2016年12月1日 

独立回復記念日で休日の今日、昼食を兼ねて夫とダウンタウンへクリスマスプレゼントの買い物に行って来ました。

そして入った店が「Burel(ブレル)Factory」ブティック。

burel

ブレルというのは古くから独得の製法で作られたポルトガルの伝統的なウール100%の布のことです。
ポルトガル北部、セーラ・ダ・エストレーラ(星の山脈の意味)にあるMangeigasという小さな村で生まれました。
しっかりした糸で織り込まれた布は固く、昔から雪が多く風が強い北部の山間部でマントやコート、チョッキやズボンなどを作るのに用いられて来ました。、

burel

展示されてあるマントやコートに触ってみましたが、これなら風を通さないだろうと思われるくらいゴツッとした手ごたえがありました。

burel

この丈夫なブレル布を利用して、ブレルファクトリ社ではファッションやハンドバッグ、カーペット、スツールなどの室内装飾関係にも進出しました。

burel

ポルトガル語でMochila(モシーラ)と呼ばれるバッグパック。
mochilauprotatedbaggray.png

フード付きのMochilaも面白い。↓
mochilaCapuz-1.png

その中に、今回わたしたちがクリスマスのプレゼントにと数枚選んだ「マンテカ(Manateca=)」と呼ばれる軽くて柔らかいショールがあります。

burel
何よりも暖かい点がいい。ショールにもひざ掛けにも使用できます。


burel

写真撮影の許可を得ましたら、階下もどうぞというので、見てきました。

burel
↑ブレル布とその布を作り出す糸↓

burel

布物には目がないわたしです、 取材に年内にもう一度この店に来ることになりそうです。
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2015年6月10日

今日は「ポルトガルの日」で休日です。
わたしがポルトガルに来た30数年前の昔は、「Dia de Camões=カモインスの日」と呼ばれいましたが、正式には「Dia de Portugal,de Camoes, de Comunidades=ポルトガルとカモインスとポルトガル人の日」と言う長い名前です。

カモインスとはポルトガルを代表する16世紀の大詩人、「Luis de Camões」のことで、この日が彼の命日であることに因みます。今日はその詩人について、過去にも案内していますが、書きます。以下。


首都リスボンを含む、「エストゥラマドゥーラ・リバテージュ」地方は、ポルトガルの政治経済の中心地です。

この地域には、イギリスの詩人バイロンをして、「エデンの園」と言わしめたシントラ、猟師達の独特な模様をしたシャツで知られる伝統的な漁村「ナザレ」、王妃が愛した城壁に囲まれる小さな小さな町「オビドス」と、訪れてみたい所は数えあげればきりがなく、この地方はポルトガルの宝石とも言えるかとわたしは思っています。

さて、この地方に観光客をひきつけるもうひとつのハイライト、それがユーラシア大陸の最西端と言われる「ロカ岬」(Cabo da Roca)です。

北緯38度47分、西経9度30分、海抜140メートルの断崖のロカ岬は、海に臨んで、頂上に十字架を掲げた石造りの碑がぽつねんと立っているばかり。石碑には、「ここに陸尽き、海はじまる(Onde a terra se acaba e o mar começa」の文字がポルトガル語で刻まれています。
   
ロカ岬は、まさにユーラシア大陸の地の果てであります。前方にはただただ亡羊と大西洋がひろがり、打ち寄せる波の音と吹き付ける風の音のみが、最西端の名誉を孤高として守っているかのように思われます。

冒頭に掲げた石碑に刻まれている言葉は、ポルトガルの国民詩人、ルイス・ドゥ・カモインスの書いた詩の一節からとられています。カモインスを抜きにしてポルトガル文学は語れません。また、「Os Lusíadas」(ウズ・ルズィアダス=ルズィターニアの人々、ポルトガル人の古い呼称)を抜きにしては、カモインスを語ることはできないのです。 

「Os Luíadas」はポルトガルを代表する16世紀の詩人カモインスが書いた9000行からなる大叙事詩です。バスコ・ダ・ガマの偉業を讃え、ポルトガルの大航海時代の歴史を謳いあげたものです。叙事詩集は10章に分かれており、先の「ここに陸尽き、海はじまる」は第3章20で謳われています。ちょうど我が家に素敵な装丁の「Os Lusíadas」があったのでその箇所の写真を載せて見ます。

Os Luíadasの本

       os lusiadas
       美しい装丁が施された限定版の本です。 
camoes_livro.jpg  
        各章ごとの歴史にちなんだイラストが内装もカラフル。

os lusiadas
                  第3章20の扉

     os lusiadas
          20(XX) 上から3行目。

   「Onde a terra se acaba e o mar começa 」 「ここに陸尽き、海はじまる」とある。
     os lusiadas


「Os Lusíadas」 は膨大な叙事詩で、ポルトガルの学校では全編ではありませんが、必ず読むことになっています。わたしは今のところ、本を開いては美しい装飾に目を奪われるのみで、残念ながらまだ読んでいません^^;ロカ岬の案内所では有料で「ユーラシア大陸最西端到達証明書」を発行してくれます。古典文字で書かれており、carimbo(カリンボ)と呼ばれる蝋(ロウ)印が押されます。現在では日本語もあるようです。

さて、カモインスについて。

15世紀の冒険家Luis de Camoes(ルイス・デ・カモインス)カモインスの伝記は謎に包まれている。いつどこで生誕したかも不明である。そして、芸術家の多くがそうであるように、カモインスもまた、生存中はあまり名の知られた存在ではなかったようだ。

当時の知識人と比較しても該博な知識を持っていたらしく、コインブラ大学で聴講したという話はあるが、その知識をいつどこで身につけたのか明らかではない。

またカモインスは無類の冒険家であり、恋多き人でもあった。リスボンでは傷害事件で投獄の憂き目にあったり、アフリカ、東洋を廻り難破にあったりもしている。

カモインスは片目だが、15世紀初期、北アフリカのセウタでムーア人と戦った際に右目を失ったと言われている。

os lusiadas
Wiki より

「セウタの戦」とは、ドン・ジュアン一世の時代でポルトガルの大航海時代の扉を開くことになる戦いである。王の3人息子、ドアルト王子、ペドロ王子、そして後、トマールのテンプル騎士団修道がキリスト騎士団修道院に改名した時にその騎士団のマスターとなり、航海王子の異名をとることになる三男のエンリケ王子も参戦した。この様子は、ポルト、サン・ベント駅構内のアズレージュ絵に見られる。

azulejo_saobento.jpg

もうひとつ、付け加えるならば、ポルトの有名な伝統料理「Tripas」はこの「セウタの戦」に由来する。 (これについては下記の案内からどうぞ) 
            
恋と冒険とそして貧困のうちに、ポルトガル文学の偉大な遺産「Os Lusiadas」を残し、1580年6月10日、カモインスはその生涯を閉じる。毎年6月10日は、カモインスの命日を記して「ポルトガルの日」とし、この日は祭日になる。

最西端のロカ岬は、訪れる観光客の浪漫的な予想からは遠く、波打ち寄せ風吹きつけ、大航海時代の栄華のかけらも今は見えず、ただ荒涼としているだけである。それでも、石碑に刻まれたカモインスの一節に、いにしえのポルトガル人の果てしない未知への冒険心をかいまみる。

★ポルトびと、その名はトリペイロはこちらにて。→http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1167.html

本日も読んでいただき、ありがとうございます。


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2012年11月11日

今日はサン・マルティーニュの日でした。
Sao Martinhoとは聖人マルティーニュのことです。過去にも紹介していま
すが、今回はもう少し手を入れて書き直してみましたので、どぞ。

11月は1日の「Dia de Todos-os-santos(万聖節)」や、この日には
その年採り立ての焼き栗をほおばりながらこの年の9月10月に収穫したぶ
どうで造られたできたてのワインやAgua-pe、Jeropiga(=醗酵前のぶど
う液にAguardento という焼酎を加えたもの。アルコール度18度)、もし
くはポルト・ワインを味わいます。
サン・マルティーニュ サン・マルティーニュ
     アグア・ぺ           ジェロピーガ(Wiki引用)

Agua-peは、サン・マルティーニュの時期に焼き栗と一緒に飲む、ブドウか
ら造られるアルコール含有量の少ない(16度くらい)少し甘みのあるポル
トガルの伝統的な飲み物。Agua-peはかつては自家製で売られていなかった
のですが、自家醸造が法改正で禁じられて以来、商品化され近頃ではマーケ
ットで見かけることがあります。    

各家庭でもオーブン等で栗を焼きいて食べますが、ところによっては祭りを
催します。この祭りをポルトガル語でMagusto(マグースト)と言います。

サン・マルティーニュ
(Wiki引用)

本来は上の写真ように、家族親族友達などが集まって焚き火をで栗を焼いて
食べることから始まったと言われますが、現在こんな風にイベントが催され
るのは恐らく地方だけだと思います。

かつて我が子たちが通ったBritish Schoolでは、学校の行事としてこの前
後の土曜日はMagusto祭が催されました。子供たちはこの日のために準備さ
れた色々なゲームに興じたりくじ引きをしたりして楽しみ、大人はPTAが用意
した栗とワインに舌鼓をうちます。もちろん行事は夕方からですが、焚き火は
やはりありませんでした。

マグースト
(Wiki引用)
 
わたしもボランティアで得意のパイナップルケーキを提供したものです。これ
らボランティアが提供したケーキは一切れいくらいくらと値段がつけられ売ら
れます。売り上げ金は学校の教育費の一環として使われました。
 

さて聖マルティーニュ(マルティン)」とはどんなことをしたのか?
これには4世紀終わりころの古い言い伝えがいくつかあるのです。そのうち
のひとつをご紹介します。

ローマ帝国軍の兵士としてマルテーニュが馬上の人としてイタリアからフラ
ンスへ向かっていたときのこと。悪天候でとても寒く強風も冷たく吹き付け
る11月のある日、目の前に、着ている衣服もボロボロの貧しい男が現れ、
物を乞うたのであります。

施し物を持たないマルティーニュは、やおら剣を取り出し、身にまとってい
た当時のローマ兵が着る真っ赤な自分のマントを真っ二つに裂き、半分をそ
の男にあげたのでした。

サン・マルティーニュ
(Wiki引用)                      

その夜、その時はまだ異教徒だったマルティーニュの夢の中に赤い半分のマ
ントを着けたキリストが現れ「ここにいる、洗礼を受けていないローマ兵士
のマルチーニュがわたしにこのマントを着せてくれた」と天使に話している
声が聞こえ、周囲が急に暖かくなり寒さにこごえるマルティンの体を温めま
した。

以来、秋にも拘わらず11月11日前後の3日ほどは良天候に恵まれ、まる
で夏のような暑さになると言われています。

そうして見ると、確かにこの2、3日は外へ出ると暖かく、まさに「サン・
マルチーニュの夏」と言われる所以がわかる気がしますね。これは英語では
「Indian Summer」、日本語では「小春日より」に当たります。

世界の国々のそれぞれの習慣は違っても、どこか似たようなつながりが見え
て面白いなぁと、わたしは思っているのですが、こういうことは探してみる
とたくさんあるような気がします。

さて、この夢を見て後、マルティーニュは18才で洗礼を受けやがてフラン
ス、トゥールの大司教になり81歳で没したと言われます。マルティーニュ
はヨーロッパで最初の殉教なくして聖人に列せられ、フランス、ドイツの
守護聖人、イタリアではワインの守護聖人になっているそうです。

この週末は街門でいつも以上にたくさんの栗やさんを見かけました。
ちなみに我が家では焼き栗の代わりにゆで栗を食べます。
寒い折、ホクホクした甘いゆで栗を頬張りながらのポルトワインは格別です
ね。

なお、本日の画像は全てWikiから引用しています。
本日はこれにて。
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2012年4月16日 

自身はそれに染まりませんでしたが、20歳の頃の大阪京橋時代、まわりには
上に素人と名のつく、演出家、役者、シナリオライターの演劇関係者、作家
志望やカメラマンなど、サラリーマンとは異質の知り合いがたくさんいまし
た。

わたしはと言うと、その中でどういう訳かこれまた上にへんちくりんな定冠
詞がついて「自由人ユーちゃん」と呼ばれていたのです。わたしのどこが自
由人かと問いますと、常識の枠にとらわれないで行動するからだそうで(こ
れは20代の頃だということをお忘れなく)、褒められているのか呆れ
られているのか複雑なところではありました。

素人劇団の何のお役目も担っていないのに出来上がったばかりのシナリオを
読まされたり、その仲間からはあっちへこっちへと引っ張りまわされたりし
たのですが、都会生活がまだ2年ほどの20歳そこそこのわたしからすると
彼らが皆、まぶしい輝きを放っているよう見え、深夜を問わず喜んで引っ張
りまわされていた感があります。

おかげでまともな生活はできず、飲まず食わずの日が多かった青春時代では
ありましたが、今振り返ってみるに、かけがえのない青春の一こまであった
と思います。団長はかつて「劇団四季」に籍を置いたことがあるという男性
で、彼らはサマセット・モームの作品のみを手がける劇団でした。

そんな知り合いたちの中に一人、プロダクションには属していないものの中
川君という素人ではない(!)役者がおりまして、これが顔が大きいもので
すから、現代劇より時代劇でよく映えるのです。案の定、彼は京都四条にあ
る南座で、よく歌舞伎公演での役回りをしていたのでして。なに、役回りと
いってもハシッパの役(笑)

これが、ある日浮かぬ顔をして現れまして、
「舞台でドジッた。トップの役者さんにこってりしぼられてん」
何をしたかと言いますと、
出番の寸前にどうにも我慢ができなくなってトイレに行った。
そしたら出番の合図が聞こえたので慌てて舞台に飛び出して行ったのだと
言う。

出てしまってからハッと気がついたのが、足に履いてる「便所」と書いて
あるスリッパ!(爆)おまけに、手に持ってなきゃならないはずの十手を
トイレに置いてきてしまって、「御用だ!御用だ! 」と突き出す手には、
十手なし・・・

周りの小役人を演じている人らの後ろに後ろにと隠れて誤魔化そうとしたの
だそうだが、そんなもん、ロケじゃあるまいし本番なんやから、どうやって
誤魔化すのよ(笑)これを聞いたときには、気の毒な気持ちよりも大爆笑が
起こって我らは皆、抱腹絶倒。

役者さんの世界って、NGがたくさんあるでしょ?あれ、爆笑ものが多いで
すね。しかし、劇場では毎回が本番、やり直しがきかない。中川君によると
立派な歌舞伎役者さんも時には失敗するのだそうで、そういう時は、舞台が
終わった後に先方さんからちゃんと陳謝として全員に何がしかが配られるの
だそうです。

あれから40年ほども経つというのに、今思い出しても「便所」と書かれた
スリッパを履いて、「御用だ、御用だ!」と空の手を突き出し、にっちもさ
っちも行かなくなっている中川君の姿を思い浮かべるたびに、くっくっくと
腹を抱えて笑わずにはいられないわたしです。

中川君、どうしているでしょう^^彼からもらったヅラをつけたサイン入り
のブロマイド、どこへ行ってしまったかなぁ^^
            <我がエッセイ「中川君のブロマイド」より>

さて、どうしてこんな話から今日は始めるかといいますと、実は先週日曜日
の午後、まこと40年ぶりにTeatro観劇をしてきたのです。この演劇は上に
書いたような失敗など許されない古典劇ギリシャ三大悲劇のひとつと評価さ
れるソポオクレスの戯曲、「オイディプス」、ポルトガル語では「Edipo」
といいます。

edipo1

わたしの一番最後の観劇は、大阪時代に観た浪漫劇場の「薔薇と海賊」です。
三島由紀夫の原作で主演は村松英子と中山仁でした。劇の内容よりもスッと
背筋を伸ばし大股で舞台を往来する美しい村松英子の着物姿に感動し、40
年たった今でもあの姿は脳裏に残っています。ただ、今考えて見るとあの歩
き方は着物では邪道らしい(笑)にも拘わらず、彼女のその着物歩行をわた
しは素敵だと憧れた20代初期でした。

印象的な演劇では高校時代に観た「アンチゴネー」があります。「アンチゴ
ネー」は偶然にも今回観たオイディプスの娘を主人公にした戯曲です。
ファンとはとても呼べませんが、数年前までは夫と連れ立って時にオペラや
コンサートへ出かけたものです。ありきたりの日常生活から抜けて、その時
間だけ日々の垢がちょっと落とされるようなリフレッシュ・タイムに浸るこ
とができます。

ポルトガルに来て以来感激したものに、オペラ「トスカ」と、家族で見たロ
ンドンのマチネ、ミュージカル「レ・ミゼラブル」があります。2作ともま
るで体ごと吸い込まれでもしたかのように、いつの間にか自分がその主人公
になりきって感涙したのでした。

物事を感覚的にとらえるタイプのわたしは、構えた見方をしないので好きな
作品には体ごとのめり込む。ですから、自分が主人公の人生を体験するよう
な感覚になり、それでよしとする。ま、言ってみれば単なる素人観衆で絵画
も本もあまり説明を要するものは苦手な単純人間です。

話を元に戻しまして、今回はブログが縁で、目下ポルトで上演中の、ミラノ
を拠点にヨーロッパや日本で活躍されている演出家、井田邦明氏のご親族の
方のご親切で氏演出の「Edipo」に招待されたのでした。実はご招待を
受けるにあたりポルトガル語での劇が果たして理解できるだろうか?との
不安があり少し迷ったのですが、ふと若いころのあの刺激的な感覚を思い出
し、よし!と出かけて来ました。

edipo

上演劇場Teatro do BolhaoがあるACE演劇学校の入り口。下は中庭。
edipo

ストーリーをあらかじめ知っていたためか、物語の運びにはたいして問題な
くついていくことができましたが、役者さんの格調高いポルトガル語に覚
醒された思いです。ポルトガル語の面白さを再認識、今後の語学学習
にも熱が入りそうです。
劇中意表をつかれた演出もありましたが、ここでは今触れないでおきまし
ょう。忙しさにかまけ、このような優雅な時間があることも忘れていたこ
の数年でしたが、久しぶりに刺激的な日曜日の午後になりました。

下記にてご案内いたしますので、ポルト在住の方、よろしかったら是非お出
かけしてみてください。

インフォーメーション
「Edipo」
演出:井田邦明
上演場所:Teatro do Bolhao(ACE演劇学校内)
       Praca Coronel Pacheoco No.1
Tel: 222 089 007
www.ace-bt.com
上演期間:4月12~5月6日 
上演時間:(1時間20分)水~土21:30~  日曜日16:00~
料金:10€ (12歳以上)


なお、下記wikiサイトではストーリーの概要を読むことができます。

オイディプス

アンチゴネ-」


最後にこのような機会を下さったI様に感謝いたしまして。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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2012年4月6日
 
毎週水曜日は午前中の日本語授業を終えた後、できるだけ机に向かいポルト
ガル語の予習をするように近頃心がけている。この日の午後はDias先生にポ
ルトガル語の個人レッスンを受ける日なのだ。

こう書くと言い訳がましく聞こえるかもしれないが、子育て時代は自分の勉
強のために時間的経済的に余裕はなく、今振り返ってみるとあっという間の
日々だった。

給食がなかったので毎朝の弁当作りから始まる学校への車による送迎(送
るは夫の役割で迎えはわたしだった)は二人合わせて17年間続いた。子供
たちの通った学校が家から遠かったのである。今でこそ自動車道路を走れば
2、30分で着くのだが、それがなかった当時は小1時間はかかったものだ。
毎朝夫と子供たちが出るまでは目が回るような慌しさだった。犬猫も同居し
ていたので、それらのエサやりも数が多いと傍が思うほど楽ではない(笑)

今なら家事も週に2回掃除やアイロンあてに通ってくるベルミーラおばさん
でほぼ間に合うが、当時は彼女が来ない日は自分がすることになり、4人分
のアイロンあてだけでもたいへんだった。迎えに行くまでに今ほどは受け
ていなかったが、日本語レッスンが入る日もあり、そうこうしているうち
にもう学校へ迎えに行く時間である。迎えの時間は厳守で遅いとしっかり
おこごとをもらう。

帰宅後は学校や土曜日の補習校の宿題、日本からの通信教育をみるため子供
と共にテーブルに座り、夕方にやっとそれから開放されるのだが、その頃は
夕食準備の時間になっている。夜は夜で、長年勤めた補習校の授業準備だ。
今のようにパソコンがさほど普及していなかった時代、授業の参考資料はだ
いたいが直筆である。あの案この案と作ってはつぶしたアイディアが山ほど
ある。

自分のために勉強できなかったわけをつらつらとあげつらったが文句のつも
りはない。自分のことはあまりできなかったが、それらの子育て時代をわた
しは本当に楽しみ子供を育てることを通して机に向かう勉強とは別の意味で
多くを学び自分を成長させることができたと今にして思う。その間自分が好
きな勉強ができなかったとて悔いてはいない。

経済面でもなかなかに大変ではあった。子供たちが通った学校は北部でも私
立大学を含む全ての教育機関でダントツの授業料だったからだ。それに土曜
日の補習校、通信教育費、数学、ポルトガル語の家庭教師、ピアノのお稽古
と、まぁ、まるで躊躇せず飛び立つ鳥のように教育費はでていったものだ。

それらが一段落した頃に夫がその年のびっしり予定がつまったポケットアジ
ェンダを眺めながらつくづく言ったものだ、「17年間朝から晩までほんと
によく働いたなぁ。自分でも感心するよ」

その後は大学教育費があったので経済的問題は一挙に解決したわけではない
が、少なくとも高額学園からは開放されて少しは楽になったと言える。

さて、子供たちのポルトガル語の家庭教師をお願いしたきたDias先生に無理
やり頼みこんでわたしが個人授業を受けるようになったのはさほど昔ではな
い。日常会話が分かるので先生の説明は理解できる、ちゃんと勉強しますの
で、とこれを売りにお願いした。

その「ちゃんと勉強します」がついこの間まで実行されていなかったのだが、
実を言うとこのところ初めてポルトガル語は面白いかもしれないと思い始め
たのである。30年も住んできて何を今更と言われるかもしれないが、わた
したちが何かに興味を持つには人それぞれきっかけがあると思う、わたしの
機会は遅まきながら今来たということだろう。
そんなわけでこのところポルトガル語のレッスンが楽しく、Dias先生とは話
がはずむことも多くなった。

ところで語学を学ぶには中級になるといい辞書が必要になる。ところがその
いい辞書なるものがポルトガル語ではなかなかないように思う。我が家にも
葡葡辞書が何冊かあるが、物足りない。Dias先生は職業柄何冊もの辞書を揃
えており、授業中にときどき一緒にひくことがあるが、そのなかの上下セッ
トの辞書にわたしはいたく惹かれ、あちこちの書店を探してみたが実は絶版
ものであった。探す最後の一手は、かつてわたしがブログでも紹介したこと
がある古本屋「モタさんの煙突」で探してみよう、である。

行こう行こうと思っていながら時間がとれずにおり、今週水曜日、いつもの
通りポルトガル語の勉強でDias先生のお宅を伺ったところ、
「この辞書は悪くないと思うがどうかな?」と一冊の辞書を紹介された。
「どう?類義語対義語、それにその語彙を使った例文もちゃんとある」

手にとって見るとその通りで、常日頃、わたしはポルトガルの製本がよくな
いのを嘆くのだが、その点もしっかりしている。
「いいですね。出版者とタイトルをメモさせてください」と言うと、
「これは君にあげよう」とおっしゃる。え!!

一応辞退すると、Dias先生のところには出版元から意見をお聞きしたいと
高校のポルトガル国語教科書や辞書などがしょちゅう送られてくるのだそう
だ。
「今回の辞書は悪くないと思うので、君にあげましょう。なに、わたしの
 懐がいたんでいるわけではないので気にすることはありません」 
先生のその言葉に甘えて喜んでいただいて来たのがまだ市販されていないこ
の辞書だ。

jisho

うっほー、とその日はホクホク気分で辞書を胸に抱えて帰宅したのであった。

夕食時に夫に話すと、「君、きっと何度も恥ずかしげもなく、その辞書は
いい、いい。けれども絶版で売っていないともの欲しそうに言っていたに
違いない。ぼくもあちこち書店を探させられたからね」

うっうぅ・・・・
い、いいのだ、これでもって、今からしっかりと勉強するのだ!

Dias先生、ありがとう!
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