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2019年1月23日 

ポルトはこのところ雨の日が続いています。そんな中、晴れ間がのぞいた日曜日の午後、外での昼食がてら、夫と2人、以前何度か拙ブログで取り上げたサン・ミゲル通りの家、その後どうなっているかと気になっていたもので確認しに行ってきました。

rua_saomiguel2_1.jpg

夫はこの家については知らず。エヘン、どうだ、 私の方がポルトについては知ってるぞ、なんて口にはいたしませんが、そう思いながら己が知識を披露する。

家の右下には、「ここにあったアズレージュは修復のため、取りはがされました」とアナウンスがあります。これは、ポルトガル国内で近頃とみに発生しているアズレージュ泥棒の仕業だとの誤解を避けるために置かれたものです。

観光客が増えたことにより、こんな泥棒稼業をする輩が出きて、泥棒市や蚤の市、インターネット等でアンティークとして歴史あるアズレージュが売られたりしているのですね。その手の市でかなりな値段で売られているアズレージュに遭遇したら、それは下の写真のようにあるような、どこかの古い屋敷、建物等からはがされた盗品だと見ていいでしょう。

azulejo
建物の外壁を飾っていたアズレージュ
↓↑
azulejo

特にアズレージュ絵がたくさん見かけられるリスボンでの盗難はひどいようで、警察も動いているのですが、未然に防ぐのは難しいようで、残念なことです。

azulejo
これなどはかなり古いアズレージュ絵です。

azulejo

泥棒市等で売られるアズレージュ。欠けているものは大きな絵の一部で、骨董品に値するでしょう。
ladrao3.jpg

さて、話はポルトサン・ミゲル通りの家に戻って。Casa da Rua São Miguel Nr.4(4番地)をわたしが偶然見つけて調べ始めたのは今から15年ほども前になります。以来、この近辺を歩くたびにここのアズレージュを眺めて写真を撮って来ました。
それが、訪れてみるとアズレージュは全て取り去られ、一体どうしたんだ?がーんとなったのが、2017年のことでした。以下、その記事です。

2017年5月21日 

金曜日は授業にキャンセルが入り、日本語から開放され昼前から街へ出かけてきました。
目的地は「Quinta das Virtudes(ヴィルトゥーデス園)」です。これについては後日紹介するのですが、その帰り道、近くを通ったもので好きな建物のひとつであるRua de São Miguel No.4(サン・ミゲル通り、4番地)の家を久しぶりに見て見ようと行ったところが、がーーーん!

どないしたん?という状態になっており・・・
↓昨日見た家

rua_saomiguel

なんだ、ただの古ぼけた廃屋ではないか、などと言うなかれ。確かに廃屋ではあるが、以前はこうだったのであります↓ 

rua-saomiguel

ポルトの街の散策はかつては午前中だったため、こんな状態の光線加減なのと狭い路地の角にあるのとで、なかなかうまく写真が撮れなかったのですが、外壁のアズレージュ(Azulejo=絵タイル)が全部取り除かれていました。

ネット検索してみると、今年の3月まではタイル絵があった写真が見られますが、5月に他の人に撮影された写真はわたしが撮ったのと同様にタイル絵なしです。これは少なからずショックでした。今日はこの家について、過去に撮影してきた写真を基に書きます。

ポルトには中世の名残を今も留める古い路地や家々が旧市街を中心にたくさんあります。サン・ミゲル通りとサン・ベント・ダ・ヴィトーリア通りが交差する角に佇むこの小さな廃屋もそのひとつ。

サン・ミゲル通り4番地の家・Casa No4 da Rua de São Miguel」 または「サン・ミゲル通りの建物」と呼ばれます。この建物をわたしが偶然見つけてかれこれ14年程になります。ちょうど我がモイケル娘が日本の大学を目指して旅立ち、寂しさにかまけておってはいかん、なんとか子離れしなくてはと自分を叱咤激励しながら、これまで子育てが忙しくて見向きもしてこなかったポルトの街をツーリストよろしくデジカメ持って散策探検をし始めた頃です。

この家の前がヴィトーリア教会で、その教会を目指していたのでした。写真では家の前にポルト市が設置するガイド板が見えますが、わたしが見つけた頃はなかったと記憶しています。無人の家にこんな素晴らしいアズレージュ(青タイル絵)が貼り付けられているのにいたく感心したのでした。

長い間、この家に関する情報が得られなかったのですが、ネットでこの家が取り上げられるようになった昨今、ポルトガルのネット情報もかなりよくなってきたと言うわけです。取り立てて建物に大きな特徴があるわけではないのに、地階上階の正面のアズレージュが気になっていました。

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聖母マリアのシーンを描いている。

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当時の人々の日常生活が描かれている。下にちょっと拡大してみました↓

n4_saomiguel6.jpg

サン・ミゲル通りと交差するサン・ベント・ダ・ヴィトーリア通りには、その名がつけられた由来の「サン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院(ベネディクト会)」がありました。現在も荘厳な修道院の建物は外装はかつてのまま残っていますが、内部は改築され劇場、コンサートやイヴェント会場として使用されています。

くだんの家のアズレージュはその修道院に貼られていたのが持ち出されたものの一部だと言われています。盗まれたのか?う~ん、難しいところではありますね。ただ、盗んでこんな修道院の目と鼻の先に貼り付けるわけはござんせん。歴史的な事情があったのですね。

ポルトのサン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院は16世紀から18世紀の始めにかけて建築されました。しかし、1807年から1814年にかけて3度のナポレオン軍の侵攻(イベリア戦争)があり、その間、この修道院はポルトガル軍の病院として使用されました。

その時、修道院は破壊の憂き目をみたことでしょう。また、ナポレオン侵攻後、1832、33年はポルトガル内乱が起こりました。その際、ターゲットとなった修道院の略奪からアズレージュ破壊を避けるために、院内からはがされたと考えられていますが、では、いったい、それがどうしてこの家に?となるわけです。

その先のことは調べてもさっぱり出てまいりませんので、spacesis得意の勝手推測を(笑)

この家の持ち主は信心深い人だったか、もしかしたら、子供がこの修道院で神学を学んでいたかもしれない。あるいは、修道士だったやも知れぬ。アズレージュを破壊から救うためにいったんは引き剥がして預かったものの、その後の修道院の歴史はそれらのタイルを元に戻せるような平和な状態には最後までならなかった。預かり主はずっと持っていたものの、そのままタイル絵を朽ちさせてはならぬと、人々に見てもらうためにもこの家の表面に飾ることにした。

もうひとつは、この家は元々サン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院の一部であり、保管者によって外壁に装飾された。

とまぁ、これがわたしの推測であります。

それにしても、「工事中」だとかの説明が一言書かれてあってもいいと思うのですが。

早速、この家のアズレージュの行方をネットで探ってみたのですが、残念ながらニュースではひっかかってきません。もしかしたら、元あった修道院に戻されるのか、大いに興味あるところです。いずれ何かが分かったら、また取り上げたいと思います。


と言うことだたのですが、あれから2年近く、この建物も修繕工事予定になっており、いずれはがされたアズレージュもカムバックするとのことです。

因みに、この家のアズレージュはポルトでは18世紀のアズレージュを持つただ1つのファシャーダ(表門)なのだそうです。

さて、果たしてオリジナルの青色のアズレージュ絵が再びファシャーダに見られるのはいつのことか、早よせんと、観光ブーム終わりまっせ、などと一人呟いているのですが(笑)ま、それはそれで一人じっくり眺められて、却っていいかもなぁ(笑)

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。

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