2017年11月10日 

息子も娘も30を超えましたが、昔から言われる通り、幾つになっても子は子。親にとっては可愛く、気にもなる存在です。

そんな訳ですから、日本とポルトガル、遠く離れたわたしたち親子は、わたしがパソコンをよく知らないままではありますが、昔の仕事柄、タイピングが速いので、親子でスカイプを通じて文字会話をするのはしょっちゅうです。

娘は大学生だった頃、また、息子は時間的に余裕があった日本の生活が始まった頃には、毎日のように親子でおしゃべりをしたものですが、その頃に比べ、それぞれ仕事を持っている子どもたちです、娘は共稼ぎの現在、息子は少しは将来のことを考え始めたのか、大学の英語講師の仕事を増やし、なにやら日常生活が忙しくなったようです。

そんな中でも、ポルトガルに住むわたしたち親を気にしてか、以前のように毎日ではないにしろ、スカイプで結構頻繁に声をかけてくれる子どもたちです。

さて、昨日のこと、息子曰く、「今日の仕事、あがった。二度も電車の方向間違ったアホ(笑)」と来た。「ふ、二日酔いじゃぁないのん?」と言う母親に、「平日や次の日仕事がある日は飲まない」。

ふむふむ、いい心がけじゃ。もう家なの?と聞くと、「えへ。帰宅前にちょっと一杯ひっかけてる」
おい!花金は明日だよ。平日や次の日仕事がある日は飲まないと言った矢先ではないか(笑) すると、たまたま明日は仕事がないのだそうだ。なぁんだ。

「帰宅前にちょっと一杯ひっかけてる」なんて、すっかり日本のサラリーマンもどきではないの、と実は苦笑した母でありました。そうしてみたら、こんなことがあったなぁと、息子のリスボン時代のことを思い出したのでした。以下。

―2007年 「ボク」から「わたし」に

リスボンに住み、(ヘンチクリンなw)音楽作曲をしたいからと言って、定職に着いていない我が息子、非常勤英語教師とwebデザインを請け負ってのカツカツの生活をしている。外食は高くつくからと、ほとんど自炊である。

気になるので、お金は足りてるのかと時々聞くのだが、送金頼むなどの言葉は息子の口からは出ない。

娘もそうだが、息子も時々、言葉を教える時のコツのようなものをわたしに聞いてくる。
「生徒が疲れてるみたいで授業にのってこない」「自分が日本語を理解できるのを知っているので、日本人生徒はついつい日本語を求めがちだ」などなどだ。

人に教えるということは、マニュアル通りにすればいいというものではない。資格があっても豊かな経験がないといい授業は難しいのである。息子も娘もその点では「先生1年生」だ。大切なことは、どうしたら生徒が学んでくれるかと色々工夫する熱心さを持っていることだとわたしは思っている。その情熱がやがて自分独特の授業を編み出すことになる。

もちろん、基本指導を元にしての上である。わたしも今日自分なりの教授法ができるまでは、使ってみてはボツにしたアイディアがどれほどあるか知れない。息子よ、娘よ、もがきながら常に前進したまえ。

さて、その息子、電話で話していて、新発見したことがあった。

これまでずっと彼は、「ボク」をつかっていたのに、あれれ?なんと「わたし」に切り替わっているではないか!

先だってわたしが語学授業の参考にと送ってあげた「Japanese for Busy People](ビジネスマンを対象にした日本語教本)を読んでみたようで、その影響ありかな?

息子が「わたし」なんてやってると、「アンタねぇ。」とは、おっかさん、やりにくい。でも、一チョ前の人間と話してるみたいでなんだか面映かった。

「わたしは、もう一度日本語を勉強しようかと思ってるんだけど・・」って来た時には、思わずプッと噴出しそうになったぜ、息子よ(笑) クックックと内心笑いながらも、幾つになってもこうして学習したことを使って見ようという息子の心がけに、どこか嬉しく思う母親である。 ――



小学校1年生から中3まで、週に一度の補習校で学んだ国語は、学年が上に上がるにつれ漢字も語彙も段々怪しい状態になって行き、高校部がなかったもので、卒業後はほとんど日本語の読み書きから離れてしまった息子です。

リスボン大学へ行ってからはそれに拍車をかけ、話すことからも遠ざかりましたが、補習校で培った国語は日本に住むことで少しずつ蘇り、日本語から英語、ポルトガル語への翻訳も副業で受けている息子は、現在も日本語を独学しています。

日本で生まれ育ったわわたしにとってもそうなのですが、言葉は永遠に勉強の連続だと思います。日本語に限らず、英語もポルトガル語も然り。これで終わり、ということはない。学べば学ぶほど、教えれば教えるほど奥が深く、面白くなるのであります。

「帰宅前にちょっと一杯」なんて表現は、仕事が終わったらまっすぐ帰宅」のポルトガル語にはないからね。来年の帰国には、息子よ、二人して、どこぞへちょいと一杯ひっかけに行こうか!
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2017年10月15日

現在は東京の大学、数箇所で英語講師をしている我が東京息子がリスボンに住んでいた頃の話をば。以下。

夏休みを返上して、丸一ヶ月9時から6時までTEFL(テフル=Teaching English as a Foreign Lauguage=外国人に英語を教える教授法)コースをとり、めでたく英語教師免除をとった息子が、リスボンのとある語学学校で英語の特別個人教授をしていたときのこと。

生徒は日本からやってきている30代の女性だそうで、教本には書かれていない教授法のコツのようなものがあるので、そのツボを押さえておくと、授業はいいものになると思い、補習校での20数年間と日本語講師のこれまでの経験があるわたし、息子にあれやこれやメッセで話しながらアドバイスしていた。

ある日、彼が再び日本語を勉強するきっかけに或いはなるかもしれないと思い、外国人のための日本語教本英語版をコピーして息子に送った。この教本は、英語を教えるのにも意外と役立つと思ったのである。

本日も、授業はうまく運んだか(一回のレッスンが3時間ぶっ通しである)とメッセで聞くと、その日はずいんぶんうまく行ったとのこと。送った日本語教本が英語授業に役立ってるらしい。

「ねね。BOINってどういう意味になる?」と息子が聞く。
(ネットでの会話は今でこそ息子とは日本語だが、当時のメッセ会話はすべてローマ字だ)
「ボ、ボイン?^^;」・・・・
「そ、そりゃあんた、maminha(マミーニャ=オッパイ)の大きいのを言うのだよ。」と、俗語も知っておいたほうがいいと思うので一応ちゃんと説明をつける。
「"ボインちゃん"なんて言ったりして使うのだ」とわたし。(←残念ながらわたしではないw)
と、せんでもええのに、余計な例まで上げて^^;

息子「じゃ、HAN-BOINって?・・・・ママ、それじゃ、意味が通らないよ。
    第一、これは日本語言語の言葉だぁ~!」
母  「うげ!@@@@か、勘ぐりすぎた!」
息子よ、先にそれを言ってくれぃ。

ボイン 母音 拇印と色々あって、ローマ字でBOINっつったって分からんぞ、と自分の早とちりを棚に上げて(笑)
息子の言うのは「母音、半母音」だったのでした(汗)

いやぁ、日本語も色々ですわ。
ん?あんたが早とちりなだけだって?@@ は、はい、さようでござんす。

とっつばれ。(津軽弁で「おしまい」の意味)
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2017年9月25日 

我がモイケル娘は18才で、東京息子とわたしが呼ぶ息子は27才で我が祖国日本へ送り出しました。もちろん子どもたちが自分で決めてのことです。

モイケル娘が大学を卒業し、東京の企業に就職するに当たり、息子も東京麻布のアメリカ系語学学校の職を見つけ、兄妹二人での同居生活が始まったころの日記にこう書いています。

3月11日(水) あんたはえらい!

南行徳に居を構えた二人の兄妹、昨日やっとネット接続ができました。引っ越してちょうど一週間になります。まだ、アパートはすっかり落ち着いたところまで行かないでしょうが、なんとなく人が住む部屋らしくなってきたことでしょう。

さて、息子が早速メッセンジャーで言うことにゃ、今日、周囲の人たちに笑われたのだと言う。なんで?と期待満々の心で聞く母(笑)

一人で布団を買いに行った。宅配してもらうとお金をとられるので自分で運ぶことにしたのだそうだ。息子が電車に運び込んだその荷物とは、「マットレス、敷布団、掛け布団、毛布、それに枕」
・・・お、おい@@、お前、それを全部持って歩いたんか~(爆)

しかし、考えてみれば、大してお金を持っていない身分の息子、ちょっと頑張ればできるようなことなのだから、重いだのカッコ悪いだので払うのは無駄なお金だとして、できるだけ使いたくないのだろう。

今時、日本ではそんな大きな荷物を持って町を歩く輩はおらんわい。周囲が見て笑うのもごもっとも!と思いながらも、大都会でイナカッペ丸出しの息子の話を聞いてわたしはなんだか楽しくなった。

息子よ、あんたはえらい!周りがどうのこうのというより、迷惑をかけないのであれば、そういう範囲内であるならば大いに自分の主義を通してください。

息子のこんな話を聞きながら、晴れて日本の大学生となり、日本で一人暮らしを始めた頃のモイケル娘の愉快な話をも思い出さずにはいられなかった。最近、この手のズッコケ話を彼女から聞かなくなったから、少しは日本社会に染まってきたのかしら。

東京息子
赤ん坊の頃の東京息子

ついでにおっかさんと一緒の写真も。わっかかったぁ。この頃はわたしが心密かに「3ばば殿」と呼んでいた夫の母、その母の姉妹二人と同居の時代でした。すったもんだのこの6年間の同居生活が今のわたしを作ったと、感謝するこの頃でもあります。
東京息子

東京息子
ジョン・ボーイと呼ばれていた少年期。衣服はほとんど手作りでした。

15才の誕生日にエレキギターを贈ったのが親の運のつき(笑)。すっかり音楽にはまってしまいましたとさ。息子の部屋には今も数本のギターがある。

リスボン時代の息子のアパートスタジオ。
東京息子

今では麻生の語学学校での仕事はパートにまわし、日中は四方の大学での英語講師の仕事を増やし、「とうとう月から金まで働く羽目になった」と嘆く息子の話を聞き、夫曰く「Dente de juizo(知恵の歯、息子に関しては「分別の歯」とわたしは訳すのだがw)が、やっと生えて来たようだ。」

一応合せてはいるが、日本社会との摩擦は結構あるようで、天真爛漫、天衣無縫の彼の季節が遅まきながら終わる時期にさしかかったのだろうと思っています。

渡日してからの息子。
東京息子
働きながら好きな音楽作曲をし、時には新宿あたりでコンサートをしたりしていた東京生活初期の頃。

下は天衣無縫な息子の性格がよく表れていて、わたしが大好きな写真の一枚。夫の友人の娘さんの誕生日でわたしたちが招待され、カメラマンがいざ記念撮影をとシャッターを押した瞬間の息子と母親の一場面なのです。おとなしくカメラマンの前で並んでいた他の子供たちも息子の一瞬の行動に思わず口を開けて驚いたり笑ったり。

東京息子
ちょいまち!(爆)
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Wikiより

息子よ、今日はこの言葉を贈ります。「失敗のない人生こそ失敗である」
誕生日、おめでとう。
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2017年5月11日
 
「5月10日、M・モイケル娘誕生。初夏の気候、快晴。とても美しい日の12時20分、ラパ病院にて。体重3200g、身長49cm。Melo先生とアウグスタ看護婦さん、夫が立ち会う。」

1986年の我がモイケル娘の誕生についてそう日記に書いてある。今日、その娘が31歳の誕生日を迎えました。同じ31歳の5月にわたしは初めてポルトの空港に下り立ったのでした。

31年の月日は一人の人間の人生のひとくぎりにもなろうかと思う故、今日は古い日記からモイケル娘について走り書きしてある成長の記録もどきを、メモとしてあげておきたいと思います。

・一ヶ月目くらいより母乳とミルクを混合する。体重3720g 身長54cm。よく吐乳する。
・1986年6月 リスボンの日本大使館に出生届。
・一ヵ月半 時々なん語を話す。
・4ヶ月の終わり頃、寝返りを始める。
・1986年10月 微熱37.8度。ひだりほっぺが赤く熱い。三日ほど物静か。気分が優れない様子。左下、歯が出るきざし。そのせいであろう。

・1987年1月 満8ヶ月。しっかりしたお座りができる。プレイペン内でしばらくつかまり立ちをする。
 離乳食は日に2度。食欲旺盛。ママ~、ババ~、パパ~、ナナ~など、言葉が出始める。我が両手をつかみ、だっこをせがむ。歯が出始める
・長男、モイケル娘をギュッと抱きしめるが、彼女はイヤがる。ギュッのなかには少しヤキモチが入っているようだ。

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・1978年2月 ひとりでつかまり立ちができる。三種混合予防接種をする。ほとんど泣かず。
  息子のベッドから落ちる。満9ヶ月になり、ハンバーグ、マカロニグラタンを食べ始める。
・一歳なると同時に歩き出す。目下興味の対象はトイレと台所。気に入らないとキーキー叫ぶ。
・17ヶ月。ネコと遊ぶのが大好き。両手の甲にネコの引っかき傷がたくさんある。
Anda cá(こっちへおいで), Que é isto?(これ、なぁに?) Então(それで), taotao(お尻ピシピシ)
ありあと、などの言葉が出てきた。

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・17ヶ月。 いたすらざかり。次から次へとものを引っ張り出したり、椅子にのったりするので少しも気が休まらない。「だっこ」「マルコ?(兄貴がベランダからよく呼ぶ近所の子の名前であろう)」をさかんに口に出す。
・一歳半 哺乳瓶を完全に卒業。冷たいミルクを好む。

この頃の我が日記には「アメリカンインディアンの教え」というのが書かれてある。

子どもたちはこうして生き方を学びます。
批判ばかり受けて育った子は 非難ばかりします。
敵意に満ちた中で育った子は 誰とでも闘います。
冷やかしを受けて育った子は はにかみ屋になります。
ねたみを受けて育った子は いつも悪いことをしているような気持ちになります。
こころが寛大な人の中で育った子は 自信をもちます。
ほめられる中で育った子は いつも感謝することをしります。
公明正大な中で育った子は 正義心をもちます。
思いやりのある中で育った子は 信仰心をもちます。
人に認めてもらえる中で育った子は 自分を大事にします。
仲間の愛の中で育った子は 世界に愛を見つけます。

この後、我が日記は間が空き、1991年、娘が満5歳のときのメモ。

・美しい5月に生まれた娘、豊かな個性を備えてきた。両手を腰にあててプーッとふくれ口をとんがらかすさまはいかにも可愛い。近頃は会話の中に英語が混じってくる。字を書くときは左手の方が運び易いらしく、左利きである。

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この日の誕生日、彼女が私にハッピーバースデーのピアノ演奏を頼んだのは意外だった。

・1991年10月(5歳) 近頃おもしろい質問をしてくる。なぜ夜になると暗くなり、目が覚めると明るいのか。なぜパパにはわたしたち3人がもつ姓がないのか。夢のなかでは死んでも大丈夫だよ、などと、不思議なことを言う。
・1992年1月 (5歳)ピアノレッスンを始める。ひらがなの読み書きができる。足し算ができる。
・1995年6月 所沢北中小学校3学年への体験入学
・1999年7月 親子3人でイギリス旅行(思春期の息子は友人と別旅行)

我が日記はこの後、子育てと補習校の仕事、家庭での子どもたちの通信教育学習の手伝い、子どもたちの学校、習い事の送迎などに追われる日々突入し空白になったまま、2004年の初開設ホームページの日記に入っていきます。

この後の娘の足取りは既に拙ブログに書き記してあるように日本大学受験を目指し、日本へ帰国し(彼女に言わせれば)東京の大学入学、北九州への編入、卒業、3年間の社会人、大学院入学卒業、社会人、そして昨年11月の結婚と、こうして書くと味も素っ気もありませんが、31歳の人生などそんなもの、本当の人生はこの先に待ち構えているのであります。

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日本の大学入学後、憧れのプリクラなども体験w

ポルトにいて日本の子どもたちに思いを馳せるとき、遠い見知らぬ異国に嫁いだふうてん娘のわたしを既に鬼籍に入った母、いったいどんな思いで見つめていたのだろうかと、その心持にようやく到達したような気がします。

子どもたちよ、明日のことは分からないが、今日を目一杯無事に生きてくれますように、そして、モイケル娘よ、誕生日、おめでとう。
最後にわたしが好きな娘のスナップ写真をここに。

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写真おくれ~とわたしにせがまれ、日本から送られて来たのがこれ。本人はもう持っていないと思われるが、わたしの気に入りのスナップである。暗さに真剣さがみなぎっている(笑
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2017年2月3日 

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トップにこんな写真なんぞを載せると、「spacesisさん、ついにお孫さんが!」と来そうです(笑)

そうではなくて、これらのベビー服は赤ん坊の我がモイケル娘に着せた物で、ほとんど新品に近いのでずっと今日まで取ってきた衣服の一部です。写真は全て一歳未満の時に着せた服です。

それを今、こうして懐かしんでお蔵入りだったのを引っ張りだしてきた、という訳ではありません。

少し前に、日本へ行くのが目標だった日本語の生徒、H君の話を書きましたが、日本へ行くとなると色々物入りなのと、できるだけ渡日前に散在しないようにと、今わたしが使っていないキャリーバッグの寄付を申し出たのです。それを渡すために中身を取り出したら、出てきたのがこれだったということなのです。

「ひゃ!なんてちっちゃい、なんて可愛い!」と並べて、思わず写真を撮らずにはおられませんでした。子どもたち二人がそれぞれ所帯を持ったら、手渡そうと手元に置いてきたアルバムがあります。

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アルバムは写真入の成長の記録です。息子、誕生時の体重は3300g、モイケル娘3200gとあり、どちらも問題なく生まれ、大病することなく成長してきました。息子の記録は比較的細かにとってあるものの、6年後に生まれた娘の記録は、二人の子育てにおおわらわで、いい加減になってしまいました。

内容はどんな風になっているかと言うと、こんな感じで、初めての誕生パーティーのお客さんやもらったプレゼント、それに体重、身長の記録、初めての言葉、初めての友達(娘の場合は、当時買っていたネコ、息子は犬のクラウディウ)などなど、この記録を満載に持っていけなかったのが、今にして見れば少し残念です。

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息子のベビーアルバム

保存するものに関しては、どちらかと言えばアナログ思考のわたしです。かつて補習校で、年に一度発行する学校の写真アルバムを、CDに切り替えようと言うデジタル提案がもちあがりました。予算節約と編集の手間がかかるということ、それに、CDの方が現代的であるというのが理由でしたが、子どもの記録をパソコンで見る老いた自分の姿を想像するにつけ、なんだかなぁと、大いに反対したことがありました。

写真そのものならば、手近にあるアルバムを開けばすぐ見られるのに、CDに収めると、まずパソコンを開かないといけない、そして、パソコンの前でアルバムを見るというのも、感慨がいまいちやなぁなんてわたしには思われたのですが、時代の流れに適わず、結局、多数決で押し切られてしまったものです。

書棚に並んである何冊もの補習校の写真アルバムは、折々手に取り開いて懐かしんだりするのですが、パソコンは毎日のように開くとくのに、CDに収められた写真集は、正直なところ、どれもまだ一度とてパソコンに挿入したことはなく、薄いケースに入ったままです。人の好き好きによるのでしょうか。

こんなにもちっちゃな靴下、こんなにもちっちゃな服、そしてベビーアルバムを開きながら、息子よ、娘よ、思えば無事に大きくなったものです。娘は昨秋、ようよう片付きましたが、後は、意外と癖の多い息子、愚や愚や、汝をいかんせん。おーっと、字違いなり!虞や虞や汝をいかんせん、でありましたっけ(笑)

モイケル娘よ、これは、項羽と劉邦の中国楚漢戦争の折、劉邦の漢軍に囲まれた「四面楚歌」の最後の場面、別れの宴席で、心残りになる愛妾の美女、虞美人と愛馬の騅(すい)を思い、「虞や虞や、お前をいったいどうしたらいいものか」と涙した項羽の歌なのであるよ。

断捨離を始めたと言いながらも、捨てられないものがあるのであります。

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人からは駄作と思われようと、我が人生の傑作なり(笑)

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは!



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