2012年4月25日 

今日は4月25日、休日です。この日にちなんで過去に何度か書いてきたこ
とを三つほどあげて見たいと思います。長いです。

4gatu25nichi

抵抗の詩人:Zeca Afonso

希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない。

スティーブン・キングがその本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショ
ーシャンクの空の下)の中で、残虐な刑務所長をしてやり、脱獄不可能な
ショーシャンクをついに脱出し、後に仮釈放になる相棒レッドに宛てた、二
人の秘密の場所に埋められた手紙に書かれていた、主人公アンディー・デュ
フレーンに言わしめた言葉だ。

わたしは時々、この「希望」を自由に言い換えてみる。そして、真の自由は、
わたしたちが思ったり想像したりするよりずっと質素で牧歌的で土に根ざ
したものではないかと思うことがある。自由を渇望したことがなければ、そ
の真髄に触れることはできない。

そういうことを改めて考えさせられる日が、年に二度ある。
そのひとつは、戦後生まれの私は経験してはいないけれども、その不自由
さが書物や人の話から多少は想像できる8月15日の終戦記念日。
もうひとつはポルトガルの4月25日の革命記念日だ。

別名を「カーネーション革命」とするこの無血革命の記念日は、制定されて
から38年になる。ポルトガルが独裁政権から自由を奪回してからまだた
った38年ということである。

4、5年前に日本からやってきた大学生の甥を旧コインブラ大学に案内した
とき、昔のままの姿を残す、大学周辺の細い路地に並ぶ下宿屋を散策した。
その折に見つけた一軒の下宿屋の外壁に、人の顔の青タイル絵がはめ込まれ
ているのを見つけた。

4gatu25nichi
「Zeca Afonsoがコインブラの大学生時代にここに下宿していた」
と書かれていた。

彼の名はカーネーション革命に欠かせない。

Zeca Afonso(ゼカ・アフォンソ)若しくは単にZecaとして知られる。
幼い頃から健康に恵まれず、裁判官として当時のポルトガル領アフリカ・モ
サンビークに赴任した親兄弟と離れて、本土の親戚の家で育った。

学生時代にコインブラ・ファドを歌い、地方の人々の暮らしや伝統にまつわ
る音楽を自作した。やがて、アルコバッサの高校でフランス語と歴史の教師
を勤めながら(この職もやがて追われる)、社会問題を取り上げた作品を多
く自作して歌い、この頃からサラザール独裁政権に対する反ファシスト地下
運動のシンボルとなって行く。

彼の歌は放送禁止となり、コンサートの多くは政治警察によってキャンセル
され投獄される。その名前も検閲にひっかかるようになり「Esoj Osnofa」
というアナグラムを使ったりレコーディングもフランスやロンドンでしたり
する。この間、コミュニストへ入党に招待されているが、断っている。

1974年3月29日、満席のリスボンのコリゼウ劇場で催された、Zecaを
始めその他多くのミュージシャン共演コンサート最終幕で彼の歌「Grândla ,
Vila Morena」(you tube)が全員で高らかに歌われた。

このとき会場には密かに4月革命の準備をしていたMFA(国軍運動)のメン
バーが聴衆に混じっており、革命の「カウンターサイン」としてこの「Grândla」
の歌を選んだと言われる。
註:Grândla =グランドラは、アレンテージュ地方にある小さな町の名前。
Zeca Afonsoはローカル色豊かで素朴なこの歌でグランドラの人々の同胞
愛を歌っている。

1974年4月24日午後10時55分、革命開始の合図として最初にPaulo
de Carvalhoの歌、「E depois do adeus」(そして、さようならの後で)がラジ
オで流され、革命は静かに始まった。
約1時間後の翌4月25日真夜中00:20、ラジオルネッサンスで流された
「Grândla 」は、「全て順調。行動に移れ」の二度目の合図で、これを聴いて
左翼の若手将校たちが先頭になり無血革命の出撃が始まったのである。

4月25日朝、クーデターを知った民衆は続々と町へ繰り出し、リスボンの
アベニーダ・ドゥ・リベルダーデ(自由通り)は民衆と革命軍で埋め尽くされ、
兵士たちの銃にはこの自由の勝利を祝って、民衆が投げたカーネーション
の花が挿し込まれていた。以来、ポルトガルではカーネーションは自由の
シンボルとなった。

4gatu25nichi

1983年、Zecahahはかつて追われた教師の職を再認定され復帰する。
またこの年には政府から功労賞が与えられたが辞退している。
1987年2月23日Setubalにて病没。3万人が葬列をなし、棺は遺言通
りなんのシンボルも持たない真っ赤な旗に覆われた。

ポルトガルの春

1974年4月25日明け方、リスボンにて革新派の少壮軍人たちによる
無血クーデターが起こり、42年間続いたサラザールの独裁政治に終
止符が打たれました。
1960年代から長年にわたる、アフリカのギネ、アンゴラ、モサンビー
クの独立をめぐる植民地戦争に、この当時ポルトガル政府は国家予算
の40%を投じており、国家の疲弊感は免れないものでした。民衆から
も、そして軍内部からも、終わりの見えない戦争に対する反抗の気運が
高まり、ついにこの日の無血革命にいたったのです。
その日、リスボンの中央を貫く大通り、アベニーダ・ドゥ・リベルダーデ
(自由通り)は迎合する民衆と革命軍で埋め尽くされ、革命軍の勝利を
祝って民衆が手向けたカーネーションが兵士たちの銃に挿し込まれて
いました。以来、カーネーションは自由のシンボルになり、この日はカ
ーネーション革命とも呼ばれます。
1974年と言えば、わたしがポルトガルに来るたった5年前のことです。
それまではこの独裁者のもと、国のあちこちに政治警察が置かれ、人々は
言論の自由を奪われていたと聞きます。ここに来た1979年のこと。
近所のまだ年端もいかない子供が、棒っきれを手に振り上げて、野良犬に
「ファシスタ!ファシスタ!」(独裁者)と叫んでいる光景に出会い、ギョッと
した覚えがあります。

わたしが来たのは、革命がホンの数年前に起こったということで、やはり、まだ
独裁政治時代の影をこの国はひきづっていたように思えました。
サラザールの時代、一部のブルジョアにとってはさんさんと輝くポルトガルの日
の光のもと、民衆にとっては暗い時代だったのです。
38数年たった今、ポルトガルの前途があまり明るいとはいえないにしろ、
少なくともここに自由はある。


ポルトガル、カーネーション革命に思う

今年もVinte-cinco de Abril(ヴィンテスィンコ・ド・アブリル=4月25日)が
やって来ました。ポルトガル人にとって4月25日は特別の日です。
ブルジョアジーにも民衆にも。

お金には不自由したわたしですが、自由そのものには高校を出てから
不自由しませんでした。若かった日々の時間は、下宿時代、アパート時
代と、食うものも食わずのことが多かったのですが、とびきり自由だった
ように思います。

わたしの時代の自由と言うのは、今の若者たちのそれとは少し違うかも
知れません。

酒も酌み交さず明け方まで(皆、金がなかった。笑)、しらふで狭いひとつ
部屋で仲間たちと青臭い人生論を戦わし、恋をし、失い、夜更けの町を
さまよったり、川べりで野宿したり。ビルの屋上で真夜中のギターの音に
耳を傾け月や星を仰いだり。操車場に眠る夜更けの電車の並ぶのを眺
めたり。 あの時代の夜は、今よりも遥かに神秘的で魅力的で、どこか
人間をそのとばりで包みこむ優しさがあったように思います。

今のように24時間オープンの店などなく、スナックバーの片隅で閉店ま
でねばり、ちびりちびりウイスキーを飲みながら、やはり仲間と語り明か
したものです。
語っても語っても語り足りない人生というものに大きな不安と希望を抱い
ていました。

見たり(テレビ)聴いたり(音楽)、画面で遊んだり(ゲーム、パソコン)の
類のものはなく、なんだか皆、ひたすら読書と議論に明け暮れていまし
た。そうそう、この頃の深夜番組には「ヤンリク」(ヤング・リクエスト=音
楽リクエスト番組)があり、わたしが入っていた男女200人近くもの下宿
屋の仲間内では、白戸三平のマンガ「カムイ伝」がま回し読みされてい
ました。

上記以外にあの頃のキーワードと言えば、「明日のジョー」「寺山修司」
「歌声喫茶」「ドクトル・ジバゴ」「三島由紀夫」エトセトラエトセトラ。
加藤登紀子さんが歌っている「紅の豚」主題歌、「時には昔のように」
(you tube)そのものでした。

金銭的には誰の世話にもならず、多くのものも持たず、だからこそ思いき
り自由だったと言える気がします。人はものを持てば持つほどそれにとら
われ、不自由になるものだというのは本当かも知れないと近頃うなずい
たりします。

今日こんな風にあの頃を思い出し、こうしてブログに載せることができる
自由。生活を向上させたいとがんばり努力できる自由。
書物を選び読みすることができる自由。
枠にとらわれず自己表現ができる自由。
国の政策を言葉や態度で批判できる自由。

左翼右翼関係なく、自由のない社会はわたしはごめんです。安定した
自由のない生活よりも、貧しくとも自由のある生活を望みます。

この当たり前に思われる自由を、わたしは今、空気のごとくこの身全身
で吸っているのですがポルトガルが38年ほど前は言論の自由がない
国だったとは思えないほど、今ではそれは歴史の一部になりました。
秘密警察がいたサラザールの独裁政治時代はわたしは知りませんが、
恐らくおぞましい社会であったろうとは、想像してみることはできます。

自由であることがどんなに素晴らしいかを今再び思い出すために、わた
したちは歴史を振り返る必要があるのです。

4gatu25nichi
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2012年4月24日 

hana-2012-mar.jpg
 
 
影絵作成に没頭した週末、さすが疲れたのであろう、12時前に寝室に入る
ことはほとんどないのだが、昨夜は珍しく夜10時過ぎに就寝。そして目が
覚めたのだ、3時半に・・・・何度も寝返りを打ちながら寝る努力をしてみ
るが、一度目が覚めると寝付けなくなる性分で、結局4時前には起きてウェ
ブ新聞に目を通す。まだ薄暗い外からはしきりに鳥の鳴き声が聞こえる。
ホトトギスだろうか。

モイケル娘を急かして、影絵「かぐや姫」の朗読ファイルがやっと届き、目下
朗読とBGMを何度も聞きながら、影絵劇中に於ける音入力のタイミングを
考えている。影絵作成の中でもこの編集が一番好きなのだ。そうして影絵の
雰囲気を盛り上げ、今わたしの頭の中ではその音楽がグルグル回っている。

朗読ファイルが遅くなったのは、モイケル娘の10日ほどにも渡るインフルエ
ンザと喉の炎症で声がでなくなったためだ。院受験のため3月末日を持って
3年間勤務した社を退職したモイケル娘だが、情けないことに最後の5日ほ
どは結局出勤できなかったそうで、尻切れトンボ・・・^^;いくつか残っていた
送別会も退職した後にしてもらっていたようだ。

スカイプのウェブカメラで影絵の話をしながら、「いよいよ、明日出発だね。
準備万端であるか?」と聞くと、「旅行カバンは今日空港に送った。けど、
おっかさん、出発はあさって火曜日だよ」と言う。
おい、ち、ちがうってば~~!切符をもう一度確認せよ!
切符を持ち出してきた彼女、「ほれ、24日となってる」とまだ言っておる。
「24日(火曜日)の01時となっておろうが?それは月曜日から火曜日に
日付が変わる月曜日の夜12時過ぎの1時であ~る!」

と、わたしに言われたモイケル娘、「がび~ん!あさってだと思ってた~。
兄貴にまだネコの世話の注意事項、話してない^^;」

兄の東京息子はお泊り会なのだとか、慌てて彼のケータイに電話を入れる
始末。

危なかった!明後日になど羽田に行ってごらんなさい。「お客様、これは昨
日の切符でございます」「がーーん!」でしたぞ。 と書きながら、昔のハ
プニングを思い出しております。

子供たちがまだ小さかった頃のこと、一旦予約した切符のを一日早くポルト
ガルへ帰ることに変更してもらい日本へ帰国。さて、帰りの乗換え地点ロン
ドンで窓口に切符を差し出すと、
「お客様、これは明日の切符でございます」・・・え?そ、そんなこと・・・と己
の目で日付を確認すると、正に言われたとおり、翌日の日付が書いてある。
そんな、そんな・・・

で、思った。帰りの日にちを変更してもらったときに、日本からロンドンまでは
したものの、ロンドンからポルトまでをどういうわけか依頼し忘れたか!こちら
の落ち度もあろうが、旅行社も旅行社、「ロンドンからの切符はこのままでよろ
しいですか?」と一言聞いてくれてもいいじゃないのん?のんきなもんです。

持っていったキャッシュは最後の日本食を!と食い意地を出し、空港で全部
使い果たして手元にあったはたったの1万円(笑)今でもそうだが、わたしは
カードを持たない主義。一人ならまだしも、子供二人を連れてたったの一万
円ぽっちではホテルにも泊まれない、いったいどうしようかと途方にくれそう
になった。

結局、荷物を全部受け取り、窓口でドタキャン切符を待つこと数時間、やっ
との思いでポルトに帰ってきたのでしたが、どことのぉ抜けてるところ、親
に似なくてよいものを、哀れ、DNAのなすわざか。

あと数時間で4年ぶりにポルトの地を踏む娘を空港まで迎えに行って
参ります。

neko
みんな待ってるよ


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2012年4月21日

gaot
ん?なんだ、これは?答えは下方に

ほんとは、たぶん・・・・こんなことをしてる暇がないのかも・・^^;

影絵の上映が5月5日に迫っており仕事がいまいちはかどらずにおります~
なにしろアートカッターの切れが悪い!替え刃が手に入らない!気に入った
色のセロファン紙がみつからな~いと、ないない族のごとく不満言ってます。

来週火曜日には、我がモイケル娘が4年ぶりの帰国。それもあって、できれ
ば今週末までに切り絵だけでも終わりたかったのであります。娘にビッタ
ンコくっついているつもりはないのですが、夫は何だか色々休暇をとってる
ようで夫婦二人で娘の取り合いかも(笑)

ま、無理からぬことではあります。わたしは野暮用で去年は2度も日本へ
帰って子供たちの顔を見ているのですが、夫にしてみると娘が4年ぶり、息
子はここ3年会っていないことになりそうろう。あそこへ行ってここへ行
ってと、ご勝手にプランを立てておりますればw わたしゃボートに乗るの
は怖いかいやだと言うと「じゃ、もいちゃんと二人で行ってくるから」って
なんでんねん、そりゃ(笑)

子供たちが小さかったころの夫とのバトルを思い出します。
学校の宿題が終わると、わたしは日本語を教えたい、夫はポルトガル語を見
てあげたいと、夫婦で時間を取り合ったものです(笑)もちろん、最後は
いつもわたしが勝利。じゃんけんでもしたのかって?あっはははは。
とんでもございません。こと日本語教育に関してはゆずりませんでしたっけ。

その「じゃんけん」も、モイケル娘、「ジュアン君ポイ!」(ジュアンは兄
貴の名前です)と、覚えていたのでした。補習校の小学校1年にあがってし
ばらくは、自分を「ボク、ボク」と呼んでいて、「おたくのお嬢さん、ボク
って言ってるわよ」なんてわたしの友人たちには言われたものですが、なに、
補習校へ入ればすぐ直りますよ、と返答、まさにその通りでした。

女の子はみな「わたし」と言っているのがイヤでも耳に入ります。それに関
しては親がきぃきぃ言わなくても自然と本人が自己訂正しておりました。
「ボク」は、母親としては内心はちょっと気になりながらも、知らんぷりを
装ってうまくいった例ですが、そうも行かなかったのが「左きき」です。
何度も直そうと試みたものの、そのたびに泣きべそをかかれ、とうとうこち
らが「こんなに泣かしてまでいかがなものか」と根負けしてしまった結果、
我がモイケル娘は左ききです。

そのモイケル娘、ブログでこんなことをつぶやいておりまする。

―納得できないー

何がって、帰省するためのスーツケースが既に9割埋まってしまっている
ということだ。23キロという制限のうちの21キロ。母の買い物である。

残り2キロしかないじゃないか。
私の荷物を2キロで間に合わせろというのか。

しかし母はいう。

「自分の荷物は持ってくるな。服も持ってくるな。」

( ゚д゚)ポカーン

話は少し反れるが、昨日「母へのお土産に」と、
叔母がデパートで色んな食品を選んで持たせてくれた。

笑ってしまったのが これ、いつまでもちますか、いつまでもちますか
と商品ごとに賞味期限を確認していたところである。
特にハードルが高かったどら焼きは店ごとに期限を凝視して、
遂に5月まで生き延びてくれるものを見つけた時の喜び。

帰国直前はいつでもあたふたするのだ。


これじゃあ、「ドラ焼きもってこい」と母がせがんでるのがまる分かりでは
ないか
といいながらも読んでプッと吹き出している母であります。あのね、着き次
第ドラ焼きはすぐ冷凍庫にいれますよってに、期限はあまり気にしなくても
よかったのであります。

納得しておくれ(笑)

モイケル娘のことゆえ、きっと出発ぎりぎりのところで、今頃本日集荷の旅
行かばんに荷物を詰め込むのに四苦八苦、奮戦していることでしょう。
見えてるぞ見えてるぞ(笑)

ということで、他愛もないことを書いているのになぜか笑ってしまうモイケ
ル娘のブログはこちら。親ばかです。

gato
トップの写真の答えはかくれんぼが好きなゴロー君でした。

こちらは、久しぶりの
gato

時々モイケル娘のベランダにえさをもらいに立ち寄る、名づけて「カブキ」
の最新画像(笑)彼女に送ってもらいました。
わたしの滞在中は朝昼晩と毎食ごとに来てましたが、まめなエサ係がいなく
なったものね。 

ではではみなさま、切り絵にとりかかりますれば。
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2012年4月18日
 
一昨日の深夜も過ぎて、最後にもう一度とWeb新聞を覗いたところが、ワ
シントンにおける会見で「石原都知事、尖閣諸島を東京都が買います」とあ
るではないか!「こういう手があった!」とニカッ!と笑い思わずひざを
打っていた。

いいではないの。都民の税金を使うのはどうのこうのと言う意見もあるよう
だが、尖閣諸島がどこぞに占領されてしまったら都民の税金云々どころか都
民も含む日本国民が危うきの目をみるのだ。大なる都民の反対で不可能にな
ったら、都は寄付金を募るといい。たいした額ではないが、それならわたし
だってお仲間に入れていただこう。

優柔不断でいったいどこの国の政府かと思われるような現政権は何の防衛手
段も講じない。不安で仕方がない。土地の所有者も「民主党には売りたくな
い、石原都知事に会いたい」と申したそうな。例の中国漁船の体当たり事件
の対応をみれば、さもありなんありなんだ。

ワシントンという国際的な場に臨んでの意向表明には石原氏の政治センスが
感じられる。海外へ行っては「Trust me」だの「日本は日本人だけのもので
はない」だのと意味不明なことを言って外国人、あまつさえ日本国民の目さ
えも白黒させた元首相などお呼びではない。時折、だ、大丈夫か?と思わさ
れるような失言もあったりするが、悪かったと思ったときにはちゃんと謝罪
することも石原氏は知っている。誰に遠慮してか信念の思うところを言わな
くなった日本の政治家たちのなかで、氏はその年齢に相反して若者のごとき
輝きを放っているとわたしは思う。

左翼思想で国民に平和と幸せをもたらした国の例はない。21世紀にあって
日本の政治家のしていることはあまりにも子供じみていないか。石原都知事
の表明を聞いてほんとにスカッと胸がすく思いだ。

と、独り言です。お聞きのがしを。

さて、本日はポルトガル刺繍の紹介(3)です。

Renda de Bilros(ボビンレース)

Rendaはレース編み、レース織りを意味しBilros(ビルロス)はこのレース
織りに使われる木製の工具、つまりボビンのことです。ビルロスレース編
みで知られるのは北部のVila de CondeとCoimbra近辺のPenicheです。
Vila de Condeにはビルロス刺繍の博物館があるとのこと、一度出かけてみる
つもりをしています。

わたしが大切にしているRenda de Bilrosをあしらった木箱を紹介します。
ボビンレース
21年勤めた補習校を去るときに父母会のみなさんからいただいた記念品です。
ボビンレース ボビンレース
木箱のふたの表面ガラスの下に敷かれています。中はこんな風に。

日本文化展示会に使用する折鶴を貯めています。折り紙は展示会をするごと
に、必ず欲しいと申し出る人がおり、減っていきますので暇を見ては折って
置きます。そのほかビルロス刺繍編みにはモチーフ、テーブルセンター、
アクセサリーや髪飾りもあるそうです。

ボビンレース
ポルトガル北部の伝統工芸金銀細工フィリグラーナを模倣したビルロスの刺
繍ペンダント。

ボビンレース
こちらはポルトガル製ではありません。20年ほど前に家族旅行で行ったスイス、
もしくは南フランスのどちらかで購入したものですが、これもビルロス刺繍の類
ではないかと思っています。

ボビンレース
画像はwikiから。こうして織りのだそうですよ。これは大変な仕事ですね。

Boldade de Viana de Castelo(ヴィアナ・デ・カステロ刺繍

ポルトから北上すること70キロのViana de Casteloはスペインとの国境が
すぐ近くです。

白やベージュのリネン、または綿布に赤、青の糸でViana独特の模様を
刺します。

vianacastelo1-3.jpg
ティータイムなどに使う小さいサイズのテーブルクロス。
ビアナ・デ・カステロ刺繍

BordadoViana2.jpg BordadoViana.jpg

こんな布ケースにも美しい刺繍がほどこされます。
ヴィアナ・カステロ刺繍

ヴィアナ・カステロ刺繍2
 
Bilrosレース販売店は今のところ、ポルトでは見当たりませんが、ヴィアナ
・デ・カステロ刺繍はポルト市内の土産店、特にドウロ川沿いのリベイラで
ほぼ入手できます。丸型四角型、またサイズも大小あります。

機会を見てポルトで伝統刺繍が入手できるお店を紹介いたします。

さて、ポルトはこのところ雨天続きで、初夏のような気候だったのがいっ
ぺんに寒さがぶり返し、引っ込めたヒーターや電気毛布を慌てて引っ張り
出しました。こんな風ですから、ポルトガルでは夏服冬服は常にすぐ出せる
ように吊るしておく必要があります。
洋服ダンスがすっきりしないで困るんですが^^;

では、みなさま、本日も読んでいただきありがとうございました。
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2012年4月16日 

自身はそれに染まりませんでしたが、20歳の頃の大阪京橋時代、まわりには
上に素人と名のつく、演出家、役者、シナリオライターの演劇関係者、作家
志望やカメラマンなど、サラリーマンとは異質の知り合いがたくさんいまし
た。

わたしはと言うと、その中でどういう訳かこれまた上にへんちくりんな定冠
詞がついて「自由人ユーちゃん」と呼ばれていたのです。わたしのどこが自
由人かと問いますと、常識の枠にとらわれないで行動するからだそうで(こ
れは20代の頃だということをお忘れなく)、褒められているのか呆れ
られているのか複雑なところではありました。

素人劇団の何のお役目も担っていないのに出来上がったばかりのシナリオを
読まされたり、その仲間からはあっちへこっちへと引っ張りまわされたりし
たのですが、都会生活がまだ2年ほどの20歳そこそこのわたしからすると
彼らが皆、まぶしい輝きを放っているよう見え、深夜を問わず喜んで引っ張
りまわされていた感があります。

おかげでまともな生活はできず、飲まず食わずの日が多かった青春時代では
ありましたが、今振り返ってみるに、かけがえのない青春の一こまであった
と思います。団長はかつて「劇団四季」に籍を置いたことがあるという男性
で、彼らはサマセット・モームの作品のみを手がける劇団でした。

そんな知り合いたちの中に一人、プロダクションには属していないものの中
川君という素人ではない(!)役者がおりまして、これが顔が大きいもので
すから、現代劇より時代劇でよく映えるのです。案の定、彼は京都四条にあ
る南座で、よく歌舞伎公演での役回りをしていたのでして。なに、役回りと
いってもハシッパの役(笑)

これが、ある日浮かぬ顔をして現れまして、
「舞台でドジッた。トップの役者さんにこってりしぼられてん」
何をしたかと言いますと、
出番の寸前にどうにも我慢ができなくなってトイレに行った。
そしたら出番の合図が聞こえたので慌てて舞台に飛び出して行ったのだと
言う。

出てしまってからハッと気がついたのが、足に履いてる「便所」と書いて
あるスリッパ!(爆)おまけに、手に持ってなきゃならないはずの十手を
トイレに置いてきてしまって、「御用だ!御用だ! 」と突き出す手には、
十手なし・・・

周りの小役人を演じている人らの後ろに後ろにと隠れて誤魔化そうとしたの
だそうだが、そんなもん、ロケじゃあるまいし本番なんやから、どうやって
誤魔化すのよ(笑)これを聞いたときには、気の毒な気持ちよりも大爆笑が
起こって我らは皆、抱腹絶倒。

役者さんの世界って、NGがたくさんあるでしょ?あれ、爆笑ものが多いで
すね。しかし、劇場では毎回が本番、やり直しがきかない。中川君によると
立派な歌舞伎役者さんも時には失敗するのだそうで、そういう時は、舞台が
終わった後に先方さんからちゃんと陳謝として全員に何がしかが配られるの
だそうです。

あれから40年ほども経つというのに、今思い出しても「便所」と書かれた
スリッパを履いて、「御用だ、御用だ!」と空の手を突き出し、にっちもさ
っちも行かなくなっている中川君の姿を思い浮かべるたびに、くっくっくと
腹を抱えて笑わずにはいられないわたしです。

中川君、どうしているでしょう^^彼からもらったヅラをつけたサイン入り
のブロマイド、どこへ行ってしまったかなぁ^^
            <我がエッセイ「中川君のブロマイド」より>

さて、どうしてこんな話から今日は始めるかといいますと、実は先週日曜日
の午後、まこと40年ぶりにTeatro観劇をしてきたのです。この演劇は上に
書いたような失敗など許されない古典劇ギリシャ三大悲劇のひとつと評価さ
れるソポオクレスの戯曲、「オイディプス」、ポルトガル語では「Edipo」
といいます。

edipo1

わたしの一番最後の観劇は、大阪時代に観た浪漫劇場の「薔薇と海賊」です。
三島由紀夫の原作で主演は村松英子と中山仁でした。劇の内容よりもスッと
背筋を伸ばし大股で舞台を往来する美しい村松英子の着物姿に感動し、40
年たった今でもあの姿は脳裏に残っています。ただ、今考えて見るとあの歩
き方は着物では邪道らしい(笑)にも拘わらず、彼女のその着物歩行をわた
しは素敵だと憧れた20代初期でした。

印象的な演劇では高校時代に観た「アンチゴネー」があります。「アンチゴ
ネー」は偶然にも今回観たオイディプスの娘を主人公にした戯曲です。
ファンとはとても呼べませんが、数年前までは夫と連れ立って時にオペラや
コンサートへ出かけたものです。ありきたりの日常生活から抜けて、その時
間だけ日々の垢がちょっと落とされるようなリフレッシュ・タイムに浸るこ
とができます。

ポルトガルに来て以来感激したものに、オペラ「トスカ」と、家族で見たロ
ンドンのマチネ、ミュージカル「レ・ミゼラブル」があります。2作ともま
るで体ごと吸い込まれでもしたかのように、いつの間にか自分がその主人公
になりきって感涙したのでした。

物事を感覚的にとらえるタイプのわたしは、構えた見方をしないので好きな
作品には体ごとのめり込む。ですから、自分が主人公の人生を体験するよう
な感覚になり、それでよしとする。ま、言ってみれば単なる素人観衆で絵画
も本もあまり説明を要するものは苦手な単純人間です。

話を元に戻しまして、今回はブログが縁で、目下ポルトで上演中の、ミラノ
を拠点にヨーロッパや日本で活躍されている演出家、井田邦明氏のご親族の
方のご親切で氏演出の「Edipo」に招待されたのでした。実はご招待を
受けるにあたりポルトガル語での劇が果たして理解できるだろうか?との
不安があり少し迷ったのですが、ふと若いころのあの刺激的な感覚を思い出
し、よし!と出かけて来ました。

edipo

上演劇場Teatro do BolhaoがあるACE演劇学校の入り口。下は中庭。
edipo

ストーリーをあらかじめ知っていたためか、物語の運びにはたいして問題な
くついていくことができましたが、役者さんの格調高いポルトガル語に覚
醒された思いです。ポルトガル語の面白さを再認識、今後の語学学習
にも熱が入りそうです。
劇中意表をつかれた演出もありましたが、ここでは今触れないでおきまし
ょう。忙しさにかまけ、このような優雅な時間があることも忘れていたこ
の数年でしたが、久しぶりに刺激的な日曜日の午後になりました。

下記にてご案内いたしますので、ポルト在住の方、よろしかったら是非お出
かけしてみてください。

インフォーメーション
「Edipo」
演出:井田邦明
上演場所:Teatro do Bolhao(ACE演劇学校内)
       Praca Coronel Pacheoco No.1
Tel: 222 089 007
www.ace-bt.com
上演期間:4月12~5月6日 
上演時間:(1時間20分)水~土21:30~  日曜日16:00~
料金:10€ (12歳以上)


なお、下記wikiサイトではストーリーの概要を読むことができます。

オイディプス

アンチゴネ-」


最後にこのような機会を下さったI様に感謝いたしまして。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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テーマ:演劇
ジャンル:学問・文化・芸術
2012年4月15日

このところ、現在日本に住んでいるわが子、モイケル娘が18年間のポルト
ガル生活に終止符を打ち、希望に胸膨らませて大学受験のために日本へ飛
び立った頃の日記を読み返しています。以下に、一部抜粋してみました。

2004年9月24日(合格発表日)

朗報です。BBS(掲示板)にも一言書きましたが、もいける娘、W大学に無事
合格との電話が、こちら時間の朝5時に入りました。

受話器を置くなり、夫がまだ寝むりこけている寝室へ行き、「やったー!」
と思わずガッツポーズで大声を出し叫んでいた。

「朝7時くらいまでは落入関係なしに、電話を入れるな。どちらにしてもそ
の後は寝付けなくなるから」などと娘に言いながら、実は本日の発表の結果
が気になって気になって実は一晩寝返りをうっては悶々とし、ほとんど一睡
もしていないのでありました。^^;

本人は入試後のて応えで入った気でいたみたいだが、こう言うことは結果が
出てみなければわからないものだ。もし落ちていたらなんと慰めようか・・
しかし、経済面ではこっちは楽になるかも、と落ちた場合のことを考え、自
分でも気づかないうちにそんな気晴らし理由を持ち出したり。

いやいや、待てよ。そんなことを思ってはならん。やはり、できるものなら
一発で合格して欲しい。うん、きっと通ってるぞ。今頃は小躍りして喜んで
いる頃かも知れない。電話が入るまであと何時間あるのだ?もうとっくに合
否結果が出てるはずなのに。合格やったらすぐにでも電話くれたらええのに
と、電話はこちらの就寝時間中はするでないと自ら言ってるのも忘れ。

やっぱりアカンかったのかな・・・
ガックリ肩を落としてしょげている姿まで目に浮かんできては、それを追い
払い追い払い・・・我ながらちぐはぐなことを考えて、何度も寝返りをうっ
いたのでした。(笑)

うむ、これで堂々と「英語圏外の国で生まれ育った帰国子女大学合格までの
親子珍受験戦争」なんての、書けるかも~~(笑)いや、ほんま、やります
よん。少なくともわがホームページでは!(ほんまにやってますのよ今。笑)

もいける、合格ほんとうにおめでとう。
これから帰国子女の底力を発揮して大いにやってください。
約束の合格祝いの自転車、買ってあげるから待っといてねん^^
ん?「転」じゃなくて「動」の間違いじゃないのか?あはははは。ブログや
ホームーページでしょっちゅう誤字を出しているわたしですが、今回は誤字
ではありませんぞ。しっかり間違いなく、「自転車」が約束の品なのだ。

たかが自転車と言うなかれ。それだって、あぁぁぁぁ、飛んでいく飛んでい
く~。なにがって?決まってますわよ、あれですよ、あれ。うちに足りない
諭吉さんでございます~(爆)

2004年9月26日

帰国子女枠大学受験は、夏が私立大学受験期で、国立大学受験の2月くらい
まで続きます。

10年くらい前までは、帰国子女はブーム(笑)もあって、比較的大学に受
け入れられやすく、主に英語と面接で入学決定されていたのですが、ここ数
年はその仕様が変わってしまいました。帰国子女がたいして珍しくもなくな
ったのです。

帰国子女枠の受験科目は国語Ⅰ、Ⅱ、英語(エッセイも含む)、日本語での
小論文、そして面接が加えられます。これでわかるように、帰国子女とはい
え、受験は結果的に国語、英語(スペイン語、ドイツ語、フランス語もあり)
の学力がものを言う、ということになります。

国語Ⅰ、Ⅱと言えば、古典は入らないものの、授業についていける日本の高
校卒業程度の国語力が要求されます。
国語力を試されるのがもうひとつ、日本語での小論文です。出される課題が
なにかは、その場になってみなければわからない。ただ単に、海外での生活
体験を書くのではなく、滞在国の時事、政治、教育にいたるまで、体験を通
しての確固たる自分の意見が求められます。

これは海外に滞在する子どもたちにとっては、普段からの大変な努力が要求
されることになります。

海外での成績、そして、その国における大学入学資格となる統一試験も審査
に入ります。日本語も日本の高校生並みの能力を求められ、海外での成績も
見られるのですから、傍が、
「ええやん、帰国子女って楽に入れるし」という見方は大きな間違いだと、
わたしも今回知らされざるを得ませんでした。

もいけると似たような環境の帰国子女、つまり外国で生まれ育ち、海外に
滞在する企業関係の帰国子女と違い、別方面の問題を抱えます。もいける
の受験体験はそのような帰国子女に少しでも情報源になればいいと思います
ので、もう少し生活が落ち着いてから、シリーズとしてとりあげて参ります。

もいけるは、ポルトガルの高校から日本の大学入学を果たした、恐らく初
めての帰国子女でしょう。巨人の星、地上の星ならず「ポルトの星」だ~
~と、補習校の先生たちに言われてます(笑)

ゆ~けゆ~け、も~いける~~~、ドンとゆ~け~(笑)


これがもう8年も前のことだとは思えないほどに、月日がいつの間にか流れ
去っていました。「大学を卒業してもいないというのに3年次でどうやって
就職試験が受けられるのだ?変なの」と考えたノホホン親子、卒業年の夏過
ぎに実はそれではもう遅いのだと慌てふためいて就職活動を始めた彼女でし
たが、その後東京にある会社に無事入社したのでした。

石の上にも3年という。3年職場にいれば何かを学べるというもの。3年は
辛抱せよ、との親の言葉の任期が終わったちょうど3年目のこの3月、き、
きっぱりと退職いたしやんした、我が娘^^;

モイケルよ、何もこういうことをきちんと守らなくたってええんじゃないの
ん?正社員としての雇用が少ない今時、多少冷や汗をかいてる母ではある
が、「院2年間の授業料は貯めた、もっと勉強したい」と言う彼女に返す
言葉もなく、言いたいことも引っ込めてしまいました。

そうだね、もっとしたいことがあるのなら、そしてその時期が今だと思うの
なら、やってみるといい。せっかく正社員として入社したのに。派手な生活
こそできないがボーナスだってあるし、安定した日々の営みはできるのに
もったいないと思うのは、そういう生活を望む者や親の老婆心の話かも知れ
ない。

安定した生活ばかり言っていたら、人生の冒険などはできない。世の中の多
くの人は、本当に自分がしたいことはこれだ、などと思いながら日々仕事を
して現状に甘んじているわけではないと思うが、そこから脱却しようと試み
ることができるのは限りない可能性を秘めている若いときこそだろう。

かつて、息子が音楽の道をと言い出した時に、夫はさほど反対するでもなか
ったのだが、わたしは真っ向から反対した。ポルトガルでは音楽で食ってい
くどころか食いつないでいくこともできないのを知っていたからだ。
また、大阪時代にずぶの素人であったわたしに歌姫のバイトが転がり込んで
きた時は、渡米の資金を作るために5、6年続けた経験がある。バイトと割
り切れる間は楽しいものだが、ミュージシャンたちの姿を少し垣間見ること
ができた。一生の仕事とするには才能と厳しい競争を勝ち抜いていくだけの
エネルギーがいるのだ。優しい心根では太刀打ちできないプロの世界である。

音楽をしたいのなら、とりあえず食っていける手段をまず整えよ。それでも
まだ諦めきれないなら、それからでもできる。本当にしたいことはいくつに
なっても始められるものだ、といい含めた。

リスボンの大学でITコースを修了した息子は遅まきながらではあるが結局、
現在は東京で働きながら音楽作曲の道を歩んでいる。本当にしたいことなの
だ、応援こそすれ、今はもう何も言うつもりはない。

己の道は己が決めよ。違ったかな?と思ったらその時は方向転換すればい
い。きっと別の道がある。

そんなわけで、我がモイケル娘、あと10日もすれば4年ぶりの帰省で3週
間ほど滞在し、8年前のように再び受験勉強に励むことになります。2年間
で授業料を作ったことには感心します。なにしろ、化粧品も買わずすっぴん
で通勤し続けたんだものね(笑)よくぞ頑張りました。

しかし、娘よ、授業料を作ったはいいが、これからの生活費はどうなるの
だ~~^^;そこが抜けておるのは、さすが母譲り、褒めてつかわす・・・

moikeru_joao08
2008年モイケル帰国時。息子はまだリス
ボンの学校でバイト中。こうして家族4人が再び揃うのはいつのことだろう。
モイケルの3匹猫のため兄妹が同時に帰ってくることは難しいのであります。


長い記事を読んでいただき、ありがとうございました。
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テーマ:受験
ジャンル:学校・教育
2012年4月14日

補習校時代の同僚に頼まれて、5月始めにボランティア活動でリセウにて上
映する影絵作成に専念している。日本語教室の合間を縫ってするものだから
忙しいったらありゃしない。今回は天然色、つまり色つきでしたいなどと無
謀なことを始めたので普通の影絵の3倍の手間がかかっている。

kaguyahime10-1.jpg
 
息子の部屋がいつの間にかわたしのアトリエに(笑)
ダブルベッドいっぱいに広げられている影絵作成用の材料。こういうときは
猫立ち入り禁止!

題材は「竹取物語・かぐや姫」です。
ポルトガル語翻訳は同僚がすでに仕上げ、BGMはイメージからボロディンの
オペラ「イーゴリー公」の「ダッタン人の踊り」を活用することにした。
後はモイケル娘の朗読をCDにコピーし、出来上がりを見てリハーサルに臨む
ことになるのだが、オペラの「ダッタン人の踊り」と藤澤ノリマサなるシン
ガーの現代版「ダッタン人の踊り」とをなんとか組み合わせられないかと思
案中だ。ちょっとだけ、作品の一部をご紹介します。

kaguyahime6.jpg
昔、竹取の翁と言うものありけり。
 

kaguyahime5-2.jpg kaguyahime5-1.jpg
右は裏。和紙を分けて貼り付けるので一人の人物画に少なくとも2回は貼っ
たり切ったりすることになる。
 
kaguyahime4.jpg
美しく成長したかぐや姫
 
かぐや姫を娶りたいとやってくる公達(きんだち)たち。まだ和紙の貼り付
けをしていない状態です。影絵作成は題材に合った絵を見つけそれを何度か
拡大コピーすることから始めます。台紙に貼り付けマーカーで縁取りをして
カッターで切り抜いていきます。
 
kaguyahime3.jpg
蓬莱の玉の枝。裏を返せばこれ、この通り苦心のあとがw↓
kaguyahime3-1.jpg

十五夜が近づき、月を眺めては哀しみにくれるかぐや姫。
kagee
そして今とりかかっているのが帝の送る兵の場面です。和紙のきれいな色が
どの程度影絵スクリーンに反映されるか、楽しみでもあり不安でもあり・・
 
kagee
長い兵のパターンの切り取りに今四苦八苦しています^^;

これらをあと10日ほどで全て仕上げてしまい、上演まで少し時間的余裕が
欲しい。と言うのは、再来週始めには4年ぶりにやっと我がモイケル娘が
ポルトガルに帰省するのであります!
日本社会で生活していると、1週間以上の休暇を会社に申し出るのは勇気が
いることです。往復に2日を要するので一週間やそこらでは疲れるために帰
るようなもので結局大学3年時に帰国して後、四年時には就職活動に追いま
くられ入社以来一度も帰ってくることは叶わなかったのでした。

で、今回は、その母が昔、直談判で一ヶ月休暇を無理やり会社からもらいイ
ギリスに短期語学留学し、君のようなのは後にも先にも我が社にはいないで
ありましょうと言われたことがあるように、モイケル娘も漸く勇気を出して
社に一週間以上の休暇申し出をしたと言うかや?

いえいえ、そこがちょっとございまして。この話は明日にまわすといたしま
しょう。

最後に、目下、どのようにして影絵に挿入するか思案中の、Youtubeから拾
った藤澤ノリマサ氏のポップ調「ダッタン人の踊り」を。

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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2012年4月12日 

portoescondido
うっかり見落としてしまいそうな路地の奥のレストラン。

今日は日本語教室ネタです。

日本語を教えていて苦労する点はわたしの場合、なんと言ってもヒアリング
だ。生徒が日本語を耳にする機会が本当に少ないのである。老若によって差
があるのは若者はyoutubeでアニメを通して耳を鍛えられるし、その時間が
あるが、勤め人や年配者はそうもいかないということが言えるかも知れない。
我が家に通ってくるのは大半が勤め人、年配者なのだ。

アニメで日本語を学ぶことに異を唱えるつもりはないが、動詞や文体の言
い切り形(わたしはこれを辞書形と呼ぶ)を学ばないことにはため口のア
ニメを見て聞き取れたところで理解できないゆえ日本語学習歴1、2年で
はアニメや日本映画をヒアリング手段としては勧めない。ていねい体口語
体の使い分けは注意をして学んでもらわなければならず、日本語学習者
にとりこれはなかなかにやっかいな問題なのである。しかし、持論を言え
ば、TPOによって失礼になる口語体よりも、どこでも誰とでも使えるていね
い体こそ教養ある美しい日本語だとわたしは思うので、生徒さんには是非
それを身につけて欲しいと思っている。

我が自宅教室では基本テキスト2冊を終えて中級を学ぶ生徒が3人いるし
現在基本を学習中の生徒にもおそらくこのまま続けるであろうと思われる
人が数人いる。読解力に合わせてヒアリング力を少しでも磨いてもらうには
どうすればいいかと、ずっと思案してきた。

思い立ったのが、Youtubeをうまく利用できないか、だ。日本の面白いドラ
マはたくさんあるし、楽しみながらの学習は続くはず、そのためには内容が
全部理解できなくても「この後、どうなるのかな?続きを見てみたいな」と
思わせるドラマがいい。ドラマでは家族同士の会話に遣われる口語体と外で
の会話のていねい体が遣われる場面が必ずある。「ははぁん、こうやって言
葉をつかいわけるのだな」と知ってもらえる。しかし、ストーリーの運びを
だいたい分かってもらうためには、できれば英語字幕があれば最高だ。

そう思って片方の白目半分が真っ赤になるくらいあれこれ長時間探して見つ
けたのが、少し古いがモイケル娘とわたしも夢中になって見たドラマ、
「一つ屋根の下」。英語字幕が入っていて、うってつけではないか。
そこで、生徒たちに話して、毎週10分ほどの1エピソードのサイトアドレス
をメールで送り質問を受けることにした。

さて、ほとんど日本語で授業をしている研究所所員の若い女性Jちゃんが夕方
我が家に来て言うには「先生、うなぎはさびしいと死んじゃうってどういう
意味ですか?」
「う、うなぎ?」と繰り返しながらアッと気がついた途端に、わっはっはっ
はっは!う、うなぎじゃなくて、Jちゃん、ウサギだよ~^^;
(Jちゃん、ごめんなさい^^;)ここから言い切り文章が通常文章に(笑)

そうなんです。ドラマは両親を交通事故で失い別々に暮らすことを余儀なく
されていた6人兄弟が、長兄が上京することで一人また一人と彼の下に集ま
り、それまで違った生活をしてきた兄弟が一つ屋根の下で共に暮らすことに
より引き起こす喜怒哀楽を描いています。

ドラマの中で長女の小雪が度々使うせりふが「ウサギって寂しいと死んじゃ
うのよ」なのです。ウサギはデリケートな動物で、きちんと世話をしないと
死にいたるのだそうで、小雪は自分の身の上をそれに重ねてせりふを遣うの
です。

Jちゃん、待ちきれずドラマの先をどんどんみたのでしょう、ところが意味
がピンとこない。で、わたしに質問と相成ったのですね。

誤解を招いてはいけないので一言書きますが、Jちゃんの聞き違いを決して
あざ笑っているのではないのです。こんな風な間違いをきっとわたしも英語
やポルトガル語でしてきてるんだろうなぁと思い至り、なんだか可笑しく、
そしてこんな愉快な間違いが時には楽しいひと時をくれるのかもしれないと、
Jちゃんに感謝すると同時に、自分が日々しているであろう外国語の間違い
を誤魔化して笑い飛ばしているのであります。

ついでに、かつてネットを駆け巡った日本語学習に関する大うけした短文
を下記に。

問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答え:「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない」

問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答:「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし~なら」を使って短文を作りなさい。
答:「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか~ろう」を使って短文を作りなさい。
答:「まさかりかついだ金たろう

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」

問6:「なり」を使って短文をつくりなさい。
  (ex.彼女を見るなり走り出した)
答:「コロッケはおいしいナリ」


なんだか楽しくなるような天真爛漫な(^^;)苦肉の作文ですね。

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2012年4月9日 

久しぶりにポルトのレストラン案内です。

ずいぶん前から入ってみたいと思いながらなかなかチャンスがなかったこの
レストラン、ダウンタウンにあります。

毎週土曜日は夫と二人、レストランで昼食をとる習慣です。これは元はと言
えば、22年間土曜日の補習校で授業をしてきたことから来るのです。授業
準備は時に金曜日の夜遅くまで及ぶことがあり、翌朝8時過ぎには登校、そ
してほぼ4時間の仕事でした。間に半時間の休憩時間が入りますが、休憩は
生徒たちのためで、スタッフはこの間職員会議です。

同じ教室に学年が違う2クラスを教える複式授業を3時間持つと、わたしの
その日の全エネルギーはほぼ消耗です。校内では元気溌剌とふるまうもの
の、車を運転して我が家の玄関ドアを開けると途端「疲れた―!」と一声
を発するのが常でした。

始めのころはなんとか頑張ってすぐ昼食の用意にとりかかったものの、帰宅
が1時半。それからの料理ですから、夫は待つことができても共に登下校す
る子供たちの我慢が続かない。これではいけないというので、土曜日の昼食
は一家揃ってレストランが食事どころになったのでした。

4人が毎週外食ですから、いただいく謝礼の大半は結局外食代にまわり、な
んだかなぁと思いながらも、子供たちと学習するのが楽しくて、なんだかん
だと22年も続き、そろそろ若い人に道を譲るべきだと辞職したのが3年前で
す。

毎朝土曜日に登校するのが習慣だったもので、どうも家にじっとしているの
は落ち着かない。そこでウィークデイに日本語を習えない人たちを対象に始
めたのが土曜日の小さな日本語教室YY塾です。

そんなわけで補習校は終わったものの、結局土曜日の仕事は続くことになり
成長した子供たちも今では日本在住。夫と二人だけなのですが、土曜日の
レストラン通いは相変わらず続いています。

わたしたちは行きつけのレストランが数軒ありますが、ダウンタウンは駐車
場の問題があるのと、意外や、気に入ったレストランがないのとでダウンタ
ウンで食事をすることはめったにない。が、今回は夫を誘ってみました。

レストランSolar Moinho de Vento

moinhodovento
Moinho de Ventoは風車という意味。この可愛らしさに惹かれ、何年も前か
ら入ってみたいと願っていたのです。

moinhodovento
一階より2階をお勧め。昔からあるレストランで、レトロの時計がいかに
にも古さを物語っています。

どうやらここは元は屋敷であったようでそれをレストランに改築したよう
です。

moinhodovento
ポルトの昔を物語る。 

moinhodovento
「Laranjada Bussaco」は昔のブサコ地方の有名なオレンジジュース。
 

moinhodevento
レストランの名前が刺繍されたナプキン。

moinho_vento4-1.jpg

わたしが食べたのはBacalhau(バカリャウ=タラ)料理。
分厚い白身はおいしかった!これはイケます。 

moinho_vento4.jpg
夫のは青菜と肉とご飯。これもなかなかに美味でありました。

moinhodevento

毎水曜日にはファドライブがあるこのレストラン、今は亡きファドの女王
アマリア・ロドリーゲスもかつて歌ったことがあるとか、ポルトの数少な
いファドが聴ける店のひとつです。

インフォメーション:
住所:Rua Sá de Noronha 81 Porto
営業:毎日(日曜日は15:30まで)
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2012年4月7日 

easterchoco.jpg
モイケル娘に。バニーチョコが待ってるよん^^

今日は読んで「おい!」と思いながら思わず笑ってしまったニュースから。
以下、テレ朝ニュースサイトから引用。

北朝鮮によるミサイル発射予告を受け、迎撃ミサイルの部隊などを指揮す
る航空自衛隊横田基地を視察した田中防衛大臣に思わぬハプニングです。

航空自衛隊の司令部は先月、アメリカ軍横田基地の中に移転し、北朝鮮が
ミサイルを発射した時には日米共同による初めての本格的な実戦運用が行
われます。このため、田中大臣は、初めて視察のために横田基地に訪れま
した。しかし、「WELCOME」と歓迎のメッセージが出るはずだった電光掲示
板には「SAYONARA」の文字が出るというハプニングがありました。


ブラックユーモアにしては出来すぎです。こんな婿殿防衛大臣では有事の時
にいったいどうなるのか。「無知の知」なんて言ってかばっている場合では
ござんせん、野田首相。

さて、ポルトガルは目下昨日の聖金曜日からイースター休暇です。イースタ
ーことPascoa(パスコア)については過去に何度かとりあげていますのでイー
スターの起源はなんなの?なんで卵なの?なんでうさぎなの?との疑問を持つ
方は、下記、過去のわたしの記事をどぞ。

イースターの謎


今日の本題です。
ポルトガルの経済危機に及んで、消費税が軒並みアップしたことは昨年触れ
ましたが(最高23%。ネコのエサもそう!)、来週からまたガソリンが値
上げされるところに(1リットル1.7ユーロ=180円)、夕食時、テレビニュ
ースで言うことにゃ、国家公務員、年金生活者の2年間のボーナスカットを
3年にするですと。

2年間我慢して国がなんとか危機を乗り越えられるのなら文句は言うまい、
じっと我慢だと思ってきたわたしも、これを聞いてはさすがに腹が立つ。
よく耳を傾けて聞くと、政府はどうも最初から5年くらい分捕る腹積もりで
いたようで、初めは2年、そして3年、5年と、引き伸ばしを考えている。
ボロッとこの話が出てきたのは一昨日のこと。

2年だって4ヶ月分の給料をお国に差し上げることになるのだ。3年だと半
年分、5年で10ヶ月分だ。あこぎじゃないか、することが。こんな状態にな
ったのは何も現政権ばかりのせいだとは言わないが、言ってみればこれまで
政に携わってきた現政権も含めた政治家たちの先見のなさ、日和見主義が今
日の国家危機を招いたことになるのだ。
大して贅沢をしているわけでもないのに40%近くの所得税を払わされ、お
まけに半年分10ヶ月分とかっさらっていくのは詐取だと言える。

年間たった2ヶ月分のボーナス、一般公務員にとり、それが貯蓄に回される
ことはない。家族とともに夏の休暇、クリスマス祝いで消えてしまうのが通
常だ。それがないとなると、夏はみな家で過ごし、クリスマスの消費もなく
なり、経済は停滞、悪化の一途をたどることになるではないか。

ECに加入した際に、回される援助金にウハウハ言うだけではなく長い目でみ
た経済政策に取り組むべきだったのだ。

それで思った。無責任な政治家を選んだ国民にも責任はあるが、黙って給料
を国に差し出す手はない。国に貸し付けるのだ。利息はつけない。経済が徐
々によくなってからでいい、貸し付けた元金は再び公務員の手に返されるっ
てのはどうよ?利息のつかないタンス預金だと思えばいいことだ。

イースター休暇だと言うのに、5月始めに予定されている新しい影絵製作に
追われながら、そんなことを考えて気を紛らしている。言いたかないが辛抱
にもほどがあると言うものだ。

yuyake.jpg

住み心地が悪くはないのだが、こういうところがなぁ、と空を見上げる。
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2012年4月6日
 
毎週水曜日は午前中の日本語授業を終えた後、できるだけ机に向かいポルト
ガル語の予習をするように近頃心がけている。この日の午後はDias先生にポ
ルトガル語の個人レッスンを受ける日なのだ。

こう書くと言い訳がましく聞こえるかもしれないが、子育て時代は自分の勉
強のために時間的経済的に余裕はなく、今振り返ってみるとあっという間の
日々だった。

給食がなかったので毎朝の弁当作りから始まる学校への車による送迎(送
るは夫の役割で迎えはわたしだった)は二人合わせて17年間続いた。子供
たちの通った学校が家から遠かったのである。今でこそ自動車道路を走れば
2、30分で着くのだが、それがなかった当時は小1時間はかかったものだ。
毎朝夫と子供たちが出るまでは目が回るような慌しさだった。犬猫も同居し
ていたので、それらのエサやりも数が多いと傍が思うほど楽ではない(笑)

今なら家事も週に2回掃除やアイロンあてに通ってくるベルミーラおばさん
でほぼ間に合うが、当時は彼女が来ない日は自分がすることになり、4人分
のアイロンあてだけでもたいへんだった。迎えに行くまでに今ほどは受け
ていなかったが、日本語レッスンが入る日もあり、そうこうしているうち
にもう学校へ迎えに行く時間である。迎えの時間は厳守で遅いとしっかり
おこごとをもらう。

帰宅後は学校や土曜日の補習校の宿題、日本からの通信教育をみるため子供
と共にテーブルに座り、夕方にやっとそれから開放されるのだが、その頃は
夕食準備の時間になっている。夜は夜で、長年勤めた補習校の授業準備だ。
今のようにパソコンがさほど普及していなかった時代、授業の参考資料はだ
いたいが直筆である。あの案この案と作ってはつぶしたアイディアが山ほど
ある。

自分のために勉強できなかったわけをつらつらとあげつらったが文句のつも
りはない。自分のことはあまりできなかったが、それらの子育て時代をわた
しは本当に楽しみ子供を育てることを通して机に向かう勉強とは別の意味で
多くを学び自分を成長させることができたと今にして思う。その間自分が好
きな勉強ができなかったとて悔いてはいない。

経済面でもなかなかに大変ではあった。子供たちが通った学校は北部でも私
立大学を含む全ての教育機関でダントツの授業料だったからだ。それに土曜
日の補習校、通信教育費、数学、ポルトガル語の家庭教師、ピアノのお稽古
と、まぁ、まるで躊躇せず飛び立つ鳥のように教育費はでていったものだ。

それらが一段落した頃に夫がその年のびっしり予定がつまったポケットアジ
ェンダを眺めながらつくづく言ったものだ、「17年間朝から晩までほんと
によく働いたなぁ。自分でも感心するよ」

その後は大学教育費があったので経済的問題は一挙に解決したわけではない
が、少なくとも高額学園からは開放されて少しは楽になったと言える。

さて、子供たちのポルトガル語の家庭教師をお願いしたきたDias先生に無理
やり頼みこんでわたしが個人授業を受けるようになったのはさほど昔ではな
い。日常会話が分かるので先生の説明は理解できる、ちゃんと勉強しますの
で、とこれを売りにお願いした。

その「ちゃんと勉強します」がついこの間まで実行されていなかったのだが、
実を言うとこのところ初めてポルトガル語は面白いかもしれないと思い始め
たのである。30年も住んできて何を今更と言われるかもしれないが、わた
したちが何かに興味を持つには人それぞれきっかけがあると思う、わたしの
機会は遅まきながら今来たということだろう。
そんなわけでこのところポルトガル語のレッスンが楽しく、Dias先生とは話
がはずむことも多くなった。

ところで語学を学ぶには中級になるといい辞書が必要になる。ところがその
いい辞書なるものがポルトガル語ではなかなかないように思う。我が家にも
葡葡辞書が何冊かあるが、物足りない。Dias先生は職業柄何冊もの辞書を揃
えており、授業中にときどき一緒にひくことがあるが、そのなかの上下セッ
トの辞書にわたしはいたく惹かれ、あちこちの書店を探してみたが実は絶版
ものであった。探す最後の一手は、かつてわたしがブログでも紹介したこと
がある古本屋「モタさんの煙突」で探してみよう、である。

行こう行こうと思っていながら時間がとれずにおり、今週水曜日、いつもの
通りポルトガル語の勉強でDias先生のお宅を伺ったところ、
「この辞書は悪くないと思うがどうかな?」と一冊の辞書を紹介された。
「どう?類義語対義語、それにその語彙を使った例文もちゃんとある」

手にとって見るとその通りで、常日頃、わたしはポルトガルの製本がよくな
いのを嘆くのだが、その点もしっかりしている。
「いいですね。出版者とタイトルをメモさせてください」と言うと、
「これは君にあげよう」とおっしゃる。え!!

一応辞退すると、Dias先生のところには出版元から意見をお聞きしたいと
高校のポルトガル国語教科書や辞書などがしょちゅう送られてくるのだそう
だ。
「今回の辞書は悪くないと思うので、君にあげましょう。なに、わたしの
 懐がいたんでいるわけではないので気にすることはありません」 
先生のその言葉に甘えて喜んでいただいて来たのがまだ市販されていないこ
の辞書だ。

jisho

うっほー、とその日はホクホク気分で辞書を胸に抱えて帰宅したのであった。

夕食時に夫に話すと、「君、きっと何度も恥ずかしげもなく、その辞書は
いい、いい。けれども絶版で売っていないともの欲しそうに言っていたに
違いない。ぼくもあちこち書店を探させられたからね」

うっうぅ・・・・
い、いいのだ、これでもって、今からしっかりと勉強するのだ!

Dias先生、ありがとう!
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2012年4月3日

このところ最近観た映画について綴っていますが、最後の「The Way:星の旅
人たち」(マーチン・シーン主演)についてはテーマが大きく、手元にある
ブラジルの作家パウロ・コエリュの「Alquimista(アルケミスト)」にもつ
ながると判断、まずこれを再読してからにいたします。

この本は数年前にざっと目を通したのですが、簡単そうなポルトガル語の文
章ではあるけれど、書かれてある内容は奥が深いのです。さりげなく使われ
ている単語もそれぞれにシンボル的な意味があるはず、もっと掘り下げて物
語の真髄を知りたいと思い、実は先日、ポルトガル語を習っている先生にお
願いして、現在使用しているテキストが間もなく終わるのを機会に、一緒に
その本を読むことになっています。

我がポルトガル語の先生は長年高校でポルトガル語の教鞭をとっておられ、
神学を修めた方です。この本は興味ある授業になりそうで、今から楽しみに
しているのです。そのようなわけで「The Way」はもっと時間を置いてから
取り上げることになりそうです。

本日はポルトガル刺繍の2です。


マデイラ刺繍とアソ―レス刺繍

マデイラ・アソーレス諸島は大西洋に浮かぶポルトガル領です。どちらも
ポルトガルの大航海時代が始まった15世紀初頭にポルトガル人が発見
しています。マデイラはMadeiraと書き、ポルトガル語で「木」の意味。ポ
ルトガル人が入植する以前は島全体が森林の覆われていたことから来
ます。またアソーレスはAcores(cにsedilhaマークが付く)はオオタカの
ことです。

マデイラについては過去に2度ほど訪れていますが、マデイラ刺繍と
アソーレス刺繍はよく似ており、うっかりするとそれぞれの商品に付けら
れている証明札を見ないと混同したりします。
  
マデイラ・アソーレス刺繍 マデイラ・アソーレス刺繍
アソーレス刺繍の証明札  マデイラ刺繍の証明札

マデイラ・アソーレス刺繍の歴史は古く、ポルトガル人が入植した頃からだ
と言われます。島に出入りする貿易商たちに知られようになったのは18世紀
後半で、以後本国ポルトガルやヨーロッパに紹介され現在では欧米で高く評
価されています。一見、器械刺繍のように見受けられるマデイラ刺繍は細か
な手刺繍によるものです。

わたしが持っている刺繍のいくつかをご紹介します。

マデイラ刺繍のモチーフ(と思う。すでに証明札を取ってしまっているので
確認不可^^l;
マデイラ・アソーレス刺繍

手刺繍とは思えないような精密さです。
マデイラ・アソーレス刺繍

マデイラ刺繍は通常、素地が白地に白糸ですが、下はわたしが好きな
真っ赤なポインセチアのモチーフ。

madeira1-2.jpg
クリスマスの時期に部屋を彩ります。
マデイラ・アソーレス刺繍

こちらはアソーレス刺繍。

マデイラ・アソーレス刺繍
眺めのテーブルセンター。白地刺繍が美しいです。

マデイラアソーレス刺繍
コーヒーテーブル掛け。時々使います。折り目が入っているのはご勘弁。

bordadoacores
長いテーブルセンター。

マデイラ・アソーレス刺繍
裏を見ると手刺繍だということが歴然とします。

マデイラアソーレス刺繍
このようにガラスを敷いたお盆に入れたのも素敵です。布地は全てリネン。

証明札が付いているのは子供たちのEnchoval(嫁入り道具用にとってある
ものです。所帯を持つときに一度にそろえるのは経済的に大変ですから、
こうして普段から少しずつ買い揃えておきます。中には頂き物もあります。

ポルトガルの布には尽きない魅力を感じます。

次回は北部の手刺繍をご案内いたします。
本日も読んでいただきありがとうございます。
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ジャンル:海外情報
2012年4月1日 


今日はエイプリルフール。取り立てて嘘をついてみようなどと考えもしませ
んが、ふと思いました。「毎日がエイプリルフールやん、民主党」。
ほんま、いい加減にしてよ。

さて、今日の本題に入ります。

レフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んだのは高校時代で、深い感
銘を受けた一冊です。

道ならぬ恋に落ちたアンナは、年上の夫の許しよりも恋人を選ぶ。愛する子
供に会うこともかなわず、不義の恋ゆえ貴族社交界からは締め出される。
次第に嫉妬から恋人ブロンスキーへの不信が強まり、最後には恋人にも自分
にも悲観して線路に身を投じ短い一生を終える。

現代と違い不義に対する社会制約が厳しかった時代です。賢く振舞えず、一
途に情熱に流されて身を破滅させるアンナが憐れに思えたものです。
「アンナ・カレーニナ」はトルストイが当時のモラル、宗教、哲学の全てを
注ぎ込んで完成させた名作だと言われます。

さて、その文豪トルストイ没100年を記念して彼の晩年と妻ソフィーとの
確執と愛を描いたのが「The Last Station(終着駅・トルストイ最後の旅)」
(2010年)。トルストイを演じるのは、「サウンド・オブ・ミュージ
ック」でトラップ大佐を演じたクリストファー・プラマー、妻ソフィーは
わたしが好きな英国女優ヘレン・ミレンです。

彼女は映画「クイーン」でアカデミー賞をとりましたが、わたしはイギリス
の犯罪ドラマシリーズ「第一容疑者」のジェーン・テニスン以来ファンにな
りました。男社会の組織内での対立や矛盾、孤独、最後には自分が陥るアル
コール中毒と闘いながら現社会の難事件を解決して行く女警部ジェーン・テ
ニスン。悩める大人のキャリア女性をヘレン・ミレンは素晴らしい演技で見
せていました。下記のサイトでは予告編が観られます。

http://bd-dvd.sonypictures.jp/saigo-tabi/

ヘレン・ミレンが演じたソフィーが、ソクラテスの妻、モーツアルトの妻に次
ぐ世界三悪妻の一人だ言われるのを映画で初めて知りました。悪妻の定義が
どんなものか、わたしにはよく分かりませんが、男にとって扱いにくい妻っ
てことでしょうか・・・しからばわたしもその端っこあたりに入るかもなぁ、
とそんなことを思いながら書いています^^;

著名すぎるトルストイ、その著作権、遺産をロシア国民に委譲させようと
するトルストイの高弟チェルトコフや娘アレキサンドラとそれに断固反対
する妻ソフィーとの折り合いが悪かったことも、世に彼女を悪妻と言わし
めるようになったのではないか。

世界的に名声を得たトルストイは後にそれまでとは違ったトルストイ主義
と呼ばれる思想に転向し、晩年は求道者としての道を探ろうとします。夫
の筆跡を清書するなどしてその作家活動を支えてきたソフィーからすると、
トルストイの精神の変化についていけなかったのも諍いの原因だったのか
も知れません。

13人もの子供を産み長年ともに生きてきた妻ソフィーを、長女のアレキ
サンドラを始めとする家族、チェルトコフたちが瀕死の床にある駅の一室
に通すまいとする姿勢には、トルストイの家族関係に異質なものを感じて
しまいます。

終着駅とは、トルストイが自分の領地を捨てて家出し、彼が病に倒れ命を
落としたアスタポヴォ駅(現レイ・トルストイ駅)のことです。

82歳にして残された人生最後の時間を一人静かにと安らぎを求めて、家族、
領地を捨てて家出したトルストイですが、うがった見方をすれば、著作権や
遺産を国民に委譲することで自分の死後、遺される妻や大家族はどうなるの
か、遺言に署名するときにトルストイはやはり迷ったであろうか。人生最後
の時間を一人静かにというので、全てを捨てて旅に出るわけですが、文豪ト
ルストイであったからこそそれは周囲に許されたのでしょう。

この映画を見て、青春時代に感銘したトルストイの作品をもう一度、夏休み
にでも読んでみようかと思っています。トルストイについて何も知らずに
読んだ青春時代と、今回の映画を見て知ったことを交差させて読む現在とで
は、読後感が違って出るかも知れません。

もう一作、いいと思った映画作品を。

「Temple Grandin」。
これはテレビの映画チャンネルをひねって偶然に観た映画です。

誰ですか?テンプル騎士団の追っかけをわたしがしているからとてそれの類
だと思っている人は(笑)
Temple Grandinとは自閉症を抱えていながら社会的に名を上げ
たアメリカの実在する女性の名前です。ちょっと面白い名前ですね。

自閉症がまだ社会で認識されていない時代に生まれ彼女は2歳で特別施設
に預けられ1950年代に自閉症と診断されました。よき理解者である母親
とよい指導者に恵まれ後にフェニクスのアリゾナ州立大学に学び、更にイリ
ノイ州の大学で動物学博士を取得します。

家畜施設での虐待的な扱いを目の当たりにして、自閉症、差別と闘いながら、
わたしたちの食卓にあがるために飼育される家畜をできるだけ恐怖から開放
し苦痛を和らげようと、自分が考案設計した施設を持ち込んで家畜業者たち
の説得に取り組みます。

彼女半生を描いたこの映画はエイミー賞テレビ映画部門でたくさんの賞を
獲得しています。

Dr.Temple Grandinは現在も自閉症啓蒙活動と家畜の権利保護運動を展開し
ているコロラド州立大学准教授です。
下記Youtubeからの引用です。




本は勿論、わたしは映画を通しても学ばされることがたくさんあります。
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