2011年6月2日

本日はテンプル騎士団ミステリー話を休憩して、子供たちの話を。

日本滞在から帰国して、ジェットラグ(時差ぼけ)でどうしても早朝に目が
覚めてしまうのだが、それを利用して家の中の整理を決心し、このところず
っと物入れや引き出しをひっくり返しては処分する物、まだ取っておく物と
分けている。

こうして整理をしていると懐かしいものがあれこれ出てくるので、それを眺め
たり読んだりしているうちに思わぬ時間がかかったりする。
そういうものの中には子供たちの思い出にまつわるものが多い。

そのひとつが下のゲーム元祖ファミリーコンピュータことファミコンだ。

ファミコン

いやぁ、このファミコンにはほんとに苦労させられました!

今ではゲームを卒業し、語学学校で働きながらなんとか生活費を稼ぎ、方や
ミョウチクリンな音楽作曲にもうしばらくの間うつつを抜かしたいと、東京在
住3年目に入った我が息子ですが、中学生だった頃の彼とは親子して、毎日
ファミコン・バトルに明け暮れたものです。
今ならさすづめパソコンゲームです。

以下、過去の我が子達のバイリンガル教育体験を綴ったものに、子供たちと
のファミコン・バトルの章がありますので、引用します。

我が家にファミコンがやってきたのは、本国でのブームより大分遅れてから
です。ポルトに日本企業が進出してきた1980年代も終わりの頃、駐在員さ
んのこどもの数が増えるにつれ、補習校の付き合いで息子のお呼ばれの
回数も度々です。そうして行っては遊んでくるファミコン。

しかし、変圧器を通して日本から持ち込んだ電気製品を使用できる企業関
係者と違い、現地に住んでいる我が家族です、変圧器など当時は10万円も
すると話を聞いており、そうそう簡単には参りません。
それ以前に、いったいファミコンゲームとはなんなのかと、親のわたしの知識
は皆無でした。

我が家にファミコンゲームが入ったのは息子が小学校も終わるころでしょうか。
所沢の妹一家から息子へのお土産にともらったのです。

しかし、ファミコン本体を持ち込むだけではだめなのでした。
日本と海外では電圧が違い、そのままでは使えない。
ファミコンゲームをするためには、まず変圧器とテレビを持ちこまないこと
には無理なのです。今ではテレビ、ビデオデッキもマルチシステムと言って、
日本、海外のソフトへの対応ができていますが、これが出てきたのはこの
ずっと後のことです。

せっかくお土産にともらったファミコンも、これでは使えない。
やもなく、わたしは日本から小型のテレビを持ち込み、変圧器はこちらの日本
企業の方になんとか工面していただきました。
しかし、これが後ではエライことになってしまうのですね。

ファミコンとテレビを飛行機でポルトに持ち込んだときは、息子の喜ぶ顔を
目の前に、親のわたしもこれで息子もなんとなく普通の日本人の子供の仲間
入りができるのかな?なんて単純なことを思い、後でやってくるファミコン
を間に親子の長期バトルのことなど、想像だにしなかった。

最初はおとなしく、せいぜい45分間との親との約束を守り、たった2本持っ
ていた「スーパーマリオ」と「Peach Boy(なんのことはない、桃太郎です)」
を楽しくやっていたのですが、中学生にもなると、補習校の子どもたちとソ
フトの交換をし始めました。

日本からも誕生日だクリスマスだと、プレゼントにファミコンソフトが届く
ようになり、さぁて、この息子のファミコン熱を親としてコントロールする
のが、誠に一苦労なことになったのでありました。

子供同士のソフトの貸し借りは原則的にわたしは同意しません。
貸すとなかなか返ってこないこともあり、また人のものですから何か故障に
でもなるとすぐには弁償できないという余計な心配と不経済が入ってきます。

そんなわけで、息子のファミコンソフトにはどういうものがあるか、わたし
はソフトボックスをチェックするように心がけました。見覚えのないソフト
があるときは、「これは一体どうしたのか」と必ず本人に問うようにし、借
りたものは長期間持つことがないよう返却を促しました。

さて、スーパーマリオなどの毒性のないソフトからやがて「ドラクエ」ブー
ムに入りました。この頃は、クリアしたいがために、表示される色々な語彙
の意味や漢字の読み方を質問してくるようになり、ここまでは、日本語を学
ぶ一端になると考えることができます。語彙力を養ったのは事実です。

ファミコン
★我が家に残っているソフトの一部

が、そのうち、ババッ!ババッ!と言う効果音(?)のついた暴力的なゲームも
入ってきました。それまでは、ひとりで遊んでいたファミコンゲームに、6歳下の
妹を誘い込むことになります。娘はこんな風に兄から男子ゲームのファミコン
洗礼を、ずいぶん早い時期に受けたことになります。

ファミコン
★ソフトの中でも息子が夢中になった「ババッ!ババッ!と言う効果音のつ
いた暴力的なゲーム。この二本にわたしは眉をひそめ、しまいにはアタマに
来て何度ぶっこわそうとしたことか


当時、子どもたちは帰宅すると一休みしてからまず宿題、そして日本からの
通信教育を終えるのが日課でした。リビングにある大きなテーブルにそれぞ
れの課題を広げ、わたしも必ず同席しました。学校の宿題を終えると、次は
日本からの通信教育学習です。これはわたしと一緒に読み書きを学びます。
補習校のみならず、自分の子どもの2クラスを同時にみるという複式授業を
家でも実施したいたわけです(笑)

ファミコンゲームはこれらの学習ががきちんと終わってから1時間という約束
です。「1時間経ったら終わる」
ところが、ゲームに夢中になると、あと少しあと少し。もうちょっとでクリ
アできるから、とこの約束が段々守られなくなっていきます。

しかし、母親もヤワではございません(笑)
約束は約束。しつこくファミコンにしがみついてると、容赦なく横からバチ
ッと電源を切ります。
こういうことが度々繰り返された暁には、ある日学校から帰って見ると、肝心
要の変圧器がどこにも見当たらない!というとにちょこちょこなりました。
神隠しならず、親隠しです。

息子の中学生時代、夕方の我が家はこの「ファミコン1時間戦争」で明け暮れ
たのでした。軍配は、どちらかと言うと、恐らくしつこく親隠しし、約束を守
らせようと時には口角泡飛ばした、母親に挙がるのではないかと思っています。

こういうことを、子どもと争うような形で、毎日するのはなかなか骨の折れる
ことです。もういい加減しんどい、と諦めて子どもたちの好きなようにさせて
しまうのはイライラしなくて済みますし、こちらとしては楽なのですが、それ
では親権、しつけの放棄です(笑)

子のしつけというのは、絶え間ない目配り気配りの連続だと、わたしは思って
います。時には親たりともイライラしたり、ドッと疲労感を味わったりするの
ですが、しつけ時代に親が楽をしてると、何時の日にか自分のいい加減なしつ
けのしっぺ返しを受けないとも限りません。
「可愛いけれど、ここは譲らんぞ。」としつこい一貫した親の気概がいるよう
に思います。

娘の部屋の隅で、誰の手にも触られることなく、すっかりほこりを被って
いる骨董品まがいの初期ファミコン本体と、場所だけとって邪魔になって
しまった日本の小型テレビは、あの頃のファミコン戦争などまるでなかっ
たかのように、今静かに横たわっています。


ところで、わたしたち夫婦はスカイプを利用して文字チャット、カメラチャ
ットなどでコミュニケーションをとっているのですが、子供たちからの話し
かけの挨拶言葉が昔から度々「Glu!」なのです。

「Glu!って何でんねん?」と訊ねるや、モイケル娘曰く、

「ファミコンのセイントセイヤのゲームの効果音だよ
味方が攻撃する時にGLU!って音がするのだw
GLU!GLU!って言いながら敵を倒していくのだw」


って、おいおい、わたしゃ攻撃相手の敵かい!
子供たちの挨拶の中には、今でもファミコンゲームの亡霊「Glu!」が住ん
でいるのである。

とまぁ、こういうことで、件のファミコンは「横たわっています」からその
後箱に入れられ保管されてきたのですが、テレビも邪魔だしもろ共、処分で
きないかなと思い、先だってモイケル娘に話してみました。

「だめーーーー!そのまま置いといて!」

今ではゲームを卒業した兄貴をしのいでゲームオタクもどきになった娘、
これじゃぁ、男もつかんかもなぁ

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2010年1月7日(木)

casa da rolhas1
ポルト百景。1850創立のCasa das Rolhas(casa=家 rolha=コルク栓)
店内にもカメラを向けてみました↓
casa-da-rolhas1

さて、今日は子供たちの話題です。

幼稚園部から12年間に渡る、ポルトのブリティッシュ・スクール修了後、高校の3年
間をダウンタウンにあるポルトガル私立高校で学び、6月の高校卒業資格国家試験
(これは大学入学試験ともなる。ポルトガルは高校3年間の成績と最後の卒業資格
となる国家試験の結果如何で入学できる大学や学部が決まる)を終えるや、東京に
ある大学を目指して、我がモイケル娘が日本へ行ったのは6年ほど前の夏だ。

2、3年に一度の割で、母子で帰国していたものの、例え母国であろうと短期滞在は
住むのと違い、社会事情の精通に欠けるというもの。
一昨年、大学最終学年のモイケル娘の就職活動には大いに慌てふためいて冷や
汗をかいたものだ。

日本の就職事情に疎かった我ら母子は、

「まだ卒業確定と決まってるわけじゃなし、どうやって就職活動なんてできるのだ?」
「就職が決定して、単位を落っことし、留年となったら恥をかくし、就職先にも迷惑
をかけるではないか。おかしいよね」


とばかりに理屈をこねて、二人でのんびり構え、その実、危うく就職活動の機を逃す
ところだった。背に腹は変えられないとばかりに、理屈も道理もひっこめてしまった
のだから、情けない話ではある^^;

が、慌てふためいた甲斐あってモイケル娘はどうにか就職でき、昨年春から都内の
築地にある某社で働いている。
今年の就職事情は殊のほか厳しいと聞くから、昨年就活したのはラッキーだったと
思わねばなるまい。

兄貴である息子はというと、何度かブログで既述したように、修了したITコースの
職種を選ばず、なんとなく得意とする英語教師の道へと歩みだしたのだが、不況は
いずこも同じで、リスボンでの公立学校での仕事はパート、かなりな薄給でとても
自活できる額ではない。

見通しがつかないポルトガルの将来に愛想を尽かし、結局、もっと実入りがいいと
言うので、ついに彼も妹に遅れて日本上陸を果たしてかれこれ1年が経とうとして
いる。
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2009年12月10日

夕暮れ
「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず。」

若いころは大阪の堂島にあるオフィスに勤めていた。

本社が東京にあり、海外の学術文献を国内に取り寄せ、全国の大学の
図書館や大手の企業へそれを届けるのを仕事とする会社だったのです
が、わたしは英文タイプを独学し、そこでタイピストとして働いて
いました。一人暮らしをしていたわたしは、もらう給料で毎月ぎり
ぎりの生活だったので、ボーナスは大いに助かったものです。

しかし、普段、切り詰めて生活している反動で、そういう時はつい
つい気が大きくなり、気がつくと貯金はたいした額には上らず、が
毎度のことでした。
無理もない、若かったのですから、お化粧もしてみたかったし、身
につけるものだって、たまにはドカ~~ンと大枚はたいてみたい。
道理でしょう。

そんな状態でしたから、「アメリカへ渡る」という夢を実現させる
には、大阪梅田新道にあった「アサヒビアハウス」での歌姫のバイ
なくしては、難しかっただろうと今思えます。

その点、実家から通っている同僚は羨ましかった!
ボーナス日には、落としたりすられたりしてはと、毎回駅までお父
上が迎えに来るとのこと、わたしはと言えば、普段の給料より少し
膨らんだボーナス袋をしっかりバッグに仕舞い込んで、普段なら
あっちウロウロこっちウロウロするのに、その日だけは一人暮らし
のアパートに直行したものです。

ボーナスをもらう前から、今回はあれに使おうこれに使おうと色々
考えを巡らすのは楽しい。

さて、この春から社会人となった我がモイケル娘が、初のボーナス
を手にしました。
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