2011年2月25日 

昨年12月に夫が受験した日本語能力試験ことJLPTの結果が出た。

夫もですが、数人の我が日本語生徒受験者も全員パスです。

JLPT

ポルトガルでは第一回目、始めてのJLPTだったのでわたしは合格目安点が
分からず、何人かの生徒さんに「待った」をかけました。資料に目を通すとな
かなか難しそうだったのです。受験するなら合格を目指したい。

しかし、夫に届いた合否の判定を読むと、「あらら、ちょっとハードル、低く
ないかなぁ」がわたしの感想です。
1級を除いては50%の得点があれば合格です。う~~ん・・・この合格目安
は我が生徒達には言わないで置こう!彼ら、気を抜きそうです(笑)

弁護士、医者等の専門的な職業に関するものは別にして、こういう認定・証明
書が実際のところ、どの程度その人の能力を表すかについてはわたしは時々
懐疑的になる天邪鬼です。
もちろん、何がしかの能力があることを示しはするのでしょうが、こういう証
明書にものを言わせる世の中の制度にわたしは時々抗いたくなります。
証明書が、認定書がなくてもそれ相応の実力を持つ人間は色々な分野で少なか
らずいるのではないかと思うからです。

では何ゆえ、生徒に漢字検定試験やJLPTの受験を勧めるのかというと、
到達するゴールがあれば学習意欲が俄然違ってくるからです。その過程で
得る知識はたいしたものです。達成感もあります。
と考えるのはわたしの勝手で、この類の認定書を持つことで厳しい今の世の中
を、運良く切り抜けられることもなきにしもあらずかも知れません。

せっかくの合格に水をさすような野暮は、この辺でやめておきましょう^^

さて、木彫り作品紹介の最後です。

アラベスク模様の靴べら 

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細かいアラベスク模様を彫るには苦心しました。我ながらよくぞ持続できたと
根気に感心(笑)

拡大してみました
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2枚のチーズ・カッター   
  

kibori
ふぐのチーズカッター。我が友michikoに誘われて、日本で初めて手がけた作品。
無骨な仕上がりですが気に入ってます。

これはポルトガルに来てからの1983年の作品。
kibori

水仙の鍋敷きと木のスプーン

kibori
木のスプーンはごっつく作ってみました。


愛用の手鏡

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初期の作品。本当はもっとシンプルな模様にすべきところを、何としてもこれ!
と先生に指導をお願いし、木彫りの先輩でもある親友michikoを苦笑させた
作品です。苦心の跡があちこちに見られますが30年以上手元に置いて使っ
ている好きな作品です。

kibori11

どういう時にこれを使うかと言うと、わたしは美容院へ行かずに自分で散髪
するのですが、後ろ髪を切るときがこの手鏡の出番なのです。 

美容院というところに行かなくなってかれこれ30年近くになります。行かなく
なったわけは、あちこちの美容院を試してみたが、気に入ったようにしてもら
ったためしがない!

わたしの髪は典型的な日本人髪で太く量が多くまっすぐです。この量の多い髪
の毛がこちらの美容師さんを手こずらせるのでしょう。できあがりはすこぶる
気に入らない。そこで、いつの間にか自分ですることに(笑)

最初の頃は夫に後ろ髪を切ってもらったのですが、結局これも気に入らず、夫
はブツブツ言われる羽目になり、「ボクもうしない」ですと(笑)

後ろは自分じゃ見えないから、ま、えっか、と以来、後ろも自分で見当付けて
パチンパチン。この手鏡で確認しながら調整です。美容院へ行く時間も省ける
し、お金もかからないし、安上がり方法です(笑)

全作品ではありませんが、これまで作ったなかで好きなものを載せてみました。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。


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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年2月23日 

マセラッティの君の秘書から電話が入り、12時からの予定だった今日の日本
語授業がキャンセルになった。

天気がいいことだし、う~~ん、久しぶりにポルトの街を散策したい。けれど
3時からは自分のポルトガル語レッスンがある・・・今日は勉強する時間が
十分とれるぞと思ったものの、なぜだか、今日は出たい虫がうずうずします。
よし!と、結局勉強は後回しにし、街の空気を吸いながら、目的地3箇所を
歩いてきました。

s_domingos1
公園の木も花を咲かせ、春はもうすぐそこです。

目的地はLargo de Sao Domingos(サン・ドミンゴズ広場)にある画材を扱っ
ている文具や「Araujo & Sobrinhos(Araujo=人の名前、Sobrinhos=甥の
複数形)」です。

s_domingos2

創立は1906年というこの文具やは、建物の表面が美しいアズレージュ
(青タイル絵)で覆われており、以前から気になっており、しばらく前に
足を用件もないのに足を運んでみたところ、店内の奥まった所に面白い
物を見かけたのです。

しかし、人様のお店です、断りもなくデジカメを向けるわけにも行かず、その
時は撮りたくてうずうずしたのですが、じっと我慢をしました。
チビのチャ髪、グラサン東洋女です、あと2度ほど足を運んで見知って
もらえたところで、買い物をしたついでに撮影許可をお願いしてみようと
考え、その時は引き返したのでした。

日本から持ち込んだ「消しゴム」がすっかり終わってしまった今日、
(笑うんじゃないんだってばw。消しゴムは日本製かドイツ製に限る!)、
買う必要に迫られてもいました。そこで、日本製は置いていなかったの
でドイツ製のを五個買い、そろ~りと聞いて見ました。
「あの、奥にある古い石像ですが、写真を撮ってもいいでしょうか?」

すると、店じまいをしていた手を止め、中年の店主さん、
「おお、ええよええよ。今日はちょっと用件があって、Maiaまで行かなきゃ
ならんので、いつもは1時閉店だけど、少し早めに閉店だ。それまでまだ
ゆっくり撮りな」

嬉しいことを言ってくれます^^ 撮ってきた写真がこれです↓

s_domingos3

まぁた、こんなの?あんたも好きねぇ、なんて言われそうですが、これはかな
り古い石像だと思います。どうしてこんなものが個人の店内にあるのか、ちょ
っと知りたいところです。

この一帯はその名にあるように、13世紀頃にはゴチック建築の「サン・ドミ
ンゴス修道院」がありました。(註:サン・ドミンゴス=ドミニコス=ドミニ
コ修道会の創設者)ドミニコ修道会からは聖女「シエナの聖カタリナ」が出て
おり、そこ石像は聖カタリナです。聖カタリナについてはこちら、ポルトのダ
ウンタウン記事でどうぞ。

この広場にはかつてFonto(泉・共同水道)が造られてあり、の中には聖カタ
リナ像が取り付けられていたそうですが、まさか、これがそれ?
Fontoは現在、サン・ラザロ公園に移動されています。

s_domingos4
あ~ぁ、もったいない・・・でも、壊滅するに任せるよりいいか・・・

既存したサン・ドミンゴ修道会の遺跡は建物の一部が残っているのみで、更に
その一部が、現在はなんと、一流シェフ、Rui Paula氏のレストラン「DOP」に
なっています。去年のJapan Weekの仕事関係でシェフがじきじき腕をふるっ
てくれたモダンな郷土料理をいただいたのですが、そのときにはこの事実を知
りませんでした。(レストランDOPは下記からどうぞ)

下が元サン・ドミンゴ修道院建物の一部になるレストランDOP。
sdomingos5

財政難をかかえるポルト市にとり、管理に費用がかかる古い建造物保存は
困難なのを、完全に取り壊してしまわず、こうして現在の市民の生活に取り
入れようとする姿勢には賛同します。

そんなことを思いながら広場の周囲にカメラを向けてむると修道院の名残り
でしょうか、美しい石の紋章がありました。

s_domingos6
Rua das flores(花通り)とサン・ドミンゴス広場の境目の建物上部。
下は同じ広場に面する肉やの上の紋章。

s_domingos7

そしてこちらは、上述文具やさんのアズレージュです。

s_domingos8
カメラを向けてみたところが、むむ・・・と画像拡大。

s_domingos9

これはこれは!コンパスといい、かぎ定規といい、ものさしといい、これら
は古代石工、つまりメーソンのシンボルではありませんか。

画材やだということを考えればどれも商品に違いはないが、三つ以上のシンボ
ルがあるというのは、単なる偶然とは思えないわたしであります。

そんなこんなで、またもやいつもの謎追っかけの虫が起きて来たのでした。

木彫り作品の紹介は明日になります。

シェフRui Paulaの「レストランDOP」はこちら
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年2月19日 木彫り(2)

昨日に引き続き、木彫り作品の紹介です。

葡萄の鏡
kagami3-1.jpg
前回書いた、未完の帽子掛けとセットになる葡萄の鏡。フラットの入り口ホー
ルに置いてあります。葡萄の模様の彫り方はまだ教えてもらっていなかった
もので、実も丸いところは苦労しました。でも、なんとか彫り上げ、塗りも
こちらでしました。 56X38cmのサイズです。

紫陽花の鏡
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モイケル娘10歳の時の誕生日に贈りました。子供たちが学校に行っている間
をみては彫りました。

kibori13

写真立ては名づけて「森のくまさん」。くまさんはいません。お出かけです。
下は「星を求めて」。絵はどこからか写したものです。

kibori11

これらは遊び心で少し色を付けてみました。

少女の横顔
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子供たちが生まれてからは刀を手にすることがめっきり少なくなりましたが、
それでもいない時間を見ては、少しずつ彫っていました。
こうして木彫りに向かうひと時は、「今日も水道屋が来なかった!ったくもう、
当てにできないんだから!」とか、「土日と言えば、映画か海辺か、親戚友人
宅巡りしかないじゃないの。なんちゅうとこなの」とか、「今月も三ババさま
環境だ~」とかの雑念が消えるわけです。笑

「三ババさま環境」とは、普段はお姑さんと夫のおばさん、二ババさまとの同
居でしたが、時々田舎からお姑さんの義理妹がやって来ては一ヶ月ほど滞在し
て行ったものですから、3人のポルトガルばあさまたちとの生活は、んまぁ、
正直言ってこれで少しだけ精神的に逞しくなったように思います。

まだ若かった当時、こちらも年配者への思いやりに欠けていました。もしも
あの頃に帰ることができるのなら、もっと違った接し方をしていましょう。
世の中のことは、たいていが年配者には不親切にできているのだということを
実感している昨今でありますれば。

ジュアン・理宇の椅子 

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5歳の息子のために座りやすいようにと作ったマホガ二ーの椅子。
高さ63cm幅31cm。
自分で組み立てて何年もガタガタしていましたが、ついに大工さんに組み
立てをお願いしました。 背もたれには彼の名前、座板には作った年号
「1985」が彫ってあります。息子が独立したら持って行ってもらいます。 

isu1-2.jpg

木彫りをするのに、もうひとつ苦労したのは材料探しでした。国が違えば
手に入る木材も違います。木が柔らかすぎてはダメです。家具造りの工
場へも探しに出かけたことがありますが、結局適材が見つからず諦めました。
マホガニーが家具に使われるのを知り、市内の家具屋さんに話を持ち込み
ました。マホガニーの硬さは色々あるとのこと、刃こぼれこぼれしない硬さの
マホガニーを入手しました。この椅子はポルトガル材料のただひとつの作品です。

駄作の紹介、もう一度になりそうです。
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テーマ:手づくりを楽しもう
ジャンル:趣味・実用
2011年2月18日 

このところ、ポルトはずっと悪天候が続いています。

夜中の雷雨で目が覚めることが三日ほど。
金曜日の今日は偶然日本語授業が全部キャンセルになり、珍しく自由な一日
となり、天気さえよければ久しぶりにデジカメ持ってポルト散策に出かけよう
と思っていたところが、今日もダメです。雨です。

毎週火曜日と金曜日は、お掃除のおばさんこと、ドナ・ベルミーラが来てく
れるのですが、わたしも今朝は仕事がないもので、一緒に家の中を整理したり
して、ベルミーラおばさんがリビングの掃除を終えたところで、さて、パソコ
ン仕事でもとりかかろうかと入ったところが、「ぬぬ?」↓

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こ、これはなんでやのん?とはもう言いません。一目瞭然!我が家のネコです
が!誰でんねん!
こういうことは、もう何年も起きていなかったのであります。すると、ソファ
の上にわたしのレース編みカゴがちょこんと置いてありまする・・・・
ベルミーラおばさん、掃除で動かしてそのままそこに置き忘れたのでありま
しょう。

こんなことはめったにないのですが、このレース、実はもう何年も前から編み
かけにして、たまに手が空いたとき、と言っても近年はほとんどそれがなかっ
たのですが、それでもちょびっちょびっと編んできた大きなテーブルレースな
のであります。広げて見ましょう↓

neko2

左がわたしのレース編みカゴです。これの目が幾つくらいほどけたのかなぁ・・

ったく、近頃の我が家の猫たち、どうも油断ができません。

年長のゴンタ君、ほとんど目が見えないようで、時々手探りでパソコン前に
やってまいります。あまり大きい猫ではないのですが、なにしろもとは野良
猫、その経験と利発さとでこれまでは他の4匹をしっかり抑えてきたのです。

我が家に来てからも終末の土日だけは毎週小一時間程、外へ散歩に出し、
外の世界を知らない他の猫たちに、外界の匂いを運んで来ては表敬されて来た
ものですが、いかんせん、よる年波には勝てない。

サル山でもあるまいが、そこで始まったのが主権争いでしょうか。黒猫ペトが
やたらガンを飛ばしだし、あのネコこのネコと追っかけまわしてはあげくの果
て、超弱視ゴンタと、すわ、取っ組み合い!というところまで何度か行ってま
す。「くぉらー!」と仲裁に入るこちらも楽ではありません。

レース玉をひっぱりだして、こんなことをしたのが誰かは現行犯で捕えること
ができなかったので、叱るわけにも行かず。
あんたら、ええ加減にせ~。

さて、レース編み同様、手がけて何年もそのままというものが、わたしには
もうひとつあります。
家の中の整理をしながら、今日は久しぶりにそれらを手にとり、せっせと
磨いてみたのでした。

以下、本日はその紹介です。

kibori1
       未完の帽子掛け

毎日の時間がゆったり流れると感じられた30年前のポルトで、下手なりにせ
っせと木をホリホリ^^。 他事に心を傾けず、刀を手に心地よい木の柔らか
さと匂いに魅せられて、木に、己に話しかけながら彫った作品です。彫り口を
見ればいっぺんでその腕がうかがえますが(笑)
                              
我が親友で、今ではアトリエを持ち毎年木彫作品の展覧会をするかつらぎ山房
の主、michikoの作品は、刀の彫り口がスパッとしてます。わたしのはいかに
も削り取ったという様でして、とにかく年期が違います。
                              
わたしが日本で先生について習ったのは2ヶ月もあったでしょうか。
それでも木彫りに惹かれて、材料は日本から持ち込み、楽しんで来ました。
            
刃をいったん置いたのには、我が子たちの安全を考えたことが理由でした。
木彫の刃はちょっと手を触れただけでも意外な切り口ができるものです。
どんなに気をつけていても、わたしが彫っている最中に子供たちがうっかりま
とわり付いてきて事故、ということ万が一ないとも限りません。後悔先に立た
ず。思い切って子供たちが中学生になるくらいまでは止めようと決めました。

kibori3
        ひまわりのトレイ

刃を手にするときは、気持ちを落ち着けて臨みます。ですから、時間と気持ち
のゆとりがないときは手にしません。
子供たちも成長しましたが、あれからずっと長いこと彫っていませんから、
ポルトでのわたしの生活も慌しくなり、時間的にも気持ち的にも大らかなゆと
りが持てないでいるということかも知れません。
                             
下絵もかいていない、まっさらな板もあります。
彫りかけてもう20年近くの、ぶどうをあしらった帽子掛けもあります(上図)
                              
今年は初心に立ち返りもう一度木彫りに取り組んでみようと考えています。
上図の帽子掛けは、とっくに完成して我が家のホールに飾られてある鏡とセット
です。是非完成させたいものです。
そう思い、拙劣ですが過去の作品を思い切って載せてみました。
ご覧いただけたら嬉しいです。

kibori4
         なでしこ模様のトレイ
二つのトレイは塗りをしていません。木肌です。それでも年々色がくすんできて、
このままで使えそうです。 

kibori5
     薔薇の額

中には温度計をはめ込む予定でしたが、かんじんの温度計気に入ったのが見
つからず、スペースは今日まで空いたまま。

kibori4
海風に膨らむふっくらした帆に仕上げるのはわたしには難しかった。船体には
獅子が彫られています。

明日に続きます。
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テーマ:
ジャンル:ペット
2011年2月15日 

今朝メールを開ける。
と、差出人「Carlos Santos」とある。

「誰だろ?こんな差出人、知らないぞ・・・」
どうしようかと思いながらも件名に「日本映画の夕べ」とある。それならばと
開封すると、「ドナ・ユーコ、これらの映画に興味あるかい?」

って・・・なんだ、夫じゃないの・・w
それにしても我が亭主の名前に「誰だろ?」とは我ながらひどいなと思った

spacesisさん、本名を明かしてしまって大丈夫?と思われる方もいるでしょ
うが、なに、ポルトガルでは「Carlos Santos」なんて、お隣にもお向かいに
も斜め向かいにもと言えるくらい同姓同名はたくさんいるので、どこの
「Carlos Santos」なのか分からないわけでして、まず問題ございませんw

「Ms.Yuko、10月11月の請求書を頂いておりませんぞ」と、今朝は出張日本
語先でも請求書を要請され、タハッ!こりゃあかんわ、わたし
このところ、立て続けに小冊子の執筆依頼が入り忙しくしていました。
執筆なんて言うとどんなエライ記事かと思われそうですが、たかが600字の
画像提供も併せた1ページ記事です。

今回はわたしが長年追っかけをして来たテンプル騎士団絡みのテーマで書く
ことになったのですが、昨日が締め切りで、自分がこれまで調べたことを
再確認しているうちに、「う~~ん、やっぱり面白い!」とめりこんでしまい、
あれもこれも眼中になし(笑) 見事に鍋も焦がしているのでありました。

数年前にトマールのキリスト騎士団修道院(旧テンプル騎士団修道院)を訪れ
た時に使っていたデジカメの性能はあまりよくなくて、おまけに内部は暗い。
フラッシュをたくのが嫌いな性質なので、一番紹介したいと思う肝心の円堂の
画像がどうもいただけない。画像で苦労しました。

さて、世間がバレンタインデー云々と騒いでいた昨日、こんな新聞記事を目に
しました。

shinbun

「50年間住んだ家で孤独死の男性」とあります。
夜のテレビニュースでは少し前からこの手の孤独死が数件起こっていたことが
取り上げられ、家族の絆が強いと言われて来たポルトガルもいよいよか、との
殺伐とした思いがぬぐえなかったのでした。

ウェブ新聞で日本の老人の孤独死報道を目にするにつけ、家族は?親戚は?
ともだちは?いったいどうなってるのかと思ってきたのです。
何日も何週間もその異常事態が知られないままに放置されるというのは、普段
から何日も何週間も親子親戚友人たちとのコンタクトがなくても不思議な状態
ではなかったことを物語っています。

歳をとると同時に周囲から同年代の知り合いが順番にいなくなって行動にも
自ずと制限がかかり、人付き合いが少なくなっていきます。
わたしのように海外で30年も暮らす人間には、こういう話は誠に身につまさ
れるものなのです。

10年ほど前の50代前半までは歳を取ることの実感なく、補習校の同僚たちと
集まっては、

「歳とったら日本へ帰って年金暮らしだ」とか、
「食べ物からして口に合わないこっちの老人ホームは嫌だ、老人ホームは日本に
 限るよ」とか、
「子供の世話にはならないつもりだ」とか。
(どれもわたしの台詞ではございませんw)

しまいには、
「このメンバーで和歌山の片田舎に老人クラブホームを作ろう!料理の上手な
 Kさんは台所係、税務署勤めの経験があるIさんは会計係。何事もきちっと
 したことが好きなKRさんはホームのオーガナイザーね。」
(これはわたしの勝手提案)

「じゃ、spacesis、あんたは何をするのよ?」
「わたしはおっちょこちょいだから何をやらしてもヘマばかり。お役目なし」
なんて言ったら、皆に睨まれた(笑)

何ゆえ、和歌山の片田舎かと言うと、人のいい我が親友「みちべぇ」がその頃、
和歌山の粉河(こかわ)昔の未完長者の持ち家だった古いお屋敷を買い取り、
現在は木彫りや塗り教室のアトリエ兼茶道教室として使用しているのだが、
春の候は桃源郷であるのをいいことに(笑)

katuragi
 
すると一人が言う。
「その友達が亡くなって子供の代になったら、わたしたち追い出されないとも
限らないじゃない。」
「そうよ。それに車がないと、買出しに不便だという地理的なことも困るでは
ないか。70過ぎての運転は危ないこと極まりない!」

わたしたちの誰もが連れ合いが先に逝き自分は長生きするものだと決め付けて
いるのもおかしなことではあるw
件の我が親友みちべぇなどは、わたしたちよりずっと若いのだ。
いったいが、皆、いつまで長生きして老害を撒き散らすつもりでいるのやら、
と思うと逞しい話ではないか(笑)

こんな風に他人事とばかりに皆思い思いのことを口にしては、はばかりもなく
笑っていたものですだが、10年経った今は、そうやって好き勝手なことを言
っていたのが懐かしく感じられます。

さて、老いた人の孤独死について。
核家族化は多くはわたしが属する団塊の世代から拡張していったのではない
でしょうか。人はより自由に生きるがため、家族や親族のしがらみを切って
きたのです。核家族化が始まった時点で、このような事象は想像できたはず
です。その結果が、今現実問題として表面化してきたのだと思います。

大家族を営むことにそれなりに苦労したり、同居の苦渋を舐めたりした人が、
その子世代の別居生活により、孤独死を迎えるのは気の毒な気がしない
でもありません。それも「死」に対する見方の問題でしょう。

が、核家族生活を望んでしてきた者は、自由に生きるとはそれなりの報償が
あるのだということを知らなければならないのかも知れません。

昨夜のポルトは風雨、雷の大荒れの天気で、何度か目を覚ましました。
少し早いですが春雷でしょうか。ベランダに出しっぱなしの草木が気になり
ブラインダーを上げてみると、我が目に飛び込んできたシクラメン、スックと
した姿で立っていました。

flor

買ったときは小さな株だったのが今年で3年目、こんなにたくさんの花を咲か
せたのは初めてです。命の息吹を感じます。

前回、今回と少し暗い話題になりましたが、たまたま重なっただけで本人は
取り立てて沈んでいるわけではありません。

本日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。

かつらぎ山房はこちらにも案内記事があります。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年2月12日 

tango1
画像はwikiから。アルゼンチンタンゴのポスターの一部。

2月は母の命日の月である。身まかってから8年になる。

2005年2月9日の我が日記にこうある。

今日は我が母の命日にあたります。
2年前の今頃は、辛い思いで日本に向かいました。
そして、このとき生まれて初めて、スチュワーデスさんにこっそり告げられて、
夜間飛行の機内の窓から、眼下にオーロラを見たのでした。
以来、オーロラという言葉を耳にすると決まって母に最後に会いに日本へ向
かった日のことを思い浮かべます。
   
昔、ポルトガルへ来ると決めたときに、アメリカ人の夫を持つアリゾナ・ツー
ソンに住んでいた年配の日本女性に言われた一言、今更のように思い起こ
した時でも
ありました。
 「Yuko、外国の人に嫁ぐということは、親の死に目に会えないということです」

父親の場合がそうでした。
死に目どころか、諸事情で葬式にも出ることができませんでした。
   
我が母のときは、現在の家に購入し、引越ししてすぐのこともあり、経済上も
大変な時期で、帰国をもう少しあともう少しと思って引き伸ばしていたのです。
その頃、頻繁に母の夢をみました。すると、間もなしに妹からの連絡で、もう
待てない、すぐ帰って来いとのことだったのです。

到着して二日目にまるでわたしを待っていたかのように、静かに息をひきとり
ました。わたしは母の目からこぼれ落ちる一筋の涙をふき取ったのでした。
それが最期でした。

まだたった二年前のことで、今でも母のわたしを呼ぶ声が耳に残っていて、ふ
と今日も
所沢の妹のところでいつもと同じように、妹と一緒に台所に立ったり、テレビの
時代劇を見たりしているような気がしてしまいます。

この2年間、どうしても飾れなかった母の写真を、近頃やっと取り出して部屋に
飾り、心の中で話しかけられるようになりました。
親がいつまでも元気でいるわけではないことを頭では分かっていたつもりが、
あれをしてあげればよかった、これもしてあげればよかったと後悔し、亡くして
後、実感したのでした。
母の葬儀は、仏教式ではなく、読経のない花と音楽の葬でした。
同居していた妹の話では、費用の高い戒名もいらぬ、自分の葬儀はそのよう
にできたら嬉しいと洩らしていたようでした。

わたし達は市の斎場の一室を借り、棺の周りをたくさんの花で飾り、母の好き
だったタンゴ音楽を流し続けました。
tabgo2

蒼空、黒い瞳、ブルータンゴ、奥様お手をどうぞ、ラ・クンパルシータ、真珠採り
のタンゴ・・・
それらを聴くと、パートナーなしでも、まるでそれがいるかのように、わたしたち
の前で一人踊っていた母の姿を思い起こすのでした。
もうひとつ、母の葬儀でわたしたち姉妹が決めたことは、「お香典をいただかな
い」ことでした。
  
当時はまだ花葬式など珍しかったようで、「このようなお葬式、初めてさせてい
ただきました。良かったです。」と、葬儀を取り仕切ってくれた人の言葉でした。


妹夫婦の家族と都会には20数年住んだのですが母の故郷は弘前で、年に1、
2度は帰郷し、山菜取りに山に入ったりして友人たちと交友をしていたようでした
が、みな、歳をとっており、連絡すると無理をおして来て頂いてもと思い、敢えて
しませんでした。 

さて、葬式も終わって母の一番の友達のOさんに連絡する段になり、妹とわた
し、どんな風に切り出したらいいかしらね、と言いながら電話のダイヤルを回し
ました。娘さんが応答し、「実は・・・」と話し出したところが、「あの・・・母は2週
間前に亡くなりまして」と聞いたのには、絶句したものでした。

仲のよかった友達同士、「あんた、そろそろ逝こうよ」とでも言いながら、二人
仲良く逝ったのだね、と妹となんだか嬉しいような哀しいような。

そんなことを思い出しながら、母の好きだったタンゴを聴いていたこの数日でした。

母の影響だけではなく、わたし自身も若い時にはアルフレット・ハウゼ・オーケ
ストラでたくさんのタンゴ音楽を聴いたものです。
タンゴにはコンチネンタル・タンゴ(ヨーロッパ・タンゴ)とアルゼンチン・タンゴが
ありますが、エレガントなコンチネンタルに比べ、アルゼンチン・タンゴは情熱
的。踊れませんが、わたしなどは見るだけでも「ふーッ」っとため息がでてきます。

タンゴが使われる洋画も数えてみると結構あります。
知っているだけでも、シンドラーのリスト、パブロ・ネルーダのポストマン、Scent
of Woman(「邦題:夢の香り」だそうです)。
シンドラーのリストとScent of Womanで使われている音楽は同じものでアルゼ
ンチンタンゴでも有名な「Por Una Cabeza」。スペイン語で、「馬の首の差」という
意味。下にScent of Womanで盲目の退役軍人扮するアル・パチーノが軽く
タンゴを踊るシーンをアップしてみました。アル・パチーノはこの映画でアカデミー
主演男優賞を獲っています。


こちらは、映画「Take the Lead」の1シーン。日本では未公開の映画だそうです。
アントニオ・バンデーラスが本格的に踊っています。
NYの高校のおちこぼれたちに社交ダンスを通じて、生きる情熱を学んで
欲しいとボランティアを申し出るダンス教師をバンデーラスが、演じています。
なかなか授業に乗ってこない生徒たちに、情熱的なアルゼンチンタンゴを
披露し、ヒップホップ生徒たちの目を白黒させる圧巻的な場面です。



そうしてみれば、わたしがバイトで歌っていた大阪は梅新の旧アサヒ・ビアハウス
の常連さんに、来るや必ずタンゴを踊るカップルがいました。雑誌記事に取り
上げられたのが下の写真です。

tango3
マイクを手に歌っているのは若き日のわたし。う~ん、これくらいの細さだったら
タンゴを踊れるかもだ(笑)今はダメです。メタボ気味です^^;

本日も長いブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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テーマ:音楽
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2011年2月9日

バターリャ修道院の小話2の前に今日は内部をご案内します。

batalha1

ほぼ2世紀をかけて建造されたバターリャ修道院はその正式名がサンタ・マリア・ダ・ヴィトーリア修道院」と言われるとおり、1385年のアルジュバロータで戦の勝利を聖母マリアに感謝して、ドン・ジュアン一世が建てたものだ。
 
バターリャ修道院は、そのいきさつからポルトガル独立のシンボルとも言えるユネスコ世界遺産でもある。            
修道院は基本的にゴチック建築、ポルトガル独特のマヌエル様式に併合してイギリス中世期の建築様式の影響も受けており、個性的な建造物だのドミニコ修道院である。2世紀の間に携わった建築家は15人と言われる。
      
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西側の入り口のアーチには78人の聖人像が飾られてある。内部の高さは32m、幅は22m。

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ステンドグラスを建築物に取り入れたのはバターリャ修道院がポルトガルでは初めてだと言われる。

   batalha4

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庭に面した美しい細工のアーチはアラブの雰囲気をかもし出している。
       
下は「Capelas imperfeitas=未完の礼拝堂」。1437年に着工されたがなんらかの理由で完成されず、今に及ぶも天井がない。長年に及ぶ継続建築で設計ミスか、あるいは1502年に着工された首都リスボンのジェロニモス修道院建築のため著名建築家が総動員されたか、それとも他の理由か。       
batalha11-2.jpg
 
未完の礼拝堂の入り口の天井は豪華な細工のマヌエル様式だ。↓   
  
batalha12-2.jpg

凝った壁の細工には目を見張るばかりだ。彫られてある文字の現段階ではわたしには意味が不明。検索中である。
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では、バターリャ修道院・歴史小話(2)、下からどうぞ      
  
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2011年2月7日

久しぶりにポルトガル歴史の小話です。

「バーターリャ修道院」を訪れたのは2008年のことで、今日まで取り上げる機会がなくて写真もそのまま放りっぱなしになってきたのでした。今回はこの修道院にまつわる話を二話に分けてご紹介します。

batalha1

正式名は「サンタ・マリア・ダ・ヴィトーリア修道院(Mosteiro da Santa Maria da Vitoria)。バターリャ修道院の通称で呼ばれる。「Batalha」は「戦闘」と言う意味である。現在、ポルト・リスボン間を3時間で結ぶ高速道路「A1」ができる前はこのすぐ側を国道が走り、ポルトから行くと左に忽然と現れる修道院の姿には圧倒されたものだ。

アヴィス王朝初代王のドン・ジュアン一世の命により1386年から1517年までの長い年月をかけて建築された。その間、7人のポルトガル王が在籍するという実に壮大な建築プロジェクトではある。
                                                      
バターリャ修道院が建つまでの歴史小話(1)    

イスラム教徒からの国土奪回運動(レコンキスタ)を展開しながら、1179年、レオン王国(ポルトガル北部に接する今のスペインの一部)から独立したポルトガル王国でしたが、14世紀に入ると、当時の国王フェルナンド国王はレオン王国の隣、カスティーリャ王女を后に迎えたものの、その国との戦いに明け暮れます。
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2011年2月5日 

年に一度、この時期に実施されるポルトの漢字検定試験が先週でした。
わたしの他生徒たちは目下のところ8、9級で足踏み中で今回わたしが送り
込んだ生徒は3人のみ。
二人は昨年始めた土曜日日本語教室から2人、もう一人は、昨年二級に受かっ
たルイス君ですが、80%ぎりぎりで受かったもので、もう少し点数を上げた
ほうがいいとアドバイスをしましたら、本人も同意して今年再挑戦です。

10、9級までは少し指導すればまず間違いなくパスするのですが、8級は全
部で440字の漢字の書き、音訓読みが含まれ、漢字を使った語彙の学習も
含まれるので、日本人の子供にとっても外国人にとってもここからの漢字学習
が大変になります。そんなわけで、先週土曜日の日本語教室は休講、午後は生
徒を応援しに試験場、ポルト補習校まででかけて試験終了まで詰めていました。

10級が終わったところで、いよいよ今日から9級目指して文法の傍ら新漢字
を学習してもらおうと準備し先週明けたダウンタウンの教室のドアを開けたら、
ガビ~ン・・・6人かけられるはずの長テーブルの上が灰皿やらビール瓶やら、
書類やらで片付けるにも片付けようがない。
昨夜は金曜日、家主の友達でも集まって夜遅くまでなにかしてたのでしょうね。
ダメじゃん、これじゃ。家主のジェスパー君!

なにも今日に始まったことではないのですが、おいおい、これじゃぁ授業はで
きんわい。結局やってきた生徒とカフェ「Guarany」で2時間ほどおしゃべり
して帰宅したのでした。

さて、ここしばらくブログの更新が滞っていましたが、一角獣の勉強もさるこ
とながら、実は濫読書をしていたのでした^^;

活字中毒のわたしは、本を読まないとどうも落ち着かない。それが去年の後半
はJapan Weekの仕事で、まったく読書が出来きず、欲しい本、送付の以来も
ままならずでしたが、終わるや、日本にいるモイケル娘に依頼した本があった
のですが、なかなか届かず。
漢検受験の生徒応援で、終了を待っている間に、補習校の本のリサイクル
コーナー(返却しなくてもよい本)や図書の棚を漁っていたのでした。

そして、持ち帰ってこの数日読んでいた本がこれです↓
book1

松本清張は20代前半でほぼ全部読破したのですが、もう一度この3巻を読み
返してみました。
「砂漠の塩」はいつもの清張さんのスタイルとはちょっと違って、それぞれ夫、
妻を持つ男女の逃避行もの。いまいちだったな(笑。こういう恋愛物は苦手な
のです)

わたしが読んでよかったなと思う清張作品は「ゼロの焦点」「砂の器」「霧の
旗」「点と線」です。
下の2冊は池波正太郎の短編時代もの。「宮本武蔵」「平家物語」などの歴史
小説を除いてはあまり時代物に手を出したことがなかったのですが、数年前に
藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んで以来、なかなか面白いことに気が付きました。
池波正太郎は亡き母がよく読んでいたものでした。

これを4日ほどで読みきったのですから、毎晩寝付くのは2時3時^^;
読んでいるうちにモイケル娘からやっと送られてきたのがこの本です↓

book2

この本が出版されると知るや、
「してやられた!塩野七生さん!それ、わたしの十八番テーマ、ライフワーク
なのよぉ~。」夫や子供たちに「先を越された~」と才のない者がエラそうに
騒いでいたのでした。

モイケルよ、ありがとう^^ じっくり読んでみます。
カトリックの総本山、バチカンのすぐ側、ローマに住む氏の本です、塩野七生
氏がどのような解釈をしてくれるか、とても楽しみです。
この第一次十字軍こそが、異端、テンプル騎士団、フリーメーソンへの展開図
を広げることになるのですから。

また、時々依頼されている小冊子の記事に、今回は偶然にもトマールの「キリ
スト騎士団(旧テンプル騎士団)修道院」を書くことになったのでした。字数
が600字、文体も制限がありますので、こちらのいいようには書くことは
できませんが腕によりをかけて!(笑)

そうそう、もひとつ、ご紹介したいYoutube画像があります。
夫の知人が彼に送ってきたのを、わたしにと今度は夫が転送してきたのです。
「ドナ・ユーコ、君はこれに興味を持つに違いない」と書いて(笑)

題して「Porcelain Unicorn=磁器の一角獣」。
なんと、またもや一角獣ですぞ!(笑)

この作品は、Philipsのシネマショートフィルムコンテストでグランプリをと
ったものです。

応募作品は下記6行の台詞が使われていなければなりません。

What is that?
It’s a unicorn.
Never seen one up so close before.
Beautiful.
Get away, get away.
I’m sorry.

わずか3分の短いストーリーですが、秀作だと思います。
では、どぞ。

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2011年2月2日 

「シンボルなんて何にでもかこつけられるぞ」と夫に冷やかされながらも、わ
たしにとっては調べられずにいられない魅惑的ミステリックな中世期シンボル
なのですが、出張日本語の「マセラッティの君」が今週は国内におらず、また、
キャンセル授業もあったりで、これ幸いと久しぶりにのんびり再読している本
と照らし合わせながら、あちこち検索の数日でした。

前回紹介した「一角獣と貴婦人」については、まだまだ勉強不足で、このタペ
ストリーに描かれている細かいシンボルを私自身が分析するのは難しいのです
が、例えば、獅子、ユニコーン、ウサギ、手鏡、絵の中に何気なく紛れ込んで
いる「X」マークなどは、異端審問所から身を守るために神秘主義者や異端信
仰者たちがその信条を織り込むのに編み出したシンボルだと言われますので、
なるほどとうなずくものの、ストーリーの意味具合がいまいち曖昧に感じられ、
時間を作って絵とじっくり向き合い、自分なりに分析、解釈するためには、シ
ンボルを拾い集める必要がありそうです。

今日は、ユニコーンに関連するもうひとつの7枚のタペストリーストーリーを
「spacesis、謎を追う」の自分のための参考メモの意味も含めて載せてみます。

このタペストリーはニューヨーク、メトロポリタン美術館のクロイスター別館
に展示されてあるそうですが、一連の物語はやはり謎に満ちています。
今回の簡単な解説はわたしが読んだ本を参考にしています。

タペストリー1枚目「Start of the Hunt=一角獣狩りの始まり」
Unicorn1

よく注意してみると、タペストリーの真ん中の木、さらに四隅に、論争の的に
なってきた「裏返しのAEの文字」が見られます。単に、製作依頼者の頭文字
だとの説もあれば、「A」はヘブライ語のアレフとタウ、つまりアルファと
オメガの様式化された象形文字で「E」は生ける神をあらわす、との説もあり
ます。

「アルファとオメガ」というのは、
「I am Alfa and Omega, the first and the last, the beginning and the
end, who is and who was and who is to come, the Almighty.」
[わたしはアルファでありオメガである。最初の者にして最後の者、始まりと
終わりである」と聖書ヨハネの黙示録に書かれてある有名な言葉です。

タペストリー2枚目「The Unicorn was found=ユニコーンの発見」
Unicorn2

泉から湧き出す小川の前にひざまづいて角を浸しているユニコーン。周りの
動物たちは水を飲むのを待っている。ユニコーンの角は汚れた水を清浄すると
言われる。清浄なる真実の水、汚された偽りの教義とはなにか?
また、噴水を中心に12人の人物が見られるのは、最後の晩餐に関係するのか?
はたまた12使徒に関係するのか?
(↑これはわたしの想像)

タペストリー3枚目「The Unicorn is attacked=攻撃されるユニコーン」
Unicorn3

タペストリー4枚目「The Unicorn fights back]
unicorn4
ユニコーンは囚われの身になるよりも死を選ぶと言われる。通常の方法で捕ら
えることは不可能なのである。

5枚目のタペストリー「破損しているタペストリーの二つの断片
unicorn

このシーンは破損しており、かなり大きな部分が欠けている。ユニコーンは
閉ざされた園にたどりついている。侍女がいるが、描かれていはずの貴婦人は
故意に破損されたと分析する説がある。恐らく、前回紹介の「貴婦人と一角獣
」第一場面同様、貴婦人は手鏡を持っているだろう、そして一角獣は貴婦人の
膝にひずめをのせているのも知れない。

柵にそって咲いている赤と白のバラの花はマグダラのマリアの象徴の色である。

タペストリー7「ユニコーンの死」
unicorn6

このタペストリーには2場面が織られている。左上のシーンとそのむくろが
馬に乗せられているシーンだ。


タペストリー7「囚われの一角獣」
unicorn7

6番目のタペストリーで死んだはずのユニコーンは閉ざされた園で復活し、ざ
くろの木の下で休んでいる。柵の前にはメロビング王朝のシンボル「フラ・ダ
・リ=三弁のユリ」、アヤメ科の花が咲いている。メロビング家のゴドフロア
・ド・ブイヨンは第1次十字軍の中心人物であった。

ここではざくろに絡んだ二つのXが登場している。

7枚のストーリーについては、キリストの洗礼から復活までを寓意的に表現し
ているとの説もありますが、それならば広く世に知らされてきたそれ様の有
名な作品が数多くあるのですから、なにもこんなこんがらかった七面倒な
細工などせずともいいではないかと思うのです。

「一角獣と貴婦人」もこのシリーズもとてもミスティックであり、いずれこれ
らもテンプル騎士団につながって行くのではないかと推測しています。

シンボルの謎解きは、初期キリスト教、神秘主義、異端派、ローマカトリック
教のつながりと歴史をある程度知っていないと理解できないのですが、なぜ
こういうシンボルが残されたのかと調べて行くうちに、正統派と称する宗教も、
結局は時代と人間が作り上げたのではないか?との疑問にどうしてもぶつかり
ます。

そして、もちろん、わたしの結論は勉強の途中ですから、まだまだ出せるわけ
ではないのですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、更に異端教、これら
宗教の争いは、2千年も昔から今にいたるまで、多くの場合、変わっていない
ことに気づきます。

本来は人間を幸せにするはずの宗教がそれに反するようになるのはなぜか?
そして同時に、厳しい異端審問の時代にも危険を冒し、様々なシンボルを使って
まで残そう、伝えようとした神秘主義、異端派の真実とは何かと考えると、更に
探究心を煽られるわたしではあります。

一連のタペストリに興味を持つ人のために、下記メトロポリタン美術館のサイト
をご案内します。

メトロポリタン美術館
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