが。 

う~む、これは危ないなり、と思ったら、ちゃんと途中で石板が石段を遮っていました。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

遠方から眺めたVirtude公園。高低差が分かります。
ポルトのヴィルトゥーデス公園

さて、管理人のおじさん自慢のGinkgo、銀杏の木ですが、高さ35mで、知る人ぞ知る、銀杏の木が少ないポルトガルでは一番大きな木だそうです。

ポルトのヴィルトゥーデス公園

大阪に10年ほど住んだわたしにとって、銀杏の木には銀杏並木が黄色に染まった秋の御堂筋が思い出されるのです。大阪時代のオフィスも歌姫バイト先だったアサヒビアハウスも御堂筋沿いにあり、夫を2時間も待たせてしまった始めてのデート先も御堂筋でした。ついつい懐かしくてこの木を探してみたのでした。

ほとんど人も散策している人もおらず。秋が深まる頃に、銀杏の木を見にもう一度来てみたい公園です。

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2017年7月14日 

火曜日は二つの目的を持っての散策でした。

写真はサンベント駅から大寺院を撮ったものですが、その一つが写真左手に見えるSéこと大寺院の左横の小さい通り(Rua Dom Hugo)を入ったあたりにあるとのこと。

この通り右手には、2010年のJapan Weekのコーディネーターをした折に打ち合わせで訪れたGuerra Junqueiro博物館があります。そこを通り過ぎると左に狭い石段の道があり、背後に見えるのは大寺院の一部。

ポルト

石段の途中にある古い共同水道。

ポルト

そしてArco das Verdadesが目の前にありました。
ポルト

写真から分かるように家が門にしっかりくっついており、こういうのは許可がでてるのかなぁ、と思ったり。

一つ思ったことは、ここに住む人達、一歩家を出るとすぐ石段ですから、買い物にしろ仕事に行くにしろ、随分と運動になるなぁ、です。

小っちゃいじゃん?はい、小さい(笑) ↓下は門を通り抜け別の通りの石段から撮りました。
ポルト

近辺は別にして、地元の人間は知らない「真実の門」ですが、んまぁ、朝から訪れて来るツーリストが結構います。
ポルト

ポルト
Arco(アーチ型の門のこと)を見上げると、こんな具合ですから、ちょっと危ないなぁ、の感。何しろ14世紀に造られたのです。これまで数箇所が修繕されて来たでしょうが、そのうち工事が入って通行止めになる可能性もあります。思い立ったが吉日、来てよかった!


「真実の門」の歴史を紐解くと、大寺院一帯を包囲する「Cerca Velha(古い石塀の囲い)」の4つの門の一つだそうで、先に述べたように14世紀のことです。

面白いのは、「真実の門」は当初はアーチだったわけではなく、大寺院一帯と外界を行き来する門だったのですね。門は4つあったと言われますが、高い石塀の囲いをやがて市内を囲む大がかりな城壁が取って代わり、残ったのが「真実の門」だけになりました。 これについては、追っつけ探検して案内したいと思いますが、後に水道橋としても使われました。

この門についてもうひとつ面白いことを。
Arco das Verdades、つまり「真実の門」は最初、「Porta das Mentiras」、「嘘の門」と呼ばれていたとはこれいかに!嘘つきや泥棒がこの門をしょっちゅう出入りでもしていたのでしょうか。

こんな恥知らずな名前で呼ばれては住民が困る、とでも言うかのように、やがてこの門はいつ頃からか、「Porta de Nossa Senhora das Verdades(聖母マリアはいくつも呼び名を持っており、これもそのひとつ)」と呼ばれるようになり、今に至っています。

トップにあげてある大寺院を背後にしたこの石段も「Esdacas da Verdades(真実の石段)」と名を残しています。

最後におまけ。ポルトガルの古い通りでは必ず見かけるネコ。この黒猫はわたしにまつわり付いてしばらく離れませんでした。
ポルト

もうひとつの目的については、後日に。

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