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2011年6月17日 

トマールのテンプル・キリスト騎士団修道院についてはしばらく前からご案内
していますが、聖堂が終わったところで内部についてはこれからということに
なりますが、どうしても再訪したいと思い、できれば来週、夫を説得して行っ
て来るつもりをしています。

夫、近頃忙しいのか、遠出するのがかったるいのか(年寄りめ!w)、どうも
腰が重い^^; そんなもので、先だってから、
「いいよ。あぁた行けなかったら、あたい独りで電車で行って来てやるぞ」
と誘い(誘いじゃなくて、そりゃ脅しだろ^^;)をかけているのですが、
夫、わたしが一人で遠出するのを好まないのでありまして、この手を使うと
まず95%がた成功でございます(笑)

ですので、テンプル・キリスト騎士団修道院内部のご案内は、もう少し増し
な撮影をして来るまで、お待ち乞う。

さて、ふと思い出したことがあるんです・・・・

昨春、堺に住む我が親友みちべぇと一緒に行こう!と長年夢見ていた我らが
約束の地「アルハンブラ宮殿」なのですが、ずっと待つこと30年。寄る年
波にはひょっとして勝てなくなるかも?と焦ったわたし、
「お~~い、みちべぇ。もう30年待ったぞ。この先、いつ何がおこるか分
からん年代に入り申す。先に行っとくぞ。」と許可を得て訪れてきたアンダ
ル地方の一週間、案の定、車での片道9時間は、きつかったのでありました。

コルドバの花祭りを始め、メスキータ、グラナダなどを既に旅行記として写
真ともども皆様には報告したのですが(こちらをクリック、もしくはブログ左
メニューのカテゴリ・アンダルシア
からどぞ)あれ?と思い出したの
は、肝心のアルハンブラ宮殿、アップしてない!

これもできるならば、先ごろ日本へ帰国してときにゲットしてきたデジカメ
で再撮影に出かけたりところですが、こればかりは、トマールのようにおい
それとは行きません。そこで、多少画像劣悪なのは我慢していただき、今日
は事始め「アルハンブラ宮殿(1)」と参ります。

アルハンブラ

多少マニアックなところがあるわたしは、アルハンブラ宮殿の昼と夜の顔が
みたいと言うので二度訪れて来ました。

しかし、日中は観光客が多くてどこもかしこも人だらけ。
なかなか思うように写真が撮れず、大変でした。夜は夜で城内はかなり明か
りを抑えているもので、こちらは我が稚拙な腕ではご推察通りの結果ではあ
りました。

画像を紹介しながら、わたしが興味を持ったことに絞って、勉強しながらアッ
プしていきますので、アルハンブラについては間をおきながらのシリーズに
なります。気長にお付き合いくださったら嬉しいです。

アルハンブラを訪れて、改めて「美しい」と思ったものひとつに、アラビア文字
があります。
アラビア文字

アラビア文字は右から左に横書きするそうですが、その他の細かいルールは
別にして、アルハンブラ宮殿内の売店で本を買ってきましたので、その中か
ら画像を載せてみます。

日本語を知らない外国人がウィンドーのディスプレイやTシャツのプリント等
で、よく鏡文字や逆さ文字などで使用していることがありますが、アラビア
文字も気をつけない、知らない者には上下左右が分からず気をつけなければ
なりません。間違いがあったらご連絡ください。

アラビア文字
これは古代アラブの諺だそうです。
「人は生まれ育った土地に属するのではなく、居を定めたところに
属するものだ」(英訳から)

アラビア文字
「Doubt is the first grade of conviction」

アラビア文字
これは詩の一節だそうです。その一行を繰り返しています。

アラビア文字
「The letter is a veil and the veil is a letter」

日本の「書」についての詳しいことは分かりませんが、こうして見るとアラ
ビア文字はどこかそれに通ずるような美しさがあるように思うのですが、どう
でしょうか。

生涯でわたしがアラブ圏の国を訪れることは恐らくないと思いますが、この
文字の美しさには惹かれるものがあります。また、写真で見る限りのモスク
の美しさも然り。
画像を整理しながら、これから異文化のアルハンブラ宮殿について少しずつ
調べて記録していくことのなるのですが、よろしかったらこのシリーズ、お
付き合いくださいませ。

本日はこれにて。
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2011年6月19日
アルハンブラ

グラナダ市内、アルバイシンの丘から眺めた、シェーラ・ネヴァダをバックに
するアルハンブ宮殿。アルハンブラとはアラビア語で「赤い城」を意味する。
城郭に使われた石壁が多量の赤鉄を含んでいたためで、アルバイシンの丘か
ら眺める夕日を浴びたアルハンブラは、えもいわれぬ美しさだと言われる。

筆者が眺めたのは午前中で、残念ながらその噂のアルハンブラを見ることは
できなかったがそれを抜いても上の写真に見られるように優雅で尊厳な姿だ。

イベリア半島の歴史は侵略の歴史とも言える。
古くからフェニキア人やギリシャ人、ケルト人、ローマ人、そして、4世紀
に始まったゲルマン民族大移動により、その一派の西ゴート族の侵入を受け
てきた。
     
8世紀に入ると北アフリカを経てイスラム教徒のムーア人(アラブ民族)が
イベリア半島を支配し、コルドバを首都とした。
当時にあって、コルドバは世界最大級の都市だったとされる。

キリスト教徒による「レコンキスタ=国土回復戦争」は、この頃から始まり
13世紀の半ばには半島南部を残すのみとなり、ポルトガル側のレコンキ
スタはほぼ終了する。
     
この間、内紛とテンプル騎士団からの圧迫で、小国家に分裂したイスラム
勢力は、1238年に首都をコルドバからグラナダへ遷都する。
こうして21人のアラブ王によって建築されたのがアルハンブラ宮殿だ。
     
1492年、スペインのフェルナンド王が9万の兵を率いてムーア人の最後
の砦であるグラナダを攻め、アルハンブラは無血開城される。
実質的なレコンキスタが終わるのはこの時で、まさに開始から800年の
後に完了することになる。
     
(メモ:西回り航海の案をポルトガル王室に否決され、失意のままリスボン
からスペインに向かったコロンブスが、スペイン王室の援助を得て航海に出
たのはこの頃である。既に大航海時代が始まっていたポルトガル、この時に
コロンブス航海の援助をしていたら世界の歴史は大きく変わっていただろう)

この様に、アラブ民族の長い支配を受けイスラム文化が席巻したのは西欧諸
国に於いて、ポルトガル、スペインだけであることを考えると、その特異性
から、「ピレネーから先はヨーロッパではない、アフリカだ。」とのナポレ
オンの言にもうなづけると言うもの。

メスアール
アルハンブラ宮殿の庭から眺められるシェーラ
・ネヴァダ。5月だと言うのに連なる峰は雪におおわれ真っ白だ。
     
下記、今回は日中に訪れたアルハンブラ宮殿の案内です。
     
アルハンブラ宮殿: 「メスアールの間」  
入り口から入る最初が、大理石の参議の部屋、「Mexuarの間」。 
        
メスアール
メスアールの間の横、細長い部屋。窓から見えるのはグラナダの街。
ここでは絵タイルこと、アズレージュに多いに興味を惹かれた。

azulejo-mexuar-1.jpg

上の写真の一部を拡大↓二本の柱にシンボルが見られる。

アズレージュ
         
ここにも面白いシンボルが。
アズレージュ

宮殿内のタイルは一件同じ模様のパターンの集まりのように見えるが、実は
どれ一つをとっても同じものはないと言われる。つまり、その場所にしか
はめることができないのである。

アズレージュ
              
うっかり光があたってしまったまま撮影してしまい、画像はいまいちだがご勘弁。
メスアールの間の壁タイルで一際大きく、目を惹いたのでカメラに納めた。
柱には「PLUS ULTRA」の文字が見える。
ここで、UPしながらふと考えた・・・
          
あれ?これらのタイルに描かれている文字はアラビア文字ではなくて
ローマ字ではないか?・・・・
アラビア文字でないのはおかしいじゃん!と言うので調べてみました。

さて、ここからはPotpourri(ポプリの意味)で余談で次回に案内。
Potpourriとは、わたしが記事をUPしながら、気が付いたこと、調べて知った
面白いことを時々載せているコーナーです。
          
では、みなさま、また明日。
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2011年6月22日

前回の続き、アルハンブラ宮殿はメスアールの間の絵タイルについてです。
画像をもう一度アップします。

アズレージュ
画像1

上記画像1の二本の柱とPLUS ULTRAとは?
 
15世紀末のグラナダ陥落後、アルハンブラ宮殿は城代に管理されていたが、
18世紀に入るとハプスブルグ家出身のカルロス一世(または神聖ローマ帝
国カール5世)が改築の手を加えたとされる。

特にメスアールの間の大部分はカルロス一世の命でキリスト教徒による改築
が大きいと言われる。室内の絵タイルもキリスト教徒の手によるとのこと。
さすれば、わたしの目を惹いた面白いシンボルもあろうというもの。

さて、大きな絵タイルの柱に巻くリボンに書かれた「PLUS ULTRA」とはどん
な意味なのか。

アルハンブラ
(wikiより)               

上の図は現在のスペインの国章。タイル絵、画像2と同様のシンボルであるこ
とから、スペイン国章は、このカルロス一世の紋章に基づく。

二本の柱は「ヘラクレスの柱」だ。
ヘラクレスとは、我が子を殺してしまった罪の償いでアポロンの信託を受け、
数々の冒険をすることになるギリシャ神話の英雄である。

次なる目的地ヘ向かうヘラクレスは現在のヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を
つないでいたアトラス山(下図緑線が現在のアトラス山脈)を越えなければ
ならなかった。面倒になったヘラクレスは、そこで巨大なアトラス山を真っ
二つにすることにした。

そうして出来たのがジブラルタル海峡(下図赤丸)で、二つに分けられたヨ
ーロッパ側、ジブラルタルのRock ofGibraltarとアフリカ側の山(諸説あり)
が「ヘラクレスの柱」と呼ばれた。
アルハンブラ
(wikiより)

ヘラクレスの柱は古来から「Non Plus Ultra=ラテン語でこの先はなし」、
つまり「世界の果て」を意味しており、大航海時代の探検家たちが現れるま
で、古(いにしえ)から船乗りたちはその先を航海することを恐れ、避けた。

しかし、ポルトガル・スペインともに大航海時代が始まっていた16世紀、
スペインはカルロス一世を王に頂く。カルロス一世は同時に神聖ローマ帝
国のカール5世でもある。コロンブスが大西洋に乗り出し新大陸を発見した
のは15世紀も終わり頃。ヘラクレスの柱のNon Plus Ultraは既に意味を
なさず。

カルロス一世は古代からの警告を無視し否定語のNonを除いて「Plus Ultra
=更にもっと遠く」をモットーに、自分の紋章に用い、新世界を目指す冒険
者たちをも奨励することになる。

神話とは過去に繰り返し起こった人間界の出来事が言い伝えられてきたもう
ひとつの歴史ではないかとわたしは時々思うのだが、その仮定に立った上で、
ヘラクレスが面倒がらずにアトラス山を壊さないで越えていたらヨーロッパ
とアフリカ大陸は陸続きとなり、歴史はどのような展開を見せてくれただろ
うかと想像してみるのはちょっと面白い。

また、アルハンブラ宮殿を従来どおりに残さず改築してしまったのは、イス
ラム文化の美が失われ残念ではあるが、古きを破壊するのは勝者が常になす
ことである。

Non Plus UltraをPlus Ultraに変えてみたりのカルロス一世、そのモットーで
船乗りたちをそれまでの通念から開放し大航海へと出立させたのは、後世に
燦爛たる名前を残すことになるのではないかと多いに評価するわたしではあり
ます。蛇足ではあるが、このヘラクレスの柱の外側、つまりその向こうに幻の
大陸アトランティスがあったとは一つの説である。


画像2のシンボル

アズレージュ
画像2


これは「双頭の鷲」だ。

紋章「双頭の鷲」は東ローマ帝国、神聖ローマ帝国で使用され、ハプスブル
グ家の紋章にもなっている。先に触れたように、カルロス一世は「ハプスブ
ルグ家」の出。神聖ローマ皇帝としても在位し自らの紋章にもこれを用いた。

ハプスブルグ家は政略結婚による領土拡大を計り、中世から20世紀初期ま
で中央ヨーロッパにおいてその権勢を誇った。フランス革命でギロチンの露
と消えたマリー・アントワネットもハプスブルグ家一派の出身である。

このように、メスアールの間は、意外や、イスラム文化が施されているので
はなく、キリスト教徒に改築され、スペイン王カルロス一世のシンボルが埋
め込まれているというわけである。

情報については注意して書いているつもりですが、根がそそっかしい人間で
すので、どこか間違いがありましたらと、前もってお詫びしておきます。

次回は絵葉書にもなり、恐らくアルハンブラ宮殿として最もよく知られて
いるパテオの紹介です。

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2011年7月2日

アルハンブラ宮殿シリーズ4です。

アラヤネスの中庭                     
長さ34メートル幅7.1メートルの池を持つ中庭はアルハンブラ宮殿で
最もよく知られるひとつ。その時代時代でこの中庭の呼び名は色々あったと
言われる。

アルハンブラ

アラヤネスとは両脇にある刈り込まれた生垣の植物の名前で、中庭の大理石
の白と生垣の緑はコントラスト美が計算されている。
また、回廊の柱はナツメヤシの木、池は砂漠のオアシスを表しているとされる。
               
「アラヤネス」とはどんな植物なのかと調べて見ました。日本語では「天人花」
と呼ぶそうでこんな可憐な花をつけます。↓
アルハンブラ
                         wikiより
                       
トップの写真はアラヤネスの中庭・北側の回廊。王が公務を行ったと言われ
る美しいシンメトリの「コマネス塔」が池に映される。下は向き合った反対側、
南のパビリオン。

アルハンブラ

ライオンの中庭


アルハンブラ
アルハンブラ宮殿のハイライトが14世紀に作られたライオンの中庭だ。
わたしたちが訪れた2010年5月には、この中庭は残念ながら工事のため
12頭のライオン像は取り払われていた。(上画像のみwikiから拝借)

12頭のライオンはかつて水時計の役割を果たしていた。1時には1頭のラ
イオンの口から、2時には2頭のライオンの口から水が吐き出される仕組み
であった。水はこの庭を取り囲む周囲の4部屋に流れ込む。
林立する白い大理石の柱の数は全部で124本。

アルハンブラ
アルハンブラ

周囲の建物2階は江戸時代で言う「大奥」、王以外の男子禁制のハーレムだ。
この庭に面するバルコニーで音楽を奏でる楽士たちはここでの様子が見られ
ぬ様、皆目をつぶされたと言う。

古の華麗な美しさの陰には常に残酷さがつきまとう。このハーレムでも大奥
同様、王の寵愛を得ようとした女たちの羨望と嫉妬が渦巻いたことだろう。
シェラザードのような、王にアラビアンナイトの物語を語った賢く見目麗しき
女性もいたであろうか。

明日はアルハンブラのアラビア文字とアラベスク模様の紹介です。

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2011年7月3日

アルハンブラ
  
アルハンブラ宮殿の見所はなんと言っても内部の装飾だ。偶像崇拝が禁じら
れたイスラム教ではコーランの経典から引用された言葉や王たちへの賛美、
詩人Ibn Zamrak(王お抱えの14世紀の宮廷詩人。ライオンの噴水にも彼の詩
の一節が彫られていると言われる)の言葉、植物をあしらったアラベスク模
様や繊細な幾何学模様の細工で壁、窓、柱などのいたる所を装飾した。

今日は宮殿内部で撮影したそれらの装飾の紹介でほとんど説明なしの写真
です。彫られてある意味は分かったものだけ付け加えておく。

アルハンブラ
       「唯一、アッラーの神のみが勝利者なり」

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

下の写真は左上の一部分を拡大したもの。 
アルハンブラ
                          (wikiより)

アルハンブラ

この気の遠くなるような緻密、華麗なアラベスク模様の細工にはただ目を見張
るばかりだ。これらの装飾を四方に施したのは、イスラムでは住居に殆ど家具
を用いなかったことにもあるようだ。

アルハンブラ

こうして訪れて見るにはその素晴らしさにため息が出るのだが、果たして
この中で毎日暮らすとなると、わたしなどは目がクラクラしそうになるかも
知れない。

次回は夜のアルハンブラ宮殿です。
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