2017年8月13日 

海の上で太陽が光を雲間に閉じ込められながら、かろうじて姿を見せている一枚の写真があります。

ロカ岬

これは撮った写真を白黒にしてみたわけではなく、目まぐるしく天気が変化するロカ岬でスマホを利用して撮影したものです。暗い画像に、わたしはある詩の一行、「どろく海辺の妻の墓」を思い出したのでした。

前回フェルナンド・ペソアの紹介で述べたように、は詩人のみならず作家、翻訳家でもあり、エドガー・アラン・ポーの訳詩もしていました。かなり以前にブログで取り上げた松本清張の本につながるのでした。

以下、2006年の日記の書き換えです。

―とどろく海辺の妻の墓―

高校時代には、苦手な理数系の勉強はほったらかしに、フランス文学、ロシア文学、ドイツ文学の著名なものを図書館から借り出しては、外国文学の起承転結の明確なところにわたしは心を躍らし、片っ端から読みふけったものです。

そして、20歳頃にグワッとのめりこんだのに、松本清張シリーズがあります。「黒い画集」から始まり、清張の作品のかなりを読了しました。「社会派推理小説」と当時呼ばれた清張の作品は、大人の匂いがプンプンして、20歳のわたしには世の中の理不尽や犯罪に駆り立てられる人の心理を、こっそり覗いたような不思議な刺激がありました。 

それらの中でも特に心に残ったのは、霧の旗、砂の器、ゼロの焦点です。つい先ごろ、この「ゼロの焦点」をもう一度読み返す機会があり、思い出したのです。20歳の頃、気になりながら当時は調べようもなかった詩の1節がその本の中にあったことを。

In her tomb by the sounding sea. とどろく海辺の妻(彼女)の墓

訳が素敵だと今も思います。

戦後の混乱期の自分の職業を隠し、今では地方の上流社会で名をしられている妻が、過去を隠さんがため犯罪を犯す。やがて追い詰められ、冬の日本海の荒れた海にひとり小船を出して沖へ沖へと漕いでいく愛する妻をなす術もなくじっと見送る年老いた夫の姿を描くラストシーンに出てくる英詩です。

当時、この詩がいったい誰によって書かれたものなのか分からないまま長い年月の記憶の彼方に押しやられていたのでした。改めてこの本を読み終わりgoogleで検索してみよう!とハッと思いついた。英文でそのままキーワードとして打ち込みました。

おお!出た!出たではないか!一編の詩に行き着きました。
この詩は、「Annabel Lee=アナベル・リー」と題されるエドガー・アラン・ポーの最後の作品なのでした。(詩全部をお読みになりたい方はWikipediaでアナベル・リーと検索すると出てきます)

詩、「アナベル・リー」は、14歳でポーと結婚し、24歳で亡くなった妻、ヴァージニアへの愛を謳ったものだそうで、ポー最後の詩だとされています。

「とどろく海辺の妻の墓」は、その詩の最後の1節です。エドガー・アラン・ポーといいますと、わたしなどは、「アッシャー家の滅亡」の幽鬼推理小説家としての一面しか知らず、詩人でもあったとは。無知なり。

Wikipediaで検索しますと、ポーの大まかな半生が書かれていますが、残した作品に違わない(たがわない)ような激しい愛の一生を終えた人です。

40年近くも経ってようやく、「ゼロの焦点」のラストシーンと、このポーの人生の結晶である「アナベル・リー」の詩がつながったのでした。

ロカ岬の暗い画像から、リスボンの詩人フェルナンド・ペソア、そして、ポーのアナベル・リー、松本清張のゼロの焦点ラストシーンとつながるとは奇遇なことです。

う~ん、これは清張ばりで行くと「点と線」が繋がったとでも言えるかしら。

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2017年7月27日 

眠りにつく前の30分ほどは読書するのが習慣です。活字に目を落とさずに寝入るなど、めったにないことで、下手をすると本に引き込まれて30分ほどが1、2時間に及んでしまい、翌日しんどい思いをする羽目に陥ることもままあります。

が、目下手元に、夢中になるほどの本がないもので、ちょっと趣味じゃないかもなぁ、と思いながらも友人が貸してくれた本などを読んでいるのですが、その中の一冊が斉藤茂太さんの「老いは楽しい」。

こうタイトルを書いて、やっぱり自分の趣味じゃないぞと確信した(笑) 例え期待したような結果が出なかったとしても自分で考えて物事を決め進むわたしは、 「~なあなたに贈る」などのようなアドヴァイス的な読み物は、どうも性に合わないのであります。

が、どんな本にも学ぶことはあるものです。惰性で読んでいくうち(モタ先生、まことに失礼!)、「ぬぬ?」と思う箇所にぶつかりました。「妻のお陰で自分がどれだけ助けられいるか」の箇所なのです。

モタ先生は、「家内のきつい言葉をメモし、家内の名前を冠した美智子語録なるものを編纂している。読み返してみるともっともだと納得したり自分のために言っているのだ。助けられたと感謝することがしばしばである。」と書いておられます。

例えば、「字は楷書で書いてください。他の人が読めないわ」
「何度お願いしても切手を乱暴に貼るのね。私なら手紙を捨ててしまうわ」など、第三者が読んだら他愛ないことに思われるのですが、この美智子語録の中に、こんな一文がありました。

「冬去りにけり、は、冬が来た、という意味です」

え?え?ちょっと待って!「去る」って「よそへ行く」とか「時間が過ぎる」とか「なくなる」とかの意味でありましょう?これじゃ、まるきり反対の意味ではないの?そろそろ本を閉じて眠ろうかと思い始めていた矢先のこの一文にすっかり目が覚めてしまいやんした。

こうなると、わたしの場合、よし、明日調べてみようと言う事にはならず、気になって眠ろうと思っても眠れないのであります。やおら起き出して、辞書を引くことに相成りました。

「去りにけり」は古文ですが、現代も遣われる思うので、まず2冊の現代国語辞典で確認します。対義語は「来る」とあり、意味は上にわたしが書いものです。

わたしは一年ほど前から日本語の生徒の一人と「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」という本を読んでいるのですが、教えるなどトンでもないことで、授業の準備をすることで生徒と一緒に学んでいると言うほうが正しい。

歌の意味も去ることながら歴史背景が分かる解説が面白い上に、見たこともない漢字や語彙にたくさん出会い、近頃は古語辞典を引くこと度々なのです。

そこで、いざ、古語辞典を!と引いてみますと、「離れる、退く」の他に、なんと「その季節や時期になる」と見つけた!がーーーん!こ、これはまた意外な・・・

古典を学んだ人は知っているのだろうけれど、わたしにして見れば、眠っている夫をこんな意味があったんよ!と揺さぶり起こしてつたえたい衝動にかられた大発見なのでした。

と言うので、本日は「夏去りにけり」と早速新知識を遣わしていただき、ポルトを写真でご紹介いたします。

ポルト
ドン・ルイス1世橋を渡るメトロ。

旧市街を走るCarmo(カルモ)教会行きの路電22番。後ろに見えるのはイルデフォンソ教会
ポルト

アズレージュ絵で被われたニコラウ・ナゾニ作のIldefonso(イルデフォンソ)教会
ポルト


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2017年6月5日(月) 

我がモイケル娘に頼んで入手してもらった本を、4月の帰国時に受け取って、勿論ポルトで読むつもりでしたが、期待感大きく、とうとう我慢できずに滞在先の妹宅にいた時に開きました。

と、途端に「ぎゃー!」とはわたしの口から出た悲鳴。側にいた妹が「どうしたの?」と驚いて聞きます。 どしたもなにも、これ見て、と見せたのが下の画像であります。

kojiki2.jpg

漢字だらけではないか、と、まるで漢字嫌いの日本語の生徒さんが言うようなことを思わず口走ったのであります。

漢字だらけではないか、と、まるで漢字嫌いの日本語の生徒さんが言うようなことを思わず口走ったのであります。
「并序」は「あわせはじめ」と読み、現代語で言えば「序文」ということなのだそうです。「原文」とあるように、これは「古事記」の序文、原文なのです。娘に頼んだは「古事記に託されたメッセージは現代の日本人にこそ伝えたい」との歌い文句があった小名木善行著「古事記(壱)」なのであります。

kojiki3.jpg

現代文の解説で読めると勝手に思い込み、開いた途端にこんな原文を目にするとは、トホホ。
読み下し文で書かれてあるだろうくらいには想像していたのですが、原文からだとは!
古事記は日本最古の歴史書で平仮名カタカナが使われるようになった平安時代以前のことゆえ、少し頭をめぐらせれば知って当然のことなのですが、そこが無教養なわたしであります。

知らない漢字も結構あるなぁと、開いたページをしばらく睨む・・・・ちんぷんかんぷんとはこういうことでありましょう。幸いにして直ぐ横に「読み下し文」がありますが、これとても、声に出して読めど分かったような分からないような(笑) なんだか、モイケル娘が院にて近世文学をとったころに、これはなんと読むんだろかと、親子して頭を寄せ合い、四苦八苦した始めのころを思い出しました。

ようやく現代語訳、最後に解説が書かれています。原文は無理として、せめては、分かるようで分からない読み下し文を朗読し、現代語訳、解説だけを読んでいくのはどうかとも思いましたが、それも悔しいではないかと、ここ数日、一日の終わりにベッドに入ってはこの原文とじぃっと睨めっこしていたのであります。

分かってますてば、睨んでリャなんとかなるなんて奇跡は起こりません(笑)
しかし、じぃっと見つめているうちに「懸鏡」「「吐珠」「喫剣切蛇」の箇所、これは皇位継承に代々伝えられてきた三種の神器こと、八咫鏡(やたのかがみ)・八咫勾玉(やたのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)だということが読み取れました!うほほほほ。

何も分からないとて降参してすぐ現代語訳や解説を読むのよりも、こうしてまるで謎解きでもするように本を読むのは数年ぶりで、結構楽しいものです。

わたしはかつて平家物語を読んだ折、壇ノ浦合戦で二位の尼は幼少の安徳天皇と共に入水したのですが、では、三種の神器はどうなったのだろうか、海に沈んだままかと疑問を持っていたのですが、今回は検索してみました。

勾玉はいったん沈んだものの箱に入っていたので海上に浮かび上がり現在は皇居に、草薙剣は入水により関門海峡に沈んだとありますが、沈んだ剣は形代(かたしろ=神霊の代わりのもの)で、本物は熱田神宮のご神体になっているとのこと。

八咫鏡についてはこれも壇ノ浦に沈んだのを源義経により回収され、現在はその形代が皇居に、ご神体は伊勢神宮に奉納されているとWikipediaには書かれてあります。

三種の神器は皇族はもとより天皇でさえも実際に見ることはできないと言われるのですから、神代の昔からのミステリアスなものが現存すると言われることはとても興味深いと思われます。

自分の勉強のために、古事記序文でわたしが調べ面白いと思った部分を今日は取り上げてみましたが、現在日本語の生徒さんと読み続けている「百人一首解説」も、とても面白く、古事記と交差する部分が出てくるかも知れないと、謎解きをするが如く楽しんでいるのです。

読むのが初級者ゆえ、勘違いや間違った解釈もしているかも知れませんが、その辺は素人の浅はかさとご勘弁ください。

機会があれば、また取り上げてみたいと思います。
今日もお付き合いくださりありがとうございました。

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2017年1月29日 

間もなく受験シーズンがやってくる日本ですが、この時期になると決まってモイケル娘が日本の大学受験を目指して学業と父親のゴーサイン獲得に格闘していた日々のことが思い出されます。

長年、拙ブログにおいでの方々はすでにご存知のことですが、夢を目指して彼女が日本へ行ってから、早や13年になろうとしています。「日本へ行こう!」と娘が決心したであろう中学3年から、最終的に早稲田大学への入学を果たし一人住まいを始めるまでのいきさつは「ズッコケ親子の受験戦記」(後記)にて記録していますが、時々、一人クスクス笑いながら拙文を読み返しては、娘の夢の実現を目指して、いつの間にか自分も彼女とともに煌いていたようなあの頃を懐かしんだりしています。

もしあの本に出会っていなければ、どんな風になっていただろうか、もしかすると父親を説得できず、モイケル娘はおっかさんのわずかばかりのヘソクリを持って、強引に家出の形をとって日本へ飛んでいたかもしれないなぁ、と思ったりしています。それはそれで面白い展開になり、物語性に富むのですがね。

さて、金欠病の親子がいかにして受験、入学した場合の学費、日本での生活費を工面できるかと、暗中模索のひと夏に偶然出会ったのが、たそがれ親父さんこと、吉本康永さんの本でした↓
tadadedaigaku

出会いについては下記エッセイ「ずっこけ親子の受験戦記」のエピソード6「運命の夏の出会い」」と7「ただで大学を卒業させる法」に書いております。

ずっこけ親子の受験戦記」  

娘が無事合格し、すっかり有頂天のわたしは調子付いて、件の軽薄な「ズッコケ親子の受験戦記」なるエッセイを書くに至ったのですが、彼の本へのお礼を兼ねて、著作権の関係上、吉本氏の著書写真と文引用の許可お願いのメールを厚かましくも送ったのでありました。氏は快く承諾してくれ、「お互いのサイトリンクをすること」が条件でした。ついでにメールの返事には、「吉永」ではなくて「吉本です」と書かれてあり、あちゃ~~、名前の「吉本康永」の最初と最後をくっつけて「吉永様」なんてやっていた、粗忽者のわたしでした。

氏は「たそがれ親父」のハンドルネームでホームページ「たそがれ親父の人生ノート」を運営しており、そのような訳で右の我がリンクサイトに名が上げられています。2006年のことでした。

以来、時々、サイトを訪問していたのですが、それが2008年頃だったでしょうか、突如「お知らせ」と称して、

管理人の個人的事情により休止中です。
休止しましたた4月以降何度か皆様から病気でもしたのかとメールによる
お問い合わせをいだだきましたが管理人はいたって元気であります。
残念ながらはっきりとした再開の目処はたっておりませんが
機会があればまた再開したいとも考えております。

との告知があり、新しい本の執筆か、もしくは塾講師の仕事が忙しくなったのだろうな、くらいに思っていたのでした。

そうして月日が流れ、実はつい2日前に久しぶりに氏のサイトを訪れてみたのですが、相変わらず更新はなく、ふと思いついて、グーグル検索を試みました。飛び込んできた最初の文字が「たそがれ親父さん、逝去」 えー!嘘やん!しかも亡くなられたのは2011年と、もう5年も前ではありませんか!ああ、なんと言うこと。

たそがれ親父さんは「せどり」の仕事をしていたようですが、わたしにとり初耳の言葉です。調べてみると、「せどり」とは「競取り」と書き、主に「古書店で安く売っている古書を買いとり、ネットで売ること」とあります。その世界ではかなりなの知られた人だったとのこと。プロフィールを拾ってみるとわたしと同年、1947年生まれでした。

存命だと思っていた人が実は既に鬼籍に入っていたという話は、近頃耳にすることが多くなってきたような気がします。自分のをも含めて、人生は一寸先は見えないものなのだ、と知らされたことではありました。

最後に失礼ながらネットにあげられている著書「大金持ちも驚いた105円という大金」にあるプロフィールを。

■吉本康永(ヨシモトヤスナガ)1947年生まれ。東京外国語大学中退。現在群馬県の予備校で教鞭をとっている。歯に衣着せぬ物言いに隠れる圧倒的な愛情に、学生のみならず父母の間からも信望が厚い(らし)かったが、少子化と不況の影響を受け、還暦直前にして授業数が激減。月々のローン返済40万円を抱えた中で見いだした答えが「せどり」だった。

その笑いと涙の闘いの二年間を著書、『大金持ちも驚いた105円という大金ー救われたローン人生』にまとめた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ローン地獄/アマゾンへの出品/せどり生活のスタート/訪れる失敗/アコーディオン買い/せどりの日々/著名人本の価値/車の買い替え/パソコンと本の分類/アマゾン一人勝ち/せどりのジャンル/税理士登場/古物商許可証取得/さまざまなお客様/売り上げ記録は更新中だが…/せどりの技術/ある日のせどり旅/ローン地獄からの脱出/本の運命 どんなピンチだって、ちょっとの工夫と行動で乗り越えられる!リストラ間近・還暦直前・月々ローン返済40万円…!崖っぷち予備校講師が選んだ手段は、ほんのちょっとした事だった。ヒント満載の、貧乏克服ノンフィクション。

我がモイケル娘に頼んで、この本を購入することにしました。

たそがれ親父の吉本康永さん、あなたのアイディアにあやかり、なんとか大学と院まで修めることができた娘がここに一人おります。何年もと遅くなりましたが、感謝とともに心からご冥福をお祈りいたします。

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2015年12月17日 

親がよく遊んでいたので、花札の花合わせ遊びは知っている。
小さな一枚一枚の黒い縁取りのカードに、鮮やかな色彩の花が描かれているのを見ては、美しいと子供心に思ったものだ。少し厚めで裏が黒色の花札は、一枚一枚置くときのピシッと音がするような感覚も好きだった。

日本から持ってきた花札は、ここで遊ぶことはないが、日本文化展示会に使うことがある。その鮮やかさな色彩はポルトガル人たちの目をひくようだ。

花札が一式を48枚だとするのは、ポルトガルから伝来した、「カルタ」もしくは「バラーリュ(Bbaralho)」と呼ぶ)いう遊びカードが、一組48枚だったことから来ると言われる。後に、このカルタ、バラーリュは日本語で「トランプ」と呼ばれるようになったが、その語源はさだかでない。

カード遊びと言えば、日本の代表として上げられるのに小倉百人一首の歌がるたがある。小倉百人一首は13世紀始めに京都の小倉山の山荘で、歌人藤原定家が8世紀から13世紀の間に詠まれた和歌を編纂(へんさん)したものだ。、それが江戸時代に入ると歌がるたとして広く普及し、現代に至る。

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歌がるたこそした経験はないが、百人一首の歌の何首かは知っている。恋の歌が多いなというのが、これまでのわたしの感想であった。

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ところが、しばらく前に、「今の百人一首の解釈の多くは間違っている」と書いてあるのをネットで目にしたもので、どこがど間違っているのかしりたいものだと、好奇心が頭をもたげ、日本に住むもいける娘に依頼して送ってもらった本が「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」だ。

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サブタイトルに「千年の時を超えてあ明かされる真実」とある、国史研究家、小名木善行氏の著書である。小名木氏は、日本の良い話をブログ「ねずさんのひとりごと」で発信するブロガーであり、わたしはよく訪問する。

一週間ほど前から、夜寝床に入って寝入る前に読み始めたこの百人一首だが、一挙にその解説に引き込まれてしまった。ハードカバーの分厚い本なので、親指の付け根に腱鞘炎があるわたしには、しばらく手に抱えて読むのが厳しい。それで、夜寝る前に百人一首の1、2首とその解釈を読んで本を置くことにしている。

小名木氏の解説は、文法解釈もあるが、同時に時代背景の歴史を絡め、歌の詠み人の心情にせまっていく。なんだか、ミステリーを紐解いていくようで、わたしは大いに興味をそそられているのである。


例を上げると、百人一首のトップは、中大兄皇子こと、後の天智天皇の詠んだ、

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ

は、通常、「小屋が粗末だから、わたしの着ている服が梅雨で濡れてしまったよ」が解釈だが、小名木氏は、「天智天皇ご自身が太陽が出ていない時間帯に、粗末な庵で、長時間、自ら苫(ござ)を編んでいたのであり、民と共に働く天皇、上に立つものから率先して働く天皇の姿」がうかがい知れる。世界史上でも類まれな偉大な天皇の和歌を、一番歌として定家は持ってきた、と解説している。
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2番歌には、女性天皇、持統天皇の

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山

は、究極の夫婦愛と日本人の死生観を歌ったものだと言う。そして、「日本」と言う国号を正式に決め発令したのはこの持統天皇だと解説にある。

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ひとつひとつの和歌の解説は、その当時の歴史的出来事をとりあげ、まるで歴史を短編を読んでいるような気がすると同時に、目からウロコの解釈に驚くばかりだ。

久しく、ズシリと重さも読み応えもある一冊に出会った思いだ。

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