2012年6月2日 

♪ああ、我ダンテの詩才(鬼才?奇才?)なく バイロン、ハイネの熱なきも 
 石を抱きて野に歌う 芭蕉のさびを喜ばず

(註:この場合の「喜ばず」の「ず」は否定の意味ではないぞ、モイケルよ)

と与謝野鉄幹の「人を恋うる唄」でも歌われた詩人バイロンも滞在し、著書
「チャイルド・ハロルドの巡礼」の一部が書かれたと言われる、シントラの
Lawrences Hotelを今回は利用しました。
 
1764年に創立されたローレンス・ホテルはイベリア半島で最古のホテルだ
と言われます。五つ星、部屋数はわずか16室です。今回は4月の、しかも
日曜日の宿泊とあって、予約がとれました。

シントラ

ローレンス・ホテルは1961年に閉鎖され、1989年にオランダ人夫婦に
よってリオープンされた際には招待状に当時のアメリカ国務大臣やオランダ
のベアトリス女王が第一級貴賓とされたそうです。

シントラ
(この画像はWikiより)

また、ポルトガルの高校生が読書必須のポルトガル著名作家エッサ・デ・ケ
イロス(Eca de Queiros)の「Os Maias」(マイア一族)の中でも引用
されています。
シントラ
(Wikiより)

ローレンス・ホテルには部屋番号はなく、どの部屋にも個々の名前がつけら
れています。下はモイケル娘が宿泊した部屋。

シントラ
枕元の絵はよく見ると異端的なシンボル、尾が二つに割れている人魚メリュ
ジナが描かれています。

バイロンの他に、シントラの歴史とは切り離せないゴチック作家ウィリアム・
ベックフォードもここに滞在しており、二人とも秘儀主義者だと推測するわ
たしは、ひょっとするとここでそのヒントに出会えないだろうかとの期待も
あり、夫にこのホテルを選んでもらったのであります。
シントラ

わたしたちの部屋の奥がバイロン卿とベックフォードが使った部屋で、その
まま詩人と作家の名前が部屋名になっています。

シントラ

残念ながら、期待したこれぞというヒントをホテル内で見ることはできませ
んでしたが、いずれにしても、18世紀当初の所有者名がネット検索では出
てこず、ホテルの歴史情報が極めて少ない中、買い受けたのがオランダのベ
アトリクス女王を招待できるほどの地位にあるオランダ人夫婦だということ、
1999年には、陰のサミットと世に呼ばれ、そのメインスポンサーがロッ
クフェラー財団だとされるビルダーバーグソサエティ会議がシントラで開催
されていること、オランダのベアトリクス女王はそのエリザベス女王と共に
主要メンバーであることなどを考え合わせると、ローレンス・ホテルには創
立当初から、なにやら異端の匂いがプンプンします。

もっとも、それはこのホテルに限らずシントラそのものが昔から秘儀主義巡
礼者の密かなる出発点であったのではないかとは、わたしの素人考察です。

さて、ローレンスホテルに到着後、荷を解くのもそこそこにわたしたちは久
しぶりにペナ城を訪れたのですが、これは次回に案内するとして、翌朝、時
間を惜しみ少し早めに起き、ホテルでの朝食を終えて後、わたしたちは目的
の「キンタ・・ダ・レガレイラ」を目指して歩いたのですが、路上駐車して
ある我らの車の側を通り過ぎようとすると、モイケル娘、

「あれ?車の窓、全部開いてるけど?」
「ん?な、なぬ?」

と心臓ドキッのわたし。夫と二人目を凝らしてみると、モイケルの言う通り、
運転席の窓が全開やん!ちょっとーーー!

夫はこういうときですら慌てるでもなく、困ったなと言う風な顔をして、自
ら窓全開を確認し、「しかたない」と一言・・・・・

こんなドジをしでかすなんて、粗忽者のわたしならいざ知らず、夫がとは、
あな不思議。それよりも、前日到着後からずっとそのままだったと言うのに、
何の被害もなかったのはそれに輪をかけて、あなあな不思議と言わざるをえ
ません。ツーリストが少なかったこともあるのでしょうが、これはポルトガル
においては幸運の極みでありましょう。

やっぱり少し遠くても、少しお金がかかっても有料駐車場に止めるべきです。
で、下記、過去の自分の失敗談を引っ張りだして、本日はとっつばれといた
します。

2006年5月31日(木) シィ~~^^;
うわぉ!危なかった!

夏時間で今はまだまだ明るい夕方7時過ぎ。
アパートの玄関ブザーが鳴ったので、てっきり日本語の生徒さんだと思い、
日本語で、「どなたですか?」と聞いた。

これは、普段日本語を皆目耳にしない生徒さんたちのために、誰と分かって
いても、日本語でそう聞くことにしているのだ。「ちゃんと日本語で名前を
言わないと、ドアを開けるボタンを押さないわよ^^」と言ってある(笑)

すると、期待に反して、男の声がポルトガル語で何やらわめいている・・・
「アナです」とてっきり日本語で返事が来ると思っていたのに、案に反して
ポルトガル語が来たもので、か弱い我が頭脳は、数秒@@状態ですぐには
反応しない^^;

「な、なんでしょか?」と数秒後やっとポルトガル語で応対した。
「お宅の車の窓があいてまっせー」と、聞いた!
「う、うけぇ?(O que e!?)」(ポルトガル語で、え、えぇ!の意味)
え~らいこっちゃえらいこっちゃ!
聞くなり、家のドアの鍵束をひっつかみ大慌てで階段を下り、外へ出て己の
車を駐車してある向かいのアパートの前に!

うわぁ~~、ほんまや!助手席の窓、開けっ放しやん!
誰やねん!!・・って、自分やん^^;
3時からの日本語教室が終わってから、大急ぎでハイパーマーケットまで車
を飛ばし、買い物をしてその場所に駐車したのが2時間前。

たまたまわたしの車の横に自分の車をつけた、お向かいのアパートの人が知
らせてくれたのでした。その男性、助かったと礼言うわたしに片目をつぶり
ながら、自分のアパートのドアを開けて入って行きました。

ふぅ。危なかった^^;
あんなことしてたら、「は~い、車中のもの、残さずお持ち帰りくだされ」と
誘惑しているようなものだ・・・・いかんいかん^^;
しかし、お向かいに入っていったその男性、わたしはまったく見覚えがない
のです。わたしには、自分のアパートの前、お向かいのアパートの前とズラリ
並んで駐車している車、自分のを除いては、どれがご近所の誰の車かなんて
分かりもしません。

へぇ、みんなよく知ってるのね、とまずは思ったのだが、待てよ・・・・
やっぱり、茶髪グラサン東洋女の車が目立つのだわぃ^^;

それに、我が家へ来るお掃除のおばさんは、しょっちゅう向かいのカフェに
行ってますから、結構おしゃべりしてるやも知れない^^;
「ほれ、あの青い車、お慌て者のドナ・ユーコの車よ。今朝も行っ たら、前
の日の鍋焦がしの匂いがしてたわ。わっはっは」とかなんとか(笑)

しかし、人の口に戸は立てられず、です。
ま、このまま行っちゃうっきゃない^^

で、亭主にはこのまま言っちゃわない(笑)
もうちっと自分のボケぶりを自覚せぇ、とお小言もらいそうだから内緒内緒。
シィ~~・・・・・

え?日曜日には亭主、向かいのカフェで新聞読むのが習慣だから、どこから
かすぐ耳に入るんじゃないのかって?
・・・・・・・・・し、知らん^^;

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2012年2月17日

Windows 7から初更新であります^^

さて、昨年12月にボランティア活動で市立図書館で子供を対象に影絵、
「キョーリュー年代記」を上映したのですが、今度は隣町のとあるリセウで
別の影絵をひとつお願いできないかと話があり気安く引き受けて、またまた
こ忙しくしているこの頃です。

今回は対象が中高校生で、できれば伝統的な日本の物語をというリクエスト
があり「かぐや姫」を選んでみました。「かぐや姫」はかつて補習校時代に
受け持ったの生徒たちと一緒に学芸会発表で作成したことがありますが、
もう少しいい出来を目指したいと思っています。
kagee

切り抜く紙がかなりの厚さなのでアートカッターの刃先も再三欠け、替え刃
を探すのに苦労しています。なかなか見つからないのです。時代物の今回、
なにかの時にと長年保管して来た和紙が役立っています。キャラクターの部
分部分に貼り付けるのはこれまたひと作業ですが、和紙の模様の美しさをど
うしたら影絵スクリーンにきれいに出せるか課題です。
 
 
今日はしばらく前に取材で出かけてきたところで発見したことをば。
ポルトのダウンタウンは目抜き通りのサンタカタリナ通りをマルケス広場に
向けて上ります。居並ぶブティックもなくなる区域の左にあるCastelo de
santa Catarina(サンタ・カタリナ城)と呼ばれる小さなホテルがあります。
castelosantacatarina

高い塀に囲まれているのでうっかり見過ごしがちです。
castelosantacatarina

お城の外装は青タイル絵ことアズレージュ(Azulejo)で覆われており、小さ
な庭には面白いシンボルも見られます。バスでサンタカタリーナ通りを通る
たびに気になっていたこの建物を最初に訪ねたのは2008年です。
castelosantacatarina

聞くとかつての私邸を改造した三ツ星のホテルでした。
1920年代、ブラジル人の退役軍人が故郷ポルトに戻り、邸宅として建築
したとのこと。

castelosantacatarina

客室は見せてくれませんでしたが、二階のサロンなら写真を撮ってもいいと
の許可をもらいました。
castelosantacatarina
狭い階段の装飾からして不思議な雰囲気をかもしだしています。

客室のバスルームも美しいアズレージュで装飾されているそうです。
庭園にはチャペルがあり、このホテルでは結婚式などのセレモニーも
催されます。

一通り撮影したところで、もうひとつの小さな庭が下方にあるのを見かけ
たもので降りていったところが、これです↓

castelosantacatarina

これでこの屋敷がかもし出す不思議な雰囲気の理由がいっぺんに解けたので
あります。エジプトのファラオと王妃の対の石像の後ろは洞穴の作りになっ
た休憩どころです。この手の洞穴はAlchemist(錬金術)のシンボルだと思
われます。ファラオの像からしてもこの邸宅の持ち主は紛れない神秘主義者
だったということが伺われます。

客室、廊下には多いに興味があるところです。

本日はこれにておしまい。皆様、どうぞよい週末を!
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2011年10月16日 

大好きな映画の一本にイタリア映画「シネマ・パラダイス」がある。
1940年代、シシリー島の小さな町の映画館「シネマ・パラダイス」が消
滅するまでの物語だが、主人公トトの少年期、青年期、初老期に渡った人生
をせつなく物語っている。



劇場で上演されたのは実際には2時間以上の作品として製作されたのを上演
時間が長いとして、一部がカットされ、約1時間半に縮小したものだが、
「完全版・シネマ・パラダイス」がある。

アカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞した国際上演用の作品は「初老のトト
のその後はいったいどうなったのか?そして彼の恋人だったエレナは?
しかし、まぁ、何もかもが辻褄が合うようにすきっとは終わらないのが人生
であろう」と思われるようなエンディングだが、トトとエレナの30年後の
再会が描かれた完全版は違った思いを抱かせる。

その完全版に関しては賛否両論あるようだが、若い時に見るのとわたしのよう
にアラカンに入ってから見るのとでは、賛否の仕方も違ってくるだろう。
わたし自身の観後感は、「人生はカラクリに満ちているが辻褄があうように出
来ているような気がする」と思っているし、現実に半世紀を経て再会した人が
いるので「こういうことは人生にあるのだ」と完全版には肯ける。

劇場版のトトのエンディングと比べて完全版のそれは、トトの不完全燃焼の
青春がやっと思い出の箱に収められ、彼のこれからの老後が救われたのでは
ないかとわたしには思われる。
「シネマ・パラダイス」の参照はこちら.

「シネマ・パラダイス」はストーリーそのものもさることながらこの作品中
のエンニオ・モリコーネの音楽が心に染みる名曲であることもあげておき
たい。

さて、急になんだい、映画の話なんて?と思われるだろうが、本題はこれか
らなのであります。

前回、突発的にポルトの街散策に出かけた時の拾い物ですが、コレなんです。
B&B hotels

つい先ごろ、ポルトのバターリャ広場(P.Batalha)、イルデフォンソ教会
(ナゾニの作品)のすぐ横にオープンしたB&Bホテルズ。
B&Bとは英国に多数あるBed & Breakfast、つまり朝食つきの宿泊施設を
意味しますが、B&BHotelsはヨーロッパに約300店を構える
チェーンホテルです。一泊が49ユーロからあり比較的安い宿泊施設。

この新しいホテルですが、かつてはシネマ、つまり映画館だったのです。
下の画像は長い間見捨てられてきたその映画館「Cinema Aguia dOuro」
(=シネマ・アギア・ドウロ)。なんだか映画「シネマ・パラダイス」に
ワンシーンを彷彿させるような写真です。
B&B hotels

cinema aguia douro
(この2枚の画像はwikiより)

Aguia dOuroは直訳すると金の鷲(Golden Eagle)、日本語ではイヌワシだ
そうです。Golden Eagleはローマ帝国またかつてのアラブ世界では権力の象
徴とされ、多くの国のシンボルに取り入れられています。

映画「シネマ・パラダイス」では壊滅されてしまった映画館ですが、こちら
のは1908年創立、1989年以来閉鎖され、一時期この映画館をなんと
か残したいと市民運動が起きたこともあります。
そして本年、Aguia dOuroは、完全崩壊を免れ、ホテルとしてではあります
が生き残りました。
B&B hotels

レセプションへ向かいカードをお願いする。

B&B hotels
「マーロン・ブランド、ローレン・バコールもここにいたことがあります。
今度はあなたの番です」のうたい文句。
一瞬。えっ?ブランドもバコールも過去にこの劇場に来たことがある?と思
ったのですが、階上のロビーに上がってすぐ納得。

B&B hotels

ハンフリー・ボガード、グレース・ケリー、フレッド・アステア、オーソン
・ウエルズ、ロック・ハドソンら懐かしいハリウッドスターたちがズラリ!
B&B hotels

そうです、彼らはかつてこのシネマ館のスクリーン中で来場したというわけです。
 
B&B hotels

つくづく、彼らは大スター、輝ける星だったなぁとわたしは思うのです。
確かに現在も世界に名を馳せる俳優はいますが、わたしにとって輝くスター
はポール・ニューマンを最後にシネマ・パラダイス、シネマ・アギア・ドウ
ロ同様、消えてしまったような気がします。

最後にエンニオ・モリコーネ指揮で「シネマ・パラダイス」中の2曲をどうぞ。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、また。
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2010年2月18日

休暇を利用して家族と訪れたポルトガル南部Alentejo地方の小さな町と、宿泊
したエスタラージェンを紹介します。

アレンテージュ地方のホテル   
サン・ドミンゴス・エスタラージェン(Sao Domingos)

メルトラ2

メルトラから17kmほど離れた小さな村、Mina de Sao Domingosはかつて銅山
の町として栄えた。
今は、寂れてしまったが、新しいエスタラージェンはアラビアン様式、広々と
して、プール、フィットネスジム、自転車などの設備がある。
曜日によっては、天体観測ができる。
ここに滞在した理由のひとつは、この天体観測だったのだが、曜日がずれてしま
い、それができなかったのが残念。

     メルトラ1

国土が縦長のポルトガルは、8世紀から15世紀に渡るレコンキスタ運動
(イスラム勢力からの国土奪回を目指したキリスト勢力の戦い)が完了するまで、
8世紀もの間アラブ民族に支配されていた。
イベリア半島北部から始まったキリスト教徒によるレコンキスタ運動は、徐々に
南下し、700年をかけてイベリア半島国土奪回を成し遂げる。

イスラム教徒の長い支配は、イベリア半島に大きな影響を及ぼしており、特に
南部にはその文化の刻印を見ることができる。

ポルトガル語には何百というアラビア語の名残が見られるし(例:Algarve,
alcool, algebra,algodao, arroz, armazen, alfandega)、ポルトガル、スペ
インの建造物を彩るアズレージュ(青絵タイル)もイスラム文化から受け継い
でいる。
また、特に南部に見られるのが、モスクを改造した教会である。

個人的な意見だが、このように宗教を異にする建造物を取り壊さないで教会と
して使用する点は、歴史の移り変わりを断ちきらないことになり、何か理由が
あったのかと考えて見るのは面白い。

さて、エスタラージェン紹介の前置きがなんだらかんだらと長くなってしまい
ましたが、こういう歴史背景を知っていないと南部のエスタラージェンの様式
やメルトラの教会も「ただの南の端っこの変わった教会」にしか取られないと
思ったものですから^^;では!

メルトラ3
異国情緒たっぷりの玄関。
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