2010年08月03日 (火)
2010年8月2日
今日は今年春に訪れたアンダルシア地方、グラナダのアルバイシンのご案内。
画像がたくさんです。
全ての画像を大きなサイズで、と望まれる方は、こちらポルトガル案内専用
サイトOut of Porto-アンダルシア・アルバイシン」でどぞ。記事内容
ポルトから車で片道8時間、2010年4月下旬に訪れたグラナダは少し曇っていた。

絵筆を持つ人なら描きたいでしょうか^^

ユネスコの世界遺産に登録されている「アルバイシン(Albaicin)」はアルハ
ンブラ宮殿ができるまでグラナダ王が住んでいたと言われる丘陵地で、グラナ
ダ市を流れるダーロ川(Rio Darro)を挟んむ対岸の丘陵にはアルハ
ンブラ宮殿の全容が見える。
細い路地が迷路のように交差し、丘陵ゆえ坂道も多いが、イスラム教徒の住居
だったアルバイシンは、今にその名残りを十分に残す。
「グラナダ」はわたしなどすぐに手榴弾を思い浮かべるのだが、もともとの
意味は「ざくろ」。なるほどとヘンに納得。ざくろは「多くの子孫」を始め、
その国によって色々なシンボル的な意味あるようだ。グラナダ市の紋章にも
ざくろの模様が入っている。

画像をクリックすると拡大図が見られます。
門をくぐるとあるバイシン区域だ。 細い路地を歩くとパテオのある半円形の
アーチやタイルで飾られたイスラム風の屋敷が多くある。下記の写真で見られ
るようにこれらの屋敷をアルバイシンでは「Carmen=カルメン」と呼ぶ。
カルメンはここでは人名ではなくハウスのことである。↓

ほらね?

今日は今年春に訪れたアンダルシア地方、グラナダのアルバイシンのご案内。
画像がたくさんです。
全ての画像を大きなサイズで、と望まれる方は、こちらポルトガル案内専用
サイトOut of Porto-アンダルシア・アルバイシン」でどぞ。記事内容
ポルトから車で片道8時間、2010年4月下旬に訪れたグラナダは少し曇っていた。

絵筆を持つ人なら描きたいでしょうか^^

ユネスコの世界遺産に登録されている「アルバイシン(Albaicin)」はアルハ
ンブラ宮殿ができるまでグラナダ王が住んでいたと言われる丘陵地で、グラナ
ダ市を流れるダーロ川(Rio Darro)を挟んむ対岸の丘陵にはアルハ
ンブラ宮殿の全容が見える。
細い路地が迷路のように交差し、丘陵ゆえ坂道も多いが、イスラム教徒の住居
だったアルバイシンは、今にその名残りを十分に残す。
「グラナダ」はわたしなどすぐに手榴弾を思い浮かべるのだが、もともとの
意味は「ざくろ」。なるほどとヘンに納得。ざくろは「多くの子孫」を始め、
その国によって色々なシンボル的な意味あるようだ。グラナダ市の紋章にも
ざくろの模様が入っている。

画像をクリックすると拡大図が見られます。
門をくぐるとあるバイシン区域だ。 細い路地を歩くとパテオのある半円形の
アーチやタイルで飾られたイスラム風の屋敷が多くある。下記の写真で見られ
るようにこれらの屋敷をアルバイシンでは「Carmen=カルメン」と呼ぶ。
カルメンはここでは人名ではなくハウスのことである。↓

ほらね?

2010年07月19日 (月)
2010年7月18日
前回に引き続き、アンダルシアの「ロシオ巡礼祭り」の案内です。
今日は巡礼時の服装とその言われについて。
下の写真は「バタ・ロシエラ」と呼ばれる女性のロシオ巡礼祭りの女性の衣装
です。

フラメンコの衣装と間違えられるが、旅し易いように、また乗馬もで
きるようにシンプルでフリルも少ない。また、髪に花を飾る。

↓こちらは男性の服装。

男性の服装は丈の短い上着とつば広帽子。なにやらマタドールを思わせる
カッコよさがあります^^馬もおしゃれをしています。

ロシオ巡礼の旅の出発前。

前回に引き続き、アンダルシアの「ロシオ巡礼祭り」の案内です。
今日は巡礼時の服装とその言われについて。
下の写真は「バタ・ロシエラ」と呼ばれる女性のロシオ巡礼祭りの女性の衣装
です。

フラメンコの衣装と間違えられるが、旅し易いように、また乗馬もで
きるようにシンプルでフリルも少ない。また、髪に花を飾る。

↓こちらは男性の服装。

男性の服装は丈の短い上着とつば広帽子。なにやらマタドールを思わせる
カッコよさがあります^^馬もおしゃれをしています。

ロシオ巡礼の旅の出発前。

2010年07月17日 (土)
2010年7月16日
今回は二回にわたって、春に訪れてきたアンダルシア地方のグラナダの「ロシ
オ巡礼祭り」を画像でご案内します。
2010年5月にグラナダを訪れた際に、予期せずして出会ったロシオ巡礼祭り。
後で調べてみたところ、世界的に有名な巡礼祭だそうだ。
毎年復活祭の50日後に、聖堂から運び出される「聖母像」を崇める
ために、セビリアから70キロほど離れた小さな村Almonteを目指して、
行くロシオ教団とでもいうのだろうか、その信者の巡礼団(Irmandado=
兄弟愛、組織などの意味。ポルトガル語では、フリーメーソンもIrmandado
を使う)の祭りだ。
アンダルシア地方の近県、セビリアやグラナダだけではなく、遠くマド
リッドからも巡礼団は、民族衣装を身に着け、馬や幌馬車、キャンピングカーに乗って何日もかけてこの村に集まってくる。
目的地はAlmonteから更に15キロほどの「ロシオ村」の聖堂である。
わたしたちはなにも知らないでたまたまグラナダを出発するこの巡礼団の
行列を見る幸運を得たのでした。

花で美しく飾った幌馬車の行列には思わず目を見張りました。

このように幌馬車の行列が果てしもなく続いて出発を待機しています。
今回は二回にわたって、春に訪れてきたアンダルシア地方のグラナダの「ロシ
オ巡礼祭り」を画像でご案内します。
2010年5月にグラナダを訪れた際に、予期せずして出会ったロシオ巡礼祭り。
後で調べてみたところ、世界的に有名な巡礼祭だそうだ。
毎年復活祭の50日後に、聖堂から運び出される「聖母像」を崇める
ために、セビリアから70キロほど離れた小さな村Almonteを目指して、
行くロシオ教団とでもいうのだろうか、その信者の巡礼団(Irmandado=
兄弟愛、組織などの意味。ポルトガル語では、フリーメーソンもIrmandado
を使う)の祭りだ。
アンダルシア地方の近県、セビリアやグラナダだけではなく、遠くマド
リッドからも巡礼団は、民族衣装を身に着け、馬や幌馬車、キャンピングカーに乗って何日もかけてこの村に集まってくる。
目的地はAlmonteから更に15キロほどの「ロシオ村」の聖堂である。
わたしたちはなにも知らないでたまたまグラナダを出発するこの巡礼団の
行列を見る幸運を得たのでした。

花で美しく飾った幌馬車の行列には思わず目を見張りました。

このように幌馬車の行列が果てしもなく続いて出発を待機しています。
2010年06月21日 (月)
2010年6月20日
整理の時間がとれず案内が遅れがちですが、アンダルシア旅行コルドバ編最後
で、今日は街で目にした画像を。

メスキータ周辺のツーリスト用の馬車。コルドバでは結婚式にも使われるようだ。

コルドバ、メスキータの前にあるレストラン「カバーロ・ロホ」(赤い馬)
花で彩られた可愛い入り口が素敵でした。
メスキータ周辺の路地

立ち並ぶ小さなレストランの多くは狭い入り口の向こうに可愛いパテオを持
っている。

抜けるような青い空に白壁の路地。ポルトと似たような光景だがアラブ文化の
影響を漂わせ、どこか違う。

整理の時間がとれず案内が遅れがちですが、アンダルシア旅行コルドバ編最後
で、今日は街で目にした画像を。

メスキータ周辺のツーリスト用の馬車。コルドバでは結婚式にも使われるようだ。

コルドバ、メスキータの前にあるレストラン「カバーロ・ロホ」(赤い馬)
花で彩られた可愛い入り口が素敵でした。
メスキータ周辺の路地
立ち並ぶ小さなレストランの多くは狭い入り口の向こうに可愛いパテオを持
っている。

抜けるような青い空に白壁の路地。ポルトと似たような光景だがアラブ文化の
影響を漂わせ、どこか違う。

2010年06月09日 (水)
2010年6月8日
コルドバ、メスキータ第二弾です。
今日は最後に、オチがございますのでお楽しみにどぞ
不釣合いな大モスク内のキリスト教礼拝堂
コルドバのメスキータのもうひとつの特徴は、モスク内にキリスト教の礼拝堂
があることです。イスラム様式の大理石の森の中から、突然現れるキリスト教
礼拝堂は大いに違和感があり、不釣合いに見えます。
観光のうたい文句としては「イスラム文化と西洋文化の融合」とあったりする
のですが、「融合」よりもキリスト教の「ごり押し」をわたしは感じました。
これにはキリスト教徒による国土奪回運動レコンキスタ(国土再征服)が関係
します。フェニキア人の占領やローマ帝国支があり、その後ゲルマン系民族、
西ゴート民族の侵入があり、イベリア半島は常に他民族に侵される歴史でした。
8世紀初期からは北アフリカを含むイスラム勢力の支配が始まります。この頃
同時にレコンキスタ運動は北部から展開されて行き、この運動が完成するの
は1249年。実に5世紀もの年月を経て戦われたのですね。
カトリック両王、アラゴンのフェルナンド王と貸すティーリャのイザベル女王
(後にコロンブスの新大陸航海を援助した)の婚姻による大勢力で、イスラム
教徒最後の砦であるグラナダ王国を陥落させます。

世の常として、どうしても現れるのが征服者のエゴ。キリスト教徒とて同じ
です。コルドバを征服した1236年、美しいアラビア様式のメスキータを
改造し、中央にデンとカトリック礼拝堂を造り、更に16世紀に入ってから、
当時の国王カルロス5世に申し出て、豪華なコロ(合唱台)を造ります。
この時、カルロス5世は「世界でここにしかないものを破壊して、どこにでも建てら
れるものをお前たちは造ったのだ」とその行為を嘆いたと言われます。

聖母マリアを初めたくさんの聖人たちが祀られていますが、さぞかし皆さま、
居心地が悪かろうとはわたしの思うところ。(画像は手に天国の鍵を持つバチ
カンの初代法皇聖パウロ)
お耳に入れたい面白話は以下、続きから。
コルドバ、メスキータ第二弾です。
今日は最後に、オチがございますのでお楽しみにどぞ

不釣合いな大モスク内のキリスト教礼拝堂コルドバのメスキータのもうひとつの特徴は、モスク内にキリスト教の礼拝堂
があることです。イスラム様式の大理石の森の中から、突然現れるキリスト教
礼拝堂は大いに違和感があり、不釣合いに見えます。
観光のうたい文句としては「イスラム文化と西洋文化の融合」とあったりする
のですが、「融合」よりもキリスト教の「ごり押し」をわたしは感じました。
これにはキリスト教徒による国土奪回運動レコンキスタ(国土再征服)が関係
します。フェニキア人の占領やローマ帝国支があり、その後ゲルマン系民族、
西ゴート民族の侵入があり、イベリア半島は常に他民族に侵される歴史でした。
8世紀初期からは北アフリカを含むイスラム勢力の支配が始まります。この頃
同時にレコンキスタ運動は北部から展開されて行き、この運動が完成するの
は1249年。実に5世紀もの年月を経て戦われたのですね。
カトリック両王、アラゴンのフェルナンド王と貸すティーリャのイザベル女王
(後にコロンブスの新大陸航海を援助した)の婚姻による大勢力で、イスラム
教徒最後の砦であるグラナダ王国を陥落させます。

世の常として、どうしても現れるのが征服者のエゴ。キリスト教徒とて同じ
です。コルドバを征服した1236年、美しいアラビア様式のメスキータを
改造し、中央にデンとカトリック礼拝堂を造り、更に16世紀に入ってから、
当時の国王カルロス5世に申し出て、豪華なコロ(合唱台)を造ります。
この時、カルロス5世は「世界でここにしかないものを破壊して、どこにでも建てら
れるものをお前たちは造ったのだ」とその行為を嘆いたと言われます。

聖母マリアを初めたくさんの聖人たちが祀られていますが、さぞかし皆さま、
居心地が悪かろうとはわたしの思うところ。(画像は手に天国の鍵を持つバチ
カンの初代法皇聖パウロ)
お耳に入れたい面白話は以下、続きから。


