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2019年9月29日 

大好きな映画の一本にイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」がある。
1940年代、シシリー島の小さな町の映画館「シネマ・パラダイス」が消滅するまでの物語だが、主人トトの少年期、青年期、初老期に渡った人生をせつなく物語っている。



劇場で上演されたのは実際には2時間以上の作品として製作されたのを上演時間が長いとして、一部がカットされ、約1時間半に縮小されたものだが、「完全版・ニュー・シネマ・パラダイス」がある。

アカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞した国際上演用の作品は、初老のトトのその後はいったいどうなったのか?そして彼の恋人だったエレナは?と、終わり方が気になった。まぁ、何もかもが辻褄が合うようにすきっとは終わらないのが人生であろう」と思われるようなエンディングだが、トトとエレナの30年後の再会が描かれた完全版は違った思いを抱かせる。

その完全版に関しては賛否両論あるようだが、人生はカラクリに満ちているが辻褄があうように出来ているような気がすると思っているわたしの感想は、現実に半世紀を経て再会した人がいるので「こういうことは人生にあるのだと、完全版には肯ける。

劇場版のトトのエンディングと比べて、完全版は、トトの不完全燃焼の青春がやっと思い出の箱に収められ、彼のこれからの老後が救われたのではないかとわたしには思われる。
「シネマ・パラダイス」の参照はこちら

「シネマ・パラダイス」はストーリーそのものもさることながら作品中のエンニオ・モリコーネの音楽が心に染みる名曲であることもあげておきたい。

いい映画はわたしたちに人生を教えてくれる。



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2019年9月13日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生の頃は今のようにテレビなどほとんどない時代です。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりしたのですが)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。


そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等があります。

どれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に覚えているからです。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるように思います。根が単純なせいか、本も映画も読んだり観たりしている途中から観客としての立場を忘れ、思わず引き
込まれてのめり込んでいることが度々あります。

映画の危険な場面など、「あ、危ない!後ろに人がいるよ!」と、今でも声に出したりしてるのです^^;

映画は観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活にちょっとした起爆剤を与えるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ人間は、それを駆使して模擬体験とします。更に賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。
論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むことでしょう。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、うかつにもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したことw、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想w

これらは勿論、まったくそうなわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に私自身は出会って来ました。要は日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。

日本人であるわたし自身も、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからね」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、「異国に住んでいる」から、ではなくて、「単一の文化を離れて体得して辿り着いた考え方をするの人」って捉えて欲しいな、と思います。

国柄は人柄に似てるでしょうか。ま、国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、色んなことをその「個性」と見るか否かで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

物事を捉えられる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるのではないでしょうか。

読書も映画も、そして海外のことも、「想像力を駆してその身をそこに置いてみる」のは、ああだこうだと批判する以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

映画、加藤大介主演「南の国に雪が降る」を見て、涙腺破裂、ここ数日こんなことを考えたのでした。

minaminoshima.jpg

ではみなさま、また。

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2018年9月9日 

本日は自分のメモとして書きますが、お付き合い願えたら嬉しいです。

ポルトの街が「Cidade Invicta」なる別名を持っているのを知っているだろうか。CidadeはCity, Invictaは「敗れざる、征服せざる」の意味だから、「征服せざる街」となる。

この呼び名は、8月に拙ブログで取り上げたポルトガルの歴史、19世紀初期の3回に渡るナポレオン軍侵入戦争の第二回目、ポルトを襲ったナポレオン軍を撃退した出来事と、この後の自由主義派と王政派が激突したポルトガル内戦で、リベラリスト派が多かったポルトがブラジルから北部に漕ぎついたドン・ペドロを中心にして、王政派を破ったということに因みます。

Tripeiro(トリペイロ=臓物を食す人)という名もポルトの人は冠しますが、これもやはり歴史の出来事からきます円は後記にて「Cidade Invicta」「Tropeiroはポルトの人たちの愛国心の表れでもあります。下記のようにポルト市の紋章にも「Invicta Cidade do Porto」と書かれています。

brasao_porto1.png
Wikiより

さて、Invictusはラテン語ですが、この単語を目にしたのは、南アフリカを舞台にしたクリント・イーストウッドが製作に携わった映画「Invictus」ででした。南アのアパルトヘイト政策が撤去され、27年もの獄中生活から解放されたネルソン・マンデラが南ア史上初の全人種参加選挙で最初の黒人大統領に選出されたころの、南アとニュージーランドのラグビー決勝戦までのストーリーです。

映画ではマンデラをモーガン・フリーマンが、ラグビーチームのキャプテンをマット・デイモンが演じていました。


獄中での結核や呼吸器官疾患の病を抱えながら石灰石採掘場での27年間の重労働を強いられたマンデラを支えたのは一編の詩でした。
「I am the master of my fate, I am the captain of my soul」

この最後の一節にひどく惹かれ、検索してみると、これは1875年に出されたイギリスの詩人William Ernest Henleyの詩「Invictus」ということでした。

テキストは下記の如し。

「Invictus」
Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate.
I am the captain of my soul.

最後の節は、
いかに門がせまかろうと、いかなる罰に苦しめられようと、
我が運命の支配者はわたしであり、我が魂の指揮官はわたしである

マンデラはこの言葉に胸に刻み、獄中生活を絶え抜いたのです。苦境にあって、素晴らしい言葉に出会えるのは人間を希望へつなぐ一筋の光になります。

希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない  

スティーブン・キングの本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショーシャンクの空の下)の中に見出される一文から。

では、また。

★「臓物を食す人」はこちらで→「ポルトびと、その名はTripeiro
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2018年2月13日 

「三丁目の夕日」はもう何年前になるでしょうか。ブログ友ちゅうさんと話が盛り上がったことがあり、ネットでそのオフィシャルサイトを何度ものぞきながら、観たいなぁと思ってきた映画のひとつです。涙腺が弱いわたしは、ホームページのノスタルジックな音楽を聴いただけで、胸がいっぱいになりました。カーニバル休みを利用して今日もう一度観て見ました。

三丁目の夕日
画像はWikipediaから。

原作は1955年から1964年までの東京近郊にある「夕日町三丁目」を描いた漫画とのこと。わたしの8歳から17歳までの昭和が背景で、東京タワーが、まだできるかできないかの時代です。

この映画の町並み、アスファルトではない土の道、オート三輪車、キューピー、フラフープ、タバコ屋の「新生」にいたっては、名前を耳にしてあっ!です。久しく忘れていたいたことでしたが、亡くなったわが母が愛したタバコの商標だったのを思い出しました。

青森から列車で上野に着く集団就職の「六子」ちゃん。中学時代のわが友にもこうして集団就職列車で石川県に行った人がいます。なんだか切ないのです。

映画の中心のひとつとなる「鈴木オート」には、母の9人兄弟の中でも一番出世したといわれる弘前の我が叔父の「マツダオート」と姿を重ねてしまいました。モダン生活の三種の神器(じんぎ)と言われた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が少しずつ、一般家庭に浸透していったのもこの時代です。
わたしも初めてのテレビは、この映画の中にあるように、ご近所へ観に行かせてもらったものです。

子ども時代から10代の終わり頃まで自分が生きたのがこんな時代だったとの思いで見るものですから、たまらなく懐かしく、ちょっと感傷的になりました。

わたしが我が子達へのメッセージとして書き留めているエッセイ「昭和時代の思い出:思い出のアルバム」があります。この映画が1955年から1964年までとうたってありますが、丁度その1964年の夏に、わたしは今回の映画を見た懐かしい思いとは別の、挫折したような心地で東京の夕日を眺めたことがあります。

後のわたしの歩く道を決めることになった出来事ですが、この夏の落胆はのしかかる岩のように大きかったです。翌年からのわたしは、これまでの多くの人とのつながりを断ち切ったようなところがあります。

今にして見ればそこまでしなくてもよかったと思われるのですが、若さゆえ、そうすることで新しい道を自ら切り開くのだとの思いがあったような気がします。

A君という中学時代からのペンフレンドが東京にいました。1964年、高校生活最後の夏、東京の新聞専売店の配達体験中の休みの日を見て、手紙にある住所を頼りに、なんの前触れもなしにわたしはそのペンフレンドを訪ねたことを覚えています。いいのか悪いのか、思い立ったらぱっと行動に移す、落ち着きのない、そんなことを繰り返す10代の頃でした。

Aさんとその時どんな話をしたのか、その後どうなったのか、何年も文通していながら、いい加減なことにわたしはよく覚えていないのです。1964年の夏前後の記憶を、1964年の江東区の夕日がさらって行ってしまったのか。

「おいおい!優さん、それはないぜ、ったくもう」とAさんの声が頭のてっぺんに落ちてきそうです。はい。
落ちてきそうだというのはちょいと現実味があるでしょう?実はそのAさんとは偶然が偶然を呼ぶ形で、ほぼ半世紀ぶりに、再会し、文通もメールの形で再開したのですが、もちろん、ひっそりと色っぽく文を交わしてるわけじゃ、ございません。

だいたいが物事をうまく隠したり、嘘をついたりができない性分です、「半世紀ぶりで昔のペンフレンドが見つかった!会ってくるよ!」と夫、モイケル娘、(息子は母のこういうことにはあまり興味がなさそうでw)に宣言し、所沢に住む我が妹にまで、

「ねね。覚えてる?ペンフレンドのA君。今度会うんだべさ~」なんて派手に騒いだわけで。
「おまえさん、そろそろ少しは大人になったであろうか、人生は捨てたもんではないよ。」と、1964年に眺めた江東区の夕日が、あの頃をもう一度、今度は別な方面からちらっと見せんがために、姿を現したような、そんな思いにさせてくれた「Always三丁目の夕日」、いい映画でした。

「一期一会」(いちごいちえ)は茶道の精神性から来ることばですが、その説いているところは理解するとしても、「この人とは再び会うことはないだろう」と、常に一生一度、誠心誠意で接していると疲れてしまうわたしなどは、いいように勝手解釈しています。

わたしたちのただ一度の人生、一度は途絶えてもいつかどこかで再び遭遇し得る、点と点をつなぐ出会いもまた、一本の線となる。「一期とはひとつの人生、一会とはその人生で一本の線となる出会い」と
言えるかもしれないと。

ネット経由でわたしを見つけてくれたAさん、そしてブログ友や昔からの知り合いのみなさんは我が人生の「一期一会」です。ええ加減なところのあるspacesisではありますが、どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

って、なんだい、こりゃ(笑) センチメンタルジャーニーじゃあるまいし、三丁目の夕日がこんな風になっっちゃいました^^;

さて、実は一昨年、急にこのブログにアクセス、更新ができない状態が一ヶ月以上続き、慌てたことがあります。そこで、このブログのミラーサイトとして、「ポルトガルの空の下で」と題して、過去ログをランダムにピックアップし手を入れて書き直しています。興味のある方は足を伸ばしていただけると嬉しいです。

ポルトガルの空の下で

また、Always三丁目の夕日はこちらで見られます。→ https://vimeo.com/30893348

では、本日はこれにて。
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2018年 2月11日

日本では今日は建国記念日、亡くなった我が母は「紀元節」とよく呼んでいました。日本書紀に於いて日本の初代天皇とされる神武天皇が紀元前660年(神武元年)に即位した日で、明治時代に定められた祝日だそうです。ですから今年は、西暦2018に660を加えて、皇紀2678年ということになります。

ポルトガルはと言うと、今年はカーニバルとバレンタインデーが来週重なります。時節柄、おおむね、ポルトガルのカーニバルには雨が多いのです。と、書いている今日も、また雨です^^;

季節が夏の地球の裏リオの大々的なカーニバルには足許にも及ばないが、ポルトガルでもカーニバルのパレードはあります。わたしは観たことがないのですが、特にポルトから40キロほど離れた町、Ovar(オヴァール)のパレードはよく知られています。

今年の来週火曜日はポルトガルも休日になり、今週末から火曜日まで4日間休みです。

カーニバルはポルトガル語ではCarneval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の Carne Vale(肉よ、さらば)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

元来は春の訪れを祝う祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後、それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日(翌日の水曜日はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国で、このような、言って見れば、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

ポルトガルでは、幼稚園児、小学生が、カーニバルの時期には、みな思い思いの衣装を身につけて登校し、学校によってはパレードをしたり、校内でパーティーを催したりします。我が子たちが通っBiritish Schoolでも行事として毎年学校内でパーティーが行われていました。

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。愛犬ポピーもこの頃はいっしょに。

Carnaval1-1.jpg

豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

さて、本題の「黒いオルフェ(Orfeu Negro)」ですが、これは、1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画のタイトルです。カーニバルの季節が来ると、賑やかさとは対象に、わたしはこの映画を思い起こします。映画「黒いオルフェ」は、ギリシャ神話を原作に、リオのカーニバルの日の若い黒人の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のオルフェウスはアポロの息子、トラキアの詩人で音楽家、竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまう。オルフェウスの望みは永遠に絶たれてしまうのでした。


映画はこれとは内容が違います。

orfeu-negro.jpg
Wikiより「黒いオルフェ」

―リオも街、急な坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれるのです。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車にのり、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに心を惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラは嫉妬の炎を燃やすのです。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておrフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押しますが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまうのです。 

ミラは嫉妬のあまり正気を失い怒り狂い、彼女と巫女たちはユーリオディスの死体を抱きかかえたオルフェに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねて死にます。
白々と呪われた悲劇の夜が開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っているのです。

(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しいのです。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃ですw 

もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻むことになります。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます → https://www.youtube.com/watch?v=Go4hNtzRx-M

物語は、古いしきたりのわら人形を焼き払うシーンとも重なり、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんな訳で、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

「黒いオルフェ」の詳しいストーリーに興味のある方は、こちらのサイトで読むことができます↓
http://cinema.werde.com/new/orfeunegro.html#TOP 

また、原語、ブラジルポルトガル語に挑戦したいかたはこちらで↓
https://www.youtube.com/watch?v=y5yo7IyLfwY


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