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2018年9月9日 

本日は自分のメモとして書きますが、お付き合い願えたら嬉しいです。

ポルトの街が「Cidade Invicta」なる別名を持っているのを知っているだろうか。CidadeはCity, Invictaは「敗れざる、征服せざる」の意味だから、「征服せざる街」となる。

この呼び名は、8月に拙ブログで取り上げたポルトガルの歴史、19世紀初期の3回に渡るナポレオン軍侵入戦争の第二回目、ポルトを襲ったナポレオン軍を撃退した出来事と、この後の自由主義派と王政派が激突したポルトガル内戦で、リベラリスト派が多かったポルトがブラジルから北部に漕ぎついたドン・ペドロを中心にして、王政派を破ったということに因みます。

Tripeiro(トリペイロ=臓物を食す人)という名もポルトの人は冠しますが、これもやはり歴史の出来事からきます円は後記にて「Cidade Invicta」「Tropeiroはポルトの人たちの愛国心の表れでもあります。下記のようにポルト市の紋章にも「Invicta Cidade do Porto」と書かれています。

brasao_porto1.png
Wikiより

さて、Invictusはラテン語ですが、この単語を目にしたのは、南アフリカを舞台にしたクリント・イーストウッドが製作に携わった映画「Invictus」ででした。南アのアパルトヘイト政策が撤去され、27年もの獄中生活から解放されたネルソン・マンデラが南ア史上初の全人種参加選挙で最初の黒人大統領に選出されたころの、南アとニュージーランドのラグビー決勝戦までのストーリーです。

映画ではマンデラをモーガン・フリーマンが、ラグビーチームのキャプテンをマット・デイモンが演じていました。


獄中での結核や呼吸器官疾患の病を抱えながら石灰石採掘場での27年間の重労働を強いられたマンデラを支えたのは一編の詩でした。
「I am the master of my fate, I am the captain of my soul」

この最後の一節にひどく惹かれ、検索してみると、これは1875年に出されたイギリスの詩人William Ernest Henleyの詩「Invictus」ということでした。

テキストは下記の如し。

「Invictus」
Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate.
I am the captain of my soul.

最後の節は、
いかに門がせまかろうと、いかなる罰に苦しめられようと、
我が運命の支配者はわたしであり、我が魂の指揮官はわたしである

マンデラはこの言葉に胸に刻み、獄中生活を絶え抜いたのです。苦境にあって、素晴らしい言葉に出会えるのは人間を希望へつなぐ一筋の光になります。

希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない  

スティーブン・キングの本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショーシャンクの空の下)の中に見出される一文から。

では、また。

★「臓物を食す人」はこちらで→「ポルトびと、その名はTripeiro
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2018年2月13日 

「三丁目の夕日」はもう何年前になるでしょうか。ブログ友ちゅうさんと話が盛り上がったことがあり、ネットでそのオフィシャルサイトを何度ものぞきながら、観たいなぁと思ってきた映画のひとつです。涙腺が弱いわたしは、ホームページのノスタルジックな音楽を聴いただけで、胸がいっぱいになりました。カーニバル休みを利用して今日もう一度観て見ました。

三丁目の夕日
画像はWikipediaから。

原作は1955年から1964年までの東京近郊にある「夕日町三丁目」を描いた漫画とのこと。わたしの8歳から17歳までの昭和が背景で、東京タワーが、まだできるかできないかの時代です。

この映画の町並み、アスファルトではない土の道、オート三輪車、キューピー、フラフープ、タバコ屋の「新生」にいたっては、名前を耳にしてあっ!です。久しく忘れていたいたことでしたが、亡くなったわが母が愛したタバコの商標だったのを思い出しました。

青森から列車で上野に着く集団就職の「六子」ちゃん。中学時代のわが友にもこうして集団就職列車で石川県に行った人がいます。なんだか切ないのです。

映画の中心のひとつとなる「鈴木オート」には、母の9人兄弟の中でも一番出世したといわれる弘前の我が叔父の「マツダオート」と姿を重ねてしまいました。モダン生活の三種の神器(じんぎ)と言われた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が少しずつ、一般家庭に浸透していったのもこの時代です。
わたしも初めてのテレビは、この映画の中にあるように、ご近所へ観に行かせてもらったものです。

子ども時代から10代の終わり頃まで自分が生きたのがこんな時代だったとの思いで見るものですから、たまらなく懐かしく、ちょっと感傷的になりました。

わたしが我が子達へのメッセージとして書き留めているエッセイ「昭和時代の思い出:思い出のアルバム」があります。この映画が1955年から1964年までとうたってありますが、丁度その1964年の夏に、わたしは今回の映画を見た懐かしい思いとは別の、挫折したような心地で東京の夕日を眺めたことがあります。

後のわたしの歩く道を決めることになった出来事ですが、この夏の落胆はのしかかる岩のように大きかったです。翌年からのわたしは、これまでの多くの人とのつながりを断ち切ったようなところがあります。

今にして見ればそこまでしなくてもよかったと思われるのですが、若さゆえ、そうすることで新しい道を自ら切り開くのだとの思いがあったような気がします。

A君という中学時代からのペンフレンドが東京にいました。1964年、高校生活最後の夏、東京の新聞専売店の配達体験中の休みの日を見て、手紙にある住所を頼りに、なんの前触れもなしにわたしはそのペンフレンドを訪ねたことを覚えています。いいのか悪いのか、思い立ったらぱっと行動に移す、落ち着きのない、そんなことを繰り返す10代の頃でした。

Aさんとその時どんな話をしたのか、その後どうなったのか、何年も文通していながら、いい加減なことにわたしはよく覚えていないのです。1964年の夏前後の記憶を、1964年の江東区の夕日がさらって行ってしまったのか。

「おいおい!優さん、それはないぜ、ったくもう」とAさんの声が頭のてっぺんに落ちてきそうです。はい。
落ちてきそうだというのはちょいと現実味があるでしょう?実はそのAさんとは偶然が偶然を呼ぶ形で、ほぼ半世紀ぶりに、再会し、文通もメールの形で再開したのですが、もちろん、ひっそりと色っぽく文を交わしてるわけじゃ、ございません。

だいたいが物事をうまく隠したり、嘘をついたりができない性分です、「半世紀ぶりで昔のペンフレンドが見つかった!会ってくるよ!」と夫、モイケル娘、(息子は母のこういうことにはあまり興味がなさそうでw)に宣言し、所沢に住む我が妹にまで、

「ねね。覚えてる?ペンフレンドのA君。今度会うんだべさ~」なんて派手に騒いだわけで。
「おまえさん、そろそろ少しは大人になったであろうか、人生は捨てたもんではないよ。」と、1964年に眺めた江東区の夕日が、あの頃をもう一度、今度は別な方面からちらっと見せんがために、姿を現したような、そんな思いにさせてくれた「Always三丁目の夕日」、いい映画でした。

「一期一会」(いちごいちえ)は茶道の精神性から来ることばですが、その説いているところは理解するとしても、「この人とは再び会うことはないだろう」と、常に一生一度、誠心誠意で接していると疲れてしまうわたしなどは、いいように勝手解釈しています。

わたしたちのただ一度の人生、一度は途絶えてもいつかどこかで再び遭遇し得る、点と点をつなぐ出会いもまた、一本の線となる。「一期とはひとつの人生、一会とはその人生で一本の線となる出会い」と
言えるかもしれないと。

ネット経由でわたしを見つけてくれたAさん、そしてブログ友や昔からの知り合いのみなさんは我が人生の「一期一会」です。ええ加減なところのあるspacesisではありますが、どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

って、なんだい、こりゃ(笑) センチメンタルジャーニーじゃあるまいし、三丁目の夕日がこんな風になっっちゃいました^^;

さて、実は一昨年、急にこのブログにアクセス、更新ができない状態が一ヶ月以上続き、慌てたことがあります。そこで、このブログのミラーサイトとして、「ポルトガルの空の下で」と題して、過去ログをランダムにピックアップし手を入れて書き直しています。興味のある方は足を伸ばしていただけると嬉しいです。

ポルトガルの空の下で

また、Always三丁目の夕日はこちらで見られます。→ https://vimeo.com/30893348

では、本日はこれにて。
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2018年 2月11日

日本では今日は建国記念日、亡くなった我が母は「紀元節」とよく呼んでいました。日本書紀に於いて日本の初代天皇とされる神武天皇が紀元前660年(神武元年)に即位した日で、明治時代に定められた祝日だそうです。ですから今年は、西暦2018に660を加えて、皇紀2678年ということになります。

ポルトガルはと言うと、今年はカーニバルとバレンタインデーが来週重なります。時節柄、おおむね、ポルトガルのカーニバルには雨が多いのです。と、書いている今日も、また雨です^^;

季節が夏の地球の裏リオの大々的なカーニバルには足許にも及ばないが、ポルトガルでもカーニバルのパレードはあります。わたしは観たことがないのですが、特にポルトから40キロほど離れた町、Ovar(オヴァール)のパレードはよく知られています。

今年の来週火曜日はポルトガルも休日になり、今週末から火曜日まで4日間休みです。

カーニバルはポルトガル語ではCarneval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の Carne Vale(肉よ、さらば)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

元来は春の訪れを祝う祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後、それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日(翌日の水曜日はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国で、このような、言って見れば、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

ポルトガルでは、幼稚園児、小学生が、カーニバルの時期には、みな思い思いの衣装を身につけて登校し、学校によってはパレードをしたり、校内でパーティーを催したりします。我が子たちが通っBiritish Schoolでも行事として毎年学校内でパーティーが行われていました。

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。愛犬ポピーもこの頃はいっしょに。

Carnaval1-1.jpg

豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

さて、本題の「黒いオルフェ(Orfeu Negro)」ですが、これは、1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画のタイトルです。カーニバルの季節が来ると、賑やかさとは対象に、わたしはこの映画を思い起こします。映画「黒いオルフェ」は、ギリシャ神話を原作に、リオのカーニバルの日の若い黒人の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のオルフェウスはアポロの息子、トラキアの詩人で音楽家、竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまう。オルフェウスの望みは永遠に絶たれてしまうのでした。


映画はこれとは内容が違います。

orfeu-negro.jpg
Wikiより「黒いオルフェ」

―リオも街、急な坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれるのです。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車にのり、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに心を惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラは嫉妬の炎を燃やすのです。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておrフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押しますが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまうのです。 

ミラは嫉妬のあまり正気を失い怒り狂い、彼女と巫女たちはユーリオディスの死体を抱きかかえたオルフェに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねて死にます。
白々と呪われた悲劇の夜が開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っているのです。

(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しいのです。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃ですw 

もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻むことになります。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます → https://www.youtube.com/watch?v=Go4hNtzRx-M

物語は、古いしきたりのわら人形を焼き払うシーンとも重なり、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんな訳で、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

「黒いオルフェ」の詳しいストーリーに興味のある方は、こちらのサイトで読むことができます↓
http://cinema.werde.com/new/orfeunegro.html#TOP 

また、原語、ブラジルポルトガル語に挑戦したいかたはこちらで↓
https://www.youtube.com/watch?v=y5yo7IyLfwY


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2015年11月26日 

土曜日の補習校時代からの付き合いで何となく気が合い、わたしが補習校を退いた後も、2ヶ月に一度くらいの割で、食事会を持つ4人の仲間がいます。

うち、わたしが一番の年長者でしかもポルト最長在住者なのですが、中に黒一点のI氏がいる。I氏とは補習校時代から学校や授業に関する意見交換をよくしたし、今でもお互いが本好きなもので、持つ本を貸し合っています。その彼は、時折、「この映画、ドラマ、面白いよ」と言って、メールで仲間にサイトを流してくれます。

映画「ビリギャル」もそのひとつで、つい先だって回って来ました。 「なんだ?ビリギャルって?」と、思いましたら、学年で成績がビリッケツのギャル、女子高校生のことなのだそうです。

既にネットでは知られており、わたしも噂を耳にしていたのですが、敢えて検索をしなかったのでした。
まじめな映画も好きですが、こうした若い人に人気があるものも結構面白くて、見ます。「電車男」「花より男子」「ノダメカンタービレ」など等、見ながら腹を抱えて笑ったりしてるのです。

さて、せっかくI氏が教えてくれたのだし、どれどれ、と「ビリギャル」を見てみたら、あらま、これが見ていくうちに、自分の体験と重なる部分が結構あり、少しマンガチックなところも大して気にならず。ついつい最後まで見てしまいました。

素行不良のギャルで、高校2年生で小学4年生程度の学力しかなかった少女・さやかが、塾講師坪田の指導を受け、学力偏差値を上げて、ついには慶應義塾大学に現役合格するまで(ここまではWwikikから)を描いた実話だそうです。

映画を観ていくうちに、中学時代の自分や、ポルトガルの高校の成績を挙げなければならないと同時に、日本の大学を目指して独り黙々と勉強していた11年前の我がモイケル娘の姿とも重なり、なんだかじ~んときたのでした。元々は原作がある「ビリギャル」、もちろん多少の粉飾はあるでしょうが、これが実話だと言うのが、自分の体験から素直に信じられます。



拙ブログでもエッセイ「思い出のアルバム」で下記にて綴っていますが、中学3年生の時、田舎の弘前から西宮中学校に転入して、
あまりの自分の勉強のダメさ加減にショックを受け、生まれて初めて机に向かうことをし始めたあの頃なのでした。
下記にエピソード。
 
我が清秋の急行日本海1」
我が清秋の急行日本海2


モイケル娘との受験体験は「ズッコケ親子の受験戦記:めざせ夢、日本の大学」で綴っていますが、入るまでも地獄、入っても地獄の経済状態ではありました^^;

帰国子女なら、英語が話せるから大概どこの大学でも受け売れてもらえると考えるのは甘いのであります。話せるだけではダメで、きちんとしたエッセイが書けるくらいまで求められ、その上、小論文が書ける日本語の能力も必要です。週に一回、のほほんと補習校に行くくらいではとても間に合いません。

運の良し悪しもあるでしょうが、我が子ながら、よくがんばったなと今にしてつくづく思い出したりします。
しかし、その早稲田も2年で勝手退学し、地方の大学へ転入した時は、さすがわたしも、「おいおい、どこへ行くにゃ~?」と悲鳴でござんした^^;

そして、3年の社会人を経て、再びと、今度は立教の院入試です。見ず知らずの日本近世文学分野、しかも「狂歌」なんぞに^^; 無事入ったはいいけれど、修論の取り組みは、恐ろしいことであったでしょう。これを無鉄砲と言わずして何と言う。我が血であります^^;

その後のモイケル娘はって?はい、春から小さなこんにゃく会社、いや、翻訳会社で、日々奮闘しているようであります。わたしが彼女の今の年齢だった頃は、渡米を夢見て、オフィス(月々のカツカツの生活費w)とビアハウス歌姫のバイトで(これは全て渡米資金に!)、ひたすら蓄えていたものでした。

夢に向かうって、つまづきもあるけれど、わたしたちに素晴らしい飛躍を与えてくれると思います。
「ビリギャル」を見ながら、娘の姿、自分の姿が重なって見え、大変だったけれど、楽しかったな、とあの頃に思いを馳せ、久しぶりに、なんだか勇気がわいてくるような、モチベーションが上がる映画に出会いました。

単純だな、わたしって(笑)
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2012年4月1日 


今日はエイプリルフール。取り立てて嘘をついてみようなどと考えもしませ
んが、ふと思いました。「毎日がエイプリルフールやん、民主党」。
ほんま、いい加減にしてよ。

さて、今日の本題に入ります。

レフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んだのは高校時代で、深い感
銘を受けた一冊です。

道ならぬ恋に落ちたアンナは、年上の夫の許しよりも恋人を選ぶ。愛する子
供に会うこともかなわず、不義の恋ゆえ貴族社交界からは締め出される。
次第に嫉妬から恋人ブロンスキーへの不信が強まり、最後には恋人にも自分
にも悲観して線路に身を投じ短い一生を終える。

現代と違い不義に対する社会制約が厳しかった時代です。賢く振舞えず、一
途に情熱に流されて身を破滅させるアンナが憐れに思えたものです。
「アンナ・カレーニナ」はトルストイが当時のモラル、宗教、哲学の全てを
注ぎ込んで完成させた名作だと言われます。

さて、その文豪トルストイ没100年を記念して彼の晩年と妻ソフィーとの
確執と愛を描いたのが「The Last Station(終着駅・トルストイ最後の旅)」
(2010年)。トルストイを演じるのは、「サウンド・オブ・ミュージ
ック」でトラップ大佐を演じたクリストファー・プラマー、妻ソフィーは
わたしが好きな英国女優ヘレン・ミレンです。

彼女は映画「クイーン」でアカデミー賞をとりましたが、わたしはイギリス
の犯罪ドラマシリーズ「第一容疑者」のジェーン・テニスン以来ファンにな
りました。男社会の組織内での対立や矛盾、孤独、最後には自分が陥るアル
コール中毒と闘いながら現社会の難事件を解決して行く女警部ジェーン・テ
ニスン。悩める大人のキャリア女性をヘレン・ミレンは素晴らしい演技で見
せていました。下記のサイトでは予告編が観られます。

http://bd-dvd.sonypictures.jp/saigo-tabi/

ヘレン・ミレンが演じたソフィーが、ソクラテスの妻、モーツアルトの妻に次
ぐ世界三悪妻の一人だ言われるのを映画で初めて知りました。悪妻の定義が
どんなものか、わたしにはよく分かりませんが、男にとって扱いにくい妻っ
てことでしょうか・・・しからばわたしもその端っこあたりに入るかもなぁ、
とそんなことを思いながら書いています^^;

著名すぎるトルストイ、その著作権、遺産をロシア国民に委譲させようと
するトルストイの高弟チェルトコフや娘アレキサンドラとそれに断固反対
する妻ソフィーとの折り合いが悪かったことも、世に彼女を悪妻と言わし
めるようになったのではないか。

世界的に名声を得たトルストイは後にそれまでとは違ったトルストイ主義
と呼ばれる思想に転向し、晩年は求道者としての道を探ろうとします。夫
の筆跡を清書するなどしてその作家活動を支えてきたソフィーからすると、
トルストイの精神の変化についていけなかったのも諍いの原因だったのか
も知れません。

13人もの子供を産み長年ともに生きてきた妻ソフィーを、長女のアレキ
サンドラを始めとする家族、チェルトコフたちが瀕死の床にある駅の一室
に通すまいとする姿勢には、トルストイの家族関係に異質なものを感じて
しまいます。

終着駅とは、トルストイが自分の領地を捨てて家出し、彼が病に倒れ命を
落としたアスタポヴォ駅(現レイ・トルストイ駅)のことです。

82歳にして残された人生最後の時間を一人静かにと安らぎを求めて、家族、
領地を捨てて家出したトルストイですが、うがった見方をすれば、著作権や
遺産を国民に委譲することで自分の死後、遺される妻や大家族はどうなるの
か、遺言に署名するときにトルストイはやはり迷ったであろうか。人生最後
の時間を一人静かにというので、全てを捨てて旅に出るわけですが、文豪ト
ルストイであったからこそそれは周囲に許されたのでしょう。

この映画を見て、青春時代に感銘したトルストイの作品をもう一度、夏休み
にでも読んでみようかと思っています。トルストイについて何も知らずに
読んだ青春時代と、今回の映画を見て知ったことを交差させて読む現在とで
は、読後感が違って出るかも知れません。

もう一作、いいと思った映画作品を。

「Temple Grandin」。
これはテレビの映画チャンネルをひねって偶然に観た映画です。

誰ですか?テンプル騎士団の追っかけをわたしがしているからとてそれの類
だと思っている人は(笑)
Temple Grandinとは自閉症を抱えていながら社会的に名を上げ
たアメリカの実在する女性の名前です。ちょっと面白い名前ですね。

自閉症がまだ社会で認識されていない時代に生まれ彼女は2歳で特別施設
に預けられ1950年代に自閉症と診断されました。よき理解者である母親
とよい指導者に恵まれ後にフェニクスのアリゾナ州立大学に学び、更にイリ
ノイ州の大学で動物学博士を取得します。

家畜施設での虐待的な扱いを目の当たりにして、自閉症、差別と闘いながら、
わたしたちの食卓にあがるために飼育される家畜をできるだけ恐怖から開放
し苦痛を和らげようと、自分が考案設計した施設を持ち込んで家畜業者たち
の説得に取り組みます。

彼女半生を描いたこの映画はエイミー賞テレビ映画部門でたくさんの賞を
獲得しています。

Dr.Temple Grandinは現在も自閉症啓蒙活動と家畜の権利保護運動を展開し
ているコロラド州立大学准教授です。
下記Youtubeからの引用です。




本は勿論、わたしは映画を通しても学ばされることがたくさんあります。
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