2012年5月8日 

筆者は元来が粗忽もの、それを脳内では日本語、英語、ポルトガル語の三カ
国語が飛び交っておるわけで、この年齢ともなると言語の瞬間スイッチが効
かなくなってきております。

雨が降ったりやんだりのリスボンの街を夫とモイケル娘の3人で、カルモ教
会目指して歩いたのですが、方向音痴の夫を先頭にして参った我ら、行けど
も行けども目的地にたどり着かず、とうとう出た口から出たブツクサ。

母「ゆっくり時間があってリスボンをZaraZara歩くのならまだしも」
モイケル娘「ほぇ?ZaraZaraっておっかさん?」

し、しまった!脳内スイッチの入力が遅かった!ブツクサ言った丁度その時
我が視野に入ったのが目の前の店名「Zara」・・・とほほほ、「リスボンを
ブラブラ」と言いたかったところがZaraZaraになってしまい、さすがおっか
さんとモイケルが大笑い、情けなや^^;これが「リスボンZaraZara」の謂
われであります。

旅行出発に先立ち、準備としてネットでざっと検索するのがわたしの常なの
ですが、今回ばかりは影絵の準備に追われその時間もなく、夫に任せたのが
間違いであった。ロシオ広場からあんなに大きく見えるカルモ教会です、そ
んなに遠いはずがない。坂道を上って行くうちに、これはオカシイと気がつ
いた。

しかし、いつものごとく自信ありげに先を行く夫に迂闊にそれを言うと不機
嫌になること間違いなし。さっきまでカルモ教会がやっとこさ見られると嬉々
として歩いていた我が表情もいつのまにやら顔はくもり目はきつく、口元も
「への字」に結ばれてじっと我慢の子。さすがの夫も「まちがったかな?」
とソワソワしだした。「あったりきよ、だんさん、こんなに遠いわけないっ
て。地図、見せてみぃ~」と内心では思うものの、ゆめ、口に出してはなら
んぞな(笑)

だが、ものは考えようで、グルグル迷ったおかげで思わぬ写真が撮れた。

electrico2_1.jpg
路面電車です。雨に赤が映えて素敵です。

リスボン路面電車
こちらも車体に鮮やかなデザインが施され、
 
方向を変えたところでカメラを向けると、あらま、ただ乗りのヤングマンが
ポーズをとって。
リスボン路面電車

ポルトにも2台の路電がありますがこんな風にカラフルにするのもいいなぁ
と思ったり。

こちらは、歩いて歩いていつの間にか辿り着いたサン・ペドロ・アルカンタ
ラ展望台。目的地のカルモ教会からはずいぶん離れていたのですが、この展
望台のすぐ横で、もう一台の路電を。
 
リスボン路面電車
石段から先は進めずここは終着点。
運転手もサービスでカメラにポーズを取り写真におさまって。
リスボン路面電車

リスボンの路面電車は3台あるとのこと、道に迷って結局全部の路電を
見たことになります。
この展望台まで来て、さすが道を間違ったと認めた夫ではありました。

リスボン路面電車

リスボンの町並。右に見えるのはサン・ジョルジュ城。
次回はカルモ教会です。
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2012年1月6日

久しぶりに「Out of Porto」、ポルトを離れた訪問地の紹介です。
今回は、クリスマスに日本からやってきた親友親子と訪れたConimbrigaです。

Conimbriga(コニンブリガ)・ローマ時代の遺跡
 
古くから一部、ケルト民族が住んだといわれるポルトガル、スペインから
なるイベリア半島はジブラルタル海峡を隔てた向こうがアフリカ大陸入り口、
また東には地中海が横たわる地理上、フェニキア人、ローマ帝国、イスラム
教徒の侵入を受けて来た。
それらの遺跡や文化の名残は現在も見られる。
 
特にローマ帝国に関しては水道橋などの遺跡が今日でもいたるところで見受
けられ、中でもコニンブリガはポルトガル国内で遺跡がもっとも良い状態で
残されているローマン遺跡とされる。

conimbriga
何度か訪れている遺跡だが初めて行った30年ほど前は野ざらしにされてい
た。モザイクもすぐ目の前で見られたのだが、今は一部に屋根がかかってお
り、立ち入りができない部分もあって、この床の区分のモザイクは写真が
撮りにくかった。
          
conimbriga
上の画像は「ミノタウロスの迷宮」。こういう迷宮はフランスのシャルトル
大聖堂内にあるのを始め神秘主義のシンボルだと考えられることが多いので、
ローマ帝国時代にすでに描かれていたのは興味深い。
conimbriga
conimbriga

コニンブリガの遺跡は16世紀ドン・マヌエル王の時代には既に発見されて
いたとされる。発掘が始まったのは19世紀に入ってからで、現在でも遺跡
全体のまだ10%少ししか発掘されておらず、発掘作業は続けられている。

conimbriga

conimbriga

遺跡の建つ地層の一部は紀元前900年の鉄器時代に遡ると言われる。

conimbriga

conimbriga

現在発掘修復中のフォロ・ロマーノ。

conimbriga
2006年夏に訪れた時は、わずかに数本の円柱が建てられていただけで
あった。  

下の写真はフォロ・ロマーの完成図だが、現在修復されたのは3柱のみ。
conimbriga

conimbriga
並立する柱の遺跡。
(註:フォロ・ロマーノとは古代ローマの政治、宗教の中心として置かれた
 広場のこと。フォロ・ロマーノでは定期的に民会が開催され、宗教的な
 場所とみなされていた)
 
conimbriga
 
入場したのが遅かった。夕日を受ける3本のローマンフォラム。

 
コニンブリガ遺跡のローマンモザイクとコニンブリガ焼き 
     
conimbriga

conimbriga

conimbriga
↑これもシンボリックなモザイク模様。

conimbriga

コニンブリガのモザイクは「コニンブリガ焼き」として現在に引き継がれて
いる。コニンブリガモザイクを祖にしたコニンブリガ焼きは、鳥や鹿、植
物の模様をあしらい、白と青の色付けを基本の特徴とする。

コニンブリガ近くの小さな町Condeixa-a-Novaには、その窯元が10数件ある
と聞く。
わたしは「コニンブリガ焼き」に魅せられるひとりだが、買出しはコイン
ブラ大学の周囲の路地にある土産店でいつもする。

コニンブリガ焼きについては、また案内しています。
  
 
ちょっと横道おしゃべり

「全ての道はローマへ通ず」と言う。また、詩人ゲーテは「ローマ悲歌」
の中で謳った。  

「ローマはもとより大世界なれど、恋なくて世は世にあらず。
さればローマもまた恋なくてローマならずも」と。
 
ローマ帝政期の地図を見ると、アレキサンドラ、トリポリ、アルジェのア
フリカ大陸地中海沿岸はもとよりヨーロッパ大陸一帯にその街道網は敷か
れている。イベリア半島もその例に漏れない。

これらの街道網を見て気づいたのだが、現在の主幹道路はこのローマ時代の
街道と見事に重なっていることだ。

わたしは塩野七生氏が書き下ろしている「ローマ人の物語」シリーズの愛
読者だが、読むにつけ、その政治体系、外交、建築、生活様式には、成熟
したローマ人の精神に感じずにはいられないのである。

ローマ帝国で最も有名な人物と言えば、シーザーであろう。
エジプト女王クレオパトラとの恋沙汰と「ブルータス、お前もか」の余りに
も有名な話で知られるのだが、塩野氏のシリーズ4、5巻に渡る「ユリウス
・カエサル(シーザー)」の2巻には、カエサルことシーザーの武将として
の度胸、戦略のうまさ、人間味溢れた姿などが余すところなく描かれており、
多くの女性関係がありながら、どの女性にも恨まれず、スキャンダルにも
ならなかったと言うカエサルの心憎い配慮には、ただ舌を巻くのみである。
世の殿方、かくあらん(笑)

インフォメーション

ポルト、リスボンのほぼ中間に位置するCoimbra市から約17キロほど。
バスCondeixa-a-Nova下車
博物館開館時間: 10月~5月 火曜~日曜 10時~18時
          6月~9月 火曜~日曜  9時~20時 
 
★月曜日が休館だが、遺跡は月曜日も見ることができる。  

 
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2011年8月7日 

先だってフランスにお住まいのご家族と1年ぶりに再会し、木陰が多く美し
いドウロ川の景色が眺められるクリスタル宮殿公園を一緒におしゃべりしな
がら散歩して来ました。

園内にはアルメイダ・ガレッテ市立図書館があり、去年わたしがコーディネ
ータをした日本の財団IFFとポルト市の共催のJapan Weekが行われた会場で
何度も足を運んだ場所です。

2週間ほど前にも秋に予定されているここでのボランティア活動の打ち合わ
せで出かけてきたところですが、散歩するのは久しぶりのことです。

その時に見かけたのが孔雀の親子。
jardim_cristal

クリスタル宮殿公園は孔雀の放し飼いで知られていますが、これはわたしに
とって初めての光景です。子孔雀たちを拡大してみましょう。

jardim_cristal
親孔雀にまとわりついてヨチヨチあるく姿は誠に微笑ましいものです。
この日はオス孔雀も見かけましたが、残念ながら美しい羽を開いての披露は
してくれませんでした。彼も夏休みだとさ(笑)

jardim_cristal

公園の中でもわたしの気に入りの場所、薔薇園です。庭園に足を踏み入れる
と薔薇の香りがして珍しい蓮の花が可憐に咲いていました。
jardim_cristal

気に入りだと言うのは、小さな薔薇園には、今では無くなってしまった「サ
ンタ・クララ修道院」の遺跡の一部がここに置かれていると聞くからです。

「サンタ・クララ」はミュージカルが好きな人は知っていると思いますが、
ミュージカル映画「Brother Sun, Sister Moon」で、教会の腐敗を糾弾し自
然を愛し清貧に生きたアッシジの聖フランシスコ修道士に共鳴し女子修道会
の祖となった聖クララのことです。

jardim_cristal

ポルトのサンタ・クララ修道院は現在はなくその一部が老人ホームとして
利用され、教会だけが残っているわけですが、こうして一部でも他へ移され
て遺跡としてあるのは救われます。

jardim_cristal

そうそう、クリスタル公園内にはこんなのも見かけられます。

jardim_cristal
ご存知、マグダラの塔です。このあたりは19世紀半ばまでは「Campo
Torre da Marca=目印の塔の田園」と呼ばれており、現在のクリスタル宮殿
公園はこの田園といくつかの庭園がいっしょになっています。

さて、このクリスタル宮殿公園ですが、実は園内に宮殿はない。何ゆえその
名前を冠しているのかについては、こちらで書いてありますので興味のある
方はどぞ。

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2011年8月6日

Ponte D.LuisⅠ(ドン・ルイス一世橋)
 
所在地:Cais da Ribeira  
メトロ:サン・ベント駅下車後、リベイラまで徒歩5分ほど。 

ドン・ルイス一世橋
リベイラから見た橋。ドウロ川にかかる橋の中でもツーリストに最も人気が
あり、クレリゴス塔と並ぶポルトのシンボルです。

ドン・ルイス一世橋
リベイラと反対方向のAvenida de Gustavo Eiffle(エッフェル通り)から
見た橋。
   
エッフェル(エッフェル塔の建築家)の弟子テオフィロ・セイリングの建築
デザインで建てられたルイス一世橋は、1881年11月に建設が始まり
1886年10月に開通しました。
   
長さ385m、幅8m、二重橋になったのは、ポルトとガイア市との両岸の
高低差のゆえだと言われます。かつては、上下ともに人と車の通行路でした
が、現在は下段を人と車が、上段はメトロが通り両脇に歩行者用の1.25mの
歩道があります。
   
ドン・ルイス一世橋

ドン・ルイス一世橋
橋を渡って向こう岸ガイアへ
ルイス一世橋の前身は「ペンシル橋=Ponte Pensil」というつり橋でした。
 
ドン・ルイス一世橋
ガイア側から撮ったドン・ルイズ一世橋を渡るメトロ・イエロー線。橋の中
央をメトロ線が通り両脇が歩道。この橋は車の乗り入れ禁止です。      
橋を渡りながら眺めるリベイラの景色は素晴らしい。
        
ドン・ルイス一世橋
橋の下にも家々がのぞかれる。

ドン・ルイス一世橋
メトロはガイア側からドン・ルイス一世橋を渡りこのトンネルをくぐってポ
ルトの街に入る。
       
さて、この地下鉄トンネルの入り口なのですが、ポルトのメトロが開通した
ころに3度ほど起こった際どい事件をご紹介します。

以下、2007年の日記の抜粋です。

2月22日(木)アッと驚く!

下の写真、新聞記事で写りが悪くて申し訳ないのですが、よっく見てくださ
い。レッカー車に車が引っ張られる、よく見かける光景です。
ドン・ルイス一世橋

が、見て欲しいのはメトロ駅構内の線路上だというこの場所なのです。
            
写真のメトロ駅は、隣町ガイアとポルトを結ぶイエロー線のサン・ベント駅
です。ガイアから入ると下にリベイラを眺めながらドン・ルイス一世橋を渡
ってすぐにメトロはトンネルに入り地下のサン・ベント駅構内です。
 
メトロが貫通する以前この橋は、ガイア市の大通り「Avenida de Republica」
とつながり、そのまま車で往来ができ、この通りはもっとも混雑する道のひ
とつでした。メトロ貫通後、この大通りは橋の少し点前まで二車線、橋は車
の乗り入れが禁止となりました。

ところが、地方から出てきたりするとよく事情を知らなかったり、あるいは、
わたしなどのような粗忽者が、「この橋から向こうは車の乗り入れ禁止」の
サインを見落とし、今までどおり橋を渡ってポルト市内に入れると思い、行
っちゃう人間がいるようです^^;

トンネルをくぐってからきっとウワ~ッと慌てふためくだろうなぁ、これ
だって、メトロのホームに入っちゃうんですもん・・上記の新聞写真の如し、
です。今まで事が起こらずに済んだからいいけれど、真正面をメトロが向かっ
てきた!なんてことになってたら、エライこってす!
今回で三度目のこの出来事、とうとう、不注意でこんなことをしでかしたら
10年の刑になる、とお達しがでました。


もちろん、現在ではもう起こり得ませんが、三度もこういうことがあって、
事故にならなかったのが不思議なくらいです^^;
ちょっと怖い話しでしょう?
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2011年7月8日

昨日の朝のこと。

起きてリビングルームを覗いた夫が、息子の部屋で作業しているわたしを
見つけ、
「ど、どうしたの?パソコンをつけてないじゃない。大丈夫か!」
・・・・・・・・・・・・

大丈夫かってなんでんねん、そりゃ。あたしゃ、ちゃんと正気ですって。

いつもなら起きては真っ直ぐバスルームに行き、シャワーを浴びて歯磨き、
洗顔。 で、行儀悪いことに、歯磨きをしながら夫がまだ寝ている部屋は
別にして、家中の窓という窓のブラインダーを上げ、空気入れ替えに窓を
少し開ける。
そして、リビングにあるデスクトップpcのスイッチを入れる。
わたしのpcは少し古いのと、多分ファイル等をきちんと整理していない
のと、大きな画像が多く入っているのとで、立ち上がりに時間がかかる
のだ。いや、元々は買った当初から多少欠陥のpcではあったのだが^^;

そして、ブログで度々書いているように、その後は朝の小一時間ほどコー
ヒーをすすりながら日本のウエブ新聞に目を通すのである。わたしがこう
している最中に夫が起きて来る。
「おはよ~」と声をかけられ、振る向くわたしの顔で、どんなニュースを読ん
でいたか分かるという具合。

それが、昨日の朝に限っていつもpcの前に座って、時にはハシタナく膝を
叩いては一人ガハハハ笑ったり、ぶんぶん怒ったりしているはずの妻の
姿がない!どう言う風の吹き回しか、その妻、息子の部屋の机にかじり
ついているではないか。こんなことは今までついぞなかったことだ。
それで、「大丈夫か、お前!」となったのであります(笑)

前夜、翌日のポルトガル語レッスンの課題を寝床に持ち込んだ。
朝から日本語授業があるので、時間の使い方が下手なわたしは、日中
ポルトガル語の予習のための時間がとれないことが多い。そこで、寝入る
前にざっとテキストに目を通す。そして、出かける前の1時間ほどを机に
向かい予習に充てられるよう時間繰りを頑張ってみる。

今まではそれである程度、テキストの理解ができたのである。
ところが、ついこの間からは「お、結構むずかしいじゃん」となり始め、
昨日のテキストなどは、寝床で目を通すや、「げ!なんだこの単語は。
耳にしたことがないのばっかりやん!」

いくらお代をお渡しするとは言え、学習している努力が見られない年
取った生徒のお守りをさせるようでは、先生に申し訳もたたない。それに、
こんな状態では自分自身、悔しいではないか。

というので、前夜、テキストに取り組むのは早々に諦め、早朝にしっかり
取り組んでみようと早々に爆睡に入り、翌朝起きて洗顔歯磨きの後、
pcをつけるとそちらの誘惑に負けてしまうのでつけずに真っ直ぐ息子の
部屋の机に向かって、辞書と首っ引きになっていたと言うわけである。

それを夫め、ボケが始まったかと早とちりでもしたか。

と、本日は長いプロローグであります^^;

さて、閑話休題、あだしごとはさて置き、本題にはいりまっす。
本日はアルハンブラはちょい、お休みして、ファドについて。
数年前の過去記事を大々的に書きなおしてみましたので、過去記事をお読み
になっている方も是非どぞ。

リスボンのファド

フランンスにはシャンソン、アメリカにはカントリ・ウエスタン、日本には
民謡の例にあるように、それぞれの国がもつ独特の文化音楽があるように、
ポルトガルにも「ファド」と言う民族の心を表す歌があります。
「ファド(fado)」はポルトガル語辞書を引くと「運命、宿命」とあります。
ラテン語の流れを汲むポルトガル語は、ラテン語のfatum(運命)を語源に
しています。

かつて日本の音楽の教科書にも、ポルトガル民謡の代表的な歌として取り上
げられたのに「暗いはしけ」と言う歌があります。原題は「Barco Negro」
(バルコ・ネグロ)、黒い舟という意味です。
漁に出たまま再び帰らない愛する人を恋うる歌なのですが、ファド歌手が歌
い上げると、教科書の楽譜からはとうてい伺えない、切々たる思いが聴く人の
心に響いてきます。

ファドはfadistaと呼ばれる一人の歌手とポルトガルギター(12絃)そして
ビオラ(通常のクラシックギター)の伴奏で、薄暗いライト照明の元で演奏
されます。

guitarra-large-1.jpg
12絃のポルトガル・ギターラ(wikiより)

ファド歌手は主に女性歌手に有名なのが多いですが、国内で人気のある男性歌
手もいます。カルロス・ド・カルモは齢72歳になりますが、現役で歌ってい
る息の長い人気歌手です。

女性のファド歌手は全身黒い衣装を身にまとい、多くは黒のショールを肩に
かけます。

fado.jpg
 歌うアマリア(wikiより)

ファド歌手として世界に名を馳せたのはなんと言っても「アマリア・ロドリ
ゲス(Amaria Rodriques. ポルトガルではAmaria と呼ばれて親しまれてい
た)」です。上述の歌「Barco Negro」も、かつて彼女が出演したフランス映
画「過去を持つ愛情」の中で歌ったのが広く広まったもので、ファドがその
名を世界に知られるようになったのは、Amalia に負うところが大きいのです。

Amaliaは1999年に79歳で亡くなりましたが、この時ポルトガルは三日
間、喪に服しました。彼女の葬儀にはファンのみならず当時の大統領も列席
し国葬並みの扱いで、国民の誉としてエンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマ
や文豪カモインスなどの記念碑があり、ポルトガル歴代の英雄たちが埋葬さ
れるリスボンの国立パンテオンに眠っています。

現在は日本でも知られる若い女性ファドシンガーが新しいスタイルでファド
を歌っていますがアマリアの前にも後にも彼女ほどの偉大なファド歌手はなし。

出稼ぎや移民が多いポルトガル、異国の地でファドを耳にすると「Saudade
(サウダーデ=望郷)」の思い止まず、ポルトガル人は涙すると言われます。
ポルトガル人に限らず、聴くものの心に望郷の念を呼び起こさずにはおかな
いのが、ファドなのです。

ファドにはこのように、ポルトガルのブルースとでも言えるようなSaudadeを
歌ったものが多いですが、日常生活をユーモアたっぷりに皮肉ったりなどの
陽気な歌もたくさんあります。

さて、ではファドのオリジンはと言うと、これが「カステラ」の語源同様、
今日でもはっきりしないようです。(カステラについてはエントリーの最後
で案内)そこで、わたしが聞いている説をいくつかあげてみます。

一説によれば、ファドの起源は11世紀から14世紀に遡り、運命論者のア
ラブ人がポルトガル・ガリザのことを歌に表わしたのがそうだと言われます。
この当時は歌手は男性に限られ、男が女性の気持ちを歌ったもの(これは日
本の演歌でもよくありますね。森進一や美川憲一などは女の立場に立って演
歌を歌っています)や、時の貴族への批判を歌にしたりしました。

ガリザは、現在のスペイン領、かつてのレオン王国の一部でポルトガル北部
と隣接する地方。11世紀から14世紀といえば、ポルトガルは建国の幕開け
から、レコンキスタの戦い(イスラム教徒との国土奪回戦争)に明け暮れ、
国土の奪回がイスラム領土の首都、コルドバに移動して行ったころです。

もうひとつ、わたしが聞き及んでいるのは、船乗りたちの詩や歌がファドに
なったというもの。今のようにけして楽でもロマンチックでもなかった厳し
い航海の旅、波に揺られては故郷を思いそれを歌にたくしたというものです。

また、ファドは「Lundu(もしくはLundum)と呼ばれるアフリカのダンス・
ソングから来たという説もあります。
このダンス・ソングことLundu=ルンドゥは、18世紀の終わり頃にポルトガ
ルやブラジルでも知られるところとなり、ブラジルのサンバの起源だとも言
われます。こうして、ルンドゥとリスボンに寄港した船乗りたちの歌が一緒
になったものがファドというわけです。


ファディスタの元祖、Maria Severa

今でこそファドはポピュラーな音楽として色々な歌手に歌われていますが、
リスボン・ファドの歴史をひもといてみると、ちょっと面白い。

19世紀初期、ファドはリスボンの波止場や色々な人種が住み着くあまり柄の
よくない地域のタベルナで、浮世の憂さ晴らしとして歌われていました。
その中にMaria Severa(マリア・セヴェラ)というジプシーの人気ファディス
タがおりました。
セヴェラは愛らしい高級娼婦でもあり、愛人も数人おりましたとさ。

そのSeveraに裕福な貴族、Vimioso伯爵が恋し、セヴェラを闘牛場の公の場に
伴ったりしていたのが、彼女は26歳の若さで結核のため命を落とします。
後、伯爵はファドを貴族のサロンへと持ち込みます。

こうして、ファドは世にに知れ渡り、王室のサロンですら歌われるようになり、
歌の内容もSaudade(郷愁)、Amor(愛)をテーマにした詩的な歌詞がメランコ
リなメロディーで作られるようになりました。

現在ファドはリスボンのツーリスト用のレストランなどで聴かれます。
ポルトでファドが聴ける有名レストランには、リベイラの「Mal Cozinhado
(こしらえが悪い料理の意味)」があります。

下記にファドの中でも最も知られる名曲のひとつ、「Cancao de Mar(海の歌)」
が現代のポルトガル人ファド歌手、Dulce Pontesの歌で紹介します。


 
歌のプロローグがどこかアラビアンな感じを受けるのはいかがでしょうか。
ポルトガル語の意味が分からなくても思わず引き込まれる歌です。
この歌はイギリスのサラ・ブライトマンが「ハーレム」と題しても歌って
いますが、やはり迫力に差があり、俄然Dulce Pontesに軍配あり。

ファド「Barco Negro(暗いはしけ)」については、こちらで面白い発見を
書いています。
よろしかったらどぞ。

   http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-753.html

ところで、リスボン・ファドとあるのですが、ファドには実はもう一種類、
リスボンのとは違った趣のファドがあるのをご存知ですか?
近日中にそれを紹介いたします。

カステラはポルトガル語かを読んでみる
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