2011年4月27日
ropponngi1
spacesis in Tokyo すっかりおのぼりさんです

未だ時々余震の揺れを感じたりするものの、精力的に東京と家の中を動き
回っています。
起床7時、モイケル娘を職場に送り出し、掃除洗濯、アイロンあてをしてい
るうちに、午後から英語教授の仕事を持つ東京息子がやがて起床。で、ま
たご飯の用意なんです^^;

この家事ですが、いやいやもう、子供たちの住まいはかなり光ってまいりま
した。なにしろ、亡くなったポルトガルのお姑さん仕込み、それに我が家で
長年働いてくれているお掃除のおばさんこと、ドナ・ベルミーラ仕込みの腕
です、トイレ、風呂場、台所、冷蔵庫とお掃除はお任せあれ^^

子供たちを見るにつけ、働きながら家の中を整頓するのはなかなか大変な
ことのようで、共働き女性の負担たるもの、さぞかし苦労なことだろうと思わ
れます。わたしも一応共働き主婦のお仲間に入るとは言え、たいていが自
宅での日本語教室ですから、仕事の合間を縫ってちょこっと家事ができる
のは嬉しいところです。

都内へ出かける予定がない日中は、午後の食料買出し。これがポルトでは
普段車を使っているもので、重い買出し荷物をぶらさげての歩け歩けは結
構疲れる、いや、運動になりますわ(笑)
人目も構わず、ヨイショコラショと思わずかけ声が出ます。

夕方6時少し過ぎには、退社後まっすぐ帰宅するモイケル娘です、ポルトに
いたらとても考えられない7時代の晩食。この後片付けが済むころの10時
に息子の帰宅で再び食事の用意。久しぶりに母親業をしっかりやっておりま
す。

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世、
女同士のモイケル娘とはほぼ毎日のようにチャット交換してきたのですが、
息子とのそれは、「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとで
きてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いもの
です。だが、三つ子の魂百まで。子供のころからの息子の性格からして、きっ
と大笑いされるような話が山ほどあるに違いない。

そんなことを思っていた今日、遅い夕食をしながらの息子の話に腹を抱えて
笑い転げていたのでした。

週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱい、筋トレをしていたら、
係員が顔を青くして飛んで来、
「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。
筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったく
いい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子
を想像したわたし、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げていたら、そんなの
がいくらでもあると言うのだ・・・・・

年末に福引がすぐ近くの商店街であった。
例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目前で力いっぱい何
回も回して、とうとう玉いっぱい外へ飛び出してしまったって・・・・
息子いわく、
「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、
「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)
日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやっ
てくださいませ~。

友達からは「ジュアン君て原始人みたいね」と言われると言う。
げ、原始人^^;「粗にして野」か・・・・

すると横からモイケル娘、
「おっかさん、うちでも外でも変わらない、表裏のない人間に育って欲しいと
願ったんでしょ?その通りじゃん、はははは」(エピソードはこちら

そ、それはそうだけど、微妙にちがうんだよね^^;
今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏ではないが、せめて
「卑」にはなるなや。

明日は上記写真の場所をご紹介。どこかご存知かな?
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テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年4月19日

sakura
上野公園の桜

帰国一週間になり、余震の揺れも昨日今日とあまり感じられなくなかったの
ですが、15日ブログ記事のコメントへのレスを書いていた真夜中近く、ゆ
らゆらと横揺れがやって来、あっと思わされました。ベッドに入っていたモ
イケル娘も「来た!」と起き出し「おっかさん、ガスの元栓、ちゃんと閉め
てる?」

し、閉めてませんでした・・・・^^;
料理が終わったらすぐ閉めるように、これは即、習慣付けないといけません。
その点、子どもたちはきちんとしているようで、のんびりした国から帰って
きたおっかさんの方が叱られそうです。

これまでこんなに長い余震があったでしょうか・・・
今日は関東も雨で少し気温も下がり、4月も20日だと言うのに被災地の東
北は再び厳しい寒さが訪れそうです。
せめて天候だけでも人々が仰げる青い空を見せて欲しいと願うばかりです。

毎回の帰国時には、長年住んだ大阪を訪れ、親しかったかつての友人たち
との再会を楽しむのですが、今回は初めて中止しました。
余震はまだまだ気が抜けません。東京近辺でなにかが起こったのなら、なん
とか子どもたちのところへ帰れる手段があるでしょうが、これが新幹線内で
となると事です。それらを考えて今回は残念ながら、友たちとの再会も次回
に持ち越しです。

特にわが友「Michiko」に会えないのはとても残念なのですが、彼女とは何
年会わなくとも昔と変わらぬ親友でいられる間柄です。
今日はその彼女と少し電話で話しました。

今回の地震後、すぐ子どもたちに食べ物やヘッドライトなどの支援物資を送
ってくれ、(そうそう、杉さんにもわたしが知らないうちに不足がちな物資
を送っていただき、心からお礼申し上げます。杉さん、ありがとう!)面倒
をかけたのですが、「Mちゃん、なんだか福島に送られたみだいだよ」とモイ
ケル娘が言う。

Mちゃんというのは我が友「Michiko」の長女で、高校時代、神戸大震災時に
ボランティアで現地に入って以来、「国のために何かをしたい」と決心。
防衛大学に2度挑戦したのが失敗したものの、そのまま陸上自衛隊に入隊、
昨年は防衛大卒業生が受験する幹部候補試験を突破し、逞しい女性に成長
したのです。

その彼女、今回は部下を伴い原発20キロ内での作業一週間、これ以上現地
に留まることは身の危険とのことで、本日その役目を解かれ、再び出発前の
勤務地へと向かったとのこと。
語る我が友の声は潤んでいました。
「Mがね、おかあさん、娘はもういないものと思ってくれと言うねん」とは
自衛隊に入った時点でわたしが我が友から聞いた言葉ではありました。
Mちゃん、女ながら天晴れなり。
国や世間がどのような扱いをするにしろ、文句を言わずひたすら任務につく
あなたのような人たちがいるからこそ、いざと言う時に国難を超えられるの
です。

17日、松島基地を歌手の長渕剛が1500人の自衛隊員を前に歌い、「君たち
は大事な大事な僕の誇りだ!」 と言ったそうです。わたしも同感です。

一億3千万人の中で、国のために命をはる人は果たして何人いるかと思うと、
今こそわたしたちは自衛隊に対する偏見を改めるべきだとわたしは思ってい
ます。
平和とは、これまでのような他力本願でなくて、自らが国を守ってこそ得ら
れるものではないか。わたしたちはもう一度、平和について、自分の国につ
いて、その歴史について、しっかり学び取る必要がある時期に今差しかかっ
ているのではないかと感じ入っているわたしです。

そうそう、前回の記事で日本滞在中のブログタイトルを「東京便りだよ、お
っかさん」について、「もじり」だと書きましたが、これは古い歌になりま
すが、お千代さんこと島倉千代子さんの「東京だよおっかさん」のもじりで
した。

1 久しぶりに手を引いて 親子で歩けるうれしさに
  小さいころが浮かんできますよ おっかさん
  ここが ここが 二重橋 記念の写真を撮りましようね

2 やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと
  桜の下でさぞかし待つだろう おっかさん
  あれが あれが九段坂 会ったら泣くでしょ兄さんも

昔からこの歌を聴くとわたしはなぜか目頭が熱くなったものです。
1番目の歌詞は名前を出していませんが、場所は「皇居」2番目は「靖国神社」
を歌っています。NHKでは2番目は歌わせてもらえないのだそうですよ。

帰国した翌日、わたしは北の丸公園と靖国神社へひとりで行ってきました。
桜は少し散り、春風に舞う桜吹雪の中を歩きながら、日本はこれからどんな
方向へ向かっていくのだろうかと、母国でありながらすでにポルトガルに住
む年数の方が長くなったわたしは、日本を外から眺めている自分に気づいた
のでした。

島倉千代子さんの「東京だよおっかさん」はこちらで聴けます。
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テーマ:震災救援・復興
ジャンル:政治・経済
2011年4月9日

夕焼けの絵をずっと描き続けていらっしゃるメルヘン画家坂田喜作さんと氏
の作品をご紹介いたします。

プロフィール

1940年2月22日生まれ。東京都八王子市出身。茨城県鹿嶋市在住。
染色デザイナー。メルヘン画家。

太陽と地球と
自然を大切に子供たちに未来を

光と雲が織りなすこの美しい自然の風景と鮮やかな一日のエピローグ。
自然を愛し、自然をテーマにメルヘンの世界に描き、子供たちがやさしい心
になるように描きつづけています。 (坂田氏のプロフィール写し)

news2-2.jpg news1-2.jpg
新聞で取り上げられた氏の記事です。クリックすると拡大、記事が読めます。

下記に紹介する絵はひたすらに夕焼けの絵です。お楽しみください。

夕暮れ

yuyake4-1.jpg

坂田喜作画家1

作者から

「日本中で広く愛唱されている動揺「夕焼け小焼」の作詞者中村雨紅先生は
八王子市上恩方地区の出身、生家の宮尾神社には、自筆の歌碑があります。
真赤に染まる夕焼けはわずかな間に消えてしまう。
「一日の詠pローグ」夕焼けがだいすきです。私も上恩方町出身です。
夕焼けを同様の世界にイメージし、夕焼けの風景をメルヘン画の作品に
描き始めました。(絵の下に続く)

sora

yuyake5-1.jpg

絵を描く前に気持ちを純粋にし、カッター・エアーブラシを駆使し、色を
吹き付ける。修正がきかないため、精神を集中します。
個展を開いた時、お子様が絵の前で「夕やけ小やけ」を口ずさんだことが
最高の感激で今も心に残っています。これからも、ふる里の夕やけ小焼けの
作品を描き続けて行きますのでよろしくお願いいたします。

yuyake6-1.jpg

yuyak7-1.jpg

プロフィール、作者のメッセージから分かりますように、坂田氏出身の八王
子上恩方は別名「夕やけの里」として知られています。
現代ではもう見かけることがなくなった昔の懐かしい子供たちの情景が夕や
けに反映して、我知らず、幼い子供のころに気持ちが帰っていきます。

yuyake8-1.jpg

yuyake9-1.jpg

素人のわたしの撮影の腕が、原画の美しい夕焼け色を正確に出されていない
であろうことが悔やまれます。

yuyak7-1.jpg

坂田氏の名前をネットで検索し続けたところ、八王子市の「夕やけの里」に
たどり着き、2年前の帰国時に訪れてみたいと思っていたのですが、諸々の
事情でついに行かずじまい。

わたしは明日、昼の便で日本へ発つのですが、今回は是非子供たちとこの
夕やけの里を訪れ、わたしの子供時代の、古里の、かつての美しい日本の
景色を探してきたいと考えています。

坂田先生、お嬢さん、郷愁を誘う素晴らしい夕焼けの絵の写真をお送り
いただき、また、ブログで紹介する許可をいただき、心からお礼申しあげ
ます。

日本からの帰国後、今度は夕やけの里と一緒にもう一度、これらの絵を紹介
いたしたいと思っております。

それではみなさま、一ヶ月の休暇で日本滞在ですが、出来る限りブログ更新
をしたいと思っておりますので、引き続き、お時間のあるときに当ブログに
お立ち寄りいただけましたら、嬉しいです。

では、子供たちの、妹一家の、そして我が友たちの待つ日本へ行ってまいります。

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テーマ:絵画
ジャンル:学問・文化・芸術
2011年4月8日

2008年に綴った日記にこんなのがある。

2008年9月16日

いつものようにいつもの景色の中で、この日も終わろうとする夕暮れ時、
宵闇時。
yuyake1
    
わたしは何度も同じような日暮れの写真を撮っているのですが、みなさま、
ご勘弁あれ。夕焼けを見るとなぜかしら「あぁ、ほんまにきれいやなぁ。」
と心惹かれ、夫に呆れられながらもデジカメに納めずにはいられない、こと
夕暮れ撮影に関しては懲りない性分です

♪「ぎんぎんぎらぎら 夕日がしずむ
  ぎんぎんぎらぎら 日が沈む 
  まっかっかっか 空の雲 みんなのお顔もまっかっか
  ぎんぎんぎらぎら 日がしずむ」

そしていつも口から出てくるのがこの歌です。

夕日には子供の頃の時間が紛れ込んでいる。
わたしはそんな気がします。

わたしの子供時代は昭和20年代。
パソコンどころかテレビもなく、塾もなく。
ですから今のようにそれらに時間をむさぼられることもありませんでした。

学校から帰ると、こんな夕焼けが空を染める日暮れまで外で棒っきれを振り
回し、ターザンの真似をし、下町少年探偵団ごっこをし、墓地まで行っては
帰ってくる肝試しをし。

♪かぁって うれしい はないちもんめ
 まぁけて くやしい はないちもんめ

 どの子がほしい あの子がほしい あの子じゃわからん
 この子がほしい この子じゃわからん 

童歌を歌いながら、誰からも望まれずに最後まで残りたくないな、との心配
があたり、グループで一人になったときの心細さ・・・

子供の頃に心を振り返らせる不思議な魔法の力が、夕日にはあるような気が
します。
       
パソコンに向かいながらふっと部屋の窓へ顔を向けると、上の写真、こんな
素晴らしい夕焼けが空を彩っていました。
おおおお!と、この角度からはすでに何度もシャッターを切っているのです
が、写さずにはおられないのです^^;

わたしは海や森や山の向こうに、夕焼けが沈もうとする瞬間を目の当たりに
するたびにこころに大きな平和を感じます。
自分が今日生きていることの幸せ、安堵感と言うのでしょうか。
大自然への畏れは当然あります。
夕焼けを見ると、いつも宇宙からすると塵芥にも満たない小さな小さな、そ
れでいて自由にこの地球上で生きている自分の姿が、夕日に反射して見える
ような気がします。

子どものころから今日に至ってすら、夕日や星空には抗(あらが)いがたい
魅力を感じずにはいられないのです。
そして、思わず「きれいやなぁ~」と、ひとりでにその言葉が口から出てし
まいます。
 
  
2008年8月31日(水曜日)夕焼け小焼け

ネット友で、掲示板にも時々登場するスギさんからいただいたビデオがあり
ます。ふるさと紀行シリーズですが、その中に「夕焼けの里」を取材した一
本があり、わたしはすっかり魅了されて、もう何度も繰り返し見ている次第
です。

夕焼けの絵を描き続けていらっしゃるメルヘン画家「坂田喜作」さんという
方が登場します。その方の夕焼けの絵にも、そしてそのモデルになっている
と言う「八王子市恩方」の里にも、わたしの子供時代が再現されているよう
で、郷愁を誘うことこの上ない。

弘前の下町での子供時代は、学校から帰ると家に閉じこもっていることなど
まずなく、表通り、裏の畑、たんぼ、川、お寺の裏などで日が暮れるまで
遊び呆けたものでした。
「ばんご飯だよ~~」と、どこかの家から声がかかると、それこそ、真っ赤
な夕焼けの中を「お手手つないでみな帰ろ」でした。

そんな郷愁に浸って、とうとうHPのトップページも、今回は夕焼けの里にな
ってしまいました。一週間ほど、このトップぺージで参ります^^
ああ、懐かしや、と思っていましたら、これまた、弘前に住んでいる高校時
代の同窓生からのメールで、遠い昔の幼い時期、もしかしたら知らずに遭遇
していたのでは?と思わされるような、子供時代の下町の様子を綴ってのメ
ールが入った。

「その銭湯、知ってる!行ってたもの。」「隣のアイスキャンディー屋?
知ってる知ってる~!」という具合に一挙に距離がせばまった気がしたもの
です。

さて、昨日のこと、そろそろ授業準備をし始めないとと、9月の中1の国語
教科書に目をやりますと、詩人、吉野弘氏の「奈々子に」とあります。
そしてはたと気がついた!そう言ってみれば、この人、「夕焼け」と言う詩
を書いてなかったっけ?
本箱をひっくり返し探したら、おおおお!あった!古い教科書にありました
ありました。

    いつものことだが
    電車は満員だった。
    そして
    いつものことだが
    若者と娘が腰をおろし
    としよりが立っていた。
    うつむいていた娘が立って
    としよりに席をゆずった。 
    
と、始まるこの詩は、満員電車の中で出会った3人の年寄りに席をゆずる娘
の優しい心の痛ましさが、美しい夕焼けと共に歌われている詩です。
3人目のとしよりに対する娘の自責の気持ちが切なく伝わってきます。
この詩を興味のある方は「吉野弘 夕焼け」で検索してみてください。

夕方、近頃は亭主が早めに帰宅するので晩御飯も8時半頃にはできあがり。
ふと台所のベランダから空を見上げると、おお!これはまたなんと奇遇な!
美しい夕焼けではないの!
ご飯、まてまて~~、と亭主に言い、デジカメを構えましたぞ(笑)

そんなんで、昨日は嬉しい夕焼けづくめで、幸せな一日でした。
さて、上述のメルヘン作家「坂田喜作」さんについて、どなたか画集を持っ
ているなどの情報をお持ちでしたら、是非ご連絡いただけないでしょうか。
ネット検索してみたのですが、ご本人や絵の情報はほとんど出てきません
でした^^;


こんな日記を書いてから3年経った今年2011年の1月も終わり頃、突
然、坂田喜作先生のお嬢さんからブログを通して連絡が入りました。連絡の
糸口は、この「ふるさと紀行」シリーズ作成に携わった友人のスギさんだと
思います。

残念ながら先生はこれらの絵を本にしておられないようです。
そこで、嬉しいことに、お嬢さんが先生の夕焼けの作品の写真をわざわざ送
ってくださいました。

わたし一人で楽しむのはもったいない、拙ブログ、ホームページでの作品紹
介の許可をいただきましたので、坂田氏のプロフィールも併せて次回作品を
案内させていただきます。

今日はその一枚。
懐かしい子供のころに帰っていくような美しい夕焼け色です。

坂田喜作画家2
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テーマ:絵画
ジャンル:学問・文化・芸術
2011年4月7日 

日本へ出発4日前の昨日、「利用予定の成田行きフライトはキャンセルされ
ました。」と旅行社からの電話で不安増加のガビーーーン。

先だっての航空会社の成田直行フライト、キャンセルから一転二転とスケジュ
ールが変更され、やれ、ソウル経由で関空までしか行かないの、ソウルで
乗員交代で成田までなんとか乗り入れるだのと、2年ぶりの帰国気分がち
っとも乗らない。

そんな状態でしたから帰国準備もそぞろのところに受けたこの知らせ、んも
うー、いっそのことキャンセルして別の月を変えようか?と思っていましたら、
やっと、別便予約ができたようです。

この便、実は料金が少し高いので、夫とさんざんやりあった末、仕方ないと
諦めた便なのでした。早朝6時の便だと朝4時には起床せねばならず、長
旅をする身には堪えるのです。
今回は航空会社の都合による変更ですので、うふふ、正直言って助かり
ました。よって、10日早朝ポルト発早朝成田着が、昼出発の午後成田着
です。

前回の帰国スケジュールはぎっしりでしたが、今回は途中から、まず
飛べるかどうかが確認できなかったもので、日程は行き当たりばったり、日本
に到着してから調整です。

ちゅうさん、永遠のペンフレンド相さん、大阪の杉やん、abhさん、静岡のYさん
たち、同窓生のシマ、それにタコ君(このブログ、読んでなかったら突然の電
話でびっくりコw)、すみません、帰国してから連絡です。

さて、そんな不安定な状態のなか、えいや!と気合を入れて、火曜日には
日本語レッスンを二つキャンセルして完全休日にし、いそいそと出かけて来
た先がここです。

teleferico1
ポルトの対岸の町、ガイアで先週末に開通したゴンドラリフトことTeleferico。
2009年3月に施工したのが2年がかりで完成しました。

夫が一緒に行こうと言っていたのが、待ちきれない!わたしは今週末には
日本行きです、雨でも降ったらボツでしょ。次号の雑誌記事依頼が来たら
このホットトピックで行こうと一人で行ったはいいが・・・切符を買い、一人で
乗ったはいいが・・・わたしは高所恐怖症の気があるのでしたっけ・・・

デジカメを下に向けている間になんだかふらふら~とめまいがして、所要時間
がたったの5分たらずというのに、情けない、気分を悪くしたのでありました。

しかし、そこはそれ、画像だけはしっかと撮って参りました。

teleferico2
ガイア側の川べり、Praca da Superbock(=スーパーボック広場)に乗り場。     

teleferico3
ドアは自動的に開閉。8人乗りが12キャビンある。新品のリフトは安全性が
感じられます。

teleferico4
ゴンドラリフトはこれでオペーレート。                   

teleferico5
地上最高度は57.2メートル。

teleferico6
ドン・ルイス一世橋を左手に、秒速4メートルの速度↑

円堂のSerre do Pillar向かいの到着地点Jardim de Morroまでは5分足らず↓
teleferico7

見よ!赤レンガの段々畑。美しいポルトの街並です。
赤レンガの段々畑

インフォーメーション

開業時間 9:00- 17:30
料金:大人 片道5€(小人2.5€) 往復8€(小人4€)
休業:12月25日


ということで、本日はわたしの好きなRui Velosoの「Porto Sentido」をもご
案内。ポルトのセンチィメンタリズムをあますところなく歌いこんでいます。

Rui Veloso「Porto Sentido 哀愁のポルト=spacesis勝手題名翻訳)

明日はゴンドラリフトと並ぶもうひとつの乗り物を紹介します。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年4月3日 

亡くなった母は、昭和30年頃、当時弘前という田舎に住む母の年齢にして
は珍しく洋画好きだったが、同時に時代劇ファンでもあり、和洋折衷の人で
した。

わたしはその母の影響を受け、子供のころはチャンバラごっこに明け暮れ、
高校生になるまでは現代劇よりももっぱら時代劇を好んだものです。
今と違い娯楽が少なかった昔、義務教育が尋常小学校4年だった母の世代
の人たちは、日本の歴史に実に詳しかったと長じてわたしは感心したもの
です。

時代小説の主人公たちのこともよく知っており、わたしの記憶には母と共に
見た数々の映画が残っています。「瞼の母」「一本刀土俵入り」「雪の渡り
鳥」「月型半平太」「銭型平次」(大川橋蔵でなく長谷川一夫ですw)と
揚げるときりがありません。

映画からテレビへと時代が変わり、母がよく楽しみにしてみていたのが橋
蔵の「銭型平次」と「遠山の金さん」。
わたしが知ってる遠山の金さんは「中村梅之助」さんで、きっぷがよくてち
ょいとヤクザな金さんに、梅之助さんはぴったりでした。毎回おシラスでの
威勢のいい啖呵を聞くと、胸がスカッとしたものです。

その後色々な役者さんが金さんを演じましたが、わたしからすると適役は梅
之助さんが一番、そして次が杉良太郎さん。わたしはお二人のファンでは
ありませんが、ストーリーの運びは毎回同じで結果は分かっているというの
に、母に釣られてついつい観てしまうのでした。

下の写真は前回2009年の帰国時に子供たちと一緒に行った日光の
「江戸村」で観たお芝居、ご存知「遠山の金さん・おしらす場面」です。

日光江戸村「遠山の金さん」
「おうおうおう!!!あの日あの時あの場所で、うぬらの悪の一部始終、
この遠山桜がしっかと お見通しなんでえぃ。おぅ、これでもしらぁ切ろう
とでもぬかしやがるのか!? どぉなんでぇい。さっきまでの威勢のいい
剣幕、どこいっちまったんだょおぅ!」^^


あれ?spacesisさん、ポルトの新しい文化スポットの紹介ではないの?
い、いやね、地震津波で気持ちがふさがっている近頃、今日はちょいと
いい話ではないかなぁと、「金さん」ことその杉良太郎さんのニュースをば。

以下、ネット記事より抜粋

ー杉良太郎は4月1日に、妻の伍代夏子や事務所のスタッフらとともに被災地
である宮城県石巻市を訪れ、車両12台分の物資を届け、杉様自身が味付けし
たカレーライス5000食、豚汁5000食、野菜サラダ3000食を被災者に提供する
予定。

車両12台!(20トントラック2台、タンクローリー車1台、冷蔵・冷凍車2台、
車7台)に水2トン、男女下着類4000枚、歯みがきセット1万セット、入れ歯
洗浄剤500個、クレベリン業務用セット2000セット、だるまストーブ21台、
石油ストーブ8台、灯油・ガソリンなど、大量の救援物資を搭載する。
(ハンパではありません^^;)

現地では、カレーライス5000食、豚汁5000食、野菜サラダ3000食を被災者に
提供予定。デビュー前の下積み時代、カレー店に住み込みで2年間働いてい
たという杉自身がカレーライスを味付けし、夫人の伍代が豚汁をふるまう。
支援が遅れている同町で炊き出しが行われるのは初めてとなる。
抜粋終わり

で、わたしが気に入ったのはこれです、これ!↓

インタビューで「偽善とか売名と言われることもあると思いますが…」
と聞かれて、
「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使っ
てきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数
十億出して名前を売ったらいいですよ」
(註:杉良太郎さんは長年慈善活動に携わっているそうです)

カ、カッコいい!とspacesis、年甲斐もなく、この啖呵に惚れましたです。

この3週間、地震津波原発と暗い気持ちでニュースに耳傾け目を向けてき
ましたが、なんだか嬉しくなった単純な今日のわたしでございます。

ついでに「遠山の金さん」がらみの過去エッセイを下記に。
すでにご存知の方はスルーをば。

「思い出のオルゴール31:遠山の金さん」

週に一度の我が職場、中1の子供達と一緒に、児童文学作家吉橋道夫氏の
「ぬすびと面」という話を読んだときのことです。

狂言の面打ち師が、これまで誰も打ったことが無いという「ぬすびと」の
面をどうしても打てないでいる。このぬすびと面は、狂言の内容からして、
「どこか滑稽で間が抜けており、それでも一目見ただけで人を震え上がら
せるような顔」でなければならない。

そんなある夜、面打ち師の家に恐ろしい顔をした盗人が押し込む。しかし、
どういうわけか、物は盗らず、代わりに赤ん坊を押し付けて行ってしまう。
うむと気張った恐ろしい顔の裏に、もうひとつの別の顔があるような気が
して、「これや、この顔や!」とその時の盗人の顔をしっかり記憶に刻み
こんだ面打ち師は、ようやくノミを振り上げ面を仕上げる。

壬生大念仏狂言の始まるその日に、竹矢来を組んだ特別の場所に、牢屋敷の
囚人達も集められると聞き、面打ち師とその女房は、もしかしたら件の盗人
もその中にいるかもしれぬ。それなら一目、無事に自分達に育てられている
子を見せてあげようと連れて行く。

ところが、肝心のその盗人は、チラとこちらをみただけど、何のかかわりも
ないという顔でうむと気張って座っている。
拍子抜けした面打ち師が役人にその盗人のことを訊ねると、
「ちょいと、変わったことをやりよって。」盗んだのではなくて、間引きさ
れそうになった子供を助けて、育ててくれそうな家へ無理矢理押し付けて配
って回った、とのこと。

面打ち師は改めて、この世の、どうしても許しておけないことに対する盗人
の、怒りを込めて人々を睨みつけている顔を見、もう一度「ぬすびと面」を
打ち直そうと思う。(要約spacesis)

ざっとこういう話なのですが、さて、時代物の物語の中に海外で生まれ育つ
とどうしても耳慣れない言葉が出てくるわけでして、「狂言、竹矢来、奉行
所、間引き」などがそれです。
説明が「奉行所」に及んだとき、「今で言えば警察ですね。」と一言で終わ
れるものを、亡くなった母の影響で子どもの頃は時代劇が好きだったわたし、
話の成り行きで、ついついお奉行様までいってしまいました^^;

お奉行様といえば言わずと知れた遠山の金さんこと刺青判官!
海外に在住する子どもたちのほとんどは、現代物の日本マンガやビデオアニ
メは見るものの、時代物はまずなく、当然知るわけがございません。
そこでわたしはインスタント講談師に(笑)

着流しで市井にその身をしのばせ、悪漢どもを退治。最後はお見事、片肌脱
いで
「えぇぇい、往生際の悪いヤツめ。この桜吹雪がお見通しでぇい!」
とご存知18番。
(↑大丈夫、大丈夫^^なんぼなんでもこのわたし、片肌脱いだわけでは
ありません^^)で、最後が「これにて一軒落着~。」と終わるのです、と
講談が終わったところで、ジリジリーと授業終了の鐘も鳴り(笑)

すると、ポルトガル生まれでポルトガル育ちのY君、
「学校に遠山の金さんのビデオないの?」と来たもんだ(笑)
うん、分かる分かる、その気持ち^^見て見たいもんだよね^^
残念ながらまだ日本でその番組が放映されてるかどうかも、分からない。

○HKの大河ドラマは古いものではあるけれど、結構そろっているのですが、
あれを見こなすのは、彼らには少し難しい。
しかし、毎回のストーリーもほぼ同じで筋を追いやすく、勧善懲悪の時代物
というのは、この「遠山の金さん」を始め「銭形平次」なども、痛快で海外
にいる子供にも受けるのではないかと思うのは、わたしだからだろうか。

かつて、我が娘に、「任侠清水の次郎長、森の石松、金毘羅代参」三十石船
のくだり、「飲みねぇ飲みねぇ、寿司食いねぇ」と話し聞かせたときに、
やはり彼女も面白がって、その映画を観てみたいと言ったものである。
その語呂のよさリズム感に、痛快さに、カッコいいと心弾ました子供の頃の
自分を、Y君にチラと重ねて見たような気がしたのでした。

ここまで書いて思い出しましたことがあります^^
昔、ポルトのテレビ局が我が校に取材に来たときのこと。

その日は「声に出して読みたい日本語」の中の「白波5人男」の一人、弁天
小僧菊之助が泥棒の正体を現して開き直って言うセリフ。子供らを前に、
   
   知らざぁ言って聞かせあしょう。
   浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の
   種は尽きねぇ七里ガ浜ぁ。
   ~~~(略w)
   名さえゆかりの 弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだぁ~あぁ。

と、歌舞伎調で、首も振ってジェスチュアーよろしくやっていましたら、
ギョ!廊下からカメラがジィ~ッと回っていたのに気づき、赤く、そして瞬
時青くなった経験があります。
幸いその場面は放映されず、数秒のインタビューが出たのでよかったものの
放映日が来るまで気が気でならず生きた心地もしませんでした(笑)

そうなんです、こういう七五調の、ビシッと決まったセリフがわたしはスカ
ッとして大好きなのですが、皆様はいかに。


本日は長くなりました。日光江戸村紀行のブログ記事はこちらにありますの
でよろしかったらどぞ→  日光江戸村2・ご存知遠山の金さん 
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