2011年8月30日

首相の顔が変わり、ようやく朝っぱらから不機嫌にならなくて済むかと思い
きや、今朝のウエブ新聞「幹事長に輿石氏内定」を読んで、がびーーん!
よりによってシ、シケメンをなんでまた・・・初っ端からだめだ、こりゃ。
おまけカン前首相、「立つ鳥後を濁さず」の日本人性質を知ってか知らずか、
最後の最後の土壇場で朝鮮学校無料化適用手続きの再開指示ってなんだ
い、ありゃ。そんなことより先に自国の教育をかえりみよ!
これを言わずして今朝はブログが始まらない!

と、一言書いたところでエントリー本題です。

ポルトには、昔からアーティストが集まる老舗のカフェがいくつかあります。
今日はその一つ、友達や日本と生徒とのおしゃべりにわたしもよく利用する
Cafe Guaranyですが、先週見てきたライブも併せてご案内します。

guarany

 所在地:Avenida dos Aliados89/85
  アクセス:メトロAliados /Sao Bento 下車  
  営業:9:00-24:00

                  
著名人も訪れ昔からミュージシャンたちのカフェとして知られるカフェ・グ
ァラニ。「グァラニ」とは、南アメリカ中央部に広く生存していたインディ
アンのことで、現在はパラグアイ、ブラジル北部とに住んでいる部族をさす。
また、アマゾン川の植物グァラナ(ガラナ)からとるブラジルのソフトドリ
ンク、ガラナはこの部族の名前から来る。
guarany

カフェグァラナはカフェブーム時代の1933年にオープンし、現在も週末とも
なるとアーティスト達が集う場所だ。毎週末にはファド、ジャズ、キューバ
ン音楽などのライブがあり、入場はテーブルについて飲み物を注文するだけ
でフリーだが、席が取れないことが多いので、できれば夕食の予約していく
ことを薦める。

ベル・エポック時代そのままの雰囲気がいい。
guarany
店内の壁いっぱいに掛かるのはグァラニ族を描いた「Carla Morais」の絵。
テーブルは大理石仕込みで、奥にはグランドピアノが置いてある。    
     
ウインドーに貼り出されたコンサート案内のポスター。
guarany

拡大してみましょう。
guarany
        ファドの宵(2007年) 
 
guarany
        キューバン音楽の宵(2007年)

guarany
        ファドの宵(2011年) 
  
           
           
夏休み最後の先週の金曜日夜、地元の人間でありながらまだ一度も入ったこ
とがないという夫と義兄を誘い初めて夜のGuaranyへ。
         
guarany
   
9:30からライブが始まるというので少し早めに出かけて食事を。
guarany
下はわたしが注文したArroz de Feijaoこと豆ご飯。
guarany

この夜は三人楽器演奏者、シンガーが二人の5人メンバーのラテン音楽グルー
プ。
guarany
キエンセラ、ベサメムーチョ、stand by me、最後はシャキーラの歌までサー
ビスの1時間半の出ずっぱり。右の女性歌手は声にボリュームも表現力もあっ
て歌っていい。
          
guarany
親に連れられて来た子供がラテンの軽快なリズムになんとなく体を動かして^^
(長期帰国滞在中、子連れでアサヒビアハウス歌姫カムバックしたころの息
子を思い出しました。これについてはこのブログの後記に。)
        
下は、いつの間にか客が踊りだしているところ。常連でしょうね^^
後半、上の写真の年配のお二人も踊りに加わりました^^
guarany
 
我が大阪青春のビアハウス時代を思い出しました。かつての梅新アサヒのビ
アハウスでもこんな風に歌にあわせてステージ前で常連がタンゴなどをよく
踊ったものです。

ビアハウス時代については数年前に私の初期のホームページにシリーズとし
てエッセイとギャラリーを載せてありますが、新しいデジカメも手に入った
ことですし画像もエッセイも目下掲載し直し中で、改めて後日、ご案内い
たしますが、ちょっとだけでもええから見せて~と言う奇特な方がおられま
したら、下記までどうぞ。

あの頃、ビアハウス」ギャラリーを覗いてみる。 
asahi-joao asahi-joao
註:歌っているのはわたしではありません(笑)
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2011年8月27日 

前回の続きです。

思えば、昨日のエントリートップの文章は、ここに持ってくるのがふさわし
いと気づけども^^;

最初は本日この記事を念頭において書き始めた昨日のエントリー、いつの間
にか妹との会話の行きがかり上、思い出話「ふしみかなめ君」に行ってしま
いました。しかし、まったく無関係でもないのでこのまま続けさせて下さい。

我が妹が半世紀ぶりにかなめ君に遭遇したという話に二人で湧いた後、彼女
から入ったメールに「さいぎさいぎ、どっこいさいぎ」とあった。

年に二度くらいは弘前へ足を運んでいる妹夫婦、ホテルでチェックアウトし
ようと荷物をまとめていたら、外から
「さ~いぎさ~いぎ どっこいさ~いぎ」
と聞こえてきた。ホテル9階の窓から土手町を見下ろすとお山参詣の行列が
通って行く。慌てふためいて階下へおり、こけつまろびつ行列に追い抜き、
いっしょに並んで歩いたが、行列の唱え声が、子供のころに聞いて覚えてい
たのと少しも変わらないのに可笑しくて、ついにこらえら切れなくなり大声
でウワハハハと笑ってしまったと言う。
 
お山参詣というのは津軽に昔から伝わる岩木山最大の祭りで旧暦の8月1日
に五穀豊穣、家内安全を祈願して白装束にわらじ、御幣やのぼりを先頭に行
列をなし岩木山神社を目指して歩く行事だ。
saigisaigi1.jpg
画像はwikiから

土手町から坂道をおりて下町の通りを岩木山目指して行列が歩いていくのだ
が、少し検索してみると子供だったわたしが記憶しているのと違い、行列の
様子も少し変わったようだ。
saigisaigi2.jpg
画像はwikiから

昔は白装束でお供え物を両手に抱えての行列だったのが、今では随分カラフ
ルで「行事」と書くより「イベント」とローマ字にしたほうが似合いそうだ。

さて、妹がこらえら切れなくなり大声でうわはははと笑ってしまったという、
その唱え声なのだが、これである。

♪さ~いぎ さ~いぎ どっこ~いさ~いぎ
 おやま~さ は~つだ~い
 こんごう~どうさ
 いっつにな~のは~い
 なのきんみょう~ちょうらい


毎年こう唱えながら目の前を通り過ぎていく白い行列、子供心に神聖なもの
を感じてはこの唱をいつの間にかそらんじていたのである。御山参詣が終わ
ると津軽は一気に秋が深まる。
iwaki2-1.jpg
画像はwikiから

長い間、そのお唱えの意味など気にしたこともなかったのだが母が亡くなっ
て帰国したある年、彼女が残した着物を妹と二人で整理しながら、3人で暮
らした子供の頃の思い出話の中にひょっと出てきたのがこの「サイギサイギ」
だった。

亡くなった母は津軽で生まれ育ち、60まで住んだ。その後は妹夫婦の住む
東京へ移り所沢の彼らの家を終の棲家とした。義弟も津軽衆なので、東京に
ありながら夕食時の食卓は、妹、義弟、母の3人ともが津軽の出ではおのず
と津軽弁が飛び交おうというもの。帰国したわたしも含め、特に母と義弟が
交わす津軽弁を聞くのは本当に懐かしく楽しいものだった。

その母が「ことすでに遅し」の意味でよく使っていたのが「イッツニナノハ
イださ」である。

はて?いったいこれは元来がどういう意味合いなのであろうかと妹とはたと
そのとき、疑問に思ったのだ。
たまたま、当時時折、我が母校の後輩で「サイホウ」さんと言う女性仏師と
メールのやりとりをしており、聞いたところ、これが元になっていますと教
えていただいのが下記。

懺悔懺悔(サイギサイギ)    過去の罪過を悔い改め神仏に告げこれを謝す。
六根清浄/六根懺悔?(ドッコイサイギ) 人間の感ずる六つの根元。目・耳
                   ・鼻・舌・身・意の六根の迷いを
                    捨てて汚れのない身になる。
御山八代(オヤマサハツダイ) 観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・
               普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜
               叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)  金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を
               意味す。
一々礼拝(イーツニナノハイ)  八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。           
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ) 身命をささげて仏菩薩に帰依し
                     神仏のいましめに従う。

掛け念仏のカタカナの部分は津軽発音である。

どの方言もそうだが、津軽弁は特に独特のなまりが多い方言だ。
伊那かっぺいさんは津軽弁でライブをする人で有名だが、彼いわく、津軽弁
には日本語の発音記号では表記不可能な、「i」と「 e」の間の発音があり、
津軽弁を話す人はバイリンガルである、とさえ言っている。

わたしと妹が笑ってしまったのは「六根懺悔」が何ゆえ「どっこい懺悔」に
なったのかと、津軽人の耳構造はほかとは少し違うのであろうかとの不思議
にぶつかったのであった。
大人になったわたしたちにしてみれば、「どっこい」という言葉はなじみで
ありとても仏教の掛け念仏の一語になるとは思われない、なんで「ドッコイ」
なのよ~と言うわけである。

実は「さいぎさいぎ」も「懺悔」とはどうしても津軽弁の「サイギ」に結び
つかず、わたしは「祭儀祭儀」と憶測してみたのであった。
が、妹よ! ここ数日の検索で、ついに語源をみつけたぞ!

懺悔」仏教ではサンゲと読み、キリスト教ではザンゲと読む
の一文に出会ったのである。
「サンゲ」が津軽弁で「サイギ」、これで納得だ。

御山参詣は日本人の山岳宗教につながるものであろうか、修験者が霊山に登
るのが弘前に行事として定着したと思われる。

父と母、わたしと妹4人家族が住んだ桔梗野のたった二間の傾きかけた埴生
の宿の窓からは、見事な岩木山の美しい姿が日々仰げたものである。
Iwakisan_01.jpg
画像はwikiから

空耳で覚えていた子供時代の愛唱歌も今となってはいい思い出で、ふと思い
出すたびに笑いがこみ上げて来ては懐かしい人々の顔が浮かんで来る。
テレビがなかったわたしの子供の時代と違い、今では標準語に近い言葉遣
いをする地方は多くなったと思う。

しかし、正規の発音よりも300年も続いてきたであろう津軽弁の掛け念仏に
耳を傾けながら修験者を受け入れてきたお岩木さん、そのままが誠に似
合うようだとわたしは思うのである。

「さいぎさいぎ ドッコイさいぎ おやまさはつだい こんごうちょうらい
 イッツニナノハイ なのきんみょうちょうらい」

下町を歩いていく白装束と幟と、「イッツニナノハイ」と言う母の姿が浮か
んで来る。孝行したいと思えどおかあちゃん、「イッツニナノハイ(事すで
に遅し)」でございます。ハイ。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日の画像は全てwikiからです。

よかったらこちらもどうぞ。→「ねぶた祭り:50年前の再会」
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2011年8月26日 

kumo1.jpg
ポルトのイワシ雲

作家向田邦子氏のエッセイに「眠る杯」というのがある。
「荒城の月」の「春高楼の花の宴 めぐる杯 かげさして」の「めぐる杯」を
少女時代からずっと長い間「眠る杯」だと思っていたというのである。

よくありがちな話で、おっちょこちょいなら氏にひけをとらないであろうわたし
だ、同じような体験を持っており、これを読んだときにはなんだかすごく
向田邦子という作家が身近に感じられ、以来ファンになったのである。

かごめとかもめを同じ鳥だと思い、「かごめーの水兵さん、ならんーだ水兵
さん」と歌っていたし、かごめが鳥などではなく、竹で編んだかごの網目
だと知ったのはずっと大人になってからだ。

また、愛唱歌「朧月夜」にある、
「菜の花畑に入日うすれ、見渡すやまのは~」
と、これは大好きな歌のひとつなのだが、おっとっと、補習校の朝の歌に
選択し子供たちに教えるまで、「見渡す山野は(Yamano wa)」と歌っていた。

「見渡す山の端」だと歌詞を文字で見て知り、冷や汗をかいたことがある。
以来、ソコツな自分だからこそしていたかも知れないその間違いを、しばら
くの間は聞かれもしないのに会う人ごとに解説をしたものであった。子供
たちには「ここは、こういう意味でこう歌うんですよ」と、勿論さも知ったように
話したわたしではあった。

おなじみの歌、

夕やけ小やけのあかとんぼ、
おわれてみたのは いつの日か

漢字で歌詞を書くと「負われて見たのは」となるのだが、大人になっても
ずっと「追われて見たのは」と歌っていた。よく意味を考えると、「追われて
みたのは」ではおかしいと気づくはずなのだが、子供のころの刷り込みは
疑ってみようとも思わない。「洗脳」というのはこういう怖いことだとこの時
改めて思った。

さて、どうしてこんな話かというと、2、3日前のこと、いつもの通り、我が
モイケル娘、「ただいま~」とスカイプにあがってくるなり言うには、
「おっかさん、まりちゃんが要(かなめ)君に会ったって!」

まりちゃんとは我が妹のことで、モイケル娘にすれば叔母にあたるのだが
彼女には「まりちゃん」で承知してもらっており、その叔母とも娘は時折
ネットチャットしている。

「要君て、ふしみ・かなめくん?」と聞くとそうだと言う。

思い出の坂道を一気に駆け上るシグナル「ふしみかなめ君」なのだ。
こう書くと初恋の人とでもたいがい思われるんだろうが、そうではない。
わたしの子供時代、弘前の下町だった新町(あらまち)、母とわたし、妹の
3人が同居していた祖母の家の隣家、床屋さんの一人息子君で、こと
チャンバラでは近所で右に出るものがないくらいピカイチのガキ大将だった
わたしに、毎度やられては泣いて家に帰っていたかなめ君なのだ。

妹はガキ大将のわたしにしょっちゅうくっついて共に遊んでいたあの頃、
あたしも妹も、なぜだか今に至っても色あせることのない「ふしみかなめ君」
の名前なのである。
それを我がモイケル娘がなにゆえ知っているかと言うと、そういう昔話を
このおっかさんから繰り返し聞かされていたのであった。

まりちゃんこと、我が妹が言うには、ついこの間、ダンナと一緒に弘前へ
帰ってきた。(義弟も弘前出身である)
そのついでに今は祖母の家もなくなってしまったが、新町に寄った所が
ひょいと床屋から出てきたのが、なんとその要君だったそうだ。

共に遊んで、いや、要君にしたらしょっちゅう泣かされた遊びなわけだが、
要君に会わなくなってゆうに半世紀にはなろうから、わたしなど彼の顔は
まったく覚えていないというのに、我が妹、よくぞ分かったものとすっかり
感心した。
ふしみ床屋店とでも看板があったのだろう、わたしたちと同じ年恰好の
床屋の主人と見て、要君とわかり話しかけたのであろうか。

ふしみかなめ君とは切り離せない連鎖する津軽言葉がわたしたち二人
にある。彼がうわ~~んと泣いて家に走り去る姿を見ては二人して
「ガニアベガニアベ」と喜んでいたのであり^^;

さて、この語源も知らずに我らは使っていたのだが調べて見ると、蟹を
食べるのに塩加減がちょうどいいことを津軽では「いいあんべ、ガニあん
べ=いい塩梅あんばい)カニ塩梅(蟹あんばい)」と言うのだそうで、
恐らくわたしたちは「泣かせてやった、へ~んだ」くらいの意味で使って
いたと思われる。

泣いて帰ったかなめ君のご両親からは一度も苦情が来なかったことを思え
ば、子供同士のこととてそれも遊びの枠と大目に見ていたのであろうか、あ
の頃の世の中はのんびりしたものであった。

ふしみかなめ君、再会したときは心からごめんなさいとお詫び申そうと心に
思いながら、幼い頃の罪のないチャンバラ遊びの話にしばし花を咲かせた
妹とわたしであった。

思い出のバスに乗って 黄色い帽子の子が走ってくる
人差し指の向こうの坂道

あれから50余年、人生の色々なバスに乗り継いで、わたしはこんなところま
で来てしまいました。

saovicente9-1.jpg
ヨーロッパの南西端、サン・ヴィセンテ岬。(後日ご案内)

この項、明日に続きます。

よろしかったらもうひとつの思い出のバスに乗ってみませんか?
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2011年9月23日 

お菓子をポルトガル語では「Bolo=ボーロ」と言います。

ポルトガルの代表的なお菓子といえば、まず浮かんでくるのが「Nata(ナタ
=エッグタルト)」「Bolo de Arroz=ボーロ・デ・アロース」「アヴェイロ
ovesovos moles=オーヴス・モーレス」、それに忘れてならないのが日本
のカステラの源だと言われる「パン・デ・ロ」です。
(関連記事:spacesisのポルトガルよもやま話「カステラはポルトガル語か

これらのお菓子はすでに過去ブログで紹介していますが、後日「ポルトガル・
ロマン」サイトにてまとめて案内したいと思います。ポルトガルのお菓子は
見た目も味もいたった素朴なものが多いのです。

バターが中心のケーキ類、たまに食べてもいいかな?と思うことがあっても
元来が和菓子好みのわたしはあまり興味を示すことがなく、むしろ夫に薦め
られて口にするケースが多いのです。

それでも子供たちがいた頃は、彼らの喜ぶ顔が楽しみで、得意のパイナップ
ルケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキ、そしてバターやチーズクッ
キーなどをよく作ったものですが、その子供たちが日本に行ってしまった今、
クリスマスとお正月、それに、何かの会合でもない限り家でのケーキ作りは
すっかりなくなってしまいました。

またケーキ屋さんで買うには日本でよく売られているショートケーキの如き
はポルトではなく、結構なお値段がすると同時に、丸ごとのケーキひとつを
夫婦で食べると言うのは楽なものではありません。俄然、ケーキを食べる機
会がグンと減ったこの数年ですが、近頃はその様子が変わってきて、ショー
トケーキが手に入るようになりました。

パリ風のお菓子が食べられるサロン・デ・シャ(ティーサロン)「Boulange-
riede Paris」(=ブーランジェリ・デ・パリ。「パリのパン屋さん」の意味
だと思う)がポルトにチェーン店として3軒出現です。

そのうちの一軒、サン・ベント駅からリベイラへ下りる「Mouzinho da Silve-

boulangerieparis
店内はパリの風景が飾られて。二階もあります。

boulangerieparis
この日のわたしたちのメニュー。ケーキは味にちょっと洗練さが足りなかった
ような・・・ゴツイ味といおうかw(なんてケーキ通でもないわたしが言っていい
ことか。笑)しかし、さすがカフェ・オ・レは美味しかった! この泡立ち、もう見
ただけで分かるというものです。

boulangerieparis
あぁ、これが全部和菓子だったらなぁ(憧れ^^)
 

boulangerieparis
いろ鮮やかなクッキー。見た目はとてもきれいですが、わたしは要らないか
な(笑)

インフォメーション:「Boulangerie de Paris」
           所在地:Rua Mouzinho da Silveira (サン・ベント駅前周辺)


さて、日本語教室、一部の生徒さんたちの希望で昨日から始めましたので、
我が夏休みもほぼ終わりです。

この3週間で読んだ本と感想をちょっとご紹介。

book



「マヤ2012 宇宙のニューサイクル」 

著者サブリナ・ムニョスはSETI(地球外知的生命体探査)イタリア支部
会員。この本は古代文明を巡る長年の研究集大成として書かれと言われる。
「マヤ2012」は2012年12月で終わると噂される「太陽の石」こと、
マヤの暦のこと。著者の計算では2012年を終焉と断定する説を軽率だと
論じています。

訳者の文体がちょっと気になりました。いまいち迫力にかけます。が、もう一度
読んでみようと思っている。

「さまよう刃」 東野圭吾

この人の本は初めてです。本当を言うと、「刃」と言う文字からてっきり時代
物と勝手に解釈して買ったのでした^^;
近年、平岩弓枝の「はやぶさ新八」シリーズや藤沢周平の時代物に興味を
持ち始めていたもので^^;

れっきとした現代もの。中学生の一人娘を少年グループに殺害された一サラ
リーマンの復讐物語ですが、犯罪を犯す未成年の断罪に迫ろうとするちょっ
と重いストーリーでした。
間違って買ったとは言え、こういうのも読んでいいかな?と。

「ニーチェの考え方」 富増章成
表紙の「この本を持ち帰れ」の言葉に乗せられてみました(笑)
この3週間で読んだ三冊の本の中で、一番面白かった本です。

一度は触れてみたいニーチェの哲学と以前から思っており「ニーチェの言葉
集」という厚い一冊を入手していました。その前に入門的な分かりやすい
説明を加えた本はないかと探していたのが、結局大して考えもせずに手に
とったこの一冊が、まさにそれでした。

面白い!分かりやすい! ニーチェの生きた時代、彼の思想は
殆ど理解されなかったと言われますが、それもそのはず、塩野七生さんの
ことばを借りれば「人間社会の修道院化」の十分な影響を受け継いでいた
19世紀でニーチェはアンチクリストだったのですね。
テンプル騎士団の歴史を学ぶのにも一役買いそうなニーチェの面白い思想
が読みやすく書かれています。すでに我がモイケルにも読書お勧め本。

最後に、ただいま半分まで読み進んだ「十字軍物語」。
自称ポルトガル・テンプル騎士団の追っかけのわたくし、出た!と家族から
言われる本です。

book

「ローマ人の物語」「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」「コ
ンスタンチノープルの陥落」と塩野七生さんの本はどれもわたしにはとても
面白かったのですが、今回のシリーズ、これも第一回十字軍(後、テンプル
騎士団)遠征の歴史が塩野さんの独特の語り口(分かりやすくてわたしは大
好きです)で執筆されており、テンプル騎士団については少し知識があるの
で逐一語彙を調べる必要もさしてなく、騎士団たちの戦略を楽しんで読んで
います。途中で止められず、ついつい夜更かししてしまうのが玉にキズ。

ポルトガルのテンプル騎士団、或いはキリスト騎士団がでてこないかな?と
第2巻3巻と読んで行くのに今からワクワクしています。

アンチクリスト思想のニーチェと「神がそれを望んでおられる」を御旗に立
ちあがった十字軍の物語、相対する二つの内容ですが、十字軍物語りも単に
宗教一色のみではなかろうと推測されるところに魅力あり。どこかでこの
二つの思想がつながりはしないかと思うと面白みは更に増大します。

本日もお付き合いくださり、ありがとうございます。

なお、本日は別サイト「ポルトガル・ロマン」にて、夕焼けメルヘン画家、
坂田喜作先生のギャラリーをアップしましたのでお寄りいただき、失われ
つつある日本従来の美しい夕焼けシーンをお楽しみいただけたら嬉しい
です。

ポルトガルロマン「坂田喜作先生のギャラリー
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2011年8月20日

今日は先日の小旅行の続きです。

カステロ・デ・ヴィデ(Castelo de Vide)

castelodevide

Castelo de Videは旅程に入っていなかったのを、通りがかりだというので寄ってみました。丘の上に構えた古城を目指していざ!
castelodevide

人口4000人足らずの小さな町ですが、暑い中、丘の頂上まで歩くのはご免とばかりに、我ら夫婦、車で上りかけたのですが・・・・
castelodevide
白壁に黄色いペンキ。白と青のコンビネーション同様、アレンテージュ、アルガルブ地方の色彩です。 

見よ、この急な勾配! 上りだしたものの、こういうところを車で上るのは苦手なわたしです、自分が運転しているわけではないのに、ウワー! 急すぎるじゃん!どうする!どうするってもう後戻りはできないわけで、上るっきゃない。
castelodevide

あちこち一方通行の標識に従い、グルグル細い道を回ることになり、おまけに少し幅が広めの夫の車、狭い道を曲がりきれなくて、車を降りて「オーライ、オーライ」とわたくし。冷や汗をかき、もうすっかりお城の頂上まで行く気が失せてしまい、そうそうにこの町を後にして、Marvaoへ一目散。
castelodevide

カステロ・デ・ヴィデの町では、車は町に入ったところで駐車して歩くことをお勧めします。

ポルタアレグレ(Portalegre)

この町も予定に入っていなかったのですが、ポルトガルの詩人Jose Regioの生家が博物館になっていると知り、1時間ほど足を止めてみました。残念ながら博物館は撮影禁止でしたので案内できませんが、Jose Regioは敬虔なカトリック教信者だったようで、彼のコレクションはキリストの磔像や聖人の像でぎっしりでした。

ポルトアレグレで教鞭をとりながら詩、エッセイを書き、亡くなる前に市に自宅を寄贈、それが現在の小さな博物館(ポルトガル語でCasaMuseu Jose Regio)です。あまりにも宗教色が濃くて、さすがのわたしも少し木が重くなり気味でした。こんなたくさんの宗教像の中で毎日生活するのはどんなものか、在りし日のJose Regioの精神生活を考えさせられる相当数のコレクションでした。

街の中心の広場では大勢の人々が涼んでいました。
portalegre

木の周囲のカラフルな棒はなんであろうかと近づいてみたところ、
portalegre
木の枝を支えているのです。1838年に植樹されたプラタナス、こうして市民に憩いの場を与えて、今年2011年で樹齢173年!
日本でもこんな風に枝をささえられた桜の老木をみかけますね。

本日も当ブログ訪問、ありがとうございました。
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2011年8月19日 

ダウンタウン
サン・ベント駅横のレストラン。いつ見てもにぎやかにポルトガル国旗いっぱい
の店で見ていて気持ちがいい。こんな風に日の丸が個人宅ではためくことは
日本では稀です。わたしが子供の頃は同居していた祖母宅はもちろんのこと、
ご近所でも祝日にはよく日の丸の旗が掲揚されたものでしたが。


小旅行から帰ってくると同時に、今度はお掃除のベルミーラおばさんが2週
間の休暇に入りました。
ということは、これから2週間は、彼女が3時間かけてするところの掃除、
アイロンあて等を自分がすることになるわけで、狭い家なのに各部屋に掃除
機をかけモップで拭き、家具の埃を布で拭き取るのを終えるころにはびっし
り汗をかいていました。

これを毎日続けたら、いい運動になりダイエット間違いなしと思ったものの、
待てよ、それにしてはベルミーラおばさん、ちっとも痩せてないぞ@@

こんなわけで、この2週間は完全に主婦に徹することになります。

今日は三件ほど用足しがあり、久しぶりにダウンタウンを歩いて来ました。

ひとつは小冊子の原稿の取材、そろそろ取り掛かるべきボランティアの影絵
作成の材料仕入れ、それに下地化粧品の仕入れです。

過去には切り取る影絵の材料に手ごろな値段の用紙を使ったのですが、今回
は少し奮発して良質のデザイン用のアート紙を使おうと思い、探しに行って
きました。

うまい具合に良質の厚手のスケッチブック、しかも嬉しいことにかなり大き
いサイズの用紙が見つかり、数色のセロファン紙、アートカッターも合わせ
て購入しました。

その足で、使い果たしてしまった下地化粧品仕入れです。
サンタ・カタリナにある行きつけの店、MASSへ入り、まっすぐ目当ての一番
奥のコーナーへ。店員さんが「こんにちは、ドナ・ユーコ。」と後ろから声
をかけてきました。

そこでね、そのコーナーちょっと狭いのですが、いつもと違って今日は自分
が大きなスケッチブックを抱えているのをうっかり忘れ、声をかけられたも
ので、そのままグルッと向きを変えて振り向いたところが、ち、棚に陳列し
てあった化粧品にスケッチブックが当たり、それが床にガシャン!
「あ、すみません!」と再び向きを変えたら今度は別の化粧品が床にガシャ
ガシャン!こ、高級化粧品が、ガビーン・・・

映画やドラマでよく見るでしょ?長い梯子なんか持って、うっかり向きを
変えるがために起こるあのハプニング、あれを見ては日ごろ、「んもう、
おアホなんだから」と笑ってきたのをそのまま自分が地でやるなんて情け
ない。

その後ハッと思った、げ、弁償するキャッシュ、持ってるかな・・・
店員さんが拾い上げた壊れかけた高級化粧品が3本、台に乗っており・・・
ハタと一瞬困りましたです。
しかし、さすが、ああいうところの店員さんは慌てませんね。
彼女「心配しなくていいです。これ、見本ですから、大丈夫。」
本当かどうかは分かりませんが、弁償したら数万円に及びます、助かった~
と素直にその言葉を受けたのでありました。

久しぶりの外出がこんな具合で、さぁ、猫たちの昼食時間が過ぎてしまった
と急いで帰宅すると、んまぁ、誰だ! こんなことをしたのは!
gato

食事の時間が遅くなると決まってこういう悪さをする我が家の5匹ネコ、
油断ができません。

さて、帰宅後、早速影絵出演者の見本を作ってみました。
ヨーリュー
ステゴサウルスなんですけど白い部分が影絵では黒くなります。まだ足の爪
と目の部分を残しており、う~ん、もう少し何かできそうだと目下思案中。

今日も一日、こうして日が暮れたのでした。
yuyake
表通りのベランダから。

明日はアレンテージュ地方を案内いたします。
では、みなさま、また。
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2011年8月18日

今年5月でポルトガル在住33年目に入ったのですが、こんな夏は初めての
ような気がします。

「こんな夏」と言うのは、涼しいだけでなく、あの身も心も吸いこまれてし
まうようなポルトガルの夏独特の真っ青な空が見られない日がポルトでは何
度もあり、小雨が降ったりの今年の夏のことです。

8月16日現在ですが、一度もクーラーが欲しいと思ったことがないほどの
今夏。そんなわけで、夫が数年前に購入した我が家の中国製移動式クーラー
は今日までまだそのままお蔵入りの状態です。

夕方7時のただ今の気温は19度。これもこの時期からは信じがたい気温で
あります。節電が叫ばれて酷暑の中で生活する日本の我が子たちや日本の
人たちを思うに連れ、この涼しさが少しでも日本でおこればいいのにと願う
この頃です。

さて、旅行から帰ってくると、リビングのテーブルの上に小包が乗せられて
おりました。わたしたちの留守中、ネコの世話をしてくれていたベルミーラ
おばさんが受け取ったもので、3ヶ月前の帰国時に持ちきれなくて船便で送
ることになったわたしの本の到着です。

その中の大切な一冊、ここで紹介しようかどうしようかと多少迷ったのです
が、拙ブログは我が子達に残す「母の歴史ブログ」でもありますし、上げる
ことにしました。

弘前南高校花序

我が高校時代の生徒会誌1964年(昭和39年)発行第一号です。

グラビア、詩、エッセイ、先生たちの開校裏話座談会(これはわたしが苦労
してテープから原稿を起こしたw)や学校の行事記録、クラス、担任やその
他教科別の教師紹介まで掲載されてある100ページ足らずの懐かしい青春
時代の一冊です。

第1号とあります、昭和38年(1963年)に開校された我が母校、わた
したちは第一回生なのですが、開校して間もなく生徒たちが手がけた会誌に
なりますが、我が同窓生たちの果たして何人がこれを今だに持っているだろ
うかと思われる半世紀前の貴重な代物です。

白状すると恥ずかしいことに、この「花序」なる会誌のことを、とある人か
ら言い出されるまで、いえ、言い出されて実際に目にし手に取るまでわたし
は全く覚えていなかったのです。(Iさん、ごめん!)

この一冊、実は中学時代から高校時代にかけての我がペンフレンドだった東
京在住のアイ君の手元に半世紀近くもの間、眠っていたのでした。

高校卒業と同時に家を出たわたしは、その後ほとんど故郷に帰ることはなく、
アイ君ともいつのまにか音信を絶ってしまいました。そのアイ君がネットで
偶然わたしのホームページに辿りつき、再び文通が開始されたのは、音信
不通以来40数年後になる2年前のことです。

「Iです。幽霊ではありません」の件名に心臓がバクつき、目を一杯に開き
受信箱に書かれたその名前を食い入るように見つめたものです。

5月のわたしの帰国時に前回に引き続き再会することになっていたのですが
I君から、「浦島太郎の玉手箱、この花序をお返ししましょう」と送られた
画像を見て、ん?と見たような見ないような、ほんとを言うとそれを見ても
ピンとこなかったのであります、Iさん。 トホホ^^;

この一冊をわたしはI君に郵送したようです。
記憶力はいいと自負しているわたしですが、高校時代までの弘前での記憶は
朦朧としており、どこかで、「えぇい、忘れてしまえぃ!」という声が未だ
聞こえているところがあります。

I君から受け取ってからもすぐにわたしはそれを開くことをしませんでした。
表紙は覚えていないけれど、自分のいくつかの詩と随想が載っているの
を知っているのです。わたしが詩作をしているということを知った当時の先
生の一人から、習作帳を見せてくれと言われ、その中から彼が2編ほど選択し
随想は原稿依頼を受けたと思います。

50年近くも経って青春時代のセンチメンタルな作品をここで目にするなど
思いもしなかったのです。なんだか怖いような恥ずかしいような、そんな気
がして、I君から受け取った「花序」をわたしはそそくさにポルトガル向け
の船便の箱にしまいました。
それが、3ヵ月後の先週、手元に届いたのです。

今日は少し、その「花序」に沿った昭和38年の我が母校「弘前南高校」を
少し紹介させてください。

「花序(複数の花が集団をなしているものを花序という)」の名称ついて、
今は亡き小野正文初代学校長が書いています。

「花は美しいものの代表選手である。いかにも自由に咲きほこる。しかし、
それはやがて実を結ぶための準備の時期である。
そのためであろう、花は軸にしたがって秩序正しく配列されている。
花の美しさは、咲き乱れているようでも、順序良く並んで、天の摂理にした
がっていること、言うならば、自由と規律の調和、解放と緊張の結合にこそ、
その秘密があるのではなかろうか。」


第一回生のわたしたちの学び舎の初年度はここでした^^
この頃は舟木一夫の「高校三年生」が流行していました。
この歌を耳にするときまってこの校舎が浮かんできます。

弘前南高校花序

古い木造建ての仮校舎です。1年間、ここで学びました。新校舎よりもなん
ぼかたくさんの思い出がつまっています。同窓生の一人、津軽弁でおしゃべ
りコンサートをすることで知られる「いなかっぺい」さんは会誌の詩「春ど
夏ど秋ど冬」の中でこのように詠っています。

春は桜が咲き乱れ
少し校庭ガチャメグけれど(校庭が少しグチャグチャになるが)
長靴はげば いいでばな(長靴はけばいいんだよ)

夏だきゃ講堂さ座っていでも
天井から青空みえるだぞ

秋は弁当持ってくな (弁当を持って来るな)
リンゴはあるし カギあるし(柿あるし)
カバンさ 胃薬入れで来い(カバンに胃薬入れて来い)
デリシャシあるどご 教えらね(デリシャスがあるとこ、教えるよ)

冬はわんつか さびばって(冬は少し寒いけど)
石炭ストーブあるでばな (石炭ストーブあるんだよ)
窓をしめでも 入てくる
カギをかげでも 入てくる
そったら雪だば めごいでば(そんな雪なら 可愛いというものだ)


詩の一部、拝借しました。かっぺいさん、当時から絵も文章もユーモアがあ
ってピカいちでしたね。

弘前南高校花序
床に座ってみんな何をしてるかって?実験室なしの校舎、机もなく、これは
解剖実習風景だそうな^^;
廊下は歩けばギシギシと音とたててきしんでいたものです。

弘前南高校花序
体育祭でリレー。日の丸が掲揚。今の学校はどうでしょうか・・・
わたしはこういう団体行動の体育祭というのが苦手でした^^;

弘前南高校花序

年に一度のマラソン。男子10000m、女子5000m(と思う)。
これはホントにきつかった。

弘前南高校花序

雪に埋もれた冬の校舎。

校舎のすぐ側はりんご園でした。一度などは頻繁なりんごドロボー出現で、
とうとう園主が学校に苦情を持ち込み、全校生徒が講堂に集合、学校長から
説教を受けたものでした。
かっぺいさんの詩に見られるように、君たち、やってたのねん^^;

会誌のページを開くと、「生徒会設立準備委員会」「高校祭・音楽創作発表」
この会誌の「編集あとがき」など、そこかしこに自分の名前を見かけます。


「浦島太郎の玉手箱、開けたらたちまちおじいさんよ。」とI君に言ったわ
たし、開けるのが怖くて、それでも「開かれるのを待っているよ」の赤い表
紙の誘惑に負け、おそるおそるページを開いてみたわけですが、「花序」は
わたしの高校時代のまぎれもない記録であり、I君を経て半世紀の旅をして、
今わたしのところに帰還しました。

Iさん、50年もの長い間、持っていてくれて本当にありがとう。
心から感謝を込めて。素晴らしい返還物です。

もしも、この記事を南校第一回生が目にすることがあり、もし「花序」が手
元になかったとして、ご希望があれば是非ご一報ください。コピーしてさし
あげます。また、その後「花序」第2号3号の発行はあったのか、ご存知の
方がいれば、ご連絡いただけるととても嬉しいです。

本日はわたしのBackto the Highschoolってことでした。
ん?わたしの詩は?エッセイは?
いえいえ、気恥ずかしくてとてもとてもご案内できませんです^^;
子供たちにもわたしが存命中は閲覧禁止ですわ(笑)

最後に、我が南高校時代に関連する過去記事を よろしかったらどうぞ。

早春の津軽行・思い出ぽろぽろ

津軽行:かっぺいさんと同窓生たちと校長先生

手紙
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テーマ:高校生活
ジャンル:学校・教育
2011年8月16日

今日はコルクの木の紹介です。
ポルトガル語でコルクの木を「Cortica=コルティッサ」と言います。 

コルクの木

アレンテージュの田舎道で見つけた立派な「コルク園の木」。
柵で囲いがあり、園の中に入ることはできないが、こうして見る
剥皮された後の茶色の木は美しくすらある。
コルクの木

コルクはコルクガシと呼ばれる木から剥がされた樹皮のことです。 
主にイベリア半島に見られ、ポルトガルは世界の50%を生産すると
言われ、国の保護樹木になっています。
植樹後25年ほどたってから最初の剥皮があり、これはひどいデコボコがある
ため加工製品の素材としては不適合とのこと。その後、10年毎に剥皮がなさ
れ、樹齢は200年ほどだと言われます。                

下は道端で見かけたコルクの木。

コルクの木
木肌が茶色でないのは今年剥皮された木ではないと思われる。
コルクの木

下記、2枚の画像はwikiからですが、コルク樹皮を剥いているところと         
コルクの木

剥がれた樹皮。
コルクの木

コルクはその断熱性、吸音性、弾力性から近年は環境素材として活用され、
エコファッションの素材としても注目されています。
下記、ポルトガルが誇る高級コルクエコファッションをご覧ください。
                 
ポルトガル発のエコファッション「コルクレザーのPelcor社製品」                
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年8月14日

3泊4日で夫と二人、アレンテージュ地方とアルガルベ地方、1600キロを走っ
てってきました。下記の地図でお分かりのようにポルトガルをほぼ縦断です。
mapa-portugal1-2011sagres.jpg

宿泊地はマルヴァォン1泊、サグレス2泊。
多少きつい旅程ではありましたが、我が家には5匹のネコがいるためお掃除
のベルミーラおばさんに猫たちの世話を頼んで行くにしろ、夫婦揃って家を
空けられるのはこれくらいが関の山です。

昨年春のスペイン・アンダルシア旅行もそうでしたが、9時間ぶっ通しでの
帰路の車旅行はさすが疲れましたが、今回も似たようなものです。

いつもの如く、わたしが「こっちや」言うのに人の言うことを聞かんと勝手
に反対方向にハンドルを切る方向音痴の夫を相手に、そこを文句言わんよう
にじっと我慢の子(笑)
うちの人、絶対これを毎回やりますのよ。

まぁ、助手席からあっちやこっちやと指示されるのが嫌なのは分かるのです
が、暗くなってからそれをやられると、ほんと、自分たちがどこにいるのか
見当つかず、困るちゅうもんです。口には出しまへんが、内心は「もう知ら
ん!勝手にせ!」ですわ(笑)

そんな風にいつもと同じパターンの夫婦旅行でございました。

以下、本日は「マルヴァォン」をご案内します。

marvao
国土面積の3分の1を占めるアレンテージュ地方。広大な土地の多くは平原
です。その中のポルトアレグレ地区にあるマルヴァォンは標高843メート
ルのサポイウ山頂に位置する小さな村です。
別名「鷹ノ巣の村=Ninho de Aguia」と呼ばれます。

marvao
ポルトガル南部の特徴である白壁の家々の村です。

marvao
人口は100人前後とも600人前後とも言われますが、廃屋も多く100
人もいるかと思われる村で道行く人影はほとんど見かけませんでした。

marvao
城壁に囲まれたマルヴァォン古城。 

周辺一帯のパノラマが見渡せるマルヴァォンは敵の侵略防衛の立地条件に恵
まれ、昔からローマ人やイスラム教徒が利用して来ました。マルヴァォンの
は名称はこの辺りを9世紀の一時期に征服したイスラム人「Ibn Marwan」か
ら来たといわれます。

marvao
正面に見るマルヴァォン古城。

要塞として建築されたマルヴァォン城は12世紀のレコンキスタの戦いで
ドン・アフォンソ・エンリケスがマルヴァォンを征服、14世紀にはドン・
ディニス王が要塞を増築しました。

marvao
ひまわりと古城

要塞内。真っ青な空に映える古城はいかにも「鷹ノ巣」の名にふさわしく、
marvao

山頂独特の強い日差しがガンガン照りつけておりました。
marvao

ライトアップされる古城 
marvao
古城の手前の古い教会。
marvao

マルヴァォンは車なしで訪れるのはかなり厄介な場所です。
これまで訪問、紹介してきた似たような白い村に「オビドス」や「モンサ
ラース」などがありますが、マルヴァォンはアクセスが難しいためか、ツー
リストにとってはまだ未開拓な村になるのではないでしょうか。
そのため観光ずれしておらず、上記の二つの村に比べ、より自然的な部分が
残っており、いわゆる「ワー、素敵!」の部類ではありませんが、ポルト
ガルの僻地としてこれもまたこれでいいのではないかと思いました。

何しろ「鷹ノ巣」です。大勢の観光客がこの天空の村に押しかけるようにな
れば鷹も逃げ出し、別称返上になりかねません。

参考にモンサラース案内はこちら

オビドスはこちら

よろしかったらどうぞ。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年8月12日 

もしや、何度か更新無しの我が拙ブログを訪れてくだすった方がおりました
ら、ごめんなさい。

「ただいま」とエントリーにありますように今週は小旅行をして参り、今晩
帰宅したところであります。

実は、旅先で下記のエントリーをアップしたつもりが、トホホのホ。
使用制限時間でアップロード中にバチッと終わってしまったのでありました。
以下、ブログ下書きに残ったものを今頃アップ(笑)

2011年8月11日

ただ今、休暇旅行でアレンテージュ地方から移動してアルガルブにいます。
出がけにもうひと記事更新できると思ったところが、残念ながら出発の時間
到来、ネコたちの世話をお掃除のベルミーラおばさんにああしてこうしてと
指図し、夫に急かされ、彼、ノートパソコンを持参しましたし、じゃ、旅先
で「お報せ」アップをと思ったのが間違い。pcの接続環境が悪いやら制限
時間があるやらで、思うようにパソコンが使用できません。

明日にはポルトに帰ります。
お土産話はそのときに。

お時間がある方は右リンク欄からポルトガル・ロマンで

では、みなさま、明日にまたブログでお会いしましょう。


とまぁ、こんなお報せを書いたのですが^^;

アレンテージュ、アルガルブ地方のご紹介は後日といたしまして、本日は
出がけに書き始めていたエントリーで参ります。
題して「ポルトガル北部伝統・リネン工芸市Feira do Linho」

洗練された美もいいが、素朴な美しさもわたしは好きです。
特にポルトガルのLinho=リネン(麻)を扱った伝統工芸の質素な美しさに
は手に取るごとに魅力を感じ、つい買ってしまうことが往々にしてあります。

ポルトガルではシンプルな麻布はよく下のように自分でレース編みの縁取り
をします。人の手が加わると見た目もグンと違い、暖かみが感じられます。
bordado

こういう細かい手仕事はわたしがポルトガルにやってきた三昔程前にはどこ
の主婦もしていたことで、バスや電車の中で、病院の待合室でとレース編み
をする女性とたくさんみかけました。

日本では手出ししなかったわたしも見よう見まねで始め、一時期はかなり
凝って、大きなテーブルクロスから当時はまだ元気だった母への贈りものに
とベッドカバーまで編んで帰国時に持参したものです。

が、今の若い人たちは殆どしないように見受けられます。
それもそうでしょう。のんびりしていると言われてきたさしものポルトガル
でも若い人たちのモダニゼーションは進み、共稼ぎが当たり前の現代社会で
す、とてもくつろいでこういうことをする時間などないのです。

現に今のわたしがそうです。子供たちに着せたセーターは殆ど全てわたしの
手編みでしたし、レース編みも上で述べたように何枚も仕上げたものですが、
日本語教室の生徒さんを取り始めてから、編み物の時間をなくしてしまい
ました。

趣味でする編み物は単に手芸にあらず。時間を編みこみ、気持ちを編みこむ
大切なものになるとわたしは思っています。
そして、やはりそういう時間の余裕が欲しいものだと近頃思い始めています。

レース編みは手軽にできる手芸ですが、いずれ、シリーズでポルトガル・
グッズとして取り上げたいと思っている、わたしが昔から魅せられて来た
ポルトガルのリネン工芸品を今日はご紹介します。
今回は先週末に訪れてきた北部のリネン工芸品市での作品です。

feiralinho

ポルトから車で1時間ほど行った北部山あいの小さな町Ribeira de Penaで
の市です。今年は13回目だとか、今まで一度も気が付きませんでした。

feiralinho

風があったものの木陰がなく、じかに頭上から照るつける日光はきつかった。
feiralinho

中には手製の編みカゴのコーナーもありました。
feiralinho

以下、全てハンドメイドのリネン作品をお楽しみください。

feiralinho

feiralinho

こんな風にして麻を紡ぐのでしょうか。
feiralinho

このおばさんの所では、とても古いリネンを利用した作品をみつけ、数枚手
に入れました。後日改めて、その作品を紹介します。feiralinho

しっかりした麻布です。
feiralinho

こちらは白刺繍がしてあります。わたしはこの白刺繍に目がないのです^^;
feiralinho

麻布に縁取りのレース編みで手を加えたもの。
feiralinho

↓こうしてちょっとレース編みを施すだけで見栄えが違います。
feiralinho

かなり太い麻布をつむんでいます。
feiralinho

本日の仕上げはRibeira de Penaに入った広場で見かけた下記の写真です。

feiralinho

ポルトガル語で「espigueiro」と呼ばれるのですが、昔、とうもろこしを乾
燥させるのに使用されたそうです。これは木製ですが、石で作られたものも
たくさん残っており、ポルトガル北部、特にミーニュ地方で見かけられます。

と言うことで、本日はこれにて。
おっと、もうひとつ。
下記サイト、ちょびっと覗いていただけたら嬉しいです。

このところしばらく姿を消していた「人権擁護法案」が「人権侵害救済法案」
と名前を変えて再び出て来ました。「人権侵害救済法案」とはいったい何な
のか、分かりやすく説明していると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=23UifZOyf3s

それでは、皆さま、また明日!
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テーマ:ハンドメイド
ジャンル:趣味・実用
2011年8月7日 

先だってフランスにお住まいのご家族と1年ぶりに再会し、木陰が多く美し
いドウロ川の景色が眺められるクリスタル宮殿公園を一緒におしゃべりしな
がら散歩して来ました。

園内にはアルメイダ・ガレッテ市立図書館があり、去年わたしがコーディネ
ータをした日本の財団IFFとポルト市の共催のJapan Weekが行われた会場で
何度も足を運んだ場所です。

2週間ほど前にも秋に予定されているここでのボランティア活動の打ち合わ
せで出かけてきたところですが、散歩するのは久しぶりのことです。

その時に見かけたのが孔雀の親子。
jardim_cristal

クリスタル宮殿公園は孔雀の放し飼いで知られていますが、これはわたしに
とって初めての光景です。子孔雀たちを拡大してみましょう。

jardim_cristal
親孔雀にまとわりついてヨチヨチあるく姿は誠に微笑ましいものです。
この日はオス孔雀も見かけましたが、残念ながら美しい羽を開いての披露は
してくれませんでした。彼も夏休みだとさ(笑)

jardim_cristal

公園の中でもわたしの気に入りの場所、薔薇園です。庭園に足を踏み入れる
と薔薇の香りがして珍しい蓮の花が可憐に咲いていました。
jardim_cristal

気に入りだと言うのは、小さな薔薇園には、今では無くなってしまった「サ
ンタ・クララ修道院」の遺跡の一部がここに置かれていると聞くからです。

「サンタ・クララ」はミュージカルが好きな人は知っていると思いますが、
ミュージカル映画「Brother Sun, Sister Moon」で、教会の腐敗を糾弾し自
然を愛し清貧に生きたアッシジの聖フランシスコ修道士に共鳴し女子修道会
の祖となった聖クララのことです。

jardim_cristal

ポルトのサンタ・クララ修道院は現在はなくその一部が老人ホームとして
利用され、教会だけが残っているわけですが、こうして一部でも他へ移され
て遺跡としてあるのは救われます。

jardim_cristal

そうそう、クリスタル公園内にはこんなのも見かけられます。

jardim_cristal
ご存知、マグダラの塔です。このあたりは19世紀半ばまでは「Campo
Torre da Marca=目印の塔の田園」と呼ばれており、現在のクリスタル宮殿
公園はこの田園といくつかの庭園がいっしょになっています。

さて、このクリスタル宮殿公園ですが、実は園内に宮殿はない。何ゆえその
名前を冠しているのかについては、こちらで書いてありますので興味のある
方はどぞ。

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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年8月6日

Ponte D.LuisⅠ(ドン・ルイス一世橋)
 
所在地:Cais da Ribeira  
メトロ:サン・ベント駅下車後、リベイラまで徒歩5分ほど。 

ドン・ルイス一世橋
リベイラから見た橋。ドウロ川にかかる橋の中でもツーリストに最も人気が
あり、クレリゴス塔と並ぶポルトのシンボルです。

ドン・ルイス一世橋
リベイラと反対方向のAvenida de Gustavo Eiffle(エッフェル通り)から
見た橋。
   
エッフェル(エッフェル塔の建築家)の弟子テオフィロ・セイリングの建築
デザインで建てられたルイス一世橋は、1881年11月に建設が始まり
1886年10月に開通しました。
   
長さ385m、幅8m、二重橋になったのは、ポルトとガイア市との両岸の
高低差のゆえだと言われます。かつては、上下ともに人と車の通行路でした
が、現在は下段を人と車が、上段はメトロが通り両脇に歩行者用の1.25mの
歩道があります。
   
ドン・ルイス一世橋

ドン・ルイス一世橋
橋を渡って向こう岸ガイアへ
ルイス一世橋の前身は「ペンシル橋=Ponte Pensil」というつり橋でした。
 
ドン・ルイス一世橋
ガイア側から撮ったドン・ルイズ一世橋を渡るメトロ・イエロー線。橋の中
央をメトロ線が通り両脇が歩道。この橋は車の乗り入れ禁止です。      
橋を渡りながら眺めるリベイラの景色は素晴らしい。
        
ドン・ルイス一世橋
橋の下にも家々がのぞかれる。

ドン・ルイス一世橋
メトロはガイア側からドン・ルイス一世橋を渡りこのトンネルをくぐってポ
ルトの街に入る。
       
さて、この地下鉄トンネルの入り口なのですが、ポルトのメトロが開通した
ころに3度ほど起こった際どい事件をご紹介します。

以下、2007年の日記の抜粋です。

2月22日(木)アッと驚く!

下の写真、新聞記事で写りが悪くて申し訳ないのですが、よっく見てくださ
い。レッカー車に車が引っ張られる、よく見かける光景です。
ドン・ルイス一世橋

が、見て欲しいのはメトロ駅構内の線路上だというこの場所なのです。
            
写真のメトロ駅は、隣町ガイアとポルトを結ぶイエロー線のサン・ベント駅
です。ガイアから入ると下にリベイラを眺めながらドン・ルイス一世橋を渡
ってすぐにメトロはトンネルに入り地下のサン・ベント駅構内です。
 
メトロが貫通する以前この橋は、ガイア市の大通り「Avenida de Republica」
とつながり、そのまま車で往来ができ、この通りはもっとも混雑する道のひ
とつでした。メトロ貫通後、この大通りは橋の少し点前まで二車線、橋は車
の乗り入れが禁止となりました。

ところが、地方から出てきたりするとよく事情を知らなかったり、あるいは、
わたしなどのような粗忽者が、「この橋から向こうは車の乗り入れ禁止」の
サインを見落とし、今までどおり橋を渡ってポルト市内に入れると思い、行
っちゃう人間がいるようです^^;

トンネルをくぐってからきっとウワ~ッと慌てふためくだろうなぁ、これ
だって、メトロのホームに入っちゃうんですもん・・上記の新聞写真の如し、
です。今まで事が起こらずに済んだからいいけれど、真正面をメトロが向かっ
てきた!なんてことになってたら、エライこってす!
今回で三度目のこの出来事、とうとう、不注意でこんなことをしでかしたら
10年の刑になる、とお達しがでました。


もちろん、現在ではもう起こり得ませんが、三度もこういうことがあって、
事故にならなかったのが不思議なくらいです^^;
ちょっと怖い話しでしょう?
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2011年8月5日 

わたしがピアノに初めて手を触れたのは高校時代だ。
歌が好きだったので楽譜は読めたが、それまでに触れたことがある楽器と言
えばせいぜい小学校での木琴、それにウクレレだった。

わたしには8人の叔父叔母がいたのだが、その中の一番若い叔父が当時職
場でハワイアンバンドを結成しており、クリスマスなどのイベントに機を得
ては演奏していたと思う。叔父の持ち場はスティールギターだった。

きっかけが何であったか今ではもうはっきり覚えていないが、ウクレレプレ
イーヤーが一人演奏できなくなり、それで急遽、叔父家族の隣に住んで
いた高校生のわたしが穴埋めをさせられることになったように思う。

ウクレレは4本弦で小さくて弾きやすく、何事もいったん興味をもつとのめり
こみやすいわたしは、基礎的なコードを教えてもらい、朝な夕なに練習を
やりだすものですぐ弾けるようになった。
「月の夜は」「南国の夜」など何曲ものハワイアンソングを覚えたが、
なかでも好きだったのは叔父がよく演奏していた「すずかけの径(みち)」
だ。古い歌だったが3拍子のメロディーも歌詞も美しく、よく一人でウクレレ
を弾き歌ったものだ。

♪友と語らん すずかけの径
通い慣れたる 学び舎のまち

やさしの小鈴 葉陰に揺れば
夢は帰るよ すずかけの径
      懐メロですが、こちらで聴けます。
   こちらは倍賞千恵子さんが歌っています。

高校生になってピアノに触れるようになったのは、入学するなりすぐ、
「あなた、音楽部にいらっしゃい」と入部に勧誘した音楽教師の勧めだった。
高校の授業料もやっとこさ払えた生活環境である。ピアノレッスンなどの
余裕はなく、その女性の音楽教師が放課後にちょちょっと指導してくれ、
後は、早朝登校して音楽教室にあるピアノで練習するというレッスンで
あった。

夢中になったわたしは家でも練習したくて、白い紙に鍵盤を描き、その上に
指を置いては頭の中で音を出し、原始的な練習に勤しんだ時期ではあった。

いずこの親も自分の果たせなかった夢とやらを子に託すものである。
わたしもその例に漏れず、生半可なレッスンではピアノは学べないのだと
知り、高校時代に諦めてしまったわたしは、我がモイケル娘が5歳になった
とき、当時、2、3年毎の日本帰国を一回諦め、思い切って電気ピアノを購
入し、彼女に個人レッスンでピアノを習ってもらうことにした。

以来、娘のピアノ歴は、5歳からのピアノの先生が留学することになった後
のしばらくと、次の先生が少し厳しすぎたことが原因でしばらく休んだ期間
を除いて、ピアノ学習は13年ほど継続したことになる。

二人目の先生は中学時代の英国人の先生で、厳しくなったのには理由があっ
たと思っている。と言うのは、女性の先生であったが、そんなある日、
「モイケルさんを週に一度だけでなく、2、3度レッスンによこしませんか?
経済的な問題があれば、授業料は免除しますよ」と申し出があったのである。

この先生につき始めたころから、モイケル娘、
「本物のピアノが欲しいな。練習していってもタッチが違う、音が違う」と
言い出していたのを、
「お稽古で本物のピアノを買ってその後、家のなかで誰にも触れられること
なく、音も狂ってしまってるピアノをたくさん見てきてる。プロになるのだ
ったら別。この電気ピアノだって、ようやく買えたのだよ。我慢しなさい。」
と言い含めたものだ。

さて、先生の申し出はどうなったかと言うと、考えた末、やはりそれまで通
り週に一度のレッスンということにした。どんな楽器でもそうだが、それを
職業とするなら、学校の成績を気にしながらの生半可な練習ではできるはず
もない。音楽家の道は果てしもなく遠く、経済的なサポートなしでは成し遂
げられることはない。しかも、才能の有無は分からないのである。

そのうちに大学受験勉強で娘の生活は忙しくなり、その間のピアノレッスン
は予測どおり休まざるを得なくなり、ピアノレッスンはなくなったが、家で
はピアノを楽しんで弾いていたものだ。

日本の大学卒業後、就職をして、やはりピアノが恋しいと本人はローンを
組んで、持ち運びに便利、音の調節のできる電気ピアノを購入し、今でも
彼女はピアノの音を楽しんでいるようだ。

パソコンでなんとも面白い音楽を作っている兄貴の手ほどきを受け、いつの
間にか本人もパソコンでのゲーム音楽の作曲を趣味にするようになり、昨年
はYoutubeやニコニコ動画にも自分の曲をアップロードしたりしているのは、
このブログでも取り上げたことがある。

そのモイケル娘、趣味で彼女がpc作曲をしていることを知っている会社の
部署から
「スーパーでよく流されるような雰囲気の曲を作ってくれ」
と頼まれ、試しにこんな曲を作ってみた。昨日採用OKがでたので聞いて
みてくれと言う。タイトルは「iratto」。

わたし  「い、いらっと?」
モイケル 「うん。だってスーパーの曲って同じ繰り返し、聞いてると段々
       イライラしてくるじゃん」
おいおい^^;
もちろん、会社にはそんなタイトルは伝えていない(笑)自分のファイル用
だという。

「聞いてごらん。聞いてるとイライラしてくるぞぉ~」

それで、聴かして貰いました!
お、おもしろい!わずか10秒ほどの元気な音楽が繰り返し繰り返し。
まさにスーパーぴったりじゃん!

「モイちゃん、うまいねぇ~」とこれまた親バカ。で、すかさず、
「作曲料、コピーライト権は?」と意地汚いおっかさんの言葉に、
「いや、なにもない」

さ、さらーっとしてるけど、これ、流行ったらどないするねん?と、まぁ、
ほぼありえない事象を期待しての心配する親バカであります(笑)

ま、こういうのが励みになるということで満足しておきましょうか^^
ここでその「iratto」をお聞かせしたいところですが、ちょっとまずいで
しょうってことで、本日は我が子達の音楽を改めて紹介させてください。

まず、モイケル娘の2曲を。


http://www.youtube.com/watch?v=3PmUrY2Mbw0

 こちらは、既存の曲をジャズ風にアレンジ。


こちらは下記、我が東京息子の音楽サイトへ飛んでいただきまして

http://www.myspace.com/fullpropulsion

ポルトガル語になっていますが、真ん中に音楽リストがあり視聴できます。
トップの新曲「Time Off」は、わたしも気に入っており、おすすめ。
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ジャンル:音楽
2011年8月1日 

先週末は土曜日の日本語教室が休暇に入り、久しぶりに朝をのんびり過ごし
ました。

習慣で7時には起床しますが、いつもなら、授業準備をもう一度点検、普段
小一時間かけるであろうウエブ新聞もザーッと目を通すのみで、出勤準備
です。

それはそれで好きな仕事ですから少しも苦になりませんが、土曜日もウィー
クデイも、この後、10時半から日本語があるのだぞ、という軽い緊張感が
なくなり、至極時間的に余裕があるわけでして、この開放感こそが夏期
休暇となります。

さて、先だって、日本から帰国して以来のアレルギーが治まらず、二ヶ月
以上も立つのだからこれはひょっとして放って置かない方がよいのでは
ないかと思い、夫の働く病院で皮膚科の女医さんに診てもらったところ、

「あなた、これはストレスから来るかもしれませんよ」と言われ、えぇ?
ス、ストスって、わたしはあんまり感じてないんだけどなぁ^^;

「ストレス反応とはホメオスタシス(恒常性)によって一定に保たれている
生体の諸バランスが崩れた状態(ストレス状態)から回復する際に生じる反
応をいう。ストレスには生体的に有益である快ストレスと不利益である不快
ストレスの2種類がある。これらのストレスが適度な量だけ存在しなければ
本来的に有する適応性が失われてしまうために適切なストレスが必要である」

とはwikipediaのストレスについての解説です。わたしの場合、このうちの「快
ストレス」が日本語教室でありボランティア活動だと思っているわけですが、
自分の気づかないところで少し負担を感じたりしているのかな?

gato

おいおい、ゴロー君、ベッドがどうなるのよ?日ごろ、こういうことに気を
つけて猫たちにしつけするのも気づかぬストレスの原因かもだ(笑)

そして、もうひとつ、太陽光線に弱いわたしですが、これは日本にいた時
から気づいており、特にポルトガルの夏は紫外線がきつく、これまでは外出
時にサングラスを手放すことはなし。数年前まではこちらでもあまり見かけ
られない日よけ帽子姿で、外出時は夏でも長袖が多かったのです。

が、もう30年来のポルトガル生活です、こういう気候に自分の皮膚も慣れた
かと思い、ここ数年帽子、長袖着衣を怠ってきました。このスキン・アレル
ギーは、もしかしてそのツケが回ってきたのかも知れません。

それで今は女医さんお勧めの塗り薬を顔と腕にせっせと塗りたくり、外出を
少し控えているのですが、これじゃぁ、仕事にならんて(笑)
いえね、仕事と言うのは、ほら、ポルト散策だとか、小冊子記事の取材訪問
だとかw11月号記事のテーマを探さないといかんのです。

しかし、夜なら日が照ってないのでと金曜日は夜9時半からの映画「ハリー
・ポッター」最終章を夫と観て来ました。
わたしはハリー・ポッターよりも、スター・ウォーズ・ファンなのですが、
「シンドラーのリスト」「イングリッシュ・ペイシェント」「愛を読む人」
「レッド・ドラゴン」を観て以来、ボルデモートで出演しているレイフ・
ファインズに少し興味があり、行って来ました。
「あらま、こんなのをやってて」と^^
映画ハリー・ポッターへの感想は特別になし。

因みに原作者のJ.K.Rowlingは1990年から2年ほどポルトの語学学校で
英語教師をしており、サンタ・カタリーナにある有名な「マジェスティッ
ク・カフェ」内で書き物をしていたと聞いています。ハリー・ポッターの
一部はきっとここで書かれたでしょうね。

gato
クルルよ、いったいどこを枕に^^;

夏休みになると、日ごろしたいと思っていても時間の都合でなかなかできな
いこと、読書にのめりこむのが習慣なのですが、春の帰国時に買い集めて船
便で送った本類がまだ届かず、そこで、ネット読書をしてみようかと、検索
していたら、ちょっと面白いサイトに遭遇し、パソコンにひっついて半日
読んでおりました。

題して「義経の謎」。つまり、義経=成吉思汗(ジンギスカン)説。
父、藤原秀衡の遺言を守らず源頼朝に屈し、義経を討った藤原泰衡が頼朝
に送った首は偽ものだったと言うのから始まり、生来の学者論への反論を
展開していきます。とても長いのですが、面白くて読み応えがありました。

昔から、歴史は勝者が自分の都合に合わせて作り上げるもの、という言葉
がありますが、それを念頭において歴史を見ていくと、頭ごなしに「そん
なバカな」なんてことは言えないような気がします。

人それぞれ考えがありますし、自分の説ではないのでここで詳しいことは
書けませんが、読んでみたいと思われる方、ご連絡ください。ご紹介いた
します。

で、目下わたしが読んでいるのは「百人一首の謎」。
これもおもしろい!
こういうことに時間を費やすことができる夏休みが始まりました^^
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