2006年3月30日(木曜日)
electrico


毎月微々たるものではあるが、ポルトガルでも子供がいれば児童手当なるものがいただける。
我が家では二人の子供のそれをずっと積み立ててきた。
クリスマスや誕生日などに、たまによそ様からいただいく子供へのお祝いも、たいがいは物であるが、それが金銭の時は、全て積み立てに足して行った。

中学生くらいになると、子供達も自分に親が管理している貯金があるとわかって来る。彼らには、ポルトガルで成人と認められ選挙権を持つ18歳になった時に、その貯金を自由に使うことができる、と言い渡してあった。

「塵もつもれば山となる」大した額でもなかったものでも18年も積み立てると結構な額にはなるものだ。
子供達はときどき、「ボクのお金、わたしのお金」と言ったのだが、そんな時、わたしは必ず一言言わせてもらった。

「自分のお金と言えるのは、自ら汗水流して得たお金です。この貯金のお金は皆、人さまが働いて得たものをたまたまあんたらが貰っただけのこと。アホ言ってはなりまへん~~」
これで一発ギャフンですw

息子は19歳になった年の夏に、それを使ってヨーロッパ一周バッグパッカーをして、ホームレスごとき風貌で帰ってきた。

さて、もいけるにつけたおっかさんの智恵はこれである。

「その貯金をひっつかんで日本へ家出する前に、これからかかるであろう、経済問題をソロバンではじいてきちんと数字を出し、これこれまでは自分でできるが、これだけ足りない。必ず返しますのでこの不足分を貸してくだしゃんせ」

ここまで娘に出られたら、亭主、もう反対はできませんでしょ(笑)
続き^^

★今日の写真はポルトの旧市街を走る路面電車
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もいけるのどうでもいい話(4)        2003年4月 
       
どうも 皆様ご無沙汰してます。
やっとテストが終わり、久しぶりにピアノの練習もできるし midiにもまた専念できる
のでかなり機嫌がよくなってきた (笑) ので おひさしにどーでもいい話を 書きましょう。

今日はピアノの先生の話でもします。

私が今 弾いてる数曲の中の一つで ショパンのプレリュード があるのだが
これがまたすごくテンポが遅く暗い曲で 弾きおわると必ず 「今から自殺しに
行きます・・」とつっこみたくなるような メロディ。どうしても好きになれなかった
のだけど先生が話してくれた解釈でずいぶんで気持ちがかわった。

この先生と言うのは 24歳というかなりの若さで 私とは大して変わらない
(けど 横から これを読んだ母が 「変わるわよ!全然違うじゃない!」と言った 笑)
しかし 想像力や 物のたとえが うまく去年の先生などより すごく分かり
やすかったりする。

と、いうわけで 続きだが。プレリュードね。いろんな解釈してくれたけれど
簡潔に言えば、一つ一つの音は 思い出のようなものだ。
それか あるいは 誰かに伝えたいもの。けど伝えることは出来ない。
この 二つの 音符が繰り返されるだろう。何度も 誰かに伝えようとするけど
できないのだ。
(曲を弾きながら)あー この想い・・伝えたい。でも届かない。

あー 携帯のメッセージが届かない(・・ね、根に持ってる・・)。なぜだ。
なぜ届かないんだ。サーバーがおかしいのか。無理だ・・
(ちょっとメロディが変わる)
もう一度送ってみよう メッセージ(メロディがもとにもどる)あー 届いてくれ。

しかし やはり 届かない・・ なんで届かないんだ・・ くそ・・このぽんこつめ!
(音が激しくなる)なんで 壊れてんだ おっどりゃーーーー!!

っとまぁ なんで届かないんだあたりからは 私が勝手に つくったけど (笑)
こんな 感じで 今は あの曲弾く度に携帯を思い出す。




        母のコメント:みなさま、少々乱暴で、乙女の言葉とは思え
        ませぬが、こういうところも日本語練習のためと、グッと
        こらえて見逃したのでありまする(笑)
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2006年3月29日(水曜日)
sanbento2

2日前に当ホームページサイト日記で団塊世代退職後のアイデアがある、なんて
たいそうなことを書きました。
たてごとアザラシが出てきて、コロッと忘れていたわけではありませんぞ。

以前どこかで、団塊世代が退職する数年後に、街は汚い年寄りで溢れかえる、なんて記事を
目にして、「んもう、失礼だな。それのどこが悪いのよ。汚いってなによ」と反論したい
思いだった(笑)
昔じゃあるまいし、60で年寄り扱いはちとひどい・・・
(わたしはまだやで~w)

若いとき回った都市に、ケンブリッジ、ロンドン、パリ、アメリカの小さな街などがある。
その時思ったことは何かと言えば、外国ではいろんな年齢層の人々を街の中、レストラン、
喫茶店などで見かけるが、日本は若者しかおらず、それこそ60歳代以上は殆どみかけ
ないということだった。

団塊層が定年年齢に近づいて来ているが、昔と比べて、今の年配の人たちは皆とても
若々しく見え、溌剌としている。 
こういうのを「年寄り」とは言わないのだ。
亡くなったわたしの母などはわたしと妹に言ったものである。
「あんたたち、わたしの時代と比べたら、とてもとてもそんな年齢には見えないよ」と。

さて、わたしの案です。
少子化で、大学が経営不振に陥り閉鎖を迫られたり、募集生徒人数がなかなか集まらない
などの問題が目に見えている。
この大学に団塊世代をもう一度呼び寄せてみてはどうか、である。
定年退職者は年金暮らしになるわけで、奨学金のローンなどは返済見込み薄だから、
入学金、授業料は通常の半分、もしくは3分の1くらいにする。

人間一生が勉強だと言います。
人生経験を踏まえた上での学問というのは、若い時とはまた違うのではないかと思うのです。
うまく行けば大学卒業後、何らかの形で社会貢献、社会への還元ができないとも限らない。
ボケてる暇もなくなる。
子育てを終えたあと、もう一度勉強をしてみるというアイデアは、「老いたら、ハイ、お終いよ」
より、遥かに生きることに対してポジティブである、がわたしの考えです^^

年寄りがうらぶれているように見える国は、やはり活気がない。
若い人達に混じって、定年者が元気に立ち回る方を探る方が、「街は年寄りで溢れかえるよ」
(なんだかこの言い草には、ジャマモノにしている感が伺われるのは、ひがみだろかw)
などと言っているより余程いいと思うのだが、どうでしょうか?

こんな話を30代の若い子にしたら、「それは君だからそんなことを考えるのだよ。
もう勉強なんかごめんだ、のんびりしたいという年寄り(またもこの言葉だ!ギン!)が、
遥かに多いんじゃないの」と言われてしまった^^;

う~~ん、そうかな・・・わたしと同じように考えて勉強すること大いに結構、というもの、
この指止まれ~~(笑)

60歳以上の社会人学生を対象にして、こんな法律でもできたら、わたしは凄く助かる^^
もいける娘も助かる^^(←この謎については、いずれズッコケ親子受験戦記で解き明か
される日がくるw)
こんなことを考えたのでした^^

★今日の写真はポルト世界遺産指定区域、旧市街にあるサン・ベント駅。北部地方への起点になっている。駅構内は、有名な青タイル絵で覆われている。
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2006年3月28日(火曜日)
ribeira2

2003年に入ると高校2学年もあと半年で終わる。この頃から、いかな、のんびりしたポルトガルでも、大学受験前の緊張した雰囲気が否が応でもじわじわ押し寄せてきます。

もいける娘、そろそろ父親説得の第一楽章に入るのであります。これがなかなか手強くて実際かなり手を焼きました(笑)
横から母親のわたしが口出ししますと、「mãe galinha=マイン・ガリニャ(鶏の母親)
と言われること間違いなし!この呼び名には腹立ちますのよ~~(笑)

家族での食卓で、父親と二人の外食の機会でと、自分の日本行きのアイデアをもそ~っともそ~っと出していきます^^
なかなか父親のゴーサインが出ない環境で、ポルトガルの国家試験準備、成績アップ努力は、日本の大学受験への不安も加わり、もいける娘、ちといらだってきたようで、「いいもん!OK出なかったら、家出しちゃうもん

がーーーん!
この言葉、遠い昔、同じ本人の口から聞いたことがある!(2006年2月23、24日の日記・木しゃもじの思い出参照。)
4歳のもいける娘がわたくしこと、おっかさんに木しゃもじでピシッと一発叩かれ、リュックを背負って同じ通りのおばあちゃんの家に「まいちゃん、家出しちゃう!」のらりくらりともいける娘の話をうまくかわしてはぐらかし、できるものならポ国の大学に行って欲しいと願っている亭主。これをなんとかせんといけません。

mãe galinha=マイン・ガリニャ(鶏の母親)、もうちょいヒヨコに智恵をつけることにしたのであります。 あぁぁぁ、悪い妻だ^^

続きは明日^^

 
   [ emoji:i-3]  
もいけるのどうでもいい話(4)    2003年1月  
   ↑ここから「くだらない話」から「どうでもいい話」になってるw
 
どうして学校に行ってると、こう「どーでもいい話」が増えていくんだ・・
・・・ま、どーでもいいやw

数学の先生は面白いキャラの人である。
生徒に向かってすぐ あほだのなんだのと呼ぶ。何、誰も傷つくわけではない。
ポルトガルではひとつの愛情表現であって、先生の口から悪口が出てくると
皆必ず爆笑する。

その先生の授業でおこって、ちょっとした出来事である。
数学の時間だけ、いつもは空いているわたしの右の席に座る級友がいる。
喋りすぎる生徒を黙らせるために、わたしの隣に座らされるのだ

今日、「計算機を(グラフィックに使う)忘れたのでちょっと貸してくれ」と頼まれた。
うん。まーいいじゃないか、と貸したら、しばらくしてから聞かれた。
「ん?ね、AHOって何?」
確か去年、その計算機の使い方もよく知らないのに無理にプログラムを作って
それをセーブした時に、タイトルを「AHO」にしたのだった。
削除しようとしてもできなくなってしまい、そのままにしていた。

アホの意味を教えると、
「お前は、ってなんて言うの?」と聞く。
(あー、こりゃ誰かに言ってみたいんだな)と推理し、ローマ字で
「omaewa aho」と書いてやった。
そいつ、早速前の席の人をつっつく。
「おい、おい。オマイワ アホ! アマエヲアホ!」(ポルトガル人の発音式)
前の人、「なんだそれ?」
「お前はアホだって意味なんだよ」

突然左側から強い視線を感じる。
(てっちゃんの左の席も空いている)そこに先生が座っていた。
頬杖をついてこちらを皮肉っぽい顔で見ている。
「マリアーナ」 間をおく。
「あなたに、両側に座っている馬鹿どもをひっぱたいてもよい許可をあげます。
むかついたら遠慮せずに ぶっ飛ばしてやんなさいよ!」

おー、さすが・・・この先生好きだー(笑)
 

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2006年3月27日(月曜日)
gonta
昨日一昨日と夕食時に流されたテレビニュースで,思わず眉をしかめずにはいられない
映像を目にして少々ショックを受けました。

カナダ、セントローレンス湾沖で今月25日からアザラシ猟解禁となり、その猟の模様を
放映したものでした。
この猟の対象は、たてごとアザラシ(英名Harpseal)と呼ばれる流氷の上で生まれた赤ちゃん
アザラシなのだそうです。

流氷の上に横たわっているアザラシ、どうやって捕獲するのかなと思って見ていたのですが、
近づいていっていきなり撲殺です。一瞬ギョッとしました。
こんなやり方、ないじゃないの、と段々腹がたってきたのです。
たてごとアザラシの赤ちゃんは逃げることを知らない、そのまま猟人を見つめるたところを
一発ガン!です・・・
何頭も何頭もそうやって捕殺される映像には見るに耐えないものがあります。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/takajiochi/seal2.htm

↑ここに可愛いたてごとアザラシのあかちゃんの写真が載っています。

http://www.ifaw.org/ifaw/general/default.aspx?oid=89520

↑こちらはIFAW・世界動物保護基金のwebサイト。英語ですが、写真で十分に分かります。
 また、ここの右には映像もあります。
 このページから日本語版にも飛ぶことができます。日本語版には映像がありませんが、 

http://www.stopthesealhunt.com/site/apps/ka/ct/contactcustom.asp?c=hmKYJeNVJtF&b=412891

↑こちらは英語ですが、このアザラシ捕殺をやめさせるメール署名運動のページです。

また、検索すると日本語版でもこのニュースが読めると思います。

たてごとアザラシは、その毛皮の多くがロシア、中国に輸出されるとのこと。
その他、ハープシールオイルは栄養補助食品としてもカナダ政府公認で輸出されているそうです。

アメリカ、英国では、その残酷な捕殺から運動が起こり、数年前からこのアザラシを使った
製品は輸入禁止されています。今回はイタリアも輸入禁止に踏み切りました。

これはどうしても生活のために獲らなければいけないのだろうか。
例えば北極圏内に住むイヌイット族が食料として獲るのは昔からのことです。
まったく捕獲するな、とは言うつもりはありません。
それならば30万頭も逃げられないアザラシを捕殺する必要はないではないか。

こういう問題が出てくるたびに、我が家からは、肉類が皿にのる量、回数が減っていきます。
飽食も行き過ぎた金銭欲も最後には、わたしたち自身にしっぺ返しが来るのです。

今ではずず黒くなった、もいける娘の部屋にある大きなゴマちゃんぬいぐるみ、これを見る
たびに、 もうイヤんなっちゃうな・・・

今日はわたしにしてはめずらしくぼやきの日記になってしまいました。

★写真は我が家のゴン太くん。
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2006年3月25日(日曜日)

ポルトガルからの帰国子女として大学受験をめざしてのは、恐らくもいける娘が初めてではないかと思います。

資料があまりないのには困りました。ネット検索もできないわけではありませんが、一校一校のHPを訪問して、細かい資料を読まなければならない。
KOをめざせ!とは言うものの、いざ受験するとなると色々な情報集めは必要です。

kikokuguide

写真にある「帰国子女のための学校便覧」には全国にある小学校から大学までの大まかな情報が載っており、目安にするのに役立ちました。

そして、大学の帰国子女入試要項には、どの大学も日本語小論文、英語小論文が受験科目として義務付けられているのを知りました。

英語論文ならまだしも、日本語小論文!!!課題は勿論試験当日まで秘せられており、まさに日本語英語の実力を問われることになります。ぶっつけ本番の小論文を書けとなると、大人でもびびる。

作文は週に一回の補習校では、文集に載せるためと朗読発表会のために、年に2回ほどしか書かされない。小論文の指導までは、おっかさん、できませんですw

補習校宛てに案内書として毎年送付されて来て、誰も見向きもせずロッカーに放り込まれたままの「代々木ゼミナール」の封筒を家にもって帰り開いてみました。

小論文通信教育です。「ベイシック、スタンダード、ハイレベル」と三段階に分かれており、各コースが8回、もしくは研究編4回、完成編4回の3レベルがあった。
う~~ん・・・しかし、安くないぞ。4回で\20,000、8回の通しだと\40,000^^;
これは、ポルトガルの価値で行きますと、4万と8万です。
待ってくれ~、考えないとないと~。即決はしませなんだw

なれどなれど・・・受験に臨むためにこれは必須であるぞ。本人が己の実力を知るためにも、これは受講した方がいい。
ここで金を惜しんではならない!

もいける娘に「ね、小論文通信教育、受けるべしと思う」
「うん。わたしもそう思ってた。自分で払う!」ともいける。
そうね。それはいいことです。身銭を切ると真剣さが違う。

写真は2004年版になっていますが、娘が受けた通信受講は2003年4回コース。

「どうせ受けるならハイレベル! 」という彼女を「おい!待て待て~ぃ!なんぼなんでもそりゃハチャメチャです。」
「じゃ、スタンダードの完成編!」
    

望みがデカイのはいいんだけど・・・
ハァ・・知らんぞ、ついていけなくても

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もいけるのくだらない話(3)      2002年12月

英語のテストで初めて20点満点取れた人、ここにあり。
でも、母ちゃん、「あんたBritish School行ってたから当たりまえ。
それかテストが簡単すぎたんじゃないの?」と返され あぁ、哀しきかな。

隣の席の(いちいち隣の席のヤツってめんどくさいですね。
Tiagoだから「てっちゃん」とでも呼びましょう)
てっちゃんは最近遊びまくっているせいか、バイオロジーどころか他の成績も
さがっているそうで。(あー、わたしも人のこと言えないか)
2回目の英語のテストが返ってくる寸前、彼はいった・・

「おい、絶対 おれとお前の成績足しても 20(満点)になんねーぞ」

これはどういう意味でしょう?
要するに、わたしが20をとって 自分は 0 をとると・・・
しかし、わちきは20をとることができなくて、奴は奴で見事ネガをとったそうな。
(ネガ=ネガティブ、つまり10点以下)





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2006年3月25日(土曜日)
♪♪♪
今日はポルト旧市街、Ribeira(リベイラ=ドウロ川畔)にあるレストランで昼食をとって来ました
ので、その辺りをご案内します。
ポルト・リベイラ1
ここから坂道をおりるとドウロ川にぶつかります。リベイラ3
「Barco Rabel」と呼ばれる、川の上流からポルトワインを運んできた昔の船。  
ribeira4
カフェ、小さなレストラン、土産物やがひしめいて並んでいます。                  
ribeira7
リベイラの路地裏
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2006年3月24日(金曜日)
libraria

写真はポルトの世界遺産に指定されている本屋さん

もいける娘の通った高校は、我が家からバスで普通は20分ほどの所にあるダウンタウン「Santa Catarina=サンタ・カタリーナ」通りにある私立高校です。日本の学校ですと、大学以外は、生徒が一旦校内に入ると、授業終了まで自由に内外を出入りはできませんが、ポルトガルの学校は違います。

少しポルトガルの教育システムを述べてみます。初等教育は1年生から4年生まで。生徒数の多い区域によっては、午前の部、午後の部と二部制になります。

中等教育は、5年生から12年生まで。義務教育はこのうちの9年生までですが、公立校は12年生まで全て無料です。国立大学は5年制で、年間授業料が800ユーロほど(\110,000)。入学金はありません。

私立大学もありますが、人気はなく殆どの学生は国立に行きます。ポルトガルの大学生生活は決して楽観的なものではありません。初年度でほぼ半分が留年すると言われるほど、厳しい勉学と試験に追いまくられます。バイトなどしようものなら、ものの見事に留年です。規定の5年で卒業できる生徒はかなり苦労して頑張ったという証明になります。

さて、初等教育は別として、中等教育では、生徒の時間割はコースによって、また教師の時間の都合によっていろいろ違い、日本の学校のように、通しで授業がある、ということはあまりありません。

1時限目があって、2、3時限目がないということはザラにあり、昼休み時間は日によって1時間あったり2、3時間あったりします。殆どの生徒は昼食を摂りに家まで帰り、再び登校です。全員同じものを食べる、という給食という制度はありません。家に帰らない生徒は、キャンティーン(学校内にあるのカフェのようなところ)で、サンドイッチなどの軽食で済まします。

日本の教育との違いでもう一つ述べたいのは、音楽、美術、技術、家庭科などの一般教養としての教科はありません。家庭科は家庭の教える枠、また音楽も然り。しかし、音楽については「コンセルバトリオ」と言って、国立の無料の音楽学校があり、ここの授業は夕方からです。ちょっと年齢は記憶しておりませんが、なにか楽器が弾ける場合、9歳くらいから簡単な試験を受けて、週に7、8時間、実技と論理の授業を修めます。

もいけるも、少し大きくなってからこれを考えましたが、週に7、8時間の授業となると、これは時間のやりくりも送迎も大変なことです。日本の教科通信学習も補習校もあることを考えると、こなせるとは思えませんでした。プロの音楽家になる事を考えているならいざ知らず、無料だからと言って、あれもこれもと手を出すことは、どれも身につかなくなる可能性があります。諦めて、個人のピアノレッスンにしました。

教師の活動についても、日本は制約されますが、ポルトガルでは、一部の私立校を除いては、教師は、普通は違った学校を掛け持ちしてもいいことになっています。

今日はポルトガルのわたしが知っている実態を書いてみました。子供達が通ったのは高校時代の3年間だけですから、その間に知ったことですので、或いは勘違いがあったりするかも知れませんが、そういう点がありましたら、ご勘弁を。

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では、「もいける日記」をば^^

    
     
もいけるのくだらない話(2)  2002年11月 
        山がバッチリ、大・・・

  はずれ!!!

  高校に入ると4コース分かれるうちの一つを選択しなければならない。
  わたしがえらんだのは、サイエンス系で、一番クラスが多い。
  去年は4クラスだったのが、今年になっていきなり8クラスになった。
  
  TLB という科目がある。バイオロジーだが、実際に実験をしてレポートを
  書くのだ。 今日はそのTLBのテストがあった。
  今までした実験のどれかが出るのだ。
  実験を一人でして、レポートを書く。それがTLBのテストだ。
   
  今回先生は「実験1か 実験2 が出る」と言った。
  両方ともわたしが風邪で休んだ時に、行われた実験だ。
  しかし慌てることはない。他の7クラスは実験1が出たと、クラスメート
  から聞いていた。

  よし ヤマをかけて実験1だけ暗記しまくろう!とやる気満々のわたし。
  50%!50%の確立だ。 あぶないです・・。

  わたしのクラスの半分は、医者を目指してるので結構頭はよく、テスト
  にすごくこだわる連中である。
  テストの前日になると「先生!これでますか!先生!わたしすごい
  心配なの、 何もわからないわぁ~」

  それが気に入らなかったのか、テストをやる寸前の先生の態度は、
  腹が立つものだった。
  
  「あんたら 気にし過ぎなんだよ。あたしゃ、それが気に入らないね。
   これをやりなさい。 自分らのせいだよ」
  と、ほざき 「実験1をしろ」と書いてあるテスト用紙を、上から鉛筆で
  「実験2」と書きやがった!!
 
  げっ・・わっかんねー!!
  1行も実験2を読んでないわたしにとって、これは他の誰よりも
  やばいことだ!

  え?どうしたかって?
  周りの人がやっていたことを慎重に観察し、自分も真似事をして
  なんとか実験は出来た。
  レポートはと言えば、自分のできる限りのことを書いた。

  ヤマをかけるこの度胸と はずれても顔色一つ変えずにやってやった 
  この根性を皆、ほめてやってくれ!!(爆)


              母のコメント:褒められませんてば^^;
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2006年3月22日(水曜日)

成績アップと言うは易し。
しかし、成績というものは積年の学習努力の結果によるものです。ポルトガルにいて、幼稚園から12年間英語で授業を受けてきた者がポルトガルの普通校で高校レベルの授業についていくのは、生易しいことではない。これもある意味では国内帰国生であります。

ポルトガルの高校では、試験結果の成績は出来の良し悪し拘わりなく全校向けの掲示板に名前付き点数付きで全て発表されます。子供も親にゴマカシが効かないわけだ。こりゃ、こたえますよw

高校1年から、コースはすぐに大学入学に向けて理数系文系に分かれます。この時点で選択を謝ったり、途中でコースを変更したい等となったら、もう一度高校1年からやり直しです。予断になりますが、ポルトガルでは、義務教育と言えども、また例え小学1年生と言えども成績の悪いものは何回でも落第です。

高校卒業資格を得るには、国家統一試験なるものを受けてこれにパスし、認証を受けないと、大学入学はおろか、高校も卒業したことにはならない。

高校3年間の成績に、卒業年の毎年6月に全国一斉に行われる統一試験結果の出来具合で、どこの大学のどの学部にその成績が通用するか、おおよそ見当が付きますから、成績結果と高卒認証をもって大学に申請します。各学部では成績の上部から入学者を採っていきます。統一試験は高校卒業資格と同時に日本の大学入試に匹敵することになります。

帰国子女は多かれ少なかれ、滞在国と日本との2度の厳しい大学入試受験をすることになるのです。

子供達を端で見ながら、日本語ポルトガル語、或いは英語と分割しなければならないこのエネルギーを一つの言語での学習に絞ることができたら、どんな効果を上げるであろうか、と思うことが何度かありました。しかし、そうでない現実を目の前にしては、ひたすら頑張るしかない。分割されるエネルギーの中で、得るものもまた大きいと思い直すのです。

ポルトガルの学科試験で特筆したいことは、○×式は殆どない、ということです。筆記が多い。言い換えれば、きちんとポルトガル語を遣えないと、歯がたたないということです。

kikokutest

これはもいける娘の試験答案用紙です。びっしり書かれているでしょう。答案用紙は学校の購買部でお金を払って買います。回答した後、だれも消して訂正できないように、必ずペンで書くことが義務付けられます。ちなみに、添削に○はこちらでは使いません。日本では間違いの印になる〆のような印が、正解の意味になります。
(たくさんついているので、誤解のないようにw)

今回から数回、もいける娘高校時代の、とある掲示板書き込みを紹介して参ります。このカキコミからポルトガルの高校生活の一端が覗けますでしょうか^^

        
もいけるのくだらない話(1)   2002年11月 
 
 去年は一度も話したことなかったが、今年隣の席になって時々言葉を交わす
 ヤツがいる。
 なんてことはない。宿題やらテストやらの話だ。

 そいつと交わした何気ない会話で、うげっと思ったのが今日のこと。

 わたしのバイオロジーのテストは最悪です、はい。
 20点満点の8を1度目のテストでとり・・・
 2回目はなんとか11点をとった。(もちろん母ちゃんにはおこられたなり・・・)
 偶然隣のヤツも似たような成績をとったのだ。
 1回目は12、二回目は8をだったそうだ。
 うーん、微妙だ(笑)と、のんきに面白く思ってたら、今日、学校帰りにヤツから
 こう言われた。

 「お前知ってるか?オレとお前のテスト成績、足しても20(満点)になんねーぞ」
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・まじ!?
 (まじです  8+11=19)
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2006年3月20日(月曜日)
foz


亭主と娘が出かけた後のある朝、娘の部屋に入って合格必勝とベッドの頭の壁に貼り付けられた文字が飛び込んできたのにはびっくりしたw

この頃である、「母ちゃん、鉢巻ないか?」と聞いてきたのは(笑)

「おばか!鉢巻で勉強するんじゃない、気合だ気合!」と一笑に付した母ちゃん、
今思えば、日本の受験生の雰囲気を少し味わってみたかったのかなwそれに、ドラえもんの「のび太」も宿題すると言っては鉢巻してたものね^^(殆ど嘲笑してますw)

父親からの支援OKも出ておらず、塾もなく、目標を共にする仲間もいないポルトガルでの受験生、もいける娘は、孤独な戦いではあったと思います。しかし、夢を持つっていいよね!ひたすらまっしぐら!

最後の一年間はかなり厳しかったに違いありません。
帰国子女と言うと、案外簡単に難関校に入学させてもらえると、親も子も周囲も考えがちです。そういうところもないとは言いませんが、難関校を突破するのは端が思うほどた易くはない。まして一度も日本の学校で正規の授業を受けたことがないのです。

9年間の週1補習校と同じく9年間に渡る4教科の海外子女教育財団の通信教育を受け、親と地道に続けて来ましたが、それで十分なわけはない。世界各国からの帰国子女の殆どは親の海外赴任について行き、将来の帰国にあわせてそれなりに、みな有名校の通信教育を受けたりしているのである。日本語からして既にもいける娘とはレベルが違うでしょう。
これをいかにしてクリアするか、が大きな問題となってのしかかって来ました。

帰国子女受験のもう一つの問題は、日本の勉強ができればそれでいい、と言うことではないのです。「海外での成績がばっちり物を言う」つまり、日本語での勉強は当然のこと、こちらの滞在校での成績もよくがんばらなければならない、という点です。

これはもう、恐ろしいことです。
色々な参考書類を読むごとに、「エライこっちゃエライこっちゃ」なのでした。おまけに、ズッコケ親子が狙うは、向こう見ずにも例の「タダ大卒法」本の絶対おすすめをそのまま信じての、ケーオーなのであります。知らないと言うことは、げにおそろしき・・・

★ポルトに面した大西洋の海。
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2006年3月18日(土曜日)kodo1

しびれた!久しく経験していない、体中の毛穴全開の昨夜のコンサートでした。
「やっぱりわたしは、芯はどうにもないほど日本人だな、津軽衆だな」と実感して、真夜中12時近くのコンサート会場を後にして帰ってきたのでした。

会場のPorto Coliseu(ポルト・コリゼウ)劇場は満場。
わたしも教室の生徒に宣伝しましたが、そのほか、日本びいきのポルトガル人や亭主の
知り合いもたくさんおりました。
聴衆総立ちのアンコールの拍手が鳴り止みませんでした。
両てのひらが痛くなるほど、わたしも拍手喝采して来ました。
和太鼓のみでグングン観衆を舞台に惹きつけるあの力強さ、躍動力!
15分の中休みも入れて2時間、いやぁ、もう参りました!

その中休みは、と言うと、カフェでも飲みにと席を立ち上がった途端に、あちこちから
知り合いに声をかけられ、中でももう何年も会っていなかったイギリス人のマジシャンに出会い、
「おおおお!まだ、いるの!(どういうこっちゃw)君、ちっとも歳とってないじゃないの。
ボクはもう60になっちゃうよ」
「ウフフフ」(←これでごまかしとくw)
「ジュアンはどうしてるの?もいける娘は?」

この御仁は親子三代に渡る生粋のマジシャン。
知り合ったきっかけは子供達が通うBritish Schoolでした。

現在副業としてこれまたマジシャンをしている息子さんが、当時同じ学校に通っており、
迎えにいくとしょっちゅう顔をあわせることから話が始まりました。
実は一度ポルトの日本人会忘年会でその腕前を披露してくれ、もう一度、今度はご子息が
我が補習校のクリスマスコンサートで、子供達に「shinobiマジッック」を見せてくれた
のでした。

鼓童のコンサートにあやかった、これまた嬉しい再会でした。

★今日の写真は身に行って来た和太鼓「鼓童」のコンサートのプログラム
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2006年3月17日(金曜日)

海岸通の城塞


週に2度、もう解雇したくも解雇できず、ずるずる今日まで19年間午前中
の3時間、大きくもない我がフラットの掃除を頼んでるDona Belmiraが
(ドナ・ベルミーラ)おります。倹約のために解雇したいなと思ったりす
ることもあるのですが家族の一員みたいなものでもう出来なくなってしまい
ました。

Donaと言うのは、ポルトガル語で既婚女性の名前の前につけられます。
例えばわたしの場合は、「Dona Spacesis」と言う具合です。
奥さんということでしょうか。

さて、そのD.(Donaの略)Belmira、今朝我がフラットのドアを入るなり、
自分が先日行った血液検査クリニックでの不満をまくし始めた。

ポルトガルでは血液検査は病院ではしない。
それ用のクリニックがあり、そこで採血してもらい、後日検査結果を受け取
りに行き、それから、その結果を病院の担当医にもって行って診断を仰ぐの
である。

何に立腹してるかといいますと、こうです。

どこもそういう検査のクリニックは人でいっぱいになるのは目に見えている
ので、家を朝早く出た。それでも自分の番号札は44番。じ~っと我慢の子、
自分の番号が呼ばれるのを待っていたのだそうです。

段々44番に近くなり42番が呼ばれた。いよいよ自分の番だと思いきや
42番から43番、44番をスッ飛んで50番と54番を看護婦さんが呼ん
だのだそうだ。

実を言えばこういうことはよくあるのです^^;
看護さんが番号を間違えるのではなくて、間に例えば知り合いとか、知り合
いの紹介とかの人をサーッと間にいれるのでして^^;言うなればコネです
ね(笑)


しかし、D.Belmira、黙っておりませんです(笑)
なんでよ。なんで43の次が50になるの!早速その場で看護婦をひっつか
まえて、一席ぶった。

ちょ、ちょっと、看護婦さん、お待ちよ。今、呼んだ番号、何番と何番?」
「この番号札、順番でしょ?」 「そうですよ」と看護婦。
「あたしゃ、44番なのよ。43の次がなんで50になるの?」
「あたしの里じゃ、43の次は44が来る。50は49の後と学校で習った。
ここは違うのかい?」


ここまで聞いてわたしはキャハハハハと大笑いしてしまった。
D.Belmiraは続ける。

さすがの看護婦もこれには抗しきれず仕方なく43、44と呼びなおし(笑)
しかし、その後がいけまへん^^;

「見てくださいよ、D.spacesis」と採血の痕がついてる腕をつきだして、
「あの看護婦ったら、腹いせに2度も間違った振りして、針が通らないとこ
に突き立てて!」見ると、腕の同じ箇所に3つの注射針の痕が(笑)

必ずしも故意にしたとは思われないが、なんともわかりません^^;
えらい気の毒なことではありましたが、わたしは、D.Belmiraがプリプリ
怒っているに拘わらず、「あっはははは」と大声で笑わずにおれないので
した。

こういう小さなことから大きなことまで、ポルトガルがコネ社会であるのは
間違いない。フェアじゃないと知っていながら、時々わたしも夫の七光りを
受けて、43番の次に50番が来るようなことをしてもらってることが残念な
がら・・・ある^^;そのようなことを自ら頼みはしないが、を知っている
人たちは知らぬ間にそういう計らいをしてくれてるはずです。

そう思ったら、「あっはははは」とひとしきり笑った後で気がひけてしまい
ましたっけ・・・

いやぁ、わたしもエラそうなことは言えませんて。

★今日の写真は、大西洋に面したポルトの海岸通ににある城塞
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2006年3月16日(木曜日)
nyanko


ダンボール詰めにした荷物を、日本からポルトガルまで船便で送ると2ヶ月ほどかかる。
帰国滞在も終盤に入ると荷造りにいそしみ、書籍は全て船便で送るのだが、この時に出会った運命のダダダダ~~ンw「タダで大学を卒業させる法」、これ一冊は、手荷物の中に入れポルトガルに到着次第、もう一度じっくり読むことにした。

この本を、娘は肝心の経済問題解決策よりも、文章が面白い、書いていることが面白いと、ガハハ笑いながら読んでいたのでありました。頼むぜ、娘^^;

吉本氏もこの本で言及している「朝日新聞奨学会」、そしてわたしの若き日の体験談も耳にしていた彼女、真っ直ぐそちらの方法を考え始めました。(これ、しんどいのだぞ、自由な時間などないのだぞ^^;)

確固たる方法が見つからないうちは、勉強に打ち込むことができない。それで、すっかり新聞配達苦学生を選択するつもりでいる娘です。それを横に、貧しい母は考えた、うんと考えた。
計算してできあがったのがこれw
         
①亭主が望むポルトガルの大学に入学して自宅通学しても、生活費はかかる。    
(学費は年間900ユーロ=\13万足らずと知れてるから勘定に入れられないw入学金はなし!)
       
②生活費だけで大学生生活を送るものではない。お小遣いもいる。
          ↑
       こうやってなんとか亭主の財布からくすねようとしてますw
       
③わずかではあるが、週1の母親の職場の稼ぎをまわす。
      
④受験料入学金は、数年に一度の帰国を楽しみに、ちびりちびり貯めてきた母親の虎の子をあてる。


これで臨んでも、物価の安いポルトガルから行く場合、日本での最低生活費には不足も不足^^;まして授業料の域には手も足もでまへん。(この時点でもまだ、旧育英会奨学金が海外在住者にも適用するとは、知らなかった)    
足りない分は、本人が働いて稼ぐしかありますまい。

我がもいける娘には、ちょっと智恵をつけましたです、はい^^

間近になって、突然日本へ行くと父ちゃんに言ってはならない。ショックが強すぎる。今より2年かけて、、自分の日本行きの夢を会話談話の中で日頃から徐々に徐々にと小出しに話していくこと^^」あぁぁ、悪い妻だw

亭主は、やがて我ら二人の陰謀を感づくのでありました。なんまんだ~~w
亭主がわたしにこう言う日が来るのです。
「ボクは知ってるよ。君達ふたりがこそこそ何かやってるのを」@@が~~ん!

こうして、まだまだ穴ぼこだらけの経済計画ではありますが、なんとなくできあがった屋台骨、日本では高校1年の夏が終わり、ポルトガルでは高校2年の新学期に入ります。
次なる目標は・・・・
このままの成績じゃいかんぜよ~~~~!!
ポ国高校での成績アップ、、そして、日本国語ブラッシュアップ猛烈挑戦!

次回に続く^^

★今日の写真は、我が家の4ひき猫団塊w
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2006年3月15日(水曜日)

わたしがポルトガルに来た26年前は、テレビが白黒だったのに、えっ!と
驚いたものである。
  
日本では5年間ほど「テレビを持たない主義」を通したわたしではあるが、
それでも白黒テレビが日本では既になくなって、カラーテレビが当たり前の
時代に入っていたくらいは、いくらなんでも知っていた。ポルトガルでカラ
ーテレビがお目見えしたのは、それから数年たってからである。

テレビチャンネルも当時は2局のみ、いずれも国営放送だ。午後から放送開
始、夜11時ころには終了である。そのときは必ずはためく国旗をバックに、
ポルトガル国歌が流された。だから、わたしはポルトガル国歌を自然に覚え
てしまったといういきさつがある。
(日本のNHKで国歌は流れますっけ?あ、一日のうちで放送終了時というの
がないのかな・・・)

それはさて置きまして、タイトルの「大草原の小さな家」だが、これはアメ
リカの作家ローラ・インガルズ・ワイルダーが、自分の子供の頃に住んでい
たミネソタ州の小さな村、ウォールナット・グローブでの様々な出来事を綴
った本で、アメリカの子供なら必読と言える名作である。
これを原作にして作られた、マイケル・ランドンのドラマは我が家の永久保
存版となっている。

わたしたち家族は夕食卓を囲みながら、何度このドラマを見たことだろう。
特に娘などは、セリフを殆ど暗記するほどの執心ぶりであった。
亭主にいたっては、「まぁたか・・・」と言いながらも、わたしたちと同じ
ように、次がどんな展開をするのか全て分かっていながら、いつの間にか各
々のエピソードから目を放せなくなっているのであった。
   
ドラマはもちろん素晴らしい。
しかし、わたしが子供達にこのドラマを見せだしたのには、もうひとつ理由
があった。ポルトガルでは海外ドラマや海外映画は吹き替えをしない。
そのまま原語で放映される。これはある意味、とても素晴らしいことだ。
吹き替えをすると、本当のドラマや映画の味がどうしても損なわれてしまう
のである。

だから、この「大草原の小さな家」を通して、子供達には英語のセリフをそ
のまま、学んで欲しいと思ったのである。
   
子供たちをポルトガルの学校ではなく、英国式教育のBritish Schoolに通
わせることをわたしたち夫婦は話し合い、決めました。
できれば、自然な言い回しの言葉をこのドラマを通して学んでくれたらそれ
に越したことはあるまい。これがわたしの作戦であった。
そして、この作戦はみごと功を奏したと言える。

ドラマは、ローラとその父親チャールズが主人公ではあるが、その他、様々
なキャラクターを装って多くの子供が出場してくる。同時に世間には、よく
いがちな種々のタイプの大人も描かれている。

「大草原の小さな家」では、言葉だけでなく、そのドラマを通して感動した
り、ミセス・オールソンや意地悪でわがままなその娘ネリーに憤慨したりと、
世間の一窓を垣間見ることができる。

私自身も、ドラマのローラの両親のように子供と真剣に向き合う親になりた
いと願い、その通りにはできなかったが、子供を育てる上で多くのヒントと
教訓を「大草原の小さな家」から得たと思う。

我が家にある録画ビデオ本数、一本が6時間撮りで20本以上はあろう。
ビデオを通しての疑似体験が、あたかも私達家族の思い出であるかのように、
記録されている1セットである。

        参考:原題 Little House on the Prairie
           原作 Laura Ingalls Wilder


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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2006年3月14日(火曜日)

さて、まだちょっと英語の話です^^
子供達がポルトガルで学校教育を受けていた頃は、「日本の教育は優れている」が頭に
ありました。

ポルトガルでは、学校は勉強する場所であり、もちろん悪い態度などは注意をされて、
矯正されることもあるでしょうが、原則的に一般的なしつけは家庭のすることである、
という前提があるように思います。
子供達が授業を終えて校舎を出た途端、学校はなんの責任も負いません。

そういう意味では、もっと配慮があると思われた日本の教育を受けてきたわたしが、子供達を
BritishSchoolに入れた理由には、家庭では勿論しつけをするけれども、自分の目の
行き届かないところで他人から受ける教育は少年期には大切だと思われたことにあります。
英国の私立校は昔から厳しいdisciplineで知られています。
「鉄は熱いうちに打て」ですw

わたしたちが日本の中学高校で学ぶ英単語には、日常生活用語や英国やアメリカの
子供たちなら誰でも知っている単語が余り含まれていないことに気づき、英語を学ぶのが
嫌いでなかったわたしは、子供達のノートやカードを作ることが大いに勉強になりました。

単に単語を覚えるだけでは、コミュニケーションはできません。
わたしが毎日したもうひとつのことは、ベッドタイムの本の読み聞かせです。
ポルトでも英語の本、特に子供向けの本はほとんど手に入りませんでした。
しかし、ここがわたしの運のいいところだったのでしょう。
ごらんください、この写真^^kikoku_book1
これらの本は息子が4歳の時に帰国していた頃、大阪梅田にある大きな書店
「旭屋」の店頭で投売りになっていたのを、正に偶然にも見かけたものです。
洋書がたったの100円ですよ!迷うことなく30冊近くの全てを買い込みましたw
買った時には知らなくて、数年後に気づかされるのですが、買い手もなく転がっていた
これらの本は、実は児童向けの有名な本だったのです。

本の中でも子供達が喜んだのは、先ごろ亡くなった「Dr.Seuss」のシリーズ」でした。
「I am Sam」で始まる「Green Eggs and Ham」「Fox,Socks ,Bosx、Knox」で始まる
Fox in Socks
言葉の語呂合わせがよくて、何度も同じ言葉が繰り返し出てきて、しかも絵が
面白い。これを毎晩ベッドタイムストーリーとして何度も何度も読んだのでした。

海外で生まれた子供には、日本語の昔話はどうもうまく運びません。
  
  むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
  おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。
  すると、川上からおおきな桃がどんぶりこどんぶりこと流れて
  来ました。


すかさず子供から、
「芝刈りってなぁに?どんぶりこってなぁに?鬼ってなぁに?」
鬼ってわたしの好きな泣いた赤鬼だってあるんだから、デビルじゃないしなぁ。
どんぶりこって擬態語だよね・・およそ日本語ほど擬態語が多い言語ないんじゃ
ないのん・・・えぇ~っとね・・・
おいおい、これじゃ、話が途切れてしまって続かないよ^^;とこんな具合に
なってしまうのでした。

日本にいたら子供もわたしもあんな事ができる、こんな事ができる、と時々思いながらも、
欲言っても仕方おまへん^^;毎日上記に述べたようなことを繰り返していたのですが、
子育てが一段落ついたところで、ふと気づいたことがあります。

あんなこともこんなこともできなかった。
テレビも面白くなかったし、テレビゲームも、ファミリーマーケットも、カッチョ良い
文具品もなかった。
自己啓発、自己活性化のためにと、世間一般に言われる「刺激のある」生活はほぼ
まったくできなかった。しかし、なんと落ち着いた規則的な毎日であったろう。
子供たちの精神が安定していて、ゆっくり時間をかけて学ぶことができたのは、
きっとこの「刺激のない生活」ゆえだったのではなかったかと。

次回はいよいよ、本格的日本語学習取り組みに入って参ります^^


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2006年3月13日(月曜日)
ポルトの路地

2、3日前にブログで相互リンクをしている「マーさん」から回って来て受け取ったバトン、初めてのことで、回し方が分からなくて今日になってしまいました。
連想で自分が次の言葉を書き、3人の人にそれぞれがバトンを渡して行きます。


笑顔 → 自分を支えるもの → 記憶 → 母の声 → 無償の愛 → 太陽(お日さま) → 生命の源 → 宇宙 → 無限 →夢 → 最初の一歩 →ご近所付き合い → 挨拶 → 朝 → お味噌汁 → ご飯 → 丼 → 卵 →お弁当 → 父 → 花束 → 卒業 → 独身 → 恋 → 毎日 → 雪 →かまくら → お餅 → 伸びーる→木の枝→手→第二の脳→匂い→肉球と肉球の間→雪玉→食う→ひと噛み→ 試食 →ウィンナー→ ブタ→ 猪八戒 →西田敏行→ピアノ →朝の会→スタート

「スタート」で回ってきましたので、わたしの連想は「人生」としましょう。
マーさん、遅まきながら、今から3人に渡します!

バトンを回したい3人の方は、

かんちがいさ~~ん
ミーシャさ~~ん
syominちゃ~~ん(←おらんかな・・・^^;)

(や、やっとわかった^^リンクの仕方。ほんま、とろいわぁ、わたしw)
バトン、よろしくお願いします。

★今日の写真は、ポルトの路地。
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2006年3月12日(日曜日)

さてさて、これらの我が子たちへの海外に於ける日本語英語教育は、20年も前の昔の
ことですから、社会の状況も変わり、そんなに興味の湧かない話ではあると思います。
幼児、小学校低学年向けの、英語教育教材も、ひらがなカタカナ漢字、さらには計算習得の
教材は、現在では数多くあって、どれを選べばいいのか選択にとまどうほどでしょう。

わたしの場合は、なかったので手元にあるもので間に合わせ、後は「自分がアレンジして
作成する
」これのみです。

British Schoolは当時はまだ5歳児のPrep(5歳児の小学校準備クラス)しかありませんで
したので、息子が4歳になると、ポルトにただ一校ある私立のイギリス・キンダーガーデン
に一年間午前中のみ通わせました。

今とは交通の便が違います。朝のラッシュ時は恐ろしいもの!
今だと高速を走らせて20分ほどで行ける海の近くのその幼稚園、当時は朝、交通停滞
が故、車でゆうに1時間はかかったのでした^^;
その頃、わたしは運転ができなかったので、朝の送りは亭主の仕事ですw
帰りはというと、運良く斜め向かいに住んでいた、亭主と同じ病院で働く
Falcão=ファルカォン夫妻が一人息子をBritish SchoolのPrep(5歳児クラス)に入れており、
終わる時間が同じなので、1年間ずっとこの迎えをしてくれました。
こういうこと、つまり、「ついでだから」を、ポルトガルの人は嫌がらずによくしてくれます。

ここで、です、息子を送り出した後は、午前中時間ができました。
義母さん、ふたりの年取ったおばさん、それに我ら3人家族が同居していた当時の家は、週に2度、
お手伝いさんが来て掃除をして行きます。義母さんを始め同居のおばさんたちも、一緒に掃除に
動き回りますから、小さな家はいつもピッカピカ!
わたしの役目は、と言うと、どうやらあまり手を出さないほうがいいらしい(笑)というわけで、 
さよう、時間だけはたっぷりあったのでした^^

息子がいないその午前中たっぷりの時間を使って、わたしは教材作りに励みました。
それがまた、楽しいのです^^
1ページ1ページ、鉛筆の手描きですぞ(笑)
ご覧あれ、この写真(笑)!
KOKUKU

で、中身はこれ、この通りw 帰国ノート2
(画像ふたつ並べたいのだが、まだやり方がわからないw)

何冊もある20年前のノートの一部。車庫から引っ張り出して来ましたw
オリジナルの一冊に、子供がそのまま書き入れると、一回しか書けず終わりです。
日本から取寄せるのもなかなか頼めないもので、コピー代もべらぼうに高かったこの時代、
とてもそんなことはできない。
入手したオリジナルの絵を写し、マスを書き、クレヨンで色付けします。このようにして、
絵を見て物の名前を覚え、ひらがなで書き込めるように、毎日2ページほどを、
手描きで写しました。

読みは3歳で、英語の真っ赤な文字から入って、4歳にはこんな風に日本語の生活に密着する
言葉の、「見ながら書きながら覚える」を導入。
これをたゆみなく続け、5歳では、足し算を始めました。

覚えてもらうのにかける時間は「ゆ~~~っくりと
そして、決してイライラなどして怒らないこと。
何度も何度も同じことを繰り返し手描きし、子供と一緒に必ず机に向かって座り、
時間は長くてせいぜい15分!
褒めますと喜びますから、「もっとしたい!」です^^
でも、ここがコツ!「今日の分はこれで終わりよ。また明日^^」
影の声:だってまだ次の手描きができてないのだw
亭主が仕事から帰宅しますと、今日はこんな文字を覚えた、と単純なわたしたちの話は
盛り上がる。こうして少しずつ少しずつ亭主の日本語の域を子供は超えて行くのでありました^^

世の中、便利になりグローバル化して、その気になればポルトガルにいながらにして、
JSTVなどの日本の衛星放送テレビも見ることができ、欲しいものもたいていは日本から
取寄せがきく現在、こんなことに自分の時間をつぶすなど、ちょっと考えられない
かもしれませんね。

子育てから開放されてもっと自分の時間が持ちたい、自分の好きなことがしたい、
という母親の話はよく耳にします。
わたしも、これやってみたいあれやってみたい、こんな勉強したい、できれば大学にも行きたい、
と語れる夢や希望はたくさんありましたし、今もあります。

あの頃のわたしは、子供の手描き教材作りに、自分の自由を感じたのでした^^

★今日の写真は、わたしのふる~い手作り教材でご勘弁を^^
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2006年3月12日(日曜日)

昨日はぐったりくたびれて帰宅。HPもブログも更新の気力なしw
なのになのに、夕食後、ソファにどて~っと体埋めて見出したのが、
   「これ、見てみ!おもろいわ」
と、大阪出身の友が貸してくれたビデオ。
ぬぬ?ドラゴン桜?あ!この間ネットのどこかで話題になってたマンガじゃん!
これを見始めたら止まらなかった、一気に4話。はい、アホです^^;
寝たのが金(これは仕事の準備)、土(←こっちがドラゴン桜)と2時続き。
本日の朝、起きるのきつかった^^;

なのになのに、黒猫ペトめ、「めしくれ~」とデッカイpata=パタ(肉球のついてる部分)で
寝てるわたしの頭をバシン!とひっぱたき~~。
寝かしてや~、日曜くらい!いつもならすぐ起きるのだが今日はいや!

頭からふとんをひっ被った。すると、鼻頭をググイの押し込め、隙間からまた頭をバシン!
「ク○!絶対起きてやるか!根競べだ!」
ベッドの奥までひっこんでも、何故か感じる強い視線・・・
隙間から薄目開けて覗いてみると、横にある衣装ダンスの上に、4匹がズラリと並んで、
こっちを睨んでいた・・・・
ああああ、もう、たまりませんわ!
亭主、悠長に風呂などはいらんと、先に猫飯、あげてよ、と勝手なことを言ってたのでした。

さて、ドラゴン桜、悪くはないけど、笑いをとるのでは、やはり「G.T.O.」に適わないw
悪くはないけど、設定がなんだか似てるジョ・・・・
GTO鬼塚も元暴走族、おちこぼれ生徒がひとりひとり彼に心を開いていく^^
カッコよかったなぁ、鬼塚先生^^もいける娘とめいっぱい笑ったドラマでしたw
  「言いたい事も言えない こんな世の中は~poison~♪」
挿入歌もカッコいい。
軍配はGTOにわたしはあげますが、「ドラゴン桜」、たった4話の中でも、勉強するコツの部分、
これは、わたしが思ってきたことを、ズバリそのまま突いてところが随所にあって、面白い!

なぜかと言えば、わたしたち親子、怖いもの知らず、
タダで大学を卒業させる法」本のおすすめ校、金がないなら「なにがなんでも慶應へ行け!」
を鵜呑みし信じ込んで、当初はそれを目指していたんですもん(笑)
東大はもちろんそうですが、早慶も、雲の上の話なのは、日本生まれ日本育ちのこの
わたしが一番よく知っているのです。
しかし、娘にそれを言っちゃぁ、お終いよw グッとこらえて、「ここしか行けるとこはないぞ、
もいけるよ!」で始まった受験戦争w 
「ドラゴン桜」とどこか相通ずるところがありまする。

我が職場の子供達、年に一度、日本の学校で行われるのと同じ「学力テスト」なるものを
受けさせられます。一週間に一度の授業でですよw
みな、どうしても読解力問題に弱い。文字がズラ~~ッと並んでるのを見ただけで、
「だめだ、こりゃ・・・」と皆、思ってしまうのです。

そこで、この一年間訓練してきたのが、
日本語をいっぱい見てw怖気づくな!怖気づいたらその時点で早や50%負けだ!」と(笑)
どうせ、わかんないんだから、とか、どうせ、俺なんか大したとこにいけないんだから、とか
その「どうせ」という言葉、わたしは好きではないですね。
出来る出来ないにかかわらず、取り組む姿勢というのは、大きな変化と結果を生み出したり
するものですから。

うん^^人間その気になれば、そして強い支援者がいれば、難関校、案外突破できる
かも知れないのだ。 いや、できるのだ。
し、しかし、後に問題があるぞ・・・・入ったは良いが、その後4年間持続力があるか・・・
ドラゴン桜は、ここをどんな風に結末づけたのか、知りたいな^^
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2006年3月10日(金曜日)
ポルト赤レンガ

とある年の土曜日、午後の授業も終わり、その日は恒例の職場のスタッフ会議が
近くのカフェで行われました。
(借用校は3時以降は使用不可だから会議の場所を移動する。)
もいける娘は、その間どっかで時間をつぶしてわたしを待つこととなりまして。
補習校は奥まったところにあるので、土曜日など人通りがほとんどなく、わたしのように、
車で来ている同僚達は、皆、表通りにある高校の脇に移動して駐車するんであります。

その日は、月に一度の、トーキョー屋さんがマドリッドから注文した日本食品を
届けてくれた日でもありまして、バスで通っている同僚の男性の板ちゃん、
重そうに背中に一つ、手に一つとバッグを提げて来ました。
「うむ。味噌、醤油類を買ったな。お~~い、ここに荷物置いて行きなさいよ」と親切ごころ。
もいけるのスクール・バッグ、わたしの仕事用教材入りバッグ、その日わたしが
買い込んだ日本食品、それに板ちゃんのバッグふたつを車のトランクに入れて
カフェで会議すること2時間。
「くたびれましたね~」なんていいながら、みんなで駐車しているところで、解散と
あいなり、車の自動ロック解除のボタンを「ピーッ」っと押したら、

もいける、「あれ?おかん、今の閉めたんじゃない?だってドア開かないもん。
って、いうことは・・・おかん、ロック無しで・・・車を置いていったん・・・」
「えええ!うそやん!」
こわごわトランクを開けてみた。一瞬ピンとこなかった・・・
しかし、しかし@@「あれ・・・な、なんか足りないような・・・」と、わたし。
もいける「あ!板先生のバッグがふたつないじゃん!」
「うそやん、うそやん」と、わたし
「おかん!わたしのバッグもない!」
「えええええ!なんでやのん!」

その間、一番の被害者である板ちゃんは、一言も発せず、あわてる素振りも見せずに
わたしら親子の会話を側で聞いていたのでありまして・・・
更に困ってしまったことに、よく見ると、わたしの荷物はちゃんとと全部残ってありまして^^;

「あらら~~~、ほんま、どうしまひょ・・・」と、わたし、恥じ入るばかり^^;
「ま、仕方ないですよ。ポルトガルじゃよくあることです。
荷物の中身は授業の教材がほとんどだし、金目のものはちゃんと身につけてるから。
それにしてもまぁ、spacesisさんのは,しっかり残ってますなぁ。」
と、板ちゃん。ご~~ん・・・

いや、まったく、頼まれもしないのに、余計な親切心で、人の荷物を預かり、ロックを忘れ、
おまけに自分のものだけはしっかり全部残ってたなんて!
せめて、もいける娘のものも盗られて、なんとか面目をほどこした、(なんか変だけど^^;)
あの日のわたしでありました。

そそ。板ちゃんの荷物のなかには、その日トーキョー屋さんから買った日本の冷凍牛肉、
カレー粉、醤油、それに折畳式傘が入ってて、冷凍牛肉は翌月の弁償にまわしましたが、
次の週には、ポルト市内で調達できるそれらの食品とバッグを買い走り回ったのでありました。
もいける娘も、学校のテキスト・ブック一式、持ち歩いていた現地学校のスチューデント・
IDカード、携帯もなくなり・・・
わたしのだけはしっかり残ってた。トホホホ・・・

なんでだろ~なんでだろ~、
こういうのを「運がいい」とは一概に言えまへん。せめて一個くらい、わたしのも盗ってってよね。
バツがわるいじゃん・・・

★今日の写真は、「めくら蛇に怖じず」で、知らずにちょっと怖い場所まで行ってしまい、
そこから眺めたドウロ川を向こうにした、赤い屋根並。

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2006年3月9日(木曜日)
コニンブリガ焼1

これは、いまから15数年ほど以上も前の、わたしが住んでいる通りでの話しです。

この頃は、ポルトの街の至る所で野良犬を見かけました。当時はまだ犬を放し飼いに
しては
いけない、という法律ができていなかったのです。ちょっと見だけでは、野良犬なのか
飼い犬なのか見分けがつかないことも多かったのでした。犬はたいていは、子供の
良き遊び相手でです。

今では、日本同様、近所の子供達が外で遊んでいる姿もめっきり見かけなくなりましたが、
当時の子供達は表通りで、サッカーをしたり祭りの焚き火をしたりして暗くなるまで大声を
出して遊んでおり、野良犬たちも一緒にボールを追いかけたり、焚き火の周りをぐるぐる
走り回って喜んでいたものです。
しかし、ご近所みなさんが犬好きだと思うのは大きな勘違いです。

決まって、とある、犬嫌いのおばさんが、定期的に保健所へ電話をするのです。
そうやって捕獲されて二度と帰らない犬はたくさんいました。

さて、わたしのお気に入りだった犬、「クラウディウ」が捕獲されて、わたしと亭主が、
(この事件については、いずれ^^)とある病院からこっそり救出した事件以来、
誰が言い出したのか、いつのまにかこの通りでは次のような不文律ができあがっていました。

すなわち、保健所の犬捕獲車を見かけたら、すぐさま表通りに面したそれぞれ
の家の小さな鉄格子ドアを開けて、路上の野良犬たちをドアの内側に引き入れること。
ドアの内側にはたいてい小さな庭があり、そこは私有地になるのです。

野良犬と言えども近隣の大人子供たちから、どの犬もめいめい勝手な名前を
つけられて呼ばれ、えさを差し入れてもらっているのです。
飼い犬ではないにしろ共有の路上に住む仲間です。

通りに放されていない限り、犬を捕獲することはできないのですから、なかなか
いいアイディアではありませんか^^
で、捕獲車が去ってしまった後に、再びドアを開けて通りへ出す、というわけです。

ある日のこと、やってきました捕獲車!
目ざとく見つけた人から順繰りにドアを開けて、早々とそこら辺の犬たちを
呼んで庭に招き入れました。
と、思いきや、一匹が入り遅れてウロウロしてるではありませんか!
しまった!と皆思ったものの、時すでに遅し。
黄色い制服を着た犬獲りびとが二人、大きな網を張りながらジリジリと
その犬を追い込んで行きます。
窓から顔を出しながらこの情景をわたしたちはみな固唾を飲んで見ていました。
「おお、coitadinho!」(コイタディーニュ=可哀相に)。
ポルトガル語では哀れみを表すのに使われる言葉です

追い詰められてとうとう網にかかってしまった犬はまだ必死にもがいて抵抗していました。
しかし、敵はwし慣れて見事なものです、あらよあらよという間に網を絡めたまま、捕獲車の
方へ運んで行き、檻に入れようと二人の犬獲りびとが網を空中に持ち上げた、正に瞬間!
そのとき、奇跡は起こった!!

犬が暴れて網が破れでもしたのでしょうか、スルリと犬が地面に投げ出されるように
抜け落ちたのです!
その瞬間、固唾を飲んで見ていた人々の口から思わず、「ワー!」っと大きな歓声と
拍手があがりました。もちろんわたしもその一人です。

九死に一生を得たその犬は、一目散にいずこかへと逃げ去ったのでした。

大きな歓声があがった方向をギロリ睨みながら、苦虫をつぶした顔をして二人の犬獲りびとは
我が通りを後にしたのでした。

今はと言えば、野良犬への規制もすっかり厳しくなり、路上で見かけることはなくなって
しまいました。しかし、あの頃のことを思い出すにつけ、環境がきれいになって住み
よいのは確かにいいのだけれど、あまりにも整然としてしまうと、犬猫好きなわたしなどは、
どこか息苦しく感じられ、人間も生活もそこそこに整い、抜けているところがあった
方が生きやすい、というのがわたしの思うところであります。

★今日の写真は、ポルトガル特産の「コニンブリガ焼き」のお皿です。
コニンブリガ焼きは、基本的には、白と青を使いデザインは、鳥や鹿、それに草花です。

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2006年3月7日(水曜日)
fonto1

今でこそ我が家には、ヨーロッパ、日本のビデオシステムの違う(例えばポルトガルはPAL,
日本はNTSC)録画両方を見ることができる、「マルチシステム・タイプ」のビデオデッキを
備えているが、1980年代初期の息子の幼児期にはなかった。
パソコンなどの言葉もなかったころの二昔も前にバックします(笑)

「子供にどのような手立てで日本語を、英語を教えるか」、ノーハウなどありません。
今ならさしづめ、幾つかのキーワードを打ち込んでインターネットで検索すると、それ用の
サイトがワンサとひっかかってくることでしょう。後は、少々高くつくかもしれませんが、
お金を払って取寄せる。
しかし、この頃は自分でやるっきゃないのでしたw

OLとビアハウスの歌姫バイトで数年かけて貯めた貯金は、ポルトに嫁いで来た時には、
アメリカはアリゾナ州ツーソンの大学の語学コースと生活費、そして、ポルトまでの飛行機の
足代で、全て使い果たしてしまったのでした^^;
(亭主がもっと早くに決断してプロポーズしてくれてたら、渡米せずに終わり、この貯金、
当時のポルトガルでは、少し価値があったのにw 長年の我が夢を中断させて、けっこう
自由に生きていた日本娘を、あの頃のポルトガルに連れて来る勇気がなかったようでありました)

嫁入り道具どころか、提げる「鍋釜」もなかったんでありますw
そういう状態での、我が子の、「英国教育」と言う、げに恐ろしき志を持った母w
しかし、ヒントはありました。

せんだってから、正確なタイトルを忘れてしまい、車庫の中を探し回っているのですが、
重くて自分の力では下に下ろすことができない、古い本の入ってるダンボール箱、
そこに入っていること間違いなしの、そのヒントの一式。
これをわたしは知人を通して、当時イギリスから取寄せたのでした。

その一式とは、「How to teach your child to read」のようはタイトルであったと思います。
これと同じタイトルの本がネット検索で出てきましたが、わたしが参考にしたのとは、
少し違います。
これは英語圏の幼児に言葉を覚えてもらうためのガイドブックで、なぜ、その時期が
いいのか、とられているその方法が効をなすであろう理由が説明された一冊の本、そして、
背景が真っ白な用紙に、真っ赤な色で、どデカイ単語が書かれた、50枚くらいの薄い
カード。 こういう感じです。↓
    mammy あるいは  daddy

びっくりするくらいの大きな字です。
白の背景に赤文字ですから、インパクトがある。
この大きなカードを、日に何度かちょっとした機会を見ては、3歳の息子の前に、両手で
広げて、「マミー」と言って見せます^^

始めは、ポカンとしていた息子が、ゲームとでも思ったのか、やがてわたしが「マミー」と
言い出す前に、彼の口から「マミー!」と出るようになり、こうして始まったreading、以後、
覚える言葉はドンドン増えて行きます。

最初のmammy、daddyのカードは、たて20cm横80cmくらいは、あったでしょうか、それ
くらい、大きな文字でしたが、そのサイズは、読める単語が増えていくうちに、少し
ずつ小さくなって行きます。
こうして、3歳の息子が読める(?)単語の数が増えていくのが、わたしは嬉しくて
たまりませんでした。

★今日の写真は、ポルトに残っている幾つかの昔の公共水汲み場のひとつ。素晴らしい^^
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2006年3月7日(火曜日)
quiosq

人口約263,000の現在の地方都市、ポルとには、わたしが住み着いた27年前の1970年代
終わり頃と比べてどエライ違いが幾つかある。

30年も経てば、人も変わるし都市も変わる。
かつての商店街は土曜日の午後と日曜日祝日はどこもかしこも閉まっていた。
本当に一軒も開いてるところはなかったのだ!
それが、ポルトガルがECに加入する少し前くらいから、あれよあれよと言う間に、市内の
数箇所にファッショナブルなショッピングセンターがお目見えし、今ではどの
ショッピングセンターも地階にハイパーマーケットを構えて上階はファッションショップと
ファーストフードショップがズラリと立ち並ぶ。

映画もこのショッピングセンターへ行くと、映画館ならず、「映画室」が10室近くあり、
切符を買って入り口をくぐり、自分の観たい映画を上映する部屋に入るのだ。
これは日本のカラオケ・ボックスを大きくしたものと想像してください。


これらの大手ショッピングセンターは、土日祝日でも開いていて、この小さな街の市内郊外に、
知っているのだけでも9軒はある。
更に今春5月にはスペインのデパート「El Corte Englês」がオープンされることに
なっている。

ヨーロッパ共同体はご存知のように国境がなくなり、物質流通は自由。
世界中のブランド品が、
金さえあれば、ポルトでいながらにして手に入れることができる時代になったのだ。

中身の程は知らないが、ポルトガルも都市を見る限りは、生活は80年代に比べると随分
便利に、そして豊かになったように見える。

しかし、人間とは不思議な生き物だ。
これまで手間暇かかってきた事物が改善され、便利になった途端に、自由な時間を楽しむ
どころか、更に輪をかけて、己を忙しい生活に追い込むようである。

ですから、わたしがこれから述べて行く、我が子たちの「日本語教育」法は、もしかしたら、
多忙な現代の方たちには、さっぱり役立たないかも知れませんが、何かのヒントになれば
嬉しいと思います。

ポルトガルに渡って来た当時のわたしは、日本語と、少し英語が理解できるくらい。
ポルトガル語の理解力は皆無でしたw
今のようにポルト大学での外国人向け・ポルトガル語コースもなく、市内にある語学学校での
ポルトガル語コースは個人レッスンのみで、企業がらみの方たちじゃあるまいし、とても
個人で払えるような授業料ではありませんでした。

さて、これがわたしの状況でしたから、仕事など探すにも探しようもなく、舞い込んで
くるはずもなし^^;息子が生まれた時、仕事もお金もなかったけれど、実は「時間」だけは
イヤというほどたっぷりあったのでした(w)

息子の学校の選択については、「やりくりして、なんとか頑張ってみよう」と、最終的には
亭主が折れたのでした。
(ウヒヒヒ。わたしはこの時、亭主をいかに説得するかの方法を発見したのであります^^
以後、かなり難しいことでも、亭主はいつの間にか、こちらの陣地に引きずりこまれて
ウンと言わざるを得なくなるw この方法は、娘の日本行きにも効をなしたと思っています)

ということで、いよいよ次回は、どのようにして、息子と二人三脚、日本語英語を
仕入れていったかを綴りたいと思います。

★今日の写真は、ポルトで見かけるキオスク
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2006年3月6日(月曜日)
clerigos

とある水曜日の午前中のことです。
日本語レッスンを予約していた生徒が来なかったので、キャンセルされた時間を利用して、
しばらくぶりに染髪することにした。

染料を塗りつけて30分ほど置かなければならないのは女性なら大概ご存知でしょう。
で、その間ちょいとメールチェックでもしようかとpcオンにしたのであります。
すると、日本からのネット仲間たちにとっつかまり、ああでもないこうでもないとしようも
ない話で盛り上がり、「アッ!」と気づけば所要の時間をすでに40分もオーバーだぞ!!
髪はすでにバッリバリのバリ!

「すわ、たいへん!」てことで、慌てて仲間にオサラバし、バスルームに駆け込んで、
「さぁ、洗うべぇ」と蛇口をひねったら、ひねったら、ひねったら・・・
水がでない~~~!!!!(泣)

だ、断水よ・・・
(予告無しの断水、停電がこちらではしょっちゅう起こる^^;)
出ないといったら憎ったらしいくらい。一滴も出まへん・・・頭真っ白です。
いえ、髪ではなくて脳内がですってば^^;

前の家にいたときは、よってもって、わざわざ補給水用のタンクを借家だったのに自腹で
とりつけたのですが、今回はフラットでもあるし、まぁ大丈夫か、と高をくくったのがたたった・・・

「よし、こうなったらミネラルウォーターで!」と思ったのですが、この染料を全部
くまなく洗い落とすには相当量の水がいる。
とても5リットルびん4つくらいでは足りそうもない^^;

あ、午後には日本語レッスンがあるんや~、どないしよう・・・

なんだかんだやってるうちに、時間はどんどん過ぎて行き、髪の
バリバリ度も増していく!

なんでもよく知っている大阪出身の友人に、
「このまま夕方まで放っといても大丈夫かなぁ」と電話してみた。
開口一番、「あんた、またそんなアホなことしてんのかぁ~。夕方まで
放っといたらどうなるぅ?知るかい!」 つ、冷たいやつめ・・・

そうだ!と気づいたは、寝たきりのお義母さんの家の補給水。
確かあったはずだ!ここから目と鼻の先です。
電話であちらのお手伝いさんと話をつけて、お風呂を借りることに
なりましたのね。
「でも、どうやってあそこまで歩いて行くかなぁ」と思いつつ、何気なくもう一度
水道の蛇口をひねったら、ひねったら、ひねったら~~~、水がでた!^^

「ハレルヤ!」

ほんと真っ青になった半日でした・・・

あのバリバリ頭のせいで、やたら赤くなってしまったわたしの髪でありました・・・

こういうハプニングが起こるのって、日本のような文明国では考えられないことでしょうね、
きっと。(笑)だからこそ、こういう笑い話ができる(笑)
ええなぁ、ポルトガル^^

一件落着。

★今日の写真は18世紀にポルトに来、独特な建築スタイルを残してポルトに骨を埋めた、
イタリア人建築家二コラウ・ナゾニに代表作品であり、ポルトの象徴でもある街で一番高い、
「クレリゴス教会塔」75mあります。

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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2006年3月5日(日曜日)
吉本康永先生

「タダで大学を卒業させる法」
  著者:吉本康永 (三五館)

扉を開いたら、

この本は、経済的に厳しい問題に出くわし、子供の大学進学を断念しようと考えているお父さん・お母さん、また受験生に捧げたものである。血を吐くようなわたしの経験から紡ぎだされた「実用書」なのだ

と、書かれてありました。

「お金と教育」のプロローグから、第一章「大学生になった息子への手紙」まで読んだわたしは、そのユーモアに溢れた飾らない文体に、そして、著者の親としての、これから大学生活を始めようとする息子さんへの、誠に実際的な暖かい応援メッセージがこめられた教育思想に惹かれ、そこから一気に読んで行きました。

「受験するだけでもけっこうお金はかかるのだ」
「初年度納入金、入学時の住居費はいくらかかるのか」
「全国の仕送り平均は」「大学生にかかる一ヶ月の生活費」


金欠病の国に住む、金欠病一家の、金満国受験志望娘を持つ親が得たい全ての疑問に、実数値をあげて、逐一答えてくれているではないか!そして、わたしにとっての極め付きはこれです、これ!
        
子どもを「タダで大学を卒業させる法」ベストファイブ!

その中の第3位、
「何がなんでもがんばって慶應大学入学をめざせ」!
ウワッ!け、慶應かぁ~(高値の花だぁ~w)
 (↑著者がそう書く理由は本をお読みください^^)

そして最後の第5位、
「子どもを働かせろ・新聞奨学生だ」!
(↑親の究極の選択だ、と著者は言っておられます。誠にその通りで^^;

かつてこの方法をとって大学進学をしようと、高3の夏休みに東京まで出て体験をしたことがわたしはあるのでした^^;ゆえに、究極の選択、というのは頷けるのです)
この後には、「タダ卒経験者」の経験談、また「家族の絆」についても書かれてありました。

この本を読み終えたわたしは、大学へ行きたい!勉強したい!と懸命に思った17歳の頃の昂揚感をまざまざと思い出したのでした。

よし!ポルトガルからだって不可能ではないぞ!なんとかできるかも知れないぞ!け、慶應だーーー!
(この時わたしはまだ、海外に住んでいる日本人でも「日本学生支援機構、つまりかつての育英会の奨学金を受けられるということを知らなかったのでした)

この一冊の本は、わたしに大きな夢の実現可能性と智恵をくれたのでありました。

あれれ?いや、その、わたしは、その夢を持つ受験生本人ではなくて、受験生の親
の方でありました(爆)

読み終わって即、我がもいける娘に、
「この本を読んでみ。日本の大学進学の夢に近づくヒントはここにあり!」と言って、
翌日彼女に手渡したのでした。

この章、次回に続きます^^
(トップの本の写真、引用文は吉本氏の許可を得ております。この場をお借りして
吉本先生には厚く御礼申し上げます。)

★今日の写真は、わたしたち親子にとって「運命の出会い」となった吉本康永氏の著書
「タダで大学を卒業させる法」です。
吉本氏のこの本は説得力があります。氏が表紙の扉で書かれておられますが、住まいが日本国内、国外に拘わらず、わたしたち親子のように、経済的に厳しい立場にあられる方たちの正に実用書です。是非この本の一読をお薦めいたします。
吉本氏は、またホームページも運営しておられ、そこでも様々な大学受験情報、エッセイ、日記を掲載しておられます。受験生の方、またご家族の方、ぜひ一度、氏のホームページを訪れてみてください。氏のホームページ「たそがれ親父の人生ノート」は、右欄下のリンクからどうぞ。


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2006年3月4日(土曜日)
カフェ・マジェスティック


2、3年に一度の祖国帰国時にどっさり仕入れたものには、まず、自分のも含めた家族の下着類、それに靴下。もうポルトガルに30年近く住むのだが、それでも下着や靴下はなんと言ってもわたしは日本製ファンだ。
「安い、質がいいので長持ちする、使う者の身になって作られている」の三拍子がそろっている!

それからポルトガルではなかなか入手できない食料。例えば、わたしは津軽の出だから「津軽のシソ梅干」、「津軽漬け」、子供達のものでは、持って帰ってもすぐになくなってしまう(^^;)「ヨーグレット」「チョコレートポッキー」、そして、これが一番重量を食うのだが「本」である。重いので船便で送り、2、3ヶ月はかかるのだが、荷物が届くまでの楽しみったらない^^

これまでは、滞在費の中で本代の占める割合はかなり大きかった。本そのものもだが、送料がエライことになる。
ところが、近年「ブックオフ」なる古本屋の出現により、わたしは、かなり本代を節約できるようになった。

私自身が欲しい本は、そこではなかなか見つからないが、子供達の日本語教育のためのマンガ本、これがたったの100円ですよ、100円!しかも装丁が古本とはとても思えない程丁寧な形で本箱に並べられています。「全ての本が100円」という初期の時代には、ただ嬉しくて、送料の事も考えず、毎日のように出かけては行っては、2時間ほどをそこでつぶし、重くて手に提げられないくらい、買い捲ったものだったw

近年、100円均一だったのが、200円、300円、500円といろいろに分けらてしまったのは、誠に残念だ。

大泉学園体験入学も済み、夏休みのある日、もいける娘とわたしは、ブックオフへ行こうと、炎天下、徒歩20分ちょっとの道のりを、暑さでふーふー言いながら歩いて行った。
店内はス~ッと汗がひくほどに涼しい。
娘とわたしはいつものように、それぞれ興味のある本棚のある場所へと別々に別れた。ブックオフに限らず、本屋さんで並べられてあるたくさんの表題を読んで行くのは、わたしの喜びである。

いろんなジャンル別に仕分けられた本を、棚から棚へと目を移して行った。
と、一冊の本にわたしはくぎづけになった。
「タダで大学を卒業させる法」!!
「やりくり親子、意地と度胸の大作戦」と副題にある・・・

「そんなわけぁないわw」でも、ま、威勢のいい、大ボラ吹いたタイトルが(すみません、吉本先生^^;)気にいった!だまされたと思って読んでみよう、と買ったブックオフのこの一冊!
これが、わたしたち親子の、いえ、我がもいける娘の日本の大学受験不可能の夢を、可能に導くことになる、微笑む開運の女神になろうとは!このときは夢知らずだったのである。

次回は運命の出会いとなったこの本の紹介をさせていただきます。
ちなみに一言申し添えれば、この本、100円では決してありませんでした^^;

★今日の写真はポルトのダウンタウン、Santa Catarina通りに面した歴史ある
「カフェ・マジェスティック」。かつて小説家や芸術家が集ったポルトの「ベル・エポック時代」
を忍ばせます。

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2006年3月2日(木曜日)
世界遺産の街1

さて、Back to the「受験シリーズ」。

もいける娘本人が前回のコメントで告白してますが、日本のミュージックスクールはあまりにも高額な受講料で笑うしかなかったのでしたw受講料が東京の私立大学どころではござんせん@@

才能云々以前に、ピラミッドの如く立ちはだかる親の財布の中身という現実の壁w諭すまでもなく、これで一発、目が覚めたことでしょう。本人は案内書をゴミ箱に捨てましたようで、母も「^^;」な面持ちでそれを横目で見て見ぬ振りしたのでした。

(裏話)可哀想ではあったが、本当にしたかったら、チャンスはいつか来るぞ!夢の実現は見続ける事が第一歩なのだ^^

2002年夏、2年ぶりに今回は娘と二人で帰国です。帰国する時は、小学生時代から、できるだけ「体験入学」という日本の教育制度を利用させてもらいました。

「体験入学」と言うのは、海外に住む日本国籍を所有する義務教育学齢にある子供たちを一定時期受け入れ、日本の学校体験をさせてくれる制度です。帰国する前に滞在区域が所轄になる学校へ連絡を取りお願いします。

住民票が要りますから、一旦転入届を市役所に届出ます。学校では、万が一、事故が起こった場合の責任問題が残りますから個人で保険に入るか、もしくは一筆書くか致します。また、こちらの学校は6、7月が学年末で欠席することになります。少し煩わしい体験入学申請手続き、こちらの学校の欠席など考えいれても、日本での体験入学は価値があると判断したり。

小中学校の体験入学は義務教育にあたりますから、たいがい受け入れてもらえます。が、高校となると公立は無理です。我が娘の場合は、帰国子女の受け皿校であった「東京学芸大学付属高校・大泉学園」に思い切って連絡をとってみたのでした。日本の普通の高校とは雰囲気もカリキュラムも少し違っていましたが、ここに、もいける娘は一夏通学することになりました。生まれて初めての、一人での電車通学^^かなり刺激的ではあったようです。

こんな調子で、彼女の日本の大学受験の夢は大きく膨らむばかり。膨らまないのは、その手助けをしなければならない親の懐具合でありました^^;受験のための帰国費用、受験費用、間違って合格してしまったら、その後の一切合財の入学費用、それに毎月の生活費。

毎月の授業料がなんとかなったら生活はどうやってするのだ?生活ができたら、授業料はどこからでるのだや?娘よ、こりゃ、無理だ・・・しかし、いよいよと彼女は「新聞専売店に住み込んで」の方法に傾いて行きつつあるのでした^^;

高校の体験入学も終え、夏休みに入っていたある日のこと運命の出会い は、やってきた!

★今日の写真は昨日に引き続き、旧ポルト市街にある古い家並みです。
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2006年3月1日
海岸通りの洗濯物

ポルトの吹く風は、とても冷たく乾いていますが、春の匂いを運んで来る
今日この頃です^^

さて、今では成人に成長した長子、息子の教育問題は、のほほん者のわたしでも、
少し悩みましたw 前回述べましたように、ポルトガルの公私立には入れない、
日本人学校はなし、の環境です。
では、他にどんな教育施設があったかと言いますと、まず、
   ①フレンチスクール(←こりゃ全くだめ。亭主は少々分かるようだが、わたしゃ
皆目分からん。ポルトの土産物店で、わたしが抱えてる品物をフランス人に
「それ、どこにあるの?」と聞かれて(と思うw)、「フランス語話せません」を
ポルトガル語でフランス語風に答えて相手の目を白黒させた人間であるw)

   ②ジャーマン・スクール/ドイツ人学校(←ビアハウスで毎晩ドイツ語でビアソングを
歌っていたのだが、フランス語同様ドイツ語もチンプンカンプンw
せっせと生ビール飲んでただけでした^^;よってここもダメ)

この2校は、当時のポルトガルに於いて、まだ英語が第二外国語の確たる地位を
占めていなかった時代で、小学校でも英語よりフランス語/ドイツ語が第二外国語
とされ、英語は選択科目になっていました。

子供がいったいどんなことを学校で学んで来るのか、わたしは興味深々、
あわよくば一緒に学びたいと思ったりしてたのでしたw
自分が理解できない言葉では無理です。

ところが、もう一校あったのです、Oporto British School!
調べて見ると、あらら、かなり入学が難しい学校ではござらんか!
何が難しいかと言うと、子供は当然のこと親も英語を理解しないといけないと言う。
更にイギリス国籍を持つ子供を優先的に入学させるので、必然ポルトガル人の数は
限られる。聞いて見ると、ウエイティング・リストにズラリ入学希望者が並んで
いるとのこと。さぁ、おっかさん、亭主に「ここがいい~~!」

問題が生じたのです。亭主が渋りましたw
①スクールバスがないではないか!(当時は朝の出勤時間とぶつかり、家から車で
毎日登校に1時間はかかったw)
②幼稚園部と言えども、高額授業料。これを11年も継続できるか!
(ポルトの私立小高大学全ての中でダントツ^^;)

当時はわたしは今のように仕事をしていませんでした。
日本語の生徒は二人ほど、友達ということで頼まれてとっていたものの、大した
謝礼は受け取りませんでした。(あ、今も同じですよん^^)
義母、おばたちの大家族を抱えていたので、渋る気持ちは分かるものの、
一旦決めると簡単には後に引かないのが「おっかさん」w

ある日、強力な味方を見つけたのであります。
「どうしても日本語を学びたい」と言って、人づてでわたしの所に来ていた
Fernandaさん^^わたしとは親子ほども歳が離れていましたが、とても気が合いました。
息子が生まれる以前からのお付き合いで、彼女は「Povoa de Verzim」という
町からポルトまで電車、そして更にバスを乗り継いで、週に2回我が家に
勉強に来ていたのです。
ブラジルはサンパウロの人で、ご主人はポルトガル人、子供はいません。
彼女自身もサンパウロでは、英国教育を受けた人だったのです。
いわく、
「少々苦しくてもBritishに入れなさい。子に施す教育は投資です。
バイリンガル、トライリンガル、心配しないでよろし。早く始める程に
問題は少ない。わたしがその良い例です」
(↑ブラジル語は当然ながら、英語、ドイツ語、イタリア語をこなし、更に日本語を
勉強していた。彼女が自分につけたニックネームは「papgaio=パパガイウ(オウム)^^

おおおおお、心の友~~!
我が子のおつむ具合も考えずに、フェルナンダさんの言葉を単純に信じて、
日本語一本で息子に話しかけて来た「しゃもじペンペン母さん」は、
Biritish School入学準備として、我が子に、「え、英語をも何とかする」ことに
相成ったのでありました^^;

★本日の写真は、世界遺産指定になっているポルト旧市街。
 世界遺産の洗濯物?(笑)

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2006年2月28日
コインブラファド

リスボンから特急で北へ2時間、ポルトからだと反対方向の南へ1時間ののところに
あるのが、学生の町コインブラ(Coimbra)です。
人口8万のうちの2割がコインブラ大学の学生だと言われます。
わが亭主の母校でもあります^^

コインブラ大学は13世紀に創立され後世に造られたバロック様式の図書館、チャペル、
セレモニーホールなど、現在もその頃をそのまま目にすることができ、
校舎内に
入ると一瞬中世に迷い込んだかのような錯覚に陥ります。
5月に2週間催される学生祭は,黒マントを身にまとった学生のその独特な趣からして
毎年ニュースになるのです。
そして、このときに聞くことができるのが「学生ファド」であります。

学生ファドはコインブラでしか聞くことができず、またリスボンファドとちがい、
学生祭の時をのぞいてはかなかな聞くことができません。
コインブラのファドは男子学生によってのみ歌われます。
伴奏は前回のリスボンファドと同じく、ギターと12弦のポルトガルギターとで演奏され、
歌い手の男子学生は中世の吟遊詩人のごとく、黒いマントを身にまとって歌います。

この黒いマント、ポルトガル語ではcapa=カパと呼び、実は日本の時代劇に出てくる
渡世人さんがまとった「かっぱからげて三度笠」の「かっぱ」は、これが発祥であります!

わたしはかつて亭主のお供をしてお招きで、コインブラにある古いサンタクルス
教会にてこの学生ファドを聞く機会がありました。
遅い夕食後のほぼ真夜中、煌々と月が照る教会の中庭。
聴衆はみな思い思いの場所に腰をおろして聴いた学生ファドは、静寂さの中、
しんしんと降り注ぐ月光とあいまって、それは素晴らしい歌でありました。
これこそ正にセレナーデ!と思ったものです。

と、ところがです、この学生ファド、一曲が終わっても誰も拍手をしないの!
拍手するすんでのところをわたしは亭主に止められて・・・
拍手どころか、一曲終わるごとにみんないっせいに「せきばらい」をするのです・・・
然り、コインブラの学生ファドには拍手はご法度なのだそうです^^;
拍手のかわりに「せきばらい」すんねんでぇ~。
もしもいつか、機会があってコインブラ・ファドを聴くことがあったら、拍手はしないで
コホンコホンの咳払い
!間違えないでね^^

と、言うことでコインブラの学生ファドでした!

★本日の写真、白黒でなんちゅうレトロw でも、雰囲気出てますヨン^^
 セレナーデが聴こえてきそうです

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