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2018年8月19日 

ばたついている今日この頃、それゆえ、本日は我がモイケル娘の小噺もどきをアップしてのごまかし、ご勘弁あれ。

2004年に大学受験で単身日本へ渡った彼女が、日本という異文化の中で日々新鮮な発見にいそしんでいた頃の、ちょっと笑えた話をば。

"fabulous" "marvelous" by モイケル

美容院の窓にかかげられていた言葉。
何も考えずに見ると綺麗なデザインだけど

ちょっと置き換えてみた。
「素晴らしい」「優秀」という日本語が海外の美容院の窓を飾ってたらどないやねん。

ある時、どこかのレストランの看板にアラビア語が書かれていたのを
「どういう意味なんですか?」と聞いてみたら
「知らない、かっこいいから飾ってみた」と返ってきたそうな。

また、あるアメリカの夫婦
「この漢字、気に入ってるから額に入れてるの」
と「歯医者」という字を飾ったり。

慣れない字は魅力的だけど、ちょっと考えたほうがいいと思う(笑

「歯医者はまだいいぞ。産婦人科なんてこったら、はずかしいかも^^;」


こんな発見をしては面白いことを呟いていたモイケル娘も2週間の帰郷を終えて、明朝は再び彼女の夫が待つ日本へ帰って行きます。母はもう少し居残る息子の世話をば。

では、本日はこれにて。

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2018年8月6日 

レッド・エンジンとわたしが呼んでいた赤い車FIATを、中古として売っても二束三文だというので、それにリスボンに住んでいた息子が乗ることになった頃のこと。

「これは君が死ぬまで乗りこなすのであります。」と夫に言われていたもので、時々うっかりアッチブッツケ(w)をしてへこんでるとこもあったが、それでも大事に乗ってきたつもりであった。それがどういう風の吹き回しか、2年前に新車を買ってくれたので、そのレッドエンジン(これは消防車という俗語で、半分小ばかにされておったのです)が息子へのお下がりになったわけです。

そのレッドエンジンの整備を兼ねて、TEFLコース(英語教授法コース)が無事に終わりパスしたところで、やっと夏休みを、と一週間ほど帰ってきていたのだが、車の整備も終わったので昨日夜遅くリスボンへと車を飛ばして帰っていった。

前年一年間、リスボンの中学校の非常勤でITクラスを持ったのだが、その契約も終わり、本人は常勤に
なりたくないようで、また非常勤の仕事を探すらしい。できれば、ITクラスを教えながら、今回免許をとった英語講師の仕事もしたいらしい。

その息子、ある日突然、「ママ、髪刈ってよ。」と言う。刈ってよって事もなげに言うけど、わたしゃ、自分のは前後横とひとりで髪を切るが、男の散髪はしたことがないのだ。

かつてのように、息子、背中まで垂らしてる長い髪ではないが、それでも随分伸びている。無理やり手渡されたバリカンを手にびびって途方にくれているわたしに、
「心配ないから。失敗したらぜ~んぶ坊主にすればいいし。今までリスボンではずっとひとりでやってきたし。」・・・・その使ってきたバリカンが壊れて、ポルトで買ったという新しいのを初めて使用するわけで。

二人で説明書きにかじりつきながら、いよいよ始めましたです・・・うっかりスイッチを入れるのを忘れて、頭の後ろ首筋あたりからに始めようとしたら、
「イテテテ~~。スイッチ入れてからやってくれ~~」(爆)知るか!そんなこと!こっちは初めてなんだ(笑)

頭の後ろ、真ん中から刈れ、というもので、とても心配になり、
「モ、モヒカン刈りになりゃせんかい?」
「ならないならない!早よせぇ~~」とせかせる息子。

んもう、知らないから!と最初は恐る恐る、で、後半は「あら^^面白いじゃない」とズンズン、バリカンを進める。4回ほど、歯の先につけるツール(なんと言うのかしりません。)を、後ろ、横、頭の真ん中と
種類を変え、なんとかできあがり。

しかし、大分短くなり「これじゃまるで今から軍隊に入るみたいだね。」本人はさっぱりした、というものの、なんだか、あちこちからピッ、ピッ、と刈り残した髪の毛が飛び出してる感じだ。

髪を刈ったのは、ひとつには、リスボンに帰るなりすぐ新しい仕事のインタビューに備えることもあるのだが、すっきり坊主頭のようになった息子が、ちょっと新鮮に見えたものだw

「今年の君のプランは?」と、レストランでの食事中の夫の問いに、定職には今年も就かない。非常勤の仕事は見つけるが、もう少し好きな音楽に没頭したい。定職について結婚し家庭を持って云々は、まだ自分には早い。だから、自分は今のところあまりお金に執着しないし着る物にもお金はかけない、との息子の返答に、少々ご機嫌斜めになっていた夫である。

き真面目一本でやってきた夫の心配はわかるのだが、息子の人生をわたしたちが生きることはできない。好きなことをとことんやってみるのも道だ、と女親のわたしは思っている。

できるならば、燃焼しきれず、くすぶった人生を送るよりも、それほどとことん好きなら続けて、できないと分かったらまた考えてみてもいいのではないか?やり直しのきく30までまだ数年あるのだから、とわたしは思っている。 イガグリ頭にして、ちゃんと仕事のインタビューの準備をするくらいの心積もりはあるのだから、まぁ、いいではないか。

平凡な人生もそれなりに困難があるのを、息子はまだ分かっちゃいないだろう。しかし、お金がなくても好きなことをしている、との充足感は若いときにこそ持てるもので、それもまた人生には大切なことなのだ。息子がイガグリ頭を卒業するのは、まだまだ先になりそうだ。

と、思っていたのが、ある日、日本で名のある英語学校講師の仕事を見つけ、彼が渡日して早や9年になる。今では数箇所の大学で非常勤講師をしている。

その息子が夏季休暇を利用して今夜帰国する。どうにか2週間の休みが取れた妹のモイケル娘も共に帰ってくる。 年に一度は日本へ帰国するわたしは、子供たちの仕事の合間を縫って合えるのだが、留守訳をする夫にとって、子どもたちの帰国は、しかも、親子4人が顔を揃えることになるのは、随分嬉しいことのようだ。昨日から夫の鼻歌を聞かされている(笑)

それもそうであろう、家族4人が揃うのは、数えてみたら10年ぶりになるのであった。今回は2日後には息子のフィアンセもやって来る。これにモイケル娘の連れ合いが入ったら、サントス家の新家族メンバーが揃うことになるのだが、彼は猫三匹と留守番だそうな。なんだ、我ら夫婦とすることが同じではないか(笑)

婿殿、申し訳ございません。

モイケル娘の渡日に至るについては、下記カテゴリにてどぞ。

帰国子女物語 
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2018年7月29日 

若い人には興味がない話だと思いますが、70代以上にはドキッとする題材であります。夫婦二人が元気なうち、また、子どもの家族と同居している場合はいい。連れが先に旅立ったとしても、日々の生活が経済的、身体的に自力でできる間はいいのです。

しかし、人によりけりですが、80も半ばを過ぎると、一人暮らしにも色々問題が出てくるのが普通です。わたしは去年七十路の門をくぐりましたが、いずれぶつかる現実です。

そこで、今日は身近にいる、と言っても日本にですが、そういう現実問題を一人で解決するのを試みているとても気になる人がいて、わたしも色々考えさせられることがあったので取り上げてみます。この春の帰国時に、こんなことを書いています。

2018年5月2日

息子の所娘の所を訪ねたり友人たちに会ったりしているうちに日本滞在も3週目半ばに入りました。

実は何の拍子でか右腰を痛めたようで、立ち座りをするたびに「イテテテ」と情けない声をあげ鎮痛剤に頼っているここ数日であります^^;

おまけに、娘宅では椅子の脚に足指をぶつけてしまい、素足でいたもので痛いのなんのってて!ただいま足指の一本が青タンになっており、踏んだり蹴ったりではござんせんか。

そんな訳で今回はもっと都内を歩いてみたいと思っていた望みは諦め、ただいまひたすら、週末日曜日の車の長旅、故郷弘前出発に備え、しばし大人しくしている現状であります。

が、この後の予定である弘前行き、娘夫婦の記念写真撮影、婿殿のご両親たちとの会食等を考えると、どうしても今週中に顔を出さずばなるまいという思いに至った横浜のおじを昨日は訪ねてきました。

15年ほど前に亡くなった叔母の連れ合いのおじとは血のつながりはないものの、我が思い出のエッセイ「夜汽車に乗って」で書いてあるように当時東京から大阪に転勤していたおじ叔母と中学3年生のほぼ1年間を同居したいきさつがあり、帰国時には必ず顔を出すようにしているのであります。

「おー、Yukoか!」と電話で、江戸っ子の、今年85歳になったおじの元気な声。 いついつ行きますと伝えると、「それじゃ、大きな段ボール箱を持って来い」と言うおじの話はポルトへ帰って後のことにいたします。


と、ここで終わったままになっていました。
「大きな段ボールを持って来い」の言葉の意味は、「できれば年内に家を売り払って、有料老人ホームに入るつもりだ。それで、家の中で欲しいものがあればドンドン持って行ってくれ」なのでした。

ちょ、ちょっと待ってよ、おじさん、とは思ったものの、実はおじ、昨年、朝起き掛けに軽い脳卒中を起こしたと言う。午前中は横になって、午後歩いて3分ほどのところにある病院へ一人で行ったらしい。

おばを亡くした70歳代のおじは至って元気で、よくプールで水中ウォーキングをしたり、昔の会社仲間たちと旅行をしたりして、夕食は行き慣れた近くの小店に食べに行くのだと言っていた。が、さすが、80に入ると、仲間たちもみな歳をとり一人二人と亡くなる人も出てきて数年前の九州旅行を最後に、その楽しみもお終いになったようです。

D君たち(車で小1時間のところに住む一人息子とその家族)と一緒に住めないの?と聞いてみると、「いやいや、共稼ぎだろ?それに下の子はまだ小学生だ。同居するわけにはいかないよ」と言う。

ボクもあと5、6年だよ、と、それで、おじは自分の嗜好や外出などがある程度許されるホームを探して、わたしたちが訪れた春には既に目星をつけていた。てっきり関東だと思ったら、何と福岡。えーー!!!わたしも妹もびっくりした次第であった。

しかし、考えてみればおじはM石油会社勤務時代、2度目の福岡転勤では息子の教育問題もあり、単身赴任しているので、おじにとり福岡は大阪に継ぐ、いや、もしかしたら大阪以上に思い出深い第二の故郷であるかも知れない。

ホームの情報については、例えば外出はままならない、アルコール類はいっさいダメ、身の回りのことが一人でできなくなった場合は退室しなければならない、などのところが多い事を、既に福岡のホームで暮らしている知人から得ていたらしい。

近くに住んでいたら、ちょこちょこ時間を見て訪れることができるのに、ポルトガルからじゃせいぜい年に一度、妹の住む所沢からは片道2時間はかかるので、彼女もそうそうはできない。なんだかとても寂しい気持ちで今回はポルトに帰って来たのですが、以来、毎週日曜日はおじに今週はどうだった?体調はどう?と国際電話をかけています。

今月の始め頃、一人で福岡のホームを見学し、おじの希望にかなった病院つきのホームだったので、8月末には契約しに再訪、この秋には入室することにしたようです。

息子の子ども時代から帰国時にはいつも訪れていた横浜のおじの家も売却が決まり、家具も欲しいのは持っていきな、と言われているのだが、我が東京息子はミニマリストで極力家具を持たない主義、モイケル娘はアパートが狭いので持てない。所沢の妹ももう家の中に他の家具が入り込む余地なし。結局、処分することになるのだろうが、わたしが日本にいたら、おばの茶箪笥は形見としてもらっていたかも知れない。

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亡くなった叔母の自宅縁側で我が息子と。

来年の帰国には横浜のおじ宅はもう無くなっているのであるが、ポジティブ志向で、そんならよし!行くところがひとつ増えたと考え、はるばる福岡のホームへおじを訪ねて行こうか!と、思い直しているのであります。

それにしても、今回おじの行動をみて思ったのは、子を頼らず自立していることです。一人で大丈夫かと気をもむわたしをよそに、86歳にして7月上旬にはさっさと一人で福岡へホーム見学に行き、ほぼ、決めてきたこと。家の売却も一人で手配済み。
8月末の契約でもう一度福岡に行くのには、台風の影響の有無を考え、今回行った飛行機ではなしに新幹線で行くこと。 飛行機も新幹線も、1時間前のチェックイン、成田までの交通時間を考えると、新横浜から新幹線にのるのも時間はあまり変わらないと計算している。

ホームのある場所は、福岡時代によく行った元ゴルフ場があったところで、スパあり、ジムあるり。訪問客が宿泊できる施設もあるよ。温泉、一緒に入ろうか。わっはっはっは!と冗談をとばしているおじであります。

一人住まいだと話し相手もいないし食事だって一人、なにかあったときの不安もありますが、新しいホームの環境を楽しんでもらいたいなと心底思っています。

ポルトに住むわたしの場合はおじとは違った問題がでてくるでしょうが、「自分のことが自分で決められるうちに決める」 おじを見てそう思ったのでした。

おじとのエピソード、「夜汽車に乗って」はこちら↓ 
わが青春の急行日本海(1)」
わが青春の急行日本海(2)」

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2018年7月1日 

まだ一ヶ月ほど先、8月の話ですが、うふふふ、日本に住んでいる息子と娘が一緒にポルトに帰って来るんです。二日ほど遅れて息子のパートナーもやってくるので、小さな我が家はとても賑やかな夏になりそうです。

婿殿が来られないのは残念ではありますが、娘夫婦も3匹ねこがおり、1日2日ならいざ知らず、わたしたち同様、二人一緒に何日もの留守は難しいのですね。それに、婿殿は長い休暇も取りにくいところでしょう。

モイケル娘が日本の大学受験を目指して独りポルトを旅立ったのが、2004年6月30日で、ちょうど夫の誕生日だったのです。10年も前になります。息子と娘が共に顔を揃え、家族全員集合はと言えば、ひゃー、かれこれ12年前になりますやんやん!

モイケル娘を日本へ送り出した後の日記にこんなことが書いてあります。以下。

2004年7月2日(金曜日) 「モイケル旅立ち後始末」

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かった娘、モイケル。この日はちょうど夫の誕生日で、「What a nice present」と彼がボソリ呟いていたのを覚えています。わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深~いため息をついておりました。
しかししかし、こんなことでしょげてはいられません^^
で、「さて。じゃ、ちょっとあの散らばった部屋、少しづつなんとかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず娘が残していったペーパーの類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

と、「なんだ、こんなとこにまだわたしのお古の財布が置いてあるわ。捨てきれなかったのかな?」
机の上に見つけたそれをいったんはくずかごにポンと放り込んだものの、何の虫の知らせかちょいと気になり、念のためにと中身をあらためましたらましたら~。
おお!なんとまぁ、「福沢諭吉さん」が二枚入っているではないの!も、もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだったで・・・^^;この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよ~。ホクホクホク。
モイケルめ、きっと今頃、家計簿の計算があわないでいるに、違いない。(日本に着いたらすぐ家計簿をつけよ、と言ってあった)
これを黙って我が懐に入れ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらいに言っとこうか。
しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセでとっ捕まえたモイケルに話しましたら、言下に「親譲りの天然ボケだ」と・・・
トホホホ・・・

とまぁ、嬉しいにつけ寂しいにつけ、なにかとオチがつく家族ではあります。

2008年の家族全員集合時の子どもたちの写真。
moikeru_joao08

3月15日のこの日は我ら29回目の結婚記念日でもありました。大学の春休みを利用して帰国の娘、リスボンから駆けつけて合流した息子ともに、Fozのレストランで食事。翌年2009年2月には息子も日本へ移動したのでありました。

では、みなさま、また。
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2018年6月8日 

おふくろは日本語を教える
息子は日本で英語を教える
娘は結婚して日本で働く
これはまったく当たりまえ おふくろは思う

でもおやじ おやじは何をする?

おやじはまだ仕事をする
おふくろも70過ぎて日本語
息子は日本
娘は結婚
おやじは仕事
こいつはまったく当たりまえ おやじは思う
こいつはまったく当たりまえ おふくろも思う

それなら息子 娘 
息子と娘はどんな考えだろう?
まったくなんにも考えていないことはないのさ

おふくろは日本語を教える おやじは仕事をする 
息子は日本で教える 娘は結婚して働く
息子とパートナーはしばらく一緒にやるだろう
生活は続く おふくろはつづく 日本語を教える
おやじはつづく 仕事をする
息子と娘の人生も日本でつづく


好きなフランスの詩人ジャック・プレヴェールの詩「家族の唄」をもじって我が家族に当てはめてみた。わたしは時折、こんな風に「こいつはまったく当たりまえ」と思っている「おふくろ」をしている自分の姿が見えたりする。

若いときは、この「当たりまえ」ができず、目一杯抵抗したこともあり、頭をぶつけたり叩かれたりしたのも1度や2度ではない。「こいつはまったく当たりまえ」等と、あらまし物事を考えるようになったのは60を過ぎてからである。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」ではないが、多少のでこぼこ道や曲がりくねった道がわたしも振り返れば遠くかすかに見える。

この頃、わたしは思うのである。
「一生懸命何かをしているわたし^^」と自分自身が思っている間は、どうしても見せかけが入って本当の一生懸命ではないのだ。「本当に頑張っている人は、自分が頑張っていることに気づかない」という言葉をどこかで読んだことがある。 「大変なんですよぉ」と言う言葉には、どこかにその人の見せかけを匂わしている気がする。

夫も息子も娘も、「大変に頑張っております^^」という素振りを見せないし口に出さないタイプである。わたしはと言えば、体力があるときは調子いいが、元が体力的に「あかんたれ」のところがあるので、しんどくなってくるとてき面、夫やネコに八つ当たりである^^;

これも気持ちの底に、「自分は頑張ってるのに、あんたらは~」の見せかけがあるからだと反省している。「見せかけない自分」は自然体であるはずなのに、なぜだか努力が要るのは不思議だ。

などとこうしてブログを書くこと自体が、ああああ、すでに自分を「見せかけている」ことになるではないか!自爆だ・・・

さてと、家族の唄に出てくる息子ですが、「オレ、ネクタイしめるのは嫌だね」などと贅沢なことをのたもうて、ホワイトカラーの職場を避けてきたのだが、日本で英語講師の仕事につくことになった時の事。 スカイプで面接を受けゲットした最初の職場、あとで講師の服装を知り、「仕事着がネクタイ背広だってよぉ~」。息子よ、お前も自爆だった(爆)

それが今年で9年になり、のんびり週に3日ほどしてきた講師の仕事を、これまでと違い都内の大学数校かけもちし、月曜日から金曜日まで一応サラリーマンの如しである。息子曰く、「ちょっと仕事、とり過ぎたかも」と。

家族の唄に登場するモイケル娘はというと、1年半前に結婚したが、結婚記念撮影をして置きたいとのことで、この春、わたしの帰国中にやっとモイケル娘の花嫁姿を目にすることができた。

nariana_ryo1-3.jpg

息子も娘も今ではすっかり日本の社会人だ。ターミネーターのシュワルツネッガーサイボーグ同様、「I’ll be back(日本から)」と言う息子ではあるが、人生は分からない。仮に帰らずとも、まだ数年は恐らく、

生活は続く おふくろはつづく 日本語を教える
おやじはつづく 仕事をする
息子と娘の人生も日本でつづく

と、本日は子どもたちの近況お知らせがてらの家族の唄ではあります。

では、みなさま、また。
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