2012年8月24日 

Almourol

エストレマドゥ-ル・リバテージュ地方Santarém 県Vila Nova da Bar-
quinhaとPraia do Ribatejoの間、テージュ川上流Zézere川と分かれる
辺りの川に浮かび、そのたくましき美しさに思わず感嘆の声が漏れそうな
水上のアルモウロール古城。下の地図の青い○印がその辺りです。
Almourol
     
310mx75mの小さな島いっぱいに建つ高さ18mの花崗岩のアルモウロール城の
起源はA.D.200年に遡り、要塞として長い間イスラム民族に占領されて来たの
をレコンキスタ(イスラム民族からの国土奪回運動)の勝利によりポルトガル
が手中におさめます。

Almourol
       城だけがある小さな島には渡し舟や小さな舟で渡る。      

「Almourol」とはアラブ語「Al-Morolan=高い石」という意味から来まし
た。ポルトガル語にはAlgarve、Alcobaça、Almoço等と「Al」で始まる
語彙がたくさんありますが、これはイスラム民族に支配されていた頃の名残
りです。

島へは一人2ユーロから2.5ユーロ(往復)で渡りますが、島の周囲をぐ
るり一回りしてくれ、テージュ川のキラキラ光る清清しい漣を目にできます。                                                                   アルモウロール城は地図から分かるようにモンデーゴ川(コインブラに注ぐ)
とスペインを水源とするテージュ川の中間地点で軍事上重要な要塞でした。

Almourol
         高い城壁  

コインブラが首都だった12世紀初期、レコンキスタ運動の担い手でもあり
後のポルトガル初代国王(別名コンキスタドール=征服王)ドン・アフォン
ソ・エンリッケスが援軍テンプル騎士団とともにアルモウロール城を占領し
ました。その貢献に謝意を表し城をテンプル騎士団に与えています。この後、
騎士団により要塞城は再建築されました。

古城の頂上から眺めるテージュ川の素晴らしい景色以外特筆すること
はなにもありません。 

Almourol

Almourol
                   
この頃からコンキスタ運動は大いに進められ、14世紀前半になるとポルトガ
ルのテンプル騎士団はキリスト騎士団とその名を変え、大航海時代へと世紀
を超えてつながることになります。

Almourol

さて、テンプル騎士団とは、ベストセラーで映画化もされたダン・ブラウン
著「ダヴィンチ・コードにもその名が出てくるわけですが、騎士団そのもの
が歴史のミステリーとされています。

almourol

テンプル騎士団は、11世紀の十字軍から始まり、12世紀に9名のフランス
の騎士が創立した宗教騎士団ですが、そのあまりの財力と勢力に嫉妬したフ
ランス国王フィリップ4世により迫害され、1311年にローマ法王からも正式
に解散を命じられました。

しかし、ポルトガルではれコンキスタ運動時代からの援軍です、当時のディ
ニス国王はこれをサポート、やがてポルトガルのキリスト騎士団となり、大
航海時代に寄与したと言われます。

川岸からボートで、古城だけが佇む小さな島に入りますが地理的にも車でな
いと辿りつけない場所にあり、夏の観光シーズンはいいとしてもシーズンオ
フには前もって見学する由、連絡しておいた方がいいようです。さもなくば、
船頭が来るまで長い間待たされることになりそうです。

★連絡先:Tel&Fax: 249712094
     FREE 249712094
     携帯:962625678
E-mail: jftancos@gmail.com 

最後に。このアルモウロール城にまつわる面白い話があるのです。              

上記にあるように、テンプル騎士団はフランスを中心とするヨーロッパから
迫害追放、解散させられたわけですが、アルモウロール古城、もしくは島に
はテンプル騎士の財宝が隠されているとの噂が昔からあり、城内城外も発掘
されましが、発見されたのは、ローマ時代や中世の貨幣や城の基盤跡などで、
財宝は未だに発見されていません。

が、人々の口から口への「テンプル騎士団の財宝伝説」は「この島のどこ
かに隠されている」と言われ、今でも探す人がいるのだそうですよ。

フランス国王フィリップ4世はテンプル騎士団の財産没収が目的でしたが、
フランスの騎士団本部を襲ったときには、財産は既に消えていました。
以来、テンプル騎士団の財宝を巡る噂は後をたちません。財宝の一部は、
恐らく大航海の費用に使い果たされたとは、わたしの推考です。

島に足を踏み入れると、砂地を踏みしめながら古城まで上り歩き、急勾配の
ガタガタした、今にも崩れ落ちそうな木のハシゴで古城の要塞のてっぺんま
で上がるわけですが、脚腰の筋肉を十分に使いますよ。

本日はこれにて。
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2011年10月7日

sao vicente

サグレス岬と並んで見えるサン・ヴィセンテ岬。
古代ギリシャ人からは「オピウサ(=海蛇)の地」と呼ばれた。またローマ
人は日没時の太陽がどこよりも大きく見える不思議な地であると思い、ここ
では太陽が音を立てて海に沈んで行くと信じ、「聖なる岬」と呼んでいた。
現在の呼称「サン・ヴィセンテ(聖ヴィセンテ)岬」の謂れは後記してある。

崖の高さは75m。ヨーロッパ大陸の南西端になる。灯台の1000ワット
の二つのらイトは60km離れたところからでも見えると言われ、ヨーロッ
パで2番目の強力な明るさを持つ灯台だ。

sao vicente
入り口。白壁に赤色の灯台、真っ青な空と海のコントラストは素晴らしい。

sao vicente

横から灯台へ回るのだが、現在灯台周囲には近づくことができないよう、
柵で仕切られている。
              
aso vicente
灯台前のカフェでひと休み。日差しはきつく、帽子もグラサンも長袖も
わたしは離せない。
     
sao vicente
岬の断崖近くはこのように、でこぼこの荒い土地だ。歩くのに一苦労。 

sao vicente
サン・ヴィセント岬先端へ向かう途中。イスラム時代の建物を教会にしたてた
のであろ廃墟。中には入れない。

さて、この岬だが、サグレスの小さな港か船で岬めぐりのコースがある。
夫はこれに乗りたかったのだが、行って見ると意外や小さな船。

かなづちのわたしは大自然として海や大河を眺める分にはいいのだが船に
乗って沖へ漕ぎ出すとなるとかなり用心深くなる。

「夫よ、万が一これがひっくり返った時、衣服のまま、わたしを救い出し
て泳ぐこと可能であるか?」

と聞いて見る。

夫のまたかの表情にわたしは重ねて言う。

「だって、こんなことではまだ死にたくない。子供たちだって5匹ネコだっ
て責任が残ってるだぼん」

かつてアソーレス島へ鯨やイルカを見に行こうという夫のプランも、わたし
はこの言葉でオジャンにしたのであった^^;もちろん、今回もそれゆえ海上
からのサグレス、サン・ヴィセンテ画像はなしである。

サン・ヴィセンテ沖の海上では17世紀から18世紀にかけて歴史上の大き
な海戦があった。フランス対イギリス・オランダ戦、イギリス対スペインの
「サン・ヴィセンテの月光の海戦」(なんともロマンティックな^^;)等
があげられる。

最後に、既に一度書いたことではありますが、サン・ヴィセント岬の名の
由来、この章に直接関係するので再度アップします。

                 


なぜ「サン・ヴィセンテ岬」と呼ばれるのか?
  「サン・ヴィセンテ」とは誰なのか?


下の画像はBrasao(=ブラザォン)と呼ばれる紋章でポルトガルの首都リス
ボンの 紋章です。
       
brasao_lisboa

小さな帆掛け舟に二羽のカラスです。 
こういうのを見ると、何ゆえカラスが二羽?とわたしならずとも思うことで
しょう。この紋章のシンボルの由来を学習したのでした。

このシンボルはスペインの「聖ヴィンセンテ」(ポルトガル語ではサン・
ヴィセンテ」を讃えて作られたと言われます。

時代は遡り、4世紀。スペイン、サラゴーサのヴィンセンテ修道者は当時イ
ベリア半島を占領していたローマ帝国のキリスト教徒迫害において、スペイン
バレンサで殉死。その後、遺体はサグレス(ポルトガル)に運ばれるも途中で
船は沈没。

アラブ人がイベリア半島南部に侵入していた8世紀に、サグレスの近くで遺
体が発見され、ヴィジゴードスたちにより、サグレスの近く、現在の「サン・
ヴィセント岬」の洞穴に秘密裏に隠されていた。
(註:Visigodos=西ゴート人。ゲルマン民族の一族。5世紀から7世紀にか
けてフランス、イベリア半島北部で王国を作っていた。←ポルトガル人には
この血も流れているのでは?)

レコンキスタの戦もいよいよ南下していた12世紀、後のポルトガル国初代
王ドン・アフォンソ・エンリケス(エンリケ航海王子とは別人)は、アラブ
人とのリスボンでの戦で勝利を授けてくれたら、遺体を捜し出し教会に祀る
と、聖ヴィセントに誓いを立てます。

勝利を納めたドン・アフォンソ・エンリケスは約束どおリスボンに教会を建
て、ヴィジドードスたちが隠していた聖ヴィセントの遺体を帆掛け舟でリス
ボンへ運ぶに及び、その舟に守るように付いてきたのが2羽のカラス。
聖ヴィセントは生前からカラスにえさをあげたりしており、カラスは遺体を
守ってきたと言われます。

以来、カラスはポルトガルでキリスト教徒へのよきメッセンジャー、また航
海の守護のシンボルとされました。

聖ヴィセンテは現在でもリスボンの守護聖人であり、市の紋章にはそのシン
ボル、帆掛け舟と船首船尾にとまる二羽のカラスが描かれています。

ざっとこれがわたしが今回学習したことなのですが、記事内の赤字の言葉
かなり手間取り、Dias先生に教わることになったのでした。先生は若かりし
頃、神学を学んだ方です。
特に「修道者」については、いまいち意味がつかめず、先生の説明でやっと
理解できました。

カトリック僧の地位順位は下から修道士(助祭。神父の手伝い。結婚可)→
神父→僧会会員→大主教→司教→枢機卿(ローマ法王の最高顧問)→法王
となり、聖ヴィセンテはこの中の修道士だったとのこと。


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2011年8月20日

今日は先日の小旅行の続きです。

カステロ・デ・ヴィデ(Castelo de Vide)

castelodevide

Castelo de Videは旅程に入っていなかったのを、通りがかりだというので寄ってみました。丘の上に構えた古城を目指していざ!
castelodevide

人口4000人足らずの小さな町ですが、暑い中、丘の頂上まで歩くのはご免とばかりに、我ら夫婦、車で上りかけたのですが・・・・
castelodevide
白壁に黄色いペンキ。白と青のコンビネーション同様、アレンテージュ、アルガルブ地方の色彩です。 

見よ、この急な勾配! 上りだしたものの、こういうところを車で上るのは苦手なわたしです、自分が運転しているわけではないのに、ウワー! 急すぎるじゃん!どうする!どうするってもう後戻りはできないわけで、上るっきゃない。
castelodevide

あちこち一方通行の標識に従い、グルグル細い道を回ることになり、おまけに少し幅が広めの夫の車、狭い道を曲がりきれなくて、車を降りて「オーライ、オーライ」とわたくし。冷や汗をかき、もうすっかりお城の頂上まで行く気が失せてしまい、そうそうにこの町を後にして、Marvaoへ一目散。
castelodevide

カステロ・デ・ヴィデの町では、車は町に入ったところで駐車して歩くことをお勧めします。

ポルタアレグレ(Portalegre)

この町も予定に入っていなかったのですが、ポルトガルの詩人Jose Regioの生家が博物館になっていると知り、1時間ほど足を止めてみました。残念ながら博物館は撮影禁止でしたので案内できませんが、Jose Regioは敬虔なカトリック教信者だったようで、彼のコレクションはキリストの磔像や聖人の像でぎっしりでした。

ポルトアレグレで教鞭をとりながら詩、エッセイを書き、亡くなる前に市に自宅を寄贈、それが現在の小さな博物館(ポルトガル語でCasaMuseu Jose Regio)です。あまりにも宗教色が濃くて、さすがのわたしも少し木が重くなり気味でした。こんなたくさんの宗教像の中で毎日生活するのはどんなものか、在りし日のJose Regioの精神生活を考えさせられる相当数のコレクションでした。

街の中心の広場では大勢の人々が涼んでいました。
portalegre

木の周囲のカラフルな棒はなんであろうかと近づいてみたところ、
portalegre
木の枝を支えているのです。1838年に植樹されたプラタナス、こうして市民に憩いの場を与えて、今年2011年で樹齢173年!
日本でもこんな風に枝をささえられた桜の老木をみかけますね。

本日も当ブログ訪問、ありがとうございました。
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2011年8月16日

今日はコルクの木の紹介です。
ポルトガル語でコルクの木を「Cortica=コルティッサ」と言います。 

コルクの木

アレンテージュの田舎道で見つけた立派な「コルク園の木」。
柵で囲いがあり、園の中に入ることはできないが、こうして見る
剥皮された後の茶色の木は美しくすらある。
コルクの木

コルクはコルクガシと呼ばれる木から剥がされた樹皮のことです。 
主にイベリア半島に見られ、ポルトガルは世界の50%を生産すると
言われ、国の保護樹木になっています。
植樹後25年ほどたってから最初の剥皮があり、これはひどいデコボコがある
ため加工製品の素材としては不適合とのこと。その後、10年毎に剥皮がなさ
れ、樹齢は200年ほどだと言われます。                

下は道端で見かけたコルクの木。

コルクの木
木肌が茶色でないのは今年剥皮された木ではないと思われる。
コルクの木

下記、2枚の画像はwikiからですが、コルク樹皮を剥いているところと         
コルクの木

剥がれた樹皮。
コルクの木

コルクはその断熱性、吸音性、弾力性から近年は環境素材として活用され、
エコファッションの素材としても注目されています。
下記、ポルトガルが誇る高級コルクエコファッションをご覧ください。
                 
ポルトガル発のエコファッション「コルクレザーのPelcor社製品」                
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2011年8月14日

3泊4日で夫と二人、アレンテージュ地方とアルガルベ地方、1600キロを走っ
てってきました。下記の地図でお分かりのようにポルトガルをほぼ縦断です。
mapa-portugal1-2011sagres.jpg

宿泊地はマルヴァォン1泊、サグレス2泊。
多少きつい旅程ではありましたが、我が家には5匹のネコがいるためお掃除
のベルミーラおばさんに猫たちの世話を頼んで行くにしろ、夫婦揃って家を
空けられるのはこれくらいが関の山です。

昨年春のスペイン・アンダルシア旅行もそうでしたが、9時間ぶっ通しでの
帰路の車旅行はさすが疲れましたが、今回も似たようなものです。

いつもの如く、わたしが「こっちや」言うのに人の言うことを聞かんと勝手
に反対方向にハンドルを切る方向音痴の夫を相手に、そこを文句言わんよう
にじっと我慢の子(笑)
うちの人、絶対これを毎回やりますのよ。

まぁ、助手席からあっちやこっちやと指示されるのが嫌なのは分かるのです
が、暗くなってからそれをやられると、ほんと、自分たちがどこにいるのか
見当つかず、困るちゅうもんです。口には出しまへんが、内心は「もう知ら
ん!勝手にせ!」ですわ(笑)

そんな風にいつもと同じパターンの夫婦旅行でございました。

以下、本日は「マルヴァォン」をご案内します。

marvao
国土面積の3分の1を占めるアレンテージュ地方。広大な土地の多くは平原
です。その中のポルトアレグレ地区にあるマルヴァォンは標高843メート
ルのサポイウ山頂に位置する小さな村です。
別名「鷹ノ巣の村=Ninho de Aguia」と呼ばれます。

marvao
ポルトガル南部の特徴である白壁の家々の村です。

marvao
人口は100人前後とも600人前後とも言われますが、廃屋も多く100
人もいるかと思われる村で道行く人影はほとんど見かけませんでした。

marvao
城壁に囲まれたマルヴァォン古城。 

周辺一帯のパノラマが見渡せるマルヴァォンは敵の侵略防衛の立地条件に恵
まれ、昔からローマ人やイスラム教徒が利用して来ました。マルヴァォンの
は名称はこの辺りを9世紀の一時期に征服したイスラム人「Ibn Marwan」か
ら来たといわれます。

marvao
正面に見るマルヴァォン古城。

要塞として建築されたマルヴァォン城は12世紀のレコンキスタの戦いで
ドン・アフォンソ・エンリケスがマルヴァォンを征服、14世紀にはドン・
ディニス王が要塞を増築しました。

marvao
ひまわりと古城

要塞内。真っ青な空に映える古城はいかにも「鷹ノ巣」の名にふさわしく、
marvao

山頂独特の強い日差しがガンガン照りつけておりました。
marvao

ライトアップされる古城 
marvao
古城の手前の古い教会。
marvao

マルヴァォンは車なしで訪れるのはかなり厄介な場所です。
これまで訪問、紹介してきた似たような白い村に「オビドス」や「モンサ
ラース」などがありますが、マルヴァォンはアクセスが難しいためか、ツー
リストにとってはまだ未開拓な村になるのではないでしょうか。
そのため観光ずれしておらず、上記の二つの村に比べ、より自然的な部分が
残っており、いわゆる「ワー、素敵!」の部類ではありませんが、ポルト
ガルの僻地としてこれもまたこれでいいのではないかと思いました。

何しろ「鷹ノ巣」です。大勢の観光客がこの天空の村に押しかけるようにな
れば鷹も逃げ出し、別称返上になりかねません。

参考にモンサラース案内はこちら

オビドスはこちら

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