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2020年6月5日 

マスク、サングラス、手袋をして、夏用にと決めたコロナ靴(笑)を履き、食糧買い出しに、ハイパーマーケットまで車を飛ばし、帰宅したのは昼少し過ぎ。

さぁ、これから買い物を全部アルコールで拭きまっせ、と、足元で「昼飯くれ」とせがむ3匹ネコをちょいと無視し、そのひと仕事を終えて、まずは猫の昼飯。

ねこたちが静かになってくれたところで、どれどれ、昼のニュースをとpcのスイッチを入れ、新聞サイトへ行くと、いきなり目に入ったのがトップに踊る「横田滋さん死去・87歳」の赤い文字でした。

思わず、え!と声が出てしまいました。

進展がないのか、はたまた武漢ウイルス禍を始め多事で政府は手一杯だったのか、近頃はすっかり話題に上らなかった拉致問題でした。

「横田めぐみさんは、1977年11月15日、新潟市で中学校からの帰宅中、海岸から数百メートル離れた地点で行方不明になった。97年に北朝鮮による拉致の疑いが浮上。2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は日本人拉致を認め、めぐみさんについては「死亡した」と主張した。04年11月には、めぐみさんの「遺骨」とされるものを提供したが、日本政府が実施したDNA型鑑定で別人のものと判明した」(時事ドットコムより)

日本にいたころのわたしは、大阪で一人暮らし。アメリカ行きの夢をかじりながらオフィス勤めをしていたのでした。生活はいつもカツカツ、かじり始めた夢の実現を果たすために、退社後は、偶然舞い込んできたビアハウスでの歌姫バイトを夜9時までしていました。(興味のある方はあの頃、ビアハウスへどぞ)

本は手放さなかったもののテレビには興味なしで持ちませんでした。新聞も取っていませんでしたから、政治の動きには疎いノンポリ。

そんなわたしが少し政治に目を向け始めたきっかけは、ポルトガルで知っためぐみさん拉致事件でした。多分、1997~2002年の間ではなかったかと思うのですが(記憶が定かでない)、当時、アメリカの新聞の一面全部を使ってこの拉致事件をアピールするための募金がありました。その時、わずかですが献金しました。

当時は既に二人の子を持っていましたので、この子たちが、ある日突然行方不明になったら、と想像すると胸がつまり、じっとしていられなかったのです。

モイケル娘が大学受験を目指して日本へ行った時も、北朝鮮による拉致が気がかりで、夜道は一人で歩くな、うかつに人に住所を教えるな、ポルトガルから来て一人暮らし、両親はポルトガルにいる、などど、他人にはうかつに言うな、としつこく、彼女にはうるさがられたと思います。

すっかり大人になった息子にまで、職を得て日本へ行く時は、海岸はなるべく歩くなよ、などと言ったものです。今日まで育てた子供たちを盗まれてたまるか!との思いでした。

めぐみさんの話を聞くたびに、どんなにかつらかったことだろう、親御さんに思いを馳せると、今でもそうですが、胸が詰まってしまうのです。

その後、続々と拉致された人たちの名前が出てき、拉致被害者の家族会が発足し、横田滋さんは初代会長の役を買って出、奥さんの早紀江さんとともに、運動すること42年。ちょうど、わたしのポルトガル在住の年数と重なります。

直接支援はできないものの、ポルトガルからいつもニュースを追っていました。我が子を探して40年、気が遠くなるような年月です。

人権人権と世界は騒ぎますが、自分の国に直接関係のないことには、人権侵害であろうと、国が侵されようと、国際社会は案外見て見ぬふりです。チベット、ウイグル問題を見れば分かります。国際社会からは大きな動きが見られません。

今回の武漢ウイルスの例を挙げてみれば、感染であえいでいたイタリアに関しても、意外と冷たいEUだなと思わされたものです。拉致問題も国際世界から見ればその種類なのでしょうか。

今後の拉致問題の行方がとても気になります。
軍事力を持たない日本の不幸は、隣に理不尽なことを平気でする三国があるということです。

拉致事件は理不尽です。横田滋さん、あまりにお気の毒で言葉もありません。
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2020年5月9日 

日本では先の戦争の終戦記念日をポツダム宣言を受諾した翌日の8月15日としていますが、アメリカは、日本の降伏調印式の1945年9月2日をVJディ(Victory over Japan Day)としています。

そして、ヨーロッパでは、1945年5月8日をVEディ(Victory in Europe)、連合軍の勝利を記念する日になっています。

その日はヨーロッパの各地で祝典が開催され、特にロンドンでは100万人以上の群衆が集まり、トラファルガー広場からバッキンガム宮殿までを埋め、終戦を祝ったと言われます。

当時のイギリス王ジョージ6世(映画King´s Speechで コリン・ファースが演じている英国王)やチャーチル首相が宮殿のバルコニーから手を振って、人々と共に勝利を祝ったそうです。

今年2020年は、終戦75周年にあたり、5月8日はエリザべス女王のスピーチがなされ、イギリスの各地で武漢コロナ対策によるソー=シャル距離をとりながら、人々が通りに出て共に歌を歌いながら75周年を祝っている映像が流されました。

その歌が戦中の流行歌で、愛する人々と離れ離れになっていた当時の人々の心に希望をもたらしたVera Lynnの「We´ll meet again(わたしたちは再び会える)」です。



いつかどこかで、晴れた日に、わたしたちはまた会いましょうと、歌っています。

Vera Lynn(ヴェラ・リン)は第二次世界大戦中、英国軍が戦っている戦地で慰問コンサートをし、「英国軍の恋人」と慕われ、今年103歳。彼女の代表作がこのWe´ll meet againです。

今回のエリザベス女王のスピーチも、武漢ウイルスは克服できると呼びかけ、「We´ll meet again」で結ばれています。

Vera Lynnは、わたしがかつてアサヒビアハウスで歌姫バイトをしていた当時を懐かしみ、一日のステージを終えるときに必ず歌っていた「アウフ・ヴィーダゼン」を検索していた時に、出会った古い歌手です。

彼女はこれを 「Auf Wiederseh'n, Sweetheat」と題しています。

♪Auf Wiederseh'n, Auf Wiederseh'n,
bleib nicht so lange fort
denn ohne dich ist's halb so scho:n,
darauf hast du mein Wort.
Auf Wiederseh'n,Auf Wiederseh'n,
das eine glaube mir,
nachher wird es nochmal so scho:n,
das Wiederseh'n mit dir.

 「アウフ・ヴィーダーゼン」とは、日本語の「さよなら」という意味です。梅田アサヒビアハウスは6時から9時半までの営業時間内で、一回30分、3回のステージがあり、8時半が最終ステージ。その最後のステージで先輩の歌姫、宝木嬢とデュオで必ず歌ったのがこの曲です。

アサヒに数あるドイツ音楽の中でも、わたしはこれがとびきり好きだ。ビアホールで見知らぬもの同士がいつのまに肩たたきあい、ジョッキをぶつけあって乾杯し、あるいは大きな5リットルジョッキの回しのみに参加して、陽気に騒いで、最後にこのしんみりした「アウフ・ヴィーダーゼン」で客のそれぞれが帰路につくのです。

「Auf Wiederséh´n」と歌い始めると、常連だった、今は亡き土佐氏が必ずや客席から「アウフ・ヴィーーダーーゼーーン~」と合いの手を入れてくれるのでした。最後の歌「das Wiederseh´n mit dir」はゆっくりと盛り上げてナレーションで締めくくります。

「みなさま、本日は当店アサヒ・ビアハウスにお越しくださいまして、ありがとうございました。本日のステージはこれにて終わらせていただきます。みなさまのまたのお越しを心よりお待ち申し上げております。アウフ・ヴィーダーゼン!またお会いしましょう!」 
この語りで一日のステージが終わるのです。

梅新アサヒビアハウス
多分日本で最古のライブビアソング付きビアハウスだった。

AB-2020.jpg
誰が撮ったか記憶にないビアハウス当時の一枚。

1977年12月、足掛け4年のステージを通じて、アメリカの留学資金調達を達成したわたしは、これまでのOL生活にも、そしてこの愉快なビアハウスの歌姫生活にも別れを告げ、翌年1月、長年の夢であったアメリカ移住への第一歩を踏み出したのでした。
   
同時に、日本で出会った、後、夫になるポルトガル人の恋人とも別れての留学でした。

この歌を聴くと、あの頃のビアハウスが鮮明に浮かんできます。
わたしの中のアサヒ・ビアハウスは今も変わらず、少し薄暗くて、大理石柱があり、ヨシさんのアコーディオンと大先輩、宝木嬢の姿がホールに見え、常連たちが立ち飲み席で飲んでいる、あの光景なのです。それこそが、わたしの梅新のアサヒ・ビアハウスです。目を閉じればあの頃の常連たちのそれぞれの持ち歌が今も聴こえて来るようです。

いい時代でした。

下記にて英語版で、イギリスの国民歌手、Vera Lynnの「アウフ・ヴィーダゼン」が聞けます。



まだ書き直しの必要があるのですが、アサヒビアハウス時代については下記のカテゴリでどぞ。

あの頃、ビアハウス

では、また。
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2020年4月24日 

外へ出るのは一日に5分ほど、野良猫たちへのエサやりと、週一回か10日に一度の食糧買い入れだけを徹底し始めて、いわゆる家に引きこもって38日目です。

それ以前に、イタリアのボンバルディア地方の中共ウイルスによる悲惨な状況をテレビ放映で毎日のよう目にしてにしていたので、外出は極力控えておりました。よって、わたしのひきこもり生活は40日を優に超えています。

最初のうちは、これを機に断捨離でもするかと思いきや、これがなかなかできないのであります。これまで来てもらっていた掃除のおばさんに、お互い接触を避けるため断りを入れ、彼女がしていたことを全部自分がすることになった上、ウイルスが怖くて、家中の家具も掃除しまくる。

夫は通常昼食は外で済ましてきたもので、今までは晩御飯を作るだけだったのが、昼食の準備、台所の後片付けが加わりました。その間、アイロンあてやら日本語のオンライン授業の準備やらしてると、あっという間に夕方になり、また晩御飯の準備。

何が断捨離やねん・・・・と、近頃はブツブツが増えてまいったわたしでありますが、いかんなぁと思ってます。自分の普段の行動が制限されるというのはこんなにストレスが溜まるものなのだと感じ入っております。みなさまはどないでしょうか?

好きな場所へ車がとばせる。公園が散歩できる、海岸を歩きながら海が眺められる、気晴らしにショッピングに行く、気の合った友達とちょっと飲みながらワイワイ食事ができる、教室や家でポルトガルの生徒たちとせっしょくして、仕事をすることができる、夏の休暇をどのように過ごすか考えることができる、日本へ帰られる、などなど。

これらはみな、何の疑問も持たずにこれまで過ごすことができた日常生活だったのです。
こうして一つ一つ、今までできたことと今できなくなったことを数え上げても何の改善にもなりません。ふと、2011年の東北大震災時に心に染み入った谷川俊太郎の詩「生きる」を思い浮かべました。

生きる   谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木(こ)もれ陽がまぶしいということ
ふっとあるメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声(うぶごえ)があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

この詩はわたしが補習校時代に子供たちと学んだ詩でもあります。
「いまいまが過ぎてゆくこと」、この文に「今生きていること」の真髄が含まれていると思われます。

4月23日現在、ポルトガルの確認感染者数22,353、死者820、回復数1201、感染と推測される数219,848。
世界の感染者数2,721,354、死者191,231。

いつ終息を見るのか、あるいは明確な終息を見ないまま、わたしたちは日常生活に戻って行くのか。
いずれにしても文句言えるのも、こうして今生きているからこそだ。自分のため、家族のため、他の人のため、黙ってひきこもり頑張ろう。

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ベランダの小バラ。こんな時にも美しく花は咲く。
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2020年4月8日 

4月7日までのポルトガルに於ける中共ウイルス、または武漢ウイルスに関する数字は、確認感染者13141、死者330、回復者196、感染の疑いがあるのは10万人を超えました。老人ホームでの感染者が一気に増え、高齢者やその家族に大きな不安を与えています。

また、先日も少し触れましたが、ポルトのクリスタル宮殿公園内にある、スーパーボックアレーナ(元ロザ・モタパビリオン)をポルト市は下図のように感染者を収容する300床を用意しています。

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本当を言うと、街中の道という道に有料駐車場を設置しまくり、しかも2時間が限度というシステムを作った現市長にはあまり好感を持っていなかったわたしですが、今回の決断の早かったことで認識を改めたところです。

日本も主要都市の一か月緊急事態宣言が発令されました。わたしはこの問題がポルトで持ち上がった時すぐに日本語教室を休講にしたわけですが、あれから既に一か月が経ちました。そして、未だにポルトガルはピークになっていないようです。

ダウンタウンへ出ることもない今、こういうことがポルトの街で昼夜なされているのに気づきませんでした。

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まさにこれはウイルスとの戦いです。

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外出を極力控え、日本のみなさんも自宅待機、是非とも頑張ってこの困難を乗り切ってほしいと心から願っています。行きたい所に行きたい時に自由に出かけられる、当たり前だと思ってきたことができない今、その不自由さ不便さをつくづく感じています。

不便を体験すると人間はしばしば哲学的になる、とは曽野綾子氏の言葉です。この言葉を糧に武漢ウイルスの終息まで、コロナの時代をしっかり生活しよう、と思っています。

ではまた。
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2020年4月4日 

来週は9日の聖木曜日からPascoa(パスコア=イースター)です。例年ならどこでも家族一族が集まってキリストの復活を祝うのです。

わたしたちも夫の一族が義姉宅があるアヴェイルに集まり昼食をするのが習慣です。 が、ポルトガル政府は今回の武漢ウイルスパンデミックを受けて、9日から14日までパスコアの間は、これまでの「家にいろ」の非常事態宣言を更に厳しくし「居住区域を出るな」を発表しました。

既に5人以上の集会は禁止されているのですが、2週間の自宅待機も過ぎ、2度目の2週間自宅待機に入るとどうしても国民の気も緩みがちになります。おまけにパスコアとなると、ついつい、近くにいる親戚同士が集まらないとも限りません。それを見越しての政府のお達しです。

昨日、一週間ぶりに買い出しに出かけたのですが、これまでの2週間の静寂さに比べて、なんだか少しですが、人の話し声が聞こえ、車の往来が増えたような気がします。

出かけたスーパーも、え?と思うような人の多さでした。そして、マスク姿の人をたくさん見かけめましたが、一体どこから手に入れてるのでしょう。どこでも売っていないのですよ。このスーパーには怖いのでしばらく行かないことにしました。

医療関係者からもらってるのでしょうか?夫は病院勤めですが、今はマスクが医療機関でも足りないのを知っていますから、それをこっそり持ってこいとは言えないです。

マスクするに越したことはないが、それが足りない今はマスクは感染者、病院関係者用に使われるべきだ、と言います。

こういうのって正直者はバカを見る、とでも言う?マスクが病院から盗まれたという話もありますから、抜け目ない人というのはいずこにもいるものですね。

さて、先ほどのニュースでポルト市は今回の武漢ウイルスゆえ、毎年6月23、24日に催されるサン・ジュアン祭りの中止を決定たしとのこと。

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2019年ダウンタウン、サンベント駅周辺。向こうの空が赤いのは夜12時に上げられる花火。

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食べて歌って飲んで踊って。街の至る路地で見かけるサン・ジュアン前夜祭の様子。

今年は春も夏もただ時間が通り過ぎるだけです。

わたしも武漢ウイルス以前に既に予定して購入してある6月22日の日本行切符で、果たして帰国できるかな? まぁ、言っても仕方ないけれど、返す返すも残念な中共のお粗末さではあります(怒)
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