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2020年1月16日 

どこの町内にでもいるであろう、良きに付け悪しきに付けご近所でなにかと評判になるお方。
わが町では、ジョアキンおじさんがそのお人です。

写真は、拙ブログにも時々ご登場願っている土地成金のジョアキンおじさんと、相棒マリア・リタ嬢とのツーショットであります。ブログ写真掲載の許可を得ているのですが、モザイクをかけました。

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ロバをひっぱって野良仕事の格好をしているものの、「汝、そのなりを見て、人を判断すべからず」と昔から言われます。 我が家が面している通りには持ち家の他にカフェ、それに他所に2軒のアパートを持ち、この辺りの小金持ちおじさんなのであります。

毎朝小1時間ほど、商店街も含んだこの辺りをマリア・リタ嬢とグルリ一回りして帰ってきます。そして、ロバと一緒に畑仕事です。

商店街をロバと行くわけですから、人がみな急いで職場に向かう時間帯、ロバの後ろの車のドライバーが、いまいましそうに苦虫つぶした顔していようが、おじさんは平気の平左。こういうことができるのは、このお方を除いては、他におりません。

マリア・リタ嬢を紹介します。
Srjoaquinmariarita.jpg
マリア・リタ嬢は当時でゆうに20歳は過ぎていたと聞きました。

「愛国心」などと口に出そうものなら、即「右翼」と白目で見られるような日本と違い、ここはポルトガル。ジョアキンおじさんの愛国心は大したもので、愛ロバもおじさんの意向を反映して背中にポルトガルの国旗を背負っておるのです。

選挙の時期など、マリア・リタ嬢が引く荷車に国旗と自分が支持する党の旗をはためかせ、あげく、マイク付きのラジカセを積んで、街頭スピーチまがいです。わっはっは。

ちなみに、ポルトガルでは日本のような選挙の街頭スピーチはありません。
    
もう働かなくたって暮らしていけるのですが、昔と変わらぬ野良仕事の格好で、昔と変わらず土を相手にジャガイモ、とうもろこし、菜種、かぼちゃを作り、自分のカフェや自宅前で、それを売ったりもする。

始めて会った時は気難しそうなおじさんだと思いましたが、なんのなんの。ネコがきっかけで、話すようになりました。
  
実はジョアキンおじさんの畑は、ブタ小屋、鶏小屋、そしてネコだらけなのであります(笑)いったい何十匹ひそんでいるのか、皆目見当もつきません。大木もあるので、そこに宿る鳥もたくさんいます。                

このおじさんがロバと一緒に帰ってくると、畑の向こうから、まぁ、来るわ来るわ、餌をもらいにたくさんのネコが(爆) その光景たるや、壮観たるものであります。

毎朝、近くの商店街一帯をマリア・リタ嬢と一回りするのは、この動物たちのためにカフェやレストランの残飯を集めてくるのですね。 

その畑も半分に分けられ、今では畑がつぶされた箇所に新道が通り、猫たちは四散。ロバのマリア・リタ嬢も天寿を全うし、お金を出してまで餌をあげようとはジョアキンおじさん、思わないようで、かろうじて残っている数匹に、わたしが毎夜えさを運ぶにいたったわけです。

一時は畑に入るカギまで預けられたりして、これも人のいいわたしの話ではあります

勿論、ご近所にはそんなわたしやジョアキンおじさんに眉をひそめる人たちがいるのは百も承知であります。

「野良犬、野良猫にえさをやらないでください」と言う人がおりますが、犬猫を捨てたりして自然を破壊し自然界の掟を破っているのは元は人間です。なにも拾ってやってくれと言ってるわけではなし、そこまでエゴにならなくてもええやないの、とわたしは思うのです。

と、ジョアキンおじさんに脱帽し、かつて書いたのですが、2年ほど前に奥さんを亡くしてから、畑仕事をする姿をあまり見かけなくなりました。

足を痛めたようですが、それでも路上で大声で話し、杖をつきながら歩く姿を目にしていたのですが、去年のある日、おじさんの姿をまったく見かけないのに気が付きました。

夫に、「ジョアキンおじさん、最近見ないのだけど、どうしたんだろ?」と聞いてみると、次回、カフェで探ってみるよ、とのこと。そして、分かったのは、老人ホームに預けられたのだそうです。

娘さんがカフェを仕切り、畑は婿殿が継いでいるようですが、畑の入り口は閉め切ったままで、高い壁に更にフェンスを作ったもので住む猫もいなくなりました。ジョアキンおじさんの家にはこれまで別居していたその娘夫婦が現在住んでいます。            
なんだか、身につまされる話で、近所の名物男がいなくなり、ひたすら、おじさんの畑の外でねこたちに餌を食べさせている今、「ボン・ディーア(おはよう)」の、ちょっと大きすぎる挨拶も聞かなくなり、寂しいなぁと思うのであります。

世代が交替し、時代はこうして移り変わっていくのですね。

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2019年12月12日 

arvoreNatal1.jpg
ポルト市庁舎前の今年のクリスマスツリー

この時期になると毎年のように思い出す、子供たちがいたころの12月のお届け物の話があります。拙ブログに2度ほどあげていますので、既に読んだ方はスルーなさってください。

色々な頂き物の中には「こりゃ困った」と言う物も多々ありました。

これはわたし達一家が現在のフラットの我が家を得る前の、古い小さな庭つきの古い家に住んでいた時の出来事で、子供たちが小学生だった頃のこと。

夫の病院の仕事柄、この時期には自宅にお届け物がありました。ある日のこと、田舎の方と思し召す年配のセニョールが玄関の前に立ちました。夫は患者の話に耳を傾ける人で、特に年配者にはかなりの人気があったようです。

「だんな様に大変お世話になった。どうぞこれを。」と言って大きなのダンボール箱を置いていきました。中身が生ものであっては困りますので、「あらら、なんでしょ」と箱を開けてびっくり、玉手箱!ナマモノもナマモノ、二本足を紐でくくられた生きた二羽のトリではないですか!一羽は真っ赤なトサカを冠しており、もう一羽は見事な七面鳥です。12月は七面鳥の季節でもありますものね。

しかし、これ、どうするのよ?自分・・・
よく見ると可哀相に、この2羽、足をくくられたままでとても辛そうです。で、いやだったんですが、恐る恐る抱きあげようと両手を出しましたら、騒ぐこと騒ぐこと、そのけたたましさといったらありません。こちらの方がビビッてしまいましたが、思い切って抱き上げました。その柔らかい体を通して温かい体温が伝わってきました。

庭には昔の鶏小屋、ポルトガル語ではGgalinheiro(ガリニェイロ)と呼ぶのですが、それがそのままほったらかしでありましたから、庭まで運び、くくっていた紐をほどいて小屋に入れてみました。

子供達が帰宅して、特に動物好きの娘は大喜びです。早速に小屋から出して庭に放し、モイケル娘は七面鳥に「アフォンソ」鶏には「マチルダ」と名づけました。アフォンソとはポルトガル王の名前ですから、ひどい話ではあります(笑)

夕方になると、今度は庭中追い掛け回して二羽をひッ捕まえ、一時しのぎの鳥小屋に入れるのですが、これがまた一仕事です。
あちらは必死で逃げ回るし、こちらはこわごわ追いかけ回すわけです。

庭には好きなバラをたくさん植えてましたし、大きなあじさいの木もありましたから、それらの陰に入ると捕まえるのにこちらは手や腕が傷だらけです。

こういう悪戦苦闘の数日が続いたのですが、クリスマスがいよいよ近づいてくると、さて、ここで問題が持ち上がりました。こうして名前までつけてしまうと、潰して食卓に載せることなどできましょうか・・・娘など、よもやそういうことには考えが及ばなかったでしょう。ずっとペットとしえ飼い続けると思ったのではないでしょうか。夫もわたしも、つぶせるわけはなし。

しかし、このまま庭で飼っておくというわけにもいかないのです。なにしろ、我が家には犬のポピー、そして数匹の猫たちもいるのです。このまま飼って行くと、アフォンソとマチルダを守るために四苦八苦、そのせいで毎日クタクタになるのが目に見えています。

一日一日と延ばし延ばしになり、ついに決心を迫られる日が来ました。我が家で始末するわけには参りません。ネコや犬たちが騒々しさや血の匂いできっと怖気づいてしまうに違いありません。

我が家の裏では、大きな畑を持つジョアキンおじさんの飼っているブタが、悲鳴を上げて鳴くことがままあるのですが、わたしには何が起ころうとしているのか分かっています。そのときの我が家の犬猫たちは「なにごと?!」とでも言うかのようにみな揃ってあっちへすっ飛びこっちへすっ飛び。その不安な様といったらありません。

子供達に、「これはアフォンソとマチルダです、頂きましょう」と言えるくらいの気概が哀しいかな、わたしにはありません。

結局、週に2度、我が家へ掃除にくるお手伝いのベルミーラおばさんに2羽とも上げました。不意に手に入った素晴らしいご馳走です。嬉々として2羽を抱えて帰って行ったお手伝いさんの後姿を見ながら、わたしはちょっと複雑な思いでした。こんな気持ちになるのなら、肉類はもう口にしなくてもいいや、なんて偽善的な思いが頭を横切ったものです。

わたしたちが生きるということは、そのために生かされてる命があるのだ、ということに思いを馳せる出来事でありました。子供達には、一言「お手伝いさんにあげましたよ。」それで十分伝わったでしょうか。

モイケル娘の複雑な表情を打ち消すかのように、わたしはクリスマス・ソングのCDをボリュームアップでかけたのでした。

アフォンソとマチルダに合掌。

本日はこれにて。
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2019年12月5日 

毎年12月になると思い出さずにはおられない話がいくつかあります。今日はそのひとつ、まだ子供たちがいなかった頃のことです。

ポルトガル語も分からず、英語もほとんど通じない環境で、当時は夫の家族である義母、義母の姉と義理の姉二人、つまり3人のお年寄りとの同居でありました。 今にして思えば、今日のわたしの忍耐力は(自分で言うか)この6年間の3ババ殿との同居時代に培われたものと自負してます。 

街を歩けば「シネーザ、シネーザ(中国女の意味)」と指さされ、それが「シネー、シネー」と聞こえるもので、腹が立つことこの上ない、日本人が一人もいなかった環境での明け暮れでした。

近所の5、6歳の子供たちに「ファシスタ!」とののしられていた老犬が路上で寝ているのを表通りに面したわたしたち夫婦の部屋のベランダから毎日見ていたのでありました。今と違って当時はのんびりしたものです。その通りは5、6匹の野良犬が道路のあちこちでゴロ寝している光景は当たり前でした。

小さなその老犬はビッコをひいており、右側の牙が少々突き出ていて、多少醜い。「犬だってイジメの対象になるのは、こんなのか」と思うと、当時の自分の孤独感もあってか俄然わたしはその犬に近づき始めたのです。

初めは近づくわたしを恐れて、逃げ隠れしていた老犬が次第に警戒心を解いていき、やがてわたしが玄関口で、「ヒューッ!」と口笛を吹くとすぐやってくるようになりました。

それからです、庭がないからだめだ、と嫌がる夫の母を身振り手振りで説き伏せ、義母さま、ついに根負けして、「じゃぁ、日中は外、夜寝るときは仕方ないベランダ」ってことに相成りましてね。

「ヤッター」の気分のわたし、名前は迷うことなく、ローマ帝国の歴史上、小柄でビッコをひきもっとも皇帝らしくないと言われた「クラウディウ皇帝」からいただいて、「クラウディウ」と名づけたのでした。

忘れもしない、12月31日。その日の夕暮れ時、いつもなら飛んでくるクラウディウが、いくら呼んでも現れず。すると、近所の人が、「今日、保健所が犬捕りにやってきて他の犬たちはみな逃げたのに、クラウディウだけはその場にうずくまってしまい、網にかかって連れて行かれた」と言うではないか!

孤独な異国での生活で初めて心を通い合わせた相棒です、帰宅した夫に半ベソをかいてなんとかしてくれと泣きつきました。夫が保健所に電話で問い合わせしたところ、すでに病院送りになったとの返事。

「病院ってどこの病院?サン・ジュアン病院!あなたの病院じゃないの!」

日も落ちかけた大晦日、わたしは夫とともに人がいなくなった病院の実験薬殺用の犬たちが入れられている檻のある棟に忍び込みました・・・

建物の一部になっている高い網でとりかこまれたその大きな檻には何十匹もの犬たちがうろうろ不安な眼をして動き回ったりうずくまったりしていてそれは心の痛む光景でした。

「こんなたくさんの犬の中に本当にクラウディウはいるのだろうか」と思いながら低い声で必死に叫びました。「クラウディウ、クラウディウ」

やがて檻のずっと奥の方からヨロヨロと出てきたクラウディウはわたしたちを見るなり喜び吠えです。しかし、どうやって檻から出すのか?・・・・・ すると、あった!犬が逃げようと試みでもしたのだろうか、網の一部が破れてる!

夫が素手でそこをこじあけこじあけ、やっと小さなクラウディウが出られるくらいの大きさに押し広げ、ついにクラウディウを抱き上げたわたし達は、外に止めてあった車に押し込め、逃げること一目散!

破られた網に穴から他の犬たちも逃げたのは言うまでもないでありましょう。あとは野となれ山となれ。いずれ殺処分されるであろう犬たちへ、大晦日の贈り物だい!

そうして自宅に着いたわたしたちも、そして車も、檻の中でウ〇コまみれになっていたクラウディウの匂いがしっかりついていたのでした。1979年12月31日、わたしがポルトガルで初めて迎えた大晦日のハプニングでした。

            ・この記事は過去に書いたものに手を加えています。
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2019年12月4日  

12月ともなれば、大手のスーパーマーケットの店頭に設けられるのが、Cabaz(カバス)コーナーです。下の写真は昨日日本語授業の後にわたしが買い物に行ったデパートEl Corte EnglêsのCabazコーナーです。日本で言えばお歳暮コーナーです。
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Cabazは果物かごを意味するのですが、その籠にワインを始め、缶詰、ハムソーセージ類、チーズ、ジャムなど自由に選んででいっぱいにし、届けます。値段はと言うと、40ユーロくらいから上は300ユーロ(35000円ほど)を超えたりします。

cavaz.jpg
Wikiより

日本と少し違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先への義理がらみの付け届けはしない、という点です。一年を振り返ってみてお世話になったと思われる人に感謝の印としてクリスマスの贈り物を届ける、という具合です。

この他、、生ハムの脚一本とか、この時期には欠かせないバカリャウ(Bacalhao=大きな干しダラ)などがあります。

presunto.jpg
(Wikiより)
サポーターに立てかけられた黒ブタの生ハムです。ポルトガル語で生ハムを「presunto=プレズント」と言います。

生ハムの脚一本。食べるために薄くきったもの
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わたしは生ハムが大好きなのですが塩気が多いので近頃は血圧の関係上、極力避けなければならないのが残念至極。

大きなバカリャウ一枚は5キロ前後、42x92cmの大きさで、厚みは一番分厚いところで5cmにもなります。
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上の写真は一枚のバカリャウの切り方を示しているのですが、切り売りも多いです。なにしろ、一枚全部は値もはりますからね。

バカリヤウはポルトガルではクリスマスイブと年末の伝統的な定番料理で、 この時期は値段も上がります。我が家でも師走ともなると、付け届けでこの生ハム一本や大きな干しダラのバカリャウをいただくことがあります。

今日は生ハムにまつわる古い話を引っ張り出しましょう。

かつて庭付きの借家に住んでいたころの話ですが、冬の間の湿気を追い払うのに、日中は車庫の戸をよく開け放していたものです。今のフラットと違い、当時は夫の書斎がなく、写真に見られる生ハムももらって大いに嬉しいのですが、置き場所に困って車庫の壁にぶらさげて置いたものです。

ある日の夕方、車を車庫に入れ終えて「ただ今」と家に入ってきた夫が言います。

「生ハム、君、上にもってきたの?」
我が家は3階建ての家屋の一番上であった。
「あんな重いもの、わたしが抱えて来れるわけないじゃない」
「でも、壁にぶらさがってないよ」
「ええ??」

慌てて車庫へ行って見ると、確かに夫の仰せの通り、あるべき場所に生ハムの脚が・・・ない
車庫の奥へツーッと目をやりましたら、れれ?車庫の奥のワイン棚にずらり並んでいるはずのワイン、ウイスキーの本数もガバと減ってるではないですか!

し、しまった!こそ泥にしてやられたのでありました。

当時のわたしは、常日頃から窓開放主義、全面的に人を信頼する人間でした。(笑)日本にいたときからきちんと戸締りをするなど心がけたことがないのです。仕事で日中空けているアパートも、当時飼っていたネコのポチが自由に出入りできるようにと、表通りに面した台所の窓は、いつも少し開けっ放し。

それでもあの頃の日本は世界一安全な国と謳われたように、一度も空き巣に入られたことがない。

そんなわたしですから、ポルトガルへ来てからも風通しをよくするためにと、何の疑いもなく車庫のドアは、特に夏は、そして冬でも天気のいい日には開けっ放しにしておりました。

どうも、それで目をつけられていたようです。

考えて見ると、それまでにも何度かおかしいなぁと思ったことに思い当たります。「確かに夏のシーツ全部を車庫のここに置いたつもりなんだがなぁ。見あたらない」とか、「あれぇ?夫がいただいた陶芸作家の人形一式の箱、どこへいっちゃんたんだろ・・」等々。

のんきなわたしは、多分自分か夫が整理して車庫の棚にでものせたのだろうくらいに思っていたのですが、思い当たる節がたんとあることにそのとき初めて気づいたのでした。道理でそれらが出てこなはずです。

ふん!ワインにウイスキー、それにこの生ハム一本で、こそ泥たちめ、今宵は酒盛りかと思うと、さすが、のほほん者のわたしも面白くない。

こういうことが数回あったので、物を盗まれるよりも自分が家にいるというのにこそ泥が堂々と入っていたということに恐れをなし、とうとうわたしはドア開放主義を止め、以来車庫のドアをしっかり閉めることにしたのでした。

今ではこの生ハムを狙う相手が「こらぁ!」の一言で散らばる、たかがネコたち(笑)可愛いもんです。

ではみなさま、また。


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2019年9月11日 600年の伝統を持つポルトガルの新入生しごき

9月は欧米では新学期です。
ポルトガルの大学は6月の高校卒業資格兼大学入学資格となる国家試験の結果と、高校2年間の成績を持って、各大学に願書を出し成績の上位順に入学が許可されます。

希望大学や学部に入れなかった場合は、第二希望学部、若しくは他都市の大学へ再度願書を提出し、新学期が始まるまでに学籍が決定されます。

希望に胸膨らませて大学新入生の第一歩、授業開始前の9月にあるのが、「Praxe Académica」なる行事です。

この時期になると街のあちこちで見かける光景ですが、黒マントを羽織っているのは大学学部の先輩、地べたにはべっているのが新入生です。場所はJardim do Passeio Alegre ドウロ川沿いの側の公園です。

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写真に見えるのは18世紀のイタリア人建築家ニコラウ・ナゾニの作品のChafarizと呼ばれる噴水。Wikiより

こちらはAliados 市庁舎前でわたしが見かけたものです。

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しごきには写真のようなものもあります。

praxe4-2[1] praxe5-2[1]
小麦粉を振りかけられている。       腕立て伏せ
             
          praxe6-2[1]
             紙おむつを顔に貼り付ける。

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笑って済ませられる間はいいのですが、近年、だんだんとしごきの仕方がエスカレートし、見るからに屈辱的なものが増えてきました。公衆の面前でするわけですからね。先輩たちといっても19歳からたかだか21、2歳までの若者たちです。配慮が足りないところがあります。

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男性だったら大変だなぁ、たのむわ、と思われるものの一つ。

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これもどうかと。すぐシャワーを浴びられるわけもなく週日こうして歩くわけで。ペンキ、ちゃんと落ちるのだろうか・・・
我が息子がポルト大学経済学部に入学した年のこと。(翌年彼はポルト大学を退学、学部もITに変えてリスボン大学に入学し直しました)

このpraxeのために指定された店でTシャツその他身につける道具が入った一式を下げて出かけたその日の夕方、帰宅した息子のひざを見てわたしは激怒したのでありました。

ジーンズのひざはほとんど破れんばかりになり、ひざそのものは皮膚がむけて血だらけ!「いたた、いたた」と悲鳴をあげそうな息子のひざを消毒しながら問いただすと、新入生全員、大学構内をひざで歩かされたのだそうな。構内はコンクリですよ、コンクリート!

「そんな伝統祭なんて、行く必要なし!なんなのこれは。人の大事な息子のひざをこんな風にして、遊びにもほどがある!行きすぎだ!」と、途中で放り出して来なかった息子にも腹を立てたのでした。

このPraxeは2週間ほど続くのですが、翌日、大学へ再び一式の衣裳を持って行くと言う息子のひざが心配で、「今日同じ事したら、ひざ、壊れるわよ!そうなったら上級生と喧嘩してでもいいから、止めて帰って来んさい。」と、ひざに分厚い当て布をさせて出したのでした。中に女子もいたと言う・・・いったい何を考えているのか!

「新人しごき」をする側に回るためには、新入生の年にしごかれていない者は資格はないのだそうな。
こんな種類のしごきなら、する側に回ったところで何が面白いものか!

コインブラ大学に4年、ポルト大学に2年籍を置いた亭主に聞きますと、昔は、「今晩、全員ガールフレンドを連れて来い」とか、いたって単純なカワイイものだったそうです。夫も当然、こんなのはやりすぎだと、当時は二人で息巻いたのでした。

そのうち、Praxeの行き過ぎが原因で他県の海岸で数人の新入生が海に入り、そのまま行方不明、死亡する大事故が起き、新聞で取り沙汰になり、大学も人権を無視したような屈辱的なものは許さないとの通達も出て、少しナリをひそめたようです。

これは、かつての日本の大学生の「一気飲み」強要を思い出させます。それまで一滴もアルコールを口にしたことのない新入生、急性アルコール中毒で病院に運ばれたり、亡くなった学生もいましたよね。

所沢の我が妹は、一気飲みの場合に備えてと、息子たちが高校3年生のころから夕食に少しずつビールを飲ませて練習するということをしていました。

Praxeの起源は14世紀、ディニス王の創ったコインブラ大学に発するようです。ポルトとリスボン中間に位置するコインブラの街は学生街として古い歴史を持っています。

コインブラ大学は、ディニス王が法皇ニコラウ4世に承認されて創立したリスボンの高等教育学校が元になっています。リスボンの人口、学生の数も増えたところで、思い切ってコインブラに学校を移し、以後コインブラ大学と称され、パリ大学、オックスフォード大学と並んでヨーロッパでは一番古い大学のひとつです。

ディニス王は、できの悪い学生を大学に監理させたのですが、これがpraxeの始まりとなりやがて新入生に適用されるようになります。18世紀には新入生の死により、1727年当時の王ジュアン五世がpraxe禁令を発布しています。なんだ、結局、現代においても同じことを繰り返してるなんて、人間は進歩がないなぁ、とつくづく思います。

若い人たちが、古い習慣にのっとって少々羽目をはずすのは大目に見るとして、せいぜい笑って済ませるものにとどまって欲しいものです。

ちなみにリスボン大学では、praxeは行われません。ま、それが原因で我が息子、リスボン大学に移ったとは思われませんが(笑)


本日の画像は一枚を除き、全てWikipediaからです。では、これにて。
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