2017年4月13日

前回の我が愛犬、クラウディウにまつわる話です。2006年に書いた過去記事に少し手を加えました。
今日の記事は長いです。

しばらく前に、友人のゴッチが、「クラウディウのその後を知りたいなぁ」とメッセージがありました。「うん、近々エピソードであげるね」と言いながら、長い間、書かずに来てしまいまし。本心を明かすと少し辛い思い出もあり、それを超えるのに時間がかかったのです。

クラウディウと言うのは、わたしがポルトガルに来た27年前に出会った野良犬です。「ポルトガルの犬:我が友クラウディウ」に出てきますが、クラウディウは左目が少しつぶれているのと、左の口元から白い牙がかすかに出ている、いわゆる出っ歯でした。
 
名前の所以はローマ帝国皇帝の中で、体に少し不具合があったが故、最も皇帝らしからぬ皇帝と言われた「クラウディウ皇帝」にちなむのですが、我がクラウディウもとても皇帝の名からは程遠い、臆病な犬ではありました。庭無しの義母に家です、夜や雨 の日はベランダで休みますが、日中は外です。これがクラウディウを我が友にする際の義母との約束でしたからね。

息子のお産でわたしが4日ほど入院した時は、ほとんどエサも食べず、夫とわたしの部屋のドアの前に座りこんで、叱られてもガンとしてそこから動かなかったそうです。

退院して息子のジュアン・ボーイを腕に抱き家の階段を上りましたら、クラウディウが尾を振って待ち構えておりました。が、わたしの腕に抱かれている赤ん坊を見た瞬間、彼は悟ったのでしょう、「あのちっちゃなものが、若奥さんの大切なものなのだ」ということを。声をかけるわたしに擦り寄ってくるでもなく、スーッと席を外したのでした。
   
クラウディウのエピソードはたくさんありますが、なんと言っても忘れられないのは、「我が友クラウディウ」にある大晦日の出来事と次のハプニングです。

毎年夏になると、わたしたちは2週間をポルトガルの北部山中にある、ミネラルウォーターでも有名なPedras Salgadas(塩っ辛い石の意味)と言う保養地で過ごしました。そこは空気もよく、プール、テニス場、公園があります。ホテルを含む広い公園一帯が自動車乗り入れ禁止になっており、安心して散歩もできます。

この年はわたしたち親子3人と(モイケル娘はこの4年後に生まれるのであります)、夫の母も同行の休暇でした。

さて、クラウディウはどうする?当時はさほど心配もいりませんでした。もともとがバガブンド(放浪者)のクラウディウ、路上寝はお手のものです。すぐ近くに住んでいた義兄に夜呼び入れるのを、日中のエサは近所の人にと頼み、休暇に出かけました。

二週間後、夜8時ころに休暇先から帰って来、クラウディウを呼んだところが、エライことになっておりました。恐らくその日に起こったのでしょう、あちこち噛み傷があり出血して息も絶え絶え!荷をほどくのもそっちのけで、夫はすぐ自分の病院と薬局へ走りました。

麻酔薬、注射針その他を買い込んで来た彼、呼ばれてやってきた義兄を助手に、クラウディの傷口10数箇所を縫うこと、3時間!
何しろ、大事なタマタマちゃんまで、破れかかっておりましたです・・^^;
「んもう!いい歳して、きっと雌犬争奪戦に自分も加わったのね!ったく、男ったらしようがないんだから!」と、
一段落ついて後の皆の大笑い。
   
動物の回復力は素晴らしいものです。わたしたちの心配をよそに、クラウディウは見る間に回復し、傷も癒えて、またいつもの生活パターンに戻りました。これ以来、夏の2週間の休暇は、申し訳ないが義母が家に残ることとなったのでした^^

それから4年、この間に我が家にはもう一匹、ルルと言う捨て猫がペットとして加わり、モイケル娘が誕生」しようとしていました。

義母の家はモイケル娘が生まれることで手狭になり、わたしたち親子は同じ通りの20数メートルほど先にある庭付きの古い借家へと引越しすることになりました。

ところが、家猫のルル、庭があると言うのに庭へ出るのを怖がり、とうとう死ぬまで一度も庭へ降りることはありませんでした。
クラウディウに至っては、これでやっと自由に家で飼えると思ったのに、なだめてもすかしても、これまた新しい住居の庭にはテコでも入ろうとしません。結局義母の家で夜寝るという、これまでの習慣通りにすることにしました。

そんなある日のこと、保健所が再びやってきて2匹の野良犬を捕獲して行った、そのうちの一匹がまたしてもクラウディウということが分かりました。ドンくさい犬なのです・・・

その日の夕方、夫はわたしたちの区域マイア市の保健所へ出かけ、クラウディともう一匹、この通りではお馴染の大型犬で、向かいの人が可愛がっていた野良犬が捕獲されたのを知ったのでした。

このとき、初めてわたし達は、クラウディウを我が家の犬として登録することにしました。かなりの老犬だということで、もう予防接種も不必要だと言われ、翌日、引き取りに行くことになりました。

翌日、夫が引き取りに行ったところ、保健所の言うことには、夜のうちに二匹の犬が入れられていた檻のドアが、何者かによってこじ開けられ、犬の姿はなし。してみると、クラウディと一緒に捕まったと言うお向かいのお気に入りの大型犬、いつの間にか、ちゃんと帰っているではないか!そんなバカな!・・・

夜中に保健所に忍び込み、檻のドアをこじ開けたのは一体誰か、一目瞭然。それならば何ゆえ我がクラウディウも一緒に連れて来なかったのか。人を恐れる犬でしたから、怖がって自ら逃げたのかも知れません。

その日から、わたし達は幾度も機会を見てはマイア市まで出かけて行き、保健所のあたりを車でグルグル回っては、クラウディウの姿を目で探しました。近所の人が、「あの辺りで見かけた、この辺りで見かけた」と言う話を聞いては、出かけて行き、行方を探したものです。

その年の冬が来て、春が来て、夏が来・・・いつしかわたし達は探すのを諦めてしまいました。
   
フランスの「ラ・フォンテーヌ」の寓話集に「狼と犬の話」があります。
   
骨と皮とに成り果てた狼は肥えた番犬に出会う。犬は狼に言う。「一緒に来ないか。ずっと楽に暮らせるよ」 
狼は一時、幸福を夢見て犬に従うが、ふとその首筋に禿げたあとを見る。
訊ねると、「なに、つながれている首輪のあとさ。」
「つながれて?それではお前は好きなところへ走っても行けないのか?
どんなご馳走ずくめでも、俺はごめんだ」
狼はそう言うなり逃げ去った。

クラウディウの思い出は、すっかり遠い懐かしいものになってしまいましたが、その最後を思う時、わたしの胸は今でもキリッと痛むのです。しかし、ラ・フォンテーヌの狼の話を思い出し、野垂れ死にもまた、自由であったことの代償であろう、と自分の気持ちを少し誤魔化すことにしています。

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2017年4月11日

前回話に出ました「クラウディウ」という犬について今日は書きます。もう38年も昔の話になります。

ポルトガル語も分からず、英語もほとんど通じない環境で、しかも当時は夫の家族である、義母、その姉二人、つまり3人のお年寄りとの同居でありました。 いやぁ~、この6年間はもう大変なものでありましたよ。今日のわたしの隠された我慢強さ、したたかさはこの同居時代に培われたものと自負してますです^^ おっと、話がついそちらの方に流れそうだ。

さて、日本人が一人もいなかったそんな環境での明け暮れでした。近所の5、6歳の子供たちに「ファシスタ!」とののしられていた老犬が路上で寝ているのを表通りに面したわたしたち夫婦の部屋のベランダから毎日見ていたのでありました。今と違って当時はのんびりしたものです。ねの通りは5、6匹の野良犬が道路のあちこちでゴロ寝している光景は当たり前でした。

老犬は小柄でビッコをひいており、右側の牙が少々突き出ていて、見るからに醜い。「犬だってイジメの対象になるのは、こんなのなのか」と思うと、当時の自分の孤独感も手伝って、俄然わたしはその犬に近づき始めたのです。

初めは近づくわたしを恐れて、逃げ隠れしていた老犬が次第に警戒心を解いていき、やがてわたしが玄関口で、「ヒューッ!」と口笛を吹くとすぐやってくるようになりました。それからです、庭がないからだめだ、と嫌がる義母さまを説き伏せ(ん?言葉がわからないのに、どうやって説き伏せた?そりゃぁ、あなた、身振り手振りですよん^^)、義母さま、ついに根負けして、「じゃぁ、日中は外、夜寝るときは仕方ないベランダ」ってことに相成りましてね。

「ヤッター」の気分のわたし、名前は迷うことなく、ローマ帝国の歴史上、小柄でビッコをひきもっとも皇帝らしくないと言われた
「クラウディウ皇帝」からいただいて、「クラウディウ」と名づけたのでした。

忘れもしない、わたしがポルトガルに来た年の12月31日。その日の夕暮れ時、いつもなら飛んでくるはずなのに、いくら呼んでもクラウディウは現れず。すると、近所の人が、「午前中保健所が犬捕りにやってきて他の犬たちはみな逃げたのに、クラウディウだけはその場にうずくまってしまい、網にかかってしまい連れていかれた」と言うではないか!

孤独な異国での生活で初めて心を通い合わせた相棒です、半ベソをかいて夫になんとかしてくれと泣きつきました。夫が保健所に電話で問い合わせしたところ、すでに病院送りになったとの返事。 「病院ってどこの病院?サン・ジュアン病院!あなたの病院じゃないの!」

日も落ちかけた大晦日、わたしは夫とともに人がいなくなった病院の実験薬殺用の犬たちが入れられている檻のある棟に忍び込みました・・・

建物と続いて周りが高い網でとりかこまれたその大きな檻には何十匹もの犬たちがうろうろ不安な眼をして動き回ったりうずくまったり。それは心の痛む光景でした。

「こんなたくさんの犬の中に本当にクラウディウはいるのだろうか」と思いながら低い声で必死に叫びました。「クラウディウ、クラウディウ」

やがて檻のずっと奥の方からヨロヨロと出てきたクラウディウはわたしたちを見るなり喜び吠えです。しかし、どうやって檻から出すのか?・・・・・ すると、あった!犬が逃げようと試みでもしたのだろうか、網の一部が破れてる!夫が素手でそこをこじあけこじあけ、やっと小柄なクラウディウが出られるくらいの大きさに押し広げ、ついにクラウディウを抱き上げたわたし達は、外に止めてあった車に押し込め、逃げること一目散!

破られた網に穴から他の犬たちも逃げたのは言うまでもないでありましょう。あとは野となれ山となれ。いずれ殺処分されるであろう犬たちへ、大晦日の贈り物だい!

そうして自宅へ着いたわたしたちも、そして車も、檻の中でウンコまみれになっていたクラウディウの匂いがしっかりついていたのでした。1979年12月31日大晦日のハプニングでした。

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2016年11月6日 

12月のボランティア、市立図書館での影絵上映の作品の切り絵作業を、娘の部屋でする昨今。部屋そのものは大きくないのだが、ベランダがあるので部屋が明るく開放感があり、娘がいない今、ここで勉強や作業をしている。

丸いテーブルに座って作業していると、何かの拍子に向かいにあるソファの背もたれにはべる縫いぐるみの「クラウディウ」に目が行く。

claudio

昨日は作業の手をしばし止めてクラウディウに近づきつくづく眺めてみた。このクラウディウは、もともと
息子のものだった。

現在日本に住む息子が、まだリスボンにいた頃のこと、クリスマス休暇でポルトに帰省した息子、翌春の日本行きの準備でリスボンのアパートにある持ち物の整理をし始め、その日は、わたしのお下がりの赤いオンボロFIATに荷物を詰め込んでの帰省だった。

途中で車が故障しないかと気をもんだが、夜無事に到着、荷物を家に運び込んだあと、ぎっしり入っている大きな袋からはみ出た茶色いものが目に入った。

はて?と思い引っ張り出して、それがなんだか分かった一瞬、わたしは大笑いしてしまった。それは写真の犬の縫いぐるみの耳だったのだ。息子よ。あんた、まだこのクラウディウ持ってたんか~~

息子が5歳くらいの時だ、Tio Zeこと「ゼおじさん(独身でアーティストの夫の兄)」から贈られた縫いぐるみの人形で、わたしたちみんなはこれを「クラウディウ(Claudio)」と呼んでいた。

「クラウディウ」と言うのは、息子がまだ生まれる前からいた、野良犬だったのをわたしが手なずけて、義母が渋るのを無理やり頼んで、夜寝るときにだけ家の中に呼び込み、ねぐらを作ってやった半飼いしていた牡犬のことだ。

縫いぐるみを息子に贈った義兄も、この色具合がクラウディウによく似ていたがゆえに面白がって買ったのであった。

ポルトガルでは一般的に、赤ん坊に縫いぐるみの人形をたくさん贈る。子供のベッドの上には日中、これらの人形がきれいに並べられるのだが、わたしの二人の子供たちも贈られたたくさんの縫いぐるみを持っていたものである。

成長するに及んで、少しずつ人に差し上げたりして、残ったのがこのクラウディウであった。大学入学でリスボンへ移るときに息子は遊び心でに一緒に持っていったようだ。思うにきっとアパートに遊びに来た友人たちと、クラウディウを投げたり足枕にしたりして遊んでいたのだろう。それきりわたしはこのクラウディ人形を忘れてしまい、こうして再び我が家に戻ってくるとは思いもしなかった。

今やもう30歳くらいの縫いぐるみクラウディウ、よく見ると、人形なのになんだかやけに歳取ったように見える。それだけではない、こうしてベッドに置いてみると、人形とは思えないほど表情が寂しそうではないか・・・

claudio5-1.jpg


全体もずず黒くなっており、ところどころ破れて中のスポンジが見えている。この月には古希を迎えるわたしである。思わず「お前もわたしと同じように歳とったんだねぇ」と感慨深い気持ちに襲われた。

スマホで撮影していると、ネコのペトがやってきて、「なんだ、コイツ」とでも言いたげに、しきりにクラウディウの匂いを嗅いでいる。

claudio

どれ、年季の入ったクラウディウの、今日はほころびをなおしてあげようか。

下記はクラウディウの思い出話です。よかったらどぞ。

「我が心のクラウディウ」

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2016年11月1日 

毎年のことですが、 10月最後の土曜日にポルトガルは夏時間から冬時間に移行します。どういうことかと言うと、時計の針を1時間遅らせて、これまで12時だったのが11時になり、日本との時差も8時間から9時間になるのです。

それが先週末に行われ、今日はカトリック教会の祝日、「Dia de Todos-os-Santos(全ての聖人の日)」で休みです。同時に1755年11月1日に大地震がリスボンを襲った日でもあります。

何度か拙ブログで取り上げてきた件ですが、再度、四方山話としてアップしたいと思います。

地震はマグネチュード8.7を記録し、リスボンの街はほぼ破壊。当時の街の人口30万人のうち、9万人が犠牲になったと言われます。強度のこの地震は、南フランスや北アフリカでさえも揺れが感じられたと伝えられます。

地震の被害がかくも大きくなったのには、次の理由が挙げられています。
「聖人の日」の前夜から習慣として、多くの家や教会ではロウソクの灯が灯されていました。更にこの日は非常に寒かったので、各家庭では暖炉の火を炊いて家で暖を取っていたそうです。

常日頃から、日本に比べてポルトガルのいい所は、何と言っても地震がないことだとわたしは思ってきたのですが、地震を予期するなどいったい誰ができるでしょうか。1755年午前9時45分頃、地震はそれまで何の前触れも無く、突然リスボンの街に襲いかかり、石造りの建物からはレンガや石が人々の頭上に降り注ぎ、「聖人の日」のこの朝、ミサのため多くのに教会来ていたたくさんの人が崩れ落ちた教会で生き埋めになりました。 

ポルトガルは大西洋に面した海洋国です。海がすぐ目の前のリスボンは高さ20メートルの津波に襲われ、地面が裂け、その地割れが水を、風を蒸気を呼び、被害を更に大きくしました。
これは3日間続き街の85%が崩壊し、壊滅状態になりました。

この時、かろうじて残った一画が、今では観光地となっていて中世のたたずまいとその狭い路地に家々が密集しているアルファマ地区です。
       
リスボンの街はこの後、ドン・ジュゼ一世王の命令でポンバル公爵によって再建されるわけですが、Convento do Carmo(カルモ修道院)を代表とするいくつかの建物は、この惨劇の象徴として、手を加えられることなく当時のまま保存され今に至っています。

因みに、地震はポルトガル語で「Sismo もしくはTerramoto」と言います。Terraは地球、土地、 moto=運動、運行の意味があります。下の画像は2014年に訪れたときのカルモ教会です。
carmo1[1]

また、興味あらば、下記の関連記事がありますので、どぞ。

リスボンのアルファマ区域
リスボン大地震の爪あと:カルモ教会


本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。


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2013年12月5日 

ブダペスト旅行記、もう一話、残っておりますが、今日は久しぶりに我が家
のネコの話を。

december1.jpg

ご長老のゴンタはストーブの上に陣取って、この通り船を漕いでおります。
kokkuri-1.jpg

と言うので、我が家には5匹のネコがいます。

一番若いので7歳のトラネコ、ゴロー君(ノラだった)、9歳の紅一点赤ト
ラネコのチビ(これもノラだった。我がモイケル娘が大学受験で日本へ行
く間近にサントス家に紛れ込む^^;)、10歳の黒猫のPretoことぺト
(ポルトガル語で黒の意味。息子が置いて行った)。

13歳の白黒クルル。モイケル娘に言わせると、男のくせになよなよ~と
しているのだそうだ。よって、しょっちゅうぺトにいじめられている。
なんだ、男のくせに!と言う具合だ。そして最後が長老のゴンタ、推定齢
14、5歳。ノラだったのが我が家のメンバーになり、今は痩せて盲目で
はあるが、未だボスの地位を保っています。いざと言うときには、目が見
えないというのに飛んで行って喧嘩の仲裁に入る。目下のところ、見えな
いのが不安なのであろう、その分すっかり甘えん坊になった。

そのねこたちですが、先週は2匹が立て続けにフラット2階の我が家から
階下へ、つまりは外へ落ちたのであります。

始めは洗濯物干し場の窓から。赤←のあたりをよく渡り歩いて下界を見下
ろすのが好きなゴローが、次は表通りに面したベランダから↓チビがと、
varanda.jpg

これで全員、落下の洗礼を受けたわけですが、面白いことに、他家のネコ
は知りませんが、我が家のは落ちた場所から決して動かない。その場で固
まるのであります。ゴンタを除いてはみなどれも外界を知らない箱入りネ
コたちです。見知らぬ世界の突如として落ち、さぞかし恐ろしかったので
しょう。連れ戻されたChibiの情けない様子と言ったらありません↓
2013_chibi.jpg

師走の寒空、捨てられたり迷いネコになったらサバイバルできないかも
そう思うもので、あっと思った時はわたしも足がもつれて階段を駆け下り、
迎えに行くのであります。

今に始まったわけではないネコ落下事件、ホームページからこちらのブログ
へ引越し作業中の過去エッセイをアップいたします。では、以下、「晴れ、
ときどきネコ」


「晴れ、ときどきブタ」というアニメ、もしくは絵本をご存知でしょうか。
子供が書く日記のお天気欄に、主人公の男の子がふざけて「晴れ、ときどき
ブタ」 と、ある日書いたところが、ほんとうに空からブタが降ってくる、
って話なんですけどね。

小さい頃、うちの子供たちはこれに夢中になりまして、繰り返し共にビデオ
を見たものです。我が家のは「晴れ、ときどこネコ」であります。

数日置きに、ネコが脚を踏み外してか、台所そばにあるベランダの洗濯物干
し場から、 昨日はクルル、先だってはゴンタ、そして、べべたん(もうあ
ちらの世界に逝きました)、ぺトちゃんと順番に二階の我が家から、階下の
庭に落ちるのでありました。

その都度、外へ出慣れてるゴンタをのぞいては、全員およそ外出したことの
ないネコたちなもので、けたたましい声で「落ちた落ちた~恐いよ~」
と助けを求めて家人を呼ぶのであります。

出なれてるゴンタ君は「もっけの幸い!」とばかりに悠々と散歩に出かける
のですが、出たことのないネコ達は、落ちたその場で固まってしまい微動
だにしないで、悲鳴を上げる。  
「あ、またや!」と手にまず鍵を持ち、(慌ててこれを持たずに出ようも
のなら自動ロックでドアが閉まって、鍵を持つ誰かが帰宅するまで家には
入れない・・・)、走って玄関口を出、車庫のある裏手の階下へと拾いに
行くのです。  

先日もその突然のネコの泣き声で「ありゃ!」と思い、窓から顔を出して
見ると案の定。 「あらら、べべちゃん、落っこったのね。そっから動い
ちゃだめよ~、今迎えにいくから。」と叫んでましたら、階下のおばさん
とその小学生の息子、同じく窓から顔出して上を見上げながら言うことにゃ
「今日も二階からネコが降ったん~~~、あははは」・・・   

上からしょっちゅうネコが降ってくるとこって世界中探したってそうザラに
はあらへんで・・・思わず、「晴れ、ときどきネコやな・・・」
ボソッと呟いてしまったわたしでありました。


本日も読んでいただきありがとうございました。
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テーマ:猫のいる生活
ジャンル:ペット
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