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2019年8月17日 

我が父は岩手県雫石出身の人で、若い頃は地方競馬の騎手をしていた。

家族のわたしたちを弘前に残したきり、自分は雫石に住んで好きなことをしてきた人だったが、歳をとり体重も増え、いよいよ馬に乗れないとわかったわたしが中学生になる頃に、やっとこさ、弘前に来て共に暮らすことになったのである。

仕送りもなく、祖母の大所帯の家でわたしたち親子三人は同居し、母がずっと苦労をしてきた姿を目の前でみてきたので、わたしは父にはどうしても気持ちを開くことが出来ず、どこかで他人のような目を向けていたところがなきにしもあらずだった。

加えて酒癖が悪くすぐに手があがる人でもあり、思春期のわたしはそういう父が嫌いだった。

わたしが高校生の頃だ。再三の酒癖の悪いのにとうとう辛抱の緒が切れ、わたしたち母子3人は、父が酔いつぶれて寝ている間に、身の回りの物と一式の布団をリヤカーに積み、母はリヤカーを引き、わたしと妹はその後押しをして、母の知人の屋根裏部屋に逃げたことがあった。

その時に、わたしと妹は母に勧めたのだ。「おかあちゃん、親父と別れちゃいなさい。3人で何とかなる」と。一ヶ月ほどその屋根裏部屋で生活して、結局わたしたちは父の元へ引き返すことになったのだが、それを決心した母はこう言った。「戸籍が片親となると、就職でも結婚でもお前たちが苦労することになる。」

母のあの決心が良かったのかどうか分からない。当時母は保険の外交員をしていて、なんとかわたしたちの日々の生活は成り立っていたのだが、やがて高校を卒業したわたしは、チャンスとばかりに父のいる嫌な家を飛び出した。その2年後には東京の夜間大学へ進むことで妹が家を出た。

父の元に残った母は保険の外交員を続け、60歳の退職を機にもらった退職金の一部を父にあげて、さっさと、当時既に結婚して東京に住んでいた妹夫婦の元へ移ったのであった。

その話を聞いたとき、母のしたことにわたしは笑ってしまった。これは逆・三行半(みくだりはん)じゃないか。

思うに、母は今で言う「熟年離婚」のハシリだったかも知れない。夫の退職金を待って離婚をつきつける現代女性と違って、母の場合は逆に、たかが知れてる自分の退職金の一部を夫に手切れ金として手渡して別れたのだから、堂々たるものだ。誰にも文句を言わせない自立した女性であったと言える。

別れたといっても戸籍はそのままで、女性関係も多かった父に、「あんたさ好きな人ができて、結婚するという時はいつでも籍をぬくから」と結局、別居の形になったのだが、父が亡くなった時には喪主として、借金しか残していなかった父の葬式をちゃんとあげたのであった。

ポルトガルに住んで子どもを持ち、少し自分の生活も落ち着いてくると、わたしは、南部出身の父からすれば異郷の津軽弘前に一人人住んでいる父のことを時折思い出した。異国に住むということが孤独であると分かり、口下手な父の行動が少し分かりかけたような気がした。

そして、それまでは一度も書いたことがなかったのだが、短い手紙に我が子たちの写真を入れ、年に2度ほど航空便で送った。ローマ字を読めない書けない父からは一通の返事も届いたことはない。

母の兄弟の間でも評判は悪く、わたしは時々親戚が父の陰口をいうのを耳にした。親戚が言うことは普段からわたしも思っていることで、もっともな話だ。が、忌み嫌う父ではあれど、その父が悪く言われるのには、親子の血のなす業だろうか、「分かってるけど、人には言われたくない」と、わたしは無性に腹が立ったものだ。

その父は60代で脳溢血を起こしそのまま亡くなったのだが、さて、納骨場所にもすったもんだがあり、結局妹夫婦がまだ必要としない墓地を購入することになった。苗字が違うというのに父はちゃっかりそこに納まっている。血は水よりも濃し。
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2019年7月31日 

我が日本語クラスでは、敬語を学習する時になると、日本語の手紙の書き方をいちおう説明します。

日本語を教えていて気づいたのですが、わたしたち日本人は「前略」で始まる場合は別として、手紙の書き始めは必ずと言っていいほど、時候の挨拶から始まります。

「朝晩めっきり涼しくなりましたが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか」とか、「春爛漫、いよいよ桜の花が満開の今日このごろ」とか、わたしなどですと、「本日は、心も吸い込まれてしまいそうな真っ青な空のポルトです」などと書き始めます。

夫を始め外国人の友人に宛ててきた英文の手紙でも、わたしは日本語と同じように時候の挨拶を冒頭に書いてきたのですが、どうもわたしの知ってる外国ではそのような手紙の始め方をしないようで、何度か、外国人の友人に「とても詩的な手紙ですね」とまで言われたことがあります。

日本人の伝統文化、生活文化は、ひも解けば全て自然とのつながりに帰っていくような気がします。手紙の書き始めにまで、そのような自然をあがめる伝統を取り込み、外国人をして詩的だと言わせしめる、日本人の自然に対する気持ちを、わたしは素敵だと思っています。

どこの国にも、改まった手紙の書き方には形式があります。
若い頃は、わたしも私信ならいざ知らず、一般社会に通用する形式的な手紙は始め方も分からず、会社勤めをするうちに事務職の一環として学ぶようになりました。

「拝啓、謹啓、前略」「敬具、拝具、草々」と始め終わりも使われる言葉は決まってきます。

こんなことを書いていると、モイケル娘が東京のW大学に在学していた時、学科の課題で「上野動物園」へインタビューのお願いにあがるメールを書いた時のことを思い出します。

日本語教室よろしく、その時は娘にも日本の手紙の書き方をスカイプで話しながら手ほどきしました。

見知らぬところへの宛先は、できるだけ正確に正式に書くのが礼儀であるぞ。」もしかしたら、「上野動物園」と言うのは、通称であって正式名がありはしないか?とモイケルに言いもって検索しましたら、案の定、でました!

おっかさん: へぇ~。調べてみるもんだね。オンチョウ上野動物園てのが
         正式名だってよ。やはり、大学生がお願いにあがる手紙だ。
         きっちりと、オンチョウ上野動物園と宛名書くべし。 
         受け取る側も、お!てなもんで、ちゃんと読んでもらえるかもね

モイケル娘:  おっかさん、あの・・・チョウって言ってるけど・・・
          肉付き(月)に易じゃなくて、貝へんに易だじょ・・・」

おっかさん: うん、だからチョウじゃ」(←なんも聞いてない母w)

モイケル娘: でも・・・おっかさんは、恩腸上野動物園と書いてるよ。
         貝に易の賜だってば。

おっかさん: ん?え?え?・・・・腸じゃない??ご~~ん・・・・」

モイケル娘: できるだけ正式に、って・・・
         危うく、恩腸上野動物園御中なんて書かされるとこだった・・・

「ま、それも、誤字のお笑いで、目立つことは目立つんだが」とは、モイケルのオチ(笑)

つまり、「恩賜=おんし上野動物園」が正式名なのだそうです。
みなさん、ご存知でしたか?
わたしは初めて知りました^^
ちなみに「賜」は漢検2級の漢字です。

それにしても、相変わらずそそっかしい母親、面目ないことではありました(笑) 
娘がわたしより比較的しっかりしてるからよかったものの、下手するとこの日記にまで「恩腸上野動物園が正式名だ」と書くとこでありましたっけ(汗)

ではみなさま、また。

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2019年7月25日

母親、失格
  
こんな風に書くと、モイケル娘と一緒に日本での生活を始めたころの息子の言葉を思い出して、つい苦笑します。

「お前は失格な妹だぁ」(笑)
今でこそ日本語はあまり支障がない我が東京息子ですが、10年ほど前に日本へ行った時の彼の日本語は危ういものでした。

中学3年まで、毎土曜日に補習校へ通い義務教育の国語を表面上は終えましたが、なにしろ週に90分の、しかも、複式授業です(学年が違った二クラスを同時に教える授業)。補習校ではこんな状態で日本と同じカリキュラムをこなすのですから、日本の学校のような手厚い授業は不可能です。それでも何とか9年間の国語数学を修了しました。

中学時代に、大学は日本!と親に内緒で密かに決心ていたモイケル娘と違い、とにかく補習校を終えて友人たちと金曜日はつるみたいと願っていた息子です。翌日土曜日の補習校の宿題に追われる金曜日は、わたしからの外出禁止令が敷かれてあるのでした。中三を終えると日本語の学習には見向きもしなくなりました。

つるむ友だちも補習校の子どもではなくBritish Schoolの同級生です。せっかく9年間も学んだ日本語から離れがちになり、わたしは「9年間の日本語教育代、返せ~」と、内心叫んでいたのでした。

それが日本で生活することにしたわけですから、住み始めた当初は日本語を吸収しようと、さぞかし周囲から入ってくる日本語に耳を澄ましたことでしょう。覚えた言葉を早速実生活で使おうと、モイケル娘を相手取って「失格な妹」と、やらかしたわけです。罪なくかわいい間違いではあります。

余談から入ってしまいましたが、子どもたちの日本語教育は頑張ったものの、肝心の生活基礎のひとつとなる「裁縫」がすっかり抜け落ちてしまってました。

日本ですと、小中学時代に男女とも、家庭科の時間というものがあって、一通り習うのですよね?
裁縫だけに留まらず、日本の学校では、料理や洗濯、整理の仕方、それにちょっとした木工、電気畑までと、ポルトガルなら、各種学校、職業学校で勉強することまで教えてもらうようですね。(←日本の「技術・家庭」の教科書参考にある)

ポルトガルでは、学校はあくまで勉強するところ。日常生活に関することは、しつけからこういった日常生活に関するノウハウまで、学校でとりあげることはありません。

日本のように、○○ちゃんがどっかで補導された、などもまずないですし、仮に子供が悪さをして警察沙汰になったとしても、校内でそれが起こらない限りは、連絡は親に行くのであって、学校は関係ないのです。

担任の先生はいても、それはあくまでも学科に関してであって、その他諸々のことは、もしあれば、直接学校長に会って話すことになります。

ついでに言えば、音楽も図工、美術も一般の学校で勉強する学科には入りません。ですから、例えば音楽はどうなるかと言うと、個人でお金を払って稽古事としてするか、あるいは、無料ではあるけれども、夕方からの、非常にスケジュールのきつい国立の音楽学校へ通うとかとなります。

我が子達が通った学校は、ポルトガルの現地校ではなくブリティッシュ・スクールでしたから、少し違いましたが、それでも家庭科というのはありませんでした。

音楽や美術の学科を取り入れている日本の教育は、人間生活の教養としての基礎を義務教育で身に着けるチャンスがあるわけで、その点は素晴らしいと思うのです。まして家庭科など、親が家で教える必要がなく、とても助かる、嬉しい学科ではないでしょうか。

こちらの夏休みが早く入るのを利用して子どもたちは日本の小中学校にそれぞれ一ヶ月ずつほど体験入学をしましたが、これはモイケル娘の小学生夏休みに妹宅に滞在していたときの話。

いずれ教えるつもりで、その夏は裁縫箱一式を買い求め、彼女に手渡しました。針をもつなど皆目したことがなかったのですが、本人は興味を覚えたのでしょう、運針用布のプリントされた線に沿って、ひとりで縫い上げました。

「できた~!」と言って喜んでおったので、我が妹と二人、「どれどれ見せてごらん。おお!上手に縫ってるじゃない」と、布を手に取りお世辞(笑)

しかし、「ん?ちょっと裏がガバついてるね?」と言いもって布をひっくり返して見ると、なんとまぁ、結び目の作り方が分からないもので、糸の先っぽをみんなガムテープで止めていました!それを見て妹と二人、爆笑したのでした。

よし、今度帰ってきたら、今度わたしが帰国したら教えて訓練してもらおうと思っているうちに、何年も経ってしまいました。婿殿は日本人ですから、いざという時には婿殿が針をもってるのであろうか?と、ふと気になっているのです。

息子の言葉じゃないけれど、ある点ではわたしも「失格な母親」ではありました。

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2019年7月8日 

息子はパートナーのAちゃんと東京に、娘は我が婿殿と3匹ネコも一緒に、二人とも社会人として日本で働いていて、我ら親子はそれぞれ違った国に暮らしている。そのばらばらに住んでいるわたしたち家族も年に一度くらいはできれば全員集合して欲しいと願う夫である。

日本で働いている場合、外資系は別だろうが、そうそうポルトガルへ帰ってくるだけの休暇は取れないようだ。

大阪で会社勤めをしてきたわたしは、それが分かるのだが、年に22日の休暇を続けて取ろうが、2、3度に分けて取ろうが、周囲に何も言われることもなく自由にできるポルトガルである。夏がやってくるたびに、「有給休暇というものがちゃんとあるのに、なんで10日くらい続けて休みを取って帰国できないのか」と夫は納得しない。

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2006年2年ぶりに帰国した娘と家族旅行。アレンテージュの田舎の可愛いバスストップに座って。

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「周囲のことを考えると、長期休暇はどうしても迷惑をかけることになるでしょ?続けて10日以上休暇を取るなんてできにくいのよ。」と、 説明を試みるわたしの頭のどこかに、「それが日本なの!有給休暇があるからと、ほいほい取るわけにはいかないのよ。」と自分が分かるもので、ついつい適当な説明になりがちだ。
終いには「周囲への配慮というのがあるっしょ!ポルトガル人にはあまりないけど!」なぁんて余計な一言を口から吐いてしまい、「なんのために休暇を作ってるんだか、訳が分からん、日本は!」と言われる始末だ。こうなると日本、ポルトガルの文化の衝突である。

あんさんの言うことは分かってるがな。けど、日本社会のことも分かるのだよ。それぞれにいいところとまずいようなところがわたしには見えるので、一概に「なんのための休暇だ」に同意し兼ねるのだ。

かく言うわたし、実は40数年前のその昔に、当時勤務していた会社に直談判し、イギリスのケンブリッジ語学留学のために一ヶ月の休暇取得を実行した社内初の、そして恐らく社内最期のツワモノではあった(笑)

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2018年、息子のパートナーAちゃんも入って5人家族旅行

新入社員として東京で働きめた当時のモイケル娘は、10日間ほどの有休休暇があるのだが、新入社員は有休を取らないのが一応ルールなのだそうな。「じゃ、いったいなんのための有給休暇よ!」とばかり、続けては取らないが、彼女は密かにそのルールに反抗してちょぼちょぼ取っていたようだ。

息子はと言えば、勤め始め当初は「ローテーションを組む必要があるから、休みは2ヶ月前に言わないと取れない」とぼやいていたが、緊急の場合はどうするのだか、と思っていたら、近頃は、自分の事情で時々休みを取っているようだ。

もっとも息子の場合は、有給でないので休むとその分減給になるのだから、用意してかからないと月末に受け取った金額を見て、「うげ!」と言う具合になりかねない。

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2016年、我らが婿どのとの4人家族旅行

命の洗濯には少なくとも2週間ほどの休暇が欲しいものだとわたしは思うのだが、息子は最初のアメリカ語学学校を2年ほどで辞め、大学の非常勤講師となってからは、授業から解放される年度末と夏休みは3、4週間帰省するようになった。
娘については、ダンナとネコたちを考えなければならないので、今のところその洗濯ができる兆しは見えなさそうだ。

それから見ると、暑い夏の一ヶ月間をキャンプ場で家族とゆっくり過ごしたり(これは何も遠いキャンプ場でなくてもいいのだ。同じ市内のキャンプ場で家を離れ、いつもと違った環境で休暇を格安に過ごす方法でもある)、車で長い旅行をしたり、海辺のアパルトホテルでのんびり海岸生活を楽しんだりと時間を忘れて過ごすポルトガル人の休暇の取り方は天国だなぁと思う。

まぁ、だから、この国はなかなか発展しないのだと言われるところもあるが、発展しても人間関係がなんだか空疎になり、おぞましい犯罪が増える社会よりはなんぼかいいかも知れないと、この年代になって思うことだ。

夫は再び家族旅行ができるのはいつの日かと夢見ているようだ。その家族旅行がひょっとして、時に4人、5人、6人、7人となるのを楽しみに。そうなると、車は今のところ2台あるからいいけれど、旅費はひゃ~~!大変だ!

ではみなさま、本日はこれにて。

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2019年7月7日 

子育てが済んだらその時間であれができよう、これができよう。この6匹のネコたちがいなかったら、朝一番、眠気まなこでトイレの砂を片付けんで済むし、さらに日本語教室で生徒が家に出入りするので、匂いを避けるために日中しょっちゅうトイレ砂をさらわんですむ。

そう考えることは度々あった。 そして、息子、次にモイケル娘と、二人の子どもが我が家を旅立ち、これで、親としての役割が終わりだとは思っていないけれども、一区切りついたとは言えるでしょう。さぁ、あれもできるし、これもできるぞ!好きなことをして充実した時間を持とう!人生はこれからだ!

ところが、なんといいましょうか、わたしの場合、そう行かなかったのです。

もう、毎日昼ごはんを食べに学校から戻ってくる娘がいないし、食事をつくる手間がはぶけた。いざ夫婦だけとなると、主がいなくなった二人の子供の部屋は毎日のように掃除する必要もなくなり、これまでと比べて自分の時間ができたというのに、何をするともなく家の中をウロウロするばかりで、いったいどこが充実しているのだ?

あれは、ちょっとした喪失感だったのだろうと、後で思ったものです。

日本の大学受験目指して彼女が旅立った2004年の日記を紐解けば、

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かったモイケル娘。この日はちょうど夫の誕生日で、「what a nice present」とボヤく夫。わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深いため息をついておりました。
しかし、こんなことでしょげてはいられません。

「さて。じゃ、娘の部屋、少しづつ何とかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず、散らばっているペーパー類を手当たり次第に、くずかごに放り込んでおりました。

「なんだ、こんなとこにまだわたし使い古しの財布を置いてるわ(わたしのお古の財布を娘は使っていた)」と、机の上に見つけたそれをいったんは紙くず同様ポイとくずかごに放り込んだものの、虫の知らせか「ん?」とちょいと気になり、念のためと中身をあらためましたらましたら!

おお!なんとまぁ、福沢諭吉さんこと1万円札が二枚入っているではないですか!もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだった・・・^^;この2万円、ここでは4万円の価値があるのよ~と、ホクホクホク。

モイケルめ、今頃きっと家計簿の計算があわないでいるに、違うない。黙って我が懐にいれ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらいに言っとこうか。懐に入れるもなにも、元はわたしのところから出たものではありますが。

しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセで娘に話しましたら、「親譲りの天然ボケだ」と言下・・・そ、そうであった。トホホホ。


ポルトガルに来て夫の母、叔母と同居すること6年、その間、息子が誕生し、モイケル娘の誕生をもって、スープが冷めない距離にと、同じ通りに引越しする運びになり、いわゆる核家族生活が始まったので、夫婦二人だけの生活はありませんでした。

そこで、随分遅くではあるが、昔できなかった夫婦水入らずの生活が今からできるのだぞと気持ちを切り替えて15年。娘も人生の半分ほどを日本で過ごしたことになります。

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2004年6月30日、空港にて希望に胸膨らませて旅立つモイケル娘。

本日はみなさま、これにて。
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