2010年4月29日 

ポルトに数年滞在するうちにすっかりVinho Verdeファンになる日本人は
少なくない。
こちらに滞在している間に、気が合い、帰国後も通信でのお付き合いが続き、
わたしの帰国時に会ったりする友人たちのなかに、毎年年末にはモックヨッ
クのクッキーとともに、日本製のカレンダーを送ってくれるNさんがいる。

日本製のカレンダーはデザインも素敵な上に、スケジュールが書き込み安い
スペースもあり、そういう手のカレンダーはこちらでは手に入らなく、なか
なかに重宝しているのである。

そこで、わたしはそのお礼に毎回ご夫妻の好きなVinho Verdeをポルトから
お送りしているのだが・・・
!!!ま、待てよ、今あっと思い出したんです・・・・
ゴーーーン!去年末にクッキーとカレンダーをいただいたまま、まだワイン
を送ってなかった あちゃ~~~^^;

も、もちろんクッキーはとっくの昔に腹の中^^;カレンダーはさまざまな
スケジュールが書き込まれすっかり我が物。これはやばい!
Nさん、近々に早速お送りいたしますれば、ご勘弁!いやぁ、去年11月から
やたら忙しかったもので、そうでなくてもズッコケが多いわたし、面目ない。

で、Nさんに送るときにわたしが使うものがこれです↓
ワイン箱1
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2010年4月28日

vinhoverde1

ワインについて書くのにはためらいがある。
わたしはどう大目に見てもワイン通とは言い難く、ビール党なのである。
頭にキンとくるくらい冷えた生ビールを一挙にク~ッと飲むのは、わたしに
とって至福の瞬間である。
その一口のあと、ワイワイガヤガヤ、歌いながら喋りながら肩組み合って
テーブルを叩きながら、仲間と飲むのを最高だと思っている一人である。

しかし、ワインなくしてポルトガルを語ることはできない。
ましてや、ポルトは!

で、ワインについてはわたしの浅い知識の域を出ないのだが、ご勘弁を。

ポルトガルが古くから世界でも指折りのワイン特産地だということは意外と
知られていない。
かつて、我が亭主のブラジル人の友人が、フランス人のガールフレンドを伴っ
てポルトを訪れたとき、その彼女いわく。
「ポルトガルはフランスに匹敵するくらいの多種のワイン、しかも良質のワイ
ンを生産しているかも知れない。」

この国で生産されるワインは、大西洋にあるマデイラ諸島を除いては、大きく
分けて二通りある。
一つは、既に「ポルト・ワイン」の章で述べたポルトに住むイギリス人によって
完成された格調高きVinho do Portoことポルト・ワイン。
そして、今回のテーブルワインであります。
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2010年4月26日 

今年はポルトガル共和国100周年、日葡修好150周年、そして、わたし
も母国に住んだ月日とポルトガルに住んだ月日が丁度同じになる年です。
大きな節目が三つも重なり、Japan Weekの手伝いの話が飛び込んできたのも
何かの縁だと思われ、この間まで、自分の力の無さにビビッて怖気づいていた
のですが、今回は腹をくくりましたゾ。
と言うより、場数を踏んで段々、ク○度胸がついてきたのであります(笑)

このお手伝いの魅力は仕事の関連で行く先々で、色々なポルトガルの人たち
と知り合いになれることです。

先週は、Japan Week中の日本側参加者と現地との交流相手として、市が紹介
してくれた、ポルトガルでは有名な一流シェフ、Rui Paula(ルイ・パウラ)氏の
経営するレストランへ、市の人たちと出かけてきました。
う~~ん、少し敷居が高い高級レストランではあります。

レストランDOP

dop14

Rui Paula氏はドウロ川上流のレストラン・DOCと、2010年の春にポルト
旧市街に開店したDOPを持つ。「ポートワインとガストロノミー」コンテストで
多くのゴールデンメダルを獲得、最近出版された料理本
「Rui Paula, uma cozinha no Douro」はベストセラーになっている。

dop1
大きなレストランで店内はキチンを三箇所に備えてある。この部屋は客の目
の前で調理して出してくれる「ショークキング」。わたしたちが案内された
のはその席だ。数人の著名なシェフやロンドンの一流日本レストランで修行
したRui氏は客の目の前で握る「寿司レストラン」方式から得たアイディアだそうだ。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2010年4月24日 

ジャニス4
今日の記事のトピック、我が心のジャニス・イアン

一週間のご無沙汰でした!とは、今年2月に亡くなった司会者、玉置宏さんの
名セリフなのですが、(と言っても若い方はご存知ないかもw)、こうして
落ち着いてブログ更新をするには、まさにぴったりの言葉です。

出ずっぱりの一週間で帰宅するのは毎日夕方、我が家の5匹猫の昼食は申し
訳ないけれども夫に仕事の合間の時間をみては帰ってきてもらい^^;
毎日のようにスカイプでチャットするモイケル娘や東京息子とも一週間ぶりに
話ができたという具合でしたが、きつかった~~(笑)

Well, ということで、I'm back!

さて、今日土曜日は通常通り日本語教室へ出かけ、いったん帰宅後、簡単に
ランチをとって、午後は我が元職場であった補習校へと車をとばしました。
今年から月に一度、講師たち、もしくは父母がボランティアで自由活動と称
して、子どもたち父母も含めちょっとしたアクティビティをすることになり、
今日はその初日。
いったいどんな風になっているかと、長年関わってきたわたしは気になり、
覗きに行って来ました。

幼児向けの活動はSさんがお話の読み聞かせ、Kさんは父母の一人の協力を
得て消しゴム版画でスタンプ工作です。
カッターを使用しますから低学年の子どもたちには父母がつきそい、共に
工作に挑戦しており、ほとんど全校生徒がこちらの活動に参加していました。

かつて木彫りをしていたわたしは、どれどれ、できれば参加してみようかとも
思ったのですが、実はもうひとつ別教室での活動がなんとI氏のギタークラブ!

どれどれ?と初めはちょいとからかうつもりで教室へ入ってみたのですが、
いやぁ、なんと、スタンプ工作をそっちのけで、すっかりこちらに入り浸り
になってしまいました。

学習者は父母のひとりのKさんと、中学部、小学部の男子各一名の3人。
不協和音よろしくボロロンバラランとみなさんギターをかっぴいておられるw
そこへわたしが入り、よせばいいのに音程に敏感なわたしは、
「どれどれ、ちょっと音があってないから調整してごらん^^」
と口出し(笑)

ギターに触れなくなってもう25年ほどになります。
わたしは昔独学で学び、テレビを持たない小さなアパートで慰みによくギター
をへたくそに弾いて歌ったものです。
渡米したときも、アリゾナで真っ先に手にいれたのはギター、ポルトガルに
来て、最初にもらった夫からのプレゼントもギターでした。
アリゾナでもポルトガルでもひとりひっそりと歌っていました。
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2010年4月21日

rosamota

時々話題に出しているJapan Weekの手伝いで、今週は大忙しです。
毎日一中会議です。
昨日は朝から夕方まで、上記写真「ロザ・モタ・パビリオン」のあるポルトの
クリスタル公園内の図書館でずっと打ち合わせでした。

う~ん、30年来仕事で外で丸一日、しかも会議のみで過ごすなどしてこなか
ったもので、こりゃぁなかなかこたえます。

あれこれに「勝ちたい!」なんてあまり思わない性分ですが、
「よる年波に勝ってみたいかも・・」と今回はつくづくおもいましたぞ。

まだ2、3日この状態が続きますが、昼食の休憩で少し園内を散歩したところ、
以前も記事にかいたことがある園内を自由に歩き回る孔雀の羽広げのご披露に
出会いました。

kujaku

ということで、ただ今朝、7時45分、出勤準備はオッケーで、そろそろ
でかけてきます~~。

ばたばた~~!

コメント・レスは帰宅後まで!

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2010年4月16日

桜桃
Cerejeira de Jardim=庭の桜桃」と教えてもらった木。Cerejeiraは
さくらんぼのことですが、この木は実をつけないのだそうです。
さくらに似ていますね。


我が父は岩手県雫石出身の人で、若い頃は地方競馬の騎手をしていた。

家族のわたしたちを弘前に残したきり、自分は雫石に住んで好きなことを
してきた人だったが、歳をとり体重も増え、いよいよ馬に乗れないとわかった、
わたしが中学生になる頃に、やっとこさ、弘前に来て共に暮らすことになった
のである。

仕送りもなく、祖母の大所帯の家でわたしたち親子三人は同居し、母が
ずっと苦労をしてきた姿を目の前でみてきたので、父にはどうしても気持ちを
開くことが出来ず、どこかで他人のような目を向けていたところがなきにしも
あらずだ。

加えて酒癖が悪く、すぐに手があがる人でもあり、思春期のわたしはそういう
父が嫌いだった。

わたしが高校生の頃だ。
再三の酒癖の悪いのにとうとう辛抱の緒が切れ、わたしたち母子3人は、
父が酔いつぶれて寝ている間に、身の回りの物と一式の布団をリヤカー
に積み、母はリヤカーを引き、わたしと妹はその後押しをして、母の知人の
屋根裏部屋に逃げたことがあった。

その時に、わたしと妹は母に勧めたのだ。
「おかあちゃん、親父と別れちゃいなさい。3人で何とかなる」と。
一ヶ月ほどその屋根裏部屋で生活して、結局わたしたちは父の元へ引き
返すことになったのだが、それを決心した母はこう言った。
「戸籍が片親となると、就職でも結婚でもお前たちが苦労することになる。」
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2010年4月15日

赤い花と白い花
フラットの建物の陰で、赤と白のコントラストに目を奪われました。
白い雛菊とカメリアの赤い花びらです。


昨年の今頃、夫は病院の消化器科のディレクターを退任し、わたしはわたしで
最年長者がいつまでもデカイ顔してのさばっていてはいけないと、21年間し
てきた補習校の講師を退きました。

「自分でもよくこんなひどいスケジュールをこなして来たもんだと思うよ」
と、退職したその日に、米粒のような字でぎっしり埋められたAgenda(=アジェ
ンダ=手帳)を見て夫は言ったのだが、そんな言葉を夫の口からわたしは初め
て耳にしたのでした。

夫よ、本当にご苦労さんでした。
病院も数件かけもちで、朝8時半から夜10時近くまで、よくも体を壊さずに
がんばってくれたものです。

それで稼いでいただいたお金は、どっさり貯まり、のんびり年金者生活かと
思われては、みなさん、とんでもないことで(笑)
夫の稼ぎは貯まることなく、授業料がポルトのどの教育施設よダントツで高い
と言われる子どもたちのBritish School、日本からの通信教育、補習校と、
全て教育費につぎ込まれました。

そして我が母が軽痴呆施設に入ったときの負担金、14年間寝たきりで昨年
みまかった実母のためのお手伝いさんの負担金、そうそう、更にわたしたちの
家のローンまであったのでしたが、今思い出してみると気が遠くなるような
毎月の出費で、最初からわたしは怖くて家計簿などつける気にもなりません
でした。なにしろ、切り詰めるところなんてなかったのですから(笑)

ですから、「病院の部署のディレクターのお宅^^」とみなさん、想像して
来ていただくと、我が家はまったくその期待を裏切るもので、ごくごく普通
のフラットであります。しかし、わたしはこれで十分満足しているのです。

4人家族だったのがいつの間にか60過ぎの夫婦二人になり、結構広いでは
ござらんか(笑) 5匹の猫たちも、子どもたちの部屋はいつもドアが開け
放しになっているというのに、なんでか、5匹が五匹とも日中集まって居眠
るのは、わたしたちの部屋(笑) 
ま、これはわたしたちの分相応でしょう。

その夫、毎週火曜日と木曜日の夜7時半から、ポルト大学の日本語コースを
受講しています。
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2010年4月13日 
Edit1
ビルとビルの合間に見えるグランジャの水平線に沈んでいこうとする太陽

アリゾナのTucson(ツーソンと読む)時代には、「T.G.I.F.」と言って金曜日
の夜ともなると、みんな誰かの家のパーティーやパブに繰り出しては、多少
羽目をはずしたりして、週末を集って楽しむのが習慣だった。
T.G.I.F.とはThank God! It's Friday!=神様、金曜日だ、週末だ!」の略語
で一週間の勉強や仕事に開放されて、週末を楽しむ休む、とでもいう意味だろ
うか。

それなのに、わたしと来たら電話で誘いが来ても断って、どっさり出された
宿題にク○まじめに取り組んでは、周囲から
「ヘイ、ユー子!It's Friday! ハハン?」
とからかわれてはこう思ったものだ。

「あんたらは遊んでたらええのよ。わたしゃ、大学でのESL(English as a
Secound Language)」コース費用を作るのに都会での一人暮らし、何年も
ビアハウスの歌姫やって資金を貯めて来たんだい。時間が惜しくって遊んで
おられまへ~ん」

もちろん、わたしも適度にかなり変な羽目をはずしたりしてはいたが、とに
かく週末のパーティーにはほとんど加わらなかったのだが、今にしてみれば
多少後悔をしないでもない。移住するはずの最初の計画が事情あって、結局
半年の滞在に終わってしまったのだが、そういうところで垣間見ることが
できるアメリカ社会の一部があったはずだからだ。
それを見損なったのは、後になり残念な気がするのである。
(ツーソン時代のよもやま話はこちら「アリゾナの空は青かった

結婚してポルトガルに来てからも、今のように週末でも開いているショッピン
グセンターなど無かった時代で、金土はたいてい夫の友人宅、親戚宅などで
しょっちゅうパーティーがあり、アメリカにいたときとは今度はまた違った
理由で、わたしはできるものならそれを避けたい気持ちが大きかったものだ。
つまり、ポルトガル語を話せないという言葉の壁があり、楽しめなかったので
ある。

おまけにポルトガルのパーティーは昼食から始まると、結局真夜中までと
いうのがザラで、話題が提供できない、食べるのにあまり興味がない人間に
はある種、苦しみでもあると言える いえ、ほんまよ!

それで、土曜日の補習校の仕事を引き受けて以来20年間は、「土曜日の朝、
仕事があるもので」と、それがかっこうの理由になり、これ幸いにとずっと
逃げてきたのであった。
夫は「君が行かないならボクも行かないよ」と、一人で出かけてくれても、
わたしは一向に構わないのに、これまた出かけない。
そんな20年間だったのだが、さて。

ポルトガルに来てから30年来のポルトガル人の友人Eがいる。
「わたしの新しいフラットに一度も来てくれないじゃない」と時々愚痴をこぼ
されて来た。
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2010年4月8日 

ミラガイア
ドウロ川沿岸の家並み

忙しいのと天気が落ち着かなかったのとで、ポルト散策がなかなかできなかっ
たこのごろでしたが、土曜日は昼食を外でしがてら、もう何年も前から気に
なっていた「モンシーク修道院=Comvent do Monchique)」を探しに行って
きました。

こういう探し物探検は一人で行くのが好きなのですが、休日に夫をほったらか
しては、ちょっとまずい^^;で、話に水を向けてみると一緒に来ると言う。
「いや、ぼくはいいよ」をちょっと期待しなかったわけでもないのだが、仕方
ない、連れていくか(笑)

このモンシーク修道院ですが、実はあまり人に知られていない。
検索してもこのあたりにある、とは書いてあるのですが、はっきりした所在地
が見つからない。

そこで週に一度、わたしがレッスンを受けに行っている、ポルトガル語の先生、
かつてはポルトの私立学校ロザリオの先生で我が子達のポルトガル語も見て
くださったのですが、モンシーク修道院がどこにあるか、たずねてみました。

と言うのは、10年ほど前に定年退職し、インターネットなどもしっかり勉強
して、悠々自適の生活、話題が豊富な方で、わたしは大好きなのですが、その
昔、神学を学んでおられたのです。
神の愛をとるか、愛の神をとるか、とタイスのごとく悩んだ末、愛の神を選ん
で結婚、教職に長年就かれたお方です。(註:タイス=オペラ「タイス」の
主人公。ただし、タイスは女性。「タイスの瞑想曲」は下記で聴けます)

そこでモンシーク修道院がどこにあるかご存知なのではとたずねたところ、
「それはアルガルブ(ポルトガル南部)にあります」
と夫と同じことをおっしゃる。
「先生、ポルトにもあるとどこかで読んだ記憶があるのです」
「ふ~~む。聞いたことがないぞ」

モンシーク修道院の話はそこで終わってしまったのですが、翌週レッスンに
出かけると、
「オ・ドナ・ユーコ!これは参ったな。ポルトにもあるとは!」
「正確な住所はわからないが、ドウロ川沿いの方だね。」
先生、あの後、ネットで検索したのだそうな^^
うほほほほ。モンシーク修道院に関しては、先生よりわたしの方が、先で
あったのよ^^

さて、ドウロ川に面した並びは小高い地所になる。車をゆっくり走らせなが
ら、あれかもこれかもと、修道院らしき古い建物を見つけては、車を止め、
急な坂道を2、3度上り下りしては、どれも見当違い。
細い坂道を見ると、ついどれどれ?と足を向けたくなるわたしとちがい、
普段平坦な道しか歩かない夫には細くて急な坂道など縁がない。
毎週土曜日午後にはジムに行く彼、
「もう今日はこれで運動十分だ。行かなくてもいいや」(笑)

さて、トップ写真にあるBanderichasのあたりを歩いたとき、ふと除いた
横の坂道(この頃にはもう上るのにくたびれかけていた)の突き当たりの
トップに像が乗っている古い建物が目に入った。
「ん?あれはなんだ?」
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2010年4月3日

ベランダの春
我がフラットのベランダにも春が。
 
ジョン・ボーイこと、今ではわたしが東京息子と呼ぶ長男とモイケル娘の二人
が住むのは「ペット可」で、しかも少しでも安いところと言う条件で探し当て
た千葉県のアパートだ。

昨年9月にわたしが帰国したときはそこに滞在したのだが、都心まではメトロ
ですぐだし、駅の近くということもあり、買い物にも便利、少々周囲の環境が
気になるところはあったが、住宅街もあるので、ま、あんなものであろう。

そのアパートに3週間前には、リスボンの息子の音楽友達がしばらく滞在した
のだが、今度は、わたしが土曜日の日本語教室として借りているギャラリー主
(もちろん彼もそのギャラリーを借用しているのだが)で、息子の幼友達でも
あるジェスパー君がイタリア人の友人ミケリ君とともに今現在滞在している。

彼ら二人が日本に到着したころには、モイケル娘のBFであるY君がカナダから
帰国してきて、実家へ帰る途中寄っていたから、あの小さなアパートは5人の
大人を抱えていたことになり、人員オーバー状態だ(笑)

モイケル曰く、
朝起きて顔を合わし、「Good Morning!」というとミケリ君からは
「ボン・ジョルノ!」と返ってきた。
ジェスパー君もポルトガルで育ったものの、国籍はと言えば、デンマーク人だ。
ポルトガル語、英語、イタリア語、日本語が飛び交い、いったいにアパートは
多国籍イン、もしくはユースホステルではないか、と夫と笑っているのだが、
モイケルの3匹の飼い猫も、さぞかし目を白黒させていることだろう。
想像するだに面白い。

男ども3人は息子の部屋で雑魚寝だとか、若いからこそそういうことができる。
これが下手に分別くさくなると、やれ、人を泊める部屋がないだの、ベッドが
ない、家が小さいだのと理屈をこねて、ついつい断りがちになり、どうもいけ
ない気がしないでもない。

息子が東京にいる間は、まだまだ数人の友人が日本訪問をして、東京インを
利用するのではないかと、わたしは思っている。

モイケル娘よ、友達が多い兄貴を持つ宿命だ、辛抱おしやんせ(笑)

さて、ポルトガルは今週はSemana Santaといって復活祭の聖なる週にあたる。
ポルトガルの復活祭については、既に別サイトで書いてあり、毎年、そちら
へお運びいただいていたのだが、今回はここで紹介したいと思う。
すでにお読みの方はスルーを^^
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2010年4月2日

長年ポルトガルに住むが、いつまでたっても苦手なのが、ポルトガル料理の
量である。多いのなんのって、わたしの小さな胃には、とても入りきらない。
一人前を頼むと半分は残すことになり、ウエイターからは、
「なんでこんなに残すんだ。美味しくないのか?」と責められることもあり、
お金を払う客の立場でありながら、心苦しい思いをすることがある。

行きつけのレストランなら、一人分を注文して二人で食べることを承知して
もらえるが、そういうことをしないのが原則、もったいないなぁと思いながら
も皿の上にナイフとフォークを「食事終了」の形に。

ポルトガルを訪れる日本人の旅行者もこの食べ物の量に辟易する人も多い
ことだろう。

そんな人におススメなのがスペイン式の「tapas=タパス・レストラン」です。

タパス(Tapas)とはスペイン料理の前菜、「おつまみ」です。 
メインディッシュの量が多くお腹が膨らむポルトガル料理は、お酒のつまみと
なると意外や種類が少ない。
   タパスレストラン1

だが、タパスのメニューは様々。生ハム、タコとピーマンの酢料理、とうがら
しのオリーブ油炒め。その他、トルティーリャ(スペイン式玉子焼き)、えび
料理などなど種類は豊富。もちろん生ビールもしくはワインとともに、おしゃ
べりしながら楽しめる。

満腹するほど一種類の料理を食べるよりも、ビールやワインを飲みながら
ちょっとずつ数種類のおつまみを好むという人にはうってつけである。 

それで、わたしたちはポルトにあるタパスレストランをよく土日の昼食によく
利用して食事も雰囲気も楽しんでいたのだが、どういうわけか、行くところ
行くところ、閉店になるのだ^^;
少し高いし、とにかくしっかり腹ごしらえをするポルトガル人には物足りなく
て損した感じになるのであろう(笑)

それが、市庁舎へ出かけることが多いこの頃、しばらく前に、偶然目についた
のがレストラン「Canas y Tapas=カーニャス イ タパス」(canasは生ビー
ルの複数)。しかも、ポルト市庁舎のすぐ横です!

夫を引っ張って先週土曜日に行ってきました。
              
タパスレストラン4
  
下が面白い注文板(笑)↓
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2010年4月1日 

1年半前の2008年秋に、わたしの自宅日本語教室の門をたたき(笑)、
日本語を勉強してきたグループレッスンの二人がいる。
ソライアさんとペドロ君だ。

soaiapedro
随分前に写真は掲載許可済み^^3人でダウンタウンのレストラン
「アバディア」で食事したときのこと。デカイのと小さいのとです^^


ソライアさんはアートスクールを出て職探し中、ペドロ君は昨年夏に大学の
コースを卒業し、現在は家業を継いでいる。

初めて教室に来たときは、恋人同士であろうかと思い、聞けば、
「ちがいま~す、ともだちです」と言う。
ポルトガルでは、夫婦や恋人のカップルで習い事をする人が結構いるのです。

今年1月の漢字検定試験も、通常は日本語学習2年以上でないと、わたしは
受験を進めないのだが、この二人はチャレンジ精神旺盛で、
「受験したい!」というので、漢検指導を少ししたのだが、二人ともいい成績
で合格できました。

この二人の日本語クラスは、お互いに冗談を言い合い、

ソライア「ほら、ここ、こう書くんだってば」
ペドロ 「わ、わかってるよ!」と、あれこれポルトガル語で話してにぎやか。
ソライア「せんせい、この人、ちょっとウルサイね
    (マンガでかなりの口語体日本語を知っており「ウルサイ」の
     部分は日本語で言う)
ペドロ 「せんせ、今ソライア、なんて言ったの?」
わたし 「うるさい、といったのです。」
ペドロ 「おお!じゃ、じゃね、シャーラップは日本語でなんて言うの?」
わたし 「だ、だまれ、と言います
ペドロ(ソライアに向かい)「ドゥアマ~レ!」 
ソライア 「


とまぁ、授業中こんな感じで、時には「おいおい、そこまで言って大丈夫か
い?」と思われるような言葉が出るのも頻繁。まるで小学生が学習している
ようににぎやかで、わたしはいつも楽しんできました。

下は2008年のクリスマスに、プレゼントとしてわたしがいただいた彼女
の作品です。
  
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