2009年1月28日

え?spacesisさん、チビじゃん、歳じゃん、これと言って美人でもな
いじゃん!(放っといてくれぃ。笑) 
どこの物好きが、あぁたをモデルに選んだのか知ってみたい、聞い
てみたい?(爆)
ま、いいからいいから。だからこうしてお話するんですってば(笑)

その、チビで美人でもないわたしが似顔絵を描かれたことはある。
「描いてもらった」ではなくて「描かれた」ですぞん^^; 
もう、ん十年も遡る大昔のことで、原画はどこかに行ってしまってす
ぐには出てこない^^; 或いは、日本で知り合いの誰かがそれを
持っているのかも知れない。

当時大阪という都会で独り暮らしをしていたわたしは、日中のオフィ
ス仕事だけでは、家賃を払い食べていくのが関の山。
細々とアメリカ移住の資金を貯めていたのだが、いつその資金調達
が成就できるか、果てしない夢の夢ではあった。

しかし、そこが運のいいわたし、偶然転がり込んできた話に恐る恐
る乗って始めてみたのが、大阪は梅田新道の大同火災ビル(現在
の大同火災フェニックスタワー)の地下にあった「アサヒビアハウス」
の歌姫。

その頃に、もう名前は忘れてしまったが、とある著名な、挿絵を描く
人だったか漫画を描く人だったかがやってきて、ステージで歌って
いる間に、アコーディオニストの吉さん、歌の大先輩宝木嬢、それ
にわたしの似顔絵をさらさらと描いてくれたのである。

その似顔絵はわたしがそこで歌っている間はずっとビアハウスの
小さなステージの壁に貼られていた。写真左中央にあるのがそれ。

アサヒ似顔絵1
↑白黒写真だがとても懐かしい。ビアジョッキを片手に、ご満悦に
歌っているのは当時H大病院外科医のN先生。若い頃、ドイツに留
学していたN先生、歌はドイツ語で、Ich hab mein Herz in Heidel-
berg verloren(第一次世界大戦中に流行った歌「傷心のハイデル
ベルグ」。タイトルとはミスマッチの軽快な歌です。
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2009年1月26日(昨日の日記w)

息子がいよいよ4月から日本で仕事をすることになり、3月始めの
ポルト発切符も購入した。
卒論提出も済んだモイケル娘は、2月初旬まである大学試験を終
えるのみで、春からの関東での住まい探しやその他の計画にメッ
センジャーで余念がない二人の兄妹であります。

これまで10年間、リスボン住まいの息子です。一つ屋根の下で毎
日共に生活して来たわけではなかったのですが、春夏冬の休暇以
外にも、夫やわたしの誕生日などにはわざわざポルトまで駆けつけ
て来ましたし、電話やメッセンジャーでもしょっちゅう話してきたわけ
で、その息子も、これまでのように、おいそれとは帰れない遠方へ
いざ行くと考えると、子は巣立つものと思いながらも、なんだかちっ
とばかり寂しく感じます。

んで、寂しくなるのはフトコロ具合もそうでして(爆)
モイケル娘など、日本にいるこの4年間で、
「あんた!いったい何回引越ししとんねん!引越し貧乏って言葉を
知らんのか~~」
と絶叫している母の声を聞いてか聞かずか、下関から関東へ今回
で3回目の引越しでございます^^;
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2009年1月24日

トリプルショックからの立ち直り第一弾です!(爆)
(よくやるわ、わたしも。笑)

長崎ポルト姉妹都市締結30周年記念市民訪問団のポルトさるく 
    
2008年9月28日にポルト入りした40名ほどの長崎市民訪問団
のみなさんでしたが、翌29日午後に、「ポルトさるく」と称して、初
ガイドをさせていただきました。
「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶら歩く」という意味だそうです。
 
コースはspacesisの案で、自分が普段から歩き慣れているポルト
旧市街の数箇所にスポットを絞り、ポルトは長崎の町と同じように
坂道が多いので、下り坂を歩くようにプランをたてました。

下記はわたしが作成してみたポルトさるくパンフレットです。もち!
使用している画像は自前ですぞ^^画像をクリックすると拡大します。
ポルトさるく1

ポルトさるく8
案内する各々の場所説明の準備は万端(のつもりw)、いざ、バター
リャにあるホテルから出発ですが、まさか、バスの中でマイクを持つ
羽目になるとは予想外^^;お、おろ?と思いながらもやってみるっ
きゃ、と^^
しかしいかが?アサヒビアハウスの歌姫で、昔とった杵柄とやら、
マイクを持つ姿は堂に入ったものでござんしょ?(笑)


ー続きはここからー

当初は、市街のコース全てを「さるく」する予定でしたが、時間の関
係上、サンフランシスコ教会までバスで向かい、そこからレロ書店
までの上り坂になる道程をバス移動。
      
      ↓サンフランシスコ教会見学を終えて。
ポルトさるく2

レロ書店からドウロ川沿いのリベイラまで「さるく」です。通り名は
「クレリゴス通り」。一行の後ろには堂々たるクレリゴス教会が見え
ます。写真が暗いのでをちょっとセピア色にアレンジ^^
ポルトさるく3
午後のポルトの街中を30数名が歩く姿はちょっとしたもの^^
ポルトさるく4

ポルトさるく5

面積551m2、約2万枚の絵タイルことアズレージュのサンベント駅
構内で。
ポルトさるく6
プロのガイドさんは「メモ」など持たない。しかしわたしはメモどころか、
万が一説明を忘れた場合には、説明不足よりは遥かにましであろう
と、堂々、自分が作成したデカいメモを(笑)
約2時間ほどのポルトさるくはリベイラで終わり、訪問団は対岸にあ
るワインセラーへ 向かう。サンデマンのセラー案内は、補習校の我
が教え子でもあるJ君ででした^^

夜は長崎田上市長主催、ボルサ宮内の夕食会のご招待を夫と共に
受けました。
ポルトサルく・ボルサ宮
29年前に当時のポルト市長「Veloso氏」が、ポルト市民訪問団と
共に長崎を訪問するにあたり、日本の歌を長崎で歌いたいというの
で、その歌をVeloso市長に教える役目がわたしに回ってきました。
Veloso市長から教えて欲しいと頼まれたのが、長崎出身の歌手
さだまさし氏の「無縁坂」。日本語で歌えるように指導いたしました。
    
そして、提携30周年のこの日、久しぶりにVeloso元市長にお会い
したのですが、なんとVeloso氏、ギターを抱えてあの時の歌「無縁
坂」をご披露。予定外の通訳を頼まれ、たじたじのわたしでしたが、
「無縁坂」を一緒に歌い、途中からお若いw長崎田上市長も合流、
夕食会はこれで一挙に盛り上がったというものです。
ポルトさるく7
左からVeloso元市長(お歳80幾つ)、現長崎田上市長、そして
spacesis。

ちなみに、Veloso氏のご子息はポルトガルでは有名な歌手「Rui
Veloso=ルイ・ヴェローゾ」です。
ホームページ「ポルトのレストラン」でも案内していますが、ドウロ川
ロ川に面したリベイラのレストラン「D.Tonho=ドン・トーニョ」とその対
岸ガイアに向き合うようにして建っている同名のレストランの持ち主
でもあります。

長崎ポルト姉妹都市交流が今後も両国、両市のよき文化理解への
架け橋となりますことを一市民として心から願っております。

長崎観光ガイド「長崎のさるき方」はこちら

サンフランシスコ教会と長崎26聖人」はこちら。

レストラン・ドン・トーニョ」はこちら

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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2009年1月22日

花1
春まだ遠きベランダに。

「二番目に言いたいことしか人には言えない」という風なことを詩人
の星野富弘さんは、詩に書いていたように思う。
その場その場で自分の意見や思ったことをズバッと事も無げに言え
える人がいるが、蛍光灯タイプのわたしは、少しテンポが遅いことが
多く、星野さんの詩にあるように、一番目に言いたいこと、書きたい
ことをなかなか表現できないでいたりする。

言いたくても、書きたくてもできない一番目のことと言うのは大抵
嬉しいことではないのだ。

実は先週からショックが続いておりますんです^^;
それで日記やブログに穴をたくさん開けてしまいました。
「落ち込む」という言葉はできるだけ使いたくないと思うわたし、
「こりゃ意気消沈だわな」と、すっかり肩を落としてしまっている自分
の姿をその言葉に重ねるのですが、やっぱりこれ、「落ち込み」って
言葉がぴったりです(苦笑)・・・^^;
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2009年1月20日
猫ゴロー
1月の暖かいある日のベランダで。今年もゴロー君のいたずらが
始まりました。わたしの観賞植物、ダメになるんですね、これ^^;
でもこの表情には負けてしまい^^;思わずパチリのおアホなわたし。


さて、昨日はTVで懐かしい映画を観ました。
ヴィクトリア・ユーゴの書いた「レ・ミゼラブル(ああ、無情)」の映画
版です。
30代の頃に文庫本5冊からなる本で読んだことがあり、いたく感動
した本のひとつで、かつてモイケル娘と夫、わたしの3人でロンドン
を訪れたときにもマチネでミュージカル版を観ました。

しかし、この物語にわたしはもっと遠い昔に出会っており、手に汗
握ってジャン・バルジャンとコゼットの物語に耳を傾けたことがある
のでした。

今日は数年前に書いて編集し直したその思い出話をここに載せた
いと思います。読んだことがある方はスルーしてください。

 
「オリャー!」 
「ッとー!」
「え~い、ちょ、ちょこざいな小僧め。名を、名をなのれぇ!」

     ↑大人の声
「あかどうー、鈴之助だ!」←と、元気な少年の声

ここから主題曲始まるw 
         剣をとっては日本一の 夢は大きな少年剣士
          親はいないが元気な笑顔
          弱いものには味方する  
          お!がんばれ強いぞ 
          僕らの仲間 赤胴鈴之助


これ、みなさん、ご存知ないでしょうなぁw 
幼い頃を青森県は弘前の下町で過ごしたわたしは、何を隠そう、
近所のガキ大将だったのでした^^;
学校が退けて家へ帰り、することはと言えば、宿題などほとんど
なかった、いやしなかったあの頃です。
よって、夕方まで子供達は外で遊びほうけることができたのでした。
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2009年1月18日

ここ数日、事情があって更新が滞りましたが、記事再開いたしま
すので、これまで通り、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
本日はポルトガルと日本をつなぐ歴史的な出来事にまつわるポル
トの長崎殉教者のお話です。

サンフランシスコ教会

サンフランシスコ教会を初めて訪れたのは、わたしがポルトに嫁い
できた年だからもう30年ほども昔になる。
  
当時は、ゴチックだのバロックだのの建築様式はもちろんのこと、
聖フランシスコも「フランシスコ・ザビエル」のことでもあろうかと考え
るほど、宗教に関連することには今よりも遥かに無知であったし、
中は全部金泥で被われているなどと説明を受けても、殆ど無関心
だった。

教会内の床の一部に開けられた小さな床窓から覗き見た無数の散
らばった骨には不気味さだけが残り、以来、教会前は何度となく通
ったが一度も内部に入っていなかった。

しかし、ここ数年ポルトガルに於けるテンプル騎士団の歴史を追って
いるうちに、騎士団が手てがけたゴチック建築に目が行くようになり、
サンフランシスコ教会は少なからず気になる存在になっていたので
ある。
いずれ再訪しようと思っていた矢先のこと、長崎市から「長崎ポルト
姉妹都市提携30周年記念(2008年)で市民訪問団の企画をしてい
ます。ついては、「ポルトさるく」と称してポルト歴史地区をじかに歩
きたいのですが、その案内をしてもらえませんか?」とのメールが
舞い込んだ。
「さるく=さるき」は長崎弁で「ぶらぶら歩き回る」という意味だそうだ。

それこそ、「ポルトひとりさるく」はよくしているが、これまで人様を
案内などしたことがない。しかし、「姉妹都市提携30周年記念訪問」
と聞くと、長崎ポルト関係の行事にはかつて多少携わった経緯が
あり、また「いつもspacesisさんが歩いているコースでよろしいです」
との係りの方、Mさんの話に、未経験だがやってみよう!と好奇心
が尻込みする気持ちを打ち負かした。

さて、こうしてわたしが計画した「ポルトさるくコース」については後に
書くとして、このポルト案内に一箇所だけどうしても入れて欲しいと
要請にあったのが「サンフランシスコ教会」。
そこでサンフランシスコ教会とは、フランシスコ会とは?と学習する
ことになったのだが、Mさん、くだんのサンフランシスコ教会には
「長崎殉教者」が祀(マツ)られてあるというのだ。
これにはわたしは初耳であった。
  
早速サンベント駅からドウロ川沿岸のリベイラに続く長い坂道を下っ
てサンフランシスコ教会へと足を向けた。
中に入り案内の表示を読んで教会内部を一回りしたが見当たらな
い・・・
ちょうどその時、ポルトガルの小学生グループが教会のガイドさんに
伴われて入ってきので、これはチャンス!悪いとは思いながら少し
距離を置いて、サンフランシスコ像の説明をするガイドさんの話に耳
を傾け、それが終わった直後に彼女をひっつかまえ、「長崎殉教者
の祭壇はどこにありますか?」と聞いた。
「ここですよ。」とサンフランシスコ像のすぐとなりにある祭壇の上方
を指差した。↓(画像は長崎市のMさんからいただいたもの)
長崎26聖人1

撮影は禁止なので、絵葉書を購入し、長崎市の係りのMさんに
「行って確認して来ましたよ。」とメールで絵葉書の画像も送ったと
ころ、「長崎殉教者は26人なのですが。」と返信が来た。
画像には確かに8人しか見えない。これはこれは、というわけで、
まず「長崎26聖人」について調べることになった。
(写真は長崎にある26聖人記念碑。wikiより)
長崎26聖人2

長崎(日本)26聖人:
  慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の
  命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。26人は
  後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは
  「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。二十六人のうち、
  日本人は二十名、スペイン人が四名、メキシコ人、ポルトガル
  人がそれぞれ一名であり・・・(wiki参照)
  

26人のリストからフランシスコ会司祭、修道士、それに日本人フラ
ンシスコ会信者、大工である伊勢のフランシスコ(洗礼名)7名を見
出したが、さて、残る一人は誰か? 
わたしの調査結果では、1622年(元和8年)に禁教令がしかれた
布教しようと長崎に密入国して大村で処刑された3人の宣教師が
いるのだが、この中にフランシスコ修道士ルイス・ソテロがおり、ロー
マ教皇により、初めの7人は1750年に、ルイス・ソテロは1867年
に聖人とされたことが分かった。

調査後、確認のため、再度サンフランシスコ教会へ出向き、例の
女性ガイドさんをひっつかまえ、「長崎の訪問団をここに案内するの
だが、ひとつ確認させて欲しい。長崎では26聖人なのだが、ここの
長崎殉教者祭壇には8人見えるが、これはフランシスコ会の殉教
者なのか?」 ガイドさんいわく、「その通り」
ビンゴ!(アタリ)やったー!

ま、最初からサンフランシスコ教会のガイドに直接質問すれば済む
ことだったのかも知れないが、自分で推測しながら調べて推理を立
ててみるのはなかなかに面白いもの^^
  
長崎市民訪問団の「ポルトさるく」なるものがなかったら、恐らくサン
フランシスコ教会の8人の「長崎殉教者」については知らないでいた
ことだろう、ひとつ賢くなったなぁ、と教会内で独り喜んでいたところ、
日本人の年配のカップルが入って来て、話しかけて来た。

あちらさんも色々質問してくるもので、これはいいついでと、教会を
案内しながらホットな己が知識を大いに披露してきたのではあった
(笑)

キリスト教やフランシスコ会のかいつまんだ歴史を知って教会を見
学するのとそうでないのとでは、見方に大きな違いがあることだろ
う。このエッセイが、サンフランシスコ教会訪問客の参考になること
を願って止まない。
  
さて、次回は上述した「ポルトさるく」についての記事です。 
 
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2009年1月13日

フットボール(ポルトガルではサッカーとは言わない)は、ワールド
カップかEUカップしか見ない「にわかファン」なのですが、そんなわ
たしでもフィーゴ、ロナウド、デコ、リカルドなど国内外で活躍してい
るポルトガルの選手は知っている。

その中でもクリスチアノ・ロナウドは、テレビ、新聞、特に週刊誌には
必ず登場して話題をふりまいていますので、いやでも目につく。笑)

今日はそのロナウドの話です。
スイスのチューリッヒで昨日開かれたFIFA(国際サッカー連盟)に
よる「2008年度の最優秀選手」にポルトガルのロナウドが選ばれ
ました。

ロナウド1
「サッカーの王様」と呼ばれたブラジルの元プレーヤーペレから杯を
受け取るロナウド。

昨夜のポルトガルのTVニュースはその話でもちきりだったのです
が、ロナウドはポルトガル人としてはフィーゴに続く(2001年)二人
目の受賞者、また、イギリスのクラブでプレーする選手では初めて
の受賞プレーヤーだそうです。
現在イギリスのユナイテッド・マンチェスターで活躍している彼は昨
年12月にフランスのバロンドール(Ballon dモr Crown)、更に2008
年は42ゴールを決め、欧州チャンピョンズリーグ、イングランドプレ
ミアリーグのクラブW杯も受けています。
ロナウド2
写真はsapoimageから
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2009年1月12日

昨日に引き続きサンフランシスコ教会、今日は教会内部です。
(内部は撮影禁止ですのでこの部分の写真は絵葉書からです。)

サンフランシスコ教会内部
サンフランシスコ中1
内部は天上から全ての祭壇を含む木彫はTalha Dourado(ターリャ・ドウラード)と呼ばれ、金泥で被われています。

入り口右から
⑥:フランシスコ会の創設者、アッシジのフランシスコ像。
  花崗岩でできている。(画像なし)

サンフランシスコ中2
↑⑦:下段・13世紀にモロッコで殉教した5聖人。
    上段・1597年(慶長元年に長崎で殉教した長崎 26聖人の
        祭壇(後に詳細案内します)(18世紀の作品)

⑧:「悲しみの聖母マリア」(18世紀の作品)足元には横たわるキリスト像がある。(画像なし)

⑨:「受胎告知」(18世紀の作品)
  上段・聖母マリアと受胎告知する天使ガブリエル。
  下段・中央がサン・ドミンゴ、右が洗礼者ジュアン (羊を連れている)、左はサント・アンドレ。(画像なし)

印:洗礼者ジュアン(ヨハネ)の祭壇(16世紀の作品)
ポルトガル語では「サン・ジュアン」と呼ばれ、ポルト市の守護聖人です。毎年6月24日の生誕日はポルトの祝日。前夜祭23日には、ポルトきっての夜通しの夏祭りがリベイラ、Foz地区を中心に催されます。
  サン・ジュアン祭りの様子はこちらで

印:主礼拝堂。その右は当方の三賢者とポルトの金庫係であったブランダン・ペレイラ兄弟一族の礼拝堂。(18世紀)
   (画像無し)
 
印:聖アントニオの礼拝堂。(18世紀の作品)
12世紀末に生まれたサント・アントニオ(聖アントニオ)はリスボンの貴族の出です。アッシジのフランシスコ修道院に入り25歳で神父になります。その後、巡回説教師となリ多くの人を改心に導きました。

サント・アントニオにまつわる伝説
ある日、野外で説教をはじめたが、人々は修道士アントニオの話しに耳を傾けようとしない。そこでかれは海辺へ行き、海の魚を相手に説教し始めた。すると魚は水面に浮き上がって立ち始め、長い間、修道士アントニオの話を聞いたと言います。


1231年、修道士アントニオは過労のため36歳の若さで死去、その1年後に聖人に列されました。サント・アントニオはリスボンの守護聖人で、毎年6月13日は彼の死んだ日を記念し祝日になります。12日のサント・アントニオ前夜祭には、リスボンのリベルダーデ大通りで夜通しの盛大な仮装パレードが行われます。
          
サント・アントニオのシンボルは常に十字架を持ち、幼いキリストを抱いています。(像無し)

③:「慈悲深い聖母マリアの礼拝堂」(画像なし)

④:「エッサイの樹」(Arvore de Jesse)
ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストにいたる系図を一本の樹に表したものです。横たわったダビデ王の父エッサイを根元に、ユダ王国の12人の王が枝になっています。樹の枝、一段目右には巨人ダビデ王、左にはその息子ソロモン王、トップに立つのはヤコブの子、聖ジュゼ(ヨセフ)、その両脇には聖母マリアの父ジョアキン(ヨアキン)その左は聖母マリアの母、サンタ・アナ。頂上には聖母マリアと幼いキリストです。
サンフランシスコ中3
画像があまりよくないのは悪しからず。
       
樹の下の絵は「聖母マリアの天国への旅立ち」が描かれています。このシーンは過去と肉体的な生の終わり、そして、スピリチュアルな生の始まりを象徴するのだそうです。

見逃せない!サン・フランシスコ教会のカタコンベ
  (catacumbas=地下納骨室)
サンフランシスコ中4

地下のカタコンベには18世紀から19世紀にかけての教会に関係する著名人が納められています。黒い墓碑と白壁のコントラスト、羅列する髑髏(どくろ)所々に見られるXに交差した骨はメーソンや異端のシンボルでもあり、このカタコンベはユニーク、かつミステリアス!
     
カタコンベについてもうひとつ。奥まった内部の床の一部に窓がありそこから下を覗きこむと、無数の骨が見え、少し不気味な気がしないでもありませんが、一見の価値はあり。

また、切符売り場の横には小さな博物館があり、ここでも興味のある人は気をつけて見ると面白いシンボルに出会えます。

明日はいよいよ長崎の話題です。
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2009年10月11日

昨年秋から気になりながら、なかなかアップできなかったサンフランシスコ教会、今日から3回にわたりご案内いたします。

サンフランシスコ1
所在地:Rua de Infante D.Henrique,Porto  
 開館:4月~10月 9:00-18:00
     11月~3月   9:30-17:00
 年中無休
 入館料:3ユーロ
 Tel:22ー062100

海岸沿いを走る路面電車の発着地でもあるサン・フランシスコ教会は、ゴチック・バロック建築を併せ持つ。(参:ゴチック様式建築の大寺院は「キリスト教の神殿」及び「ヨハネの黙示録にある「天上のエルサレム」を地上に再現したものと言われる。)

聖フランシスコとフランシスコ会について          

フランシスコ会は12世紀にイタリアのアッシジに生まれたフランシスコによって始められました。裕福な家庭に生まれ放蕩生活を送っていましたが回心しました。ある日、「行って早くわたしの壊れかけた家を建て直しなさい」との声を聞き、一人荒れ果てた聖ダミアン教会の修復を始めるうちに同士が増え、これが「フランシスコ会」の始まりの「小さき兄弟の修道会」となりました。

フランシスコ会は清貧主義としてしられ説教活動を中心とする宗派で、修道士たちは裸足で活動したと言われます。

また、フランシスコは「スティグマ」と言われる聖痕(キリストが十字架に架けられた時に受けた同じ傷が手足、わき腹に現れること)
受けたとされます。神父にはならず、生涯を一修道士として送りました。聖フランシスコは「小鳥の言葉が分かる」との伝説があるように、自然と一体化した聖人です。この宗派から出たのが後の「Capuchos=カプチン小さき兄弟会」です。

映画「ブラザーサン シスタームーン・Brother Sun,Sister Moon」では、かれの生涯が描かれています。ブラザーサンは聖フランシスコ、シスタームーンは聖フランシスコに最初に帰依し、 「もう一人の聖フランシスコ」と呼ばれ、後に女子修道会「クララ会」を開いたアッシジの聖クララ(=聖キアラ)のことです。
サンフランシスコ
シンボル的な髑髏(どくろ)を持つ聖フランシスコ。
      
サンタクララ1
  聖クララ。           

フランシスコ会とクララ会については、教会のシンボルなどを通して後日考察した記事を書いてみたいと思っています。

サン・フランシスコ教会 

ポルトにフランシスコ会が設立されたのは13世紀。当初は、この修道会が歴代の教皇から布教活動において諸々の特典を認められていたことから、各地の聖職者や一般信徒の反感をかいました。ポルトガル王フェルナンド1世の庇護の下、14世紀に入ってから小さかった教会を拡張し、簡素なゴチック様式で徐々に増築をはじめ、その増築工事は15世紀まで続けられました。

17世紀から18世紀のポルトガル栄華時代には、当初の質素な教会から内部は緊迫を貼った木工細工で装飾され豪華な教会になりましたたが、これは当時植民地であったブラジルから運ばれた金、約500キロを使ったと言われます。

これには、この清貧主義教会の元祖である聖フランシスコ、きっと天上で目を白黒させていることでしょう。

ポルトのサンフランシスコ教会は、19世紀初期、ポルトガル国内の旧勢力をバックにするドン・ミゲルと、ブラジルから本国ポルトガルに帰国したドン・ペドロとの内戦の火事で崩壊し、バロック様式に建てかえられました。

そのため、現在見る教会は典型的なバロック様式となっている部分が多いのですが、主入り口の上の薔薇窓、大きなファシャーダ、横にある八角形円堂、南側入り口はゴチック建築時代の名残りです。
サンフランシスコ4
八角円堂。

サンフランシスコ5
ゴチック建築を残す南門。ピラミッド三角に五ぼう星を持つ。

サンフランシスコ6
キリストのシンボルである羊を抱えるサン・ジュアン(洗礼者ヨセフ)

サンフランシスコ7
主要入り口ファシャーダ。バロック式ソロモン柱持ち、頭上には聖フランシスコ。

サンフランシスコ8
主要入り口、聖フランシスコの上に見られるゴチック建築の薔薇窓。  

明日に続きます。
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2009年1月9日

今日のポルトは冷え込みました!3度、4度と一日中気温がその
あたりをうろうろ。出張日本語教室から帰って来ての昼前から、この
冬初めて丸一日ヒーターをつけました。
ネコたちもその前から動くものではありませぬ(笑)
ネコ1

あったかいやろなぁ、お前たち^^。ヒーターから少し離れて仕事する
こっちは室内ブーツを履いてさえ足元が冷える。

さて、今日金曜日の12時過ぎからは、我が教室きっての優等生
ルイス君の日本語です(彼は夜間大学最終学年コースをとってお
り、しばらく前から日中は働いているもので、仕事の合間の昼食
の時間を見て日本語の勉強にきます)。今年も2月に恒例の漢字
検定試験が我が週末の職場であり、昨年12月からの彼のレッス
ンは漢検に授業をしぼっています。

今回は我が塾から(小さいのに名前だけ偉そうに^^)4人が受験
します。
受験初めての3人は10級から、そしてルイス君はなんと!2級
挑戦ですぞ^^2級と言うのは、日本人外国人を問わず海外で受験
できる最上級です。
つまり、ルイス君、わたしが昔受験して合格したのと同級を今回
受けるのであります。指導するこちらも、しっかり準備です。
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2009年1月8日
shironasu
もらった白ナス。初めて見ます。記事には全く関係なし。食べるのが
もったいないくらいでした^^


おふくろは日本語を教える
息子は日本へ行く
娘は卒論を書く
これはまったく当たりまえ おふくろは思う

でもおやじ おやじは何をする?

おやじは仕事をする
おふくろは日本語
息子は日本
娘は卒論
おやじは仕事
こいつはまったく当たりまえ おやじは思う
こいつはまったく当たりまえ おふくろも思う

それなら息子 娘 息子と娘はどんな考えだろう?
まったくなんにも考えていないことはないのさ
おふくろは日本語を教える おやじは仕事をする 
息子は日本へ行く 娘は卒論を書く
娘の卒論が終わったら
息子と娘はしばらく一緒にやるだろう

生活は続く おふくろはつづく 日本語を教える
おやじはつづく 仕事をする
息子と娘の人生もつづく


好きなフランスの詩人ジャック・プレヴェールの詩「家族の唄」をもじっ
て我が家族に当てはめてみた。
わたしは時折、こんな風に「こいつはまったく当たりまえ」と思ってい
る「おふくろ」をしている自分の姿を見る。
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2009年1月5日

エスプレッソコーヒーをメインに世界中にチェーン店を展開するスタ
ーバックスが、昨秋、リスボンのペレン通りに出店した。
食後は必ずと言っていいほど仕上げにエスプレッソを飲むポルトガ
ル人だが、さてスターバックスはそのポルトガルに定着するかな?
いずれポルトにもやってくるであろうと思った程度で、さほど気にも
かけないでいたところ、12月の新聞付録のマガジンのページをめ
くって、ふと目についたスターバックスのロゴマークに、あれ?と
思った。
 
そのロゴマークが大きく入ったマガジンのスターバックス・クリスマ
ス商品の宣伝である。↓
スターバックスロゴ2

日本に帰国するとあちこちで見かけるスターバックスではあるが、
ロゴマークに目がいったのは今度が初めてだ。見た瞬間「あ!これ
はメルシーナ(ポルトガル語。Melusina=Melusine=メリュジーヌとも
言う。以後、メリュジーヌと記します)ではないか!」が我が口を思
わずついて出た言葉であった。

メリュジーヌとは、10世紀初期にフランス西部Poitouに興ったリュ
ジニャン(Lusignan)王朝の起源にまつわる、下半身が蛇、もしくは
魚の伝説の「水の精」のことで、いわゆる人魚である。
人魚はギリシャ神話にも登場しSiren=セイレーンと呼ばれ、童話
「人魚姫」はこのメリュジーヌ伝説やギリシャ神話に由来すると言わ
れる。メリュジーヌのイメージ画は時には下半身が2本の魚の尾、
またそれと共に背中にドラゴンの翼も描かれ、王冠を頭上に頂いて
いる。
  
伝説
Poitouのレイモンドが森の泉のほとりで美しいメリュジーヌに出会
い結婚、やがて二人の間には子供たちも生まれる。メリュジーヌは
リュジニャン城を始め多くの城や修道院をリュジニャン地方に建て
る。(リュジニャン城は現在城跡のみが残っている)
しかし、ある日、してはならぬと約束していた妻メリュジーヌの水浴
を覗き見したレイモンドは彼女が半人半魚であることを知る。
そして、ある時、何かの拍子に怒りに任せてメリュジーヌを「蛇女」
呼ばわりしてしまう。本来の姿を知られ、ドラゴンに変身したメリュ
ジーヌは、夫レイモンドに二つの魔法の指輪を残し飛び去り、再び
姿を現すことはなかった。

というのだが、下はwikiから引っ張り出した15世紀に描かれたリュ
ジニャン城の美しい絵。 
塔の上を飛んでいるのがドラゴンに化身したメリュジーヌ。その上の
半円図は占星術の黄道12宮であろう。世はおひつじ座の時代から
イエス・キリストの魚座の時代に入ろうとしている。真ん中の光は恐
らく「神の子イエス/太陽、光をもたらす者の到来」を表している(と
勝手に分析)
スターバックスロゴ1
画像はwikiより
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2009年1月2日

12月に入ってから続いて三つ作ってきた、spacesis十八番(おは
こ)のパイナップルケーキ、元旦の朝、どれ4つ目をと材料を用意し
て最後に気づいた、「か、かんじんの缶パイナップルがあれへん
やん!^^;・・・・」

お正月メニューにデザートとしてフルーツサラダともう一品のパイナ
ップルケーキを計画していたのに、うっかり在庫の缶パイナップル
を全部使ってしまっていたのを忘れていたのでした。
今年も元旦からこんな具合で、spacesis、ずっこけモードで始まり
ました(笑)

生パイナップルがあるにはあるが、必要なのは缶パイナップルのシ
ロップであります。こればかりは他のシロップで間に合わせがきか
ない。う~~ん、もう一品甘いものを、いかんせん?と考えたところ、
年末に夫の患者さんからいただいた栗があったのを思い出しました。
よっし!栗の甘露煮だ!と、メニュー決定。

以前、やおら思い立ち、それまで一度も作ったことのない栗甘露煮
に挑戦したのですが、煮る前の下準備の皮、渋皮剥きにエラい手
間取り、親指間接を痛めたのですが、既に一度経験している今回、
正月料理準備で元旦は10時半には台所に立ちましたから、なんと
かいけるだろうとふんだのが大間違い^^;
結果、料理が出来上がり、テーブルに着いたのは例年通り午後3
時になったのではあるが^^;

さて、始まりは余裕しゃくしゃく、鼻歌など歌いながらの皮むきでした
が、いつのまにか歌もなくなり、腹の中は「こんちくしょ!」と包丁で
削ることひたすら。
すると起きて来た夫、横から渋皮ごとの栗を一粒、また一粒と口に
放り込むではないの!「こら!食べた分、自分で剥け~」(笑)夫、
「どれどれ、大変そうだから手伝いましょう。」と渋皮剥きに参加^^

こうしてようやっと剥きあがった栗400グラムが下記の写真。
甘露煮1
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2009年元旦
新年

新年明けましておめでとうございます。
みなさまにとり、2009年が平穏な年でありますよう、祈っており
ます。また、拙文の我がブログ・日記ではりますが、昨年に引き
続きどうぞよろしくお願いいたします。

内定取り消し、派遣切り、ホームレス増加の社会問題を始め、再び
燃焼し始めたパレスチナ・イスラエル紛争など等、Web新聞記事を
読むにつけ暗い気持ちになるものが多く、アメリカの政権交代も含
め世界規模の不況の中、日本は、ポルトガルは、世界はどうなって
いくのかと気がかりな世情の2009年、苦労なさっておられる方々、
どうか世の荒波に負けずに乗り超えられますよう、心から願う新年
です。

そんな心配を吹き飛ばしてくれるような元気な年賀状をいただきま
した!
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