2006年6月28日
テーブルクロス
★写真はわたしが好きなポルトガル北部独特の伝統手刺繍が施されたテーブルクロス。

昨夜、遅い晩食をしながらテレビニュースを見ていましたら、インタビューゲストの顔に、
「あれ?見たことあるぞ・・・えぇっとえぇっと・・・」
思い出しました。
この春、職場でお目にかかり、少しお言葉を交わした現・在ポルトガル
日本大使でした。

この番組は政治討論や政治インタビューが主で、出演するのは、ジャーナリストや
政治家達です。
勿論、わたしに、ポルトガル語、時には英語での討論やインタビューの内容が
全て分かるわけではありません。
番組中に何度か亭主に質問するもので、「ちょっと、だまってて~」と差し止め
られることも度々ですが、亭主と一緒に一通り見ることにしています。

このインタビューーを途中から見たのは残念だったのですが、英語での
インタビューでした。
ゆっくりと、非常に聞きやすい英語での応答で、内容がこれまで公の場でこのような
政治がらみの発言をした大使は恐らくおられなかったのではないかと、
思われるものでした。

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2006年6月27日
サンベント駅構内
 ★写真はポルト旧市街にあるサンベント駅構内。周囲は全て歴史あるazulejo
(アズレージュ=青タイル絵)に囲まれている。


ここ数日わたしの顔は熱っぽい。

そりゃspacesisさん、年甲斐もなくW杯に熱上げて、やんややんや、テレビの前
でもネットでも騒いでるからでしょ、と口さがないお仲間には言われそうです(笑)
当たらずとも遠からずで、否定はしないのですが、もうひとつ、わたしを熱く
させている物がありまして。

何あろう、先だってポルトに駐在する企業の方が、
「これ、もしかしたら、ご覧になりませんか?」と貸してくれたビデオ2本、
石原慎太郎さんが書き下ろしたものをドラマ化した「弟」でした。
調べてみたら、2004年に朝日放送5夜連続で放映されたものだそうです。
その弟とは勿論裕ちゃんこと石原裕次郎さんです。

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2006年6月27日
matosichos-rede
★写真はポルト隣にある港町matosinhosの海岸沿いの大きな網

帰国の往復の飛行機代、一ヶ月の滞在費などをはじき出して、
「この費用を、いっそのこと、もいける娘のアパートの契約費、その他に回した
方が役立つのではないか、帰国を止めようか」と何度考えたことだろう。
毎日の職場ではないが、欠勤するとわたしの場合収入はない。

しかし、日本の生活を知らない娘一人に任せて、後で悔やむようなことがあっては
後悔しきれなくなるかもしれない。そう思うと気持ちはすっきり決まった。

とりあえずポルトガルにいる間にも、ネットでアパートに関する情報をいくらか
掴んでおいた。
アパートの必須条件は、


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にわかファンではあるが、今W杯Equipa das Quinas(=キーナス軍団?とでも訳しま
しょうかw)、ポルトガルチームの愛称)の応援に燃えている^^

これがわたしの応援表示です。
ポルトガル国旗を車になびかせるには、少し気が引けて、cachecol(応援マフラー)
を後座席に広げてみました。
fifa-cachecol


昨日の対オランダ戦に1:0でかろうじて勝利したキーナス軍団(軍団と呼ぶには
雰囲気が少し違う気がするのだが^^;)、前半マニシェの1点で逃げ切りました。
それゆえ、後半戦の荒れること荒れること!
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2006年6月25日
cascata do サンジュアン
★写真はサンジュアン病院に設置されたサンジュアン祭の飾りつけ
「cascata sanjoanina」真ん中の像が洗礼者サン・ジュアン。
是非クリックして拡大して見てください。
その下を流れるのがドウロ川。川に浮かぶのはかつて上流からワインを運んだ
「Barco Rabelo(帆掛け舟)。向かって左側下が亭主の働くサン・ジュアン病院、
その上にクレリゴス塔、ボルサ宮、大寺院、市庁舎など、ポルトの名所が並ぶ。


今日の かんちがいさんのブログ日記に、思い切って「靴の処分」をしたと、ありました。
自分の身にも同じようにあてはまることなので、「そうなのよそうなのよ」と思い
ながら読ませていただきました。

わたしも、買ったものの殆ど履く事もなく箱に入りっぱなしの靴がけっこうあります^^;
亭主には、「ポルトのイメルダだ」と言われる始末^^;
イメルダは、ハワイに亡命したフィリピンのマルコス大統領夫人の名前です。
三千足の靴を持っていると言われ、「とんでもない、わたしが持っているのは千足よ!」
と言ったという有名な話がある(笑)

勿論買う前に靴屋で履いて見るのですが、靴と言うのはチョチョッと試着(?)して
みただけではわからないところがあります。

改めて履いてみたところが、どうもかかとの上にあたる、とか、足幅が狭くて長く
履いていると痛くなるとか、そういう靴が結局お蔵入り、いや、お箱入りになってしまう。

こんなことをかんちがいさんのコメント欄に書き残してきたのですが、ふと思い出した
ことがある。
ポルトガルに来て間もなくのことですが、目につかない日本人の体型(?それとも
自分のと言うべきか)で気づいたことが二つあるのです。

足の形と頭の形です。脚の長さじゃありませんぜ~、形です(笑)

わたしは若い頃から帽子が好きで、特に冬はえんじ色や黒のフェルトのツバの広いのを
被っていました。

ポルトガルに来てから、帽子を買うことにしたのですが・・・・
どんな帽子も、わたしの頭に合うサイズがない!ない!
「お嬢さん、これ以上大きなサイズは、ポルトガル中どこを探したってありませんよ」
(お嬢さんじゃない!わたしゃ30過ぎのれっきとしたsenhoraなのよ!
当時ですよ、当時w)
つまり、日本人であるわたしの頭は、ポルトガルではとてつもなく大きいと言うのだ(笑)

息子が生まれて、頭囲を測った看護婦さん、
「この子、頭が丸くて大きすぎ!大丈夫かしら?!」
ポルトガルの赤ちゃんは、頭が長いので頭囲が小さいのです。
それに比べて我が赤ちゃん、生まれたばかりの時は、頭の形はまん丸お月さん、
典型的な日本人でした。

足の形もちょっと違います。
日本人でもその人によるのでしょうが、日本にいて靴を買うのに、足幅が広くて、
靴が合わないという問題に、わたしはぶつかったことがない。

ポルトガルでは、そうでした。
たいがいの靴、わたしには足幅が合わないのです。これでは履いて座っている分には
いいけれど、歩くのは地獄の苦しみを味わうことになる。

エレガントな形の靴ばかりが売られていたのが、ポルトガルにもスポーツシューズが
遅まきながら市場に出てきて、やっとその問題からわたしは解放されたのでした。

今は、買って履き心地がいいとわかると、わたしはすかさず同じものをもう一足買って
おきます。
なぜなら、靴もファッションで、履き心地のいい同じスタイルの定番靴が、翌年も
売られるとは限らないからです。
靴を捜し求めて歩くのも、なかなか疲れるものです^^;

今日はかんちがいさんの日記にヒントを得て、思い出したことを書きました^^

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2006年6月23日

今朝起きて外を見たら、薄っすらと霧。
この時期は朝方はこういう天気が多いのですが、これを「サンジュアンの天気」と
言う(笑)
でも、やがて霧は晴れ日中は、余り気温は上がりません。
家の中にいると、窓からは涼しい風が入ってきて、まことに心地よいものです。
サンジュアンが終わると、どっと暑い夏が押し寄せることでしょう。

さて、今朝、午前中3時間だけ我が家で掃除して働いていくベルミーラおばさん、
玄関のドアを入るなり、「オ、ドナ・ユーコ!Sardinha(サルディーニャ=いわし)、今朝いくらしたか知ってる?」
おおお、始まった始まった^^

そうなんです、普段は安い庶民の魚、いわしの値段がサンジュアンの週月曜日あたり
から徐々に徐々に値上がって、今日が一番高い!
普段は1キロあたり1ユーロくらいが(およそ140円)相場なのですが、この
月曜日に、スーパーとしては値段の高いデパート、El Corte Engles
の地価食品売り場で、ピッカピカのいわしを見つけて買ったところ、すでにキロ3ユーロ
近かった^^;(420円)
当日に必ずしもイキのいい鰯が手に入るとは限りません。
考えてわたしは思い切ってその新鮮な鰯を買って、冷凍保存することにしました。

大の大人が4人に孫一人の、ベルミーラおばさん、今朝、我が家へ入る9時前に、
魚市場まで鰯を買いに行ってきたのだそうです。
なんと、1キロ5ユーロ近く!@@ 普段はいっちゃぁなんですが、貧乏人が
食べるものと言われてるこのいわし、この時期は、ぐんと格が上がっちゃいます(笑)

おしゃべりしながら、飲みながらのサンジュアンの鰯、大人一人5、6尾は必ず
たいらげるポルトの人たち。ちょっと厳しいわねぇ。
でも、文句言いながらも、Sardinhaなしではサンジュアンも始まらない。
高いじゃないの!と言いもって、やはり買い、今日の食卓に載せるベルミーラおばさん^^
もうちょっと待ってねぇ、ボーナス行くから(笑)


そうそう、それで今日はわたしは、
こぉ~んなのや↓

冷凍寿司


こぉ~んなのを↓
日本のスナック

見つけてしまったのです^^
上の寿司は、初めて見る冷凍ものです。寿司飯に寿司ネタ、たまり、割り箸がついて、
参考がてらお値段は8.50ユーロ(1300円)です。
中国韓国産ではなく、オランダ産とありました。
試しに食べて見ましょう^^;
あられ、抹茶羊羹も、値段は随分高いけれど、日本製がポルトのスーパーで売られて
いるのを見たのは初めてです。
日本国内ではちょっと耳にしない製造元だけど、そこまで文句言っちゃぁ、バチが
あたると言うもの。
       
あられ、羊羹は試食済み。なんとなく羊羹のような、なんとなくあられのような、
かなり自分の舌が知っている味に近い(笑)

ポルトも住みやすくなりました^^
冷凍寿司、どこで手に入れたか知りたい方はコメント欄にどうぞ^。^

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2006年6月22日

ポルトガル語では「Festa do São João(フェスタ・ドゥ・サン・ジュアン)」と言います。
「サン(聖)・ジュアン」とは、ヨーロッパでも最も祝福される、洗礼者ジュアンを
指します。
ジュアン、ジョーン、ジャン、ジョン、イワン、シーンと国によって呼ばれ方は
色々ですが、ひとりの人です。

毎年6月24日が聖ジュアンの生まれた日と言われ、祭りは23日、前夜祭です。
ポルトガルの町は、それぞれが守護神を持ちます。
例えば、リスボンはサント・アントニオを守護神と掲げ、その生誕日6月13日の
前夜祭には目抜き通りのリベルダーデ大通りを、リオのカーニバルに匹敵するような、
盛大なパレードが練り歩き、大変な人出で賑わい、この様子はテレビでも一晩中
放映されます。

ポルトのサンジュアン祭りは、それほど華やかではありませんが、ローカル色のアット
ホームな雰囲気があって、なかなかよろしいようです。

サンジュアン祭りの中心は世界遺産指定され、わたしの気に入りの場所、これこそ
ポルト!と言われるドウロ川べりのRibeira(リベイラ)です。
前夜祭には、ここに架かる二重橋D.Luis Ⅰ(ドン・ルイス一世)橋を背景に、
華やかな花火が打ち上げられ、祭りは明け方まで続きます。

サンジュアン祭りの三種の神器(笑)、マンジェリコ(鉢植え植物)、にんにくの花、
そしてプラスティックのピコピコ・ハンマー!
マンジェリコはこの時期、どこの家庭でも手に入れて屋内に置きます。
マンジェリコ

マンジェリコ。くるま花科と辞書にはあります。
小さな旗にはサンジュアン祭にちなんで毎年催される
短詩コンテストで入選した詩が書かれてあります。
日本で言う短歌でしょうか。恋の詩がたくさんあります。
   ↓ピコピコハンマーとにんにくの花               
           ピコピコハンマー
にんにくの花

長男がまだ2歳頃に、一度サンジュアン前夜祭家族でに繰り出しました。
日本人がいなく、夫に抱かれた少し東洋系の顔をした息子、珍しいのが手伝ってか、
行き交う人毎にピコピコ頭を叩かれて、とうとう息子はベソをかいて
しまいましたっけ^^
もう二昔も前のことです。
サンジュアン・ジュアン
★当時の息子
おっと、サンジュアンになくてはならない、もうひとつの主役を。
これなくしては、サンジュアンにならない^^
「鰯の炭焼き」!
22日、23日と、ご近所、レストランと町中いたるところで鰯の炭焼きです。

わたしは鰯のウロコをきれいに落とし、頭も切り、きれいに洗って焼くのですが、
こちらの人はそうはことはしません。
「ウロコ?頭?なんで落とすの?」
そのまんま、でかい鰯を炭火に乗せ、ついでにデカいピーマンも乗せ、これに茹でた
ジャガイモ、サラダがサンジュアンの定番夕食です。
ウロコは、とらない方が美味しく焼けるのだそうですよ^^

後はあなた、ポルトガル北部の銘酒、Vinho Verde(テーブルワイン)があれば
文句なし!最高のサンジュアンの食事です。

マンジェリコで言い忘れたことがありました^^manjericoと書きます。
独特の香りをもち、人々はこれに手をかざして香りを掬い取り、その手から
香りをかぎます。
ちょっと日本の香道の仕方に似ていませんか?

鰯の炭焼きに至っては、前夜祭、町中鰯の焼く匂いにつつまれますぞ。
匂いそのものはお世辞にもロマンチックとは言い難い(笑)
ドアを閉めても窓を閉め切っても、鰯の匂いは家の中に入って参ります。
いっそのこと一緒に焼いたが勝ち!
干してる洗濯物は早々に入れるべし。さもないと匂いがついてしまいます。
サンジュアンイルミ
★サンジュアンの夜
さて、マンジェリコは町へ持ち出しませんが、ピコピコハンマー、にんにくの花を手に
持って、夜ともなるとリベイラ目指して大勢の人が繰り出します。
サンジュアン1
こんな具合に、いったんリベイラの群集に入ったらもう出られません^^;

         サンジュアン2
右の写真、黄色、赤、緑の色をしているのがピコピコハンマー。

サンジュアン3


真夜中12時になると花火の打ち上げが始まります。
それが終わると、やがてリベイラの群集は川岸をつたって、やがて大西洋にでる
Fozまで歌い、踊り、行進していきます。そして、海で朝を迎える。
昔から、サン・ジュアンの朝、6月24日の夜明け前に、ドウロ川や大西洋の海に
浴すると魔よけになるという言い伝えがあります。

最近はとんと見かけなくなりましたが、わたしが来た当時は、この日は、日が落ち
始めるとどこの通りでも焚き火が焚かれました。
かつてのわたしの借家の前が、毎年ちょうとその焚き火の場所に使われ、近所の
子供達が集まって、その焚き火をジャンプして超え、遊んでいたものでした。
これも、サンジュアンの前夜に焚き火を一回目か三回目で飛び越えた者は、その年は
幸運が授かるといういわれがあるからです。

6月23日サンジュアン祭りは、このようにポルトの夏の一夜の夢物語です。
ついでに言いますれば、我が息子はこの「サンジュアン祭り」を
小さい時は
ずっと自分のためのお祭りと思っていました。
そうです、息子のポルトガル名は「ジュアン」なのです^^

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2006年6月22日

いや~、わたしは面白かった!
W杯、昨日のポルトガルーメキシコ戦です。
またまたW杯の話題です^^

3時からの試合放映だと言うのに、12時からテレビでは応援に盛り上がって
いました。
ポルトでは、大西洋をまん前に臨む「Castelo do Queijo」(チーズの城w)にて、
一般公開で巨大なスクリーンで試合観戦できるように、仮スタジアムの席を
セッティングしたのですが、試合開始の時間が近づくと、ぞくぞくと人が集まって
来、国旗、「AMO-TE PORTUGAL」と書いた首巻(cachecol)、応援用の
布で出来たアンテナがついたような奇妙な帽子(なんて呼ぶのかしら?只今
調べちゅうw)
帽子


で、会場は赤黄色緑の色で埋め尽くされていました。
昨日日記に書きましたように、期待の3選手+2選手、つまり昨日までの試合に
出場していたうちの5選手が出場できなかったのですね。

不安いっぱいで始まった対メキシコ戦、しょっぱなで入ったマニシェのgolo先点!
いやいやいや、小躍りして喜びました。
そして、これまたチビのシモン!やったぜ!

昨日の電話インタビューでは、アナウンサーさん、「ポルトガルは弱いチームと組んで
ずるい、と言うような世間の話もある」と、番組で話していましたが、それを言っちゃぁ
お終いよ(笑)
それも含めて、勝負は時の運!とも言うのすぞ^^

とにかく、わたしは昨日は家のなかでジッと座って見ていることが出来ず、
檻の中のクマの如く、テレビの前でグルグルとリビングを回りながらチームを
罵声(^^;)応援していたのでした。

5選手も抜けた試合の心配を跳ね除けて、Equipa das Quinas=エキーパ・ダス・
キーナス(ポルトガルチームの愛称)、2:1で3連勝です。
お見事! 
今日は夜8時から日本=ブラジル戦の放映があります。日本、頑張れ!

さて、日本時間今日の早朝5時15分のFM東京、ラジオインタビュー、かんちがいさん、
もいける娘、眠いのにがんばって起きて聞いてくれてありがとうございます。
もいけるいわく、
「ゲ、ゲストがあんなにしゃべるか?・・・」ほっとけ~(笑)

インタビュー中に何度か発信音のような音が聞こえて、気になった。
放送局、しっかりせぇ、と思ってたら、出演が終わってすぐ亭主から電話が入りました。
毎日かかる「ただいま仕事終わって帰ります」コールですw
「さっきから何度も電話してたけど、話中だったよ。」

あったりまえでしょ~~。ありゃ、話中どころか、インタビュー中だったのよ^^;
インタビューの件、ちゃんと話したと思ったぞ・・・
リスボンの息子には、この時間帯は電話するなよ~と連絡しておいたのだが、亭主には
時間を言うの、忘れたかしら(笑)

のんびりしたもんですw

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2006年6月21日(2)
霧のリベイラ

★写真は2,3日前のもやに浮かぶドン・ルイス一世橋
今日はW杯、ポルトガルーメキシコ戦です。
しかし、しかし・・・
前回の2試合でgoloを入れてくれた期待の3選手、パウレッタ、デコ、ロナウドがイエローカードを貰っていて、今回は不出場ですって@@
ゴーーン・・・・

今回負けても決勝トーナメントには出られるのですが、なんだか少し気が抜けました。
今夜の電話インタビュー、勢いがちょっと削がれるかもね^^;
でも、勝負はその時にならないと分からない!

ずっと勝ち続けと言うのは、期待し過ぎと言うもの(笑)
この辺で一度負けておいて、決勝トーナメントで勝ち進め~~!

試合中、我が亭主は点が入ったときは「ゴローーー!」と大声をあげるの
ですが、それ以外はいたって静かに観戦。
それに比べてわたしはすぐ感情移入してしまう単純人間です、
「あ!」「ほれほれ、しっかりせんかい!」「あほめ~~、そんなとこで
取られてどうするんや~-」とか「とれ、とれ~」とか野次を入れるので
子供らが側にいた時にゃ、白い目で見られ終いには「おっかさん、うるさい~~」

逆にわたしなど、亭主を見てると、どうしたらあんなふうに冷静に見られる?
と、不思議でなりません(笑)

ということで、今日はポルトガル、明日は日本(これはこちらでも放映するようです^^)
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2006年6月20日

急にラジオの電話インタビューの話が飛び込んできました@@
日本時間6月22日朝5時15分。
FM東京さんの「Eyes On Japan」だそうです。

関西の仲間に宣伝したら、「関西じゃ聞けないよ・・・」
あらら、残念^^;
いずれにしても、朝の5時ですからね、おおっぴらに宣伝できませんです^^;

去年の某ラジオ放送、ポルトの路面電車紹介の時のインタビュー時間が3分
ほどでした。
それで、できるだけ盛りだくさんにと、しゃべりにしゃべって、それを聴いた
我がもいける娘には、「おっかさん、しゃべりすぎだって。アナウンサーが
質問しようにもあれじゃできないじゃん・・・^^;」と叱られましたが、
今度は10分程度とおっしゃる。
10分は、結構な時間です。
3分間スピーチでも、そのうち、「え~~、あ~~、う~~」と普通はなるのですが・・・
今回はアナウンサーのお話にちゃんと耳を傾けよう^^;

前回と違い、原稿の取り交わしなし、ぶっつけ本番です。 
大丈夫かな^^;
ドジったら、得意の「わっはっは」で誤魔化すしかない(笑)
トピックは言わずと知れた、「W杯に関するポルトガルの様子」だそうです。

早朝時間ですから、できれば聞いてください、ともお願いできませんです^^;
でも、後日、報告いたします^^

誰やのよ~、そこでドジを期待してるのは(笑)

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2006年6月19日

土曜日の我が職場運動会は曇り空の下、日が照らなかったので暑くならず丁度
良かった^^

昔は7月にしていたのですが、どうも暑くていけません。
前にも書きましたが、子供達の人数が少ないもので、彼らは競技に出ずっぱり
になります。
7月のク●暑い中、これをするのはいかんのではないか、ということと、
7月に入ると、現地の学校は夏期休暇に入るため、その休みを利用して
一時帰国
する子が増えるのです。(我が子たちが小さい時は、わたしも体験入学のため
申し訳ないが休職してそれをしました)

そうなるとそうでなくても少ない人数が、益々少なくなりこれでは運動会が
面白くない。
それで繰上げて6月に恒例になりました。
9月10月という案もありましたが、この時期には他の行事が既に組み込まれて
おり難しいのです。

さて、これまでは子供達が楽しんでくれることを第一にしてやってきたのですが、
この数年の間で、いろいろ気になることが目立って来ました。

①子供達の姿勢が近頃どうもよろしくない。
 背筋が伸びていないのです。これは勉強中も朝礼のラジオ体操の時も。
(ラジオ体操に至っては、両肘両膝が曲がったままだ@@)

②現地校では、体育の授業でも整列などを習わないので、移動時はてんでバラバラ。
これでは団体移動の際、だらだらして帰国してから困るではないか。
帰国せずとも、整列がきちんとできるのはやはり美しいものである。

③縄跳びのできない子が多い。
 普段することがないので無理のない話ではある。
 (そこで、毎週朝礼で3分ほど、この縄跳び運動を取りいれました。
 これは、最終的には運動会の障害レースに組み入れました。)

④得点には競技点だけでなく、移動の際の整列の仕方も競技の一部にして
入れて見ました^^(大正解w先を争って整列してました^^現金なやヤツらめ。笑)

写真は顔がはっきり映らないようにと小さめですが、ご勘弁を。
では、ごらんください。運動会の様子を^^
運動会4
↑★赤組白組入場行進。先頭はキャプテン。背筋をお伸ばし!
          
      運動会3
           ↑★全員で準備運動のラジオ体操。
(ちなみにこの第一ラジオ体操、世界中の日本人学校補習校数ある中で
今でも続けている学校は3、4校のみとか。その中に我が校は入ります^^)

運動会2
↑★キャタピラリレー(中に入って動かすのだよ^^)
       
    運動会1
       ↑★台車レレー。これはちと危なかった^^;
   多少坂道になっているので、行きはスピードが出すぎ。キャプテ   ンが
   台車に乗りっぱなしですが、一人途中で落っこちました^^;

運動会5
 ↑★これだけは古い写真。もいける娘のスイカ割り姿。
 常にバッチリ割りいれます。が・・・この時はちとずれたようで@@
 横で○○君、その勢いにおくちを0の字型に開けて目をまん丸ですw

今回のスイカ割りは白組キャプテンのK君、スイカも棒も見事に割った^^;
スイカはグチャグチャに・・・食べられせんでしたわ(笑)

今年の勝負は綱引きで白組の逆転勝ち!
一件落着です。

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2006年6月16日

今日の記事は長いです^^
しばらく前に、友人のゴッチが、「クラウディウのその後を知りたいなぁ」と
我がホームページの掲示板に書いておりました。
「うん、近々エピソードであげるね」と言いながら、今日まで書かずに来て
しまいました。
   
クラウディウと言うのは、わたしがポルトガルに来た27年前に出会った
野良犬です。
よもやま話13:我が友クラウディウ」に出てきますが、今日はたった
一枚あるその写真を載せましょう。
クラウディウ


側でビッタンコくっついて遊んでいるのは、当時2歳の息子、ジュアン・
ボーイです。
画像が鮮明ではありませんが、よく見ると、クラウディウの向かって右の目が
少しつぶれているのと、口元、向かって右に白い牙がかすかに出てるのが
わかるでしょうか^^
 
名前の所以も上記の「我が友クラウディウ」にありますが、とても皇帝の
名からは程遠い、臆病な犬ではありました。
庭無しの義母に家です、夜や雨 の日はこうしてベランダで休みますが、
日中は外です。これが義母との約束でしたからね。

ジュアン・ボーイはこんな風にして時にはクラウディウにまたがって乗ったり
するのでした。

この家での先輩は息子よりクラウディウです。
息子のお産でわたしが4日ほど入院した時は、ほとんどエサも食べず、
亭主とわたしの部屋のドアの前に座りこんで、叱られてもガンとして動か
なかったそうです。

退院してジュアン・ボーイを胸に、家の階段を上りましたら、その上で
クラウディウが尾を振って待ち構えておりました。
が、わたしの腕に抱かれている赤ん坊を見た瞬間、彼は悟ったのでしょう、
「あのちっちゃなものが、若奥さんの大切なものなのだ」ということが。
声をかけるわたしに擦り寄ってくるでもなく、スーッと席をはずしたのでした。
   
クラウディウのエピソードはたくさんありますが、なんと言っても忘れら
れないのは、「我が友クラウディウ」にある大晦日の出来事と次のハプニングです。

毎年夏になると、わたしたちは2週間をポルトガルの北部山中にある、ミネラル
ウォーターでも有名な Pedras Salgadas(塩っ辛い石の意味)と言う保養地で
過ごしました。
ここは空気もよく、プール、テニス場、そして子供の公園があります。
ホテルの広い公園一帯が自動車乗り入れ禁止になっており、安心して散策も
できます。
この年はわたしたち親子3人と(もいける娘はこの4年後に出てくるので
あります)、亭主の母も同行の休暇でした。

さて、クラウディウはどうする?
当時はさほど心配もいりませんでした。
もともとがバガブンドのクラウディウ、路上寝はお手のものです。
すぐ近くに住んでいる義兄に夜呼び入れるのを、日中のエサは近所の人にと
頼み、休暇に出かけました。

二週間後、夜8時ころに休暇先から帰って来、クラウディウを呼んだところが、
エライことになっておりました。
恐らくその日に起こったのでしょう、あちこち噛み傷があり出血して息も
絶え絶え!
荷をほどくのもそっちのけで、亭主はすぐ自分の病院と薬局へ走りました。

麻酔薬、注射針その他を買い込んで来た彼、呼ばれてやってきた義兄を助手に、
クラウディの傷口10数箇所を縫うこと、3時間!
何しろ、大事なタマタマちゃんまで、破れかかっておりましたです・・^^;
「んもう!いい歳して、きっと雌犬争奪戦に自分も加わったのね!
ったく、男ったらしようがないんだから!」と、
これには一段落ついて後の皆の大笑い。
   
さて、動物の回復力は素晴らしいものです。
わたしたちの心配をよそに、クラウディウは見る間に回復、傷も癒えて、
またいつもの生活パターンに戻りました。
これ以来、夏の2週間の休暇は、申し訳ないが義母が家に残ることとなった
のでした^^

それから4年、この間に我が家にはもう一匹、ルルと言う捨て猫がペットと
して加わり、もいける娘が生まれようとしていました。

義母の家はもいける娘が生まれることで手狭になり、わたしたち親子は同じ
通りの20数メートルほど先にある庭付きの古い借家へと引越しすることに
なりました。
ところが、家猫のルル、庭があると言うのに庭へ出るのを怖がり、死ぬ
までとうとう一度も庭へ降りることはありませんでした。
クラウディウに至っては、これでやっと自由に家で飼えると思ったのに、
なだめてもすかしても、これまた新しい住居の庭にはテコでも入ろうとしません。
結局義母の家で夜寝るという、これまでの習慣通りにすることにしました。

そんなある日のこと、保健所が再びやってきて2匹の野良犬を捕獲して行った、
そのうちの一匹がまたしてもクラウディウということが分かりました。
ドンくさいのです・・・
その日の夕方、亭主はマイア市の保健所へ出かけ、クラウディともう一匹、
この通りではお馴染の大型犬で、向かいの人が可愛がっている野良犬です。

このとき、初めてわたし達は、クラウディウを我が家の犬として登録する
ことにしました。
かなりの老犬だということで、もう予防接種も不必要だと言われ、翌日、
引き取りに行くことになりました。

翌日、亭主が引き取りに行ったところ、保健所の言うことには、夜のうちに
二匹の犬が入れられていた檻のドアが、何物かによってこじ開けられ、
犬の姿はなし。
してみると、クラウディと一緒に捕まったと言うお向かいのお気に入りのお犬、
いつの間にか、ちゃんと帰っているではないか!そんなバカな!・・・
夜中に保健所に忍び込み、檻のドアをこじ開けたのは一体誰か、一目瞭然。
それならば何ゆえ我がクラウディウも一緒に連れて来なかったのか。
人を恐れる犬でしたから、怖がって自ら逃げたのかも知れません。

その日から、わたし達は幾度も機会を見てはマイア市まで出かけて行き、
保健所のあたりを車でグルグル回っては、クラウディウの姿を目で探しました。
近所の人が、「あの辺りで見かけた、この辺りで見かけた」と言う話を聞いては、
出かけて行き、行方を探したものです。

その年の冬が来て、春が来て、夏が来・・・
いつしかわたし達は諦めてしまいました。
   
フランスの「ラ・フォンテーヌ」の寓話集に「狼と犬の話」があります。
   
骨と皮とに成り果てた狼は肥えた番犬に出会う。犬は狼に言う。
「一緒に来ないか。ずっと楽に暮らせるよ」
狼は一時の幸福を夢見て犬に従うが、ふとその首筋に禿げたあとを見る。
訊ねると、「なに、つながれている首輪のあとさ。」
「つながれて?それではお前は好きなところへ走っても行けないのか?
どんなご馳走ずくめでも、俺はごめんだ」
狼はそう言うなり逃げ去った。


クラウディウの思い出は、すっかり遠い懐かしいものになってしまいましたが、
その最後を思う時、わたしの胸は今でも痛むのです。
しかし、ラ・フォンテーヌの狼の話を思い出し、野垂れ死にもまた、自由で
あったことの代償であろう、と自分の気持ちを少し誤魔化すことにしています。
   
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2006年6月15日

夏が来たと喜んでいたら、日中夜中と、雷を伴った雨が降ったりやんだり。
なんだか定まらない天気です。
う~ん、この調子だと、今週の土曜日の運動会は大丈夫かしら^^;
これまで雨天で中止、なんてことは一度もなかったのですがね。

spacesisさん、運動会なんかやって大丈夫かい、って?
なんちゅうことを!(笑)
とは言うものの、実はここ数年、わたしの役割は赤白組の点数付けですよ(笑)
日光に弱いわたしは、長袖にグラサン、それにツバの広い帽子のいでたちです。

普段3時間以上ぶっ通しで日が照ってる外で何かをするということは、あまり
ありませんから、こういう日は、家へ帰っても体がずっと火照りっぱなし。
やがて始まる偏頭痛、そして、そのままバタンキュー。「亭主、勝手になんか
食べてんかぁ」と、パターンは決まっています。

運動会当日はあんまり動かなくてもいいように、とみなさん気をきかして
くれてるのでしょうが、年寄り扱いせんといてんか@@
動かないどころか、点数つけながらあっちこっち応援し歩き、やれ音楽に
気をつかい、やれちっちゃな子供が危なくないか、やれコースに石っころが
落ちちゃいないかと、結局一人で世話焼いて、勝手にくたびれるのが毎度のこと。

後で言われることが、「あんたが一番ちょこまか走っとった」(笑)
そう言うんなら、ちゃんと自分の組の面倒みておくれ~^^;
はい、大きな声で、赤白の旗もって応援するのもわたしです。

この運動会、どんな競技があるかと言いますと、

1)キャタピラリレー
2)障害物競争
3)親子札取り
4)お菓子取り
5)玉入れ
6)スイカ割り
7)親子二人三脚
8)パン食い(←わたしが一番嫌いな競技^^;エレガントじゃないもん^^;)
9)台車リレ
10)ワールドカップPK戦
11)リレー
12)紅白綱引き

1年生から中学2年まで、生徒全員合わせても15名の学校、赤白に分けると
7人ずつ^^; お菓子取りは幼児だけですから、これを除いた11競技を
ほぼぶっ通し出場です(笑)

スイカ割りの後は、休憩が入りますが、運動会は9時15分から終了12時半。すごいです^^;
午後になると、気温も上がり大分熱くなるので、こういうスケジュールになってしまいます。

始まる前の運動会報告でした(笑)
↓懐かしい過去運動会のひとコマ
運動会1


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2006年6月14日
electrico
★写真はポルトの現役路面電車の内部

2004年9月24日の合格発表日、合否結果にかかわらず、4日後の28日の
日本行き切符を用意していました。

いずれにしろ、妹宅での下宿をひきあげなければならず、日本を知らぬもいける娘
一人ではアパートを探すのを任せるわけには行きません。
「ああああ、往復の旅費、滞在費にかかるこのお金があれば、入学金その他に
廻せるのに」と言う思いはありましたが、考えた末やはり行くことにしたのでした。

合格朗報で意気揚々、いよいよ娘の門出の手伝いです^^
これが反対だったら、どんな気持ちだったでしょうか^^;

そんな時に一度だけ、もいける娘、トンでもないことを口走った。
合格にすっかり気をよくした彼女、
「おっかさん、R大学も見学して気にいってたんだけど受けたらだめかな?」
思わず、「ワセダを蹴ってR大学(私立)に行くアホがどこにおる~~」と言って
しまったことがありました。
これが落ちたのならいざ知らず、受験料のムダ!
これからの出費を考えると、今は一銭たりともムダにできない。
おふざけじゃござんせん(笑)

授業開始は翌年、つまり2005年の4月ですが、帰国生は、合格後ほぼ
一ヶ月後には第一次手続きの振込み、3月後半までには第二手続き振込みをします。

さて、奨学金ですが、入学手続きと同時に学部学生用の「奨学金情報」なる
小冊子を入手しますと、さまざまな奨学金案内が掲載されてあります。

学内給付(返済の必要なし)には、単年給付(1年間)、継続給付(4年間)、
貸与の三種類があり、年間40万~15万程の額です。
授業料はこれをうわまわりますが、それでもこれを受けることができれば、
かなりの支援になるでしょう。
申込者全員が受けられることはありませんが、本当に必要ならば申請してみる
価値はあります。

次は、「日本学生支援機構奨学会」(かつての育英会)。
これを、親が海外在住者の帰国子女も受けることができる とは、この時まで
わたしたちは知らなかったのでした。

この奨学金制度は第一種、第二種に分かれており、第一種は無利子、第二種は
有利子です。 
これは、卒業後170回ほどで返金して行きます。
貸与月額は、第一種の場合、自宅通学(53,000円)と自宅外通学
(63,000円)。
これも授業料には不足ですが、大いなる支援になります。

選定基準には、上記の学内給付同様、高校学習成績と家庭状況の基準の目安が
あります。 また、連帯保証人の必要の有無もあります。
保証人を立てない場合は、毎月の貸与額からいくらか差し引かれるのですが、
娘にはこれをしてもらいました。

奨学金は、学内、日本学生支援あわせて資格があるものは大概申し込みました。
何しろ貧乏親子ですからね^^
無利子の第一種貸与通知を貰ったときは、親としても嬉しかったです。
これで、授業料は少し足せばなんとかなる。

後の生活費は、最初の計画通り、亭主とわたしの仕送り、それにもいける娘の
バイト料で、なんとか賄えそうです。
バイトは週に多くて2回、ギリギリでいいのです。

遊ぶお金をつくるためにバイトにうつつを抜かしては、本末転倒、学業が
おろそかになってしまいますからね。
また、学生の分際でお金を持ちすぎるのもいけません。
親が必死になって辛抱しているときに、片や子がバカスカ浪費していいことは
ないでしょう。
「お金を稼ぐのは決して楽ではない」ということをバイトをすることによって
知るのは、大学や親がなかなか教えられない実社会の勉強になります。

大学が始まる翌年2月まで(2月ころからそろそろ大学関係で忙しくなり
ます。)落ち着いてからバイトをし出したとして、3ヶ月間くらいは毎日
働けますから、経済的に少し余裕ができるかもしれません。

さて、わたしたちズッコケ親子の「帰国子女受験戦記」は、次回のアパート
探しをもって、いよいよフィナーレになります。

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2006年6月12日
cachacol
 ★写真はサッカー応援で見られるポルトガルのcachecol(カシェコル=首巻)
  「AMO-TE PORTUGAL(I love you,Portugal)と書かれています。

毎昼晩、ポルトガルのテレビは始まったばかりのW杯ニュースで大騒ぎです。
民衆のこの歓声、この落胆!
しかし、勝負に勝ち負けはつき物。
実力、チームワーク、そして時の運、それらがうまく噛み合って勝負がつくのでしょう。
ポルトガルもかつて植民地であったW杯初出場のアンゴラとは際どい試合だった
ように思います。
あれが、もう少し延長していたら・・・彼らの体力はすごいと思いましたね。

今日の日本対オーストラリア戦、わたしは映像で見ることができませんでしたが、
午後2時から、パソコンをつけっぱなし、ネット速報に見入っておりました。

第一報はうまい具合にTVで、ひょっとして放映しているところはないか、
とチャンネルを次々と変えていたところ、偶然BBCニュースで「日本一点先行!」
と聴き、ウホ!と喜んだのでした。

残念なことにユーロスポーツはアガシのテニス試合の放映^^;
何度もパソコン画面をレフレッシュしては、試合を見るのでなく、読んだので
ありました(笑)
前半戦先行で先行きよし!と思っていたのですが、後半戦の20分でしょうかね、やられてしまったのは。
あと20分、このまま逃げ切れ!と思っていたのが、リフレッシュすると、あれ!一点!
よし!同点にもって行け!
リフレッシュ。あれ!2点、あああああああ。リフレッシュ。最後の最後で3点~~^^;
ちゅうさんが掲示板で泣いております^^;

しかし、まだ失望することはない。次がある!
デ、次は?と見たら、ガーーーン・・・・
敵はブラジルではないの^^;

しかし、予想外のことが起こるのが、ワールドカップ!
18日も、応援しましょう!
ポルトガルの2回戦は対イラン。17日土曜日の、日本時間は夜10時からです。
こちらの応援も、是非お願いします^^

ネット友のかんちがいさんが、ブログで書いています。
彼女の公的目標は、日本対ポルトガル、夢の決勝戦!
いいわねぇ、と同じ思いに至った後、待てよ、そのとき、わたしはいったい
どちらを応援することになるのか@@

実現遠い話に、そんなことを早くに心配して笑ってしまう、しばし浮世を離れた
夢の一瞬、これもまたワールドカップあってこそです。

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2006年6月11日

今夜8時から、ワールドカップは、いよいよポルトガル一回戦、対するアンゴラです。
日本時間が明け方の4時なのは、とても残念。

昨日、我が職場は午後授業があり、それが終わってから定例の会議でした。
学校の近くにあるいつものカフェが、6月10日「カモインス・ポルトガルの日」
で閉まっており、
仕方なくもう少し足を延ばして、別のカフェに入ってきました。

そこでは大型の液晶TVを2台店内にとりつけており、イギリス、パラグアイ戦を
放映していました。
テレビの下に白い紙に赤字のお知らせが貼り付けられており、
「明日の日曜日、当店は休みません。営業します。夜8時からポルトガル、アンゴラ戦!」
と書いてあるのを見つけたわたし、
「あっはっは、見てみて。さすが、ポルトガルだわねぇ^^」と、みなと笑ったのでした。

家のテレビの前に座って応援するよりも、カフェに集まり、皆でどっと沸いたり
沈んだり、これがサッカーの楽しみ方でもあるのですね。
亭主も時々、そうやってすぐ向かいにあるカフェへ贔屓のチームの試合を見に
行くことがあります。
Força Portugal!(=フォールサ・がんばれ!)

ところで、今日はもうひとつ話題を。

「アンティキテラ・メカニズム」(アンティキテラの歯車とも呼ばれる)と
言うのを聞いたことがあるでしょうか。
わたしはこれを20代のころに、「太古史の謎」という本で写真付きで読んだ
ことがあるのです。
その名は、発見された島の名前が由来ですが、現在この謎の遺物はギリシャ考古学
博物館に所蔵されています。

ギリシャはクレタ島西北にあるアンティキテラ島の海底で、1900年に潜水夫に
よって偶然発見された古代の沈没船の中から出てきた、腐食した塊です。
その錆付いた部分を徐々に取りはがして出てきたものが、なんと、古代ギリシャの
他の物とは似ても似つかぬ、複雑な機械のようなものだったのです。
30以上もの青銅のダイヤルと歯車を備えており、歯車のふちには目盛りや文字が
刻まれています。↓右がアンティキテラの歯車の一部。左はx線で見たもの。
antikythera1


船の中から同時に発見された壺に刻まれた年号から、紀元前65年頃のものとされます。
宇宙考古学者の間では、これはコンピューターではないか、と噂されて来ました。
1960年代、イギリスの科学者、プライス博士は、
「このような発見は、ツタンカーメン王の墓にジェット機を発見するようなものだ。
古代ギリシャ人がその文明の没落寸前に、思索面のみならず、テクノロジー分野
でも現代に非常に近かったと思うと、驚きである」と、述べています。

1959年に「アンティキテラ・メカニズム」は世界最古のコンピューターの残片と
決定され、これは箱に入ったポータブル・タイプライターくらいの大きさと言われます。
これはまさに、現代人のわたしたちが持つノートパソコンではありませんか!

↓下の画像はわたしが持つ「太古史の謎」の中の画像。本そのものが古いので
画像が悪いですがご勘弁を。

antikythera2


さて、ここまでは既にわたしが本で読んで知っていたことではあります。
これがです!
2日前に、ポルトガルテレビ第2放送のニュースをぼけ~っと見ていましたら、
女性キャスターが、その名を口にしたではないか!
そして、画面には見事に復元された「アンティキテラ・歯車」が動く素晴らしい
立体図面の歯車のクルクル動いている映像が!

antikythera3


おおおおお!
英国、カディフ大学とギリシャの大学の研究チームが共同でX線テクノロジーを
駆使し、まだ研究の余地はあるが、ついにおおまかな復元図作成に成功したようです。

では、これはいったい何に使われるコンピューターなのか?
天体観測、もしくは予測できる機械だと言われます。

して見ると、天体観測、予測の太古の遺跡物は世界のあちこちで見受けることが
できます。イギリスのストーン・ヘンジ、ピラミッド、5月3日の
我が日記でも
書いたマヤのカレンダー、アメリカインディアンのポポル族のカレンダー等等、
古代の人々は現代人のわたし達以上に宇宙に興味を持ち、天体の動きを通じて
未来を読もうとしたのでしょうか。

46億年の地球の歴史も、広大な宇宙の時間に比べると、一瞬なのであろう。
天体の動きに左右されるその一瞬を守るために、わたしたちの祖先は古代から延々と、
どのようにして手に入れたか謎ではあるその知識を使って天体を観測、予測して
きたのであろうか。

わたしは常々思います。
過去を知ることは未来を知ることである。
人類の過去は多くの謎に包まれているが、その謎を解くことは、未来の危険を
予測する鍵になるのかも知れないと。

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2006年6月9日
fureishu


先週土曜日の結婚式に続き、水曜日の宮殿での夕食会、週に2度、こういう
お付き合いがあると、さすが疲れます。
写真をアップするのが、今日になってしまいました。
下でご案内していますので、どぞ。

国内の学会かと思っていましたら、東京からも若いお医者さんが2人、お見えに
なっていました。
ポルトや宮殿の説明を詳しくしていましたら、「ガイドもなさってるんですか?」と(笑)
当たらずとも遠からず、です。こうしてネットでポルトを紹介していますからね^^

8時半からのガーデンパーティーから夕食に入るスケジュール。
ポルトガルのことです、時間通りに始まることはめったになく、いつもですと、
わたしたちもそれにあわせて遅く到着するようにして行くのですが、今回は内部を
見学できるめったにないチャンス!
亭主を急かせて8時半前に入りました。

Palacio do Freixoは、個人のものだったのをポルト市が買い取り、そのまま放置して
おいたのでしょう、荒れ放題になっていたようです。
確認しないといけないのですが、噂では大企業がすでにポルト市から譲り受け、
どうやらポザーダ(昔の宮殿やお城などを宿泊施設にしたもの。)にするとのこと。
現在大修繕に取り組んでいます。
その日も、美術家たちが宮殿のあちこちで天井画や壁画の修繕をしていました。
夏場のその時間は、まだ日が照っていますから。

「鏡の間」でわたしたちは食事をしたのですが、その広間のほかに、いったい
何室部屋があるのでしょう、多くはまだまだ修復中です。

宮殿のバルコニー、パテオはドウロ川に面して、その眺めは素晴らしい!
外見からだと、いったいどこが入り口になるのかと迷うような、人目につかない
ところにひっそりとたたずんでいる、フレイシュ宮殿。

個人的には、ポザーダなどにせず国宝として運営し、一般公開して欲しいと
思うのですが。
(ポザーダにすると、宿泊費が高いため、一般の人にお目見えするのは難しい)
ポルト市は財政難とのこと^^;(あっちこっち、反対押し切って勝手に
穴掘っては、にっちもさっちも行かなくなり、また埋めたりして、メトロは
しっかりつくってるやん~wその予算、こういう方面に回せないの?)

多くのナゾニの建築物がそうであるのですが、荒れ放題にしておくより、
ましなのかもしれません。

着いたテーブルでも話題に上ったナゾニの建築物ですが、こんなアイデアは
どうでしょう?

スペインのカタル二ア地方、バルセロナには、スペインが生み出した世界に名を
馳せる建築家「ガウディ」がいます。
独特なデザインを施しており、バルセロナにあって100年経って未だに完成を
見ていない「サグラーダ・ファミリア」教会(聖家族教会)、グエル公園、
その他街の中にも彼の建築作品はあちこちで見かけることができます。

家族旅行で一週間ほど滞在したことがある、バルセロナ。ガウディの作品を
わたしたちは追って歩いたのでした。

で、アイデアですが、「ポルトガルのガウディ・ナゾニ」はどうよ?

これで観光客を呼び込めるのはないかと、わたしは思うのですが。
ポルトに
住む一般人に「二コラウ・ナゾニ」の名が、案外知られていないのは
とても残念です。
ポルトを代表する「クレリゴスの塔」「セ大寺院」、あれの作者よ!と言わ
なければならない。

建築についてはさっぱり無学なわたしですが、子供のころから天に突き出る塔や
高層ビルには、恐れを抱いてきました。
エレベーターに乗るのも正直言って、決して好きではない。
今自分が住んでいるフラットも、そういう考えで、買うならエレベーターを
使わなくてすむ2階かせいぜい3階と思って探し、現在の2階に落ち着いたのでした。

そう考えるわたしにとって、ナゾニの建築物は、石畳のポルトにいかにも
似合っており、放ったらかしにされている数々の作品を修繕して、甦らせては
くれないかと、夢見ているのです。

★フレイシュ宮殿を見たい方はこちらの方までどぞ^^

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2006年6月7日
palaciofreixo
★写真は入れなくてチビのわたしが背伸びして撮った外部から宮殿

アレルギーの薬を数日前から飲んでいるのですが、日中眠くなってどうもいけません。
午前午後と日本語レッスンがある日は、睡魔との闘いです^^;

亭主に言いましたら、夜寝る前に飲みなさい、とのこと。
夕べはそうしたのですが、これがまぁ、エライコことに!
わずかな音でも目が覚めるわたしですが熟睡しました。
しかし、朝起きても眠いのなんのって!

午前中のレッスンが終わるや、睡魔に負け、とうとうグースか四匹の猫たちと共に
寝てしまいました。
「これはいかんなぁ~、7時からの日本語、あるぞ・・」との気持ちで寝ているもので、
白昼夢状態です。

突然電話が鳴り、ガバと起き上がり応答しましたら、亭主から。
「今日の夕食会、Palacio de Freixoでだけど、一緒に行く?」
(亭主、今週は学会出席)
「パ、パラスィオ・ドゥ・フレイシュ!行く行く!」

記憶にある方、いらっしゃるでしょうか。

イタリア人建築家、ナゾニの造った宮殿の一つなのですが、亭主と2人探し回り、
やっと見つけたところが一般公開されておらず、ガッカリして帰ってきた
という建物。
日本語の我が生徒であり、長年の友でもあるマリアさんのおじいさんがその宮殿の
かつての持主であり、母上さまがそこで育ったという奇遇な話を、彼女から
直接聞いたのはその直後でした。

なんとかして中を見て見たいが、日本人学校としてポルト市に見学申請でも
出さないと無理であろうかと、思案しながらいつの間にか、学校の方にも話を
切り出すのを忘れてしまっていました。

今晩はそこで夕食会とのこと。
めったに訪れないチャンスです!早速、今日の日本語は明日に変更の連絡を
入れ、行くことにしました。

興奮冷めやらず、シャワーを浴びたら、さっきまでの眠気はまるで嘘のよう(笑)
ドウロ川沿いにあるプチ宮殿です、天気のいい本日、夏時間で9時くらいまでは
日が落ちませんから、きっと素晴らしい眺めでしょう。

宮殿の中、見て参りますよ!

ではでは^^

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2006年6月6日
gonta 
★写真は我が家の4匹猫の一匹、ゴン太君   

本日の帰国子女物語は、二つのわたしの日記になります^^

2004年9月24日(合格発表日)
朗報です。
BBSにも一言書きましたが、もいける娘、早稲田大学教育学部に無事合格
との電話が、こちら時間の朝5時に入りました。

受話器を置くなり、亭主が寝こけている寝室へ行き、「やったーー!」と思わず
大声で叫んでしまったのでした。

「朝7時くらいまでは落入関係なしに、電話を入れるな。
その後どちらにしても寝付けなくなるから」なんて言いながら、実は本日の発表の
結果が気になって一晩寝返りをうっては悶々とし、ほとんど一睡もしていないので
ありました。^^;

本人は入った気でいたみたいだが、こう言うことは結果が出てみなければわか
らない。落ちていたらなんと慰めようか・・・
しかし、経済面では楽なのだが・・・

いやいや、待てよ。
やはり、できるものなら一発で合格して欲しい。
うん、きっと通ってるぞ。
今頃は小躍りして喜んでいる頃かも知れない。
電話が入るまであと何時間あるのだ?
もうとっくに合否結果が出てるはずなのに。
合格やったらすぐにでも電話くれたらええのに・・・

やっぱりアカンかったのかな・・・
ガックリ肩を落としてしょげている姿まで目に浮かんできては、それを
追い払い追い払い(爆)
われながらちぐはぐなことを考えて、何度も寝返りをうっていたのでした。(笑)

うむ、これで堂々と「英語圏外の国で生まれ育った帰国子女大学合格までの
親子珍受験戦争」なんての、書けるかも~~(笑)
いや、ほんま、やりますよん。少なくともわがホームページでは!(笑)
(ほんまにやってますのよ、今。笑)

もいける、合格ほんとうにおめでとう。
これから帰国子女の底力を発揮して大いにやってください。

約束の合格祝いの自転車、買ってあげるから待っといてねん^^
ん?「転」じゃなくて「動」の間違いじゃないのか?
あはははは。今回は誤字ではありませんぞ。
しっかり間違いなく、「自転車」が約束の品なのだ。

あぁぁぁぁ、飛んでいく~~飛んでいく~~。
なにがって?

決まってますわよ、あれですよ、あれ。うちに足りないものです~(爆)

2004年9月26日

帰国子女枠大学受験は、夏が私立大学受験期で、国立大学受験の
2月くらいまで続きます。

10年くらい前までは、帰国子女はブーム(笑)もあって、比較的大学に受け
入れられやすく、主に英語と面接で入学決定されていたのですが、ここ数年は
その仕様が変わってしまいました。
帰国子女がたいして珍しくなくなったのです。
国語Ⅰ、Ⅱ、英語(エッセイも含む)、日本語での小論文が受験科目、そして
大学によっては面接が加えられます。
これでわかるように、帰国子女とはいえ、受験は結果的にはやはり学力が
ものを言う、ということになります。

国語Ⅰ、Ⅱと言えば、古典は入らないものの、日本の高校卒業程度の
国語力が要求されます。
国語力を試されるのがもうひとつ、日本語での小論文です。
出される課題がなにかは、当然その場になってみなければわからない
わけで、ただ単に、海外での生活体験を書くことではなく、時事、政治、教育に
いたるまで、体験を通しての確固たる自分の意見が求められます。

これは海外に滞在する子どもたちにとっては、普段からの大変な努力が
要求されるわけです。

海外での成績、そして、その国における大学入学資格になる統一試験も
審査に入ります。
日本語も日本の高校生並みの能力を求められ、海外での成績も見られる
のですから、端が、
「ええやん、帰国子女って楽に入れるし」という見方は、
今では大きな間違いだと、わたしも今回知らされました。

わたしたちの体験は、これからの、もいけると似たような環境の帰国子女
たちにとって(外国で生まれ育って、企業関係の帰国子女とはいろいろ
違った問題を抱えます)、なんらかの情報になると思いますので、いずれ、
もう少し落ち着いてから、シリーズとしてとりあげてみたいと思っています。

もいけるは、ポルトガルの高校から日本の大学入学を果たした、恐らく初めての
帰国子女でしょう。
巨人の星ならず、地上の星ならず、「ポルトの星」だ~~~と言われてます。
(爆笑)

ゆ~けゆ~け、も~いける~~~、ドンとゆ~け~(笑)

これからが大変ですわ・・・

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2006年6月5日
peto

  ★写真は我が家の黒猫ペト君
昭和30年代に流行った歌謡曲です。
わたしはまだ小学生のころでしたから、若い人は知らないでしょう。

あの頃の歌は、今のように次から次へと新曲が出る時代ではなく、一曲流行ると、
息が長かった。
それゆえ、小学生の子供だったわたしでも、いつの間にやら覚えてしまうのです。

♪あんた、泣いてんのね(ここはセリフ) 
 だから~云ったじゃないのぉ、港のぉおお
 さぁか場へ 飲みぃにぃ 来ぅぅる~


2番は?と聞かれると、うろ覚えになるが、1番目の歌詞は間違うことなく、
しっかり記憶に残っている。

松山恵子さんという歌手が歌った歌です。
わたしは、ファンでもないのに、この人の歌った他の数曲、「未練の波止場」
「お別れ公衆電話」そして、「バックナンバー1050」を今でも、一番だけは
ソラで歌うことができる。

小学生にとっては、近づきがたい歌の歌詞、大人の世界の匂いをムンムンさせる
女の哀しみを歌っています。
歌謡曲の歌詞は古来日本の七五調からなっているので、覚えやすい言葉の
リズムもあり、この辺りからも自分の詩作や作文の基礎は培われているかも知れません。

後年、歌謡曲演歌からは、俄然離れてしまい、わたしは洋曲に遥かな魅力を感じ、
普段は
思い出すことすらなかったこんな古い歌謡曲をつい先だって耳にしました。
すると、不思議なことに、あらまあらま、全部覚えているのでした、歌詞を。

日本の衛星放送を入れていないわたしは、ここ数年はテレビの番組の録画を、
もう人に頼むのも辞めてしまったのですが、たまに衛星放送が入っている友人が
ビデオに撮って回してくれることがあります。
その中に入っていたのがこの「松山恵子、さよならコンサート」と言うNHKの
追悼番組でした。

そうしてみたら、先ごろweb新聞の訃報欄で名前を見かけたのを思い出しました。
今回のビデオを見て知ったのですが、第一線は遥かに退いたけれども、デビュー以来
50年間、歌い続けてきたようです。

わたしが見た番組のしばらく後に69歳でなくなられたそうです。
腎臓癌と
闘っていたようで、コンサート中、舞台ではほとんど移動せず、そのまま
10数曲を歌い続けました。

なにかひとつを、一生一筋に続けるというのは、並大抵なプロ根性ではないな、とファンでも
ないわたしですが、それを見て思いました。

自分の一生一筋に、と言うものはなんであろうか、ということに思いを致せば、
才能もないわたしではありますが、強いて言えば、子育てでしょうか。
子はいくつになっても親の身からすれば子供と言います。

自分の親としての意識がちゃんとしている間は、それが自分の一生一筋のこと。
プロ根性と言うには程遠いかも知れないが、恐らくこれであろう、とお恵ちゃんの
最後の番組をみて、そう思ったのでした。


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2006年6月4日

子供の頃は、究極の内弁慶であった。

ご近所では、女だてらに男の子達を従えてのガキ大将、親分であったのに、学校に行くとからきしダメなのだ。毎学期ごとの通信簿には、良くもない成績に加えて、「今学期も一度も挙手がありませんでした。」とか、「発言が一回も行われませんでした。」と、ずっと毎年書かれて来た。だから、悪さをして親が先生に呼ばれる、などと言うことは学校ではなかったのである。

小学校5、6年の頃であろう。わたしは生まれて初めて学校の小さな図書室に入り、一冊の本を借りた。
それまで、本らしき本は、手にしたことがない。当時は「なかよし」「少女」「少女クラブ」などの少女向けの月刊雑誌があったが、
それらのどれか一冊を手にするのは年に一度のお正月であった。

朝、目が覚めると、わたしと妹の枕元にお正月特別号として、いっぱいの付録でパンパンに膨らんだ一冊の少女雑誌がお正月のお年玉代わりとして置いてあるのだ。それは本当に待ち遠しく、嬉しいものだった。その一冊は、完全に自分の物だったから。

さて、わたしが初めて手にしたその本には、「シャーロック・ホームズ:まだらの紐」とあった。なぜ、自分がそれを選んだのか今では覚えていない。しかし、それが以後のわたしを読書に駆り立てることとなった始まりの、挿絵はところどころにありはしたが、活字がぎっしり詰まった、いわゆる「本」なのであった。

一発で推理小説の面白さに引き込まれ、わたしは瞬く間に図書室にあるホームズ・シリーズを読破してしまった。

次に向かったのがモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン:奇巌城」。これには参った!泥棒とは言えども、エレガントで世界中を股に掛け恋をし、大金持ちからしか盗まないルパンが実にカッコよいのである。(と、当事は思った)

「怪盗紳士ルパン」「ルパンの冒険」「ルパンの告白」「ルパン対ホームズ」と次々と読み漁り、すっかり虜になってしまい、寝ても冷めてもヨン様ならぬ、ルパン様である。そして、シャーロック・ホームズよりも「怪盗ルパン」の方にわたしはより魅力を感じたのだった。 布団の中で、夜寝付くまで想像を膨らまし、夢の中ではわたしはルパンになった。

そんなある日、クラスで綴り方、つまり作文の宿題が出た。作文を書き、それを各自がクラスで読んで発表するのである。
迷うことなどあろうか、わたしは自分が夢中になっていた、「怪盗アルセーヌ・ルパン」について書いたのである。

内弁慶だったわたしは、発表の自分の順番が回ってくるのにドキドキしながら、その反面、ルパンについて、皆に話したくてたまらなかったのだ。これは、究極の内弁慶にしては、生まれて初めて持った鮮やかな積極的な気持ち、興奮であった。胸の高鳴りを感ながらじ、大きな声で読み上げ、最後をわたしの作文はこう結んだ。

「わたしも大人になったら、ルパンのように世界中に手下を持つ大泥棒になりたい。それがわたしの夢です。」

数日後、母は先生に呼ばれた。「泥棒になりたいというのが夢。ましてや女の子がとんでもない。」と、当の本人ではなく、母が説教をくらって来たのである。母はわたしを叱りはしなかった。

大人になったわたしは世界を股に掛けるとまではいかないが、一般の日本人の人生軌道を逸して、海の向こうはアフリカ大陸というイベリア半島にひっついている国、ポルトガルに定住することになったのだが、これは幼い頃の夢のかけらだと思っている。

ここにはあの頃の究極の内弁慶の少女の姿はもうない。日本とポルトガルを股に掛けてる間に、あのころの内弁慶だった少女は、
人前で自分の思うところを言えるほどに、逞しい変貌をとげたのである。

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2006年6月2日
ajisai
★写真は我が家のベランダの鉢植え紫陽花

明日は午前中の仕事の後、少し離れたVila de Condeという小さな町でかつての
我が教え子の結婚式があります。

昨年の今頃、周囲のわたしたちからすると、突然逝ってしまった友人の娘さんです。
友の死には、あまりに突然でただただ呆然としてしまったのを覚えています。
数年前わたしは母を亡くしていますが、ポルトで20年来の付き合いのその
友の死は、母を亡くした時よりももっと、人の命の儚さを知らせてくれました。

その娘さんは、小学3年で両親とともにポルトに来、ポルトガルの小中高を終え、
ポルトの美術大学を出ました。
彼女が初めてきた小3の時に、以後ずっと今まで、毎週土曜日のわたしの職場に
なった補習校なるものが発足したのです。

以来わたしは彼女が小学部を卒業するまで持ちました。
家族で行き来したりもしましたから、わたしの二人の子供達も知っています。
彼女の属したクラスは、開校から2、3年もすると一人だったのが男子2人
女子3人の5人になり、わたしの講師生活で、最も記憶に残るクラスです。
毎週土曜日が本当に楽しかった。

わたしも、授業の仕方がまだまだ定着しなくて、いろいろなアイディアを
実践してはつぶし、また実践してはつぶした時代です。
我が補習校ではこれまでの歴史の中で一番大きなクラスでした。

これにもう一つ上のクラスが入り、複式授業という7人の合同クラスになります。
つまり、1時間半ぶっとおしの授業ですが、この90分間で、同時に二つの違った
クラスを見るのです。

国語算数が科目ですが、カリキュラムは日本の学校と同じ。
日本では一週間で終えるところを、わたしたちは1時間半で、学ぶのです。
どの子も漢字習得にはひぃひぃ言います。
しかし、容赦はない!(笑)

でも、いつも笑い声の絶えないクラスでした。
もいける娘をわたしが持つことはできませんでしたが、彼女がよく言ったものです。
「おかあさんのクラス、いいな。いっつも楽しそうで」・・・
今でも笑い声は絶えないけれど^^
なに、時々わたしがアホな失敗をしでかすことがあるのです。

影絵を初めて手がけたのも、この子達と一緒の時でした。
最初はひどいデキでしたね(笑)
「宇宙人のおみやげ」と言う題でした。それでも、
フィナーレでは、影絵でドラえもん、のびた、スネオ、ジャイアン、しずかちゃん、
それに加えて、各自が自分の絵を書き、ついでにわたしも入れてくれて、
我がクラスが一列に並んだ影絵を出して幕を閉じる、白黒の単純な影絵でした。
練習はわたしのボロい家で、BGMもわたしのヘタクソな卓上電子ピアノ(笑)

こんな懐かしい共通の思い出を持っている彼女が明日、いよいよ結婚。
お相手はポルトガル男性です。

数日前、偶然にも、一時期このクラスにいた同窓生の一人から、12年ぶりに
連絡が入り、なんだかとても心嬉しい、懐かしい思いです。

月日が流れるのは時に哀しみを誘うのですが、こんな再会があることを思うと、
歳とるのもええな^^と、思えたのでした。

そして、今日生きたこと、今この瞬間生きていることに喜びを感じて。
明日は行って参ります。


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2006年6月1日

国旗

ドーンと大きく、今日はポルトガル国旗をご紹介。

ポルトガル語で国旗はBandeira(=バンデイラ)と言います。
現在掲げられるこの国旗は、ポルトガルが王政から共和国になった後の、
1911年6月に制定されました。

濃い緑と赤の比率は緑が五分の二、赤が残り五分の三を占めます。
赤は、ポルトガル民族に流れる血、勇気、頑張り、喜びを表し、緑は海と
希望の色、また、戦いに於いてポルトガルに勝利を与えた栄誉ある色として
選ばれました。

中央にあるのは、ドン・マヌエル一世がポルトガルの大航海時代の象徴として
選んだ地球儀を据えてあります。
真ん中の五つの盾はポルトガル国の紋章で、これを「quinas(キーナス)」
と呼びます。
ポルトガルサッカーチームの名前「equipa das quinas(キーナスチーム)」は、
これから来ます。

背景の白は平和を、五つの青い盾は、ドン・アフォンソ・エンリッケによる
オーリッケでの戦いの戦果、五人のムーア人(アラブ人)王を表します。
(註:イベリア半島の大半はアラブ人によって占領されていた)
   
盾に中の五つの白い星は、この戦いに勝利するためにドン・アフォンソ・
エンリッケを加護するキリストの五つの苦痛(十字架刑に処せられた時に
受けた五箇所の傷)を表します。

キーナスの周りの七つの黄色いcastelo=城は、ドン・アフォンソ三世によって、
アラブ人から取り戻された七つの城を意味します。

ポルトガル国旗には、遠い昔のイスラム教徒から国土を奪回
(reconquista=レコンキスタ)し、世界に誇る華やかな大航海時代の栄華を
経て、王政から共和国成立という広大な歴史を垣間見ることができます。
   
いずこの国もそうであるように、ポルトガルもこれらの歴史はきれいごとで
あるはずはなく、共和国になった時点で王家の紋章であるquinas,盾など取り
払ってしまうこともできたことでしょう。
しかし、それをしなかったところに、ポルトガル人の懐の大きさをわたしは感じます。

一国の歴史は、遥か古代からの積上げがあり延々と鎖のように繋がっているのです。
民族はそれらの歴史を、例え悪事を働いたからとても否定はできず、受け
入れて行くべきではないかとわたしは思います。
国が犯した過ちがあるとすれば、それは民族も同罪です。指導者がそうした
んだから、俺ら一般人は仕方なく従ったのだ、被害者だ、では済まないでしょう。
   
国旗を変え、国歌を変えたところで、それらの歴史が帳消しになることは
あり得ません。
国の歴史を厳かに受け止め、未来に進んで行くべきだと言うのが、国旗国歌に
対するわたしの考えです。

海外にいると、自分の国、「日本」に対して国内に住んでいた時以上に、
熱い思いをわたしは抱きます。
2006年のドイツワールドカップ、もうすぐ開催です。
日の丸の国旗が掲げられ、君が代が堂々と会場に流れる晴れの舞台、
日本チームもポルトガルチームも健闘せよ!
   
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