2010年8月29日 

galo
同じニワトリ(galo=ガロ)ですが、こちらは「真実の証」の象徴です。
下記の話題のお人とはエラい違いです^^;
ガロの言われについてはこちらでどうぞ。

この数日、ウエブ新聞を読みながらパソコン画面に向かい、朝っぱらから思わ
ず口をついて出る言葉が、「やってることがバッカだね、まったく」です。

ああだこうだと悪口まがいの批判をブログに綴ると、自分の品位も落としかね
ないので、ずっと控えてきたのですが、あまりのひどさについ取り上げてしま
いました。
起きたばかりの夫が毎回後ろから覗き込んでは、「またひとりで文句言ってる」
と笑っておるこの頃ですが、お笑いどころじゃあれへんよ、ほんま。なんなん
だ、この民主党って。民主政権の政治取り組み姿勢には中学校の生徒会じゃあ
るまいしと思っていたのが、これでは小学生の学級会に格下げではないか。

その学級会並の民主党首選の小沢氏出馬には鳩山氏が変に絡んでおり、
もう政界には出まへんと言ってたのではなかったのか~。

鳩○はニワトリかーたった3歩で過去を忘れる

いえいえ、わたしが言うんではありませんて。とあるブログの見出しで(上記
クリック)、思わずうまいこと言うやん!と、はしたなくも喜び、近頃政治に
興味を示し始めたモイケル娘にこの話をしましたら、間髪を入れず、

「ぎゃははは。ぽっぽっぽ、じゃなくてコッコッコ、かw」

お、おいと思いながら突っ込みのうまいのに思わず笑ってしまった低俗
親子でございました。
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2010年8月28日

今日は今年の春に訪れてきたグラナダのロルカの生家について綴りました。

どこの国でも 死はひとつの終わり
死が来て幕はとざされる
だがスペインではちがう
スペインでは幕がひらかれるのだ 
(ガルシア・ロルカ)
ロルカ1

残酷な時代はいつでもどこにでもあります。
グラナダ生まれの詩人劇作家ロルカが生きたのはスペインのそういう時代で
した。ロルカが自分の早期の死を予期していたかどうかは分かりませんが、
彼の多くの詩には死を追悼するのが多いように思われます。
ロルカは死によってこそその名を永遠に人々の胸に刻んだのかも知れません。

わたしはロルカの研究者ではなく、青春時代の一時期に彼の短い一生に
興味を持って本を読み漁っただけなので、あれやこれやと持論を展開できる
術は持ちません。しかし、詩人の銃殺という残酷な粛清の事実には今も若い
時同様に大きな恐怖と悲しみを覚えます。

そして、自由に言論ができる今の時代に生きる自分の幸運を噛み締めます。

ロルカ2      
ロルカが8歳まで住んでいたという記念館。通りにはオレンジの木。              

ロルカ3
生家の中庭。内部の撮影は禁止だった。   

現在記念館になっているロルカの生家フエンテ・ヴァケーロス(Fuente Va-
queros)はグラナダから30キロほどだろうか、小さな村だが、ロルカの生家
がどこにも案内の標識が見られなかったのは意外でした。

初夏の暑い日ざしを浴びながら、ひなびたグラナダの小さな村フエンテ・ヴァ
ケーロスでロルカ生家を探しながら、村の雰囲気に田舎の持つ独特の閉鎖性を
感じて、わたしは少なからず自分がそれを嫌って都会へ飛び出した19の頃を
思い出していました。

ロルカはグラナダでより、生誕地のフエンテ・ヴァケーロスより、むしろ海外
で誉れを受けているのでしょう。そんなことをふと感じました。
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2010年8月25日

胡蝶蘭
わたしの胡蝶蘭。2度目の花を咲かせました。

この数日、ブログ更新も忘れて何をしていたかというと、ひたすら書類の整理、
整理、整理・・・・書類というか、日本語授業で自分が作成したあまたの教材
コピー、「spacesis、謎を追う」シリーズの検索資料コピーがpcサイドに積み
上げられ、通常ですと、一定期間でファイルを作るのですが、この数ヶ月は
その時間がないまま、「プリントしてはホイ」という具合にパソコン横に積み
上げられてきたのです。

そうそう、ポルト市と財団からのJapan Week関係のメールコピーも、必要時に
すぐ情報が取り出せるようにして置くべきもので、行事の内容ごとに分けて
息子の部屋のベッドの上にずっと並べられておったのですが、これも内容を
復習しておくために整理です。

そしてもうひとつの整理は靴と洋服。
何年も着用してこなかったものは、思い切って今年は処分しました。
が、もしかしたら娘が着てくれるかもしれないと思い、長年保存してきた若い
時の気に入りの服は、わたしの身長よりずっと背が高く足も長いモイケル娘に
もう着てもらうこともありません。が、今回はそこまで手が回らず、未だ数箱、
車庫の中で眠っています。

そんなことをしている間に気が付けば、昨日から日本語教室一部は再開です。
というわけで、Back to the work!

さて、なんだかんだとしながら、7月後半から一ヶ月間で読んだのが下記の
本です。

books

藤沢周平を読むことになったきっかけは、補習校時代に授業で受け持った
中学生の国語教科書「蝉しぐれ」でした。
今回の4冊は、時々お互いの本を交換し合っている補習校のI氏からの
借り物で、「用心棒日月抄」シリーズ。

北国小藩の青年武士青江又八郎を中心に、出奔した江戸での用心棒仲間
細谷源太夫や影の組織の女頭領佐知たちとの16年間の交流を語りながら、
江戸の市井の生活も描かれ、3巻までは短編としても読みきれます。

亡き母が生前よく読んでいた時代物ですが、藤沢周平の本との出合いを通して、
今その面白さがわかってきたように思います。
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2010年8月20日

今日はポルトガル・グッズの紹介です。

数あるポルトガル伝統工芸の中でも布物が好きなわたしは長い間アライオロス
(Arraiolos)絨毯に憧れていました。
しかし、高価なので、我が家は5匹もネコがおり、破損は免れないと手を出し
そびれていたのですが、数年前自宅フラットに移ったのを機に、思い切って
まずリビングに大きな一枚を敷くことにしました。

アライオロス絨毯は、ポルトガル南部アレンテージュ地方のアライオロスと
いう町で17世紀に織り始められたといわれます。正式には「Tapete de
Arraiolos」と言いますが、「アライオロス」が町の名前と同時に絨毯の代名
詞になっています。
arraiolos1
(この画像はsapoから)

写真から分かるように、アライオロシ絨毯は専用の毛糸を使い一目一目刺繍
して埋め込んでいきます。初期の図柄は、アラブ文化の影響で幾何学模様を
あしらったものが多かったのですが、現在は花も組み合わせ、一目でアライ
オロスと分かる独特の図柄を作り上げました。

arraiolos2
これがうちのリビングの大きな絨毯の角。撮影がうまくできなかったので角っこ
のみにてご勘弁^^; 通常アライオロス絨毯の周囲はこのようにループで仕上
げられています。下は両ベッドサイド用。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2010年8月18日 

今日は我が家のネコの話題です。興味のない方はスルーを。

夫を除いて、わたしも子供たちもネコが大好きです。
いえ、夫もネコが嫌いなわけではないのですが、飼ったことがなかったようで、
大して興味を示さなかった夫でしたが、3:1では拒否しきれなかったので
しょう(笑)今では「要らない」とは言いませんし、結構ネコに日本語で話し
かけていたりするほどになり、完全にわたくしに感化されたといえましょう
(うふふふ、しめしめ

我が家に5匹いるネコですが、わたしはネコを拾って飼うことはしますが、買
ったりはしません。ネコのブランドには全くこだわりませんので、買わなく
たって飼い主を必要とするネコはたんとおりますもので。

現在いる5匹のメンバーは、親子二代目はクルルとぺト。
 
gato5
クルルは雑誌「ねこのきもち」で大きく写真で掲載されたことがあるのですが、
気弱なネコちゃんで、いつも黒猫ぺトに目をつけられいじめられています。
ぺトの嫉妬心ではないかと分析。

gato6

黒猫ぺトはリスボン生まれ。元々はリスボンに住んでいた息子の飼い猫の子ネ
コで、最後に残ったもらい手のつかないのをわたしが引き取ったわけで、我が
家で一番図体が大きいのですが、
実は胃腸系の持病があり、クリニック販売の特別の食べ物しか食べてはいけな
い手間のかかるネコちゃんです。
gato7

gato4
一番お茶目なゴロー君。我が家に5番目に来た猫で、餓死寸前のところを見る
に見かねて、「これ以上、ネコを増やしてくれるな!」との夫の嫌な顔を頭か
ら振り払って、とうとう拾い上げてしまったネコちゃんです。
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2010年8月17日 

リスボン1

上の写真は先週木曜日にリスボンへ行ったときので、Ponte Vinte Cinco de
Abril(24月25日橋=4月25日はポルトガルの革命記念日)なのだが、この日は
「海上自衛隊練習艦隊かしま」のレセプションが夕方7時半からなので、4時半
にリスボンに到着したわたしたちは、テージュ川沿いにあるオリエンタル美術館
(Museuへ足を運んだのであります。

りすぼん4

館内をじっくり見て回る時間はなかったので、日本を始めインド、中国などの
コレクション展示会場を見学したの。色々事情があるのでしょうが少し暗すぎの
感があり。

リスボン2
入り口ホール。多くの日葡修好150周年記念行事がここで開催されています。

リスボン3
階段を上ると、コレクション展示会場。すでにここから暗い・・・

この日は偶然夕方6時からの夜間無料公開の最後の日でした。40分ほど見学
後、暑い中、車の中で四苦八苦しながらレセプション出席のために夫もわたしも
着替えです。

やっぱりこういうリスボンでの会合出席は服装のことを考えると、ホテルに一泊
したほうが良かったと思ったものの、5匹ねこの世話係がいないことには無理。

そうして、いざ7時、川沿いに沿ってまっすぐ来た道を逆方向に進めばいいのだと
思いきや、それが違ってました^^;
方向はそのままでいいのですが、見ると平行してもう一本、4車線の広い道路が
横にあり、そっちへ入らないと、行き止まりになるのであります。

慌てて美術館へもう一度同じ道を引き返したものの橋の下あたりから、
電車線が入り、わたしたちは逆方向に線路沿いの道を走らされる羽目になったのだ。
べレンの塔もジェロニモス修道院も通り抜け川から海になり、行けども行けども
線路を横切る道がない・・・・

やっとのことUターンできたのは、もうリスボンの郊外で、そのころにはラッシュ
アワーにぶつかり、「かしま」が停泊している港についたのは8時でした。
わたしたちが到着最後の招待客かと思い焦っていたら、さにあらず^^
胸をなでおろしたのはいうまでもありません。

こうして無事レセプションは終了、一路ポルトに向かったのは9時半。

高速道路に入って間もなしに、がん!と石でもぶつかったような音がしたので、
「あちゃ~。どうしてこんなところに石など?」と思いそのまま走っていたところ、
すぐに「パタパタ パタパタ パタパタ」の音がわたしの助手席の側で聞こ
えるのだ。
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2010年8月14日(土)

kashima1
 
今年5月に日本を出航した海上自衛隊練習艦の「かしま」「やまぎり」
「さわゆき」が11日から14日までリスボン港に停泊している。

今年は日本ポルトガル修好150周年で、これも事業の一環、わたしが現在
手伝っているポルトでの11月のJapan Weekもそのイベントのひとつになるの
だが、12日夕方からのレセプションの招待を受け、夫と出席することにして
いた。

これまでの30年間、本当を言うと、大使館からの招待を受けて出席したこと
がわたしたちはなかったのである。事情は子供がいたことと週末の多い行事は
土曜日の補習校講師をしていたので、遠距離のポルトからの出席は無理だった
のだが、今回は、有事の時に国を守るすることになるであろう機関の練習艦隊
を一度目で見ておきたいと切に思ったのと、基本的な子育てからは自由になっ
たということがあったからだ。

「自衛隊」と言うとつい引きがちな人は周囲に多いのだがわたしは何ゆえか?
との疑問をもつ。戦争がないことは勿論平和ではあるが、戦争がないことだけ
が平和とは言えないと思っている。

わたしの高校時代の同窓生には、自衛隊に入隊した人も何人かいるし、
後に分かったことだが、自衛隊入隊を選択した当時親友だった女性もいる。

また、我が親友みちべぇの長女で、防衛大学を目指して失敗したが、周囲の
反対を押し切って結局自衛隊入隊、職場結婚、ついには幹部候補試験を突破
したという、「ツワモノ」もいる。
彼女は高校時代に、神戸の震災時のボランティアに行き、このままでは日本は
だめだと感じ入り、その時に自衛隊入隊を決心したのだそうだ。

戦後の団塊世代のわたしたちの間では、なぜか自衛隊を風刺した歌も流行った
りしたし、世間を騒がした安保闘争などもあったが、こういうことをこの人た
ちは一生続けられるのだろうか?と、わたしにはどこか絵空事を見るような
感で眺めていたし、当時は突き詰めて考えたわけではないが、平和の上に
あぐらをかいてのような気がしたのは否めなかった。

アメリカ傘下脱皮は大いに結構、だがその後はどうする?と具体例を示して
くれた人はいなかった。そして戦後65年、日本は自衛隊は自衛隊のままで、
今もアメリカ傘下脱皮はできずにいる。
できるわけがない、有事に備えた自国を守る機関がないのだから。
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2010年8月10日

jlpt2
 
ポルトの自宅で30年近く日本語を教えてきたが、日本語を教えることの楽し
さ、また、今更ながらではあるが、日本語そのものの奥深さを感じる近年だ。

数年前からポルト大学の夜間コースとして、日本語コースが設立され、知人が
教えているのだが、夫も昨年はそのコースを受講した。

週二回の夜間コースは、聴講生の生徒数も少なくないので、わたしの教室のよ
うに、個人レッスンであれば個々の能力に合わせ、また小さなグループレッス
ンであれば、なるべくオチこぼれないように指導して拾い上げていくことが
できるが、大学のコースとなるとそうはいくまい。
要は本人の勉強次第で、それこそが、真の日本語学習である。

どんな語学学習でもそうだろうが、ただ先へ先へと課を進めるだけではダメで、
「こりゃどうもアタマに入ってないことが多すぎる」などの場合は、ご本人に
「あぁた、このまま進めるわけには行きません。悪いけれどももう一度復習
する必要がありますが、いいですか?」と、ま、ある意味強制的に引き返さ
せることになる。

なぜなら、基礎ができていないとそのまま進めていっても意味をなさないし、
教えるこちらもちっとも楽しくない。

「今まで何べんこの言葉、出てきとんねん・・・・」
「この違いを、この間、面白おかしく説明したったやん・・・」
「あぁぁぁ、ほれほれ、この手の問題はもう何回となく出てきとるで~~」
と腹中思えど、口にはもちろん、顔にも出しませんです。
テストで点数を出して「はい、落第です」と言うわけにもいかないのが個人
レッスンである。

個人レッスンの場合、大いに忍耐が要るのであり、これはある意味「子育て」
にも似ている(笑)
子育てでやたらガミガミ言うは子が萎縮してダメだし、かといって、手綱を
緩めっぱなしだと甘やかすことになり、本人にとっては勿論のこと、後に
大きなとばっちりとなって、育てた側にも返ってくるわけだ。

「個人レッスンだと意外と楽じゃない?自分のペースで好きなように教えら
れて」なんて言う人がいたりしますが、とんでもない。事情を知らない人が
言うことであります。

かれこれ7、8年前になろうか、日本語学習者が達成感なるものを味わえる
のではないか?自分の実力を知る目安にもなるのではないか?また、
目的を持つことによって集中的な学習ができるだろうと思い、その数年前
から毎年、海外の準試験会場のひとつとして、ポルト補習校で日本人生徒
対象に行われてきた「漢字検定試験」に、我が日本語教室の生徒を送り
込むことにした。
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2010年8月8日 

月と星と
月と星と。

我が家周囲はハイソな人たちが住むFozなどとは違い、市井の民の住宅地帯
である。おまけに向かいの並びには、カフェが三つ、美容院が一軒、肉屋が
一軒、同じ並びの2軒向こうはポルトガル語で言う「Mercearia=メルセアリー
ア」、食料雑貨店がある。

便利といえば便利だが、これが夏になるとたまらんのです。
みんながみんな、どっかへ休暇で出かけるわけではないですからね。家でのん
びり過ごす人も結構いるわけで、こういう人たちが遅い夕食後、涼を取る意味
でも家族全員でエアコン、特大テレビのあるカフェへと繰り出してきます。

いんですよ、繰り出してきても。
ところがです、こういうことが時々起こる。

昨日は一日中衣類の整理をしていたわたし。何しろ、このところ時間がなく、
あれやこれやの仕事をひたすらこなし、人と出会ってのおしゃべりタイムも
「夏休みが来るまで待っててんか~」と、アイロン、掃除はこのところずっと
お掃除のベルミーラおばさんに任せきり。

日本語教室がほとんど休みに入った今、普段手の行き届かない箇所の整理です。
女性なら想像できるでしょうが、この整理たるや時間がかかり、面倒な仕事で
はありますが、年に一度はこれをして置かないことには、長年のガラクタが積
もるがままになり、後でエラい苦労をすることになります。

夫が整理をし始めたわたしを見て、
「毎回しんどいしんどいと後でなるのに、まぁたそれを始めるの?」

そう言うけど、じゃ、いつ、誰が・・・するんすか・・・

とまぁ、それは置いといて、そんなわけで、昨夜は「もういいや、ブログ止め
て今日は寝っか」と12時半に床に入り、読書し始めたところ、
通りでボールを蹴ってる音がきこえると同時に、大人同士の大きな声での会話
が始まったではないか。

気にすまいと意識すればするほどボールの音と会話の大声が耳に響き、んもう
読書できやせん。

「何時やと思っとんねん!話ならカフェでせ~~!」と。ところが、カフェも
そろそろおしまいで、話し足りんでか、通りでやってるんですわ。
で、それを待ってる子供二人が、サッカーボールを蹴ってるんですわ。

今朝は今朝で、ジョアキンおじさん、自分のカフェが食堂みたいなもんです、
7時半過ぎには、大声で話ながらカフェ開店。もうこっちは寝てられまへん。
寝室が通りに面してるのは考えもんです。

ほんまにもう、ラテン系のおおらかさ、大声で話す気取りのなさが好きでは
ありますが、夜の大声は響くんです。
って、自分も日中は結構声が大きいかもだ(笑)

さて、話変わり、前回ぺネドーノの続きです。
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2010年8月6日

vinhateiro
vinhateiro=ヴィニャテイロと呼ばれるブドウの段々畑を見ながらドライブ。

毎年少なくとも一週間ほどはどこかへ休暇旅行に出かけるのだが、今年は11月
にポルトで行われるJapan Weekの手伝いで夏休み返上のつもりでいた。

それと、数ヶ月前までは、我が家の近所に住んでいて、留守中のねこの三食、
トイレの世話を、お掃除のおばさんに頼んでいたのが、以前記事に書いたよう
に諸事情があって、ベルミーラおばさん、長年住んだこのあたりから隣町の
Matosinhosへ引越ししたもので、もう以前のように、おいそれと三食のネコ飯
の世話をお願いできなくなったこともある。

頼んだらもちろんしてくれるだろうが、この暑い中たとえ日に二回にしても、
行ったり来たりはやはり気の毒で、もちろん謝礼は出すのだが、簡単には
頼めない。

そこで、ベルミーラおばさんが我が家の掃除に来る日、9時から入り12時に
終わる彼女に、ネコ飯ランチをお願いして、わたしたちは夜には帰宅する
「遠出」を実行したのが今週火曜日。

どこへ遠出してきたかといいますとです、以前、義兄がどこからかもらってき
たパンフレットのお城の写真に一目惚れし、そのうち訪れてみたいと思いなが
ら、とうとう数年経ってしまった今夏、夫をせっついて「行こう!」と出かけ
てきたのが、ベイラ・インテリオール地方(Beira Interior ポルトガル東、
中央部の内陸・山岳地方)、ラメーゴ(Lamego)近くの村「Peedon=ぺネドーノ」
です。

penedono11
ぺネドーノのBrasaoこと紋章

わたしが予想していた所要時間をはるかに超え片道3時間かかり到着したぺネ
ドーノは、人口がたったの1100人ほどの本当に小さな村でした。
このあたりは栗の産地で有名だそうで、件の目的のお城はこれです↓

penedono1

中世の城ぺネドーノ城。西洋史では中世は5世紀から15世紀の半ばをさしま
す。ぺネドーノはレコンキスタ時代の10世紀には既に言及されているが、現在
の城の形式が出来上がったのは14世紀半ばとされ、花崗岩と頁岩(けつがん
=xhisto)でできている。右に建つのはPelourinhoと呼ばれるさらし台。

ご覧のように小高い丘は花崗岩の岩そのもの。城の土台になっている。
penedono2
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2010年8月2日

今日は今年春に訪れたアンダルシア地方、グラナダのアルバイシンのご案内。
画像がたくさんです。
全ての画像を大きなサイズで、と望まれる方は、こちらポルトガル案内専用
サイトOut of Porto-アンダルシア・アルバイシンでどぞ。記事内容


ポルトから車で片道8時間、2010年4月下旬に訪れたグラナダは少し曇っていた。
albaicin1
絵筆を持つ人なら描きたいでしょうか^^
albaicin4

ユネスコの世界遺産に登録されている「アルバイシン(Albaicin)」はアルハ
ンブラ宮殿ができるまでグラナダ王が住んでいたと言われる丘陵地で、グラナ
ダ市を流れるダーロ川(Rio Darro)を挟んむ対岸の丘陵にはアルハ
ンブラ宮殿の全容が見える。

細い路地が迷路のように交差し、丘陵ゆえ坂道も多いが、イスラム教徒の住居
だったアルバイシンは、今にその名残りを十分に残す。

「グラナダ」はわたしなどすぐに手榴弾を思い浮かべるのだが、もともとの
意味は「ざくろ」。なるほどとヘンに納得。ざくろは「多くの子孫」を始め、
その国によって色々なシンボル的な意味あるようだ。グラナダ市の紋章にも
ざくろの模様が入っている。

albaicin3 albaicin2
画像をクリックすると拡大図が見られます。 

門をくぐるとあるバイシン区域だ。 細い路地を歩くとパテオのある半円形の
アーチやタイルで飾られたイスラム風の屋敷が多くある。下記の写真で見られ
るようにこれらの屋敷をアルバイシンでは「Carmen=カルメン」と呼ぶ。
カルメンはここでは人名ではなくハウスのことである。↓
albaicin6
ほらね?
albaicin7
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テーマ:スペイン
ジャンル:海外情報
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