2012年1月31日 

前回載せた野菜、ポルトガル名「Couve Tasmaninho」は「ロマネスコ、カリ
フラワー・ロマネスコ、ブロッコリ・ロマネスコ」と呼び名があるようです。
みなさん、ご存知のようで、知らなかったのはわたしだけかと恥じ入り

でも言い訳がましいですがわたしがよく行く大手のスーパーでもあまり見か
けなかったと思います。教えてくださった方々、ありがとうございます。

「こちらにこの野菜のことが載っています」とベルリンにお住まいのブロガ
ー洋介さんが情報を下さり、早速そのサイトへ出かけて名前を確認後、ググ
ッてみました。

Googleの情報でわたしが気に入ったのは(笑)「ロマネスコの花蕾は幾何
学的的な配置となっており、個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を
成している。
」更に、「配列した蕾や円錐の数はフィボナッチ数に一致する
ことも知られている。
」(青字はGoogle引用)

 couverosmaninho
この画像はwikiより。蕾がらせん状になっているのが分かる。

おー!これだ!コレゆえ、わたしは潜在意識的にこの野菜に惹かれたのだと
納得しました。普段のわたしは食べ物にどちらかといえば無頓着であまり目
を向けることはない。それが通りがかりでカメラに収めてみた結果、フィボ
ナッチ数に行き着こうとは!

数学の苦手なわたしがこの名を口にしても説得力のない話だが、フィボナッ
チ数を記憶しているのは、ダ・ヴィンチ・コードの主人公、ハーバード大学宗
教象徴学専門のラングドン教授が本の中で説明するくだりがあるからだ。

フィボナッチ数とは、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチの因む。
0、1、1、2、3、5、8、13,21、34、55、89、144と
いうように最初の二つの数字を「0、1」としその後の数字は前の二つの
数字の和になる。

宇宙でもっとも美しい数値だと考えられる黄金比「1.618」はフィ
ボナッチ数列から導き出され、この数値は自然界の事物の基本的な構成、
植物や動物、人間についてさえも深くかかわっている摩訶不思議な数値
だと教授をして言わしめている。

多数の芸術作品の構成や螺旋階段などの建築寸法にもこの黄金比が使われ
ており、このロマネスコの蕾の並び方もフィボナッチ数から来る螺旋を描
いているとのこと。

実は、いよいよ手元に未読の本がなくなり、しばらく前に記事にしたキリ
スト騎士団修道院のマヌエル式大窓にある謎のシンボルもネット検索にひ
っかかって来ず、或いは本のどこかにヒントがあるかもしれないと、ダン・
ブラウンのダヴィンチ・コード上下を再読し終わったとこで、フィボナッ
チ数にかかわる「ロマネスコ・ブロッコリ」に出会ったのも何かの因縁で
あろうかと思ったりしているのであります。

ということで本日はわたしが撮影したフィボナッチ数列から導き出された
トマールのキリスト騎士団修道院内の黄金比をご紹介します。

convento_cristo_escada1
横からみた螺旋階段。

convento_cristo_escada2
上からみた螺旋階段。

で、思うにもしかしたらガラパゴスのイグアナとか蛙などのイボイボなんか
も黄金比かなぁ?なんてことに想像をめぐらしているおアホであります。笑
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2012年1月27日 

「さるく」とは長崎弁で「町をぶらぶら歩く」意味だと、以前ポルト市と姉
妹都市長崎市との記念行事のお手伝いをしたときに教わり、さっそくその時
の様子を「よもやま話」のエッセイを「ポルトさるく」と書いたことがあり
ます。

その「ポルトさるく」を昨日の午後してきました。
ひとつには、とあるホテルの取材撮影の目的があったのですが、それが思っ
たより早く終わったもので、マルケス広場から「さるく」することにした
のです。

そこで今日はわたしが歩いたポルトの街の様子を紹介します。

まず、マルケス広場から。
marques.jpg

地下をメトロが通っているマルケス広場ですが、人だかりができており、
そろ~っと寄ってみると、案の定、ポルトガルの街中の公園でよく見かける
トランプゲームをしていました。テーブル、腰掛のごときを持ち込んで3、4
組くらいのグループに分かれて、もちろん「賭け」ていました。間近での撮影
ははばかられ、それで少し離れたところからの撮影です^^;
う~~ん、この人たち、ほとんど年金者がでしょうが、中には結構若い人も
交じってみな真剣な顔をしていましたが、なんだかなぁ、の感じで一枚
パチリと写したのみで、そそくさとその場から離れました。

santacatarina.jpg
こちらは広場からサンタカナリナ通りに入ったところで、美しい玄関の明かり
取り窓。

santacatarina_azulejo1.jpg
上下とも意味ありげなドラゴンのアズレージュ(絵タイル)です。
santacatarina_azulejo2.jpg

古い住居ですが、バルコニーが美しい。
cidade_casa.jpg

通りかかった八百屋の店先でこんなきれいな野菜を見かけました。
couvetasmaninho2.jpg

拡大してみました。
couvetasmaninho1.jpg

始めて目にする野菜、「Couve Tasmaninho」がポルトガル名です。
カリフラワーの変種でしょうか?どなたか見たことがある人、いますか?
検索してもひっかかりません。
きれいでとても食べられないような気がします。

下はサンベント駅横のいつ来て見ても愛国なお店。これ、全部日の丸の旗
にしてみたら、どんな感じかしらとふと思ったり。
bandeira.jpg

サンタ・カタリナ通りをおり、画材専門ショップで次の影絵作成用の大判画
用紙を買って街を引き上げるころはもう日が落ちかけていました。
clerigos_yugure.jpg

右から、夕日を背にしたポルト市庁舎の塔、トリンダーデ教会の塔、そして
左端がクレリゴス塔。この角度からは初めて撮影しました。

この日の「ポルトさるく」でした。
本日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。

下記、「長崎市民とのポルトさるく」記事です。よかったらどぞ。
ポルトガルよもやま話:長崎市とのポルトさるく
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2012年1月26日 

gato
寒い日は仲の良し悪し関係なく、くっつき団子になって^^

締め出し、夫からじゃないです~(笑)

我が家の5匹猫の他、外には毎晩エサにありつこうと夜9時頃から表ベラン
ダの下で待ち構えている野良が2、3匹います。猫嫌いからすると、餌付け
てもらっては困るとの苦情を胸にしまっているでしょうが、昔と違い周囲は
毎日環境清掃され食べ物が道に落ちていることはまずない。コンクリートの
建物だらけでは残飯もにありつけない今の世の中、野良たちもその日のエサ
に苦労しているに違いない。
人間も動物も相身互い、そういう人たちがいることを承知の上、わたしは
あげています。

さて、昨夜9時過ぎのことです。我が家はフラット2階、表通りに面した
ベランダの灯りをつけると、Yuko´s Salvation Restaurante for cats
オープンの合図です。ベランダから顔を出して下を覗いて見るといつもの
黒猫が二匹、停めてある車の下から姿を現し「やっとか~」とばかりに両
足を前に出し背中を伸ばすしぐさです。

それぞれの一食ずつを二匹分 アルミホイルに包んでフラットの玄関ドアを
開けると、あらま、よくあることで、もう一匹いるではありませんか。
こういうときは、引き返してもう一匹分用意してから全員にあげることにし
ています。でないと、エサと取り合いで喧嘩にならないとも限らない。

「お~っとっと、ちょっとまっててね。すぐ戻るから」と急いで階段をかけ
上がり、台所でもう一匹分用意し、「よし!」と3匹のエサを手に持ち、
我がフラットを出ましたです。

出たところ、バタンとドアが閉まり、ん?あれ?鍵はどこだっけ?
・・・・・・・
がびーーーーん!し、しまった!鍵を中に置いたまんまだった・・・

毎月曜日水曜日はポルト大学のフランス語夜間コースをとっている夫、帰宅
時間はいつも10時過ぎです。ええぇぇぇ!困ったじゃん・・・・
とにかく猫たちにエサをととりあえずいったんフラットの外へ出る。気をつ
けないとフラット表玄関のドアまで閉まってはエライことです、ドアと壁の
間の隙間にその辺に落っこってた紙くずを丸め挟んでおきます。

ネコにエサをあげて、しばし思案。
こちらのドアはいったん閉まってしまった後は鍵がないとテコでも開かない。
こんな寒空の中、しかも夜でっせ~。夫の帰宅時間までゆうに30分はあり
ます。え~っとどうするかな?フラット内の階段で座るのも冷えるというも
の。そうだ!義兄のとこにそそっかしいわたしのこういう時のためと合鍵を
預けてあるのでした。

義兄の住まいはすぐ近く、玄関の呼び鈴を押したところが返答がない。
おらんやん!合鍵の意味をなさん!と、身勝手なことを(笑)

で、どうしたかと言いますとご近所をグルグル足早に歩き続けましたです。
はい、何しろ想定外のことで(おっと、この言葉はミンス言葉であったw)
コートなど当然着ておりません。30分徒競争のごとく義兄の家をコースに
入れてw グルグル回り、一周するごとに石段を駆け上がり、「ブーッ」
と玄関の呼び鈴を鳴らしてみるも、まったく反応なし。

昔住んでいた二階の家でもこういうことがあり、隣接しているお隣の同じ
階のベランダから我が家のベランダへと乗り越え、ご~~ん、普段はあけて
あるはずの我が家のベランダのドア、窓にしっかり鍵がかかっていたため
「夫め!」なんてことはよくあったのでありました。(夫はドロボーに
どうぞお入りください式の戸締りをするわたしと違い、しつこいくらい
きっちりする)
しかし、今の我が家はお隣とのベランダが完全に離れており^^;

そんなこんなで歩き回っていた何回目か?車を車庫にいれようかという
夫の姿が前方にボヤ~っと見えた時の安堵感。
「オ、ドナ・ユーコ!なにしてるの?」

こうこうしかじか、鍵がない、とのわたしの返答に「風邪をひくといけない、
とにかく温かい飲み物を」というものの、早足で歩き回っていたわたし、
実際の話、少し汗をかいていたのでありました。

30分程度でよかった^^これが1時間などとなっていたら自分のソコツを
棚に上げ、「なんで早く帰ってこないのよ!」と矛先を夫に向け、きっと
怒っていたにちがいない

ノラ猫のエサやりが原因だったわけですが、不思議にもそちらには少しも
矛先が向かないのでありました。

今日のポルトは少し雨模様で、曇った冬空に被われています。

それでは本日はこれにておしまい^^
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2012年1月23日 

ここ数日、暇をみてはパソコンに向かい、探し物をしている。

自分が撮影してきた画像、特にトマールやシントラなどの「spacesisの謎追っ
かけシリーズ」の資料となるべき写真は、このところじっくりみることがなかっ
た。

そこで、先週土曜日夜、久しぶりに昨年夏に再訪してきたトマールの元テン
プル騎士団修道院、現在はキリスト騎士団修道院にあるドン・マヌエルが
造らせた「大窓」の写真を大きな画像のまま、既に紹介済みの「ベルト」や
「ドラゴン」などを眺めながら、面白いものだなぁ。大の大人、国王たる者
にこのような不思議な建築様式をさせるその根本はいったい何なのだろかと
そこが知りたくて追っかけをしているのだが、眺めながら、ふと長方形の
大窓の上にある丸窓に目を移した。

tomar

ゴチック様式建築ではよく見かける丸窓です。窓にある渦巻状模
様がひとつ、ひっかかってはいたのだが、これまであまり気にとめ
ずにきました。

しかしですぞ、わたしとしましては心踊る発見をこの丸窓にしたのであります!
拡大した画像にみえたのは、これです↓
tomar
こ、これはなに?
よくよく見ると人間の顔、そして前に両手。。。スフィンクスではない?

tomar

しかもよくよく見ると羽を持っているように思われます!
「翼を持つスフィンクス」は、アッシリアやペルシャ王朝時代のスフィンク
スがあります↓

tomar
ペルシャ王朝のダレイオス・スフィンクス(480BC) 

トマールのキリスト騎士団修院は12世紀から17元はテンプル騎士団に
よって建てられ、12世紀から17世紀にかけて増築を重ねたものです。
特にこの大窓を造らせた16世紀のドン・マヌエル王の時代は大航海が
もたらす巨万の富によりポルトガルが栄華を極めた時代。ドン・マヌエル
はポルトガル歴史上、最もリッチな王と言われます。

このマヌエル建築様式の大窓に何が故、スフィンクスが置かれているのか。
この丸窓の渦巻き模様も含め、多いに興味がわいてきたわけですが、実は
この窓、他にもまだ面白いシンボルがあるのです。
以前チラリと出した謎↓
tomar
樹の根を両手で支えている帽子をかぶった男の顔。

tomar
わたしがこのところずっと検索しているものの、未だにひっかかってこない
シンボル「鈴」の意味。

鈴のシンボルは他の箇所でも見かけられます。この大窓にはその他にもミス
テリアスなシンボルが色々あり、徐々に取り上げて行きたいと思っています。

ドン・マヌエル王はこの巨大な窓にこれほど多くのシンボルを隠して一体後
世の人々に何のメッセージを残したかったのか。或いはこれらのシンボルは
それを解読できる極一部の人たちに残したメッセージなのか。
だとすれば、それは誰なのか?

キリスト騎士団の総長の名を冠した王だが、これらのシンボルから見える王
のプロフィールは、教会から見れば「異端」と糾弾されてきた、秘儀参入者
そのものとわたしには思われるのです。

ドン・マヌエル王の謎に挑戦するわたしは、あたかも「朝には四足、昼には
二本足、夜には三つ足の生き物はなにか」と謎を投げかけては、それを解け
ない旅人を殺していたと言われるテーバイの美しいスフィンクスの前に立つ
凡な旅人のような気がしないでもない。

この謎解きにはとても時間がかかり、多くの資料に目を通すことになりそう
です。フダヴィンチ・コードから発したライフワークですね^^

そろそろ夜が更けました。
本日もブログを読んでいただきありがとうございます。

ではみなさま、また。
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2012年1月19日 
iroiro 005
猫がポインセチアを好んで食べるとは知らなかった。ボロボロになってきて
います^^;


ポルトで2月始めに実施される恒例の日本語漢字検定試験受検の指導で、
我が教室の日本語学習者を叱咤激励するこの頃です。

外国人向けのJLPTこと日本語能力試験と違い、漢検は原則的には日本人
向けです。漢字の書きは出題されないJLPTですが、「読み・書き」はもち
ろんのこと、各受験級の漢字から成る熟語、音読み訓読みの知識が求めら
れ、6級以上になると三字熟語四字熟語が出題され、日本語の語彙に対す
る広い知識が求められるのが漢字検定試験です。

書けてこそ覚えたと言える漢字です。そこで、日本語学習者には少々きつ
いのを承知の上、漢検受験を薦めています。
偉そうにかく言うわたしですが、日本の学校時代に漢字が面白いなどど
思ったためしがなく、今にしてみればもったいない時間を過ごしてしまっ
たと後悔するのです。漢字学習の面白さを知ったのは日本語を教え始めて
からです^^;

またspacesisさんの生徒の自慢話かと、既に我が教室の生徒さんについて
知っておられる方は思われるでしょうが、言わせて、書かせて~(笑)

我が生徒には漢検2級を2度、突破したツワモノがいます。
もちろんポルトガル人ですが一度も日本の土を踏んだことがありません。
なぜ2度受験したかと言うと、厳しいYuko Senseiの忠言ゆえであります。

1度目は合格点80%で通過。しかし、本人は将来準1級も挑戦してみたい
と考えているようです。そこで、
「ルイス君、80%の実力では次の級の勉強はおぼつかない。90%以上の
実力が必要です。もう一度受験してごらんなさい」とのわたしのアドバイス
に、腹の中はわかりませんが(笑)、一応素直に従い同級を再び受験した
のです。結果は90%以上の正解率で合格。これで準一級の勉強準備に入れ
るというものです。

実は上述のJLPT2級も一昨年合格したのですが昨年12月に2度目を受け
てもらいました。一回目の正解率を聞いて「この点数では合格したとわたし
は認めがたい(キツ~笑)。1級を目指す予定ならもう少し点数をあげなけ
ればいけないと思います」

もちろんどの生徒にたいしてもこんな風に手厳しいわけではありませんぞ。
仕事をしながら通ってくる生徒さんが多いのですが、その学習環境の厳し
さは自分も経験しているので、少しはわかっているつもりですから場合に
よっては手とり足をとりの授業方法で参ることも往々にしてあります。

が、自分で勉強できる環境にあり目標がある人には多少厳しく指導した
方が効果がでることが多いように思います。ルイス君はその例です。

ブログ友のアーティスト、ちゅうさんが「不景気の煽りを食って仕事の連
続ドタキャンを体験した」と言っていますが(あ、バラシちゃッてよかっ
たかな?ちゅうさん^^;)、実は我が教室でもその影響をヒシヒシと感
じるこの頃です。

ポルトガルは今年度から向こう2年間、賃金カット、ボーナス支給なし、
税金アップと日本とは比較できない経済危機状態です。当然我が生徒
たちも、さほど高い授業料ではないものの、その懐に影響が及ぶと言う
もの。回数を減らす人が増えてきました。

そこで、我が教室の不況対策です。
レッスン料支払いが難しいという人には「出世払い」つまり奨学金制度w。
プライドゆえ、それは受け入れられないという人には授業料をグ~ンと
さげます。もうひとつは一週間に一度の授業を2週間ごとに。

どの語学もそうなのですが、一度離れると元のレベルを取り戻すのに苦労
します。特に日本語は読み書きが難しいのでできるだけ中断を避けたい。

大して変わり映えしない内容ではありますが、削る費用があるわけもない
我が教室の、これが不況対策です(笑)

そんなポルトガルの不況を知ってか知らずか、今日も美しい夕暮れ景色。
yugure

こんな景色を屋根のある家の中から眺められ一日無事に終えられることを
良しとしよう。
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2012年1月15日 

前回の記事の続きです。

lapa1.jpg

Lapa教会の横にある墓地の入り口。小さいので見にくいですが、門のトップ、
三角形にはメーソン独特のシンボルが見られる。

lapa2.jpg
墓地というより「石の園」呼ぶにふさわしい気がする。

lapa8.jpg lapa7.jpg
写真右はオベリスク形の墓石。殆どの墓石にメーソン独特のシンボルが見ら
れます。その一部を紹介します。

lapa3.jpg
上部にメーソンの手のシンボル。

lapa4.jpg

上部三角形内「叡智の目」、下部にもメーソンのシンボル、ドクロ。

lapa5.jpg
門の上部に見られるのと同じシンボル。砂時計、カマ、翼。翼はヘルメスも
しくは女教皇を表すか。これらのシンボルは異端タロットカードにも見られる。
タロットカードはマグダラノマリアを「イエスから秘密の教義を授かった全てを
知る女性」とする異端主義のテーマに触れているとされる。
下記、拡大図。

lapa5-1.jpg
真ん中の意味はチョット分かりませんが、コンパス、角定規、のこぎり、ハ
ンマーと石工(ストーンメーソン)の道具、メーソンのシンボルです。

ラパ墓地は、東西にまたがる横の区分が持つ建築と19世紀当時のポルトの
企業家、大地主など、ポルトのエリートたち、更にブラジルの貴族たちが
眠っている意味合いからも、ユニークな墓地とされます。また19世紀の著
名作家や詩人、Soares de Passos, Cmilo Castelo Brancoなどもここで眠っ
ています。

さて、この墓地を持つらLapa教会ですが、祀られているのはドン・べドロ4
世、またの名をブラジルでは初代皇帝ドン・ペドロ1世です。

lapa_igreja1.jpg
ラパ教会にはドン・ペドロ4世の希望で亡き王の心臓が保管されています。
ドン・ペドロ一世については我が別HP、「メモリア海岸のオベリスク」
で書いていますが、記事を書き上げた当時(下記にて案内)、気になりな
がらも時間が許されず今日までそのままにしてきましたが、今回この墓地
の記事を載せるについて調べてみたところ、自分の推理を確認できました。

ブラジル育ちのドン・ペドロ4世(ブラジルではドンペドロ一世皇帝)が
ポルトガルを治めたのはわずか2年です。
実は王はブラジルのメーソンの総長だったとの記録を発見しました。

ドン・ペドロがブラジル皇帝の座を降り7000の傭兵を率いて、旧勢力を
バックにする弟ドン・ミゲルからポルトガル王位を奪回するため、リベラリ
ズムの哲学を擁するブラジル・メーソンたちとともにポルト北部に上陸した
のは1832年のこと。ラパ墓地がメーソン独特の体をなしているのも肯け
ようというものです。

D-Pedro4.jpg
ポルト市庁舎通りことAvenida de Liberdade(自由通り)で街を見下ろす
ドン・ペドロ4世。

ついでに昨年教会を訪れたときの画像を。結婚式が行われていました。
lapa_igreja2.jpg
祭壇が9段階になっているのはメーソンの階級に関係するのか?未確認。

下記ではドン・ペドロ4世のオベリスク記事が読めますのでよろしかったら
どうぞ。
メモリア海岸の巨大オベリスク

本日はオタクネタでした。
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2012年1月13日

今日はブログ仲間の最近の記事の紹介からです。
メーソン記事は後半にあります。

お馴染み、アーティストのちゅうさんが「坂本龍馬・3D応援カード」なる
飛び出すメッセージカードを作りました。

だれでもダウンロードOKですので、プリントして作ってみました↓
(暇なわけじゃないのだよw)
chusan

仕上げに表に和紙など貼り付けなければならないのですが、せっかちなわ
たし、できた!とばかりに写真に撮り、ちゅうさんのオリジナル写真と比
べて見ると、ありゃりゃ?どっか違う@@
貼り付ける順番が間違っとるやん!(笑)

波が二つ前に来なければならないのに。ちゅうさん、スンマセン^^;
ということで、このメッセージカードがダウンロードできるちゅうさんの
ブログはこちら↓
http://ryoukitekityu.blog74.fc2.com/blog-entry-613.html

もうひとつは我がモイケル娘。
長い間、書いたり書かなかったりのブログでしたが、最近日本文化に
ハマッているようで、神社巡りを展開、狛犬やキツネの追っかけ記事が
書かれています。また、こんないたずら書きもあります。
gato-e

自分の飼ってるネコがモデルかな?なんとなくタメゴローに似てるw
寄ってやってもいいかなと思われる方は、下記へ一度どうぞ↓
Drivin down the road

さて、今日は久しぶりにわたしの道楽、「spacesis、謎を追う」シリーズで
す。ダン・ブラウンのダヴィンチ・コードヒット以来、ポルトガルのテンプ
ル騎士団に興味を持ち、暇があれば追っかけて独学しているわたしですが
今日はそれにちなんだ話を。

2005年8月にこんなエッセイを書いています。

 
ーーこの2、3日、pcが不調で1日半ほどチェックに入ってもらいました。
の間、日本にいる娘に送ってもらった「ダヴィンチ・コード」を読み上げま
した。本はロマンス式になっていて読みやすい。が、わたしはむしろ、あの
中で取り上げられている資料本に大いに興味を持ちます(笑)
(後記:その後それらの資料本は殆ど読み終えました)
読みながら、わたしのボンクラ頭に30年振りに「テンプル→薔薇十字→
フリーメースン→アメリカ1ドル紙幣の裏側」とフラッシュがパチパチッ!
(笑)

ここでハイ!ちょっと面白い物を^^
1dollar

これはわたしが持ってるアメリカの1ドル札の表裏です。

1dollar

30年ほど前の渡米を目前に、初めて1ドル札を手にして裏のこのシンボ
ルを目にした時、 その不思議なデザインに強く興味惹かれたのであります。
以来、この1ドル札をずっと持っているのですが、札の裏側右はアメリカの
国璽(こくじ)で  左は国璽の裏だそうです。拡大してみました。
          
1dollar

まず惹かれたのが、光っている「三角形の中の目」。
そして、アメリカなのになぜにピラミッドなのか?
当時はインターネットなどありませんでしたから、後年これについて書かれ
てある文書に触れた時の喜び!

さて、この手のミステリーが好きな方はもうご存知とは思いますが。アメリ
カの国璽の裏側として使われたこのシンボルは、未完成の13段のピラミッ
ド。最下段には「MDCCLXXVI,」1776年とあります。

ピラミッドの下にはラテン語で「NOVUS ORDO SECLORUM」「新時代の秩序」
の意味。1776年、イギリスから独立したアメリカの大陸議会が、トーマ
ス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスの
3人に国璽選定を指示した年号だそうです。

トップにある三角形の目は俗に言われるところの「万物を見通す叡智の目」
更に上に書かれてある13文字のラテン語、「ANNUIT COEPTIS」英語で
「He has favored our undertaking」(神は我らの計画/約束に加護を与
えり)この国璽を決めるのには数年を要したということです。

ピラミッドと目はフリーメースンの(かの本にも出てくるが、テンプル騎
士団の生き残り説がある)シンボルでもあり、初代大統領ジョージ・ワシ
ントンは、それの、もしくはそのグループのひとつに組する「薔薇十字団」
の会員だとも言われます。

アメリカでは毎日何気なく使われている紙幣の裏にこのような暗号めいた
ものが記されているなんて、とわたしは興味津々なのですが、みなさんは
いかに?

さて、本を読んだあと、昼食にでかけたレストランで夫にその話をして
みました。
太陽系の10番目の星、「惑星X」説で笑われたのに懲りず(笑)
(後記:これは数年後に天体科学者により確認された)
ダヴィンチの絵、シオン教会、テンプル騎士団、レンヌ・ル・シャトー、
しまいにはフリーメースン、オプス・デイの名前まで出して^^
すると夫が言うには、
「ふむ。してみればほら、定年で退職したあのチーフ、覚えてる?
彼、オプス・デイのメンバーだよ。それに、我らの知人のあの人、
上層部ではないけれども、フリーメースンのメンバーだ。」
「ほ、ほぇ???・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

我がポルトガル、イベリア半島、端っこでもさすがヨーロッパです。
後記:この頃はテンプル騎士団とポルトガル建国との関わり合いをまだ
知らなかった
)ミステリー本の中でしか聞かないであろうと思っていた固有
名詞を結構身近で聞くなんて・・・・

一瞬鳥肌が出て、コップに残っていた生ビールを、ごくりとのどに流し込
んだオチではありました、はい・・・^^;ー
                  


テンプル騎士団が中世期、エルサレム聖地を目指すキリスト教信者の巡礼
を護衛する十字軍として設立されたというのは表向きのこと。当時はロー
マカトリックの教義に当てはまらなぬもの全てが異端教とされていたわけ
ですが、テンプル騎士団が異端の神秘主義者集団だったというのは、もは
や周知の事実です。

14世紀初頭、フランス王フリップ4世のもと、異端、偶像崇拝の罪名を
科せられ、弾圧を受けたテンプル騎士団はジャック・ド・モレーを最後の
総長(グランドマスター)に壊滅するわけですが、騎士団の財宝はどこぞ
へと消え、団員たちも他の騎士団に加わったり、引退するものがいたり、
また、ポルトガルの騎士団のように国王の庇護の下「キリスト騎士団」と
名前を変えたりして生き残ったものも多数。そうして生まれた一派がメー
ソンと考えられます。

そこで、近頃ポルトガルのテレビニュースでもちきりの話題がフリーメー
ソン。ポルトガル語で「Maconaria」(cの下にcedilhaことニョロマーク
がつき、マソナリアと読む)と言う。

一般ニュースでメーソンの話題が大々的に取り上げられるのはこの国で
初めてでしょう。リスボンにあるロッジの内部や博物館も紹介されました。
理由はというと、数ヶ月前に機密ファイルをひっさげて天下りした(?)
議員のスキャンダル。議員はフリーメーソンメンバーで、数人のメン
バー議員もそれに絡んでいることが発覚したと言う。
これについて、コエリュ首相がメーソンのメンバーである主要議員を召喚し
フリーメーソンに関して十分な説明をと要請したそうです。

ポルトガルは昔から外交上フランス、イギリスとの関わりが深い。フラン
スと言えばテンプル騎士団発祥地、イギリス、スコットランドはその騎士団
の逃亡先で彼らが生き延びた場所。この二国はメーソンとは切り離せない
間柄です。

さすれば歴史上、二国の影響大のポルトガルです、秘密結社メーソンと無
関係とは行きますまい。

ニュースのかじり聞きですので、あるいは聞き違いがあるかも知れません
が、ポルトガルのフリーメーソンに関する基本的な情報です。

ポルトガルのグランド・ロッジ(国や州を単位とする本部)はルジターノ
大東社と呼ばれロッジ(ロッジ=各メーソンの独立した支局)は90、会
員は2万人ほど。なかでもロッジ「モーツアルト49」は国内の政治家、
企業家、シークレット・サービスが属することで知られる。

ロッジに「モーツアルト」の名前が使われるなど、噂どおりモーツアルト
はメーソンであったとの証拠です。

ところで、昨年春、わたしはポルト市内のLapa教会とその墓地を訪れたの
ですが、果たして墓地の光景に圧倒されて帰ってきたのでした。しかし、
画像は写したものの墓地の写真など不謹慎だと思われ、そのまま今日まで
ボツにしてきたのです。

が、フランスには著名人が葬られている墓地が観光化されているところも
ありますし、今回のようにフリーメーソンの話題がしきりにメディアで取
り上げられることもそうそうあるものではありません。、これもテンプル
騎士団の追っかけで知らず知らずのうちにフリーメーソンを調べるところ
まで頭を突っ込むことになったわたしの勉強結果の一環をメモするのにい
い機会だと割り切り、明日はその画像を紹介することにします。

ではみなさま、続きは明日に。
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2012年1月11日 

家計簿をまめにつけている人は、ある意味エラいなとわたしは思う。

日本滞在中には大雑把な家計簿らしきものをメモするが、普段はつけない。
つけても必要なものは買わなければならないし、さほど贅沢をしているとは
思っていないので、わたしがする我が家の生活費管理は、言うなれば「どん
ぶり勘定」の部類だ。

「どんぶり勘定」には、「あるがままにお金を使う」との意味もあるようだ
が、我が家の場合は、あるがままに使えるほどないので、要は細かい計算を
わたしはしないということである。

ところが、昨年以来、ポルトガルは経済危機の国難状態で、借金返済のやり
くりに国をあげて涙ぐましい努力を強いられている。この1月から贅沢品と
見られる品物の消費税が23%にアップとの話に聞き及び、さすがのわたし
も少しは財布の紐を締めなければならないかも知れないと思い始めた。

普段はざっと目を通すだけのスーパーマーケットのレシートだが、今回は
どれどれと少し目を凝らして見た。

うぉうぉ!スナック類、洗剤類、好きな生ハムの類、ヨーグルト、猫のエ
サまでが軒並み23%取られている。 猫のエサって贅沢品の部類に入る
か^^;正式に飼っているネコが5匹、毎夜のごとく夕食をくれと待って
いる外猫2、3匹で多いときは計8匹のエサを用意することになるのでこ
れはバカにならないと思うのだが、かと言って今更「お前たちのエサ代の
消費税がシカとあがったので今日から無しだ」と言うのは少し白状という
もの。

魚肉、成果類は今のところまだ6%で済んでいるが、これとてこの先どう
なるかまだ分からない。

聞けば外食も同じく23%課税されるとのこと、わたしが午前中仕事をす
る毎土曜日の昼食は、補習校の講師時代と変わらず夫婦で外食するのだが、
これが子供たちもいて家族4人ともなれば、4人で5人分払う勘定わけで
外食は迂闊に出来なくなりそうだ。

夫婦二人とて2.5人分を支払うことになる。そこで、財布の紐をちと
締めなければならないかと殊勝にも思っていたのだ。

が、ここしばらく家に閉じこもっていることが多かったし、バーゲンセー
ルもしていることだし、目の保養にとデパートへ出かけてしまったのが
運のつき。
以前から「いけるではないの^^」と思ったものの正札を手に取り、いや
いや、これはとても買えませんと諦めたものが30%引きになっている!
それでも高価だとは思うものの、来期に気に入ったものをあちこち探し
回って手に入れるとして、これくらいの値段はするかも知れないと、思い
切って買ってしまった。こういうことは昔からわたしはあまり迷わない。

いったいどこが「財布の紐を締める」だ!と夫の声が頭のてっぺんから聞こ
えて来ない気もしないではない。そぉ~っと知らん顔しとこ。いや待てよ、
それはイカンかもだ。うん、ブランド名を言ったら夫の一言二言が降って
くるやも知れないから、ここはそれを言わずに「これ、バーゲンで買いまし
たばい」とだけ言っとこう。どこの?と訊ねるはずもあるまい^^
モイケル娘にうっかり洩らしたら「げ!」の一文字で彼女、終わった

うん。今日から本当に財布の紐をしめるぞ!って、なんて調子のいい(笑)

そんなわけで何を手に入れたかといいますと、ちょっと長めの黒いコートで
あります。画像はまだ載せられません。ただ今寸法直しゆえw

今日はこんなくだらない話ですが、下記、お口直しに。

serralves

今日の午後は、以前何度か訪れたFozにある「Serralves公園=セラルヴェ
ス公園」を久しぶりに2時間ほど散策してきました。写真でご覧のように、
真っ青に晴れ渡った今日、人気のない冬の公園は空気が新鮮で、春の息吹
がかすかに感じられるような気がしました。

写真は公園内にあるポルトガル唯一のアールデコ調建築例とされるCasa
de Serralves=The House of Serralves」。好きな建築物のひとつです。

serralves

ポルトガルでは別名「Japoneira=ジャポネイラ」と呼ばれる椿の花がたく
さん見られました。

Serralves公園は現代美術館も含む広大な公園です。
我が「ポルトガル・ロマン」HPサイトですでに紹介済みですが、画像を入れ
替え、後日改めて紹介いたしますのでお楽しみに!

本日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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2012年1月7日

今日はテレビニュースでも取り上げていたポルトガルの一月の伝統文化を
過去記事から紹介します。

 
ポルトガル語で1月を「Janeiro」と言います。英語と似ていますね。
「Janeiras(ジャネイラス)」は新年を祝って各家の玄関で歌い歩く1月の
数人のグループのことで、ポルトガルの伝統文化です。

近所の人たちや友達がグループを作るのですが、ギターやアコーディオン等
の鳴り物はあってもなくてもよろしい。
ジャネイラスが歌い終わった後は、しきたりとしては栗やクルミなどの木の
実、果物、ポルトガル独特のソーセージなどをお礼としてあげるのがしきた
りですが、昨今はチョコレートやお金をあげることが多いようです。

先だっても我がフラットの玄関前で歌って行きましたが、我が家のように何
もあげないところもたくさんあります^^;これはハローウィンで子供達が
「Trick or Treat(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と唱えて一軒ず
つ家を訪ねるのに似ていますね。ただし、Janeirasの方はTrick(トリック、
いたずら)はなしです^^ 

             ↓学生たちのJaneiras。
janeiras
う~ん。こっちは見た目からして、なにやらTrickをやらかしそうな
気がしないでもない雰囲気(笑)。

       いかにも伝統的なJaneirasたちです。
janeiras janeiras

さて、この「Janeiras」の行事ですがいったい何ゆえ1月にこうやってドア
からドアを歌い巡るのか?と不思議に思い、調べてみました。

古代ローマのJano神(ポルトガル語。英語ではJanusと書いてヤヌスと読む)
神にまつわるのだそうです。
ヤヌスは前と後ろに二つの顔をもった神で、過去と未来、事の始めと終わり
をつかさどる天界の門番でもあります。それで門や入り口の守護神とされて
いるのです。Janeiro、Januaryはこのヤヌスの名が由来で、「ヤヌスの月」、
1年の入り口の月という意味からくるのでしょう。

janeiras
バチカンにあるヤヌスの像(wikiより) 
    
で、この名前をどこかで目に、耳にしたことがあると思っていましたら、
なんと!ダン・ブラウンのベストセラー、「ダヴィンチ・コード」の
映画のシーンと「天使と悪魔」で使われていたではないの!

「ダヴィンチ・コード」では、最後には本性を表すティーヴィング教授の
書斎に飾られているヤヌス像が映し出されます。
ヤヌスは二つの顔を持つので、「Janus-faced(ヤヌスの顔を持った)」つま
り、「two-faced」、二心のある、とか、人を欺くとかの意味にも用いられ
るようです。(なるほどなぁ。ティーヴィング教授・・・)

また、「天使と悪魔」では、ヴァチカンの次期教皇候補4人の殺害指令を
アサシン(暗殺者)に次々に出す背後の者のコードネームとしても登場し
ます。

こういう謂われを知っていれば、推理小説も深い読みができて更に面白く
なりますね。
それにしても、始まりと終わりの鍵をにぎるヤヌス神が現代ではあまり良い
象徴に使われないのには、神なりとも天界で歯軋りしているのではないだろ
うか。

本日もブログを読んでいただきありがとうございます。
ではみなさま、また明日。

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2012年1月6日

久しぶりに「Out of Porto」、ポルトを離れた訪問地の紹介です。
今回は、クリスマスに日本からやってきた親友親子と訪れたConimbrigaです。

Conimbriga(コニンブリガ)・ローマ時代の遺跡
 
古くから一部、ケルト民族が住んだといわれるポルトガル、スペインから
なるイベリア半島はジブラルタル海峡を隔てた向こうがアフリカ大陸入り口、
また東には地中海が横たわる地理上、フェニキア人、ローマ帝国、イスラム
教徒の侵入を受けて来た。
それらの遺跡や文化の名残は現在も見られる。
 
特にローマ帝国に関しては水道橋などの遺跡が今日でもいたるところで見受
けられ、中でもコニンブリガはポルトガル国内で遺跡がもっとも良い状態で
残されているローマン遺跡とされる。

conimbriga
何度か訪れている遺跡だが初めて行った30年ほど前は野ざらしにされてい
た。モザイクもすぐ目の前で見られたのだが、今は一部に屋根がかかってお
り、立ち入りができない部分もあって、この床の区分のモザイクは写真が
撮りにくかった。
          
conimbriga
上の画像は「ミノタウロスの迷宮」。こういう迷宮はフランスのシャルトル
大聖堂内にあるのを始め神秘主義のシンボルだと考えられることが多いので、
ローマ帝国時代にすでに描かれていたのは興味深い。
conimbriga
conimbriga

コニンブリガの遺跡は16世紀ドン・マヌエル王の時代には既に発見されて
いたとされる。発掘が始まったのは19世紀に入ってからで、現在でも遺跡
全体のまだ10%少ししか発掘されておらず、発掘作業は続けられている。

conimbriga

conimbriga

遺跡の建つ地層の一部は紀元前900年の鉄器時代に遡ると言われる。

conimbriga

conimbriga

現在発掘修復中のフォロ・ロマーノ。

conimbriga
2006年夏に訪れた時は、わずかに数本の円柱が建てられていただけで
あった。  

下の写真はフォロ・ロマーの完成図だが、現在修復されたのは3柱のみ。
conimbriga

conimbriga
並立する柱の遺跡。
(註:フォロ・ロマーノとは古代ローマの政治、宗教の中心として置かれた
 広場のこと。フォロ・ロマーノでは定期的に民会が開催され、宗教的な
 場所とみなされていた)
 
conimbriga
 
入場したのが遅かった。夕日を受ける3本のローマンフォラム。

 
コニンブリガ遺跡のローマンモザイクとコニンブリガ焼き 
     
conimbriga

conimbriga

conimbriga
↑これもシンボリックなモザイク模様。

conimbriga

コニンブリガのモザイクは「コニンブリガ焼き」として現在に引き継がれて
いる。コニンブリガモザイクを祖にしたコニンブリガ焼きは、鳥や鹿、植
物の模様をあしらい、白と青の色付けを基本の特徴とする。

コニンブリガ近くの小さな町Condeixa-a-Novaには、その窯元が10数件ある
と聞く。
わたしは「コニンブリガ焼き」に魅せられるひとりだが、買出しはコイン
ブラ大学の周囲の路地にある土産店でいつもする。

コニンブリガ焼きについては、また案内しています。
  
 
ちょっと横道おしゃべり

「全ての道はローマへ通ず」と言う。また、詩人ゲーテは「ローマ悲歌」
の中で謳った。  

「ローマはもとより大世界なれど、恋なくて世は世にあらず。
さればローマもまた恋なくてローマならずも」と。
 
ローマ帝政期の地図を見ると、アレキサンドラ、トリポリ、アルジェのア
フリカ大陸地中海沿岸はもとよりヨーロッパ大陸一帯にその街道網は敷か
れている。イベリア半島もその例に漏れない。

これらの街道網を見て気づいたのだが、現在の主幹道路はこのローマ時代の
街道と見事に重なっていることだ。

わたしは塩野七生氏が書き下ろしている「ローマ人の物語」シリーズの愛
読者だが、読むにつけ、その政治体系、外交、建築、生活様式には、成熟
したローマ人の精神に感じずにはいられないのである。

ローマ帝国で最も有名な人物と言えば、シーザーであろう。
エジプト女王クレオパトラとの恋沙汰と「ブルータス、お前もか」の余りに
も有名な話で知られるのだが、塩野氏のシリーズ4、5巻に渡る「ユリウス
・カエサル(シーザー)」の2巻には、カエサルことシーザーの武将として
の度胸、戦略のうまさ、人間味溢れた姿などが余すところなく描かれており、
多くの女性関係がありながら、どの女性にも恨まれず、スキャンダルにも
ならなかったと言うカエサルの心憎い配慮には、ただ舌を巻くのみである。
世の殿方、かくあらん(笑)

インフォメーション

ポルト、リスボンのほぼ中間に位置するCoimbra市から約17キロほど。
バスCondeixa-a-Nova下車
博物館開館時間: 10月~5月 火曜~日曜 10時~18時
          6月~9月 火曜~日曜  9時~20時 
 
★月曜日が休館だが、遺跡は月曜日も見ることができる。  

 
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2012年1月4日 

30年来ポルトに住むが真冬と言えども積もる雪など見たこともない。

わたしが子供の頃、故郷弘前は真っ白な雪景色に覆われ、路面が凍結し、
その上にまた雪が降り、降り、積もる。積雪の一番下の層、つまり地面と
接する層は氷になるのだ。今ならさしづめアイスバーンとでも言うのだろうか。
そんなハイカラな言葉はなかった昭和2、30年代のことだ。

春が近づくと徐々に上層の雪が溶け始め、やがて最下層の氷道が現れ一面
氷で覆われた表面をご近所みなでツルハシを振り上げ、割るのである。

今のようにアスファルトの道ではなく土ゆえ、溶けると泥土が跳ね上がり
色々不便ではあったが、それが春の訪れを告げるのであった。
先のクリスマスには大阪時代の親友がやってきたのだが、ついでに
日本食を少し持ってきてくれと依頼したら・・・・
空港で荷物を運んだとき、やたら重いのに、冬で寒いとは言えいったい
なんぼほどの着替えを持ってきたのかと口には出さねど思ったものだ。

そして、我が家に着き二人の旅行カバンを開けたとたん、出るわ出るわ、
これでもか!と言うくらい憧れの日本食がまるで打ち出の小槌でも振る
ように!

種明かしをすれば、なんのことはない、二つの旅行カバンは着替えで
ぎっしりどころか、わたしへの日本食でギッシリだったのだ。しかも、
出発点の関空では重量オーバーで超過料金を払ったと後で知った^^;
わたしが頼んだものも勿論あったが、それ以上にたくさんのみちべぇの
お見立て日本食品がみんな重いものばかりであった(笑)

さて、わたしが頼んだものの中に、モイケル娘にネット購入してみちべぇ
を通して運び込んでもらった津軽グルメが二つある。
そのひとつがこれ↓
tsugaru_gurme

津軽のしそ巻き杏漬けだ。
tsugaru_gurme

帰国するごとにしそ梅漬けを所沢の妹に用意してもらっていたのだが、
いつの頃からか、わたしはこの「しそあんず漬け」のファンになったのだ。

それをみちべぇは汁漏れを防ぐのに念のためとタッパーに入れてきたのだが
タッパーを開けてびっくり!
tsugaru_gurme

丁寧に包んだ包装紙になんとピカピカの「五円玉」が貼り付けられている!
紛れもない!「ご縁があります!」

前回の帰国時にやはりモイケル娘に頼んでネット注文したところが、中に
津軽冨士と呼ばれる岩木山の写真が一枚同封されてあった。この心遣いが
嬉しくて、今日は紹介いたします。

青森県弘前・津軽の梅干屋「いした」さん。
http://www.kaneshime-ishita.com/

もうひとつ、今回持ってきてもらった「いした」の赤かぶ漬け。
tsugaru_gurme

これを食べると、母が昔自宅で漬けていた赤かぶを思い出します。漬物樽
は小さなわたしの家では屋外に出しており、半分凍った真冬の母の赤かぶ
漬けはそれは美味しかったものです。懐かしくて、今回初めて取り寄せて
見ましたが、故郷から来たという思いも加わって、おいしいのなんのって!

雪の降らない異国にいて、雪国を恋うている今日です。

弘前は雪が降っているだろうか。故郷の冬から遠ざかり、こんな景色を
見なくなって半世紀が過ぎ去ろうとしている。
yukinofurumachi
画像はwikiから

タコ君、シマ、もしこのブログを読んでいたら、連絡ください^^

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2012年元旦 

午後から本格的に雨が降り出した2012年ポルトの元旦です。

新年 明けまして おめでとうございます。
みなさまにとって よい年になりますように願っております。

また日ごろ、拙ブログを訪問いただいているみなさまには心よりお礼
申し上げます。

コメントもアクセス数も共に記事を発信し続ける励みになり、感謝いたして
おります。本年度も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

今年トップの画像は、元旦からなんともはや怠け者(笑)

元旦
「あけおめ、ことよろ~」の一言もなく、カゴに顎を乗せてヒーターのまん
前に鼻を突き出し元旦のポカポカ眠りをむさぼっているクルル猫。

今朝方まで我が家には日本からお客様が2名滞在しており、見知らぬ顔に
怖気づき(笑)わたしたちの寝室に引きこもっていた5匹猫たちも、数日も
するとリビングに姿を現しだしたものの、人が苦手なクルル猫、なかなか出
て来ませんでしたが、お客様お帰りの本日はこのようにすっかり安心しきっ
てヒーターに鼻をあぶっております。

さて、そのお客様、我が親友みちべぇとその娘さんMちゃんの二人、今朝
6時発の便で帰国の途に着きました故、起床が4時^^;

クリスマス・イヴ到着、元旦に帰国でスペインにも二泊三日で足を延ばし
一週間のイベリア半島滞在でしたが、短かったよ~(泣)

時節柄、夫も仕事を入れず休暇をとり、4人で毎食「乾杯!」とワインを傾
けました。わたしの帰国時には毎度のように訪れていた第二の故郷、大阪も
昨年は地震と原発事故が気になり、万が一大阪へ移動中に何か起こったらと
考えて大阪行きは中止、一昨年はJapan Weekの仕事で帰国不可となり、親友
との今回は2年半ぶりの再会でした。しかも、わたしが住むポルトで!
ずーっと待ってたんだよ!

32年前、ポルトガルに渡ってくるときに、「いつか一緒にアルハンブラを
訪ねよう」との約束をし、ず~っと彼女が来るのを待っていたものの、つい
に待ちきれず、昨年「先に行ってもいいか~」と許可をとり、行ってきたの
ですが、みちべぇよ、5年以内にもう一度、今度はもっとゆっくりおいでね。

この数年、子供たちがいないクリスマスでしたが、二人のお客様を迎えて
久しぶりににぎやかな食卓を囲んだ日々、大阪のオフィス時代(わたしは
彼女の先輩でした。エヘン^^←なにがやねん?w)、ビアハウス歌姫時
代、渡米、帰国、そして結婚と我が人生の節目にはいつも彼女の存在が
ありました。夫、そして娘さんのMちゃんを前に、昔話に花を咲かせる食卓
は楽しく、歳をとってもあの頃と変わらぬおアホなわたしたちの会話のやり
取り、共通点のお人よしでおっちょこちょいなところも健在。彼女の訪問は
2011年度大イヴェントになり実に楽しい年末でした。

元旦
写真は我が家に滞在の途中2泊三日で早朝マドリッドへ二人を送った時の
空港からの帰り道。 街の灯りがまだ灯っている夜明けのポルト郊外。


昔のオフィス時代なら「また明日ね」と別れの挨拶ですが「またね、きっと」
と二人の帰国を見送って、少しセンチメンタルになっている元旦です。

ではでは皆さま、積もる話は山ほどありますれば、また明日。
どうぞよいお正月をお過ごしください。
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