2011年9月19日

astrolobio
筆者が入手した航海時代の天体観測に使用されたastrolobioの模型。

さて、前回の続編「エンリケ航海王子」についての更なる記事は下記にてご覧
になれます。

エンリケ航海王子がめざした先は(1

エンリケ航海王子がめざした先は(2)」

airplane1.jpg

airplane2.jpg

ところで、筆者、上記画像が撮影できる場所、つまり機上の人となり、

P1000900.jpg
dear my freiends, 驚くなかれ、目下、この猫たちのいるところにしばし滞
在です。

時間がとれるかどうか確約はできませんが、ちょっと会ってやってもいいかも
と思われる友よ、前回のケータイ番号をいまだ記録しているならば、コンタク
トもよし、このまま流すもよしでござる。

延期の可能性もありですが、滞在予定は29日まで。春のようにほいほいと
自由な外出は少し難しいかもですが。
○十年、悪趣味な神出鬼没はしておりませなんだが、今回は諸事情あり。

ということで、みなさま、思うようにエントリはできないかもしれませんが、
時々お立ち寄りください。また、留守中、我がHP「ポルトガル・ロマン」サ
イトもお楽しみください。

ポルトガル案内サイトspacesisの「ポルトガル・ロマン
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2011年9月16日

今夏は、ポルトガルの大航海時代の先駆者、トマールのテンプル騎士団がキ
リスト騎士団と名を変えた時、そのマスター(団長)となったエンリケ王子
が住まいとし、人生の後半を天体観測費やしたと言われるポルトガルの南部、
アルガルブ地方にあるサグレス岬を訪れてきました。

サグレス岬は「Fortaleza de Sagres=サグレス要塞」となっており、大西洋
を目前にゆっくり歩くと1時間半はかかるでしょう。
要塞が閉まるのに45分ほどしかないという夕刻に入りました。

sagres
手前がサグレス岬の断崖。
 
サグレス要塞の入り口。
sagres


20代始めに父王ドン・ジュアン一世、兄弟とともにアフリカの入り口セウタを
攻略したInfante Dom Henrique(インファンテ・ドン・エンリッケ)ことエン
リッケ航海王子は、アルガルベ地方のラゴスを拠点に海外進出事業にのりだす。
マデイラ島、アソーレス諸島が発見され、王子が送り出したジル・エアネスは
「不帰の岬」と当時恐れられていたアフリカ大陸沿岸、西サハラのボジャドー
ル岬迂回に成功する。
 
門をくぐりぬけ、内側から見た要塞。
sagres

要塞は15世紀に造られたが1755年11月1日のリスボン大地震で大津
波に襲われ破壊。現在の要塞は18世紀に再建されたものである。

sagres
羅針盤(Rosa dos Ventos)と推測される。                  

 
sagres
ポルトガル人が各新発見地に設置したパドラォン(Padrao)と台呼ばれる占領
標識の石碑。

sagres
サグレス岬先端の灯 

sagres
岬をぐるりまわるコースのところどころに置かれている新モニュメント
sagres
一周して来た頃には夕日が海に沈みかけて。

sagres
大西洋に沈む夕日を背に受けたノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ教会。
                
エンリケ航海王子の光と影

ポルトガル大航海時代の礎を築いたエンリケ王子は英国人の血を引き、イギ
リスでも人気があるポルトガルの歴史人物の一人である。その生涯は一見華
やかな印象を受けがちだが、どんなに華麗な歴史にも陰がある。
                              
テンプル騎士団、キリスト騎士団員は独身でいることを求められ、王子もキ
リスト騎士団の団長という立場上、生涯独身を通した。セウタ攻略後、セウ
タ総督を任ぜられ、またアルガルブ地方の統治も任せられたエンリケはラゴ
スに拠点を置き、国家事業の航海計画に専念する。

父王ドン・ジュアン一世没後、長兄ドン・ドゥアルト王の時代にはこの事業
をめぐり、対立する勢力があった。エンリケ王子は、長兄ドン・ドゥアルト
王の命で、セウタ確保のため、次兄ドン・ペドロの反対を押し、末弟フェル
ナンドとともに北アフリカのタンジール攻略に入るが失敗。
 
末弟フェルナンドは休戦協定のためアラブ側の人質となり、ドン・フェルナ
ンドは6年間の幽閉後アフリカで死す。セウタはこのドン・フェルナンドの
犠牲で確保されたのであった。

後、次兄ペドロと前王ドゥアルトの息子アフォンソ5世の王位争いが始まる
が、エンリケはこの権威争いには組せず、アフリカの地で人質として弟フェ
ルナンドを死なせた心の傷もあってか、サグレスに引きこもりここで天体観察
に打ち込み、ヨーロッパ各国、イスラム国からも航海知識者を招き、船員の教
育に努めたといわれる。

サグレスにエンリケ王子の航海学校があったと言われるのはこのためである。
実際に学校が存在したかどうかは明確ではない。
エンリケ王子はサグレス隠遁前、航海時代の中心地、ラゴス(サグレスの近
く)に居を構えていたが、ラゴスはヨーロッパ最古の奴隷市場があるところ
でもある。ポルトガル国内ではは奴隷をは使われなかったが、ラゴスは奴隷
の入り口でもあった。

1460年、サグレスにて没。

この間、O Africano(=アフリカ王)の異名をもつエンリケ王子の甥、ドン・
アフォンソ5世王は北アフリカ入り口を征服、そしてやがて時代はポルトガル
・スペインの大航海時代に入る。
 
sagres
空に余韻を残し海に沈む太陽。右に見えるのはサン・ヴィセンテ岬。
数世紀前、エンリケ王子もこの岬から同じ夕日を日々眺め、日が落ちてから
は天体観測をしたであろう。
孤高の人エンリケ航海王子は果たしてどんな思いで落日を眺め星を求め、陸
路の果ての断崖岬で生涯を終えたのだろうか。
上の画像は是非クリック、拡大してごらんください。

sagres
横に膨張して今にも海と接触せんとする太陽。
                                  
また見つかった、なにが?
永遠が。 海と溶け合う太陽が。(アルチュール・ランボー「永遠」)

                               
こんな1節が思い出される一瞬だ。

計画にはなかったのですが、夕食時間に間があったことで出かけ、運良く眺
めることができた海に沈む夕日、本日は時空を越えて恐らくエンリケ航海王
子も眺めたであろうサグレスの夕日をご案内してみました。

明日は、エンリケ航海王子について、もう少しメモしたいと思います。
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2011年9月6日

使えなくなったのに処分する踏ん切りがつかず、かれこれ10年以上になろ
うか。ポルトに来た年に音楽好きのわたしのために夫が奮発して買ってくれ
た日本製パナソニックのステレオです。
30代に入ったばかりの当時の夫の肩には、わたしだけでなく彼の母、二人
の叔母と、本人も含めて5人の食い扶持がかかっていたのでありました。

stereo

その前年に夫は専門医になってはいたものの、まだ若い。そうそう稼げた訳
ではなく、子供でもできたらどうやって食べていくかと、のんびりもののわ
たしでも、さすがふと気になったりした時期でしたから、この奮発は本当に
嬉しかった。

当時の国際電話料金はべらぼうに高くて、年に一度も日本に電話をかける
こともなかった数年、ひたすら、家族は友人には、「元気でいる。なんの心
配もいらぬ」と、本心を書いて親友達に心配をかけるのがいやで、このステレ
で音楽をききながら、楽しげな手紙をせっせと書いた月日ではありました。

日本での一人暮らしでも、テレビは持たなくともステレオなしではダメでし
た。音楽はわたしにとって単に聞き流す音ではなく、なんと言おうか、いつ
も語りかけてくれる心の友のようなもので、その時期その時期に聞いたLP
レコードには深い思いがあります。

stereo

ところが買って20年くらいもした10数年前からディスクをのせる円盤が
回らなくなり、時はラジカセ、ミニコンポの時代に入ったこともあって修理
を頼むにも出せるところがなくなってしまいました。

それまで何度か故障したときは夫の知人の電気屋さん、セニョール・フェル
ナンドがこういう機械いじりが好きで、修理してくれたものの、そのおじさ
んももう10年ほど前からあの世のお方、かつてはいい音で音楽を聴かして
くれたこのステレオ、いよいよゴミに出すしかないか、とこの間二人の間で
話が出ていたのでした。

それを先週末、わたしはこの秋、ボランティアですることになっている影絵
の映り具合がどんなものかと、かつて特注して作ってもらったの影絵用スク
リーンを書斎から引っ張りだし試験、夫はリビングの大きな食卓にステレを
乗せて修理に格闘。

すると、なんとま、夫、直しちゃったのです(笑)
スピーカーもリビングに持ち込んでは久しぶりにモーツアルトのLPをかけ、
やはり、ミニコンポとは迫力が違いますねぇ、と危うく処分するところだっ
た30年もののステレオを愛しんだのでした。

下はホールを暗くして作成中の影絵の映り具合確認中のところです。

kagee

本日もブログを読んでいただきありがとうございます。
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2011年9月3日

ポルトの街をゆっくり歩いて見ると、周りに目に向けないで目的地に向かっ
てズンズン行くのと違い、思わぬ拾い物をすることがある。今日はそのわた
しの思わぬ拾い物をご紹介したい。

oldporto
ダウンタウンはサンタカタリナ通りの裏にあるおお!と魅惑された邸宅。
もう何年も前に発見したのだが、今回行って見ると、思った通り無人ゆえ当
たり前なのだが以前にも増して傷みがひどくなっていた。

nasoni

このまま放っておくのはまことに残念ではないか。

以前、わたしがブログで取り上げた下の海岸通Fozにある邸宅no写真をご記
憶の人もいるかと思うが、この屋敷も単に一目をひくだけでなく、ゴチッ
ク様式で興味深い模様がところどころにはめ込まれてる。荒廃するに任せて
いるのが現状だが、これもなんとかできないものなのかと心が痛むのである。
oldporto

日本語の生徒さんに不動産を営む人がおり、どうかな?と思いながらも、
「どこそこにあるマンション、知ってますか?」とちょっと話を切り出して
みたのはしばらく前のことだ。

すると、さすが、市内のあちこちの物件を取り扱っている不動産屋だ、即、
知っていると応えてきた。遺産として受け継いだ家族が売りたいにも売れずに
そのままになっているのだと言う。

随分前から経済難のポルトガル、市当局もなかなかそれから脱皮できないで
いるのは知っているし、それでも、市やどこぞの財団が買い取るなどできな
いのかしらと話を向けてると、実はこの二つの物件、受け継いだ家族は取り
壊して土地を売り払いたところなのだが、市当局が取り壊しにゴーサインを
出さないため、わざと荒廃するに任せ、いや、できるものならさっさと落ち
崩れてくれないかが、所有者の本音なのだそうだ。

なるほどなぁ。独特の建築様式を使ったこれらの邸宅、古いのは確かだが、
後世に残したいくらいの建築美があると、素人のわたしでも思う。
受け継いだ者にしてみたら相続税は払わなければならないわ、売れないわ、
解体してはならんわで苦労なことだろうが、市当局も買いたいのゴーサイン
を出さないということは、残したいとの思惑があるのであって、しかし買い
取る金がないのである。それならいっそのこと、市に寄付ってのはいやなの
かな?とは、持ち主でないわたしだから思うことか。

Fozの家は傷んでいて、もう使うわけにはいかないだろうが、ダウンタウン
の邸宅は、荒廃防止のため二束三文でもいいから貸しますというのであれば、
少し手を加えることで、例えば日本人会とか(今のご時世では無理かw)、
何かの会館とか、下宿やなどに利用できそうだと思うのだが。

件のわたしの生徒さんは、実はダウンタウンの邸宅の鍵を預かっていると
言う。買えるわけでは決してないが、仕事の合間に、手が空いたときでい
いので、是非一度中を見せてもらえないかと頼んでおり、その日がくるの
を楽しみにしているのである。

こちらはボアビスタ区域の見捨てられた邸宅。
oldporto

こちらはかつてのConservatorioこと音楽学校。
oldporto

数年前に音楽学校は別校舎に移動し、現在は無人。
探せば恐らくまだまだ出くわすであろう、古い邸宅たちだが、でき売る限り
保存に向けて、少し修繕の手を加え、まず人が出入りすることが必要だと
思う。建物は人が住んでこそ息づくのだから。

そんなことを思っていたこの頃だが、つい先だって夫との外出時にたまたま
近くを通りかかったもので、「あそこがどうなっているか見てみたい、ちょ
っと寄って!」と一緒に見に行ったこの建物↓

nasoni
プレラーダ邸(Palacio da Plerada)。写真はわたしが訪ねた2007年の時
のもの。ポルトに多くのゴチック建築様式の建物を遺した18世紀のイタリ
アトスカーナ出身画家建築家、ニコラウ・ナゾニの作品の一つになる。

nasoni
ナゾニの追っかけ者としては、見るに忍びない彼の作品の姿ではあり、立ち
寄るのに不便な場所であるのもさりながら、これも荒れ果ててしまうのかと
思うと気にはなりながら再訪するのもつい億劫になっていたのであった。
nasoni

正面から見るとなんの変化も見えなかったのだが、「行こうか」との夫の言
葉に「ちょっとだけ待って。念のため」と横に回ったところが、ジャーン!

nasoni

こ、工事が入ってるやん!おおお!これはよきこと!仮にも、ポルトの象徴、
クレリゴス塔を造った、これもまた同建築家ナゾニの作品です、市も財政難
とは言えども放っては置けないはずです。なんとか四苦八苦しながら修繕
しようとの姿勢がうかがえて嬉しい限りです。

もっと早めに手始めた方がかかる修繕費の点から良かったのですが、ない袖は
振れぬということでしょう。あれ?さっきから文体が丁寧体に変わってますが
な(笑)、ご勘弁。

さて、最後に、やはりナゾニの作品で、長い間荒れたまま、訪れる人もなく、
また立ち入り禁止でもあったのですが、「フレイシュ宮殿」(Palacio de
Freixo)。市当局の提供でポルトガル最大のホテルチェーン、ぺスターナグ
ループが修繕に3年ほど費やして2009年についにオープンしたのですが、
下記で案内しています。

フレイシュ宮殿再び、歴史ポザーダホテル

財政難のポルトガル、時間はかかるけれども、長期計画で地道に文化を守り
抜こうとする姿勢は素晴らしい。

これら、ナゾニの建築作品の数々が修繕を受け、完成までは相当の年数が
かかりそうですが、その完成を見るまで、わたしも頑張って生きないと^^
ははははは。

本日もブログを読んでいただきありがとうございます。
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