2011年10月27日 

昨日は風が空中でうなり声をあげ続けてうねっていた一日でした。
そんな雨の中、影絵上演の件でアルメイダ・ガレッテ市立図書館まで出かけ
てきました。(影絵の話は後日に)

数日前から風邪気味で、危ないかな?・・と思いながら、ここ数年大きな風
邪に見舞われなかったので油断したか、日本語を4クラス終えた昨日の夕方、
ついにダウン!

夫が早めに帰宅してきたというのに、その時間、わたしは既にベッドに入って
しまっていたのでした。なにしろ翌日の、つまり昨日の図書館でのミーティン
グはキャンセルできません。体調不調、のどはイガイガしてるし、気分も悪い。
こりゃ休んで少しでも直しておかないと、てなわけです。

それで夫に
「悪いけど、外で食べて来て」と言うと、夫、どういう風邪の吹き回しか、
「スープを作ろう!」と言う。
えー、スープなんてあなた、作ったこと、ないじゃない」と言うと、
「君が日本に行ってた間、作ってたんだよ」と言う。

そ、それは知らなかったけれど、妻というものが側におりながら夫にスープ
はちょっと作らせられませんぞ。
そう思い、パジャマ姿にエプロンをかけようとすると、いいからいいからと、
さっさと包丁を握り、前日届けられたリンゴの箱を開け、そこから10個ほど
ものりんごを取り出し、ヘタを切り抜き始めた。

「あれ、す、スープなの?それ?」
「いや、君が起き出すとうるさいから、スープは止めだ。煮りんごだ」
「煮リンゴって、そんなにたくさんいっぺんに・・・@@」
どうなってんのよ、この人、と思いながらも、しんどいのが先に立ち、再び
ベッドにわたしは戻り。

しばらくして、「ほれ、クスリだ。飲んどけ」と部屋まで持ってきてくれた
のが、オホホ、自分が作った煮りんごとVinho do Portoことポルトワイン。
煮リンゴの味?言うなればダイナミックというんでしょうかね(笑)皮ごと
だし芯は抜いてないし(笑)ま、文句は言えないか。
下、こっそり写真に撮った夫の作品。
ringo

そう言えば昔、こんな提案をして夫に即、却下されたことがある。

たいした稼ぎではないが、自分もそれなりに一応、日本語を教えながら働
いている。共稼ぎの大変さは、なんと言っても女の方が部が悪いと思っ
いる。しかし、それもわたしなどは自分がしないと気がすまない点があり。

例えば料理の後の台所は、夫や子供たちがよくするようないい加減なチョ
チョット片付けははどうも気に入らない。それで、結局自分が手を出すこと
になる。料理も自分の味付けでないとなんだか気になる。それで結局自分が
する。まぁ、自業自得と言わば言え。要は人任せにできない性分なのだ。

そんなわたしではあるが、ある日台所に立ちながらふと思った。
夫もわたしも完全退職した後、ヘタすると、わたしは一生この台所仕事を
するわけであるよね?その間、夫はソファに腰掛、テレビでサッカー観戦
に興じたり新聞を丹念に読んだりするのである。

これが死ぬまで続くかも?こっちはそのほか、洗濯は機械がするからいいと
して、アイロンは当てるし(こちらの人はシーツ、下着にまで丁寧にあてる)
きれい好きなポルトガル人は家の中を磨くものだから少しはこぎれいにして
おかないとわたしもなんとなく落ち着かない。
すると掃除もせっせとすることになり、結局自分は一生働きづくめじゃん?
なんだかなぁ・・・と言うわけである。

そこで、「ねぇ、二人とも仕事からすっかり解放されるようになったらこの
食事作り、当番制にせぇへん?」と提案してみた。
そのときの夫のヘンジは即、「作るのはいやだ。そうなったら自分が当番
の日は外食だ!」(笑)

お惣菜は山ほどの種類がスーパーで売られており、店屋物、寿司、お弁当
なども手に入り、豆腐や明太子など、パッとそのまま食卓に出せるものも
色々あり、いざという時に食べ物はなんとか出来る日本と違い、ポルトガ
ルの食卓は、そういうものがないので質素でも手間隙がかけられていると
思う。

週末の食事など一日ばっちり2回作るのであるから、ちと大変だ。
そういうときの、昼食夕食のどちらかの手抜き料理でよく登場するのが
spacesis式お好み焼きだ。たっぷりのキャベツにベーコン、薄切り肉を入
れ、かけるソースもspacesis特選味。どうだ!
okonomiyaki
これにビールがあれば言うことなし。

お好み焼きの難を言えば、食卓に乗せる鉄板がないのでフライパンで一人
分ずつ焼くしかなく、二人目のが焼き終わることにはもう一人は半分食べ終
わっている点だ。

そうそう、夫の煮りんごの日、結局わたしたちは何を食べたかとの疑問が残
りますが、その日はわたしは煮りんごとポルトワインの風邪薬(笑)
夫はパンにチーズとありあわせの夕食。なに、一食ぐらいそうしたって死ぬ
わけじゃぁござんせん。イスラム教のラマダンとでも思えばよろし(笑)

さて、ついせんだって、ポルトで待ちに待った日本人コックさんのいる和食
レストランが開店した。早速夫と行って来ました。

Ichiban

日本レストラン「ICHIBAN」。海岸通りはAvenida do Brasilにあります。

Ichiban

寿司カウンター。

こちらはグループ席。
ichiban

前菜として出た「なすの味噌焼き」これはいけました。夫もおいしい!と。 
Ichiban

豆腐のサラダ。
Ichiban
外国人が経営するレストランと比べると、器が違います。こういう所にも
日本料理の心遣いがでます。

Ichiban
にぎり。写真と撮り忘れ手をつけてしまったあとです
コックさんご本人をわたしは知っていますが懐石料理が専門と聞きます。

Ichiban
肉のあられ揚げ。

生ビールも入れて二人で45ユーロ。少しお高めではありますがどうしても
日本味が恋しいときはこちらへ来ることができます^^
日本人のコックさんというので安心感があります。
ポルト圏内のかた、是非一度おでかけください。どこで店の情報を?と聞か
れましたら「ポルト在住の日本人のプログで」とお一言^^

早速日本食の好きな我が生徒、マセラッティの君にもご案内した次第です。

インフォーメーション:レストラン・ICHIBAN
    所在地:Avenida do Brasil 454 Porto  
     Tel:226 186 111


金土の週末は予約をお勧めします。

今日は食べ物の話でした。
で、風邪はどうかって? はい、どうもいまいち調子がよぉござんせんが
仕事で吹き飛ばそうかと思っておりやんす。

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2011年10月23日
    
昨年2010年、第35回ポルトJapan Weekのコーディネーターの仕事の祭、
12軒の文化交流相手を決めるのに数々の公共施設を訪問したのですが、そ
の時の通りすがりに目にした、気になる建物があり、今回はそこを訪れて
来ました。

コヴェロ公園(Jardim do Covelo)       

 所在地:Rua Faria Guimaraes Porto   
 入園料:無料

jardim_covelo
かつては美しい建物であっただろう廃墟。
これは公園の一角にあることを発見しました。

jardim_covelo
Covelo公園入り口。入って右側は子供用のプレイランドで、左側が散策コース。

jardim_covelo

jardim_covelo

長年、荒れ放題になっていた公園を市当局と国の協力で90万ユーロを費やして
2009年に開園。カラフルで新式の遊戯施設のプレイランドは多いに人気がある。
jardim_covelo

jardim_covelo
                       
                                     
入り口の道を境に右がプレイランド、左と奥が散策の自然公園になっている。
jardim_covelo

jardim_covelo
もうひとつの公園入り口。階段であがってくる。              

jardim_covelo
ポルトの公園には必ずネコが住み着いている。黒猫が多い。
             
jardim_covelo
かつては噴水があった憩いの場所であろう。                   

jardim_covelo
帰りに通りかかったら、若い恋人たちが語り合っていた。

トップ写真の廃屋を含め公園一帯は裕福な貴族のものだったと判明。
                     
jardim_covelo                                                 屋敷の周辺。
jardim_covelo

jardim_covelo
ポルトの公園には必ず赤いベンチが置いてある。
                                      
コヴェロ公園は今のところ恐らくポルトで子供のためのプレイ施設が整った
無料で入れる唯一つの公園だろう。近隣の人たちにとっても憩いの場だ。
交通の便が少し悪いのでこの公園の存在を知らない人も多い気がする。
                                     
車の駐車スペースの少ないのが難点でもある。

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2011年10月18日
 
ポルトガルは今年6月、これまでのPS(社会党)からPSD(社会民主党)
に政権交代したのですが、目下、厳しい経済危機に直面しており、いよいよ
国民の忍耐が試されることになりました。

既に昨年、公務員の給料は10%ほど(と思う)削減されているのが、今回
は更に2012年2013年の2年間、月収1000ユーロ以上の公務員と
年金生活者の「夏の休暇手当て」と「クリスマス手当て」がカットされる
ことになりました。

この手当ては、それぞれが1ヶ月分の給料に相当するもので、通常、ポルト
ガル人は年間11ヶ月の労働で14ヶ月分の給料をもらうことになっており、
言ってみれば二月分の手当ては低いボーナスみたいなもので、今回の政府の
発表は早い話がその2ヶ月分のボーナスを国に捧げることになります。

また、今年のクリスマス手当てにも50%の課税です。
加えて医療費、教育費などの控除もなくなり、消費税もアップ、収入減に
重税の苦しい2年間を控えるわけですが、ここまでの経済危機に陥ることに
なったのは、なにも昨日今が原因ではないでしょう。

肝心の大事な問題である経済成長政策を長年先送りにしてきたことのツケが
今、回ってきたのです。
ポルトガル人の口からよく出る言葉に、
「E vida!(これが人生というものさ。"E"の上にアクセント記号がつく)」
と言うのがあります。
これは将来直面するであろう物事を直視しないで流れに任せようとする
一種の諦めなのですが、こんな風にして大事な問題を「マニャナ、マニャ
ナ(スペイン語の明日、明日の意味)」と先送りしてきたことが、今日の
国難を招いた一因です。

この先2年間は公務員は11ヶ月働いて12ヶ月分の給料をもらうことに
なるのですが、1ヶ月の休暇をもらったところで、手当てが出ないことには
これまでのように、どこへも出かけようがない。

かつての日本、はたまた現在の中国のように大きな経済発展を遂げるのも
面白いものかも知れませんが、拝金主義になり人間関係も自己チューで
ドライ、異様な社会事件を多く抱えるよりも、今日の国難は現実の問題を
先送りにしてきたツケだというわたしは、まぁ矛盾していると思われるの
を承知で言えば、「E vida! 明日があるからね」的なポルトガルの国民性、
人の世話を焼きすぎがちな性格が嫌いではありません。

わたしが住む、一応ポルトガルの第二都市と呼ばれるポルトはさほど大きい
わけではなく、若者たちにとっては刺激に欠ける街ですが、日本やヨーロッ
パの他都市に比べると、これまでは大きな犯罪もあまり起こらず、皆それぞ
れになんとか生活を営んでいると言う愛すべき街です。

少なくともポルトガルではこんなことはまず起こらないでしょう。

Chinese ignoram crianca de dois anos atropelada.
(多くの通行人、瀕死の2歳女児を路上に見て見ぬふり)

news

こちらはこれに関する日本の報道↓
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111017/chn11101718350006-n1.htm

とここまで書いたのは昨日で、長年の日本語教室の生徒でもあり、友人でも
あるマリアさん、今朝来るなり、わたしに新聞を見せて言うことにゃ、

「元政治家の年金は手付かずで今までどおり支給だってよ!」
!!!!
おーーっと、お待ちよ!それはないぜ、おっかさん。
これを聞いて、二人とも多いに憤慨。

国民が安閑としてきたことも責められないが、もとを正せば元政治家たち
の怠慢、先見の目のなさが今日を招いたことで、責任を逃れられるわけは
ない。国民が無理やり搾り取られるというのに、それでは納得がいかない
と言うものだ。このままで済ませるわけがない。

そんなこんなで授業もほったらかしでマリアさんと口角泡飛ばした今朝でし
た。

今回の2年間の国民の辛抱で今の状況がいくらかでも好転してくれるのか、
これら国民の献金がはたしてどのように使われるのか、しっかり国民は目を
大きく開いて見張っていなければなりません。

それにしても笑っちゃったのはこれ。

ミネラル水にも今まで以上の課税がなされるというのに、ワインのは据え
置きですってよ(爆)下手するとミネラル水よりワインの方が安くなる?
水のかわりにワインを飲めと?
マリア女子と二人、思わず笑ってしまいましたっけ。
こういうのもなんだかなぁ・・・

本日の愚痴のお口直しに。

cao
ね?こんな心優しい国民です(笑)先週土曜日の海岸で。

cao
つまんないんだよね、ボク・・・そりゃそうでござんしょ。ま、ポルトガル
の財政難とちがって、あんたのは一時のことだからw

gato
ボクのご飯はないの?と目をいっぱいに開けての黒猫ペト君。
(ネコ風情が何をお言いだい。喝!)

gato
待てど暮らせどエサはなし。いったいがなんちゅう格好だw 

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2011年10月16日 

大好きな映画の一本にイタリア映画「シネマ・パラダイス」がある。
1940年代、シシリー島の小さな町の映画館「シネマ・パラダイス」が消
滅するまでの物語だが、主人公トトの少年期、青年期、初老期に渡った人生
をせつなく物語っている。



劇場で上演されたのは実際には2時間以上の作品として製作されたのを上演
時間が長いとして、一部がカットされ、約1時間半に縮小したものだが、
「完全版・シネマ・パラダイス」がある。

アカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞した国際上演用の作品は「初老のトト
のその後はいったいどうなったのか?そして彼の恋人だったエレナは?
しかし、まぁ、何もかもが辻褄が合うようにすきっとは終わらないのが人生
であろう」と思われるようなエンディングだが、トトとエレナの30年後の
再会が描かれた完全版は違った思いを抱かせる。

その完全版に関しては賛否両論あるようだが、若い時に見るのとわたしのよう
にアラカンに入ってから見るのとでは、賛否の仕方も違ってくるだろう。
わたし自身の観後感は、「人生はカラクリに満ちているが辻褄があうように出
来ているような気がする」と思っているし、現実に半世紀を経て再会した人が
いるので「こういうことは人生にあるのだ」と完全版には肯ける。

劇場版のトトのエンディングと比べて完全版のそれは、トトの不完全燃焼の
青春がやっと思い出の箱に収められ、彼のこれからの老後が救われたのでは
ないかとわたしには思われる。
「シネマ・パラダイス」の参照はこちら.

「シネマ・パラダイス」はストーリーそのものもさることながらこの作品中
のエンニオ・モリコーネの音楽が心に染みる名曲であることもあげておき
たい。

さて、急になんだい、映画の話なんて?と思われるだろうが、本題はこれか
らなのであります。

前回、突発的にポルトの街散策に出かけた時の拾い物ですが、コレなんです。
B&B hotels

つい先ごろ、ポルトのバターリャ広場(P.Batalha)、イルデフォンソ教会
(ナゾニの作品)のすぐ横にオープンしたB&Bホテルズ。
B&Bとは英国に多数あるBed & Breakfast、つまり朝食つきの宿泊施設を
意味しますが、B&BHotelsはヨーロッパに約300店を構える
チェーンホテルです。一泊が49ユーロからあり比較的安い宿泊施設。

この新しいホテルですが、かつてはシネマ、つまり映画館だったのです。
下の画像は長い間見捨てられてきたその映画館「Cinema Aguia dOuro」
(=シネマ・アギア・ドウロ)。なんだか映画「シネマ・パラダイス」に
ワンシーンを彷彿させるような写真です。
B&B hotels

cinema aguia douro
(この2枚の画像はwikiより)

Aguia dOuroは直訳すると金の鷲(Golden Eagle)、日本語ではイヌワシだ
そうです。Golden Eagleはローマ帝国またかつてのアラブ世界では権力の象
徴とされ、多くの国のシンボルに取り入れられています。

映画「シネマ・パラダイス」では壊滅されてしまった映画館ですが、こちら
のは1908年創立、1989年以来閉鎖され、一時期この映画館をなんと
か残したいと市民運動が起きたこともあります。
そして本年、Aguia dOuroは、完全崩壊を免れ、ホテルとしてではあります
が生き残りました。
B&B hotels

レセプションへ向かいカードをお願いする。

B&B hotels
「マーロン・ブランド、ローレン・バコールもここにいたことがあります。
今度はあなたの番です」のうたい文句。
一瞬。えっ?ブランドもバコールも過去にこの劇場に来たことがある?と思
ったのですが、階上のロビーに上がってすぐ納得。

B&B hotels

ハンフリー・ボガード、グレース・ケリー、フレッド・アステア、オーソン
・ウエルズ、ロック・ハドソンら懐かしいハリウッドスターたちがズラリ!
B&B hotels

そうです、彼らはかつてこのシネマ館のスクリーン中で来場したというわけです。
 
B&B hotels

つくづく、彼らは大スター、輝ける星だったなぁとわたしは思うのです。
確かに現在も世界に名を馳せる俳優はいますが、わたしにとって輝くスター
はポール・ニューマンを最後にシネマ・パラダイス、シネマ・アギア・ドウ
ロ同様、消えてしまったような気がします。

最後にエンニオ・モリコーネ指揮で「シネマ・パラダイス」中の2曲をどうぞ。


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2011年10月14日

所用で急に日本へ飛び20日ほど滞在することになった先月だったが、帰っ
て来てこのところ、ペンディングになっていた仕事をこなすのに忙しいのと、
この歳になるとなかなか抜けない時差ぼけに手こずり、ポルトの街をゆっく
り歩く暇もなかった。

通常自宅が日本語教室なので、出張日本語の日と土曜日の日本語教室以外は
ほとんど家にいることになる。週に2、3度の主張日本語も、自宅での次の
授業が控えているので、取って返すことになる。これがずっと続くとわたし
はなんだか世間から置き去りにされたような孤独感に陥り、どうもいけない。

もちろん日本語の生徒たちとは世間話もしたりするが、それとは別に、街に
出、外気に触れて人の生活の営みに接することは大切だ。行き交う人々に
声をかけたりかけられたりするわけではないが、雑踏に交じることにより、
自分の息づきを再認識する。そんなこと、みなさん、ないですか?

そこで、一昨日水曜日のこと、その日の朝の授業を2つ終え、モイケル娘
と少しスカイプでチャットした午後も3時過ぎ、その日は夕方の授業にキャ
ンセルが入っていたこともあり、なに、少し帰宅が遅くなっても大丈夫だと、
そんな時間に街に出るのは珍しいのだが、思い立って出かけてきた。

近頃は買い物といえば、そこでしか手に入らないサンタカタリナ通りの行き
つけの化粧品ブティックを除いては、ほとんど郊外のショッピングセンター
で済ましてしまう。

午後のサンタカタリナ通りはわたしが知っている午前中と違い、人出で賑わ
っていた。今年のポルトは10月も半ばだというのに、日中の気温が30度
を越す数字を示している。しかし、太陽の照りは夏のものとは明らかに違い、
かく汗も気持ちがいい。
porto

ダークトーンの街の中で、ハッと人目を惹き立ち止ませるような鮮やかな色
彩のドアに時折出会う。

porto

porto

↓ドウロ川べり、リベイラの景色に次いでわたしが好きなダウンタウン1月
31日通り(Rua 31 de Janeiro)。坂道の多いポルトでも一際勾配がきつく
俗にいう心臓破りの坂で路面電車の通路でもある。上りきったときはほぉ~
っと一息つく近頃のわたしではある。spacesisよ、歳でんがな・・・^^;

porto
向こうに見えるはご存知、トスカーナ出身の建築家、ニコラウ・ナゾニ作、クレ
リゴス教会と塔。
 
porto

帰宅後、夕食の用意をしながら台所のベランダから眺めた夕空は疲れた体を
癒すような美しさだった。相変わらず夕空には目がなく、同じような画像を
何度も撮り続けている凝り性のわたしではある。

海に沈むサグレスの夕日も壮大で素晴らしかったが、ここから見える夕日の
光景にはその下のシルエットの屋根屋根に人間の生活が垣間見られる気が
する。今日という日を何事もなく終えたことの平穏を感じさせられるのだ。
こういうことを感じるのは自分が人生の黄昏時にさしかかっているからかな?
黄昏に入ったとはまだ言うとらん、このしぶとさ(笑)

さて、実はこの日の突発的な散策で思わぬ拾い物をしたのでありました^^
明日のブログにて紹介をば^^

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2011年10月11日

訪問予定に入れていなかったのだが、サグレスの近くだというので昼食に出
かけたところが、ラゴスの町。Lago(s)はlacobrigaというラテン語を語源と
し、ポルトガル語で「湖・池」を意味する。

lagos
ラゴスの旧市街は、今に残るポルトガルの歴史上のどの町もそうであるよう
に城壁に囲まれている。旧市街の入り口のキオスク。


現在はアルガルヴェ地方で最もポピュラーなリゾート地のひとつで特に夏場
は多くのツーリストで賑わうが、紀元前から港として開かれ、ローマ帝国、
イスラム国の統治の歴史を持つ。
lagos

また、15世紀に入るとエンリケ航海王子が居をかまえ、ラゴスからは、
船乗りたちに恐れられていた世界の果て、アフリカを目指した多くの
探検船が出帆した。大航海時代の幕開けはラゴスから始まったのである。

lagos
↑旧市街の鮮やかな色彩のレストラン店先。ここで昼食したのだが、サービ
スがいまいち。よせと言うのに、夫、カードに「サービス、悪し!」とコメ
ントを残して来たなり。

lagos
                                        
lagos
海岸どおりの広場にあう「ヘンリケ航海王子」記念像。
下に見られる年号「1460-1960」は王子没500年を祝っての記念
年号。           

lagos
               -この画像のみwikiより-

↑1444年に開かれた奴隷市場の跡。アフリカ大陸から連れてこられた多く
の奴隷はここからヨーロッパ大陸に。ラゴスは大航海時代の誕生の地である
と同時に、アフリカ奴隷の入り口でもあり、現在の観点からするとポルトガル
大航海時代の栄華の陰の部分と言える。


メンヒルはどこだ?     
                     
時間とお金があれば、多いに遺跡めぐりをしたいと言うのがわたしの願いだ
が、両方ともないのが現実^^;
なかでもわたしが興味を惹かれるのは先史時代や文明の夜明け以前の遺跡だ。
考古学者ゼカリア・シッチン氏の説くメソポタミア文明遺跡や南米の古代遺
跡には多いに惹かれるが、いかんせん、経済的にだけではなく、危険地域で
もあることが多いので、ひたすら本を読んで憧れるに終わっている。
     
しかし、過去に一度だけ、どうしても見たいと夫を説得し、ロンドンでレン
タカーを利用し、家族旅行でイギリスの憧れは「ストーンヘンジ」を観に行
ったことがある。

下記が証拠写真(笑)
lagos
風で髪が一部逆立ってる。

既に息子と三人ロンドン旅行をしていたので、この夏にはモイケル娘を伴った。 
1999年の日付になっている。
本当は一夜、ここで過ごしてみたかったのでが余裕なく。
    

こういう事情ゆえ、近年は許される範囲内で休暇を利用しては、それ!と
ウキウキしながら出かけるのが関の山である。

今回のサグレス訪問で何度か道を往復しているうちに目に付いた小さな標識が
「Monumento megalitico」。サグレスを去る日に、標識に従って行ってみよう
となった。

車道を横の入って細い山道をドンドン進んでいく。すると、車が2台ほど止め
られるスペースのところに、一台の車が停まっている。
おお、ここか!と我らも駐車、車から降りると、前方はだだっぴろい荒野が
広がっている。そこを入るのか?

お隣さんも「??」と思ってか、話しかけてくる。いや、どうもここではな
さそうで、というので、乗車し更に山道をドンドン進んでいく。
が、行けども行けども見当たらず、ついに出たのは海岸ではないか・・・
別のカップルは結局引き返すことにしたようだ。

「仕方ないね。これじゃ、どこにあるかわからんよ。目印がないんだもの」
と夫。わたしたちも引き返すことにしたが、
「あぁた、そっち側見て、わたしはこっちをよくよく見てみるから」と夫に
ゆっくり走ってもらうことにした。

すると、反対方向からも、わたしたちのように物好きなのが数台車を走らせ
て来るわ来るわ。すれ違いざまに車窓を開けて「あったか?石?」(笑)
みんな探しているのだ。

一度は車を止めてもらい、人跡未踏のような荒野に
「へ、蛇でもでないかな・・・いやだな・・・」と恐れながらも見たいと
いう欲望の方が勝って、夫や止めよと言うのを振り切り、こわごわ足を踏み
入れてみたものの、ジグなし(津軽弁:アカンタレの意w)結局まもなく
引き返したのだった。

が、絶対見つけ出してやるぞとわたし、しばらく走るとテレパシーがピピ!
とあるところで、ちょい待ち!と夫にストップをかけた。

うふうふうふふふふふ。あったあった!
見よ、道の横、小高い、少し奥まった所に見えるではないか!
sagres

こと、こういうことに関しては実に辛抱強い我が性格、やったぜ! 
        
sagres
AC4000から3000年のメンヒル。ポルトガル語では上述したように
egalitico(メガリティコ、もしくはMenir(メニール)と呼ばれる。

メンヒルとはブルトン語で「長い石」だそうだ。ヨーロッパに多く見られポル
トガルでも結構な数があるそうだ。

因みに昨年、古城ぺネドーノ(Penedono)を訪れた際にも山上の古代遺跡ドル
メンをわたしは観て来ている。

興味のある方はどうぞ。

古代の遺跡ドルメン

ついでに、山中の古ぺネドーノ古城もどぞ。→「ぺネドーノ、中世の古城
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2011年10月7日

sao vicente

サグレス岬と並んで見えるサン・ヴィセンテ岬。
古代ギリシャ人からは「オピウサ(=海蛇)の地」と呼ばれた。またローマ
人は日没時の太陽がどこよりも大きく見える不思議な地であると思い、ここ
では太陽が音を立てて海に沈んで行くと信じ、「聖なる岬」と呼んでいた。
現在の呼称「サン・ヴィセンテ(聖ヴィセンテ)岬」の謂れは後記してある。

崖の高さは75m。ヨーロッパ大陸の南西端になる。灯台の1000ワット
の二つのらイトは60km離れたところからでも見えると言われ、ヨーロッ
パで2番目の強力な明るさを持つ灯台だ。

sao vicente
入り口。白壁に赤色の灯台、真っ青な空と海のコントラストは素晴らしい。

sao vicente

横から灯台へ回るのだが、現在灯台周囲には近づくことができないよう、
柵で仕切られている。
              
aso vicente
灯台前のカフェでひと休み。日差しはきつく、帽子もグラサンも長袖も
わたしは離せない。
     
sao vicente
岬の断崖近くはこのように、でこぼこの荒い土地だ。歩くのに一苦労。 

sao vicente
サン・ヴィセント岬先端へ向かう途中。イスラム時代の建物を教会にしたてた
のであろ廃墟。中には入れない。

さて、この岬だが、サグレスの小さな港か船で岬めぐりのコースがある。
夫はこれに乗りたかったのだが、行って見ると意外や小さな船。

かなづちのわたしは大自然として海や大河を眺める分にはいいのだが船に
乗って沖へ漕ぎ出すとなるとかなり用心深くなる。

「夫よ、万が一これがひっくり返った時、衣服のまま、わたしを救い出し
て泳ぐこと可能であるか?」

と聞いて見る。

夫のまたかの表情にわたしは重ねて言う。

「だって、こんなことではまだ死にたくない。子供たちだって5匹ネコだっ
て責任が残ってるだぼん」

かつてアソーレス島へ鯨やイルカを見に行こうという夫のプランも、わたし
はこの言葉でオジャンにしたのであった^^;もちろん、今回もそれゆえ海上
からのサグレス、サン・ヴィセンテ画像はなしである。

サン・ヴィセンテ沖の海上では17世紀から18世紀にかけて歴史上の大き
な海戦があった。フランス対イギリス・オランダ戦、イギリス対スペインの
「サン・ヴィセンテの月光の海戦」(なんともロマンティックな^^;)等
があげられる。

最後に、既に一度書いたことではありますが、サン・ヴィセント岬の名の
由来、この章に直接関係するので再度アップします。

                 


なぜ「サン・ヴィセンテ岬」と呼ばれるのか?
  「サン・ヴィセンテ」とは誰なのか?


下の画像はBrasao(=ブラザォン)と呼ばれる紋章でポルトガルの首都リス
ボンの 紋章です。
       
brasao_lisboa

小さな帆掛け舟に二羽のカラスです。 
こういうのを見ると、何ゆえカラスが二羽?とわたしならずとも思うことで
しょう。この紋章のシンボルの由来を学習したのでした。

このシンボルはスペインの「聖ヴィンセンテ」(ポルトガル語ではサン・
ヴィセンテ」を讃えて作られたと言われます。

時代は遡り、4世紀。スペイン、サラゴーサのヴィンセンテ修道者は当時イ
ベリア半島を占領していたローマ帝国のキリスト教徒迫害において、スペイン
バレンサで殉死。その後、遺体はサグレス(ポルトガル)に運ばれるも途中で
船は沈没。

アラブ人がイベリア半島南部に侵入していた8世紀に、サグレスの近くで遺
体が発見され、ヴィジゴードスたちにより、サグレスの近く、現在の「サン・
ヴィセント岬」の洞穴に秘密裏に隠されていた。
(註:Visigodos=西ゴート人。ゲルマン民族の一族。5世紀から7世紀にか
けてフランス、イベリア半島北部で王国を作っていた。←ポルトガル人には
この血も流れているのでは?)

レコンキスタの戦もいよいよ南下していた12世紀、後のポルトガル国初代
王ドン・アフォンソ・エンリケス(エンリケ航海王子とは別人)は、アラブ
人とのリスボンでの戦で勝利を授けてくれたら、遺体を捜し出し教会に祀る
と、聖ヴィセントに誓いを立てます。

勝利を納めたドン・アフォンソ・エンリケスは約束どおリスボンに教会を建
て、ヴィジドードスたちが隠していた聖ヴィセントの遺体を帆掛け舟でリス
ボンへ運ぶに及び、その舟に守るように付いてきたのが2羽のカラス。
聖ヴィセントは生前からカラスにえさをあげたりしており、カラスは遺体を
守ってきたと言われます。

以来、カラスはポルトガルでキリスト教徒へのよきメッセンジャー、また航
海の守護のシンボルとされました。

聖ヴィセンテは現在でもリスボンの守護聖人であり、市の紋章にはそのシン
ボル、帆掛け舟と船首船尾にとまる二羽のカラスが描かれています。

ざっとこれがわたしが今回学習したことなのですが、記事内の赤字の言葉
かなり手間取り、Dias先生に教わることになったのでした。先生は若かりし
頃、神学を学んだ方です。
特に「修道者」については、いまいち意味がつかめず、先生の説明でやっと
理解できました。

カトリック僧の地位順位は下から修道士(助祭。神父の手伝い。結婚可)→
神父→僧会会員→大主教→司教→枢機卿(ローマ法王の最高顧問)→法王
となり、聖ヴィセンテはこの中の修道士だったとのこと。


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2011年10月4日
 
始めに、今日は面白いものをご紹介したい。

しばらく前に我がモイケル娘の作曲家デビューをネタに笑っていたのですが
(2011年8月5日のエントリーを参照)それをBGMにしたCMがyoutube
にお目見え。

著作権があることですので、こちらまでお出かけくだすったら彼女のが密か
に題づけた「Iratto=イラット」(爆)、下記にてお聴きいただけますので
興味のある方はどぞ。

あくまでBGMですので、聴きにくい部分がありますが、終わりの4:02分
あたりから、結構音が聴けると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=BWpYgMfNAxo

曲名の由来は、以下、8月5日のエントリー抜粋。

そのモイケル娘、趣味で彼女がpc作曲をしていることを知っている会社の
部署から
「スーパーでよく流されるような雰囲気の曲を作ってくれ」
と頼まれ、試しにこんな曲を作ってみた。昨日採用OKが出たので聞いて
みてくれと言う。タイトルは「iratto」。

わたし  「イ、イラット?」
モイケル 「うん。だってスーパーの曲って同じ繰り返しで、聞いてると
       段々イライラしてくるじゃん」

おいおい^^;
もちろん、会社にはそんなタイトルは伝えていない(笑)
自分のファイル用タイトルだという。
「聞いてごらん。聞いてるとイライラしてくるぞぉ~」
 

まったくもって面白い子だ。

さて、9月半ばから20日間ほど、所用で日本に滞在しておりました。
年に2度の帰国なんて初めてのこと、そんなわけで、ブログも随分
間が開いてしまいました。

joao_birth
ミュンヘン空港上空から。

その滞在期間中に我が東京息子が誕生日を迎えました。
普段は兄妹二人だけの小さな食卓に、ささやかながらお祝いをしました。

デパートで仕入れてきたお弁当。
joao_birth

モイケル娘とテーブルセッティング中にはたと思い出したのが、すっかり忘れ
ていた誕生キャンドル^^;
ふと部屋の周囲を見渡すと、おお!今年春に地震用にとIKEAで買ってポル
トから送った太めキャンドルが目に付いた。よし!これで行こう!↓(笑)
joao_birth

別の日に音楽仲間や職場仲間との誕生パーティーもしてもらったようで、
息子よ、まぁ、いいから、ちょっとスローダウンしてやっておくれ。

そして、こちらはモイケル娘の3匹内ネコのほかに、毎朝晩、縁側にやって
来てはえさを食べていく、名づけて「歌舞伎ねこ」。目から鼻にかけてがなん
となくそんな雰囲気。
joao_birth

こんな風にゆったり休憩していくことも度々。がんばって生きておくれ。
gato
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2011年10月2日

サグレス岬、サン・ヴィセント岬を訪れた今回は宿泊施設として岬のほぼ先
端にあるネイチュアポザーダ「Pousada de Sagres Infante Hotel」に二泊し
ました。ポザーダについては、後記します。

pousada
ポザーダからはサグレス岬が眺められる。 


pousada
プールサイドに望んで。アルガルヴェ地方独特のアラベスク風煙突と。                     
pousada
(↑wikiより)


pousada
オレンジ色に統一されたルーム。
pousada
電気スタンドのガラスの脚には本物のオレンジが入っている。
                   
pousada
部屋のベランダ。夏場でも風があるので涼しい。
   

pousada-do-infante.jpg
アズレージュが使われたレストラン。               

pousada7.jpg
カフェバールーム
           
                        
ポザーダの重いガラスドアにふと目をやると、おお、これはこれは!
鏡写しになってしまったが、イギリスのガーター騎士団のシンボルです。
ポザーダ名「インファンテ(Infante=親王)」とはエンリケ航海王子のこと
です。
                                
ガーター騎士団については既にトマールの「テンプル・キリスト騎士団修道
院のマヌエル式大窓の謎→」の章で書いていますが、ドン・マヌエル王以前
に、キリスト騎士団初代団長ことエンリケ航海王子がガーター騎士団のメン
バーになっていたのですね。

pousada2.jpg

それもそのはず、エンリケ王子の母王妃、フィリパ・デ・ランカスターは 
イギリス、ランカスター王家の姫。エンリケ王子の父王ドン・ジュアン一世
と結婚し、ドン・ジュアン一世はポルトガル王家初のガーター騎士団メンバ
ーになっています。

さて、ここでイギリス王家から嫁いできたフィリパ王妃について少し。
  
1387年2月2日にポルトガル、アヴィス王朝ドン・ジュアン一世とフィ
リパ王妃との結婚はポルトの大寺院、Se Catedral do Portoでなされ、その
模様はポルトのサン・ベント駅構内の有名なアズレージュ壁画の一部として
描かれています。
casamento_1.jpg

スペイン、フランスの同盟に対抗しての政略結婚ではあったが、ジュアン一
世とフィリパ王妃は夫婦仲は円満で、2女7男の9人の子を設けたが、成長
したのは7人。信心深く教養があり、英国人の騎士道精神にも通じていた
王妃は、子供たちにもよい教育を施した。
    
しかし、当時流行していたペストに冒され、セウタ攻略に向かう3人の王子
たちを死の床に呼び、
「わたしはもう長くない。そこで、お前たち一人一人に剣を授けよう。名誉
を忘れずこの国を富ませよ」と言い残したと言われる。
filipadelancastre.jpg

   
1415年7月19日56歳にて没。同年7月25日にセウタ攻略はなされた。
ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアはその詩の中で「聖杯のプリンセス、
ポルトガル国母」と歌っている。

ポザーダの説明については次回にて。
                   
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