2011年7月28日

前回、トマール、キリスト騎士団修道院、大窓にある「ガーター」(笑)謎
解きの続きです。


聖ジョージの黄金伝説
下の絵はラファエルによる「聖ジョージとドラゴン」です。
聖ジョージの象徴は白馬、竜、赤い十字。
            
conventocrisot_garter
                 wikiより。

聖ジョージはカッパドキア生まれでローマの軍人ですがキリスト教徒だった
と言われます。伝説には、ある村を聖ジョージが通りかかったとき、竜のいけ
にえとして王女が差し出されるところを、聖ジョージが竜を退治し、村人たち
がキリスト教の教えを受け入るとされています。
聖ジョージは後に異教徒に捕らえられ、棄教しないがため斬首され、殉教者
になっています。

さて、上の絵の足の部分を拡大してみましょう。画像があまりはっきりして
いませんが、左足にはガーターが見えます。
conventcrisot_garter

こちらの絵は19世紀の英国画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの聖ジョ
ージを描いたロマンチックな絵です。抱かれているのは助けられたサブラ姫。
conventocristo_garter

この絵では聖ジョージの膝にはっきりとガーターが描かれています。
(ここでは小さなベル、そして二人の天使?の胸にある大きなX文字、更に
その天使の横の青字X文字、それと聖ジョージの右肩にあるマークは何なの
か、気になっているですが、今回はそれを置いときます)
    
聖ジョージを尊崇するリチャード獅子王から後のエドワード3世はガーター
をシンボルにしたわけです。ガーター騎士団の金の首飾りに下がる記章も白
馬に乗り、竜を退治する聖ジョージが象られています。

ここでガーターと竜のシンボルが結びつき、トマールの大窓の右の大木に巻か
れているのはガーター騎士団の二つのシンボルに8割がた間違いないと思い
ました。しかし、これはイギリスの話であって、ポルトガル国王とはどのよう
なつながりがあるのか。

ガーター勲章の叙勲はキリスト教徒のヨーロッパの君主に限られていたとあり
ます。ポルトガルとイギリスの両国は14世紀にランカスターのフィリパ王女
とポルトガルのドン・ジュアン一世の婚姻以来、常に同盟関係にありました。
さすれば、ポルトガル王たちがガーター騎士団に入団していても不思議はない
はず。

因みに、ドン・ジュアン一世とランカスターのフィリパ王女との間には3人の
王子がおり、その一人が後のエンリケ航海王子です。

さて、そこで、仕上げとしてドン・マヌエルが果たして本当にガーター騎士団
メンバーであったのか、この確認には日本語ポルトガル語では出てこず、時間
を要しました。

先週の数日、これを追ってずっと検索していたのですが、ついに英語サイトで
ガーター騎士団の過去から現在に至るナイト(騎士)とレディーのリストを
ゲット!

そして、ビンゴ!ヘンリー8世(1509-1547)の時代のリストに
「Manuel I, King of Portugal」の名前を見つけました。
こういう時は本当に嬉しい!

これで、大木に記されたシンボルの謎解きはできたことになります。

テンプル・キリスト騎士団修道院は現在では世界遺産に指定されています。
「ただ古いだけでなんだかあまり面白いと思わなかった」という人もいるの
ではないかと思われますが、何世紀もの建物をそのままにしてあればこそ、
古さのなかに秘められた遥かな人間の歴史、人間の思想が潜んでいるのを
知ることができます。

それらを追い求めて調べていくうちに多くの伝説や歴史的な物語に接する
ことができます。西洋の歴史はキリスト教を知る必要がありますが、信者で
ないわたしの目からみる宗教の歴史は面白く、また、キリスト教が絶対宗教
だった中世にあって、それとは別の異端思想を密かに守り通そうとした人々
の存在がうかがわれるのには、多いに興味を惹かれます。

自由な思想を表現できる現代にこそ、歴史を学ぶことで、自由とは何かを
少し理解できるような気がします。

最後にもうひとつ、面白い発見を。

エリザベス女王をマスターにいただく「ガーター騎士団勲章」ですが、日英
同盟の関係で例外的にアジアの国の元首として初めて、明治天皇に叙勲され、
大正天皇、昭和天皇も同じく叙勲されているそうです。しかし、第二次世界
大戦では敵国となったため、名簿から削除。

1971年に復帰、1998年のイギリス訪問で今上天皇(きんじょうてん
のう)も、メンバーに記録されており、ヨーロッパ人以外でこのガーター騎
士団メンバーになっているのは日本の天皇のみとなっています。
(wikiからの参照)

ガーター騎士団現メンバーには、サッチャー元首相、ジョン・メジャー元首
相も記録されており、24人の騎士団の24人目は目下空席。
「何がなくても誇りだけは」と陰口を叩かれるイギリス人ではありますが、
古い伝統を頑固に守り通そうとするのには、尊敬の念を抱かずにはおられま
せん。

トマール大窓、片方右側の大木にあるシンボルの謎はこれで一件落着です
が、この大窓には他にもまだ摩訶不思議なシンボルが見られるのです。
それはまたの機会に、と思っていますが、ちょびっと予告編(笑)

janela_homen
大窓の下にいて、全てを支えているこの人物は、Who is he?

本日も長いエントリーを読んでいただき、ありがとうございます。
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では、皆様、また明日!
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2011年7月28日

前回エントリー、トマールはテンプル・キリスト騎士団修道院のマヌエル建
築と呼ばれる「大窓」にあるシンボル、バックルつきのベルトの意味は何か
と謎解きに挑戦してみました。
下記、もう一度、件(くだん)の写真を。

janela_garter

①ガーター騎士団

2007年に訪れて以来、思い出してはこのシンボルの意味するところを調
べてきましたが、なかなかこれかと思われるものに突き当たらず。
それがらみで時間に任せてあちこちネット内をサーフィンしているうちに、
ある日出会ったのがイギリスの「The Order of the Garter」こと「ガーター
騎士団」です。
ガーターとは、最近では女性もめったに着けなくなった「靴下止め」のこと。
そんなガーターの騎士団とは一体どんなものなのか?

14世紀の半ば、イギリスのエドワード三世が設立した騎士団で、フランス
との百年戦争のために団結力を結束させることを目的に、「アーサー王と円
卓の騎士」を真似て24名の騎士を編成したのが始まりだと言われます。

騎士団は君主から「ガーター勲章」を受ける形をとります。勲章一式はブル
ーの生地に金糸で「Honi soit qui mal y pense(よこしまな思いなる者災
いあれ)」とフランス古語で刺繍されているガーター、黄金の首飾りとそれ
につける記章、星の記章(下の画像で女王がきているマントの左胸にある)
大綬章で構成されています。
 
ガーター↓は男性団員は左ひざに、女性団員は左腕につけるのが習慣とされます。
comventocristo?garter
wikiより 
       
これは現在もイギリス王族に引き継がれており、1948年以来、毎年6月
にウインザー城でセレモニーが行われるとのこと。
勿論、現在のマスターはエリザベス女王です。
conventcristo_garter
wikiより

この写真からウイリアム王子もガーター騎士のメンバーになったことが分かり
ますね。黄金の鎖をさげています。
conventcristo_garter
wikiより

さて、この辺まではこれまでの調べで分かっており、ベルトと思っていたト
マールのテンプル・キリスト騎士団修道院、マヌエル式大窓にあるものは
ベルトではなくてガーターではないか?と思い始めてきました。

しかし、これだけではつながりが明白でなく憶測の域をでません。そこで、
「ガーター騎士団」の由来を辿ってみることにしました。

ガーター騎士団は、イギリスのエドワード3世が設立したのですが、その歴史
は12世紀、獅子王と呼ばれたリチャード一世の十字軍遠征に遡ります。

十字軍遠征は11世紀から13世紀の間に9~9回の遠征があり、12世紀
後半の第3回目の遠征にリチャード一世は参加しました。
この時、リチャード一世は加護として自身が崇敬する聖ジョージ(聖ゲオル
ギオス)の象徴である白地に赤い十字をあしらった旗を掲げ、同じく聖ジョ
ージが足に着けたと言われるガーターを着けて闘いに臨みました。
(上の写真、ウイリアム王子のマント、左胸にあるマークがガーターの真ん
中に象られた聖ジョージの旗です)

この時の旗が後のイギリス国旗、ユニオンジャックの元になるわけですが、
このことから後に聖ジョージはイギリスの守護聖人にもなります。

当時の騎士がガーターをつけたのには、そこに武器を差し込むためと考えら
れます。

ここに来て、トマールにある大窓の木に巻かれているのはベルトではなくて
「ガーター」ではないか?と思い始めたたのですが、ガーター騎士団は英国
のこととて、これだけでは決め手になりません。
そこで、まず「聖ジョージ」とはいったいどういう人なのかを調べてみるこ
とにしました。

この続きは調べがついているのですが、まだまとめが仕上がっていません。
ちょうど面白いところで申し訳ない!明日には更新できると思いますので
いま一日の猶予をください。

さて、ポルトはやっと少し暑くなりました。我が土曜日の日本語教室も先週で
ひとまず終了し、自宅教室の生徒さんたちもほとんどが休暇に入りましたが、
まだ頑張りたいという熱心な生徒さんもいます。

なにしろ我が家のクーラーと言えば例の問題移動クーラーな訳で、できる
ものなら使いたくない。暑さにはからきしダメなわたしですし、そろそろ少し
の期間はデレ~~ンとして怠けてみたい

そしてその後は10月に市立図書館で上演決定となったボランティア影絵の
準備です。BGMは既に決めてあるので、近頃は毎日その音楽を流してイメージ
を膨らませては、「よし!やるぞ!」と(笑)

近況でございました^^
それでは、明日は謎解きの続きと参ります。

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2011年7月24日

7月も20日を過ぎたと言うのに、今年のポルトガルは20度を数度上がる
くらいで少しも暑くならない。新聞によるとこれは27年ぶりの冷夏だそう
です。

節電で厳しい夏が予想される我が子たちが住む日本を思えば、こういう年こ
そ、冷夏の日本にならないものかと、農作物への影響をそっちのけに考える
身勝手な親です。

それにしても昨今の世の中を見回してみると、日本の大地震、原発問題、
北朝鮮系過激派政治団体に総額2億円の支援金を寄付したという民主党

を与党にいただく日本の不幸を始め、昨日の死者90人を出したノルウエー
テロ、中国の高速鉄道事故、ギリシャ、ポルトガルを始めとする世界的経済
危機と混迷を来たしている世界情勢、なんだか不気味な気がします。

そんなニュースに耳を傾けながら、この数日間、しばらく前に夫と再訪、撮影
してきた写真と首っ引きで、テンプル・キリスト騎士団修道院の謎を追っかけ
ておりました。気になると夜中でも起き出して確認したりする性格です、我が
子、モイケル娘にはとうとう「オタクだね」と言われる羽目に。
いいではないか、探究心が強いがための勉強オタクです

では、参りましょう。

現在は正式には「Convento de Cristo(キリスト騎士団修道院)」と呼ばれ
るトマールの修道院、前章で既に述べたように、テンプル騎士団により12
世紀に建設されたのが、15世紀16世紀のエンリケ航海王子、ドン・マヌ
エル一世時代を経て現在のキリスト騎士団修道院が完成されました。

今回はその中でも聖堂に次ぐハイライト、ドン・マヌエル一世の「大窓」の
シンボル謎解きに挑戦してみました。

janela_conventocristo
                            
12世紀から16世紀にかけて増築されたキリスト修道院は建築様式もロマ
ネスク建築、ゴチック建築、マヌエル建築と多様に渡ります。
特にマヌエル建築様式は別名「ポルトガル・後期ゴチック建築」と呼ばれ、
ドン・マヌエル一世が作り出したポルトガル独特の建築様式です。

大窓の大きさがこれだけではつかみにくいでしょう。下の画像を参考にして
ください。

janela_conventocristo
大窓の上にある丸窓(Oculo)を後ろにしているテラスは修道院の3階。
2007年訪問時の夫と息子です。
             
janela_conventocristo
こちらのテラスは2階。(2011年撮影)
                                 
マヌエル建築様式の特徴は石細工に見られる下記に示す例のような様々な
アイコンです。

1 船や航海に関係するもの。錨、鎖、地球儀。特に地球儀はドン・マヌエル
  の紋章で、「コスモス=宇宙」を意味し、現在もポルトガル国旗に使われ
  ている。

2 海に関係するもの。貝、真珠、珊瑚、海草が連なったもの。

3 テンプル騎士団/キリスト騎士団のシンボルの十字

4 繁殖のシンボルのざくろ、再生のシンボル、アーティチョーク、不死の
  シンボル、松かさ。
 
5 結ばれた太縄、鈴のついた首輪。
                       
6 乾いた大きな木。これは後期ゴッチック建築にも見られますが、フラン
  シスコ会や自然主義者の象徴だと思われるが、他説もある。

などなど。

マヌエル建築様式の代表的建物としては、べレンの塔、ジェロニモス修道院、
シントラの王宮、バターリャ修道院などがあり、いずれもよく目を凝らして
みると、数箇所に隠れるかのように不思議なシンボルがあるのが分かります。

今回はこの大窓のミステリアスなシンボルを紹介しましょう。

まず、トップ大窓の右側の木から。
janela_garter

乾いて根をむき出しにした大木の巻かれたバックルつきのベルトです。前回
の訪問時にはこれを見逃したのでした。
janela_garter

更に根元の下に目をやると↓
janela_dragon
これはドラゴンの顔だと言われています。
janela_dragon

ベルトの意味は?ドラゴンはなぜここに?

この二つのシンボルの謎解き、spacesisの推論を次回紹介します。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
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2011年7月19日 

オバマ大統領もツイッターで祝福していると言う「なでしこジャパン」世界
一! FIFA女子ワールドカップ、頑張りましたね。 おめでとう!

ポルトガルでは残念ながら試合の放映がありませんでしたが、夜のTVニュー
スで知らされ、ほぉほぉ^^と、女子ワールドカップがあるのも知らなかっ
たのでありました^^;

暗いニュースばかりの日本に思いがけない明るいニュース、ありったけの力
で最後まで闘ったその精神力に、男子のチームには見られないような、なん
だか清清しいものをわたしは感じます。

しかし、早速ながらロンドンオリンピックでも金を!と周囲が言い始めたの
には、勿論それを目指すのにはいささかの反論もないのですが、「勝って
兜の緒を締めよ」、謙虚に慎重に更なる試練を積んで頑張って欲しいです。

「粘りに粘って最後まで」と言う言葉に、菅首相が「わたしもあきらめない」
って^^; いえいえ、そんなことしてもらわなくて結構でございます。菅
さんには、早々に諦めていただきとうございます。

さて、今日は我が家のギャングこと黒猫ペトの写真をば。

gato
顔、下半分の白いポツポツは彼の模様ではありません。これはわたしがう
っかり台所に置き忘れた食べかけのヨーグルトカップに顔ごと突っ込んで
なめ回した結果です。現行犯だぞ、お前。
面白いので写真を撮ろうとデジカメを構えましたら、叱られると思ってか、
ベランダまで逃げこんで、「や、やるかぁ?」と多少構えております(笑)

こちらは最年長のゴンタ君。
gato
近頃は寝て過ごすことが多くなりました。白内障で殆ど見えないようです。
不安なのか、いつもわたしの身近にくっついていたいのです。そして晩ご飯
後は、ほかの猫たちと違い、寝床にしているわたしたちの寝室ソファでさっ
さと早寝の毎日です。

目が見えていたときは、廊下やホール、部屋の真ん中を歩いていたのが、
髭で距離が測れるのでしょうか、今では常に壁に沿って歩いています。
ゴンタを見ていると、人間もネコも歳を取ると同じだなぁと思うこと、度々
です。

話替わり、今、こんなことをして見ています↓

origami

折り紙の練習ですが、あらま、spacesisさんもゴンタ君同様、お歳を召して
暇に任せ、そんなことを?なんて誰だぃ!
確かに近頃雑念多く、いまいち何事にも気合が入らず、今年は64になる
あっしではございますが、さて、そろそろ活動、参りますわよ^^

折り紙にわたしはたいして興味を示さないできましたし、我が子達が幼かっ
た頃も、折り紙を教えたということはあまりありませんでした。
と言うのは、折り紙作品は長い間にはホコリがついて色も褪せ、拭くわけに
はいかないもので、作っても捨てるのであればなぁ、と言う気持ちが大きか
ったのです。
昔、我が補習校でたくさんの折鶴を作り千羽鶴にして、ポルトの借用校に
寄付したことがありましたが、学校ではそれを廊下の天井からぶら下げて
長い間飾ってくれました。

毎土曜日に私たちはその千羽鶴を目にしたわけですが、それが段々色褪
せて、あげた頃の色鮮やかさが無くなり、そのうちいつの間にか廊下から
姿を消してしまいました。あれは捨てるにも気がかりになるものであろうと、
以後、わたしは折り紙作品を人様にさしあげることをすまい、と思うように
なりました。

自分の日本文化展示用にも折鶴をたくさん作ったりするわけですが、それら
は次の展示用にと、ホコリがつかないように、つぶれないように大きな衣装
箱に入れて保管します。スペースもとりますね。

そのわたしがなぜ今更?となるのですが、上の写真、UFOを除いては全て
ブラキオサウルス、ステゴサウルス、T-Rex等のキョウリュウです。
このキョウリュウの影絵をこの秋にボランティアで市の図書館の行事の一
環として、小さい子供を対象に上演することになりそうなのです。

影絵は、昔、わたしが補習校で受け持った小学生のクラスの子供達と始めた
もので、毎年別題材を扱って、7、8年続けた学芸会の活動です。
週に一度、90分授業で算数(数学)、国語の年間カリキュラムを日本の学校
と同じように修了しなけらばならない補習校の環境で、学芸会の準備の時間を
割くのは大変でした。今では懐かしい思い出になってしまいましたが、時には
休日に子供達をオンボロ我が家に集めて練習したこともありました。

補習校の学習環境では、そのうち段々と学芸会に割く時間が取れなくなり、
ついにはクラス単位で練習しなくてもすむ「朗読発表会」にとって替わり、
わたしの受け持ちのクラスが必ずする恒例になっていた影絵上演も
終わりになりました。

取り上げた一番最初の作品は教科書の教材であった星新一さんの
SF「おみやげ」、Shel Silver Steinの「大きな木」、「片足ダチョウのエ
ルフ」、広島の原爆投下を扱った「子守唄」、「地球年代記」、「竹取物語・
かぐや姫」。

この中で「大きな木」と「地球年代記」は2度上演しました。
この次は是非、Leo Buscagliaの作品「葉っぱのフレディ」をしたい。が、
あれは登場人物が葉っぱなので、とても難しく、BGMを既に決めてはいた
ものの、どのような展開でとりあげようかと思っていたのでしたが、結局、
その「次回」はなくなり、今に至っています。

日葡修好150周年を記念して国際親善協会財団とポルト市の共催で
催されたJapan Week 2010のコーディネーターを昨年はしたのですが、
その縁で市立図書館の担当者と何かのきっかけで出たのがわたしの
影絵です。

まだこれから話し合うことになるのですが、過去の作品の中で小さい
子供を対象にできるものはと考え、地球の誕生からキョウリュウの
出現、そして滅亡するまでのストーリー「地球年代記」をピックアップ。
キョウリュウはいつの時代も子供たちを魅惑してきました。

「Earth Chronicle=地球年代記」の影絵は長くて10分ほどです。活動時
間は2時間ですから、上演が終わってから小さい子供でもできるキョウ
リュウの折り紙をと考えて、練習しているというわけです。

補習校時代と違い、まずわたしが編集したストーリーを日本語からポルト
ガル語に翻訳することから始まり、日本語版ではわたしのナレーターが
録音されていますが、ネィティブスピーカーのポルトガル人ナレーターの
ボランティアが必要になります。これが一番の難題でしょうか。

日本語教室の生徒さんも一人二人と夏休暇に入り、まだ半数ほどは
残っていますが、それら授業がない時間を影絵準備にいそしもうと
しつつあるこの頃です。
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2011年7月17日 

雑念が多いこの頃、どうも気分的に落ち着かずブログ更新の間を少し
あけてしまいました。

土曜日の日本語コースも今日を含めてあと二回で終わりだと出かけた昨日、
ダウンタウンの教室前にあるラパ教会に丁度駐車スペースが見つかり車を
止めることにしたのですが、縦列駐車だ・・・

私はこの縦列駐車が苦手なのです^^;
しかし、そんなことを言っていたらグルッとこの周囲をまた一回りし、駐車
スペースを探すことになるので、仕方なかとバックで入り始めたのですが、
ぬぬ?
途中からバックギアを入れてるというのになんでか前に進むではないか・・・

その通りは下り坂になっているのですが、どうやら止めようとしたスペース、
一箇所が変に盛り上がっているらしく、バックしないのであります。
恐々バック・トライしているうちに、ズズッ、ズズッと前に降り、うわっ!
前車とすれすれになったじゃん!

思い切りアクセルを踏めばいいものを、
「前の車にアテそうじゃん!こ、こわい~。」とこういう時は弱気な地が出て
からきしダメ。
ど、どうしよう・・・とフリーズしてしまいやんした。

えっと・・・えっと・・・まさか夫をケータイで呼ぶわけにはいきません。
すばやく頭を回転させ(笑)、仕方なか、教室になっている我が友の自宅、
彼女は補習校に出かけていないが、ダンナがいるはず。恥ずかしいけれど
よそ様の車にアテるよりはまだ増しではないか、とケータイで呼び出そうと
した瞬間、少し向こうを歩いて行くのは、おお!我が生徒たち!

慌てふためいて車から飛び降り、「おーーい、おーーい!」と声かけた。
すると我が生徒たち、「おや、先生、やたらごたいそうな朝のご挨拶」とで
も思ったのか、「おはよー」とだけ言って通り過ぎるではないか。
「ちがうちがう!こっちに来てくれ~~!」

てな訳で、無事、生徒が車を入れなおしてくれたのですが、朝から赤恥を
かいて来ました。こういうこと、実は今回で3回目でありまする^^;
El Corte Englesデパートの地下駐車場でも似たようなことをやり、その時は
そのまま行ったら柱に自分の車がかすってしまいそうで、それが怖くて恥を
しのんで警備員を呼び、入れなおしてもらったのはつい先月のこと。

夫にその話をして「君・・・・・」と呆れられたのでありまして、うん、
今回のことはしばらく言わないでおこう。こういうことは相変わらず凝りも
せず、日々続けております。

さて、雑念を少し追い払い、今日はしばらく前に再訪してきたトマールは
テンプル・キリスト騎士団修道院について。
修道院内のシンボルはまだ解けていない部分もありますので案内という
より、私自身の覚書になります。

テンプル騎士団てなに?と思われる方は既にこちらでシリーズ(1)として
こちらに書いておりますので、どぞ。

今回は4年ぶりの訪問でした。前に訪れたときは修繕にやっと手がつけられ
た頃で、特にキリスト騎士団の前身であったテンプル騎士団によって
造られた円堂の内部が悲惨な状態だったのです。

あれから4年、かなり修繕が進んだろうと期待したのですが、ガビーン!
期待したほど修繕は進んでいませんでした。ギリシャに次ぐ経済危機だと言わ
れるポルトガル、お金がないとこういう文化事業は残念ながらさっぱり進ま
なくなります。

soto1.jpg
写真は正面入り口を入って更に少し歩き、いよいよ聖堂前の庭に出る手前の
道。

templarios
廃墟のままになっている建物の一部。

templarios
横から眺めた円堂。

さて、まずはと心弾んでくぐった円堂の門。

templarios
堂内は正面からみると以前に比べて少し明るくなったようです。

templarios
が、あれれ?ない!前にあったはずの場所にアレがない!

↓2007年の聖堂写真。
charola
円堂内でも神聖な場である聖堂の中心にあったはずの三脚卓が取り払われて
いました。聖堂の修繕のために破損回避するために他へ移動されたと推測
します。

できれば、この聖堂内の天井中心にあるものを再度撮影したかったのですが、
前回と違い今回は聖堂内は立ち入り禁止となっており、足を踏み入れること
はできなかったので、残念ながら撮影不可。

う~~ん、この三脚卓があってこその聖堂の神秘なのではあります。

前回撮影しなかった聖堂の外側上部の絵。
tamplarios

拡大してみました。
templarios
天使が手に持っているものは不明。これは初めて見るものでただ今調査中。

tamplarios

templarios
別面に描かれた絵。天使が抱えているのは右ソロモン神殿の両柱、ヤキンと
ボアズ(Jachin= Boaz。ヤキンが確立をボアズは力を現すと言われるがその
正確な意味は現在も論争中のようだ。)であろうが、左はなぜ木なのか、十
字架に似せてあるが上部がない。不明。

下は聖堂の壁画の一部。
templarios

拡大してみます。
templarios
横にライオンがいるのとペンを持ちマントが赤いことから、4世紀から5世
紀にかけてのキリスト教の聖職者、神学者であり、聖書の翻訳をした聖ヒエ
ロニムス(英名セント・ジェローム)と分かる。

聖ヒエロニムスとライオン。
st.jerome
             画像はwikiから
この絵ではマントは赤くないが、ヒエロニムスをテーマにした絵には通常赤
いマント、ライオン、本、赤い帽子がシンボルとして描かれる。

ライオンが共に描かれるのは、シリアで隠遁生活をしていたヒエロニムスの
元に、ある日手に棘がささったライオンがやって来、ヒエロニムスはその棘
を抜いてやるのだが、以来、ライオンは彼に常に従うようになったという
伝説から来る。

さて、以前の聖堂の記事ではこれの役割がわからなかったのですが↓
st.jerome

ぶら下がっている鉛筆、ガードの人がいましたので、この役割について訊い
てみました。
聖堂の向かい側が聖歌隊が歌う場所になっているのですが、それがこの聖堂
に届くようにとの工夫だそうで、伝達用のマイクのようなものではないかと
の推測は当たらずとも遠からず。

本日はテンプル・キリスト騎士団修道院の聖堂でしたが、円堂の絵画、模様が
全て修繕されるには恐らくあと6,7年、いや、下手をすると10年待たなけ
ればならないかも知れません。その頃にもう一度、こ、来れるかな?^^;

次回はもうひとつの見逃せない目玉、大窓です!

本日もブログを読んでいただきありがとうございました!
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2011年7月11日

generalife
Alhambragranadaサイトから
                 
アルハンブラ宮殿の建つ同じ丘の宮殿から少し離れたところにある。
13世紀から14世紀の始めにかけて造られ、イスラム王族の別荘として
使われた。
「ヘネラリーフェ」とはアラビア語で「全てを知るものの住むところ」と言う
意味。

generalife
Alhambragranadaサイトから

しかしながら、ヘネラリーフェはイスラム時代の終わり頃からレコンキスタ
による陥落後の長い間放置されてきたのと、キリスト教徒がレイアウトを
変えたりしたのとで、元のヘネラリーフェがどのようであったかを知るのは
難しいようだ。

アルハンブラ宮殿にあるような華美なアラベスク模様の細工はへネラリー
フェでは見られず質素だと言われる。

「言われる」とわたしが言うのは、とどのつまり見逃したのであった^^;
よって、トップの画像二枚のみはアルハンブラ案内公式サイトからの借り物。

こと、自分が興味あるものには、普段はたいしてない体力も俄然出てくる
わたしと違い、前日の夜のアルハンブラ、そしてこの日のアルハンブラと
続き、更に日中は結構な暑さのためか、夫は多少くたびれたようで糸杉の道
にあるベンチで休憩。 

generalife

その間、欲張りなわたしは休んでおられるか、もったいない!てなことで、
彼が休憩中、一人、へネラレーフェ庭園の外壁側にある庭園を歩いて撮影し
て来たのである。

しかし、今にして思えば、「しまった!夫を引きずってでも行くべきであっ
た」と後悔している。
車で片道9時間近くの旅程はきつかったので、そうそう簡単にアルハンブラ
再訪はできまい。夫にそれとなしに、「いいところを見逃してきた~」と言っ
たら、「We can visit next life」と、にべもない

と言うわけで、トップ、フェネラリーフェ庭園内はアルハンブラ公式案内サ
イトからの借り物です。下記わたしの画像はフェネラリーフェへ向かうまで
の糸杉の道にあるフェネラリーフェ庭園に良く似たガーデンです。

generalife
面白く刈り上げられた糸杉をくぐると、噴水が続くプロムナードになっている。
generalife

generelife

generafile
サルビア、薔薇、ジャスミンの花が咲き、噴水が清涼感を誘う。
generalife

↑↓写真の壁裏側がフェネラリーフェ庭園になる。

generalife

下は野外劇場の一部
generalife

今回(7)をもち、わたしの「アルハンブラ宮殿案内は終了です。
空路、陸路の車、電車、バス、どれをとってもアンダルシア地方に辿り着く
のはあまり楽なことではありませんが、それを押しても行って見るだけの
価値はあります。

ヨーロッパの中にありながら、他の国とは何かが違うと感じられるポルトガ
ル・スペインのイベリア半島は、紛れも無く8世紀から15世紀にも渡るイ
スラム文化の影響を今に留めているからです。

ポルトガルもスペインも、イスラム文化が花を咲かせた南に下れば下るほど、
その影響が顕著に見られます。言語にもアラブ語を語源にする言葉がたくさ
んあります。Algarve(南部の地方名)、almoco(昼ごはん)、almofada
(クッション)、alcool(アルコール) algebra(代数学)、almanaque(暦)
algodao(綿)などなど、alで始まる語彙はAlhambraも含め殆どがそうです。

イスラム文化がイベリア半島にもたらしたものは言葉だけではなく、数学、
天文学、建築、彫刻、詩、音楽など幅広い知識であり、ポルトガルの大航
海時代もこれらの基礎知識の恩恵を得たものではないか。

これらからすると、かつてのイスラム文化は世界に類を見ないハイテクの国
だったと言えます。
砂漠と月と星のイスラム国は、それゆえに砂漠に無いものを求めて知恵を集
め、技術の光を求め続けたのでしょう。

いかなるものも永遠に存続するあたわず。
歴史遺跡を訪れるといつも思うことですが、アルハンブラ宮殿はその異文化の
華麗故か、特にそんなことをわたしは感じました。

スペインの作曲家フランシスコ・タルレガの名曲「アルハンブラの思い
出」を聴きながら、わたしが写真で紹介したアルハンブラをもう一度
動画でごらんください。




「アルハンブラの思い出」に関連するわたしの思い出話を聞いてみますか?
                 ↓
             津国ビル純情1

なお、本日は「タブレイロス祭」の記事も下記にあります。
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2011年7月11日 

テンプル・キリスト騎士団修道院を確認したいがため、2週間ほど前に再訪
してきたトマールの、伝統的な祭り「タブレイロス祭」のハイライトのパレ
ードが昨日行われました。

オリンピック同様4年に一度のこの祭(こちらにて既に案内)、わたしは少
しでもいいから、準備の様子でも撮れないかと思ったのですが、残念ながら
期待はずれでしした。今年は704のタブレイロが出揃ったそうです。

タブレイロス祭
園内ににズラリと並んだ出番待ちのタブレイロス(=トレイの意味)

タブレイロス祭
パレードの準備で歩く練習でしょうか。大変そうです。
 
タブレイロス祭

街中がこんな風に花と言う花で飾られます。住まいの窓を飾る人もたくさん
あります。
タブレイロス祭
2週間前に訪れたときは、この準備を撮影したかったのです。
本日の画像はポルトガルのメディアサイトからです。

トマールの人口は41万少し。この小さな町に祭りのパレードの日には
多くの人がやってくるのですが、今年はなんと40万人のツーリストとのこと。
町の人口は一挙に2倍に膨らみました。とても車などでは入れません。
少なくとも前日に町に入り宿泊でもしないと見学は難しい。
それで、毎回、これを見逃しているのですが、タブレイロス祭については
こちらのほうで、詳しくあんないしていますので、どうぞ。

ポルトガル・ロマン・「4年に一度のタブレイロス祭」

本日はもうひとつ「アルハンブラ」のエントリーがあります。お楽しみに!
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2011年7月8日

昨日の朝のこと。

起きてリビングルームを覗いた夫が、息子の部屋で作業しているわたしを
見つけ、
「ど、どうしたの?パソコンをつけてないじゃない。大丈夫か!」
・・・・・・・・・・・・

大丈夫かってなんでんねん、そりゃ。あたしゃ、ちゃんと正気ですって。

いつもなら起きては真っ直ぐバスルームに行き、シャワーを浴びて歯磨き、
洗顔。 で、行儀悪いことに、歯磨きをしながら夫がまだ寝ている部屋は
別にして、家中の窓という窓のブラインダーを上げ、空気入れ替えに窓を
少し開ける。
そして、リビングにあるデスクトップpcのスイッチを入れる。
わたしのpcは少し古いのと、多分ファイル等をきちんと整理していない
のと、大きな画像が多く入っているのとで、立ち上がりに時間がかかる
のだ。いや、元々は買った当初から多少欠陥のpcではあったのだが^^;

そして、ブログで度々書いているように、その後は朝の小一時間ほどコー
ヒーをすすりながら日本のウエブ新聞に目を通すのである。わたしがこう
している最中に夫が起きて来る。
「おはよ~」と声をかけられ、振る向くわたしの顔で、どんなニュースを読ん
でいたか分かるという具合。

それが、昨日の朝に限っていつもpcの前に座って、時にはハシタナく膝を
叩いては一人ガハハハ笑ったり、ぶんぶん怒ったりしているはずの妻の
姿がない!どう言う風の吹き回しか、その妻、息子の部屋の机にかじり
ついているではないか。こんなことは今までついぞなかったことだ。
それで、「大丈夫か、お前!」となったのであります(笑)

前夜、翌日のポルトガル語レッスンの課題を寝床に持ち込んだ。
朝から日本語授業があるので、時間の使い方が下手なわたしは、日中
ポルトガル語の予習のための時間がとれないことが多い。そこで、寝入る
前にざっとテキストに目を通す。そして、出かける前の1時間ほどを机に
向かい予習に充てられるよう時間繰りを頑張ってみる。

今まではそれである程度、テキストの理解ができたのである。
ところが、ついこの間からは「お、結構むずかしいじゃん」となり始め、
昨日のテキストなどは、寝床で目を通すや、「げ!なんだこの単語は。
耳にしたことがないのばっかりやん!」

いくらお代をお渡しするとは言え、学習している努力が見られない年
取った生徒のお守りをさせるようでは、先生に申し訳もたたない。それに、
こんな状態では自分自身、悔しいではないか。

というので、前夜、テキストに取り組むのは早々に諦め、早朝にしっかり
取り組んでみようと早々に爆睡に入り、翌朝起きて洗顔歯磨きの後、
pcをつけるとそちらの誘惑に負けてしまうのでつけずに真っ直ぐ息子の
部屋の机に向かって、辞書と首っ引きになっていたと言うわけである。

それを夫め、ボケが始まったかと早とちりでもしたか。

と、本日は長いプロローグであります^^;

さて、閑話休題、あだしごとはさて置き、本題にはいりまっす。
本日はアルハンブラはちょい、お休みして、ファドについて。
数年前の過去記事を大々的に書きなおしてみましたので、過去記事をお読み
になっている方も是非どぞ。

リスボンのファド

フランンスにはシャンソン、アメリカにはカントリ・ウエスタン、日本には
民謡の例にあるように、それぞれの国がもつ独特の文化音楽があるように、
ポルトガルにも「ファド」と言う民族の心を表す歌があります。
「ファド(fado)」はポルトガル語辞書を引くと「運命、宿命」とあります。
ラテン語の流れを汲むポルトガル語は、ラテン語のfatum(運命)を語源に
しています。

かつて日本の音楽の教科書にも、ポルトガル民謡の代表的な歌として取り上
げられたのに「暗いはしけ」と言う歌があります。原題は「Barco Negro」
(バルコ・ネグロ)、黒い舟という意味です。
漁に出たまま再び帰らない愛する人を恋うる歌なのですが、ファド歌手が歌
い上げると、教科書の楽譜からはとうてい伺えない、切々たる思いが聴く人の
心に響いてきます。

ファドはfadistaと呼ばれる一人の歌手とポルトガルギター(12絃)そして
ビオラ(通常のクラシックギター)の伴奏で、薄暗いライト照明の元で演奏
されます。

guitarra-large-1.jpg
12絃のポルトガル・ギターラ(wikiより)

ファド歌手は主に女性歌手に有名なのが多いですが、国内で人気のある男性歌
手もいます。カルロス・ド・カルモは齢72歳になりますが、現役で歌ってい
る息の長い人気歌手です。

女性のファド歌手は全身黒い衣装を身にまとい、多くは黒のショールを肩に
かけます。

fado.jpg
 歌うアマリア(wikiより)

ファド歌手として世界に名を馳せたのはなんと言っても「アマリア・ロドリ
ゲス(Amaria Rodriques. ポルトガルではAmaria と呼ばれて親しまれてい
た)」です。上述の歌「Barco Negro」も、かつて彼女が出演したフランス映
画「過去を持つ愛情」の中で歌ったのが広く広まったもので、ファドがその
名を世界に知られるようになったのは、Amalia に負うところが大きいのです。

Amaliaは1999年に79歳で亡くなりましたが、この時ポルトガルは三日
間、喪に服しました。彼女の葬儀にはファンのみならず当時の大統領も列席
し国葬並みの扱いで、国民の誉としてエンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマ
や文豪カモインスなどの記念碑があり、ポルトガル歴代の英雄たちが埋葬さ
れるリスボンの国立パンテオンに眠っています。

現在は日本でも知られる若い女性ファドシンガーが新しいスタイルでファド
を歌っていますがアマリアの前にも後にも彼女ほどの偉大なファド歌手はなし。

出稼ぎや移民が多いポルトガル、異国の地でファドを耳にすると「Saudade
(サウダーデ=望郷)」の思い止まず、ポルトガル人は涙すると言われます。
ポルトガル人に限らず、聴くものの心に望郷の念を呼び起こさずにはおかな
いのが、ファドなのです。

ファドにはこのように、ポルトガルのブルースとでも言えるようなSaudadeを
歌ったものが多いですが、日常生活をユーモアたっぷりに皮肉ったりなどの
陽気な歌もたくさんあります。

さて、ではファドのオリジンはと言うと、これが「カステラ」の語源同様、
今日でもはっきりしないようです。(カステラについてはエントリーの最後
で案内)そこで、わたしが聞いている説をいくつかあげてみます。

一説によれば、ファドの起源は11世紀から14世紀に遡り、運命論者のア
ラブ人がポルトガル・ガリザのことを歌に表わしたのがそうだと言われます。
この当時は歌手は男性に限られ、男が女性の気持ちを歌ったもの(これは日
本の演歌でもよくありますね。森進一や美川憲一などは女の立場に立って演
歌を歌っています)や、時の貴族への批判を歌にしたりしました。

ガリザは、現在のスペイン領、かつてのレオン王国の一部でポルトガル北部
と隣接する地方。11世紀から14世紀といえば、ポルトガルは建国の幕開け
から、レコンキスタの戦い(イスラム教徒との国土奪回戦争)に明け暮れ、
国土の奪回がイスラム領土の首都、コルドバに移動して行ったころです。

もうひとつ、わたしが聞き及んでいるのは、船乗りたちの詩や歌がファドに
なったというもの。今のようにけして楽でもロマンチックでもなかった厳し
い航海の旅、波に揺られては故郷を思いそれを歌にたくしたというものです。

また、ファドは「Lundu(もしくはLundum)と呼ばれるアフリカのダンス・
ソングから来たという説もあります。
このダンス・ソングことLundu=ルンドゥは、18世紀の終わり頃にポルトガ
ルやブラジルでも知られるところとなり、ブラジルのサンバの起源だとも言
われます。こうして、ルンドゥとリスボンに寄港した船乗りたちの歌が一緒
になったものがファドというわけです。


ファディスタの元祖、Maria Severa

今でこそファドはポピュラーな音楽として色々な歌手に歌われていますが、
リスボン・ファドの歴史をひもといてみると、ちょっと面白い。

19世紀初期、ファドはリスボンの波止場や色々な人種が住み着くあまり柄の
よくない地域のタベルナで、浮世の憂さ晴らしとして歌われていました。
その中にMaria Severa(マリア・セヴェラ)というジプシーの人気ファディス
タがおりました。
セヴェラは愛らしい高級娼婦でもあり、愛人も数人おりましたとさ。

そのSeveraに裕福な貴族、Vimioso伯爵が恋し、セヴェラを闘牛場の公の場に
伴ったりしていたのが、彼女は26歳の若さで結核のため命を落とします。
後、伯爵はファドを貴族のサロンへと持ち込みます。

こうして、ファドは世にに知れ渡り、王室のサロンですら歌われるようになり、
歌の内容もSaudade(郷愁)、Amor(愛)をテーマにした詩的な歌詞がメランコ
リなメロディーで作られるようになりました。

現在ファドはリスボンのツーリスト用のレストランなどで聴かれます。
ポルトでファドが聴ける有名レストランには、リベイラの「Mal Cozinhado
(こしらえが悪い料理の意味)」があります。

下記にファドの中でも最も知られる名曲のひとつ、「Cancao de Mar(海の歌)」
が現代のポルトガル人ファド歌手、Dulce Pontesの歌で紹介します。


 
歌のプロローグがどこかアラビアンな感じを受けるのはいかがでしょうか。
ポルトガル語の意味が分からなくても思わず引き込まれる歌です。
この歌はイギリスのサラ・ブライトマンが「ハーレム」と題しても歌って
いますが、やはり迫力に差があり、俄然Dulce Pontesに軍配あり。

ファド「Barco Negro(暗いはしけ)」については、こちらで面白い発見を
書いています。
よろしかったらどぞ。

   http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-753.html

ところで、リスボン・ファドとあるのですが、ファドには実はもう一種類、
リスボンのとは違った趣のファドがあるのをご存知ですか?
近日中にそれを紹介いたします。

カステラはポルトガル語かを読んでみる
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2011年7月6日


ポルトガル情報を求めて来た方は、右リンク欄にもありますが、spacesisの
別サイト、「ポルトガル・ロマン」でも案内していますので、どうぞ。

ポルトガル・ロマン

引き続きアルハンブラ・シリーズ(6)です。

"Nothing can prepare you for the beauty of the Alhambra."

アルハンブラ

日中の訪問もいいが夜のアルハンブラは格別の美しさがある。ライトアップ
をかなり抑えてありそれが却って神秘的だ。写真下の入り口から入る。
帰りはタクシーなどはなかなかないのでバスになる。
わたしたちが訪れた春はバスの本数も少なく、小さめの最終バスが来るまで
かなり待たされたので夜間訪問の場合は要注意。

アルハンブラ
入り口を入り、薄明るい園内を宮殿までしばらく歩く。

アルハンブラ

スペインのいたるところで見かけられる糸杉のシルエットが美しい。 

アルハンブラ

アルハンブラ
アルハンブラに住み着いているネコがいる。

アルハンブラ

入園し、薄暗い園内をしばらくあるいて到達するアルハンブラ宮殿。
開園までしばらく待たされたのだが、春とは言え、アルハンブラ宮殿の建つ
吹きさらしの丘は、寒くてなかなかにきつかったでのある。
アルハンブラ

日中は今度は日差しが強い。早めに行って列に並んで待つのはいいが春でも
厳しかったので、夏場訪問には水、帽子、サングラス等は必須。
                                     
「夜のアルハンブラ」と詠って見たものの、我が稚拙な腕と宮殿内のかなり
の暗さとで安物のデジカメでは思うように撮影ができなかった。
よってかろうじてなんとか見られそうな画像を数枚。

アルハンブラ

スペインイに4年間滞在したアメリカ人の作家ワシントン・アービングは
1829年にアルハンブラ宮殿を訪れ、「アルハンブラ物語」という宮殿に
まつわる伝説を収録した本を出版している。

それまで殆どしられていなかったアルハンブラ宮殿を世に知らしめたたのは、
アービングだと言えよう。アービングが訪れた当時のアルハンブラ宮殿は荒れ
果てた廃墟で、ジプシーや難民が入り込んでいたようだ。アービングは宮殿内
の一室に滞在してその本の原稿を書いたと言う。

アルハンブラ
 
のち、スペインの作曲家であり名ギタリストでもあったフランシスコ・タルレ
ガもアルハンブラを訪れ、名曲「アルハンブラの思い出(Recuerdos de la
Alhambra)」を残している。19世紀後半、タルレガが訪れたころのアルハン
ブラ宮殿はアービングが見たと同じ、荒廃した宮殿ではなかったろうかか。
                          
日中の光を通して見られるまばゆいばかりに際立つ華麗なアラベスク模様の
数々が、夜にはしっとりと薄暗い静寂の中に溶け込んでいる。
「アルハンブラの思い出」は夜のアルハンブラ宮殿によく似合う気がする。


アベンセラーへの間                   
アルハンブラ
ライオンの庭に面する部屋のひとつ。
この部屋には恐ろしい伝説がある。時の王の愛人の一人と恋に落ちたアベン
セラーへ一族の騎士が王族の一人に見つかってしまい逃亡した。
王は激怒し、ライオンの庭に一族を集め、一人ずつこの部屋に呼び、不義の
男を割り出そうとしたが突き止めることができなかった。

そこで王は疑わしいと思われる騎士全員をこの部屋で打ち首に処し部屋は血で
染まった。以来、この部屋は「アベンセラーの間」と呼ばれたいわく付きの
部屋だ。はねられた首は噴水の大理石に並べられ、噴水の水は赤く染まった。
泉の大理石にあるシミはそのときの血の跡だと語り継がれている。

洋の東西を問わず、不義の代償はあまりにも大きい。
アルハンブラの歴史はイスラム教対キリスト教の宗教戦からこのような
宮殿内の伝説まで、血の歴史であったとも言えよう。
                          
                 
二姉妹の間

アルハンブラ
                    
ライオンの庭に面する部屋。二姉妹が住んでいたわけではなく、中央に二枚
の白い大理石があることからこの名前で呼ばれている。

この部屋のハイライトは鍾乳石を使った天井の装飾だ。
アルハンブラ

ムカルナスと呼ばれる鍾乳石の丸天井。単純な幾何学模様を繰り返したもの。
鍾乳石は宗教的な意味を持つと言われる。

アルハンブラ

果てしなく広がる砂漠の住民アラブ民族。殆ど家具らしいものを使わず絨毯の
上で暮らしていたため目は自然に天井や壁に注がれる。
砂漠に無いものを求めて周囲の全てに装飾をほどこしたのであろうか。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
次回のアルハンブラは「フェネラリフェ」庭園です。

                                        
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2011年7月3日

アルハンブラ
  
アルハンブラ宮殿の見所はなんと言っても内部の装飾だ。偶像崇拝が禁じら
れたイスラム教ではコーランの経典から引用された言葉や王たちへの賛美、
詩人Ibn Zamrak(王お抱えの14世紀の宮廷詩人。ライオンの噴水にも彼の詩
の一節が彫られていると言われる)の言葉、植物をあしらったアラベスク模
様や繊細な幾何学模様の細工で壁、窓、柱などのいたる所を装飾した。

今日は宮殿内部で撮影したそれらの装飾の紹介でほとんど説明なしの写真
です。彫られてある意味は分かったものだけ付け加えておく。

アルハンブラ
       「唯一、アッラーの神のみが勝利者なり」

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

アルハンブラ

下の写真は左上の一部分を拡大したもの。 
アルハンブラ
                          (wikiより)

アルハンブラ

この気の遠くなるような緻密、華麗なアラベスク模様の細工にはただ目を見張
るばかりだ。これらの装飾を四方に施したのは、イスラムでは住居に殆ど家具
を用いなかったことにもあるようだ。

アルハンブラ

こうして訪れて見るにはその素晴らしさにため息が出るのだが、果たして
この中で毎日暮らすとなると、わたしなどは目がクラクラしそうになるかも
知れない。

次回は夜のアルハンブラ宮殿です。
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2011年7月2日

アルハンブラ宮殿シリーズ4です。

アラヤネスの中庭                     
長さ34メートル幅7.1メートルの池を持つ中庭はアルハンブラ宮殿で
最もよく知られるひとつ。その時代時代でこの中庭の呼び名は色々あったと
言われる。

アルハンブラ

アラヤネスとは両脇にある刈り込まれた生垣の植物の名前で、中庭の大理石
の白と生垣の緑はコントラスト美が計算されている。
また、回廊の柱はナツメヤシの木、池は砂漠のオアシスを表しているとされる。
               
「アラヤネス」とはどんな植物なのかと調べて見ました。日本語では「天人花」
と呼ぶそうでこんな可憐な花をつけます。↓
アルハンブラ
                         wikiより
                       
トップの写真はアラヤネスの中庭・北側の回廊。王が公務を行ったと言われ
る美しいシンメトリの「コマネス塔」が池に映される。下は向き合った反対側、
南のパビリオン。

アルハンブラ

ライオンの中庭


アルハンブラ
アルハンブラ宮殿のハイライトが14世紀に作られたライオンの中庭だ。
わたしたちが訪れた2010年5月には、この中庭は残念ながら工事のため
12頭のライオン像は取り払われていた。(上画像のみwikiから拝借)

12頭のライオンはかつて水時計の役割を果たしていた。1時には1頭のラ
イオンの口から、2時には2頭のライオンの口から水が吐き出される仕組み
であった。水はこの庭を取り囲む周囲の4部屋に流れ込む。
林立する白い大理石の柱の数は全部で124本。

アルハンブラ
アルハンブラ

周囲の建物2階は江戸時代で言う「大奥」、王以外の男子禁制のハーレムだ。
この庭に面するバルコニーで音楽を奏でる楽士たちはここでの様子が見られ
ぬ様、皆目をつぶされたと言う。

古の華麗な美しさの陰には常に残酷さがつきまとう。このハーレムでも大奥
同様、王の寵愛を得ようとした女たちの羨望と嫉妬が渦巻いたことだろう。
シェラザードのような、王にアラビアンナイトの物語を語った賢く見目麗しき
女性もいたであろうか。

明日はアルハンブラのアラビア文字とアラベスク模様の紹介です。

本日もブログを読んでいただきありがとうございます。 
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2011年7月1日 映画「The Tree of Life」

毎朝、日本語授業の前に小一時間ほどウエブ新聞や政治ブログに目を通す
のが習慣なのだが、近頃は政治欄を読むにつけ、現政権のすること為すこと
言うことには、朝からゲンナリしている。ほんとに軽い調子なんだから!

それをここでとりあげるにはわたしは元来が口ベタ拙文で、ツラツラ愚痴の
オンパレードになるので避けている。
せめてと、夕食時夫を相手に話すにも、逐一説明を要し、それをしている
うちに段々と冷静さを欠き、夫から「おいおい」と言われるようになること
度々で、今はそれも我慢している。

カッカしているうちが花、まだ元気が出るが「ゲンナリ」はどうもいけない。
なんと言うか、「なんでぃ・・・」とやる気を削がれるのだ。

こんな具合でこの数日は、無気力状態。
夫、それを見て取ったか、昨夜は珍しや、仕事から帰ってくるなり、
「映画見に行こうか!」

実は昨日は夫の誕生日であり、日本語教室の合間を縫ってプレゼントを
買いに出ており、晩御飯もちょいと手をかけてみようかと思っていたのです。
「う~~ん、いい映画、来てないでしょ。それにおいしい晩御飯を作ろうと
思ってるのよ」と言うと、これはどう?と紹介されたのが、ブラピとショーン
・ペンの「The Tree of Life」

「The Tree of Life」なんて言うと、シンボルマニアのわたしはすぐにカバ
ラのそれを思うのですが、カンヌ映画祭で受賞したテレンス・マリック監督の
作品だそうです。

上映はわたしが食料買出しに行く近くのショッピングセンターで夜9時から。
日本語教室もぼちぼち夏期休暇をとる生徒さんが増えてきたことだし、映画
が夜中に終わって帰宅してもさほど影響はなし。こと映画に関してはわたし
が誘うのが常なのに、今回は夫の誘い、誕生日でもあるし、付き合ってやるか、
と昨夜観て来ました。



1950年代のアメリカ、テキサスの小さな町が舞台。
子供たちに愛情を注いで育てる優しい母と厳格な父(ブラピ)、3人の子供
たちの家族を描いた物語です。

子供たちの誕生から幼児期、父親との確執、異性への興味が芽生え始め
る思春期までが丁寧に描かれ、わたしは知らず知らずのうちに、我が子達
の誕生、成長の姿、そして父との確執の自分の思春期に重ねていました。

映画の途中で挿入される宇宙、地球の誕生と創造、生命の誕生から白亜
紀の終焉までの美しい場面は、この家族の歴史と併せて、The Tree of
Lifeのテーマではないかと思います。

わたしは映画を感覚的に観るタイプ、いわゆる芸術映画とされる小難し
い部門は苦手な方で、あれこれ分析はしませんが、この映画冒頭で語ら
れる言葉、
「人には二つの生き方がある。The way of nature and The way of grace,
そのどちらかを人は選ばなければならない」

この言葉は映画の母親と父親の生き方考え方を表していると思います。
少し前の時代なら、概ねどこの家庭でも見られた光景で、わたしたちはそう
いう二人の違った人間の生き方、見方を幼いころから身近に見、影響を受け
たり反面教師にしたりして、自己を確立するのではないでしょうか。

今日の自分の存在は過去からの恩恵、今わたしたちががしていることは、
わたしたちの意識、無意識に拘わらず未来につながり、引き渡して行くの
だということを考えさせる映画です。

興味のある方は更にgoogleなどで検索してみてください。

live
昨夜のショッピングセンター内。8時半も過ぎるとジャズ・ライブが始まった。

live
生演奏はいい^^

明日はアルハンブラ、ご紹介します。
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