2016年7月17日 

6月30日の夫の誕生日プレゼントに、と、日本に住む息子と娘から、隣町ガイア市の海岸沿いにあるレストラン、Casa Branca(カザ・ブランカ)での、二人分の夕食招待をもらった。

昨日、行ってきたのだが、今日はそのレストランの紹介。

ポルトからだと自動車道路を抜けて、隣町ガイアのPraia de Lavadores(ラヴァドーレス海岸)にあり、旅行者が行くには不便な場所なのだが、海のまん前にあり眺めがよい。ここ数年でポルト市内には高級レストランがたくさん出来たが、Casa Brancaは昔から高級レストランとしてよく知られている。

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8時に予約をとって行くと、わたしたちが夕食一番最初の客で、レストラン内はとても静かだった。窓際のテーブルに案内され、西日が少しきついが海の景色は美しく、ここから日没の時間まで太陽が沈むのを眺めながらの食事であった。

casabranca3.jpg
テーブルについたときの景色

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徐々に日は海に沈み。同じように海岸で日没を眺めるカップル。

restaurante_casabranca

日が没した後の残照が美しい。
restaurante_casabranca

下記、この日のニュなり。
restaurante_casabranca
前菜の盛り合わせ。

restaurante_casabranca
夫が好きな、フィッシュスープ。

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肉料理と下、Arroz de tamboril(Arroz=ご飯、米、tamboril=あんこう)。常々思うのだが、量が多すぎ。

restaurante_casabranca
冷めないように、こちらでは鍋ごとテーブルに出される。

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食後のデザート、パイナプルとMaracujá(マラクジャ=パッションフルーツ)のアイスクリーム。これはおいしかった!

restaurante_casabranca
レストランを9時半ころに出る。外はまだ薄明かり。夜はこれからだ。

息子よ、娘よ、ありがとう^^

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2016年5月19日 

土日の昼食は外で、がわたしたちの習慣です。

理由はひとつには、家事をこなしながら一方で月曜日から土曜日まで、毎日、日本語教室の仕事もしているわたしですから、土日の昼食作りからは開放されたい。それと、ポルト市内のレストランを食べ歩くのも、楽しみの一つだからです。

もうひとつは、我が家では純ポルトガル料理を作ることはまずありません。どうしても日本料理の味つけになります。夫にしてみれば、苦情は言わないものの、ポルトガル料理も欲しいところでしょう。(と、いいように解釈しているw)

そうした中で通っているうちに、味とサービスが気に入った行きつけのレストランも何軒かあります。
その一つが、ダウンタウンにある小さなレストラン「Buraco(ブラコ)」。意味は「穴」なんですが、その名のごとく、実は知る人ぞ知る穴場のレストランなのです。

buraco

入り口が小さくて、大きな正面看板も出ていないので、うっかり通り過ぎてしまいそうです。が、ここはわたしがポルトに来て以来、夫と時々足を運んできたレストランですから、長年知っているところでもあります。ウイークデイは近辺のサラリーマンで満席になりますが、週末もこの店を知っている人たちがたくさんやって来ます。

buraco

典型的なポルトガルの家庭料理で、値段も手ごろ、量もポルトガルのレストランのどこでも出されるようにバカ多くなく、しかもおいしいと来ています。店内が手狭で、その時間には次から次へと客がやってくるので、ゆっくりできないのが玉に瑕でしょうか。

buraco
画像はWikiより

今年67歳になるマヌエルさんは12才からここで働いているとのこと、わたしたちが行き始めて37年ほどになりますから、顔見知りですが、上述のように、ゆっくりできないので、わたしたちがここに知人を案内することはめったにありません。

buraco
2015年に新聞で取り上げられたレストラン「O Buraco」とマヌエルさん。

メニューを少し挙げてみますと、

Carde Verde(スープ)  1.50€ 
Saldinha Fritas(揚げ小鰯。上の写真にある) 一皿 6.00€
Carapao Fritos(揚げ小鯵) 一皿  6.00€
Tripas(ポルトの臓物煮料理)   6.00€
Bife à Buraco(Buraco式ステーキ) 6.00€

肉魚は他のポテトフライや豆ご飯等の副食共に、どれも6€(720円くらい)。時間があるツーリストのようにゆったりはできませんが、おいしく手ごろな値段で食べられること請け合いです。

では、本日はこれにて。

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2016年4月27日 

毎土曜日は、所沢に住む我が妹夫婦が、近くのスターバックスで朝食を取るのが習慣だ。日本で社会人として生活する二人の子供たちが別々に居を構えた2年前から、わたしの帰国時の滞在先は妹宅になり、必然、土曜日は彼らのお供をする。

9時半ともなると満席になり、通りに面した全面ガラス窓の席は明るいのと通りが見られるのとで人気があり、この席に座るには9時ころにはそタバに向かうことになる。

土曜日の朝、大きなカップに淹れたてのコーヒーの香りをくゆらしながらのスタバでのひと時は、店内を流れるBGMも耳障りでなく、ゆったりして快い空間である。パソコンを持ち込んでなにやら真剣に画面に向かう外国人もよく見かける。

さて、日本から帰ってまだ二日経っていない月曜日、食料買出しと眠気覚ましにと、しばらく前に開店したポルトガル第2店目のスターバックスへ夫と行って来た。隣町ガイアにあるスペイン系チェーン店のEl Corte Inglés(エル・コルテ・イングレース)デパート内、一階のコーナーを占めている。

starbucks

スタバの食べ物には日本もここも、あまり期待していないので、さて置き、 ポルトガルでは飲めなかった「カフェラテ」がメニューにあり、注文。すると、紙コップに名前を書くのだという。
 
starbucks

starbucks

夫に任して、テーブルで受け取った紙コップには・・・「Nuko」と書かれてあった^^;

starbucks

Y(イプシロンとポルトガル語では言う)で始まる言葉も人名もポルトガル語にはないので、Sr.Juko(=セニョール・Juko.最後がoで終わる名前は男なのだ)だったり、DonaJukaだったりと、わたしの名前は散々な目に会うのであるが、Nukoってなんでんねん^^; 初めてだよ(笑)

ポルトガルに帰ってきたんだなぁと、こんな小さなことではあるが感じ入った休日ではあった。

ところで、スターバックスのロゴに興味をもち、かつて調べたことがありますので、本日は過去記事をここに再掲載いたします。お時間と興味のあるかたはご一読を。

2009年1月5日

エスプレッソコーヒーをメインに世界中にチェーン店を展開するスターバックスが、昨秋、リスボンのペレン通りに出店した。
食後は必ずと言っていいほど仕上げにエスプレッソを飲むポルトガル人だが、さてスターバックスはそのポルトガルに定着するかな?いずれポルトにもやってくるであろうと思った程度で、さほど気にもかけないでいたところ、12月の新聞付録のマガジンのページをめくって、ふと目についたスターバックスのロゴマークに、あれ?と思った。
 
そのロゴマークが大きく入ったマガジンのスターバックス・クリスマス商品の宣伝である。↓スターバックスロゴ2

日本に帰国するとあちこちで見かけるスターバックスではあるが、ロゴマークに目がいったのは今度が初めてだ。見た瞬間「あ!これはメルシーナ(ポルトガル語。Melusina=Melusine=メリュジーヌとも言う。以後、メリュジーヌと記します)ではないか!」が我が口を思わずついて出た言葉であった。

メリュジーヌとは、10世紀初期にフランス西部Poitouに興ったリュジニャン(Lusignan)王朝の起源にまつわる、下半身が蛇、もしくは魚の伝説の「水の精」のことで、いわゆる人魚である。人魚はギリシャ神話にも登場しSiren=セイレーンと呼ばれ、童話
「人魚姫」はこのメリュジーヌ伝説やギリシャ神話に由来すると言われる。メリュジーヌのイメージ画は時には下半身が2本の魚の尾、またそれと共に背中にドラゴンの翼も描かれ、王冠を頭上に頂いている。
  
伝説
Poitouのレイモンドが森の泉のほとりで美しいメリュジーヌに出会い結婚、やがて二人の間には子供たちも生まれる。メリュジーヌはリュジニャン城を始め多くの城や修道院をリュジニャン地方に建てる。(リュジニャン城は現在城跡のみが残っている)
しかし、ある日、してはならぬと約束していた妻メリュジーヌの水浴を覗き見したレイモンドは彼女が半人半魚であることを知る。
そして、ある時、何かの拍子に怒りに任せてメリュジーヌを「蛇女」呼ばわりしてしまう。本来の姿を知られ、ドラゴンに変身したメリュジーヌは、夫レイモンドに二つの魔法の指輪を残し飛び去り、再び姿を現すことはなかった。

というのだが、下はwikiから引っ張り出した15世紀に描かれたリュジニャン城の美しい絵。 

スターバックスロゴ1

塔の上を飛んでいるのがドラゴンに化身したメリュジーヌ。その上の半円図は占星術の黄道12宮であろう。世はおひつじ座の時代からイエス・キリストの魚座の時代に入ろうとしている。真ん中の光は恐らく「神の子イエス/太陽、光をもたらす者の到来」を表している(と勝手に分析)
画像はwikiより

何故わたしがこんな話に首を突っ込んでいるかというと、「spacesis、謎を追う」シリーズで目下取り上げている、昨夏訪れた「シントラ:キンタ・ダ・レガレイラ」の謎解きのためにと読んでいる関連のポルトガル語の本、凡才頭脳ゆえなかなか読み進まないのではあるが、その中にメリュジーヌの話が出てきて、検索しながらの考察中なのである。
  
つながらない糸の端を見つけるのに、目下、四苦八苦。錬金術やタロットカードまでに検索が及び、我が娘には「おっかさん、段々怪しい分野に入っていってるのでは?」と笑われ、自らも「こんなところまで行っちゃっていいのか?」と思いながらの暗中模索中なのではある。
  
このロゴを見て咄嗟に「メルシーナ=メリュジーヌ」だと判断したわたしの勘はまんざら当たっていないわけではないようだ。

英語のブログサイトでも既にこのロゴマークについては取り上げられているのだが、スターバックスのロゴは、これまでに何度か変更されている。

スターバックスロゴ3
5世紀の古い木版画を元にしたと言わ れる初期1971年のロゴ。 

ス他0バックスロゴ5
変更された1987年のロゴ。王冠の星と周囲の星で三つの星が加わっている。

アメリカ国内の一部で女性が脚を広げているようだと顰蹙(ひんしゅく)をかい、ボイコット運動があったため再び下記にあるように、ヘソから下を隠した現在のロゴに変更。
スターバックスロゴ4

ソース:How the Starbucks Siren became less naughty

さて、ここからはspacesis独自の謎解き推論に入ります(笑)

描かれた異様なシンボルゆえに教会から異端崇拝に結び付けられた、今日のトランプの原型になる「タロットカード」には抹殺され
た6枚がある(マーガレット・スターバード著・ 「マグラダのマリアと聖杯」引用)と言われる。その中の一枚はローマ教会からすると
反体制の女性原理をあらわす「女教皇」であり、そのカードの別名は「Siren of the Philosophers=賢者の人魚」である。
  
これらを考え併せたわたしの推論だが、メリュジーヌの変身は(これもまたローマ教会からは異端とされた)錬金術に通ずるのではないか。(錬金術は一般的に鉛を金に換えることだと思われているが、これは隠れ蓑である。錬金術の奥義は神学的、哲学的、心理学的なものであり、生まれたままの人間「鉛」が、精神も人生の試練の中で浄化され、霊的な変容をとげること、つまり「金」になることである。)
  
スターバックスロゴのデザイナーに古(いにしえ)の異端の知識があり、意図的にメリュジーヌを使ったかどうかは知らない。しかし、初期のロゴから変更された二つの図に、王冠の上の五ぼう星と周囲のふたつの五ぼう星、併せて三つの五ぼう星が加わっているのこと(五ぼう星も3という数字も秘儀に関連する)、二つ目のロゴから垂らした髪と尾が水がめ現代は魚座から水がめ座の時代に入ったと言われる)のシンボルとされる波線の形になっていることから総合して考えると、スターバックスのロゴは、異端の香りがぷんぷんしているのである。

最後に余談ではあるが、メリュジーヌの子孫、ギー・ド・リュジニャンは12世紀に十字軍が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回後、エルサレム王、後にはキプロス王となる。リュジニャン第二王朝はその舞台をキプロスに移すが、15世紀のシャルロット・リュジニャン王女は、ポルトガルのドン・ジュアン王子に嫁ぎ、二度目はジュアン一世の孫である第二コインブラ公と結婚している。

スターバックス・ロゴから発したメリュジーヌ調査ですが、その子孫のポルトガル嫁ぎから、なにやら、ポルトガル国内でふんだんに見かけられる錬金術シンボルとの関連の糸口が見つかったような気がするのでした。

本日も読んでいただき、ありがとうさんでございます。
ではまた!

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2016年2月1日 

我ら4人仲間の食事会は、わたしとOちゃんの仕事の都合で、いつも日曜日の昼食だったのが、今回は週日にしてみました。
実を言えば、週日のダウンタウンのレストラン、カフェ類は多くが休みで閉店で、故にわたしたちの昼食会は、名が知れて日曜日でも開いている「Solar Moinho de Vento」だったのです。

今回予約して出かけたのが、「Abadia(アバディア)」です。ホコ天サンタ・カタリナ通り、グランドホテルのの裏側にあります。内部は4ホールに分かれ、300人ほどが受け入れられます。これまでにも何度か食事をしていますが、わたしは観光シーズンは避けます。団体のツーリストが入ると落ちかないからです。

ポルトのレストランAbadia

ごらんの通り、入り口左はロマネスク教会の小塔仕様ですが、それも然り。「Abadia」とは「修道院」のことで、英語なら「Abbey」。聞くところによると、創立は1939年で現在レストランがある場所にはかつてスペインのガリシア地方の「サンチアゴ・コンポステラ」へ向かう巡礼者たちの休息所、簡易宿泊所があり、食事も提供していたとのことです。
「サンチアゴ・コンポステラ」はこちらにて案内しています。

ポルトのレストランabadia
若い修道士の笑みが気になって仕方がないわたしだw

入り口ドアの前にはビールを片手にした修道士像が迎えてくれます。欧州では修道院と言えば、グルメの発祥地とも言われます。ワイン、ビールを始め、料理からデザートに至るまで、美味なるものは修道院が源。道理でポルトガル語で「Abade(修道長)」の隠語が「太った人」と言うのは、うなづけます。

ポルトのレストランabadia
一階ホール。店内ではステンドグラスや青タイル絵(Azulejo)も見られる。

ポルトのレストランAbadia
わたしたちが取ったテーブルのコーナーのステンドグラス。

ポルトのレストランabadia
   
Abadiaの料理はどれもお勧め。左はバカリャウ(Bacalhao=大タラ)、下は牛すね肉、豚肉、各種臓物、ベーコン、ソーセージにキャベツ、にんじん、じゃがいも、カブなどの野菜のポルトガル風シチューことCozido à portuguesa(クズィード・ア・ポルトゥゲーザ)。

ポルトのレストランabadia

この他、タコ料理もおいしい。量が多いので、老舗のレストランで、二人で一人文の注文は恥ずかしいが、4人で3人分はいけるのであります^^ なにしろ、わたしは小食ゆえ。

伝統的なポルトガル料理を提供する老舗ですから、カバコ・シルバポルトガル元大統領やポルトガルのノーベル文学賞受賞者ジュゼ・サラマーゴ(José Saramago)、女優のソフィア・ローレンなどの著名人も訪れています。

久しぶりに会うわたしたちは話が尽きず、昼食最後の客と相成りったのでありました。

インフォーメーション
所在地:Rua Ateneu Comercial, 22/24 4000-380 Porto 
Tel: 222-008-757
営業時間:火~土12:00-15:30 ・18:30-23:00
       月曜日 18:30-23:00
定休日:日曜日

    
では、また!
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2016年1月31日
 
2、3ヵ月に一度ほどの割で、食事会を持つ4人の日本人仲間がいる。4人とも連れ合いはポルトガルの人である。

ポルト在住が25年以上になるI氏は、ポルト補習校の創立間もない頃から共に携わって来た人で、彼の子供たちも何年か受け持ってきたが、わたしに続いていったん補習校講師を退いたものの、今年度は全くのボランティアで高校生を教えている。毎年、秋からこの時期くらいまで、彼の自家製の大根は大いに重宝している。

大阪出身の多少口さがない友とも、一時往来が途絶えたことがあったが、かれこれ30年来の付き合いになる。話し出せば面白く、わたしもポルトに来る前は10年ほど大阪にいたので、つい釣られて 関西なまりが出てしまう間柄だ。

ポルトの在住日本人の中でもそうなのだが、この二人とわたしは同年代でわたしが最年長になる。日本で育った時代を共有するので、価値観がどこか似通っている。

この三人の年寄りたちの中に、一緒に日本語教室をしている40代のOちゃんが入る。小中学生二人の子供がいる。わたしたち3人とは親子ほどの年齢差になるが、彼女の価値観はわたしたちのに近いのが面白い。

待ち合わせ場所を決め、レストランで乾杯し、久しぶりにポルトガル料理に舌鼓しながら、わいわいおしゃべりするのは、楽しいものだ。時間がたつのも忘れ、毎回3時間以上の食事になり、その後、はしごして、もう一軒カフェに入っては、おしゃべりが更に続く。

話の内容はと言えば、子供たち、家族のこと、仕事のこと、日本の政治のこと、将来我々が入るであろう、お墓のことなど多岐にわたる。

レストランはダウンタウンにある「Solar Moinho de Vento」
Solar Moinho de Vento
こちらにて案内 →http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1197.html

少し高めのお値段だが、ダウンタウンにあるほとんどのレストランは日曜日が閉店なのに、ここは空いているので助かるのと、いつも予約する二階の窓際のテーブルは、ゆっくり話ができるのがいい。

そして、レストラン閉店ぎりぎりまで話しこみ、この後、ちょうどわたしたちが行く時間にはピアノが流れる「Guarany(グアラニ)」で一息ついて解散するのが定番だ。

しかし、今回は食事をレストランAbadia(後日案内)で、カフェはサンタ・カタリナ通りのマジェスティック・カフェへと繰り出した。日本語教室で忙しくなる前に、わたしは独りでよく訪れ、カフェとスコーンを注文したものだ。

と言うので、前置きが随分と長くなりましたが、マジェスティック・カフェ(Majestic Café)のご案内です。

ベル・エポック(フランス語、belle epoque )と言う言葉をご存知だろうか。フランスでパリを中心に新しい文化や芸術が栄えた19世紀末から20世紀初めにかけての時代を言う。女優のサラ・ベルナール、ロートレック、詩人ランボー、ボードレールなどが活躍した時代だ。
 
パリの一番最初のカフェのお目見えは1667年と聞く。1715年には300ほどのカフェがパリにあった。これらの中でも最も有名なのは「カフェ・ド・プロコープ」。ボルテールやルソーが常連客だった。
 
フランス革命時期には、政治家やマラー、ロベスピエール、そして若き日のナポレオン・ボナパルトも集っていたと言われる。このカフェは現在では「ル・プロコープ」としてパリでも老舗のレストランとして営業おり、筆者は2007年秋にパリを訪れた際、そこで夕食を楽しんで来た。(後日紹介)

さて、ポルトの最初のカフェは「Café Lusitano」と呼ばれ1853年に開店した。1921年、パリにはかなり遅れてではあるが、ポルトの目抜き通りSanta Catarinaに建築家ジュアン・ケイロス(João Queirós)によって開店された「カフェ・エリート」が、Majestic Caféの前身になる。(1922年改名)

20年代には文人や芸術家たちが集い、討論に花咲かせたマジェスティックは、ベル・エポック時代の歴史を語る「ポルトのエスプリ」とも言えよう。マジェスティック はその古きよき時代の名残を今に残している。
マジェスティックカフェ
2016年1月現在 

しかし、60年代に入ると、時代の変化に抗えずに衰退。80年代に入って詩の文化遺産としてポルトっ子たちの関心を集めるになった。10年の年月をかけてオリジナルの華麗なアール・ヌーボースタイルを見事に復元した。

マジェスティックカフェ

美しいファシャーダ(正面入り口)をくぐると、店内には小さな白大理石のテーブルにアンティークの椅子、木彫り細工の大鏡が訪問者を別世界に誘う。

マジェスティックカフェ

マジェスティックカフェ

マジェスティックはシラク元大統領を始め国内外の著名人が多く訪れている。かのJ.K.ローリングは、ポルト在住中にここを気に入り、第一巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の一部をここで書いたと言われる。

マジェスティックカフェ

ローリングがどのテーブルに着いてどの章を綴ったのか、とエスプレッソをすすりながら想像してみるのも魅力的ではないか。

本日はこれにて。
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