2012年2月27日

2月もあと一週間かぁ、と雑誌記事執筆を怠っていたところがあらら、後三
日ではござらんか!慌てふためいてテーマに取り組んでいる昨日今日です。

今日は久しぶりにポルトガルの案内です。

昨年末に大阪から我が親友みちべぇと彼女の娘さんが我が家に滞在したので
すが、その時に訪れたひとつにBatalha(バターリャ修道院)があります。
わたしたちにとっては2度目の訪問ですが、前回は夏の午後も遅く入り見学し
なかった箇所もありました。

batalha2012-8.jpg

今回は少し修道院内のあまり目が向けられないであろう細かいところにわた
しは焦点をあててみました。いくつか興味深い細工を目にしましたのでそれ
をアップします。   

バターリャ修道院、正式名、「勝利のサンタ・マリア修道院」です。ゴチッ
ク建築と一部にマヌエル建築様式が用いられポルトガルではステンドグラス
が用いられた最初の建築物です。

batalha
Batalha修道院、未完の礼拝堂の外見。写真右上の八角堂がそれです。

Batalha

batalha2012-1.jpg
午前の日光がステンドグラスを美しく映している。

今回発見した柱の下方に彫られたいくつかの人面。
batalha
   
バターリャ修道院は1386年から1517年の年月をかけて建築された。
 
Batalha
その間建築に携わった歴代の王7人が眠る礼拝堂の入り口と内部。 

Batalha

美しいステンドグラスには葬られた王たちの紋章が描かれている。
Batalha

batalha

この王の墓石に彫られている白鳥と3羽の雛の模様は明らかに秘儀のシンボ
ルだ。
batalha

無名戦士の墓の広間。この部屋には柱が一本もない。
batalha

修道院内を一回りして最後に外へ出るときに見られるのが未完の礼拝堂。
batalha

天井がないまま建築は未完になっている理由は判明していないが、リスボン
の「ジェロニモ修道院」建築に力を入れるため、石工たちたそちらへ移動し
たがためとの説がある。

batalha
礼拝堂内にはラテン語で「Leaute faray tam yaserei(朕は常に忠実なり)」
の語句を彫られた模様が200以上見られる。
 
batalha
礼拝堂柱の下に見られる顔とカタツムリ↑↓(カタツムリはうっかり撮影し
忘れ^^;Wiki画像より)
batalha

偶然見つけたこれはトウモロコシだと思われる。
batalha

リスボンのジェロニモ修道院にも同様のトウモロコシがどこかに見られると
聞いているのだが、まさかここでも見かけるとは思っていなかった。

トウモロコシは15世紀にコロンブスが南米から持ち込み、以後ヨーロッパ
に広まり、ポルトガルの大航海時代にはアフリカ、アジアに伝わりました。
日本にトウモロコシを運んだのももちろんポルトガル人になります。

トウモロコシの伝来についてはちょっと面白い話があります。

スコットランドのロスリン礼拝堂といえば、テンプル騎士団追っかけのわた
しには一度は訪ねてみたい15世紀のに建てられたシンボルだらけの魅力
的な建物なのですが、この礼拝堂を建築したのは当時のウイリアム・シンク
レア伯爵。代々ロスリンを受け継ぐオークニー伯、シンクレア家最後の領主
で、スコットランドの石工組合(メーソン)のグランド・マスターだったと
も言われます。

初代オークニー伯は一族のなかでも傑出した人物で、コロンブスが大西洋横
断を成し遂げる100年以上も前に「新世界」へ船団を二度は送っているとの
こと。ロスリン礼拝堂を建築するに当たり、ウイリアムは祖先の英雄的航海
を記念してアメリカから持ち帰った、アロエ、トウモロコシなどの珍しい植
物を礼拝堂内に彫刻させた。堂内のあちこちに見られるアメリカ原産の植物
は礼拝堂が建てられた当時、ヨーロッパでは全く知られていなかった。
  (参考文献・シンボルコードの秘密)

バターリャ修道院のトウモロコシがいつ彫刻されたのか。
未完礼拝堂は1437年着工とあり、コロンブスの新大陸発見は1492年、
1500年ころにはセビリアで栽培とのこと。もしこのトウモロコシがコロ
ンブスの新大陸発見以前に彫刻されたとしたらと考えるとロスリン教会との
つながりも見えてくるようで、面白い発展になりそうです。

さて、もうひとつ、バターリャ修道院の画像を検索していたら、その中に一
枚William Beckfordの顔写真があり、むむ?と思い調べたところ、なんと、
彼は1794年にこの修道院を訪問しており、彼の希望でイギリスの西南部
ウイルトシャーにかつて建てられたのがFonthill僧院↓

fonthill
(画像はWikiより)

バターリャ修道院によく似ています。
現在この修道院は存在しませんが、彼のゴシック熱はその著書「Vathek」や
この建築に表明されます。このFonthill僧院を見るとわたしはいつもドビュ
ッシーのLa cathédrale engloutie(沈める城)を思い出さずにはいられま
せん。

「沈める城」はフランスのブルターニュ地方にあったイスという美しい街が
やがて背徳の街と化し一夜にして城ごと海底に沈められ、百年に一度1時間
だけ姿を表すとの伝説から作られたピアノ曲だと言われます。

ゴチック建築には教会の装飾でありながら、常に異系の思想が感じられるのが
真に興味深いところです。

本日は長くなりましたが、ここしばらく考えていたことを自分のメモとし
て綴った部分が多くあります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

バターリャ修道院が建築されたいきさつはこちら。
http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/out_of_porto/batalha.htm

ウイリアム・ベックフォードについてはこちらでも書いています。
http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/out-of-porto09/monsserate.htm

また、「沈める城」は下記Youtubeでお聴きになれます。
http://www.youtube.com/watch?v=5-1IoHlOAsA&feature=related

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2012年2月22日 

この数日中は、車で街を走るとカーニバルの衣装姿をした子供たちをよく見
かけました。我が子たちが学校に通っていた時分、特に小学生の間は変装し
て登校し、記念撮影したり、パレードをしたりとその日は一日校内ではその
衣装で過ごすのが習慣でしたから、衣装を決めるのにこずったものです。

今は大手のスーパーなどで様々なカーニバル衣装が売られていますが、息子
が小さかったころは、大手のスーパーそのものがなくて、カーニバル衣装の
意味合いがよく分からなかったわたしは、小学生のことゆえ生長が早く、着
るのはたった一度だけです、注文して作ってもらうのももったいないなぁな
どと考え、息子にはごく簡単なカーニバルアイテムを用意しただけでした。

carnival
幼稚園時代の息子。

ところが毎年めぐってくるカーニバルの学校行事、出かけてみると、皆お金
をかけて色々な衣装で着飾ってくるのにはびっくり!モイケル娘のときには
さすがいかんかも?と思い始め、少し手をかけるようになりました。下の写
真は王子さまに変身した娘。衣装は借り物です。
carnival
今は亡き愛犬のポピちゃんと。

こちらは花売り娘。
carnival

最近では日本のアニメファンの若い人たちも色々な工夫をして思い思いの
アニメキャラで集ったりしているようです。
そんなわけで昨日火曜日は休日だったのですが、ご近所の小規模カーニバル
バレードに出くわしましたので、ご紹介します。

carnival

carnival

carnival
   
小金持ちのジョアキンおじさんとロバのマリア・リタ嬢。
carnival

ということで、本日はこのご近所の名物男ジョアキンおじさんを紹介いたし
ます。

ジョアキンおじさん

どこの町内にでもいるであろう、良きに付け悪しきに付けご近所でなにかと        
評判になるお方。わが町では、ジョアキンおじさん、このお人がそれです。

sr.joaquim
    
なんだこりゃ?と言うなかれ(笑)そしてまた、これが現在のポルトそのも
のだとも夢思わないでいただきたい。このお方は特別な御仁でありますれば。  

ポルトガルは今月20日が選挙投票日にあたります。
実はこれ、ジョアキンおじさんの、自分が支援する政党の選挙キャンペーン
なのでありまして。わはははは。
    
更に付け加えれば、「汝、そのなりを見て、人を判断すべからず」。
    
このおじさん、ロバをひっぱってこういう格好をしているものの、この辺り
の土地を所有していて、小金持ちなのであります。
  
上の写真に写っている通りは、我が家が面する表通りなのですが、この通り
にも2軒のアパートとカフェを持っておりましてなかなかの名士であります。
荷車につったててる国旗も含めた種々の旗、いつもですとね、これにマイク
つきのラジカセを積んではスピーチもどきも入るのであります。

朝一番小1時間ほど、商店街も含んだこの辺りをグルッと一回りして、また
ここに帰ってくる。普段は朝早くから、わたしたちがかつて住んでいた古~
い家の丁度真裏にあたるひろい畑で、このロバと一緒に畑仕事です。
  
もう働かなくたって一生遣いきれないほどのお金を持っていながら、昔と変
わらぬ野良仕事のこの格好で、昔と変わらず土を相手にジャガイモ、とうも
ろこし、菜種、かぼちゃを作り、自分のカフェの前でそれを売ったりもする。
来た当時は気難しそうなおじさんと思っておりましたが、なんのなんの。      
ネコがきっかけで、話すようになりました。
  
実はジョアキンおじさんの畑、そして、ブタ小屋、餌小屋、これがネコだら
けなのであります(笑)
いったい何十匹ひそんでいるのか、皆目見当もつきません。このおじさんが、
ロバを引き連れてくると、畑の向こうから、まぁ、来るわ来るわ。    
餌をもらいにたくさんのネコが(爆)いや、その光景たるや、壮観たるもの
であります。ジョアキンおじさんには全く誰もが脱帽です。

誤解を招いてはいけませんので付け加えておきますが、今どきポルトの街の
ど真ん中、ロバを引き連れて、ちょっとお下品ではありますが、車なんぞは
屁のカッパ。後続車のドライバーがいまいましそうに苦虫つぶした顔して
いようが平気の平左。こういうことができるのは、ジョアキンおじさん、こ
の御仁を除いては他におりません。

ジョアキンおじさん、お見事!
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2012年2月19日 

土曜日だというのに昨日は一日中忙しかった。
10時からのダウンタウン土曜日の日本語教室を終え、その後1時間ばかり
ロンドンにある出版社が発行するヨーロッパ在住の日本人会員誌原稿の取材
です。

それから元職場だった補習校の現スタッフたちと新年会と称して久しぶりに
会食、夕方は春から日本語教室開講予定の打ち合わせのため、クリスタル公
園内にあるアルメイダ・ガレッテ市立図書館へ出かけてきました。
 
foz
市立図書館を出た6時ころ、園内から眺められるドウロ川の景観は何度か撮
影しているものの、この時間帯は初めてです。

foz
古い野外劇場では二人のミュージシャンが。ちょっと寒いけれどもう少し暖
かくなったらこんなコンサートいいなぁと思い、一枚パチリ。

そのまままっすぐ家路につくのはもったいないので、同行していた夫と海岸
沿いまで走ってみました。
 
foz
アラビダ橋の向こうの水平線にはもう日が沈んで。川沿いには釣り人が数人
いました。

foz
ドウロ川が終わり大西洋が始まるFoz(=河口の意味)のSao Miguel-o-
Anjo(サン・ミゲル・オ・アンジュ)灯台。

一度早朝に来てみたいと思っている辺りです。

foz
Castelo Sao Joao da Foz=フォスの小さな城。


さて、我が旧職場の同僚たちとの食事は久しぶりで、楽しいおしゃべりに花
を咲かせてきました。4人のうち一人はわたしと交代で入った人ですが、
後の二人とは付き合いも古く、どちらも在住20年以上。もちろんまもなく
滞在34年目に入ろうとするわたしは、古株も古株、「生き字引き」のニッ
クネームも抵抗感なく受け入れられる年齢になりました(笑)

職場の愚痴はそっちのけで出た話がなんとまぁ、ワインを飲みながら「お墓」
の話(爆)。不謹慎だと言うなかれ。三人とも還暦を越したわけで、異国で
の暮らし、しかも連れ合いはいずれもポルトガル人です。最後はどうしたい
かとそろそろ考え始めても不思議はない。

まず3人ともカトリックの洗礼を受けていないし、その気は全くないので仮
に連れ合いのご先祖の教会墓地があったとしても、入ることは不可能。故に
共同墓地に参ることになる。共同墓地とはどういうものかと言うと通常5年
すると棺は掘り起こされ、その後は遺族がどうにかすることになります。
あまり美しい話ではありませんが、つまり5年もすると遺体は土に還れる状
態になるわけで、言うなれば共同墓地は一時の仮の宿、永代ではないのです。

この5年と言うのも色々あるようで、例えば夫の母が我が家のすぐ近くの共
同墓地に眠るのですがここなどは土質の性格上9年置くことになるそうです。

さて、わたしも含め皆、ポルトガル式の土葬は嫌だ火葬がいいと一致(笑)
火葬をポルトガル語ではCremacao=クレマサォン(発音記号抜き)と言いま
す。わたしがポルトガルに来た当時はポルトにそれをするところはなく、
リスボンまで行かないといけないと聞いていましたが、近頃はポルトガル
人のなかにも火葬を望む人が出てきて、現在ではポルトでもできるというわ
けです。ただし、費用は5000ユーロ(約50万円)となかなかのもの。
それでも昔は日本円にして100万円はかかると言われましたから安くなっ
たと思えます。

ついこの間も夕食を食べながら出た夫との会話で、義姉義兄が揃って棺発掘
後、もしくは火葬後に遺骨を納める墓として、近頃墓地で見かけるロッカー
式の納骨所を購入したと言う。「いくら?」と尋ねると300ユーロ(約
30000円)ほどだと。

ふ~む・・・しかし、兄弟家族が身近にいる場合はいいが、いない場合は
発掘時の立会いもそうだけれど、いったい誰が遺骨をそこに入れてくれる
のかという問題があるよね、とわたし。

二人の旧同僚は、「ロッカーはいらない。自分の遺骨は庭、畑に散骨して
もらう」とのたまう。ちょ、ちょっと待ってよ。じゃ、フラットで庭がな
いわたしはどないなるねん!それに、勝手に好きなとこに散骨できるん?
法律で規定されてることがあるんじゃなかか?とのわたしの言葉に二人と
も、「黙っとれば分からんやん」(笑)

恐れ入り矢の鬼子母神!あんたら、わたしより滞在期間が短いのにずっと
ポルトガル人の気質を身に付けやんしたでありんすわ(苦笑)
二人ともどこまで本気かは知らないが、少なくとも現時点ではうっすらと
しか考えておらずまだ何も決められないでいるわたしではある。

時々「んもう!」と呆れたり腹が立ったりすることもある同僚ではあるが、
こんな情報交換をしながらああだこうだと、たまにおしゃべりをするのは
楽しいものだ。
我らのテーブルのひたすらにぎやかだったこと。
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2012年2月17日

Windows 7から初更新であります^^

さて、昨年12月にボランティア活動で市立図書館で子供を対象に影絵、
「キョーリュー年代記」を上映したのですが、今度は隣町のとあるリセウで
別の影絵をひとつお願いできないかと話があり気安く引き受けて、またまた
こ忙しくしているこの頃です。

今回は対象が中高校生で、できれば伝統的な日本の物語をというリクエスト
があり「かぐや姫」を選んでみました。「かぐや姫」はかつて補習校時代に
受け持ったの生徒たちと一緒に学芸会発表で作成したことがありますが、
もう少しいい出来を目指したいと思っています。
kagee

切り抜く紙がかなりの厚さなのでアートカッターの刃先も再三欠け、替え刃
を探すのに苦労しています。なかなか見つからないのです。時代物の今回、
なにかの時にと長年保管して来た和紙が役立っています。キャラクターの部
分部分に貼り付けるのはこれまたひと作業ですが、和紙の模様の美しさをど
うしたら影絵スクリーンにきれいに出せるか課題です。
 
 
今日はしばらく前に取材で出かけてきたところで発見したことをば。
ポルトのダウンタウンは目抜き通りのサンタカタリナ通りをマルケス広場に
向けて上ります。居並ぶブティックもなくなる区域の左にあるCastelo de
santa Catarina(サンタ・カタリナ城)と呼ばれる小さなホテルがあります。
castelosantacatarina

高い塀に囲まれているのでうっかり見過ごしがちです。
castelosantacatarina

お城の外装は青タイル絵ことアズレージュ(Azulejo)で覆われており、小さ
な庭には面白いシンボルも見られます。バスでサンタカタリーナ通りを通る
たびに気になっていたこの建物を最初に訪ねたのは2008年です。
castelosantacatarina

聞くとかつての私邸を改造した三ツ星のホテルでした。
1920年代、ブラジル人の退役軍人が故郷ポルトに戻り、邸宅として建築
したとのこと。

castelosantacatarina

客室は見せてくれませんでしたが、二階のサロンなら写真を撮ってもいいと
の許可をもらいました。
castelosantacatarina
狭い階段の装飾からして不思議な雰囲気をかもしだしています。

客室のバスルームも美しいアズレージュで装飾されているそうです。
庭園にはチャペルがあり、このホテルでは結婚式などのセレモニーも
催されます。

一通り撮影したところで、もうひとつの小さな庭が下方にあるのを見かけ
たもので降りていったところが、これです↓

castelosantacatarina

これでこの屋敷がかもし出す不思議な雰囲気の理由がいっぺんに解けたので
あります。エジプトのファラオと王妃の対の石像の後ろは洞穴の作りになっ
た休憩どころです。この手の洞穴はAlchemist(錬金術)のシンボルだと思
われます。ファラオの像からしてもこの邸宅の持ち主は紛れない神秘主義者
だったということが伺われます。

客室、廊下には多いに興味があるところです。

本日はこれにておしまい。皆様、どうぞよい週末を!
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2012年2月13日

がび~~~ん

長年愛用してきた愛機Window XPが酷使したせいか壊滅してしまった・・・
「外付けHDD」にある程度のファイルは保存していたのだが、忙しさにかまけ
てついつい昨年後半あたりから更新保存を怠ってきたのである。

諦めてはいたが修繕に出してみたところ、やはりディスクがぶっ壊れ修復不
可、ファイルが一部消滅してしまった(涙)
先週始めのことで、その意気消沈から立ち直るのに数日を要したのであります。

ということでただいまpc英語版を注文中で、夫のノートパソコンからの
更新です。使い慣れていないのとポルトガル語版なのとで使いにくいと言った
らありません。誤字もあちこちで見かけるかと思いますが、どうぞご勘弁を。
毎度のことですよってに、って誰ですのん?そんなことをおっしゃってます
のは(笑)

今日はポルトガルの話題から離れて、まだこちらに載せていないエッセイの
rewriteです。知っている方はスルーをば。

ズッコケ親子のチャゲ&飛鳥

chageasu
   画像はWikiより。

いい音楽は、心を豊かにしてくれる。
     
わたしは子供達が幼い頃から、家中で音楽を流しながら立ち仕事座り仕事を
よくしたものだ。
岩崎宏美の日本愛唱歌、ジョン・デンバー、キャッツ・スティーブン、パバ
ロッティ、ショパン、モーツアルト、ユーミン、研ナオコ、エディット・ピ
アフ、高橋真梨子等等、ジャンル、洋の東西を問わず好きな音楽は何度でも
聴く。家中が音楽で溢れていると、何故だかそれだけで心が満ち足りるのだ。

大してうまくもない歌も、時々一人でヘタクソなピアノを弾きながら歌った
りすると、時の経つのも忘れ1時間2時間とやってしまい、
「お~~い、奥さん、晩飯はまだかぁ」と夫の声がかかり「あらん^^;」
と言うこと度々だった。

このような生活環境だったから、子供達もおのずと音楽好きに育った。
レコードから流れているのや、わたしが歌うのを聴いたりして、子供達の
年代にしては、古い歌も随分知っているのではないかと思う。

「空にゃ今日もアドバルーン~ さぞかし会社でいまごろは~」なんて歌は、
我が母が歌うのを子供だったわたしが耳にして覚えていたのだが、これを
英語にしたのを見つけては、もいける娘と二人大いに盛り上がったものだ。
      
      Today adbaloon in the sky,
      Perhaps he is in the company.
      I think he is very busy.
      ああ,nevertherless nevertherless, don´t you?
      I get angry I get angry it is naturalね~          

題「ああ、それなのに」:サトーハチロー作詞、古賀正男作曲
1937年ヒット。もちろんわたしは生まれてません^^

「なによ、これぇ~」と喜んでは二人ともしばらくこの歌詞
が頭から出ていかないのであった。

息子は小学生のころ、ロック歌手ティナ・ターナーや
Guns & Rosesなどに一時夢中になり、エレキギターからアコースティックギ
ターを経て、今ではアパートの一室をスタジオにしてコンピューターを駆使
しし面白い音楽作曲にいそしんで
いる。

モイケル娘とわたしは音楽の趣味が合うようで、今でも時々それぞれが好き
な音楽をネットを通じて紹介し合ったりしている。

そのわたしたち二人がバッチリ意見も合い大好きだったのが「チャゲ&飛鳥」
である。「チャゲアス」をわたしたちが知ったのは、彼らの最高潮時期を過
ぎてからなのだ。

当時ポルトガルでは日本のテレビドラマのビデオも何年も遅れて見るのがざ
らであった。日本に帰国していた時にたまたま観た、再々放送くらいのドラ
マ「振り返れば奴がいる」。ドラマも面白かったがテーマ曲に二人とも
「ぬぬ?」となったのが「Yah Yah Yah」。
なんと斬新な歌詞!メロディ!いけるじゃん!このDuo、「101回目のプ
ロポーズ」の「Say, yes」の二人ではないの。
      
そして、その年の夏、帰国した日本の映画館で観た宮崎駿氏の「耳をすませ
ば」と同時上映された7分間のアニメフィルム、「On Your Mark」を観たの
だ。チャゲアスの歌「On Your Mark」がずっと流れ、少し不思議な未来アニ
メだった。歌詞もメロディも抜群に肌に合った^^
以来、わたしたちはチャゲアスのcdを聴きまくることになる。

Yah Yah Yahをかけながら、On Your Markを聴きながら、車をぶっとばすこと
の気持ちよさったらない^^

♪い~まからソイツを これからソイツを 殴りに行こうか~。
Yah Yah Yah Yah Yah Yah Ya~

飛鳥、アンパン顔だけど、カッコいいじゃん。こんなセンスのいい音楽を
作る事ができるんだねぇ^^ と、モイケル娘とわたしは彼らの歌にすっか
り酔ってしまったのである。

ある日、ポルトで日本人の友人宅から帰って来たモイケル娘、

「おっかさん、あのさ・・・・わたしたち、とんでもない勘違いしてる。
 チャゲアスね、今日、友達んとこのテレビで観たんだけど・・・
 チャゲが飛鳥で、飛鳥がチャゲ
だったよーー!

      
え?え?なんでんねん、そりゃ?

cdで聴くだけのチャゲアス、「チャゲと飛鳥の映像」を観たことのない我ら
親子は、cdの歌詞小冊子に載る二人の写真を見て、「チャゲを飛鳥と思い、
飛鳥をチャゲ」と勝手に信じ込んでいたのである

う、うそ・・・そんなぁ。今更ひどいよ。
イメージチェンジ、きかないよ~~(爆笑)      

いやはや、これには参ったズッコケ親子。
いったい全体、何がどうしてそんな事になってしまったのか^^;友人連
に話しては、「あんたら、アホ」の一言で片付けられたのではあった。

いったん頭の中に定着してしまった「チャゲが飛鳥で飛鳥がチャゲ」像、こ
れを払拭するのに長い長い時間がかかったのでした。

それにしても、飛鳥さんの詩に心をグッと鷲づかみされるような不思議な斬
新さをわたしは感じるのです。



いーまから そいつを これから そいつを なぐりに いこーかー

なんてあまり女性が声高々に歌っていいものかとは思うものの、女だって
殴ってやりたい人間の一人や二人はいたりしますものね。
      
久しぶりに聴きたくなりました^^
殴りたいヤツ、いるのかって?
断りもなく壊れちまったパソコンよ!
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2012年2月11日

ポルトは、ポルトガル国名発祥の地であり、15世紀にポルトガルに栄華を
もたらした大航海時代の先駆者、エンリッケ航海王子の生地でもあります。

ポルト市それ自体は面積42k㎡、人口27万人ほどですが一般に「ポルト」
と言えば、ポルト市を中心にした近郊13市を加えた「Grando Area Metropo-
litana do Porto=グランド・ポルト」を意味します。

1575k㎡の面積に人口200万人以上が住んでいます。わたしたちが住
むのも近郊市のひとつMaia市で、わたしもグランド・ポルトの住民というに
なります。

日本の関東と関西がちょっとしたライバル意識を持つのと同様、ポルトガル
でもポルトとリスボンは対抗意識が強い。わたしの知っている小噺に次のよ
うなのがあります。

リスボンで催された、とあるコンクールの勝者への賞品がポルトへの旅行券
であった。

 1等・ポルト1泊券 
 2等・ポルト2泊券
 3等・ポルト3泊券


え!と思われるでしょう(笑) 
どうして1等が一泊で2、3等がそれより多いのか?

つまりこれは、洗練されたリスボンっ子からすると、片田舎のポルトに滞在
するのは長くなるほど拷問である、というオチなのです。
「おふざけじゃござんせん」と言いたいところですが、思わずこのブラック
ジョークには笑ってしまいます。

さて、リスボンっ子をポルトガル語では「lisboeta=リズボエッタ」と呼び、
「cheira Lisboa=リスボンの香り」と昔から言うように、「洗練された、
お洒落な、都会の香りがする」と言う含みがあります。

一方ポルトびとはと言うと、これがまぁなんと「Tripeiros=トリペイロス」。
tripaは臓物のことでtripeiro(tripeirosは複数)はそれを常食とする者を
指し、ポルトびとのあだ名がこれなのです。

しかし、コホン、これにはポルトびとの祖先の深い愛国心が絡んでいるので
あります。

イベリア半島南部をはじめ、国土のほとんどがイスラム教民族に支配されて
いた長い時代を経て、8世紀にキリスト教民族の「reconquista=レコンキ
スタの戦い」が展開され、イベリア半島が奪回されたのは13世紀も半ば。
レコンキスタが完全に成就するまで、まさに5世紀もの年月を要したのです。

ポルトガル国はスペインからの独立戦争を経て、その辺りから始まるわけで
すが、1415年、アヴィス王朝ジュアン一世の時代に、ジブラルタル海峡
に面するイスラム教徒の拠点、北アフリカの入り口Ceuta=セウタを攻略する
ことになります。
ヨーロッパの隅の国ポルトガルにとり、領土を広めるにはアフリカ大陸を
目指す他なかったのです。
(既に「ここに陸尽き、海始まる」で書いたポルトガルの国民詩人カモイン
スもこの戦いに参戦し、この戦いで後のトレードマークとなる右目を失って
います。)

出発点はリスボン港とポルト港。
ジュアン一世はこの時、三男のエンリッケ王子も含む三人の息子、船舶大小
合わせて200以上、5万人の兵を率いて参ります。

この時です!
エンリッケ王子の故郷であるポルトびとたちは、セウタの戦いに向けて兵は
勿論のこと、70の船舶と兵の食料となる肉という肉全てを献上したのです。
残った人々は家畜の臓物を食することで食いつないだと言われます。ポルト
びとが「トリペイロス(複数)」と呼ばれるゆえんは、この郷土愛、ひいて
は愛国心にあるのです。Tripasはポルトびとの「利他主義、有用性、自己犠
牲、手厚いもてなし」を象徴する料理というわけですね。

料理写真はTripas料理。

tripas
新鮮な牛、豚、鶏肉の臓物を丁寧に洗い、それに臓物詰めの
ソーセージ、豆類、玉ねぎのみじん切り、ローリエの葉など
を加えて煮上げる。ごはんが添えられる。

今日ではポルトを代表する料理になっており、一般のレストランでたいてい
メニューに載っていますし、また、それ専門の評判のレストランもあります。
少しクセがありますがポルトにおいでの際には一度お試しください。
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2012年2月9日

日本茶がおいしいと思うのは、わたしの場合、帰国して滞在先の妹宅や和食
レストランでの食後の一服である。
コーヒー党のわたしは長いポルトガル在住でたまらなく日本茶が欲しいと思
ったことはない。そう思わない理由もある。

胃に食べ物が入っていないままに日本茶を飲むと、てきめんに胃がキュッと
収縮するのを感じ、その直後に吐き気が来る。これはよそ様にいては、冗談
ではなくタラと冷や汗をかくことになる。日本茶だけではなく紅茶もそうだ。
   
思うに日本茶紅茶含有のタンニンのせいではないかと想像している。
とにかく空きっ腹にはダメなのだ。故に頂いた高価なお茶は小さな食料貯
蔵室にある冷凍庫の中で長い間眠ることになる。

さて、コーヒー党と書いたが、厳密に言えば党と言えるほどコーヒーに詳し
いわけではない。
昔、「コーヒー・ルンバ」という歌が流行ったことがある。

   ♪むかし アラブのえらいお坊さんが 恋を忘れた哀れな男に
    しびれるような香りいっぱいの  
    琥珀色した飲み物を 教えてあげました

と歌われる歌の中に出てくる「モカマタリ」を始め、知っているコーヒーの
名前はキリマンジェロ、ブルーマンテンくらいだが、ポルトガルではまず耳
にすることがない。
わたしが好んで一日に何倍も飲むのはインスタントコーヒーアメリカン式で、
お茶で言えば出がらしのようなものだ(笑)
日本にいた頃喫茶店での注文するのは「アメカフェ」ことアメリカンカフェ
が定番であった。

これが、ポルトガルに来た途端、コーヒーに関するこれまでの思い込みをガ
ラリと変えさせられることになったのである。
ポルトガルのどこのカフェへ行っても「アメカフェ」なるものはない!
なんだ?そりゃ?とけげんな顔をされるのがオチ。
カフェと言えばポルトガルでは断然「エスプレッソ」なのである。

アメリカ映画を観るとしょっちゅうコーヒーを飲んでいるシーンが出てくる。
アメリカ人もコーヒーが大好きな国民だが、ポルトガル人のカフェ、つまり
エスプレッソ好きは半端ではない。食後、ブレイクタイムには必ず飲む。
普段は家でインスタントのアメカフェを飲むわたしだが、休暇などで出かけ
ると日に3杯のエスプレッソをわたしも飲むことになる。
我が夫もエスプレッソを日に5杯ほどは飲んでいた一時期があって、わたしを
呆れさせたものだ。

エスプレッソは強い。わたしはコーヒーに砂糖を入れない主義だが、エスプ
レッソは苦くて砂糖なしではさすがのわたしも飲めないことが多い。

さて、では、ポルトガルのカフェはどんなものなのか^^↓

コーヒー薀蓄
         
カップはどこでもデミタスカップ。カフェが半分しか入っていないのは飲んだ
からではなくて、始めからこの量だ。

同じポルトガルでもリスボンとポルトではカフェの呼び名が違う。
リスボンではBICA=ビカ、ポルトではsimbalino=スィンバリーノ、もしくは単
にCAFEと注文する。
ポルトのsimbalinoはイタリアのエスプレッソを作るコーヒーマシーンのメー
カー名、「La Cimbali」から来る。
また、リスボンのBICAもエスプレッソを作る機械の蛇口を言うようだ。
   
しかし、これには面白い説もある。
   
昔、リスボンの街のダウンタウンにあるカフェで、エスプレッソが出始めた頃、
その苦さに慣れていなかった客は、これまで親しんできたコーヒーの味と違う
ため、文句を言い出した。

そこで店主は言った。「Beba isso com acucar!=砂糖をいれてそれを飲め」
(acucarの二番目のcにはニョロ記号ことcedilha記号がつき、アスーカルと
読む)
以後、BICAと呼ばれるようになったと言うホンマかいなと思われる、冗談の
ような説ではある(笑)

エスプレッソがカップ一杯にコーヒーが欲しい時は「cafe cheio=満杯に」
と頼めばいい。値段は同じだ。

余談だが、リスボンとポルトで呼び名が違うものは他にもいくつかある。
生ビールもそのひとつ。
ポルトではCerveja pressao=セヴェージャ・プレサォン(pressaoは圧縮の
意)、あるいはfino=フィーノ(細い、上品な、の意味がある)、リスボン
ではimperial=インペリアル(ビール会社の名前)と注文する。

ものの名前からして分かるように、ポルトとリスボンはなにかとライバル意
識がちらつくのである。

ポルトガルでは一般家庭でも食後のコーヒーはエスプレッソ。
各家庭ではだいたい下のような簡単なエスプレッソマシーンがある。
     コーヒー薀蓄


上下二つの部分に分かれている。下は水が入り、上部には挽いたコーヒーを
いれるサイフォンがついている。このまま火にかけると、沸騰したお湯が下
から上に上り、エスプレッソが溜まる。

     コーヒー薀蓄
どこの家庭でもあるのがエスプレッソ用のデミタスカップだが写真は我が家
のデミタス。

さて、近頃ではクールなアメリカ男優ジョージ・クルーニが美女にギャフンと
やられるユーモアなCMを提供してくれるネスプレッソ社が出すエスプレッソ
家庭用マシーンがある。

「あれ、買いましょか?」とカフェが好きな夫にたずねると要らないと言う。
それもそうだろう。自家に備えるとカフェに行く必要がなくなるというもの、
カフェはお茶を飲みにいくだけの場所ではなく、冬ならば軽い暖房でほんわ
り暖かく、夏ならば涼しいその場所で、一杯のカフェを飲みながらじっくり
新聞や雑誌を読んだり、友達と閑談したりもする、ポルトガル人にとっては
憩いの空間でもあるのだ。

わたしはなかなかその習慣を身につけられないでいる。

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2012年2月5日 

午前中は少し我慢をすればほとんどヒーターをつけることなく済ませられた
1月でしたが、2月に入るなり気温がグンと下がり、ここ数日、9:30の
気温が4℃、最高気温が6℃という日もありました。pcの前に座って仕事
をし続けると、首筋、足元が寒くて仕方がない。というので、このところ朝
からガス・ヒーターをつけていますが、まぁ、終わるのがはやいこと。

我が家のある一帯はまだ都市ガスにはなっていないのでガスが終わるとその
都度ガスボンベを配達してもらいます。これがまぁ、近頃トンと値段が上が
り、一本が25ユーロ、ほぼ2500円で、4、5日しか持たず光熱費がか
さ張る今冬です。

そんな中、昨日はポルトで午後1時半から漢字検定試験が実施されました。
Oちゃんと共同で教えている我らが「YY日本語塾」(二人の頭文字と、ワイ
ワイ楽しく日本語を学んで欲しいとの願いもこめて改名です^^)からは
受験者20数名のうち6名の予定でしたが一人は欠席、5名受けました。

生徒さんの応援にとわたしは受験会場である補習校に駆けつけたのですが、
Oちゃんの女生徒が試験時間になっても現れず。試験監督のお役目で動く
ことができず、結局わたしが試験場の門まで出て、まだかまだかと待って
いたのですが、とうとう現れず・・・・

遅刻入場許可時間、残り5分で受験できないという段になり、なんと!
普段は開いているが土曜日は開かないという反対側の通りの門で待って
いたと言うではありませんか!

ずっと待っていたのだそうで可哀想に半分泣きながら、ギリギリに受験
教室に入ることができました。
実は受験会場の住所が彼女が待っていた通りの名前になっているのです。
う~ん、これは受験案内にそちらの門は閉まっているので別の門から入場と
しつこく言わなければならないと思った次第です。

とにかく無事に今年度の漢検は終了し、わたしも今週からやっと通常の
日本語授業に戻ることができます。試験指導はできれば避けて本人次第
だと言えれば楽なのですが、そこが情です、受けるからには合格して欲し
い。ついつい熱が入って受験する当人よりこちらが疲れたりしてます(笑)

みんな、合格するといいね。

さて、今日は我が東京息子の話です。

息子が日本へ行って丁度3年になろうとしています。行った当時のおのぼり
さん振りも取れて東京の生活に表面上は慣れたかと思うこの頃です。
昨秋体調を崩して音楽活動を休止していたのですが、再活動したようで、
3度目のCDリリースです。

JoaoRiu

作曲したから聴いてくれと紹介されてもう4、5年になるでしょうか。初め
て聴かされた時は、「うわっ!なんだこりゃ」と言うのが正直な感想ですが、
何度か聴いているうちに耳も慣れ、近頃の作品は「そんなに悪くないかも?」
と親バカ振り 

たまに仕事をしながら聴いたりすると我知らずそのリズムに乗っている自分
に気がつく。仕事中と言っても日本語授業ではもちろんない。
pcに向かって己が無才と闘いながら、ひたすら文章の推敲を試みる仕事です
ってば(笑)

しかし長時間は無理です。 頭の奥で脳内神経が「ビビ~~ン」と麻痺
してしまいそうです 一晩これを聴きながら踊る若者たち、
さすがエネルギーがあり溢れています。

親からすれば、何だかよく分からないジャンルの音楽ですが、好きなら思う
存分してみるしかないかなと思うこの頃、息子よ、働きながらの音楽活動
です、健康にだけは気をつけておくれ。

息子の音楽が聴ける無料サイトはこちら。
http://soundcloud.com/full-propulsion/sets

わたしのお薦めは2011年Tracksの4番目「Universal Soul」。
よろしかったら一度お試しください。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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2012年2月2日

bugenbiria 

数年前にベランダに置いたブーゲンビリアの苗だが、最初の年と翌年はたく
さん花を咲かせ、楽しませてくれた。
が、3年目から花の数が少なくなり一昨年、花は数えるほどしかつけず、ど
うやら害虫がついたようで、他の花にも感染してはいけないと、調べもせず
に慌てふためき枝葉をバチバチ切り落としたのでした。

そんな経緯で昨年の夏もお情けばかりの花をつけただけだったのが、まぁど
うしたことでしょう、斜め向かいのお宅の見事なブーゲンビリアは秋が深ま
るころにはとっくに花を散らしてしまったのに、我が家の花はこの冬2月に
入った今日でも健気に咲いているのです。

ブーゲンビリアと言えば夏の花です、それをトチ狂ったように真冬も咲いて
いるとは、う~む・・・今年はもう少し手をかけてあげようか、ということ
でトップの写真です。

さて、今日はつい最近あった面白いできごとを。

ブログではエントリーしていないので知る人は少ないと思うのですが、我が
モイケル娘の勧めでわたしが最初に立ち上げたホームページ時代の知り合い、
それも、隈なく読んでくれた人しか恐らく知らないであろうサイト、「アリ
ゾナの空は青かった」があります。30数年前の、今とは違ったアメリカを
少しだけ垣間見たわたしの留学記です。

その中のエピソードを以下引用。

-エピソード10 「ずっこけ3人組」

「グリーンが来るよ。」
三週間ころ経ったある日、ロブが言った。
ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で彼はわた
しが渡米する前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たま
たまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。

ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。
当時わたしは留学資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトを
していたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両
に乗り合わせる外国人がいるである。

午後10時ころともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、
しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw
若くやたら背の高い赤毛のアメリカ青年である。否が応でも目立とと言う
ものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔
だけは知っていたようだ。

それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学
学校の上司マーチンさん、そして同僚のロブとで現れたのだ。
そのときのわたしとブルースは、アリゾナ大学でわたしが同じ会社の同僚だ
ったザワちゃんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」
(笑)(ザワちゃんとのエピソードはこちら

AB-mawashinomi
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」
と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。

arizona
語学学校のグループ。ここにブルースの相棒ロブがいないところをみると、
これを撮影したのは彼であろうか。

そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投
合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある、すわ!」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。すわ、行こうよ!」という
具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるで
サイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かった。

AB
   サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。 


そのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると
言うのである。

来ました来ました(笑)
ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車
を運転してはるばるやってきたのであります。

久しぶりに顔を会わせたずっこけ3人組、早速砂漠へでかけて、前座席に
3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、と
わたしの運転練習(笑) 今はどうか知らないが「車を前進させられれば
免許がおりる」と言われたくらい、自動車学校などに行かなくても運転免
許がとれたのである。

「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、
Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ(笑)
とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込
みそうになり、終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を
押されたのでした。(今はこのポルトガルで奇跡的にも運転しているとは、
二人とも夢知るまい。笑)

夜は3人でわたしがこれまでに見たこともないデカいアメリカピザをたいら
げ、当時上映中で人気抜群だった「Saturday Night Feaver」を大学キャン
パス内の映画館に見に行ったのでした。
グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、三日目に再びミズー
リーのいつもの生活の場へと帰って行った。

三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗り
のことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。
ミズーリーがご自慢であったのだ^^

arizona
ソノラ砂漠で。グリーンとロブ。これだけ広かったら、さすがの運転音痴の 
わたしも何とか運転できそうだと思ったのがまちがいだった。 
         
arizona
        
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。
これに突っ込んだら・・・^^;そしてこの背の差。ロブだけでなく、 
自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった(笑)

「ずっこけ3人組」はあれから27年、ツーソン以来、再会していない。ー


「2005年2月記」とある。古い記事、写真を持ち出して恐縮ではあるが
人におだてられ調子に乗り、楽しくもほろ苦い思い出のあるツーソン留学記
を思いつくまま綴ったのでありました。ゆえにまだまだ校正しなければなら
ないのですが、ここから本日の本題です。

先週末のこと、いつものようにメールチェックをしましたら、Facebookより、
「R.G. wants to be your friend」とある。
「ろ、ろぶ?ろぶって、ともだちって!アヒャヒャのオホホのウハハハハ!」
驚いたのなんの、言い表しがたい感動が体内を駆け巡り、わたしの異様な
興奮振りを怪しんだ夫、「なにやってるの、ドナ・ユーコ? 大丈夫かい?」
と心配顔。

大丈夫かいって?大丈夫じゃない、まったく大丈夫じゃない!だって、こん
なこと、ある?ええ、あるんです!30年40年以上音信不通でいた旧知の
友から、ある日、突然別世界から来る葉書の如く、連絡が舞い込んで来るこ
とが!
こんな再会はこのロブも含めて、ひょんなことから連絡がついた中学時代の
親友、高校時代の親友、そして、永遠のペンフレンドことIさん。

フェイスブックは日本語教室の生徒さんとの交流の場になるかも知れない
と言うのと、もうひとつは、2010年のポルト・Japan Weekのコーディ
ネータをした際に、宣伝になるから入っておけ、と半分義務付けられたの
でありました。結局登録したのがJapan Weekも終了した後で、宣伝には
何の役にも立たなかったのですが、わたしからするとフフェイスブックは
入ったもののブログ、ホームページの更新もあってほとんど放ったらかし
だったのです。

それがなんと、上述のツーソン留学以来、お互い音信不通になってしまっ
ていたズッコケ仲間の一人からこうして連絡が入ろうとは。

わたしは以前にもブログで取り上げたのだが、亡くなった写真家の星野道
夫さんの「人生はからくりに満ちている」と言う言葉を、ホンマやなぁと、
この歳になってつくづく、そして何度も近年は噛み締めているのである。

そうそう、もうひとり、我が永遠のペンフレンドIさんのお嬢さんともフェ
イスブックを通して知り合いになったのだが、まさに世代を超えてのつな
がりができるのはネットの魅力、利点であろう。

こんなわけで、我がフェイスブックHomeはわたしのヘタクソな英語と
ロブのヘンチクリンなローマ字日本語とでにわかににぎやかになって
いる昨今だ。

以下、「人生はからくりに満ちている」の他エピソードです。
よろしかったらどぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-846.html

また、こちらは→「アリゾナの空は青かった」です。
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