2018年2月1日 

お知らせ:
2月3日、土曜日、夕方5時からNHKラジオ第一放送「地球ラジオ」、「世界のイチメン」に出演します


2月に入りましたが、外は日が照っているものの風が冷たい。Dias先生から電話で今日の午後のポルトガル語レッスンはお葬式に行くためにできないとの連絡が入り、久しぶりに夕方までのんびりしています。

ジュリエット・ビノシュとジョニ・デップが出演するちょっと不思議な映画「ショコラ」で流れていた音楽がグノシエンヌ1(Gnossiennes)だと分かり、それを聞きながら綴っている豊かな午後のひと時です。

この映画は好きで何度か見ましたが、耳から離れない音楽でした。作曲者が「ジムノペディ」のエリック・サティと知り、なるほどいかにもの感です。どんな曲なの?とお聞きになりたい方は、後記にありますので後程どうぞ。
さて、今日はわたしが永久保存版としている我が思い出の第一回ラジオ出演のときの模様をここに挙げたいと思います。

それがもう13年も前のことになります。振り返ってみると、我がモイケル娘が日本の大学受験を目指して行った2004年に、彼女の指導(^^;)で右も左も分からぬまま、とにかく開設したホームページも、気がつけばなんと足掛け15年です。

ホームページやブログを通じて、今日までたくさんのネ友、ブログ友に会うことができました。その中にはネ友に終わらず、お会いしお付き合いが今も続いているというアミーゴも何人かいます。

友達ができただけでなく、ブログを通じての依頼で小さな雑誌に拙文ながら10年も書くことができましたし、未だ続いています。一言付け加えると、雑誌記事は、このブログに書いているような自由気ままな文体ではござんせん。色々厳しく、編集者に鍛えられて参りました^^;

そして、ラジオ出演もやはりブログがあったればこそ、舞い込んできた話であります。

モイケル娘が、「おっかさん、わたしが日本へ行ってしまったら寂しくなるだろうな。ホームページ運営をしてもらうのはどうだろか」との彼女の配慮が効き、それがとても運よく行ったと言えましょう。
もいちゃんよ、ありがとう。

前書きが長くなりましたが、以下、初めてのラジオ出演後のネ友たちの反応であります。笑ってやってくだされ。

spacesisのRADIO DAY

2005年10月8日(土)、NHK第一放送「地球ラジオ」の電話インタビューを受け、ポルトの街とポルトの路面電車のお話をさせていただきました。ネット仲間からたくさんのコメントが寄せられましたので、記念に我がサイトの永久保存版として、ここに残すことにしました。どうもそれはマズイ、とおっしゃる方はご連絡ください(笑)

また、寄せられたたくさんのコメントは、ネット仲間のミーシャさん、かんちがいさん、お二人の尽力によるものです。みなさん、本当にありがとうございました! 嬉しいコメントばかりで、管理人としてはかなり気恥ずかしいところではあります。なお、ここに掲載されてあるのは、当サイトの掲示板に寄せられたコメントですが、もしも、見落とされている方のがありましたら、お申し出ください。そそっかしいゆえ、十分あり得ることですので^^; 

ここから、掲示板にいただいたコメントです。

ミーシャ 2005/10/8 (Sat) 17:28:37
ラジオ聴きましたぁ!!
spacesisさん! 素敵なお声でしたネェ。想像以上^^とっても聞きやすく、理知的な話し方!
ポルトワイン、焼き栗、路面電車、石畳などなど、たくさんのお話が聞けました。
spacesisさん、ありがとう。楽しいお話でした。spacesisさんの日記で読んだことのある事柄に触れると、
嬉しかったわ^^素敵な時間をありがとう!

・ミセス・かんちがい 2005/10/8 (Sat) 17:54:53
あ、やっぱりミーシャさん、もう来てた(笑)聴きましたよ、聴きました! ホントに歌姫らしい、明るくて響きのある、
そして聞き取りやすい声でした^^笑顔でお話している表情まで思い浮かぶようでしたよ^^(顔は、昔のお写真をもとに勝手に想像してる…)それに、声だけ聴くと実年齢よりかなり若い(爆!)よく準備されて張り切ってお話しされているのがよく伝わってきて、私はずっとニマニマしながら聴いてました(相槌が入る隙がないような、怒濤の話しぶり!…笑)。でも話の内容も興味深く、すんごく楽しかった!
今日はこの後お忙しいようね。一息ついたら、また裏話聞かせてね!

・すぎさん 2005/10/8 (Sat) 20:41:09
拝聴!姫の神の声を。発声5秒後、緊張が解けた感じでスラスラ。よく取材した内容をよどみなく。やったね、と嬉しくなったよ。初デビューするアナウンサーと幾度も付き合って来たけれど、姫は大物感があったぜ!
しゃべりに無駄がない、のが抜群。取材がいい。たとえば、路面電車の貸切。現地に住んでいる人か、取材で聞き出さないと得られない。また、えー、とか、あのー、がないのが、この人を次もお願いしたいレポーター
だと!
局側は思う。それほどの、出来を一発目で達成した姫に、乾杯!あんたは、凄い!ぜ、
と思った。心臓が、バクバクなのにね!プレッシャーに強いのは、生きてきた経験の糧の量だと思う!
いま、安心と安らぎ、で、ほっとした家族みたいな幸せで、ウイスキーのオンザロック水割り飲んでます。チャオ!

・たこ 2005/10/9 (Sun) 00:18:37
袖 ご無沙汰しております。お悔やみのメール戴いて未だ返礼もせず恐縮しております。

 「地球ラジオ」放送聞きました、昨年の今日(九日)が南一期会で再開した日なので、丸一年ぶりの肉声ですね。  でも声を聞いているだけでも、日記等 文章を呼んでいても、袖の表情やうなづく時の頭の振り方まで目の前にいるかのように感じるのは不思議です。妻も一緒に聞いていたのですが、さすが南高出身者と感心しておりました。

・ちゅう 2005/10/9 (Sun) 09:03:38 聞きましたよ。1日遅れで。
歌姫だった?その声はなかなか魅力的でした。文面の調子から、もっとオキャンかなと思いましたがさにあらず、癒し系の声にちゅうもウットリでした。褒め過ぎかな!?でも、より身近に感じましたね。前に紹介した彼がくれた貴重なおみやげの写真を送ります。限定品の、ミニチアの路面電車です。マニアにはたまらない逸品だそうですね。ここには送れないのでメールの方に添付します。私のパソコンの上に飾ってあるのを撮りました。

・まいん 2005/10/9 (Sun) 09:41:09
おはようございます。ラジオ放送昨日は出かけてしまったので今HPで聞きました。
お話が上手ですね~情景が目に浮かび遠い国なのに身近に感じられました。路面電車は日本でも復活するそうで来春富山で 宇都宮では5年後を目途に開通予定だそうです。朝夕の寒暖の差が大きいんですね。
風邪ひかないように気をつけてください d(^-^)ネ!

・美緒  2005/10/9 (Sun) 09:42:31
はじめまして。
ミーシャさんの紹介?で、やって来ました。ミーシャさんのところで、お名前は拝見していたのですけれど。
リアルタイムで、ラジオを聞けなかったので、さっき、NHKのHPで、聞いてきました。ポルトの写真を見せていただきながら、聞かせていただいて、とても楽しい時間になりました♪どうぞ、よろしくお願いしますね。
HPも、これから、ゆっくり拝見させていただきますね猫ちゃんは、1番先に見せていただいたのだけれど。(笑)

・みち 2005/10/9 (Sun) 21:26:38
spacesisさん、遅ればせながら素晴らしい肉声を聞かせていただきました。
生を聞く予定だったのですが、あの日久しぶりに肉体労働(農作業)をして、一風呂浴びてテレビ見てたら寝てしまってました。(笑)大反響ですね・・このBBSもその話しで持ちきり・・
さすが話の内容も話し方も大したもんですね。さすが「親分」だなって、聞いておりました。(笑)
ポルトに行ってみたい、住んでみたい、そう思わずにはいられないような内容でした。娘さんの「お母さん、喋りすぎ・・」には、笑ってしまいましたが・・(笑)

・もいける  2005/10/9 (Sun) 15:28:34
お母さん。喋りすぎです(笑) ←母の突っ込み:わ、わかっとるわい(爆)

・亜希子 2005/10/9 (Sun) 18:45:58
喋りすぎですw てかカタカタなかったなw( ´艸`)ムププ

・隣のpoo 2005/10/9 (Sun) 23:08:47
再放送で聞かせてもらいました 優しい声でハキハキと素敵でした。はっきりと 流暢に淀みなくペラペラとアナウンサーの合いの手も入れさせないほど 立て板に水 言い過ぎたップごめんちゃい  しばらくPS お休み中でしたので 今日ミーシャさんとこで見て大急ぎで 聴きました みなさんと一緒に聞けなかったのが残念 グヤジイー でもなんか懐かしい声 って感じました。

・syomin1 2005/10/11 (Tue) 01:40:15
spacesisさん、ぎゃ~~!
日記もBBSも爆笑!!すっごい楽しいぃー♪ラジオの生放送、お疲れ様でした。
忙しい一日でしたね!仕事てんこ盛り&お子帰省などなど。。もう落ちつかれましたでしょうか?
かんちがい姐さんのお陰で日曜日に聴かせていただきましたー。(遅いっちゅうねん。。。ぅぅ)
思ったとおーり、準備万端(ネコまでとわっ)で本当に素晴らしかったですぅー。
お話はスラスラ~~と話されていましたが、ちゃ~んとおおらかさのある あったかいお声で、
しびれた~~~!しばらく動けませんでした。(笑)栗、、食べさせて。

・シッキー  2005/10/11 (Tue) 08:20:13
spacesisさん!ヽ(^o^)丿イラッシャイ 先日はラジオ出演、(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪
実は・・私も時々、お見かけしていて声をかけれなかったのです(^^)ROMしていたのは、私も同じでした。

ラジオを聞いた後、そちらに行ったのです^^素敵なHPに圧倒されて、ROMしただけで帰って来たのですよ。
でも、それじゃ伝わらないですよね?(笑)今朝、ここを見てヽ(*0*)ツ ワァオォ!!あの、spacesisが来てくれた!!と思って・・感動で、胸がいっぱいになりました。
今回の事で、ミーシャはほんとに「お友達思いの優しい女性」だと思いました。キューピットのミーシャに、感謝でいっぱいですよ(^^)♪更新の少ないシッキーサイトではありますが、こちらこそどうかよろしくお願いします(*- -)(*_ _)ペコリ

・まちゃ 2005/10/11 (Tue) 16:33:38
ラジオでのママの声メッセで聞いたときより若々しくてよかったですよー。楽しく聞かせてもらいました。
死ぬまでに一度はポルトに行ってみたいです。

・りえ 2005/10/11 (Tue) 18:19:12
spacesisさん はじめまして(*^_^*)自分の掲示板みたら、遊びにきてくださっててとっても嬉しかったです♪
先日のラジオでのお話、とっても楽しく聞かせてもらいました(^^)spacesisさんのHP,コンテンツが豊富ですごいですね。ポルトガルのことがいっぱい書かれててゆっくりこのあとも拝見させていただきますね♪お知り合いになれてミーシャさんに感謝してます(^^)どうぞこれから仲良くしてくださいねm(__)m

・ぐじ 2005/10/11 (Tue) 19:23:13
遠くポルトからのお手紙 ありがとうございます今は10時過ぎでしようか?以前 ミーシャさんの掲示板でお名前と書き込みは拝見していますラジオ聞かせてもらいました。落ち着いた話方と的確な表現 それにお声が素敵でしたよ。 ポルトの町のイメージがよく分かりました。
古い町並みが広がり 路面電車がある町 そんな町を見たくなりますね
昨日も娘と嫁さんが傍で話をしていましたが 海外に行ってみたいなぁと言っていました
娘は何度か行っていますが σ(o^_^o)たち夫婦は経験がないので 
嫁さん孝行で行ってみたくなりました

・Gotchi 2005/10/11 (Tue) 23:37:52
ママのポルト紹介生ラジオ出演があって、掲示板めっちゃにぎわってるね( ̄◇ ̄)。
ようやく本日再放送を拝聴しましたです。ポルトの紹介と路面電車の説明のくだり、情景が浮かぶような言葉がいっぱいでとってもわかりやすかったかも。
ここの日記の生しゃべり版って感じで。アナウンサーの合いの手もいらないくらい(つっこませないって感じ(笑))のいろいろ下準備もしてたのかなぁ、すごいなぁって感心しきりでした。なにはともあれお疲れさまんさ♪
記念に録音しといた(爆)。

・みい 2005/10/12 (Wed) 02:57:09
spacesisさん歌姫だったんですね~~♪だからラジオでお聴きした時に
あんな通るお声だったんですね!!

・ゆき 2005/10/12 (Wed) 17:44:48
私もWeb上で放送聞かせてもらいました。お話聞いていたら,さっそく路面電車に乗りたくなってきました!
まだ,一度も乗ったことないんですけどね。こないだ初めてメトロに乗りました。駅は地下にあるのにほとんど地上を走っていて地下鉄じゃないなぁ,なんで?と思っていた謎も解けました。私もあちこち出歩かないとなぁと思ってます。

・しまシマ  2005/10/12 (Wed) 18:37:54
放送の終わった直後の時間にHPを開いてました。エーッなんちゅうコッチャ、と自分の不運を嘆きましたが 
袖のメールで教えてもらって 聞く事が出来ました。ありがと。何となく硬い感じがしたのは 緊張してたのね?でも とても聞きやすかったよ。さすが 言葉を 教える先生ね。ポイントに力が入ってました。

・close   2005/10/14 (Fri) 20:51:15
出遅れましたが、ラジオ聴きました。
カタカタ・オホホホの時の聴き覚えのある声でした(笑


これらのコメントを読むにあたり、意味不明な箇所「カタカタ」などもあると思いますが、それは普段の我が粗忽を知っている当時のチャット仲間だけの暗号であります(笑)。

この中の一人、「まちゃ」は会ったことはありませんが、チャット時代も含め長い間のネ友でしたが、2年前に他界しました。そのことは下記に「別れを告げる」で綴っています。http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1770.html
今回、永久保存版を開いてみたのを機会に、コメントとホームアドレスを残してくださったみなさんのサイトをクリックして訪ねてみましたが、ほとんどのみなさんがほぼ閉鎖しているのは残念です。

ブログに何度か書いていますが、わたしのはわが子たちにしたためて残す言葉や文章の、法的性質のない遺言です。おっかさんが子ども時代から日々どんな生き方をしてきたか、何かの折りに息子、娘の生き方のヒントになればと思いながら、綴っています。
たくさんの訪問客はありませんが、それでもコメントで声をかけていただいたりするのは、嬉しいものです。
言いますでしょう?「人生はカラクリに満ちている」と、写真家の故星野道夫氏が。カラクリは人と人との出会いが会あってこそです。

ブログやホームページを閉じている皆さん、また始めてみませんか?

というので、長くなりましたが本日はこれにて。

エリック・サティのグノシエンヌ1(Gnossiennes)は下記で。
https://www.youtube.com/watch?v=RyFhsG8Ip4E
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2017年11月14日 

今日はかつて書いた思い出エッセイに少し手をくわえてみました。以下。

酒癖の悪い父のていたらくを見ては思ったものである。
「自分は飲む人になるまい。酒を飲む人を生涯の相手には絶対選ぶまい。」と。

しかし、大概の人間は、年月を経てコロッと考えが変わったりするものだ。わたしもその例にもれず、二十歳ころから飲み始めたお酒歴は恥ずかしいながら、ちょっと自慢できるかもしれない。

日本酒、ひれ酒から始まって、ストレートウイスキー、カクテル、アブサン、ブランディ、カルヴァドス、シュタインヘイガーシュナップス、そして最後に辿りついたのが、生ビールだ。

シュタインヘイガーシュナップスはドイツの焼酎とでも言えばいいのだろうか、男性的なお酒である。わたしがバイトの歌姫として歌っていたアサヒ・ビアハウスで時々味わったのだ。これはビールの合間に飲むのであって、凍らんばかりに冷えて氷霜で真っ白になった陶器のボトルから、ぐい飲み盃くらいの大きさの小さなグラスに注いで一気に飲む。

胃が「クァー!」と熱くなるくらいに強い!それもそのはず、アルコール度数は40度なのだから^^;

カルヴァドスは我が日記でしつこく何度も出てくる思い出の酒である。フランスのブランデー、りんご酒で、「Pomme d‘Eve、イヴの林檎」と言われる。

レマルクの書いた本、「凱旋門」に度々出てくるお酒の名前だ。「凱旋門」は、ドイツの強制収容所から脱走してフランスに不法入国し、その練達の腕を見込まれ、闇の手術を請け負って不安な生活を送っている医師ラヴィックと、失意に生きる端役の女優ジョアンを中心に、第二次世界大戦中のパリを描いた物語である。

この本を読んでカルヴァドスというお酒があるのを初めて知った。そして、一度は口にしてみたいと望んだものの、それが国内では不可能と分かり、ある日、仕事でパリへ寄ると言う勤め先の本社の上司に、無理矢理頼み込んで、買って来てもらったのが始まりであった。

その後、海外に出る機会があるたびに、上司は土産にと、持ってきてくれたものだ。この上司は、当時社員として初めてイギリス語学留学のためにと、一ヶ月の休暇を申し出たわたしに、その許可が出されるようにと、アドヴァイスをくれた人でもある。

カルヴァドスは甘酸っぱい林檎の強い香りとともに、わたしには苦い恋の味もしたお酒である。

わたしが幾つの時なのだろう。覚えていないのだが、小学校にあがった頃ではないかと思う。当時、父は岩手の競馬場で走っていた頃で、母とわたしと妹の母子3人は弘前の下町にある祖母の家にたくさんの叔父叔母、その家族たちと同居していた。裕福とは言えないまでも、その日その日の食うことだけはなんとか困らないで生きれた頃だった。

4月の終わりから5月初めにかけての、弘前の「観桜会」今で言う「さくら祭り」の頃である。祖母はその頃、観桜会の期間だけ、公園内で蕎麦屋の屋台を出しており、母を含めた家の他の大人たちも、それぞれに仕事をもっていて外へ出ていた。

その日は何故か、わたしの従兄弟にあたる他の子供達が家におらず、わたしと妹だけだった。

ふと水が飲みたくなったのだが、当時の田舎にはまだ水道というものが通っていなかった。台所の水場には長い取っ手を上下に動かして水を汲みあげるポンプがあった。まだ小さいわたしと妹の力では水を汲み上げることができなかったのであろうか、わたしたちは家の中のどこかに水はないかと、探し回ったのである。

と、「あった、あった!」机の上の高い棚の上に、瓶に入ったきれいな水を見つけたのだ。妹と二人、机の上に椅子まで乗せてやっと手が届き、一息にグーッと飲み干したその水・・・・その後のことをわたしは全く記憶していないのである。

結論を言えば、水と思って飲み干した瓶の中身は、実は日本酒だったのだ。外へ出て、自分と同じ年頃の近所の子供達を追い回し、「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」と囃し立てられ、フラフラ千鳥足でふらついていたわたしを見つけ、自分の家に運び込んで医者を呼んだのは、はす向かいの畳屋のおばあちゃんだそうだ。

わたしは「急性アルコール中毒症」で危うく命を落とすとこだったのだ。かすかに記憶にあるのは、明るい日差しを浴びた縁側のある広い畳の部屋で、自分が布団の上に寝かされて、冷たい手ぬぐいを額に当ててくれている畳屋のおばあちゃんが、ぼんやり見えたことだけである。後はなにも覚えていない。

後年、時計屋をしていた人のいい叔父が、保証人として判子を押した相手が夜逃げしてしまい、その負債のため祖母は下町の家を売り払わなければならなくなり、わたしたち大家族は以後ちりぢりになったのだが、少し大きくなってから時々下町を訪れると、わたしは決まって畳屋のおばあちゃんや近所の人たちから言われたものである。「あの時の酔っ払ったゆーこちゃんがねぇ~」

「自分は酒飲みにはなるまい」とは大きく出たものだ。6、7歳にして既にわたしは酒飲みの洗礼済みであった。

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2017年10月18日 

「先生、ぼくのケンドー、見に来ませんか?」と日本語生徒のD君に誘われたのは何年か前だ。

昔、大阪の堂島で会社勤めをしていた頃、みんなが「ブーヤン」と呼ばれていた同僚Sの剣道稽古を見に行った時の「ヤー!ットゥー!」と強烈な印象が残っている。子供時代に棒っきれを振り回してチャンバラごっこに明け暮れたわたしは、ケンドーの名に惹かれ、夫を引っ張ってポルトの剣道場に行った事がある。

場所はBessaのサッカー場の隣、ボアヴィスタのパビリオン内です。その日は特別の稽古日で、リスボンから日本人の師範が指導に来ていた。

剣道

その日の稽古は面も胴もなし。二列に向かい合って並び、一技終わるごとにずらして対面する相手を変えて行きます。稽古場の両側の壁は一面鏡になっている。

これは神道、ひいては武士道につながる「鏡は人間の心の表現であり、心が完全に穏やかで、一点の曇りもないとき、そこに神明の姿をみることができる」を期しているのだろうかと、新渡戸稲造著「武士道」を思い出した。

「ヤー!ットー!」の掛け声とともに、竹刀がバシンとぶつかる激しい稽古を期待していったのですが、それはありませんでした。みな、真剣に師範の動作を見、話に耳を傾け、動作はいたって静かだ。

静寂な稽古場に時折響く「ヤー!」の声は、時に自信たっぷり、時に自信なさげで、個人の気合の入れ方がそのまま出ていて、面白い。ポルトガル女性が二人と、日本女性が一人(時々稽古相手に指導していましたから恐らく師範の代理)がいた。

さて、ここから本題です。近頃ではさっぱり音沙汰がなくなったが、アメリカ、カリフォルニアに住み、中年になってから剣道を始めた友人がこんなことを言っていた。

「防具をつけてからと言うもの、死ぬ思いだ。こてー!と叫んで、しこたま手首を打ってくれる。痛いのなんのって、ほんとに頭にきて、竹刀を捨ててなぐりかかってやりたいぐらいなのだ。華麗どころか喧嘩ごしだ。」

「練習が長いと息が続かない(なんしろ中年だからね。笑)、足が動かない、汗びっしょりで頭痛が始まる。練習始めの早や打ち百篇でもう帰りたくなる。」

一緒に剣道を始めた長男が「お父さん、なんでそんなに苦しんでまで剣道へ行くの?」との問いに、アメリカ人の奥方いわく、「お父さんはね、仏教でいう苦行をしてるのよ!」(爆)

剣道を始めたきっかけはというと、ある日、多少出てきた腹を吸い込み、横文字新聞紙を丸めて子供たちと太刀さばきを競ったところが、おとっつぁん、気が入りすぎ、力任せ。それをまともに面にくらった息子が大声で泣き出し果し合い中止。

「いい年して、何ですか!」とまるで、小学生を叱る先生のごとき威圧と、こんなショウ-もない男となぜ結婚したとでも言いげな奥方の呆れ顔だったのだそうな(笑)

わたしは手紙で彼の剣道の話を読むと、昔、我がモイケル娘と取り合って読んだ「ちばてつや」の漫画、「おれは鉄兵」シリーズを思い出して、おかしくて仕様がなかったものだ。

kendo.jpg
Wikiより

「試合でさ、竹刀構えてしばらくシーンと向き合うだろ?それでよ、突然、デカイ声で、あっ!と言いもって、床に目を向けるのだ。すると、人って面白いぞ、釣られて相手も下をみる。そこを狙っておめーーん!」

おいおい、お前さん、それはだまし討ちじゃんか。することがまるで鉄兵そっくりだ、と言いながら、その光景を想像すると鉄平のハチャメチャな場面が思い出され、おかしいったらない。そ、くだんの彼も、鉄兵のようにチビなのではあった。

「剣道も人生も同じです。小さいとか歳だとか、言い訳はしないことです。数年前の少年部の日本チャンピョンは片腕の少年でした。」(片腕の少年チャンピョンの話は、わたしもどこかで読んだことがある)
と自分より10歳以上も若い師範の話を聞き、以後、かれは奥方の毒舌、失笑にもめげずに遣り通すと決めたらしい。

企業家としてアメリカである程度成功したその後の彼の姿を、時折わたしはネットでグループ写真の中に見ることがある。今では剣道から拳法に移ったようだ。自分を棚に上げて言うのもなんだが、相変わらず小柄で髪も口ひげも白くなり、しかし、贅肉が見れらず、どことなしに飄とした感がしないでもない。

おぬし、何かを掴んだかなと思われる。この具合だと真夜中の酔っ払い国際電話ももう入ることはあるまい。
幸いだと思う反面、心のどこかで不意打ちの電話を待っている自分に気づき、少し寂しい気がしないでもない。

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2017年10月9日 

ローマはちょっとお休みして、今日は古い記録をエッセイにしてみました。
以下。

炉端焼きと呼ばれる居酒屋にわたしは限りない愛着がある。そこには数々の懐かしい思い出があるからだ。

特に、大阪は京橋地下街の炉端、京阪沿線宮之阪駅前の炉端では、わたしは常連の部類に入っていたと思う。

流れる音楽が演歌なので、わたしからすればそれが難と言えば難だったのだが、しかし、炉端にジャズやらシャンソンが流れていたら、中華料理店でフランス料理を食するようなものだろう。泣き節の演歌はあまり好みではないが、それが炉端にぴったしなのにはどうにも仕方がない。

外国人の友人ができると、わたしは必ず炉端に案内したものである。当時は値段も手ごろ、肉類が苦手なわたしには、野菜魚類が多いのも嬉しかった。それで、あの頃は恋人だった現夫も時々わたしに引っ張られて何度か行っている。

京橋炉端に、当時ポルトガルからきたばかりの新しい留学生だったマイアさんを夫と二人で案内したときのことである。マイアさん、頑としてナイフとフォークで食べると言ってきかない。炉端のお兄さんが、同じ地下街にある隣の洋食レストランまで走って行って、ナイフとフォークを借りてきたことがあった。「こんなお客初めてだっせ・・」と言いながら(笑)

わたしが勤めていたオフィスの東京本社には、ハーバード大出のボブがいた。本社とはしょっちゅう電話連絡をとっていたのだが、初めてボブと話した時は、ん?とは少し思ったものの、まさかその電話の相手がアメリカ人だったとは聞かされるまで気づかなかった。

その彼が週末を利用して、大阪へ来たときもわたしがバイト歌姫をしていた梅田アサヒ・ビアハウスと炉端に案内した。日本語はハーバード大学在学中に学んだと言い、かなり流暢に、そして語彙力もあったボブとは、炉端で飲みながら食べながら、その日、大いに議論して盛り上がったのである。もちろん日本語でである。

日本びいきのその彼、自分の名前、ロバート・グロンディンを日本名で「炉端 愚論人=ろたば・ぐろんじん」とつけて、印鑑を作るまでに至ったのには、恐らくわたしとの炉端焼きの体験があるに違いない。アサヒ・ビアハウスに彼を案内したときは、ホール中、ヨシさんのアコーディオンに併せポルカを踊り、わたしは引きずりまわされ、見ていた常連達もボブの素晴らしいステップにはすっかり目を回したのだった。ボブについては次の機会に「思い出エッセイ」として再掲したい。

さて、当時は「文化住宅」と呼ばれた、駅から徒歩10分ほどの二間、トイレバス、台所付きの小さな我がアパートは京阪宮之阪にあり、駅を出るとすぐ横にあった炉端焼き。

ここには、木彫家の我が親友、「みちべぇと」よく行ったものだ。みちべぇは女性です^^ わたしが働いたオフィスの後輩なのだが、当時同じ駅のすぐ側に両親姉妹と住んでいるのを偶然知って以来、年の差も忘れて(わたしがグンと上なのだw)意気投合。以来40年以上のつきあいである。

ポルトガルに来た当時、アサヒ・ビアハウスがただただ恋しかったが、今のようにとても手に入らなかった日本食への思いも深く、炉端への思いもまた募るばかりだった。挙句が、「我が息子ジュアン・ボーイが大人になったらいつか炉端へ行き、酒を酌み交わしながら人生論を交わしてみたい」と、それが夢になったのである。

わたしの若い頃は、しつこい酔客や端迷惑な酔客もいたにはいたが、お酒の場とは、人生論を戦わせる場でもあったと思う。 会社や上司の愚痴もあり、しかし、人生の夢を語る場でもあった。 お酒の加減よい力を借りて、本音をさらりと口滑らすことが、ああいう場ではなんだかできたような気がするのだ。 
あれからもう40数年、炉端焼は今ではかつてにように、そこここにあるものではなくなったようだ。今の若い人たちは、いや、若い人達に限らず、日本の現代人は、どういう形で人と人生を語り合うのだろうかと、ちょっと興味を持つ。

みんなまともに面と向かって顔つき合わせて、人生論を戦わせるのだろうか。しらふで語ることも勿論大切だが、人の人生って理屈だけでは語れない部分があるのじゃないかと、わたしは思ったりする。
家族みんな揃って人生論をぶつ、なんてのは、まず想像するに難い。すると、やはり、ちょっとお酒なんかあったら語らいやすいなぁ、なんてね。

若い時にこそ、老若男女一緒になって、こういうことを「ぶってみる」のは、自己啓発、人生勉強になると思うのだけど。それとも、人はもう青臭くて人生論をぶつことなんか、しなくなったのだろうか。

そうそう、我が息子と人生論を戦わすことは夫も混ぜて時にするのだが、炉端焼きで夢はまだ叶っていない。来年の帰国時には都内の炉端焼きを探し、モイケル娘夫婦も入れて是非、行って見たいなと思っている。

どなたか、東京近辺の手ごろな値段でおいしい炉端焼きをご存知だったら、お教え願いたい。
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2017年8月21日 

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや   

高校時代に好きで覚え、今でも諳んじることができる室生犀星、「小景異情ーその二」の詩だ。

若い時分には大阪に出て少しひねくれた目で故郷を見ていたので、反抗心と故郷へのノスタルジアが入り混じった犀星のこの詩に、自分の心を重ねていたのである。大阪時代の10年間でわたしが帰郷したのは、恐らく2度ほどだろう。

さほどに「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と、まこと、粋がっていたのであった。「なんでやの?」などと聞いてくれるな、おっかさん。人様に言えない事の一つや二つ、人なら誰にでもあることでっせ。

とは言っていたものの、そんな複雑な故郷への片思いは今ではかなぐり捨てて、故郷を日本を恋うる心に素直に従うようになったのは、古希の齢がなせるわざか。わたしも随分と角が取れて丸くなったものである。

さて、今日はFBの弘前シティプロモーションでこんな懐かしい写真を目にした。

Hirosaki

弘前では「お山参詣」と呼ばれる初秋の伝統行事なのだが、久しぶりにお山参詣の行列時に唱える唱文の謎解きを思い出した。以下に綴ってみる。


年に一、二度は弘前へ足を運んでいる妹夫婦、ある年、弘前のホテルでチェックアウトしようと荷物をまとめていたら、外から
「サ~イギサ~イギ ドッコイ サ~イギ 」
と聞こえてきたのだそうな。

ホテル9階の窓から土手町を見下ろすとお山参詣の行列が通って行く。行列を見ようとて慌てて階下へおり、こけつまろびつ行列に追い抜き、いっしょに並んで歩いたのだが、行列の唱文が子供のころに聞いて覚えていたのと少しも変わらないのに可笑しくて、ついにこらえら切れなくなり大声でウワハハハと笑ってしまったと言う。
 
お山参詣というのは津軽に昔から伝わる岩木山最大の祭りで旧暦の8月1日に五穀豊穣、家内安全を祈願して白装束にわらじ、御幣やのぼりを先頭に行列をなし岩木山神社を目指して歩く行事だ。

商店街の土手町から坂道を下り、わたしたちが子どもの頃住んだ下町の通りを岩木山目指して行列が歩いていくのだが、検索してみると子供だったわたしが記憶しているのと違い、行列の様子も少し変わったようだ。

Hirosaki
画像はwikiから

昔は白装束でお供え物を両手に抱えての行列だったのが、今では随分カラフルで「行事」と書くより「イベント」とカタカナかローマ字にしたほうが似合いそうだ。

さて、妹がこらえら切れなくなり大声でウハハハと笑ってしまったという、その唱文が、これである。

♪さ~いぎ さ~いぎ どっこ~いさ~いぎ
 おやま~さ は~つだ~い
 こんごう~どうさ
 いっつにな~のは~い
 なのきんみょう~ちょうらい

毎年こう唱えながら目の前を通り過ぎていく白い行列、子供心に神聖なものを感じてはこのお唱えをいつの間にか諳(そら)んじていたのである。この御山参詣が終わると津軽は一気に秋が深まる。

Hirosaki

長い間、そのお唱えの意味など気にしたこともなかったのだが母も亡くなり、帰国したある年、彼女が残した着物を妹と二人で整理しながら、3人で暮らした子供の頃の思い出話の中にひょっと出てきたのがこの「サイギサイギ」だった。

亡くなった母は津軽で生まれ育ち、60まで住んだ。その後は妹夫婦の住む東京へ移り所沢の彼らの家を終の棲家とした。義弟も津軽衆なので、東京にありながら夕食時の食卓は、妹、義弟、母の3人ともが津軽の出ではおのずと津軽弁が飛び交おうというもの。帰国した時のわたしは母と義弟が交わす津軽弁を聞くのが本当に懐かしく楽しいものだった。

その母が「ことすでに遅し」の意味でよく使っていたのが「イッツニナノハイださ」である。 はて?いったいこれは元来がどういう意味合いなのであろうかと妹とそのとき、疑問に思ったのだ。

たまたま、当時時折、我が母校の後輩で「サイホウ」さんと言う女性仏師とメールのやりとりをしており、聞いてみたところ、これが元になっていますと教えていただいのが下記。

懺悔懺悔(サイギサイギ)  過去の罪過を悔い改め神仏に告げ、これを謝す。

六根清浄/六根懺悔?(ドッコイサイギ) 人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。

御山八代(オヤマサハツダイ) 観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王

金剛道者(コウゴウドウサ)  金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味す。

一々礼拝(イーツニナノハイ)  八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。 
          
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ) 身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。

唱文のカタカナの部分は津軽弁の発音である。


どの方言もそうだが、津軽弁は特に独特のなまりが多い方言だ。我が同窓生である伊奈かっぺいさんは津軽弁でライブをする人で有名だが、彼いわく、津軽弁には日本語の発音記号では表記不可能な、「i」と「 e」の間の発音があり、津軽弁を話す人はバイリンガルである、とさえ言っている。

わたしと妹が笑ってしまったのは「六根懺悔」が何ゆえ「どっこい懺悔」になったのかと、津軽人の耳構造はほかとは少し違うのであろうかとの不思議にぶつかったのであった。

大人になったわたしたちにしてみれば、「どっこい」という言葉はなじみでありとても唱文の一語になるとは思われない、なんで「ドッコイ」なのよ?と言うわけである。

実は「さいぎさいぎ」も「懺悔」ではどうしても津軽弁の「サイギ」に結びつかず、わたしは「祭儀祭儀」と憶測してみたのであった。そして、数日の検索で、ついに語源をみつけたぞ!

「懺悔」仏教ではサンゲと読み、キリスト教ではザンゲと読む、の一文に出会ったのである。「サンゲ」が津軽弁で「サイギ」、これで納得だ。

御山参詣は日本人の山岳宗教につながるものであろうか、修験者が霊山に登るのが弘前に行事として定着したと思われる。

父と母、わたしと妹4人家族が住んだ桔梗野のたった二間の傾きかけた埴生の宿のような家の窓からは、見事な岩木山の美しい姿が日々仰げたものである。

Hirosaki
画像はwikiから

テレビやパソコンなどのような情報入手方法がなかったわたしの子供時代、空耳で覚えていた唱文も今となってはいい思い出につながり、ふと頭を横切るたびに笑みがこみ上げて来て、懐かしい人々の顔が浮かんで来る。

正規の唱文の発音よりも300年も続いてきたであろう津軽弁の唱文に耳を傾けながら、修験者を受け入れてきたお岩木さんは、津軽弁そのままが誠に似合うようだとわたしは思うのである。

♪「さいぎさいぎ ドッコイさいぎ おやまさはつだい こんごうちょうらい(と、わたしは覚えている)
 イッツニナノハイ なのきんみょうちょうらい」

下町を歩いていく白装束と幟と、「イッツニナノハイ」と言う母の姿が浮かんで来るようだ。孝行したいと思えどおかあちゃん、14年前にみまかり、「イッツニナノハイ(事すでに遅し)」でございます。ハイ。

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