2007年10月27日

明日、日曜日から11月1日木曜日の5日間、パリまで行ってきます。
日記はそれまでお休みです。

その間、興味のある方はわたしの別サイト、下記まで立ち寄って
いただけたら嬉しいです。

★ポルトガル・ロマン(ポルトやポルトガルを写真で案内しています。
 またポルトガルに関するエッセイ集もあります)→ポルトガル・ロマン

spacesisのホームページ
 (昭和時代、アメリカ留学、ビアハウス歌姫時代などの思い出話が
  詰まったホームページです。

パリまでは飛行機で2時間の距離、たいしたことがないとは言え、外国です。
明朝5時空港集合^^; 
ではでは、みなさま、行ってまいります。

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2007年10月26日
seraruvesu obuje
★セラルヴェス公園にある奇抜なオブジェ。世界的にその名を
 知られるポップアート作家、クレス・オルデンバーグと制作
 パートナーの妻コーシェ・ファン・ブリュッゲン(Claes Oldenburg
 &Coosje van Bruggen)の作品。


リスボンに住み、(ヘンチクリンなw)音楽作曲をしたいからと言って、
定職に着いていない我が息子、非常勤英語教師とwebデザインを請け
負ってのカチカチの生活をしている。
外食は高くつくからと、ほとんど自炊である。時々気になるので、お金
は足りてるのかと聞くのだが、送金頼むなどの言葉はよほどのことで
ない限り、息子の口からは出ない。

娘同様、息子も時々、言葉を教える時のコツのようなものを聞いてくる。
「生徒が疲れてるみたいで授業にのってこない」「自分が日本語を
理解できるので日本人生徒はついつい日本語を求めがちだ」
などなどだ。

人に教えるということは、マニュアルどおりにすればいいというもの
ではない。
資格があっても豊かな経験がないといい授業は難しいのである。
息子も娘もその点では先生、1年生だ。
大切なことは、どうしたら生徒が学んでくれるかと色々工夫する熱心
さを持ち続けることだとわたしは思っている。
その情熱がやがて自分独特の授業を編み出すことになる。
もちろん、基本指導を元にしての上である。
わたしも今日自分なりの教授法ができるまでは、使ってみてはボツに
したアイディアがどれほどあるか知れない。
息子よ、娘よ、もがきながら常に前進したまえ。

さて、その息子、昨日電話で話していて、新発見したことがあった。

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2007年10月24日

東京のW大学から九州のとある市立大学に3年でコース変更、編入し
たモイケル娘の話です。

4月の話で、編入時に持ち込んだW大学の単位のうち、認定単位が
たったの24と言われたのを、これじゃ、どんなに頑張っても残りの
2年で卒業できない、あたってくだけろ!と学部長に時期談判。
40単位にしてもらったのだそうですが、更にTOEIC(Test of English
for Inter-national Communidation)の得点次第で数単位免除され
るとのこと。

それ!と、3週間ほど前に受験したのですが、先日95%正解の結果が
出て4単位ゲット!
いいなぁ、こうやって挑戦できるってことは^^
おっかさんも頑張らなくっちゃ!

さて、そのモイケル娘、この10月からバイトで小学生の英語個人教
授をし始めた。子どもに外国語を教えるのは並大抵ではない。
わたしも時々日本語を子どもに、との話が入ってくるのだが、断って
いる。何しろ、文法から入るわけにはいかず、手間隙かかるのであ
る。それに、子供用の日本語テキストもいいのがない。
子どもに外国語を教えるのは簡単だと思われがちだが、それはとん
でもな勘違いなのである。


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2007年10月23日

さて、沈んでいても仕方がない。
昨日はリベイラ対岸のカイス・ドゥ・ガイアにあるワインセラーに入って
来ました。これまでにも2度程入ったことはあるのですが、今回は女性
ガイドさんの英語の説明が分かりやすくて新しい知識も得てきました。

ドウロ河岸に建ち並たくさんのポルトワインセラーの中でも、一番ポピュ
ラーなのは黒いマントとハットのドンのシルエットで名高い「サンデマン」
でしょう。
サンデマン・シルエット

画像が小さくて見にくいのですがこのシルエットのサンデマン・ドンが
右手に持つのは、ルビー色のグラスです。
ポルトワイン、もしくはシェリー酒を表しています。

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2007年10月21日

ポルトにいる日本人が多少増えた今は、どこにどういう人が住んでいる
のか、とんと分からなくなってしまったのだが、ここに住む中で一番古い
日本人であるわたしは、10年ほど前までは小さな日本人社会、こう
こうこういう人がどこどこに住んでいるとの話は聞くとはなしに入って
きて、大概の人達とはどこかで顔をあわせていたものである。

ポルトに日本企業が進出してきた1980年代も後半の子育て真っ最中
は、子供達の年齢も近いことがあり、ポルトに滞在する人たちとは、
家族ぐるみの付き合いをした人たちも幾人かいる。
そういう人たちとは、彼らの帰国後もしばらくは手紙やメールで互いの
近況を知らせ合うのだが、何せ忙しい日本の生活、やがていつの間に
か音信も途絶え、引越しなどしたら最後、そのままになってしまうこと
が多い。

そういう家族の中に、夫が常々「いいファミリーだったね。」
という一家族がいる。
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2007年10月18日
辻音楽師
★ダウンタウンの裏町、辻音楽師

今年の夏休みを返上して、丸一ヶ月9時から6時までTEFL(テフル=
Teaching English asa Foreign Lauguage=外国人に英語を教える
教授法)コースをとり、英語教師免除をとった息子が、この2週間、リス
ボンのとある語学学校で英語の特別個人教授をしている。

生徒は日本からやってきている30代の女性だそうで、教本には書か
れていない教授法のコツのようなものがあるので、そのツボを少しでも
押さえておくと、授業は少しいいものになると、息子にあれやこれや
メッセで話しながらアドバイスしている。

先日、彼が再び日本語を勉強するきっかけに或いはなるかもしれない
と思い、外国人のための日本語教本英語版をコピーして息子に送った。
この教本は、英語を教えるのにも意外と役立つと思ったのだ。


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2007年10月17日

せっかくパリへ行くのだ、まだ10日ほどある。
通じるかどうかは別にして二言三言のフランス語でも、使ってみよう
ではないか!
日本語教室も週末職場も通常通りで、たいして勉強する時間はない
が、今回はspacesis力んでいます(笑)

これには訳がある。
パリにはこれまで二度足を踏み入れている。一度目は今から30数
年前の20代に、当時勤めていた会社を一ヶ月の休暇をとりケンブリ
ッジに語学留学していた時に週末を利用して訪れた。
(この時のエピソードは後日披露)

もう一度は、日本での2年の留学を終えて一足先にポルトガルに帰
国していた夫の下へ、彼の日本人友人と二人、新妻としてポルトに
向かっていた時に途中立ち寄ったパリである。

二度ともわたしは通関するときに、これまた二度とも意地悪な黒人
検査官に荷物を開けさせられ、どうでもいいような中身のひとつひと
つを手で摘まんでは検査され、傍で見ていた他のツーリストたちに
気の毒そうな目を向けられたのである。
あれは間違いなく偏見であったと確信している。

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2007年10月15日

この一週間、夫が例年の国際会議出席でカナダに行っており、事故
などに意外と臆病なわたしは、極力車での外出を避けてきた。
車がないとバスでの外出になり、これはなんだかんだと時刻通りには
いかないもの、結局家で過ごす時間が多くなるのである。

月曜日はたいていポルトの街をほっつき歩くのだが、先々週は調べもの
があってできなかった。
2週間も旧市街に出ないとなると、なんだか出たくてうずうずして来る。

昨夕やっと夫が帰宅した。もう何かあっても大丈夫だ!w
ということで、今朝はいつもより早い時間にさっそうと街へ繰り出した。
ここ数日、ポルトガル語で下調べをしてきた「クレリゴス教会」を目指し
たのである。

我が思い人(笑)、トスカーナ出身でポルトに骨を埋めた18世紀のイタ
リア建築家、ニコラウ・ナゾニが、クレリゴス教会に眠っていることが、
最近のネット検索で分かったのだ。
よし!とメトロに乗り、アリアードス市庁舎大通りを右に折れて、真正面
に見えるクレリゴス教会目指して、ゆるい坂道をせかせか上って行った。

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2007年10月14日
2007年10月の夕焼け

★2007年10月の夕焼け

秋、山菜採りの季節になりました。この時期になると決まって思い出す
ことがあります。
それで、今日は古いエッセイを引っ張りだして来ました。以前読んだ
ことのある方はスルーしてください。以下。


大正14年生まれだった母は9人兄弟であった。

その長兄は太平洋戦争で若くして死んだと聞くから、戦後生まれの
わたしは知らない。
母を筆頭に8人兄弟となり、7人がわたしの叔父叔母になる。
わたしと妹は、このうち二人を除いた5人の叔父叔母と一緒に、祖母が
構える弘前下町の大所帯で、幼い頃を共に暮らしたのである。

母のすぐ下の叔父は当時すでに結婚していて独立、そして、女姉妹で
一番若い叔母が東京に出ていて結婚も間もなかったころであろう。

昭和も20年代の頃、日本の地方は貧しく、母は食い扶持稼ぎに、なに
かとその日の小さな仕事を見つけては家を空けることが多く、留守を
守る祖母が母代わりでもあった。わたしは祖母の初孫にあたるのだ。

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2007年10月12日

日本で勉強している我がモイケル娘、今週から小学生の英語家庭教師
をすると言う。それで、目下絵カードを作っているのだそうな。
「大変だぁ」と言いながらも、久しぶりのお絵かきを案外楽しんでいるの
ではないかなと思っている。

以前も日記に書いたことがあるが、我が家では子供達の絵作品や日本
語の作文はたいがい残してある。作文はともかくとして、絵作品は折り
こんでしまうのももったいない気がする。
それでかなり大きなアートホルダーに保管してある。が、膨んで場所を
取ることから、デジカメ撮影し保存することにしたのである。

ポルトガルは画材が目の玉が飛び出るほど高価で、スケッチブック、
クレヨン、絵の具、鉛筆など殆どは帰国時を利用して日本から持ち込ん
だものだ。

子供達が小さい頃は、傍の迷惑を考えて家族でレストランへ行くことは
極力控えたものだが、それでも、時には食事作りの手抜きをしたいわた
し、たまにはやはり外食に出かけた。
子どもが赤ん坊のうちはなんとかなるのだが、ヨチヨチ歩き出し始めると
食事が終わるまでテーブルに就かせておくのが、ひと苦労なのである。
昨今は、子どもが席を立ってレストラン内をうろつくのを許している親を
よく見かける。自分達も食事を楽しみたいとの気持ちはわかるが、夫も
わたしもそれに賛成しない。
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2007年10月9日

お!今日はフランス語じゃん(笑)
spacesisさん、再来週からパリへ行くからって、フランス語にせっせと
取り組んでるのって?
い、いや、そんなスーッとは行きませんですよ(笑)

今日もメッセンジャーでモイケル娘に
「フランス語、とても間に合わない」と話したら、
「おっかさん、コマンタレブ~(=ご機嫌いかが?=コンニチハ?多分)」と
「ビエン・メルスィ(=はい、元気です。ありがとさん)だけで行け。」
って(爆)
モイケル娘の方が、小学校で少し勉強したのでまだいくらかできます^^;

昔、ポルトのリベイラにある土産物店で買い物をしていたら、フランス語
で二人の年輩女性観光客に話しかけられ(フランス語と分かったところ
がエライでしょ?笑)、わたしが手に持っていたものを指差して言うもの
で、これをどこで買ったか?と聞いているのは分かりましたんですが、
その時のわたしの返事、我ながらこれがスゴカッタ!

ポルトガル語もフランス語もラテン語が語源、通じるだろと、
「ノン・ファ~レ・フランセ(ちょっと最後がしり上がりw)」と
フランス風に発音してみた(爆)
ご婦人方は目を白黒させておりましたが、わたくし、
「なんだ、フランス語を話そうと努めてるのに理解する気がなけりゃ、
わからんぞ」くらいの強気で二度リピート(爆)

夕食時にその日の出来事をモイケル娘と夫に披露したら、

娘「おっかさん、それ、なんでんねん@@全くなるポルトガルじゃん。
  falarはフランス語ではparler! je ne parle francais(cの下に
  ニョロの記号がつく)だよ^^;(間違ってないかな、フランス語w)

道理で通じないはずだった(爆)夫はニタリとしておりましたです。
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2007年10月8日
リベイラ近辺の家
         ★十字架のある家
せっせとブログやホームページを更新しているのに、何を隠そう、
わたしはさっぱりなPC音痴なのである。
これでよくもまぁ、画像などのアップもできてるものだと我ながらあっ
ぱれと思う^^;

夫が暫らく前に仕事用としてノートパソコンVISTAを購入した。
それと同時に、このところわたしがほぼ専用に使っているデスクトッ
プ、どうも不安定で調子がよくない。昔からの知り合いであるパソコ
ン専門家、セニョール・マイア・ロペス氏に夫がかくかくしかじかと
電話でPCの状況を説明したら(リアルタイムクロックが遅れる)それ
は電池だというので、本日午後に、マイア氏は我が家にやってきた。

電池交換と同時に、夫のノートパソコンをワイアレスで使用できるた
めの設置も兼ねてだ。
夫、夕方からは恒例のカナダでの国際会議出席で出張だというのに、
である(笑)
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2007年10月7日
ぺトのお手手
★ベランダの黒猫ぺト君。お手手でしょうかw

いえいえ、国際電話でです^^

8月31日9月21日の日記に書いた、40年振りに消息の分かった
中学時代の友人から、今日は国際電話が入ってきました。
週末や休日は電話代が安いので少しおしゃべりができる。
せっかくの電話です、火にかけていた昼食のスイッチをいったん止め
て、しばし中学時代の昔話に花を咲かさた。

今わたしのしていることやしてきたことが、やはりあの頃のことにつ
ながってると彼女は言う。
「中学2年生時の英語教師をからかって作った替え歌があった。ウク
レレの楽譜を手にいれて弾き出したりと、なんだかいつも新しいこと
に挑戦していたね。」と。

中学時代のわたしを知っている人に会ったことがないので、そんな
風に人から言われたことは一度もなかったが、わたしはビアハウス
時代に歌った歌で、歌詞がよく分からないものを、
「作詞:spacesis!誰に遠慮がいるものか~」と勝手に作詞して歌っ
たものだった(笑)ふむふむ。彼女、あたってるやん。

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2007年10月5日

今日はポルトガルの王政が終焉を告げた日でレパブリック・デイ。
休日でした。
夫と二人、先日から催されている「日本の陶磁器展」を観に、ポルトの
ソアーレス・ドス・レイス国立博物館へ行ってきました。

陶磁器展1

        陶磁器展3

今回で二度目の博物館、20数年前に来たときは、展示物の乏しいのと、
館内の古さ故のかび臭さで失望し、以来一度も足を運ぶことがありま
せんでしたが、今回はこれ見たさに!
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2007年10月2日

日本茶がおいしいと思うのは、わたしの場合、帰国して滞在先の妹宅や
和食レストランでの食後の一服である。
コーヒー党のわたしは、長いポルトガル在住でたまらなく日本茶が欲し
いと思ったことはない。そう思わない理由もある。

胃に食べ物が入っていないままに日本茶を飲むと、てきめんに胃が
キュッと収縮するのを感じ、その直後に吐き気が来る。これはよそ様に
いては、冗談ではなくタラと冷や汗をかくことになる。
日本茶だけではなく紅茶もそうである。
   
思うに日本茶紅茶含有のタンニンのせいではないかと想像している。
すきっ腹にはダメなのだ。故に頂いた高価なお茶は、小さな食料貯蔵室
にある冷凍庫の中で長い間眠ることになる。

さて、コーヒー党と書いたが、厳密に言えば党と言えるほど、コーヒーに
詳しいわけではない。
昔、「コーヒー・ルンバ」という歌が流行ったことがある。

   ♪むかし アラブのえらいお坊さんが 恋を忘れた哀れな男に
     しびれるような香りいっぱいの  
    琥珀色した飲み物を 教えてあげました


と歌われる歌の中に出てくる「モカマタリ」を始め、知っているコーヒーの
名前は、キリマンジェロ、ブルーマンテンくらいである。
わたしが好んで一日に何倍も飲むのは、インスタントコーヒーアメリカン
式で、お茶で言えば出がらしのようなものだ(笑)
日本にいた頃は、喫茶店での注文は常に「アメカフェ」こと、アメリカン
カフェであった。

これが、ポルトガルに来た途端、コーヒーに関するこれまでの思い込み
をガラリと変えさせられることになったのである。
ポルトガルのどこのカフェへ行っても「アメカフェ」なるものはない!
なんだ?そりゃ?とけげんな顔をされるのがオチ。
カフェと言えばポルトガルでは「エスプレッソ」なのである。

アメリカ映画を観ると、しょっちゅうコーヒーを飲んでいるシーンが出て
くる。
アメリカ人もコーヒーが大好きな国民だが、ポルトガル人のカフェ、つ
まりエスプレッソ好きは半端ではない。食後、ブレイクタイムには必ず
飲む。普段は家でインスタントのアメカフェを飲むが、休暇などで出か
けると日に3杯のエスプレッソはわたしも飲むことになる。
我が夫もエスプレッソを日に5杯ほどは飲んでいた一時期があって、
わたしを呆れさせたものだ。

エスプレッソは強い。わたしはコーヒーに砂糖を入れない主義だが、
エスプレッソは苦くて砂糖なしではさすがのわたしも飲めない。

さて、では、ポルトガルのカフェはどんなものなのか^^↓
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2007年10月1日

前回学校送迎(1)で、「親も辛抱してがんばることによって得たもの」
について。

息子が1年生になると同時に、日本企業のポルト進出によりポルト日本
語補習校設立の話が持ち上がり、講師の話が舞い込んできました。
何しろ、当時は日本人がほとんど居なかった街です、この話は、他に人
材がなかったのでわたしに舞い込んできたものと思っています。

ふたつ返事で引き受けたわけではありません。まず、自分の高卒という
学歴が問題にならないか。否の返事をもらったものの、人材がないので
は向こうもいたし方なかったことでしょう(笑)
もうひとつの問題は、モイケル娘が生後9ヶ月でしたので、毎週土曜日
の仕事が果たして続けられるか。

この頃は、6年間同居していた義母の家が、娘の誕生により部屋数が
足りないというので義母の家と同じ通りに引っ越していました。
義母に頼めば喜んで世話をしてくれたことは間違いありませんが、夫
もわたしもできるだけ人に依頼しないで子供達を育てたい、との意向
でした。これは、義母との同居時代も同じ姿勢でした。
病院勤めの夫が、土曜日勤務と重なるいたし方ない場合を除いて、
補習校でわたしが講師をする間は夫が娘を見るということで解決しま
した。

息子が5歳のころから負担にならない程度にゆっくりと進めて来た日本
語教育でしたが、わたしはこうして教えてみることにかなり興味を持っ
ていました。面白いのです。
上のふたつの問題が、どうにか解決できそうだというところで、自信の
程はないがとにかく1年間はやってみようと、もうひとり、当時ポルトに
1年間ほどの予定で滞在していた知人が「できそうもない。」とビビる
のを引っ張り込みました。
こうして始めた講師、よもや20年も続けることになるとは思いもしな
かったのですが。

前置きが長くなりましたが、子供達の学校送迎をしていた頃は、土曜
日のこの仕事もあったのでした。

下の写真が子供達が通っていたOBS(Oporto BritishSchool)の
表門です。
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こちらは表門を入ると開ける芝生の校庭。この向こうが校舎です。
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