2011年11月28日 

公務員のボーナスカットやら給与カットやらとさても経済危機でうっとうし
い近頃のポルトガルですが、ご存知ポルトガル人の心、サウダーデ(郷愁)
を歌うファドがユネスコの世界無形文化遺産に登録されることになり、土曜
日からメディアはその話題でもちきり。暗いポルトガル国内が久しぶりに明
るいニュースで賑わっています。

一言でファドと言うも、セレナードからノスタルジアを歌う哀調を奏でる歌、
陽気な歌、世相を皮肉ったものとそのスタイルは色々あります。
で、今日は古いファドですがわたしが好きなアマリア・ロドリゲスのリスボ
ンを歌ったファドをここに紹介します。



ポルトガルでは「A Dama do Fado(ファドの女王)」と呼ばれたアマリアの
歌いっぷりはさすがです。

ポルトではファドが聴ける場所は少ないのですが、下はドウロ川べり、リベ
イラにある有名なレストラン「Mal Cozinhado」店内。アマリア、カルロス・
デ・カルモ(Carlos de Carmo)、ドゥルス・ポンテス(Dulce Pontes)など
の名の知れたファド歌手も歌ったことがあり、壁にはアマリアの絵がかけて
あります。

malcozinhado

リスボンファド・コインブラファドについては既に記してありますので興味
のある方は記事最後の案内からどうぞ。

さて、我がボランティアの影絵上映も残すところ後2週間を切りました。
先週末は切り絵の仕上げに没頭、夕べは午前1時、ようやく全ての切り絵作
成を終え、スクリーンも手直し。ちなみにこのスクリーンは数年前に自前で|
注文して作ってもらった115cmX85cmサイズ。

kagee

と思って今画像アップのため、整理をしていたら、あ!まだひとつ、古代ド
ラゴンを忘れてるやん!@@これでほぼできあがりというところです。

この影絵ですが、日本語朗読はわたしがかつて録音したテープ(ふる!
があるのですが、ポルトガル語版朗読に頭を悩ましていたのでした。
翻訳は既にしており、「図書館の係りの人が、当日上映と同時進行で朗読
する」という段どりになっていたのですが、実はわたし、ポルトガル語朗
読をなんとか録音に残したいと切に思っていたのです。

何となれば、図書館の人に依頼すると次にボランティアでどこかで上映する
祭に再びこの問題が起こるわけであります。それに、リハーサルのために
朗読者にその都度我が家までご足労かけるわけにはいきません。

また、テープ録音という古い手段はもう機器そのものなく、さてはて、この
ポルトガル語朗読をどうしたものかと悩んでおりました。
が、ある時、ふと思い出したのに、
「そうだ!モイちゃん、自分が弾いたピアノをyoutubeにあげてるやん!
それに自分が歌ったのを録音してファイルで送ってくれてるやん!パソコン
録音ソフトが、身近にあったのです。うっほっほっほ。

それを迂闊にも思い出さなかった。

幼稚園から9年生までブリティッシュ・スクールに通学した彼女、ポルトガ
ル語はいまいち苦手だと言うものの、日本人が朗読するより遥かに自然な
はず。それに彼女、先ごろの会社のスーパー用CM作曲もした上、CMナレ
ーターもしていた(笑)

案の定「ポルトガル語朗読はいまいちだぞ」というモイケル娘に拝み倒して
OKをとり、できあがった第一弾、朗読がはやい・・・
影絵を出すのにこれでは忙しくて、余裕たるものがない。
子供相手の話である、朗読が速くてはダメなのであります。
「ゆっくり発音して、言葉を噛み砕くように、お願いよ」とやり直し。

そうしてファイルが送られてきたのですが、二回目は時間的にもBGMとバ
チリ会い申し分なし。素人上映としては完璧の域!と自画自賛です(笑)

kagee
①こうして始めた影絵用切り絵でしたが、

kagee
②ちょっと内緒で画像を拝借^^;この下にタイトルが来ます。

gkagee
③マグマとガスの地球に宇宙から多くの隕石が落ちてくる。
この場面、影絵でどうのように表すか、苦労の末の作品です。分かります?

kagee

kagee
④そうして海に生物が生まれるのですが、イソギンチャクを作るのに多少苦労
  しました。

kagee
⑤キョウリュウが滅び、やがて人類出現の最後のシーンになるのですが、
原始人、姿のドラえもんを登場させてみましたが、著作権があるのでいかん
かなぁと^^;ポルトガルでもドラえもんは放映され人気があるのです。
 
こういうことをしておりましたゆえ、ブログがついついおろそかになってし
まいましたが、何度かご足労された方、おられましたら、ご勘弁ください。

さて、上述のファドについての記事、下記にて記してありますので、興味の
ある方、どうぞ。

リスボンファド

コインブラファド
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2011年11月20日 

日本に住む子供たち、特に我がモイケル娘とは、しょっちゅうスカイプで
文字チャットしている。

「ただいま」「おかえり~」で始まるチャットは子供たちの日々の安否を
確認するためであるが、それだけではない。
補習校を退いて以来、めっきり日本人と顔を会わせることがなくなった
わたしにとり日本語そのものを話すこと機会を失ってしまったので子供
たちと日本語での会話のやりとりは、「母国語が話せないストレス」か
らわたしを解放してくれるのである。

つい先だっての、夫の気の会う仕事仲間との会食でも、
「近頃は日本語を話す相手はもっぱら日本語教室のポルトガルの生徒よ」
と冗談のような本当の話をしては
「おお!いよいよYukoもポルトガル人の域に入ってきたのだね」
と褒められた(?)のだが、三つ子の魂百までと言う、いくら日本で暮ら
した年数とポ国での年数が同じになったとは言え、母国語で思いのたけを
語るように、ポルトガル語で語れるわけはございません。日本人気質も
変わるわけはない。

そんなわけで、子供たちにしてみたら親とのスカイプチャットもこうるさ
いことかも知れませんが母親にとっては一石二鳥の役割をしてくれている。

さて、日曜日のチャットのこと。

モイケル:あ、そういえば歌舞伎の写真、ブログに乗っけたどーw
(註:「歌舞伎」とはモイケル娘の近辺のノラ猫。後半に写真あり)
spacesis: おお、みてみよう。わたしも歌舞伎の記事をと思ってるのだ
モイケル: あはは
spacesis:ところで、JRはどう?(JR:我が息子でモイケルの兄)
モイケル:今日なんかダンボールの中、仰向けになって寝てた
spacesis: だ、ダンボールの中?
モイケル:昨日仕事が終わってからパーティがあって帰って来てない
spacesis: ダンボールって、どしたん、それ!変じゃないの・・・
モイケル:今日は外があったかかったんだよw
モイケル:で、気持ちよさそう~に寝てた
spacesis: おいおい、ホームレスじゃないか、それ。歌舞伎と同じw
      なんちゅうことを^^;
モイケル: ・・・・・・ちょっとまてぃ!
モイケル:歌舞伎の話じゃいw
モイケル& spacesis: ・・・・(沈黙)ぎゃはははは!
spacesis: JRがダンボールの中で寝てたんかと(爆笑)
モイケル:さすがに兄貴もそこまではやらんわw
spacesis: がはははは。おかしぃ~。おナカがよじれる~
                 (↑笑いすぎて)
spacesis:ああ、平和な日曜日の朝だ

チャットのちょっとした行き違い、ボタンを掛け違えたようなやりとりで、
我ら慌て者親子の他愛ない会話ではありますが、こういう何ということも
ないように見える笑いの一瞬が心にポッと灯をともしてくれます。
そんな一瞬が生活には必要です。昔から言います、「笑う角には福きたる」
そういうことがしみじみ感じられるこの頃です。

さて、その「歌舞伎君」ですが、再登場願いました。
joao_birth

真っ白ネコなのになぜか顔の模様が歌舞伎キャラ。歌舞伎ファンの我が友
A氏は「忠信」と名づけよ!と仰せられる(笑)

そして、先ほど、息子が寝ていると勘違いしたダンボールでの歌舞伎ネコ
の寝姿がこれ↓

gato
「ねこ共も気持ちよさそうにお昼ね。平和だねぇ。
我が物顔でベランダを占領する歌舞伎。油断しきってるなおぬし。」とは、
モイケル娘のブログ記事。

何ゆえダンボール箱でうたたねをしているかと言うと、歌舞伎君、モイケルの
ベランダにやってきてはエサを待つ常連ノラちゃんなのです。これからは寒か
ろうとベランダに応急ハウスとして設置したのがこのダンボール箱(笑)
ちゃんと小さなカーペットも敷いてます^^
写真のプツプツはエサをもらうの常連だと言うのに、断固、人を未近づけない
歌舞伎君、ベランダのガラス戸越しに撮影したからに他ならず。

ご近所では快く思っていない隣人もいるかも知れないと思いつつ、放って
おけないのは母の血です。右や左のみなさまがた、どうぞご勘弁を。

既に元ノラ養子一匹(元カレのネコだったのを結局養子にしたとのことw)、
保健所から引き取った2匹の計3匹をすでに飼っている娘、
いくらなんでもこれ以上は増やせません。

が、いつのまにやら、こんな世話焼きをしています。しかし、こんな風に
すっかり「油断しきって」寝ている姿、可愛いではないですか、

モイケル娘の保健所ネコ養子のいきさつはこうなのです。

小猫を抱いて

この春先の帰国時に(2007年5月)、東京から下関へ引っ越したモイケル
娘のアパートを訪ねた二日目のことです。

まだ時差ボケが残っていたのと、新幹線と言えども東京から下関までの長
旅で疲れていたのがあって、娘の携帯電話が鳴るまで、二人ともぐっすり
寝入っていました。見ると朝9時をすっかり回っていました。

携帯電話で話していたモイケル、「はい、じゃ、すぐ行きます。」と切るでは
ないか。
「どこから?」とわたし。
「保健所から。小猫ちゃんが入ったんだって。10時まで行かないとすぐ処分
されるって」

そう言うなり顔も洗わずジーンズに足を突っ込み、セーターをひっかけ、小猫
を入れる布袋を引っさげて自転車で保健所を目指し慌てて出て行きました。
なんだか胸騒ぎがするおっかさん・・・

彼女のブログでは、捨て猫ちゃんがいないかと探して神社まで行ったら、猫
はおらず、代わりに神社にはたくさんの雄鶏が捨てられてた、と書いてあった
の思い出し、前日の久しぶりの親子の話題でも、ネットで里親を探している
人にも連絡をとったことがある、保健所にも出向いたけど、その時にはネコは
いなかったと話していたモイケル娘です。 あぁぁ、とうとうネコちゃんを・・・と
気をもみながら帰ってくるのを待っていました。

そして、ただいまとドアが開き、見ると、なんとまぁ~~、彼女の抱いてる布
袋の中身、ひゃ~~~!か、かわゆい小猫が二匹も!

おい!ど、どないするのよ、二匹も^^;
聞くと、
「おっかさん、二匹も持ってくるとは自分でも思ってみなかった。けど、保健所
に着いてみると三匹いたんだ・・・・それで、一匹だけ選ぶのはとてもできなく
て、結局自分ができる範囲内の二匹を連れてきた。わたしの後に男性が一
人いたから、もしかしてその人が残りの一匹をもらってくれるかもしれないと
期待して・・・」

モイケルよ、よくぞやった!とこれがポルトなら誉めてつかわす。
けど、大丈夫? えさ代もかかるし、予防接種とか、トイレの砂とか色々物要
りになるのだよ?少ない仕送りからそれを捻出しなければならないのだぞ・・・

あ!そういえば、アパートに入った時にすぐ目についた、床から6、70cmの
部屋中の壁、水色のナイロンシートで覆われていたのでしたっけ・・・
あれはネコの爪とぎ防御の準備か~~~!

呆れながらも今更返して来いとも言えず・・・
見ると、おいおいモイちゃん、こりゃツガイではないか^^;知らんぞぉ~~!

しかし、小猫を抱いてしまったが最後、おっかさんももうダメです^^;
可愛いったらないのです。

保健所では一ヶ月未満の小猫は、まだ母ネコの乳で育てるのだ持って行っ
てはいけないのだそうですが、その二匹はどう見ても一ヶ月はたっていない、
目がろくに開いていないからです。

下関に着いて二日目は、モイケル娘のアパート整理云々より、まず小猫の
粉ミルクと毛布を探して走ること始まったのでした。

gatogato
             連れてきたばかりの二匹。

さて、元来が動物好きなわたし、モイケル娘と同じことに遭遇したら二匹
どころか、おそらく後先も考えずに三匹とも連れてきたことでしょう。
そうやって、結果的には、一時の感情で行動を起こし自分を後で窮地に追
い込むようなことになるのですが、ことネコに関してはいくつになっても
冷静に見る大人になりきれないところがあります。

そのDNAをしっかり受け継いでいると思われるモイケル娘とおっかさん、
子猫用の高い粉ミルクを買い、まだ自分で器から飲むことも知らない小猫
たちに、人間の赤ちゃん用の哺乳瓶で3時間置きに授乳する羽目になったの
でありました。

これがなかなか大変な作業でした^^;
小猫たちが哺乳瓶の乳首を受け入れようとしないのです。下関の娘のアパー
トに滞在した10日間は、こんなこともずっとし続けていたのでした。

わたしが下関を去るころには「みかんちゃん」「ためごろー」とようやく
名前も付けられ、
gato
こんなあどけない顔をどうして無視できましょう。
gato

今では元気いっぱいにアパートを走り回り、こんな風になりました。

gato
タメことタメゴロー

gato
手前がみかんちゃん、ひっついているのがこれまた養子のチビ。

今日はひたすらネコの話でございました
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2011年11月19日
 
お報せです。
国際離婚に関するハーグ条約批准加盟について、しばらく前に少し思った
ことを綴ったのですが、コメントの中に、レスしきれないのをいただき、
目下ボランティア活動で多忙な中、そのようなコメントにレスするエネル
ギーがありません。申し訳ありませんが、その記事を撤回させていただき
ました。よって、その記事に寄せていただいた他の方々のコメントも削除
する羽目になってしまいましたが、すみません、ご了承ください。

ハーグ条約とは?と思われる方はgoogleで探るもよし、また下記サイト
国際結婚の行く末では、女性の立場からの体験談などが書かれています
ので、興味のある方はどぞ。

http://ameblo.jp/rikon07/

さて、このところ、ポルトの街を散策する時間もないままで来ましたが、
先日、食事がてら久しぶりにガイア側にあるレストラン「Dom Tonho=ドン・
トーニョ」へ行ってきました。

ribeira5.jpg

夫が頼んだ白身魚。
ribeira4.jpg

わたしが頼んだバカリャオ(タラの種類)
ribeira3.jpg

生ビールを手に店内からガラス越しに眺める対岸のポルト側リベイラは
何度訪れても素晴らしい。
ribeira2.jpg


本日は今からまた影絵制作に励みます。
それではみなさま、また明日!
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2011年11月18日

gadalupe

2011年夏に訪れたサグレス近辺、Vila do Bispoで、たまたま見つけた小
さな教会。もしかしたら「黒い聖母」かも!と夫と期待して足を運んでみま
した。修繕中だからか、ツーリスト向けの案内があまりされておらず、訪れ
ている人はいませんでした。

しかし、質素な田舎風の小さな教会は、人影もなく荒れた地で端正なその美
しさを放っていました。

ゴチック、ロマネスク建築様式を併せ持ち、13世紀の建築と言われています。
かつてはサン・ヴィセンテ(案内はこちら→)への巡礼コース上にあり、アル
ガルベ地方に於ける最古のゴチック建築のひとつと数えられます。
テンプル騎士団建築説、エンリケ航海王子建築説があるがいずれも確証はなし。
グアダルーペ教会は15世紀に改築されたとの情報もある。

さて、ここで、「Nossa Senhora de Guadalupe=ノッサ・セニョーラ・デ・グ
アダルーペ」とは何なのか?

Nossa Senhora は英語では「Our Lady」、フランス語では「Notre-Dame=ノー
トルダム」にあたり、「わたしたちの貴婦人」こと、聖母マリアのことです。
Nossa Senhora de Hora, Nossa Senhora de Vitoria, Nossa Senhora do
Gracaと、多くの名前で崇められていますが、全て同一人物、聖母マリアを指
します。

余談ですが、「ノストラダムスの大予言」なる本で知られる中世のフランス
人医師、占星術師、ミシェル・ノストラダムス(Michel de Nostredame)は
NotreDameのラテン語読みです。

Guadalupeはメキシコの土地の名前で16世紀半ばにGuadalupeに聖母が現れ
たとの言い伝えがあり、この小さな教会の名前は恐らくこの言い伝えがポル
トガルに伝わった以降に広まったと思われます。

さて、教会内部を見学すると、黒いマリア(イエス・キリストの伴侶と言
われるマグダラのマリア)こそありませんでしたが、何を物語ろうとして
いるのか、不明なシンボルがたくさん見られます。


 ヴィラ・ド・ビスポのグアダルーペ小教会
      
アーチ型の入り口。
gadalupe

下は入り口を象る柱。
gadalupe

↓柱のシンボルを拡大してみました。人面と縄模様が見られる。gadalupe

質素な教会内部。

gadalupe
                      
gadalupe
↑丸天井に施された奇異な模様。 

拡大した模様。
gadalupe
              
三つの頭部。ひとつは子供?後のふたつからは舌が出ている?大きな
頭部に続くのは魚にシンボルを象ったものか。  
真ん中には8つの渦巻き。十字が描かれた三葉植物。
          
柱にも人の頭部と十字が描かれた三葉の植物
gadalupe

この柱には牛の頭部。
               
gadalupe
            
十字が描かれた聖水盤こと pia de agua benta
gadalupe

質素な祭壇とガアダルーペ聖母像
gudalupe

gadalupe
↑ステンドグラス上の古代ギリシャに起源を持つトリケリオン(Triskelion)
こと三脚巴はケルトのシンボルによく使われる。生命、再生を意味する。

下方はよく見ると二匹の蛇が絡み合って結び目を作っている。
gadalupe

二匹の絡まった蛇は「intertwined snakes」と呼ばれ、ギリシャ神話の神、
錬金術師でもあるヘルメスが持つ杖(カドゥケウス)にも見られる。善と
悪の知識を表す異端グノーシス主義のシンボルでもある。
    
こうしたシンボルを見ると、この荒地の小さな教会は聖母マリアに捧げられ
て建築されたとは単純に考え難い。元々これらのシンボルを持っていたのか、
それともグノーシス主義参入者だとも言われる、14世紀の異端審問をかろ
うじて逃れたポルトガル在のテンプル騎士団が15世紀の改築に携わった結
果なのか。わたしの興味は尽きないのであります。

予定なくして訪れたグアダルーペ小教会はテンプル騎士団の追っかけをして
いるわたしにとって思わぬ拾い物になったのでした。

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テーマ:ポルトガル
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2011年11月13日


土曜日は生徒さんの都合で久しぶりに日本語教室休講でした。
金曜日夜、このところ疲れが溜まっており、遅い晩御飯も、なに、ダイエッ
トをしてもいいくらいだから、一食ぐらい抜いたからとて死にはすまいと取
らず10時前には就寝。そのまま土曜日の8時まで爆睡したのでありました。

こんなことは近年わたしには珍しく、ちょっと頑張りすぎかな?と自問して
います。夫には、
「まだあれこれ手を出すのか!いい加減スローダウンせぃ!」と言われるこ
としきりですが、そういう夫とて、この6月に、ポルト大学の夜間日本語コ
ースを2年間で終え、もうそれ以上のクラスはないのでと、今秋からなんと、
週に二回、同じく夜間コースであるフランス語を取っているのであります。

頑張っているのにはわけがありまして、今週末は12月にボランティアで
市立図書館で上演することになっている「影絵」作成に精出しているのです。
日本語塾仲間のOチャンに手伝ってもらっているのですが、ほぼ90%完成
です。もそっとだけお見せ(笑)

earthcronicle
ご存知、ブラキオサウルス。

白亜紀のキョウリュウ誕生からその滅亡までの歴史を分かりやすく影絵で
お話するのです。対象は5ー9歳児。

earthcronicle

キョウリュウたちの体の武器の役割もこんな風に^^
earthcronicle

もちろん、下絵は参考本を元にしていますが、これを切り取るのは実はてぇ
へんなのでして^^;

ストーリーは自分が構成した日本語をポルトガル語に訳し(もち、夫に手伝
ってもらったw)BGMはもうバッチリ。昨日今日もこのBGMを聞きながら気分
を盛り上げてほぼ一日中作成に没頭していたのでした。

こんなわけで、多少疲労気味のspacesis、今日のエントリーは前々回、夫の
裾縫いの中で話に出た、我がモイケル娘の傑作集のひとつを過去エッセイか
ら引っ張ってきましたので、これでご勘弁願います。

以下、題して「判子に見る日本社会縮図」。
既に読んだ方はスルーをば^^


子供たちが学校時代に書いた絵やプロジェクト作品は、月日が経ってから
何かの拍子に物置部屋の奥からひょいと顔を出し、引っ張り出して見てい
ると、いつの間にやら、時間の経つのも忘れて見入ってしまうことになる。

息子と娘の作品が我が家にはたくさん保管されてある。
それらは大きいものが数多く、捨てるにも忍びない。かと言ってこのまま
では整理がつかない。
   
そこでわたしはそれらの作品をデジタルカメラに撮って保存することを思い
ついた。そうすると、場所も取らないし原作が変色したり傷んだりしても
心配せずに済む。

色々な絵やプロジェクト作品の中で、わたしが傑作だと思うものの一つに
本人が書いた、ある図がある。

モイケル娘が16歳頃に補習校でスピーチした、「(日本社会に於いて)自己
主張はどこまで許容されるか」に使用して聴衆を笑わせた図だ。
わたしはこの絵を見るたびに「あっはっはっは!」と笑わずにはいられない。
ほんと、これ、ツッコミがうまいと思いません?
そう思うのは親バカのわたしだけでしょうか(笑)
    
国語教科での敬語、謙譲語の学習を通じて、日本の社会で自己主張は果たし
てどの程度まで許されるものなのか、というスピーカーの疑問と、そのリミ
ットについて自分の体験から、日本とポルトガルを比べて書かれたようだ。
長くなりますので、全文を載せるわけにはいきませんが、この図を提示する
部分の文を抜粋して見ました。(娘、事後承諾^^;)
    
以下抜粋。
      
ー日本社会について色々調べていたら、ある日会社内でのおもしろい習慣を
インターネットで発見しました。
書類などで判子を押すとき、「偉くない人」から「偉い人」の順で判子の
大きさが変わるというのです。

全員が社内で判子を押し終わったところ、捺印欄の左側の一番小さい判から
少しずつ印鑑の直径が大きくなってゆき、最後の一番エライ人の判はなんと
欄からはみ出て堂々と自分の偉大さを誇示しているではないですか。
そこに載せられていた図をみたときは思わず笑ってしまいました。ー
     
抜粋終わり。
     
右上がりに判子が大きくなっていく図を、本人は自分の好きなようにアレン
ジして、こういう具合に仕上げてみたようです。

hanko
                      ↑↑↑
課長欄外太い矢印の下、「少しえらいので調子にのっていばってみた」       
出る判子は打たれる」の下には、「この人は降格決定」とある^^;  

この仕上げを見せられた時には、ひとしきり大笑いした後、思わず
「モイちゃん、ほんま、あんたうまいこと書く!」と我が子ながら感心して
しまった。
 
会社社会にどっぷり浸かっていると、当たり前のこととやり過ごしてしまう
この判子社会縮図。う~んとわたしはうなってしまうのである(w)
実に「言いえて妙」だ^^;
大阪の堂島にあったオフィスで勤めていた頃は、会社の角印と所長の印が大
きいのは知っていたが、部課長の印にまで気をつけて見た覚えもなし。
いたってのほほんとしたタイピストであったわたしだ。

こんな何気ないことではあるが、モイケル風に面白おかしく考えられると、
時には世知辛い世の中も「わっはっは。」と笑って少しは気楽になれるかも
知れない。


おお!今宵も午前さまになり申した!
ではでは、本日もブログを読んでいただき、ありがとうさんでございます。
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2011年11月11日 

始めに、前回チベット署名のご協力をお願いいたしましたが、他の組織や
他のサイト経由の署名と合わせて25000人を超える署名が集まり、米国
政府と議会に対しては既にTYC(Tibet Youth Congress)の在米代表が署
名を提出し、既に目標数を達成したとの情報を得ました。

ホワイトハウスサイトで署名していただいた方、また拡散してくださった方、
ありがとうございます。

さて、今日11日をポルトガルでは「サン・マルティーニュの日」と言いま
す。どういういわれがあるのか、そしてどんなことをするのか、過去に書い
ていますので、本日はそれを引っ張り出してこちらにアップします。

以下、2006年11月の記事から。

先だって、とある患者さんから届けられた今年の栗。
ひとつひとつが大きくて見事なものでした。
そうです、今年もまた栗の季節になりました。
毎年11月11日はポルトガルのSao Martinho(サン・マルティーニュ)に
あたる日です。Sao Martinhoとは聖人マーティンのことです。

この日、人々は今年採り立ての焼き栗をほおばりながら、この夏の9月10
月に収穫されたぶどうから造られたできたてのワインやJeropiga(=醗酵前
のぶどう液)、もしくはポルト・ワインを味わうのであります。

サン・マルティーニュ サン・マルティーニュ
             芳醇(ほうじゅん)な酒ポルト・ワイン

各家庭でも栗を焼きますが、ところによっては祭りを催します。
この祭りのことをポルトガル語でMagusto(マグースト)と言います。
もともとはこの時期に採れたおいしい栗を焚き火で焼いたことから始まった
のではないかと思われます。

我が子たちがBritish Schoolに通っていた頃は、学校の行事としてこの前
後の土曜日はMagusto祭が催されました。子供たちはこの日のために準備され
た色々なゲームに興じたりくじ引きをしたりして楽しみ、大人はPTAが用意
した栗とワインに舌鼓をうちます。もちろん行事は夕方からです。

わたしもボランティアとして得意のパイナップルケーキを提供したものです。
これらボランティアが提供したケーキは一切れいくら、と値段がつけられ
売られます。売り上げは学校の教育費の一環として使われることになります。

何しろポルトガル政府からはもちろんのこと、本国のイギリス政府からも
援助金を受けずに独立採算のポリシーを採っている私立学校です。

さて聖人マーティンとはどんなことをしたのか?
これには古い言い伝えがあるのです。

ローマの兵士マルティーニュはイタリアからフランスの、とある自分の故郷
に帰る旅の途中でした。
馬上の人として、悪天候でとても寒く強風も冷たく吹き付ける11月のアル
プス山中を通りかかったその時、突然目の前に、着ている衣服もボロボロの
貧しい男が現れ、物を乞うたのであります。

ローマ兵士であるマルティーニュは当時のローマ兵服として真っ赤なマント
を身にまとっておりました。

施し物を持たない彼は、やおら剣を取り出し自分のマントを真っ二つに引き
裂き、半分をその男にあげたのでした。

サン・マルティーニュ

するとその瞬間、これまでの寒さも強風も止み、日が照りだして来たので
あります。マルティーニュの善行に報いる神のなした技です。


以来、毎年この時期は、秋にも拘わらず11月11日前後の3日ほどは
良天候に恵まれ、まるで夏のような暑さになる、と言われています。

そうして見ると、確かにこの2、3日は外へ出ると暖かく、まさに
「サン・マルチーニュの夏」と言われる所以がわかる気がしますね。
これは英語では「Indian Summer」、日本語では「小春日より」に当たりま
す。世界の国々のそれぞれの習慣は違っても、どこか似たようなつながりが
見えて面白いなぁと、わたしは思っているのですが、こういうことは、探
してみるとたくさんあるような気がします。

子どもたちも成長して日本住まい、学校の行事に出かけることもなくなり、
夫婦二人きり、5匹の猫とになってしまった我が家ですが、今宵は焼き栗
ならず「ゆで栗」で食後のポルト・ワインを楽しみましょう^^

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2011年11月3日

今回はポルトの海岸通り延長線上にある隣町、Matosinhos(マトズィーニュス)の
Leca(cの下にCedilhaマークが付き、レサと読む)の海岸通りPraia do Boa Nova=
Boa Nova海岸を歩いて来ました。

boanova37-1.jpg
撮影したのはまだ午後3時頃です。海上に立ち込めた雲の合間から太陽が
うっすらと顔を出して。
     
このあたりは砂浜なし。こんな岩浜です。
boanova11.jpg

boanova8-1.jpg
ポルトガルでもっとも高い灯台のひとつに数えられています。
        
boanova14-1.jpg
手をつないで散歩する老夫婦。この辺りは海岸通に面してレストランが建ち
並んでいる。わたしたち夫婦同様、昼食をレストランで済ました後の散歩
だろうか。ポルトガルでは手をつなぐ老夫婦はよく見かける光景だ。
           
シザ・ヴィエイラが手がけたCasa de Cha da Boa Nova(=Boa Nova Tea House)    
(Boa=good, Nova=New)   

boanova18-1.jpg 

灯台から15分ほどゆっくり歩くと海に面した岩の上に見える。
ポルトに来た当時の1980年代、同居していた夫の母も叔母も元気でたま
に息抜きにここに食事に来たりしたものだ。     

ポルトガルが世界に誇る建築家アルヴァロ・シザ・ヴィエイラが手がけた
最初の建築作品が1963年に完成された。
シザはMatosinhosの出身である。

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Casa de chaのドアを開けるとすぐ階段の踊り場に設けられた大窓からこの
光景が目に入る。前方に開ける海と岩の自然の光景を一枚の巨大な絵のよう
に捉え、曇ったこの日、それは墨絵のように見えた。

階段を下りて窓から眺めると岩にはポルトガルを代表する19世紀のポルト
出身の詩人、Anotnio Nobreの Boa Nova海岸を詠った詩が書かれてある。

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シザの作品は直線と空間を生かして白を基調にしている。相反する自然と
モダニズムの融合点を見出そうとしているようにうかがわれる。

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Casa de Chaはレストランとティールームに分かれている。写真はレストラ
ン左手からはガラス戸越しに目前に広がる大西洋が一望できる。
     
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岩場から見たCasa de Cha do Boa Nova。

 
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Casa de Chaのすぐ横にあるフランシスコ修道会のチャペル。

仏教同様、キリスト教は多くの宗派に分かれているが、アッシジ(イタリア)
のフランチェスコサン・フランシスコ)が開いたのがそれである。
      
石に刻まれた情報によるとfranciscanosと呼ばれる修道士たちは14世紀
から20世紀にかけてこの地に定住したが、国内の多くの古教会やチャペル
同様、現在は閉鎖されている。

かつて、国民の多くがカトリック信者だったポルトガルは今確実に変わりま
した。わたしが日本から渡ってきた当時はその宗旨ゆえ、結婚は必ず教会で
挙式、法律上離婚は不可能でした。

通常赤ん坊時代に教会で洗礼を受け7歳から10歳くらいまで「Comunhao」
(コムニャン)と言う聖体拝領式を行い正式にカトリック信者になります。
聖体拝領にはパンの代わりにイースト菌を使わない「ホスチア=ラテン語で
生け贄えの供え物」という直径3cmの薄くて丸いウエハースのようなもの
を司祭から口に入れてもらうのです。

comunhao comunhao
                                   ホスチア
これは最後の晩餐でイエス・キリストは12使途に「これは我が肉、我が血」
とパンとワインを分け与えたパンからきます。その日は親族一同、友人を
招待しお祝いです。

こういうお祝いも近年は少なくなりました。
そして、どこの学校でも教室の正面、黒板の上に飾られていた十字架が、
ある日取り払われてしまっていたのに、わたしが気づいたのはもう何年も
前のことです。

若者の間では同棲から始まり挙式せずに婚姻届をして内輪での簡単な祝い
で終わる結婚の形も増えました。
わたし自身はカトリック信者ではありませんし、それについてどうのこう
のと意見を述べるつもりはなく、これらのことを通してここカトリック国
だったポルトガルのここ30年間の確実な変化を改めて認識します。
因みに夫はカトリック信者ではないのだそうです。ですから、わたしたちは
我が子たちには当然洗礼を受けさせていません。

結構多くの日本の人たちが簡単に教会での挙式を選びますが、もしポルト
ガルの教会で挙式するとなると、彼らは教会で聖書について少し学び正式に
洗礼を受ける必要があります。

レサ海岸の散歩道の話が今日はこんな風に終わることになりました。
それではみなさま、今日もブログを読んでいただきありがとうございます。

フランシスコ修道会については、こちらで詳しく書いていますので興味の
ある方はどうぞ。面白いと思われた方はランキングをクリックしていただけ
ると嬉しいです。

 「ポルトのサン・フランシスコ教会と長崎26聖人

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