2015年3月26日 

今日は写真が盛りだくさんです。写真の2枚ほどを白黒にしてみました。

リスボンのアルファマを歩くのは初めだが、この地区に入るのは二度目です。

アルファマ

亡き母が、「どうしても娘が嫁いで住んでいる国を見たい」と、わたしたちがポルトガルに帰るのに合わせて一緒にやってきた26、7年も前に、親孝行の真似事をと、リスボンまで家族旅行をしたときに訪れたのが最初でした。

ポルトガル滞在歴10年足らずのあの頃は、夫がどこへ連れて行ってくれても「この国ってどんな辺鄙な田舎でもサッカー場と教会だけはあるのね。教会なんてどこも同じじゃない。フン」と、時々憎まれ口をきいていたのでした^^;そうまで言うほどにこの国に愛着心の「あ」もなかった(笑) 分かっちゃいなかったのですね、なぁんにも。

後2、3年もすればポ国滞在40年のわたし、10年滞在のあの頃は青二才の口だったな、と思うこの頃。大概のことを自然体で見られるようになりましたが、この国の欠点にばかり目が行く間は、周囲がよく見えていないとでも言えるか。
アルファマ

話を戻しまして、最初のときは、うかつにも車でアルファマ地区に入るという、わたしも夫も田舎者ではありました。狭い道が入り乱れているアルファマです、セコハンの大き目のフォード車に乗っていたこともあり、行き止まりの道迷い込み焦ってそそくさと出てきたのですから見る余裕などなし。

車で乗り入れたのには、アルファマは当時もバーなどが多く危険な区域だという噂が当時は聞かれ、歩くのを避けたのでした^^; 今なら日中は恐らく問題がないと思われます。

アルファマ

1755年11月1日のリスボン大地震はマグネチュード8.5から9度、リスボン南のサン・ヴィセント岬の西南西200キロの大西洋海底が震源と推定されています。この時の死者は津波も合わせて10000とも90000とも言われていますが、多くの宮殿を含む建物の85パーセントは破壊されリスボンは壊滅しました。当時のリスボンの人口25万人のうち、2万人がこの地震で犠牲になったと言われます。

アルファマ

11月1日は「聖人の日」で、習慣として前夜から多くの家や教会ではロウソクの灯が灯されていました。また、この日は非常に寒い日だったので、各家庭では火を炊いて暖をとる家が多かったのも大きな火災の原因になりました。

テージュ川が流れ込み、海に面しているリスボンは同時に津波にも襲われました。地面が裂け、その地割れが水を、風、蒸気を呼び、火災も3日間続き、リスボンをほぼ完全に崩壊したのです。宮殿を始め、絵画、古書など失われた国家財産は膨大なものだったと言われます。この時、かろうじて大きな被害を免れたのが、狭い路地の迷路が密集しているリスボンの旧市街、アルファマ地区です。

alfama12.jpg

アルファマも目の前がテージュ川なのに、なぜ被害が少なかったのか。今回アルファマを歩いて後、近くのアポローニア駅まで行く道すがら、振り返ってみて気がつきました。アルファマは見上げるような小高い丘にあるのです。それと、調べてみてわかったことですが、この丘に建つサン・ジョルジュ城、大寺院、そしてアルファマ区域に巡らされた中世時代の壁の遺跡(Muralhas de Lisboa)も津波から守ることになったのかもしれません。

alfama13.jpg

Alfamaとはアラブ語のAl Hamma, Hot spring熱い泉、Bath浴場という説と、Alhamme、口という説が
あります。いずれにしても、アラブ人が支配していた時代にはアルファマは街の中心であったのが、キリスト教徒のレコンキスタ国土奪回戦争でやがて、リスボンの中心はバイシャ(baixa低地)へ移り、ダウンタウンになります。

アルファマ
ファドが聴けるレストランや小さなバーが多い現在のアルファマ。

alfama14.jpg
Jose Malhoa(ジュゼ・マリョア)による絵「Fado」はよく知られる。

alfama15.jpg

夫と迷路を歩き回り、アルファマ旧市街を出ようかという時に出会った一連のツーリストグループ。
アルファマ

う~ん、歩かなくて済む楽な手もあるにはあが、これじゃぁ、石段は上れないよ?写真撮るのも大変だぞ・・・操作違いで突然バックしたりしてね^^;わたし向きでは、まず、ないな。

一つことに夢中になると疲れも忘れてしまうタチのわたし、アルファマはもっと歩きたかったのだが、「もう5時間近くも歩いてるよ(リスボン市内を)」と夫が音をあげました。どうだ、まいったか。お主の妻の健脚ぶりに。わっはっは。

観光は歩くに限るのである。

本日もお付き合いくださり、ありがとうございました。
では、また。
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2015年3月18日 

セルベジャリーア・トゥリンダーデ入り口をくぐるといきなり右手にこのアズレージュです。

Cervejaria Trindade

折れた柱を持つ、もしくは柱を支える女性は、古典タロットカードの一枚に見られる絵で、「力(Power)」を表します。通常のタロットカードでは「力」ライオンを連れた女性として描かれます。タロットカードは、輪廻、再生、霊的復活、変容といった異端のテーマに触れており、ローマ・カトリック教会の教義に反する精神性を説くと言われます。(註:異端とは、ローマ・カトリック教会の教義に反する思想を言う) 異端者だと分かると大変なことですから、異端思想の秘儀参入者はこうしてタロットカードを携帯用の教材として使用しました。

上の絵タイルに続くのは太陽を背景として、ピラミッド三角に「All-Seeing Eye」、すべてを見通す目、フリーメーソンのシンボルです。
Cervejaria Trindade

下も同様に。
Cervejaria Trindade

メインホールを見てみましょう。

trindade1-1.jpg
船底型の天井とテーブル、椅子の並べ方は、トマールのテンプル騎士団修道院の食堂を思わせます。
左側に並ぶアズレージュ絵です。

Azulejo

錬金術の四大元素、土(Terra)、水( Água)、風(Vento)、火( Fogo)が描かれ、
azulejo

シンボルのライオンも
trindade_lion2.jpg

右側の壁には同じく錬金術にて自然の要素を表すOutuno(秋)、 Estio(夏)、Primavera(春)の季節の絵が見られる。元は四季の絵だったのが2度の火災で冬の場面は失われた。
Cervejaria Trindade

部屋の正面左の壁には「産業の女神」が左手に携えるのは「すべてを見通す目」と翼の付いた杖です。
azulejo

そして、同じく正面壁右には、翼のある帽子と靴を身に着け手には2匹蛇が巻きつく伝令杖、カドゥケウスを持つのは、疑うことなく錬金術師の守護神ヘルメスです。
azulejo

これだけのシンボルを描いた青タイル絵こと、アズレージュを備えているセルヴェジャリーア・トゥリンダーデは紛れもなくフリーメーソンのものだったと言えます。そこで、創立者であるマヌエル・ガルシアを調べてみましたら、ついに「フリーメーソンメンバーであった」との一文に行き着きました。

170年の歴史を有するビアレストラン「セルヴェジャリーア・トゥリンダーデ」のゲストブックに見られる名前も、マリオ・ソアーレス元大統領、元政治家で現在は大学教授及び評論家として知られるマルセロ・デ・ソウザ、ジョルジュ・サンパイウ元大統領と、そうそうたるものです。

ビール工場からビアレストランとして営業を始めたのは1930年代です。1986年にはリスボン市の文化遺産指定を受けて、現在に至っています。セルヴェジャリーア・トゥリンダーデで飲めるのはサグレスとハイネケンのみ。現在はハイネケンの傘下にあるゆえんです。

azulejo

azulejo
昼食にわたしたちが乾杯したハイネケンビールと、おつまみ類。
 
trindade10.jpg
黒い大理石のテーブルと古い椅子も趣がある。

最後に、奥の部屋に見られる大きなタイル絵は13世紀にトゥリンダーデ修道院を創立した3人の修道士にちなんでいます。
azulejo3.jpg
画像がよくないのはご勘弁。
ワインもビールも、果ては美味しいデザート類までも、美味いものは元はと言えば多くが修道院から始まっていますね。^

セルヴェジャリーア・トゥリンダーデの所在地:Rua Nova da Trindade, 20 Lisboa.
年中無休。思ったより安く、開店時間も午前10時からとポルトガルにしては随分早い。お勧めです。

本日はこれにて。
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2014年3月16日 

トゥリンダーデ(Trindade)と聞けば、映画マトリックスファンでもあるわたしはすぐにヒロイン、トゥリニティ(Trinity)を思い浮かべるのですが、本文に入る前に、レストランの店名でもありますし、トゥリニティとはなんなのか?を少し。

「トリニティー」はキリスト教の三位一体、「父なる神・子なる神・聖霊」が一体であるとの教えで、ポルトガル語では「トゥリンダーデ(Trindade)」と言います。また、「3つのものが1つに心を合わせること」との解釈もでき、キリスト教の世界でもこの三位一体論は厄介らしい。

上述の「マトリックス」は、「三位一体」の定義同様、一度観ただけでは理解し難い映画で、隠されたメッセージがあると思われます。そして、主人公のネオとトリニティー、そしてモーフィアスを、「3つのものが1つに心を合わせる」三位一体と考えることができるのではないでしょうか。

映画を漠然と観ていると、ネオたち、三位一体がいったい誰と戦っているのかはっきりしないのですが、
「マトリックス」はかつて人類と呼ばれた培養人間とAI(Artificial Inteligence=人工頭脳。映画の場合は意識をもつコンピューター。)の戦いを描いているのです。

セルベジャリーア・トリンダーデ

現実だと思って生活していた世界が実は仮想世界であり、現実世界ではネオも培養器にコードでつながれている培養人間だと言うわけです。人類は誕生するのではなく、バイオテクノロジーで培養されているのが「マトリックス」の映画の設定なのです。

こういうことを踏まえて映画「マトリックス」を観直すと、面白いを通り越して不気味な人類の未来を想像してしまうわたしですが、考えすぎ、映画の観すぎじゃ、と言われるでしょうか^^;

Matrix
マトリックスのTrinityこと、三位一体の三人(画像はWikiより)

というので、さて、本題の「Cervejaria Trindade」です。

Cervejaria とは生ビールが飲めて酒の肴があり、食事もできる、謂わばビア・レストランとでも言いましょうか。ビールをポルトガル語でCerveja(セルベージャ)と言います。

現在セルヴェジャリーア・トゥリンダーデがある場所には、13世紀の終わり頃に、「聖なるトゥリンダーデ修道院(Comvento da Santissima Trindade )」が建てられていましたが、18世紀初期に火災にあいます。

1755年にリスボン大地震が起こり破壊。再建されたものの、翌年、再び火災に会い、1834年にはポルトガル国内における宗教団体の廃止命令により、この「聖なるトゥリンダーデ修道院」も消滅します。1834年と言えば、絶対主義者ドン・ミゲルと自由主義者ドン・ペドロ4世兄弟が国主の地位を争ったポルトガル内戦でドン・ペドロ4世が勝利し内戦が終了、自由主義改革が推進され始める頃です。

この2年後に、スペイン、ガリシア人のマヌエル・ガルシアがこの建物を買い取り、ポルトガル初のビール工場、トゥりンダーデ・ビール工場を創立したのが、Cervejaria Trindade の始まりです。
今回の目的はこのビアレストランの中にあるアズレージュなのです。

セルベジャリーア・トリンダーデ

明日は内部の紹介です。

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2015年3月14日 

パスポート更新の必要があり、日本大使館があるリスボンまで出かけてきたのは木曜日。
いつもは車で行くところを、夫の提案で、今回は電車で行ってみようということになりました。ポルトガルは、65歳以上は電車賃や公共博物館拝観料などが割引されます。

我ら夫婦もその対象です^^; ポルト、リスボン間の往復料金が、車で行くとかかる高速料金、ガソリン代の経費に比べて、電車の方が二人分としてもかなり割安になるのです。電車は時刻に合わせなければいけないのでうっとおしく、車での移動の方が時間を自由にできるのでわたしは好きなのですが、途中での休息時間も入れると片道4時間近くの日帰り行程になります。ドライバーの疲労を考えて夫の提案にしぶしぶ賛成したのでした(笑)

午前11時まで入館しなければならないので、朝7時前の電車です。起床5時半。夫よ、翌日は朝から三つの日本語授業とポルトガル語レッスンがあるんだわ、きついよ・・・と宵っ張りのわたしは内心でブツブツ言いながら、電車に乗ること3時間。パスポートの申請を終えた後は、夕方の電車時刻まで、リスボンの街を見学と相成りました。

リスボン

ポルトのカンパニャン駅からアルファ・ペンドラール号に乗って降り立ったのはリスボンのサンタ・アポローニャ駅。
テージュ側沿いにある水色の駅です。下は駅周辺に立ち並ぶ建物。趣がポルトとは違い、どこか南国風です。しかし、建物の後ろに更に家並みが続くのが見えます。ポルト同様、リスボンも実に坂が多い街なのです。

リスボン

大使館があるリベルダーデ大通り(Avenida da Liberdade)からバイシャ(Baixa)こと、旧市街へ歩いてみましょう。この大通りは道幅90m、長さ役1.5kmでリスボンきっての大通り。毎年6月12日には、サント・アントニオ前夜祭の盛大なパレードが行われます。

大通りの左横道を入り石段を上ると、昔からの古い家並みが建て込んでいる細い道にぶつかります。ここには5年ほど前まで、息子が10年間リスボンで暮らしたわたしたちの小さなアパートがありました。
リスボン家4 リスボン家1

はてな?何と言う名前をレストランにつけるのよ?

リスボン

意味、分かってるのか、あんまりな!と夫とあきれながら通り過ぎたのはTivoliホテルの駐車場。ヤバクない?
  
リベルダーデ大通りを下りロシオ駅を右手にして出るのが大広場がロシオ広場(正式名ドン・ペドロ4世広場)。この広場の周辺には1840年来長い歴史を持つ、リスボンっ子なら知らぬ者がいない、ジンジーニャの立飲み屋、「A Ginjinha(ア・ジンジーニャ)」があります。

リスボン

ジンジーニャというのは、赤黒いさくらんぼ、ジンジャ(ginja)から作ったリキュールで、リスボン、アルコバッサ、オビドスなどのポルトガル南部でよく飲まれる甘いお酒です。
3、4人も客が入ればいっぱいになる暗い小さなバーです。ジンジーニャはコップで注文。お酒にさくらんぼを入れてお願いすることができます。

下記にて、オビドスで飲んだジンジーニャについての記事があります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1490.html

カフェ、劇場、多くのブティックを抱えたバイシャ(Baixa)一帯はシアードとも呼ばれるリスボンの文化地区とも言えます。
リスボン

リスボン
鮮やかな赤、緑、黄色のポルトガルカラーです。

リスボン
通りの向こうに見えるのは、リスボンのランドマーク、サンタ・ジュスタ・エレベーター。

下記は「サンタ・ジュスタ・エレベーター」の記事
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1217.html

商店街通りの真ん中のオープンカフェ。
リスボン

リスボン
緑のクラシック・カーからはファドが流れていた。

リスボン

リスボン

↑ポルトガルを代表する詩人、「フェルナンド・ペソア」。彼がよく通ったと言われる「Café A Brasileira 」の前に。Café A Brasileiraはリスボンでも最もよく知られた古い、アールデコ調のカフェです。

フェルナンド・ペソアについてはこちら→フェルナンド・ペソアと「轟く海辺の妻の墓

今回、シアード周辺をウロウロしたのには、目的がありました。それについては次回に。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
ではまた明日。
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2014年9月28日 

2年前に我らがモイケル娘と我ら夫婦3人で訪れたリスボン、見たかった肝心のカルモ修道院が休日で見学不可だったのにひどくがっかりしました。雑誌記事の取材も兼ねて~などと目論んでおりまして^^; この時の旅行計画は全て夫に任せきりで出かけたのですが、やはり行きたいところは自分が事前に調べるべし、と肝に銘じたのでした。

前回は街の中心地であるロシオ広場のある大通りから小高い丘に建つカルモ修道院が見えるので歩いて行ったものの、方向音痴の夫に黙ってついて行ったはいいが、案の定、迷いに迷い。それでも始めは、ま、道草を食ったと思えばいい、意外な発見もあるわいなと思っていたものの、さすが終いにはくたびれてきて、ついついその不満が顔にも出ようというもの(笑)やっと見つけたと思ったら休日でしょ?む~~っとなりましたっけ。

そんなことがありましたから、今回はロシオ広場から少し歩いたところにあるサンタ・ジュスタ・エレベーターに乗って行きました。このエレベーターで上ったところからすぐカルモ修道院へ続く通路があるのです。サンタ・ジュスタ・エレベーターについては2012年に記事にしてありますので、最後に案内いたします。

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サンタ・ジュスタ・エレベーター

7月はツーリストシーズンです、切符売り場では人の列ができてしばらく待たなければなりませんでした。リフトも満員だったため、内部の撮影ができなかったのが残念。エレベーター横のある狭い螺旋階段を上って展望台へ。

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旧市街の赤レンガの屋根屋根の彼方にはテージュ川が望まれます。

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エレベーターからカルモ修道院へと続く通路から見えるカルモ教会↑と教会入り口↓

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上の画像は2012年撮影です。ここで入場券を買います。ポルトガルは65歳以上は電車もそうですが、ツーリストスポットの入場券も割引になります。わたしの2歳下の妹を除いて今回の我ら3人はそれにあやかり^^;利用しましたが、義弟とわたしはどこへ行っても「65だなんてウソでしょ。」と、しつこく身分証明を迫られましたが、このカルモ教会では先立って「身分証明書を見せましょうか?」と言うと、「いいよいいよ。日本人はみんな若く見えるんだ。」との返答(笑) それほどここを訪れる日本人ツーリストが多いと言うことです。

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カルモ修道院の一部、教会はすっぽり天井が抜けて真っ青な空が見えました。  
1755年11月1日のリスボン大地震はマグネチュード8.5から9度、リスボン南のサン・ヴィセント岬の西南西200キロの大西洋海底が震源と推定されています。この時の死者は津波も合わせて10000とも90000とも言われていますが、多くの宮殿を含む建物の85パーセントは破壊されリスボンは壊滅しました。後にリスボンは大々的に新都市計画が始まるのですが、カルモ教会は大地震の記憶を後の世に伝えようとそのまま残されたのです。

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現在、屋根のない部分には古い展示物が置かれている。

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上部の山の形と三つの八ぼう星はカルモ修道院会のシンボル。(星はペンタゴン、六ぼう星の場合もある)

D.Francisco de Faria (ドン・フランシスコ・デ・ファリア)16世紀の墓石とあるマヌエル建築様式。
igreja_carmo

D.Francisco de Fariaとは何者かと調べているものの、ヒットせず。16世紀というのとこの像の衣服からして恐らくキリスト教騎士団かと推測するも不明。気になるのは足元に伏せられている像です。

igreja_carmo

髪型からして修道院僧と思われる像が二つの馬蹄のようなものを手に持っているのは何を意味するのか?騎士団、16世紀、僧侶との対立、と色々調べてみたものの、今のところD.Francisco de Fariaの名前自体が二日かけたものの見つかりません。

突き当たり正面はかつての教会のアプス(教会内部のつきあたり、半円形に窪んだ一番奥の部分)でしたが、現在は博物館になっています。

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入って正面に見えるのはフェルナンド王(14世紀)の墓石。

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下はポルトガルの歴史教科書で必ず見られる、ポルトガルのレコンキスタ(国土奪回)初代王、ドン・アフォンソ・エンリケスの胸像。(12世紀)

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ふむ。これはメリュジヌと呼ばれるフランスはポアチエ地方の町リュジニャンに伝わる半身半漁、もしくは反蛇の二つの尾を持った伝説の異端の美しい女性のことです。スターバックスのロゴにも使われていますし、メリュジーヌの子孫と言われるギー・ド・リュジニャンは後の世で十字軍騎士となり、イスラム教徒から奪回したキリスト教エルサレム国王になるのですが・・・

こんなところでメリュジーヌにお目にかかるとは。カトリックの国だったとは言え、異端のシンボルをたくさん目にするポルトガルの歴史は本当に面白い。

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真ん中にテンプル騎士団、もしくは十字軍のシンボルマークと八芒星が見られる石。

↓最後はコンスタンサ王妃の墓石。

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16歳でポルトガルのペドロ王子に嫁ぎ25歳で生涯を終えました。ポルトガルの歴史では、ペドロ王子(後のペドロ1世王)とこのコンスタンス姫、そして姫の侍女イネスとの三角関係はよく知られています。下記で案内していますので是非、読んでいただきたいです^^

今日は関連するリンクのオンパレードですが、読んでいただけたら嬉しいです。

悲恋の王妃と王」(1)お勧め!
悲恋の王妃と王」(2) お勧め!          
アルコバッサ・ペドロとイネスの石棺お勧め! 
1755年・リスボンの大地震
サン・ヴィセント最西南端」 
リスボン、サンタジュスタ・エレベーター
スターバックスのロゴ お勧め!

それではみなさま、本日はこれにて。
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