2016年4月25日 

今日は「Vinte-cinco de Abril(ヴィンテスィンコ・デ・アブリル=4月25日))で、休日です。ブルジョアジーにも民衆にもポルトガル人にとって4月25日は特別の日です。

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別名を「カーネーション革命(Revolução dos Cravos=Cravosはカーネーションのこと)」とするこの無血革命は、1974年にヨーロッパでも最も長かった独裁政治を終わらせた軍事クーデターです。わたしがポルトに来たのは1978年の春でしたから、ポルトガルが独裁政権から自由を奪回してまだたった4年しか経っていなかったことになります。

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当時のポルトを振り返れば、町全体が薄汚れた感が否めず、好きな人の国とは言え、「大変なところに来ちゃったなぁ」との索漠とした思いを抱いたのが正直なところです。近所の年端もいかぬ子供の口から、野良犬を相手に棒っきれを振り回しながら「ファシスタ!」と言う言葉が聞かれたのには、ギョッとしたものです。その野良犬は後にわたしの愛犬になるというオチがあるのですが(笑)

日本語の若い生徒たちは、そんな時代のポルトを知らないわけで、時に授業の流れで当時のポルトを語ることもあり、今やわたしは語り部のグランマ(Grandmother)もどき。また、同年代の生徒さんたちと、あんな時代があったと話し合えるのも、授業の潤滑油になること、しばしばです。

数年前に日本からやってきた甥をコインブラ大学を案内した際、昔のままの姿を残す大学周辺の細い路地に並ぶ下宿屋を散策しました。その折に一軒の下宿屋の外壁に、人の顔の青タイル絵がはめ込まれているのを見つけました。 「Zeca Afonso、大学生時代にここに下宿」と書かれてありました。カーネーション革命に彼の名は欠かせないのです。
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本名はJose Manuel Cerqueira Afonso dos Santosですが、Zeca Afonso(ゼカ・アフォンソ)若しくは単にZecaとして知られます。

幼い頃から健康に恵まれず、裁判官として当時のポルトガル領アフリカ・モサンビークに赴任した親兄弟と離れて、本土の親戚の家で育ちました。

学生時代にコインブラ・ファドを歌い、地方の人々の暮らしや伝統にまつわる音楽を自作し、後にAlcobaça(アルコバッサ)の高校でフランス語と歴史の教師を勤めながら(この職もやがて追われる)、社会問題を取り上げた作品を多く自作して歌い、この頃からサラザール独裁政権に対する反ファシスト
地下運動のシンボルとなって行きます。

やがて、Zecaの歌は放送禁止となり、コンサートの多くは政治警察によってキャンセルされ、投獄されます。その名前も検閲にひっかかるようになり、そのため「Esoj Osnofa」というアナグラムを使ったり、レコーディングをフランスやロンドンでしたりしますが、この間、共産党入党に招待されているが、断っています。

1974年3月29日、満席のリスボンのコリゼウ劇場で催されたZeca を始めその他多くのミュージシャン共演コンサートの最終幕で、彼の歌、 「Glandra ,Vila Morena」(you tube)が全員で高らかに歌われましたが、この時会場には密かに準備されていた4月革命のMFA(国軍運動)のメンバーが聴衆に混じっており、革命の「カウンターサイン」として、この「Grandla 」の歌を選んだと言われます。
  
註:Grândla =グランドラは南部アレンテージュ地方にある小さな町の名前。Zeca Afonsoはローカル色豊かで素朴なこの歌でグランドラの人々の同胞愛を歌っている。

1974年4月24日午後10時55分、革命開始の合図として最初にPaulo de Carvalhoの歌、「E depois do adeus」(そして、さようならの後で)がラジオで流され、それを合図に革命は静かに始まりました。約1時間後の翌4月25日真夜中00:20、ラジオルネッサンスで流された「Grândla 」は、「全て順調。行動に移れ」の二度目の合図で、これを聴いて左翼の若手将校たちが先頭になり無血革命の出撃が始まったのです。

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4月25日朝、クーデターを知った民衆は続々と町へ繰り出し、リスボンのアベニーダ・ドゥ・リベルダーデ(自由通り=息子のアパートがかつてあったこところ)は民衆と革命軍で埋め尽くされ、兵士たちの銃にはこの自由の勝利を祝って、民衆が投げたカーネーションの花が挿し込まれていました。以来、ポルトガルではカーネーションは自由のシンボルとなったと言う訳です。

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Zecaは1983年、かつて追われた教師の職を再認定され復帰しています。この年にはその功労をねぎらう行賞が与えられたが辞退し、1987年2月23日Setubal(セトゥーバル)にて病没。3万人が葬列をなし、棺は遺言通り何のシンボルも持たない真っ赤な旗で覆われました。

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享年58才、どんな党への所属なく勲章なく、ポルトガルの自由を夢見、歌を武器に闘った抵抗の歌人です。

思想の右、左関係なく、貧しくとも自由のある生活をわたしは望みます。生活を向上させたいとがんばり努力できる自由。書物を選び読みすることができる自由。枠にとらわれず自己表現ができる自由。国の政策を言葉や態度で批判できる自由。

この当たり前に思われる自由を、わたしは今、空気のごとく全身で吸っているのですが、ポルトガルが本の40年ほど前は言論の自由がない国だったとは思えないほど、それは歴史の一部になりました。秘密警察がいたサラザールの独裁政治時代をわたしは知りませんが、おぞましい社会であったろうことを想像してみることはできます。

自由であることがどんなに素晴らしいかを今再び思い出すために、わたしたちは歴史を振り返る必要があるのです。

希望はいいものだ。多分なによりもいいものだ。そして、いいものは決して死なない。(スティーブン・キング、「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショーシャンクの空の下)より」

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2015年10月11日 

12月始めに実施されるJLPT(Japanese Language Proficiency Test=日本語能力試験)と、1月の漢字検定試験を受験する生徒が数人おり、特にJLPTは受験料も高いことだし、できれば全員に合格して欲しいものだと、色々教材を作成し、しばらく前から、自分ができる範囲で受験指導をしています。

個人授業の場合は、丁寧に見てあげることが可能なのですが、グループ授業となると学力の差があったりするので、そういうわけにはいきません。また、漢字検定試験については、9級の漢字160字に10級の80字が加わり、240字からなる語彙知識が求められます。あまり難しくなかった10級受験と同様に考えて気を緩めている生徒が多いので、のんびり構えていると、失敗することになるのです。

外国人向けのJLPTに比べ、日本人を対象とした漢検は、9級ともなると、日本語テキストで学んできた語彙の種類が違うので、日本語学習者にとり決して簡単なものではありません。

そんなわけで、このところ、ああしようこうしようと、受験教材を作成しているもので、ブログがつい滞っているのですが、昨日の「南京事件資料がユネスコ記憶遺産」のニュースにはおったまげてしまいました。おったまげを通り越して、沸々と怒りが沸いてきます。

何に対する怒りかといいますと、チャイナの狡猾さには今更言うまでもないのですが、自国のふがいなさ、事なかれ主義にです。竹島、尖閣、慰安婦問題、今回の南京問題と、全て対策が後手に回っています。その対策だって、これで大丈夫なのか?みたいな程度で、「やる気あるんか!」と、わたしですら思うような情けなさです。

「南京」については、日本側では各方面からの検証からしてしており、ほぼ「でっちあげ」だと言っていいとわたしは思っています。世界記憶遺産の審査は、文書保存などの専門家14人で構成される国際諮問委員会が行っているそうですが、委員の選考基準は明確ではなく、その中に歴史学者も含まれていないため、資料の内容を歴史的事実かどうかを諮問委員会が見極めるのは困難だと言われています。

チャイナは南京記憶登録のために、ユネスコ事務局長らを収賄で抱きこんでいたとの話もあり、さもありなん。日本は分担金、拠出金の見直しを検討すると言っていますが、なってからでは事既に遅し。

ユネスコへの拠出金は、トップだったアメリカが現在凍結していますから、事実上日本がトップです。
わが国の言い分が通らないから、拠出金を凍結せよ、と言うつもりはありませんが、資料の内容を両国面から審査すべきです。だいたいが、歴史と言うのは勝者側の理屈が通りますから、歴史的事実かどうかの判断は非常に難しいはずで、いとも簡単にチャイナに靡いて、いったいどこがユネスコなのか。

ポルトガルでも、英語で出版されている南京事件、慰安婦問題関連の本を読んで、それが事実だったと信じている人が多くいるのです。これが、口角泡飛ばさずにおれようか。何ゆえ、日本はそれに対して、「わが国の言い分はこうである」と、世界に広めないの!

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軍艦島登録で、韓国の要求をうかつにも飲み込んでしまったという失態がついこの間、あったというのに

ユネスコ、国連に多額な拠出金を出す余裕があるなら、日本は、教育を始め多くの社会問題の抜本的な案を探るなど、国の将来のために予算を回して欲しい。金だけ出して舐められて、情けないったらありゃしない。また、国際舞台には、日本人としての矜持をもち、違うものは違うと発言できる正義と語学力を備えた人を持って行って欲しい。こうしてみると、教育とは、20年、30年先を見て、地に足の着いた教育者が求められます。まるばつ式、丸暗記式でなく、どうしてこうなるのか、どうしてこうなったのかと、原因を追究し議論し、未来に目を向ける教育を施していくことが大切だと思います。

ユネスコ世界遺産登録については、ポルトガルの記事を書くにつけ、「へぇ、これもあれも世界遺産か」と近頃、「遺産」の乱発が鼻について仕様がありません。世界遺産に登録するのに、ユネスコに金銭的な働きかけをするのだとすれば、ユネスコの理念、地に堕ちたり。

遺産指定認定によって、観光客が地元にお金を落としてくれるのが目的だ、なんてのも、事実だとすれば気に入らない話です。昔と違い、これだけ世界遺産の数が増えると、そのうち世界中遺産だらけでにっちもさっちも行かなくなるのではないの?
ちなみに、現在のユネスコ事務局長はブルガリアのイリア・ボコヴァと言う女性です。

というので、今日はこんな記事でご勘弁ねがいます。

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2015年9月18日

先週末、夫とハイパーマーケットへ買い物に行った時の出来事。その日は雨が降っており、駐車場に水溜りができていたのに気づかず、うっかりそこにstep into !、はまって、ズルーッと滑って転んでしまった(泣)。

その転び方なのですが、右脚はどういうわけか咄嗟にひざを折り、長くもない左足を前方に投げ出すようにして転び、普段使ってない筋肉がしたたかに伸ばしされた感じで、たいそう痛うございました。立ち上がることどころが、しばらく息ができず、吐き気を催したくらいです。

車の後座席にようやくと乗り込み、フラットの階段を夫の手助けで上がり、そのまま、昨日の午後まで ずっとベッドでありました。 が、外猫たちが気になり、足を引きずっては雨の中のエサ運び。夫に見つかって叱られましたです、はい^^;

そんな訳で、昨日夕方からの図書館の日本語教室、夫が送り迎えしてくれ、んまぁ、歩くのもさることながら、階段が多いもので苦労したのなんのって・・・実は左足の付け根あたりがひどく痛くて、椅子に腰をかけるのがきつかったのであります。幸い、日本語教室ではほとんど、座ることがありませんから、授業ができましたが、ちょっと体の方向を変えるごとに、脚に痛みが走り、「いたたたた!」と小さな悲鳴^^; 生徒たちから、「どうしたの?」と(笑) これでは、隠し用がありません。

あぁあ・・・反射神経がかなり鈍ってきたなぁ。まぁね、あと2ヶ月ほどで、ロッパになりますんで、さもありなん、か・・・ショック。
ロッパとはなんぞや?ええがなええがな。気にせんといて~~(笑

さても、エントリーの「恥ずかしいな」は、これではないんです。
昨夜からその行方が気になって、気もそぞろだった安全保障関連法案、参院平和安全法制特別委員会を安保法案が、参院特別委で可決されました。日頃からニュースを読んでいればわかるように、現在日本を取り巻く安全保障環境は昔と大いに変わっています。そして、そうなってからでは遅い、中国の脅威に備えるために、今回の安保法案は必要であろうとは、わたしの思うところです。

が、採決までの一連のなりふり構わぬ野党の阻止を見るにつけ、ん?と、デジャヴ。これは、時折、こちらの国際ニュースで、呆れ半分に取り上げられる韓国の乱闘国会そのものではないか。映像が流されるたびに、それを見ては、、「あっはっは、これが大の大人のすることか。バッカだねぇ」なんて笑っていたが、ブーメランで自分に帰ってきました^^;

「あらゆる手段を尽くして、本会議採決を阻止していきたい」と、民主党はのたもうておりましたが、法案賛成、反対を関わりなしにして、その暴徒振り、幼稚さぶりには、これが民主主義国家か、国民に選ばれた国会議員かと軽い脳震盪を起こしそうでした。

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「触るな!セクハラだ!」と、理事会室前のドアを占拠し、委員長入室の妨害をしているピンク鉢巻の野党女性議員たち。

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自撮りしてる場合か!

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民主党による佐藤議員への首絞めと、右は同じく民主党の白真勲氏による目潰し。

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委員長めがけて危険なダイビングキックを試みる民主党問題児の小西氏。

下は韓国国会の日常茶飯事的な暴力沙汰
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これらの画像は全てネットから拾いましたが、Facebookに掲載するには、たくさんのポルトガルの人たちとつながっているものですから、一人の日本人として、画像を見られるのがあまりにも恥ずかしくて、できませんでした。

おまけに「暴力的な採決は無効だ」と主張する民主党は、いったいどの口でいうのか。審議が足りないと言うならば、最初から審議拒否しなければいいのです。国会の乱闘なんて韓国だけかと思って笑ってたら、とんでもないことになりました^^;

と、書いていましたら夫、が、「こっちでニュースになってるよ、日本の国会」ですと。恥ずかしいな・・・・

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2015年7月6日 

先週水曜日の小児病棟での影絵ボランティアは、子供用テーブルを高さを上げるなどのセッティングに手間取り、終わって見たら、「あ!」と一枚の写真も撮っていなかったことに気づき、あははは^^;なのでありました。

高さを上げるために使おうかと考えた積み木は不安定気味なので結局使用せず、前日にあちこちの建材所を見て回り、見つけて買ったのがこれです↓

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これを写真の右のようにして、テーブルの脚を乗せ、Oちゃんのアイデアで脚に新聞紙で筒を作って巻き付けガムテープでテーブルの脚が動かないようにしっかり固定しました。四方の角ばった部分が危険なので、この箇所も同じように新聞紙でカバーしました。子供がいるところですし、わたしたちも結構そそっかしいので、この角に脚でもぶつけたら怪我をします。これは万全の処置です^^

観客は入院中の子供たちは7人くらいに、看護師さんやボランティアの人たちも加わり14、5人だったでしょうか。中には車椅子で点滴用スタンドを付けた子供がいました。わずか20分ほどの上映ですが、
これくらいが丁度良いのかも知れないと思いました。影絵が終わった後の簡単な折り紙ワークショップは、子供たちよりも看護師さんやボランティアの大人が残り、ティラノサウルスと折鶴を作りました。

が、折鶴はなかなか手こずっていました。でも、彼らに覚えてもらうと、入院している子供たちに教えるたり作ってあげたりすることもできるであろうと思います。なんだか再び声がかかりそうな気配です。


さて、認定が延期されていた「軍艦島」や「韮山反射炉」など、幕末から明治にかけての重工業施設を中心とした23施設が世界文化遺産へ登録されたとのニュースを今朝、読みましたが、わたしは手放しでは喜べないのです。

日本の世界遺産申請の認定が延期されたのは、事前の日韓外相合意があったにも拘わらず、隣国が、当日「強制徴用」をめぐって合意を反故、反対活動を展開し、世界遺産登録が紛糾したからです。遺産登録に向かっての日韓合意を知った時、「これは、日本、大丈夫じゃないぞ」と思っていたら、案の定、当日になって紛糾ですとさ!

今朝、登録されたとの記事、内容を読んで、大いに失望しました。世界文化遺産登録が決まったというけど、土壇場で韓国の理不尽な要求に従ったみたいで、ちっとも嬉しくない。今後、この「forced to work(働かされた)」の表現がどんな風に韓国で利用されていくのか、南京虐殺、慰安婦問題のようにまた国際社会であたかも事実のように広められるのです。

政府は「『強制労働』を意味するものでない」なんて説明していますが、forced to work、は 「強制労働」じゃないの、この英語。施設一部で「その意思に反して働かされた」、「犠牲記憶する施設」設置の意向も、だなんて、強制労働を認めさせられたではないですか。
これまでのあの国のやり方を考えると、またぞろ問題になってくることをわたしは確信できます。ほんとだめだなぁ、日本の対外政策。情けない。こんな条件がつくなら登録されなくてもよかった。世界遺産という目先の益に捉われ、国の将来に大きな禍根を残したとわたしは思います。

国会の幼稚で的外れな質疑応答を見るにつけ、日本よ、母国よ、どないなっとるん?と、このところ、ため息ばかりを漏らす日々、久しぶりにこんな美しい夕空を台所のベランダから見ました。

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神、空にしろしめす。なべて世はこともなし。か・・・・

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2014年12月14日 
sora
「ぶん!」のわたしの心とはかけ離れた、のんびり雲^^

わたしのように、海外に暮らす日本人が国政選挙に投票できる「在外投票」制度ができてから10年にはなるのでしょうか。その間、6回ほどの選挙がありました。
在外投票には二つの方法があります。ひとつは日本の投票日より一足先に済ます、各国の在外公館での投票と、身分を証明する「在外投票証」なるカードを自分が所属していた市の選管に郵便で投票用紙を請求し、それが送られてくるのを待って受け取って記入し、再び市選管に郵送するという方法です。

ポルトに住むわたしの場合は、これまで後者の方法を選んできました。なにしろ、在外公館はリスボンですから、そこで投票するためには電車代負担の上、仕事を全てキャンセルして一日がかりで出かけることになるからです。

郵送投票でも、最初の3回くらいはなんとか間に合った(と、自分では思っている)のですが、今回を含め、ここ3回の選挙には郵送しても日本の開票日までに届かないということが明白だと、いう状態が続き、結局今回も参可できない結果になりました。明白も何も、届いたのが先週の金曜日午後、12日だす。無理だっちゅうの!

これは不便ではないか。もう少し、なんとかできないものかと思いつつ、果たして海外にいる有権者はどのくらいなのか、とネットで検索してみました。

外務省によると、海外有権者は推定85万。2012年に行われた第46回衆院選時には、在外選挙可能な有権者数約10万5000人。この「有権者」というのは、在外選挙人名簿に登録されている人数でって成人した在留邦人全体の数ではありません。

在外投票をするには自分が住んでいた市町村役場に転出届けを出し、海外の住所がある地域を管轄する在外公館に在外選挙の登録申請を行います。海外の住所に3ヶ月以上住んでいることも必須条件です。受理されると在外選挙人名簿に名前が掲載され、「在外投票証」なる身分証明書カードが発行されます。これらの手続きを踏んで初めて投票が行えるのです。

さて、上記10万5000人のうち、2010年の投票者数は約2万1,500人、投票率は21%に満たなかったと言われます。この投票者数には、あるいはわたしのように郵便投票をしたがゆえに、投票日までに間に合わなかったという数は当然含まれていません。

在外選挙登録して参加するほど選挙に対する意識は高いのに、この制度の不便さがせっかくの機能の足を引っ張っていると思うのです。なんとか改善してもらえないものかと心から願うのだが、国に望むばかりではダメだというので、次回の選挙には、絶対リスボンまで行くのだ!と、決心した今回の投票不参加ではありました。 ぶん!

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