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2018年6月27日 新装Café A Brasileira

時間的に余裕があった数年前、ファサーダ(Façada=ふるい建物の表玄関)の面白さに惹かれ幾度もカメラを向けながら、ついぞ紹介に至らなかったCafé A Brasileira(カフェ・ア・ブラズィレイラ)。更に残念なことに、入ってみようと思いながらもついに入らずじまのまま、今日では紹介も叶わなくなってしまいました。

Café A Brasileiraは、2013年にその長い歴史の幕を下ろしたのですが、ポルト最古のカフェのひとつに数えられた故、メモとして記録しておこうと思い、本日取り上げます。

まず、紛らわしいのですが、ポルトにある「Café A Brasileira」 と「café Brasil」を混同なさいますな。

下がサン・ベント駅横にある「café Brasil」。庶民的なカフェで歴史はさほど古くありません。

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こちらがサ・デ・バンデイラ通り(Rua de Sá de Bandeira)にあるポルト最古だったカフェ「Café A Brasileira」です。

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すぐ側には、映画やネットが普及した現在でも頑張って、まだ存在しているのが不思議なくらいの古いサ・デ・バンデイラ劇場(Teatro Sá de Bandeira)があります。

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さて、ポルトの古い有名なカフェと言えば、代表的なのが「Majestic Café(1921)」、そして、「Guarany(1933)」「Proguresso(1899)」「Cae Piolho(1909)」が挙げられますが、Café A Brasileiraは1903年にポルトでオープン、ポルトのカフェの中でも、鉄線の美を使った大きなファサードが人目をひきました。

店内もクリスタルと大理石、細工のある皮の装飾で、当時は大いに話題を呼び、文化人を始め政治関係者など、エリートが集ったと言われます。創立者はブラジルへ出稼ぎに行き財を築いたAdriano Soares Teles do Vale。

ポルトガルに帰国し、リスボン、ポルト、ブラガなどでブラジルから輸入したBrasileirasコーヒーのチェーン店販売を展開するのですが、外でコーヒーを口にするなど、まだ一般的な習慣になっていなかった当時、Adriano Teles 氏は、それを広めるために、自分の店でコーヒー豆を買う客に、その場でコーヒーカップに入れた自前のブラジルカフェをただで提供し続けたと言われます。しかもその年数たるや、なんと13年間!

また、現在で言えばマーケティングの走りとも呼べる、カフェのスローガンを市内の壁のあちこちに描かせて宣伝し、店の名とそのスローガン「O melhor café é o da Brasileira」を有名にしました。
その宣伝はわたしも何度かダウンタウンのLargo Mompilharにある石壁で見かけており、今もあります。

さて、下のCafé A Brasileiraのファサーダにわたしは興味をもったのでした。

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これは、Adriano Teles氏の家紋でしょうか。ダビデの星こと五芒星(ごぼうせい)です。よく見ると下のリボンにはTeles氏の苗字もTELLSとLLになっています。これはメーソンのシンボルでもあるわけですが、Tele氏のメーソンの関わりは検索では今のところ、ひっかかってきませんが、恐らくそうであろうとはわたしの推測です。

2013年に、ポルトのCafé A Brasileiraは閉店の憂き目を見、予定では2017年にホテルになるとのこと。さすれば内装は大きく変えられ、かつてのCafé A Brasileiraの面影はなくなるのは残念ではありますが、これも逆らえぬ時代の流れを表します。

Café A Brasileiraは上述したようにリスボンにもあり、詩人のフェルナンド・ペソアが通ったカフェとして名が知られています。

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カフェの前の通りに座る、フェルナンド・ペソアの銅像。
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と、書いたのは2年前のことです。上述したようにホテルに改築されていたのですが、予定より遅れ、今年2018年3月に五つ星ホテル、A Brasileira, Pestana Hotelとしてオープンしました。
嬉しいことに地階のファサーダはほとんど手付かずです。そして、建物の左側のカフェの一部もそのまま残り、「カフェ・ア・ブラズィレイラ」が再び開店です。

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今度はチャンスを逃すまいと夫と入ってみました。

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入り口(写真右)を入るとすぐ右に昔のままの鏡があります。

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白と水色を基調にした店内のデコレーション。木彫りのイスもかつてのカフェのシンボルがしっかり取り入れられています。

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この日は暑く、メニューにポルトガルでは珍しいアイスコーヒーを見たわたしたちはそれを頼みました。正面のカウンターを観察していると、シェイカーを振っていました。出てきたのはこれです。

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味はOKです。それとあわせて、頼んだのがレモンタルト。これはおいしかった!

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かつてを懐かしんでやってくる客がきっと多いだろうと夫と話していたら、早速知人のカップルに会いました。若いときにはよくこのカフェでデートしたのだそうで、ツーリストに混じり、昔のままの装飾がかつての顧客たちを惹き付けて、再び賑わうことを願ってやみません。朝9時から開店です。

では、また。
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2018年6月11日 

「明日の土曜日は図書館職員のストライキがあるので、日本語コースの教室が使えない」と、
図書館の係りから電話があったのは先週金曜日の夕方のこと。

うわぁ、またこれか・・よし!明日はこんな具合で授業を進めよう!と浮き浮き気分で準備が終わったところであった。出鼻をくじかれたのもさることながら、生徒たちに緊急メールを送るのだが、20人全員がメールを開けるとは限らない。 連絡が行き届かない可能性があることが問題なのだ。それで、また、これか・・・である。

すぐにFacebook上で「緊急!明日のクラスはありません。メールを読んでください」と投稿し、「このメール受け取ったか確認するため、短い返信をせよ」とメールを流した。

翌朝メール返信を確認すると、結局3人がどうやらメールを読んでいないようで、起きているであろうと思われる当日9時過ぎに電話を入れたが、応答したのは一人だけで、もう一人にはFacebookのメッセージを使ってみたら、了解との返事が来、最後の一人は何度も連絡を試みたものの、応答なし。仕方が無い。たまに欠席する生徒だから、もしかしたら今日もそれかもしれないと、諦めたのであった。

さて、こうなると、授業がないので土曜日の2時まで時間ができたしまったのである。いつもだと土曜日の昼食は日本語教室の後の2時過ぎになるので、行けるレストランは我が家の近くのChurrasqueiro(べーべキュー)レストランかCervejaria(生ビールが飲めて、一日中開いているレストラン)に限られるのだが。

その日は普通の昼食時間に行けるというので、しばらく前から我ら夫婦間で話に上ったダウンタウンのSushiレストランへ行こうとなり、予約を入れました。

経営者、料理人が日本人ではないので味はあまり期待できないと知りつつも興味はレストランに改造した建物の内装なのであります。

ポルトガルJaneiras
階段の踊り場も植物をかぶせてミラーを使って広さが感じられるよう工夫してます。

このように階段に滑り止めの黒いアクセント線があるのはとても助かります。弱視のわたしは、ときどき
階段の段差にめまいを感じたりするゆえ。

天上はイギリスのウエッジウッドを思い出させる白と水色のデザイン。

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かつては邸宅だった屋敷を改造したとかで、レストランは3階まであり、それぞれ小部屋に分かれている。写真はわたしたちが案内された部屋。
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美しいアズレージュ絵がある。

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席からはParada Leitão広場が望める。食事が出てくる前に、3階のベランダから外が見られるのでどうぞ、と案内され、行ってみた。レストランはPraça de Parada Leitãoとコルドアリーア公園に面している。

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この日も小雨だったが、多くのツーリストグループが広場を横切っていくのが見えた。

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て、食事はと言うと。

わたしが頼んだヴェジタリアン用の巻きのアラカルト。久しぶりにイチゴSushiを出されてギャー!(笑)もちろん箸はつけませんです。いっしょにキュウリの酢の物とグリーン野菜のてんぷらがついてきました。

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夫はカツオのステーキを頼んだが、写真撮り忘れ。ははは。

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生ビールがなかったのでオランダ産のキリン一番とりびんビールを。

味はどないな?と聞かれますかな?まぁ、食べられますが、日本食を期待する場合はやはり日本人の、もしくは日本で本格的に修業してきた料理人さんがいるところに限ります。寿司飯もどことなく違うのであります。

いつの間にか海外でも絶大の人気を博すようになったSushiですが、日本人が食べる寿司とは味、もりつけも違い、上の写真の「いちご寿司」に及んではとても寿司とは呼べませんね。これが出てくる時点で、「こりゃ、ダメだ」です。また、寿司=ロールと勘違いしている外国人も多いようです。

わたしは海外では握り、鮮魚が入ったものは余程でない限り口にしません。寿司の原点は新鮮な素材と寿司職人の洗練された技ではないかと思うのです。盛り付けひとつをとってみても日本の寿司と海外のSushiの違いは一目瞭然。 それと、ポルトガルのSushiレストランではネタが少ない。「サーモン」が俄然多いのです。

ごちゃごちゃと飾り立てたSushi Dishには余り魅力を感じないのですが、海外では結構受けがいいようです。それと、Hot Sushiなる、Sushiの揚げ物。これなんぞは邪道も邪道、とんでもござんせんと思うのは日本人であって、どこのメニューにでも載っているところをみると、いるんですね、食べる人が^^;

昨今、街をを歩けば、Sushiレストランにぶつかる、と言っても過言ではないかもしれません。ポルトだけでも寿司もどきが食せるレストランは30店はあるでしょう。

これまで中華料理店を賄っていた店がSushiレストランにいつの間にか変わっているということもよくあります。これは、海外では中華料理は安い、日本料理は高級だと言うイメージがあり日本料理の方が儲かるので、変えるのだそうです。

本場で日本料理の修業もせず、簡単にSushiレストランをオープンし、海外でSushiがどんどん一人歩きして、そのうち、「チョコレートSushi」とか、「Sweet Sushi」なんてのがメニューに出てきませんように、なんまんだ~と、切に願うこの頃ではあります。

このあたりでそろそろ、「寿司」と「Sushi」は違うということを、海外の人たちにも知って欲しいものですね。

ということで、Subenshiですが、Sushiを食べるより内装を見に行ってきた、ということに相成ります。

そそ、トイレに向かう壁でこんな面白い、張り合わせポスターを見つけました。
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レトロポスターはちょっと魅力があると思いませんか。

では、みなさま、本日はこれにて。
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2017年12月29日 

長い間、雨が降らず南部地方では旱魃の話も出始めていましたが、ここに来て、ようやく雨天が続いているポルトガルです。

野良ネコたちにとり雨は辛いのですが、我慢してがんばっておくれよ、そのうち晴れる日が来るからね、と傘をさして餌運びするここ数日です。

さて、本日はFrancesinha(フランセズィーニャ)の話です。

息子も大好きで、リスボンに住んでいた時はポルトに帰ってくると、必ずフランスズィーニャを食べにいっていました。フランセズィーニャの本場はポルト。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのフランセズィーニャ

食パンの間には、ハム、ソーセージ、肉、チーズが挟まれており、その上にたっぷりのとろけたチーズがかけられています。中身はこういう具合い↓

YUKOfrancesinha
おいしいものをありったけ詰め込んだようなボリュームたっぷりの、言うなれば、特性サンドイッチです。

好きな人はこの上に更に目玉焼きを載せ、フライド・ポテトをつけます。ビール、ワインには最高!カロリーも最高のワッハッハ!フランスズィーニャのお値段の程は、7ユーロ(\1000ほど)。

本日は、フランセズィーニャについて、自分のメモとして記事を上げておきたいと思います。以下。

ポルトガルなのなぜ「フランセ」とつくのか、どなたも不思議に思うのではないでしょうか。そこで、今ではポルト料理を象徴し、世界でも十指に入るサンドイッチのひとつに数えられるフランセズィーニャのストーリーを紹介します。

元祖フランセズィーニャがメニューに載ったのは1952年、ポルトのRua do Bonjardim(ボンジャルディン通り)に開店したA Regaleira(ア・レガレイラ)レストランです。

ある年のこと、A Regaleiraレストランの店主は、フランスに立ち寄りホテルで一人のバーマンに出会います。今でもそうですが、よりよい生活を求めてポルトガルからフランスへと出稼ぎに出るポルトガル人はとても多く、彼もその一人でした。

このバーマンを見込み、店主はポルトの自分のレストランに誘います。Daniel Davide Silvaというこのバーマンがフランセズィーニャを作った人なのです。

Danielはレガレイラ・レストランで働き始め、フランスの「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」というサンドイッチにインスピレーションを得て、肉とポルトガルのハム、ソーセージをパンに挟み、独得のピリ辛ソースを発案し、店のメニューとして出します。

YUKOfrancesinha
「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」Wikiより

さて、この名称ですが、Daniel Davide Silva氏、なかなかの女好きだったそうで、フランスではバスに乗っては、小奇麗でシックな服装のフランス女性を観察するのが好きだったとのこと。このソースを思いついたときに「フランス女性はエキサイティングである」との意味で「Francesinha(フランス女性)」とつけたと言われます。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのピリ辛ソース。好きなだけフランセズィーニャにかけて食べられます。

ピリ辛ソースをポルトガル語ではmolho picante(モーリュ・ピカンテ、molhoはソース、picanteはピリ辛)と言うのですが、picanteはそのまま「刺激的」と言う意味につながりますね。

フランセズィーニャはソースがポイントで、レストラン・レガレイラのソースのレシピは門外不出、金庫の中に保管されてあるとのこと。

わたしがポルトに嫁いできたのは1979年ですが、フランセズィーニャはレストラン・レガレイラで既に出されていたものの、名前すら耳にすることはありませんでした。フランセズィーニャを耳にしたのは、息子の口からでした。

ボリュームたっぷりのピリ辛フランスズィーニャは若い人に人気があり、一軒のレストランから口コミで広まったDaniel Davide Silvaのサンドイッチは、今ではポルト郷土料理「Tripas料理(トリッパス)」に継いで、ポルトを象徴する一品になりました。

ポルトガル国内の大きな都市ではメニューに見るでしょうが、食べるなら、やはり本場のポルト、それもできれば、フランスズィーニャが美味しいと評判の店をお勧めします。レストラン・レガレイラは当然のこと、レストランYUKOもそのひとつです。

本日はこれにて。
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2017年12月28日 

昨日の記事の続きで、レストラン「YUKO Tabern(ユーコ・タベルン)」の紹介です。

先だって夜、一見(いちげん)の客で行ったところ、見るからに満席で1時間以上待たなければいけないというので、諦めたのですが、今回は昼でしたが電話予約を入れて行って来ました。まずは店内の案内から。

ポルト レストランYUKO
店内は石造りで田舎風。カウンターの上にもわたしの名前が!(笑)

ポルト レストランYUKO
壁に掛けてあるモノクロ写真は全て古いポルトガルの人物画像です。

この日も満席
ポルト レストランYUKO

そして、壁に飾ってあるAzulejo(アズレージュ)こと、青タイル絵。
ポルト レストランYUKO

絵を拡大してみましょう。
ポルト レストランYUKO

ポルトの象徴であるクレリゴス塔、二重橋のドン・ルイス1世橋、昔ワイン輸送に使われドウロ川を下った帆掛け舟Rabelo(ラべーロ)が描かれています。そして、上部には「Yuko 1987」が見えます。Yukoさんが描いたのか、はたまた単に開店記念としての店の名前と年号なのか。

いずれにしても、ここで店名を掲げられるからには、単にここでフランセズィーニャを作っていた日本人ということではないような気がわたしはするのですが。

さて、前菜から。

ポルト レストランYUKO

Polvo com Molho Verde(ポルヴォ・コン・モーリュ ヴェルデ=グリーンソースのタコ)。Molho verde(グリーンソース)と言うのは、たまねぎ、パセリのみじん切り、それにオローブオイルとワイン酢を混ぜたソースのことです。
言って見れば「タコの酢の物」でしょうか。

レストランによっては酢が入ってなかったりします。わたしは食べるたびに、ここにちょっとだけでも醤油をたらしたら、グンと味が上がるのになぁ、と思いながら食べるのですが、それは日本人の味覚です。

が、ここのPolvo com Molho Verdeはなかなかにイケます。そして、写真をとりわすれましたが、サラダもドレッシングもおいしかった。そこで、日本人味覚のわたしがいうのですが、このソース、ドレッシングのレセピももしかしたら、Yuko仕込みではないのか?です。

とういうので、肝心のメインディッシュ、フランセズィーニャですが、写真を載せて「これです」だけで済ませない
性分です。これには説があります。既に今日の記事が長くなりましたので明日にしたいと思います。

では、また。
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2017年12月27日 

今日のトップはこの写真!

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「おいおい、ユーさんよ、あんさんが料理好きだとは、ただの一度も耳にしたことがありませんぜ」と、口さがない長年のペンパル、いや、もうそんな言葉は死語になり、今ならメル友でしょうか、Iさんの呆れた口調で言うのが聞こえてきそうです(笑)

挙句は、Facebookに載せたこの画像を見た我が日本語の生徒さん、「先生、次のNHKパーティーはこの先生の店でしようよ」と迫られ、大汗をかいているのであります。

NHKパーティーと言うのは、毎年春に我がYY-日本語塾の生徒全員を集めて、相棒のOちゃんとわたしとが日本の家庭料理を作って奉仕するパーティー(笑)「Nihongo wo Hanasu Kai」の略称で、2011年春に始まったのが今春は第7回目になり、我ながらよく続いてるなぁと。

84才から15才までの老若男女の生徒たちも楽しみにしているようで、「先生、この日はいないのでNHKパーティーしないでください」とか、「今年のパーティーは未だですか」とか、いつの間にか催促が入るようになったというパーティーなのであります。初回の20人ほどから毎年増えて、全員来たら困るかもよ、と、Oちゃんと冷や汗かきながら、料理に精出します。

ちょっとだけ様子を写真で紹介すると、こんな具合です。
日本語を話す会

日本語を話す会

日本語を話す会

日本語を話す会

デザートのケーキは毎回、ケーキつくりを勉強した生徒さんにお願いして作ってもらいます。後は全てYuko & Yumikoの手料理。写真の他に、カレーライス、Yuko式グラタンも出ます。

彼女に作ってもらったケーキで最高だと思われるのが、日本のさくらをイメージしたこれです↓

日本語を話す会

みなから思わず感嘆の声がでたものです。

日本語を話す会
こんな体験も生徒にしてもらいました。


パーティー会場は、毎回Oちゃん宅なのですが、それで上述の生徒さんが、次、つまり来年の春にはタベルナYUKOで、と話が出たのです。

NHKパーティーの説明で前書きがすっかり長くなりましたが、件のレストランは「YUKO Tabern」が店名です。

この店、わたしがポルトに来て以来ずっと目にしてきたのです。開店30年とありますが、それは恐らく今の場所、Rua Costa Cabral(我が家から近い)で営業し始めてではないか?と、思っています。と言うのは、わたちたちの家のもっと近場にレストランYUKOと看板を挙げていたと、記憶しているのです。

わたしと同じ名前で、しかも日本人の名前を店名に掲げるというのは、普通、店主だと思うのですが、どうなのでしょう。YOKOならオノ・ヨーコがらみで話は分かるのですが、わざわざYUKOですよ?

これがずっと長年疑問だったの、パソコンを使うようになって、昔一度検索したことがありますが、どこかで、「ポルトガル人のお姑さんからポルトガル料理を覚え、店を出した」と言うようなことを読んだと思うのですが、今回再度検索してみたものの、ひっかからず。

わずかに出てきたのは、フランスズィーニャを担当していたのが、「日本人YUKO」と言うのみ。今回開店30年にして、ポルトの美味しいレストランにノミネートされたと紹介されています。しかも、フランスズィーニャで、ということらしいです。

では、フランスズィーニャってなに?と、やっと本題に入るのですが、レストランの写真も併せて、明日に続けましょう。

では、みなさま、お楽しみに!
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