2008年8月30日
やっと一週間ほどの休息に入りました。
今日は久しぶりにモイケル娘の部屋の本の整理。

そうなんです、マンガの整理であります(笑)
これらの本はモイケルが4年前に日本へ行った時点で、一度は
んは箱にしまい込んでいたのですが、補習校の子供たちに読ん
でもらうために、一度箱からひっぱりだし、彼女たちが回し読みを
終え、再び箱に。
で、先学期、そろそろ読んでもいいお年頃のもう一人に、「貸して
ください。」と申し込まれ、またぞろ引っ張り出して貸し出し、返却
されて来たのでした。
言ってみれば我が家は「貸し古マンガ屋さん」(笑)
これらはほとんど全部、帰国する度に所沢の「ブックオフ」と言う
古本屋で一冊100円、200円のものを、モイケル娘が中学生の
時から買い集めて持って来たものです。
もちろん、内容チェックがてら、仕方ない、わたしも一緒に一通り
読みました(笑)
モイケル娘の日本語の話言葉の学習に大いに役立ったツールの
ひとつです。
わたしは小学生にはすすめませんが、思春期の中学生時代には、
こういうマンガに憧れる気持ちが分かり、我が娘にも大いに読ま
せました。もちろん、何でもというのではなく、上で言いましたように
内容をとりあえず確認しましたがw
やっと一週間ほどの休息に入りました。
今日は久しぶりにモイケル娘の部屋の本の整理。

そうなんです、マンガの整理であります(笑)
これらの本はモイケルが4年前に日本へ行った時点で、一度は
んは箱にしまい込んでいたのですが、補習校の子供たちに読ん
でもらうために、一度箱からひっぱりだし、彼女たちが回し読みを
終え、再び箱に。
で、先学期、そろそろ読んでもいいお年頃のもう一人に、「貸して
ください。」と申し込まれ、またぞろ引っ張り出して貸し出し、返却
されて来たのでした。
言ってみれば我が家は「貸し古マンガ屋さん」(笑)
これらはほとんど全部、帰国する度に所沢の「ブックオフ」と言う
古本屋で一冊100円、200円のものを、モイケル娘が中学生の
時から買い集めて持って来たものです。
もちろん、内容チェックがてら、仕方ない、わたしも一緒に一通り
読みました(笑)
モイケル娘の日本語の話言葉の学習に大いに役立ったツールの
ひとつです。
わたしは小学生にはすすめませんが、思春期の中学生時代には、
こういうマンガに憧れる気持ちが分かり、我が娘にも大いに読ま
せました。もちろん、何でもというのではなく、上で言いましたように
内容をとりあえず確認しましたがw
2008年2月16日

★たそが〜れに我が家の灯 窓にうつりし時
我が子かえる日祈る 老いし母の姿(←まだだ。笑)
谷間に灯ともしころ いつも夢に見るは
あの灯あの窓恋し ふるさとの我が家♪「谷間の灯より」
週に二度通ってくれているお掃除のおばさんが、手術入院のため
休みをとってかれこれ3週間になります。
外での仕事、内での仕事をこなしながら、spacesis、なんとかこな
しておりまする。
さて、久しぶりに帰国子女話です。
土曜日の今日は職場が1時で終わり、毎土曜日には夫といつも
行くレストランで昼食をし、普段ですとその後、寝床直行のところ、
珍しく余力があったので、よっし!と娘の部屋の掃除です。
いえね、後2週間ちっとで、我がモイケル娘っ子、大学の春休みを
利用して1年半振りに帰って来るのであります^^
親から言い渡された「最初の2年間の帰国はならぬ」はかなりこた
えたようでしたが、気がつけばポルトガルを離れてはや3年半です。
彼女のポルトガルの見方がどんな風に変化しているかを知るのが
楽しみです。

★たそが〜れに我が家の灯 窓にうつりし時
我が子かえる日祈る 老いし母の姿(←まだだ。笑)
谷間に灯ともしころ いつも夢に見るは
あの灯あの窓恋し ふるさとの我が家♪「谷間の灯より」
週に二度通ってくれているお掃除のおばさんが、手術入院のため
休みをとってかれこれ3週間になります。
外での仕事、内での仕事をこなしながら、spacesis、なんとかこな
しておりまする。
さて、久しぶりに帰国子女話です。
土曜日の今日は職場が1時で終わり、毎土曜日には夫といつも
行くレストランで昼食をし、普段ですとその後、寝床直行のところ、
珍しく余力があったので、よっし!と娘の部屋の掃除です。
いえね、後2週間ちっとで、我がモイケル娘っ子、大学の春休みを
利用して1年半振りに帰って来るのであります^^
親から言い渡された「最初の2年間の帰国はならぬ」はかなりこた
えたようでしたが、気がつけばポルトガルを離れてはや3年半です。
彼女のポルトガルの見方がどんな風に変化しているかを知るのが
楽しみです。
2007年12月3日
先ごろ、ネ友(ネット友達)のかんちがいさんやちゅうさんたちと、こん
なんなった、あんなんなったと、自分で設定して受け取ることができる
「ジェネレーション・ラブレター」(←記事はこちら)なるもので年甲斐
もなくキャッキャ喜んで騒いでいたのだが、我らの他に、奇特にもやっ
てみた方、いらっしゃるでしょうか(笑)
その折に、高校時代にはたくさんのそれをもらったことがある、と
厚かましく書いたわたしでですが、そんな青春時代のことに思いを馳せ
ながら、ラブレターと言うとすぐさま浮かんでくる印象的な一通がある
のを思い出しておりました。今日はそれを書いてみようと思います。
再三、記事にも書いて来たのでご存知の方も多いでしょうが、我が
モイケル娘が通っていたのは、ポルトにある「オポルト・ブリティッシュ・
スクール(Oporto British School)」と言います。
幼稚園から9年生までの11年間、この英国スタイルの学校で教育を
受けました。ポルトガル国語、ポルトガル歴史、体育授業の教師を除い
ては、全員イギリス人、もしくはアメリカ人の先生でした。
中学生ともなると、子供を本国のパブリック・スクール(寄宿舎のある
学校)へ送り出すイギリス人家庭も出てきますが、小学校クラスは
ポルトガル人と海外から来てポルトに滞在している欧米人やアジア人
との比率が半々くらいでしょうか。
そういうモイケル娘の小学時代にまつわる話であります。
え?spacesisさんの初ラブレターじゃないの?
いえいえ、わたしのではなくてモイケル娘の初ラブレターです〜(笑)
先ごろ、ネ友(ネット友達)のかんちがいさんやちゅうさんたちと、こん
なんなった、あんなんなったと、自分で設定して受け取ることができる
「ジェネレーション・ラブレター」(←記事はこちら)なるもので年甲斐
もなくキャッキャ喜んで騒いでいたのだが、我らの他に、奇特にもやっ
てみた方、いらっしゃるでしょうか(笑)
その折に、高校時代にはたくさんのそれをもらったことがある、と
厚かましく書いたわたしでですが、そんな青春時代のことに思いを馳せ
ながら、ラブレターと言うとすぐさま浮かんでくる印象的な一通がある
のを思い出しておりました。今日はそれを書いてみようと思います。
再三、記事にも書いて来たのでご存知の方も多いでしょうが、我が
モイケル娘が通っていたのは、ポルトにある「オポルト・ブリティッシュ・
スクール(Oporto British School)」と言います。
幼稚園から9年生までの11年間、この英国スタイルの学校で教育を
受けました。ポルトガル国語、ポルトガル歴史、体育授業の教師を除い
ては、全員イギリス人、もしくはアメリカ人の先生でした。
中学生ともなると、子供を本国のパブリック・スクール(寄宿舎のある
学校)へ送り出すイギリス人家庭も出てきますが、小学校クラスは
ポルトガル人と海外から来てポルトに滞在している欧米人やアジア人
との比率が半々くらいでしょうか。
そういうモイケル娘の小学時代にまつわる話であります。
え?spacesisさんの初ラブレターじゃないの?
いえいえ、わたしのではなくてモイケル娘の初ラブレターです〜(笑)
2007年10月1日
前回学校送迎(1)で、「親も辛抱してがんばることによって得たもの」
について。
息子が1年生になると同時に、日本企業のポルト進出によりポルト日本
語補習校設立の話が持ち上がり、講師の話が舞い込んできました。
何しろ、当時は日本人がほとんど居なかった街です、この話は、他に人
材がなかったのでわたしに舞い込んできたものと思っています。
ふたつ返事で引き受けたわけではありません。まず、自分の高卒という
学歴が問題にならないか。否の返事をもらったものの、人材がないので
は向こうもいたし方なかったことでしょう(笑)
もうひとつの問題は、モイケル娘が生後9ヶ月でしたので、毎週土曜日
の仕事が果たして続けられるか。
この頃は、6年間同居していた義母の家が、娘の誕生により部屋数が
足りないというので義母の家と同じ通りに引っ越していました。
義母に頼めば喜んで世話をしてくれたことは間違いありませんが、夫
もわたしもできるだけ人に依頼しないで子供達を育てたい、との意向
でした。これは、義母との同居時代も同じ姿勢でした。
病院勤めの夫が、土曜日勤務と重なるいたし方ない場合を除いて、
補習校でわたしが講師をする間は夫が娘を見るということで解決しま
した。
息子が5歳のころから負担にならない程度にゆっくりと進めて来た日本
語教育でしたが、わたしはこうして教えてみることにかなり興味を持っ
ていました。面白いのです。
上のふたつの問題が、どうにか解決できそうだというところで、自信の
程はないがとにかく1年間はやってみようと、もうひとり、当時ポルトに
1年間ほどの予定で滞在していた知人が「できそうもない。」とビビる
のを引っ張り込みました。
こうして始めた講師、よもや20年も続けることになるとは思いもしな
かったのですが。
前置きが長くなりましたが、子供達の学校送迎をしていた頃は、土曜
日のこの仕事もあったのでした。
下の写真が子供達が通っていたOBS(Oporto BritishSchool)の
表門です。

こちらは表門を入ると開ける芝生の校庭。この向こうが校舎です。

前回学校送迎(1)で、「親も辛抱してがんばることによって得たもの」
について。
息子が1年生になると同時に、日本企業のポルト進出によりポルト日本
語補習校設立の話が持ち上がり、講師の話が舞い込んできました。
何しろ、当時は日本人がほとんど居なかった街です、この話は、他に人
材がなかったのでわたしに舞い込んできたものと思っています。
ふたつ返事で引き受けたわけではありません。まず、自分の高卒という
学歴が問題にならないか。否の返事をもらったものの、人材がないので
は向こうもいたし方なかったことでしょう(笑)
もうひとつの問題は、モイケル娘が生後9ヶ月でしたので、毎週土曜日
の仕事が果たして続けられるか。
この頃は、6年間同居していた義母の家が、娘の誕生により部屋数が
足りないというので義母の家と同じ通りに引っ越していました。
義母に頼めば喜んで世話をしてくれたことは間違いありませんが、夫
もわたしもできるだけ人に依頼しないで子供達を育てたい、との意向
でした。これは、義母との同居時代も同じ姿勢でした。
病院勤めの夫が、土曜日勤務と重なるいたし方ない場合を除いて、
補習校でわたしが講師をする間は夫が娘を見るということで解決しま
した。
息子が5歳のころから負担にならない程度にゆっくりと進めて来た日本
語教育でしたが、わたしはこうして教えてみることにかなり興味を持っ
ていました。面白いのです。
上のふたつの問題が、どうにか解決できそうだというところで、自信の
程はないがとにかく1年間はやってみようと、もうひとり、当時ポルトに
1年間ほどの予定で滞在していた知人が「できそうもない。」とビビる
のを引っ張り込みました。
こうして始めた講師、よもや20年も続けることになるとは思いもしな
かったのですが。
前置きが長くなりましたが、子供達の学校送迎をしていた頃は、土曜
日のこの仕事もあったのでした。
下の写真が子供達が通っていたOBS(Oporto BritishSchool)の
表門です。

こちらは表門を入ると開ける芝生の校庭。この向こうが校舎です。

2007年9月30日
今日は、以前帰国子女シリーズのところで少し触れたことがある弁
当について。
今でこそ、時に夫がわたしより先に起きたりなどして、パンとカフェ・
コム・レイテ(カフェオレ)の朝食をさっさと自分で作り、ナマケモノの
妻は少しゆっくりした朝ですが、(あ、それでも毎日午前の日本語
教室がありますから、寝ほうけてはおりませんよw)、子供達の弁当
つくりも何年も続きました。
幼稚園は12時半まででしたから、弁当持参はないものの、行ったと
思ったらもうお迎えの時間です(^^;)
息子のころは、わたしがまだ車の免許をもっていなかったものですか
ら、たまたま近所にひとりだけBritish Schoolに通っていた人がいた
ので、その方に暫らく便乗でした。
O.B.S.(Oporto British School)でカンティーン(食堂)ができたのは
ずっと後年です、(私達はほとんど利用しませんでしたが)小学校か
らずっと9年生の中3まで、毎日の弁当は、さすがちょっとイヤになった
りしましたね(笑)
今日は、以前帰国子女シリーズのところで少し触れたことがある弁
当について。
今でこそ、時に夫がわたしより先に起きたりなどして、パンとカフェ・
コム・レイテ(カフェオレ)の朝食をさっさと自分で作り、ナマケモノの
妻は少しゆっくりした朝ですが、(あ、それでも毎日午前の日本語
教室がありますから、寝ほうけてはおりませんよw)、子供達の弁当
つくりも何年も続きました。
幼稚園は12時半まででしたから、弁当持参はないものの、行ったと
思ったらもうお迎えの時間です(^^;)
息子のころは、わたしがまだ車の免許をもっていなかったものですか
ら、たまたま近所にひとりだけBritish Schoolに通っていた人がいた
ので、その方に暫らく便乗でした。
O.B.S.(Oporto British School)でカンティーン(食堂)ができたのは
ずっと後年です、(私達はほとんど利用しませんでしたが)小学校か
らずっと9年生の中3まで、毎日の弁当は、さすがちょっとイヤになった
りしましたね(笑)




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