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2020年5月3日 

ポルトは夕方で28度と初夏なみの気候です。
日本を始め、多くの国では5月の第2日曜日が母の日になっていますが、ポルトガルは5月の最初の日曜日で、今日です。

東京息子とモイケル娘から、スカイプに母の日のメッセージが入っていました。いつだったかは、リスボンから花束が届いて驚いたことがあります。今はお金さえ払えば国外からもカードを添えてネットで注文し届けてもらえるのだそうです。

母の日のカードと言えば、古い話になりますがこんな忘れられない一枚があります。

kachananone1.jpg

昔、モイケル娘からもらった母の日のカードです。

「あのね、お母ちゃん、言いたい事があるんだけど・・・」で始まる会話がモイケルによって書かれています。
赤線が引かれている言葉は「メザ=ポルトガル語のテーブル」、「バタタ=同じくポルトガル語でポテトチップス」、「フロア=英語で床」。

日常会話は日本語で話すようにしていたのですで無意識のうちにポルトガル語や英語がどうしても混じってしまう当時の私たち家族のトライリンガル(三ヶ国語)状態が表れています。

母親のふきだしにあるように、子供たちにはそれぞれ家での役割がありました。 ネコのトイレ(砂)の片付け、食卓の準備とその後片付け、自分が遊んだ玩具の片付けもそうです。

「まぁ、なにかしら?」なんて優しそうに対応していますが、即、弾丸のように母親の口をついてくる「その前にあれはしたの?これはしたの?」の決まり文句であります。

このカードをもらって読んだときは、子供の話に耳を傾けているようで実はそうでない日頃の自分の姿を見、ガツンの頭を殴れらた気がしたものです。カードのウラはこうでした。

hahanohi.jpg

「努女・・・じゃなくて努力」の部分は、モイケルめ、漢字を書き間違ったものの、書き直す代わりのカードが無かったのだろう、そのまま誤魔化して(笑)

「このメッセージは一体母の日とどう関係するのだろう・・・と書いてから思ったアホウな娘である。まぁ細かいこた~気にせんようにしませう」 いったいなんじゃいな(笑)

「努力は積み重ねるから崩れる」なぁんて我が、同窓生いなかっぺいさんのフレーズがエラく気に入ったようだ(笑)

そんなわけで、このカードは自分への戒めのために長い間取って来たのですが、「あれをした方がいいこれをした方がいい」の癖は抜けず、今回の武漢ウイルスに関しても、スカイプを通して色々メッセージを残すもので、二人から「分かっとるわい、言われんでも。もう子供じゃないよ」と実はうるさがられたのでありました。

そうなんです、もう二人とも子供ではないのですが、親のわたしからすると、いつまでたっても子は子です。こちらは色々経験があるので、こうしとけば助かったりする、役にたったりすると、つい言ってしまうのですね。

自分が体験して学ぶのが一番経験として残るのでしょうが、ちょっと知恵を働かして、経験者の言に耳を傾けると「しまった!」ということなく学べるのじゃないかとは思うのですが。
子どもたちにばかりそれを望んでもダメですね。自分の若い時が、やはり頭を打ってからでないと学びませんでしたから。はははは。

ではみなさま、また。

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2020年2月29日 

息子も甥達も、もちろんわたしや妹も、我が一族には誰も馬に乗りたいなどと言った試しがないのだが、どういうわけか、モイケル娘は小学生の頃にそれを言い出し、ポルトにいた頃はしばらく乗馬クラブに通っていました。

mariana_uma2_1.jpg
9、10歳のころ。ポピーと。

指導員に手綱を持ってもらいゆっくり歩くのから始まり、一人で馬に乗って歩けるようになるまでの最初のうちは、こちらものんびりと、彼女の楽しむのを見ていました。

が、初歩の練習を積み、やがてトロット(速歩)に入り、ギャロップという駆歩(馬が一歩ごとに足4本全部を地上から離して走る最も速い走法。)になると、もう、怖くて怖くて(って、なんでわたしが怖いねん?^^;、いえ、心配で心配で、練習馬場を見下すことができるカフェから見ているこちらは心臓バクバク。


何が心配かって、落馬ですよ。
本人はけろりとして練習馬場を出て、馬を厩に連れていっても、こちとら、手に汗にぎったまま、緊張がほどけない(笑)顔もこわばっておりました。

すると、次はとんでもないことを言い出しました。
「障害をやりたい」
えー!どっからそんな考えが出て来るのよ!
しょ、障害レースってあぁた、昔、我がオヤジ殿がやっていたあれじゃん!と、もはや絶叫の心地でした。

mariana_uma1_2.jpg
写真は後年、ポルトの修学旅行時に乗馬を楽しんだときのスナップ。

そうなのです、鬼籍に入って30年ほどにねいますが、我がオヤジ殿は、その昔、岩手の地方競馬の騎手だったのです。

いつだったか、日本に帰国したとき、妹が嬉々として「面白い写真を見つけた」と持ち出して来た古い古い写真の一枚にこんなのが↓
chichi_jouba_1.jpg
右が親父殿です。

私たち姉妹が一度も目にした記憶のない、この写真。オヤジ殿の馬上姿です(向かって右側)。
レースで優勝したこともあると自慢話はさんざん聞かされていたものの、実は一度もその晴れ姿をわたしたちは見ていないのです。

見たのはと言えば、埴生の我が家には似つかわしくない立派な額に入ったカラフルな競馬服に身を包んで馬の手綱を引いて立つ優勝時の一枚の写真のみ。

その写真も、オヤジ殿の火の不始末から出た火事で焼けてしまい、残っていたこの写真は、どう言うわけか、亡くなった横浜のおばが保存していたのでした。

さて、モイケル娘はその後、どうしたかと言うと、始めたのです、その障害飛びとやらを。

当時まだ元気だった母に国際電話でそれを話しましたら、モイケルはたった一人の娘孫です、即、「止めさせよ!落馬して怪我でもしたらどうする!馬はおどさま(オヤジ殿のことです)だけで十分である」とのたもうたのでした。ごもっとも^^;

目をそむけたい気持ちを追っ払って、ジャンプするモイケル娘の姿を、しっかとその姿を見ることができず、わたしが見ていたのは馬場の土のみ。こちらは毎度生きた心地もなくひたすら、止めてくれることを願っていました。

ある日、もういいかな、との言葉を耳にした時は、ほっとしたものでした。

東京のW大学に入り、乗馬をまた始めたいと言ったのですが、入会金の高いことを理由に、聞かぬふり素知らぬふりしていたおっかさんでありました。

しかし、一度メッセで話してみると、なんとまぁ、既に日本で乗馬済みだと^^; しかもサラブレットに乗る機会に恵まれたのだと^^;

我が親父殿の血が娘に出たでありましょうか、トホホ。

このところ、日本ではやれマスクがないだの、トイレットペーパーがないだのと、武漢肺炎関連の話が尽きず、政府の対応にはもうちょっとなんかできないのかと胃が痛い数日でしたが、子供たちのこんな昔のことを思い出しては、なんとか気を紛らわせようとしておりました。

みなさま、本日はこれにて。
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2020年2月23日  

現在は関東近辺の数か所の大学で英語講師をしている我が東京息子がリスボンに住んでいた頃の話をば。

夏休みを返上して、丸一ヶ月9時から6時までTEFL(テフル=Teaching English as a Foreign Lauguage=外国人に英語を教える教授法)コースをとり、めでたく英語教師免除をとった息子が、リスボンのとある語学学校で英語の特別個人教授をしていたときのこと。

生徒は日本からやってきた30代の女性だそうで、「ポルトガルで英語かぁ」と、ちょっと違和感があったのだが、それは置いといて。教本には書かれていない教授法のコツのようなものがあるので、そのツボを押さえておくと、授業はいいものになると思い、補習校での20数年間と日本語講師のこれまでの経験があるわたし、息子にあれやこれやメッセで話しながらアドバイスしていた。

その息子が再び日本語を勉強するきっかけに或いはなるかもしれないと思い、ある日、外国人のための日本語教本英語版をコピーして息子に送った。この教本は、英語を教えるのにも意外と役立つと思ったのである。

その日も、彼の個人授業はうまく運んだか(一回のレッスンが3時間ぶっ通しである)とメッセで聞くと、ずいんぶんうまく行ったとのこと。送った日本語教本が英語授業に役立ってるらしい。

「ねね。BOINってどういう意味になる?」と息子が聞く。

ネットでの会話は今でこそ息子とは日本語だが、当時のメッセ会話はすべてローマ字だった。
「ボ、ボイン?^^;」・・・・

「そ、そりゃあんた、maminha(マミーニャ=オッパイ)の大きいのを言うのだよ。」と、俗語も知っておいたほうがいいと思ったので一応ちゃんと説明をつける。

「"ボインちゃん"なんて言ったりして使うのだ」とわたし。(←残念ながらわたしではないw)
と、せんでもええのに、余計な例まで上げて^^;

息子「じゃ、HAN-BOINって?・・・・ママ、それじゃ、意味が通じないよ。
    第一、これは日本語言語の言葉だぁ~!」
母  「うげ!@@@@か、勘ぐりすぎた!」

息子よ、先にそれを言ってくれぃ。

ボイン 母音 拇印と色々あって、ローマ字でBOINっつったって分からんぞ、と自分の早とちりを棚に上げて(笑) 息子の言うのは「母音、半母音」だったのでした(汗)

いやぁ、日本語も色々ですわ。
ん?あんたが早とちりなだけだって?@@ は、はい、さようでござんす。

とっつばれ。(津軽弁で「おしまい」の意味)

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2020年2月17日 

先々週、2月8日は、ポルトで漢字検定試験が実施されました。
その週は午前中4時間ほどある日本語教室を休校にして、初級2年目のクラス6名の生徒を試験場である元私の職場に当たるポルト補習校へ引率しました。

受験級は10級なのですが、受験させるのが少し早かった気が今回はしないでもありません。
結果は40日後に分かるので、楽しみでもあります。

この漢検ですが、ポルトガル、ポルト補習校が受験会場に指定されており、我がモイケル娘も昔、当校で漢検3級まで受験しています。補習校に通ったのは週に一度の3時間、そのうち国語学習は1時間半でしたが、3級を受験したのは高校1年のときで、よく頑張ったなぁと思ったものです。日本の大学に行きたいという夢あったればこそでしょう。

しかし、そうして覚えた漢字は、日本で生まれ育った人たちの身についたものとは別問題のようで、漢字に関しては結構面白い失敗をしでかしているモイケル娘であります。

早稲田大学での2年目の終わり、選んだたコースがどうも合わないとかで、なにやら勝手に他大学編入試験を受けたときの話です。

手ごたえはどうだったの?」
(↑断固、転入編入反対していたのではあるが、とりあえず聞いてみた)
「う~ん、どうなんだろ・・・でも、英語を和訳するところで、漢字間違った。」
「漢字を?自信がない漢字はひらがな、もしくはカタカナで行こうよ。」

試験問題の和訳は「核」に関する英文だったそうだ。「nuclear」つまり日本語では「核」であります。その「核」が三箇所も出てきたのだそうで、間違った漢字というのは、「核」なんだって^^;どんな風に間違ったかと言うと、あっはっはっはっは!これが笑わずにおらりょうか!

もう腹が痛くて涙が出てきて、それを披露した当時のチャット仲間たちにも、「お前、それ落ちてるぞ。」と直言されプリプリしている娘をも構わず母はパソコン前で体よじって笑ったのでした。

で、どういう字を書いたかと言うと、木へんに玄。ぐっはっはっはっは!

そんな字、あったっけ?本人も既に調べたようで、「ない!」と(笑)
しかし、なんとなく似てるには似てるわ^^
帰国子女は往々にして、こういう間違いをします。どれどれと思ってわたしも調べて見ると、この「核」という漢字、2級で出題です。やっぱりねぇ^^ 2級まで挑戦してみましょう、もいちゃん^^

「核」の間違いに拘わらず、編入試験に通ってしまい、東京から遥か離れた本州南の外れに行ってしまった娘の話ではありました。

さて、大卒後、東京都内の某企業に就職し3年勤めて学費を稼いだ娘は今度はとんでもないことに挑戦すると言い出しました。近世文学専攻だと(大汗)。 

近世文学は徳川時代から明治維新間の文学で、古典に比べると文章も比較的分かりやすいとは言うものの、問題はくずし字でありました。

モイケル娘、当時、かように書いております。

こころは豚にひかるる大八車

いやー。参った。文字に襲われる夢を見ました。はっはっは。

自分のペースでできることをやるしかないと再度自分に念押しを。周りはどうあれもっと気楽に失敗しまくろう\(^o^)/ と思うことにした結果

ぶたにひかるる1

赤枠内の文字を「豚にひかるる大八車」と解釈して今朝発表して先生の盛大な苦笑いを頂きましたww正しくは「縁にひかるる」ですね。

いやー、おかしいとは思ったんだよ。でも他の字が浮かばなかったし、そもそも辞典の豚の字と似てたし、右のルビも「とん」に見えるし。「えん」だったんだねー。

ちなみにこれは1688年に増田円水に書かれた『好色大神楽』という浮世小説です。物語が井原西鶴のなんかの小説(忘れた)に酷似しているのがひとつ注目すべき点だとかなんとか。

ほんと気分は暗号解読者だよ。今日から暗号解読者を名乗ろうかな。

どうも。暗号解読者です。ディサイファー(decipher=判断が難しいものを読み解くこと)です。

豚は大八車をひきませんよ。


んで、ちょうどこの時、日本に帰国して子どもたちのところに滞在して、彼女と一緒に頭悩ましたわたしと言えば、次の如くなり。

いやぁ、参った参った。紀貫之さまではありませんが、「娘もすなるくずし字といふものを、母もしてみむとてするなり」でありまして、モイケル娘が生まれて初めて取り組む1600年代に書かれた小説の原文読みの講義、いやはや崩し文字の漢字もさることながら平仮名のややこしいこと。

ただ眺める分には、美しいなぁで済ませるものの読むとなると、これは殆ど苦行であります。

2豚に光るる

二人して迷路に入り込んだ心地して、面白いもののその結果、いと恥ずかしき(笑)

江戸時代に「豚」っておったのかな?いや、ブタとはイノシシのことかも知れんぞ・・・しかし、なんで「心」なのだ?と不可思議に思ったものの時間切れ。

えぇい、分からん、しないよりはましだという母娘二人の結論が「ブタにひかるる」と相成りそうろう(爆)これからが恐いような楽しみなような、とこれまたいい加減で能天気な母。

大学から帰宅した講師からの正解を聞き、ガハハハと爆笑してしまったくずし文字探りテイタラクでありました。この母にしてこの子あり。

お粗末さまでございました。
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2020年2月9日 

今日は我が母の命日です。
17年前のこの頃、辛い思いで日本に向かいました。機内で一睡もできずにいたら、スチュワーデスさんにこっそり告げられて、夜間飛行の機内の窓から、眼下に初めてオーロラを見たのでした。

以来、オーロラという言葉を耳にすると母に最後に会うために日本へ向かった日のことを思い出します。
   
昔、ポルトガルへ嫁ぐと決めたときに、アリゾナ・ツーソンに住んでいたアメリカ人の夫を持つ年配の日本女性に言われた一言を今更のように思い起こした時でもありました。 「Yuko、異国の人に嫁ぐということは、親の死に目に会えないということです」

父親の場合がそうでした。死に目どころか、諸事情で葬式にも出ることも叶いませんでした。
   
我が母のときは、現在のフラットを購入し引越ししてすぐのこともあり、経済的にも大変な時期で、帰国をもう少しあともう少しと引き伸ばしていたのです。

その頃、頻繁に母の夢をみました。すると、間もなしに妹からの連絡で、もう待てない、すぐ帰って来いとの連絡が入りました。

わたしが日本に到着して二日目に、まるでわたしを待っていたかのように、母は病院で静かに息をひきとりました。母の目からこぼれ落ちる一筋の涙をふき取ったのが最期でした。

その後、2年間は、母の写真が飾れませんでした。親がいつまでも元気でいるわけではないことを頭では分かっていたつもりが、あれをしてあげればよかった、これもしてあげればよかったと後悔し、亡くして後、実感したのでした。

母の葬儀は、仏教式ではなく、読経のない花と音楽の葬でした。同居していた妹の話では、費用の高い戒名もいらぬ、自分の葬儀はそのようにできたら嬉しいと洩らしていたようでした。

わたし達は市の斎場の一室を借り、棺の周りをたくさんの花で飾り、母の好きだったタンゴ音楽を流し続けました。
蒼空、黒い瞳、ブルータンゴ、奥様お手をどうぞ、ラ・クンパルシータ、真珠採り・・・

それらを聴くと、一人でまるでそれがパートナーがいるかのように、わたしたちの前で踊っていた母の姿を思い起こすのでした。
2タンゴ
Wikiより

もうひとつ、母の葬儀でわたしたち姉妹が決めたことは、「お香典をいただかない」ことでした。当時はまだ花葬式など珍しかったようで、「このようなお葬式、初めてさせていただきました。良かったです。」と、葬儀を取り仕切ってくれた人の言葉でした。

母は妹夫婦の家族と都会に20数年住んだのですが、母の故郷は弘前で、年に1、2度は帰郷し、山菜取りに山に入ったりして友人たちと交流していたようでしたが、みな、歳をとっており、無理をおして来て頂くのもいけないと思い、故郷の母の友人たちには敢えて連絡しませんでした。 

さて、葬式も終わって母の一番の友達のOさんには連絡せねばなるまい、となり、妹とわたし、どんな風に切り出したらいいかしらね、と言いながら電話のダイヤルを回しました。

娘さんが応答し、「実は・・・」と話し出したところが、「あの・・・母は2週間前に亡くなりまして」との返事を聞いたのには、絶句したものでした。

仲のよかった友達同士、「あんた、そろそろ逝こうかね」とでも言いながら、二人仲良く逝ったのだね、と妹となんだか哀しいような切ないような。

そんなことを思い出しながら、母の好きだったタンゴを聴くことがあります。母の影響だけではなく、わたし自身も若い時にはアルフレット・ハウゼ・オーケストラでたくさんのタンゴ音楽を聴いたものです。

タンゴにはコンチネンタル・タンゴ(ヨーロッパ・タンゴ)とアルゼンチン・タンゴがありますが、エレガントなコンチネンタルに比べ、アルゼンチン・タンゴは情熱的です。わたしは踊れませんが、見るだけでも「ふーッ」っとため息がでてきます。
タンゴ3
Wikiより

タンゴ音楽が使われる洋画も数えてみると結構あります。知っているだけでも、シンドラーのリスト、パブロ・ネルーダの郵便夫、Scent of Woman(「邦題:夢の香り」だそうです)等など。

シンドラーのリストとScent of Womanで使われている音楽は同じものでアルゼンチンタンゴでも有名な「Por Una Cabeza」。スペイン語で、「馬の首の差で」という意味。

下にScent of Womanで盲目の退役軍人扮するアル・パチーノが軽くタンゴを踊るシーンをアップしてみました。アル・パチーノはこの映画でアカデミー主演男優賞を獲っています。



こちらは、映画「Take the Lead」の1シーン。日本では未公開の映画だそうですが、実話に基づいており、わたしの好きな映画のひとつです。

アントニオ・バンデーラスが本格的に踊っています。
NY、とある高校のおちこぼれたちに社交ダンスを通じて、生きる情熱を学んで欲しいとボランティアを申し出るダンス教師をバンデーラスが、演じています。なかなか授業に乗ってこない生徒たちに、情熱的なアルゼンチンタンゴを披露し、ヒップホップ生徒たちの目を白黒させる圧巻的な場面です。



また、最近見たのには、アルゼンチン出身のバンドネオン・タンゴ奏者、アストル・ピアソラのドキュメンタリー映画がありますが、わたしの好きな一曲、ピアソラが亡き父に捧げた「Adiós Nonino(Farewell Father)」を下に。



してみれば、昔、わたしがバイトで歌っていた大阪は梅新の旧アサヒ・ビアハウスの常連さんに、来るや必ずタンゴを踊るカップルがいました。雑誌記事にも取り上げられたのが下の写真です。ヨシさんのアコーディオンでマイクを手に歌っているのは若き日のわたし。
タンゴ

ピアソラの「Adiós Nonino」は、わたしの場合、母を思い切なくなる曲です。

ではみなさな、また。
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