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2019年10月13日 
                               
日本語の生徒には若い人もいれば年配の人もいます。

ある日のこと、生徒さん、年配の女性なのですが、どうも元気がない。授業が終わった後、少し水を向けると、16歳になる愛猫のシャムネコが最近ものすごく食べる。後から後から食べる。粗相もあちこちにする、とのこと。

これを聞いて、アッと思いました。16歳は人間で言うと80歳で高齢です。そして、死んだ我が家のたんぽぽちゃんと同じ症状です。たんぽぽちゃんは、不治の病がありましたが、それに加えて、高齢のため、ボケが始まってたのです。

動物も人間と同じだな、と思いました。亡くなった我が母はさほどひどい痴呆ではありませんでしたが、それでも、時々自分がアイス・クリームを既に食べてしまったのを忘れて、続けて二つ目を食べていたことが何度かありました。「あら!」と言うと「まだ食べていない」と頑張ったものです^^;

ポルトの同僚、男性ですが、長い間飼っていた愛犬の介護をした人がいます。大きな犬でしたので、身動きできなくなった最後のころには、抱き上げるのも重くて大変だった、紙おむつをして世話をしたとのこと。

彼の場合は、仕事で外に出るということはなかったので、できたと思います。わたしもまた、仕事は家ですから、ネコちゃんの病気の介護、粗相の後始末が一年近くもできたのです。

動物を家族のメンバーに迎えるとき、最後まで面倒見ようと思いはしたものの、介護することになるかも知れない、とまでは考えませんでした。

昔は、ネコは自分の最後が近づいた時、飼い主の前からこっそり姿を消す、と聞きました。庭があり、家と外を自由に出入りできる猫たちの話なのでしょうか、アパートなどで閉じこもった生活を強いられる猫たちは、したくてもできませんものね。そして、外猫は短命、家猫は長寿なのです。

ポルトで初めて飼ったネコにルルと言うのがいまして。息子が5歳くらいの頃で、当時は夫の家族と同居していました。庭がありませんでしたから、野良で生まれたノラ猫ルルはわたし達に引き取られ、外の世界を知らずに育ったのですが、庭のある家に引っ越したときも、決して庭には出ずとうとう最後まで家の中でした。

その最後の時は、自分の身をどこかに隠そうと、動けなくなった体をひきづっては、何度も何度も洗面所の片隅に身を置こうとしたものです。

件の生徒さんは仕事があり、日中愛猫は一人家に残るわけです。こうなってくると、人間もネコもたいへんだな、治療して治る分にはいいのですが、そうでない場合はどのようにして、ペットと向き合うか、ちゃんとした解決方法は二選択一。大変なのを承知の上で最後まで介護するか、辛い気持ちを噛んでクリニックに連れて行って置いてくる。

人間社会のみならずペット社会にも、このような問題が持ち込まれるようになるとは、昔は考えも及ばなかったことでしょう。

今我が家には4匹いますが、15才16才17才、一番若いのが13才です。2年前まではこれにゴンタ君が加わって5匹いました。4匹のねこたちをしっかり治めていたのはゴンタでした。長老とは言え、今のフラットに引っ越すまえの庭付きの借家にいたときからの猫で、当時はよく外を出歩いていたものです。

gonta5.jpg

ありし日のゴンタ、そしてペト

フラットに引っ越してからは、土日のみ朝の1時間ほどを外で探索しては必ず帰って来て、下のフラットの壁の上で、帰ったよ、とわたしたちを呼ぶのでした。それで、二階のフラットから下まで降りて、メインドアを開けて入れてあげるのです。

そんなんでしたから、経験も豊かで賢くリーダーシップがありました。仲間同士が家の中で取っ組むほどの喧嘩をすると、一目散に走って行き仲裁をしたものです。最後の最後まで、ほとんどわたしたちに手をかけずに老衰で静かに息をひきとりましたが、猫とはいえ、立派な最後でした。

いつの日にか、一匹、また一匹と介護をする日が来ることを考えると、覚悟はしておかないといけないな、とつくづく思います。

夫やわたしが猫たちの後に逝く、って想定ですけどね(笑) ねこたちをみな見送るまでは三途の川を渡れません。

下記では、ゴンタねこのことを書いています。よろしかったらどぞ。

 「満月と猫とゴンタねこ
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2019年10月1日

ひいきの3匹の野良ネコちゃんがいなくなって、しょげていた前回のブログ、ちょっと切ない内容になってしまいました。
え~い!と元気印で行かなくちゃ。そこで、今日は同じくネコにまつわる、でもちょっと可笑しなお話をば。

補習校を退いて、めっきり日本人と顔を会わせることがなくなったころのことです。日本語そのものを話す機会を失ってしまったもので、当時は独身だった子供たちと日本語での会話のやりとりは、「母国語が話せないストレス」からわたしを解放してくれるのでありました。

夫の気の会う仕事仲間との会食でも、「近頃は日本語を話す相手はもっぱら日本語教室のポルトガルの生徒よ」と冗談のような本当の話をしては、「お!いよいよYukoもポルトガル人の域に入ってきたのだね」と褒められたり(?)

が、三つ子の魂百までと言う、いくら日本で暮らした年数よりポ国での年数が上まったとは言え、母国語で思いのたけを語るようにポルトガル語で語れるわけはございません。日本人気質も変わるものではない。

そんなわけで、子供たちにしてみたら親とのスカイプチャットも小うるさかったかも知れませんが、母親にとっては、彼らの様子もわかり、母国語も話せる一石二鳥の役割をしてくれていました。

さて、そんなある日曜日、モイケル娘とのチャット。

モイケル:あ、そういえば「歌舞伎」の写真、ブログに乗っけたどーw
(註:「歌舞伎」とはモイケル娘の近辺のノラ猫。後半に写真あり)

spacesis: おお、見てみよう。わたしも「歌舞伎」の記事をブログに書こうと思ってるのだ
モイケル: あはは

spacesis:ところで、JRはどうしてるの?(JR:我が息子でモイケルの兄)
モイケル:今日なんかダンボールの中、仰向けになって寝てた

spacesis: ダ、ダンボールの中?
モイケル:昨日仕事が終わってからパーティがあって帰って来てない
      (兄妹二人で住んでいた)

spacesis: ダンボールでって、どしたん、それ!
モイケル:今日は外があったかかったんだよw
モイケル:で、気持ちよさそう~に寝てた

spacesis: おいおい、ホームレスじゃないか、それ。「歌舞伎」と同じw
      なんちゅうことを^^;

モイケル: ・・・・・・おっかさん、ちょと待てぃ!(話のズレに気付いて)
           「歌舞伎」の話だよw
モイケル& spacesis: ・・・・(二人しばらく沈黙後) ぎゃはははは!

spacesis: JRがダンボールの中で寝てたんかと(爆笑)
モイケル:さすがに兄貴もそこまではやらんわw

spacesis: がはははは。おかしぃ~。おナカがよじれる~
      (↑笑いすぎて)
spacesis:ああ、平和な日曜日の朝だ

チャットのちょっとした行き違い、ボタンを掛け違えたようなやりとりで、我ら慌て者親子の他愛ない会話ではありますが、こういう何ということもないように見える笑いの一瞬が心にポッと灯をともしてくれます。
そんな一瞬が生活には必要です。

昔から言います、「笑う角には福きたる」そういうことがしみじみ感じられるこの頃です。

さて、その「歌舞伎君」ですが、登場願いました。

Kabuki3.jpg

真っ白ネコなのになぜか顔の模様が歌舞伎キャラ。そして、先ほど、息子が寝ていると勘違いしたダンボールでの歌舞伎ネコの寝姿がこれ↓

kabuki.jpg

ねこ共も気持ちよさそうにお昼ね。平和だねぇ。我が物顔でベランダを占領する「歌舞伎」。油断しきってるなおぬし。

何ゆえダンボール箱でうたたねをしているかと言うと、歌舞伎君、モイケルのベランダにやってきてはエサを待つ常連ノラちゃんなのです。これからは寒かろうとベランダに応急ハウスとして設置したのがこのダンボール箱(笑)

箱の中にはちゃんと小さなカーペットも敷いてます。写真の白いプツプツはというと、エサをもらうの常連だと言うのに、断固、人を近づけない歌舞伎君、ベランダのガラス戸越しに撮影したからに他ならず。

kabuki2.jpg

ご近所では快く思っていない隣人もいるかも知れないと思いつつ、放っておけないのは母の血です。右や左のみなさまがた、どうぞご勘弁を。

既に元ノラ養子一匹(元カレのネコだったのを結局養子にしたとのことw)と保健所から引き取った2匹の計3匹をすでに飼っていた娘、いくら家に入れてあげたくてもこれ以上は増やせません。飼ってあげることはできないけれど、その時できる最善のことをする、これで行くしかありません。

こんな風にすっかり「油断しきって」寝ている姿、可愛いではないですか。歌舞伎ネコちゃんは今どうしているだろうか。逞しく生きていておくれよ、野良ネコ戦士。

みなさま、本日はこれにて。

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2019年9月30日  

我が家には4匹のネコがいる。
一番若いのが13才のゴロー、次が15才で紅一点のチビ、16、7才の黒猫ぺト、そして長老18才になるクルルで、ネコの13才は人間で言うと60代も終わり頃にあたり、18才ともなると人間の90歳くらいに相当するのだと言う。ゴローを除いてはみな高齢者です。

家ネコが突然野良猫にならざるを得ないときは厳しい環境の人生に放り込まれることになるので、全員を見送るまでうかつにこちらは死ねないなぁと思っています。

ところで、わたしはこの12、3年、近所にあるジョアキンおじさんの畑に住む猫たちと、おじさんの庭の猫たちに毎晩欠かさず餌運びをしてきたのですが、一時期20匹近くもいた野良ちゃんたちも数年前から赤ねこちゃんと黒猫2匹だけになってしまいました。

他にジョアキンおじさんの自宅外で食事時間にいつも待ちかまえているのが4、5匹、併せて常に5、6匹のエサを用意して持っていくのですが、この一ヶ月で3匹がいなってしまいました。

一匹はつい先だって、いつも通り食事の合図をすると、いつもは3匹がどこからか出てくるのに、トラネコの姿がありません。すると、通りかかったおじさんが、「そこに一匹死んでるよ」と言うではありませんか。

えっ!とその指差す方に目を向けると、側のpasseio(歩道)の端っこにトラネコが横たわっています。
近寄り、体に触ってみるとまだ体温が感じられましたが、可哀相に事切れていました。車にはねられたのか、毒を盛られたのかは分かりません。このネコちゃんです。

gatosoto1_1.jpg

まだ若いネコで小柄、エサをあげて3年目にしてやっと背中に触らせてくれるようになった矢先でした。亡骸は箱に入れて、翌日、時々世話になる獣医さんまでもって行き40ユーロ(5000円程)で火葬にしてもらいました。可哀相でした。

もう一匹はこの赤猫ちゃん。これも触られてもらうのに4、5年はかかりました。人間を信用しない目つきをしており、こやつだけが、いつもの時間に遅れて行ったりすると、「シャーシャッ!」とまるで、「遅いじゃないか、今日の飯!」とでも言うかのように、威嚇しながらもすりよってきました。

neko2.jpg

それでも毎晩エサを待っていました。5年くらいもすると、表情が下のように和らぎいできました。

fofinho1.jpg

姿を消す前日は、エサを食べないで、「あれ?お前、どうしたんだい?と思ったほど」何度もわたしの足元に体を摺り寄せてきました。一月ほど前のことです。

今、思ってみると、自分の死期を悟って、あれはわたしに別れを言っていたのかなと思ったりしています。

下はジョアキンおじさんの畑に住んでいた赤ネコちゃん。

joaquingato6.jpg

畑にただ一匹残った成猫ですが、今までになかった行動に出ました。朝晩えさを運んだですが、ご飯より撫でて欲しいみたいで、やたら甘えてくるようになり、人懐こく、とても性格のいいネコちゃんでした。

10日ほど前から呼んでも姿を現さず。12、3年は面倒を見てきましたから、老猫でした。

この赤猫ちゃんについては、夫の反対さえなければ、わたしはとっくに家に連れ帰っているのです。もう4匹いることだし、言い出しにくいのではありましたが、夫に一度打診してみたことがあります。

「ねね、ジョアキンおじさんとこの畑の猫、一匹だけになったし、あの赤ネコちゃん、うちへ連れて来るのはどう?5匹も6匹も同じじゃなぁい?」(当時は家猫5匹がいた)

夫の即答、「同じじゃない!ゴンタの介護だってありうるぞ。(老齢で全盲になった猫) 目下、我が家に空席はない!」ですって。
このネコちゃんも姿が見えなくなる前夜は、やたら、甘えてきました。

昨夜、おじさんの庭のネコ2匹と畑の側にもう一匹いる黒猫にエサを持っていくと、近所のおばあさんが、「あんた、よく毎晩頑張るね。」と話しかけてきたもので、少し立ち話をしました。あばあさんも家に6匹ネコを飼っているのだと言います。「だから、もう家に連れていけないのよね。可哀相だけど」

赤ネコちゃんの姿がこのところずっと見えないとわたしが言うと、おばあさん、「そのネコはこの間、その辺で死んでいたのよ。もう歳だったからねぇ」 あぁ、やっぱり、と予想はしていたものの哀しい気持ちに変わりはありません。

補習校の講師時代、補習校の子供たちに読書を勧めるにに、なんでもいいから読めというのはわたしは嫌いで、この本、読んでみない?と入っていきます。そのためには、自分が読んでいなければならないわけで、当時は片っ端から児童書を読んでいました。

図書室で手にした本に、「荒野にネコは生きぬいて(原題Abandomed:G.D.Griffith作)」という児童書がありました。

kouyaninekowa.jpg
Wikipediaより

ある日、突然、飼い主に捨てられた子ネコは、少しずつ自分が捨てられたということを理解していきます。冷たい人間の仕打ちにも会い、厳しい荒野で生きる術を学びながら成長し、老い、死ぬまでのネコの一生を描いた物語ですが、読み勧めながらわたしは涙を抑えることができず、我が子たちに隠れて泣いた本です。

野良ネコ、野良犬の一生も人の一生に似るように思えます。逞しく生きているとはいえ、人のぬくもりが恋しくないはずはありません。いなくなった3匹のことを考えながら、昔読んだ本を思い出していたのでした。

くだんの本の主人公ネコは最後まで名前がないのですが、我が外ネコのどのネコも同じく名前をもたず、生涯を路上で生き抜いた小さな戦士たちでありました。

本日はこれにて。

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2019年8月5日
 
我が家は寝る間際、夫とわたしのどちらか後に就寝する者がすべきことがあります。下がその手順です。

ステップ・1: 日中はわたしたちの部屋と、今は主のいない、もいける娘の
        部屋に置いてあるところの、ネコ達の寝床であるカゴを二つ
        台所に運ぶ。

ステップ・2: 家の中のそれぞれ思い思いの場所に陣取って寝ているネコ
        たちを探し出して、台所とその横の窓付きベランダに入って
        もらう。
        手の届かない、リビングルームの家具の上の高いところに
        誰かがいた日には、 頭に来るのである。呼んでも呼んでも
        素知らぬ顔して、降りて来ようとは しないのだ。メッ!

ステップ・3: 台所に続くベランダにある二つのネコトイレがきれいかどう
        かているかどうかチェック。汚れていたら片付ける。
         これが仕上げです。

疲れている時などは「寝る前にまだ仕事か」とうんざりすることもあります。
夫は翌日朝早い仕事があるときは、先に寝入ってしまい、それらはわたしの役目になり、しまった!なのであります。

夏休みだからと、やたらダラリとしてるわたし、「試しがてらにネコたちを自由にさせて寝てみるか。」(ほんとはめんどくさいのだ。笑)と、いつもは寝室三つからなる「サウス・ウイング」とリビングルーム、夫の書斎、台所、入り口ホールの「ノース・ウイング」(飛行場じゃないんだってば。笑)を仕切るドアを閉めるところを、日中と同じく開けっ放しにして寝ました。

深夜、ネコが一匹ベッドに乗ってきた!眠りの浅いわたしはすぐ目が覚めます。足許のあたりで丸くなったようだ。とすぐ後にまた一匹、乗ってきました。ドテッとわたしの背中のほうで寝っころがるのは、黒猫ペトだ。見なくてみ鼻、毛の具合で触って分かります。

ん?もう一匹、ボテッとベッドからずり落ちそうに乗ってきたのは、クルル。
身軽にパッと飛び乗ってきたのはトラネコチビ。すぐほっぺたの横でゴロゴロゴロゴロ~~

待てよ・・・・みんな乗ってるんじゃない!

すると、夫、ガバと起き上がり、「うるさい!眠れたもんじゃない!」
は、はい、わたしと同じようにとっくに目が覚めてて、寝ようと努力してたようでありました。

で、結局真夜中に起き出して、ステップ・1からステップ3までの手順どおり、ネコのお仕事をしたのは、夫でした(笑) そんな訳で、ねこたちの夜は、またもとのように台所と横のベランダの戻りました。

そしてこのところ、誰かがマーキングをするもので、息子娘の部屋は日中は開かずの間になり、夜の間、ドアが開きっぱなし。
ねこたちは去勢手術をしているのですが、完全にスプレー行為を防げるわけではなさそうです。
誰かが、というのは、現行犯でまだ逮捕に及んでいないのであります。

第一容疑者はいるんですけどね↓

neko

ではみなさま、また。



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2019年6月22日 

元気だったご近所のジョアキンおじさんも、奥さんを亡くした2年前を境にすっかり歳をとった。それまでは、はすむかいにある畑で毎日働いており、しょっちゅう外で顔をあわせ挨拶を交わしていたのに、近頃はめったに見かけることがなくなった。歩くのが不自由なようで、杖をついてゆっくり道を渡っているのを時々見かける。

15年ほど前までは、毎朝ロバを連れて近くの商店街の食べ物やへ残飯をもらいに行くのが日課で、そも残飯は畑の猫たちや豚さん、ニワトリさんの餌になるであった。

相棒のロバが死に、朝の日課もなくなったが、その後は畑仕事に精出していたのだが、その頃から、猫の餌運びはわたしに勝手にバトンタッチになったのだ。ジョアキンおじさんの残飯集めの日課がなくなった時点で、おじさんがお金を出してまでは猫の餌やりはしないであろうと推測していたので、元来が犬猫好きなわたし、畑に住む野良猫たちの餌を用意するのに異存はなかった。

そうして、始まった毎晩の餌運びは、かれこれ15年ほどになろうか。しばらく旅行で留守をするとか、日本に帰国するときなどは、おそうじのおばさんにお金を払い、餌運びを依頼する。

一時期20匹ほどもいたジョアキンおじさんの畑は、この辺りの野良猫コロニー(野良ネコたちが住み着く場所)でも大きかった。それで、ボランティアが来ては猫を捕らえて、避妊手術を施してはまた畑に返したのだが、そんな訳で、この15年ほどで、ジョアキンおじさんの畑に住むねこは、現在2匹になってしまった。

わたしが毎晩エサを運ぶ猫の数は長い付き合いになるその二匹、黒猫と赤トラ、それに、ジョアキンおじさんの自宅の庭にやってくる3匹の猫たち。時に他の野良ちゃんたちも加わって4匹、5匹になったりする。

というので、家の4匹猫に加えて外猫5匹の計9匹、それぞれ一匹ずつに用意する晩御飯は、ちょっとした光景である。

さて、前書きが長くなってしまったが、実はこれに加えて、数年前から、海岸からかなり離れたこの区域に数羽のかもめがよくやって来るようになった。餌が少なくなったのだろう、残飯をつっついて散らばす光景も見かけたりするのだが、わたしは、餌にありつける分いいではないか、後は人間が清掃すればすむこと、「かもめも食わねばなるまい」と考える性質である。

そして気付いたのは、わたしが猫の餌を持っていく時間と猫を呼ぶわたしの合図をどうやらカモメは知っているようだ、ということだ。つまり、その時間帯に待ちかまえていて、わたしの姿を見るとクワァクワァと騒ぐ。

猫の食べ残しをつっつく分にはいいとして、カモメと言うのは食べ物がないと意外と残酷なことをするものである。わたしは猫を襲うカモメを昔見たことがあり、真っ青な海の空を羽を広げて飄として飛ぶ白いカモメの美しさしか知らなかったので、ひどく驚いたものだ。

それで、晩御飯の時間が遅くなるんだがなぁ、と内心思いつつ、猫が食べ終わるのを待っていたりする。畑の石塀の上に止まり、カモメたちは、まだ終わらんか、はよせぇ~とでも言わんばかりに猫たちが食べているのを見ている。

で、中に待ちきれないのが一匹いて、道路に飛び降り、餌など落ちてる訳もないのにこちらを振り向きながら拾って食べてる振りをするので、おかしいったらありゃしない(笑)

それが昨日のこと、思わずわたしが大笑いして、夫に話さずにはいられなかったハプニングがあったのだ。

件のカモメ、昨日も道路に飛び降り、猫たちが食べている間、エサを拾って食べてる振りをしながら、少しずつ猫の方に近づいて来ようとするので、「まだダメ!待ちなさい。」と言うと、わたしと目を合わさず、首を横に向けて遠ざかり始めた瞬間、側にあった街頭ポールにゴツンと頭をぶつけたではないか!

あっははは!声を出して笑ったわたしでありました。カモメにもわたしのようなおっちょこちょいがおるんやなぁ、と、ひどくそのカモメに親近感を抱いた次第。

車で日本語レッスンに出かける時など、時に上空でクワックワと鳴くカモメを見ると、まさか、あのカモメ?との思いが頭をよぎるが、いや、ほんま、まさかそれはないぜ!ではあります。


我が家の4匹のうちの3匹の写真で終わります。猫草を食べにベランダへでたのが、締め出された~、と言っております(笑)
May_27_1.jpg

ジョアキンおじさんの話、もう少し続けたいと思います。
では、また明日!

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