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2019年2月27日 

2月だと言うのに日中は20度を越す気温でぽかぽかの数日ですが、農家はそろそろ雨が欲しいところでしょうか。

さて、2016年の秋から毎週一首を、85歳の生徒アルフレッドさんと一緒に読み始めた「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」ですが、順徳院御製の百番歌、

百敷や
古き軒端の
しのぶにも
なほ余りある
昔なりけり    

で、今週600ページ近い一冊を読み終えました。2年半、かかりました。著者の小名木善行氏は「ねずさん」というハンドルネームで日本のよい話を中心にブログを発信している著名人でもあります。

80半ばを越したアルフレッドさんに、歌と歌と解説「歌の鑑賞と真意」を朗読してもらいます。これはわたしなりに考えてのことなのです。普段、人里離れた山で生活している老齢の生徒さんは、日本語レッスンのためにポルトの町まで車で下りてきます。山では人との会話もないでしょうから、健康のためにも声を出してもらおうと思い、朗読してもらうのです。

授業にやって来た当日にその日の一首と解説のコピーを手渡しますから、朗読は、言うなればピアノの初見みたいなもので、日本人と同様の漢字知識がなければすぐには読めません。勿論時に読めない漢字、分からない語句もありますが、アルフレッドさんはおおまか読むことができるのです。

解説にはその歌が詠まれた時代背景が関係してきますから、当然歴史が絡んできます。ですからその歌を理解するには漢字だけではなくたくさんの語彙も学ぶことになります。

百人一首を通して、あたかも7世紀の天智天皇の時代から13世紀、源頼朝死後の承久の乱、貴族政治の終焉と武士の力が世の中を動かし始めるまでの歴史本を2年半かけて読み終えたような気がします。

アルフレッドさん曰く、「今まで読んだ日本の本の中で一番好きな本になりました。この本を通して、日本文化、日本人が更に分かったように思います」

事前に準備するわたしも、自分の国のことであるのに全く知らなかった多くのことをこの本から学びました。

下記過去ブログ「生徒と学ぶ百人一首が面白い」、興味あらば、どぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1766.html

本日はこれにて。
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2019年1月17日
 
この手の本はめったに自分では買わないのだが、今回はどういうわけか、自分でも分からないまま手にしてしまっていた(笑)
近頃の隣国の嘘八百を並べて何がなんでも我が国を貶めようとするのに対する、日本政府の曖昧な態度に辟易している自分の心情が影響しているのかも知れない。「遺憾である」ばかりじゃイカンで!

日本アホバカ

しょっぱなからカンヌ国際映画祭で作品「万引き家族」で最高賞を受賞した是枝裕和監督の「勘違い」をこき下ろしているのだが、かの作品を文化庁所管の日本芸術文化振興会から2000万円の助成を得て作って置きながら公権力とは距離を保つ、と発言し文科大臣の祝いの申し出を拒否したことへの「勘違い」への批判だ。

この話はわたしも知っていたので、カンヌ映画際がフランスの公権力であるフランス政府が深くかかわった映画際であり、そこで受賞しながら、同じく公権力である日本政府からの祝福を拒否するとは矛盾してる、国民の税金である文化庁の助成金を即刻返せ、勘違いめ、と言っているのには、あっはっは、然り、と笑ってしまった。

まぁ、その他、勘違いの政治家、スポーツ選手、テレビ局、マスコミ、芸能人、コメンテーターと、出るわ出るわ。読み進めながら、日頃ニュースを通して、ふ~ん、この人でもこんなことを言うんだねぇ、なんだかストンと胸に落ちないや、との自分の思いが重なる。

人を批判のまな板に乗せるには、自分のことを棚に乗せないとできないことなので、不出来なわたしはあまりしないが、読んで可笑しいと言おうか、ふむふむと納得すると言おうか。こんだけバッサバッサと人を批判できたら愉快やろうな、とは思った。

勘違い人間について書き始めると、次から次と対象者が出てきた、という最後の談には、今の日本人をして「なんだかなぁ」と思うことが多いわたしは、さもありなん、と同意状態である。石川五右衛門の「浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」なんて書いてるが、まさに、「世に勘違いの種はつきまじ」であろうか。

最後に著者・北岡敏明氏は平成30年8月に行方不明の2歳の幼児を発見した大分県の尾畑春夫さんを取り上げ、勘違いのまったく逆の人と取り上げて賛美している。

まぁ、人の悪口は蜜の味、というけど、癪だと思うことが多い人には笑えて読めるかも知らない。

ではみなさま、また。
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2018年10月10日

今日は自分のメモとして書きます。

「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」 

鳥羽殿とは鳥羽上皇のことで、この情景は鳥羽上皇の離宮へ急を聞きつけた5、6騎の武者が野分を駆け抜けていく様を詠んだ与謝蕪村の俳句なのですが、これを目にして、「おぉ!」と思ったのです。

と、言うのは、拙ブログで何度かとりあげてきた、「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」ですが、我が日本語生徒のアルフレッドさんと一緒に勉強し始めたのは2016年10月で、ちょうど2年になりますが、今回は時代の背景を「保元の乱」とする藤原基俊の75番歌から藤原顕輔(藤原のあきすけ)の79番歌までを5週間かけて詠み終えたところなのです。

雅やかな貴族政治から武家政治へと移る過渡期が歌の背景になるのですが、この時代に登場する白河天皇、崇徳院、近衛天皇の主だった立役者の中に鳥羽上皇は欠かせない名前です。なぜなら、この鳥羽上皇の死が、崇徳院(鳥羽院の第一子)と後白河天皇(鳥羽院の第四子)の皇位継承争いの「保元の乱」の引き金になるからです。

76番歌から79番歌の間には、保元の乱で破れ、藤原忠道によって讃岐に流された崇徳院の歌も含まれています。

「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

多くの百人一首が恋を詠んだ歌だと解釈されているのですが、この歌も「別れたあの人ともいつかまた逢いたい」と現代語訳になりますが、ねずさんの解釈では、政争の濁流に押し流された二人(崇徳院と後白河天皇)の運命を象徴する歌であろうとされています。

崇徳院崩御の七百年後、明治天皇は食指を讃岐に遣わし崇徳院の御霊を京都へ帰還させたとあります。それが現在の白峰神宮だそうです。言うなれば、七百年後に崇徳院が詠んだ滝川は再びひとつの川になったということです。

我が日本語生徒で、80数歳のアルフレッドさんが、週に一度、その週の一首を共に勉強するとて、山を下りてくるのですが、この解釈本を読むことで、日本の歴史の一端にふれ、平安時代の貴族生活、文化、ひいては日本人とはどういう民族なのかを学ぶことができて、とても面白いと言います。

百人一首は恋の歌だものなぁ、などど思って、長い間、あまり見向きもしなかったのですが、こうしてねずさん(小名木善行氏)の解釈本を手にすることで、改めて日本の歴史に目を向け、思わぬ発見に出くわすことが多いこの頃です。

さて、冒頭の句にある「野分(のわき)」ですが、これは秋の暴風のことです。秋草の野を分けて、いずこへともなく去っていく強い風、つまり台風の古い呼び名です。

nowaki.jpg
Wikipediaより

今ではあまり耳にしなくなった言葉ですが、秋の野の草花が強い風に乱れ吹かれる様を思うと、こんな台風にも風情を思ったいにしえの人々の心にいたく惹かれる自分に気付かされます。

もっとも、現代の大きな被害をもたらす台風には情緒も風情もありませんが、それもある意味、現代人が片棒をかついできた結果によるのではないかと思うわたしです。

最後に、野分についてわたしが好きな一句を。

大いなるものが過ぎゆく野分かな     高浜虚子

本日もお付き合いください、ありがとうございます。
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2018年4月21日 

いえいえ、わたしがお別れするわけではありませんてば(笑)

ハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーの本の一冊であり、ハンフリー・ボガード主演で映画化もされている題名なのです。
今日、こんな話をとりあげるのは、所沢にて妹夫婦と二人、外国文学や日本の歴史小説作家の文章に話が及んだからです。

特に原語で読む語学力なく翻訳本を手にする場合、本のファンになるか否かはその訳者の文章が大いに影響する云々の話がでたのでした。

高校時代は外国文学に夢中になりましたが、20代にはハードボイルド作品に熱を上げていました。その頃の我が憧れのヒーローは誰あろう、レイモンド・チャンドラーの作品の主人公、私立探偵、「フィリップ・マーロー」なのであります。

書店の本棚にならぶ本の背表紙を読んで行きながら、偶然手にした一冊が時には思いの外おもしろくて、その作家に病みつきになったということは、みなさんにもあるでしょう。

偶然タイトルに惹かれて手にしたチャンドラーの一冊は、まだフィリップ・マーローが登場しない「ミス・ブランディッシュの蘭」という強烈な一冊でした。切れの良い、大人の香りがする、ちょっとキザッぽい日本語訳がわたしには抜群に新鮮だと思われました。
以来、チャンドラーの作品は次から次へと読破、ここがわたしのマニアックなところでして^^;

「あぶく銭は身につかない」「ある晴れた朝、突然に」「貧乏くじは君が引く」「高い窓」 「ダイヤを抱いて地獄へ行け」「悪女イブ」「さらば愛しき人よ」そして、この「長いお別れ」です。
「さらば愛しき人」は、ロバート・ミッチャムがマーローとして主演、映画化され、近年、村上春樹氏も翻訳をしていますが、わたしは俄然、清水俊二氏訳が好きです。

面白いことに、チャンドラーは実はイギリス人でありながら、書かれた全てのハードボイルド作品は、アメリカが舞台になっています。デビュー作品の「ミス・ブランディッシュの蘭」は、その暴力的な場面であると言うことと、イギリス人でありながらアメリカを舞台にした作品だということで、イギリスでは当初、発禁の憂き目を見たのだそうです。

フィリップ・マーロー。歳食っており、いつもヨレヨレのスーツをひっかけ、探偵事務所も薄汚いビルの一室。冴えない感じのこの探偵が人生の悲劇を織り成す様々な人間模様を見せる事件に取り組むとき、俄然、大人の魅力と哀愁をかもし出してきます。

「ギムレット(4分の3のドライジン+4分の1のライム・ジュース)」と言うカクテルがあるのも「長いお別れ」を読んで知ったのでした。
「タフでなければ男は生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」
「さよならを言うことは、わずかの間死ぬことだ」
等はマーローのカッコいいセリフです。

ハドリー・チェイスの作品を殆ど読みきった後に熱中したハードボイルド作家はロス・マクドナルド。これも私立探偵「リウ・アーチャー」のシリーズです。え?どこか聞いたことがある?はい^^息子の日本名はこの「リウ」を実は絡めてありますです(笑) ポルトガル名は夫が、日本名はわたしが選び互いの選択に同意して決めたというわけです。    

が、息子の名の由来が、我が青春のヒーローの私立探偵たちの一人であるリウ・アーチャーからくることを、夫は知りませなんだ(笑)

今日は妹夫婦との話題からこんなことを思い出していたのでした。

本日はこれにて。

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2018年4月13日 本「夜間中学校の青春」

今週は忙しかった!8月の雑誌原稿の締め切りが5月なのですが、ポルトに帰ってくる時期とその締め切り日がほぼ重なり、とてもじゃないが時差ボケで書けそうもござんせん。そこで、一ヶ月繰り上げて送ろうというので、やっと本日仕上げて雑誌社に写真ともども送ったところです。

図書館での明日の日本語クラスには一ヶ月休暇中の宿題を用意し、今日の午後はせっせと旅行トランクに放り込んである物を、本当に必要か否か再確認しました。見ると三分の2はお土産なり(笑)

さて、毎回帰国の時には機内や乗り継ぎの待ち時間をやり過ごすのに本をもって行きます。それで書棚から今回選んだのが新渡戸稲造の「武士道」と「夜間中学校の青春」です。二冊目の「夜間中学校の青春」は読むのが二度目になりますが、とても考えさせられた本です。以前にも紹介しましたが、もう一度書かせてください。

夜間中学の青春

夜間中学校で42年間教えた見城慶和さんという先生が写真家の小林チヒロさんという方と2002年に出した、夜間中学で学ぶ人たちの写真がふんだんに盛り込まれています。

初めはそれと知らずに手に取った本ですが、表紙の写真にあるように、映画監督の山田洋次氏もこの本を推薦しており、山田氏はこの夜間中学の見城先生をモデルに映画「学校」「学校Ⅱ」を作っています。映画も2本ともわたしは見ています。

本のエピローグで目に入った、夜間中学生の卒業作文の一行に、わたしは思わず胸が熱くなってしまいました。

「学校をそつぎょうしたら、私はまた、ひとりぼっちで、夜ふとんの中で泣いて暮らしていくのです。」

この一行の文に、これを書いた生徒の学校に対する思いが溢れているようで、わたしは胸も眼も熱くなってしまったのでした。

夜間学生と言うと、わたしのこれまでの人生では、拙ブログ左のカテゴリ欄に「思い出のオルゴール」という、昭和時代のわたしの思い出を綴ったエッセイがあるのですが、その中のエピソード「津国ビル純情1」に登場してくる夜間高校生の一宮君と、「1964夏・江東区の夕日」エピソードで少し語られる新聞専売店住み込みの夜間大学生たちが思い出されます。

進学率も高くなり、少子化で大学全員入学も言われる現在ですが、わたしの時代はようやく団塊世代の進学率が上がってきたとは言うものの、高校や大学へ行けなかった人も結構いた頃で、わたしも経済的理由で大学進学を諦めた一人でした(上述、「1964夏・江東区の夕日」で書いてます)。

それでも、全日制高校に三年間なんとか通うことができたのには、学校にも親にも感謝しています。そういうわたしの思いも重なって、この夜間中学生の写真記録の本にはいたく惹かれました。

この本の読後も、映画「学校」鑑賞後にも思ったことですが、いったい「学校」とは何なのか、わたしたちが学校で学ぶことは何なのか、それらはわたしたちの人生にどう反映していくのか。わたしは、近年やっと自分なりにその答えが少し見えたと思います。

国語も算数も数学も歴史もサイエンスも全ては得点教科ではなく、また単なる学力養成が目的になるのではなく、人生の荒波に航海した時、わたしたちが自分自身の思考力で乗り越えて生きて行くための礎になるもののはずです。

学力とは点数でなく、生きる学力なのだと気付いたのです。そういう教育には時間と手間がかかり、○×式の教育では養えないように思います。

教育も親子関係も友人関係も希薄になったように思われる現代社会に住むわたしたちに、人間原点の礎になる学校教育、家庭教育のあり方をもう一度よく考えてみる必要があるとこの本は訴えてきます。

わたしの好きな星野富弘さんの詩の中に、「きく」の絵とともにこういうのがあります。

喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が 
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも 
弱いものが集まった方が 
真実に近いような気がする

幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする

この詩は、映画「学校」(もう一度見てみたw)と「夜間中学校の青春」に、とてもよく似てるなぁ、と思ったのでした。

世の中が便利になったというのに、文明の利器に振り回されて、物事をよく考える時間ができたどころか、却って前にも増して多忙な現代生活を送るような結果になっているわたしたちは、かけがえのない、たった一度の人生の時間の大切さを忘れているのだな、と自分自身反省している今日この頃です。
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