2009年2月25日

今日は「ポルトの穴場」が「ポルトの墓場」になったお話を(笑)

「自由の殉教者の霊廟」を探して

ポルトの大きな墓地のひとつ、Cemiterio do Prado do Repouso
(Cemiterioの二つ目のeの上にアクセントがつく)まで、探し物をし
にいってきました。
自由主義者の霊廟1

墓地内の写真を撮るの気がひけ、カメラをむけることができません
でしたが、この墓地にはこう言ってはなんですが、芸術作品とも
いえそうな素晴らしい彫像をもったお墓がたくさんあります。↓ 
jiyuushugishano 自由主義者の霊廟3
 (上の画像二つは借りものです)
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2009年2月23日

10年のリスボン生活に区切りをつけ、日本行きを一週間後に控え
ている息子が、なんだかやたらのんびりと構えているので、こちら
は気になって仕方がない^^;

切符とパスポートさえあればなんとでもなるのだろうが、pcでトラン
ス音楽とやらを作曲している我が息子、今使用している音楽機器
を組み込んだパソコンを分解して持って行き、日本で組み立てると
いう。

pcのなんたるやもろくすっぽ知らずにブログやらを書いているアン
バランスなわたしには、息子の言うのがいまいちピンと来ず。
しかし、それなら持っていくものをちゃんと前もって荷造りしないと
大変なんじゃないかと気をもんでいる。

そして、その息子と共同生活をすることになるモイケル娘は、
「おっかさん、兄貴、アパートで音楽ガンガンやらないかな・・・」と
今から心配模様だ(笑)
お、音楽をしに日本へ行くんじゃないぜ!と吼えたいところだが、
そういう楽しみもわかる気がするので黙っている。
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2009年2月20日

この2月で母の7回忌を迎えたのだが、若い頃から親の気持ちも
思わずに、あっちへふらふら、こっちへふらふらさすらってきた親不
孝のわたしは、今回も7回忌に帰国できなかった。

戒名もお経も要らないからといっていた母、最後は棺をたくさんの
花で囲み、好きだったタンゴ音楽を流した葬儀になったが、それな
ら仏教式の7回忌とやらも、きっと「まぁ、いいから」と許してもらえ
るだろうと、これはわたしの勝手解釈、帰国できなかった言い訳で
はある。

中学時代に1年間同居して大阪の学校に通わせてもらった(この時
のエピソードはこちら→「急行日本海)母の妹、横浜の叔母も4年
ほど前に亡くなったのだが、彼女は遺言で樹木葬を望み、今は岩手
県一関の山奥に眠っている。

その叔母には娘がいなかったので遺品の整理と後始末を叔父に頼
まれたのだが、わたしと妹が遺品整理ができたのは、叔母が亡くな
って2年後であった。
何しろおいそれとは帰国できなかったわたしである^^;

専業主婦だった叔母は、身の回りにあるものはいつも整然と整理し
ており、一つ買ったら一つ捨てる、もしくは人にあげるというような事
を実行した人で、遺品を整理しにいったわたしと妹は正直、舌を巻い
たものである。叔母の遺品整理は1日で終わった。

それに比べると我が母ときたら(笑)、特に衣類があるわあるわ。
「おばあちゃん、いつのまにこんなのを買ってたのよ?」
と同居していた妹が首をかしげるような、まだ一度も袖を通したことが
ないと思われる着物や新品の帯までが何枚か箪笥の中からでて
きたのだった。

着物を着る人がめっきり少なくなり、特に母のような年寄り柄のもの
は貰い手に困り、紋付を除いては泣く泣く捨てることになったのだが、
それ以外にもガラクタまがいのものがたくさんあって、もちろん、見
覚えのある品々は「あ、これ!」と言いながら、姉妹二人、思い出
話に花を咲かせながらの遺品整理は随分と時間がかかった。

そしてわたしは思ったものである。
叔母のように遺品整理があっさり終わるのも楽だけれどなんだか
少し寂しい気がする、物足りない気がする。
かといって母のようでは、残されたものが、例えば遠い外国から
整理にかけつけなければならないなどとなると、これはかなり困る
のではないか?

かくして近頃のわたしは、衣類、食器類、布類など、今持っている
もので使わないものは、ふんぎりをつけて少しずつ人にあげるなり
捨てるなりしようと時間をみては整理しているだが、中に、もう決し
て使うことはないと知りながら、どうしても人に譲れない、捨てられ
ないものがいくつかある。

そのひとつがこれだ↓
石の花1
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2009年2月17日

こちらはドン・ペドロ一世の石棺。イネスの石棺作成が終わった後、
生存中に自分の棺を造らせた。
ペドロの石棺1
下は棺に彫られている「Roda da Vida=人生の車輪」と「Roda da
Fortuna=運命の車輪、人生の浮沈」と呼ばれる装飾。
ペドロの石棺2
拡大図はこちら→ペドロの石棺

外側は12のシーンが彫られている
①子供たちを愛しむイネス。②3人の子供と生活する二人。
③チェスを楽しむペドロとイネス。
④二人の愛情あふれる生活。⑤何かを飼いならす?イネス。
⑥王座につくペドロ。
⑦ペドロの父王アフォンソ4世に送られた処刑者に驚くイネス。
⑧処刑者の一人の仮面をはぐイネス⑨打ち首になるイネス。
⑩イネスの死。
⑪イネス処刑者に下る罰。⑫きょうかたびらを着るペドロ王。

内側車輪の6つのシーン
①ペドロの左側に座るイネス
 (この並び方は二人がまだ正式に夫婦でないことを表す)
②二人の座る位置が変わる
 (二人が正式に結婚したことを表す)
③公式肖像画のように並ぶ二人。
④イネスを王国から追放する父王。
⑤アフォンソ4世を拒むイネス(?)。
⑥車輪を支えるものにより、床に平伏させられるペドロとイネス。
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2009年2月14日
青空
一ヶ月以上も続いたと思われる雨がやっと今週始めに上がりポル
トガルらしい青い空が頭上に広がりました。
「お~い、雲よ」と呼びかけたくなるような青空を漂う白い雲です。
ここずっとこれが恋しかったのです^^

3月始めから、ポルトガルを発って日本で働く兄貴と共同生活する
ことになるアパートを探しに先週関東へ出かけたモイケル娘ですが、
東京都と千葉県の境にあるメトロ東西線沿線に見つけたようです。

ペット可のアパートですが、彼らを下関から運ぶのも大変でござい
ます(笑)一匹ではないので、猫運びの助っ人にと兄貴がポルトか
ら関空へ直行し下関へひとまず行くことになりました。
ほんまに世話のやける猫どもよのぉ^^;

不況の世の中、モイケル娘は内定取り消しがありませんように、息
子は日本へ行ったところが仕事キャンセルなんてことになりません
ようにと、切に願うばかりです。

その息子はリスボンのアパートの壁塗りも終わり片付いたようで、
来週始めにはリスボンを引き上げポルトに帰ってきます。アパート
は小さいのですがリスボンの町の真ん中にあり、立地条件は良い。
が、今のこの不況では売りたいにもなかなか買い手がつきそうも
ありません。当分はこのままにしておくしかない。
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2009年2月11日

悲恋の王妃と王、ペドロとイネスの続きです。
今日は少し説明くさくなります^^;
ポルトガルの歴史全体に宗教が絡み、それ抜きにしては語れない
部分があります。アルコバッサ修道院についても同様です。

それで自分のメモのためにもと、ダヴィンチコードにも少し登場する
「テンプル騎士団」が絡む「シトー修道会」についても触れてみま
した。

イベリア半島におけるレコンキスタ運動やポルトガル建国、更に言
えば、大航海時代にも大なる影響を及ぼしていると思われるテンプ
ル騎士団の存在は、大いに興味をそそられるわたしです。
では、まずアルコバッサ修道院正面写真から。↓
アルコバッサ修道院1
所在地: Praca 25 de Abril Alcobaca(二つ目のcの下にcedilha
      記号がつく。)リスボンから北へ約120キロ。
開館時間:9:.00 - 19:00  土日:10:00~13:00  15:00~18:00
年中無休


アルコバッサの名の由来はいくつかある。
アラブ語「al-cobaxa(al=冠詞、cobaxa=羊の意味)からくる説、町
を流れるAlco川と Baca(=バサ。cの下のsの発音に当たるニョロ
記号cedilhaが付く)川から来る説などだ。
       
サンタマリア修道院はポルトガルに於けるシトー修道会の最初の
建物で、最大のゴチック建築になる。
【註】シトー修道会は6世紀に、修道制度の創設者聖ベネディクト
(=ポルトガル語ではサン・ベント)によりイタリアで開かれたベネ
ディクト修道会から11世紀に派生した。      
貴族であったクレボーのベルナールが、破産寸前のシトー修道会
に突如入会したところから、シトー修道会は栄えるようになり、ベル
ナールはこの後「聖ベルナール」と呼ばれる。
聖ベルナールは12世紀初期のテンプル騎士団の結成に重要な
役割を果たしている。。
 
           
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2009年2月8日
小雨のリベイラ
小雨に煙るポルト・リベイラ。先日出かけた対岸ガイアから。

「わたしは日本へ行くのではありません、日本へ帰るのです」
と答辞を結び、親をぎょっ!」とさせた卒業式」以来、日本の大学
進学の志を立てたモイケル娘でしたが、高校3年と大学4年+代ゼ
ミ(代々木ゼミナール)での受験対策コースも数えてかれこれ7年。
先週金曜日をもち、卒業試験全てを終え、下関で開放感を味わう
のも束の間、関東でのアパート探しに、彼女の叔母にあたる我が
妹宅、埼玉に今日から滞在です。

試験の結果が出るまでまだ楽観視はできないだろうが、就職先も
決まっていることだし、どうしてもの時には、泣きつくっきゃない^^;
しかし、「学業はゆめおろそかにすべからず」との、送り出しすとき
の約束の少なくとも6割がたは実行したであろうから、あまり心配
はしていない。

そのモイケル娘の開放感とやら、いったいどんな具合かと申します
と、終わった金曜日のこと、日本時間の夜も更けてかれこれ午前
3時にもなろうという時間に、まだメッセンジャーにあがっているで
はないか^^;
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2009年2月6日

猫
何匹いる?(笑)

帰宅して、ピアノの上に置かれた郵便物の封を切っていた夫が言う。

「あしたモイケルにメッセンジャーで聞いてみてよ。送金したのが口
座に入ってるかどうか。」
「そね。送ったのが1週間ほど前だからそろそろ入っている頃でしょ。
聞いてみます~」と答える。

この4年ちょっとというもの、ポルトガルの物価からすると結構なこと
になる仕送りを夫と二人三脚でしてきたのだが、そのモイケル娘も
やっと今春卒業にこぎつけそうだ。

引越しやら社会人としてのちょっとした身の回りのものを揃える足し
にしてもらおうと、卒業祝いとして、おっかさんであるわたしも少し
頑張って虎の子を一緒に送ったのであった。
娘のしばしのホクホク顔を想像しながら(アパートの敷金やら引越し
やらですぐ消えるであろうから、束の間の夢ではあるがw)こちらも
頬が緩みがちなこの頃ではあった。

しかし、そうじゃないんだと夫が言う。
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2009年2月5日
悲恋物語の続きです。

さても、こうなりますとペドロ王子の顔とやらを見てみたいと思うの
が人情と言うもの。

写真はイネス殺害2年後に戴冠してポルトガル王8代目ドン・ペドロ
一世となった王子です。
イネスとペドロ4

イネスの死を知ったペドロ王子は激怒、二度程父王への反乱を試み
ますが、母后の 取り計らいで父子は和解します。
いつの世にも見られる親子の確執です。ここで 思うのは、父王、
側近ともに後継者である一人息子のペドロに「王道」のなんたるかを
教えこまなかったという大きな失敗ですね。甘やかしすぎたので
ある(笑


イネスと結婚するとなると、ペドロ王子が王位を継いだ暁には、イネ
スが王妃となります。すると恐らく、正妻コンスタンスとの間に生ま
れたフェルナンド小王子は暗殺され、ガリシア人=カステーィリャ人
であるイネスやその兄、更に母国から亡命していた取り巻きガリシ
ア人たちの思惑でイネスとの間に生まれた子供が王位を継ぎ、初
代王アフォンソ一世がせっかく築いたポルトガル独立国は混乱に陥
り、再び隣接国に従属しなけらばならない羽目に陥ることが目に見
えています。

父王の憂慮はここにあり、イネス処刑はやむを得ない事情でもあり
ました。しかし、親の心、子知らず、恋は盲目で、ペドロ王子は恋の
熱病に冒されてしまったとも言えますね
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2009年2月2日

バレンタインデーの2月にちなんで、わたしとしては珍しくロマンス
のお話をひとつ^^

南米コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの
小説に「コレラの時代の愛」がある。
19世紀から20世紀のコロンビアを舞台に、ひとりの女性を51年
9ヶ月と4日待ち続け、ついに思いを遂げる男の熱愛を描いた物語
2007年に映画化もされている。
このような愛情は狂気にも近いような気がしたりするのだが、ポルト
ガルの王家にも狂気の類のロマンスがある。
「ペドロとイネスの悲恋」として小学校のポルトガル歴史の本でも必
ず記述され、またポルトガル民族の歌ファドにも歌われる。
      
今回はイラストと突っ込み入りでペドロ王子とイネスの悲恋物語を
ご紹介。

ペドロとイネス

ポルト北部のギマラインスから興ったアフォンソ王子率いる、レオン
・カスティーリャ(現在のスペイン上部)からのポルトカレンス独立運
動を経て、王子がポルトガルを建国し、初代王アフォンソ一世となっ
たのは12世紀のことです。

下の地図は、スペインと共にポルトガル初代王も活躍した、レコンキ
スタ運動(註:8世紀初期にイベリア半島に侵入し占領していたイス
ラム教徒からキリスト教徒による国土奪回運動のこと。この頃にテン
プル騎士団がポルトガルに入った。)の時代のもの。
ペドロとイネス地図
赤丸で囲まれたのがポルトガル。12世紀のレコンキスタ運動が進
められるまでは、図のようにイベリア半島の下半分はMouros(イス
ラム教徒)が占領していました。

これから話すペドロ王子の時代にはイスラム教徒からの領土奪回
も終わっており、半島の下半分は赤線を境界に、ポルトガル、スペ
インとなっていました。

ポルトガル建国から2世紀後の14世紀も半ば、7代目の王アフォン
ソ4世の時代。

独立国とは言え、地図から分かるようにレオン・カスティーリャ王国
に隣接するポルトガルは、友好政策に心をくだかなければなりませ
んでした。
そこでアフォンソ4世の取り計らいで、王位後継者である息子のペ
ドロ王子にカスティーリャからコンスタンス姫を迎えることになります。

ところがペドロ王子、あらんことか、コンスタンス姫にお付きで来た
女官のイネスに心を奪われてしまい、政略結婚の相手である正妻
コンスタンスを見返りません。(よくあるお話^^;
ペドロとイネス2
イネス・デ・カストロ。金髪で澄んだ目をし、白鳥のように優雅な首を
持っていたとイネスの美しさは後世に言い伝えられている。

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2009年2月1日
1月の夕暮れ

暗い雲が立ち込めた夕方の空に、日中は一度も姿を出さなかった
太陽が、ちょこっと顔を出し、思わずカメラにおさめて、明日はそろそ
ろ雨があがるかな?と期待したのが一昨日。
ポルトは昨日も今日も雨でした。

この一ヶ月ほど、こんな風に雨天が続いていますが、考えて見れば
12月から1月にかけて、昔は確かこんな天候で冬は雨季といって
いました。この数年それがすっかり変わってしまい、晴れが続くの
が当たりまえと^^;

さて、先だって書きました秘密のショックから完全に立ち直り、
っよっし!のspacesisです(笑)
何をしでかしたかと言いますと、わたしは、ポルト・ポルトガルの案
内専用のホームページに記事アップするのに「FrontPage Express」
で作業するのですが、これがある日からリンクができなくなり(リンク
を貼ろうとすると画面がフリーズする)、訳もわからないであちこちク
リックしては色々いじくりまわしていたのです^^;

ある日、どれ、今日も見てみようかとFrontPage Expressを開くと、
「あ、あれ?」・・・・・一瞬何が起こったのか理解できず。
すでにアップロードして画像が載っているはずなのに、それがすっ
かり消えてしまい、画像がページに反映されないときに出る例の
・・・・・・の記号で埋まってる画面を目に、
「おかしなこともあるもんだ」
と、首をかしげながら別のページを開いてみると、んん?あっちのペ
ージもこっちのページも画像という画像は全て消滅@@

ファイルを開いて見ると画像ファイルがない!ない!ない!
何度見てもない!

ご~~~~ん。頭の中で鐘が鳴ります、ギンゴンガ~ン・・・・
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