2011年11月18日

gadalupe

2011年夏に訪れたサグレス近辺、Vila do Bispoで、たまたま見つけた小
さな教会。もしかしたら「黒い聖母」かも!と夫と期待して足を運んでみま
した。修繕中だからか、ツーリスト向けの案内があまりされておらず、訪れ
ている人はいませんでした。

しかし、質素な田舎風の小さな教会は、人影もなく荒れた地で端正なその美
しさを放っていました。

ゴチック、ロマネスク建築様式を併せ持ち、13世紀の建築と言われています。
かつてはサン・ヴィセンテ(案内はこちら→)への巡礼コース上にあり、アル
ガルベ地方に於ける最古のゴチック建築のひとつと数えられます。
テンプル騎士団建築説、エンリケ航海王子建築説があるがいずれも確証はなし。
グアダルーペ教会は15世紀に改築されたとの情報もある。

さて、ここで、「Nossa Senhora de Guadalupe=ノッサ・セニョーラ・デ・グ
アダルーペ」とは何なのか?

Nossa Senhora は英語では「Our Lady」、フランス語では「Notre-Dame=ノー
トルダム」にあたり、「わたしたちの貴婦人」こと、聖母マリアのことです。
Nossa Senhora de Hora, Nossa Senhora de Vitoria, Nossa Senhora do
Gracaと、多くの名前で崇められていますが、全て同一人物、聖母マリアを指
します。

余談ですが、「ノストラダムスの大予言」なる本で知られる中世のフランス
人医師、占星術師、ミシェル・ノストラダムス(Michel de Nostredame)は
NotreDameのラテン語読みです。

Guadalupeはメキシコの土地の名前で16世紀半ばにGuadalupeに聖母が現れ
たとの言い伝えがあり、この小さな教会の名前は恐らくこの言い伝えがポル
トガルに伝わった以降に広まったと思われます。

さて、教会内部を見学すると、黒いマリア(イエス・キリストの伴侶と言
われるマグダラのマリア)こそありませんでしたが、何を物語ろうとして
いるのか、不明なシンボルがたくさん見られます。


 ヴィラ・ド・ビスポのグアダルーペ小教会
      
アーチ型の入り口。
gadalupe

下は入り口を象る柱。
gadalupe

↓柱のシンボルを拡大してみました。人面と縄模様が見られる。gadalupe

質素な教会内部。

gadalupe
                      
gadalupe
↑丸天井に施された奇異な模様。 

拡大した模様。
gadalupe
              
三つの頭部。ひとつは子供?後のふたつからは舌が出ている?大きな
頭部に続くのは魚にシンボルを象ったものか。  
真ん中には8つの渦巻き。十字が描かれた三葉植物。
          
柱にも人の頭部と十字が描かれた三葉の植物
gadalupe

この柱には牛の頭部。
               
gadalupe
            
十字が描かれた聖水盤こと pia de agua benta
gadalupe

質素な祭壇とガアダルーペ聖母像
gudalupe

gadalupe
↑ステンドグラス上の古代ギリシャに起源を持つトリケリオン(Triskelion)
こと三脚巴はケルトのシンボルによく使われる。生命、再生を意味する。

下方はよく見ると二匹の蛇が絡み合って結び目を作っている。
gadalupe

二匹の絡まった蛇は「intertwined snakes」と呼ばれ、ギリシャ神話の神、
錬金術師でもあるヘルメスが持つ杖(カドゥケウス)にも見られる。善と
悪の知識を表す異端グノーシス主義のシンボルでもある。
    
こうしたシンボルを見ると、この荒地の小さな教会は聖母マリアに捧げられ
て建築されたとは単純に考え難い。元々これらのシンボルを持っていたのか、
それともグノーシス主義参入者だとも言われる、14世紀の異端審問をかろ
うじて逃れたポルトガル在のテンプル騎士団が15世紀の改築に携わった結
果なのか。わたしの興味は尽きないのであります。

予定なくして訪れたグアダルーペ小教会はテンプル騎士団の追っかけをして
いるわたしにとって思わぬ拾い物になったのでした。

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2011年10月11日

訪問予定に入れていなかったのだが、サグレスの近くだというので昼食に出
かけたところが、ラゴスの町。Lago(s)はlacobrigaというラテン語を語源と
し、ポルトガル語で「湖・池」を意味する。

lagos
ラゴスの旧市街は、今に残るポルトガルの歴史上のどの町もそうであるよう
に城壁に囲まれている。旧市街の入り口のキオスク。


現在はアルガルヴェ地方で最もポピュラーなリゾート地のひとつで特に夏場
は多くのツーリストで賑わうが、紀元前から港として開かれ、ローマ帝国、
イスラム国の統治の歴史を持つ。
lagos

また、15世紀に入るとエンリケ航海王子が居をかまえ、ラゴスからは、
船乗りたちに恐れられていた世界の果て、アフリカを目指した多くの
探検船が出帆した。大航海時代の幕開けはラゴスから始まったのである。

lagos
↑旧市街の鮮やかな色彩のレストラン店先。ここで昼食したのだが、サービ
スがいまいち。よせと言うのに、夫、カードに「サービス、悪し!」とコメ
ントを残して来たなり。

lagos
                                        
lagos
海岸どおりの広場にあう「ヘンリケ航海王子」記念像。
下に見られる年号「1460-1960」は王子没500年を祝っての記念
年号。           

lagos
               -この画像のみwikiより-

↑1444年に開かれた奴隷市場の跡。アフリカ大陸から連れてこられた多く
の奴隷はここからヨーロッパ大陸に。ラゴスは大航海時代の誕生の地である
と同時に、アフリカ奴隷の入り口でもあり、現在の観点からするとポルトガル
大航海時代の栄華の陰の部分と言える。


メンヒルはどこだ?     
                     
時間とお金があれば、多いに遺跡めぐりをしたいと言うのがわたしの願いだ
が、両方ともないのが現実^^;
なかでもわたしが興味を惹かれるのは先史時代や文明の夜明け以前の遺跡だ。
考古学者ゼカリア・シッチン氏の説くメソポタミア文明遺跡や南米の古代遺
跡には多いに惹かれるが、いかんせん、経済的にだけではなく、危険地域で
もあることが多いので、ひたすら本を読んで憧れるに終わっている。
     
しかし、過去に一度だけ、どうしても見たいと夫を説得し、ロンドンでレン
タカーを利用し、家族旅行でイギリスの憧れは「ストーンヘンジ」を観に行
ったことがある。

下記が証拠写真(笑)
lagos
風で髪が一部逆立ってる。

既に息子と三人ロンドン旅行をしていたので、この夏にはモイケル娘を伴った。 
1999年の日付になっている。
本当は一夜、ここで過ごしてみたかったのでが余裕なく。
    

こういう事情ゆえ、近年は許される範囲内で休暇を利用しては、それ!と
ウキウキしながら出かけるのが関の山である。

今回のサグレス訪問で何度か道を往復しているうちに目に付いた小さな標識が
「Monumento megalitico」。サグレスを去る日に、標識に従って行ってみよう
となった。

車道を横の入って細い山道をドンドン進んでいく。すると、車が2台ほど止め
られるスペースのところに、一台の車が停まっている。
おお、ここか!と我らも駐車、車から降りると、前方はだだっぴろい荒野が
広がっている。そこを入るのか?

お隣さんも「??」と思ってか、話しかけてくる。いや、どうもここではな
さそうで、というので、乗車し更に山道をドンドン進んでいく。
が、行けども行けども見当たらず、ついに出たのは海岸ではないか・・・
別のカップルは結局引き返すことにしたようだ。

「仕方ないね。これじゃ、どこにあるかわからんよ。目印がないんだもの」
と夫。わたしたちも引き返すことにしたが、
「あぁた、そっち側見て、わたしはこっちをよくよく見てみるから」と夫に
ゆっくり走ってもらうことにした。

すると、反対方向からも、わたしたちのように物好きなのが数台車を走らせ
て来るわ来るわ。すれ違いざまに車窓を開けて「あったか?石?」(笑)
みんな探しているのだ。

一度は車を止めてもらい、人跡未踏のような荒野に
「へ、蛇でもでないかな・・・いやだな・・・」と恐れながらも見たいと
いう欲望の方が勝って、夫や止めよと言うのを振り切り、こわごわ足を踏み
入れてみたものの、ジグなし(津軽弁:アカンタレの意w)結局まもなく
引き返したのだった。

が、絶対見つけ出してやるぞとわたし、しばらく走るとテレパシーがピピ!
とあるところで、ちょい待ち!と夫にストップをかけた。

うふうふうふふふふふ。あったあった!
見よ、道の横、小高い、少し奥まった所に見えるではないか!
sagres

こと、こういうことに関しては実に辛抱強い我が性格、やったぜ! 
        
sagres
AC4000から3000年のメンヒル。ポルトガル語では上述したように
egalitico(メガリティコ、もしくはMenir(メニール)と呼ばれる。

メンヒルとはブルトン語で「長い石」だそうだ。ヨーロッパに多く見られポル
トガルでも結構な数があるそうだ。

因みに昨年、古城ぺネドーノ(Penedono)を訪れた際にも山上の古代遺跡ドル
メンをわたしは観て来ている。

興味のある方はどうぞ。

古代の遺跡ドルメン

ついでに、山中の古ぺネドーノ古城もどぞ。→「ぺネドーノ、中世の古城
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2011年10月2日

サグレス岬、サン・ヴィセント岬を訪れた今回は宿泊施設として岬のほぼ先
端にあるネイチュアポザーダ「Pousada de Sagres Infante Hotel」に二泊し
ました。ポザーダについては、後記します。

pousada
ポザーダからはサグレス岬が眺められる。 


pousada
プールサイドに望んで。アルガルヴェ地方独特のアラベスク風煙突と。                     
pousada
(↑wikiより)


pousada
オレンジ色に統一されたルーム。
pousada
電気スタンドのガラスの脚には本物のオレンジが入っている。
                   
pousada
部屋のベランダ。夏場でも風があるので涼しい。
   

pousada-do-infante.jpg
アズレージュが使われたレストラン。               

pousada7.jpg
カフェバールーム
           
                        
ポザーダの重いガラスドアにふと目をやると、おお、これはこれは!
鏡写しになってしまったが、イギリスのガーター騎士団のシンボルです。
ポザーダ名「インファンテ(Infante=親王)」とはエンリケ航海王子のこと
です。
                                
ガーター騎士団については既にトマールの「テンプル・キリスト騎士団修道
院のマヌエル式大窓の謎→」の章で書いていますが、ドン・マヌエル王以前
に、キリスト騎士団初代団長ことエンリケ航海王子がガーター騎士団のメン
バーになっていたのですね。

pousada2.jpg

それもそのはず、エンリケ王子の母王妃、フィリパ・デ・ランカスターは 
イギリス、ランカスター王家の姫。エンリケ王子の父王ドン・ジュアン一世
と結婚し、ドン・ジュアン一世はポルトガル王家初のガーター騎士団メンバ
ーになっています。

さて、ここでイギリス王家から嫁いできたフィリパ王妃について少し。
  
1387年2月2日にポルトガル、アヴィス王朝ドン・ジュアン一世とフィ
リパ王妃との結婚はポルトの大寺院、Se Catedral do Portoでなされ、その
模様はポルトのサン・ベント駅構内の有名なアズレージュ壁画の一部として
描かれています。
casamento_1.jpg

スペイン、フランスの同盟に対抗しての政略結婚ではあったが、ジュアン一
世とフィリパ王妃は夫婦仲は円満で、2女7男の9人の子を設けたが、成長
したのは7人。信心深く教養があり、英国人の騎士道精神にも通じていた
王妃は、子供たちにもよい教育を施した。
    
しかし、当時流行していたペストに冒され、セウタ攻略に向かう3人の王子
たちを死の床に呼び、
「わたしはもう長くない。そこで、お前たち一人一人に剣を授けよう。名誉
を忘れずこの国を富ませよ」と言い残したと言われる。
filipadelancastre.jpg

   
1415年7月19日56歳にて没。同年7月25日にセウタ攻略はなされた。
ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアはその詩の中で「聖杯のプリンセス、
ポルトガル国母」と歌っている。

ポザーダの説明については次回にて。
                   
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2011年9月19日

astrolobio
筆者が入手した航海時代の天体観測に使用されたastrolobioの模型。

さて、前回の続編「エンリケ航海王子」についての更なる記事は下記にてご覧
になれます。

エンリケ航海王子がめざした先は(1

エンリケ航海王子がめざした先は(2)」

airplane1.jpg

airplane2.jpg

ところで、筆者、上記画像が撮影できる場所、つまり機上の人となり、

P1000900.jpg
dear my freiends, 驚くなかれ、目下、この猫たちのいるところにしばし滞
在です。

時間がとれるかどうか確約はできませんが、ちょっと会ってやってもいいかも
と思われる友よ、前回のケータイ番号をいまだ記録しているならば、コンタク
トもよし、このまま流すもよしでござる。

延期の可能性もありですが、滞在予定は29日まで。春のようにほいほいと
自由な外出は少し難しいかもですが。
○十年、悪趣味な神出鬼没はしておりませなんだが、今回は諸事情あり。

ということで、みなさま、思うようにエントリはできないかもしれませんが、
時々お立ち寄りください。また、留守中、我がHP「ポルトガル・ロマン」サ
イトもお楽しみください。

ポルトガル案内サイトspacesisの「ポルトガル・ロマン
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2011年9月16日

今夏は、ポルトガルの大航海時代の先駆者、トマールのテンプル騎士団がキ
リスト騎士団と名を変えた時、そのマスター(団長)となったエンリケ王子
が住まいとし、人生の後半を天体観測費やしたと言われるポルトガルの南部、
アルガルブ地方にあるサグレス岬を訪れてきました。

サグレス岬は「Fortaleza de Sagres=サグレス要塞」となっており、大西洋
を目前にゆっくり歩くと1時間半はかかるでしょう。
要塞が閉まるのに45分ほどしかないという夕刻に入りました。

sagres
手前がサグレス岬の断崖。
 
サグレス要塞の入り口。
sagres


20代始めに父王ドン・ジュアン一世、兄弟とともにアフリカの入り口セウタを
攻略したInfante Dom Henrique(インファンテ・ドン・エンリッケ)ことエン
リッケ航海王子は、アルガルベ地方のラゴスを拠点に海外進出事業にのりだす。
マデイラ島、アソーレス諸島が発見され、王子が送り出したジル・エアネスは
「不帰の岬」と当時恐れられていたアフリカ大陸沿岸、西サハラのボジャドー
ル岬迂回に成功する。
 
門をくぐりぬけ、内側から見た要塞。
sagres

要塞は15世紀に造られたが1755年11月1日のリスボン大地震で大津
波に襲われ破壊。現在の要塞は18世紀に再建されたものである。

sagres
羅針盤(Rosa dos Ventos)と推測される。                  

 
sagres
ポルトガル人が各新発見地に設置したパドラォン(Padrao)と台呼ばれる占領
標識の石碑。

sagres
サグレス岬先端の灯 

sagres
岬をぐるりまわるコースのところどころに置かれている新モニュメント
sagres
一周して来た頃には夕日が海に沈みかけて。

sagres
大西洋に沈む夕日を背に受けたノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ教会。
                
エンリケ航海王子の光と影

ポルトガル大航海時代の礎を築いたエンリケ王子は英国人の血を引き、イギ
リスでも人気があるポルトガルの歴史人物の一人である。その生涯は一見華
やかな印象を受けがちだが、どんなに華麗な歴史にも陰がある。
                              
テンプル騎士団、キリスト騎士団員は独身でいることを求められ、王子もキ
リスト騎士団の団長という立場上、生涯独身を通した。セウタ攻略後、セウ
タ総督を任ぜられ、またアルガルブ地方の統治も任せられたエンリケはラゴ
スに拠点を置き、国家事業の航海計画に専念する。

父王ドン・ジュアン一世没後、長兄ドン・ドゥアルト王の時代にはこの事業
をめぐり、対立する勢力があった。エンリケ王子は、長兄ドン・ドゥアルト
王の命で、セウタ確保のため、次兄ドン・ペドロの反対を押し、末弟フェル
ナンドとともに北アフリカのタンジール攻略に入るが失敗。
 
末弟フェルナンドは休戦協定のためアラブ側の人質となり、ドン・フェルナ
ンドは6年間の幽閉後アフリカで死す。セウタはこのドン・フェルナンドの
犠牲で確保されたのであった。

後、次兄ペドロと前王ドゥアルトの息子アフォンソ5世の王位争いが始まる
が、エンリケはこの権威争いには組せず、アフリカの地で人質として弟フェ
ルナンドを死なせた心の傷もあってか、サグレスに引きこもりここで天体観察
に打ち込み、ヨーロッパ各国、イスラム国からも航海知識者を招き、船員の教
育に努めたといわれる。

サグレスにエンリケ王子の航海学校があったと言われるのはこのためである。
実際に学校が存在したかどうかは明確ではない。
エンリケ王子はサグレス隠遁前、航海時代の中心地、ラゴス(サグレスの近
く)に居を構えていたが、ラゴスはヨーロッパ最古の奴隷市場があるところ
でもある。ポルトガル国内ではは奴隷をは使われなかったが、ラゴスは奴隷
の入り口でもあった。

1460年、サグレスにて没。

この間、O Africano(=アフリカ王)の異名をもつエンリケ王子の甥、ドン・
アフォンソ5世王は北アフリカ入り口を征服、そしてやがて時代はポルトガル
・スペインの大航海時代に入る。
 
sagres
空に余韻を残し海に沈む太陽。右に見えるのはサン・ヴィセンテ岬。
数世紀前、エンリケ王子もこの岬から同じ夕日を日々眺め、日が落ちてから
は天体観測をしたであろう。
孤高の人エンリケ航海王子は果たしてどんな思いで落日を眺め星を求め、陸
路の果ての断崖岬で生涯を終えたのだろうか。
上の画像は是非クリック、拡大してごらんください。

sagres
横に膨張して今にも海と接触せんとする太陽。
                                  
また見つかった、なにが?
永遠が。 海と溶け合う太陽が。(アルチュール・ランボー「永遠」)

                               
こんな1節が思い出される一瞬だ。

計画にはなかったのですが、夕食時間に間があったことで出かけ、運良く眺
めることができた海に沈む夕日、本日は時空を越えて恐らくエンリケ航海王
子も眺めたであろうサグレスの夕日をご案内してみました。

明日は、エンリケ航海王子について、もう少しメモしたいと思います。
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