2011年7月11日

generalife
Alhambragranadaサイトから
                 
アルハンブラ宮殿の建つ同じ丘の宮殿から少し離れたところにある。
13世紀から14世紀の始めにかけて造られ、イスラム王族の別荘として
使われた。
「ヘネラリーフェ」とはアラビア語で「全てを知るものの住むところ」と言う
意味。

generalife
Alhambragranadaサイトから

しかしながら、ヘネラリーフェはイスラム時代の終わり頃からレコンキスタ
による陥落後の長い間放置されてきたのと、キリスト教徒がレイアウトを
変えたりしたのとで、元のヘネラリーフェがどのようであったかを知るのは
難しいようだ。

アルハンブラ宮殿にあるような華美なアラベスク模様の細工はへネラリー
フェでは見られず質素だと言われる。

「言われる」とわたしが言うのは、とどのつまり見逃したのであった^^;
よって、トップの画像二枚のみはアルハンブラ案内公式サイトからの借り物。

こと、自分が興味あるものには、普段はたいしてない体力も俄然出てくる
わたしと違い、前日の夜のアルハンブラ、そしてこの日のアルハンブラと
続き、更に日中は結構な暑さのためか、夫は多少くたびれたようで糸杉の道
にあるベンチで休憩。 

generalife

その間、欲張りなわたしは休んでおられるか、もったいない!てなことで、
彼が休憩中、一人、へネラレーフェ庭園の外壁側にある庭園を歩いて撮影し
て来たのである。

しかし、今にして思えば、「しまった!夫を引きずってでも行くべきであっ
た」と後悔している。
車で片道9時間近くの旅程はきつかったので、そうそう簡単にアルハンブラ
再訪はできまい。夫にそれとなしに、「いいところを見逃してきた~」と言っ
たら、「We can visit next life」と、にべもない

と言うわけで、トップ、フェネラリーフェ庭園内はアルハンブラ公式案内サ
イトからの借り物です。下記わたしの画像はフェネラリーフェへ向かうまで
の糸杉の道にあるフェネラリーフェ庭園に良く似たガーデンです。

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面白く刈り上げられた糸杉をくぐると、噴水が続くプロムナードになっている。
generalife

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サルビア、薔薇、ジャスミンの花が咲き、噴水が清涼感を誘う。
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↑↓写真の壁裏側がフェネラリーフェ庭園になる。

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下は野外劇場の一部
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今回(7)をもち、わたしの「アルハンブラ宮殿案内は終了です。
空路、陸路の車、電車、バス、どれをとってもアンダルシア地方に辿り着く
のはあまり楽なことではありませんが、それを押しても行って見るだけの
価値はあります。

ヨーロッパの中にありながら、他の国とは何かが違うと感じられるポルトガ
ル・スペインのイベリア半島は、紛れも無く8世紀から15世紀にも渡るイ
スラム文化の影響を今に留めているからです。

ポルトガルもスペインも、イスラム文化が花を咲かせた南に下れば下るほど、
その影響が顕著に見られます。言語にもアラブ語を語源にする言葉がたくさ
んあります。Algarve(南部の地方名)、almoco(昼ごはん)、almofada
(クッション)、alcool(アルコール) algebra(代数学)、almanaque(暦)
algodao(綿)などなど、alで始まる語彙はAlhambraも含め殆どがそうです。

イスラム文化がイベリア半島にもたらしたものは言葉だけではなく、数学、
天文学、建築、彫刻、詩、音楽など幅広い知識であり、ポルトガルの大航
海時代もこれらの基礎知識の恩恵を得たものではないか。

これらからすると、かつてのイスラム文化は世界に類を見ないハイテクの国
だったと言えます。
砂漠と月と星のイスラム国は、それゆえに砂漠に無いものを求めて知恵を集
め、技術の光を求め続けたのでしょう。

いかなるものも永遠に存続するあたわず。
歴史遺跡を訪れるといつも思うことですが、アルハンブラ宮殿はその異文化の
華麗故か、特にそんなことをわたしは感じました。

スペインの作曲家フランシスコ・タルレガの名曲「アルハンブラの思い
出」を聴きながら、わたしが写真で紹介したアルハンブラをもう一度
動画でごらんください。




「アルハンブラの思い出」に関連するわたしの思い出話を聞いてみますか?
                 ↓
             津国ビル純情1

なお、本日は「タブレイロス祭」の記事も下記にあります。
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2011年7月6日


ポルトガル情報を求めて来た方は、右リンク欄にもありますが、spacesisの
別サイト、「ポルトガル・ロマン」でも案内していますので、どうぞ。

ポルトガル・ロマン

引き続きアルハンブラ・シリーズ(6)です。

"Nothing can prepare you for the beauty of the Alhambra."

アルハンブラ

日中の訪問もいいが夜のアルハンブラは格別の美しさがある。ライトアップ
をかなり抑えてありそれが却って神秘的だ。写真下の入り口から入る。
帰りはタクシーなどはなかなかないのでバスになる。
わたしたちが訪れた春はバスの本数も少なく、小さめの最終バスが来るまで
かなり待たされたので夜間訪問の場合は要注意。

アルハンブラ
入り口を入り、薄明るい園内を宮殿までしばらく歩く。

アルハンブラ

スペインのいたるところで見かけられる糸杉のシルエットが美しい。 

アルハンブラ

アルハンブラ
アルハンブラに住み着いているネコがいる。

アルハンブラ

入園し、薄暗い園内をしばらくあるいて到達するアルハンブラ宮殿。
開園までしばらく待たされたのだが、春とは言え、アルハンブラ宮殿の建つ
吹きさらしの丘は、寒くてなかなかにきつかったでのある。
アルハンブラ

日中は今度は日差しが強い。早めに行って列に並んで待つのはいいが春でも
厳しかったので、夏場訪問には水、帽子、サングラス等は必須。
                                     
「夜のアルハンブラ」と詠って見たものの、我が稚拙な腕と宮殿内のかなり
の暗さとで安物のデジカメでは思うように撮影ができなかった。
よってかろうじてなんとか見られそうな画像を数枚。

アルハンブラ

スペインイに4年間滞在したアメリカ人の作家ワシントン・アービングは
1829年にアルハンブラ宮殿を訪れ、「アルハンブラ物語」という宮殿に
まつわる伝説を収録した本を出版している。

それまで殆どしられていなかったアルハンブラ宮殿を世に知らしめたたのは、
アービングだと言えよう。アービングが訪れた当時のアルハンブラ宮殿は荒れ
果てた廃墟で、ジプシーや難民が入り込んでいたようだ。アービングは宮殿内
の一室に滞在してその本の原稿を書いたと言う。

アルハンブラ
 
のち、スペインの作曲家であり名ギタリストでもあったフランシスコ・タルレ
ガもアルハンブラを訪れ、名曲「アルハンブラの思い出(Recuerdos de la
Alhambra)」を残している。19世紀後半、タルレガが訪れたころのアルハン
ブラ宮殿はアービングが見たと同じ、荒廃した宮殿ではなかったろうかか。
                          
日中の光を通して見られるまばゆいばかりに際立つ華麗なアラベスク模様の
数々が、夜にはしっとりと薄暗い静寂の中に溶け込んでいる。
「アルハンブラの思い出」は夜のアルハンブラ宮殿によく似合う気がする。


アベンセラーへの間                   
アルハンブラ
ライオンの庭に面する部屋のひとつ。
この部屋には恐ろしい伝説がある。時の王の愛人の一人と恋に落ちたアベン
セラーへ一族の騎士が王族の一人に見つかってしまい逃亡した。
王は激怒し、ライオンの庭に一族を集め、一人ずつこの部屋に呼び、不義の
男を割り出そうとしたが突き止めることができなかった。

そこで王は疑わしいと思われる騎士全員をこの部屋で打ち首に処し部屋は血で
染まった。以来、この部屋は「アベンセラーの間」と呼ばれたいわく付きの
部屋だ。はねられた首は噴水の大理石に並べられ、噴水の水は赤く染まった。
泉の大理石にあるシミはそのときの血の跡だと語り継がれている。

洋の東西を問わず、不義の代償はあまりにも大きい。
アルハンブラの歴史はイスラム教対キリスト教の宗教戦からこのような
宮殿内の伝説まで、血の歴史であったとも言えよう。
                          
                 
二姉妹の間

アルハンブラ
                    
ライオンの庭に面する部屋。二姉妹が住んでいたわけではなく、中央に二枚
の白い大理石があることからこの名前で呼ばれている。

この部屋のハイライトは鍾乳石を使った天井の装飾だ。
アルハンブラ

ムカルナスと呼ばれる鍾乳石の丸天井。単純な幾何学模様を繰り返したもの。
鍾乳石は宗教的な意味を持つと言われる。

アルハンブラ

果てしなく広がる砂漠の住民アラブ民族。殆ど家具らしいものを使わず絨毯の
上で暮らしていたため目は自然に天井や壁に注がれる。
砂漠に無いものを求めて周囲の全てに装飾をほどこしたのであろうか。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
次回のアルハンブラは「フェネラリフェ」庭園です。

                                        
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2011年7月3日

アルハンブラ
  
アルハンブラ宮殿の見所はなんと言っても内部の装飾だ。偶像崇拝が禁じら
れたイスラム教ではコーランの経典から引用された言葉や王たちへの賛美、
詩人Ibn Zamrak(王お抱えの14世紀の宮廷詩人。ライオンの噴水にも彼の詩
の一節が彫られていると言われる)の言葉、植物をあしらったアラベスク模
様や繊細な幾何学模様の細工で壁、窓、柱などのいたる所を装飾した。

今日は宮殿内部で撮影したそれらの装飾の紹介でほとんど説明なしの写真
です。彫られてある意味は分かったものだけ付け加えておく。

アルハンブラ
       「唯一、アッラーの神のみが勝利者なり」

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

下の写真は左上の一部分を拡大したもの。 
アルハンブラ
                          (wikiより)

アルハンブラ

この気の遠くなるような緻密、華麗なアラベスク模様の細工にはただ目を見張
るばかりだ。これらの装飾を四方に施したのは、イスラムでは住居に殆ど家具
を用いなかったことにもあるようだ。

アルハンブラ

こうして訪れて見るにはその素晴らしさにため息が出るのだが、果たして
この中で毎日暮らすとなると、わたしなどは目がクラクラしそうになるかも
知れない。

次回は夜のアルハンブラ宮殿です。
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2011年7月2日

アルハンブラ宮殿シリーズ4です。

アラヤネスの中庭                     
長さ34メートル幅7.1メートルの池を持つ中庭はアルハンブラ宮殿で
最もよく知られるひとつ。その時代時代でこの中庭の呼び名は色々あったと
言われる。

アルハンブラ

アラヤネスとは両脇にある刈り込まれた生垣の植物の名前で、中庭の大理石
の白と生垣の緑はコントラスト美が計算されている。
また、回廊の柱はナツメヤシの木、池は砂漠のオアシスを表しているとされる。
               
「アラヤネス」とはどんな植物なのかと調べて見ました。日本語では「天人花」
と呼ぶそうでこんな可憐な花をつけます。↓
アルハンブラ
                         wikiより
                       
トップの写真はアラヤネスの中庭・北側の回廊。王が公務を行ったと言われ
る美しいシンメトリの「コマネス塔」が池に映される。下は向き合った反対側、
南のパビリオン。

アルハンブラ

ライオンの中庭


アルハンブラ
アルハンブラ宮殿のハイライトが14世紀に作られたライオンの中庭だ。
わたしたちが訪れた2010年5月には、この中庭は残念ながら工事のため
12頭のライオン像は取り払われていた。(上画像のみwikiから拝借)

12頭のライオンはかつて水時計の役割を果たしていた。1時には1頭のラ
イオンの口から、2時には2頭のライオンの口から水が吐き出される仕組み
であった。水はこの庭を取り囲む周囲の4部屋に流れ込む。
林立する白い大理石の柱の数は全部で124本。

アルハンブラ
アルハンブラ

周囲の建物2階は江戸時代で言う「大奥」、王以外の男子禁制のハーレムだ。
この庭に面するバルコニーで音楽を奏でる楽士たちはここでの様子が見られ
ぬ様、皆目をつぶされたと言う。

古の華麗な美しさの陰には常に残酷さがつきまとう。このハーレムでも大奥
同様、王の寵愛を得ようとした女たちの羨望と嫉妬が渦巻いたことだろう。
シェラザードのような、王にアラビアンナイトの物語を語った賢く見目麗しき
女性もいたであろうか。

明日はアルハンブラのアラビア文字とアラベスク模様の紹介です。

本日もブログを読んでいただきありがとうございます。 
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2011年6月22日

前回の続き、アルハンブラ宮殿はメスアールの間の絵タイルについてです。
画像をもう一度アップします。

アズレージュ
画像1

上記画像1の二本の柱とPLUS ULTRAとは?
 
15世紀末のグラナダ陥落後、アルハンブラ宮殿は城代に管理されていたが、
18世紀に入るとハプスブルグ家出身のカルロス一世(または神聖ローマ帝
国カール5世)が改築の手を加えたとされる。

特にメスアールの間の大部分はカルロス一世の命でキリスト教徒による改築
が大きいと言われる。室内の絵タイルもキリスト教徒の手によるとのこと。
さすれば、わたしの目を惹いた面白いシンボルもあろうというもの。

さて、大きな絵タイルの柱に巻くリボンに書かれた「PLUS ULTRA」とはどん
な意味なのか。

アルハンブラ
(wikiより)               

上の図は現在のスペインの国章。タイル絵、画像2と同様のシンボルであるこ
とから、スペイン国章は、このカルロス一世の紋章に基づく。

二本の柱は「ヘラクレスの柱」だ。
ヘラクレスとは、我が子を殺してしまった罪の償いでアポロンの信託を受け、
数々の冒険をすることになるギリシャ神話の英雄である。

次なる目的地ヘ向かうヘラクレスは現在のヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を
つないでいたアトラス山(下図緑線が現在のアトラス山脈)を越えなければ
ならなかった。面倒になったヘラクレスは、そこで巨大なアトラス山を真っ
二つにすることにした。

そうして出来たのがジブラルタル海峡(下図赤丸)で、二つに分けられたヨ
ーロッパ側、ジブラルタルのRock ofGibraltarとアフリカ側の山(諸説あり)
が「ヘラクレスの柱」と呼ばれた。
アルハンブラ
(wikiより)

ヘラクレスの柱は古来から「Non Plus Ultra=ラテン語でこの先はなし」、
つまり「世界の果て」を意味しており、大航海時代の探検家たちが現れるま
で、古(いにしえ)から船乗りたちはその先を航海することを恐れ、避けた。

しかし、ポルトガル・スペインともに大航海時代が始まっていた16世紀、
スペインはカルロス一世を王に頂く。カルロス一世は同時に神聖ローマ帝
国のカール5世でもある。コロンブスが大西洋に乗り出し新大陸を発見した
のは15世紀も終わり頃。ヘラクレスの柱のNon Plus Ultraは既に意味を
なさず。

カルロス一世は古代からの警告を無視し否定語のNonを除いて「Plus Ultra
=更にもっと遠く」をモットーに、自分の紋章に用い、新世界を目指す冒険
者たちをも奨励することになる。

神話とは過去に繰り返し起こった人間界の出来事が言い伝えられてきたもう
ひとつの歴史ではないかとわたしは時々思うのだが、その仮定に立った上で、
ヘラクレスが面倒がらずにアトラス山を壊さないで越えていたらヨーロッパ
とアフリカ大陸は陸続きとなり、歴史はどのような展開を見せてくれただろ
うかと想像してみるのはちょっと面白い。

また、アルハンブラ宮殿を従来どおりに残さず改築してしまったのは、イス
ラム文化の美が失われ残念ではあるが、古きを破壊するのは勝者が常になす
ことである。

Non Plus UltraをPlus Ultraに変えてみたりのカルロス一世、そのモットーで
船乗りたちをそれまでの通念から開放し大航海へと出立させたのは、後世に
燦爛たる名前を残すことになるのではないかと多いに評価するわたしではあり
ます。蛇足ではあるが、このヘラクレスの柱の外側、つまりその向こうに幻の
大陸アトランティスがあったとは一つの説である。


画像2のシンボル

アズレージュ
画像2


これは「双頭の鷲」だ。

紋章「双頭の鷲」は東ローマ帝国、神聖ローマ帝国で使用され、ハプスブル
グ家の紋章にもなっている。先に触れたように、カルロス一世は「ハプスブ
ルグ家」の出。神聖ローマ皇帝としても在位し自らの紋章にもこれを用いた。

ハプスブルグ家は政略結婚による領土拡大を計り、中世から20世紀初期ま
で中央ヨーロッパにおいてその権勢を誇った。フランス革命でギロチンの露
と消えたマリー・アントワネットもハプスブルグ家一派の出身である。

このように、メスアールの間は、意外や、イスラム文化が施されているので
はなく、キリスト教徒に改築され、スペイン王カルロス一世のシンボルが埋
め込まれているというわけである。

情報については注意して書いているつもりですが、根がそそっかしい人間で
すので、どこか間違いがありましたらと、前もってお詫びしておきます。

次回は絵葉書にもなり、恐らくアルハンブラ宮殿として最もよく知られて
いるパテオの紹介です。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
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