2013年7月3日 

6月に紹介しましたが、写真ではなくて自分の目で見てみたいと長年望んで
きたプレラーダ園の小さなお城こと塔は、期待を裏切らない美しさでした。
さて、それに続き今回は池にある塔の入り口から丁度延長線上にある石像に
ついてです。

今日のエントリーはみなさんに披露するというより、思考錯誤するわたし自
身のメモです。ちょっとなぁ、という方はどうぞスルーをば。

塔と併せてこの石像はプレラーダ園のなんたるかを分かる人にのみ示してい
るのです。池の周りを歩きながら通り過ぎていく夫を前にして何か無いかと
デジカメ片手にキョロキョロと周囲を見回していると、目に入ったのが正に
探していた石像の「後ろ姿」でした。
prelada


この像は塔に正面を向けているのではなくて、前方400mほど向こうの
プレラーダ邸に向いています。訪れていた殆どの人は、わたしが見た限り、
この我が憧れの石像に注意を払う人は誰もいませんでした。

これだこれだ!と石像の前に回ろうとすると、なんと黄色い柵が遮っていま
す。困ったぞ、と思ったのは一瞬のこと、申し訳ないが躊躇することなく石
段を降りて柵の横隙間から「ご免あそばせ」と通り抜け真正面に立ちカメラ
を向けました。

開園とは言うものの疑ってかかったわたしは入りしなに「これからはずっと
開いていているのか」と警備員に聞いたのです。その返事や、「開いてい
るかもしれないし、いないかもしれない。まだ分からんのだ」
・・・なんだそりゃ^^;

この機会を逸せばまたもや何年も待たされるやも知れない。通常は鈍いわた
しですが、「この機を逃してなるものか」との思いが咄嗟に思考回路を巡ら
し、「ご免あそばせ」となったのです。

なかなかやってこないわたしを気にしてか、引き返してきた夫、「な、なに
してるんだ?」^^;

石像の正面に立つには石段を降りることになるので、池の周りを歩いて
いる人にはわたしの姿は見えないわけで、夫に「あっち行け~」と手でジ
ェスチャー、そして撮ったのが下の画像です。
prelada

石像全体のシンボルは、下から帆立貝、亀、亀を支える二人の翼を持つ天
使、亀の上にある台座のようなもの、そしてトップの乙女像が立つ異様な生
き物。

帆立貝、亀はいずれも錬金術、秘儀思想のシンボルでもあります。亀は太古
からの生物で宇宙を表すとして、当ブログでかつて案内したシントラのレガ
レイラ邸でも見られます。
何度か行って探し当てたレガレイラ邸の亀!レガレイラ邸の主億万長者モン
テイロ氏は邸の屋上に実験室を設置していたのではある。↓
prelada

石像の上部を少し拡大してみました。
prelada

この石像についてネットで検索してもほとんどヒットしなかったのだが一箇
所、イルカに乗るオーロラだと言うのに突き当たった。しかし既存のイルカ
に比べ、顔のなんとアジア的なこと!この顔は東洋では獅子、つまりライオ
ンになると思う。

単なるドルフィンというのでは納得できず随分あちこち調査した結果、これ
は胴体がイルカ、羽を持ち頭部は時にライオンだったり、馬だったりする
Sea Griffinと呼ばれる海の怪獣だと判明。頭部の横についているエラの
ようなものは翼を表すのかも知れないと勝手に解釈してみる。

prelada
Wikiより。イギリス、サセックスのFishbourne 宮殿にあるモザイク。

さて、こうして探っているうちに、どうもどこかで見かけたような気がして
いたのだが、あっ!と思い出した。これとそっくりのをフレイシュ宮殿で見
たのである。
prelada
写真はフレイシュ宮殿修繕以前。現在は修繕されてポザーダ(お城、宮殿な
どの歴史的な建物を高級宿泊施設にしたもの)になっているが、画像は修繕
以前のもの。

prelada
これとてもズームアップしないと分からないシンボルではある。

いかが?こうして見るとエラに見えるのはやはり羽であろう。ナゾニはこの
東洋的なライオンの顔をどこで知ったのだろうか。フレイシュ宮殿につては
先ごろ新たな発見をしたので、近々再度、取り上げてみるつもりです。

イルカは「王の魚」と言われ王冠をかぶっているのは頷けるが、「王」とは
一体誰なのか?はたまた女王なのか?

オーロラはローマ神話での名前でギリシャ神話ではエーオースとなり天国の
扉を開けて夜明けを告げる女神。翼とばら色の指を持ち「時と知性」のシン
ボルだと言う。

しかし、イルカやSea Hourseに乗るのはギリシャ神話に登場するネレイデ
だ。ネレイデはエーゲ海底の銀の洞穴にすむ海の女神で、イルカに乗って移
動する。この乙女像がオーロラだとすると翼がないし、オーロラはイルカに
は乗らないのだ。よってネレイデではないか、がわたしの意見だが、ネレイ
デでは錬金術との関連が今のところ出てこないのである。
prelada

また乙女像の左手はイルカの尾に触れているが、右手に何か持っているのか
どうか、持っているとすればそれは何なのかが判明できない。というので、
この乙女像については壁に突き当たってしまった。

しかし、である、ちょっと面白いことを考えてみた。

イルカをイエス・キリストのシンボル「イクトゥス」↓だと想定するとイル
カの上に立つのは紛れもなく、イエスの第一弟子マグダラのマリアだと考え
られるのだがどうだろうか。
prelada

ローマカトリックの礎は天国の鍵をイエスから授かったと言われる聖ペドロ
だが、ペドロは女性蔑視思想を持っていたとも言われ、マグダラのマリアを
敵対視していたと伝える書物もある。イエスの死後、弟子達の間でふたつの
勢力争いがあり、マグダラは敗れてフランスに逃れたという説はなりたつの
ではないか。

さて、この石像が持つもうひとつの錬金術のシンボルについて。
prelada

ここでは台座のようになっているが、ナゾニの多くの建築物でこれを見かけ
る。下はプレラーダ邸を囲む、半分崩れかけた外壁である。右手に石灯籠の
ように見えるのがその類だ。壁の中央には大きな帆立貝のシンボルも見える。

prelada

上載、フレイシュ宮殿のイルカの写真右にも見られる。長い間わたしはこれ
をソロモン宮殿を表すと想像してきたのだが、つい先ごろ読んだ小難しい本
にパリのノートルダム大聖堂に彫られた多くの寓意図像が錬金術、秘儀の作
業を表しているとして取り上げられている。

prelada prelada
左:パリ、ノートルダム大聖堂、産後の審判の入り口に見られる。「錬金炉を
外界の影響から守る守る錬金術師」とある。右:同じくノートルダム大聖堂、
救世主の入り口。「哲学的煮沸」と説明がある。

写真の中に見られる炉は多少形こそ違え、わたしがソロモン宮殿だと思ってき
た形に実に似ているではないか。ひょっとして、マグダラの塔も錬金炉か?と
ふと頭をかすめた。

イエスが不思議な術を使い、多くの魚を呼び寄せたり突如としてたくさんの
貧しい人々のためにたくさんのパンを用意し配ることができたとは、聖書に
書かれてある有名なエピソードである。イエスが秘儀を使うことができる人
だということを表している。

ここでわたしは大胆な想像をしてみた。マグダラのマリアはペドロのライバ
ルであり、優れた女性秘術師、錬金術師であったのか?

このような仮説を立てると、ライバルに敗れたマリアが本来の姿を隠し、フ
ランスの地に逃れ、後の世の秘儀参入者の間でローマカトリック勢力の異端
迫害から逃れるために極秘裏にその思想と術が、その道の人のみが分かる
種々のシンボルで秘儀内容が伝えられてきたということが言えはしまいか。

ローマカトリック教が絶大なる力を持ち、キリスト教以外は物にもあらず
と世界への布教が勧められたヨーロッパ中世の時代にいた異端思想の人々に
とり、発覚は即、死につながる時代ではあった。

日本も含め、現代の欧米社会は発言、表現、行動が思うようにできる自由社
会だ。が、現代もなお、世界にはその自由を束縛する宗教がある。そんな社
会で、異なった思想を持つ人も必ずやいるものと思われるのだが、彼らはど
のような形で、自分達の思想を発信しているのだろうかと考えると興味深い。

歴史シンボルの謎解きは人類の真実の歴史を紐解くことだとわたしは思う。
レオナルド・ダヴィンチ、ラファエロ然り、先に拙ブログで取り上げたシン
ボルを書き込むことでバチカン法王に大いに抵抗を試みたミケランジェロ然り。

また、マグダラのマリアを娼婦であると書いてきた聖書のくだりも、その真実
性がどうも本当ではないと研究により少しずつ判明してきている。

なんにせよ、既存する歴史を与えられるまま鵜呑みにすることは危険なので
ある。

最後に、下図はプレラーダ園の地図だが、赤丸が塔、そこからまっすぐ下に
延びる直線は石像を通過し、
prelada
400メートル向こうにあるプレラーダ邸のラビリントスにつながるのを発見した。
prelada
画像はWikiより。

乙女像の謎解きはまだ釈然としないが、引き続き時間をみては探ってみる
つもりだが、造園、建築をしたナゾニ、そして建築依頼主も秘儀思想主義
の人であろう。

案の定、プレラーダ邸の開園はわたしたちが訪れたその日一日で再度閉園
となった。

ポルトガルの高級宿泊施設ポザーダはこちら

最後まで勝手推察にお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年6月25日 

ポルトもサン・ジュアン祭が終わり、やっと夏到来。本日は真っ青な空に雲
ひとつない快晴です。これこそがポルトガルの夏であります。
ところでSuper Moon、ご覧になりましたか?

2013年で地球に一番近くなり、一番大きく見える満月をスーパームーン
ろ言うのだそうです。下記、Wikiから拾って来ました。
スーパームーン

23日のサン・ジュアン前夜祭にまだかまだかと満月が昇るのを待っていま
した。そして、夜12時も近い頃、昇ってまいりました、通りを挟んだ我が
フラットの向かいの屋根の後ろから(笑)

スーパームーン
 
うちはフラットの二階ゆえ、ベランダから見る月は写真のように向かいのフ
ラットから昇るように見えるのであります。

スーパームーン

デジカメですので、画像がどうもいまいちですが、ご勘弁を。
んで、お向かいからは見えないのでありますね。うふふふふ、悪いなぁ。
よって、我がベランダでは月光浴もできると言うもの。子供たちの部屋も
通りに面しているもので、時に窓から月光が差し込んでハッとさせられる
ことがあります。

「忙しい」と書いて「心を亡くす」。日ごろの忙しさに自然の美しさ恵み
から目をそらしている自分をつかの間、反省します。

さてもさても、プレラーダ園のシンボル・ミステリー解読に没頭してきた
ここ数日、取り上げてみます。下はプレラーダ園の入り口。

prelada

プレラーダ園は先日紹介したプレラーダ邸とつながっており、かつては邸
から散策できました。しかし、所有はポルト市に移り、邸そのものは一時
老人ホームとして利用されていました。そしてこれは一時期キャンピング場
として園が使われていたころの出入り口です。

prelada
入り口からまっすぐの並木道を歩いていくとたどり着くのがもうひとつの門

その向こうに見えたのが、わたしが自動車道路を走りながらいつも右手に見
えて気になっていた塔です。マグダラの塔の様子をしていますが、実はポル
トガルで一番小さい「Castelo(カステロ)」こと、お城なのだそうです。

prelada
美しい。

池の中にあるということにまず注意を払います。ひょっとすると、洞穴が
ないかと思いきや、案の定、ありました。ちょうど塔の後ろに位置します。

prelada

う~む、やはり。
prelada

↑日光がさして水面で光った円を作っていますが、月光がこの横穴から差し込
むのではないかと、勝手想像。水のある洞窟から塔が見られる。

prelada

塔の位置がずれるのは、洞窟の真ん中から撮影できないからである。

これらのアイテムから、既にプレラーダ園は神秘主義(古代ギリシャの秘儀。
錬金術、ヘルメス主義、神智学、自然哲学、カバラなどの総称とされる、と
思う)を表現しているとわたしは解釈する。

プレラーダ邸は恐らく大まかに改築されたであろうから、先日内部案内して
もらったときには、殆ど見かけることができなかったので、再度訪問する必
要があると思っているのですが、邸の外部に見られるいくつかのシンボルか
らは神秘主義思想が否めない。これについては後日に。

さて、この塔同様、わたしが観たかったもうひとつはこれです↓

prelada

次回はこの像について書きます。
なお、これはあくまで「謎追っかけ」を趣味とするspacesisの素人解釈で
あることをお断りしておきたいと思います。

それでは皆様、本日もお付き合いいただきありがとうございます。おもしろ
いと思われたら、ランキングクリックをしていただけたら、嬉しいです。

関連記事→ついに入った!ナゾニのプレラーダ邸
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年6月21日

前の記事で言及した我が友マリアさんとニコラウ・ナゾニの謎を追っかける
わたしとの縁を述べたいと思います。実を言えば、6月18日の「プレラー
ダ園」とも関連してくるのです。

ポルトを中心にポルトガル北部にたくさんの建築を残したナゾニですが、そ
の建築物の所々にはめ込まれている風変わりなシンボルに惹かれ、以後数
年来ナゾニの作品を追いかけています。

多くの建築物の中でも一番最初に「シンボルがおもしろい!」と探すことに
なった、フレイシュ宮殿との出会いが、マリアさんと繫がるのでした。

過去に我がホームページ「ポルトガル・ロマン」サイトで綴っていますが、
前のパソコンが壊滅して以来、そちらの方の更新が不可能になってしまい、
目下、全記事引越し中。恐ろしい作業です・・・

そこで、ついでにこちらのブログサイトに載せたいと思います。長年お付き
合いいただいているブログ友、ネ友の中にはすでに読んでいる方もいるかも
しれませんが、その場合、スルーしていただきたいと思います。
では、以下、引越し記事です。

フレイシュ宮殿への道

「フレイシュ宮殿への道」は2005年11月の発見から2006年4月、実際
に宮殿に入るまでの過去録をまとめたものです。

2005年11月6日(日) 宮殿を探しに

今日は久しぶりのいい天気で、午前中、夫を引っ張り出し、車でポルト散策
しました。目当ては、ポルトに渡ってその生涯をここで終えた、かの18世紀
のイタリア人画家兼 建築家「ナゾニ」の作品と言われる「フレイシュ宮殿
ことPalacio de Freixo」です。 
ドウロ川沿いにあり、家からさほど遠くはないずなのですが、午前中に探し
あてることができませんでした。・・・

夕方午後5時近くにもう一度探しに出発! 陽が大分傾いて来たころについに
見つけましたぞ!しかし、あんなに素敵なバロック風の宮殿が、あんなところ
にあるとは。そして、知らない一般人が多いなんてもったいない!
残念ながら鉄柵で囲ってあり入ることはできませんでした^^;

これではツーリストが気づくはずもありません。外見もさることながらわた
しはこの宮殿の中を見てみたかったのです。 

一般公開していないとなると、なおさら見てみたくなるのが人情と言うもの、
ただいま、なんとか入れないものかとツテを探り中です(笑)

ナゾニのこの遺作も、或いは他のいくつかの作品と同様、市の予算がない
ため、持ち主から寄贈されたものの、「金がなしでどないもでけまへん」式、
荒れ果てたままにしていかないかと気になるところではあります。

2005年11月7日 歴史の時空

世の中にはこんな奇遇があるものだと、今日はつくづく感じ入って家に帰っ
てきました。

コペンハーゲンから帰って以来、忙しかったのと雨天だったのとで、ここし
ばらく月曜日のポルト・デジカメ突撃隊(笑)を休んでおりましたが、今日
はいそいそと出かけて参りました。

11時に、1年半ぶりに顔を会わせるポルトガルの友だちを自宅に訪ねる約束
もありました。曇りですが、途中の公園に車を乗り捨てて、1時間少し歩き
回り、友人宅を訪問。

彼女は1年半前にご主人を亡くし失意の毎日でしたが、ようやく元気をとり
戻してきたようで、会うことになったわけです。まだモロイところが見受け
られますが、大丈夫、彼女の新しい人生の歯車がギィ~っと音を立てて動き
始めたように感じます。

一年半のつもる話をあれこれしたところで、自分のデジカメ突撃隊の話をし、
昨日、夫と探し回ったフレイシュ宮殿に話が及び、
「あんなところに、なんの標識もなく荒れたままにしてあるのよ。もったい
ない。おまけに行ったけど入れなかった、残念無念」

とこぼしましたら、ボソリと彼女、

わたしの母はそこに住んでいたのよ・・・」
 「ん?そ、そこってどこ?」
 「Palacio de Freixo・・・」

鳥肌が立つとはこんなことを言うのです。なんという奇遇!偶然!
みなさん、信じられます? 昨日の今日ですよ!

フレイシュ宮殿はナゾニによって完成されて以後、バロンを初め持主を何
人か変えてきました。一番最後の持主は、彼女の祖父。株の暴落で失敗し
手放すことになったのだそうな。

「あなたはそこで生まれたの?」
「いいえ、わたしは祖父を知らないのよ。工場もフレイシュも手放した後、
自殺したの。」
「・・・・・・・・・・・」

宮殿の横には、今では廃墟となった荒れ果てた大きな工場があったがそれ
が彼女の祖父の工場だったのだそうだ。
「母の兄弟は七人。 最後に残ったおばは、2年前に亡くなったわ」

そうです、わたしは時々、その伯母上の話を彼女に聞かされていたのでした。
彼女が言うには、自分の一族がフレイシュ宮殿に住んでいたことは家族から
聞かされていたが、自分は一度もそこを訪れたことはない、とのこと。
 
わたしが、修復工事を手がけて、この夏亡くなった建築家のサイトで、内部
の素晴らしさを知ったと話すと、従兄弟がかつての宮殿内で撮られた古い写
真を持っているかもしれない、と言います。

わたしたち二人が話していた彼女の書斎には、古いピアノがあったのですが、
そのピアノはかつて宮殿にあって、母上が使っていたものだそうです。 
彼女の母上はピアノの先生でした。海辺にある彼女の別荘には、他にも宮殿
を手放した時に持ち出した当時の家具がいくつか置いてあるのだそうです。  

わたしはこれまで何度もその別荘に招かれていたのですが、時間がとれず、
今日まで来てしまいました。
今までそんな上流社会出だと言うのをおくびにも出さず、まったく気取りの
ない彼女ですが (わたしはそこが好きなのです^^)、この本日の偶然に、
ただ恐れ入り、ナゾニを通した不思議な出会いを感じないわけには行かな
いのでした。
フレイシュ宮殿の歴史の一部を見て来た、母上の形見の古いピアノ、写真を
撮らせてもらいました。 鍵盤その他の木の部分がボロボロになっていたの
を、新しいピアノが買える程の修繕費をかけて直し、今も彼女が、そしてピ
アノを習って音楽学校に通っているお孫さんが弾くそうです。
freixo-piano.jpg

ということで、マリアさんとフレイシュ宮殿とわたしのいきさつでしたが、
このころ、宮殿はいったいどうなるのかと気にかけていたのが、現在は修繕
改築され、ポルトのポザーダ(古い宮殿や修道院、お城などを修繕した高級
宿泊施設のこと。後記にて案内)として広く利用されています。

さて、次回はいよいよ「プレラーダ園」です。
これもなかなかに面白みがあります。
ナゾニらしく、メッセージを伝えんがためと思われるシンボルが見られます。
お楽しみに!

興味のある方はこちらにて→「宮殿ポザーダ(外観)」
       →フレイシュ宮殿(内装

また、ポルトガル国内のポザーダに興味のある方は、こちらへ↓
                「ポルトガルのポザーダ
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年6月14日 

昨日は12時からの日本語レッスンが直前にキャンセルになり、次のレッス
ンまで少し時間ができた。

この所ずっと曇り空の天気が続いていたが、真っ青な空が一面に広がり気持
ちもいい。予測なしに転がり込んだ自由な時間、外へ出かけない手はない!
と気になっていたCasa da Preladaこと「プレラーダ邸」まで車を走らせた。

プレラーダ邸とわたしのいきさつはこれまで何度か書いているので細かいこ
とは省かせていただくが(記事終わりで案内いたす)、プレラーダ邸は18
世紀にポルトに移住し、多くのバロック・ロココ調建築を残したイタリア、
トスカーナ地方出身の建築家、ニコラウ・ナゾニが手がけた私邸のひとつだ。
ポルトや近辺の街には彼の建築がたくさん見られる。

ナゾニは壁画画家でもあり、建物、絵のそこかしこに見られる彼のシンボリ
ックな象形にゴチック建築に見られるような不思議な魅力を感じ、ずっと興
味を持ってきた。

長い間閉鎖されたままで、これまでに何度か足を運び、ナゾニファンのわた
しはいつの日にかこの邸宅と邸の後に広大に広がる庭園を見てみたいとずっ
と願ってきた。

それが、日本から帰国後間もなく邸の修繕は終了し文化センターとしてオー
プン、そのセレモニーが催されたことを新聞で知らされていたので、ひょっ
として中を見られるのではないかと思い立ち、行ってきた。

prelada
ファシャーダ(表門)の壁も薄緑色に彩られ、真っ青な空に映えている

人魚が頭に掲げる巻物らしきものの謎は未だに解けていないのだが、
prelada

その門をくぐるなり訪れた冬場には目につかなかった二本の大木の緑も鮮や
かに、その後ろに黄色い邸がたたずんでいる。

prelada

邸の内側からみた表門。
prelada


入り口のホールに入ると警備員が一人いたので、一般人でも内部の見学がで
きるかと聞いてみた。すると、ちょっと待ってくれと内線電話で連絡をとっ
てくれ、「今、人がくるので少し待て」と言う。

10分くらい待ったであろうか、階段を降りて若い男性がやって来、さぁ、
中を案内しよう、と言う。え!一人ですけど、いいんですか?と尋ねると
「もちろん」。

修繕された部屋という部屋、つまり邸宅の部屋が展示会場やオーディトリオ
や会議室に改善されたのだが、一室ずつ説明しながら案内してくれた。

内部撮影は禁止だと言う。残念。

prelada

ナゾニを思わせる独特の不可思議な壁画も見られず、それを期待していたわ
たしはがっかり。3階建ての邸ゆえ、それぞれの階段づたいの壁は広いスペ
ースが見られ、なんのへきがもないとはナゾニらしからぬではないか。

長年荒れるままにされてきた邸である、修繕不可能ということになり、壁画
はとりのぞかれたということはあるまいか、と何もない壁を見ながら心中勝
手に思ってみたのだが。

カルチュアセンター機能を円滑に活動させるためにと邸に新しく増築した
部分のホールも案内してくれたのだが、日の光をいっぱいに取り込むその
ホールの窓から、見えた!イベリア半島の大きな迷宮こと「ラビリンス」。

labirintos
画像はWikiより

邸もさることながら、それ以上にわたしが興味を持ってきたのが、実はここ
を訪問する直前に、ひょっとして入れるかも知れないと思い、行ってみたのが
Quinta da Preladaことプレラーダ庭園だ。が、No Visiterの標示が相変
わらず掲げられてあった。

そこで邸の案内人に聞いてみた。
「キンタ(Quinta)の方はまだ入れないのですよね?」
すると!「今度の土曜日に開きますよ」

これはこれは!土曜日は仕事で結構きついところがあるが、見逃せない
ぞ、よし!

prelada
装いも美しく蘇ったプレラーダ邸ことプレラーダカルチュアセンター。

プレラーダ邸についてはこちらでも。

本日も読んで頂き、ありがとうございます。
バタバタしている中で記事をアップしたりしていますので、これまでにも
増して誤字脱字が見られることかと思いますが、どうぞご勘弁ください
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年2月17日 

2月3日、7日の記事で18世紀のイタリア建築家ニコラウ・ナゾニのCasa
da Prelada邸宅を取り上げましたが、本日はもう少し、それについて。

訪れた日は邸宅内はおろか敷地内にもまだ入れず、外からの撮影でしたが、
実はその日1時間半も近辺をうろついていたのであります。

邸宅は長さ1キロメートルもあると言われる広大なQuinta(キンタ=別荘
地)の片隅にあり、現在はそのキンタの真ん中を自動車道路が突っ走るとい
う残念な状態になってしまっています。

かつては子供たちがいた頃学校へ迎えに行くとき、そして現在はポルトガル
語のDias先生のお宅へ伺うときと、しょっちゅうこの自動車道路を走ってき
たのですが、ある日遠く野原の向こうに一瞬、マグダラの塔のようなものを
垣間見た気がしたのです。

prelada
↑プレラーダ邸の背後はまだ整理されていない。この土地も写真左側に道路
が造られ、わたしはそこからこの画像を撮影


自動車道路ではみな時速100キロ以上のスピードで飛ばしており、今でこ
そわたしもそんな調子で突っ走っていますが、当時は「誰がなんと言おうと、
アタマにくるクラクションをどんなに鳴らされようと、80キロ以上は絶対
出さんぞ!」80キロなら万が一事故に遭遇してもまだ被害が大きくならず
に済むだろうと頑なにそれを守っており、後ろからクラクションが鳴っても
「ふん!Passa por cima!できるもんなら上を飛んで追い越せぃ、はは」
と悪態をつき、テコでも80キロをオーバーしなかったのであります。

塔とおぼしきものが見えるあたりに来ますと更に速度を緩め、チラと見る。
何度が確認した結果、あれは間違いなくマグダラの塔もどきだ、と結論。

14世紀から16世紀にかけて、メディチ家の保護によりフィレンツェルネ
サンスの黄金時代が築かれたわけですが、神秘主義の芸術家ミケランジェロ、
ダヴィンチ、ラファエロが、そして君主論を世に出したマキアヴェリが活躍
したイタリアのトスカーナ地方、そに生まれたナゾニがこの影響を受けない
はずはない。プレラーダ邸がナゾニの手によるのであるから、マグダラの塔
はさもありなん。

prelada
↑かつてのプレラーダ別荘地の一部は現在プレラーダ病院棟にもなってお
り、ご覧のように、手前には水道橋の遺跡が見られる。一時はどうしても
マグダラの塔見たさに、この病院から入れないものかと思案したこともあ
るが、土地が途中で切れていることが判明。無理。


恐らくあの位置からすると塔はプレラーダキャンプ場の中になる。なんとか
して一目見てみたいものだと長年思っていたのです。

が、かつてわたしがプレラーダ邸を探してプレラーダキャンプ場に行った
時と違い、キャンプ場は何年も閉鎖されたままで入場不可能。いくら入っ
て見たいと思っても無理なのでありました。

そこで、もしやもしやとプレラーダ邸の後ろを回り土手道に出て少し歩い
て見たところが、おーーー!
prelada

土手道は上りになっており、上り詰めたところから向こうに見えたのはかの
塔ではないか!しかし、小躍りして喜んだのも束の間、土手を降りると低い
石塀で囲まれた広い畑地になっており、畑と塔はやはり塀で仕切られておる
のでした。

我がデジカメでは遠すぎる・・・が、ぬかる道に苦心してやっと撮れたのが
これです。

prelada

聞けばこの塔は池の真ん中に建てられており、これから見られる塔の反対側
には美しい噴水が見られるのだそうな。そして、もうひとつ、最近調べて
分かったことに、この敷地内にはイベリア半島で最も大きなラビリントこと
迷宮があるのだそうだ。

マグダラの塔、池、そしてラビリントとくればプレラーダ別荘地全体が神秘
思想を盛り込んでいるのに外れはないはず。これはなんとしてでも見てみ
たいもの。もう少し暖かくなったら方法を探ってみないと!

ということで、プレラーダ邸についてはひとまず、置きますが、次回はわた
しが見つけたもうひとつのラビリントをご紹介したいと思います。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村