2010年2月25日 

今日は話題を我が家のねこたちに。ゆえに、ねこ写真だらけです。

猫1
臆病な猫。誰にも邪魔されず、弱虫クルルの幸せなひととき。

4人家族の我が家はそれほどでもなさそうな夫を別にして、わたしも子供たち
も大の猫好きだ。
好きなのは猫だけではない。犬ももちろんのことだが、モイケル娘にいたっては、
一度は「獣医」になりたいと思っていたほどで、ハムスター、鳥、かたつむりと
小さな生物にまでよく目が行き、子供たちと動物のエピソードはたくさんある。

現在モイケル娘と東京近郊で同居している長男の「東京息子(わたしは最近こう
呼んでるw)」も、リスボンに住んだ10年間に猫を2匹飼い、帰省の際には
毎回ギターを抱えると同時に、猫も連れてくるもので、我が家の猫の数はプラス
1、息子の猫は、我が家の猫たちとなかなか相容れず、彼の滞在期間中、わたし
は猫同士の仲裁で結構気苦労が多かったものだ。

東京息子は、いや、当時はリスボン息子なのだが、最初のは、前足の肉球が焼け
ただれて捨てられていたのを拾った。数年飼ったその猫を手術がうまくいかなく
て亡くしたときのしょげブリはひどかった。
その後しばらくして保健所へ出向き、子猫はもらってもらえるチャンスがある
からと、わざわざ誰も引き取り手のない成猫を引き取った。
「まったくどうかしてるよ」と思ったが、もしかしたら同じことをするかもしれ
ない自分の姿が浮かび、その言葉を引っ込めたものだ。

猫7 猫8
アイスクリーム、ヨーグルトが大好きな黒猫ぺト君。ヨーグルトの空き瓶の手を
突っ込んで。そこまでやるか!(笑)


「夢、日本で猫は可哀想にと思っても拾うべからず!」とあれほど言ったにも
拘わらずモイケル娘にいたっては、これまたわざわざ保健所まで行って、自分
のできるかもしれない精一杯と、2匹の乳飲み子を引き取ってき、その時は、
わたしも帰国していた時で、しばらくはあいた口がふさがらなかった。
二人して、スポイルを使ってミルクを飲ませるのには苦労したのが3年前だ。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月22日

アレンテージュ地方のエスタラージェン「サン・ドミンゴス」からメルトラへ
続く田舎道で見かけたものを紹介します。

アレンテージュ2
メルトラとMina de Sao Domingosの中間にある御伽噺に出てくるような小さな
村の入り口。Bemvindo(ウエルカム)と書いてある。

下はその集落の小さな教会。青い空に真っ白が映える。
アレンテージュ4

アレンテージュの夏の空はひたすら青く、白と青、黄色の家々が乾いた夏の
空気を彩る。
アレンテージュ家1

アレンテージュ地方ベイラ市近くのフェレイラ・ド・アレンテージュにある
ポルトガルでも珍しい円形の教会。
アレンテージュ3

さて、ついでにこっちも紹介しちゃおう!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月18日

休暇を利用して家族と訪れたポルトガル南部Alentejo地方の小さな町と、宿泊
したエスタラージェンを紹介します。

アレンテージュ地方のホテル   
サン・ドミンゴス・エスタラージェン(Sao Domingos)

メルトラ2

メルトラから17kmほど離れた小さな村、Mina de Sao Domingosはかつて銅山
の町として栄えた。
今は、寂れてしまったが、新しいエスタラージェンはアラビアン様式、広々と
して、プール、フィットネスジム、自転車などの設備がある。
曜日によっては、天体観測ができる。
ここに滞在した理由のひとつは、この天体観測だったのだが、曜日がずれてしま
い、それができなかったのが残念。

     メルトラ1

国土が縦長のポルトガルは、8世紀から15世紀に渡るレコンキスタ運動
(イスラム勢力からの国土奪回を目指したキリスト勢力の戦い)が完了するまで、
8世紀もの間アラブ民族に支配されていた。
イベリア半島北部から始まったキリスト教徒によるレコンキスタ運動は、徐々に
南下し、700年をかけてイベリア半島国土奪回を成し遂げる。

イスラム教徒の長い支配は、イベリア半島に大きな影響を及ぼしており、特に
南部にはその文化の刻印を見ることができる。

ポルトガル語には何百というアラビア語の名残が見られるし(例:Algarve,
alcool, algebra,algodao, arroz, armazen, alfandega)、ポルトガル、スペ
インの建造物を彩るアズレージュ(青絵タイル)もイスラム文化から受け継い
でいる。
また、特に南部に見られるのが、モスクを改造した教会である。

個人的な意見だが、このように宗教を異にする建造物を取り壊さないで教会と
して使用する点は、歴史の移り変わりを断ちきらないことになり、何か理由が
あったのかと考えて見るのは面白い。

さて、エスタラージェン紹介の前置きがなんだらかんだらと長くなってしまい
ましたが、こういう歴史背景を知っていないと南部のエスタラージェンの様式
やメルトラの教会も「ただの南の端っこの変わった教会」にしか取られないと
思ったものですから^^;では!

メルトラ3
異国情緒たっぷりの玄関。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月18日

フレイシュ宮殿ポザーダを案内してきましたが、ちょっと休憩して、今日は、
ポザーダについての紹介を。

若い時であれば、「泊まるところはとにかく安く、何でも見てやれ!」主義で、
たかが一晩寝るだけなのだからと大枚をはたくことを惜しんで、旅行中の宿は
極力安いところを探したものである。

また、EC諸国の国境がなくなりIDカードひとつで自由に隣国やその他ヨーロッ
パ諸国に出入りできるようになったのを利用して、子供連れでスペイン、フラ
ンス、スイスなどを車で家族旅行したものだが、となると、宿泊にはどうして
も二部屋は必要だ。この時もあまりの安宿は控えたが、3つ星くらいの廉価な
ホテルをとったものだ。

しかし、そこそこの歳になると、そういうところはサービスが殆どないし、
トイレ、部屋のシミ、窓からの眺め、寝心地なども気になって来て、年齢を重
ねる毎に利用するホテルのランクはあがって来た。
ひとつには、子供達も成長し、親同伴の旅行を避けるようになり、その分こち
らは旅費にも余裕が出てくるという、経済的な理由も挙げられる。

そこで、今回はわたしたちがこれまで利用してきたポルトガル国内の「ポザ
ーダ」「エスタラージェン」と呼ばれる高級宿泊施設の一部を紹介したい。


ポルトガルのポザーダ

ポザーダロゴ

ポザーダ:Pousadaと書かれ、ポルトガル国内にある歴史的な建物を、そのまま
   宿泊施設として利用されているホテルです。
     現在では全国におよそ40箇所あり、そのランクは4つに分けられて
います。( )内の数字は宿泊料金・ユーロ。シーズンによって変わります。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月16日
            
修繕中から是非もう一度を見たいと願ってきた18世紀のイタリアの建築家、ニコ
ラウ・ナゾニの建築作品、フレイシュ宮殿内ですが、2009年秋からポザーダと
いう歴史高級宿泊施設になり、行って来ました。

フレイシュ内1
ポザーダのレセプション、かつての宮殿入り口です。壁の独特の色彩、さらに
フロアの白と黒のダイヤ模様はシンボル的です。

フレイシュ内2
かつてわたしたちが晩餐会で食事をした豪華の「鏡の間」は、ロビーに。

フレイシュ内3
宮殿には仕切られた小部屋がいくつもある。上は鏡の間の横部屋のひとつ。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月14日(日) 

「この娘にしてこの母あり」って、spacesisさん、間違ってない?反対じゃ
ないの?いえいえ、今回は間違いではございません。

先週水曜日、日本は紀元節、おっと、今は建国記念日ですね。我が母は2月
11日のこの日をよく「紀元節」と呼んでいたもので、子供のころから耳に
していたこの言葉はわたしには親しいものです、さて、その祭日の前日、急ぎ
で書くべきメールがあり、ネット・オンしたところが、
「もずもず(もしもしの意)」とモイケル娘がスカイプで話しかけてきました。

「おいおい、娘よ^^;なんぼ明日休みだからとて、今何時だと思っとるのか。
明け方4時ではないの・・・」
すると、
「おわった~!アニメ・ヒカルの碁、全部見終わったのだ^^」
「ご、碁?」
「うん。面白かった!おっかさん、お勧めだから読んで見て!」と言う。

と金曜日の日本時間午前4時ごろ、再びモイケル娘。
「もずもず」
「ま、また、こんな時間になんばしとっと!明日休みだからいいものの!」
「えへへへ。ネットで対局してた」
・・・・・・・・・・

た、単純なヤツ~~~(笑)

読んでみてと言われてもこちらで買えるわけもなし、第一「碁」だなんて、
サッカー以上に知らない。しかし、そのどこに面白みを覚えたのかなぁ、と
興味を持ち。

ひょっとすると補習校の漫画図書にあるかも知れない。
たまたま昨日の土曜日、行く用事があり、日本語教室を終えた後、
「こんにちはぁ^^」と補習校へ出かけ、探して見ると、本棚の奥に一式
押し込めてあった!
というわけで漫画「ヒカルの碁」23巻を借りてきたのでした。

ヒカルの碁
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月11日

今朝は危なかった・・・

朝10時からの日本語教授、生徒は「マセラティの君」でありました。

ぼ~っとしてて、高速道路へ入るはずのいつもの道をうっかり間違え^^;これがまた簡単にUターンできない外周り環状線を行っちゃったのでありました。こんなことを時々やって結構夫の知らない道も覚えることになるのですが、今朝は遅れられない事情があり、運転しながら多少焦った。

なんで遅れられないかと言いますと、今週のマセラティの君の日本語デイ、1月のアジェンダ(スケジュール手帳)を見ちゃってまぁ^^;月、木、金の授業を「火、水」と思い込み、今週火曜日に行っちゃったんです。

火曜日朝、階段を上ってオフィス階4階につく。エレベーターはもちろんあるのだが、わたしはそれを利用しない。一度、地階で
偶然「君」に出会い、エレベーターの彼と階段を上るわたしと、どっちが速く着くか、競争したことがある。勝ったのはわたしであった。が、変にがんばってしんどい思いをしたおアホでしたw)

話がそれましたが、さて、我が「君」はまだお出ましなさらず、どれ、と、廊下に備えてあるソファに腰掛けようとすると、秘書さんがやってきた。

「先生、ボスは今日はおりませんが、昨日はおいでになりませんでしたね。」
「ん?今週は今日と明日ですぼん」
「あら?でもボスは待っておりましたよん」

いやな予感がして、「ちょ、ちょっと待ってね。アジェンダ、チェック~」とその場で手帳をめくると、「げっ!変わってるジャン!」

いえ、変わってたのは、間違ってたのは自分の目だ!

そんな訳で、こういうことを既にやってしまったその今日、遅れるわけにはいかんのでありましたが、道を間違え、トホホホ。
それもまぁ、出たところがなんと「フレイシュ宮殿」だ(爆)

ここにたどり着くのは多少複雑な道でして、夫とつい先だって来た時も「んもう!方向音痴なんだから!」と内心で夫をけなしていたのですが、ひとりで車を駆って来るには、これまた自信がなかったのでした^^;

やっと見覚えのある高速道路への入り口が目に入り、わたしにしては、ぶっとばしで、ぎりぎり10時に間に合った、という、なにげに不思議な縁がある「フレイシュ宮殿」の記事です!


修復に数年をかけ、2010年10月についに「歴史ポザーダ=ポルトガルの高級宿泊施設(ポザーダについては明日、詳しいご案内を)」として、日の目を見ることになったバロック建築様式の「フレイシュ宮殿」。
ミステリアスなその生涯に魅せられ、わたしが追っかけしている、イタリア、トスカーナ地方出身、ニコラウ・ナゾニによって18世紀に建築された、彼独特のデザインを持つ美しい小宮殿です。

今日は宮殿の外周りをご紹介します。

フレイシュ外1
ポザーダの正面玄関。両サイドにはピラミッドの屋根を持つ。

フレイシュ外2
ピンクの建物が客室になる。かつての製粉工場を見事に改造した。(フレイシュ宮殿とわたしのいきさつを読んでもらえば分かるのですが、それに登場する我が友、マリアさんのおじいさんがかつて経営していたらしい) 
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月8日
 
misercordia
★ポルト百景。Rua das Flores。空に突き出るナゾニが造ったミゼルコル
 ディア教会のファシャード(=正面)

スパイといえば即座に思い浮かぶのが、古くはマタ・ハリ、ゾルゲ、そして
こちらは架空だが、ご存知、イアン・フレミングの小説が原作のM16という
コードネームと女王陛下からの「殺しのライセンス」を持つ「007」こと
ジェームズ・ボンドだ。

初代ボンドのショーン・コネリーは当たり役で、わたしは彼主演の多くのシリ
ーズ作品を映画で見たし、何冊かは本でも読んだ。もっともこれは当時のボー
イフレンドの影響でもあったのだが、ま、その辺のところは深く聞かないで
くれたまえ(笑)

何ですねん、急にスパイの話なんて?
とスパイ法なし諜報活動なしの平和な今の日本からすると、空想の世界の話で
しかないと思われがちだが、日本にも太平洋戦争少し前には、ソ連の諜報組織
のスパイとしてゾルゲとともに捕まえられた「尾崎秀実=おざきほつみ」が
いる。

それがどうした?
は、はい^^; 実はですね、話はかれこれ30年ほど前に遡るふる~い昔
のことではあるのですが、ポルトガル語などチンプンカンプンだったわたし
は、テレビを見たって分からない。ついでに言えば、当時、ポルトガルの
一般家庭のテレビは「白黒」でありました。放映時間も(多分)8時ごろから
11時くらいまで。局は国営チャンネル第1と第2のみで、番組終了時には画面
のバックに国旗がはためき、ポルトガル国歌が毎日流されました。
ですから、どこぞの国と違い、いやでも国歌を覚えることになります^^

我が夫のとこも、白黒テレビが置かれたリビングで、夫の母、その母の姉、
その母の義妹、私たち夫婦と息子のジュアン・理宇、計6人がテレビを見な
がら、あるいはおしゃべりをしながら食卓を囲んだものでした。

おしゃべりは当時ポルトガル語が分からなかったわたしには無理、押し黙って
黙々と食べ物を口に運ぶのはなかなか苦労なものです。すると、白黒テレビ
とは言え、テレビに目が行きます。

ポルトガル製作番組は、こう言ってはなんですが、当時はどうもいけません
でして、それで時々イギリスの秀作ドラマが放映されるのが楽しみでした。
わたしが毎週楽しみにして観ていたのが題して「Reilly、Ace of Spies=
ライリー、スパイのエース」。

20世紀初頭のイギリスとソ連を舞台に活動した実在人物、コードネームも
ボンドとまさしく同じ、SIS=Secret Intelligence Service「 M16」と
呼ばれた世紀のスパイ「シドニー・ライリー」を描いたものでした。
ライリーは「ジェームズ・ボンド」のモデルだと言われています。

どんな男か見てみたい?^^
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月4日(木)

confeitaria-do Bolhao3
★110年以上の歴史を持つポルトの菓子・パン屋さん

長い人生には色々ある。おアホなことを言ったりしたりして、今日幸せに
暮らしている天然ボケなわたしにも、あらぬ嫌疑をかけられて噂をばらまかれ、
針のむしろに座っているような3年ほどの苦しい時期があった。

その苦しみから逃れようと職場を去ることを考えたわたしを思いとどまらせた
のは、ただひとり、当時わたしを支えてくれた夫の言葉だった。

「今、辞めたら君の負けだ。やっぱり、とか、もしかしたら、と後々まで
尾を引くよ。」
これは小さな社会で生きる人間には怖いことだ。

自分の迂闊さ、人の良さ、脇の甘さを悔やみ、夫や子供の前で涙を見せたく
なくて、真夜中にベッドの中で声を殺して泣いた日々の3年間、人前に出る
ときはまるで鎧兜を身にまとうような日々だった。(当時悔やんだ自分の性
格は今でも変わっていないのはどうにもならず^^;)

その時代、わたしは自分にこう言い聞かせて日々を忍んだ。
「わたしがそれをしなかったことは、天知る、地知る、我知る」と。
(漢の時代の時代の政治家、楊震=ようしん の言葉と言われる)

昨今の鳩山、小沢両氏について、わたしのケースの逆もまた然りだと思う。

子供だましのような白々しい言い訳はもう結構。この二人の処分はわたしの
ような一般人にとって納得がいかないもので大いに不信がもたれる。
巷の噂の段階どころではない。検察がそうそう簡単に手をだせないような
地位の二人である。証拠なしではお呼びもかけられないはずだ。
十二分な証拠がなければ起訴には持ち込めないのだと聞くが、ならば「十分な
証拠」はあったのであろうと推することができる。
「したかどうか」の真実はご当人方が一番よく知っている。

「見つかったから税金を納めりゃいいだろ。あの手この手で逃げ切ってみせた
だろ」のトップツーをこのまま据え置くとすれば、日本という国はもはや倫理
の廃退した社会に向かうだろうと、今回の鳩山小沢両氏の処分、また彼らの
身の進退の処し方には大いに落胆したspacesisであります。

でもね、人生必ず帳尻が合うようになっていると信じて、今日も市井の民は
がんばります^^

と、こんなことを書いていたら、今日は花金だというのに会社を終わって
まっすぐアパートに帰った「巣ごもり族」のモイケル娘がスカイプに
上がってきた。

待ってましたとばかりに、挨拶もそこそこに、送ってもらいたい本のサイト
アドレスをコピーペーストしてチャット画面に出したら、え!@@

 「真実はご当人方が一番よく知っている」 

と会話のトップに出てしまった!!

「い、いきなりなんじゃい、おっかさん!」とビビるモイケル娘(笑)
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月3日(水)

ショッピング街のサンタ・カタリナ、市庁舎のあるアリアードス、ポルト一
大きなブリャォン(Bolhoa)市場があるサ・デ・バンデイラを中心に、土曜日
のダウンタウンは活気にフダンにも増して活気に満ち、魅力的だ。
その光景を少しお届けします。

ダウンタウン6
ダウンタウンの真ん中にあるブリャォン市場は4つの通りに面しています。

この日偶然に出会ったポルトガル北部、ミーニュ地方の民族衣装を着けた
女性たち。この衣装は「Campo(畑)」で作業するときの衣装でしょう。
年配の方たちで、衣装は少し地味です。
ダウンタウン3

「今からFesta(祭り)ですか?」と聞くと「もう、踊ってきたのよぉ^^」
との返事。そう言えばこの日の朝は、ポルトガルの「カヴァコ・シルバ
大統領」がポルトに来てアリアードス大通りを市長と共に歩いたのでした。
きっとその歓迎セレモニーで披露したのでしょう。
ダウンタウン5


ついでに。下は、同じくミーニュ地方の民族衣装ですが、北部独特の貴金属
細工の首飾りをいっぱい下げての、色鮮やかな美しい祭り用の衣装です。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2010年2月1日(月)

フレイシュ展覧会1
 
前ブログ、「続きは明日って」どこがですねん。
もう3日も過ぎましたがな。笑

土曜日の午前中の日本語教室の後、買い物があり、ついでにダウンタウンを
少しだけ歩いたのですが、途中でハッと気がついた。
「いかん!昨年乗ったドウロ川沿線の蒸気機関車の記事、明日が締め切り
やった!あわわわわぁ~」と、慌てふためいて帰宅。
昨日日曜日の午後にやっと仕上がり、送稿したのでした。

で、昨夜「フレイシュ宮殿」の続きを書けたはずなのですが、実は夜は、
友達のHさん宅へお呼ばれでした。
一ヶ月振りに(いいなぁ、キャシーちゃん。笑)日本から逆帰国して来た
「きゃしーさん」を囲んで、ポルトガル人、日本人10人ほどのメンバーが
料理を持ち寄って集い、わたしも久しぶりにしばしおしゃべりを楽しんで
きました。多分一番しゃべって楽しんだのはわたしかも^^;
みなさん、騒がしくしてすみませんでした^^;

さて、本題の「フレイシュ宮殿、再び」です。

1月最後の日曜日に出かけてきたのが、フレイシュ宮殿。

ふとしたことがきっかけで、フレイシュ宮殿の建築様式や宮殿内の装飾に
興味を持ったものの、一般人が入ることはできず、なんとかならんかと
思ってきたのですが、この宮殿、以前からの噂どおり、ついに修繕修復が
完了し、昨秋「ポザーダ・ドフレイシュ」(ポザーダ=高級宿泊施設)と
して新たなスタートを切ったのでした。

「やったー!これで少しお金はかかるかも知れないけれど、宿泊にさえすれ
ば宮殿内は見られる!」と小躍りしたのですが、その宿泊費の高いこと^^;

ウィークデイは泊まれない。しかし週末となると料金がどんとあがる。
ツインで一人160ユーロ(20000円ちょっと)。二人だと宿泊費だけで4万円です。
つい、夫に
「一人でも泊まってみたいから、誕生日のプレゼントか、結婚記念日プレゼン
トに宿泊させておくれ~」
と思わず口走ってしまった^^;
「結婚記念日のプレゼントて、じゃ、僕は?」
と眉をしかめておりました(笑)

さて、フレイシュ宮殿がポザーダになったいきさつは、後日今日の宮殿内の
案内で述べるとして、今回は、フレイシュ宮殿ポザーダのギャラリーで催さ
れていた展覧会を見にいったのでした。

うふふ。それは口実、単なるダシで、ホンマはギャラリーから迷った振り
でもして宮殿内をちょいと覗いてみようか!が狙い(笑)

Cohen Fuse(コーエン・フューズ)。1982年来ポルトに在住している、
アルゼンチンの画家の展覧会です。トップの写真がギャラリー。

会場にいたのはわたしたちだけでした。少し変わった雰囲気の絵で、すぐに
「ははぁ~ん。なるほど、面白いシンボルをあちらこちらに残したゴチック
建築のマスター、ナゾニの宮殿内での展覧会にふさわしい絵だ」と納得。
場内には「写真撮るべからず」の表示がなかったので、遠慮せずに写して
きました。展覧会は題して「Um Toque de Magia=魔法のタッチ?」

フレイシュ展覧会2
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村