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2018年9月30日 

今日は前回記事の続きです。

「石工」を英語で「Stonemason(ストーンメーソン)」と言いますが、フリーメーソンの語源にあたります。
欧州の古い教会や礼拝堂、修道院で不思議な彫り物を度々目にしますが、中世の石工たちは、キリスト教のシンボルと見せかけて、実は異端の思想を伝えるために、記号化した秘密の言葉を刻んできたとも考えられています。

特にゴチック建築の建物には多くのシンボルをみることができます。パリのノートルダム大聖堂、フランス、シャルトル大聖堂などが代表的なものですが、ポルトガルのトマールにあるキリスト騎士団修道院(古くはテンプル騎士団修道院と呼ばれたが、バチカンとフランスのフィリップ4世による弾圧で、騎士団は壊滅。ポルトガルはその名をキリスト騎士団と変え、生き残る)にも、ふんだんなシンボルが見られます。

しかし、中でも特に有名なのは、ダ・ヴィンチコードで一躍、名を知られるようになったロスリン礼拝堂でしょう。教会なんてどこも同じだと高をくくって暴言を吐いていたわたしが、シンボルに興味を持ち始めたのは、ダビンチコードを読んだのがきっかけでしたが、ポルトガルがテンプル騎士団と大いに関わってきたことを知ってからです。

幼すぎて、記憶にまったくない祖父が石工であったことと自分がその石工の物語に興味惹かれた奇遇に、我ながら驚いたのでした。

そんなわけで、母方のおじおばがみな鬼籍に入った後に、「石工祖父の狛犬作品」が弘前に残っていると知らされ、それを訊ねていったところが、どうも違ってがっかりした、と言う当時の話は10年前のことで、下記に書いてあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-474.html

その狛犬が、横浜のおじの家の整理を手伝いに行って、母方の吉崎家の古い写真をもらってきた妹が見つけたというのです。

写真には祖父が作ったという狛犬の横に、今は亡きおばが立っており、写真裏には「平岡町」と書かれていたとのこと。その情報をもとにネット検索してヒットしたのが、弘前市平岡町にある保食神社。この読み方、「ほしょくじんじゃ」でなくて、「うけもちじんじゃ」と読むのだそうですよ。どう読んだら「うけもち」と読めるのか^^;

小さな小さな神社ですが、下記サイト下方で狛犬の阿吽(あうん)の一対が見られます。
https://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/12355945.html

昭和11年のものだそうで残念ながら石工の名前は彫られていないらしい。しかし、祖父は昭和24年に亡くなったそうですから、一応つじつまが合います。で、わたしがふと気になったのは狛犬の目が青いこと!

ふ~ん。これは数年前から暇を見てはあちこちの神社と狛犬巡りをしているモイケル娘に聞いてみようと思っているところです。

そして、果て?何ゆえ我がモイケル娘は狛犬に興味をもっているのかえ?と、これまた、今更ながら我が祖父との奇遇を感じるのであります。

今年春で弘前帰郷は最後かな?と思っていたのですが、これでは、また行かなくっちゃと、妹と話していたのでした。

お付き合いいただき、ありがとうございます。本日はこれにて。

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2018年9月28日 

今春、帰国したときの、横浜のおじのことを書いたのは4ヶ月ほど前のことです。題して「老人ホームを探して」。

詳しいことは上記リンクをクリックしてもらえれば、書いてありますが、以来、毎週日曜日にはそのおじに国際電話を入れています。

おじはケータイ電話をもっているもののスマホはないので、買ってあげようかとのわたしのオファーに「この歳で今更どうすんだい」と、要らないのだと言います。考えてみれば、このわたしも、スマホの機能を使いこなせずにいるわけですから、85才のおじにはやはり無用のものかも知れません。

スマホ云々は、おじが老人ホームに入ってしまうと、小規模な施設なら別だが、大きなところだと呼び出しも難しく、わたしがおじと連絡が取りにくくなり、それで、と言う話だったのです。

おじの終の棲家探しは着々と進み、持ち家も既に売却し九州の大きな有料ホームとの契約も終え、10月末には横浜から博多へ移ることになっています。

問題は現在まだ家の中にある家具やその他諸々。テレビにいたっては、処分するにも1台3万円かかるのだそうで、3台あるのを2台は息子に持って行ったもらったと言います。

毎日曜日に電話をするたびに、あれは要らないかこれは要らないかと聞かれるのですが、いかな何でもこの距離では、欲しいにもおいそれと頂くわけにはいきません。

桐のたんす、津軽塗りの脚立、食器棚等は、家に残していくとそのまま家屋を解体するときに同時につぶしてしまうのだそうで、あ~ぁ、もったいないなぁと思いながらも、どうしようもないのであります。

日本国内にいたら、整理の手伝いに行くのですが、ポルトからでは無理。そこで所沢の妹夫婦が行ってくれました。「うちももう大きいものは持てないから」と、家具類はいただかず。しかし、障子はもったいなくて、いただいてきた。蝶番(ちょうつがい)をつけて屏風風にしあげてみるつもりのようです。

それらのなかでも、わたしたち姉妹の幼い頃のを含む、吉崎家(我が母、おばの実家。我が祖父母一家)関連の古い写真がたくさん出てきて、これはおじが持っていてもしようがないので、と、妹が頂いてきたとのこと。

その古い写真の一枚から、妹が探し当てたのが、わたしたちの祖父が作ったという神社の狛犬なのであります!

弘前のあそこにまだある!と聞いて、えーー!数年前はここだというので行ってみたら、どうも違う様子のようで、@@と、こんな感じで帰ってきたのでしたが、明日はその話をば。
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2018年9月25日

今日はわたしが呼ぶところの「東京息子」の誕生日なもので、息子に関する過去記事もめて、ちょっと親バカもどきの記事になります。

東京息子

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世、息子とは時々LINEを通じて「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとできてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いメッセージのやりとりをしています。が、三つ子の魂百まで。子供のころからの息子の性格からして、きっと大笑いされるような話が山ほどあるに違いない。

今日は日本に行った頃の彼のそのいくつかを紹介します。
週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱい、筋トレをしていたら、係員が顔を青くして飛んで来、「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったくいい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子を想像したわたし、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げていたら、そんなのがいくらでもあると言うのだ・・・・・

年末に福引がすぐ近くの商店街であった。
例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目前で力いっぱい何回も回して、とうとうガラガラポン本体の丸い部分が壊れんばかりに外れて玉いっぱい外へ飛び出してしまったって・・・・
息子いわく、「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやってくださいませ~。

周囲の人達からは「ジュアン君て原始人みたいだね」と言われると言う。げ、原始人^^;「粗にして野」か・・・

するとチャットに加わっていた横からモイケル娘、「おっかさん、うちでも外でも変わらない、表裏のない人間に育って欲しいと願って育てたんでしょ?その通りじゃん、はははは」

そ、それはそうだけど、
息子が赤ん坊の頃、わたしは思ったものだ。内も外もない、どこでも同じような振る舞いをする裏表のない子になって欲しいな、と。天真爛漫、天衣無縫、元気溌剌、人見知りもせず、誰にでも相手をしてもらえたものだが、今にして見れば微妙に違うんだよね^^;

今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏ではないが、「祖にして野」しかし、「卑」にはなるなや。

johnboy1.jpg

ポルトでは、「ジョン・ボーイ」「ジョンジョン」とか、時には、当時人気のあったアメリカのTVドラマ「ダラス」のちょっと悪い主人公J.R(ジェイ・アー)と同じ頭文字から、「J.R.]とも呼ばれた息子は、全く人見知りのしない性格から、親戚一同、また外で出会う見知らぬ人達からも可愛がられたものだ。

5歳のクリスマスに、アメリカに住む我が友人からスーパーマンの赤いマントをもらい、すぐさまそれをまとって家の階段を降り玄関口で両手を広げ、
「up up in the sk~y!・・・あれ、ママ。このマント飛ばないよ@@」としでかしたのには驚かされた。
それよりなにより、二階のベランダから飛び出そうとしなくてよかったとわたしは冷や汗をかいたものである。

また、子供たちが小学校3年生くらいまでは、ベッドタイムストーリーと称して寝付く前のひと時、ずっと日本語と英語の本を読んであげたものだ。

とある冬の日に息子に読んで聞かしたのは、ノルウェーの探検家で、イギリスのスコット大佐と競い、人類初の南極点到達を果たしたアムンゼンの子供時代の話であった。

北欧では寒さを防ぐために二重窓になっていると言う。少年アムンゼンは、体を鍛えるために冬の最中、その窓を開けて上半身裸で寝たというような話だった。黙って聞いていた息子、その日は「おやすみ^^」といつものように明かりを消してわたしは彼の部屋を出た。

しばらくすると、息子の部屋から灯りがもれている。 ん?眠れないのかな?と思い、ドアを開けて見ると、あらら~~~!息子!上半身裸でベッドに座り、なんと、部屋の窓を開けっ放しにしているではないの!アムンゼンの話がききすぎた~!!
息子を説得してやっと寝入った後で、夫とわたしは腹を抱えてひとしきり笑ったのであった。

下の画像は2009年7月にネット発売された、息子の一曲が入っているCDカバー。Full Propulsionが活動名だ。

JR_cd.jpg

歴史は繰り返す、息子とわたしの同体験


リスボン大学でITコースを修学した息子だが、せっかくのそれを一生の仕事にしたくないと言い出し、英国ケンブリッジ大学認定のCELTA(Certificate in English Language Teaching to Adults=英語を母国語としない英語教師の教員資格) を取得した。

IT関係の仕事は時間の制限がなく、精神的にも肉体的にも厳しいと現場の人の話を耳にしていたし、実際健康を害している人も知っていたので、息子がそう言った時に、コースを修了したのにもったいないと思ったものの、敢えて反対はしなかった。

結局、そのCELTAを利用して息子は最初、東京の語学学校のBで仕事を得て働いていたのだが、日本へ渡るとき、何はおいても趣味のトランス音楽作曲に必要なものだけは、パソコンの箱を分解して、衝動で壊れるといけないからと、バッグに詰め込み、後生大事に、自らの背中に背負い込んで行ったものである。

語学学校の仕事にも少しずつ慣れ始めたころから、そろそろと音楽活動をし始め、これまで数回依頼されてパーティー会場などで演奏していた。が、残念なことに飲み食いは只だが、ギャラもただ(笑)

ある時、都内の、とある会場で自作のトランス・ミュージックをひっさげて演奏していたところ、その会場へやって来たのが、「うげ!ボ、ボスだ!」

職場語学学校Bのアメリカ人ボスが姿を現したのだそうだ(笑)

「で、あんた、どうしたの?」
「最初は咄嗟に隠れようと思ったんだけど隠れるところがなかった」

当たり前ではないか。頼まれた演奏を途中でほったらかして、ボスが来たからと消えるわけにもいくまい。仕方ないから観念して、自分からボスのところまで出向き、
「ハロー・ボース^^」(笑)大都会の東京で、そんな風にして職場のボスに遭遇するとは、世の中誠に狭い。

「おっかさんにも昔、バイトのビアハウスで似たようなことがあったのだよ」と、息子のこの話を聞いて思い出した遥か昔のできごとを語り、親子で同じような歴史を繰り返してるとは、と二人で笑いこけていたのであった。

その話とは、「あの頃ビアハウス」にある。興味がある方はどぞ。
 「グッドチーフ・バッドチーフ1
 「グッドチーフ・バッドチーフ2

あげたらきりがない思い出話だが、息子の性格を端的に表していた一枚の写真がある。

JR.jpg

日本の社会は息子のような性格の人間には、少し息苦しく感じられるであろうとわたしは思っている。大学の講義がない春、夏にポルトに帰ってくるのは、天真爛漫、天衣無縫の本来の自分そのままを受け入れる私たち親や友人たちがいるからであろう。ここで鋭気を養って再び日本へ向かうのである。

海外へ出る多くが、いずれ故国に帰るノスタルジアを抱えるポルトガル人の血を、がっちり息子に見るのである。
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2018年8月23日 

息子とガールフレンド、娘と我ら夫婦の賑やかな今回の5人家族旅行は国境近くのアルメイダとスペインのサラマンカだった。家にいる間中もそうなのだが、車中も食事中も、息子は妹とガールフレンドを絶え間なくからかい、喋りまくり、よくまぁ、二人とも耐えられるなぁと感心することしきり。

息子の口が閉まっているのは寝てるときだ。「お前、ポルトの仲間と一緒のときもそうなの?」と、聞いてみた。静かだと、いったいどうしたのだ?とみんなが心配するのだそうで、果たしてダレに似たのだろうかとそこで話がでた。

人をからかって喜ぶところは、我が父の血ではあるまいか?父は食事中に「ひろいち、ひろいち」とよく母をからかって喜んでいたものだ。「ひろいち」とは、「弘前(ひろさき)で一番」という意味で、何が一番なのか、ついに分からずじまいだったが、母は父のからかいにいつもプンプンしていたのを覚えている。

次から次へと弾丸の如くぽんぽん言葉が飛び出してくるところは、我が日本人の血筋ではない。さりとて、夫側にもその心当たりはないという。すると息子いわく、「ボクの性格はBad combination(よくない結合)なんだよ。パパのStubborness(頑固さ)とママのRestlessness(絶えず、休まず動くこと)の。はははは」

えー!と一瞬、固まった母のわたしである。思わず我が身に問うてみた。わたしってRestlessなの?

して見ると夫に「また増やすの?」とか「まだやるの?」と幾度か言われたことがある。近頃それを耳にしないのは夫が諦めたのであろう。あれやこれや仕事を増やして途中でアゴをだしそうになることも多々あるのだが、結局ひとつ終わってはまた別のことに手を出してしまう性分だ。

このRestlessは歳も考えずに秋から更に増える予定なのである。そうかいそうかいと心中思いながら、息子にRestlessと言われてちょっとギャフンだった。息子の性格はさしづめ日本とポルトガルがもたらした文化の合体とでも言えるだろうか。

そう思いながら、過去にモイケル娘が言った印象深い言葉を思い出した。
日本へ渡り2年ぶりに帰省した時のことだ。

「おっかさんと親父、性格の違いじゃなくて、文化の違いもあるんだねぇ。 一緒に住んでいた時は気づかなかったけれど、2年ぶりに来て見て分かった。」

うほほほほ。あんた、ちょっとは大人になったじゃないと観察力に感心した。

惚れたはれたの間は見えないのだけれど、これが一緒に暮らすとなると、国籍の違う者同士、どうしても文化の衝突はある。

いえね、わたしたち、大きなやりあいはしないけれども、個人的な些細なことがきっかけで終いには、
「日本のこんなところは、よく目にしたよ。そういうところは、ああだらこおだら」と夫。
「なによ、ポルトガルだってこういうところがあるじゃない!」
と、日本対ポルトガルの国同士の言い合いに高じるなることは、時々ある。これは文化の衝突といえまいか。

個人の趣向の違いももちろん出てくる。例えば、音楽を聴くとき。わたしはボリュームを大きくして、音楽を満喫したい方。片や、夫は、かなり低いボリュームを好みます。わたしから言わせると、「そんなんじゃ、その音楽のよさがわからんじゃん!」です。

息子や娘があきれる「バター戦争」もそうだ。夫は固いバターを頑張って薄~くナイフでのばして取り、パンにつける。片やわたしは、「それなら、冷蔵庫外に出しておけばいいじゃない。固いバターは、バターそのものを食ってるみたいでいや!」(もちろん、夏は別da)

それで、どさくさにまぎれて外に出して置くと、「バターを冷蔵庫に入れておくべし」と夫が抗議する。毎日食べるバターだ、冷蔵庫外に置いたとて、いたんでしまうところまで行く以前に食べてなくなってしまうでしょ(←わたしの言い分)

要は、彼は固バタ党、わたしはソフトバタ党。んじゃ、今日からバターはふたつにすれば?こっちの箱にはyuko、そっちの箱にはCarlos。これでどうよ!とまぁ、こんな具合だ(笑)子供たちはそういう親のヘンチクリンなのを見てきて、もしかしたら、「なんでこうなるのか?」と思っていたのだろう^^;

モイケル娘がそういうところに目が届くようになったのは、やはり、日本の生活を通して自分も少なからず経験するところがあったからに違いあるまい。20歳の娘の口からその言葉を耳にした時は、ちっとは大人になったなぁと思ったのである。

結婚した今は、今回久しぶりに両親の生活ぶりを目の当たりにして、もっとドライな観察をしていたかも知らない。二人の人間がひとつ屋根の下で生活するとなれば、多かれ少なかれ大げさな文化の違いだけではなく、育った環境というバックグラウンドの違いを越えて、ある程度譲り合わないとうまくできない。

我が妹も言っていたのだが、思いのほか、自分を抑えて人に譲るところがあるモイケル娘だ、自己主張と譲ることをうまく使い分けて、楽しい生活を築いて欲しいと思っている。

それにしても女子二人が帰りからかう相手がいなくて息子も手持ちぶたさのようだ。家の中が静かで、ここ数日、深い溜息つき、空洞の念を取り払おうとしている母である。
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2018年8月19日 

ばたついている今日この頃、それゆえ、本日は我がモイケル娘の小噺もどきをアップしてのごまかし、ご勘弁あれ。

2004年に大学受験で単身日本へ渡った彼女が、日本という異文化の中で日々新鮮な発見にいそしんでいた頃の、ちょっと笑えた話をば。

"fabulous" "marvelous" by モイケル

美容院の窓にかかげられていた言葉。
何も考えずに見ると綺麗なデザインだけど

ちょっと置き換えてみた。
「素晴らしい」「優秀」という日本語が海外の美容院の窓を飾ってたらどないやねん。

ある時、どこかのレストランの看板にアラビア語が書かれていたのを
「どういう意味なんですか?」と聞いてみたら
「知らない、かっこいいから飾ってみた」と返ってきたそうな。

また、あるアメリカの夫婦
「この漢字、気に入ってるから額に入れてるの」
と「歯医者」という字を飾ったり。

慣れない字は魅力的だけど、ちょっと考えたほうがいいと思う(笑

「歯医者はまだいいぞ。産婦人科なんてこったら、はずかしいかも^^;」


こんな発見をしては面白いことを呟いていたモイケル娘も2週間の帰郷を終えて、明朝は再び彼女の夫が待つ日本へ帰って行きます。母はもう少し居残る息子の世話をば。

では、本日はこれにて。

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