2017年6月5日(月) 

我がモイケル娘に頼んで入手してもらった本を、4月の帰国時に受け取って、勿論ポルトで読むつもりでしたが、期待感大きく、とうとう我慢できずに滞在先の妹宅にいた時に開きました。

と、途端に「ぎゃー!」とはわたしの口から出た悲鳴。側にいた妹が「どうしたの?」と驚いて聞きます。 どしたもなにも、これ見て、と見せたのが下の画像であります。

kojiki2.jpg

漢字だらけではないか、と、まるで漢字嫌いの日本語の生徒さんが言うようなことを思わず口走ったのであります。

漢字だらけではないか、と、まるで漢字嫌いの日本語の生徒さんが言うようなことを思わず口走ったのであります。
「并序」は「あわせはじめ」と読み、現代語で言えば「序文」ということなのだそうです。「原文」とあるように、これは「古事記」の序文、原文なのです。娘に頼んだは「古事記に託されたメッセージは現代の日本人にこそ伝えたい」との歌い文句があった小名木善行著「古事記(壱)」なのであります。

kojiki3.jpg

現代文の解説で読めると勝手に思い込み、開いた途端にこんな原文を目にするとは、トホホ。
読み下し文で書かれてあるだろうくらいには想像していたのですが、原文からだとは!
古事記は日本最古の歴史書で平仮名カタカナが使われるようになった平安時代以前のことゆえ、少し頭をめぐらせれば知って当然のことなのですが、そこが無教養なわたしであります。

知らない漢字も結構あるなぁと、開いたページをしばらく睨む・・・・ちんぷんかんぷんとはこういうことでありましょう。幸いにして直ぐ横に「読み下し文」がありますが、これとても、声に出して読めど分かったような分からないような(笑) なんだか、モイケル娘が院にて近世文学をとったころに、これはなんと読むんだろかと、親子して頭を寄せ合い、四苦八苦した始めのころを思い出しました。

ようやく現代語訳、最後に解説が書かれています。原文は無理として、せめては、分かるようで分からない読み下し文を朗読し、現代語訳、解説だけを読んでいくのはどうかとも思いましたが、それも悔しいではないかと、ここ数日、一日の終わりにベッドに入ってはこの原文とじぃっと睨めっこしていたのであります。

分かってますてば、睨んでリャなんとかなるなんて奇跡は起こりません(笑)
しかし、じぃっと見つめているうちに「懸鏡」「「吐珠」「喫剣切蛇」の箇所、これは皇位継承に代々伝えられてきた三種の神器こと、八咫鏡(やたのかがみ)・八咫勾玉(やたのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)だということが読み取れました!うほほほほ。

何も分からないとて降参してすぐ現代語訳や解説を読むのよりも、こうしてまるで謎解きでもするように本を読むのは数年ぶりで、結構楽しいものです。

わたしはかつて平家物語を読んだ折、壇ノ浦合戦で二位の尼は幼少の安徳天皇と共に入水したのですが、では、三種の神器はどうなったのだろうか、海に沈んだままかと疑問を持っていたのですが、今回は検索してみました。

勾玉はいったん沈んだものの箱に入っていたので海上に浮かび上がり現在は皇居に、草薙剣は入水により関門海峡に沈んだとありますが、沈んだ剣は形代(かたしろ=神霊の代わりのもの)で、本物は熱田神宮のご神体になっているとのこと。

八咫鏡についてはこれも壇ノ浦に沈んだのを源義経により回収され、現在はその形代が皇居に、ご神体は伊勢神宮に奉納されているとWikipediaには書かれてあります。

三種の神器は皇族はもとより天皇でさえも実際に見ることはできないと言われるのですから、神代の昔からのミステリアスなものが現存すると言われることはとても興味深いと思われます。

自分の勉強のために、古事記序文でわたしが調べ面白いと思った部分を今日は取り上げてみましたが、現在日本語の生徒さんと読み続けている「百人一首解説」も、とても面白く、古事記と交差する部分が出てくるかも知れないと、謎解きをするが如く楽しんでいるのです。

読むのが初級者ゆえ、勘違いや間違った解釈もしているかも知れませんが、その辺は素人の浅はかさとご勘弁ください。

機会があれば、また取り上げてみたいと思います。
今日もお付き合いくださりありがとうございました。

よろしかったら、ランキングクリックして応援をお願いできますか?

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2017年1月29日 

間もなく受験シーズンがやってくる日本ですが、この時期になると決まってモイケル娘が日本の大学受験を目指して学業と父親のゴーサイン獲得に格闘していた日々のことが思い出されます。

長年、拙ブログにおいでの方々はすでにご存知のことですが、夢を目指して彼女が日本へ行ってから、早や13年になろうとしています。「日本へ行こう!」と娘が決心したであろう中学3年から、最終的に早稲田大学への入学を果たし一人住まいを始めるまでのいきさつは「ズッコケ親子の受験戦記」(後記)にて記録していますが、時々、一人クスクス笑いながら拙文を読み返しては、娘の夢の実現を目指して、いつの間にか自分も彼女とともに煌いていたようなあの頃を懐かしんだりしています。

もしあの本に出会っていなければ、どんな風になっていただろうか、もしかすると父親を説得できず、モイケル娘はおっかさんのわずかばかりのヘソクリを持って、強引に家出の形をとって日本へ飛んでいたかもしれないなぁ、と思ったりしています。それはそれで面白い展開になり、物語性に富むのですがね。

さて、金欠病の親子がいかにして受験、入学した場合の学費、日本での生活費を工面できるかと、暗中模索のひと夏に偶然出会ったのが、たそがれ親父さんこと、吉本康永さんの本でした↓
tadadedaigaku

出会いについては下記エッセイ「ずっこけ親子の受験戦記」のエピソード6「運命の夏の出会い」」と7「ただで大学を卒業させる法」に書いております。

ずっこけ親子の受験戦記」  

娘が無事合格し、すっかり有頂天のわたしは調子付いて、件の軽薄な「ズッコケ親子の受験戦記」なるエッセイを書くに至ったのですが、彼の本へのお礼を兼ねて、著作権の関係上、吉本氏の著書写真と文引用の許可お願いのメールを厚かましくも送ったのでありました。氏は快く承諾してくれ、「お互いのサイトリンクをすること」が条件でした。ついでにメールの返事には、「吉永」ではなくて「吉本です」と書かれてあり、あちゃ~~、名前の「吉本康永」の最初と最後をくっつけて「吉永様」なんてやっていた、粗忽者のわたしでした。

氏は「たそがれ親父」のハンドルネームでホームページ「たそがれ親父の人生ノート」を運営しており、そのような訳で右の我がリンクサイトに名が上げられています。2006年のことでした。

以来、時々、サイトを訪問していたのですが、それが2008年頃だったでしょうか、突如「お知らせ」と称して、

管理人の個人的事情により休止中です。
休止しましたた4月以降何度か皆様から病気でもしたのかとメールによる
お問い合わせをいだだきましたが管理人はいたって元気であります。
残念ながらはっきりとした再開の目処はたっておりませんが
機会があればまた再開したいとも考えております。

との告知があり、新しい本の執筆か、もしくは塾講師の仕事が忙しくなったのだろうな、くらいに思っていたのでした。

そうして月日が流れ、実はつい2日前に久しぶりに氏のサイトを訪れてみたのですが、相変わらず更新はなく、ふと思いついて、グーグル検索を試みました。飛び込んできた最初の文字が「たそがれ親父さん、逝去」 えー!嘘やん!しかも亡くなられたのは2011年と、もう5年も前ではありませんか!ああ、なんと言うこと。

たそがれ親父さんは「せどり」の仕事をしていたようですが、わたしにとり初耳の言葉です。調べてみると、「せどり」とは「競取り」と書き、主に「古書店で安く売っている古書を買いとり、ネットで売ること」とあります。その世界ではかなりなの知られた人だったとのこと。プロフィールを拾ってみるとわたしと同年、1947年生まれでした。

存命だと思っていた人が実は既に鬼籍に入っていたという話は、近頃耳にすることが多くなってきたような気がします。自分のをも含めて、人生は一寸先は見えないものなのだ、と知らされたことではありました。

最後に失礼ながらネットにあげられている著書「大金持ちも驚いた105円という大金」にあるプロフィールを。

■吉本康永(ヨシモトヤスナガ)1947年生まれ。東京外国語大学中退。現在群馬県の予備校で教鞭をとっている。歯に衣着せぬ物言いに隠れる圧倒的な愛情に、学生のみならず父母の間からも信望が厚い(らし)かったが、少子化と不況の影響を受け、還暦直前にして授業数が激減。月々のローン返済40万円を抱えた中で見いだした答えが「せどり」だった。

その笑いと涙の闘いの二年間を著書、『大金持ちも驚いた105円という大金ー救われたローン人生』にまとめた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ローン地獄/アマゾンへの出品/せどり生活のスタート/訪れる失敗/アコーディオン買い/せどりの日々/著名人本の価値/車の買い替え/パソコンと本の分類/アマゾン一人勝ち/せどりのジャンル/税理士登場/古物商許可証取得/さまざまなお客様/売り上げ記録は更新中だが…/せどりの技術/ある日のせどり旅/ローン地獄からの脱出/本の運命 どんなピンチだって、ちょっとの工夫と行動で乗り越えられる!リストラ間近・還暦直前・月々ローン返済40万円…!崖っぷち予備校講師が選んだ手段は、ほんのちょっとした事だった。ヒント満載の、貧乏克服ノンフィクション。

我がモイケル娘に頼んで、この本を購入することにしました。

たそがれ親父の吉本康永さん、あなたのアイディアにあやかり、なんとか大学と院まで修めることができた娘がここに一人おります。何年もと遅くなりましたが、感謝とともに心からご冥福をお祈りいたします。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年12月17日 

親がよく遊んでいたので、花札の花合わせ遊びは知っている。
小さな一枚一枚の黒い縁取りのカードに、鮮やかな色彩の花が描かれているのを見ては、美しいと子供心に思ったものだ。少し厚めで裏が黒色の花札は、一枚一枚置くときのピシッと音がするような感覚も好きだった。

日本から持ってきた花札は、ここで遊ぶことはないが、日本文化展示会に使うことがある。その鮮やかさな色彩はポルトガル人たちの目をひくようだ。

花札が一式を48枚だとするのは、ポルトガルから伝来した、「カルタ」もしくは「バラーリュ(Bbaralho)」と呼ぶ)いう遊びカードが、一組48枚だったことから来ると言われる。後に、このカルタ、バラーリュは日本語で「トランプ」と呼ばれるようになったが、その語源はさだかでない。

カード遊びと言えば、日本の代表として上げられるのに小倉百人一首の歌がるたがある。小倉百人一首は13世紀始めに京都の小倉山の山荘で、歌人藤原定家が8世紀から13世紀の間に詠まれた和歌を編纂(へんさん)したものだ。、それが江戸時代に入ると歌がるたとして広く普及し、現代に至る。

hyakuninisshu3.jpg

歌がるたこそした経験はないが、百人一首の歌の何首かは知っている。恋の歌が多いなというのが、これまでのわたしの感想であった。

hyakuninnisshu2.jpg

hyakuninisshu1.jpg

ところが、しばらく前に、「今の百人一首の解釈の多くは間違っている」と書いてあるのをネットで目にしたもので、どこがど間違っているのかしりたいものだと、好奇心が頭をもたげ、日本に住むもいける娘に依頼して送ってもらった本が「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」だ。

hyakuninnisshu.jpg

サブタイトルに「千年の時を超えてあ明かされる真実」とある、国史研究家、小名木善行氏の著書である。小名木氏は、日本の良い話をブログ「ねずさんのひとりごと」で発信するブロガーであり、わたしはよく訪問する。

一週間ほど前から、夜寝床に入って寝入る前に読み始めたこの百人一首だが、一挙にその解説に引き込まれてしまった。ハードカバーの分厚い本なので、親指の付け根に腱鞘炎があるわたしには、しばらく手に抱えて読むのが厳しい。それで、夜寝る前に百人一首の1、2首とその解釈を読んで本を置くことにしている。

小名木氏の解説は、文法解釈もあるが、同時に時代背景の歴史を絡め、歌の詠み人の心情にせまっていく。なんだか、ミステリーを紐解いていくようで、わたしは大いに興味をそそられているのである。


例を上げると、百人一首のトップは、中大兄皇子こと、後の天智天皇の詠んだ、

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ

は、通常、「小屋が粗末だから、わたしの着ている服が梅雨で濡れてしまったよ」が解釈だが、小名木氏は、「天智天皇ご自身が太陽が出ていない時間帯に、粗末な庵で、長時間、自ら苫(ござ)を編んでいたのであり、民と共に働く天皇、上に立つものから率先して働く天皇の姿」がうかがい知れる。世界史上でも類まれな偉大な天皇の和歌を、一番歌として定家は持ってきた、と解説している。
hyakuninisshu4.jpg

2番歌には、女性天皇、持統天皇の

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山

は、究極の夫婦愛と日本人の死生観を歌ったものだと言う。そして、「日本」と言う国号を正式に決め発令したのはこの持統天皇だと解説にある。

hyakuninisshu5.jpg

ひとつひとつの和歌の解説は、その当時の歴史的出来事をとりあげ、まるで歴史を短編を読んでいるような気がすると同時に、目からウロコの解釈に驚くばかりだ。

久しく、ズシリと重さも読み応えもある一冊に出会った思いだ。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年11月12日 

ガウディ巡りを一休みして。

地中海性気候のバルセロナの10月下旬は、湿気が多く日本の気候を思わせました。滞在中の気温はポルトより高く、歩いていると汗ばむくらいでした。

それに調子付いて、ポルトに帰ってもうっかり薄着でいたのが響いたのでしょうか、先週、水曜日に、日本語3クラスを終えたとたんに、あれ?と気づいたら、喉が潰れてしまったようで、声がまったく出なくなり、それが1週間ほど続いていました。

電話呼べど、応答できず、夫との会話も不可、ネコどもの悪さも怒鳴ることできず。日本語教室は当然、全てキャンセルするという一週間でした。昨日からやっと少し発声できるようになったものの、平常の声にあらず。ただいま、我が声は、トム・ウエイツの如し。ん?トム・ウエイツとは、誰ぞいな?
興味のある方は、下記の拙ブログ記事をどぞ。

Tom Waits と ワルツリング・マチルダ 

こちらもトムの泣かせる歌です。「If I have to go」



さて、熱はなかったものの、声が一週間もまったく出ないということが、これほどのストレスにつながるとは、思ってもみませんでした。こんなときに物事など考えるととんでもない、ネガティブな方向に頭が行ってしまいがちです。ゆえに、わたしは調子の悪いときは、思考を停止し、ネコたちをベッドの足元に侍らしてひたすら読書です。今回読んだその本、これがなかなかに面白かった。

歴史推理小説2巻、加藤 廣氏の「信長の棺」は、明智光秀謀反の本能寺の変にちらつく秀吉の陰謀、本能寺の変の原因を、信長に使えた官僚「信長公記」の著者である太田牛一の視点から追って行くというもの。

llivro_nobunaga.jpg

信長の死に関しては、燃え盛る本能寺にて自害したというのが、これまで歴史で語られていたことですが、遺骸が発見されておらず、また、光秀謀反の理由も、いまいちピンと来ないところでしたが、加藤 廣氏の見解は、新鮮で説得力あり。とても楽しめました。

続編のつもりで読んだ「利休の闇」も、天下を取った秀吉と利休の関係がどのようにして崩れ、利休切腹と相成ったかの著者の見解も興味深い。

信長と言えば、藤吉郎、明智光秀に次ぎ、

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

と、信長が好んだと言われる幸若舞は「敦盛」のくだりが知られますが、「信長の棺」を読んで、本能寺と阿弥陀寺を検索し、ついつい時間を費やしたのでありました。

本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年4月10日 

古典文学から現代小説まで、好きな本はたくさんある。
根っからの活字中毒で、本は借りるより、自分で買って手に取り読むタイプです。話題に上る現代作家のものにも惹かれる本は多いが、サイン会などに出かけて行って直接署名をお願いする、などは、正直、一度もしたことがない。まぁ、したいと思ってもポルトガルからでは無理なのだが、元来が著名人にサインをもらう、ということに、さして興味がないからでもある。

そのわたしが、署名してもらったものがたった一冊、いや上下だから二冊ある。
LuisMiguelRocha

ポルトガル人作家、ルイス・ミゲル・ローシャの作品、「O Último Papa (最後の法王)」だ。
日本語学習者の一人とたまたま本の話をするに及び、ローシャ氏を知っているという。「P2」を読み終えた直後であり、彼の本を持っていると言ったところ、希望ならば署名をもらってきてあげますという。

その際、持っているのは単行本ではなくて、文庫本なのだが失礼はないのか、と尋ねると、大丈夫大丈夫というので、せっかくの生徒さんの申し出に甘えることにした。

LuisMiguelRocha

ローシャ氏は親切にも上下両方に「Yukoへ:この本をあなたが楽しみますように。Beijinho(ベイジーニュ=ポルトガル語でKissの意味)」と書き入れてくれた。わたしは、お礼に、間に入ってくれた日本語の生徒さんとローシャ氏に、日本の小物をさしあげたのである。それが昨春のことだ。

ルイス・ミゲル・ローシャ氏は、ポルト生まれである。ポルトガルのテレビ局TV1で番組制作の仕事をしていたが、イギリスへ渡り、脚本家、プロデュサーとして番組制作に携わっていた。2006年に「最後の法王」を発表し、イギリス、アメリカ、ブラジルなど、30カ国以上で翻訳され、2009年にはニューヨークタイムズ紙で、ベストセラートップにあげられた。

この本、邦題は「P2」とされている。「P2」とは、正式名を「ロッジP2 」もしくは「Propaganda Due(プロパガンダ2)」の略で、イタリアフリーメーソン大東社のロッジのひとつだったのだが、目的のためには手段を選ばない違反活動により、P2はフリーメーソンから破門されている。後、極右秘密結社組織「ロッジP2」となる。スキャンダルまみれで失脚に追い込まれたイタリア元首相ベルルスコーニはこのメンバーだ。

ローシャ氏が、この本で取り上げているヨハネ・パウロ1世は1978年9月に自室で遺体で発見され、在位がたった33日という歴代の法王で在位最短であり、暗殺、陰謀説が囁かれる。ヨハネ・パウロ1世は周囲をこのP2メンバーに取り囲まれていたと言われる。

ローシャ氏はこの作品をヨハネ・パウロ1世に捧げている。

残念ながら日本語訳はまだ出ていないが、この他、「The Holly Bulle(聖なる弾丸)」「The Pope´s Assassine(法王の暗殺)」などが、ローシャ氏のバチカン・ミステリーシリーズとして出版されている。

さて、早く他の日本語翻訳版がでないかなぁと、常々思っていた矢先の3月26日のこと、「最後の法王の著者、ルイス・ミゲル・ローシャ、亡くなる」と流れたニュースに驚かざるを得なかった。39歳の若さである。どのニュースでも、死亡原因が「長い間の持病」としか書いておらず、実は検索しまわったのである。

LuisMiguelRocha
ルイス・ミゲル・ローシャ

とあるサイトでやっと見つけたのが「癌」だ。ふ~む、一体なんの癌だったのだろうか、と思いつつ、数日前に、もう一度本を読み返してみようかと、まず、訳者あとがきから始めた。以下、要約を許されたし。

「ローシャは複数のインタビューで法王の死をめぐる自説について重大なコメントをしている。小説中の場面はすべて独自に入手した情報、資料を基にして再構築した。最大の情報源は10数年前に知り合い、書面で長く交流があった人物で、2005年に、ポルトまでローシャを訪ねてき、法王の死は暗殺だったこと、下手人は自分だと告白し、死亡当夜、法王が持っていた書類や日記をローシャに手渡した。

その人物は当時すでに高齢で今はこの世の人ではない。ローシャによると、それらの証拠書類は、法王の没後40年目の2018年9月29日午前1時に公開されることになっている。」

ローシャ氏が存命中に読んだはずこの文章は、当時さほど気にしなかったが、この赤字の文にわたしの目は吸い寄せられしばらく呆然としたのである。ローシャ氏は本当に病死だったのか?その書類は今、どこにあるのか?言うではないか、事実は小説より奇なり、と。

ここまで来て、わたしは寒気を覚えたのである。

Rest in peace, Senhor Luis Miguel Rocha.

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村