2010年3月27日

二日ほど前の恐竜の話の続きです。

子どもたちも大好きだったのだが、わたしも夢中になった恐竜だ、ついに
好きが嵩じて、補習校の学芸会にクラスで「Earth Chronicle・地球年代紀」
と題した影絵をすることにした。

クラスと言っても複式授業と言って1時間半の授業で2学年を教える4、5人
のクラスなのだが、この時は、月に一度ある午後授業を使い、自分のもつふた
つの学年に、小学1年生も一緒に引き受けた。

1年生から3年生まで、影絵の準備をする前に、プロジェクトとして「恐竜」
について子どもたちと勉強することにしたのである。

パソコンがなかったその当時は、手書きで、手持ちの英語の百科事典や絵本
を使って、子どもたちと学びました(笑)
下が当時1年生でわたしのクラスで一緒にキョウリュウプロジェクトをした
モイケル娘のファイルです。1993年と書いてあります。

影絵1
ページを開くと、最初に「キョウリュウのバラード」があります。
これは、モイケル娘がブリティッシュ・スクールで習ってきた英語のメロデ
ィーに、わたしが日本語をつけたもの、2番目まであります。

影絵をしたときには、それが終わってから、子どもたちが全員顔を出し、エピ
ローグの仕上げとして、これを歌い、歌の最後にはみんなで「ガオー!」と
やるわけです。この時は電子ピアノでヘタクソな伴奏をわたしがしたのでした。
影絵2

「今から46億年ほど昔、地球は溶けた岩のかたまりでした。」
で、子どもたちの「地球年代記」は始まります。
影絵3
 
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2010年3月27日

ネットで見つけたこんな鳥、知っていますか?
以下。

日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。

にわか成金の中国から見れば「カモ」に見える。
弱肉強食の米国から見れば「チキン」に見える。
狩猟に明け暮れてきた欧州から見れば「アホウドリ」に見える。

日本の有権者には「サギ」だと思われている。
オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。
「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが、
お「フクロウ」さんに、「タカ」っているらしい。

それでいて、約束したら「ウソ」に見え、 身体検査をしたら
「カラス」のようにまっ黒、 疑惑には口を「ツグミ」、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
実際は「ヌエ(鵺)」のようだ。
頭の中身は「シジュウガラ」、 実際は単なる鵜飼いの「ウ」。
「キジ」にもなる「トキ」の人だが、

私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。


誰がうたったか知らないが、的を得ていて実にうまい!
と、読んで「ははは」と笑ったものの、ほんとは笑ってるどころやありまへん。
「子ども手当法」が通ったと言う。

子ども手当法では、おおむね1年以上在留する外国人の親も、外国人登録を
していれば原則的に手当を支給される。母国に子供を残す外国人も受け取れる。
法務省によると、平成20年12月末時点で、国内の外国人登録者は約220
万人。子供の有無や在留期間に関する統計はなく、このうち何人が受給対象と
なるかは不明という。今朝の産経新聞より


こんな法案通して、日本人は何も思わないのだろうか!正気の沙汰ではない。
それとも30年も母国を離れているわたしの感覚が、もう今の日本人とは
違ってしまったのか。
あぁ、我が母国、いったいどうなっているのやら嘆かわしい。

こんなんで、恐竜の続きは後ほどですわ・・・
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2010年3月25日 

今日は画像がいっぱいです^^

ブログ友のちゅうさんと、マーさん お二人とも、偶然、恐竜の話題に触れている。
わたしも一時期、我が子や土曜日の補習校の子どもたちと一緒になって
夢中で恐竜について勉強したことがある。

わたしが子どものころは、パソコンどころかテレビもなかった時代なので、
こういう子供向けにもなる科学的な情報は、まあ、時代も古いので情報
そのものがなかったのだろうが、全く知らなかったのである。

恐竜についてもっと知りたいと思ったきっかけは、補習校の子どもたちを連れ
て「ジュラシック・パーク」や「Tha Land BeforeTime」↓を見てからである。
dinotopia1
       
ポルトガル語題は「幸せの谷をさがして」とある。
白亜紀の地球に大変化が起き、巨大な恐竜たちが食べ物を求めて大移動を始め
るのだが、ブロントサウルスのリトルフットやステゴサウルスなどの仲間達が
苦難の末、ついに緑が生い茂る幸せの谷にたどりつくというストーリーだ。
ダイアナ・ロスが歌う主題歌「If We Hold on Togatherも大好きで、子ども
たちと何度も繰り返し見たビデオテープである。
太古の白亜紀を生きて絶滅した恐竜は、大人のわたしをも惹きつけるのだ
から子どもたちにとって永遠の、ミステリアスで魅惑的な生き物に違いない。

この当時、たまたまスペイン語の雑誌に載っていた恐竜の記事が目につき、
その絵の素晴らしさに心奪われ、欲しいなぁと思った本があったのだが、
今のように本が簡単に入手できなくて、結局諦めたものの、記事の切り抜き
だけはしっかり取っておいたのだが、それが下の絵である。

以下、画像はすべて(作者の写真を除いては)、わたしの古いスクラップを
デジカメに撮ったものです。よって著作権、大丈夫だと思うのだが・・^^;

dinotopia2
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2010年3月22日  
 
去年の初夏のことである。
日本大使館からのお声がかりで、とある昼食会に出席したときのこと。

日本文化行事の催しの機会がポルトでは非常に少ないとの話に及び、国際親善
協会なる財団が、年に一度、ヨーロッパの一都市を選んで、Japan Weekと題す
る一週間の大イベントを催すのだが、実は今回ポルト市もその候補都市のひと
つとして挙げられていると言う。
「Japan Week」とは日本から団体、個人の日本人参加者たちが日本文化を丸
ごと開催地に持ち込み、現地との交流も併せて11月の一週間を、展示、劇場
上演するのである。

「それはそれは!」と、自分が11月に「Porto Sentido」と謳って自力で日本
文化展を開くことも紹介し、日本独特の古来文化が、ポルトガルでは中国、韓
国、また他のアジア諸国と混同され、テレビに出てくる日本人を真似た人物の
着物の着方、かんざしのさし方に対する大きな違和感と不満感を持って来た
こと、また、ファッションとしてショーウインドーのディスプレイやTシャツに
裏表、逆さまにプリントされている日本語文字の例を採ってみとても、なんとか
ならないものかと、長年焦燥感を持ってきたことを話した。

「こんな大きな日本文化関係のイベントは、長年ポルトに住んでいるが、一度も
なかった。是非是非、正統な日本文化をポルトの人々に紹介できる機会を!」
と、その場でお願いしたのであった。

もちろん、ポルトに住む一介の日本人に過ぎないわたしがそうお願いしたとこ
ろでこのような大きな事柄が、「はい、そうですか」と動くわけはない。
しかし、後で気がついたのだが、この時には、すでにかなり見込みがあった
のではなかったろうか。

と言うのは、5年前にリスボンでこの行事は催されていたとのこと、わたしは
まったく知らなかったのであった。
(5年前と言えば、当時は息子もリスボンに住んでいたのだが、母の国の多く
の文化に触れる機会があったというのに、まったく知らなかったのは、宣伝の
不行き届きもあったのではなかったろうか?)

数ヵ月後、国際親善協会を通して、「2010年のJapan Weekはポルトに決定」と
のニュースが入った。
japanweek-panf

おお!やったーー!と小躍りして喜んでいたところへ、ある日、協会から手伝
ってもらえないか?と連絡を受けたのだ。
そういうお手伝いなら、えんの下のボランティアをいくらでも!と思っていた
ところが、話が少し違う。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2010年3月19日 

ここ数日、ブログ日記の間を空けてしまいましたが、少ししんどく感じるほど
に忙しかった!
日本語教室の数クラスも申し訳ないがこちらからキャンセルでした。

現在手伝っている活動に関連して、ポルトガル語での会合が二日続けて入り、
その準備と議事録を書くのとで、三晩続けて3時の午前さま、記録内容に勘違
い間違いがないかと、友人Oちゃんに「確認たのむ!」とメールを送り、返事
を待っているのだが・・・
え、えぇ? 日本は月曜日休みぃ~? ごーーーーん@@@@

と言うことは、一刻も早く連絡しようとしんどいのを深夜遅くまであんなに
がんばってまとめることもなかったのだ・・・・損した・・・くたびれた~。

とこんなわけで、一人勝手に疲労感をどっと味わっている今日のspacesisです。

さてと、しばらく前にモイケル娘から送られてきたこの本、今、手をつけたら
途中で止められなくなり、読書没頭てしまうこと間違いなし、こんなときに
それをしてしまったら最後、活動がちゃんとできなくなるか、自分がぶっ倒
れるかだと「読みたい!」と言う欲望をぐっと抑えてきたのですが、よし!
読むぞ^^

と、今日の明け方ほどから開き、夫に「また病気が始まったわい」とでも言い
たげな表情で見られているその「この本」とは、これです^^↓

lostsymbol4

日本語版発売日を待ちに待って、やっと手に入れたダン・ブラウンの新著
「ロスト・シンボル」と、もう一冊は以前から読んでみたいと思っていたドイ
ツ在住のジャーナリスト、クライン孝子氏の著書です。

いやもう、待ちきれなくて、もちろん手始めは「ロスト・シンボル」からです。
昨年のこと、ひょんなことから検索にひっかかり目にした一枚の面白い絵が
あるのですが、それがアルブレヒト・デューラーの「メランコリア1」という題
を持つ。ちょっと不思議な絵でしょう?
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2010年3月14日

宮之阪5
 
1980年、わたしがポルトに来てまだ1年経つか経たないかの古い写真だ。
この年9月に生まれた息子はお腹の中だった。
ひどいつわりが終わった頃で、この後、わたしはぶくぶく体重を増やし、43
キロが60キロにもなり、「これ以上体重増やすこと、まかりならん」とドク
ターストップがかかるほど、食欲が抑制できなかったのであった。
60キロの写真を見せろ?@@
うっうっ・・・そ、それはまたいずれかの機会に(笑)

真ん中の日本人男性は、旅行者であろう。
当時ははポルトに日本人がおらず、わたしは日本恋しさに日本人と思しき(お
ぼしき)人に「日本のかたですか?」と声をかけたものだ。
ポルトガルを旅行する日本人そのものが30年前はめったにいなかったので、
同国人とわかると、見知らぬ人でも夫とこうして少し案内したり、一緒に食事を
したりして、しばし母国への郷愁を忍んだ頃だ。

ポルトガルへきて以来、わたしが最初に帰国できたのは、更にこの2年後で、
始めの3年間はカルチュアショックと、ここがポルトガルだからとて何もかも
そう簡単には受けいれまいぞと、かたくなに周囲とのカルチュアバトルに明け
暮れた日々もこの頃だ。
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2010年3月12日

rua_candido_reis2
ミュージックショップ。ベートーベンとワグナーのアズレージュ(青タイル絵)
が一際目立つ(Rua Candido dos Reis)


わたしはこういう話はまったく下手だが、今日のこのニュース、何か言わずに
はおられないのであります。
夫相手に話しても「そんなバカなことはないだろ」とハナから相手にして
くれない。そんなことあるのよ、あぁた!
そんな訳で、今日は少しspacesisの愚痴に付き合っていただきたい。
後にはポルト案内記事もありますれば。笑

子ども手当法案は、支給対象を日本人に限定しておらず、外国人でも日本に
居住していれば母国などに住む子どもの手当を受け取ることができる

http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_10031202.htm?from=nwla

法案は親について「日本国内に住所を有するときに支給する」とだけ規定。
このため、日本への留学生や数年だけ滞在する外国人研修生でも、母国に
いる子どもの人数分だけ手当を受給できる。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid796.html#sequel

日本はエライ金持ちなんやなぁ。
もう、儲かって儲かって金があまって使うに困ってるらしい。

日本国内に居住する子どもを持つ外国人、そして母国に子どもを残している外
国人っていったい何人くらいいるのだろう。
その子ども手当ては鳩山氏の懐からではなくて、国費、つまりみなさんの税金
でまかなうのですよね?(わたしはポルトガルに長年在住しており、日本政府
には税金を払っていない)
我が東京息子やモイケル娘の少ない給料の一部もそれに回るわけですね?

それでですよ、海外に住む日本国籍の子どもたちには支給されないのですよね?
うちの補習校などは、年々予算が削られて、来年度からは、いよいよ、講師の
謝礼が減給です。(おっと、うちの、と言うのは、昨年退いた補習校ですが、
今春からボランティアでわたしは復帰です)

補習校は原則的には、日本の子どもたちが学んでいる学校なのですが、この
子どもたちには支給されない。補習校の運営はどんどん困難になるというのに、
補助金の考慮は今のところなされない。
しかし、日本国内では外国人の子どもたち、更に外国人の親が日本滞在して
いれば、母国に残しているその子どもたちにも「手当て」を支給するのです
よね?

ここまで読んで、腹が立ってきたのであります。
いったいなんなんだ、この法案は?どうやってこんな法案が通るのだ?
「日本は日本人だけのものではありません」とのたもうた鳩山氏、それをまさ
かこんな風に地で行くとは驚愕ではないか?
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2010年3月8日

酒屋
故郷を離れ、恐らく我が終の棲家になるであろうポルトの街の小さな酒屋

「思い出のグリーングラス」昨日の続きです。

翌朝、台風はどうにかそれてくれたようだ。
夕べの一回生たちとの再会の興奮も冷めやらず、結局頭が冴えて早朝に起き出
してしまった。
大事なお役目を終えることができたし、一路東京へ向かう準備をし始めたので
あります。

荷物を引っ張り出し、衣類を畳み込んで旅行かばんに入れ始めたのだが、念の
ためにとバッグの中身をふとチェックしてみた。

「あ、あれ?デカイ財布が見当たらんぞ・・
 確かバッグの底に入れてたはずなんだが・・・」
バッグをひっくり返してみた。が、あるはずの、そのデカイ財布がない・・・
「えぇぇぇ!だって、あれには帰路のためにとユーロ札と、それよかパスポート
 が入ってたのだよ。ウソやん!なんでやの~~!」
と、ほぼ悲鳴に近い独りごと!

もしかして、タクシーでお金を払うときに座席に落ちたかも・・・
あぁあぁぁぁ、タクシー会社の名前、覚えとらんわ~!
さぁ、大変!朝の7時からフロントのおっさんに頼み込んで、あちこちのタク
シー会社の電話番号を調べてもらい、公衆電話からかけまくった。
どこもその時点では、落し物の届け出はないとのこと。
 
フロントのおじさん、
「あのね、警察に届けたほうが一番早いかもしれないよ。」
アドバイスに従って警察にも電話してみた、が、それらしい物は出ていない
ようだ。
おまけにあったところですぐに手渡しはできなくて、数日かかるのだそうな。
そんなん、待っておられまへんて^^;

うぬ?待てよ。そう言えば、
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2010年3月7日

hirosaki
★我がふるさとの山。「岩木山」画像はwikiから引用

今日は2004年の自分の記事をRewriteしたものを。

♪汽車からおりたら ちいさな駅で
 迎えてくれるママとパパ~
 手をふりながら呼ぶのは 彼の姿なの
 思い出の Green Green Grass of Home
  
 まぶたを閉じれば 聴こえてくるわ
 懐かしい古里の歌が 
 子どもの頃、遊んだ山や川 そして
 思い出の Green Green Grass of Home 

   
もともとはカントリーソングである。
明るいメロディーで故郷に降り立つ主人公が家族や恋人に迎えられる、と始ま
るのだが、英語の歌詞を聴くと最後の方には、こんな語りが入る
 
 そして俺は目が覚めた。四方を灰色の壁に囲まれた部屋で
 俺は故郷の夢をみていたんだ
 看守と神父さんに両腕を引かれ、
 夜明けに俺はグリーンマイルを歩いていく
           註:グリーンマイル:アメリカの死刑囚が
             歩く緑色の絨毯が敷かれた死刑台に続く道

 俺はもう一度、故郷のグリーングラスに触れるんだ
 そうさ、みんな俺に会いに来る。
 古い樫の木の下で
 故郷のグリーングラスの下に埋められるとき
           ーspacesis 勝手翻訳ー
 
         
こんな明るい曲にはまったく似つかわしくない、故郷を出たまま帰らなかった
死刑囚の最後の夢を歌ったのが「思い出のグリーングラス」なのですね。                               
外国の歌はできれば日本語訳しないで、原語で歌うのが個人的には好きなのだ
が、この歌は本語歌詞がとても気に入ってアサヒで歌い始めた。

わたしがラジオで日本語版を耳にしたのだが、覚えることができたのは一番目
の歌詞だけで、残りの部分は今のようにネットで検索などということはなかっ
た時代、アサヒで歌うために自作したのであるから、いい加減なものだ^^;
   
わたしは度々こういうことをやっている。わからない歌詞は自分で作るので
ある。誰に遠慮がいるものか~~。「作詞:spacesis」やもんね。
   
わたしの故郷は弘前である。
もう5、6年ほども前になるだろうか、アメリカへ移住して今ではカリフォル
ニアに居を構えてすっかりそこの住民として腰をおろしてしまっている、大阪
時代の男友達と彼の娘、そしてわたしとモイケル娘の4人で東北を回ったこと
がある。

その折に、彼が気を利かしてか、四半世紀以上も帰っていないわたしの故郷、
弘前立ち寄ろうと言い出し、一晩宿に泊まったことがある。
   
ホームから駅舎を出て駅前に降り立った時には度肝を抜かれてしまった。
駅舎も駅前も、なにもかもが新しく計画建築され、様子はすっかり変わって
しまって、まるで見知らぬ町に足を踏み入れた気がしたものだ。
それもそのはずであろう、わたしが故郷を出たのは札幌放浪の19の春、以来、
盆正月も両親に顔を見せることもせず、帰郷したのはポ国に来るまでに、たっ
た2度ほど。30年近く帰郷していなかったのだから・・・

しかし、故郷を思うとき、わたしは、今でもこの歌にあるように、心の中の
東北の田舎の小さな駅に降り立って入っていくのだ。
パパもママもとうに鬼籍に入り、もう迎えてくれるわけではないが、この歌を
口ずさむとき、わたしはセンチメンタルになり、二番目の歌詞で自ら書いた
ように、「まぶたを閉じれば浮かんでくるわ」なのである。

今年、2004年10月、2年ほど前に亡くなった母の法要代わりに、弘前に
住む親戚へのあいさつ回りで、妹夫婦と車で帰郷してきた。
たまたま2泊3日のその一夜が、高校の「一期会」との知らせを京都に住む
同窓生から聞き、わたしは「舞踏会の手帖」をほどくごとく、やおら出席を
決した。

   参照:「舞踏会の手帳」(1938年の映画) 
    夫に先立たれた女主人、クリスティーヌが古い荷物の
    中から出てきた一冊の手帖を見つける。
    それは彼女が初めて社交界にデビューした夜の、
    舞踏の相手の名を記しておく手帖だった。
    思い出が泉のように心に染み広がり、ふとこの舞踏会の
    相手を一人一人訪ねてみようとする。今その人たちは
    どうしているだろう・・・
    その「舞踏会の手帖」を頼りにかつての相手を
    訪ねて行く、と言うようなお話なのですが・・・
        (猪俣勝人著:世界映画名作全史引用)

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2010年3月4日

ふと日付をみて気づいたのですが、我が息子が日本へ発って今日で丁度1年に
なるのでした。

1年前の息子がらみの日記はこちら
行きました、息子」「ずっこけ兄弟の東京移動」「息子と娘の日本社会デビュー

リスボン息子から今では東京息子と呼び名も変わり、この様子では少なくとも
もう1年は「東京息子」を続けるようです。
彼にとっては15年ぶりの日本でした。子供の時に見た日本と、大人になって
から目にする日本は違って当然。
「まるで人間がベルトコンベアの上を歩いているみだいだ」と、当初の印象を
語っていたのですが、1年が経った今では自らもそのひとりになっていること
に、気づいているのだろうか(笑)

我が東京息子は、日本にいてもじっとしていることなく、仕事がない前日の夜
ともなると、友人たちとつるんでは日本の生活を楽しんでいるらしい。
「明日は仕事がないから、兄貴、いないよ」と、木曜日と日曜日はモイケル
から聞かされるのが常です。

昨年9月に3週間ほど帰国したのですが、そのときに駅で見かけたこんな注意
書き↓

japan

これを見て「あっ!」と思い、
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2010年3月3日

ポルト百景街角
ポルト百景。街角
  
我が自宅日本語教室では14人が日本語学習をしているのですが、一ヶ月ほど
前のポルト試験会場で今年は5名が漢検に挑戦し、その結果が出ました。

20代の二人、それに30代が一人、残りの二人は50代後半と60代です。
50代後半のJ氏は今年が二度目の漢検で9級、他の4人は我が自宅日本語
教室で学習し始めて1年少し、「少し早いんじゃないの?」と話したのですが、
「挑戦みたい!先生、手伝って!」と、みなさんやる気満々。

そう来られると「まだ時期尚早です」とは言えません。授業の始めの20分
ほどを漢字指導にあて漢字の学習がだいたい終わったところで、11月に入
ると授業の最初の20分は問題集中心に模試です。
12月、1月は漢検一色、その問題集一冊を少なくとも3回繰り返します。

10級は小1の漢字80字の読み書きが中心なのですが、筆順、対語の漢字が
問われます。過去問の説明が難しい点は、出てくる文章が初級学習者が、まだ
習っていない言い切りの文体だというところです。
それがあるので、日本語学習2年でないとこれまでは勧めなかった漢検ですが、
今回は全員高得点で合格し、それぞれに「おめでとうメッセージ」をケータイ
から送信。はい、ケータイ使わないぞぉと時代の流れに長年抵抗してきたわた
しですが、今ではしっかりケータイを利用しております^^

さて、なんだ、10級と9級か、なんて思われる人もいるでしょうが、日本語
学習者にとって、ひらがな、カタカナ、漢字の三タイプの文字を使いこなす日
本語文章は大変難しいのです。
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2010年2月28日

今月の原稿書き上げ、やっとブログお楽しみ時間(笑)
と言えども、この後まだ火曜日の市との会議準備があるのですが息抜きです^^

Aliados
ポルト百景。市庁舎通りの古い建物の頂上をアップにして見ました。


金曜日の夜から昨日土曜日一日中強風で、わたしなどは危うかったのである。

それで風が渦を巻いてうなっており、夜間はその音が耳について、なかなか
眠れなかった。
朝、いつもの通り、日本語教室へ出かけたはいいが、帰りしな、車を置いて
いるメトロ駅のホームからエスカレータでそのまま外部へ出たのだが、途中
からエスカレーターの屋根はなくなるので、傘を差しながら上ったのがいけ
なかったのだろう、突風で危うく体ごとエスカレーターから吹っ飛ばされる
ところだった。

2ヶ月前に転んで痛めた膝がやっと直りかけてきて、よろめきながらもかろ
うじて我が体のバランスをとることができたのでよかったものの、そうで
なかったら、あのままエスカレーター階下に転び落ちて、軽い怪我ではすま
なかったかも知れない。
若いころと比べるとそんなに軽くもない我が体が、あんな風に吹き飛ばされ
そうになるとは!いったいどんな強風だい!と思ったのだが、案の定、さして
いた傘は逆さまに開き、骨ごと見事に壊れていた・・・

ということで、マデイラ島の大洪水被害、ポルトのリベイラ水害と、このとこ
ろ悪天候のポルトガルであります。

さて、その昨日の土曜日の日本語教室、いつものごとく教室へ入ると、6脚
あってしかるべき椅子がまったくない。
「アトリエで使いっぱなしだな」と思い、アトリエへ足を入れると、ぬぬ?
床には人間二人がマットの上で毛布を被って寝ている。
眠りの邪魔をしないように、抜き足差し足でイスを教室に運んだのだが、何気
なくそのマットの足元に目をやると、あらま、着の身着のまま、黒いブーツ
を履いた足が4本マットからはみ出ているのが目に入った。

むふふふ。こんなことができるのは、無謀な若いときかホームレスくらいで
あろうなと、時々出かけては友人宅に泊まっていた我が息子のことが思い出
された。

その東京息子、近頃さっぱりスカイプに上がってこない。
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