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2018年10月3日 

一昨日、10月1日月曜日は夕方の日本語をキャンセルして、長崎市からの招待で、長崎ポルト姉妹都市40周年記念行事の「広島長崎原爆展」のオープニングセレモニーへ出かけてきました。

ポルト市庁舎内で行われましたが、8年前のポルト・Japan Weekを思いだしました。あの頃はほぼ1年間の準備で市との打ち合わせで、Oちゃんとしょっちゅう市庁舎に出入りし、時には国際課の担当者と一緒に翻訳の確認で夜まで及んだこともありました。

japanweek1.jpg

我ながらよくやったものだと、今振り返って思います。相棒にOちゃんを引き込んだこと、まだ63歳で体力の無さをカバーする気力があったこと、市の国際課の担当者たちとの関係がうまく行ったことなどが、一週間に及ぶ日本文化紹介の大イベントをなんとか終わらせることができたと思っています。

あのイベントが無かったら、わたしはポルトガルにいながら、永遠にポルトガル語から逃げていたかも知れません。恥もかきましたが、したたかになることも時には必要なのだということも学んだ気がします。

ポルトガルに40年ほども住んでいるので、したたかでしょう、と思われがちですが、意外と気弱でアカンタレなところがあるのです。と言ったところで信じてもらえないかも知れないな(笑)

5時半から始まったオープニングセレモニーで、田上長崎市長のスピーチで始まりました↓
Quinta de Sao Roque

下はRui Moreiraポルト市長のスピーチです。

キンタ・デ・サンチアゴ

この後、在ポルトガル大使のご挨拶が終わって、階下の広島長崎原爆展会場へ流れます。

4_1.jpg

オープニングセレモニーでは普通ポルトワインと軽食が出されます。この間、会場で10年ぶりに田上長崎市長に声をかけていただきました。

6-1.jpg

2009年の姉妹都市締結30周年記念で、ポルトの街の案内をボランティアで手伝って以来ですが、あのときの夕食会では、旧ポルト市長、それに田上市長も飛び入りで、3人一緒に「無縁坂」を歌い、大いに盛り上がったのでした。下記記事にあります。
ポルトぶらぶら歩き 

「あの時は楽しい夕食会だった」と市長さんは語り、しばし、思い出話に花を咲かせました。次は5年後の45周年記念があります。そして、10年後は50周年記念です。その時は、是非またお会いしましょう、とおっしゃる市長に、「あの、あと5年は大丈夫でしょうが、10年後となると市長さん、わたしは81ですぞ!生きてるかしら!」(爆笑)

田上市長がおっしゃるには、「わたしもその頃はもう市長はしていません、が、一般市民としてきますよ」とのこと。
約1時間ほどで終わったセレモニー、お別れ際に、「それではまた10年後にお会いしましょう!」と約束したのでしたが、う~む、それまで頑張って生きないと!いやいや、ただ生きているだけではあきまへん。足腰しっかりした80歳で、再びお目にかかりたいものです。

わたしのポルト在住年数と、長崎ポルトの姉妹都市締結年数は1年だけ差し引いて、ほぼ同じ、50周年記念はわたしのポルト在住50年と重なるのです。もし、生きていれば、の話ですがね^^

nagasaki1-1.jpg

市庁舎正面入り口を出ると、アリアードス通りに日が暮れようとしていました。
原爆展は11月いっぱいですので、近場の方、是非、市庁舎を訪れてみてください。

本日はこれにて。

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2009年6月6日

九割がた、風邪から立ち直り状態の一昨日、自宅日本語教室の合間を
縫って、ポルト市国際課の招待を受け、クリスタル宮殿公園での「姉妹
都市ガーデン碑除幕式に夫と出席してきました。

ポルト市は、長崎市を始めイギリスのBristol、スペインのVigo、フランス
のBordeus、その他複数の都市と姉妹提携を結んでいます。

この「Jardim das cidades Geminadas」(姉妹都市ガーデン)プロジェ
クトは、ポルト市とはもっとも長い姉妹都市関係の長崎市より、原爆
二世の柿の苗木が寄贈され、クリスタル公園の一角の小さなグリーン
ゾーンに植樹された2007年から始まりました。

アズレージュjesper2
長崎市花アジサイを初め、各姉妹都市を代表する花や木の苗木が
このグリーンゾーンに植えられ、「姉妹都市ガーデン」とされました。

昨年初秋に長崎市長を初め市民団のみなさんがポルトを訪問した際に
少しお手伝いしたのをきっかけに、両市とはささいなつながりがりがあ
るのですが、特にポルト市国際課の係りの女性が、我が息子の友人で
あったという偶然な出会いもあり、現在にいたっています。

が、この除幕式へは、もう一方からの招待もあったのでした。


jesperアズレージュ5
姉妹都市ガーデンのプロジェクトの一環として、ポルト市花、椿のモチ
ーフをあしらったアズレージュ碑の除幕式だったのですが、このアズレ
ージュの作者、「Jesper Andersen」君(or氏と呼ぶべきか^^;)は我が
息子の親友です。(記念碑は公園内ポプラ並木道で見られます。)

椿は16世紀に日本からポルトへ入ってきたそうで、椿はポルトガル語
で「camelia」、別称「japoneira=ジャポネイラ」でよばれ、ポルトの
市花は椿です。

息子が日本へ行く直前まで、ジェスパー君のアトリエとなるビルの幾
部屋かの壁塗りを手伝い、ペンキの付いたぼろ靴をそのまま履いて
日本へ向かい、とある店で按摩器に座って眠りこけていたら、店員に
ホームレスと間違えられたらしく、
「こんなところで眠ってはいけません」と怒られた、という話がたどり
着く先です(笑)

アズレージュjesper3

Alvaro Castello-Branco副市長が出席なされ、鳥のコスチュームを
まとった子供たちが、各国の苗木説明をする小さなパーフォーマンス
もありました。もちろん、長崎市の柿の苗木では、原爆についての言
及もありました。

アズレージュjesper4
ふと目をあげると、ポプラ並木の木に赤、青、ピンクの風船がひっか
かって^^

アズレージュjesper1

写真はクリスタル公園にあるアルメイダ・ガレット図書館内で展示され
るアズレージュ作品の前で談笑するジェスパー君。
彼は今月中旬、ダウンタウンの真ん中に新しく構えた古い建物のアト
リエでアズレージュの個展を開くそうで、そちらの方はいずれご案内
するとしまして、若いジェスパー君の今後の仕事振りを期待すると
同時に、ポルト、長崎市の友好が末永く続きますように。

ポルト近辺にお住まいの方たち、是非一度クリスタル宮殿公園のアズ
レージュ記念碑と柿の苗木をご覧になってみてください。

公園は散策にもよし。また、今回もそうでしたが、放し飼いの孔雀をあち
こちで見ることができ、家族ぐるみの公園めぐりもいかが?^^
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2009年4月21日

クリスタル宮殿1
★春のクリスタル宮殿公園のドーム、ロザ・モタ・パビリオン。

日本との時間がずれているため、近頃、子供達とメッセで話す機会
がめっきり減りました。

週末を除いては、翌日は仕事。夜更かしする学生時代の習慣から
遠ざかりつつある二人です。

モイケル娘は、9時から会社が始まるのですが、毎朝6時半には起
きて8時半頃には会社に入るのだそうです。
研修が終わって所属部に入った二日目、
「今日、上司から英語で支払いまだか~とクレームのメールをオー
ストラリアに書かされた。」と言う。

そやから、おっかさんは言うたのです、「念のためにビジネス英語
の本を買って、読んどき~」と(笑)
日本語でもそうですが、ビジネス用語や書式というものがあります
からね。

それなのに娘、「英語の手紙くらいは自分で書け~。あたいは事務
事務^^」なんてのんきなことを言いもって(笑)

そこで、

「書式の見本、ありますか?」とモイケル、聞く。
上司「ないない」ですと(試されたのかもだ。笑。お人が悪いw)
「んで、どうしたの?」とわたし。
「うん。なんとか書いた。で、すぐ返事が来た。」

「返事が来ました、と上司に報告。したら、お、さすがだね。って」
で、まだ続く。
「あのぉ、ただいま休暇中との返事でした・・・」
上司「・・・・・・・・し~~ん」
支払いから逃げてるんかもよ、とはわたしの突っ込みw

そそ、モイケル娘の所属部は、女は彼女一人なのだそうです^^;
そう言えば、就職決定後の書類で「希望セクションはどこか」の欄
に「経理以外はどこでもよか」と書いたらしい^^;
こういうことをやるかなぁ、日本の大学生(笑)

これから、お付き合いで飲む機会もあるでしょう、そこそこにやって
欲しいと願っているおっかさんです。

息子の方は、英語講師の仕事も日によっては朝の8時半からだった
り夜だったり、朝と夜が重なったりと、こちらはなかなか大変そうで
すが、ただいまは2ヶ月ほどのお試し期間らしい。
これはちとひどいのではないかと思ったりするが、アメリカ式、実力
次第ということでしょうか。

息子は少し心配しているのですが、
「心配せんでよろし。その気になればなんとかなるものです。」と母
の方がいい加減なものです(笑)
この息子も友達ができたようで、しょっちゅう出かけており、休みの
日でもなかなかつかまらないw

もちろん、メッセで親と話してばかりいるようでは、日本にいる意味
がないわけで(笑)

ということで、日本にいる子供達はそれぞれ少しずつではあります
が、人生の車輪がギィ~ッと回り始めようとしているところでしょう。

さて、おっかさんも子供達を追っかけてばかりいるようではいけま
せん。今日は出張日本語で9時半に家を出て、その後そのまま
ダウンタウンまで、とあるお店にちょっとした計画を持ち込みに行っ
てきました。

何の計画かって? はい、しっかり固まって後、記事にしたいと思っ
ております^^

で、そのついでに、クリスタル宮殿公園に、長崎市から姉妹都市交
流で2007年に植えられた「原爆二世の柿の苗木」の様子を見て
きました。
クリスタル公園柿1

長崎のみなさん、柿の苗木は、小さいながらもこの若葉の季節、
一冬を越し、美しい葉をつけて、ポルトと言う異国の地で生きようと
頑張っているように見えますよ^^

クリスタル公園柿2
この苗木が大きくなり実をつけるその日まで、わたしはこうして時々
見に来たいと思っております。

長崎のこの原爆二世の柿の苗木については、昨年の こちらの記事
でどぞ。

さて、ちょうど、わたしがこの柿の苗木を撮影しているとき、ふと右手
に目を移すと、おやまぁ、孔雀が!
クリスタル宮殿公園では、孔雀を放し飼いにしているのですね。
何度か足を運んでいますが、実際に孔雀が散歩しているのを見るの
は初めてでした。
目があったとたん、もちろん、孔雀とですよ^^ おおお!な、なんと!
孔雀殿、クルリと向きを変え、(写真は羽を開く一瞬)
孔雀1

この通り、見事なショーを見せてくれたのです。
孔雀3
あたかも意識してちゃんとポーズをとってるようで、何度も何度も撮
影させてくれました。実にお見事!
わたしも思わず「きれいねぇ、あなたきれいねぇ。」の連発^^
孔雀2

で、このわたしのすることときたら、はい、しっかり後ろも写させてい
ただきましたです(笑)
孔雀3
いや、そういう後姿もなかなか美しいですぞ、孔雀どの^^

孔雀の雄が持っている羽は上尾筒(じょうびとう)と言われ、雌にア
ピールするための羽なのだそうで、ひょ、ひょっとして、わたしはメス
と間違えられたんかい・・・^^;

今日も我がブログを読んでいただきありがとうございました。お気に
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2009年1月24日

トリプルショックからの立ち直り第一弾です!(爆)
(よくやるわ、わたしも。笑)

長崎ポルト姉妹都市締結30周年記念市民訪問団のポルトさるく 
    
2008年9月28日にポルト入りした40名ほどの長崎市民訪問団
のみなさんでしたが、翌29日午後に、「ポルトさるく」と称して、初
ガイドをさせていただきました。
「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶら歩く」という意味だそうです。
 
コースはspacesisの案で、自分が普段から歩き慣れているポルト
旧市街の数箇所にスポットを絞り、ポルトは長崎の町と同じように
坂道が多いので、下り坂を歩くようにプランをたてました。

下記はわたしが作成してみたポルトさるくパンフレットです。もち!
使用している画像は自前ですぞ^^画像をクリックすると拡大します。
ポルトさるく1

ポルトさるく8
案内する各々の場所説明の準備は万端(のつもりw)、いざ、バター
リャにあるホテルから出発ですが、まさか、バスの中でマイクを持つ
羽目になるとは予想外^^;お、おろ?と思いながらもやってみるっ
きゃ、と^^
しかしいかが?アサヒビアハウスの歌姫で、昔とった杵柄とやら、
マイクを持つ姿は堂に入ったものでござんしょ?(笑)


ー続きはここからー

当初は、市街のコース全てを「さるく」する予定でしたが、時間の関
係上、サンフランシスコ教会までバスで向かい、そこからレロ書店
までの上り坂になる道程をバス移動。
      
      ↓サンフランシスコ教会見学を終えて。
ポルトさるく2

レロ書店からドウロ川沿いのリベイラまで「さるく」です。通り名は
「クレリゴス通り」。一行の後ろには堂々たるクレリゴス教会が見え
ます。写真が暗いのでをちょっとセピア色にアレンジ^^
ポルトさるく3
午後のポルトの街中を30数名が歩く姿はちょっとしたもの^^
ポルトさるく4

ポルトさるく5

面積551m2、約2万枚の絵タイルことアズレージュのサンベント駅
構内で。
ポルトさるく6
プロのガイドさんは「メモ」など持たない。しかしわたしはメモどころか、
万が一説明を忘れた場合には、説明不足よりは遥かにましであろう
と、堂々、自分が作成したデカいメモを(笑)
約2時間ほどのポルトさるくはリベイラで終わり、訪問団は対岸にあ
るワインセラーへ 向かう。サンデマンのセラー案内は、補習校の我
が教え子でもあるJ君ででした^^

夜は長崎田上市長主催、ボルサ宮内の夕食会のご招待を夫と共に
受けました。
ポルトサルく・ボルサ宮
29年前に当時のポルト市長「Veloso氏」が、ポルト市民訪問団と
共に長崎を訪問するにあたり、日本の歌を長崎で歌いたいというの
で、その歌をVeloso市長に教える役目がわたしに回ってきました。
Veloso市長から教えて欲しいと頼まれたのが、長崎出身の歌手
さだまさし氏の「無縁坂」。日本語で歌えるように指導いたしました。
    
そして、提携30周年のこの日、久しぶりにVeloso元市長にお会い
したのですが、なんとVeloso氏、ギターを抱えてあの時の歌「無縁
坂」をご披露。予定外の通訳を頼まれ、たじたじのわたしでしたが、
「無縁坂」を一緒に歌い、途中からお若いw長崎田上市長も合流、
夕食会はこれで一挙に盛り上がったというものです。
ポルトさるく7
左からVeloso元市長(お歳80幾つ)、現長崎田上市長、そして
spacesis。

ちなみに、Veloso氏のご子息はポルトガルでは有名な歌手「Rui
Veloso=ルイ・ヴェローゾ」です。
ホームページ「ポルトのレストラン」でも案内していますが、ドウロ川
ロ川に面したリベイラのレストラン「D.Tonho=ドン・トーニョ」とその対
岸ガイアに向き合うようにして建っている同名のレストランの持ち主
でもあります。

長崎ポルト姉妹都市交流が今後も両国、両市のよき文化理解への
架け橋となりますことを一市民として心から願っております。

長崎観光ガイド「長崎のさるき方」はこちら

サンフランシスコ教会と長崎26聖人」はこちら。

レストラン・ドン・トーニョ」はこちら

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2009年1月18日

ここ数日、事情があって更新が滞りましたが、記事再開いたしま
すので、これまで通り、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
本日はポルトガルと日本をつなぐ歴史的な出来事にまつわるポル
トの長崎殉教者のお話です。

サンフランシスコ教会

サンフランシスコ教会を初めて訪れたのは、わたしがポルトに嫁い
できた年だからもう30年ほども昔になる。
  
当時は、ゴチックだのバロックだのの建築様式はもちろんのこと、
聖フランシスコも「フランシスコ・ザビエル」のことでもあろうかと考え
るほど、宗教に関連することには今よりも遥かに無知であったし、
中は全部金泥で被われているなどと説明を受けても、殆ど無関心
だった。

教会内の床の一部に開けられた小さな床窓から覗き見た無数の散
らばった骨には不気味さだけが残り、以来、教会前は何度となく通
ったが一度も内部に入っていなかった。

しかし、ここ数年ポルトガルに於けるテンプル騎士団の歴史を追って
いるうちに、騎士団が手てがけたゴチック建築に目が行くようになり、
サンフランシスコ教会は少なからず気になる存在になっていたので
ある。
いずれ再訪しようと思っていた矢先のこと、長崎市から「長崎ポルト
姉妹都市提携30周年記念(2008年)で市民訪問団の企画をしてい
ます。ついては、「ポルトさるく」と称してポルト歴史地区をじかに歩
きたいのですが、その案内をしてもらえませんか?」とのメールが
舞い込んだ。
「さるく=さるき」は長崎弁で「ぶらぶら歩き回る」という意味だそうだ。

それこそ、「ポルトひとりさるく」はよくしているが、これまで人様を
案内などしたことがない。しかし、「姉妹都市提携30周年記念訪問」
と聞くと、長崎ポルト関係の行事にはかつて多少携わった経緯が
あり、また「いつもspacesisさんが歩いているコースでよろしいです」
との係りの方、Mさんの話に、未経験だがやってみよう!と好奇心
が尻込みする気持ちを打ち負かした。

さて、こうしてわたしが計画した「ポルトさるくコース」については後に
書くとして、このポルト案内に一箇所だけどうしても入れて欲しいと
要請にあったのが「サンフランシスコ教会」。
そこでサンフランシスコ教会とは、フランシスコ会とは?と学習する
ことになったのだが、Mさん、くだんのサンフランシスコ教会には
「長崎殉教者」が祀(マツ)られてあるというのだ。
これにはわたしは初耳であった。
  
早速サンベント駅からドウロ川沿岸のリベイラに続く長い坂道を下っ
てサンフランシスコ教会へと足を向けた。
中に入り案内の表示を読んで教会内部を一回りしたが見当たらな
い・・・
ちょうどその時、ポルトガルの小学生グループが教会のガイドさんに
伴われて入ってきので、これはチャンス!悪いとは思いながら少し
距離を置いて、サンフランシスコ像の説明をするガイドさんの話に耳
を傾け、それが終わった直後に彼女をひっつかまえ、「長崎殉教者
の祭壇はどこにありますか?」と聞いた。
「ここですよ。」とサンフランシスコ像のすぐとなりにある祭壇の上方
を指差した。↓(画像は長崎市のMさんからいただいたもの)
長崎26聖人1

撮影は禁止なので、絵葉書を購入し、長崎市の係りのMさんに
「行って確認して来ましたよ。」とメールで絵葉書の画像も送ったと
ころ、「長崎殉教者は26人なのですが。」と返信が来た。
画像には確かに8人しか見えない。これはこれは、というわけで、
まず「長崎26聖人」について調べることになった。
(写真は長崎にある26聖人記念碑。wikiより)
長崎26聖人2

長崎(日本)26聖人:
  慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の
  命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。26人は
  後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは
  「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。二十六人のうち、
  日本人は二十名、スペイン人が四名、メキシコ人、ポルトガル
  人がそれぞれ一名であり・・・(wiki参照)
  

26人のリストからフランシスコ会司祭、修道士、それに日本人フラ
ンシスコ会信者、大工である伊勢のフランシスコ(洗礼名)7名を見
出したが、さて、残る一人は誰か? 
わたしの調査結果では、1622年(元和8年)に禁教令がしかれた
布教しようと長崎に密入国して大村で処刑された3人の宣教師が
いるのだが、この中にフランシスコ修道士ルイス・ソテロがおり、ロー
マ教皇により、初めの7人は1750年に、ルイス・ソテロは1867年
に聖人とされたことが分かった。

調査後、確認のため、再度サンフランシスコ教会へ出向き、例の
女性ガイドさんをひっつかまえ、「長崎の訪問団をここに案内するの
だが、ひとつ確認させて欲しい。長崎では26聖人なのだが、ここの
長崎殉教者祭壇には8人見えるが、これはフランシスコ会の殉教
者なのか?」 ガイドさんいわく、「その通り」
ビンゴ!(アタリ)やったー!

ま、最初からサンフランシスコ教会のガイドに直接質問すれば済む
ことだったのかも知れないが、自分で推測しながら調べて推理を立
ててみるのはなかなかに面白いもの^^
  
長崎市民訪問団の「ポルトさるく」なるものがなかったら、恐らくサン
フランシスコ教会の8人の「長崎殉教者」については知らないでいた
ことだろう、ひとつ賢くなったなぁ、と教会内で独り喜んでいたところ、
日本人の年配のカップルが入って来て、話しかけて来た。

あちらさんも色々質問してくるもので、これはいいついでと、教会を
案内しながらホットな己が知識を大いに披露してきたのではあった
(笑)

キリスト教やフランシスコ会のかいつまんだ歴史を知って教会を見
学するのとそうでないのとでは、見方に大きな違いがあることだろ
う。このエッセイが、サンフランシスコ教会訪問客の参考になること
を願って止まない。
  
さて、次回は上述した「ポルトさるく」についての記事です。 
 
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